庚娘

蒲松齢

田中貢太郎訳




 金大用きんたいよう中州ちゅうしゅうの旧家の子であった。ゆう太守のむすめで幼な名を庚娘こうじょうというのを夫人に迎えたが、綺麗きれいなうえに賢明であったから、夫婦の間もいたってむつましかった。ところで、流賊の乱が起って金の一家も離散した。金は戦乱の中を両親と庚娘をれて南の方へ逃げた。
 その途中で金は少年に遇った。それも細君さいくんと一緒に逃げていく者であったが、自分から、
「私は広陵こうりょうおう十八という者です。どうか路案内をさしてください。」
 といった。金は喜んで一緒にいった。河のそばへいった時、庚娘はそっと金にささやいた。
「あの男と一緒に舟に乗ってはいけませんよ。あれは時どき私を見るのです。それにあの目は、動いて色が変りますから、心がゆるされませんよ。」
 金はそれを承知したが、王が心切に大きな舟をやとって来て、代って荷物を運んでくれたり、苦しいこともかまわずに世話をしてくれるので、同船をこばむこともできなかった。そのうえ若い細君を伴れているので、たいしたこともないだろうという思いもあった。そして一緒に舟に乗って、細君と庚娘とを一緒においていると、細君もひどくやさしいたちであった。
 王は船のへさきに坐っていでいる船頭とささやいていた。それは親しくしている人のようであった。
 間もなく陽が入った。水路は遥かに遠く、四方は漫漫たる水で南北の方角もわからなかった。金はあたりを見まわしたが、物凄いのでひどく疑い怪しんだ。しばらくして明るい月がやっとのぼった。見るとそのあたりは一めんのあしであった。
 舟はもう舟がかりした。王は金と金の父親とを上へ呼んだ。二人は室の戸を開けて外へ出た。外は月の光で明るかった。王はすきを見て金を水の中へつきおとした。金の父親はそれを見て大声をあげようとすると、船頭が※(「竹かんむり/高」、第3水準1-89-70)さおでついた。金の父親もそのまま水の中へ落ちてしまった。金の母親がその声を聞いて出てのぞいた。船頭がまた※(「竹かんむり/高」、第3水準1-89-70)でつきおとした。王はその時始めて、
「大変だ、大変だ、皆来てくれ。」
 といった。金の母親の出ていく時、庚娘は後にいて、そっとそれをのぞいていたが、一家の者が尽く溺れてしまったことを知ると、もう驚かなかった。ただ泣いて、
「お父さんもお母さんも没くなって、私はどうしたらいいだろう。」
 といった。そこへ王が入って来て、
「奥さん、何も御心配なされることはありませんよ。私と一緒に金陵きんりょうにお出でなさい。金陵には田地も家もあって、りっぱにくらしておりますから。」
 といった。庚娘は泣くことをやめていった。
「そうしていただくなら、私は他に心配することはありません。」
 王はひどく悦んで庚娘を大事にした。夜になってしまってから王は女をいてかんを求めた。女は体※たいはん[#「女+半」、265-15]に託してはぐらかした。王はそこで細君の所へいって寝た。
 初更がすぎたところで、王夫婦がやかましくいい争いをはじめたが、そのわけは解らなかった。それをじっと聞いていると、細君の声がいった。
「あなたのしたことは、雷に頭をくだかれることですよ。」
 と、王が細君をなぐりつける音がした。細君は叫んだ。
「殺せ、殺せ。死ぬるがいい、死にたい。人殺の女房になっているのはいやだ。」
 王のえるように怒る声がして、細君をひッつかんで出ていくようであったが、続いてどぶんと物の水に落ちる音が聞えて来た。
「だれか来てくれ、女房が水に落ちたのだ。」
 王のやかましくいう声がした。
 間もなく金陵にいった。王は庚娘をれて自分の家へ帰って、おくへ入って母親に逢った。母親は王の細君がもとの女でないのを不審がった。王はいった。
「あれは水にちて死んじゃったから、これをもらったのです。」
 寝室へ帰って王は庚娘に迫った。庚娘は笑っていった。
「男子が三十になって、まだ人の道が解らないのですか。まちの小商人の子供でさえ、初めて結婚する時には、いっぱいの酒を用いるじゃありませんか。それにあなたはお金持じゃありませんか。御馳走位はなんでもないでしょう。酒なしで結婚するのは、儀式に欠けるじゃありませんか、」
 王は喜んで酒をかまえて二人で飲んだ。庚娘は杯を持ってしとやかに酒を勧めた。王はだんだん酔って来て、もう飲めないといいだした。庚娘は大きな杯を自分で飲んでから、強いてこびをつくってそれを王に勧めた。王は厭というに忍びないので、またそれを飲んだ。王はそこで酔ってしまったので、裸になって庚娘に寝を促した。庚娘は酒の器をさげてを消し、手洗にかこつけて室を出ていって、刀を持って暗い中へ入り、手さぐりに王のくびをさぐった。王はそのうでをつかんで昵声なれごえをした。庚娘は力まかせに切りつけた。王は死なないで叫んで起きた。庚娘はまたそれに切りつけた。そこで王はたおれた。
 王の母親は夢現ゆめうつつの間にその物音を聞きつけて、走って来て声をかけた。庚娘はまたその母親も殺した。王の弟の十九がそれを覚った。庚娘はにげることができないと思ったので、急いで自分ののどを突いた。刀がなまくらで入らなかった。そこで戸をけて逃げだした。十九がそれをっかけた。庚娘は池の中へ飛び込んだ。十九は人を呼んで引きあげたが、もう庚娘は死んでいた。しかしその美しいことは生きているようであった。
 人びとは一緒に王母子のしがいしらべた。窓の上に一つのはこがあった。開けて見ると庚娘の書いた物があって、くわしく復讎ふくしゅうの事情を記してあった。皆庚娘を烈女として尊敬し、金を集めて葬ることにした。夜が明けて見に集まって来た者が数千人あったが、そのさまを見て皆が拝んでいった。そして一日のうちに百金集まったので、そこでそれを南郊に葬ったが、好事者ものずきは朱い冠にうわぎを着けて会葬した。それは手厚い葬式であった。
 一方王におとされた金大用きんたいようは、板片いたきれにすがりつくことができたので死ななかった。そして流れてわいへいったところで、小舟に救いあげられた。その小舟は富豪のいん翁というのが溺れる者をすくうために設けてあるものであった。
 金はやっと蘇生したので、尹翁の許へいって礼をいった。翁は厚くもてなして逗留とうりゅうして子供を教えさせようとした。金は両親の消息が解らないので、いって探ろうとしていたから決しなかった。その時網で老人と老婆のしがいきあげた者があった。金は両親かも解らないと思ったので、急いで出かけていって験べた。果して両親であった。尹翁は金に代って棺をかまえた。金はひどく悲しんだ。
 また人が来て、一人の溺れている婦人をすくったが、それは自分で金生の妻であるといっているといった。金は驚いて出ていった。女はもう来ていたが、それは庚娘でなかった。それは王十八の細君であった。女は金を見てひどく泣いて、
「どうか私をてないでください。」
 といった。金はいった。
「僕の心はもう乱れている。人のことを考えてやる暇はないのだ。」
 女はますます悲しんだ。尹翁は精しくわけを聞いて、
「それは天のむくいだ。」
 といって喜び、金に勧めて結婚させようとした。金は、
「親の喪におりますから困ります。それに復讎ふくしゅうするつもりですから、女をれていては手足まといになるのです。」
 といった。女はいった。
「もしあなたのお言葉のようだと、もしあなたの奥さんが生きていらしたら、復讎と喪のために離縁なさるのですか。」
 尹翁はその言葉が善いので、暫く代って女を世話しようといったので、金もそこで結婚することを承知した。そして日を見て両親を葬った。女は喪服を着て泣いた。しゅうとしゅうとめを喪った時のように。
 すでに葬式が終った。金は刀を懐にして行脚あんぎゃの僧に化けて広陵にいこうとした。女はそれを止めていった。
「私はとうという姓です。先祖から金陵におって、あの王の悪人と同郷です。あれが広陵といったのは嘘です、それにこのあたりの舟にいる悪人は、皆あれの仲間ですから、復讎することはむつかしいのです。うっかりするとあべこべにひどい目に逢わされますから。」
 金はそのあたりを歩きながら考えたが、復讎の方法が見つからなかった。忽ち女子が復讎したということが伝わって来て、その河筋かわすじで評判になり、その姓名も精しくいい伝えられた。金はそれを聞いてうれしかったが、しかし両親が殺されまた庚娘が死んだことを思うとますます悲しかった。そこで女にいった。
「幸に汚されずに復讎してくれた。この烈婦の心にそむいて結婚することはできない。」
 女はもう約束ができあがっているので離れようとはしなかった。
「私は妾になってもよろしゅうございます。」
 その時副将軍のえん公という者があって、尹翁と古い知合であった。ちょうど西の方に向けて出発することになって尹の所へ寄った。袁は尹の家で金を見て、ひどくその人となりを愛して秘書となってくれと頼んだ。間もなくその地方に流賊の乱が起って、袁は大功をたてた。金も袁の機務にたずさわっていたので、その功によって游撃将軍となって帰って来た。そこで金と唐は始めて結婚の式をあげた。
 三、四日いて金は唐を伴れて金陵へいって、庚娘の墓参りをしようとした。そして舟で鎮江ちんこうを渡って金山きんざんに登ろうとした。舟が中流へ出た時、不意に一そうの小舟がれ違った。それに一人の老婆と若い婦人が乗っていたが、その婦人がひどく庚娘に似ていた。舟は矢よりも早くゆき過ぎようとした。若い婦人も舟の窓の中から金の方を見た。そのかおかたちもますます庚娘に似ているので驚きあやしんだ。そこで名をいって呼ばずにいそがしそうに、
群鴨ぐんおう児、飛んで天に上るを見るか。」
 といった。婦人はそれを聞くとまたいった。
※(「けものへん+渦のつくり」、第3水準1-87-77)さんか[#「飮のへん+巉のつくり」、270-16]児、猫子のなまにくくらわんと欲するか。」
 それは当年行われた閨中けいちゅう隠語いんごであった。金はひどく驚いて、舟を返して近づいた。それはほんとうの庚娘であった。婢が手を引いてこちらの舟へ来た。二人は抱きあって泣いた。同船の旅客ももらい泣きをした。
 唐は庚娘に正夫人に対する礼を以て接した。庚娘は驚いて訊いた。金は始めてそのわけを話した。庚娘は唐の手を執っていった。
「舟で御一緒になった時から、あなたのことは忘れませんでした。それにはからずこんなことになりまして、私の代りにお父さんお母さんを葬っていただいて、何といってお礼を申していいか解りません。私はあなたにそうしていただいてはすみません。」
 そこで年齢の順序で一緒におることになったが、唐は庚娘の一つ歳下であったから妹としていることになった。
 庚娘は初め葬られた時は何も解らなかったが、不意に人の声がして、
「庚娘、その方の夫は生きておる。その方はまた夫に逢って夫婦となることになっておる。」
 といった。そしてとうとう夢が醒めたようになった。手をやってなでてみると四面は皆壁であった。庚娘は始めて自分は死んでもう葬られているということを悟った。庚娘は困ってもだえたが苦しい所はなかった。
 悪少年が庚娘の葬具が多くてきれいであったのを知って、塚をあばいて棺を破り、中をきまわそうとして、庚娘の活きているのを見て驚きあった。庚娘は悪少年達に害を加えられるのがおそろしいので、哀願していった。
「あなた達が来てくだされたばかりで、私は外に出ることができたから、頭の物は皆あげます。どうか私を尼寺へでも売ってください。そうすればすこしはお金になりましょう。私は決してひとにもいわないですから。」
 悪少年達は頭を地にすりつけていった。
「奥さんの貞節なことは、ほめないものはありません。私達は貧乏でしかたがないから、こんな悪いことを致しました。どうかひとにもいわないようにしてくださいますなら、しあわせです。どうして尼寺などへ売られましょう。」
 庚娘はいった。
「これは、私から好きこのんでゆくのですから。」
 すると他の一人の悪少年がいった。
鎮江ちんこうこう夫人はひとりぼっちで子供がありません。もし奥さんがいらっしゃるなら、きっと大喜びをしますよ。」
 庚娘はそれに礼をいって、自分で頭の物を抜いてそっくり悪少年にくれてやった。悪少年はどうしても取らないので、無理にやった。そこで悪少年はそれを戴いて受けとり、とうとう庚娘を載せて鎮江へいった。庚娘は耿夫人の家へいって、難船して迷っている者だといった。耿夫人の家は豪家で自分一人で何もかもやっていたが、庚娘を見てひどく喜んで、自分の子にした。そしてちょうど二人で金山へいって帰るところであった。庚娘はそのわけを精しく話した。金はそこで耿夫人の舟へいって夫人を拝した。夫人は金を婿のように待遇して、一緒に伴れてその家へいった。
 金はそこで数日逗留して始めて帰って来たが、以後往来を絶たなかった。





底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
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