昭和九年の冬に、岩波茂雄さんの厚意によつてはじめて露伴先生にお目にかかり、その時は熱海ホテルで数日を楽しく過ごした。
それ以来、月に数回、
教を受けるといつても、こちらの予備が無いと何にもならないのである。実はさういふ日の方が私には多かつた。けれどもお邪魔にあがつて一二時間費し、門を辞する時には、まことに安楽な、何かに
そのころ先生は支那の文字、金石について興味を
また支那文字の古いところを調べられて、古の文字は実に不思議である。二本引くところを三本引いたり、四つ打つところを五つも打つたり。これ見給へ、いくら何だつてこれぢや議論にも何にもなるまいぢやないか。かういふ大家の字がこんな風で、平然として居られてみると、僕のやうな、まあ自由主義といつたやうな奴にも、結論がつきにくいね。
かういふお話がつづくのである。この場合にもこちらの予備が出来てゐず、支那に