獨愁

相馬御風




 今年は雪の降り方が非常に少く、春の來方のあまりに早かつたのにひきかへ、高い山々の雪の消え方は何だかあまりぐづ/\し過ぎてゐるやうである。今私が二階の南向の書齋の窓から眺めてゐる山々もまだ麓まで眞白である。白馬や蓮華などの今頃なほ眞白なのは例年のことであるが、左手に見える雨飾岳が、今頃なほ裾まで深い雪に包まれてゐるやうなことは、ちと變てこである。
 里はもう綿入では暖か過ぎるのに、山々はまだ三月末頃の白さである。机に向つて坐つてゐる私は晝寢でもしたいやうな體のけだるさを覺え、肌の汗ばみをさへ感じてゐるのに、遙かに相對してゐる山々はほんのりと霞みながらもまだ冬さながらの粧ひである。
 しかもさうした眞白な山々を背景にして、庭松の梢の新芽が既に一尺以上も空に向つて伸び、松の花は今四五日もすれば花粉を風に煙らせるのであらうと思はれるまでになつてゐる。春の來かたが早かつたのは嬉しいが、何となくあわたゞしくもある。東京に住んでゐた頃は、毎年晩春初夏に於ける風物の推移のあまりあわたゞし過ぎるのに氣をいら/\させられたが、此の春はこの北國でそれを感じさせられてゐる。しみ/″\と行く春のさびしさを味ふのは寧ろ快いが、あわたゞしさから來る心の淋しさはうつろであり却つてわびしい。
 私の書齋には先頃坪内先生未亡人せん刀自から先生のかたみとしていたゞいた先生の絶筆の一つであるといふ丸盆の四字額が掲げてある。墨くろ/″\と
圓融無碍
の四大文字がいかにも圓融無碍の筆致で書かれ、柿叟と署名されてある。
 私はこれを仰ぎながら、しみ/″\ありし日の先生を偲んでゐる。夏目漱石の最後のモットーが「去私則天」であり、坪内先生のそれが「圓融無碍」であつたのも興味深く思はれる。坪内先生についてはいひたいこと、書きたいことが澤山ある。しかしそれは他日ゆる/\思ひ、ゆる/\語ることにしたい。今はまだその時でないやうな氣がする。哀傷のおもひはすでに歌としてかなり多く抒べたし、今なほ折にふれて歌ひつゞけてゐるのだから……
 それは兎に角、私は先日亡き先生を偲ぶべく、先生が嘗て「ハムレット」と「※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ニスの商人」の一部の朗讀を吹き込まれたレコードをかけさせた。それは稀に風のない靜かな夜であつた。私は實はそれによつてありし日の先生をしめやかに偲びたかつたのであるが、結果は全く反對でレコードが※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りはじめると、私は間もなく堪へられない氣味わるさに襲はれ、あわてゝ、それを中止して貰ひたいほどであつた。
 それはあまりなま/\し過ぎる先生その人の肉聲であつた。それはあまり眞實すぎるほど眞實な先生その人の生きた聲であつた。眞實に近ければ近いほど亡きその人を偲ぶにいゝわけであるが、眞實はこれに反し眞實に近ければ近いほど氣味わるかつた。私は當分このレコードはかけないことにしよう。時日が遠のけば又どんなに違つて聞えるかも知れないが、今はまだブキミでいけない。
 私はふと近松門左衞門の虚實説をおもひ合せた。近松の談として傳へられる話は、金殿の奧深く住む或一人の女に一人の戀男があつたが、境遇上逢ふことが出來なかつたので、或名工にその男の等身大の生寫しの人形をこしらへさせてひそかに傍に置くことにした。それは顏形は勿論皮膚の色艷から毛穴の數までも生寫しといふほどによく似た人形であつた。
 ところがそれがあまりよく似過ぎてゐたので却つて氣味惡くなり、しまひにはさしもの戀もさめはてて傍に置くもうるさくなり、やがて捨てさせてしまつた。この話を例にとつて近松は「藝といふものは實と虚との皮膜の間にあるものなり」といふのであつた。
 私は坪内先生のこの世に在せし頃の肉聲そのまゝの朗讀を蓄音機で聞いて、やはりそんな風に感ぜずには居られなかつたのである。さながら保存された實物の先生の聲よりも、自分の心に生きてゐる先生の聲の方が、少くとも現在の私には懷しいのであつた。





底本:「相馬御風著作集 第六巻」名著刊行会
   1981(昭和56)年6月14日発行
底本の親本:「獨坐旅心 ―相馬御風隨筆全集―」厚生閣
   1936(昭和11)年7月3日発行
入力:岡村和彦
校正:フクポー
2017年6月13日作成
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