むかし、
式部大輔大江匡衡といふ
人がありました。まだ
大學の
學生であつた
時のことであります。この
人は
傑れた
才子でありましたが
形恰好が
少し
變で、
丈は
高く
肩が
突き
出て、
見苦しかつたので、
人々が
笑つてゐました。ある
時、
宮中の
女官たちがこの
匡衡を
嘲弄しようと
企んで、
和琴(
日本の
琴、
支那の
琴に
對していふ)を
差し
出して、
「あなたは、なんでも
知つておいでなされるといふことであるから、これをお
彈きになるでせう。一つ
彈いて
聞かせて
下さい」
といひました。
匡衡は、それには
返事をしないで、
逢坂の關のあなたもまだ見ねば
あづまのことも知られざりけり
といふ
歌を
讀みました。
女官たちは、その
返歌が
出來なかつたので、
笑つて
嫌がらせることもならず、
默つて
一人起ち、
二人起ちして、みな
奧へ
逃げてしまひました。
この
匡衡は
漢文や、
詩の
方は
至極の
名人であつたが、その
上に
歌もこの
通り、うまく
讀んだと
語り
傳へたそうです。