失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、表紙]術講義

井上圓了




序言

客あり一日余を訪ふ談適※(二の字点、1-2-22)記憶術の如何に及ふ余曰く記憶術より一層有益なるものは失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、序言-3]術にして世未た其必要を唱ふるものあらずと客怪みて其故を問ふ余之に告くるに失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、序言-5]術の大要を以てす翌朝館友森昌憲氏に余か談する所を其儘筆記せしめ忽ち此に一册子を成す乃ち之を印刷して世の識者に問ふ
明治廿八年七月
講述者誌
[#改丁]

第一章 發端

近日世上に記憶術を發明せる二三の人士ありて新聞廣告上に其功能を吹聽せし以來圖らずも社會の一問題となり世人大に其事に注意し此術に依て一足飛に大學者大智者とならんことを願ふものあり然るに予は會て記憶術講義と題する書を世に公にし記憶術の何たる及ひ其利害得失の如何を論し併せて記憶術は世人の豫想するか如き効驗あるものに非ることを辨明し是に依て大學者大智者とならんことを願ふは宛も卜筮人相等の方術に依て一攫千金の富を得んことを望むと同一にして一種の迷心なることを論述せり然り而して記憶術の正反對たる失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、2-5]術即ち忘却術は記憶術其物より一層必要有益なるに世人更に其利益を説かざるは予の大に怪む所なり葢し世人は記憶の利を知りて失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、2-8]の用を知らさるによる此れ實に一を知りて二を知らさるの淺見にして恰も勞働の利を知りて眠息の用を知らさるの類なり眠息あるにあらされは勞働を續くること能はさるは自然の道理にして記憶も亦然り失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、3-2]あるに非されは記憶を進むること能はす今其理由を述ふるに人の精神作用は腦膸に在りて存することは疑ふへからさる事實にして記憶作用も腦膸中に存することは固より證明を要せす故に記憶の強弱は腦膸の性質事情の如何によること亦瞭然たり故を以て腦膸の健全活溌なる時は記憶力も隨て強く腦膸憔悴すれは記憶力も隨て衰ふるに至るへし又縱令記憶の強き者と雖も其力に定限ありて犬は犬丈の記憶力を有し猫は猫丈の記憶力を有す故に犬若くは猫の仲間に於てよく其記憶力を養成する方法ありとするも之をして人間同等の記憶力を有せしむるは到底なし能はさる所なり之と同しく人間には人間相應の記憶力ありて縱令世の中に其力を養成する秘術あるも之をして人間以上即ち神佛同等の能力を有せしむること能はす唯人間中には其資性に賢愚利鈍の別あるか如く記憶力にも強弱多少の別ありて比較上甲は乙より記憶力に富み乙は丙より記憶力強きの差あるのみ其懸隔は全く五十歩百歩の相違に過きす畢竟するに是れ皆人間の腦膸に定量あり其能力に定限あるに由るなり故に世に記憶術として講習する所も其定限内に於て五十歩百歩の長短を爭ふに過きす然るに世間には記憶術の利益効驗を述へて誰人も一たひ之を學はゝ忽ち大智者大學者となり得るか如く主唱するものあれとも是れ賣藥の功能書に等しく予か决して信せさる所なり斯くして既に腦膸に定量あり記憶力に定限あるを知らは記憶其物を進むるには前時の記憶を腦膸中より除去せさるを得さる所以を知るへし是れ即ち失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、5-8]なり譬へは一升桝には一升以上の水を入る※(二の字点、1-2-22)こと能はす若し之に一升五合の水を入れんと欲せは必す先つ一升を入れ其半量を他に移し然る後にて餘れる五合を入れさる可らさると其理相同し葢し吾人の記憶中には必要なるものと不必要なるものあり利あるものと害あるものあり大なるもの小なるもの善なるもの惡なるもの皆混同して存するものにして其中必要にして利益なるものは却て記憶し難く不利有害の事にして腦中に留め置くを要せさるものは却て失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、6-7]し難きものなり其不利有害の記憶多く腦中に留り居るか爲に有益の記憶を障害すること多し故に新に有益なる事柄を記憶せんと欲せは舊時の記憶中重要ならさるものは之を腦膸中より除去するを要す是れ即ち記憶を進むるには失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、7-2]術を要する所以なり恰も田畑に新草を植んと欲せは其前に繁殖せる雜草を除去せさるを得さるか如し凡そ吾人の性たる一般に幼少の時は記憶力に富みて成長するに隨ひ漸く其力を※[#「冫+咸」、U+51CF、7-5]するものとす葢し少時は舊時の記憶の腦中に存するもの少なく成長の後には舊記憶既に多く腦中を占領せるを以て新記憶を妨くるに由る故に予は記憶術を進むる要法として失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、7-9]術の有益なる所以を述へんとす
且つ又吾人は記憶力は人間の智力中未た高等の階級に屬する作用に非す他に此より一層必要有益なるものあることを知らさるへからす若し智力の程度より之を視るに記憶は猶ほ下級に屬するものなり若し其上級に位するものを擧くれは思想あり道理あり此思想及ひ道理は智力中の最も高等なる作用なり果して然らは記憶力を進むると道理力を進むると何れか重要なりやは識者を待たすして判知するを得へし試に思へ記憶即ち吾人の有する過去の記憶は唯吾人の智識の材料となるに過きす而して能く之を運轉活用して智者學者となるは全く道理思想の力に依るに非すや葢し人の萬物の靈長たる所以は决して記憶力に長するに非すして思想力に富めるを云ふなり而して記憶力と思想力とは二者併行併進すること能はす甲を養成せんと欲せは乙の發達を妨け乙を進むれは甲を害するの傾向あり其例を世間に尋ね來らは葢し思ひ半に過きん何となれは世間にて記憶力に富めるものは推理工夫の力に乏しく道理力に富める者は記憶力に乏しきを見るにあらすや是に由て之を推すに小兒の記憶力に富みて推理力に乏しく成長者の推理力に長して記憶力を※[#「冫+咸」、U+51CF、9-10]する所以を知るへし若し一歩を讓りて記憶と道理と二者相待て智力を完成するものにして其功用に至ては元來優劣なしとするも記憶は唯幾多の觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、10-3]を腦中に蓄藏するに止り、よく其觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、10-3]を整列規制して其順序を保ち之をして種々の事情に應して運轉活用せしむるは全く思想道理の作用によることは如何なる記憶主張者と雖も否定するを得ず加之吾人か記憶せる種々の觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、10-7]を適宜に結合若くは分解して新智識新思想を構成するもの亦記憶力に非すして思想の力なること明かなり故に予は世間の人に對して徒らに心思を勞して記憶の養成を圖らんよりは寧ろ意を思想の發達に注き道理養成術を講せられんことを望むなり

第二章 失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、11-3]術の利益


予は既に記憶術と失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、11-4]術との關係及ひ記憶力と道理力との關係に就きて一言せり故に此より一歩を進めて失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、11-6]術の記憶術より一層重要なる利益あることを述へさるへからす夫れ吾人か一般に憂ふる所は記憶し難きに非すして寧ろ失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、11-8]し難きに在り葢し吾人の精神を苦め身体を弱め輕症の病患を重症となし天賦の長壽をして空く短折せしめ美妙幸福の樂園に遊ひなから猶ほ火宅の苦中に在るか如き一生を送らしむるは抑も何の爲そ此れ吾人か記憶力の乏しきに坐する歟余は斷して其然らさるを言はん即ち余は其事たる吾人か失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、12-5]力に乏しきによると信す故に吾人をして健全の身体を保ち快樂の生活を得せしめんと欲せは失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、12-7]術の講究に意を注かさるへからす余は此に至て失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、12-8]術の必要なる類例を擧けて之を證せん
吾人一たひ不幸天災に際會し或は失策失敗に遭遇し生きんと欲して生きる能はす死せんと欲して死する能はさる塲合に於ては何程其事を忘れんと欲するも忘れ難きは勿論にして他日其境遇を變し其時日を移すも猶ほ舊時の記憶を留め時に應し縁に觸れて其觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、13-4]意識中に再現し來り憂悶措く能はさることあり吾人は誰にても苦心懸※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、13-5]の道理上愚なるを知る既に之を知るも猶ほ其事を忘却する能はす爲に一方に在ては内に精神を苦しめ他方にありては其影響を生活上に及ほし身体の健全を害し病患之に依て生し壽命之に依て縮まり居常怏々として樂ます甚しきは精神を擾亂して狂人となり或は自殺を行ひ或は他殺を謀り遂に社會の害物となるに至る更に彼の病窓に呻吟せるものを見るに日々に自己の病氣を※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、14-2]頭に懸け須臾も忘る※(二の字点、1-2-22)能はさるか爲に輕症は漸く重患となり遂に自ら死を招くに至るにあらすや
其他吾人か意を瑣々たる小事に注き之を他に轉すること能はさるか爲に遠大の識見を缺き一局を見て全局を見ず今日を知りて來日を知らす遂に吾人をして平々凡々の一生を送らしむるに至るか如き或は又重大の事件を處するに當りて小事に懸※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、14-9]するか爲に大に决斷力を※[#「冫+咸」、U+51CF、14-10]し遂に機を誤り時に後れて失策失敗するか如き例は實に枚擧に暇あらさるなり是れ皆小事小件の忘却すること能はさるによる故に之を救ふの術は余以爲く唯一の失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、15-3]術あるのみ果して然らは人世の不幸は失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、15-4]力に乏しき程甚しきものはあらじ然るに天未た吾人に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、15-5]術を授けす世人亦其方法を講せさるは余の解すること能はさる所なり故に余は聊か人生の不幸を救はんと欲して此に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、15-7]術の一端を講述するなり

第三章 失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、15-9]術の解釋


以上述へ來りし所に依れは古來未た世に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、16-1]術なるものなきか爲に圖らすも人をして苦境に沈淪せしむるのみならす小事に迷ひ大機を誤り遂に人をして凡庸の位置に生涯を送らしむるに至る果して然らは失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、16-5]術の必要有益なること實に大なりと謂ふへし然るに失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、16-6]術の名稱に關し以上述へ來れる種々なる塲合に照して之を考ふるに其術に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、16-7]或は忘却の名稱を下すは妥當ならさるものゝ如し何者人の不幸災患を忘るゝ能はさるか如きは其方に集めたる注意を他に轉する能はさるに由るのみ通俗の語を以て之を言へは諦らめること能はさるによるのみ敢て失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、17-1]と云ふに非す又小事小利に意を奪はれ大事大利に着眼すること能はさるか如きも唯吾人の意向を他に轉する能はさるのみ敢て之を失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、17-4]と云ふへからす然るに予か考ふる所によるに注意を※[#「冫+咸」、U+51CF、17-5]し意向を轉する時は自然に其事を失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、17-6]忘却するに至るものなり例へは吾人か此事を忘却せり彼事を失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、17-7]したりと云ふときには眞に忘れたるを義とするに非す縱令心中に其觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、17-8]を留むるも之を意識中に再現する能はさるを云ふのみ其故は一たひ忘れたる事も其後心中に再現することあるを見て知るへし是に由て之を觀るに吾人の所謂失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、18-1]忘却とは其實記憶中に存するも自ら意力を以て意識上に其觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、18-3]を再現すること能はさるを云ふに外ならす葢し一たひ腦膸に印象したる事項は時を經るに隨ひ漸く微薄となるも全く消失するものとして考ふる能はす假令久時を經過したる後は全然其形を失ひて結局盡く消失することありと想するも吾人の所謂忘却失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、18-7]は其全然消失の塲合を云ふに非すして唯意力を以て自ら要する所の觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、18-9]を意識面に浮ふること能はさるを云ふのみ故に所謂失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、18-10]は絶對的の失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、18-10]を義とするに非すして比較的の失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、19-1]なり而して注意或は意向とは意識の集合せる塲合にして或る一點に心力の會注するを云ふ之を外に轉するは即ち其集合點を他の點に移し以て前點の觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、19-4]をして意識面に浮はさらしむるを云ふなり故に意向を轉すると失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、19-5]するとは其心理作用は固より同一なりと知るへし設令此二者の間に其別ありて意向を轉するは意識の集合點を他に移すを義とするのみにて决して失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、19-8]忘却を云ふにあらすとするも是れ唯五十歩百歩の相違に過きす故に吾人若し注意の度を漸く※[#「冫+咸」、U+51CF、19-10]し去らは其結局遂に全然失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、19-10]するに至るへし若し夫れ注意を他點に移して前點の觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、20-2]猶ほ意識中に存するか如きは全分の忘却に非すして一部分の忘却と謂ふへし今此に全分の忘却と一部分の忘却とを合して之を失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、20-4]と名け是より其方法を述へんと欲するなり

第四章 失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、20-6]術の原理


既に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、20-7]術の利益と解釋とを説き來りて正く其方法を述ふへきに當り先つ失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、20-8]術の原理に就きて一言するを要す夫れ失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、20-9]術の必要なる所以は容易く人をして了解せしむへしと雖も其方法に至りては古來未た人をして滿足せしむへき名案妙術あるを聞かす且つ予と雖も別に新工夫あるに非す然れとも予は年來此事に注意し人に遇ふ毎に不幸災難に際會したるときは如何に其心を慰め如何して其事を諦むるかを尋問し人々多少自ら工夫せる方法ありて以て憂苦を醫し不平を除くことあるを知れり其方法を比較分解して講究する時は必す一種の原理原則を其中より考定し得へしと信し今日迄多少講究し來れる結果あれは之を此に述へ以て失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、21-10]術の原理となさんとす葢し其原理たるや元來一定したるものあるにあらすと雖も其目的に至ては皆同一にして其要は唯意向を他に轉する方法を講するに過きす夫れ人一たひ不幸災難に際會して永く其事に苦心懸※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、22-4]するは前にも述へたるか如く注意を其一點に集合せるによるのみ故に若しよく其意向を轉する方法あらは必す不幸多苦の人をして立ろに幸福の天地に遊はしむるを得へき道理なり依て予か講する所の失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、22-8]術も意向を他に轉し以て注意の度を※[#「冫+咸」、U+51CF、22-9]する方法を講究するに過きす從來世人の自ら工夫して其一身上に用ひ來れる方法は皆此の目的に外ならす故に予は右等の方法を概括抽象して得たる所の原理を述ふべし
今其原理を述ふるには先つ精神の性質作用を説明するを要すれとも此の如きは心理學の問題なれは之を略し唯精神界裡の状態を圖式に表示すへし然るに精神界は物理界と大に其事情を異にし圖式を以て其状態を表示すること難しと雖も假に左に一圈を畫き之を精神全界若しくは意識全界を表示するものと想し其中に種々の觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、23-9]存在せりと定むること左の如し
図
(甲)目的點
(乙)反對點
(丙)無關係點
右圖中の大圈は精神全界を表し其大圈中の小圈は各種の觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、24-2]を表し而して其觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、24-2]中に特に三圈を撰ひて之を甲乙丙の三觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、24-3]とし甲を以て精神の集合點とし不幸災難等に際會せる節は精神其一點に集合するものとなす縱令不幸災難の經過後と雖も自在に意向を他に轉すること能はさるを以て苦痛不愉快を忘却するを得す故に其點は苦痛の中心或は不平不愉快の中心と名くるも可なり又其點は失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、25-3]術を講するに肝要なる點にして失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、25-4]術の目的は全く其點より注意を他の點に轉せんとするに外ならず故に或は之を目的點と名くるも可なり此目的點に對して乙なる小圈は正く其反對の觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、25-7]を表示せるものと定め假に其點を名けて反對點と云ふ斯くして吾人の意向を甲より乙に轉するを以て失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、25-9]術の目的となす是れ直後の方法なり之に反して間接の方法あり即ち其方法たるや甲の觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、26-1]を丙點に移すを云ふ而して丙點は甲にも乙にも關係なき觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、26-2]を代表せるものなれは之を假に無關係點と名く例へは病氣を以て之を示さんに甲は病氣の觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、26-4]にして其點に精神集合して病氣其物を忘却すること能はさるを以て益※(二の字点、1-2-22)病苦を増すものと定め乙は正しく之に反對する平癒快復の觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、26-6]にして若し意向を甲より此點に轉するを得は病氣其物を忘るゝことを得、併せて病勢を平復の方に向はしむることを得るなり然るに甲と乙とは正反對なれは觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、26-9]上互に連合する所ありて甲を想起する毎に乙を想起し乙を想起する毎に甲を想起する傾向あり故に甲をして乙に轉せしめんと欲せは乙よりは寧ろ無關係の丙點に注意を轉せしむるを可とす即ち其丙は病氣にも平癒にも關係なき點なり或は天災の塲合を以て之を例するに甲は天災の觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、27-5]にして乙は天幸の觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、27-5]、丙は此の天災天幸の二者に關係なき觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、27-6]なり此塲合に於て吾人の注意を甲より乙に轉せしむるは失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、27-7]術の目的なれとも甲より乙に轉せしむる間接的方法として甲の注意を丙に轉せしむる方法を取るを要す是れ所謂失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、27-9]術の原理なり之を約言すれは左の如し
第一に甲點の意向を其反對なる乙に移すを要す(直接)
第二に甲點の意向を乙に移す爲に殊更に丙點に注意を集むるを要す(間接)
從來世人の多く用ひ來れる方法は皆此二條の原理に外ならす
※(二の字点、1-2-22)失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、28-7]術の目的は今述ふる所の第一條の原理を以て足れりとなすへしと雖も第二の原理は實際上第一より一層必要なるものとす若し吾人の力よく甲點を直に乙點に移すを得は其平素憂慮苦心せる事柄を忽ち忘却することを得へきも葢し人の思想は各觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、29-1]の間に連合する性質を有して事物の同類同種の間に連合すると互に反對せるものゝ間に連合するとの兩樣あり其反對の間の連合を名けて背反連合と云ふ例へは背反連合とは寒と暑とは正反對なるを以て互に連合し寒を想起する毎に暑を想起し暑を想起する毎に寒を想起するの類を云ふ其他貧富貴賤榮辱苦樂等皆正反對なるを以て我思想上互に連合するの性質を有す故を以て甲の注意を其反對なる乙に移さんとする時には連合上甲其物を忘却することは能はさる事情あり即ち甲の注意を乙に集むるときは之と同時に乙の注意を甲に集むる傾向ありて甲の注意を乙に轉するの目的は甲其物を忘れんか爲なることを心中に想起し甲と乙と共に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、30-4]すること能はさるに至るへし斯くして其二者の間は背反連合の爲に益※(二の字点、1-2-22)其記憶を強くし却て苦心の度を高むるに至るへし是れ世間に病苦を免れんと欲して種々工夫すれは工夫するほと却て病勢を進め苦痛を重ぬるか如き塲合ある所以なり故に第一原理は失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、30-9]の第一目的たるに相違なきも之を實行するに於ては未た方法の其宜を得たるものと云ふへからす
次に第二の原理を考ふるに其方法は甲の注意を甲にも乙にも關係なき丙に移すものにして此點は元と甲乙二者に關係なきものなれは互に連合することなく失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、31-5]の目的を達するに於て多少の便利あることは多言を費さすして知るへし例へは病苦を忘れんと欲するは平癒の點に注意を起すよりは寧ろ全く病氣其物に關係なき他の點に向ひて注意を轉するに若かす又天災の塲合に於て其不幸の觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、31-9]を他に轉せんとするには天災にも天幸にも關係なき點に注意を移すは却て天災其物を失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、32-1]するに功あり然れとも此に更に注意を要することあり設令甲の注意を甲にも乙にも關係なき丙に引くは甲其物を忘るゝに便利なりと雖も若し吾人にして甲の注意を丙に轉するは甲其物を忘るゝ爲なることを知らは矢張り甲と丙との間に連絡を生して丙を想出する毎に甲其物を想起するに至るへし故に此方法と雖も未た完全なるものと云ふへからす此に於て更に第三の原理を設けさるを得さるを覺ゆ其原理たるや第一第二の原理の外に別に存するに非す唯甲其物を忘るゝには甲と乙との連絡及ひ甲と丙との連絡をも併せて忘るゝ方法を取るを云ふ語を換へて之を言へば甲其物を忘るゝには甲と乙との連合及ひ甲と丙との連合のすへて起らさる樣に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、33-3]するを要するなり而して其方法たるや成るへく無意識的に甲の注意を乙若しくは丙に移す方法を取るを云ふ換言すれは不知不識の間に甲觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、33-6]を他に轉する方法を取るに在り是に於て失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、33-7]術の方法に對する原理は左の三段に分るへし
第一 意識上甲の注意をして其反對なる乙に轉せしむること
第二 意識上甲の注意をして甲乙共に無關係なる丙に轉せしむること
第三 無意識上甲の注意をして不知不識の間に乙若くは丙に轉せしむること
此中第三を以て失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、34-5]術の目的を達するに最も便なりとなす第二は其次にして第一は亦其次なり而して其第三の方法中に於ても甲の正反對たる乙點よりは寧ろ甲にも乙にも無關係なる丙點に向ひて不知不識の間に注意を轉するを一層便利なりとす換言すれは無意識に甲を乙に轉せんより無意識的に甲を丙に轉するを以て猶ほ其功力多しとなす
以上の三方法は共に是れ正式の方法なり之に反して變式の方法あり其方法は甲點の注意を他點に轉するに非すして却て一層の注意を甲其物に集め以て其迷を看破するに在り例へは病氣を苦慮する塲合に却て病氣其物の上に一層の注意を與へ病氣は何物にして果して恐るへきものなりや否やを自ら其心に尋ね遂に病氣の憂慮するに足らさることを看破して安心する方法の如き是なり葢し其方法たるや前述の方法と正反對にして前者は成るへく注意を遠さけんとする方法なれとも後者は成るへく注意を集めんとする方法なり前者は成るへく無意識的に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、36-2]せんとする方法にして後者は或るへく有意識的に看破せんとする方法なり而して兩者共に憂苦其物を忘却せんとする目的に至りては一なり唯其方法同しからさるを以て予は前者を目して正式的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、36-6]術と名け後者を稱して變式的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、36-7]術と呼はんと欲す或は無意的有意的を以て之を別つも可なり是より正しく其兩者の方法に就きて述ふべし

第五章 失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、37-1]術の方法第一


先つ正式的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、37-2]術を述ふるに此に物理的、心理的の二種あり物理的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、37-3]術とは身体の運動、血液の循環、衛生體育等に注意し身体其物の上に種々の養成法を施し以て其結果として精神の憂苦を消散せしめんとする方法なり此れ寧ろ間接の方法にして精神其物の上に直に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、37-7]術を施すものに非す且つ其方法は多く醫家の講する所にして予か今專ら述へんとする所のものに非す而して余は直接に精神の憂苦を忘るゝ方法、即ち心理的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、38-1]術を講するものなれは此より心理學の範圍内に於て其方法を述ふへし
※(二の字点、1-2-22)心理的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、38-3]術に又感覺に屬するものと思想に屬するものとの二種ありて前者を假に感覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、38-4]術と名け後者を假に思想的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、38-5]術と名けんとす而して感覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、38-6]術は五感或は有機感覺上に於て吾人の注意を外界の事物に移し以て失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、38-7]せしむる方法なり其各種を表示すること左の如し
一、視覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、38-9]術==是れ視覺上の失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、38-9]術にして視覺は大に人の注意を引き精神を奪ふものなれは眼に麗容美色を見れは如何なる人も多少其心を樂ましむるを得るか如きを云ふ
二、聽覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、39-3]術==是れ聽覺上の失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、39-3]術にして耳に好音美聲を聽けは同しく人をして其苦を忘れしむるか如きを云ふ
三、觸覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、39-6]術==觸覺上温湯に浴し若くは輕衣を服して多少愉快の感を覺ゆるか如き是なり
四、嗅覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、39-8]術==嗅覺上薫香を嗅きて以て憂を忘るゝの類なり
五、味覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、39-10]術==味覺上美味を食して以て苦を忘るゝの類なり
六、体覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、40-2]術==是れ有機感覺上の失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、40-2]術にして体温、血行、榮養、運動等の其宜を得てよく憂苦を消散するか如きを云ふ酒を呑みて愉快を感するか如きも此一例と見做して可なり是れ先きに掲けし物理的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、40-6]的に關係あることは別に辨明するを待たず
此感覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、40-8]術は多く美術に關係を有すれとも美術の如きは其實感覺以上の情操にして高等の思想に依て生するものなり故に美術に由て失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、40-10]するは感覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、41-1]術と云ふより寧ろ感覺以上の失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、41-1]術と謂ふへし故に此に掲けたる失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、41-2]術は高等の思想と關係なき單純なる感覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、41-3]術なりと雖も猶ほよく實際上吾人の憂苦を忘るゝに大に力あるものとす殊に思想の發達せさるもの或は無智不學の輩に至りては此の所謂感覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、41-6]術に依るにあらされは他に憂苦を忘るゝ道を有せさるなり而して此失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、41-7]術に就きて注意すへき點は其感覺する所のものと其憂慮する所の者と亳末も關係なきものを擇ふを要するにあり若し其間に寸分の關係連絡ある時は忽ち前時の連想を呼ひ起し憂苦を※[#「冫+咸」、U+51CF、42-1]せんと欲して却て其度を高むるに至る又一の注意すへき點は其感覺する所のものは自己の意に適するものを擇ふを要するにあり若し其感覺する所のもの自己の意に適せす或は寸分の興味を有せさるものにありては啻に其功力なきのみならす却て反對の結果を見るに至る故に感覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、42-6]術に於て注意すへき要點左の如し
第一 其感覺する所のものは平素憂慮する所のものと少分の關係を有せさるものを撰ふを要す
第二 其感覺する所のものは成るへく其心に嗜好し又自ら興味を有するものを撰ふを要す
以上の二條は獨り感覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、43-3]術のみならす思想的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、43-4]術に於ても同しく注意すへき要點なれとも今此に感覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、43-5]術の要點として其條目を示せり
次に思想的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、43-6]術を述ふるに之れに又種々の方法あるも皆感覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、43-7]術よりは高等にして高等の思想を有するものに非れは之に依て其目的を達すること難し且つ感覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、43-9]術は即席一時のものにして現に外界より刺戟を感受する間に限ると雖も思想的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、43-10]術は然らず以て二者の高下其等級を異にするを知るべし葢し人の人たる所以は全く高等の思想を有するに在れは吾人は成るへく感覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、44-3]術よりは寧ろ思想的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、44-4]術を以て精神の憂苦を消し快樂を得ることを願はさるへからす而して其方法は思想其物の力によりて平素其心に憂慮する所のものに反對せる觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、44-6]若しくは無關係の觀※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、44-7]に意向を轉するに在り其方法は人々自ら工夫する所にして固より一樣なる能はす今其二三を擧示すること左の如し
一、再現的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、44-10]術==(甲)一身の幼少の時を追憶し其當時の快樂を想起し以て自ら其心を慰むるか如き、或は又(乙)古來の歴史上の事跡を回想し其當時の愉快なる状況を再現し以て不平を消遣するか如きの類是なり
二、想像的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、45-5]術==(甲)想像上未た嘗て經驗見聞せさる黄金世界或は極樂世界を心頭に描き來り以て其心を樂ましむるか如き、或は又(乙)古人若くは自己の詩文の趣向風致を工夫玩味し以て想像上の快樂を感起するか如きの類是なり
三、推理的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、45-10]術==(甲)智力上理學の原理原則を考定し或は之を應用して新器械新工夫を發明し以て憂苦を忘る※(二の字点、1-2-22)か如き、或は又(乙)理想上萬有の哲理、宇宙の眞理を推究し以て自己を忘る※(二の字点、1-2-22)か如き類是なり
三、世外的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、46-5]術==(甲)老莊の如き虚無恬淡の道を講し無爲自然の理を樂しみ以て世間の不幸災難を心頭に掛けさるの類、或は(乙)佛教の如き出世間解脱の法を講し以て世外に超脱して喜憂の外に獨歩するの類是なり
四、理外的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、46-10]術==(甲)坐禪觀法等に依りて心を道理以外物心以上の境遇に遊はしめ以て自適するか如き或は又(乙)信仰崇拜等によりて心を理外なる神佛天帝に歸し以て自ら安んするか如き是なり
之を要するに思想上憂苦を忘る※(二の字点、1-2-22)方法は宗教を以て最も力ありとす就中宗教上信仰作用を以て最も功ありとす吾人若し神佛を信して之を崇拜する時には其憂苦を他に轉するに功力あるのみならす其信者は一心に神佛の愛惠慈悲を信※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、47-9]するを以て如何なる憂苦も立ろに消散すへし殊に宗教は世間以外の道を講するものなれは吾人の世俗社會の上に有する一切の不平不滿は之を除くに於て最も効驗あるへき理なり以上の諸方法中には再現、想像、信仰に屬する精神作用あれとも是れ皆感覺以上、精神内部に屬する失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、48-4]術なれは之を總て思想的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、48-5]術と名くるなり
次に感覺と思想と相合したる失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、48-6]術あり其二三を擧くれは第一に住居を移し境遇を轉し職業交際を變する等にして土地境遇を變すれは唯其感覺を異にするのみならす又大に思想上に變動を生し依て以て注意を他に轉することを得るなり而して其境遇は成るへく風景秀絶にして天氣爽快なる塲所を撰ふを要す殊に土地靜閑にして且つ清潔なるを可とす此の如き境遇に住する時は物理的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、49-3]術と心理的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、49-3]術とを兼ぬることを得るなり之を假に轉境的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、49-4]術と謂ふへし其効驗に至りては喋々を待たすして知るへし第二に遊興遊藝に依て失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、49-6]する方法あり譬へは碁將棋の如き演劇の如き落語の如き皆大に人の思想を他に轉するに功力あり又繪畫の如き建築の如き園藝の如きも人をして其憂苦を失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、49-9]せしむるに力あり是れ皆感覺思想の二種に關係を有する方法なり而して此遊藝遊興の種類中には轉境的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、50-1]術と同しく心理的のみならす物理的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、50-2]術にも多少の關係を有するものあり以上第二種の失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、50-3]術は遊興的或は美術的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、50-3]術と名くへし然り而して變境的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、50-4]術、遊興的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、50-4]術の二者は其見聞接觸する所のもの成るへく平素憂慮する所のものに關係なきものを撰ふを要す若し多少の關係ある時には必す連想上憂苦を喚起して失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、50-7]の妨となること感覺的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、50-8]術に同し次に第三の方法は口吟朗讀法なり例へは世間にて或は無聊に苦しみ或は不平に堪へさる時には高聲にて詩歌を吟詠し或は文章を朗讀し或は謠曲或は義太夫の如き各其好む所に隨て之を其聲に發すれは大に憂悶を消遣するに功あり或は又經文を讀誦するも同樣の功あり或は宗教信者か※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、51-4]佛を唱へ題目を唱ふるときは其聲に依て不知不識の間に意向を轉換することを得るなり葢し發聲は一種の妙用を有し其力に依て理想の眞相を感發し不知不識の間に人をして憂悶を消散して絶快の境遇に遊はしむ是れ實に音聲の妙と云はさるべからす之を發聲的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、51-9]術と名くべし以上の諸術は之を表示すること左の如し
一、轉境的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、52-1]術==轉居轉宅轉業等皆之に屬す
二、遊興的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、52-2]術==遊藝遊觀遊樂及二三の美術之に屬す
三、發聲的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、52-4]術==音樂、謠曲唱歌及朗讀暗誦の如き皆之に屬す
此三種の失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、52-6]術は感覺思想の二者に關係せる失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、52-6]術の主要なるものなり而して其諸術は之を要するに美術的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、52-8]術の範圍を出てす猶ほ後に更に美術と失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、52-8]との關係を述ふへし
上述の失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、52-10]術と稍、其性質を異にするも此に又一種の方法あり其方法たるや人をして靜閑無事の境遇に居らしむるは一般に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、53-2]に功驗多きものとなすも時に依ては却て靜閑其物か一層の注意を集むるの媒介となりて憂苦の度を高むることなきにあらす今他例を引きて之を比するに夜中吾人の眠に就かんとするには一般に靜閑なるを可とす然れとも餘り靜閑に過くる時は却て睡眠の妨となるものなり是れ他なし四面更に精神を引くもの無きを以て意識却て心内の或る一點に集合し之をして他に散することを得さらしむるに由る此の如き塲合には多少外界に我が感覺を引くものあるを要す譬へは溪流の潺々たる秋雨の蕭々たる松韻蟲語の如き又は燈光月影の如き苟も我か枕邊に觸る※(二の字点、1-2-22)ものあれは却て睡眠を促すに功あり之れと其理を一にして靜閑無事の境遇に居るは却て精神を一點に集合するの助となり從て失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、54-5]の妨となるものとす之に反して身を多事多忙の境遇に置き終日奔走して寸隙を得さる時は如何に憂慮すへき事あるも其事に懸※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、54-8]する暇あらすして却て失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、54-8]の助となるものなり又幽邃靜閑の地に居るよりは却て繁華雜沓の地に居る時は意を四方に注き自然に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、54-10]の助となるものなり此等の塲合は前述のものと其性質を異にするも矢張り同種類の失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、55-2]術なれは之を感覺兼思想的の別則として此に併せて其事を論せり
之を要するに以上掲け來りし方法は之を心理學上に考ふるに智情意三種中多く情と智とに關係するものにして就中情に關係するものなり故に其方法の主要なるものは多く美術若くは宗教による而して其美術は唯人工の美を云うに非す天然の美と人爲の美と此の二者は共に人をして苦を轉して樂を得せしむる力を有するものなり先きに所謂轉境的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、55-10]術は主として天成の美により遊興的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、56-1]術は主として人工の美による而して美術は人の情を動かし之を和くるものなれは感情的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、56-3]術の主要なるものと謂ふへし然れとも其方法たるや即刻一時に功を奏すること難し必す反復數回以て之れか習慣を養成せさるへからす若し其心に憂慮する所のもの習慣に依て成來したる時には之を醫するに一層強き習慣の力によらさるへからす盖し天災不幸に際會して既に其災難の經過したる後猶ほ我心に苦心懸※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、56-9]を相續するは畢竟習慣の影響なり故に之を醫する法は反對の習慣に依らさるへからす

第六章 失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、57-2]術の方法第二


以上正式的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、57-3]術を講了して此に變式的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、57-3]術に及へり此變式的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、57-4]術に亦二種あり第一は道理を以て看破する方法にして是れ全く智力の作用に屬す第二は意力に依て抑制する方法にして是れ意志の作用なり即ち前者は智力的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、57-7]術にして後者は意力的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、57-7]術と名くへし而して二者共に無意的に非すして有意的なり之に反して前述の正式的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、57-9]術は無意的なり斯く失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、58-1]術に就きて有意無意を別ちたるは前にも説明せるか如く正式的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、58-2]術は成るへく知らす識らすの間に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、58-3]せしむる方法にして變式的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、58-3]術は充分なる注意思想若くは意力によりて失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、58-4]せんとする方法を取るの別あるに由る而して今先つ智力的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、58-5]術より之を述ふるに之れに亦數種あり左に其名稱及解釋を示すべし
一、哲學的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、58-8]術==是れ哲學上の道理によりて直接に病患の病患とするに足らさることを看破し不幸の不幸とするに足らさる所以を達觀し依て以て自ら滿足するの類を云ふ、(甲)或は積極的に宇宙觀、世界觀、人間觀をなすものあり、(乙)或は消極的に宇宙觀、世界觀、人間觀をなすものあり其所謂積極的に觀するものは樂天教の性質を帶ふるに至り消極的に觀するものは厭世教の主義に合するに至る例へは積極觀をなすものは不幸の世界を看破して其上に圓滿の妙境を開發し多苦の人生を達觀して其中に幸福の樂園を發見し以て自ら滿足するに至り消極觀をなすものは人間一生を夢幻の如く觀し富貴利達を浮雲朝露の如くに觀し其間に如何なる不幸に遭遇するも之を夢幻視して毫も意に介せさるに至るの類なり
二、心理的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、60-3]術==是れ心理學上精神作用を分析して苦樂喜憂の生起する所以を論究し依て以て安心する法を云ふ例へは其一(甲)は体象二元論にして精神其物を心体心象の二元に分ち苦樂喜憂の變化は獨り心象の上にありて存し心体に至りては不生不滅不變不化にして毫も生死幸不幸の爲に動かさる※(二の字点、1-2-22)ことなしと信し一身の榮辱利害はすべて對岸の火災視して恰も他人の不幸の如く觀し更に心頭に掛けさるの類是なり其二(乙)は苦樂相對論にして苦樂の心理を推究するに皆是れ相對上の苦樂にして如何なる歡樂も永く其地に住すれは歡樂にあらす如何なる苦患も久く其境に止れは苦患にあらす又如何なる金銀財寳も既に之を我有とすれは左程樂しきものにあらす如何なる無資無産もよく之に滿足すれは决して苦しきものにあらす故に富貴の者必すしも幸福ならす貧賤の者必すしも不幸ならす表面上之を見れは富貴の者は歡樂のみを有するか如くなれとも内心に入りて之を考ふれは貧賤の者の知らさる憂苦を有するあり又貧賤の者は外面より之を見れは苦痛に堪へ難き有樣を有するも内心に入りて之を觀れは冨貴の者の知らさる快樂を有するあり葢し苦樂幸不幸の度は金銀財寳の多少を以て測るべからずして唯其心に滿足すると滿足せさるとに依りて分る※(二の字点、1-2-22)なり故に富貴の者と雖も滿足すること能はされは不幸なり貧賤の者と雖も苟も其心に滿足する所あれは幸福なり鰥寡孤獨廢疾乞丐に至る迄皆其心に多少滿足する所あれは必す幸福の一生を送るへし是等の道理を心理學上より論究して其心を慰むるか如きは心理的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、63-3]術と謂ふべし
三、宗教的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、63-4]術==是れ宗教に立つる所の一定の道理によりて安心する方法を云ふ例へは(甲)佛教の因縁業感説に本き一切の不幸病患はすべて過去前世の宿縁業報なりと信知して容易く諦めるか如き其一なり或は(乙)儒教の天命説に本き人生の吉凶禍福はすべて天命天運の然らしむる所にして人力の如何ともすべからさるものなりと信し之を憂慮するの愚なるを知り萬事皆天に歸して諦らめ依て以て滿足するか如き其一なり或は(丙)耶蘇教の上帝豫定説に本き人間の利害得失は皆上帝の豫定せる所にして吾人の隨意に動かすべからさるものと信し依て以て安心するか如きも亦其一なり
四、經驗的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、64-7]術==是れ通俗の經驗に照し事實上苦難不幸を看破する方法を云ふ例へは(甲)比較的に自己の有する所の不幸を看破するに他に之より一層大なる不幸のあることを參照し以て自己の不幸の未た不幸とするに足らさるを知り依て其心を慰むるか如きを云ふ葢し如何なる不幸の人と雖も之を廣き世間に尋るときは此より一層不幸の者あることは容易く發見することを得べし此の如く自己と他人と其不幸を比較し以て己を慰むるか如きは經驗的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、65-6]術の一種となすべし今更に病氣に就きて之を例するに人の病体の重症なるは自ら其病を以て普通の病症より重しと信し廣き世間にも此の如き病患に罹るものは甚だ稀れなりと思ふより一層其心を苦しめ遂に輕症も重病となるに至る然るに他に之より一層重症の病人あることを聞き己の病氣の猶ほ輕症なるを知らは幾分か病苦を※[#「冫+咸」、U+51CF、66-3]する助となるものとす世人多く其朋友の病氣を問ふに成るべく病氣に關する談話を避けて病苦を失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、66-5]せしめんとするを常とす然れとも時によりては一層重き病人あることを之に告くるは却て病人に勢力をつける一助となるものなり例へは若し病人を問て君の病氣の如きは未た重症とするに足らす僕は先年此の如き重症に罹れり現に僕の友人中にも此の如き重患者あり等と種々難症者の例を擧けて之に語るときは其病勢をして快復の方向に轉せしむることを得るなり之と同樣の道理によりて不幸の人に遭遇したる時は之より一層大なる不幸者の世間に存することを説かば矢張り其憂苦の幾分を※[#「冫+咸」、U+51CF、67-6]することを得べし或は又(乙)社會の實況に考ふるに吾人の一生は幸福少くして不幸多く一時の樂ありて永久の苦あるを常とす古來誰人も絶對的に快樂なるものなし表面上絶對的快樂なるか如く見ゆるも其裏面に入りて之を觀れは多少の不幸を有せさるものはあらじ鉅萬の財産を有するものにして或は虚弱多病なるものあり或は不幸短命なるものあり或は早く妻子に別る※(二の字点、1-2-22)ものあり或は恃むへき子なきものあり是等の事情を參酌して考ふるときは不幸苦難は人世の常態なるを知るべく斯る世に生存する以上は不幸に際會するも素より當然の事にして毫も怪むに足らすとなし以て自ら滿足するか如きは多苦論者の經驗的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、68-9]術と謂ふべし或は又(丙)禍福吉凶は循環して來るものにして幸福の後には不幸あり不幸の後には幸福あり人間萬事塞翁の馬なれは今日不幸あるは明日幸福あるの前兆にして今年の不幸は明年幸福の豫告なりと信し縱令如何なる不幸に遭ふも自ら其心に滿足するか如きは亦一種の經驗的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、69-5]術と謂ふべし
以上は皆智力思想に關する失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、69-6]術にして之を哲學的心理的、宗教的、經驗的の四類に分ちたるも若し之を概括すれは哲學的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、69-8]術の一類に歸すべし
次に意力的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、69-9]術を述ふるに瑣々たる小事の心頭に懸りて爲に憂慮を起し不平を釀し憤怒を發する等の事あるときは大意力を以て之を制止し更に心頭に掛けさるに至るか如き是れ亦一種の失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、70-2]術なり之に道徳的と宗教的との二種あり即ち左の如し
一、道徳的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、70-4]術==是れ道徳上の克己によりて制止する方法にして縱令其心に不平ありて憤怒せんと欲するも能く高等の道徳心によりて抑制し依て以て其心を鎭靜するの類を云ふ
二、宗教的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、70-8]術==是れ宗教上の戒律によりて制止する方法にして人生何事も意に如くならさるを憤り惡※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、70-10]を發するに當り嚴正なる戒法を以て意力を鼓舞し依て以て制止するの類を云ふ佛教にて戒定慧三學中戒は即ち此宗教的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、71-2]術にして意力的制止の一種なり
此の如く意力的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、71-4]術に道徳宗教の二種あるも其實道徳の一範圍を出てず是れ全く精神の一大勇力の致す所なり凡そ世の所謂豪傑は獨り思想力に冨むのみならす又大に意力に長し區々たる瑣事小件に掛※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、71-7]せさるは勿論、千辛萬苦を侵してよく大事を成就するものなり葢し此不幸災患多き世界にありて百折不撓斃而後己の精神を以て如何なる艱難の目前に横はるもよく之を排し鋭意熱心遂に功立ち名成るを得るは矢張り意力的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、72-2]術にあらされは能はさるなり

第七章 結論


以上述べ來れる種々の方法を一括するに凡そ人の小事に苦心するは主として感情の影響にして情其物の上に一切の憂苦を失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、72-6]せしむる方法は美術若くは宗教の力を待たさるべからすと雖も亦智力に依て其迷を看破し意力に依て其情を抑制するも共に憂苦を消散失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、72-9]するに功ありと知るべし今左に各種の失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、72-9]術の全表を示すべし
                        ┌視覺的
                        │聽覺的
                        │觸覺的
                   ┌感覺的─┤嗅覺的
              ┌物理的 │    │味覺的
    ┌正式的(無意的)─┤    │    └体覺的
    │         └心理的─┤    ┌再現的
    │              │    │想像的
    │              │思想的─┤推理的   ┌轉境的
    │              │    │世外的┌常則┤遊興的
    │              │    └理外的│  └發聲的
    │              └感覺兼思想的──┤
失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、73-14]術─┤                       └別則
    │                   ┌積極的
    │              ┌哲學的─┤
    │              │    └消極的
    │         ┌智力的─┤    ┌二元論
    │         │    │心理的─┤
    │         │    │    └相對論
    │         │    │    ┌業報説
    └變式的(有意的)─┤    │宗教的─┤天命説
              │    │    └豫定説
              │    │    ┌比較上
              │    └經驗的─┤多苦上
              │    ┌道徳的 └循環上
              └意力的─┤
                   └宗教的

若し其主要なるものに就きて之を分たは正式中の心理的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、74-7]術は美術及宗教の範圍を出てず變式中の智力的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、74-8]術は哲學の部門に歸着し意力的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、74-8]術は道徳の一法に合類すへし然り而して以上の分類は畢竟するに主觀的心理作用の上に就きて定めたるものなり若し客觀的事物に就きて其種類を分たは風景的美術的、世界的、人間的等の名稱を設くへし而して此諸方法の目的とする所は皆意向を他に轉して以て注意の或る一點に集合するの度を※[#「冫+咸」、U+51CF、75-2]し遂に其事を失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、75-2]せしむるに外ならす是れ余か之を失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、75-3]術と名くる所以なり唯其諸法中何れの方法を以て最良の方法となすやの問題に至りては固より一定せる答を與ふること能はす何となれは人の性質一ならされは其方法亦一ならさるを以てなり而して此正式的變式的の二種の中普通一般に用ふるものは正式的方法にして變式的方法の如きは精神思想の大に發達せるものに非れは其功を奏すること甚た難しとす又失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、75-10]し易きと難きとは記憶の強弱と同一にして大に人の資性に關するものなり盖し人には生來小事小患に懸※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、76-2]する性質のものと懸※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、76-3]せさるものとの別あり又一事一物に深く執着するものと執着せさるものとの別あり又何事もよく之を諦むるものと諦むる能はさるものとの別あり若し其最も諦め難き性質のものに於ては何れの方法を用ふるも充分なる効驗を見ること能はさるも種々なる方法中には甲の方法より乙の方法は比較的に其人の性質に適することあるは明かなり故に若し其適するものを撰ひて之を應用すれは縱令充分の成蹟を見さるも多少の功驗あるは又疑ふへからす故に其方法たるや成るへく數多の種類を集めて其人の資性に適合せるものを用ふる方針を取らさるへからす
余は年來世間に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、77-4]術を講するものなきを以て不幸不平の人多きも之を救ふの道なきことを遺憾とし人々に就きて其方法を質問し其結果を統合して最良の失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、77-7]術を考定せんと欲し以て今日に至るも未た充分なる成蹟を得るに至らす然るに目下世間に記憶術の一問題起り其功能を喋々する際なれは余は世人の注意を記憶術より寧ろ失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、77-10]術に向て用ひしめんと欲し此に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、78-1]術の問題を掲けて其種類を示せるなり若し世人今より此問題に意を注き研究に研究を重ぬるに於ては他日必す一大良法を案出するに至るへし抑※(二の字点、1-2-22)吾人の憂苦病患は肉体上より發するものと精神上より起すものとの二者ありて肉体上より發したるものも精神作用の之に加はるありて漸く其勢力を増すに至るは種々の事實に照して明かなり即ち其原因は小事小患に懸※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、78-8]して之を忘却する能はさるによる且つ夫れ種々の病症は醫術醫藥の力のみを以て平癒すること難く醫術醫藥の其功を奏するは精神作用の之に加はりて其助をなすによらさるはなし是を以て一方にては醫藥醫術を之に施し他方にては失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、79-2]術を之に與へ内外相待て始めて其功を奏すへし殊に精神諸病に至ては醫術醫藥の如きは間接中の間接なる治療法に過きす其所謂直接の方法は失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、79-5]術を應用するに在り此れ余か自ら失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、79-6]術を講究し併せて世人をして其講究に注意せしめんと欲する所以なり
斯くして吾人の病患を醫するは外部に在ては醫術醫藥にして内部に在ては失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、79-9]術なること既に瞭然たり而して此失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、79-10]術の方法は前にも述ふるか如く種々あるも美術、宗教、哲學、道徳の四者を以て其主要なるものとす就中正式的失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、80-2]術は美術宗教の二者を以て其眼目とす故に此二者は精神内部の直接的治療法と名くるも可なり果して然らは此に美術宗教に就きて更に一言するも亦無用の贅言にあらさるへし夫れ美術は快樂其物を直接の目的とし凡て苦の元素を除き樂の成分のみを取りて組織せるものなれは人をして其憂苦を忘れしむるに於て最も適當せる方法なりと雖も天然の美は且く之を除き人工の美即ち美術は之を普通一般の人に應用するを甚た難しとす何となれは朝夕高尚の美術に就きて己の憂苦を除かんと欲せは夥多の經費を要するを以て生計に富有なるものに非れは其目的を達すること能はす若し又下等の美術に至ては一般の人をして多少其苦痛を忘れしむることを得るも之と同時に下等の体欲情欲を誘起し大に道徳を害するに至るの恐あり且つ又美術の快樂は感覺の媒介に依るものなれは其快樂固より有限にして吾人に無限の歡樂を與ふること能はす此の如き事情あるを以て美術を以て多數人類の不幸憂苦を醫すること難し之に反して宗教は美術と同しく人の精神に快樂を與ふることを目的とするものなれとも美術の如く少數の富有者に快樂を與ふるに非すして賢愚利鈍貧富貴賤を問はす平等一樣に同味の快樂を與ふるものなり且つ宗教は其趣向頗る高尚にして之に依て下等の体欲情欲を誘起するの恐なく又宗教は有限世界の外に無限世界を想像し人をして其世界に入りて無限絶對の快樂を得せしめんと欲するものなれは其性たるや無限にして美術の有限と同日の論にあらす是れ宗教の美術に勝る所以にして失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、82-9]術の諸方法中宗教最も其功力ある所以なり然れとも宗教にも亦下等の宗教と高等の宗教とありて愚民の迷信より成りたるものは下等の宗教にして之に依りて高尚無限の思想を喚起すること難し然れとも廣く世間を見るに貧愚下等の人民が憐むへき境遇に在りなから更に之を憂苦とせすして其心に安んする所あるは設令迷信にもせよ宗教信仰の結果なること明かなり若し又高等の宗教に至りては高等の智識思想を有するものに非れば其味を感することを得さるも宗教に最も必要なるものは信仰作用にして智識發達したるものは愚民の如く單純の信仰を有せす是を以て思想發達すれはする程宗教を信仰すること能はさるに至る是れ亦宗教に依て失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、84-1]術の目的を達すること能はさる一理由なり然るに余の考ふる所によるに如何に智識思想の發達せるものと雖も全く信仰心を有せさるに非す其所謂信仰を有せすと云ふは己の智識に相當せさる下等の宗教を信仰せさるを義とするのみ故に若し其智識思想に相應せる宗教あらは必す信仰するに至るへし然るに世人は社會多數の人の信する宗教のみを見て獨り之を宗教とし偶※(二の字点、1-2-22)其宗教を信せさるものあれは無宗教者或は不信仰者と見做し高等の人には宗教を適用すへからす思想の發達せるものは宗教の信仰なし等と論するも是れ宛も冬時に綿衣を服したるものか夏時に至て之を脱したるを見て是れ綿衣の用を知らさるものなりと評すると同一にして宗教其物も人の智識の程度に隨て異なることを知らさるに由るのみ故に今より高等の智識思想に適合する宗教を講究し或は從來の宗教中にても下等の迷信に屬する部分を除き去りて之れか改良を施さは如何なる高等の智識思想を有するものも宗教家信仰家となるを得へしと信す故に余は失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、85-10]術の主要なるものは美術宗教二者中宗教を以て第一に置かんと欲するなり
此の如く失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、86-2]術を喋々して此に至れは余は記憶其物の功用を知らさるか如きも决して記憶全廢説を唱ふるものに非す抑※(二の字点、1-2-22)失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、86-4]其物は記憶ありて後に存するものにして記憶にして之を廢せは失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、86-5]も亦廢せさるへからす故に記憶の必要なるは失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、86-6]の必要なるより大なること勿論なりと雖も唯、世人は記憶術の利あるを知て失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、86-8]術の用あるを知らさるによりて余は此に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、86-8]術の功用を述へたるのみ盖し吾人の性たるや記憶せさるへからさることは却て之を失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、86-10]し失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、86-10]せさるへからさることは却て之を記憶し善事は失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、87-1]し易く惡事は記憶し易き傾向あり此れ吾人の大に憂ふる所にして願くは其記憶すへきことを記憶すると同時に失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、87-3]すへきことを失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、87-4]するを得る樣に至らんことを此れ余か記憶術に對して失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、87-5]術の必要を唱ふる所以なり且つ夫れ世間に所謂記憶術なるものは天性の記憶力を進長する方法にあらすして一時の記憶を助くる媒介を爲すものに過きされは前既に論したるか如く實際上左程の功益あるものにあらす故に余は此の如き記憶術よりは寧ろ失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、87-10]術を講するの非常に有益なることを唱ふるものなり其意を世間に示さんと欲して此に揣らす失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、88-2]術の一端を講述するに至れり

失※[#「人がしら/二/心」、U+2B779、88-3]術講義終





底本:「失[#「人がしら/二/心」、U+2B779、表紙]術講義」哲學館
   1895(明治28)年8月11日発行
※「義」の「我」は、底本の表紙では「禾+戈」と作ってあります。
※「こと」の合字は、仮名にあらためました。
※「体」と「體」、「富」と「冨」の混在は底本通りにしました。
※複数行にかかる中括弧には、けい線素片をあてました。
※第五章に「三、」が重複する箇所が一ヶ所ありますが底本通りにしました。
入力:田辺浩昭
校正:Juki
2012年5月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

「人がしら/二/心」、U+2B779    序言-3、序言-5、2-5、2-8、3-2、5-8、6-7、7-2、7-9、10-3、10-3、10-7、11-3、11-4、11-6、11-8、12-5、12-7、12-8、13-4、13-5、14-2、14-9、15-3、15-4、15-5、15-7、15-9、16-1、16-5、16-6、16-7、17-1、17-4、17-6、17-7、17-8、18-1、18-3、18-7、18-9、18-10、18-10、19-1、19-4、19-5、19-8、19-10、20-2、20-4、20-6、20-7、20-8、20-9、21-10、22-4、22-8、23-9、24-2、24-2、24-3、25-3、25-4、25-7、25-9、26-1、26-2、26-4、26-6、26-9、27-5、27-5、27-6、27-7、27-9、28-7、29-1、30-4、30-9、31-5、31-9、32-1、33-3、33-6、33-7、34-5、36-2、36-6、36-7、37-1、37-2、37-3、37-7、38-1、38-3、38-4、38-5、38-6、38-7、38-9、38-9、39-3、39-3、39-6、39-8、39-10、40-2、40-2、40-6、40-8、40-10、41-1、41-1、41-2、41-3、41-6、41-7、42-6、43-3、43-4、43-5、43-6、43-7、43-9、43-10、44-3、44-4、44-6、44-7、44-10、45-5、45-10、46-5、46-10、47-9、48-4、48-5、48-6、49-3、49-3、49-4、49-6、49-9、50-1、50-2、50-3、50-3、50-4、50-4、50-7、50-8、51-4、51-9、52-1、52-2、52-4、52-6、52-6、52-8、52-8、52-10、53-2、54-5、54-8、54-8、54-10、55-2、55-10、56-1、56-3、56-9、57-2、57-3、57-3、57-4、57-7、57-7、57-9、58-1、58-2、58-3、58-3、58-4、58-5、58-8、60-3、63-3、63-4、64-7、65-6、66-5、68-9、69-5、69-6、69-8、69-9、70-2、70-4、70-8、70-10、71-2、71-4、71-7、72-2、72-6、72-9、72-9、73-14、74-7、74-8、74-8、75-2、75-3、75-10、76-2、76-3、77-4、77-7、77-10、78-1、78-8、79-2、79-5、79-6、79-9、79-10、80-2、82-9、84-1、85-10、86-2、86-4、86-5、86-6、86-8、86-8、86-10、86-10、87-1、87-3、87-4、87-5、87-10、88-2、88-3、表紙
「冫+咸」、U+51CF    7-5、9-10、14-10、17-5、19-10、22-9、42-1、66-3、67-6、75-2


●図書カード