小説の豫言者

折口信夫




私の知つた文學者には、豫言者だちの人と、饒舌家型の人とがあつて、著しい相違を見せてゐる。勿論、太宰君は豫言者型といふよりも、豫言者と言つた方が、もつと適切なことを思はせてゐた。
宗教の上の豫言者が、その表現の思ふ壺にはまるまでは、多く饒舌家に類してゐた。太宰君の作品にもさういふ風があつて、語がしきりに空※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りしたこともある。だが誰も認めてゐる彼の築いた「異質の文學」は、世間は勿論、彼自身意識してゐないこの次の人生を報告しようとして、もがいてゐたのである。
そんな點では徒らに説明の多い同時代の哲人たちよりも、もつと哲學人らしかつたと言へる。ただ惜しいことは、それをつきとめて、具體的なものを我々に示すことが出來なかつた點である。饒舌の藝術なる文學に慣れた我々は、そんなことを言ふ。だが、繪であり更に音樂であつたなら、太宰君の到達した程度で、凡、十分だと言ふことになつたはずである。





底本:「折口信夫全集 廿七卷」
   1968(昭和43)年1月25日発行
初出:『「太宰治作品集」内容見本』創元社
   1951年(昭和26年)2月
※底本の題名の下に書かれている「昭和二十六年二月創元社板「太宰治作品集」内容見本」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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