田七郎

蒲松齢

田中貢太郎訳




 武承休ぶしょうきゅう遼陽りょうようの人であった。交際が好きでともに交際をしている者は皆知名の士であった。ある夜、夢に人が来ていった。
「おまえは交游天下にあまねしというありさまだが、皆濫交らんこうだ。ただ一人患難かんなんを共にする人があるのに、かえって知らないのだ。」
 武はそこで訊いた。
「それは何という人でしょうか。」
 その人はいった。
でん七郎じゃないか。」
 武は夢がめて不思議に思い、朝になって友人に逢って、田七郎という者はないかと訊いてみた。友人の一人に知っている者があって、それは東の村の猟師りょうしであるといった。武はうやうやしく田七郎の家へ逢いにいって、馬の鞭で門をうった。間もなく一人の若い男が出て来た。年は二十余りであった。目の鋭い腰の細い、あぶらぎったぼうしと着物を着て、黒い前垂まえだれをしていたが、その破れは所どころ白い布でつぎはぎしてあった。若い男は手を額のあたりで組みあわして、どこから来たかと訊いた。武は自分の姓を名乗って、そのうえ途中で気持ちが悪くなったから暫時しばらくやすましてくれとこしらえごとをいって、それから七郎のことを訊いてみた。すると若い男は、
「私が七郎だ。」
 といって、とうとう武を家の内へ案内した。それは破れた数本のたるきのある小家で、くずちようとしている壁を木の股で支えてあるのが見えた。そこに小さな室があった。そこには虎の皮と狼の皮があって、それを柱にけたり敷いたりしてあったが、他に坐るような腰掛もねだいもなかった。
 武が腰をおろそうとすると七郎は虎の皮を敷いて席をかまえた。武はそこで七郎と話したが、言葉が質朴であったからひどく喜んで、急いで金を出して生計くらしをたすけようとした。七郎は受けなかった。武は強いてこれを取らした。七郎ははじめて受けて母の所へいったが、すぐ引返して来て金をかえした。武はどうかして取らそうとして三、四回もいた。七郎の母親がよろよろと入って来て、怒った顔をしていった。
「これは私の一人しかない悴です。お客さんに御奉公ごほうこうさしたくはありませんよ。」
 武はじて帰って来た。帰る道でいろいろと考えてみたが、七郎の母親のいった言葉の意味がはっきりと解らなかった。ちょうどれていった下男が家の後で、七郎の母親の言葉を聞いていてそれを武に知らした。それははじめ七郎が金を持っていって母にいうと、母は私が公子を見るに暗い筋があるから、きっと不思議な災難にかかる。人から聞くに、知遇を受けた者はその人の憂いを分けあい、恩を受けた者は人の難におもむかなくてはならない。金持ちは恩返しをするに金で恩返しをし、賃乏人は恩返しをするに義で恩返しをする。わけのないのにたくさんな贈物をもらうのは善いことではない。これはお前から命をなげすてて恩返しをしてもらおうとしているのだろうといった。
 武はそれを聞いて、ひどく七郎の母親の賢明なことに感じ入った。そして、ますます七郎に心を傾けて、翌日御馳走をかまえて招待したが、遠慮して来なかった。そこで武は七郎の家へいって坐りこんで酒の催促をした。七郎は白分で[#「白分で」はママ]酒のしたくをして、鹿の肉の乾したのを肴に出し、心をこめてもてなした。
 翌日になって武は七郎に来てもらって御馳走の返しをしようとした。そこで七郎が来たが、二人の意気がしっくりあっていて二人ともひどくよろこびあった。武は[#「武は」は底本では「式は」]七郎に金を贈ろうとした。七郎はおしのけて手にしなかったが武が虎の皮を売ってもらいたいといって口実をこしらえたので、はじめて取った。
 七郎は自分の家へ帰って蓄えてある虎の皮を見たが、もらった金をつぐなえるだけの皮がなさそうであるから、再び猟をして後にそれを送ろうと思って、二日の間山へいったがりょうがなかった。ちょうどその時女房が病気になった。七郎は看病をしなくてはならないので仕事にいくひまがなかった。十日あまりして女房の体が急に変って死んでしまった。七郎はそこで葬式のしたくをしたので、武からもらっていた金はなくなってしまった。武は自分で七郎の家へ見舞に来たが、その礼儀がひどく手あつかった。
 葬式が終ると七郎は弓を負って山の中へ入った。ますます佳い虎の皮をて武に報いなくてはならないと思った。しかし、どうしても虎を獲ることができなかった。武は探ってこの事情を知ったので、そこで七郎に急いでやらないようにといった。そして是非一度来てくれといったが、七郎は負債かりのあるのを遺憾として、どうしても来なかった。武はそこで先ずふるくから蓄えてある皮をくれといって、早く七郎に来てもらおうとした。七郎は蓄えてある革をしらべてみると、それは虫がって敗れ、毛もことごとけていた。七郎はがっかりすると共に武から金をもらったことをひどく後悔した。武はそれを知って七郎の家に来て、心から慰め、入って敗れた革を見て、
「これで佳い。僕のほしいのは、もともと毛でないから。」
 といって、その毛のない革をいて、七郎を伴れて一緒にいこうとした。七郎は聞かなかった。そこで武はひとりで帰っていった。
 七郎はどうしても毛のない革位では武に報いるに足りないと思ったので、食物を持って山へ入り、三晩四晩かしているうちにやっと一ぴきの虎を獲った。そこでそっくりそれを武の家へ持っていった。武は喜んで御馳走をかまえて知人を呼ぶと共に、七郎には三日間おってくれといった。七郎は遠慮して帰ろうとした。武は庭の戸にかぎをかけて出られないようにした。他の客は七郎の質朴できたない風体をしているのを見て、公子は人の見さかいなしに交際しているといってささやきあった。武はそんなことには頓着とんちゃくなく、七郎をもてなしたが、そのもてなしかたがひどく他の客とちがっていた。武はまた七郎に新らしい衣服を着せようとしたが、七郎がどうしても着ないので、寝ている間にそっと易えてあった。七郎はしかたなしにそれを着た。
 そして七郎が帰っていったところで、七郎の子供が祖母にいいつけられて、新しい衣服を返して、破れたもとの衣服を取りに来た。武は笑っていった。
「帰っておばあさんにいっておくれ。あれはもうくつの裏にしたってね。」
 それから七郎は毎日のように兎や鹿を送って来たが、自分は呼んでももう来なかった。武はある日、七郎の家へいったが七郎は猟にいってまだ帰っていなかった。七郎の母親が出て来て、門によっかかっていった。
「どうか二度と悴を呼ばないようにしてください。あまり有難く思いませんから。」
 武はそれに敬礼したままで恥じて帰って来た。
 半年ばかりしてのことであった。武の家の者が不意にいった。
「七郎はったひょうを争って、人をなぐり殺して、つかまえられました。」
 武はひどく驚いてかけつけた。七郎はもうかせをはめられて監獄の中に入れられていた。七郎は武と顔を見合わして黙っていたが、ただ一言いった。
「どうか母のことを願います。」
 武は心を痛めながらそこを出て、急いでたくさんの金を邑宰むらやくにんに送り、また百金を七郎のかたきの家へ送ったので、一ヵ月あまりで事がすんで七郎はゆるされて帰って来た。母親は悲痛な顔をしていった。
「お前の体は武公子からもらったのだから、もうわしが惜むわけにいかない。ただわしは、公子が一生を終るまで、災難のないようにいのっている。それがお前のさいわいなのだ。」
 七郎は武の家へいって礼をいおうとした。母はいった。
「いくならばいってもいいが、公子に礼をいってはいけない。小さな恩は礼をいうが、大きな恩は、決して礼をいってはいけない。」
 七郎は武の家へいって武に逢った。武はやさしい言葉で慰めた。七郎は武のいうことを聞くのみであった。武の家の者は七郎の礼儀を知らないのを怪しんだが、武はその誠のあついのを喜んでますます厚遇した。それから七郎はいつも三、四日武の家に滞在していくようになった。物を送ると皆取って、先のように遠慮しないと共に返しのこともいわなかった。
 ちょうど武の誕生日が来た。客と家の者とがしげく出入して、夜もさわがしかった。武は七郎と小さなへやへ寝たが、三人の下男はその寝台の下へ来てわらを敷いて寝た。二更がもう過ぎようとすると下男達は皆睡ってしまったが、武と七郎はまだそれからそれと話していた。七郎の腰につけている刀が壁際にかけてあったが、それが不意にひとりでに抜けて、さやから二、三寸ばかり出て、ちゃりんという響と共に、その光がぎらぎらといなずまのように光った。武は驚いた。七郎も起きて、
「下にいる者は何人なんぴとです。」
 といた。武は、
「皆下男です。」
 と答えた。七郎がいった。
「このうちに、きっと悪人がおります。」
 武はそのわけを訊いた。七郎はいった。
「この刀は外国から買ったものですが、人を殺すにいまだ一度だって、いとすじうるおしたことがありません。私で三代これをつけております。首は千ばかりっておりますが、まだ新らしくといしにかけたようです。悪人を見ると鳴ってぬけます、どうも人を殺すのが近うございます。公子はどうか君子くんしと親しんで、小人しょうじんを遠ざけてください。そうしてくださるなら、ついすると免がれることができます。」
 武はうなずいた。七郎はとうとう気持ちよく睡ることができなかった。彼は寝室の上で寝がえりばかりした。武がいった。
わざわいもさいわいも運命じゃないか。なぜそんなに心配するのです。」
 七郎がいった。
「何もなければそれでいが。」
 その寝台の下にいる三人のうちの一人は、林児りんじという者で、それは老弥子びしで主人の機嫌を取っていた。一人は年のころが十二、三で、武が給事に使っている者であった。他の一人は李応りおうという者で、ひどくねじけていていつも小さなことで武といい争っていたので、武はいつもそれを怒っていたが、その夜じっと考えてみると、きっとその悪人が李応のようであるから、朝になって傍へ呼んで、穏やかな言葉で暇をやって帰した。
 武の長男のしんが王という家のむすめめとっていた。ある日武は他出して林児を留守居にしてあった。そこの書斎の庭に植えてある菊の花が咲いていた。新婦の王はしゅうとが出ていって庭にはだれもいないと思ったので、自分でいって菊を摘んでいた。林児が走り出て来て戯れかかった。王はげようとした。林児は王を小脇に抱えて室の中へ入った。王はいてこばんだ。その王の顔色は変って声はいばえるようであった。紳はそれを聞きつけて走り込んで来た。林児は始めて王の手を放して逃げていった。
 武は帰ってそれを聞いて、怒って林児をさがしたが、どこへいったのかいった処が解らなかった。二、三日過ぎてから始めて林児がなにがしという御史ぎょしの家にいることが解った。そしてその御史某は都の方で官職にいたので、家事のことは一切その弟がきりまわしていた。武は同輩の義理があるから無断で林児をつかまえにいくことができない。書を某の弟に送って林児を渡してくれといった。某の弟はとうとうとりっぱなしにして返事をしなかった。武はますます怒って邑宰むらやくにんに訴えた。邑宰からは林児を拘引すべしという命令が出たが、下役人がつかまえなかった。官の方でもそれからうえは問わなかった。武は怒りに燃えていた。ちょうどそこへ七郎が来た。武はいった。
「君がいったことがあたった。」
 そこで武は林児のことを話した。七郎はさっと顔色を変えて悲しそうにしたが、ついに一言もいわないで、すぐいってしまった。
 武はかしらだった下男にいいつけて林児を偵察ていさつさしてあった。林児は夜他から帰って来て偵察している者の手に落ちた。偵察していた者は林児を武の前に突きだした。武は林児をつえたたいた。林児はめいらずに武の悪口をついた。武の叔父のこうは寛厚の長者であった。おいがあまり怒ってわざわいを招くのを恐れたので、つきだしてこらしてもらった方が好いだろうといって勧めた。武はその言葉に従って、林児をしばって邑宰の所へ送った。しかし御史の家から名刺をよこしてくると、邑宰は林児をゆるしてその下男に渡して帰した。林児はますます我がままになって、群集の中で、武と王とが私通しているとしいごとをいったが、武はそれをどうすることもできなかった。武は怒りに胸がふさがって悶死しそうになった。
 武は御史の門口へいってののしり叫んだ。村の人が慰めて家へ帰した。翌日になって武の家の者が武にいった。
「林児は何ものかに殺されて、しがいが野の中にころがっております。」
 武は驚喜して心がややのびのびとなったが、にわかに御史の家から叔父と自分とを訟えたということを聞いた。武はとうとう叔父と裁判にいった。
 邑宰は二人のいいわけを聞き入れないで恒を杖で打とうとした。武はあらがっていった。
「人を殺したというのはけしからんが、紳士を侮辱したから、僕が彼奴あいつをやっつけたのだ。叔父の知ったことじゃない。」
 邑宰はその言葉を耳に入れなかった。武は眼を怒らして飛びあがろうとした。役人達は武をとりひしいで杖で叔父と一緒にたたいた。役人達は皆御史の家の走狗そうくであった。恒はよぼよぼした老人であったから、打つ杖の数がまだ半分にもならないうちに死んでしまった。邑宰は恒のたおれたのを見るともうそれ以上は詮議せんぎをしなかった。
 武は大声をあげて叫びかつ罵ったが、邑宰は何も聞かないふうで相手にならなかった。
 武はとうとう叔父の尸をかついて[#「舁いて」はママ]帰って来たが、哀みと憤りで心が乱れてそれに対するはかりごとがまとまらなかった。武はそこで七郎から謀を得ようと思ったが、七郎はさらに見舞にも来なかった。武はこれまで七郎を待つに薄くはなかったが、なんでにわかに知らない人のようにするだろうと思った。しかし、林児を殺してくれた人のことを思うと、どうしても七郎より他にないので、七郎とはからなければならないと思って、そこで人をその家へやった。七郎の家は戸が締ってひっそりとなっていた。隣の人に訊いても解らなかった。
 ある日、御史某の弟は村役所へ来て邑宰と相談していた。それは朝で、薪と水とを樵人そまが持って来る時刻であった。不意に一人の樵人が水をかついで来たが、その担いだ物を置くなり刀をいて某に飛びかかった。某はあわてて手で刀をつかもうとした。刀はそれで腕を切り落した。樵人の次の刀は始めて某の首を斬った。邑宰は驚いて逃げていった。樵人はひじを張り肩を怒らして四辺あたりを見まわした。諸役人は急に門をめて杖を持ってさわぎだした。樵人はそこで自分でくびを突いて死んだ。皆がいり乱れて集まって来て見た。中に識っている者があって樵夫は田七郎だといった。邑宰は胸の鼓動が収まったので、始めて出て七郎をしらべた。七郎は血の中に倒れていたが手にはまだ刀を握っていた。邑宰は足を止めて精しく見ていた。と、七郎のしがいが不意に起きあがって、邑宰の首を斬ったが、それが終るとまた※(「足へん+倍のつくり」、第3水準1-92-37)たおれた。
 捕卒が七郎の母親をつかまえにいった。いってみると逃げうせて数日経っていた。武は七郎の死んだことを聞いて、かけつけて泣き悲しんだ。皆武が七郎にさしたことだといった。武はありたけの財産を以て当路の大官に賄賂を送って、はじめて免がれることができた。七郎の尸は三十日も野に棄てて、鳥や犬がそれを看視していた。武はそれを取って厚く葬った。
 七郎の子はとう漂泊ひょうはくしていって、姓を※(「にんべん+(鼕−鼓)」、第3水準1-14-17)とうと変えていたが、兵卒から身を起し、軍功によって同知将軍になって遼陽りょうように帰って来た。武はもう八十余であった。そこで武はその父の墓を教えてやった。





底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月
※表題は底本では、「田七郎(でんしちろう)」となっています。
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
2016年2月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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