〔一〕 明神御宇日本天皇詔書……云々咸聞。
〔二〕 明神御宇天皇詔旨……云々咸聞。
〔三〕 明神御大八洲天皇詔旨……云々咸聞。
〔四〕 天皇詔旨……云々咸聞。
〔五〕 詔旨……云々咸聞。
此は、令に見えた詔書式である。〔一〕・〔二〕は、蕃国の使に宣する場合の大事・次事によつて分けられた形式である。等しく、此詞を、開口として、宣り下されるものであつた。〔三〕・〔四〕・〔五〕の三つは、国内の事に関する大事・中事・小事を宣り別ける詔書の様式である。此様に複雑に、書き別けられるやうになつた以前の、形を考へて見たい。〔二〕 明神御宇天皇詔旨……云々咸聞。
〔三〕 明神御大八洲天皇詔旨……云々咸聞。
〔四〕 天皇詔旨……云々咸聞。
〔五〕 詔旨……云々咸聞。
たゞ今のところ、私の考へでは、内外を通じて、大事には「あきつみかみと、大八洲しろしめす、天皇詔書と」といつた形を以てしたものと思うてゐる。其が、外蕃との関係を深く考へるやうになつてから、〔一〕・〔二〕を最も重いものとして、表現し始めたのである。
続日本紀を見て、第一に受ける印象は、大倭根子天皇なる称号が、御歴代の御名の上に付いてゐる事である。此は、疑ひもなく、詔旨・宣命のもつ信仰から出たものと思はれる。更に言へば、即位式ののりとが、印象深く、其天子の御一代を掩ふ事になる為と思ふ。即位ののりとと云ふものは、古くは、其が初春で、同時に新嘗の直後に、宣り下されたものと、推論する事の出来る多くの根拠がある。だから、のりと及びよごとが、即位式・大嘗祭・元旦朝賀に共通して用ゐられ、或は、其用途が混同してゐるとさへ、見られるやうになつたのである。
今も述べた様に、私は、元旦を以て、大嘗祭・即位式の、同時に行はれた古代の国家の年中行事を考へてゐる。言ひ換へれば、天子、毎年、新に蘇らせられると言ふ信仰の下に、其産声を意味する祝詞が、御代始めの祝詞ともなり、同じ考へから、時に行はれた大嘗祭の祝詞となり、或は、元旦ののりととも、分れて行つたのであつた。古代には、第一回の元旦ののりとが、其後、毎年、新しい詞章として、繰り返へされてゐた。然も其が、形式化した常用文句としてゞなく、新鮮な、権威ある詞として、常に考へられてゐたのであつた。此が、即位ののりとと、元旦の詔旨との間に、区別の殆どない理由である。
謂はゞ、元旦の詔旨は、即位ののりとを、毎年くり返すものであつた。大倭根子天皇と云ふ枕詞とも言ふべき成語は、単に、讃名ではなかつた。新しく、そこに、霊力を享けて、復活した聖者である事を意味するのだ。
根子は、山城根子・浪速根子の類から、大田々根子に到るまで、ある地方の、神人の最高位に居る者の意味であつた。大和の神人の、最高の人となるが故に、天子の稜威は生じるのであつた。しかも、神人にして、時に神自体(かむながら)の資格を有つ事があつた。其場合に、あきつみかみと云々、といふ形容句を付けて、神及び神人なる聖者を意味する様になつたのである。既に此古神道の根本精神は述べて置いたが、聖者の誕生と、復活とは同一であり、誕生と即位とは、また同時に行はれるものと信ぜられてゐた。畢竟、即位ののりとは、
のりとのくだる場合が多くなるにつれて、其間に大小、或は、更に細やかな区別が考へられて来た。そして、公式令に見える様な、三様の朝廷の辞が、段々固定して来たのである。処が、蕃国の使に発せられるのりとなる、大・次の二様式がどうして発生したかゞ、問題になると思ふ。
私は、祝詞と寿詞とは、相互関係にあるもので、古く単独に、宣或は奏せられた事実を想像することは出来ない。国学の先達以来、祝詞・寿詞の用語例定義については、結論と見るべき断案に達してゐない。だが、私は、のりとが神及び
祝詞・宣命・詔旨は、結局寿詞・
日本の地域は、大倭根子天皇ののりとの下る範囲内を示す詞であつた。正しく云へば、此祝詞がくだると、其土地が、日本を以て呼ばれるやうになるのである。だから、国家が拡がるにつれて、大倭根子天皇詔旨は、次第に重要な意味のものと考へられて、此は対外的のものであり、或はひろがりゆくべき祝福の詞章と解せられる習慣が出来たのである。私は
朝鮮半島に於ける国を
さて最後に、さうした祝詞は、何時・何処で宣下されたものか。私は、其宣下の座を、古くのりとと称したものと観てゐる――そこで宣り給ふ詞章なるが故に、のりとごと、と言うたのである――其を略して、単にのりとと云ひふるして来た為に、のりとごとを以て、重言のやうに考へ、或は、のりとを分解して、のりときごと・のりたべごと或はのりごとと言うた風に、とにことの意味を想定する学者ばかりが出来たのである。
高御座を以て、私は、のりと、即、誕生――復活の詔旨を宣下し給ふ座と考へる処まで来た。
私の此話は、日本の古代の暦法、天上天下の関係を説かねばならなくなつた。此は他日の機会を俟ちたい。たゞ、最後に、言ひ添へるならば、高御座は、天上に於ける天神の座と等しいもので、そこに