七月七日

蒲原有明




 朝から蒸暑かつた。とろんとした乳白の雲が低く淀んでゐて、空氣がじとじとして、生汗をかいてゐるやうな日である。
 少し頭をぼつとさせて、外出先から家に歸りつくと間もなく、有島壬生馬さんの令弟のY君が見えた。これから一緒に「滯歐記念展覽會」を見にゆかないかと云ふことである。この畫の會は、南薫造さんと有島さんとが長い期間の外遊中に制作してためておいた畫幀を、歸朝後はじめて一般に公開して鑑賞させようといふ趣意で、白樺社が主催者に立つてゐるのである。わたくしはY君と二言三言談つてゐるうちに、氣分は稍爽やかになつてきたが、それでもまだいくらか頭が麻痺してゐる。
 わたくしはこの程招かれて有島さんの畫室を訪ふたときのことを、ぼんやりと憶ひだしてゐる。有島さんは十數枚のカンバスを代る代る壁に立てかけながら、藝術の愛に充ちた眼をかがやかして、歐羅巴のなつかしい遊歴と研究とについて短い説明を添へられた。最後に全體の批評を乞はれたときに、わたくしは一寸ためらつた。
「それでは風景と人物とのうちで、どつちを好いと思ひますか」
「それは無論人物の方がおもしろいのです」
 わたくしは簡單に、かう答へたと思つてゐる。わたくしの藝術的經驗がこゝにまた新しい感動を加へたことは爭はれない。幅の廣い、氣力のある描法がどの畫にも見られる。奔放である。若々しい野性美がある。わたくしはその時さういふやうな印象を受けてゐた。それを今埒もなく想起してゐると、Y君は懷中から小册子を取出して、前に置いて、
「こんなものが出來ました」と云ふ。
「これはシスレエの型を取つて拵へたのです。カツトもそのまゝ使つて見ました。まあこんなものでも、一枚刷の出品目録よりはよいでせう」
 その目録には、南さんの方に高村君の序記が添へてあり、有島さんの方に志賀君の紹介が載つてゐる。それが先づ親密なゆかしい匂ひをただよはしてゐる。わたくしはY君と連れだつて上野に行く途すがら、電車の中でこのカタログを繰りひろげて、高村、志賀兩君の文章を讀んでみた。そしてその文章と畫題とを照し合せてみただけでも、ほぼ南さんと有島さんとの對比性が豫想される。

 上野の森は水蒸氣に飽滿した灰藍色の靄に掩はれてゐて、柔かく黄色を帶びた光線が暗く陰氣になつた櫻の葉を燻してゐた。
 會場に入ると、近代佛蘭西の名畫の寫眞がぽつりぽつりと懸つてゐる。程よく調子の變化を見せて、入場者の藝術心と反響し合はせる工風が凝らしてある。マネがある。我々は近代生活の混雜の中から藝術を見いだしたこの畫家の直感力に對して無限の尊崇をさゝげる。ゴオガンがある。有島さんが佛蘭西から島崎藤村さんに贈つて來た「タイチの女」の複寫版はわたくしが今預つてゐる。實をいへば、この畫はわたくしの好奇心をそゝるものがあるに拘らず、一見少し手剛かつた。その中から裝飾的な點のみを檢出して愉快に思つてゐた。こゝに懸かつてゐるゴオガンは、畫題を詳にしないが、裝飾的要素の勝つたものである。前に「タイチの女」で手剛く思つたのは、原始的な描寫に脅かされて、畫面に何か特別の意味を求めてゐたからである。藝術家の天稟は、畫中の裝飾的部分に於て、純粹と言へば言ひ過ぎであらうが、謂はば最も高度に發揮されるものではなからうか。わたくしはかねてからさういふ風な意見を擁いてゐる。そしてゴオガンの意圖するところも、そこにあるのではなからうかと考へてもみた。二三の騎馬の人物と流水と一本のイリスと、これだけがこの畫を構成してゐる。「タイチの女」では厚ぼつたい直線が南海孤島の風物と對應して鈍重な夢を見てゐるのであるが、こゝでは中世期の宗教畫によくある、重味のある曲線の中に極めて婉美な感情を藏してゐるやうな趣が見られる。ドガのカフエがある。ルノアアがある。わたくしはどういふものか、人が多く稱揚するルノアアの女に一種の反感を有してゐる。
 わたくしは餘計なことを言ひすぎた。

 さて愈々南薫造さんの作品を列ね懸けた室に足を入れる。何といつて好いのだらう。出陳された畫の全體が、明るい灰色のニユアンスに富んだ調子を爽やかに奏でてゐる。これを喩へていへば、清楚な村莊をつゝむ快い氣輕さを想はせるものがある。畫は殆ど全く水彩の小品である。そのうちで、わたくしは十六番の「巴里郊外」と二十七番の「秋」と三十番の錦繪の古調に惹けたやうな「テエムス上流」のノクタアンを好む。その外、十三番の「小供と犬」には輕快で精妙な畫家の技倆が窺はれる。
 何よりも嬉しいのは南さんの畫には「思想」といふやうなものゝ重い影が映じてゐないことである。そこには純粹に抒情的なものがある。水彩で、同じやうな風景を幾度繰返しても猶且つ絶えず新鮮であるのは、その爲であらう。作者のデリケエトな感覺と氣稟が淡々たる水彩の筆觸の間に響き渡つてゐる。そして蝶の羽のやうに顫えてゐる。

 有島さんの室に入つて、十番の靜物「ランプと蝋燭」を見てゐたとき、不圖有島さんに出會つて、有島さんから南さんを紹介された。有島さんのしつかりした強い表情は南さんの高雅な態度と好ましい對比をなしてゐる。わたくしは端的にさう感じたのであるが、それはまたさながらに兩君の作品に現はれてゐるところでもある。
「わたくしにはあの畫が好い、黄い光を後にせる女といふのが」わたくしがかう云ふと、有島さんは十三番を指して、
「赤き唇の少女といふのを賞めてくれた人もあります」と云つて、ほゝゑんでゐる。一方には黄金の光に溺れた髮があり、他方には赤の調音の美がある。わたくしは兩方を見くらべた。いづれの畫にも烈しい色彩の中に細やかな神經の顫動がある。十四番の「三色菫」は靜物中で優れてゐる。十八番の「地中海の磯」では未完成の前景に驚かされたが、海の波の描寫には畫家の確かな眼が行屆いてゐる。その外に「カフエ・シヤンタン」と「庭に向ける人」とがある。前者は恐らく最も覇氣のある作であらう。色彩に對する視覺の追求がこの畫に於て多分に充足されてゐるからである。けれども畫家の藝術的情調は却て後者の「庭に向ける人」の方に自由に流出してゐるのではあるまいか。
 有島さんの數々の制作のうちで、わたくしが深い興味を繋いだのは十六番の「習作、伊太利の男」である。長椅子には白い毛皮が敷かれてある。その椅子に黒い衣を著けた老人が腰をおろして、煙管をくはへてゐる。背地は石竹色の帷で仕切られてゐる。その色彩の配調は構圖と共に簡素でありながら、豐かな諧和と安定した均勢がよく保たれてゐるために、この畫には嚴肅でしかも慰樂をかねた情趣が滲み出てゐるのである。

 參考室にはヴエラスケス、レンブラント、ヴアン・ダイクの模寫がある、フオゲラアのエチングは珍らしいものと思はれたが、わたくしはエチングに對して、ウヰスラアのテエムス・セツトのやうなリアリスチツクなものを好む偏見を有つてゐるので、唯その美しさを賞するに止まつた。バルツの五點の油畫がある。その中で志賀君藏の靜物は最も傑れた作である。靜物描寫について、わたくしの眠つてゐた鑑賞眼を覺ましてくれるものがある。まづ畫家の氣魄がその荒つぽいカンバスに漲つてゐるのを感ずる。切地と皿と果物とは殆どモノクロオムをなしてゐるといつて好い。それでありながら、切地の白と陶器の白との諧調がよく響いてゐて、その中で果物の淡青色が畫家の鋭い感覺をさゝやいてゐる。
 この參考室には今一つ見落してはならぬものがある。故原田直次郎氏の作品である。この畫家のもので、わたくしの見ただけを數へれば、例の騎龍觀音と美術學校藏の肖像畫一二點に過ぎない。その上に僅に今度出陳された滯歐中の作品三つを加へることが出來たのである。わたくしはその畫の前に立つて、暫くは往時を偲ぶ情に堪へなかつたが、その畫を離れるに及んで、また別樣の想念の胸裡より浮び來るのをおぼえるのであつた。獨逸のミユンヘンで畫を學んで來た原田氏に就て感慨を禁じ得ないものゝあることは、夙に南歐の流風を傳へた河村清雄氏に就いても均しく言ひ得るところである。約言すれば、藝術家として、孤立して世に立つことの如何に困難であるかである。原田氏は不幸にも命數に拙く、その志は終に伸ばされずに了つたが、その短生涯の孤高であつたことも爭はれぬやうに思はれる。

 わたくしは會場を出る前に、再び高村君の「百合の花のやうな」畫と、志賀君の「若し未成なところを言へとなら、それは君といふ人」の畫とを見て※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つた。
(明治四十三年七月)





底本:「明治文學全集 99 明治文學囘顧録集(二)」筑摩書房
   1980(昭和55)年8月20日初版第1刷発行
底本の親本:「飛雲抄」書物展望社
   1938(昭和13)年12月10日
初出:「早稻田文學」
   1910(明治43)年8月
※「就て」と「就いて」の混在は底本通りです。
入力:広橋はやみ
校正:岡村和彦
2015年12月13日作成
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