連城

蒲松齢

田中貢太郎訳




 きょう晋寧しんねいの人で、少年の時から才子だといわれていた。年が二十あまりのころ、心の底を見せてあっていた友人があった。それはという友人であったが、その顧がくなった時、妻子の面倒を見てやったので、邑宰むらやくにんがひどく感心して文章を寄せて交際を求めて来た。そして二人が交際しているうちに、その邑宰が没くなったが、家に貯蓄がないので家族達は故郷へ婦ることができなかった。喬は家産を傾けて費用を弁じ、顧の家族と共に顧のひつぎを送っていって、二千余里の路を往復したので、心ある人はますますそれを重んじたが、しかし、家はそれがために日に日に衰えていった。
 その時史孝廉しこうれんという者があって一人のむすめを持っていた。女は幼な名を連城れんじょうといっていた。刺繍ししゅうが上手で学問もあった。父の孝廉はひどくそれを愛した。連城の刺繍した女の刺繍にんでいる図を出して、それを題にして少年達に詩をつくらした。孝廉はその詩によって婿むこえらぼうとしていた。喬もそれに応じて詩をつくって出した。
 その詩は、
慵鬟高髻緑婆娑ようかんこうきつみどりばさ
早く蘭窓に向って碧荷へきかしゅう
刺して鴛鴦えんおうに到ってたましいたんと欲す
暗に針綫しんせんとどめて双蛾をひそ
 というのであった。
 また連城の刺繍の巧みなことをほめて、
繍線ちょうし来たりて生くるを写すに似たり
幅中の花鳥自ら天成
当年錦を織るは長技にあら
さいわいに廻文をりて聖明を感ず
 としてあった。連城はその詩を見て喜んで、父に向ってほめた。孝廉は喬は貧乏だからといって相手にしなかった。連城は人に逢うと喬のことをほめ、そのうえばあやをやって、父の命だといつわって金を贈って喬のくらしを助けた。喬はひどく感じていった。
「連城こそ自分の知己ちきである。」
 喬は連城のことばかり考えて食にうえた人のようであった。間もなく連城は塩商の子の王化成という者と許嫁いいなずけになった。喬はそこで絶望してしまったが、しかし夢の中ではまだ連城を思慕していた。
 それから間もなく連城は胸の病気になって、それがこじれてなおらなかった。インドの方から来た行脚僧あんぎゃそうがあって自分から孝廉の家へ出かけていって、その病気を癒すことができるといったが、ただそれには男子の胸の肉を一切れ用いて薬を調合しなくてはならなかった。孝廉は人を王の家へやって婿に知らした。婿は笑っていった。
「馬鹿爺親じじい、俺の胸の肉を※(「宛+りっとう」、第4水準2-3-26)えぐらすつもりか。」
 使が返って婿のいったことを伝えた。孝廉は怒って人に話していった。
「肉を割いてくれる者があれば、女を婿にやろう。」
 喬はそれを聞くと孝廉の家へいって、自分で白刃を出して、胸の肉をそいで行脚の僧に渡した。血が上衣から袴を濡らした。僧は薬とその肉を調合して三つの丸薬を作って、日に一回ずつ飲ましたが、三日してその丸薬がなくなると、連城の病気は物をなくしたようになおってしまった。孝廉は約束をんで喬に連城をめあわそうと思って、先ずそのことを王の方に知らした。王は怒って官に訟えようとした。孝廉は当惑した。そこで御馳走をかまえて喬を招き、千金を几の上に列べて、
「ひどく御恩にあずかったから、お礼をしたい。」
 といって、そこで約束に背くようになったわけを話した。喬は顔色をかえて怒った。
「僕が体をおしまなかったのは、知己に報いようとしたからです。肉を売るのじゃないです。」
 といって、止める袖をふり払って帰った。連城はそれを聞いてたえられなかった。で、ばあやをやって喬をなぐさめて、そのうえで、
「あなたのような才能をお持ちになった方は、いつまでもこうしていらっしゃらないでしょうから、美しい方にはお困りにならないでしょう。私は夢見が悪いから、三年するときっと死にます。こんな死ぬるような者は人と争わないでもよろしゅうございましょう。」
 といわした。喬は媼にいった。
「士は己を知る者のために死す。色のためじゃないのです。どうも連城さんは、ほんとうに私を知ってくれないです。ほんとうに私を知っててくれるなら、結婚しなくてもかまわないです。」
 媼はそこで連城にかわって、たしかに喬を思っているということをいった。喬はいった。
「ほんとにそうなら、今度逢った時、笑ってもらいたいです。そうしてくれるなら僕は死んでもうらみがないのです。」
 媼は帰っていった。それから数日してのことであった。たまたま喬が外出していると、連城がおじの家へいっていて帰って来るのにいき遇った。喬はそこで連城の顔をきっと見た。連城はながし目をして振りかえりながら白い歯を見せて嫣然にっとした。喬はひどく喜んでいった。
「連城はほんとに自分を知ってくれている。」
 ある時孝廉の家へ王が来て結婚の期日のことを相談した。連城はその時から前の病気が再発して、二、三ヵ月して死んでしまった。喬は孝廉の家へいって、連城をとむらってひどく悲しむと共にそのまま息が絶えてしまった。孝廉はそれをかつがして喬の家へ送りとどけさした。
 喬は自分でもう死んだことを知ったが悲しいことはなかった。村を出て歩きながらも一度連城を見たいと思った。遥かに目をやると西北の方に一つの道があって、たくさんの人が蟻のようにいっているのが見えた。そこで喬はその方へいってその人達の中に交って歩いた。
 不意に一つの官署へ来た。喬はその中へ入っていった。そこに生がいてばったりいきあった。顧は驚いていた。
「君はどうしてここへ来たのだ。」
 そこで顧は喬の手をって送って帰そうとした。喬は太い息をして、心にあることをいおうとしていると、顧がいった。
「僕はここで文書をつかさどってるが、ひどく信用されているのだ。もし僕がしていいことがあるなら、なんでもするよ。」
 喬は連城のことを訊いた。顧はそこで喬をれてあっちへ廻りこっちへ廻りしていった。連城が白衣を着た一人の女と目のふちを青黒く泣き脹らして廊下の隅に坐っていた。連城は喬の来るのを見ると、にわかに起ちあがってひどく喜んだふうで、
「どうしてここへいらしたのです。」
 といった。喬はいった。
「あなたが死んだのに、僕がどうして生きていれられるのです。」
 連城は泣いた。
「すみません。私をてないで、私にじゅんじてくださるとは、あなたは何という義に厚い方でしょう。しかし、今世ではどうすることもできないのですから、どうか来世をちかってください。」
 喬は顧の方を見ていった。
「君は仕事があるだろうからいってくれたまえ。僕は死ぬるのが楽しみで、生きたいとは思わないから。ただ君に頼みたいのは、連城が来世にどこへ生れるということと、僕もゆくゆくそこへいけるようにしてもらいたいことだけだ。」
 顧は承知していってしまった。白衣を着ている女は、連城に喬のことを訊いた。
「この方は、どうした方です。」
 そこで連城は喬のことを精しく話した。女はそれを聞いていかにも悲しくてたまらないというさまをした。連城は喬にいった。
「この方は私と同姓で、賓娘ひんじょうさんというのです。長沙の史太守したいしゅむすめさんです。来る時みちが一緒でしたから、とうとう二人でこうして仲好くしているのです。」
 喬は女の方をきっと見たが、そのさまがいかにもいたわしかったから、そこでくわしく女の身の上を訊こうとしていると、顧がもう引返して来た。顧は喬に向っていった。
「僕が君のために、いいようにして来た。それから連城の方も君と一緒に魂を返すことにしたのだが、どうだね。」
 喬と連城とは喜んで、顧を拝んで別れようとした。賓娘は大声をあげて泣いた。
「姉さんがいって、私はどこへいくのです。どうか私もたすけてください。私は姉さんの侍女になるのですから。」
 連城は女がいたましかったが、どうすることもできなかった。連城はそこで喬に相談をした。喬はまた顧に頼んだ。顧はとてもできないときっぱりいいきった。喬は強いてそれを頼んだ。そこで顧は、
「それじゃ、せんぎをしてみよう。」
 といっていってしまったが、食事する位の時間をおいて返って来て、手をふっていった。
「これは、もう、どうにもしょうがないのだ。」
 賓娘はそれを聞くとあまえるように泣いて、連城のにすがり、連城にいかれるのを恐れるのであった。それは惨憺さんたんたるものであったが、他にどうすることもできないので、顔を見合わしたままで黙っていた。しかも女の悲しそうな顔といたましい姿すがたとは、人をしてその肺腑を苦しましめるものがあった。顧は憤然ふんぜんとしていった。
「どうか、賓娘をれていってくれ。もしとがめがあるなら、僕が身をすてて、それを受けよう。」
 賓娘はそこで喜んで、喬と連城について出た。喬は道が遠くて賓娘につれのないのを心配した。賓娘はいった。
「私は、あなたについてゆきます。帰りたくはないのです。」
 喬はいった。
「君はばかだよ。帰らなくてどうして生きかえることができる。僕が他日さきで湖南にゆくから、その時逃げないようにするがいい。機嫌よくね。」
 ちょうど二人の老婆が地獄の文書を持って長沙にゆこうとしていた。喬はそれに賓娘を頼んだ。賓娘は泣いて別れていった。喬と連城は二人で帰りかけたが、連城の足が遅くて、すこしいくとすぐ休んだ。およそ十回あまりも休んだところで、やっと村の入口の門が見えた。連城はいった。
「生きかえって後に、また約束をやぶるようなことがあってはいけないです。どうか私のむくろを取って来てください。私はあなたの家で生きかえります。私はすこしもうらむことがないのです。」
 喬はそれをもっともなことだと思ったので、一結に自分の家へ帰っていったが、連城は心配して歩くことができないふうがあった。喬は足をとめて待ち待ちした。連城はいった。
「私はここへ来るまでに、手足がふらふらして、すがる所がないようでした。私は自分の望みがとげられないじゃないかと思うのです。このうえにもよく考えておこうじゃありませんか。そうしないと生きかえって後に、自由になれないのですから。」
 そこで二人はれだってひさしの中へ入ったが、しばらくして連城は笑っていった。
「あなたは私が憎いのですか。」
 喬は驚いてそのわけを訊いた。連城は顔をぽっとあかくしていった。
「ことがととのわなくて、再びあなたにそむくようなことがあってはと思います。私は先ず魂を以てむくいたいと思います。」
 喬は喜んで歓恋かんれんのかぎりを尽した。で、そこにさまようていてすぐは出なかった。そして三日も廂の中にいた連城は、
「諺にも醜婦総てすべから姑障こしょうを見るべしということがあります。ここにそっとしているのは、将来のはかりごとじゃないのです。」
 といって、そこで喬を促して入っていかした。そして喬はわずかに死骸を置いてある室へ入るなり、からりと生きかえった。家の者は驚いて水を飲ました。喬はそこで人をやって孝廉に来てもらって、連城の死骸をもらいたいといって、
「私がきっと生きかえらします。」
 といった。孝廉はその言葉に従って、連城の死骸をかつがせて来たが、その室に入ったところを見ると、もう生きかえっていた。連城は父を見ていった。
「私は、もう、この身を喬さんにまかせてあるのです。もう家へ帰っていくわけはありません。もし、それを変えるなら私は死んでしまいます。」
 孝廉は帰ってじょちゅうをやって連城にかしずかした。王はそれを聞いて訴え出た。官吏は賄賂を受けて裁判を王の勝にした。喬は憤って死のうとしたが、どうすることもできなかった。
 連城は王の家へいったが、忿いかって飲食をしないで、ただ早く死なしてくれといった。室に人のいないのを見るとはりの上に紐をかけて死のうとした。そして翌日になってますますつかれ、ほとんど息が絶えそうになった。王はおそれて、送って孝廉の許に帰した。孝廉はまたそれを舁がして喬の許へ帰した。王の方ではそれを知ったけれども如何いかんともすることができなかった。そこでとうとう連城も心が安まるようになった。
 連城は起きてから、いつも賓娘のことをおもって、使をやって探らそうとしたが、道が遠いのでいくことができなかった。ある日、家の者が入って来て、
「門口へ車が来ました。」
 といった。喬夫婦が出て見ると、それは賓娘で、もう庭の中へ入って来ていた。三人は相見て悲喜こもごも至るというありさまであった。それは賓娘の父の史太守が自分で女を送って来たところであった。喬は大守を室に通した。大守は、
「うちの子供は、君によって生きかえったから、どうしても他へいかないというので、その言葉に従ってれて来た。」
 といった。喬は礼をいった。そこへ孝廉がまた来て、親類としてのあいさつをした。喬は名はねんあざな大年たいねんというのであった。





底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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