霊界通信 小桜姫物語

浅野和三郎




舌代


 本物語は謂わば家庭的に行われたる霊界通信の一にして、そこには些の誇張も夾雑物もないものである。が、其の性質上記の如きところより、之を発表せんとするに当りては、亡弟も可なり慎重な態度を採り。霊告による祠の所在地、並に其の修行場などを実地に踏査する等、いよいよ其の架空的にあらざる事を確かめたる後、始めて之を雑誌に掲載せるものである。
 霊界通信なるものは、純真なる媒者の犠牲的行為によってのみ信を措くに足るものが得らるるのであって、媒者が家庭的であるか否かには、大なる関係がなさそうである。否、家庭的なものの方が寧ろ不純物の夾雑する憂なく、却って委曲を尽し得べしとさえ考えらるるのである。
 それは兎に角として、また内容価値の如何も之を別として、亡弟が心を籠めて遣せる一産物たるには相違ないのである。今や製本成り、紀念として之を座右に謹呈するに当たり、この由来の一端を記すこと爾り。
昭和十二年三月
淺野正恭
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 霊界通信――即ち霊媒の口を通じ或は手を通じて霊界居住者が現界の我々に寄せる通信、例を挙ぐれば Gerldine Cummins の Beyond Human Personality は所謂「自動書記」の所産である。此書中に含まるる論文は故フレデリク・マイヤーズ――詩人として令名があるが、特に心霊科学に多大の努力貢献をした人――が霊界よりカムミンスの手を仮りて書いたものと信ずる旨をオリバ・ロッヂ卿、ローレンス・ヂョンス卿が証言した。(昨年十二月十八日の※(終わりダブルミニュート、1-13-65)The Two Words※(始めダブルミニュート、1-13-64)所掲)
 カムミンスの他の自動書記は是迄四五種ある。其文体は各々相違して居る。又彼の自著小説があるが、是は全く右数種の自動書記と相違している。心霊科学に何等の実験がなく、潜在意識の所産などなどと説く懐疑者の迷を醒ますに足ると思う。
 小櫻姫物語は解説によれば鎌倉時代の一女性がT夫人の口を借り数年に亘って話たるものを淺野和三郎先生が筆記したのである。但し『T夫人の意識は奥の方に微かに残っている』から私の愚見に因れば多少の Fiction は或はあり得ぬとは保障し難い。
 しかしこれらを斟酌しても本書は日本に於いては破天荒の著書である。是を完成し終った後、先生は二月一日突然発病し僅々三十五時間で逝いた。二十余年に亘り、斯学の為めに心血を灑ぎ、あまりの奮闘に精力を竭尽して斃れた先生は斯学における最大の偉勲者であることは曰う迄もない。
 私は昨年三月二十二日、先生と先生の令兄淺野正恭中将と岡田熊次郎氏とにお伴して駿河台の主婦の友社来賓室に於て九條武子夫人と語る霊界の座談会に列した。主婦の友五月号に其の筆記が載せられた。
 日本でこの方面の研究は日がまだ浅い、この研究に従事した福来友吉博士が無知の東京帝大理学部の排斥により同大学を追われたのは二十余年前である。英国理学の大家、エレクトロン首先研究者、クルクス管の発明者、ローヤル・ソサィティ会長の故クルックス、ソルボン大学教授リシエ博士(ノーベル勲章受領者)、同じくローヤル・ソサィティ会長オリバ・ロッヂ卿……これら諸大家の足許にも及ばぬ者が掛かる偉大な先進の努力と研究とのあるを全く知らず、先入が主となるので、井底の蛙の如き陋見から心霊現象を或は無視し或は冷笑するのは気の毒千万である。淺野先生が二十余年に亘る研究の結果の数種の著述心霊講座、神霊主義と共に本書は日本に於ける斯学にとりて重大な貢献である。
仙台に於いて
土井晩翠
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解説

――本書をひもとかるる人達の為に――
淺野和三郎

 本篇ほんぺん集成しゅうせいしたるものはわたくしでありますが、私自身わたくしじしんをその著者ちょしゃというのはあたらない。わたくしはただ入神中にゅうしんちゅうのTじょくちからはっせらるる言葉ことばはた筆録ひつろくし、そしてあと整理せいりしたというにぎません。
 それなら本篇ほんぺんむしろTじょ創作そうさくかというに、これもまた事実じじつてはまっていない。入神中にゅうしんちゅうのTじょ意識いしきおくほうかすかにのこってはいるが、それは全然ぜんぜん受身うけみ状態じょうたいかれ、そして彼女かのじょとは全然ぜんぜん別個べっこ存在そんざい――小櫻姫こざくらひめ名告なの人格じんかく彼女かのじょ体躯たいく司配しはいして、任意にんいくちうごかし、また任意にんいものせるのであります。したがってこの物語ものがたりだい一の責任者せきにんしゃはむしろみぎ小櫻姫こざくらひめかもれないのであります。
 つまるところ、本書ほんしょ小櫻姫こざくらひめ通信者つうしんしゃ、Tじょ受信者じゅしんしゃ、そしてわたくし筆録者ひつろくしゃ総計そうけいにんがかりで出来できあがった、一しゅ特異とくい作品さくひん所謂いわゆる霊界れいかい通信つうしんなのであります。現在げんざい欧米おうべい出版界しゅっぱんかいには、った作品さくひん無数むすうあらわれてりますが、本邦ほんぽうでは、翻訳書ほんやくしょ以外いがいにはあまり類例るいれいがありません。
 Tじょうした能力のうりょくはじめておこったのは、じつ大正たいしょうねんはることで、かぞえてればモー二十ねんむかしになります。最初さいしょ彼女かのじょおこった現象げんしょうしゅとして霊視れいしで、それはほとんど申分もうしぶんなきまでに的確てきかく明瞭めいりょう、よく顕幽けんゆう突破とっぱし、また遠近えんきん突破とっぱしました。えて昭和しょうわねんはるいたり、彼女かのじょひとつの動機どうきから霊視れいしほかさら霊言れいげん現象げんしょうおこすことになり、本人ほんにんとはちがった人格じんかくがその口頭機関こうとうきかん占領せんりょうして自由自在じゆうじざい言語げんごはっするようになりました。『これでようやくトーキーができがった……』私達わたくしたちはそんなことってよろこんだものであります。『小櫻姫こざくらひめ通信つうしん』はそれから以後いご産物さんぶつであります。
 それにしてもみぎ所謂いわゆる小櫻姫こざくらひめ』とは何人なんびとか? 本文ほんぶんをおみになればわかとほり、この女性じょせいこそは相州そうしゅう三浦みうら新井城主あらいじょうしゅ嫡男ちゃくなん荒次郎あらじろう義光よしみつ奥方おくがたとして相当そうとうられているひとなのであります。そのころ三浦みうらぞく小田原おだわら北條氏ほうじょうし確執かくしつをつづけていましたが、武運ぶうんつたなく、籠城ろうじょうねんのち荒次郎あらじろうをはじめ一ぞくほとんど全部ぜんぶしろまくら打死うちじにげたことはあまりにも名高なだか史的事蹟してきじせきであります。そのさい小櫻姫こざくらひめがいかなる行動こうどうたかは、歴史れきし口碑こうひうえではあまりあきららかでないが、彼女自身かのじょじしん通信つうしんによれば、落城後らくじょうごもなくやまいにかかり、油壺あぶらつぼ南岸なんがん浜磯はまいそ仮寓かぐうでさびしく帰幽きゆうしたらしいのであります。それかあらぬか、同地どうち神明社内しんめいしゃないにはげん小桜神社こざくらじんじゃ通称つうしょう若宮様わかみやさま)という小社しょうしゃのこってり、今尚いまな里人りじん尊崇そんすう標的まとになってります。
 つぎ当然とうぜん問題もんだいになるのは小櫻姫こざくらひめとTじょとの関係かんけいでありますが、小櫻姫こざくらひめぐるところによれば彼女かのじょはTじょ守護霊しゅごれいわばその霊的れいてき指導者しどうしゃで、両者りょうしゃ間柄あいだがらってもれぬ、かた因縁いんねん羈絆きずなしばられているというのであります。それにきては本邦ほんぽうならび欧米おうべいある霊媒れいばいによりて調査ちょうさをすすめた結果けっか、ドーも事実じじつとしてこれ肯定こうていしなければならないようであります。
 面白おもしろいのは、Tじょちちが、海軍将校かいぐんしょうこうであっために、はしなくも彼女かのじょ出生地しゅっしょうちがその守護霊しゅごれい関係かんけいふか三浦半島みうらはんとうの一かく横須賀よこすかであったことであります。さら彼女かのじょはその生涯しょうがいもっと重要じゅうようなる時期じき、十七さいから三十三さいまでを三浦半島みうらはんとうらし、四百ねんぜん彼女かのじょ守護霊しゅごれいしたしめる山河さんが自分じぶんしたしんだのでありました。これはたんなる偶然ぐうぜんか、それとも幽冥ゆうめい世界せかいからのとりなしか、かみならぬには容易ようい判断はんだんかぎりではありません。
 最後さいごに一ごんしてきたいのは筆録ひつろく責任者せきにんしゃとしてのわたくし態度たいどであります。小櫻姫こざくらひめ通信つうしん昭和しょうわねんはるから現在げんざいいたるまで足掛あしかけねんまたがりてあらわれ、その分量ぶんりょう相当そうとう沢山たくさんで、すでに数冊すうさつのノートをうずめてります。またその内容ないよう古今ここんわたり、顕幽けんゆうまたがり、また部分ぶぶんは一般的ぱんてきまた部分ぶぶん個人的こじんてきった具合ぐあいに、随分ずいぶんまちまちにみだれてります。したがってその全部ぜんぶ公開こうかいすることは到底とうてい不可能ふかのうで、わたくしとしては、ただそのなかから、心霊的しんれいてき参考さんこうになりそうな個所かしょだけを、るべく秩序ちつじょててひろしてたにぎません。で、材料ざいりょう取捨しゅしゃ選択せんたくせめ当然とうぜんわたくし引受ひきうけなければなりませんが、しかし通信つうしん内容ないよう全然ぜんぜん原文げんぶんのままで、私意しいくわへて歪曲わいきょくせしめたような個所かしょはただの一箇所かしょもありません。そのてんとく御留意ごりゅういねがいたいとぞんじます。
(十一、十、五)
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一、その生立


 修行しゅぎょう未熟みじゅく思慮しりょりない一人ひとりむかし女性じょせいがおこがましくもここにまかりまくでないことはよくぞんじてりまするが、うも再々さいさいしにあずかり、是非ぜひくわしい通信つうしんをと、つづけざまにお催促さいそくけましては、ツイその熱心ねっしんにほだされて、無下むげにおことわりもできなくなってしまったのでございます。それにまたかみさまからも『折角せっかくであるから通信つうしんしたがよい』との思召おぼしめしでございますので、今回こんかいいよいよおもってお言葉ことばしたがうことにいたしました。わたくしとしてはせいぜいふる記憶きおく辿たどり、自分じぶんっていること、また自分じぶんかんじたままを、つくらず、かざらず、素直すなお申述もうしのべることにいたします。それがいささかなりとも、現世げんせ方々かたがた研究けんきゅう資料たしともなればとねんじてります。何卒どうぞあまり過分かぶん期待のぞみをかけず、お心安こころやすくおききりくださいますように……。
 ただわたくしとして、まえもってここにひとつおことわりしてきたいことがございます。それはわたくし現世生活げんせせいかつ模様もようをあまり根掘ねほ葉掘はほりおたずねになられぬことでございます。わたくしにはそれがなによりつらく、今更いまさらなん取得とりえもなき、むかし身上みのうえなどをつゆほども物語ものがたりたくはございませぬ。こちらの世界せかい引移ひきうつってからのわたくしどものだい一の修行しゅぎょうは、るべくはやみにく地上ちじょう執着しゅうちゃくからはなれ、るべくすみやかにやくにもたぬ現世げんせ記憶きおくからとおざかることでございます。わたくしどもはこれでもいろいろと工夫くふう結果けっか、やっとそれができてまいったのでございます。で、わたくしどもにむかって身上噺みのうえばなしをせいとッしゃるのは、わばかろうじてなおりかけたこころ古疵ふるきずふたたえぐすような、随分ずいぶんむごたらしい仕打しうちなのでございます。幽明ゆうめい交通こうつうこころみらるる人達ひとたちつねにこのこと念頭ねんとういていただきとうぞんじます。そんなわけで、わたくし通信つうしんは、おもわたくしがこちらの世界せかい引移ひきうつってからの経験けいけん……つまり幽界ゆうかい生活せいかつ修行しゅぎょう見聞けんぶん感想かんそうったような事柄ことがらちかられてたいのでございます。またそれがこのみちにたずさわる方々かたがたわたくし期待きたいされるところかとぞんじます。むろん精神せいしん統一とういつして凝乎じっふかかんがめば、どんなむかし事柄ことがらでもはっきりおもすことができないではありませぬ。しかもその当時とうじ光景こうけいまでがそっくりそのまま形態かたちつくってありありとまえうかてまいります。つまりわたくしどもの境涯きょうがいにはほとんど過去かこ現在げんざい未来みらい差別さべつはないのでございまして。……でも無理むりにそんな真似まねをして、足利時代あしかがじだい絵巻物えまきものをくりひろげておにかけてたところで、たいした価値ねうちはございますまい。現在げんざいわたくしとしては到底とうていそんな気分きぶんにはなりかねるのでございます。
 ともうしまして、わたくしいまいきなりんでからの物語ものがたりはじめたのでは、なにやらあまり唐突とうとつ……現世このよ来世あのよとの連絡つながりすこしもわからないので、りつくしまがないようにおもわれるかたがあろうかとかんぜられますので、はなは不本意ふほんいながら、わたくし現世げんせ経歴けいれきのホンの荒筋丈あらすじだけをかいつまんで申上もうしあげることにいたしましょう。りかけたふねとやら、これも現世げんせ通信つうしんこころみるものまぬががた運命うんめい――ごうかもれませぬ……。
 わたくしは――じつ相州そうしゅう荒井あらい城主じょうしゅ三浦道寸みうらどうすんそく荒次郎あらじろう義光よしみつもうものつまだったものにございます。現世げんせ呼名よびな小櫻姫こざくらひめ――時代じだい足利時代あしかがじだい末期まっき――いまからやく四百余年よねんむかしでございます。もちろんこちらの世界せかいには昼夜ちゅうや区別くべつも、歳月つきひのけじめもありませぬから、わたくしはただかみさまからうかがって、るほどそうかとおもだけのことにぎませぬ。四百ねんといえば現世げんせでは相当そうとうなが星霜つきひでございますが、不思議ふしぎなものでこちらではさほどにもかんじませぬ。多分たぶんそれは凝乎じっ精神こころしずめて、無我むが状態じょうたいをつづけて期間あいだおおせいでございましょう。
 わたくし生家さとでございますか――生家さと鎌倉かまくらにありました。ちち大江廣信おおえひろのぶ――代々だいだい鎌倉かまくら幕府ばくふつかへた家柄いえがらで、ちち矢張やはりそこにつとめてりました。はは袈裟代けさよ、これは加納家かのうけからとついでまいりました。両親りょうしんあいだにはおとこはなく、たった一粒種ひとつぶだねおんながあったのみで、それがわたくしなのでございます。したがってわたくし小供こどもときから随分ずいぶん大切たいせつそだてられました。べつうつくしいほどでもありませぬが、体躯からだ大柄おおがらほうで、それにいたって健康たっしゃでございましたから、わたくし処女時代むすめじだいは、まった苦労くろうらずの、丁度ちょうどはる小禽ことりそのまま、たのしいのんびりした空気くうきひたっていたのでございます。わたくしおさな時分じぶんには祖父ぢぢ祖母ばばもまだ存命ぞんめいで、それはそれはにもれたいほどわたくし寵愛ちょうあいしてくれました。日和ひよりおりなどにはわたくしはよく二三の腰元こしもとどもにかしずかれて、長谷はせ大仏だいぶつしま弁天べんてんなどにおまいりしたものでございます。せてはかえす七はま浪打際なみうちぎわ貝拾かいひろいもわたくしなによりきなあそびのひとつでございました。その時分じぶん鎌倉かまくら武家ぶけ住居やしきならんだ、物静ものしずかな、そしてなにやら無骨ぶこつ市街まちで、商家しょうかっても、品物しなものみな奥深おくふか仕舞しまんでありました。そうそうわたくしはツイ近頃ちかごろ不図ふとした機会おりに、こちらの世界せかいから一鎌倉かまくらのぞいてましたが、赤瓦あかがわら青瓦あほがわらいたちいさな家屋かおくのぎっしりんだ、あのけばけばしさには、つくづくあきれてしまいました。
『あれがわたくしうまれたおな鎌倉かまくらかしら……。』わたくしはひとりそうつぶやいたような次第しだいで……。
 そのころ生活せいかつ状態じょうたいをもっとくわしく物語ものがたれとっしゃいますか――致方いたしかたがございませぬ、おしゃべりの[#「お喋りの」は底本では「お諜りの」]ついでに、すこしばかりおもしてることにいたしましょう。もちろん、順序じゅんじょなどはすこしもってりませぬから何卒どうぞそのおつもりで……。

二、その頃の生活


 ずそのころ私達わたくしたちけた教育しつけにつきて申上もうしあげてみましょうか――時代じだい時代じだいゆえ、教育しつけはもういたって簡単かんたんなもので、学問がくもん読書よみかき習字てならいまた歌道かどうとおり、すべて家庭かていおさめました。武芸ぶげいおも薙刀なぎなた稽古けいこははがよく薙刀なぎなた使つかいましたので、わたくし小供こども時分じぶんからそれを仕込しこまれました。そのころおんなでも武芸ぶげいとおりは稽古けいこしたものでございます。処女時代むすめじだいけたわたくし教育しつけというのは大体だいたいそんなもので、馬術ばじゅつのち三浦家みうらけ嫁入よめいりしてからならいました。最初さいしょわたくしうまるのがいやでございましたが、良人おっとから『女子じょしでもそれくらいことる』とわれ、それからおしえてもらいました。実地じっちってるとうまいたって穏和おとなしいもので、わたくしたいへん乗馬じょうばきになりました。乗馬袴じょうばはかま穿いて、すっかり服装ふくそうがかわり、白鉢巻しろはちまきをするのです。おも城内じょうない馬場ばば稽古けいこしたのですが、のちには乗馬じょうば鎌倉かまくら実家帰さとがえりをしたこともございます。従者じゅうしゃ男子だんしのみではこまりますので、一人ひとり腰元こしもとにも乗馬じょうば稽古けいこいたさせました。そのころちょっと外出がいしゅつするにも、すくなくとも四五にん従者ともかならずついたもので……。
 今度こんどはその時分じぶん物見遊山ものみゆさんのおはなしなりといたしましょうか。物見遊山ものみゆさんもうしてもそれはいたって単純たんじゅんなもので、普通ふつうはお花見はなみ汐干狩しおひがり神社仏閣詣じんじゃぶっかくもうで……そんなこと只今ただいまたいした相違そういもないでしょうが、ただ当時とうじ男子だんしにとりてなによりの娯楽たのしみ猪狩ししが兎狩うさぎがなどあそびでございました。いずれも弓矢ゆみやたずさえ、うままたがって、たいへんなさわぎで出掛でかけたものでございます。ちち武人ぶじんではないのですが、それでも山狩やまがりがなによりの道楽どうらくなのでした。まして筋骨きんこつたくましい、武家育ぶけそだちのわたくし良人おっとなどは、三食事しょくじを一にしてもよいくらい熱心ねっしんさでございました。『明日あす大楠山おおくすやま巻狩まきがりじゃ』などと布達おふれると、乗馬じょうば手入ていれ、兵糧へいろう準備したく狩子かりこ勢揃せいぞろい、まるで戦争いくさのような大騒おおさわぎでございました。
 そうそう風流ふうりゅうな、さしいあそびもすこしはありました。それはしゅとして能狂言のうきょうげん猿楽さるがくなどで、家来達けらいたちなかにそれぞれそのみち巧者こうしゃなのがりまして、私達わたくしたち時々ときどき見物けんぶつしたものでございます。けれども自分じぶんでそれをやったおぼえはございませぬ。きょうとはちがって東国とうごく大体だいたい武張ぶばったあそごと流行はやったものでございますから……。
 衣服いふく調度類ちょうどるいでございますか――鎌倉かまくらにもそうした品物しなものさば商人あきうどみせがあるにはありましたが、さきほどももうしたとおり、べつ人目ひとめくように、品物しなもの店頭てんとう陳列ちんれつするようなことはあまりないようでございました。呉服物ごふくものなども、品物しなものみな特別とくべつらせたもので、機織はたおりがなかなかさかんでございました。もっともごく高価こうかしな鎌倉かまくらではわず、矢張やはりはるばるきょうあつらえたように記憶きおくしてります。
 それから食物しょくもつ……これは只今ただいまなかよりずっと簡単かんたんなように見受みうけられます。こちらの世界せかいてからの私達わたくしたち全然ぜんぜん飲食いんしょくをいたしませぬので、したがってこまかいことはわかりませぬが、ただわたくし守護しゅごしているこのおんな(T夫人ふじん)の平生へいせい様子ようすからかんがえてますと、いま調理法ちょうりほうたいへん手数てすうのかかるものであることはうすうす想像そうぞうされるのでございます。あのたいそうあまい、しろこな……砂糖さとうとやらもうすものは、もちろん私達わたくしたち時代じだいにはなかったもので、そのころのお菓子かしというのは、おもこめこなかためた打菓子うちがしでございました。それでもっすりとしたあまかんじたようにおぼえてります。またもの調味ちょうみには、あの甘草かんぞうという薬草やくそう粉末こなすこくわえましたが、ただそれは上流うえ人達ひとたち調理ちょうりかぎられ、一ぱん使用しようするものではなかったように記憶きおくしてります。むろんさけもございました……にごってはりませぬが、しかしそう透明すきとおったものでもなかったようにおぼえてります。それから飲料いんりょうとしてはさくら花漬はなづけ、それを湯呑ゆのみにれて白湯さゆをさしてきゃくなどにすすめました。
 ったおはなしは、あまりつまらなぎますので、何卒どうぞこれくらいげさせていただきましょう。わたくしのようなあの住人じゅうにん食物しょくもつ衣類いるいなどにつきてとおとおむかしおもがたりをいたすのはなにやらお門違かどちがいをしているようで、何分なにぶんにも興味きょうみらないでこまってしまいます……。

三、輿入れ


 やがてわたくし娘時代むすめじだいにもおわりをぐべき時節じせつがまいりました。おんなの一しょう大事だいじはいうまでもなく結婚けっこんでございまして、それが幸不幸こうふこう運不運うんふうんおおきな岐路わかれみちとなるのでございますが、わたくしとてもそのかたからはずれるわけにはまいりませんでした。わたくし三浦みうらとつぎましたのは丁度ちょうど二十歳はたちはる山桜やまざくら真盛まっさかりの時分じぶんでございました。それから荒井城内あらいじょうないの十幾年いくねん武家生活ぶけせいかつ……随分ずいぶんたのしかったおも種子たねもないではございませぬが、なにもうしてもそのころ殺伐さつばつ空気くうきみなぎった戦国時代せんごくじだい北條某ほうじょうなにがしとやらもう老獪ずる成上なりあがものから戦闘たたかいいどまれ、幾度いくたびかのはげしい合戦かっせん挙句あげくはてが、あの三ねんしのなが籠城ろうじょう、とうとう武運ぶうんつたな三浦みうらの一ぞくは、良人おっとをはじめとしてほとんど全部ぜんぶしろまくら打死うちじにしてしまいました。その時分じぶん不安ふあん焦燥しょうそう無念むねん痛心つうしん……いまでこそすっかり精神こころ平静へいせいもどし、べつにくやしいとも、かなしいともおもわなくなりましたが、当時とうじわたくしどものむねにはまさ修羅しゅら業火ごうか炎々えんえんえてりました。はずかしながらわたくしは一神様かみさまうらみました……ひとのろいもいたしました……何卒どうぞそのころ物語ものがただけ差控さしひかえさせていただきます……。
 大江家おおえけ一人娘ひとりむすめ何故なぜ他家よそとついだか、とおおせでございますか……あなたのさそしのお上手じょうずなのにはほんとうにこまってしまいます……。ではホンのはなし筋道すじみちだけつけてしまうことにいたしましょう。現世げんせ人間にんげんとしては矢張やは現世げんせはなし興味きょうみたるるかぞんじませぬが、わたくしどもの境涯きょうがいからは、そうった地上ちじょう事柄ことがらはもうべつ面白おもしろくも、おかしくもなんともないのでございます……。
 わたくし三浦家みうらけへの嫁入よめいりにつきましてはべつふか仔細しさいはございませぬ。良人おっとわたくしちち見込みこんだのでございます。『たのもしい人物じんぶつじゃ。あれよりほかにそちが良人おっとかしづくべきものはない……』ただそれっきりの事柄ことがらで、わたくしはおとなしくちちおおせに服従ふくじゅうしたまででございます。現代いまのよ人達ひとたちから頭脳あたまふるいとおもわれるかぞんじませぬが、ふるいにも、あたらしいにも、それがその時代じだいおんなみちだったのでございます。そしてちちのつもりでは、私達わたくしたち夫婦ふうふあいだ男児だんしうまれたら、その一人ひとり大江家おおえけ相続者そうぞくしゃもらける下心したごころだったらしいのでございます。
 見合みあいでございますか……それは矢張やは見合みあいもいたしました。良人おっとほうから実家さとたずねてまいったように記憶きおくしてります。いまむかおなじこと、わたくし両親りょうしんからばれて挨拶あいさつたのでございます。そのころ良人おっとはまだわこうございました。たしか二十五さい横縦よこたてそろった、筋骨きんこつたくまましい大柄おおがら男子おとこで、いろあましろほうではありません。目鼻立めはなだち尋常じんじょうひげはなく、どちらかといえば面長おもながで、眼尻めじりった、きりっとした容貌かおだちひとでした。ナニ歴史れきしに八十人力にんりき荒武者あらむしゃしるしてある……ホホホホ良人おっとはそんな怪物ばけものではございません。弓馬きゅうばみちれる、武張ぶばったひとではございましたが、八十人力にんりきなどというのはうそでございます。気立きだても存外ぞんがいさしかったひとで……。
 見合みあいとき良人おっと服装ふくそうでございますか――服装ふくそうはたしか狩衣かりぎぬはかま穿いて、おさだまりの大小だいしょう二腰ふたこし、そしてには中啓ちゅうけいってりました……。
 婚礼こんれいしきのことは、それは何卒どうぞおききくださらないで……格別かくべつかわったこともございません。調度類ちょうどるい前以まえもっ先方せんぽうおくとどけていて、あとから駕籠かごにのせられて、おおきな行列ぎょうれつつくってんだまでのはなしで……しきはもちろん夜分やぶんげたのでございます。すべてはみなゆめのようで、今更いまさらその当時とうじおもしてたところでなん興味きょうみおこりません。こちらの世界せかい引越ひきこしてしまへば、めいめいきがちがって、ただ自分じぶんあゆむべきみちを一しん不乱ふらんあゆだけしたがって親子おやこも、兄弟きょうだいも、夫婦ふうふも、こちらではめったにつきあいをしているものではございません。あなたがたもいずれはこちらの世界せかい引移ひきうつってられるでしょうが、そのときになればわたくしどもの現在げんざい心持こころもちがだんだんおわかりになります。『そんな時代じだいもあったかナ……』とおとお現世げんせ出来事できごとなどは、ただ一ぺん幻影げんえいしてしまいます。現世げんせはなし大概たいがいこれでよろしいでしょう。はやくこちらの世界せかい物語ものがたりうつりたいとおもいますが……。
 ナニわたくしぬる前後ぜんご事情じじょう物語ものがたれとっしゃるか……。それではごく手短てみじかにそれだけ申上もうしあげることにいたしましょう。今度こんどこそ、いよいよそれっきりでおしまいでございます……。

四、落城から死


 足掛あしかけねんまたが籠城ろうじょう……つき幾度いくどとなくかえされる夜打ようち朝駆あさがけ矢合やあわせ、い……どっとおこときこえそらこが狼火のろし……そして最後さいご武運ぶうんいよいよきてのあの落城らくじょう……四百年後ねんご今日こんにちおもしてみるだけでも滅入めいるようにかんじます。
 戦闘たたかいはじまってから、女子供おんなこどもはむろんみな城内じょうないからされてりました。わたくしかくれていたところ油壺あぶらつぼせま入江いりえへだてた南岸なんがんもりかげ、そこにホンのかたばかりの仮家かりやてて、一ぞく安否あんぴづかいながらわびずまいをしてりました。只今ただいまわたくしまつられているあの小桜神社こざくらじんじゃ所在地しょざいち――すこ地形ちけいちがいましたが、大体だいたいあのあたりだったのでございます。わたくしはそこで対岸たいがんのおしろ最後さいごあがるのをながめたのでございます。
『おしろもとうとうちてしまった……最早もはや良人おっともこのひとではない……にくッくきてき……おんなながらもこのうらみは……。』
 そのときの一ねんふかふかわたくしむねんで、現世げんせきているときはもとよりのこと、んでからのち容易よういわたくしたましいからはなれなかったのでございます。わたくしがどうやらその人並ひとなみみの修行しゅぎょうができて神心かみごころいてまいりましたのは、ひとえ神様かみさまのおさとしと、それからわたくしめになごやかな思念おもいおくってくだされた、したしい人達ひとたち祈願きがんたまものなので[#「賜なので」は底本では「賜なのて」]ございます。さもなければわたくしなどはまだなかなかすくわれる女性じょせいではなかったかもれませぬ……。
 にもかくにも、落城後らくじょうごわたくしおんなながらも再挙さいきょはかるつもりで、わずかばかりの忠義ちゅうぎ従者じゅしゃまもられて、あちこちにひそめてりました。領地内りょうちない人民じんみんたいへんわたくしたいして親切しんせつにかばってくれました。――が、なにもうしましてもおんな細腕ほそうでちからたのむ一ぞく郎党ろうとうかずもよくよくのこすくなになってしまったのをましては、再挙さいきょ計劃けいかく到底とうてい無益むやくであることが次第次第しだいしだいわかってまいりました。もる苦労くろうかさなる失望しつぼう、ひしひしと骨身ほねみにしみるさびしさ……わたくしからだはだんだん衰弱すいじゃくしてまいりました。
 幾月いくつきかをすごうちに、てき監視みはりもだんだんうすらぎましたので、わたくし三崎みさきみなとからとおくもない、諸磯もろいそもう漁村ぎょそんほうてまいりましたが、モーそのころわたくしにはなかなにやら味気あじけなくかんじられてょうがないのでした。
 実家さと両親りょうしんたいへんにわたくしうえあんじてくれまして、しのびやかにわたくし仮宅かりずまいおとずれ、鎌倉かまくらかえれとすすめてくださるのでした。『良人おっともなければ、いえもなく、またあとをつぐべき子供こどもとてもない、よくよくのひとかく鎌倉かまくらもどって、心静こころしずかに余生よせいおくるのがよいとおもうが……。』いろいろ言葉ことばつくしてすすめられたのでありますが、わたくしとしては今更いまさら親元おやもとへもどる気持きもちにはドーあってもなれないのでした。わたくしはきっぱりとことわりました。――
思召おぼしめしはまことに有難ありがとうございまするが、一たん三浦家みうらけとつぎましたであれば、ふたたびこのはなれたくはおもいませぬ。わたくしはどこまでも三崎みさきとどまり、良人おっとをはじめ、一ぞくあととむらいたいのでございます……。』
 わたくし決心けっしんあくまでかたいのをて、両親りょうしん無下むげ帰家きかをすすめることもできず、そのままむなしく引取ひきとってしまわれました。そしてもなく、わたくし住宅すまいとして、うみから二三ちょう引込ひっこんだ、小高こだかおかに、土塀どべいをめぐらした、ささやかな隠宅いんたくててくださいました。わたくしはそこで忠実ちゅうじつ家来けらい腰元こしもと相手あいて余生よせいおくり、そしてそこでさびしくこの気息いきったのでございます。
 落城後らくじょうごそれが何年なんねんになるかとッしゃるか――それはようやく一年余ねんあまわたくしが三十四さいときでございました。まことに短命たんめいな、つまらない一生涯しょうがいでありました。
 でも、いまからかんがえれば、わたくしにはこれでも生前せいぜんからいくらか霊覚れいかくのようなものがめぐまれていたらしいのでございます。落城後らくじょうごもなく、城跡しろあとの一三浦みうらぞくはかきずかれましたので、わたくし自分じぶん住居じゅうきょからちょいちょい墓参ぼさんをいたしましたが、はかまえつむっておがんでりますと、良人おっと姿すがたがいつもありありとあらわれるのでございます。当時とうじわたくしべつふかくはかんがえず、はかまいればだれにもえるものであろうくらいおもっていました。わたくし三浦みうら土地とちはなれるがしなかったのも、つまりはこのことがあっためでございました。当時とうじわたくしりましては、んだ良人おっとうのがこのける、ほとんど唯一ゆいいつ慰安いあんほとんど唯一ゆいいつ希望きぼうだったのでございます。『なんとしてもここからはなれたくない……』わたくしは一にそうおもんでりました。わたくしべつ婦道ふどううの、義理ぎりうのとって、六ヶむずかしい理窟りくつからして、三浦みうらみとどまったわけでもなんでもございませぬ。ただそうしたいからそうしたまでのはなしぎなかったのでございます。
 でも、わたくしぬるまで三浦家みうらけ墳墓ふんぼはなれなかったということは、その領地りょうち人民じんみんこころによほどふか感動かんどうあたえたようでございました。『小櫻姫こざくらひめ貞女ていじょ亀鑑かがみである』などと、もうしまして、わたくし死後しご祠堂やしろかみまつってくれました。それが現今いまのこっている、あの小桜神社こざくらじんじゃでございます。でもみぎ申上もうしあげたとおり、わたくしべつ貞女ていじょ亀鑑かがみでもなんでもございませぬ。わたくしはただどこまでも自分じぶん勝手かってとうした、一本気ぽんぎ女性じょせいだったにぎないのでございます。

五、臨終


 のすすまぬ現世時代げんせじだいはなしとおかたづいて、わたくしなにやらかるくなったようにかんじます。そちらから御覧ごらんになったら私達わたくしたち世界せかいはなはだたよりのないようにえるかもれませぬが、こちらから現世げんせりかえると、それはくらい、せせこましい、空虚うつろ世界せかい――おもなおしてても、今更いまさらそれを物語ものがたろうという気分きぶんにはなりねます。とりわけわたくし生涯しょうがいなどは、どなたのよりも一そうつまらない一しょうだったのでございますから……。
 え、まだわたくし臨終りんじゅう前後ぜんご事情じじょうがはっきりしていないとっしゃるか……そういえばホンにそうでございます。では致方いたしかたがございません、これから大急おおいそぎで、とおりそれを申上もうしあげてしまうことにいたしましょう。
 まえにもべたとおり、わたくしからだはだんだん衰弱すいじゃくしてたのでございます。とこについてもさっぱり安眠あんみんができない……はしっても一こう食物しょくもつのどとおらない……こころなかはただむしゃくしゃ……、口惜くやしい、うらめしい、味気あじきない、さびしい、なさけない……なになにやら自分じぶんにもけじめのない、さまざまの妄念もうねん妄想もうそうが、暴風雨あらしのようにわたくしおとろえたからだうちをかけめぐってるのです。それにおはずかしいことには、ってうまれたけずぎらいの気性きしょう内実ないじつよわいくせに、無理むりにも意地いじとうそうとしてるのでございますから、つまりは自分じぶん自分じぶんけずるようなもの、あたしい住居じゅうきょうつってから一ねんともたないうちに、わたくしはせめてもの心遣こころやりなる、あのお墓参はかまいりさえもできないまでに、よくよく憔悴やみほうけて[#「憔悴けて」は底本では「悴憔けて」]しまいました。くちもうしたらその時分じぶんわたくしは、えかかった青松葉あおまつばが、プスプスとしろけむりたてくすぶっているような塩梅あんばいだったのでございます。
 わたくしおもまくらいて、起居たちい不自由ふじゆうになったといたときに、第一だいいちせつけて、なにくれと介抱かいほうをつくしてくれましたのは矢張やは鎌倉かまくら両親りょうしんでございました。『うかけはなれてんでては、看護みとりとどかんでこまるのじゃが……。』めっきり小鬢こびんしろいものがまじるようになったちちは、そんなこともうしてなにやらふか思案しあんれるのでした。大方おおかた内心ないしんではわたくしこといまからでも鎌倉かまくらもどりたかったのでございましたろう。気性きしょうったははは、くちしてはべつなんとももうしませんでしたが、それでもおんな矢張やはおんな小蔭こかげへまわってそっとなみだぬぐいて長太息といきらしているのでございました。
『いつまでもいたる両親りょうしん苦労くろうをかけて、自分じぶんんという親不孝者おやふこうものであろう。いっそのことすべてをあきらめて、おとなしく鎌倉かまくらもどって専心せんしん養生ようじょうにつとめようかしら……。』そんな素直すなおかんがえもこころのどこかにささやかないでもなかったのですが、ぎの瞬間しゅんかんにはれいけぎらいがわたくし全身ぜんしんつつんでしまうのでした。『良人おっと自分じぶんまえ打死うちじにしたではないか……にくいのはあの北條ほうじょう……縦令たとえ何事なにごとがあろうとも、今更いまさらおめおめと親許おやもとなどに……。』
 おにこころになりったわたくしは、両親りょうしん好意こういそむき、同時どうじまたてんをもひとをもうらみつづけて、生甲斐いきがいのない日子ひにちかぞえていましたが、それもそうながいことではなく、いよいよわたくしにとりて地上ちじょう生活せいかつ最後さいご到着とうちゃくいたしました。
 現世げんせ人達ひとたちかられば、というものはなにやら薄気味うすきみのわるい、なにやら縁起えんぎでもないものにおもわれるでございましょうが、わたくしどもかられば、それは一ぴきまゆやぶってるのにもるいした、格別かくべつ不思議ふしぎとも無気味ぶきみともおもわれない、自然しぜん現象すがたぎませぬ。したがってわたくしとしては割合わりあい平気へいき気持きもち自分じぶん臨終りんじゅう模様もようをおはなしすることができるのでございます。
 四百ねん以前いぜんのことで、大変たいへん記憶きおくうすらぎましたが、ざっとわたくしのそのとき実感じっかんべますると――なによりも目立めだってかんじられるのは、がだんだんとおくなってくことで、それは丁度ちょうど、あのうたた気持きもち――正気せいきのあるような、またいような、んともえぬうつらうつらした気分きぶんなのでございます。そばからのぞけば、かお痙攣ひきつれたり、つめたい脂汗あぶらあせにじたり、ぬるひと姿すがたけっしてよいものではございませぬが、実際じっさい自分じぶんんでると、それはおもいのほからく仕事しごとでございます。いたいも、かゆいも、口惜くやしいも、かなしいも、それはたましいがまだしっかりとからだ内部なかっているときのこと、臨終りんじゅうちかづいて、たましいにくのおみやたり、はいったり、うろうろするようになりましては、それの一さいはいつとはなしに、何所どこかええる、というよりか、むしとおのいてしまいます。だれかが枕辺まくらべいたり、さけんだりするときにはちょっと意識いしきもどりかけますが、それとてホンの一しゅんあいだで、やがてなにすこしもわからない、ふかふか無意識むいしき雲霧もやなかへとくぐりんでしまうのです。わたくし場合ばあいには、この無意識むいしき期間きかんが二三にちつづいたと、あとかみさまからおしえられましたが、どちらかといえば二三にちというのはみじか部類ぶるいで、なかには幾年いくねんいくねんながなが睡眠ねむりをつづけているものもまれにはあるのでございます。ながいにせよ、またみじかいにせよ、かくこの無意識むいしきからをさましたときが、わたくしたちの世界せかい生活せいかつはじまりで、舞台ぶたいがすっかりかわるのでございます。

六、幽界の指導者


 いよいよこれから、こちらの世界せかいのおはなしになりますが、最初さいしょはまだ半分はんぶんあし現世げんせにかけているようなもので、矢張やは娑婆しゃばくさい、おききぐるしい事実ことばかり申上もうしあげることになりそうでございます。――ナニそのほう人間味にんげんみがあってかえって面白おもしろいとっしゃるか……。御冗談ごじょうだんでございましょう。はなすもののになれば、こんなつらい、はずかしいことはないのです……。
 これはあと神様かみさまからきかされたことでございますが、わたくし矢張やはり、自力じりき自然しぜんましたというよりか、かみさまのおちからましていただいたのだそうでございます。そのかみさまというのは、大国主神様おおくにぬしのかみさまのお指図さしずけて、あたらしい帰幽者きゆうしゃ世話せわをしてくださるかたなのでございます。これにつきてはあとくわしく申上もうしあげますが、かくあらたに幽界ゆうかいはいったもので、ったかみ神使つかい西洋せいようもう天使エンゼルのお世話せわあずからないものは一人ひとりもございませんので……。
 幽界ゆうかいました瞬間しゅんかん気分きぶんでございますか――それはうっとりとゆめでもているような気持きもち、そのくせ、なにやらこころおくほうで『自分じぶん世界せかいはモーちがっている……。』とった、かすかな自覚じかくがあるのです。四辺あたり夕暮ゆうぐれいろにつつまれた、いかにも森閑しんかんとした、丁度ちょうど山寺やまでらにでもるようなかんじでございます。
 そうするうちわたくし意識いしきすこしづつ回復かいふくしてまいりました。
自分じぶんはとうとうんでしまったのか……。』
 自覚じかく頭脳あたま内部なかではっきりすると同時どうじに、わたくし次第しだいはげしい昂奮こうふん暴風雨あらしなかにまきまれてきました。わたくしなによりつらくかんじたのは、あとのこした、いたる両親りょうしんのことでした。散々さんざん苦労くろうばかりかけて、んのむくゆるところもなく、わか身上みそらで、先立さきだってこちらへ引越ひきこしてしまった親不孝おやふこうつみ、こればかりはまったられるようなおもいがするのでした。『みませぬみませぬ、どうぞどうぞおゆるしくださいませ……』何回なんかいわたくしはそれをかえしてなみだむせんだことでしょう!
 そうするうちにもわたくしこころさらほかのさまざまのくらかんがえにみだされました。『おやにさえそむいて折角せっかく三浦みうら土地とちみとどまりながら、自分じぶんついなん仕出しでかしたこともなかった! んという腑甲斐ふがいなさ……んという不運ふうんうえ……口惜くやしい……かな[#ルビの「かな」は底本では「かは」]しい……なさけない……。』なになにやら、頭脳あたまなかはただごちゃごちゃするのみでした。
 そうかとおもえば、ぎの瞬間しゅんかんには、わたくしはこれからきの未知みち世界せかい心細こころぼそさにふるおののいているのでした。『誰人だれむかえにてくれるものはないのかしら……。』わたくしはまるで真暗闇まっくらやみ底無そこなしの井戸いど内部なかへでもおとされたようにかんずるのでした。
 ほとんどでもくるうかとおもわれましたときに、ひょくりとわたくし枕辺まくらべ一人ひとり老人ろうじん姿すがたあらわしました。には平袖ひらそで白衣びゃくいて、おびまえむすび、なにやら見覚みおぼえの天人てんにんらしい姿すがた、そしてんともいえぬ威厳いげん温情おんじょうとのそなわった、神々こうごうしい表情ひょうじょう凝乎じっわたくしつめてられます。『一たいこれは何誰どなたかしら……』こころ千々ちぢみだれながらも、わたくし多少たしょう好奇心こうきしんもよおさずにられませんでした。
 このおかたこそ、さきわたくしがちょっと申上もうしあげた大国主神様おおくにぬしのかみさまからのお神使つかいなのでございます。わたくしはこのおかたかたならぬみちびきによりて、からくもこころやみからすくげられ、おそのうえ天眼通てんがんつうその能力のうりょく仕込しこまれて、ドーやらこちらの世界せかい一人ひとりちができるようになったのでございます。これはまえにものべたとおり、けっしてわたくしにのみかぎったことではなく、どなたでもみな神様かみさまのお世話せわになるのでございますが、ただ身魂みたま因縁いんねんとでももうしましょうか、めいめいのむべき道筋みちすじちがいます。わたくしなどは随分ずいぶんきびしい、けわしいみちまねばならなかった一人ひとりで、苦労くろうひとしおおおかったかわりに、幾分いくぶんよそかたよりはやあかるい世界せかいることにもなりました。ここでねんめに申上もうしあげてきますが、わたくし指導しどうしてくだすった神様かみさまは、お姿すがた普通ただ老人としより姿すがたってられますが、じつ人間にんげんではございませぬ。つまり最初さいしょからどおしのかみ、あなたがた自然霊しぜんれいというものなのです。ったかたのほうが、あたらしい帰幽者きゆうしゃ指導しどうするのに、まつわるなん情実じょうじつもなくて、人霊じんれいよりもよほど具合ぐあいよろしいともうすことでございます。

七、祖父の訪れ


 わたくしがお神使つかい神様かみさまから真先まっさきにいきかされたお言葉ことばは、いまではあまりよくおぼえてもりませぬが、大体だいたいこんなような意味いみのものでございました。――
『そなたはしきりに先刻さっきから現世げんせことおもして、悲嘆ひたんなみだにくれているが、何事なにごとがありてもふたた現世げんせもどることだけはかなわぬのじゃ。そんなことばかりかんがえていると、境涯ところへはとてもすすめぬぞ! これからはわしがそなたの指導役しどうやく何事なにごともよくききわけて、とうとかみさまの裔孫みすえとしての御名みなけがさぬよう、一はややくにもたたぬ現世げんせ執着しゅうちゃくからはなれるよう、しっかりと修行しゅぎょうをしてもらいますぞ! 執着しゅうじゃくのこっているかぎ何事なにごともだめじゃ……。』
 が、その場合ばあいわたくしには、うした神様かみさまのお言葉ことばなどはほとんどみみにもはいりませんでした。わたくしはいろいろの難題なんだいしてさんざん神様かみさまこまらせました。おはずかしいことながら、罪滅つみほろぼしのつもりで一つ二つここで懺悔ざんげいたしてきます。
 わたくしちかけた難題なんだいひとつは、はや良人おっといたいという註文ちゅうもんでございました。『現世げんせうらみがらせなかったから、良人おっと二人ふたりちからわせて怨霊おんりょうとなり、せめて仇敵かたきころしてやりたい……。』――これがかみさまにむかってのおねがいなのでございますから、かみさまもさぞあきかえってしまわれたことでしょう。もちろん、神様かみさまはそんな註文ちゅうもんおうじてくださるはずはございませぬ。『他人ひとうらむことはなによりつみふか仕業しわざであるからゆるすことはできぬ。また良人おっとには現世げんせ執着しゅうじゃくれたときに、機会おりわせてつかわす……。』いともおだやかに大体だいたいそんな意味いみのことをさとされました。もうひとわたくし神様かみさまにおねがいしたのは、自分じぶん遺骸いがいせてれとの註文ちゅうもんでございました。当時とうじわたくしには、せめて一でも眼前がんぜん自分じぶん遺骸いがいなければ、なにやらゆめでもるような気持きもちで、あきらめがつかなくて仕方しかたがないのでした。かみさまはしばしかんがえていられたが、とうとうわたくしねがいをれて、あの諸磯もろいそ隠宅いんたくよこたわったままの、わたくし遺骸いがいをまざまざとせてくださいました。あのせた、蒼白あおじろい、まるで幽霊ゆうれいのようなみにくい自分じぶん姿すがた――わたくしてぞっとしてしまいました。『モー結構けっこうでございます。』おぼえずそうって御免ごめんこうむってしまいましたが、このことたいへんわたくしこころおちつかせるのに効能ききめがあったようでございました。
 まだほかにもいろいろありますが、あまりにもおろかしいことのみでございますので、ずこれでげさせていただきます。現在げんざいわたくしとて、まだまだ一こう駄眼だめでございますが、帰幽当座きゆうとうざわたくしなどはまるでみにくい執着しゅうじゃく凝塊かたまり只今ただいまおもしてもかおあからんでしまいます……。
 かく神様かみさまんなききわけのないわたくし処置しょちにはほとほとおかれたらしく、いろいろとをかえ、しなをかえて御指導ごしどう[#ルビの「ごしどう」は底本では「ごしだし」]ろうってくださいましたが、やがてわたくし[#ルビの「わたくし」は底本では「くわたくし」]祖父じじ……わたくしより十ねんほどまえ歿なくなりました祖父じじれてて、わたくし説諭せつゆおおせつけられました。にしろとてもわれないものとおもんでいた肉親にくしん祖父じじが、もととおりの慈愛じあいあふれた温容おんようで、もだえているわたくし枕辺まくらべにひょっくりとその姿すがたあらわしたのですから、そのときわたくしのうれしさ、心強こころづよさ!
『まあおじいさまでございますか!』わたくしおぼえずきて、祖父じじかたすがってしまいました。帰幽後きゆうごわたくしくらくら心胸こころに一てん光明あかりしたのはじつにこのとき最初さいしょでございました。
 祖父じじはさまざまにわたくしをいたわり、はげましてくれました。――
『そなたもわかいのに歿なくなって、まことにどくなことであるが、なかはすべて老少不定ろうしょうふじょう寿命じゅみょうばかりはんとも致方いたしかたがない。これからきはこの祖父じじかみさまのお手伝てつだいとして、そなたの手引てびきをして、是非ぜひともそなたを立派りっぱなものに仕上しあげてせるから、こちらへたとてけっしてけっして心細こころぼそいことも、また心配しんぱいなこともない。請合うけあって、ほか人達ひとたちよりも幸福しあわせなものにしてあげる……。』
 祖父じじ言葉ことばには格別かくべつこれとてていうほどのこともないのですが、場合ばあい場合ばあいなので、それは丁度ちょうどしとしとと春雨はるさめかわいた地面じべたみるように、わたくしすさんだむねんできました。おかげわたくしはそれから幾分いくぶんこころ落付おちつきをもどし、かみさまのおおせにもだんだんしたがうようになりました。ひとほうけとやら、こんな場合ばあいには矢張やは段違だんちがいの神様かみさまよりも、お馴染なじみみの祖父じじほうが、かえって都合つごうのよいこともあるものとえます。わたくし祖父じじ年齢としでございますか――たしか祖父じじは七十あまりで歿なくなりました。白哲いろじろ細面ほそおもての、小柄こがら老人ろうじんで、は一ぽんなしにけてました。生前せいぜんうす頭髪かみ茶筌ちゃせんっていましたが、幽界こちらわたくしもとおとずれたときは、意外いがいにもすっかり頭顱あたままるめてりました。わたくしちがって祖父じじ熱心ねっしん仏教ぶっきょう信仰者しんこうしゃだっためでございましょう……。

八、岩窟


 はなしすこあともどりますが、このへんひとりまとめてわたくし最初さいしょ修行場しゅぎょうば、つまり、わたくしがこちらの世界せかい真先まっさきにかれました境涯きょうがいにつきて、とお申述もうしのべてくことにいたしたいとぞんじます。じつ私自身わたくしじしんも、はじめてこちらの世界せかいました当座とうざは、ただ一図いちず口惜くやしいやら、かなしいやらでむねが一ぱいで、自分じぶん場所ばしょがどんなところかというようなことに、注意ちゅういするだけのこころ余裕よゆうとてもなかったのでございます。それに四辺あたりみょう薄暗うすくらくて滅入めいるようで、だれしもあんな境遇きょうぐうかれたら、おそらくあまりほがらかな気分きぶんにはなれそうもないかとかんがえられるのでございます。
 が、そのうち、あの最初さいしょ精神こころ暴風雨あらし次第しだいおさまるにつれて、わたくしきずつけられた頭脳あたまにもすこしづつ人心地ひとごこちてまいりました。うとうとしながらもわたくしかんがえました。――
わたくしいまうして、たった一人法師ひとりぼっちているが、一たいここはんなところかしら……。わたくしんだものとすれば、ここは矢張やは冥途めいどとやらに相違そういないであろうが、しかしわたくしは三かわらしいものをわたったおぼえはない……閻魔様えんまさまらしいものにった様子ようすもない……なになにやらさっぱりちない。モーすこ光明あかりしてくれるといのだが……。』
 わたくしすこまくらから頭部あたまもたげて、覚束おぼつかないつきをして、あちこち※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)みまわしたのでございます。最初さいしょは、なにやら濛気もやでもかかっているようで、もののけじめもわかりかねましたが、そのうち不図ふと何所どこからともなしに、一じょう光明あかりんでると同時どうじに、自分じぶんかれているところが、ひとつのおおきな洞穴ほらあな――岩屋いわや内部なかであることにづきました。わたくしは、すくなからずびっくりしました。――
『オヤオヤ! わたくし不思議ふしぎところる……わたくしゆめているのかしら……それともここわたくし墓場はかばかしら……。』
 わたくしまった途方とほうれ、くにもかれないような気持きもちで、ひしとまくらかじりつくよりほか詮術せんすべもないのでした。
 そのとき不意ふいわたくし枕辺まくらべちかくお姿すがたあらわして、いろいろと難有ありがたなぐさめのお言葉ことばをかけ、またなにくれとくわしい説明せつめいをしてくだされたのは、れいわたくし指導役しどうやく神様かみさまでした。かゆところとどくともうしましょうか、神様かみさまほうでは、いつもチャーンとこちらのむねなかすかしていて、とき場合ばあいにぴったりてはまったことききかせてくださるのでございますから、どんなにわかりのわるものでも最後しまいにはおとなしくみみかたむけることになってしまいます。わたくしなどは随分ずいぶん我執がしゅうつよほうでございますが、それでもだんだん感化かんかされて、肉身にくしんのお祖父様ぢいさまのようにおした申上もうしあげ、勿体もったいないとはりつつも、わたくしはいつしかこの神様かみさまを『おじいさま』とお申上もうしあげるようになってしまいました。まえにも申上もうしあげたとおりわたくしのようなものがドーやら一にんまえのものになることができましたのは、ひとえにおじいさまのお仕込しこみのたまものでございます。まったなか神様かみさまほど難有ありがたいものはございませぬ。きにつけ、しきにつけ、影身かげみいて、人知ひとしれず何彼なにかとお世話せわいてくださるのでございます。それがよくわからないばかりに、兎角とかく人間にんげんはわがままたり、慢心まんしんたりして、んだ過失あやまちをしでかすことにもなりますので……。これはこちらの世界せかい引越ひっこしてると、だんだんわかってまいります。
 うっかりつまらぬこと申上もうしあげてお手間てまらせました。わたくしいそいで、あのとき神様かみさま幽界ゆうかい修行しゅぎょうこと、そのいてわたくしいきかせてくだされたおはなし要点ようてん申上もうしあげる[#「申上げる」は底本では「申上ける」]ことにいたしましょう。それは大体だいたいうでございました。――
『そなたはいま岩屋いわや内部なかることにづいて、いろいろおもまどってるらしいが、この岩屋いわや神界しんかいいて、そなたの修行しゅぎょうめにとくにこしらえてくだされた、難有ありがた道場どうじょうであるから、当分とうぶん比所ここでみっしり修行しゅぎょうみ、はやうえ境涯きょうがいすす工夫くふうをせねばならぬ。勿論もちろんここは墓場はかばではない。はか現界げんかいのもので、こちらの世界せかいはかはない……。現在げんざいそなたのにはこの岩屋いわや薄暗うすくらかんずるであろうが、これは修行しゅぎょうむにつれて自然しぜんあかるくなる。幽界ゆうかいでは、くらいも、あかるいもすべてそのひと器量次第きりょうしだいこころあかるいものは何所どこてもあかるく、こころくらいものは、何所どこってもくらい……。先刻せんこくそなたは三かわや、閻魔様えんまさまことかんがえていたらしいが、あれは仏者ぶっしゃ方便ほうべんである。うそでもないがまた事実じじつでもない。あのようなものをせるのはいと容易たやすいがただ我国わがくにかみみちとして、一さい方便ほうべん使つかわぬことにしてある……。そなたはただ一人ひとりこの道場どうじょうむことを心細こころぼそいとおもうてはならぬ。入口いりぐちには注連縄しめなわってあるので、悪魔あくま外道げどうたぐい絶対ぜったいはいることはできぬ。またたとえ何事なにごとおこっても、かみまなこはいつも見張みはっているから、すこしも不安ふあんかんずるにはおよばぬ……。すべて修行場しゅぎょうばひとによりてめいめいちがう。家屋かおく内部なかかるるものもあれば、やまなかかるるものもある。親子おやこ夫婦ふうふ間柄あいだがらでも、一しょにはけっしてむものでない。その天分てんぶんなり、行状おこないなりが各自めいめいちがうからである。ただおうとおもえば差支さしつかえないかぎりいつでもえる……。』
 一おうはなしおわったときに、神様かみさまはやおらわたくしって、たすこしてくださいました。『そなたもひと元気げんきして、るいてるがよい。病気びょうき肉体からだのもので、たましい病気びょうきはない。これから岩屋いわや模様もようせてつかわす……。』
 わたくしはついふらふらとあがりましたが、不思議ふしぎにそれっきり病人びょうにんらしい気持きもちせてしまい、同時どうじ今迄いままでいてあった寝具類しんぐるいけむりのようにえてしまいました。わたくしはその瞬間しゅんかんから現在げんざいいたるまで、ただの一寝床ねどこうえたいとおもったおぼえはございませぬ。
 それからわたくし神様かみさまみちびかれて、あちこちあるいてて、すっかり岩屋いわや内外ないがい模様もようることができました。岩屋いわやなりおおきなもので、たかさとはばさはおよそそ三四けん奥行おくゆきは十けんあまりもございましょうか。そして中央まんなかところがちょっとまがって、ななめにそとるようになってります。岩屋いわや所在地しょざいちは、相当そうとうたかい、岩山いはやまふもとで、やますそをくりいてつくったものでございました。入口いりぐちって四辺あたりると、見渡みわたかぎやまばかりで、うみかわひとつもえません。現界げんかい景色けしきくらべてべつ格段かくだん相違そういもありませぬが、ただこちらの景色けしきほうがどことなくきよらかで、そして奥深おくふかかんじがいたしました。
 岩屋いわや入口いりぐちには、神様かみさまわれましたとおり、はたたしてあたしい注連縄しめなわ一筋ひとすじってありました。

九、神鏡


 とお見物けんぶつむと、私達わたくしたちふたた岩屋いわや内部なかもどってました。すると神様かみさまわたくしむかい、早速さっそく修行しゅぎょうのことにつきて、んでくくめるようにいろいろときさとしてくださるのでした。
『これからのそなたの生活せいかつは、現世げんせのそれとはすっかりおもむきかわるから一はやくそのつもりになってもらわねばならぬ。現世げんせ生活せいかつにありては、おもなるものが衣食住いしょくじゅう苦労くろう大概たいがい人間にんげんはただそれっきりのことにあくせくして一しょうすごしてしまうのであるが、こちらでは衣食住いしょくじゅう心配しんぱい全然ぜんぜんない。大体だいたい肉体にくたいあっての衣食住いしょくじゅうで、肉体にくたいてた幽界ゆうかい住人じゅうにんは、できるだけはやくそうした地上ちじょうかんがえを頭脳あたまなかからはらいのける工夫くふうをせなければならぬ。それからこちらの住人じゅうにんとしてなによりつつしまねばならぬは、うらみ、そねみ、またもろもろの欲望よくぼう……そうったものにこころうばわれるが最後さいご、つまりは幽界ゆうかい亡者もうじゃとして、いつまでってもうかはないことになる。で、こちらの世界せかいで、なによりも大切たいせつ修行しゅぎょうというのは精神せいしん統一とういつで、精神統一せいしんとういつ以外いがいにはほとんど何物なにものもないといえる。つまりこれは一しん不乱ふらん神様かみさまねんじ、神様かみさま自分じぶんとを一たいにまとめてしまって、ほかの一さい雑念ぞうねん妄想もうそうはらいのける工夫くふうなのであるが、実地じっちってると、これはおもいのほか六ヶむつかしい仕事しごとで、すこしの油断ゆだんがあれば、姿すがたはいかに殊勝しゅしょうらしく神様かみさままえすわっていても、こころはいつしか悪魔あくまむねかよっている。内容なかみよりも外形うわべたっと現世げんせひとまなこは、それで結構けっこうくらませることができても、こちらの世界せかいではそのごまかしはきかぬ。すべてはみなかみうつり、また程度ていどたがいにもうつる……。で、これからそなたも早速さっそくこの精神統一せいしんとういつ修行しゅぎょうにかからねばならぬが、もちろん最初さいしょから完全まったきのぞむのは無理むりで、したがって程度ていど過失あやまち見逃みのがしもするが、にあまるところはその都度つどきびしく注意ちゅういあたえるから、そなたもその覚悟かくごてもらいたい。またなにのぞみがあるなら、いまうち遠慮えんりょなく申出もうしでるがよい。無理むりのないことであるならすべてゆるすつもりであるから……。』
 ようや寝床ねどこはなれたとおもえば、モーすぐこのようなきびしい修行しゅぎょうのお催促さいそくで、そのときわたくし随分ずいぶんつらいことだ、とおもいました。そのこちらで様子ようすうかがってりますと、ひとによりては随分ずいぶんゆるやかな取扱とりあつかいをけ、まるでゆめのような、呑気のんきらしい生活せいかつおくっているものも沢山たくさん見受みうけられますが、これはドーいうわけわたくしにもよくわかりませぬ。わたくしなどはとりわけ、きびしい修行しゅぎょうおおせつけられた一人ひとりのようで、自分じぶんながら不思議ふしぎでなりませぬ。矢張やはりこれも身魂みたま因縁いんねんとやらもうすものでございましょうか……。
 それはかくも、わたくし神様かみさまからなにのぞみのものをえとわれ、いろいろとかんがいたすえにたったひとつだけ註文ちゅうもんしました。
『おじいさま、うぞわたくしひとつの御神鏡ごしんきょうさずけていただぞんじます。わたくしはそれを御神体ごしんたいとしてそのまえ精神せいしん統一とういつ修行しゅぎょういたそうとおもいます。なにかの目標めあてがないと、わたくしにはとても神様かみさまおがむような気分きぶんになれそうもございませぬ……。』
『それは至極しごくもっともなねがいじゃ、ただちにそれをいただいてつかわす。』
 おじいさまはこころよわたくしねがいをれ、ちょっとあちらをいて黙祷もくとうされましたが、モーぎの瞬間しゅんかんには、白木しらき台座だいざいた、一たい御鏡みかがみがおじいさまのてのひらっていました。みぎ御鏡みかがみ早速さっそく岩屋いわやおくの、ほどよきたかさのかべ凹所くぼみえられ、わたくし礼拝らいはいもっと神聖しんせい目標もくひょうとなりました。それからモー四百余年よねんわたくし境涯きょうがいはそのあいだ幾度いくど幾度いくどかわりましたが、しかしわたくしいまおそのときいただいた御鏡みかがみまえ静座せいざ黙祷もくとうをつづけてるのでございます。

十、親子の恩愛


 参考さんこうめにすこ幽界ゆうかい修行しゅぎょう模様もようをききたいとっしゃいますか……。よろしうございます。わたくしぞんじていることはなになりとおはないたしますが、しかし現界げんかいるのと格別かくべつ相違そういもございますまい。私達わたくしたちとて矢張やは御神前ごしんぜん静座せいざして、こころ天照大御神様あまてらすおおみかみさま御名みなとなえ、また八百万やおよろず神々かみがみにおねがいして、できるだけきたないかんがえをはらいのけること精神こころむのでございます。もとより肉体にくたいはないのですから、現世げんせるような、斎戒沐浴さいかいもくよくいたしませぬ。ただ斎戒沐浴さいかいもくよくをしたと同一どういつきよらかな気持きもちになればよいのでございまして……。
 それで、本当ほんとうふかふか統一状態とういつじょうたいはいったとなりますと、わたくしどもの姿すがたはただひとつのたまになります。ここが現世げんせ修行しゅぎょう幽界ゆうかい修行しゅぎょうとの一ばん目立めだった相違点そういてんかもれませぬ。人間にんげんではどんなにふか統一とういつはいっても、からだのこります。いかに御本人ごほんにんこころかんじましても、そばかられば、その姿すがたはチャーンと其所そこえてります。しかるに、こちらでは、真実ほんとう精神統一せいしんとういつはいれば、人間にんげんらしい姿すがたせて、そばからのぞいても、たったひとつのしろっぽいたまかたちしかえませぬ。人間にんげんらしい姿すがたのこってるようでは、まだ修行しゅぎょうんでいないなによりの証拠しょうこなのでございます。『そなたの、そのみぐるしい姿すがたなんじゃ! まだ執着しゅうじゃく強過つよすぎるぞ……。』わたくし何度なんどみぐるしい姿すがたをお爺様じいさまつけられてお叱言こごと頂戴ちょうだいしたかれませぬ。自分じぶんでも、こんなことでは駄目だめであるとおもかえして、一しょう懸命けんめい神様かみさまねんじて、あくまできよらかな気分きぶんつづけようとあせるのでございますが、あせればあせるほど、チラリチラリとくらかげして統一とういつさまたげてしまいます。わたくし岩屋いわや修行しゅぎょうというのは、つまりうした失敗しっぱいとお叱言こごとりかえしで、自分じぶんながらほとほと愛想あいそきるくらいでございました。わたくしというものはよくよく執着しゅうじゃくつよい、つみふかい、女性じょせいだったのでございましょう。――この生活せいかつ何年位なんねんくらいつづいたかとのおたずねでございますか……。自分じぶんでは一さい夢中むちゅうで、さほどにながいともおぼえませんでしたが、あとでおじいさまからうかがいますと、わたくし岩屋いわや修行しゅぎょう現世げんせ年数ねんすうにして、ざっと二十年余ねんあまりだったとのことでございます。
 現世的げんせてき執着しゅうじゃくなかで、わたくしにとりて、なによりもるのにほねれましたのは、まえもうすとおり矢張やはり、けた両親りょうしんたいする恩愛おんあいでございました。現世げんせ何一なにひと孝行こうこうらしいこともせず、ただ一人ひとり先立さきだってこちらの世界せかい引越ひきこしてしまったのかとかんがえますと、なんともいえずつらく、かなしく、のこしく、相済あいすまなく、てもってもられないようにかんぜられるのでございました。人間にんげんなにがつらいともうしても、おやとが順序じゅんじょをかえてぬるほど、つらいことはないようにおもわれます。無論むろんわたくしには良人おっとたいする執着しゅうじゃくもございました。しかし良人おっとわたくしよりもきに歿なくなってり、それにまたかみさまが、時節じせつればわしてもやるとまうされましたので、そちらのほう断念あきらめ割合わりあいはやくつきました。ただ現世げんせのこした父母ふぼことはどうあせりましてもあきらめねてなやきました。そんな場合ばあいには、神様かみさまも、精神統一せいしんとういつも、まるきりあったものではございませぬ。わたくしはよく間近まじかいわかじりついて、もだきにりました。そんな真似まねをしたところで、一たんんだものが、とても現世げんせもどれるものでないこと充分じゅうぶん承知しょうちしているのですが、それで矢張やはめることができないのでございます。
 しかもなによりこまるのは、現世げんせのこっている父母ふぼ悲嘆なげきが、ひしひしと幽界ゆうかいまでつうじてることでございました。両親りょうしんおこたらず、わたくしはかもうでてはなみず手向たむけ、またさいとか、五十にちさいとかもうには、その都度つど神職しんしょくまねいて鄭重ていちょうなお祭祀まつりをしてくださるのでした。修行未熟しゅぎょうみじゅくの、その時分じぶんわたくしには、現界げんかい光景こうけいこそえませんでしたが、しかし両親りょうしんこころおもっていられることは、はっきりとこちらにかんじてまいるばかりか、『ひめひめや!』とびながら、るばかりにかなしむはは音声おんじょうまでもひびいてるのでございます。あの時分じぶんのことはいまおもしてもおのずとなみだがこぼれます……。
 った親子おやこ情愛じょうあいなどともうすものは、いつまでってもなかなかえてくなるものではないようで、わたくし現在げんざいでも矢張やはちちちちとしてなつかしく、ははははとしてしたわしくかんじます。が、不思議ふしぎなもので、だんだん修行しゅぎょうむにつれて、ドーやら情念こころ発作ほっさ打消うちけしてくのが上手じょうずになるようでございます。それがつまり向上こうじょうなのでございましょうかしら……。

十一、守刀


 からだがなくなって、こちらの世界せかい引移ひきうつってても、現世げんせ執着しゅうじゃく容易よういれるものでないことは、すでに申上もうしあげましたが、ついでにモーすこしここで自分じぶん罪過つみ申上もうしあげてくことにいたしましょう。口頭くちさきですっかりさとったようなことをもうすのはなんでもありませぬが、実地じっちあたってるとおもいのほかこころあかおおいのが人間にんげんつねでございます。わたくし時々ときどきこちらの世界せかいで、現世生活中げんせせいかつちゅうたいへん名高なだかかった方々かたがたにおいすることがございますが、そうきれいにみたまみがかれたかたばかりも見当みあたりませぬ。『あんな名僧めいそう知識ちしきうたわれたかたがまだこんな薄暗うすぐら境涯ところるのかしら……。』時々ときどき意外いがいかんずるような場合ばあいもあるのでございます。
 さてお約束やくそく懺悔ざんげでございますが、わたくしにとりて、なによりにしみているのをひとつおはないたしましょう。それはわたくし守刀まもりがたな物語ものがたりでございます。わすれもしませぬ、それはわたくし三浦家みうらけ嫁入よめいりするおりのことでございました、はは一振ひとふりりの懐剣かいけんわたくし手渡わたし、
『これは由緒ゆいしょある御方おかたからはは拝領はいりょう懐剣かいけんであるが、そなたの一しょう慶事よろこび紀念きねんに、守刀まもりがたなとしておゆずりします。肌身はだみはなさず大切たいせつ所持しょじしてもらいます……。』
 両眼りょうがんなみだを一ぱいめて、赤心まごころこめてわたされた紀念きねん懐剣かいけん――それは刀身なかみといい、また装具つくりといい、まことに申分もうしぶんのない、立派りっぱなものでございましたが、しかしわたくしりましては、懐剣かいけんそのものよりも、それがなつかしいはは形見かたみであることが、ほか何物なにものにもかえられぬほど大切たいせつなのでございました。わたくしは一生涯しょうがいその懐剣かいけん自分じぶんたましいおもって肌身はだみけてたのでした。
 いよいよわたくし病勢びょうせいおもって、もうとてもむずかしいとおもわれましたときに、わたくし枕辺まくらべすわってられるははかってたのみました。『わたくし懐剣かいけん何卒どうぞこのままわたくしと一しょかんなかおさめていただきとうございますが……。』するとはは即座そくざわたくしねがいれて、『そのとおりにしてあげますから安心あんしんするように……。』と、わたくし耳元みみもとくちせて力強ちからづよささやいてくださいました。
 わたくしがこちらの世界せかいましたときに、わたくし不図ふとみぎ事柄ことがらおもしました。『はははあんなにかた請合うけあってくだされたが、はたして懐剣かいけん遺骸いがいと一しょはかおさめてあるかしら……。』そうおもうとわたくしはどうしてもそれが気懸きがかりで気懸きがかりでたまらなくなりました。とうとうわたくしはある指導役しどうやくのお爺様じいさまに一伍一什ぶしじゅう物語ものがたり、『しもあの懐剣かいけんが、わたくしはかおさめてあるものなら、どうぞこちらに取寄とりよせていただきたい。生前せいぜん同様どうようあれを守刀まもりがたないたうございます……。』とおたのみしました。いま方々かたがたには守刀まもりがたななどともうしても、あるいあたま力強ちからづよひびかぬかもぞんじませぬが、わたくしどもの時代じだいには、守刀まもりがたなはつまりおんなたましい自分じぶん生命いのちから二番目ばんめ大切たいせつ品物しなものだったのでございます。
 神様かみさまもこのわたくしねがい無理むりからぬこと思召おぼしめされたか、こころよくお引受ひきうけしてくださいました。そしてれいのとおり、ちょっと精神せいしん統一とういつをしてわたくしはか透視とうしされましたが、すぐにおわかりになったものとえ『フムその懐剣かいけんならたしかに彼所かしこえている。よろしい神界しんかいのおゆるしをねがって、取寄とりよせてつかわす……。』
 そうわれたかとると、ぎの瞬間しゅんかんには、おじいさまのなかに、わたくしにもなつかしい懐剣かいけんにぎられてりました。無論むろんそれはわばかたなせいだけで、現世げんせかたなではないのでございましょうが、しかしいかにしらべてても、金粉きんぷんらした、朱塗しゅぬりの装具つくりといい、またそれをつつんだ真紅しんく錦襴きんらんふくろといい、生前せいぜん現世げんせ手慣てなれたものに寸分すんぶん相違そういもないのでした。わたくしこころからうれしくお爺様じいさまあつくおれい申上もうしあげました。
 わたくしみぎ懐剣かいけん現在げんざいとても大切たいせつ所持しょじしてります。そして修行しゅぎょうときにはいつもこれ御鏡みかがみまえそなえることにしてるのでございます。
 これなどは、一だんも二だんうえかたから御覧ごらんになれば、やはり一しゅ執着しゅうじゃくわるるかもぞんじませぬが、わたくしどもの境涯きょうがいでは、どうしてもまだうした執着しゅうじゃくからははなれないのでございます。

十二、愛馬との再会


 岩屋いわや修行中しゅぎょうちゅうに、モーひとつちょっと面白おもしろはなしがございますから、ついでに申上もうしあげることにいたしましょう。それはわたくしが、こちらで自分じぶん愛馬あいば再会さいかいしたおはなしでございます。
 まえにもおはないたしましたが、わたくし三浦家みうらけ嫁入よめいりしてからはじめて馬術ばじゅつ稽古けいこをいたしました。最初さいしょうまるのがなにやら薄気味うすきみわるいようにおもわれましたが、ってりますうちにだんだんと乗馬じょうばきになったとうよりも、むしうま可愛かわいくなってたのでございます。らしたうまというものは、それはモー不思議ふしぎなほど可愛かわいくなるもので、ことによると経験けいけんのないおかたには、その真実ほんとうあじわいはおわかりにならぬかもれません。
 わたくし愛馬あいばもうしますのは、良人おっとがいろいろとさがしたうえに、最後さいごに、これならば、と見立みたててくれたほどのことがございまして、それはそれはさしい、美事みごと牡馬めうまでございました。背材せたけはそうたかくはございませぬが、総体そうたい地色ぢいろしろで、それに所々ところどころくろ斑点まだらまじったうつくしい毛並けなみ今更いまさら自慢じまんするではございませぬが、まった素晴すばらしいもので、わたくしがそれにって外出そとでをしたときには、道行みちゆものあしめて感心かんしんして見惚みとれるくらいでございました。ナニ乗者のりて見惚みとれたのではないかとっしゃるか……。御冗談ごじょうだんばかり、そんな酔狂すいきょうものただ一人ひとりだってございません。わたくしうま見惚みとれたのでございます……。
 そうそうこのうま命名めいめいにつきましては、良人おっとわたくしとのあいだに、なかなかの悶着もんちゃくがございました。わたくしさしい名前なまえがよいとおもいまして、さんざんかんがいたすえにやっと『鈴懸すずかけ』というおもいついたのでございます。すると良人おっとわたくし意見いけんちがいまして、それはあま面白おもしろくない、是非ぜひ若月わかつき』にせよとって、なんもうしてもれないのです。わたくし内心ないしん不服ふふくでたまりませんでしたが、もともと良人おっと見立みたててくれたうまではあるし、とうとう『若月わかつき』とぶことになってしまいました。『今度こんどわたくしけてきます。しかしこのぎにうまはいったときはそれは是非ぜひ鈴懸すずかけばせていただきます……。』わたくしはそんなことを良人おっともうしたのをおぼえてります。しかしそれからもなく、あの北條ほうじょうとの戦闘いくさおこったので、わたくしのぞみはとうとうげられずにおわりました。
 とにかく名前なまえにつきては最初さいしょんないきさつがありましたものの、わたくし若月わかつききできでたまらないのでした。うまほうでもまたわたくしによく馴染なじんで、わたくし姿すがたえようものなら、さもうれしいとった表情ひょうじょうをして、あのおおきなからだをすりけてるのでした。
 落城後らくじょうごわたくしがあちこち流浪るろうをしたときにも、若月わかつきはいつもわたくし附添つきそって、散々さんざん苦労くろうをしてくれました。で、わたくし臨終りんじゅうちかづきましたときには、わたくし若月わかつき庭前にわさきんでもらって、この訣別わかれげました。『おまえにもいろいろ世話せわになりました……。』こころなかでそうおもっただけでしたが、それはかならずうまにもつうじたことであろうとかんがえられます。これほど可愛かわいがったせいでもございましょう、わたくし岩屋いわや内部なか精神統一せいしんとういつ修行しゅぎょうをしているときに、あるときおもいもらず、若月わかつき姿すがたわたくしにはっきりとうつったのでございます。
ことによると若月わかつきんだのかもれぬ……。』
 そうかんじましたので、おじいさまにおたずねしてますと、はたしてこちらの世界せかい引越ひきこしてるとのことに、わたくし是非ぜひむかし愛馬あいばってたくてたまらなくなりました。
はなは勝手かってなおねがいながら、一若月わかつきもとれてってくださるわけにはまいりますまいか……。』
『それはいとやすいことじゃ。』とれいとおりおじいさまは親切しんせつこたへてくださいました。『うまほうでもひどくそなたをしたっているから一ってくがよい。これから一しょれてってあげげる……。』
 幽界ゆうかいでは、何所どこをドーとうってくのか、途中とちゅうのことはほとんどわかりませぬ。そこが幽界ゆうかいたび現世げんせたびとのたいした相違点そういてんでございますが、かく私達わたくしたちは、またた途中とちゅうとおけて、ひとつのうま世界せかいへまいりました。そこには見渡みわたかぎうまばかりで、ほか動物いきものひとつもりません。しかし不思議ふしぎなことには、どのうまもどのうまみなたくましい駿馬しゅんめばかりで、毛並けなみみのもじゃもじゃした、イヤにあしばかりふと駄馬だばなどは何処どこにもかけないのでした。
わたくし若月わかつきここるのかしら……。』
 そうおもながら、不図ふとむかうの野原のはらながめますと、一とう白馬はくばむれれをはなれて、ぶがごとくに私達わたくしたちほうってまいりました。それはいうまでもなく、わたくしなつかかしい、愛馬あいばでございました。
『まァ若月わかつき……おまえ、よくてくれた……。』
 わたくしこころからうれしく、しきりに自分じぶんにまつわり愛馬あいばはなを、いつまでもいつまでもかるでてやりました。そのとき若月わかつきのうれしげな面持おももち……わたくしおぼえずなみだぐんでしまったのでございました。
 しばらくうまと一しょあそんで、わたくしたいへんかる気持きもちになってもどってましたが、そのってにもなれませんでした。人間にんげん動物どうぶつとのあいだ愛情あいじょうにはいくらかあっさりしたところがあるものとえます……。

十三、母の臨終


 岩屋いわや修行中しゅぎょうちゅうだれかの臨終りんじゅう出会であったことがあるか、とのおたずねでございますか。――それは何度なんど何度なんどもあります。わたくしちちも、ははも、それからわたくし手元てもとめし使つかっていた、忠実ちゅうじつ一人ひとり老僕ろうぼくなども、わたくし岩屋いわやとき前後ぜんごして歿ぼっしまして、その都度つどわたくしはこちらから、見舞みまいまいったのでございます。いずれあなたとしては、幽界ゆうかいから臨終りんじゅう光景ありさまりたいとッしゃるのでございましょう。よろしうございます。では、標本みほんのつもりで、わたくしはは歿なくなったおり模様もようを、ありのままにおはないたしましょう。わざわざしらべるのが目的もくてきで、った仕事しごとではないのですから、むろんいろいろ見落みおとしはございましょう。そのてん充分じゅうぶんふくみをねがってきます。機会きかいがありましたら、だれかの臨終りんじゅう実況じっきょうしらべに出掛でかてもよろしうございます。ここに申上もうしあげるのはホンの当時とうじわたくしたままかんじたままのおはなしでございます。
 それはわたくし歿なくなってから、うよほどったとき……かれこれ二十ねんちかくもぎたときでございましょうか、あるわたくしれいとお御神前ごしんぜん修行しゅぎょうしてりますと、突然とつぜんはは危篤きとく報知しらせむねかんじてまいったのでございます。うした場合ばあいにはかならず何等なんらかの方法ほうほう報知しらせがありますもので、それはぬるひと思念おもいつたわる場合ばあいもあれば、また神様かみさまからとくらせていただ場合ばあいもあります。そのほかにもまだいろいろありましょう。はは臨終りんじゅうさいには、わたくし自力じりきでそれをったのでございました。
 わたくしはびっくりして早速さっそく鎌倉かまくらの、あのなつかしい実家さとへとんできましたが、モーそのときはよくよく臨終りんじゅうせまってりまして、はは霊魂たましいはその肉体にくたいから半分はんぶんたり、はいったりしている最中さいちゅうでございました。人間にんげんには、ひと臨終りんじゅうというものは、ただ衰弱すいじゃくしたひとつの肉体にくたいおこる、あの悲惨ひさん光景ありさましかうつりませぬが、わたくしにはそのほかにまだいろいろの光景ありさまえるのでございます。就中なかんづくばん目立めだつのは肉体にくたいほか霊魂たましい――つまりあなたがたっしゃる幽体ゆうたいえますことで……。
 御承知ごしょうちでもございましょうが、人間にんげん霊魂たましいというものは、全然ぜんぜん肉体にくたいおなじような形態かたちをして肉体にくたいからはなれるのでございます。それはしろっぽい、幾分いくぶんふわふわしたもので、そして普通ふつう裸体はだかでございます。それが肉体にくたい真上まうえ空中くうちゅうに、おな姿勢しせい横臥おうがしている光景ありさまは、けっしてあまりよいものではございませぬ。そのころわたくしは、もう幾度いくたび経験けいけんがありますので、さほどにもおもいませんでしたが、はじめて人間にんげん臨終りんじゅう出会であっときは、なんとまァ変怪へんなものかしらんとおどろいてしまいました。
 ひとつおかしいのは肉体にくたい幽体ゆうたいとのあいだひもがついてることで、一ばんふといのがはらはらとをつなしろひもで、それは丁度ちょうど小指位こゆびぐらいふとさでございます。頭部あたまほうにもモー一ぽんえますが、それは通例つうれいまえのよりもよほどほそいようで……。無論むろんうしてひもつながれているのは、まだ絶息ぜっそくらないときで、最後さいごひもれたときが、それがいよいよそのひとんだときでございます。
 まえもうすとおり、わたくしはは枕辺まくらべまいりましたのは、そのひもれるすこまえでございました。はははそのころモー七十ぐらいわたくし最後さいごにおにかかったときとは大変たいへん相違そういで、かげもなく、いさらぼいてりました。わたくしはすぐ耳元みみもとちかづいて、『わたくしでございます……』ともうしましたが、人間同志にんげんどうしで、枕元まくらもとびかわすのとはちがい、なにやらそこに一重ひとえへだてがあるようで、はたしてこちらの意思おもい病床びょうしょうははつうじたかうかと不安ふあんかんじられました。――もっともこれは地上ちじょうははいて申上もうしあげることで、肉体にくたいててしまってからのはは霊魂たましいとは、むろん自由自在じゆうじざいつうじたのでございます。はは帰幽後きゆうごもなく意識いしきりもどし、わたくしとは幾度いくたび幾度いくたびって、いろいろかた物語ものがたりふけりました。ははは、ぬるまえに、ちちわたくしゆめたとってりましたが、もちろんそれはただのゆめではないのです。つまり私達わたくしたち意思おもいゆめ形式かたちで、病床びょうしょうははつうじたものでございましょう……。
 それはかく、あのときわたくしはは断末魔だんまつま苦悶くもんさまるに見兼みかねて、一しょう懸命けんめいははからだでてやったのをおぼえています。これはただなぐさめの言葉ことばよりも幾分いくぶんかききめがあったようで、はははそれからめっきりとらくになって、もなく気息いききとったのでございました。すべて何事なにごと赤心まごころをこめて一しんにやれば、かならずそれだけことはあるもののようでございます。
 はは臨終りんじゅう光景ありさまについて、モーひとのこしてならないのは、わたくしに、現世げんせ人達ひとたち同時どうじに、こちらの世界せかい見舞者みまいて姿すがたうつったことでございます。はは枕辺まくらべには人間にんげんやくにんあまり、いずれもきはらして、ながわかれをおしんでいましたが、それ人達ひとたちなかわたくし生前せいぜんぞんじてりましたのはたった二人ふたりほどで、見覚みおぼえのない人達ひとたちばかりでした。それからこちらの世界せかいからの見舞者みまいては、だい一が、ははよりもきへ歿なくなったちち、つづいて祖父じじ祖母ばば肉身にくしん親類しんるい縁者えんじゃしたしいお友達ともだち、それからはは守護霊しゅごれい司配霊しはいれい産土うぶすな御神使おつかい、……一々かぞえたらよほどのすうのぼったでございましょう。かく現世げんせ見舞者みまいてよりはずっとにぎやかでございました。だい一、双方そうほう気分きぶんがすっかりちがいます。一ほう自分達じぶんたち仲間なかまからしたしいひとうしなうのでございますから、しずってりますのに、他方たほう自分達じぶんたち仲間なかましたしきひと一人ひとりむかえるのでございますから、むしいさんでいるような、陽気ようき面持おももちをしているのでございます。こんなことは、わたくし現世生活中げんせせいかつちゅうにはまったおもいもらぬ事柄ことがらでございまして……。
 にもづいたてんがまだないではありませぬが、へた言葉ことばでとてもつくせぬようにおもわれますので、はは臨終りんじゅう物語ものがたりは、ずこれくらいにしてきましょう。

十四、守護霊との対面


 だい修行中しゅぎょうちゅう経験けいけんした、おもなる事柄ことがらにつきては、以上いじょう大体だいたい申上もうしあげたつもりでございますが、ただもうひとつここで是非ぜひともえてかねばならないとおもいますのはわたくし守護霊しゅごれいことでございます。だれにも一人ひとり守護霊しゅごれいいてることは、心霊しんれいこころざ方々かたがた御承知ごしょうちとおりでございますが、わたくしにも勿論もちろん一人ひとり守護霊しゅごれいいてり、そしてその守護霊しゅごれいとの関係かんけいはただ現世げんせのみにかぎらず、肉体にくたい死後しごきつづいて[#「引きつづいて」は底本では「引きついゞて」]ってもれぬ因縁いんねんきずなむすばれてるのでございます。もっとも、そうした事柄ことがらがはっきりわかりましたのはよほどのちことで、帰幽当時きゆうとうじわたくしなどは、自分じぶん守護霊しゅごれいなどともうすものがるか、いかさえも全然ぜんぜんらなかったのでございます。で、わたくしがこちらの世界せかいはじめて自分じぶん守護霊しゅごれいにおにかかったときは、すくなからず意外いがいかんじまして、したがってそのとき印象いんしよういまでもはっきりと頭脳あたまきざまれてります。
 あるわたくし御神前ごしんぜんで、いつもとおふか精神統一せいしんとういつ状態じょうたいはいってときでございます、意外いがいにも一人ひとり小柄こがら女性じょせいがすぐまえあらわれ、いかにもさしく、わたくしてにっこりと微笑ほほえまれるのです。打見うちみところ年齢とし二十歳余はたちあまり、かお丸顔まるがおほうで、緻致きりょうはさしてよいともわれませぬが、何所どことなく品位ひんいそなわり、ゆきなす富士額ふしびたいにくっきりとまゆずみえがかれてります。服装ふくそうわたくし時代じだいよりはややふるく、ふとひもでかがった、広袖ひろそで白衣びゃくいまとい、そしてしたはかま穿いてるところは、ても御所ごしよ宮仕みやづかえしてかたのようにうかがわれました。
 意外いがいなのは、このときはじめておかかったばかりの、全然ぜんぜん未知みちのおかたなのにもかかわらず、わたくしむねなんともいえぬしたしみのねんがむくむくといてたことで……。それにその表情ひょうじょうものごしがいかにも不思議ふしぎ……先方せんぽう丸顔まるがおわたくし細面ほそおもて先方せんぽう小柄こがらわたくし大柄おおがら外形がいけいはさまで共通きょうつう個所かしょがないにもかかわらず、何所どこともれず二人ふたりあいだ大変たいへんたところがあるのです。つまりは外面うわべはあまりないくせに、そこほうでよくるとった、よほど不思議ふしぎ似方にかたなのでございます。
『あの、どなたさまでございますか……。』
 ようやこころおちつけてわたくしほうからたずねました。すると先方せんぽう不相変あいかわらずにこやかに――
『あなたはなにらずにられたでしょうが、じつ自分じぶんはあなたの守護霊しゅごれい……あなたの一身上いっしんじょう事柄ことがらなにぞんじてるものなのです。時節じせつめに、これまでかげひかえてましたが、これからは何事なにごとはなし相手あいてになってげます。』
 わたくしうれしいやら、こいしいやら、また不思議ふしぎやら、なになにやらよくはわからぬ複雑ふくざつ感情かんじょうでそのときはじめて自分じぶんたましいおやまえ自身じしんしたのでした。それは丁度ちょうどおさなときからわかわかれになっていたははが、不図ふとどこかでめぐりった場合ばあい似通にかよったところがあるかもれませぬ。いずれにしてもこの一わたくしにとりてまことに意外いがいな、またまことに意義いぎのあるとうと経験けいけんでございました。
 はげしい昂奮こうふんからめたわたくしは、もちろんわたくし守護霊しゅごれいむかっていろいろと質問しつもんはなち、それでもちぬ個所ところがあれば、指導役しどうやくのお爺様じいさまにも根掘ねほ葉掘はほ[#ルビの「と」は底本では「か」]いつめました。おかげわたくし守護霊しゅごれい素性すじょうはもとより、人間にんげん守護霊しゅごれい関係かんけい、そのきて大凡おおよそことようや会得えとく[#ルビの「えとく」は底本では「えと」]されるようになりました。――あの、それをのこらずここ物語ものがたれとっしゃるか……よろしうございます。なに[#ルビの「なに」は底本では「なこ」]御道おみちめとあれば、わたくしぞんじてかぎりは逐一ちくいち申上もうしあげてしまいましょう。はなしすこかとうございまして、なにやら青表紙臭あおびょうしくさくなるかもぞんじませぬが、それは何卒なにとぞ大目おおめ見逃みのががしていただきます。またわたくし申上もうしあげることにどんな誤謬あやまちがあるかもはかりかねますので、そこはくれぐれもただ一つの参考さんこうにとどめていただきたいのでございます。わたくしはただ神様かみさまやら守護霊様しゅごれいさまからきかされたところをお取次とりつぎするのですから、これが誤謬あやまりのないものだとはけっしてるつもりはございませぬ……。

十五、生みの親魂の親


 なるるべくはなし筋道すじみちとおるよう、これからすべてを一とまとめにして、わたくしなが年月としつきあいだにやっとまとめげた、守護霊しゅごれいかんするおはなし順序じゅんじょよく申上もうしあげてたいとぞんじます。それにつきては、すこおくほうまでさかのぼって、神様かみさま人間にんげんとの関係かんけいから申上もうしあげねばなりませぬ。
 むかしことわざに『ひともとづき、かみもとづく』とやらもうしてりますが、わたくしはこちらの世界せかいて、そのことわざただしいことにづいたのでございます。かみもうしますのは、人間にんげんがまだ地上ちじょううまれなかった時代じだいからのもと生神いきがみ、つまりあなたがたっしゃる『自我じが本体ほんたいまた高級こうきゅうの『自然霊しぜんれい』なのでございます。おそおおくはございますが、我国わがくに御守護神ごしゅごしんであらせられる邇々藝命様ににぎのみことさまはじたてまつり、邇々藝命様ににぎのみことさましたがって降臨こうりんされた天児屋根命あまのこやねのみこと天太玉命あまのふとだまのみことなどともう方々かたがたも、いずれもみなそうした生神様いきがみさまで、いまむかしおなじく神界しんかいにおはたらあそばしておでになられます。その本来ほんらいのお姿すがたしろひかったたまかたちでございますが、ほど真剣しんけん気持きもちふか統一状態とういつじょうたいはいらなければ、わたくしどもにもそのお姿すがたはいすることはできませぬ。まして人間にんげん肉眼にくがんなどにうつづかいはございませぬ。もっともこのたまかたちは、じっとおしずまりあそばしたとき本来ほんらいのお姿すがたでございまして、一たんおはたらきかけあそばしました瞬間しゅんかんには、それぞれことなった、[#ルビの「よ」は底本では「せ」]にも神々こうごうしい御姿おすがたにおかわあそばします。さらまたなにかの場合ばあい神々かみがみがはげしい御力おちから発揮はっきされる場合ばあいには荘厳そうごんおうか、雄大ゆうだいもうそうか、とても筆紙ひっしつくされぬ、あのおそろしい竜姿りゅうしをおあらわしになられます。一つの姿すがたから姿すがたうつかわることのはやさは、到底とうていつくけの肉体にくたいつつまれた、地上ちじょう人間にんげん想像そうぞうかぎりではございませぬ。
 無論むろんこれもと生神様いきがみさまからは、沢山たくさん御分霊ごぶんれい……つまり御子様おこさまがおうまれになり、その御分霊ごぶんれいからさらまた御分霊ごぶんれいうまれ、神界しんかいから霊界れいかい霊界れいかいから幽界ゆうかいへと順々じゅんじゅん階段かいだんがついてります。つまりすべてにわたりて連絡れんらくはとれてながら、しかしそのお受持うけもちがそれぞれちがうのでございます。こちらの世界せかいをたった一つの、無差別むさべつ世界せかいかんがえることは大変たいへん間違まちがいで、たとえば邇々藝命様ににぎのみことさまかれましても、一ばんおく神界しんかいてお指図さしずあそばされるだけで、その御命令ごめいれいはそれぞれの世界せかい代表者だいひょうしゃ、つまりその御分霊ごぶんれい神々かみがみつたわるのでございます。おこがましい申分もうしぶんかはぞんじませぬが、そのてん御理解ごりかい充分じゅうぶんでないと、地上ちじょう人類じんるい発生はっせいした径路いきさつがよくおわかりにならぬとぞんじます。稀薄きはくで、清浄せいじょうで、ほとんどるかきかの、ひかり凝塊かたまり申上もうしあげてよいようなお形態からだをおあそばされたたか神様かみさまが、一そくびににぶ物質ぶっしつ世界せかいへ、その御分霊ごぶんれいけることは到底とうていできませぬ。神界しんかいから霊界れいかい霊界れいかいから幽界ゆうかいへと、だんだんにそのお形態からだ物質ぶっしつちかづけてあったればこそ、ここにはじめて地上ちじょう人類じんるい発生はっせいすべき段取だんどりすすたのであるともうすことでございます。そんな面倒めんどう手続てつづきんであってさえも、ゆうからけんに、肉体にくたいのないものから肉体にくたいのあるものに、うつかわるには、じつ容易よういならざる御苦心ごくしんと、またほとんどかぞえることのできない歳月としつきけみしたということでございます。一ばんこまるのは物質ぶっしつというものの兎角とかくくずやすいことで、いろいろ工夫くふうしてつくってても、みな半途はんとながれてしまい、立派りっぱたましい宿やどになるような、完全かんぜん人体じんたい容易ようい出来上できあがらなかったそうでございます。その順序じゅんじょ方法ほうほうまた発生はっせい年代等ねんだいとうきても、程度ていどまで神様かみさまからうかがってりますが、只今ただいまそれを申上もうしあげているいとまはございませぬ。いずれあらためてべつ機会きかい申上もうしあげることにいたしましょう。
 かく現在げんざい人間にんげんもうすものが、最初さいしょかみ御分霊ごぶんれいけて地上ちじょううまれたものであることはたしかでございます。もっとくわしくいうと、男女なんによ両柱ふたはしら神々かみがみがそれぞれ御分霊ごぶんれいし、その二つが結合けつごうして、ここに一つの独立どくりつした身魂みたまつくられたのでございます。そのさいうして男性だんせい女性じょせい区別くべつ[#ルビの「くべつ」は底本では「へべつ」]しょうずるかともうすことは、にも重大じゅうだいなる神界しんかい秘事ひじでございますが、ようするにそれは男女なんによいずれかが身魂みたま中枢ちゅうすう受持うけもつかできまることだそうで、よくをつけて、天地てんちの二しん誓約うけいくだりしめされた、古典こてん記録きろく御覧ごらんになれば大体だいたい要領ようりょうはつかめるとのことでございます。
 さて最初さいしょ地上ちじょううまでた一人ひとり幼児おさなご――無論むろんそれはちからよわく、智慧ちえもとぼしく、そのままで無事ぶじ生長せいちょうはずはございませぬ。だれかがそばから世話せわをしてくれなければとても三とはきてられるはずはございませぬ。そのお世話掛せわがかりがつまり守護霊しゅごれいもうすもので、かげから幼児おさなご保護ほごあたるのでございます。もちろん最初さいしょ父母ふぼれいことははれい熱心ねっしんなお手伝てつだいもありますが、だんだん生長せいちょうするとともに、ますます守護霊しゅごれいはたらきがくわわり、最後しまいには父母ふぼからはなれて立派りっぱに一ぽんちのとなってしまいます。ですからうまれた子供こども性質せいしつ容貌ようぼうは、程度ていど両親りょうしんると同時どうじに、また大変たいへん守護霊しゅごれい感化かんかけ、ときとすればほとんど守護霊しゅごれい再来さいらいもうしても差支さしつかえないくらいのものもすくなくないのでございます。古事記こじき神代しんだいまきに、豐玉姫とよたまひめからおうまれになられたお子様こさまを、いもうと玉依姫たまよりひめ養育よういくされたとあるのは、つまりそうった秘事ひじ暗示あんじされたものだとうけたまはります。
 もうすまでもなく子供こども守護霊しゅごれいになられるものは、その子供こども肉親にくしんふか因縁いんねんかた……つまり同一系統どういつけいとうかたでございまして、男子だんしには男性だんせい守護霊しゅごれい女子じょしには女性じょせい守護霊しゅごれいくのでございます。人類じんるい地上ちじょう発生はっせいした当初とうしょは、もっぱ自然霊しぜんれい守護霊しゅごれい役目やくめけたともうすことでございますが、時代じだいぎて、次第しだい人霊じんれいかずくわわるとともに、守護霊しゅごれいはそれなかからえらばれるようになりました。むろん例外れいがいはありましょうが、現在げんざいでは数百年前すうひゃくねんぜん乃至ないしねん二千ねんぜん帰幽きゆうした人霊じんれいが、守護霊しゅごれいとしておもはたらいているように見受みうけられます。わたくしなどは帰幽後きゆうご四百年余ねんあまりで、さしてあたらしいほうでも、またさしてふるほうでもございませぬ。
 こんな複雑こみいった事柄ことがらを、わたくしつたな言葉ことばでできるだけ簡単かんたんにかいつまんで申上もうしあげましたので、さぞおわかりにくいことであろうかと恐縮きょうしゅくして次第しだいでございますが、わたくしの言葉ことばりないところは、何卒なにとぞあなたがたほうでよきようにおさっしくださるようおねがいたします。

十六、守護霊との問答


 岩屋いわや修行中しゅぎょうちゅうわたくし自分じぶん守護霊しゅごれいはじめてったおはなし申上もうしあげたばかりに、ツイんな長談議ながだんぎいたしてしまいました。んなつたなはなし幾分いくぶんたりともあなたがた御参考ごさんこうになればこのうえもなき僥倖しあわせでございます。
 ついでに、そのさいわたくしわたくし守護霊しゅごれいとのあいだおこなわれた問答もんどうの一を一おうはないたしてきましょう。格別かくべつ面白おもしろくもございませぬが、わたくしにとりましてはこれでもわすがたおも種子たねなのでございます。
問『あなたがわたくし守護霊しゅごれいであるとっしゃるなら、何故なぜもっとはやくおましにならなかったのでございますか? 今迄いままでわたくしはお爺様じいさまばかりをつえともはしらともたよりにして、心細こころぼそおくってりましたが、しもあなたのようなさしい御方おかた最初さいしょからお世話せわをしてくださったら、どんなにか心強こころづよいことであったでございましたろう……。』
答『それは一おうもっともなる怨言うらみごとであれど、神界しんかいには神界しんかいおきてというものがあるのです。あのお爺様じいさまむかしから産土神うぶすなのお神使つかいとして、あらたに帰幽きゆうしたもの取扱とりあつかうことにかけてはこのうえもなくお上手じょうずで、とてもわたくしなどの足元あしもとにもおよぶことではありませぬ。わたくしなどは修行しゅぎょう未熟みじゅく、それに人情味にんじょうみったようなものが、まだまだたいへんに強過つよすぎて、おもってきびしいしつけほどこ勇気ゆうきのないのがなによりの欠点けってんなのです。あなたの帰幽きゆう当時とうじの、あのはげしい狂乱きょうらん執着しゅうじゃく……とてもわたくしなどのえたものではありませぬ。うっかりしたら、お守役もりやくわたくしまでが、あの昂奮こうふんうずなかまれて、いたずらにいたり、うらんだりすることになったかもれませぬ。かたがたわたくしとしてはわざとさしひかえてかげから見守みまもってだけにとどめました。結局けっきょくそうしたほうがあなたのめになったのです……。』
問『ではいままでただお姿すがたせないというだけで、あなたさまわたくし狂乱きょうらん状態じょうたいかげからすっかり御覧ごらんになってはられましたので……。』
答『それはもちろんのことでございます。あなたの一身上いっしんじょう事柄ことがらは、現世げんせったときのことも、またこちらの世界せかいうつってからのことも、一切いっさいいてります。それが守護霊しゅごれいというものの役目やくめで、あなたの生活せいかつ同時どうじまた大体だいたいわたくし生活せいかつでもあったのです。わたくし修行しゅぎょう未熟みじゅくなばかりに、随分ずいぶんあなたにも苦労くろうをさせました……。』
問『まあ勿体もったいないお言葉ことば、そんなにおおせられますとわたくしあなへもはいりたいおもいがいたします……。それにしてもあなたさまなんっしゃる御方おかたで、そしていつごろ時代じだい現世げんせにおうまあそばされましたか……。』
答『あらためて名告なのるほどのものではないのですが、うしたふか因縁いんねんきずなむすばれているうえからは、とお自分じぶん素性すじょう申上もうしあげてくことにいたしましょう。わたくしはもときょううまれ、ちち粟屋左兵衞あわやさひょうえもうして禁裡きんりつかえたものでございます。わたくし佐和子さわこ、二十五さい現世げんせりました。わたくし地上ちじょうったころ朝廷ちょうていみなみきたとのふたつにわかれ、一ぽうには新田にった楠木くすのきなどがひかえ、他方たほうには足利あしかがその東国とうごく武士ぶしどもがしたがい、ほとんど連日れんじつ戦闘たたかいのないとてもない有様ありさまでした……。わたくしちち旗色はたいろわる南朝方なんちょうがたのもので、したがってわたくしどもは生前せいぜん随分ずいぶん数々かずかず苦労くろう辛酸しんさんめました……。』
問『まあそれはおどくなおうえ……わたくしきくらべて、こころからおさっいたします……。それにしても二十五さい歿なくなられたとのことでございますが、それまでずっとお独身ひとりみで……。』
答『独身ひとりみりましたが、それにはふか理由わけがあるのです……。じつは……今更いまさら物語ものがたるのもつらいのですが、わたくしにはおさなときから許嫁いいなつけひとがありました。そしてちかうち黄道吉日こうどうきちにちえらんで、婚礼こんれいしきげようとしていたさいに、不図ふとおこりましたのがあの戦乱せんらんもなく良人おっととなるべきひと戦場せんじょうつゆえ、わたくしわかたのしいゆめ無残むざんにも一ちょうにしてらされてしまいました……。それからのわたくしはただ一たましいけたきたむくろ……丁度ちょうどむしばまれたはなつぼみのしぼむように、次第しだい元気げんきうしなって、二十五のはるに、さびしくポタリと地面じべたちてしまったのです。あなたの生涯しょうがい随分ずいぶんつらい一しょうではありましたが、それでもわたくしのにくらぶれば、まだはるかにはなもあって、どれだけ幸福しあわせだったかれませぬ。うえればかぎりもないが、したればまだ際限さいげんもないのです。何事なにごとみなふかふか因縁いんねん結果けっかとあきらめて、おたがい無益むやく愚痴ぐぢ[#ルビの「ぐぢ」はママ]などはこぼさぬことにいたしましょう。お爺様じいさま御指導ごしどうのおかげ近頃ちかごろのあなたはよほど立派りっぱにはなりましたが、まだまだあきらめがりないようにおもいます。これからはわたくしもちょいちょいまわりにまいり、ともども向上こうじょうはかりましょう……。』
 その問答もんどう大体だいたいんなところでおわりましたが、うした一人ひとりのやさしい指導者しどうしゃつかったことは、わたくしにとりて、どれだけ心強こころづよさであったかれませぬ。そのわたくし守護霊しゅごれい約束やくそくのとおり、しばしばわたくしもとおとずれて、いろいろと有難ありがた援助たすけあたえてくださいました。わたくしこころからわたくしのやさしい守護霊しゅごれい感謝かんしゃしてるものでございます。

十七、第二の修行場


 わたくし最初さいしょ修行場しゅぎょうば――岩屋いわやなかでの物語ものがたりずこのへんでくぎりをつけまして、これからだい二のやま修行場しゅぎょうばほううつることにいたしましょう。修行場しゅぎょうば変更へんこうなどともうしますと、現世式げんせしきかんがえれば、随分ずいぶん億劫おつくうな、なにやらどさくさした、うるさい仕事しごとのようにおもわれましょうが、こちらの世界せかい引越ひきこしは至極しごくあっさりしたものでございます。それは場所ばしょ変更へんこうもうすよりは、むしろ境涯きょうがい変更へんこうまた気分きぶん変更へんこうもうすものかもれませぬ。げんにあの岩屋いわやにしても、最初さいしょなにやら薄暗うすぐら陰鬱いんうつところのようにかんぜられましたが、それがいつとはなしにだんだんあかるくなって、最後しまいには全然ぜんぜん普通ふつうあかるさ、すこしもあな内部なかというかんじがしなくなり、それにれて私自身わたくしじしん気持きもちもずっとれやかになり、戸外そと出掛でかけて漫歩そぞろあるきでもしてたいというようなふうになりました。たしかにこちらでは気分きぶん境涯きょうがいとがぴッたり一致しているもののようにかんぜられます。
 あるわたくしがいつになく統一とういつ修行しゅぎょうきて、岩屋いわや入口いりぐちまでなんとはなしにあゆときのことでございました。ひょっくりそこへあらわれたのがれい指導役しどうやくのおじいさんでした。――
『そなたは戸外そとたがっているようじゃナ。』
 図星ずぼしをさされてわたくしすこしきまりがわるかんじました。
『おじいさま、ういうものか今日けふ落付おちつかないでこまるのでございます……。わたくしはどこかへあそびに出掛でかけたくなりました。』
あそびにたいときにはればよいのじゃ。わしがよい場所ばしょ案内あんないしてあげる……。』
 おじいさんまでが今日けふはいつもよりも晴々はればれしい面持おももちさそ[#ルビの「さそ」は底本では「さを」]ってくださいますので、わたくしたいへんうれしい気分きぶんになって、おじいさんのあとについて出掛でかけました。
 岩屋いわやからすこまいりますと、モーそこはすぐ爪先上つまさきあがりになって、みぎひだりも、すぎまつや、その常盤木ときわぎのしんしんとしげった、相当そうとうけわしいやまでございます。あの、現界げんかい景色けしき同一どういつかとおつッしゃるか……左様さようでございます。格別かくべつちがってもりませぬが、ただ現界げんかいやまよりはなにやら奥深おくぶかく、かみさびて、ものすごくはないかとかんじられるくらいのものでございます。私達わたくしたち辿たど小路こみちのすぐした薄暗うすぐら谿谷たにになってて、樹叢しげみなかをくぐる水音みずおとが、かすかにさらさらとひびいていましたが、せいか、その水音みずおとまでがなんとなくしずんできこえました。
『モーすこったところたいへんにやま修行場しゅぎょうばがある。』とおじいさんは道々みちみちわたくしはな[#ルビの「はな」は底本では「はなし」]しかけます。
多分たぶんそちのるであろうとおもうが、かくも一おう現場げんじょうってるとしようか……。』
何卒どうぞねがいたします……。』
 わたくしはただちょっと見物けんぶつするくらいのつもりでかる御返答ごへんじをしたのでした。
 もなく一つのけわしいさかのぼりつめると、其処そこはやや平坦へいたん崖地がけちになっていました。そして四辺あたりにはとてもえだぶりのよい、見上みあげるようなすぎ大木たいぼくがぎッしりとならんでりましたが、そのなかの一ばんおおきい老木ろうぼくには注連縄しめなわってあり、そしてそのかたわら白木造しらきづくりの、ちいさい建物たてもの[#ルビの「たてもの」は底本では「てもの」]がありました。四方しほう板囲いたがこいにして、わずかに正面しょうめん入口いりぐちのみをのこし、内部なかは三つぼばかりの板敷いたじき屋根やね丸味まるみのついたこけらき、どこにも装飾そうしょくらしいものはないのですが、ただすべてがいかにもかむさびて、屋根やねにも、はしらにも、ふるこけあつしてり、それがちりひとつなき、あくまできよらかな環境かんきょうとしっくりってりますので、じつなんともいえぬ落付おちつきがありました。わたくしおぼえずさけびました。
『まァなんという結構けっこうところでございましょう! わたくし、こんなところでくらしとうございます……。』
 するとおじいさんは満足まんぞくらしい微笑びしょう老顔ろうがんたたへて、おもむろにわれました。――
じつはここがそちの修行場しゅぎょうばなのじゃ。モーべつした岩屋いわやかえるにもおよばぬ。早速さっそく内部なかはいってるがよい。なにも一さいそろえてあるから……。』
 わたくし[#ルビの「わたくし」は底本では「たわたくし」]はうれしくもあれば、また意外いがいでもあり、わるるままにいそいで建物たてもの内部なかはいってますと、中央ちゅうおう正面しょうめん白木しらきつくえうえにははたして日頃ひごろ信仰しんこう目標まとである、れい御神鏡みかがみがいつのにかえられてり、そしてそのわきには、わたくしはは形見かたみの、あのなつかしい懐剣かいけんまでもきちんとせられてありました。
 わたくしはわれをわすれて御神前ごしんぜん拝跪はいきしてこころから感謝かんしゃ言葉ことばべたことでございました。
 大体だいたいこれが岩屋いわや修行場しゅぎょうばからやま修行場しゅぎょうば引越ひきこしたとき実況じっきょうでございます。現世げんせかたかられば一ぺん夢物語ゆめものがたりのようにきこえるでございましょうが、そこが現世げんせ幽界ゆうかいとの相違そういなのだからなんとも致方いたしかたがございませぬ。わたくしどもとても、幽界ゆうかいはいったばかりの当座とうざは、なにやらすべてがたよりなく、また飽気あっけなくおもわれて仕方しかたがなかったもので……。しかしだんだんれてると矢張やはりこちらの生活せいかつほう結構けっこうかんじられてました。わず半里はんりか一となりのむらくのにさえ、やれ従者ともだ、輿物のりものだ、御召換おめしがえだ……、半日はんにちもかかって大騒おおさわぎをせねばならぬような、あんな面倒臭めんどうくさ現世げんせ生活せいかつおくりながら、よくも格別かくべつ不平ふへいわずにらせたものである……。わたくしはだんだんそんなふうかんずるようになったのでございます。いずれ、あなたがたにも、そのあじがやがておわかりになるときまいります……。

十八、竜神の話


 やま修行場しゅぎょうばうつってからのわたくしは、なんとはなしに気分きぶんがよほどれやかになったらしいのが自分じぶんにもかんぜられました。おもなる仕事しごと矢張やは御神前ごしんぜん静座せいざして精神統一せいしんとういつをやるのでございますが、ただ合間あいま合間あいまわたくしはよく室外そとて、四辺あたり景色けしきながめたり、とりこえみみをすませたりするようになりました。
 まえにも申上もうしあげたとおり、わたくし修行場しゅぎょうば所在地しょざいちやま中腹ちゅうふく平坦地たいらちで、がけうえってながめますと、立木たちき隙間すきまからずっと遠方えんぽうはいり、なかなかの絶景ぜっけいでございます。どこにも平野へいやらしいところはなく、見渡みわたすかぎりやままたやまたかいのもひくいのも、またいろいのもうすいのも、いろいろありますが、どれもみな樹木じゅもくしげったやまばかり、とがった岩山いわやまなどはただのひとつもえません。それ十重とえ二十重はたえかさなりって絵巻物えまきものをくりひろげているところは、まった素晴すばらしいながめで、ツイうっとりととれて、ときつのもわすれてしまくらいでございます。
 それからまたあちこちの木々きぎしげみのなかに、なんともいえぬうつくしいとりきこえます。それは、むかし鎌倉かまくら奥山おくやまでよくききれた時鳥ほととぎすこえ幾分いくぶんたところもありますが、しかしそれよりはもッとえて、にぎやかで、そして複雑こみいった音色ねいろでございます。ただ一人ひとりはなし相手あいてとてもないわたくしはどれだけこのとりなぐさめられたかれませぬ。どんな種類しゅるいとりかしらと、ときねんめにおじいさんにうかがってましたら、それはこちらの世界せかいでもよほどめずらしいとりで、現界げんかいには全然ぜんぜんんでいないともうすことでございました。もっと音色ねいろうつくしいわり毛並けなみ案外あんがいつまらないとりで、あるとき不図ふとちかくのえだにとまっているところをると、おほきさは鳩位はとぐらい幾分いくぶん現界げんかいたかて、頚部けいぶながえていました。幽界ゆうかいとりでも矢張やはこえ毛並けなみとはそろわぬものかしらと感心かんしんしたことでございました。
 もうひとここ景色けしきなかとくわたくしいたものは、むか[#ルビの「むか」は底本では「む」]って右手みぎてやま中腹ちゅうふくに、青葉おおばがくれにちらちらえるひとつの丹塗にぬりのおみやでございました。それはホンの三じゃくほうくらいちいさいやしろなのですが、見渡みわたかぎりただみどり一色ひといろしかないなかに、そのお宮丈みやだけがくッきりとあかえているのでたいへんに目立めだつのでございます。わたくしこころ次第しだいに、そのおみやにひきつけられるようになりました。
 で、あるじいさんが見舞みまわれたときわたくしたずねました。――
『おじいさま、あそこにたいそううつくしい、丹塗にぬりのおみやえますが、あれはどなたさまをおまつりしてあるのでございますか。』
『あれは竜神様りゅうじんさまのおみやじゃ。これからはわしにばかりたよらず、直接じか竜神様りゅうじんさまにもおたのみするがよい……。』
竜神様りゅうじんさまでございますか?』わたくしたいへん意外いがいかんじまして、
『一たいそれはういう神様かみさまでございますか?』
『そろそろそちも竜神りゅうじんとのふか関係かんけいってかねばなるまい。よほど奥深おくふか事柄ことがらであるから、とても一にはちまいが、そのうちだんだんわかってる……。』
 おじいさんはあたかも寺子屋てらこやのお師匠ししょうさんとった面持おももちで、いろいろ講釈こうしゃくをしてくださいました。おじいさまはんなふうされました。――
竜神りゅうじんというのはくちえばもと活神いきがみ、つまり人間にんげん現世このよあらわれるまえから、こちらの世界せかいはたらいている神々かみがみじゃ。ときとしてりゅう姿すがたあらわすから竜神りゅうじんには相違そういないが、しかしいつもあんなおそろしい姿すがたるのではない。とき場合ばあいでやさしいかみ姿すがたにもなれば、またひとつのまるたまにもなる。げんわしなども竜神りゅうじん一人ひとりであるが、そちの指導役しどうやくとしてあらわれるときは、いつものような、老人ろうじん姿すがたになっている……。ところで、この竜神りゅうじん人間にんげんとの関係かんけいであるが、人間にんげんほうでは、なにらずに、最初さいしょから自分じぶんひとつのちからうまれたもののようにおもってるが、じつ人間にんげん竜神りゅうじん分霊ぶんれい、つまりその子孫しそんなのじゃ。ただ竜神りゅうじんはどこまでもこちらの世界せかいもの人間にんげん世界せかいものであるから、ゆうからけんへのうつりかわりの仕事しごとはまことに困難こんなんで、ながなが歳月としつきようやくのことでモノになったのじゃ。くわしいことはあと追々おいおいはなすとして、かく人間にんげん竜神りゅうじん子孫しそんそちとてももとさかのぼれば、矢張やはりさるとうと竜神様りゅうじんさま御末裔みすえなのじゃ。これからはよくそのことわきまえて、あの竜神様りゅうじんさまのおみやへおまいりせねばならぬ。また機会おり竜宮界りゅうぐうかいへも案内あんないし、乙姫様おとひめさまにお目通めどおりをさしてもあげる。』
 おじいさんのおはなしは、なにやらまわりくどいようで、なかなか当時とうじわたくしねたことはもうすまでもありますまい。ことにおかしかったのが、竜宮界りゅうぐうかいだの、乙姫様おとひめさまだのともうすことで、わたくしおもわずわらしてしまいました。――
『まァ竜宮りゅうぐうなどともうすものが実際じっさいこのにあるのでございますか。――あれは人間にんげん仮構事つくりごとではないでしょうか……。』
けっしてそうではない。』とおじいさんはあくまで真面目まじめに、『人間界にんげんかいつたわる、あの竜宮りゅうぐう物語ものがたり実際じっさいこちらの世界せかいおこった事実じじつが、幾分いくぶん尾鰭おひれをつけて面白おもしろおかしくなっているまでじゃ。そもそも竜宮りゅうぐうもうすのは、あれは神々かみがみのおくつろぎあそばすところ……わば人間界にんげんかい家庭かていごときものじゃ。まえにものべたとおり、こちらの世界せかいつくりつけの現界げんかいとはことなり、場所ばしょも、家屋かおくも、また姿すがたも、みな意思おもいのままにどのようにもかえられる。で、竜宮界りゅうぐうかいのみを竜神りゅうじん世界せかいおもうのはおおきな間違まちがいで、竜神りゅうじんはたら世界せかいは、かぎりもなく存在そんざいするのである。が、しかし神々かみがみにとりてなによりもうれしいのは矢張やはりあの竜宮界りゅうぐうかいである。竜宮界りゅうぐうかいおも乙姫様おとひめさまのお指図さしず出来上できあがった、家庭的かていてき理想境りそうきょうなのじゃ。』
乙姫様おとひめさまッしゃると……。』
『それは竜宮界りゅうぐうかいで一ばんうえ姫神様ひめかみさまで、日本にほんむかし物語ものがたり豐玉姫とよたまひめとあるのがつまりその御方おかたじゃ。神々かみがみのおこのみがあるので、ほかにもさまざまの世界せかいがあちこちに出来できてはいるが、それなかで、なんもうしても一ばんまさっているのは矢張やはりこの竜宮界りゅうぐうかいじゃ。すべてがいかにもきよらかで、優雅ゆうがで、そして華美はでなかなんともいえぬ神々こうごうしいところがある。とてもわしくちつくせるものではない。そちもるべくはや修行しゅぎょうんで、実地じっち竜宮界りゅうぐうかいって、乙姫様おとひめさまにもお目通めとおりをねがうがよい……。』
わたくしのようなものにもそれがかないましょうか……。』
『それは勿論もちろんかなう……イヤかなわねばならぬふか因縁いんねんがある。なにかくそうそちはもともと乙姫様おとひめさま系統すじいているので、そちの竜宮行りゅうぐうゆきわば一しゅ里帰さとがえりのようなものじゃ……。』
 おじいさんのべるところはまだしッくりわたくしむねにはまりませんでしたが、しかしそれがかたならずわたくし好奇心こうきしんをそそったのは事実じじつでございました。それからのわたくしえず竜宮界りゅうぐうかいこと乙姫様おとひめさまことばかりかんがむようになり、わたくし幽界生活ゆうかいせいかつひとつ大切たいせつなる転換期てんかんきとなりました。
 が、わたくし竜宮行りゅうぐうゆきはそれからしばらくぎてからのことでございました。

十九、竜神の祠


 順序じゅんじょとして、これからポツポツ竜宮界りゅうぐうかいのおはなしいたさねばならなくなりましたが、もともとくちつたないわたくしが、わたくしよりももっとくちつたないおんなくち使つかって通信つうしんいたすのでございますから、さぞすべてがつまらなく、一こう多愛たあいのない夢物語ゆめものがたりになってしまいそうで、それがなによりがかりでございます。ともうして、このはなしはぶいてしまえばわたくし幽界生活ゆうかいせいかつ記録きろくおおきなあなくことになって筋道すじみちたなくなるおそれがございます。まあ致方いたしかたがございませぬ、せいぜいをつけて、わたくし実地じっちたまま、かんじたままをそっくり申上もうしあげることにいたしましょう。
 ここでちょっと申添もうしそえてきたいのは、わたくし修行場しゅぎょうば右手みぎてやま半腹はんぷくる、あのちいさい竜神りゅうじんやしろのことでございます。わたくし竜宮行りゅうぐうゆきをするまえに、所中しょっちゅうそのおやしろ参拝さんぱいしたのでございますが、それがつまりわたくしりて竜宮行りゅうぐうゆき準備じゅんびだったのでございました。わたくしはそこで乙姫様おとひめさまからいろいろと有難ありがた教訓おしえやら、お指図さしずやら、またおやさしいなぐさめのお言葉ことばやらをいただきました。おかげわたくし自分じぶんでもがつくほどめきめきと元気げんきてまいりました。『その様子ようすならそちちかうち乙姫様おとひめさまのお目通めどおりができそうじゃ……。』指導役しどうやくのおじいさんもそんなことをってわたくしはげましてくださいました。
 ここでわたくし竜神様りゅうじんさまのおやしろって、いろいろお指図さしずけたなどともうしますと、現世げんせ方々かたがたなかにはなにやら異様いようにおかんがえになられるものがないともかぎりませぬが、それは現世げんせ方々かたがたが、まだ神社じんじゃというものの性質せいしつをよく御存ごぞんじないめかとぞんじます。おみやというものは、あれはただお賽銭さいせんあげげて、拍手かしわでって、かうべげてきさがるめに出来できている飾物かざりものではないようでございます。赤心まごころめて一しょう懸命けんめい祈願きがんをすれば、それがただちに神様かみさま御胸みむねつうじ、同時どうじ神様かみさまからもこれにたいするお応答こたえくだり、ときとすればありありとそのお姿すがたまでもおがませていただけるのでございます……。つまり、すべてはたましいたましい交通こうつうねらったもので、こればかりはじつなんともいえぬほどうま仕組しくみになってるのでございます。わたくしやま修行場しゅぎょうじょうりながら、うやら竜宮界りゅうぐうかい模様もようすこしづつわかりかけたのも、まったくこの難有ありがた神社じんじゃ参拝さんぱいたまものでございました。もちろん地上ちじょう人間にんげん肉体にくたいという厄介やっかいなものにつつまれてりますから、いかに神社じんじゃまえ精神せいしん統一とういつをなされても、そう容易ようい神様かみさまとの交通こうつうはできますまいが、わたくしどものように、肉体にくたいててこちらの世界せかい引越ひきこしたものになりますと、ほとんどすべての仕事しごとはこの仕掛しかけのみによりておこなわれるのでございます。ナニ人間にんげん世界せかいにも近頃ちかごろ電話でんわだの、ラヂオだのという、重宝ちょうほう機械きかい発明はつめいされたとっしゃるか……それはたいへん結構けっこうなことでございます。しかしそれなら尚更なおさらわたくし申上もうしあげること[#「事が」は底本では「事か」]よくおわかりのはずで、神社じんじゃ装置そうちもラジオとやらの装置そうちも、理窟りくつ大体だいたいたものかもれぬ……。
 まあたいへんつまらぬこと申上もうしあげてしまいました。では早速さっそくこれから竜宮行りゅうぐうゆき模様もようをおはなしさせていただきます……。

二十、竜宮へ鹿島立


 こちらの世界せかい仕事しごとは、なにをするにも至極しごくあっさりしていまして、すべてが手取てっとばやはこばれるのでございますが、それでもいよいよこれから竜宮行りゅうぐうゆききまったときには、そこに相当そうとう準備じゅんび必要ひつようがありました。なにより肝要だいじなのは斎戒沐浴さいかいもくよく……つまり心身しんしんきよめる仕事しごとでございます。もちろんわたくしどもには肉体にくたいはないのでございますから、人間にんげんのように実地じっちみずなどをかぶりはいたしませぬ。ただみずをかぶったような清浄せいじょう気分きぶんになればそれでよろしいので、そうすると、いつのにか服装みなりまでも、自然しぜん白衣びゃくいかわってるのでございます。こころ姿すがたとがいつもぴったり一するのが、こちらの世界せかいおきてで、人間界にんげんかいのようにこころ姿すがたとを別々べつべつ使つかけることばかりはとてもできないのでございます。
 かくわたくし白衣びゃくい姿すがたで、御神前ごしんぜん端坐たんざ祈願きがんし、それからあの竜神様りゅうじんさまのおやしろもうでて、これから竜宮界りゅうぐうかいまいらせていただきますと御報告ごほうこく申上もうしあげました。先方せんぽうからなんとか返答へんじがあったかとっしゃるか……それは無論むろんありました。『よろこんであなたのおでをおちしてります……。』とそれはそれは鄭重ていちょう御挨拶ごあいさつでございました。
 竜神様りゅうじんさまのおやしろから自分じぶん修行場しゅぎょうじょうもどってると、もう指導役しどうやくのおじいさんが、そこでおちになってられました。
準備じゅんびができたらすぐに出掛でかけるといたそう。わし竜宮りゅうぐう入口いりくちまでおくってあげる。それからきはそち一人ひとりくのじゃ。なに修行しゅぎょうめである。あまりわしたよになっては面白おもしろうない……。』
 そうわれたときに、わたくしなにやらすこ心細こころぼそかんじましたが、それでもすぐになおしてたび仕度じたくととのえました。わたくしのそのときたび姿すがたでございますか……。それは現世げんせ旅姿たびすがたそのまま、わばそのうつしでございます。かねて竜宮界りゅうぐうかいにも奇麗きれいな、華美はでなところとうかがってりますので、わたくしもそのつもりになり、白衣びゃくいうえに、わたくし生前せいぜんばんきな色模様いろもよう衣裳いしょうかさねました。それは綿わたはいった、すそあついものでございますので、道中どうちゅうこしところひもゆわえるのでございます。それからもうひと道中どうちゅう姿すがたくてはならないのが被衣かつぎ……わたくし生前せいぜんこのみで、しろ被衣かつぎをつけることにしました。履物はきものあつ草履ぞうりでございます。
 おじいさんはわたくし姿すがたて、にこにこしながら『なかなかねんはいった道中姿どうちゅうすがたじゃナ。乙姫様おとひめさまもこれを御覧ごらんなされたらさぞおよろこびになられるであろう。わしなどはいつも一張羅ちょうらじゃ……。』
 そんな軽口かるくちをきかれて、御自身ごじしんはいつもとどう一の白衣びゃくいしろ頭巾ずきんをかぶり、そしてながながい一ぽんつえち、素足すあし白鼻緒しろはなお藁草履わらぞうり穿いてわたくしきにたれたのでした。ついでにおじいさんの人相書にんそうがきをもうすこしくわしく申上もうしあげますなら、年齢としころおおよそ八十くらい頭髪とうはつ真白まっしろ鼻下びかからあごにかけてのおひげ真白まっしろ、それから睫毛まつげ矢張やはゆきのように真白まっしろ……すべてしろづくめでございます。そしてどちらかとへば面長おもながで、眼鼻立めはなだちのよくととのった、上品じょうひん面差おもざしほうでございます。わたくしはまだ仙人せんにんというものをよくぞんじませぬが、本当ほんとう仙人せんにんがあるとしたら、それはわたくし指導役しどうやくのおじいさんのようなかたではなかろうかとかんがえるのでございます。あのかたばかりはどこからどこまで、きれいにって、すっかりあくぬけがしてられます。
 やま修行場しゅぎょうばあとにした私達わたくしたちは、随分ずいぶんながあいだけわしい山道やまみちをば、したしたしたへとくだってまいりました。みちはおじいさんがきにたつ案内あんないしてくださるので、すこしも心配しんぱいなことはありませぬが、それでもところどころあぶなつかしい難所なんしょだとおもったこともございました。また道中どうちゅうどこへまいりましてもれい甲高かんだか霊鳥れいちよう鳴声なきごえ前後ぜんご左右さゆう樹間このまからあめるようにきこえました。おじいさんはこのとりこえがよほどおきとえて、『こればかりは現界げんかいではきかれぬこえじゃ。』と御自慢ごじまんをしてられました。
 ようややまったとおもうと、たちまちそこにひとつのおおきな湖水こすいあらわれました。よほどふかいものとえまして、たたえたみずあいながしたように蒼味あおみび、水面すいめんには対岸たいがん鬱蒼うっそうたる森林しんりんかげが、くろぐろとうつってました。きしはどこもかしこもみなったようないわで、それにまつすぎその老木ろうぼくが、大蛇だいじゃのようにさがっているところは、風情ふぜいいというよりか、むしろものすごかんぜられました。
『どうじゃ、この湖水こすい景色けしきは……そちらんであろうが……。』
わたくしはこんな陰気いんきくさいところいやでございます。でもここはなん縁由いわれ のあるところでございますか?』
『ここはまだわかい、下級かきゅう竜神達りゅうじんたち修行しゅぎょう場所ばしょなのじゃ。わし時々ときどき※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)みまわりにるので、うこのいけ勝手かってっている。なに修行しゅぎょうじゃ、そちもここでちょっと統一とういつをしてるがよい。沢山たくさん竜神達りゅうじんたち姿すがたえるであろう……。』
 あまり気持きもちいたしませんでしたが、修行しゅぎょうとあればいなむこともできず、わたくしはとあるいわうえすわって統一状態とういつじょうたいはいってますと、はたして湖水こすいなかはだいろくろっぽい、あまりひんくない竜神りゅうじんさんでぎっしりつまっていました。つののあるもの、いもの、おおきなもの、ちいさなもの、ねむっているもの、あばれているもの……。はじめてそんな無気味ぶきみ光景ありさませつしたわたくしは、おぼえずびっくりしてけてさけびました。――
『おじいさま、もう沢山たくさんでございます。うぞもっとれやかなところへおくださいませ……。』

二十一、竜宮街道


 しばらく湖水こすいへりつたってるいてうちに、やまがだんだんひくくなり、やがて湖水こすいきるとともやまきて、広々ひろびろとした、すこしうねりのある、あかるい野原のはらにさしかかりました。私達わたくしたちはその野原のはらつらぬ細道ほそみちをどこまでもどこまでもきへいそぎました。
 やがて前面ぜんめんに、やや小高こだか砂丘すなやま斜面しゃめんあらわれ、みちはその頂辺てっぺんところのぼってきます。『なにやら由井ゆいはまらしい景色けしきである……。』わたくしはそんなことをかんがえながら、格別かくべつけわしくもないその砂丘すなやまのぼりつめましたが、さてそこから前面ぜんめん見渡みわたしたときに、わたくしはあまりの絶景ぜっけいおぼえずはっと気息いきづまりました。砂丘すなやまのすぐ真下ましたが、えもわれぬうつくしいひとツの入江いりえになっているのではありませぬか!
 刷毛はけいたようなゆみなりになったひろはま……のたりのたりとおともなく岸辺きしべせる真青まっさおうみみず……薄絹うすぎぬひろげたような、はてしもなくつづく浅霞あさかすみ……みずそらとのうあたりにほのぼのと遠山とおやまかげ……それはさながら一ぷく絵巻物えまきものをくりひろげたような、じつなんともえぬ絶景ぜっけいでございました。
 けてもれても、るものはただやまばかり、ひたすら修行しゅぎょう三昧ざんまいなが歳月としつきおくったわたくしでございますから、尚更なおさらこのうみ景色けしきったのでございましょう、しばらくのあいだわたくしまったくすべてを打忘うちわすれて、砂丘すなやまうえつくして、つくづくと見惚みとれてしまったのでございました。
『どうじゃ、なかなかのながめであろうが……。』
 そうわれてわたくしはやっと自分じぶんもどりました。
『おじいさま、わたくし、こんななごやかな、景色けしきは、まだ一たためしがございませぬ……。ここはなんもうすところでございますか?』
『これが竜宮界りゅうぐうかい入口いりぐちなのじゃ。ここから竜宮りゅうぐうはそうとおくない……。』
竜宮りゅうぐう矢張やはうみそこにあるのでございますか?』
『イヤイヤあれはれいによりて人間にんげんどもの勝手かって仮構事つくりごとじゃ。乙姫様おとひめさまけっして魚族さかな親戚みうちでもなければまた人魚にんぎょ叔母様おばさまでもない……。が、もともと竜宮りゅうぐう理想りそう別世界べっせかいなのであるから、つくろうとおもえばうみそこにでも、またそのほか何処どこにでもつくれる。そこが現世げんせつくりつけの世界せかいたいへんにちがてんじゃ……。』
左様さようでございますか……。』
 なにやらよくはねましたが、わたくしはそう御返答ごへんじするよりほか致方いたしかたがないのでした。
『さて』とおじいさんは、しばらくってから、いと真面目まじめ面持おももちかたでました。『わし役目やくめはここまでそち案内あんないすればそれでんだので、これからきはそち一人ひとりくのじゃ。あれ、あの入江いりえのほとりから、すこひだりれたところにゆる真平まったいら街道かいどう、あれをどこまでもどこまでも辿たどってけば、そのあたりがつまり竜宮りゅうぐうで、みち間違まちがいえるような心配しんぱいすこしもない……。また竜宮りゅうぐうってからは、どなたにおにかかるかれぬが、いずれにしても、ただ先方せんぽうのおはなしうかがだけでは面白おもしろうない。のついたこと、ちぬことは、すこしの遠慮えんりょもなく、どしどしおたずねせんければ駄目だめであるぞ。すべて神界しんかいおきてとして、こちらのもとめるだけしかおしえられぬものじゃ。で、何事なにごと油断ゆだんなく、よくよくこころまなこけて、乙姫様おとひめさまから愛想あいそをつかされることのないよう心懸こころがけてもらいたい……。ではわしはこれでかえりますぞ……。』
 そうって、つとあがったかとおもうと、もうおじいさんの姿すがたはどこにもえませんでした。
 れいによりてその飽気あっけなさ加減かげんったらありません。わたくしはちょっとこころさびしくかんじましたが、それはほんの一瞬間しゅんかんのことでございました。わたくしんな場合ばあいにいつもはだからはなさぬ、れいはは紀念かたみ懐剣かいけんを、しっかりとおびあいだにさしなおして、いそいで砂丘すなやまりて、おじいさんからおしえられたとおり、あの竜宮街道りゅうぐうかいどう真直まっすぐすすんだのでした。
 そのわたくし幾度いくどとなくこの竜宮街道りゅうぐうかいどうとおりましたが、何度なんどとおってても心地ごこちのよいのはこの街道かいどうなのでございます。それは天然てんねん白砂はくさをばなにかでほどよくかためたとったような、心地ここちで、足触あしざわりのさともうしたら比類たぐいがありませぬ。そして何所どこに一てんちりとてもなく、またみち両側りょうがわほどよく配合あしらった大小だいしょうさまざまの植込うえこみも、じつなんとも申上もうしあげかねるほど奇麗きれい出来できり、とても現世げんせではこんな素晴すばらしい道路どうろられませぬ。その街道かいどうくらいつづいているかとおたずねですか……さァどれくらい道程みちのりかは、ちょっと見当けんとうがつきかねますが、よほどとおいことだけたしかでございます。街道かいどう入口いりぐちあたりから前方ぜんぽうながめても、かすみが一たいにかかっていて、なにりませぬが、しばらくぎるとるかきかのように、っすりとやまかげらしいものがあらわれ、それからまたしばらくぎると、なにやらほんのりと丹塗にぬりのもんらしいものがうつります。そのへんからでも竜宮りゅうぐう御殿ごてんまではまだ半里位はんみちくらいはたっぷりあるのでございます……。何分なにぶん絵心えごころなにわせないわたくしちからでは、なんのとりとめたおはなしもできないのが、たいへんに残念ざんねんでございます。あのうつくしい道中どうちゅうながめの、せめて十ぶんの一なりとも皆様みなさまにおつたえしたいのでございますが……。

二十二、唐風からふうの御殿


 しばらくしてからわたくしはとうとう竜宮界りゅうぐうかい御門ごもんまえっていましたが、それにしてもわたくし四辺あたり光景ありさまがあまりにも現実的げんじつてきなのをむしろ意外いがいおもったのでございました。おじいさんの御話おはなしからかんがえてましても、竜宮りゅうぐうはドウやらひとつ蜃気楼しんきろう乙姫様おとひめさま思召おぼしめしでかりそめにつくあげげられるひとつ理想りそう世界せかいらしくおもわれますのに、実地じっちあたってますと、それはどこにあぶなげのない、いかにもがッしりとした、正真正銘しょうしんしょうめい現実げんじつ世界せかいなのでございます。『しもこれが蜃気楼しんきろうならなか蜃気楼しんきろうでないものはひとつもありはしない……。』わたくしこころうちでそうかんがえたのでございました。
 竜宮界りゅうぐうかい大体だいたいかんじでございますが――さァくちもうしたら、それはおやしろうよりかも、むしひとつのおおきな御殿ごてんったかんじ、つまり人間味にんげんみが、たっぷりしているのでございます。そして何処どこやらに唐風からふうなところがあります。ずその御門ごもんでございますが、屋根やね両端りょうたん上方うえにしゃくれて、たいそう光沢つやのある、大型おおがた立派りっぱかわらいてあります。門柱もんちゅうそのはすべて丹塗にぬり、べつとびらはなく、その丸味まるみのついた入口いりぐちからは自由じゆう門内もんない模様もよううかがわれます。あたりにはべつ門衛もんえいらしいものも見掛みかけませんでした。
 で、わたくしおもってそのもんをくぐってきましたが、門内もんない見事みごと石畳いしだたみの舗道ほどうになってり、あたりにちりひとちてりませぬ。そして両側りょうがわ広々ひろびろとしたおにわには、かたちまつそのほどよくみになってり、おくはどこまであるか、ちょっと見当けんとうがつかぬくらいでございます。大体だいたい地上ちじょう庭園ていえんとさしたる相違そういもございませぬが、ただあんなにもえた草木そうもくいろ、あんなにもかんばしいつちにおいは、地上ちじょう何所どこにも見受みうけることはできませぬ。こればかりは実地じっちってるよりほかに、えがくべきふでも、かたるべき言葉ことばもあるまいとかんがえられます。
 御門ごもんから御殿ごてんまではどのくらいありましょうか、よほどとおかったようにおもわれます。御殿ごてん玄関げんかん黒塗くろぬりりのおおきな式台しきだいづくり、そして上方うえひさしはしら長押なげしなどはみなのさめるような丹塗にぬり、またかべ白塗しろぬりでございますから、すべての配合はいごうがいかにも華美はでで、明朗ほがらかで、がさめるようにかんじられました。
 わたくしはそこですっかりづくろいをなおしました。むろんこころでただそうおもいさえすればそれでよろしいので、そうするといままでの旅装束たびしょうぞくがそのできちんとした謁見おめみえ服装ふくそうかわるのでございます。そんなことでもできなければ、たッた一人ひとりで、腰元こしもとれずに、竜宮りゅうぐう乙姫おとひめさまをおたずねすることはできはしませぬ。
御免ごめんくださいませ……。』
 わたくしおもってそう案内あんないいました。すると、としころ十五くらいえる、一人ひとり可愛かわいらしい小娘こむすめがそこへあらわれました。服装ふくそう筒袖式つつそでしき桃色ももいろ衣服きもの頭髪かみ左右さゆうけて、背部うしろほうでくるくるとまるめてるところは、ても御国風みくにふうよりは唐風からふうちかいもので、わたくしはそれがかえつってみょう御殿ごてん構造つくりにしっくりとてはまって、たいへんうつくしいようにかんぜられました。
わたくし小櫻こざくらもうすものでございますが、こちらの奥方おくがたにお目通めどおりをいたしく、わざわざおたずねいたしました……。』
 乙姫様おとひめさまとおもうすのもなにやらおかしく、さりとて神様かみさま御名みな申上もうしあぐるのも、なにやらあらたまりぎるようにかんじられ、ツイうっかり奥方おくがた申上もうしあげてしまいました。こちらへても矢張やはわたくしには現世時代げんせじだいくせがついてまわってたものとえます。それでも取次とりつぎの小娘こむすめにはわたくし言葉ことばがよくつうじたらしく、『承知しょうちいたしました。少々しょうしょうちくださいませ。』とって、きびすをかえしていそいでおくはいってきました。
乙姫様おとひめさま首尾しゅびよくお目通めどおりがかなうかしら……。』
 わたくし多少たしょう不安ふあんかんじながら玄関げんかんまえたたずみました。

二十三、豐玉姫と玉依姫


 もなく以前いぜん小娘こむすめふたたあらわれました。
うぞおあがりくださいませ……。』
 われるままにわたくし小娘こむすめみちびかれて、御殿ごてんながなが廊下ろうか幾曲いくまがり、ずっとおくまれる案内あんないされました。へやは十じょうばかりの青畳あおだたみきつめた日本間にほんまでございましたが、さりとて日本風にほんふう白木造しらきづくりでもありませぬ。障子しょうじ欄間らんま床柱とこばしらなどは黒塗くろぬりり、またえん欄干てすりひさし、その造作ぞうさくの一丹塗にぬり、とった具合ぐあいに、とてもその色彩いろどり複雑ふくざつで、そして濃艶のうえんなのでございます。またとこには一ぷく女神様めがみさま掛軸かけじがかかってり、そのまえには陶器製とうきせい竜神りゅうじん置物おきものえてありました。その竜神りゅうじん素晴すばらしいいきおいで、かっとおおきなくちけてたのがいままえのこってります。
 はなった障子しょうじ隙間すきまからはおにわもよくえましたが、それがまた手数てかずんだたいそう立派りっぱ庭園ていえんで、樹草じゅそう泉石せんせきのえもわれぬ配合はいごうは、とても筆紙ひっしにつくせませぬ。きょう銀閣寺ぎんかくじ金閣寺きんかくじ庭園ていえん数奇すきかぎりをつくした、たいそう贅沢ぜいたくなものとかねてききおよんでりますので、ときわたくしはこちらからのぞいてたことがございますが、竜宮界りゅうぐうかいのおにわくらべるとあれなどはとても段違だんちがいのように見受みうけられました。いかに意匠いしょうをこらしても、矢張やは現世げんせ現世げんせだけのことしかできないものとえます……。
 ナニそのおへや乙姫様おとひめさまにおにかかったか、とッしゃるか――ホホホたいそうおねでございますこと……。ではおにわはなしなどはこれでげて、早速さっそく乙姫様おとひめさまにお目通めどおりをしたおはなしうつりましょう。――もっとわたくしがそのときにかかりましたのは、玉依姫様たまよりひめさまほうで、豐玉姫様とよたまひめさまではございませぬ。もうすまでもなく竜宮界りゅうぐうかいだい一の乙姫様おとひめさまッしゃるのが豐玉姫様とよたまひめさまだい二の乙姫様おとひめさま玉依姫様たまよりひめさま、つまりこの両方ふたかた御姉妹ごきょうだい間柄あいだがらということになってるのでございますが、何分なにぶんにも竜宮界りゅうぐうかいことはあまりにもおくふかく、わたくしにもまだ御両方おふたかた関係かんけいがよくわかってりませぬ。お二人ふたりはたして本当ほんとう御姉妹ごきょうだい間柄あいだがらなのか、それとも豐玉姫とよたまひめ御分霊ごぶんれい玉依姫たまよりひめでおありになるのか、うもそのへんがまだ充分じゅうぶんわたくしちないのでございます。ただしそれがうあろうとも、この御二方おふたかたってもれぬ、ふか因縁いんねん姫神ひめがみであらせられることは[#「あらせられることは」は底本では「あらせちれることは」]たしかでございます。わたくし幾度いくたび竜宮界りゅうぐうかいまいり、そして幾度いくたび御両方おふたかたにおにかかってりますので、幾分いくぶんそのへん事情じじょうにはつうじてるつもりでございます。
 この豐玉姫様とよたまひめさまわれる御方おかたは、だい一の乙姫様おとひめさまとして竜宮界りゅうぐうかい代表だいひょうあそばされる、とうと御方おかただけに、矢張やはりどことなく貫禄おもみがございます。なんとなく、竜宮界りゅうぐうかい女王様じょうおうさまった御様子ごようす自然しぜんにおからだそなわってられます。お年齢としは二十七八または三十くらいにお見受みうけしますが、もちろん神様かみさま実際じっさいのお年齢としはありませぬ。ただ私達わたくしたちにそれくらいおがまれるというだけで……。それからおかおは、どちらかといえばしもぶくれの面長おもなが眼鼻立めはなだちのうち何所どこかがとくてていともうすのではなしに、どこもかしこもよくととのった、まことに品位ひんいそなわった、立派りっぱ御標致ごきりょう、そしてその御物越おんものごしはいたってしとやか、わたくしどもがどんな無躾ぶしつけ事柄ことがら申上もうしあげましても、けっしてイヤないろひとつおせにならず、どこまでも親切しんせつに、いろいろとおしえてくださいます。その御同情ごどうじょうふかいこと、またその御気性ごきしょう素直すなおなことは、どこの世界せかいさがしても、あれ以上いじょう御方おかたまたとあろうとはおもわれませぬ。それでいて、おくほうにはりんとした、たいそうおつよいところもおのずとそなわっているのでございます。
 だい二の乙姫様おとひめさまほうは、豐玉姫様とよたまひめさまくらべて、お年齢としもずっとおわかく、やっと二十一か二かくらいおもわれます。おかおはどちらかといえば円顔まるがおるからにたいそうお陽気ようきで、お召物めしものなどはいつもおもった華美造はでつくり、丁度ちょうどさくらはなが一にぱっとでたというようなおもむきがございます。わたくしはじめておにかかったときのお服装なりは、上衣うわぎしろ薄物うすもので、それに幾枚いくまいかの色物いろもの下着したぎかさね、おびまえむすんでダラリとれ、そのほか幾条いくすじかの、ひらひらしたながいものをきつけてられました。これまでわたくしどものっている服装ふくそうなかでは、一ばん弁天様べんてんさまのお服装みなりるようにおもわれました。
 かくこの両方ふたかた竜宮界りゅうぐうかいっての花形はながたであらせられ、おかおもお気性きしょうも、何所どこやら共通きょうつうところがあるのでございますが、しかしきつづいて、幾代いくだいかにわたりて御分霊ごぶんれいしてられるうちには、御性質ごせいしつ相違そうい次第次第しだいしだいつよまってき、すえ人間界にんげんかいほうでは、豐玉姫系とよたまひめけい玉依姫系たまよりひめけいとの区別くべつなりはっきりつくようになってります。がいして豐玉姫とよたまひめ系統けいとういたものは、あまりはしゃいだところがなく、どちらかといえば[#「どちらかといえば」は底本では「どちらかといくば」]しとやかで、引込思案ひっこみじあんでございます。これにはんして玉依姫系統たまよりひめけいとうかたいたって陽気ようきで、すすんで人中ひとなかにもかけてまいります。ただ人並ひとなみみすぐれて情義深なさけふかいことは、お両方ふたかた共通きょうつう美点みてんで、矢張やは御姉妹ごきょうだい血筋ちすじあらそわれないように見受みうけられます……。
 あれ、またしてもはなし側路わきみちへそれて先走さきばしってしまいました。これからあともどって、わたくしはじめて玉依姫様たまよりひめさまにおにかかったとき概況がいきょう申上もうしあげることにいたしましょう。

二十四、なさけの言葉

[#「二十四、なさけの言葉」は底本では「二十四 なさけの言葉」]

 先刻さっき申上もうしあげたとおり、わたくし小娘こむすめみちびかれて、あの華麗きれい日本間にほんまとおされ、そして薄絹製うすぎぬせいしろ座布団ざぶとんあたえられて、それへすわったのでございますが、不図ふと自分じぶん前面まえのところをると、そこにはべつに一まい花模様はなもようあつ座布団ざぶとんいてあるのにづきました。『きっと乙姫様おとひめさまがここへおすわりなさるのであろう。』――わたくしはそうおもいながら、乙姫様おとひめさまなん御挨拶ごあいさつ申上もうしあげてよいか、いろいろとかんがんでりました。
 と、なにやらひと気配けはいかんじましたのであたまをあげてますと、てんからったか、からいたか、モーいつのにやら一人ひとりまばゆいほどうつくしいお姫様ひめさまがキチンともうけの座布団ざぶとんうえにおすわりになられて、にこやかにわたくしこと見守みまもっておでなさるのです。わたくしはこのときほどびっくりしたことはめったにございませぬ。わたくしいそいで座布団ざぶとんはずして、両手りょうてをついて叩頭おじぎをしたまま、しばらくはなん御挨拶ごあいさつ言葉ことばくちから[#「口から」は底本では「口をら」]ないのでした。
 しかし、玉依姫様たまよりひめさまほうでは何所どこまでも打解うちとけた御様子ごようすで、とうと神様かみさま申上もうしあげるよりはむしろ高貴こうき若奥方わかおくがたったお物越ものごしで、いろいろとやさしいお言葉ことばをかけくださるのでした。――
『あなたが竜宮りゅうぐうへおでなさることは、かねてからお通信たよりがありましたので、こちらでもそれをたのしみにたいへんおちしていました。今日きょうはわたくしがかわっておいしますが、このぎは姉君様あねぎみさま是非ぜひにかかるとのおおせでございます。何事なにごともすべてお心易こころやすく、一さい遠慮えんりょてて、くべきことはき、かたるべきことはかたってもらいます。あなたがた世界せかいくだり、いろいろと現界げんかい苦労くろうをされるのも、つまりはふか神界しんかいのお仕組しくみで、それがわたくしたちにもまたとなき学問がくもんとなるのです。きけばドウやらあなたの現世げんせ生活せいかつも、なかなからくなものではなかったようで……。』
 いかにもしんみりと、あふるるばかりの同情どうじょうもって、なにくれとはなしかけてくださいますので、いつのにやらわたくしほうでもこころ遠慮えんりょられ、丁度ちょうど現世げんせしたしいかたひざまじえて、打解うちとけた気分きぶんでよもやまの物語ものがたりふけるとったようなことになりました。帰幽以来きゆういらいなんねんかになりますが、わたくしんな打寛うちくつろいだ、なごやかな気持きもちあじわったのはじつにこのとき最初さいしょでございました。
 それからわたくしわれるままに、鎌倉かまくら実家じっかのこと、嫁入よめいりした三浦家みうらけのこと、北條ほうじょうとの戦闘たたかいのこと、落城後らくじょうご侘住居わびすまいのことなど、りのままにおはなししました。玉依姫様たまよりひめさまは一々首肯うなづきながらわたくし物語ものがたり熱心ねっしんみみかたむけてくだされ、最後さいごわたくしひとりさびしく無念むねんなみだれながらわかくて歿なくなったことを申上もうしあげますと、あのうつくしいおかおをばいとどくもらせてなみださえうかべられました。――
『それはまァお気毒きのどくな……あなたも随分ずいぶんつらい修行しゅぎょうをなさいました……。』
 たッたことではございますが、わたくしはそれをきいてこころから難有ありがたいとおもいました。わたくしむねつもつもれる多年たねん鬱憤うっぷんもドウやらその御一言ごいちごんできれいにあらられたようにおもいました。
んなおやさしい神様かみさまにおいすることができて、自分じぶんなん幸福しあわせうえであろう。自分じぶんはこれから修行しゅぎょうんで、んな立派りっぱ神様かみさまのお相手あいてをしてもあまりはずかしくないように、一はやこころあかあらきよめねばならない……。』
 わたくしこころそこかたくそう決心けっしんしたのでした。

二十五、竜宮雑話


 とおわたくし身上噺みのうえばなしんだときに、今度こんどわたくしほうから玉依姫様たまよりひめさまにいろいろのことをおたずねしました。なにしろ竜宮界りゅうぐうかい初上はつのぼり、何一なにひとわきまえてもいない不束者ふつつかもののことでございますから[#「ことでございますから」は底本では「こどでございますから」]随分ずいぶんつまらぬこと申上もうしあげ、あちらではさぞ笑止しょうし思召おぼしめされたことでございましたろう。なにをおたずねしたか、いまではもう大分だいぶわすれてしまいましたが、標本みほんのつもりでひとふたおもしてることにいたしましょう。
 真先まっさきにわたくしがおたずねしたのは浦島太郎うらしまたろう昔噺むかしばなしのことでございました。――
人間にんげん世界せかいには、浦島太郎うらしまたろうというひと竜宮りゅうぐうって乙姫おとひめさまのお婿様むこさまになったという名高なだかいお伽噺とぎばなしがございますが、あれは実際じっさいあった事柄ことがらなのでございましょうか……。』
 すると玉依姫様たまよりひめさまはほほとおわらあそばしながら、おしえてくださいました。――
『あの昔噺むかしばなし事実じじつそのままでないことはもうすまでもなけれど、さりとてまった跡方あとかたもないというのではありませぬ。つまり天津日継あまつひつぎ皇子みこ彦火々出見命様ひこほほでみのみことさまが、姉君あねぎみ御婿君おんむこぎみにならせられた事実じじつ現世げんせ人達ひとたちれきいて、あんな不思議ふしぎ浦島太郎うらしまたろうのお伽噺とぎばなしつくあげげたのでございましょう。最後さいご玉手箱たまてばこはなし、あれも事実じじつではありませぬ。べつにこの竜宮りゅうぐうければむらさきけむりちのぼる、玉手箱たまてばこもうすようなものはありませぬ。あなたもよくるとおり、かみ世界せかいはいつまでっても、つゆかわりのない永遠えいえん世界せかい彦火々出見命様ひこほほでみのみことさま豐玉姫様とよたまひめさまは、いまむかしおなじく立派りっぱ御夫婦ごふうふ御間柄おんあいだがらでございます。ただ命様みことさまには天津日継あまつひつぎ大切たいせつ御用ごようがおありになるので、めったに御夫婦ごふうふそろってこの竜宮界りゅうぐうかいにおくつろあそばすことはありませぬ。げんただいま命様みことさまにはなにかの御用ごようびて御出おでましになられ、乙姫様おとひめさまは、ひとりさびしくお不在るすあずかってられます。そんなところが、あのお伽噺とぎばなしのつらい夫婦ふうふ別離わかれという趣向しゅこうになったのでございましょう[#「なったのでございましょう」は底本では「なつのでございましょう」]……。』
 そうって玉依姫たまよりひめには心持こころもちおかおあかめられました。
 それからわたくしんなこともおきしました。――
うして拝見はいけんいたしますと竜宮りゅうぐうは、いかにもきれいで、のんきらしく結構けっこうおもわれますが、矢張やは神様かみさまにもいろいろつらい御苦労ごくろうがおありなさるのでございましょう?』
『よいところへおがついてくれました。』と玉依姫様たまよりひめさまたいそうおよろこびになってくださいました。
くつろいでひとにおいするときには、んな奇麗きれいところんで、んな奇麗きれい姿すがたせてれど、わたくしたちとていつもうしてのみはいないのです。人間にんげん修行しゅぎょうもなかなかつらくはあろうが、竜神りゅうじん修行しゅぎょうとて、それにまさるともおとるものではありませぬ。現世げんせには現世げんせ執着しゅうじゃくがあり、霊界れいかいには霊界れいかい苦労くろうがあります。わたくしなどはいま修行しゅぎょう真最中まっさいちゅう寸時いっときもうかうかとあそんではりませぬ。あなたはいまうしているわたくし姿すがたて、ただ一人ひとりのやさしい女性じょせいおもうであろうが、じつはこれは人間にんげんのお客様きゃくさまむかえるとき特別とくべつ姿すがた、いつか機会おりがあったら、わたくし本当ほんとう姿すがたをおせすることもありましょう。かく私達わたくしたち世界せかいにはなかなか人間にんげんられない、おおきな苦労くろうがあることをよくおぼえていてもらいます。それがだんだんわかってくれば、現世げんせ人間にんげんもあまり我侭わがまままうさぬようになりましょう……。』
 こんな真面目まじめなおはなしをなさるときには、玉依姫様たまよりひめさまのあのうつくしいおかおがきりりときしまって、まともにおがむことができないほど神々こうごうしくえるのでした。
 わたくしがその玉依姫様たまよりひめさまからうかがったことはまだまだ沢山たくさんございますが[#「沢山ございますが」は底本では「沢山だざいますが」]、それはいつかべつ機会きかいにおはなしすることにして、ただここ是非ぜひくわえてきたいことがひとつございます。それは玉依姫たまよりひめ霊統れいとうけたおおくの女性じょせいなか弟橘姫おとたちばなひめられることでございます。『あのひとはわたくしの分霊ぶんれいけてまれたものであるが、あれが一ばん名高なだかくなってります……。』そうわれたときにはたいそうお得意とくい御模様おんもようえていました。
 とおりおききしたいことをおききしてから、お暇乞いとまごいをいたしますと『また是非ぜひうぞちかうちに……。』という有難ありがたいお言葉ことばたまわりました。わたくしこころからほがらかな気分きぶんになって、ふたたれい小娘こむすめみちびかれて玄関げんかんで、そこからはただ一途中とちゅう通過つうかして、無事ぶじ自分じぶんやま修行場しゅぎょうばもどりました。

二十六、良人との再会


 前回ぜんかい竜宮行りゅうぐうゆきのおはなしなんとなく自分じぶんにも気乗きのりがいたしましたが、今度こんどはドーも億劫おっくうで、おくれがして、ろうことなら御免ごめんこうむりたいようにかんじられてなりませぬ。帰幽後きゆうご生前せいぜん良人おっととの初対面しょたいめん物語ものがたり……婦女おんなにとりて、これほどの難題なんだいはめったにありませぬ。さればとて、それがはなし順序じゅんじょであれば、無理むりはぶいて仕舞しまわけにもまいりませず、本当ほんとうこまってるのでございまして……。ナニるべくくわしくりのままをはなせとっしゃるか。そんなことをまうされると、尚更なおさら談話はなしがしにくくなってしまいます。修行未熟しゅぎょうみじゅくな、わか夫婦ふうふ幽界ゆうかいけるはじめての会合かいごう――とても他人ひとさまに吹聴ふいちょうするほど立派りっぱなものでないにきまってります。おききぐるしいてんるべく発表はっぴょうなさらぬようくれぐれもおたのみしてきます……。
 いつかも申上もうしあげた[#「申上げた」は底本では「申上げだ」]とおり、わたくしがこちらの世界せかいまいりましたのは、良人おっとよりも一ねんあまおくれてりました。あとうかがいますと、わたくしんだことはすぐ良人おっともと通知しらせがあったそうでございますが、何分なにぶん当時とうじ良人おっとはきびしい修行しゅぎょう真最中まっさいちゅうなので、自分じぶんつまんだとて、とてもすぐいにくというような、そんな女々めめしい気分きぶんにはなれなかったそうでございます。わたくしまたわたくしで、なによりあんじられるのは現世げんせのこしていた両親りょうしんのことばかり、それにこころうばわれて、自分じぶんよりもさきんでしまっている良人おっとのことなどはそれほどにかからないのでした。『時節じせつたらいず良人おっとにもえるであろう……。』そんなふうにあっさりかんがえていたのでした。
 みぎのような次第しだいで、帰幽後きゆうご随分ずいぶんながあいだ私達わたくしたち夫婦ふうふわかわかれになったきりでございました。むろん、これがすべての男女だんじょ共通きょうつうのことなのかうかはぞんじませぬ。これはただ私達わたくしたちがそうであったともうだけのことで……。
 そうするうちわたくし岩屋いわや修行場しゅぎょうばから、やま修行場しゅぎょうばすすみ、やがて竜宮界りゅうぐうかい訪問ほうもんんだころになりますと、わたくしのような執着しゅうじゃくつよ婦女おんなにも、幾分いくぶん安心あんしんができてたらしいのが自覚じかくされるようになりました。すると、こちらからはべつなんともおねがいしたわけでもなんでもないのに、ある突然とつぜん神様かみさまから良人おっとわせてやるとおおせられたのでございます。『そろそろってもよいであろう。そち良人おっとそちよりもモーすここころ落付おちつきができてたようじゃ……。』指導役しどうやくのおじいさんが、いとどまじめくさってそんなことをわれるので、わたくしまりがわるくて仕方しかたがなく、おぼえずかお真紅まっかめて、一たんはおことわりしました。――
『そんなことはいつでもよろしうございます。修行しゅぎょう後戻あともどりがすると大変たいへんでございますから……。』
『イヤイヤ一わせることに、先方むこう指導霊しどうれいとも手筈はずをきめていてある。良人おっとったくらいのことで、すぐ後戻あともどりするような修行しゅぎょうなら、まだとても本物ほんものとはわれぬ。んなことをするのも、矢張やは修行しゅぎょうひとつじゃ。かみとして無理むりにはすすめぬから、りのままにこたえるがよい。うじゃってはないか?』
『それでは、よろしきようにおねがいいたしまする……。』
 とうとうわたくしはおじいさんにそう御返答ごへんとうをしてしまいました。

二十七、会合の場所


 わたくし修行場しゅぎょうばすこしたりたやま半腹はんぷくに、ぢんまりとしたひとつの平地へいちがございます。周囲ぐるりにはほどよく樹木じゅもくえて、丁度ちょうど置石おきいしのように自然石じねんせきがあちこちにあしらってあり、そして一めんにふさふさした青苔あおごけがぎっしりきつめられてるのです。そこが私達わたくしたち夫婦ふうふ会合かいごう場所ばしょめられました。
 あなたも御承知ごしょうちとおり、こちらの世界せかいでは、なにをやるにも、手間暇間てまひまりません。おもったが吉日きちじつで、すぐに実行じっこううつされてきます。
はなしきまったうえは、これからすぐに出掛でかけるとしよう……。』
 おじいさんはまゆひとうごかされず、ましってきにたれますので、わたくしだまってそのあとについて出掛でかけましたが、しかしわたくしむねうち千々ちぢくだけて、あしはこびが自然しぜんおくちでございました。
 もうすまでもなく、十幾年いくねんあいだ現世げんせなかよくった良人おっと[#「良人と」は底本では「良入と」]ひさしぶりで再会さいかいするというのでございますから、わたくしむねには、夫婦ふうふあいだならではあじわわれぬ、あの一しゅ特別とくべつのうれしさがきゅうにこみげてたのは事実じじつでございます。すべて人間にんげんというものはんだからとって、べつにこの夫婦ふうふ愛情あいじょうなんかわりがあるものではございませぬ。かわっているのはただ肉体にくたい有無うむだけ、そして愛情あいじょう肉体にくたい受持うけもちではないらしいのでございます。
 が、一ぽうにかくうれしさがこみあぐると同時どうじに、他方たほうにはなにやら空恐そらおそろしいようなかんじがつよむねつのでした。にしろここは幽界ゆうかい自分じぶんいま修行しゅぎょうだいをすませて、現世げんせ執着しゅうじゃくようやくのことですこしばかりうすらいだというまでのよくよくの未熟者みじゅくもの、これがいくねんぶりかで現世げんせ良人おっとったときに、はたしてこころ平静へいせいたもてるであろうか、はたしてむかしの、あのみぐるしい愚痴ぐちやら未練みれんやらがこうべもたげぬであろうか……かんがえてても自分じぶんながらあぶなッかしくかんじられてならないのでした。
 そうかとおもうと、わたくしむねのどこやらには、なにやらまりがわるくてしょうのないところもあるのでした。ひさりで良人おっとかおわせるのもまりがわるいが、それよりも一そうはずかしいのはかみさまの手前てまえでした。あんな素知そしらぬかおをしてられても、一から十までひとこころなか洞察みぬかるる神様かみさま、『このおんなはまだ大分だいぶ娑婆しゃばくさみがのこっているナ……。』そうおもっていられはせぬかとかんがえると、わたくしまったあなへでもはいりたいほどはずかしくてならないのでした。
 それでも予定よてい場所ばしょころまでには、すこしはわたくしはらすはってまいりました。『縦令たとえ何事なにごとありともなみだすまい。』――わたくしかたくそう決心けっしんしました。
 先方むこうへついてると、良人おっとはまだりませんでした。
『まあよかった……。』そのときわたくしはそうおもいました。いよいよとなると、矢張やはりまだおくれがして、すこしでも時刻じこくばしたいのでした。
 おじいさんはとれば何所どこかぜくとった面持おももちで、ただ黙々もくもくとして、あちらをいて景色けしきなどをながめていられました。

二十八、昔語り


 良人おっとがいよいよ来着らいちゃくしたのは、それからしばしのあとで、わたくし不図ふと側見わきみをした瞬間しゅんかんに、五十あまりとゆる一人ひとり神様かみさま附添つきそわれて、忽然こつぜんとしてわたくしのすぐ前面まえに、ありし姿すがたあらわしたのでした。
『あッ矢張やはもと良人おっとだ……。』
 わたくし今更いまさらながら生死せいしさかいえて、すこしもかわっていない良人おっと姿すがた驚嘆きょうたん見張みはらずにはいられませんでした。服装ふくそうまでもむかしながらのこのみで、鼠色ねずみいろ衣裳いしょう大紋だいもんったくろ羽織はおり、これにはかまをつけて、こしにはおさだまりの大小だいしょうほんたいへんにきちんとあらたまった扮装いでたちなのでした。
 これが現世げんせでの出来事できごとだったら、そのときなにをしたかれませぬが、さすがに神様かみさま手前てまえ今更いまさらみだしたところをられるのがはずかしうございますから、わたくしは一しょう懸命けんめいになって、平気へいき素振そぶりをしていました。良人おっとほうでもすこしも弱味よわみせず、落付おちつきはらった様子ようすをしていました。
 しばし沈黙ちんもくがつづいたあとで、わたくしから言葉ことばをかけました。――
『おわかれしてから随分ずいぶんなが歳月としつきましたが、はからずもいまここでおにかかることができまして、こころからうれしうございます。』
まった今日こんにちおもけない面会めんかいであった。』と良人おっともやがて武人ぶじんらしい、おもくちひらきました。
『あのおりおもいのほか乱軍らんぐん訣別わかれ言葉ことばひとつかわすひまもなく、あんなことになってしまい、そなたもさだめし本意ほいないことであったであろう……。それにしてもそなたが、うもはやくこちらの世界せかいるとはおもわなかった。いつまでも安泰あんたいながらえててくれるよう、自分じぶんとしてはかげながら祈願きがんしていたのであったが、しかしったことは今更いまさらなんとも致方いたしかたがない。すべては運命うんめいとあきらめてくれるよう……。』
 飾気かざりけのない良人おっと言葉ことばわたくしこころからうれしいとおもいました。
むかしことはモーなんともっしゃってくださいますな。あたにおわかれしてからのわたくしは、おはかまいりがなによりのたのしみでございましたが、矢張やは寿命じゅみょうえて、じきにおあとしたうことになりました。一あいだこそ随分ずいぶんくやしいとも、かなしいともおもいましたが、近頃ちかごろは、ドーやらあきらめがつきました。そしておもいがけない今日きょうのお目通めどおり、こんなうれしいことはございませぬ……。』
 かれこれとかたっているうちにも、おたがいこころ次第しだい次第しだいって、さながらあの思出おもいでおお三浦みうらやかたで、主人あるじび、つまばれて、たのしく起居おきふしともにした時代じだい現世げんせらしい気分きぶん復活ふっかつしてたのでした。
『いつまで立話たちはなしでもなかろう。そのへんこしでもかけるとしようか。』
『ほんにそうでございました。丁度ちょうどここに手頃てごろ腰掛こしか[#ルビの「こしか」は底本では「こしかけ」]けがございます。』
 私達わたくしたちは三じゃくほどへだてて、みぎひだりならんでいる、切株きりかぶこしをおろしました。そこは監督かんとく神様達かみさまたちもおをきかせて、あちらをいて、素知そしらぬかおをしてられました。
 対話はなしはそれからそれへとだんだんなめらかになりました。
『あなたは生前せいぜんすこしもおかわりがないばかりか、かえってすこしおわかくなりはしませぬか。』
『まさかそうでもあるまいが、しかしこちらへてから何年なんねんっても年齢としらないというところが不思議ふしぎじゃ。』と良人おっと打笑うちわらい、『それにしてもそなたはけたようにおもうが……。』
『あなたとおわかれしてから、いろいろ苦労くろうをしましたので、自然しぜんやつれたのでございましょう。』
『それはたいへんどくなことであった。が、うなっては最早もはや苦労くろうのしようもないから、そのうち自然しぜん元気げんきるであろう。はやくそうなってもらいたい。』
承知しょうちいたしました。みっちり修行しゅぎょうんで、むかしよりも若々わかわかしくなっておにかけます……。』
 さしてりとめのない事柄ことがらでも、うしてしたしくかたってりますと、私達わたくしたちあいだにはうにわれぬたのしさがこみげてるのでした。

二十九、身上話


 ここでひとかわっているのは、私達わたくしたちほとんどすこしも現世時代げんせじだいおもばなしをしなかったことで、しひょっとそれをろうとすると、なにやらくちつまってしまうようにかんじられるのでした。
 で、自然しぜん私達わたくしたち対話はなしんでからのち事柄ことがらかぎられることになりました。わたくし真先まっさきにいたのは良人おっと死後しご自覚じかく模様もようでした。――
『あなたがこちらでおがつかれたときはどんな塩梅あんばいでございましたか?』
わしじつはそなたのこえましたのじゃ。』と良人おっとはじっとわたくし見守みまもながらポツリポツリかたしました。『そなたもとおり、わし自尽じじんしててたのじゃが、この自殺じさつということは神界しんかいおきてとしてはあまりほめたことではないらしく、自殺者じさつしゃ大抵たいていみな一たんはくらところかれるものらしい。わし矢張やはりその仲間なかまで、んでからしばらくのあいだ何事なにごとらずに無我夢中むがむちゅうすごした。もっとわしのは、てきにかからないめの、わば武士ぶし作法さほうかなった自殺じさつであるから、つみいたってかるかったようで、したがって無自覚むじかく期間きかんもそうながくはなかったらしい。そうするうちにある不図ふとそなたのこえばれるようにかんじてましたのじゃ。あと神様かみさまからうかがえば、これはそなたの一しん不乱ふらん祈願きがんが、首尾しゅびよくわしむねつうじたものじゃそうで、それとったときわしのうれしさはどんなであったか……。が、それはべつはなし、あのときなにをいうにも四辺あたり真暗まっくら[#ルビの「まっくら」は底本では「あつくら」]でどうすることもできず、しばらくうでこまねいてぼんやりかんがんでいるよりほかみちがなかった。が、そのうちうっすりと光明あかりがさしてて、今日きょうおくっててくだされた、あのおじいさんの姿すがたうつった。ドーじゃ、めたか?――そう言葉ことばをかけられたときのうれしさ! わしはてっきり自分じぶんすくってくれた恩人おんじんであろうとおもって、お名前なまえは? とたずねると、おじいさんはにっこりして、そち最早もはや現世げんせ人間にんげんではない。これからわしもうすところをきいて、十ぶん修行しゅぎょうまねばならぬ。わし産土うぶすなかみからつかわされたそち指導者しどうしゃである、ともうしきかされた。そのときわしははっとして、これは愚図愚図ぐずぐずしていられないとおもった。それから何年なんねんになるかれぬが、いまではすこ幽界ゆうかい修行しゅぎょうみ、あかるいところに一けん家屋かおくかまえてすまわしてもらっている……。』
 わたくし良人おっと素朴そぼく物語ものがたりたいへんな興味きょうみもってききました。ことわたくし生存中せいぞんちゅうこころばかりの祈願きがんが、首尾しゅびよく幽明ゆうめいさかいえて良人おっと自覚じかくのよすがとなったというのが、にもうれしいことかぎりでした。
 かわって今度こんど良人おっとほうで、わたくし経歴けいれきをききたいということになりました。で、わたくしいま丁度ちょうどあなたに申上もうしあげるように、帰幽後きゆうごのあらましを物語ものがたりました。わたくしきているときから霊視れいしがきくようになり、いまではすわったままでなんでもえるともうしますと、『そなたはなん便利べんりなものを神様かみさまからさずかっているであろう!』と良人おっとたいへんにおどろきました。またわたくしがこちらで愛馬あいばったはなしをすると、『あのときは、そなたの希望きぼうれないで、勝手かって名前なまえをつけさせてたいへんにまなかった。』と良人おっと丁寧ていねいびました。そのほかさまざまのことがありますが、就中なかんづく良人おっと非常ひじょうおどろきましたのはわたくし竜宮行りゅうぐうゆき物語ものがたりでした。『それはんでもない面白おもしろはなしじゃ。ドーもそなたのほうわしよりも資格しかくがずっとうえらしいぞ。わしほうが一こうぼんやりしているのに、そなたはいろいろ不思議ふしぎなことをしている……。』とって、たいそうわたくしうらやましがりました。わたくしすこどく気味ぎみになり、『すべては霊魂みたま関係かんけいから役目やくめちがうだけのもので、べつ上下じょうげがあるわけではないでしょう。』となぐさめてきました。
 私達わたくしたちはあまり対話はなしはいって、すっかり時刻ときつのもわすれていましたが、不図ふとがついてると何処どこかれたか、二人ふたりかみさんたち姿すがたはそのあたり見当みあたらないのでした。
 私達わたくしたちせずしてたがい見合みあわせました。

三十、永遠の愛


 おもってわたくしはここに懺悔ざんげしますが、四辺あたりかみさんたち見張みはっていないと感付かんづいたときに、わたくしこころきゅうにむらむらとあらぬ方向ほうこうきづられてったことは事実じじつでございます。
ひさしぶりでめぐりった夫婦ふうふなかだもの、せめて先尖位さきぐらいれてもたい……。』
 わたくしむねはそうしたかんがえで、一ぱいにりつめられてしまいました。
 ものがた良人おっとほうでも、うわべはしきりにこらこらえてりながら、頭脳あたま内部なか矢張やはりありしむかし幻影げんえいちているのがよくわかるのでした。
 とうとうこらえきれなくなって、わたくしはいつしか切株きりかぶからはなれ、あたかも磁石じしゃくかれる鉄片てつきれのように、一良人おっとほうへとちかづいたのでございます……。
 が、その瞬間しゅんかんわたくしきゅうどまってしまいました。それはいままではっきりとうつっていた良人おっと姿すがたが、きゅうにスーッとえかかったのにおどかされたからでございます。
『このがどうかしたのかしら……。』
 そうおもって、一退しりぞいて見直みなおしますと、良人おっと矢張やはもととおりはっきりした姿すがたで、切株きりかぶこしかけてるのです。
 が、ふたび一まえすすむと、またもやすぐに朦朧もうろうえかかる……。
 二、三、五幾度いくたびくりかえしてもおなじことなのです。
 いよいよ駄目だめさとったときに、わたくしはわれをわすれてそのしてしまいました……。
        ×      ×      ×      ×
うじゃすこしはさとれたであろうが……。』
 わたくしかたをかけて、そうわれるものがあるので、びっくりしてなみだかおをあげてかえってますと、いつのもどられたやら、それはわたくし指導役しどうやくのおじいさんなのでした。わたくしはそのときあながあったらはいりたいようにかんじました。
最初さいしょからもうしきかせたとおり、一ったくらいですぐ後戻あともどりする修行しゅぎょうはまだ本物ほんものとはわれない。』とおじいさんは私達わたくしたち夫婦ふうふむかって諄々じゅんじゅんききかせてくださるのでした。『汝達そちたちには、姿すがたはあれど、しかしそれはもと肉体にくたいとはまるっきりちがったものじゃ。いてれてたところで、なにやらかさかさとした、丁度ちょうど張子細工はりこざいくのようなかんじがするばかり、そこに現世げんせあじわったような甘味うまみ面白味おもしろみもあったものではない。そち先刻さっき良人おっとあとについてって、むかしながらの夫婦生活ふうふせいかつでもいとなみたいようにおもったであろうが……イヤかくしても駄目だめじゃ、かみまなこはどんなことでも見抜みぬいているから……しかしそんなかんがえははやくすてねばならぬ。もともと二人ふたりむべき境涯きょうがいちがっているのであるから、無理むりにそうした真似まねをしても、それは丁度ちょうどとりうおとが一しょすまおうとするようなもので、ただおたがいくるしみをすばかりじゃ。そちたち矢張やははなれてむにかぎる。――が、わしもうすのは、けっして夫婦間ふうふかんきよ愛情あいじょうまでもてよというのではないから、そのてんちがいをせぬように……。陰陽いんようむすびは宇宙うちゅう万有ばんゆうってもれぬとうと御法則みのり、いかにたか神々かみがみとてもこの約束やくそくからはまぬがれない。ただその愛情あいじょうはどこまでもきよめられてかねばならぬ。現世げんせ夫婦ふうふならあいよくとの二筋ふたすじむすばれるのもむをぬが、一たん肉体にくたいはなれたうえは、すっかりよくからははなれてしまわねばならぬ。そちたち今正いままさにその修行しゅぎょう真最中まっさいちゅうすこくらいのことは大目おおめ見逃みのがしてもやるが、あまりにそれにはしったが最後さいご結局けっきょく幽界ゆうかい落伍者らくごしゃとして、亡者扱もうじゃあつかいをけ、いくねんいくねん逆戻ぎゃくもどりをせねばならぬ。俺達わしたち受持うけもっている以上いじょう、そちたちだんじてそんな見苦みぐるしい真似まねわさせられぬ。これからそちたちはどこまでもあいってくれ。が、そちたちはどこまでもきよ関係かんけいをつづけてくれ……。』
        ×      ×      ×      ×
 それから少時しばらくのち私達わたくしたちはまるでうまかわったような、にもうれしい、ほがらかな気分きぶんになって、みぎひだりとにたもとわかったことでございました。
 ついでながら、わたくしわたくし生前せいぜん良人おっととの関係かんけいいま依然いぜんとしてつづいてり、しかもそれはこのまま永遠えいえんのこるのではないかとおもわれます。が、むろんそれがたがいゆるったたまたまとのきよ関係かんけいであることは、あらためて申上もうしあげるまでもないとぞんじます。

三十一、香織女


 良人おっととの再会さいかい模様もよう物語ものがたりましたついでに、おなころわたくしがこちらで面会めんかいげた二三の人達ひとたちのおはなしをつづけることにいたしましょう。えんもゆかりもないいま人達ひとたちには、さして興味きょうみもあるまいとおもいますが、私自身わたくしじしんには、なかなかわすれられない事柄ことがらだったのでございます。
 そのひとつはわたくしがまだ実家さところ腰元こしもとのようにして可愛かわいがってた、香織かおりという一人ひとり女性じょせいとの会合かいごう物語ものがたりでございます。香織かおりわたくしよりは年齢としが二つ三つわかく、顔立かおだちはあまりくもありませぬが、眼元めもとあいくるしい、なかなか悧溌りはつでございました。身元みもと長谷部某はせべなにがし出入でいりの徒士かぢ[#ルビの「かぢ」はママ]の、たしか二番目ばんめむすめだったかとおぼえてります。
 わたくし三浦みうらえんづいたときに、香織かおり親元おやもともどりましたが、それでも所中しょっちゅう鎌倉かまくらからはるばるわたくしところたずねてまいり、そして何年なんねんってもわたくしことを『ひいさまひいさま』とんでりました。そのうち香織かおりえんあって、鎌倉かまくらんでいる、一人ひとりさむらいもととつぎ、夫婦仲ふうふなかたいそう円満えんまんで、そのあいだ二人ふたりおとこうまれました。気質きだてのやさしい香織かおりたいへんその子供達こどもたち可愛かわいがって、三浦みうらへまいるときは、一しょつれたことも幾度いくたびかありました。
 そんなことはまるでゆめのようで、くわしいことはすっかりわすれましたが、ただわたくし現世げんせはなれるまえに、香織かおりからこころからのあつ看護みとりけたことだけは、いまでもふかふか頭脳あたまそこきざみつけられてります。彼女かのじょわたくしははと一しょに、れい海岸かいがんわたくしかくって、それはそれは親身しんみになってよくつくしてくれ、わたくし病気びょうきはやなおるようにと、氏神様うじがみさま日参にっさんまでしてくれるのでした。
 あるなどは病床びょうしょう香織かおりから頭髪かみいてもらったこともございました。わたくし頭髪かみたいへんに沢山たくさんで、日頃ひごろはは自慢じまんたねでございましたが、そのころはモーとこりなので、かげもなくもつれてました。香織かおりくしかしながらも、『折角せっかくこうしてきれいにしてあげても、このままつくねてくのがしい。』とってさんざんにきました。そばていたははも、『モー一なおって、晴衣はれぎせてたい……。』とって、してしまいました。んなはなしをしていると、わたくしにはいまでもその光景ありさまが、まざまざとうつってまいります……。
 いよいよ駄目だめ観念かんねんしましたときに、わたくし自分じぶん日頃ひごろ一ばん大切たいせつにしていた一かさね小袖こそでを、形見かたみとして香織かおりにくれました。香織かおりはそれを両手りょうでにささげ、『たとえおわかれしても、いつまでもいつまでもひめさまの紀念かたみ大切たいせつ保存ほぞんいたします……。』といながら、こえおしまずくずれました。が、わたくしこころは、モーその時分じぶんには、おもいのほか落付おちついてしまって、現世げんせわかれるのがそうかなしくもなく、だまってつぶると、かえってんだ良人おっとかおがスーッと眼前がんぜんあらわれてるのでした。
 かくこんなにまでふか因縁いんねんのあった女性じょせいでございますから、こちらの世界せかいても矢張やはわたくしのことをわすれないはずでございます。あるわたくし御神前ごしんぜん統一とういつ修行しゅぎょうをしてりますと、きゅうからだがぶるぶるとふるえるようにかんじました。何気なにげなく背後うしろかえってると、としころやや五十ばかりゆる一人ひとり女性じょせいすわってりました。それが香織かおりだったのでございます。

三十二、無理な願


なにやらむかし香織かおりらしい面影おもかげのこってれど、それにしては随分ずいぶんぎている……。』わたくしが、そうかんがえて躊躇ちゅうちょしてりますと、先方むこうでは、さもれないとった様子ようすで、ひざをすりせてまいりました。――
ひいさまわたくしをおわすれでございますか……香織かおりでございます……。』
矢張やはりそうであったか。――わたくしはそなたがまだ息災そくさい現世げんせくらしてるものとばかりおもっていました。一たいいつ歿なくなったのじゃ……。』
『もう、かれこれ十ねんくらいにもなるでございましょう。わたくしのようなつまらぬものは、とてもこちらでひいさまにおにかかれまいとあきらめてりましたが、今日きょうはからずも念願ねんがんがかない、こんなうれしいことはございませぬ。よくまァ御無事ごぶじで……ッともひいさまは往時むかしとおかわりがございませぬ。おなつかしうぞんじます……。』現世げんせらしい挨拶あいさつをのべながら、香織かおりはとうとうわたくしからだにしがみついて、りました。わたくしもそうされてれば、そこは矢張やは人情にんじょうで、つい一しょになっていてしまいました。
 こころ昂奮たかぶりが一おうしずまってから、私達わたくしたちあいだには四方八方よもやま物語ものがたりひとしきりはずみました。――
『そなたは一たい、何処どこわるくて歿なくなったのじゃ?』
腹部おなか病気びょうきでございました。はりされるようにキリキリと毎日まいにちなやみつづけたすえに、とうとうこんなことに[#「こんなことに」は底本では「こんをことに」]なりまして……。』
『それはどくであったが、うしてそなたのぬことが、わたくしほうつうじなかったのであろう……。普通ふつうなら臨終りんじゅう思念おもいかんじてないはずはないとおもうが……。』
『それはみなわたくしの不心得ふこころえめでございます。』と香織かおり面目めんぼくなげにかたるのでした。『日頃ひごろわたくしは、ねばひいさまの形見かたみ小袖こそでせてもらって、すぐおそばっておつかえするのだなどと、口癖くちぐせのようにもうしていたのでございますが、いざとなってさッぱりそれをわすれてしまったのでございます。どこまでも執着しゅうじゃくつよわたくしは、自分じぶん家族みうちのこと、とりわけ二人ふたり子供こどものことがにかかり、なかなか死切しにきれなかったのでございます。こんな心懸こころがけくない女子おなご臨終りんじゅう通報しらせが、どうしてひいさまのおもとにとどくはずがございましょう。なにみなわたくしわるかっためでございます。』
 正直者しょうじきもの香織かおりは、なみだながらに、臨終りんじゅうさいして、自分じぶん心懸こころがけわるかったことをさんざんびるのでした。しばらくして彼女かのじょ言葉ことばをつづけました。――
『それでもこちらへて、いろいろと神様かみさまからおさとしをけたおかげで、わたくしの現世げんせ執着しゅうじゃく次第しだいうすらぎ、いまでは修行しゅぎょうすこみました。が、それにつれて、ましにつのってるのはひいさまをおしたもうこころで、こればかりはうしても我慢がまんがしきれなくなり、幾度いくど神様かみさまに、わせていただきたいとおたのみしたかれませぬ。でもかみさまは、まだはやはやいとおおせられ、なかなかおゆるしがないのでございます。わたくしはあまりのもどかしさに、よくないこととりながらもツイ神様かみさまってかかり、さんざん悪口あくこういたことがございました。それでも神様かみさまほうでは、格別かくべついかりにもならず、内々ないないひいさまのところをお調しら[#ルビの「しら」は底本では「ひら」]べになってられたものとえまして、今度こんどいよいよ時節じせつたとなりますと、御自身ごじしんわたくし案内あんないして、れてくだすったのでございます。――ひいさま、おねがいでございます、これからは、どうぞおそばにわたくしをいてくださいませ。わたくしは、むかしのとおりひいさまのおのまわりのお世話せわをしてげたいのでございます……。』
 そうって香織かおりまたもやわたくしすがりつくのでした。
 これにはわたくしもほとほとちあつかいました。
神界しんかいおきてとしてそればかりはゆるされないのであるが……。』
『それはまたういうわけでございますか? わたくしは是非ぜひこちらへいていただきたいのでございます。』
『それは現世げんせですることで、こちらの世界せかいでは、そなたもとおり、衣服きものがえにも、頭髪おぐし手入ていれにも、すこしも人手ひとでらぬではないか。それになんとも致方いたしかたのないのはそれぞれの霊魂みたま因縁いんねん、めいめいきちんとてられた境涯ところがあるので、たとえ親子おやこ夫婦ふうふ間柄あいだがらでも、自分勝手じぶんかって同棲どうせいすることはできませぬ。そなたの芳志こころざしはうれしくおもいますが、こればかりはあきらめてたもれ。おうとおもえばいつでもえる世界せかいであるから何処どこまなければならぬということはないはずじゃ。それほどわたくしのことをおもってくれるのなら、そんな我侭わがままうかわりに、みっしり身相応みそうおう修行しゅぎょうをしてくれるがよい。そしておもしたらちょいちょいわたくしとこあそびにてたもれ……。』
 最初さいしょあいだ香織かおりはなかなかちぬらしい様子ようすをしていましたが、それでもようやくききわけて、おしばらくかたったうえで、そのいとまげて自分じぶんところもどってきました。
 いまでも香織かおりとはえず通信つうしんいたしまするし、またたまにはいもいたします。香織かおりはもうすっかりあかるい境涯きょうがいり、かおなども若返わかがえって、自分じぶんにふさわしい神様かみさま御用ごようにいそしんでります。

三十三、自殺した美女


 今度こんどかわって、事情じじょうめに自殺じさつげた一人ひとり女性にょせいとの会見かいけんのおはなしいたしましょう。少々しょうしょう陰気いんきくさいはなしで、おききになるに、あまりいお気持きもちはしないでございましょうが、った物語ものがたり現世げんせ方々かたがたに、多少たしょう御参考ごさんこうにはなろうかとぞんじます。
 そのかた生前せいぜんわたくしたいへんになかかったお友達ともだち一人ひとりで、名前なまえ敦子あつこ……あの敦盛あつもりあつというくのでございます。生家せいか畠山はたけやまって、たいそう由緒ゆいしょある家柄いえがらでございます。その畠山家はたけやまけ主人あるじわたくしちちとが日頃ひごろ別懇べっこんにしていた関係かんけいから、わたくし敦子あつこさまとのあいだ自然しぜんしたしかったのでございます。お年齢とし敦子あつこさまのほうふたつばかりしたでございました。
 おかあさまがたいへんおうつくしいかたであっため、おかあさま敦子あつこさまもめるような御縹緻ごきりょうで、ことにその生際はえぎわなどは、ふるえつくほどお綺麗きれいでございました。『あんなにおうつくしい御縹緻ごきりょううまれて敦子あつこさまは本当ほんとう仕合しあわせだ……。』そうってみんながうらやましがったものでございますが、あとかんがえると、この御縹緻ごきりょうかえっておあだとなったらしく、矢張やはおんなは、あまりみにくいのもこまりますが、またあまりうつくしいのもどうかとかんがえられるのでございます。
 敦子あつこさまのなやみははやくも十七八の娘盛むすめざかりからはじまりました。諸方しょほうからあめるようにかかって縁談えんだんなかには随分ずいぶんこれはというのもあったそうでございますが、敦子あつこさまはひとつなしにみなことわってしまうのでした。これにはむろんわけがあったのでございます。親戚しんせきの、幼馴染おさななじみ一人ひとり若人わこうど……世間せけんによくあることでございますが、敦子あつこさまははやくからみぎ若人わこうどおもおもわれるなかになり、すえ夫婦めおとと、内々ないない二人ふたりあいだかた約束やくそくができていたのでございました。これがのぞみどおり円満えんまんおさまればなん世話せわはないのでございますが、つき浮雲むらくもはなかぜとやら、なに両家りょうけあいだ事情じじょうがあって、二人ふたりうあっても一しょになることができないのでした。
 こんなことで、敦子あつこさまの婚期こんきねん一年いちねんおくれてきました。敦子あつこさまはのちにはすっかり棄鉢気味やけきみになって、自分じぶん生涯しょうがいよめにはかないなどとって、ひどく御両親ごりょうしんこまらせました。ある敦子あつこさまがわたくしもとおとずれましたので[#「訪れましたので」は底本では「訪づれましたので」]わたくしからいろいろいきかせてあげたことがございました。『御自分同志ごじぶんどうしいのは結構けっこうであるが、ういうことは、矢張やは御両親ごりょうしんのお許諾ゆるしほうがよい……。』どうせわたくしもうすことはこんな堅苦かたぐるしいはなしきまってります。これをきいて敦子あつこさまはべつ反対はんたいもしませんでしたが、さりとてまたほどおもいかえしてくれる模様もようえないのでした。
 それでも、そののち幾年いくねんって、おとこほうがあきらめて、何所どこからかつまむかえたときに、敦子あつこさまのほうでもれたらしく、とうとう両親りょうしんすすめにまかせて、幕府ばくふ出仕しゅししている、ある歴々れきれき武士ぶしもととつぐことになりました。それは敦子あつこさまがたしか二十四さいときでございました。
 縁談えんだんがすっかりととのったときに、敦子あつこさまはるばる三浦みうらまで御挨拶ごあいさつられました。そのときわたくし良人おっともおにかかりましたが、あとで、『あんな美人びじんつま男子だんしはどんなに仕合しあわせなことであろう……。』などともうしたくらいに、それはそれはうつくしい花嫁はなよめ姿すがたでございました。しかし委細いさい事情じじょうってわたくしには、あのうつくしいおかお何所どこやらにひそむ、一しゅさびしさ……新婚しんこんよろこぶというよりか、しろつらい運命うんめいに、仕方しかたなしに服従ふくじゅうしているとったような、やるせなさがどことなくかんじられるのでした。
 かくこんな具合ぐあいで、敦子あつこさまは人妻ひとづまとなり、やがて一人ひとりおとこうまれて、すくなくとも表面うわべにはたいそう幸福こうふくらしい生活せいかつおくっていました。落城後らくじょうごわたくしがあの諸磯もろいそ海辺うみべ佗住居わびずまいをして時分じぶんなどは、何度なんど何度なんどおとずれてて、なにかとわたくしちからをつけてくれました。一は、敦子あつこさまとちて、城跡しろあとの、あの良人おっとはかもうでたことがございましたが、そのみちすがら敦子あつこさまがわれたことはいまわたくし記憶きおくのこってります。――
『一たいこいしいひとわかれるのに、生別いきわかれと死別しにわかれとではどちらがつらいものでしょうか……。ことによると生別いきわかれのほうがつらくはないでしょうか……。あなたの現在げんざいのお身上みのうえもおさっいたしますが、すこしはわたくしうえさっしてくださいませ。わたくしひとつのきたしかばね、ただ一人ひとり可愛かわい子供こどもがあるばかりに、やっとこのきていられるのです。しもあの子供こどもがなかったら、わたくしなどはとうむかしに……。』
 現世げんせけるわたくし敦子あつこさまとの関係かんけい大体だいたいこんなところでおわかりかとぞんじます。

三十四、破れた恋


 それからほどて、敦子あつこさまがんだことだけなにかの機会おりわたくしわかりました。が、そのときはそうふかくもこころにとめず、いつかえるであろうくらいかるかんがえていたのでした。それよりまた何年なんねんちましたか、わたくし統一とういつ修行しゅぎょうえて、戸外おもてて、四辺あたり景色けしきながめてりますと、わたくし守護霊しゅごれい……このとき指導役しどうやくのおじいさんでなく、わたくし守護霊しゅごれいから、わたくし通信つうしんがありました。『ある一人ひとり女性じょせいいまあなたをたずねてまいります。としころは四十あまりの、たいそううつくしいかたでございます。』わたくしだれかしらとおもいましたが、『ではおにかかりましょう。』とおこたえしますと、ほどなく一人ひとりのおじいさんの指導霊しどうれいれられて、よく見覚みおぼえのある、あのうつくしい敦子あつこさまがそこへひょっくりとあらわれました。
『まァおひさしいことでございました。とうとうあなたと、こちらでおいすることになりましたか……。』
 わたくしちかづいて、そう言葉ことばをかけましたが、敦子あつこさまは、ただ会釈えしゃくをしたのみで、だまって下方したいたり、かおいろなども何所どこやらくらいようにえました。わたくしはちょっと手持無沙汰てもちぶさたかんじました。
 すると案内あんないのおじいさんがかわって簡単かんたん挨拶あいさつしてくれました。――
『このひとは、まだ御身おみわせるのにはすこ早過はやすぎるかとはおもわれたが、ただ本人ほんにん是非ぜひ御身おみいたい、一わせてもらえば、気持きもちおちついて、修行しゅぎょうはやすすむともうすので、御身おみ守護霊しゅごれいにもたのんで、今日きょうわざわざれてまいったような次第しだい……御身おみとは生前せいぜんまたとなくしたしい間柄あいだがらのようにおよんでいるから、いろいろとよくいきかせてもらいたい……。』
 そうっておじいさんは、そのままプイとかえってしまいました。わたくしはこれには、なんふか仔細しさいがあるに相違そういないとおもいましたので、敦子あつこさまのかたをかけてやさしくもうしました。――
『あなたとわたくしとはおさな時代ときからのしたしい間柄あいだがら……ことにあなたが何回なんかいわたくし佗住居わびずまいおとずれていろいろとなぐさめてくだされた、あの心尽こころづくしはいまもうれしいおもひとつとなってります。その御恩ごおんがえしというのでもありませぬが、こちらの世界せかいわたくしちからおよかぎりのことはなになりとしてあげます。うぞすべてを打明うちあけて、あなたの相談相手そうだんあいてにしていただきます。かくもこちらへおはいりくださいませ。ここがわたくし修行場しゅぎょうばでございます……。』
 敦子あつこさまは最初さいしょはただるばかり、とてもはなしをするどころではなかったのですが、それでも修行場しゅぎょうば内部なかはいって、そこのしんとした、きよらかな空気くうきひたっているうちに、次第しだいこころおちついてて、ポツリポツリと言葉くちるようになりました。
『あなたは、こんな神聖しんせい境地ところ立派りっぱ御修行ごしゅぎょうわたくしなどはとても段違だんちがいで、あなたの足元あしもとにもりつけはしませぬ……。』
 こんな言葉ことばをきっかけに、敦子あつこさまは案外あんがいすらすらと打明話うちあけばなしをすることになりましたが、最初さいしょ想像そうぞうしたとおり、はたして敦子あつこさまのうえには、わたくしっている以上いじょうに、いろいろこみった事情じじょうがあり、そして結局けっきょくんでもない死方しにかた――自殺じさつげてしまったのでした。敦子あつこさまは、んなふうかたでました。――
生前せいぜんあなたにも、あるところまでおらししたとおり、私達わたくしたち夫婦ふうふなかというものは、うわべとはたいへんにちがい、それはそれはくらい、つめたいものでございました。最初さいしょこいやぶれたわたくしには、もともと他所よそえんづく気持きもちなどはすこしもなかったのでございましたが、ただいた両親りょうしん苦労くろうをかけてはまないとおもったばかりに、ぬるつもりでからだだけは良人おっとにささげましたものの、しかしこころすこしも良人おっとのものではないのでした。愛情あいじょうともなわぬつめたい夫婦ふうふ間柄あいだがら……他人ひとさまのことはぞんじませぬが、わたくしにとりて、それは、にもあさましい、つまらないものでございました……。嫁入よめいりしてから、わたくし幾度いくたび自害じがいしようとしたかれませぬ。わたくしが、それもえせずに、どうやらながらえてりましたのは、もなくわたくし身重みおもになっためで、つまりわたくしというものは、ただ子供こどもははとして、おしくもないそのそのおくっていたのでございました。』[#「ございました。』」は底本では「ございました。」]
『こんなつめたいつまこころが、なんでいつまで良人おっとむねにひびかぬはずがございましょう。ヤケ気味ぎみになった良人おっとはいつしか一人ひとり側室そばめくことになりました。それからの私達わたくしたちあいだにはまえにもまして、一そうおおきなみぞができてしまい、夫婦ふうふとはただばかり、こころこころとは千もかけはなれてるのでした。そうするうちにポックリと、てんにもにもかけがえのない、一粒種ひとつぶだね愛児あいじ先立さきだたれ、そのままわたくしはフラフラとがふれたようになって、なん前後ぜんごかんがえもなく、懐剣かいけんのどいて、一小供こどもあとったのでございました……。』
 敦子あつこさまの談話はなしをきいてりますと、わたくしまでがへんになりそうにかんぜられました。そしてわたくしには敦子あつこさまのなされたことが、一おうもっともなところもあるが、さてなにやら、しっくりちないところもあるようにかんがえられて仕方しかたがないのでした。

三十五、辛い修行


 それからきつづいて敦子あつこさまは、こちらの世界せかい目覚めざめてからの一伍一什いちぶしじゅうわたくし物語ものがたってくれましたが、それは私達わたくしたちのような、月並つきなみ婦女おんなとうったみちとはたいへんにおもむきちがいまして、随分ずいぶん苦労くろうおおく、また変化へんかにもんでるものでございました。わたくしいまここでその全部ぜんぶをおもらしするわけにもまいりませんが、せめて現世げんせかた多少たしょう参考さんこうになりそうなところだけは、るべくれなくおつたえしたいとぞんじます。
 敦子あつこさまが、こちらで最初さいしょかれた境涯きょうがい随分ずいぶんみじめなもののようでございました。これが敦子あつこさま御自身ごじしん言葉ことばでございます。――
死後しごわたくしはしばらくは何事なにごとらずに無自覚むじかくくらしました。したがってその期間あいだがどれくらいつづいたか、むろんわかはずもございませぬ。そのうち不図ふとだれかに自分じぶんばれたようにかんじてひらきましたが、四辺あたり見渡みわたすかぎり真暗闇まっくらやみなになにやらさっぱりわからないのでした。それでもわたくしはすぐに[#「すぐに」は底本では「ずぐに」]自分じぶんはモーんでいるな、とおもいました。もともとぬる覚悟かくごったのでございますから、ということはわたくしにはなんでもないものでございましたが、ただ四辺あたりくらいのにはほとほとよわってしまいました。しかもそれがただのくらさとはなんとなくちがうのでございます。たとえばふかふか穴蔵あなぐらおくったような具合ぐあいで、空気くうきがしっとりとはだつめたくかんじられ、そしてくらなかに、なにやらうようようごいているものがえるのです。それは丁度ちょうど悪夢あくむおそわれているようなかんじで、その無気味ぶきみさともうしたら、まったくおはなししになりませぬ。そしてよくよくつめると、そのうごいてるものが、いずれもみな異様いよう人間にんげんなのでございます。――頭髪かみみだしているもの、に一まとわない裸体はだかのもの、みどろにきずついてるもの……ただの一人ひとりとして満足まんぞく姿すがたをしたものはりませぬ。こと気味きみわるかったのはわたくしのすぐそばる、一人ひとりわかおとこで、ふと荒縄あらなわで、裸身はだかみをグルグルとかれ、ちっとも身動みうごきができなくされてります。すると、そこへいかりまなじりげた、一人ひとりわかおんなあらわれて、口惜くやしい口惜くやしいとわめきつづけながら、くだんおとこにとびかかって、頭髪かみ※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしったり、顔面かおっかいたり、あしったり、んだり、とても乱暴らんぼう真似まねをいたします。わたくしはそのとき、きっとこのひとはこのおとこにかかってんだのであろうとおもいましたが、かくこんな苛責かしゃく光景ありさまるにつけても、自分じぶん現世げんせおかした罪悪つみがだんだんこはくなってどうにも仕方しかたなくなりました。わたくしのような強情かたくななものが、ドーやら熱心ねっしん神様かみさまにおすがりする気持きもちになりかけたのは、ひとえにこの暗闇くらやみ内部なかの、にもものすごい懲戒みせしめたまものでございました……。』
 敦子あつこさまの物語ものがたりはまだいろいろありましたが、だんだんきいてると、あのかたなにより神様かみさまからおしかりをけたのは、自殺じさつそのものよりも、むしろそのあまりに強情かたくな性質せいしつ……一たんうとおもえばあくまでそれをとうそうとする、我侭わがまま気性きしょうめであったようにおもわれました。敦子あつこさまはこんなこといました。――
わたくし生前せいぜん何事なにごとみな気随きずい気侭きまましとおし、自分じぶんおもいがかなわなければこの生甲斐いきがいがないようにかんがえてりました。一しょうあいだわたくし自分じぶんむねなか程度ていどまで打明うちあけたのは、あなたお一人位ひとりくらいのもので、両親りょうしんはもとよりその何人なんびとにも相談そうだんひとつしたことはございませぬ。これがわたくし破滅はめつもといだったのでございます。その性質せいしつはこちらの世界せかいてもなかなかけず、御指導ごしどう神様かみさまたいしてさえ、すべてをかくそうかくそうといたしました。すると或時あるとき神様かみさまは、そちむねいだいていることぐらいは、なにもくわしくわかっているぞ、とおおせられて、わたくしいままで極秘ごくひにしてった、あるひとつの事柄ことがら……大概たいがいさっしでございましょうが、それをすつぱりとてられました。これにはさすがのわたくし我慢がまんつのり、とうとう一さい懺悔ざんげしておゆるしをねがいました。そのめにわたくし割合わりあいはやくあの地獄じごくのような境地ところからることができました。もっとわたくし先祖せんぞなか立派りっぱ善行ぜんこうのものがったおかげで、わたくしつみまでがよほどかる[#ルビの「かる」は底本では「かろ」]くされたともうすことで……。いずれにしてもわたくしのような強情かたくなものは、現世げんせってはひとにくまれ、幽界ゆうかいては地獄じごくおとされ、たいへんにそんでございます。これにつけて、わたくしひと是非ぜひあなたに折入おりいっておびしなければならぬことがございます。じつはこのおわびをしたいばかりに、今日きょうわざわざ神様かみさまにおたのみして、つれていただきましたような次第しだいで……。』
 敦子あつこさまはそうって、わたくしひざをすりせました。わたくし何事なにごとかしらと、えりただしましたが、案外あんがいそれはつまらないことでございました。――
『あなたのほう御記憶ごきおくがあるかドーかはぞんじませぬが、あるわたくしがおたずねして、むねおもいをちあけたとき、あなたはわたくしむかい、自分同志じぶんどうしいのも結構けっこうだが、ういうことは矢張やは両親りょうしん許諾ゆるしほうがよい、とっしゃいました。なにかくしましょう、わたくしはそのとき、このひとには、こいするひとの、本当ほんとう気持きもちわからないと、こころうちたいへんにあなたを軽視みおろしたのでございます。
――しかし、こちらの世界せかいて、だんだん裏面うらから、人間にんげん生活せいかつながめることが、できるようになってると、自分じぶん間違まちがっていたことがよくわかるようになりました。わたくし矢張やは悪魔あくまみいられてたのでございました。――わたくしあらためてここでおびをいたします。うぞわたくしつみをおゆるあそばして、もとのとおりこの不束ふつつかおんな可愛かわいがって、行末ゆくすえかけておみちびきくださいますよう……。』
        ×      ×      ×      ×
 このひと一生いっしょうには随分ずいぶん過失あやまちもあったようで、したがって帰幽後きゆうご修行しゅぎょうには随分ずいぶんつらいところもありましたが、しかしもともとしっかりした、けぬ気性きしょうかただけに[#「方だけに」は底本では「方だげに」]一歩一歩いっぽいっぽ首尾しゅびよく難局なんきょくけてきまして、いまではすっかりあかるい境涯きょうがいたっしてります。それでも、どこまでも自分じぶん過去こしかたをおわすれなく、『自分じぶん他人ひとさまのように立派りっぱところへはられない。』とっしゃって、神様かみさまにおねがいして、わざとちいさな岩窟いわやのようなところこもって、修行しゅぎょうにいそしんでられます。これなどは、むしろわたくしどもの亀鑑てほんかとぞんじます。

三十六、弟橘姫


 あまりに平凡へいぼん人達ひとたちうわさばかりつづきましたから、その埋合うめあわせというわけではございませぬが、今度こんどはわがくに歴史れきしにお名前なまえ立派りっぱのこっている、一人ひとり女性じょせいにおにかかったおはなしいたしましょう。ほかでもない、それは大和武尊様やまとたけるのみことさまのおきさき弟橘姫様おとたちばなひめさまでございます……。
 私達わたくしたちあいだをつなぐ霊的れいてき因縁いんねんべついたしましても、不思議ふしぎ在世中ざいせちゅうからわたくし弟橘姫様おとたちばなひめさまあさからぬ関係かんけいってりました。御存ごぞんじのとおひめのおやしろ相模さがみ走水はしりみずもうすところにあるのですが、あそこはわたくしえんづいた三浦家みうらけ領地内りょうちないなのでございます。で、三浦家みうらけではいつも社殿しゃでん修理しゅうりそのこころをくばり、またまつりでももよおされる場合ばあいには、かなら使者ししゃてて幣帛へいはくささげました。なににしろ婦女おんな亀鑑かがみとしてられた御方おかた霊場れいじょうなので、三浦家みうらけでも代々だいだいあそこを大切たいせつ取扱とりあつかってたらしいのでございます。そして私自身わたくしじしんもたしか在世中ざいせちゅう何回なんかい走水はしりみずのおやしろ参拝さんぱいいたしました……。
 ナニその時分じぶん記憶きおく物語ものがたれとっしゃるか……随分ずいぶんとおとおむかしのことで、まるきりゆめのようなかんじがするばかり、とてもまとまったことはおもせそうもありませぬ。たしか走水はしりみずというところ浦賀うらが入江いりえからさまでとおくもない、うみやまとのったせま漁村ぎょそんで、そしてひめのおやしろは、そのむら小高こだかがけ半腹はんぷくってり、石段いしだんうえからはうみえて上総かずさ房州ぼうしゅう見渡みわたされたようにおぼえてります。
 そうそういつかわたくしがおまいりしたのは丁度ちょうどはるなかばで、あちこちのやまもりには山桜やまざくら満開まんかいでございました。走水はしりみず新井あらいしろから三四ばかりもへだった地点ところなので、わたくしはよく騎馬きばまいったのでした。うまはもちろんれい若月わかつきで、従者じゅうしゃ一人ひとり腰元こしもとほかに、二三にん家来けらいいてったのでございます。みち三浦みうら東海岸ひがしかいがん沿った街道かいどうで、たしか武山たけやまとかもうす、可成かなたかひとつのやますそをめぐってくのですが、そのおりよくそらあがっていましたので、馬上ばじょうからながむるうみやまとの景色けしきは、まるで絵巻物えまきものをくりひろげたようにうつくしかったことをいまでも記憶きおくしてります。まったくあの三浦みうら土地とちは、うみなか半島はんとうだけに、景色けしきにかけては何処どこにもひけはりませぬようで……。もっともそれは現世げんせでのはなしでございます。こちらの世界せかいには竜宮界りゅうぐうかいのようなきれいなところがありまして、三浦半島みうらはんとう景色けしきがいかにいともうしても、とてもくらべものにはなりませぬ。
 領主りょうしゅ奥方おくがた御通過ごつうかというので百姓ひゃくしょうなどは土下座どげざでもしたか、とっしゃるか……ホホまさかそんなことはございませぬ。すれちがときにちょっと道端みちばたけてくびをさげるだけでございます。それすらわたくしにはづまりにかんじられ、ツイそとるのが億劫おっくう[#「億劫で」は底本では「臆怯で」]仕方しかたがないのでした。さいわいこちらの世界せかいまいってから、そのてん気苦労きぐろうがすっかりなくなったのはうれしうございますが、しかしこちらのたびはあまり、あっけなくて、現世げんせでしたように、ゆるゆると道中どうちゅう景色けしきあじわうような面白味おもしろみはさっぱりありませぬ……。
 こんな夢物語ゆめものがたりをいつまでつづけたとて致方いたしかたがございませぬから、加減かげんげますが、かく弟橘姫様おとたちばなひめさまたいする敬慕けいぼねん在世中ざいせちゅうからふかふかわたくしむね宿やどってたことは事実じじつでございました。『みことのお身代みがわりとして入水にゅうすいされたときひめのお心持こころもちはどんなであったろう……。』祠前しぜんぬかづいてむかししのときに、わたくし両眼りょうがんからはあつなみだがとめどなくながちるのでした。
 ところがいつか竜宮界りゅうぐうかいおとずれたときに、この弟橘姫様おとたちばなひめさま玉依姫様たまよりひめさま末裔みすえ――御分霊ごぶんれいけた御方おかたであるとうかがいましたので、わたくしひめをおしたもうこころ一層いっそうつよまってまいりました。『是非ぜひとも、一度いちどにかかって、いろいろおはなしうけたまわり、また力添ちからぞえねがわねばならぬ……。』――そうかんがえるとたてもたまらぬようになり、とうとうそのむね竜宮界りゅうぐうかいにおねがいすると、竜宮界りゅうぐうかいでもたいそうよろこばれ、すぐその手続てつづきをしてくださいました。
 わたくしがこちらで弟橘姫様おとたちばなひめさまにお目通めどおりすることになったのはこんな事情じじょうからでございます。

三十七、初対面


 竜宮界りゅうぐうかいからかねてくわしい指図さしずけてりましたので、そのときわたくしおもってたった一人ひとり出掛でかけました。初対面しょたいめんのことゆえ服装ふくそうなども失礼しつれいにならぬよう、日頃ひごろこのみの礼装れいそうに、れい被衣かつぎ羽織はおりました。
 ヅーッと何処どこまでもつづく山路やまじ……たいへんたかとうげにかかったかとおもうと、今度こんどくだざかになり、みぎひだりにくねくねとつづらにれて、とき樹木じゅもくあいだからあお海原うなばらがのぞきます。やがてきついたところはそそりおおきないわいわとのあいだえぐりとったようなせま峡路はざまで、そのおくふかふか洞窟どうくつになってります。そこが弟橘姫様おとたちばなひめさま日頃ひごろこのみの御修行場ごしゅぎょうばで、洞窟どうくつ入口いりぐちにはチャーンと注連縄しめられてりました。むろん橘姫様たちばなひめさまはいつもここばかりに引籠ひきこもってられるのではないのです。現世げんせ立派りっぱなおやしろがあるとおり、こちらの世界せかいにも矢張やはりそうったものがあり、御用ごようがあればすぐそちらへおましになられるそうで……。
御免遊ごめんあそばしませ……。』
 くちにこそしませんが、わたくしこころでそうおもって、会釈えしゃくして洞窟いわや内部なかあゆりますと、はやくもそれとさっしておくかたからおましになられたのは、わたくし年来ねんらいしたもうしていた弟橘姫様おとたちばなひめさまでございました。るところお年齢としはやっと二十四五、小柄こがら細面ほそおもての、たいそううつくしい御縹緻ごきりょうでございますが、どちらかといえばすこしずんだほうで、きりりとやや気味ぎみ眼元めもとには、すぐれた御気性ごきしょうがよくうかがわれました。御召物おめしものは、これはまたわたくしどもの服装ふくそうとはよほどちがいまして、上衣うわぎはややひろ筒袖つつそでで、色合いろあいはむらさきがかってりました、下衣したぎ白地しろじで、上衣うわぎより二三ずんしたび、それにははかまのようにひだってありました。頭髪おぐしあたま頂辺てっぺんつくったもので、ここにも古代こだいらしいにおい充分じゅうぶんただよってりました。また履物はきもの黒塗くろぬりりのくつみた[#ルビの「みた」は底本では「み」]いなものですが、それはかわなんぞでんだものらしく、そうおもそうにはえませんでした……。
わたくしういうものでございますが、現世げんせりましたときからふかくあなたさまをおしたもうし、こと先日せんじつ乙姫おとひめさまから委細いさいうけたまわりましてから、一層いっそうなつかしく、是非ぜひ一度いちど目通めどおりをねがわずにはられなくなりました、一向いっこう何事なにごとわきまえぬ不束者ふつつかものでございますが、これからは末長すえながくおおしえをけさせていただきとうぞんじまする……。』
『かねて乙姫様おとひめさまからのお言葉ことばにより、あなたのおでを心待こころまちにおもうしてりました。』とあちらさまでもたいそうよろこんでわたくしむかえてくださいました。『自分じぶんとて、ただすこはやくこちらの世界せかい引移ひきうつったというだけ、これからはともどもにって、修行しゅぎょうすることにいたしましょう。うぞこちらへ……。』
 その口数くちかずすくない、ひかものごしが、わたくしにはなにより有難ありがたおもわれました。『矢張やは歴史れきし名高なだか御方おかただけのことがある。』わたくしこころなかひとりそう感心かんしんしながら、さそわるるままに岩屋いわや奥深おくふかすすりました。
 わたくし自身じしんやま修行場しゅぎょうばうつるまでは、矢張やは岩屋いわやずまいをいたしましたが、しかし、ここはずっとおおがかりに出来でき岩屋いわや[#「岩屋で」は底本では「岩屋て」]両側りょうがわ天井てんじょうもものすごいほどギザギザした荒削あらけずりのいわになってました。しかし外面おもてからたのとはちがって、内部なかはちっともくらいことはなく、ほんのりといかにも落付おちついたひかりが、へや全体ぜんたいみなぎってりました。『これなら精神統一せいしんとういつがうまくできるに相違そういない。』餅屋もちや餅屋もちやもうしますか、わたくし矢張やはりそんなことをかんがえるのでした。
 ものの二ちょうばかりもすすんだところひめ御修行ごしゅぎょう場所ばしょで、床一面ゆかいちめんなにやらふわっとした、やわらかい敷物しきものきつめられてり、そして正面しょうめんたなたいにできた凹所くぼみ神床かんどこで、ひとつのまる御神鏡ごしんきょうがキチンとえられてるばかり、ほかには何一なにひと装飾そうしょくらしいものは見当みあたりませんでした。
 私達わたくしたち神床かんどこ前面ぜんめんに、ひだりみぎってめました。そのころわたくし大分だいぶん幽界ゆうかい生活せいかつれてていましたものの、かく自分じぶんより千年せんねんあまりも以前いぜん帰幽きゆうせられた、史上しじょう名高なだか御方おかたうしてひざまじえてしたしく物語ものがたるのかとおもうと、なに[#ルビの「なに」は底本では「なは」]やらゆめでもるようにかんじられて仕方しかたがないのでした。

三十八、姫の生立


 私達わたくしたちあいだには、それからそれへと、物語ものがたりがとめどなくはずみました。みたま因縁いんえんもうすものはまことに不思議ふしぎちからっているものらしく、これが初対面しょたいめんでありながら、相互おたがいあいだへだてのかきはきれいにられ、さながらけた姉妹きょうだいのように、なにもすっかりこころそこけたのでございました。
 わたくしというものは御覧ごらんとおなん取柄とりえもない、みじかい生涯しょうがいおくったものでございますが、それでも弟橘姫様おとたちばなひめさまわたくし現世時代げんせじだい浮沈うきしずみたいしてこころからの同情どうじょうせて、親身しんみになってきいてくださいました。『あなたも随分ずいぶん苦労くろうをなさいました……。』そうって、わたくしってなみだながされたときは、わたくしかたじけないやら、難有ありがたいやらでむねいっぱいになり、われをわすれてひめ御膝おひざすがりついてしまいました。
 が、そんなはなしはただわたくしだけのことで、あなたがたには格別かくべつ面白おもしろくも、またおかしくもございますまいが、ただ其折そのおり[#ルビの「そのおり」は底本では「おのおり」]弟橘姫様おとたちばなひめさま御自身ごじしんくちづからもらされたとおむかしおもばなし――これはせめてその一端いったんなりとここでおつたえしてきたいとぞんじます。なににしろ日本にほん歴史れきしかざ第一だいいち花形はながたといえば、女性じょせいでは弟橘姫様おとたちばなひめさままた男性だんせいでは大和武尊様やまとたけるのみことさまでございます。このお二人ふたりにからまる事蹟じせきすこしでも現世げんせ人達ひとたちつたわることになれば、わたくしつたな通信つうしんにもはじめていくらかの意義いぎくわわるわけでごさいます。わたくしにとりてこんな冥加至極みょうがしごくなことはございませぬ。もっとわたくし申上もうしあぐるところがはたして日本にほんふる書物しょもつせてあることとっているか、いないか、それはわたくしにはさっぱりわかりませぬ。わたくしはただ自分じぶんうかがいましたままをおつたえするだけでございますから、そのてんはよくよくおふくみのうえ取拾しゅしゃしていただぞんじます。
 それからもうひとここでくれぐれもおことわりしてきたいのは、わたくしがお取次とりつぎすることが、けっしてひめ御自身ごじしんのお言葉ことばそのままでなく、ただ意味いみだけを[#「意味だけを」は底本では「意味だげを」]つたえることでございます。当時とうじ言語ことば含蓄がんちくふかいともうしますか、そのままではとてもわたくしどものちかぬるところがあり、わたくしとしては、不躾ぶしつけりつつも、何度なんど何度なんどいかえして、やっとここまでりまとめたのでございます。で、多少たしょうわたくしのききそこね、おもちがいがないともかぎりませぬから、そのてん何卒なにとぞ充分じゅうぶんにおふくくださいますよう……。
『あなたさま御生立おんおいたちうかがわしていただぞんじまするが……。』
 機会きかいわたくしはそうしました。するとひめはしばらく凝乎じっかんがまれ、それからようやくちびるひらかれたのでございました。――
『いかにもとおむかしのこと、ところひとも、きゅうにはむねうかびませぬ。――わたくしうまれたところは安芸あき国府こくふちち安藝淵眞佐臣あきぶちまさをみ……代々だいだいこのくにつかさうけたまわってりました。もっとちちときみかどからいだされ、いつもおそばつかえるとて、一年いちねん大部だいぶ不在勝るすがち、国元くにもとにはただおんな小供こどものこってるばかりでございました……。』
きょうだいもおありでございましたか。』
自分じぶん三人さんにんのきょうだいのなかかしらほかみな男子おとこでございました。』
『いつもお国元くにもとのみにおらしでございましたか?』
『そうのみともかぎりませぬ。たまにはちちのおともをして大和やまとにのぼり、みかどのお目通めどおりをいたしたこともございます……。』
『アノ大和武尊様やまとたけるのみことさまとも矢張やは大和やまとほうでおにかかられたのでございまするか?』
『そうではありませぬ……。国元くにもとやかたはじめておにかかりました……。』
 山間さんかん湖水こすいのようにった、気高けだかひめのおかおにも、さすがにこのとき情思こころうごきがうす紅葉もみじとなってりました。わたくしかまわずいつづけました。――
何卒なにとぞそのとき御模様おんもようをもうすこしくわしくうかがわせていただくわけにはまいりますまいか? あれほどまでにふかふか夫婦めおと御縁ごえんが、ただかりそめのことむすばれるはずはないとぞんじますが……。』
『さァ……何所どこからはなし糸口いとぐち手繰たぐしてよいやら……。』
 ひめはしばらくさしうづむいて[#「俯いて」は底本では「腑いて」]かんがんでられましたが、そのうち次第しだいにそのかたくちびるすこしづつほころびてまいりました。おはなし前後ぜんごをつづりわせると、大体だいたいそれはぎのような次第しだいでございました……。

三十九、見合い


 それはたしかに、あるとしなつはじめやかたもり蝉時雨せみしぐれ早瀬はやせはしみずのように、かまびずしくきこえている、あつ真昼過まひるすぎのことであったともうします――やかた内部うちっていたような不時ふじ来客らいきゃくに、午睡ひるねする人達ひとたちもあわててとびき、うえしたへの大騒おおさわぎをえんじたのも道理どうり、その来客らいきゃくもうすのは、だれあろう、ときみかどうず皇子みこ当時とうじ筑紫路つくしじから出雲路いずもじにかけて御巡遊中ごじゅんゆうちゅう小碓命様おうすのみことさまなのでございました。御随行おとも人数にんずおよそ五六十にん、いずれもみこと直属ちょくぞく屈強くっきょう武人つわものばかりでございました。ついでにちょっとくわえてきますが、そのころみこと直属ちょくぞく部下ぶかもうしますのは、いつもこれくらい小人数こにんずうでしかなかったそうで、いざ戦闘たたかいとなれば、いずれの土地とちられましても、附近あたり武人もののふどもが、あとからあとからさんじてたちま大軍たいぐんになったともうします。『わざわざ遠方とおくからあまたの軍兵つわものひきいて御出征おいでになられるようなことはありませぬ……。』橘姫たちばなひめはそうっしゃってられました。何所どこへまいるにもいつもみこと御随伴おともをした橘姫たちばなひめがそうもうされることでございますから、よもやこれに間違まちがいはあるまいとぞんじます。
 それはかく不意ふい来客らいきゃくとしては五六十にんはなかなかの大人数おおにんずうでございます。ましてそれが日本国中にほんこくじゅうにただ一人ひとりあって、二人ふたりとはない、いくさ神様かみさま御同勢ごどうせいとありましてはたいへんでございます。おそらくもり蝉時雨せみしぐれだって、ぴったりんだことでございましょう。ただそのさいなにより好都合こうつごうであったのは、ひめ父君ちちぎみめずらしく国元くにもとかえってられたことで、御自身ごじしん采配さいはいって家人がじん指図さしずし、心限こころかぎりの歓待もてなしをされために、すこしの手落ておちもなかったそうでございます。それについてひめすこしくお言葉ことばにごしてられましたが、うやら小碓命様おうすのみことさまのその御立寄おたちよりかならずしも不意打ふいうちではなく、かねてときみかどから御内命ごないめいがあり、わば橘姫様たちばなひめさまとお見合みあいめに、それとなくおしになられたらしいのでございます。
 いずれにしてもひめはそのゆうべ両親りょうしんうながされ、盛装せいそうしておそばにまかりで、御接待ごせったいあた[#ルビの「あた」は底本では「あて」]られたのでした。『何分なにぶんにも年若としわかむすめのこととてはずかしさが先立さきだち、格別かくべつのお取持とりもちもできなかった……。』ひめはあっさりと、ただそれっきりしかおくちにはされませんでしたが、どうやらお二人ふたりあいだつないだ、ってもれぬかたえにしいとは、そのときむすばれたらしいのでございます。実際じっさいまたいずれの時代じだいをさがしても、この御二人おふたりほどお似合にあい配偶めおとはめったにありそうにもございませぬ。もうすもかしこけれど、お婿様むこさまは百だい一人ひとりわれる、すぐれた御器量ごきりょう御子みこまたきさきは、しとやかなお姿すがたうち凛々りりしい御気性ごきしょうをつつまれた絶世ぜっせい佳人かじん、このお二人ふたりておたがいにおさぬようなことがあったら、それこそ不思議ふしぎでございます。お年輩ねんぱいも、たしかみことはそのときおん二十四、ひめおん十七、どちらも人生じんせい花盛はなざかりなのでございました。
 これは余談よだんでございますが、わたくしがこちらの世界せかい大和武尊様やまとたけるのみことさま御目通おめどおりしたときかんじを、ここでちょっと申上もうしあげてきたいとぞんじます。あんな武勇ぶゆう絶倫ぜつりん御方おかたでございますから、おにかからぬうちは、どんなにもこわ御方おかたかとぞんじてりましたが、実際じっさいはそれはそれはおさしい御風貌ごようすなのでございます。むろん御筋骨ごきんこつはすぐれてたくましうございますが、御顔おかお色白いろじろの、いたってお奇麗きれい細面ほそおもて、そしてすこ釣気味つりぎみのお目元めもとにも、またきりりときしまったお口元くちもとにも、ほとんど女性じょせいらしいさしみをたたえてられるのでございます。『るほどこのかたなら少女姿おとめすがた仮装つくられてもさして不思議ふしぎはないはず……。』失礼しつれいとはぞんじながらわたくしはそのときこころうちでそうかんじたことでございました。
 それはさてき、みことはそのさい二晩ふたばんほどおとまりになって、そのままおかえりになられましたが、やがてみかどのお裁可ゆるしあおぎてふたた安芸あきくににおくだあそばされ、そのときいよいよ正式せいしき御婚儀ごこんぎげられたのでございました。もっと軍務ぐんむ多端たたんさいとて、そのしきいたって簡単かんたんなもので、ただ内輪うちわでお杯事さかずきごとをされただけ、もなく新婚しんこん花嫁様はなよめさまをおれになって征途せいとのぼられたとのことでございました。『ういう場合ばあいであるから何所いずくへまいるにも、そちをれる。』みことはそうおおせられたそうで、またひめほうでも、いとしき御方おんかた苦労くろう艱難かんなんともにするのがおんなつとめと、かたかた覚悟かくごされたのでした。

四十、相摸の小野


 幾年いくとせかにまたが賊徒ぞくと征伐せいばついくさ旅路たびじに、さながらかげかたちともなごとく、ただの一にちとしてきみのおそばはなれなかった弟橘姫おとたちばなひめなみだぐましい犠牲ぎせい生活せいかつは、じつにそのとき境界さかいとしてはじめられたのでした。としふゆ雪沓ゆきぐつ穿いて、吉備国きびのくにから出雲国いずものくにへの、国境くにざかい険路けんろえる。またとしなつにはくような日光びつつ阿蘇山あそざん奥深おくふかくくぐりりてぞく巣窟そうくつをさぐる。そのほか言葉ことばにつくせぬ数々かずかず難儀なんぎなこと、危険きけんなことにわれましたそうで、歳月つきひつとともに、そのくわしい記憶きおく次第しだいうすれてはっても、そのときむねにしみんだ、かんじのみはいまたましいそこからはなれずにるとのおおせでございました。
 こんなくるしい道中どうちゅうのことでございますから、御服装おみなりなどもそれはそれは質素しっそなもので、あしには藁沓わらぐつには筒袖つつそで、さして男子だんし旅装束たびしょうぞく相違そういしていないのでした。なれども、ひめ最初さいしょからこころかた覚悟かくごしてられることとて、ただの一愚痴ぐちめきたことはおくちされず、それにおからだも、かぼそいながらいたって御丈夫おじょうぶであっため、一こう足手纏あしてまと[#ルビの「あしてまと」は底本では「てあしまと」]いになられるようなことはけっしてなかったともうすことでございます。
 かかる艱苦かんく旅路たびじうちにありて、ひめこころささうるなによりのほこりは、御自分ごじぶん一人ひとりがいつもみことのおともきまってることのようでした。『日本にっぽん一の御子みこからまたなきものにいつくしまれる……。』そうおもときに、ひめこころからは一さい不満ふまん、一さい苦労くろうけむりのようにえてしまうのでした。当時とうじ習慣しゅうかんでございますから、むろんみこと御身辺ごしんぺんには夥多あまた妃達きさきたちがとりまいてられました。それなかには橘姫たちばなひめよりもはるかに家柄いえがらたかいおかたもあり、また縹緻きりょう自慢じまんの、それはそれは艶麗あでやか美女びじょないのではないのでした。が、それわば深窓しんそうかざ手活ていけはなみことのおくつろぎになられたおりかるいお相手あいてにはなりても、いざ生命懸いのちがけのそとのお仕事しごとにかかられるときには、きまりって橘姫たちばなひめにおこえがかかる。これでは『仮令たとえんでも……。』というかんがえ橘姫たちばなひめむね奥深おくふかきざまれたはずでございましょう。
 だんだんうかがってると、かずかぎりもないだいちゅうで、最大さいだい御危難ごきなんといえば、矢張やはり、あの相摸国さがみのくにでの焼打やきうちだったともうすことでございます。ひめはそのとき模様丈もようだけ割合わりあいにくわしく物語ものがたられました。――
『あのときばかりは、いかに武運ぶうんめぐままれた御方おんかたでも、今日きょう御最後ごさいごかとあやぶまれました。自分じぶんみことのお指図さしずで、二人ふたりばかりの従者ともにまもられて、とあるおか頂辺いただきけて、みこと御身おんみうえあんじわびてりましたが、そのうちほうからきゅうにめらめらとひろがる野火のび、やがて見渡みわたかぎりはただ一めんうみとなってしまいました。おりからはげしい疾風はやてさえつのって、みことのくぐりられた草叢くさむらほうへと、ぶがごとくにせてきます。その背後はいごは一たいふか沼沢さわで、何所どこへも退路にげみちはありませぬ。もうほんのひとあおりですべてはおわり……。そうおもうとわたくしはわれをわすれて、おかうえからりようと[#「駆け降りようと」は底本では「騙け降りようと」]しましたが、その瞬間しゅんかんたちまちゴーッとみみもつぶれるような鳴動うなりともに、いままでとはちがって、西にしからひがしへときをかえた一じん烈風れっぷう、あなやとおももなく、猛火もうかぞくかくれた反対はんたい草叢くさむらうつってまいりました……。そのときたちまち、右手みぎてたかく、御秘蔵ごひぞう御神剣ごしんけんかざし、うるし黒髪くろかみかぜなびかせながら、部下ぶか軍兵つわものどもよりも十さきんじて、草原くさはら内部なかからってでられたみことたけ御姿おんすがた、あのときばかりは、女子おなごでありながらおぼえず両手りょうてそらにさしあげて、こえかぎりにわあッとさけんでしまいました……。あと御伺おうかがいすると、あの場合ばあいみこと御難儀ごなんぎのがたのは、矢張やはりあの御神剣ごしんけんのおかげだったそうで、ゆるなかみことがその御鞘おんさやわれると同時どうじに、風向かざむきがきゅうかわったのだともうすことでございます。みぎ御神剣ごしんけんもうすのは、あれは前年ぜんねんわざわざ伊勢いせまいられたときに、姨君おばぎみからさずけられたにもとうと御神宝ごしんぽうで、みことはいつもそれをにしきふくろおさめて、御自身ごじしん肌身はだみにつけてられました。わたくしなどもただ一しかおがましていただいたことはございませぬ……。』
 これが大体だいたいひめのお物語ものがたりでございます。そのさいみことには、火焔かえんなかちながらも、しきりにひめうえあんじわびられたそうで、そのかたじけない御情意おこころざしはよほどふかひめむねにしみんでるらしく、こちらの世界せかい引移ひきうつって、う千ねんにもあまるというのに、いまでも当時とうじおもいだせば、おのずとなみだがこぼれるとってられました。
 かくまでふかいお二人ふたりあいだでありながら、お児様こさまとしては、若建王わかたけるおうばれる御方おかたがただ一人ひとり――それもたびからたびへといつも御不在勝ごふざいがちであっために、御自分ごじぶん御手おて御養育ごよういくはできなかったともうすことでございました。つまり橘姫たちばなひめしょうはすべてをきみささげつくした、にも若々わかわかしいはなの一しょうなのでございました。

四十一、海神の怒り


 わたくしうかがった橘姫たちばなひめのお物語ものがたりなかには、まだいろいろおつたえしたいことがございますが、とても一かたりつくすことはできませぬ。いずまた機会おりがありましたらあらためておもらしすることとして、ただあの走水はしりみずうみ御入水ごにゅうすいあそばされたおはなしだけは、うあってもはぶわけにはまいりますまい。あれこそはひとりこの御夫婦ごふうふだいかざる、もっとうつくしい事蹟じせきであるばかりでなく、また日本にほん歴史れきしなかでのりの美談びだんぞんじます。わたくしるべくひめのお言葉ことばそのままをお取次とりつぎすることにいたします。
『わたくしたち海辺うみべったのはまだあさのことでございました。かぜすこいてりましたが、そらには一てんくももなく、五六もあろうかとおもわるるひろ内海いりうみ彼方かなたには、ふさくにひく山々やまやまのようにぽっかりとうかんでりました。そのとき私達わたくしたち人数にんずはいつもよりも小勢こぜいで、かれこれ四五十めいったでございましょうか。仕立したてたふねは二そう、どちらも堅牢けんろう新船あらふねでございました。
『一どう今日きょう船出ふなで寿ことほったのもほんのつか、やや一ばかりもおかはなれたとおぼしきころから、天候てんこうにわかに不穏ふおん模様もようかわってしまいました。西北せいほくそらからどっとせる疾風はやてふねはグルリときをかえ、人々ひとびとたきなす飛沫しぶきを一ぱいにびました。それにあのとき空模様そらもようあやしさ、赭黒あかぐろくもみねが、みぎからもひだりからも、もくもくとむらがりでて満天まんてんかさなり、四辺あたりはさながら真夜中まよなかのようなくらさにとざされたとおももなく、白刃しらはえたような稲妻いなづま断間たえまなく雲間あいだひらめき、それにつれてどっとりしきる大粒おおつぶあめは、さながらつぶてのように人々ひとびとおもてちました。わがきみをはじめ、一どうはしきりに舟子達かこたちはげまして、くる風浪ふうろうたたかいましたが、やがてりょうにんなみまれ、残余のこりちからつきて船底ふなぞこたおれ、ふねはいつくつがえるかわからなくなりました。すべてはものの半刻はんときたぬ、ほんのわずかののことでございました。
『かかる場合ばあいにのぞみて、人間にんげんたのむところはただ神業かみわざばかり……。わたくしは一しん不乱ふらんに、神様かみさまにお祈祷いのりをかけました。ふねのはげしき[#「はげしき」は底本では「はげじき」]動揺どうようにつれて、幾度いくたびとなくさるるわたくしからだ――それでもわたくしはその都度つどあがりて、あわせて、熱心ねっしんいのりつづけました。と、たちまわたくしみみにはっきりとしたひとつのささやき、『これは海神かいじんいかり……今日限きょうかぎみこと生命せいめいる……。』おぼえずはっとして現実うつつにかえれば、みみるはただすさまじき[#「すさまじき」は底本では「すまじき」]なみおとかぜさけび――が、精神こころしずめるとまたもやみぎあやしきささやきがはっきりとみみきこえてまいります……。
『二、三、五……幾度いくたびくりかえしてもこれに間違まちがいのないことがわかったときに、わたくしはすべてをみことけました。みこと日頃ひごろの、あの雄々おおしい御気性ごきしょうとて「んのおろかなこと!」とただ一ごんしてしまわれましたが、ただいかにしてもないのは、いつまでもわたくしみみにきこゆるあの不思議ふしぎささやきでございました。わたくしはとうとう一ぞんで、神様かみさまにおすがりしました。「みこと御国みくににとりてかけがえのない、大切だいじ御身おみうえ……何卒なにとぞこのかずならぬおんな生命いのちもっみこと御生命おんいのちにかえさせたまえ……。」二、三このいのりをりかえしてうちに、わたくしむねには年来ねんらいみこと御情思おんなさけがこみあげて、わたくし両眼りょうがんからはなみだたきのようにあふれました。一しゅうたおのずとわたくしくちいてたのもそのときでございます。真嶺さねし、相摸さがむ小野おのに、ゆるの、火中ほなかちて、いしきみはも……。
みぎうたうたおわるとともに、いつしかわたくしからだくる波間なみまおどってりました、そのときちらとはいしたわがきみのはっとおどろかれた御面影おんおもかげ――それが現世げんせでの見納みおさめでございました。』
        ×      ×      ×      ×
 橘姫たちばなひめ御物語おんものがたりずこれにてりといたしますが、ただわたくしとして、ちょっとここで申添もうしそえてきたいとおもいますのは、海神かいじんいかりのけんでございます。大和武尊やまとたけるのみことさまのような、あんな御立派ごりっぱなおかたが、何故なぜなれば海神かいじんいかりをわれたか?――これはおそらくどなたも御不審ごふしんてんかとぞんじまするが、じつわたくしもこれにつきて、指導役しどうやくのおじいさんにそのわけうかがったことがあるのでございます。そのときじいさんはこたえられました。――
『それはういう次第しだいじゃ。すべてものにはおもてうらとがある。みこと日本国にほんこくにとりてならびなき大恩人だいおんじんであることはいうまでもなけれど、しかしころされた賊徒ぞくとになってれば、みことほど、にもにくいものはない。みことにかかってほろぼされた賊徒ぞくとかず何万なんまんともれぬ。で、それが一だん怨霊おんりょうとなってすきうかがい、たまたまこころよからぬ海神かいじんたすけけをて、あんな稀有けう暴風雨あらしをまきおこしたのじゃ。あれは人霊じんれいのみでできる仕業しわざでなく、また海神かいじんのみであったら、よもやあれほどのいたずらはせなかったであろう。たまたまうしたふたつのちから合致がっちしたればこそ、あのような災難さいなんきゅうっていたのじゃ。当時とうじ橘姫たちばなひめにはもとよりそうしたくわしい事情じじょうわかろうはずもない。ひめがあれをただ海神かいじんいかりとのみかんじたのはいささか間違まちがってるが、それはそうとして、あの場合ばあいひめ心胸むねにはまことになみだぐましい真剣しんけんさが宿やどっていた。あれほどの真心まごころなんですぐ神々かみがみ御胸みむねつうぜぬことがあろう。それがつうじたればこそ大和武尊やまとたけるのみことには無事ぶじに、あの災難さいなんりぬけることが出来できたのじゃ。橘姫たちばなひめ矢張やはまれるすぐれた御方おかたじゃ。』
 わたくしはこの説明せつめいはたしてすべてをつくしているかいなかはぞんじませぬ。ただみなさまの御参考ごさんこうまでに、わたくしうかがったところをくわえてくだけでございます。

四十二、天狗界探検


 あまり面会談めんかいだんばかりつづいたようでございますから、今度こんどすこ模様もようをかえて、そのころ修行しゅぎょうめにわたくしがこちらで探検たんけんまいりました、めずらしい境地ところのおはなしをすることにいたしましょう。こちらの世界せかいには、現世げんせとはまったちがった、それはそれはかわったものがんでるところがあるのでございます。それがあまりにもはなぎていますので、あなたがたことによると半信半疑はんしんはんぎ、よもやとおかんがえになられるかぞんじませぬが、これが事実じじつであってれば、自分じぶんかんがえ勝手かって手加減てかげんくわえるわけにもまいりませぬ。あなたがたがそれをれるか、れないかはまったべつとして、かくわたくしえいじたままを率直あからさまべてることにいたします。
今日きょう天狗てんぐ修行場しゅぎょうばれてく……。』
 あるれい指導役しどうやくのおじいさんがわたくしにそうわれます。わたくしには天狗てんぐなどというものをべつたいというかんがえもないのでございましたが、それが修行しゅぎょうめとあればおことわりするのもドーかとおもい、かぬ気分きぶんで、だまっておじいさんのあとについて、やま修行場しゅぎょうば出掛でかけました。
 いつもとはことなり、その修行場しゅぎょうば裏山うらやまから、おくおくおくへとどこまでも険阻けんそ山路やまみちりました。こちらの世界せかいでは、どんな山坂やまさかのぼくだりしても格別かくべつ疲労ひろうかんじませぬが、しかしなにやらシーンと底冷そこびえのする空気くうきに、わたくしおぼえず総毛立そうげだって、からだがすくむようにかんじました。
『おじいさま、ここはよほどの深山しんざんなのでございましょう……わたくしはぞくぞくしてまいりました……。』
さむかんずるのはやまふかいからではない。ここはもうそろそろ天狗界てんぐかいちかいので、一たい[#「一帯の」は底本では「一体の」]空気くうきおのずとちがってたのじゃ。大体だいたい天狗界てんぐかい女人禁制にょにんきんせい場所ばしょであるからそちにはあまり気持きもちよろしくあるまい……。』
『よもや天狗てんぐさんがおこってわたくしさらってくようなことはございますまい……。』
『その心配しんぱいらぬ。今日きょう神界しんかいからのお指図さしずけてたずねるのであるから、立派りっぱなお客様扱きゃくさまあつかいをけるであろう。二うしたところることもあるまいから、よくよくをつけて天狗界てんぐかい状況ようすをさぐり、また不審ふしんてんがあったら遠慮えんりょなく天狗てんぐ頭目かしらたずねてくがよいであろう……。』
 やがてふるふるすぎ木立こだちがぎっしりと全山ぜんざんおおいつくして、ひるくらい、とてもものすごいところへさしかかりました。わたくしはますます全身ぜんしん寒気さむけかんじ、こころうちではげてかえりたいくらいおもいましたが、それでもおじいさんが一こう平気へいきでズンズンあしはこびますので、やっとのおもいでついてまいりますと、いつしか一けん家屋かおくまえました。それは丸太まるたんで出来できた、やっと雨露うろしのぐだけの、きわめてざっとした破屋あばらやで、ひろさはたたみならば二十じょうけるくらいでございましょう。が、もちろんたたみいてなく、ただ荒削あらけずりの厚板張あついたばりになってりました。
『ここが天狗てんぐ道場どうじょうじゃ。人間にんげん世界せかい剣術道場けんじゅつどうじょうによくるであろうが……。』
 そんなことをっておじいさんはわたくしうながしてみぎ道場どうじょうあゆりました。
 とると、室内しつないには白衣びゃくいた五十さいおもわるる一人ひとり修験者しゅけんじゃらしい人物じんぶつて、鄭重ていちょうこしをかがめて私達わたくしたちむかえました。
うこそ……。かねてのおたっしで、あなたがたのおでをおけしてりました。』
 わたくしただちにこれが天狗てんぐさんの頭目かしらであるな、とさとりましたが、かねて想像そうぞうしてたのとはちがって、格別かくべつ