六月

相馬泰三




 まあ、なんと言ったらいいだろう、そうだ、自分の身体からだがなんのこともなくついばらばらにくずれてゆくような気持であった。身を縮めて、一生懸命に抱きしめていても、いつか自分の力の方がけてゆくような――目がめた時、彼は自分がおびただしい悪寒おかんに襲われてがたがたふるえているのを知った。なんだかそこいらが湿っぽくれている。からだのどこかが麻痺しびれて知覚がない。白い、濃淡のない、おっぴろがった電燈の光が、眼の玉を内部へ押し込めるように強く目に映じた。自分のいるところより一段高いところに、白い詰襟つめえりの制服をつけた警官が二三人卓に向って坐っているのがちらと目に入った。
(おや、ここは警察署だな)と彼は思った。すべてのものが静かに息を潜めて、そしてあたりの空気が元気なく疲れて冷え冷えしている様子が、夜のすでに深くけていることを物語っていた。――すべてこれらのことが一瞬のひらめきの間であった。思い設けないことに対する一種の驚愕きょうがくが、今まで腰かけていたべンチの上から彼をはじき下ろした。身に巻きつけられてあったねずみ色毛布のぼろきれがぱさぱさと身体を離れて床に落ちた。で、彼はまる裸になった。しかし彼はそんなことには頓着とんじゃくなく、よろよろとよろけながら一人の警官の卓の前に進んで行った、そして卓をたたいて叫んだ。
「警官、警官、私はどうしたというんです。私の身の上に一体何事が起ったのです」
 事によったら、それは署長であったかも知れない、そんな風に思われる五十格好の男であった。その男は思いがけないところを驚ろかされたので、
「うむ? あ?」と、ちょっとまごついて、今まで居睡いねむりでもしていたらしい顔をあげた。せてげっそりと落ちた頬辺ほっぺたのあたりを指で軽くさすりながらシゲシゲと彼をながめていたが、急に大きな声を出して笑い出した。そして横手の方にある大きな板の衝立ついたてのようなもののかげへ向って、
やっこさん正気がついたらしいや、おい、△△君、あっちへ連れて行ってどこかへ寝せてやるといいよ」と叫んだ。
 年の若い、まだやっと二十二三になったかならないかの巡査が一人、佩剣はいけんを鳴らせながらガタガタと現われて来た。その若い男は、卓の男がまだ笑っているのを見ると、自分もにこにこしながら、
「気は確かかな。大変にのんだくれやがって、ざまあなかったぞ。そしてなんだ、貴様はもう少しで死ぬところだったぞ」
 彼は思わず、熱心に
「一体どうしたというんです?」と問い寄った。
あきれ返ったやつだ、あれがちっとも覚えがなけりゃ、あのまま死んだって覚えがないというものだ。――川へ落ち込んだのだ。一旦いったん沈んでしばらく姿が見えなくなってしまってな、――署員総出という騒ぎだ」
「全く危険であった」と、そばにいた他の一人の警官が言った。
「野郎、寒がってぶるぶる慄えていやがる!」
 こんなことを言って、彼の丸裸を指差して笑っている連中もあった。
 彼の頭にはそれらしい記憶は何も浮んで来なかった。ただ夢のようだと思うほかはなかった。
 あかりのない暗い廊下みたいなところを通って、とある部屋の中へ押し入れられた。暗闇くらやみの中を手探りすると、畳の敷いてない床に、荒らい毛の毛布があったので、それにくるまって横になった。
 横になってしばらくすると、鼻の穴の奥が痛がゆいような感じがした。それに続いてのどが何かにむせるような、それから何物かに強く口をふさがれて、窒息しそうな堪えがたい苦しみの記憶が、ふと、全く思いがけなく彼に蘇生よみがえって来た。と、彼の頭の中に、ある慄え上るような心持ちが電光のように閃いた。しかし彼はひどく疲れていたので、いつかうとうとと深い睡眠に陥ってしまった。
 再び目が覚めた時は、闇がいくらか薄らいでいた。手足がいやに冷たく冷えていた。頭は、棒のようなものになぐられでもした後のように不健康な不愉快な響きでちていた。
 彼の入れられていた部屋は、これはまた何という脅喝きょうかつ的な造り方の部屋であろう! 三方はコンクリートの壁で囲まれ、他の一方にはその面一ぱいに四寸角の柱を組んだ格子こうしがはめられてある。入口はその格子の一部分で、そこに鉄製の潜戸くぐりどがあって、それには赤錆あかさびのした大きな鉄の錠が、いかにもおごそかに、さもさも何か「重大事件」といったように重たく横たえられてある。天井の高さが不釣合いに高く、床のところが何かの底のように感ぜられる。
 薄い、あるかなきかの明るみが右手の方から格子を通して左手の壁の上に漂うていた。彼はそのおぼつかない未明の光を打ちながめながら、咋夜来の自分の身を思うた。
 いくら考えても考え直してみても記憶と記憶との間に一カ所大きな穴があって、そこのところがどうしても瞭然はっきりとしない。それにしても川のあるところへなんかどうして行ったのだろう、川って一体何川なのだろう……
 彼はもう一度、初めから順序を追うて昨夜の記憶を頭の中にくり返してみた。
 日暮れごろから、木挽こびき町のさる料理屋の大広間で、社の懇親会があった。雨がびしょびしょ降っていた。庭の木立が白くけむっていた。池の岸に白と紫の大輪の杜若かきつばたえんに水々しく咲いていた。離れの小座敷の縁先に二十三四歳ぐらいの色白のいきな男が、しょんぼり立って、人でも待っているらしく庭をながめていた。池の水のおもてには雨が描き出す小さな波紋が、音もなく夢のように数限りもなくちらちらと入り乱れていた。みちで一緒になった丸顔の小造りの芸者が、下の方のよそのお座敷へ来ていた。……右隣りへは一面のS文学士が坐った。左隣りには三面の編輯へんしゅうにいるAという早稲田わせだ出の新進作家がいた。自分を社へ紹介してくれた人で、そんなに親しくはないがふるくから知ってるので窮屈でなくてよかった。その次ぎが二面のT法学士に三面のY君、……このあたりは、社内の他の人たちから「新人」と呼ばれている一群で占領されていた。灯がつくと、芸者と雛妓おしゃくとがどやどやいやに品をつくって入って来た。彼らはいずれも(たかがへぼ新聞記者が)といったような、お客を充分みくびった顔をしてよそよそしい世辞笑いをしながらおしゃくをしてまわった。ずらりとそこに居列いならんだ面々も、(そんなことは万々承知だ)といったような、いかにも見透かしたようなふうをしてその酌を受けていた。そのうちにおきまりの三味線とうたと舞踊とが、何の感興もなく初まって何の感興もなく終った。それだのにそれが済むと、席は待ち構えていて拍手喝采かっさいした。それらがすべて馬鹿馬鹿しく見えてならなかった。自分のぜんの中にはいつもさかずきが二ツ三ツあった。お酌してくれる者があるままに自分はぐいぐいあおっていた。しかしその間にも自分の目、自分の耳は数限りもない小さな細々した不愉快と忌々しさとを見聞した。例えば俗悪なる階級的気分、高慢、追従ついしょう、暗闘、――それから事務員某の醜悪見るに堪えないかっぽれ踊り、それから、そうだ、間もなく誰かと何かしきりにののしり合ってあげくの果てがなぐり合いとなり、さら類のこわれる音、……その争いがまたいろいろのこんたんを含んでいるので、外務主任のKが社に不平を持っていて策としてそんな幕を演じさせたのだとか……自分はもう大分酔っていた。自分の前後左右が無性と愚劣に見え出して来た。馬鹿馬鹿しいのを通り越して一切がただもう面倒くさくてしようがなかった。その時ふと目をあげると、自分の前に一人の雛妓が――初子とかいう名だった。――両手をひざの上へきちんと重ねて坐っていた。自分はふらふらと立ち上ってその妓の背後から肩を両手で抱くようにして、いやがるのを無理に頬辺へ接吻せっぷんしてやった。……それから誰か二三人とすみの方へ陣取って大いに飲んだ、その時、誰だかが、何のことだか、「……それは世界の大いなる皮肉で、それは何ものかに対しての大いなる攻撃であらねばならぬ」こんなことを叫んでいたのを覚えている。……そしてそれから、……
 どうしてもこの先がはっきりしない。
 部屋を二つほど隔てたと思われるあたりに時計が四時を報じた。どこか板敷きの床の上をコツコツと歩くくつの音がして、やがて奥の方で、「△△君、○○君、交代!」という声がした。しばらくするとまた前と同じような靴の音がコツコツとして、そのあとはまた以前と同じような寂寞せきばくに帰った。
 今までつい気がつかずにいたが、家のすぐそとに何やらさらさらと水の流れる音がしている。耳を澄ますと、時々舟が通るのかひたひたという波の音も聞えてくる。
 彼は起き上って一方の壁に身を寄せて、今さらのようにつくづくあたりを見廻した。もう、夜がすっかり明けていた。ふと見ると、自分のいるすぐ右手の壁の上に、つめで書いたらしい「願放免」「五月二十三日」という字が読まれた。彼は心持ちが急に暗くなって来た。罪悪、罪人、本物の囚人、こんなことがいろいろに考えられた。五月二十三日といえば、ついまだ一カ月と前のことではない、これを書いた人はどんな人であったか、そしてその人は何のためにここへ入れて置かれたのだろう、そんなことまでがいろいろ気になった。
 入口のところへ一人の警官が来て、
「おい!」と彼を呼んだ。そしてのぞき込むようにして内を見た。彼が目を覚まして壁によりかかっているのを見ると、一段あらたまった調子で、
「貴様の名は何というのか」と問うた。
「曽根四郎と申します」と彼はおかしいほど丁寧に答えた。
 警官は、それから現住所、原籍、族籍、父の名、その者の第何男であるかまで詳しく聞いて一々それを手帳に控えた。最後に彼の職業が何であるかを尋ねた。彼は職業は何かとわれてはたと当惑した。新聞の記者をしているのだから「新聞記者です」と言えば何の面倒もないのだが、彼はなぜかそう言うのが不正当のように考えられた。
「詩人です、いや、無職業です」と、こう言いたいのが山々であった。が、そんなことを言おうものなら、それこそどんな面倒が起きるかわからないと思うたので、ちょっと口ごもって「新聞へ出ています」と答えた。
 その言い方が不明瞭ふめいりょうだったので警官は敏活にこれを聞きとがめた。
「新聞だと? 配達夫か」
「新聞記者です」
 彼はこう言わなければならなかった。
 そこでその新聞社の名をくと、もうあとは何も別に詳しいことを尋ねようともしなかった。小半時間ばかりして新聞社から着物を持って人が来たので、彼はその部屋から出されて応接室へ移された。そこでは給仕がお茶を持って来てくれたりした。湯気のたちのぼる熱いお茶をすすりながら、彼は初めてほっと大きな吐息をした。ひまな警官が二三人そこへ来て笑いながらいろいろと昨夜の話しをして聞かせた。それによると、何でもまだ十時をちょっと過ぎたばかりぐらいの時刻だったそうだ。落ちたというのはこの警察署のすぐわきを流れている溝川で、彼の落ち込むところを一人の警官がちょうど見ていたということだ。そこに川なんかのあるのにてんで気がつかずにいたものらしく、道が曲っているのを真直まっすぐに歩るいて来て、大手を振りながら落っこちてしまった。……
 それから一人の警官は、わざわざ彼を窓のところまで引張って来て、下の方を指差しながら
「それ、その川だ。岸の石垣いしがきの高さがあれでも一丈もあるだろうよ、……梯子はしごを下すやら、それは騒いだよ。君の帽子がぷんぷらぷんぷら流れてゆくのを見て、それを君だなんて言うものがあったりして、その辺に君の姿がしばらくの間見えなくなってしまったんだからね。……でも、まあ、君の運がまだ尽きなかったのだね。……何しろ素敵に酔っていたんだから」
 こんなことを言った。
 曽根はそれらの話を一語も聞きらすまいと熱心に聞いた。聞きながらもその場合場合の記憶を呼び起そうと一生懸命にあせっていた。しかし、覚えのない部分はあくまで覚えがなく朦朧もうろうとしていた。それがまた彼を暗い憂鬱ゆううつに陥らしめた。
 下宿へ帰った時、玄関のあたりに主婦おかみの姿が見えなかったので彼はほっとかすかな吐息をした。大急ぎで車屋に賃金を払い、車のけこみへ乗せて来た濡れた洋服の風呂敷包ふろしきづつみを片手にぶら下げて、梯子段を走るようにして上った。
 部屋は昨日の朝出た時のままに取り散らかっていていかにも不愛相に感ぜられた。新聞が障子のすき間からほうり込まれて、あたりに不行儀に散らばっていた。彼は、(あのちびの奴、いくら言ってもこうして行きやがる)こんなことをつぶやきながらそれを拾って机の上へ載せた。が、とてもそれを開いて見る気はなかった。手にさげて来た風呂敷包みを片隅に置いてしばしぼんやり立っていたが、取付き場がなく、味気あじきなくてしようがないので、押入れから布団ふとんを引きずり出してその中へもぐり込んだ。すると今まで外面へ張りつめていた気がゆるんだとでも言うのか、急にあるえたいのしれないはげしい寂寞と哀愁とが大颶風おおあらしのように彼に迫って来た。熱い涙がつき走るように彼の目から流れ出た。彼はこらえることが出来ないで身を慄わして慟哭どうこくした。
 何かしら自分というものが限りなく不憫ふびんでならなかったのだ。自分をかばっていてくれるものが、この広い広い世界に誰一人ないように思われてさびしかったのである。ほんとに自分の命だって自分がちょっとでも油断しようものなら、どんなことになってしまうかわからないように思われておそろしく、そして哀れでならなかった。
 口を塞がれるような、今にも窒息してしまいそうな苦しみの記憶が時々彼の頭に浮んで来た。目をつぶると、丸裸の身体にぼろ毛布をまきつけられて、警察の留置所に入れられて横たわっていた、ついさっきまでの自分のあさましい、みじめな姿がまざまざと見えてくる。小さくなって警官にいろいろ訊きただされていた、おどおどした自分を思い出すと、何だかはずかしいような、また何物かからひどく卑しめられてるような、そしてまた何物かに対して大変申しわけがないようなさまざまな思いが、じめじめした雨かなどのように彼の心に降りそそいで来た。涙がいつまでもとめどなく流れ出た。
 おひる少し過ぎに、曽根の部屋へ宿の主婦おかみが入って来た。主婦は忌々しそうに彼に言った。
「……あの、ご都合はいかがでございましょうか」
 いつものおきまりのやつである。彼は別に言いようもないので、いつものとおり、
「どうも、今何にもないんです。どうぞ今少し待って下さい。そのうちにきっとどうかしますから」と言った。
 主婦は(またか)といったような顔つきをしてしばし黙っていたが、
「わたしどもでも大変に困っているんですよ。……それに、はじめ月の五日にいくらか出して下さるはずでしたのにそれも駄目だめ、十日までにはこんどきっとということでしたのに、それもなんなんでしょう。家でも都合があって払いの方へもそう言ってあるんです、……あんまりなんすると家がみんな不信用になって商売が出来なくなってしまうんです。……是非何とかしていただかなければならないんですが、……」
 と言って寝ている曽根の顔を覗くようにして見た。
 いつもなら、曽根はこう言われればついそれにつり込まれてその気になり、本当に自分が大変に済まないように思い、出来ないのは知りつつも(両三日中にはきっとどうかしますから)といった工合に出るのだが、今日はそれを言う元気さえなかった。そしてかえってあべこべに心の中に余裕があるようであった。それに布団の中にいたので多少気が落ちついていたものと見えて、(まあ、主婦おかみさんもこのごろは金の催促がうまくなったこと! それにしても、まだ年が若いのに、この人もほんとに気の毒な……)こんなことを心に思うて黙っていた。
 主婦はまた続けた。
「私の申し上げようが手ぬるいと言っていつも私は良人やどしかられるんですよ。かんしゃくを起こしてひどく私をちのめすんです。ほんとにやりきれやしない」それもみんなあなた方のせいだ。と言わぬばかりに言う。しかし彼は次のようなことを思うてやっぱり黙っていた。
(なあに、たかが五十円足らずの金じゃないか。いつまでやらないと言うのではなし、――よしまた全然それが払えないで終ったとしたところで、それが僕の全生涯ぜんしょうがいからて、どれほどの不善でもありやしない)
 何と言っても彼が黙っているので、主婦は根敗けして、
「ほんとに困ってしまう、――それでは月末には是非とも間違いなくお願いしますよ」と言って思いきりわるそうに出て行った。
 曽根は、今日は一日社も休み、「自分の生命」のために、そんな小さなことに煩わされずに、もっとおおきいことについて静かに瞑想めいそうしようと思うた。が、やはりそのことがうるさく気になって不愉快でならなかった。
 ともしごろになって、友の松本がひょっこりやって来た。また例によって少し酒気を帯びていた。事によったら、もう少し飲み足すつもりかなんかで、いくらか借りに来たのだったかも知れないが、悲愴ひそうな顔をして曽根が寝ているのを見ると、それどころではなく静かに近寄って、
「どうしたのだ、身体の工合でもわるいのか」と憂わしげにたずねた。
 曽根は、病気で寝ているのでないことを言い、昨夜のことを告げ「生命の直覚」のいかに淋しいかを物語った。
 あとで、松本は自分のはなしをはなした。
「とてもやりきれない。月給でも増してくれなければ、今度こそはいよいよ退社してしまう。なあに、いよいよ窮すればそこに必らずまた新らしい道が開けるにきまっている。――」
 こう言った。彼の話によると、彼の勤めている社は実は大へんに可憐かわいそうなことになっているのだそうだ。社に一人悪い奴がいて、社主が地方へ出張している間に社の金をつかいこむ、しておかねばならぬ仕事は手も付けずおまけに社主の妻君と姦通かんつうしたとか、しないとか。松本もそんな地盤の上でいくら働いても働き甲斐もなければ、また働らく精もないというのだ。何やかや一切が気に入らないので毎日酒を飲んでごろごろしているので小使いがなくなり、なくなりしてこの月になって社へちょくちょく月給の前借りをやりだし、今じゃもう月末になってももらう分が一文も残っていない、それに下宿の払いも二月ばかりたまっているし、そんなことも言った。
 しかし、おしまいにはやがて昂然こうぜんとした調子で、「悲観することはないさ、やがて一切のことが皆どんどん経過してしまうのだ。いかなる苦悩も、いかなる困窮もいつかまた『時』とともに我々から過ぎ去り、消え去ってしまうのだ」こんなことを語り合うのだった。

 翌朝、寝床を離れた時、曽根の頭は呆然ぼんやりしていた。
 蒸し暑い光と熱とを多量に含んだ初夏の風が、梅雨つゆばれの空を吹いていた。水気に富んだ低い雲がふわふわとちぎれては飛び、ちぎれては飛びしていた。地上にはそれにつれて大きなまばらをなして日陰と日の照るところとが鬼ごっこでもしているように走り動いていた。せかせかする気忙きぜわしいような日であった。人の心も散漫と乱れて、落ちつかなかった。曽根は警察の留置所でくわれた南京虫なんきんむしのあとが、赤くはれ上り気持が悪くてしようがないので、社へ出る前にちょっと医者へ行って薬をつけてもらった。そして手だの首筋だの、外へ出て人目に触れる部分には繃帯ほうたいをしてもらったりした。
 社へ行くと、下足番のじいさんが、彼の上草履うわぞうりを出しながらにやにや薄笑いして何か彼に言いそうにした。彼は何か言われないうちにと努めて不愛そうな顔つきをして急いで梯子段を上った。そこで外勤のF―何とかいった男に出会った。するとその男は、お互いについぞこれまで口をいたこともないのだが、
「おや、曽根さん、おめでとう」と言って彼の肩を叩いた。
「いや」と、あいまいな返辞をして、振り払うようにして編輯の部屋へ入って行った。
 誰かぱちぱちと手をたたいたものがあった。すると、今までペンを走らしていた人たちまでそのペンをいて一斉いっせいに彼の方を見た。その人たちの顔が、いかにも、何か一口彼をからかってやらねばならぬと待ち構えていたかのように彼の目に映った。彼が席につくと、すぐ後ろにいた校正係りのT―老が朱筆をちょっと小耳にはさんで曽根の方へ向き、
「昨日の市内版へ、もう少しで君の記事が載るところだったよ。すんでのことでさ」
「新聞配達夫水におぼるってね」
 三面の主任がこうつけ足して笑った。
 外務主任がやって来た。二面のL、一面のO、……いつか四五人の人が彼の周囲に集まっていた。そして(やはり一種の酒乱というものさ)(天才はどうしても常人とちがうね)(これからは少しつつしむこったね。実際笑談じゃないよ)こんな、てんでに勝手なことを言い合った。曽根はこれらの人たちの前で小さくなっている自分の姿を想像した。自分はなぜもっと群衆に対して威厳がないのかと思うた。黙って伏目になっていると、苦々しそうな薄笑いを浮べて気味の悪いほど不得要領な顔つきをしている自分の顔が鏡を見るようにはっきりと自分の目の前に見えた。眼尻めじりに集まる細い意気地いくじのないしわ、小鼻のあたりに現われる過度の反抗的な表情、
 一面のS文学士とMとがやって来て、「失われそうにして助かった幸運なる君が生命のために祝盃しゅくはいげようじゃないか」と言った。すると、すぐ前の卓にいたAが頭をもたげて、
「賛成、賛成!」こう言って、書きかけの原稿を傍へ押しやった。
 曽根は常になく片意地な、ちぐはぐな心持であった。彼は心の中で思った。
(ご親切はかたじけないが、実を言うと僕は君たちと酒を飲むのはいつだってちっとも愉快じゃないのだ。何だか退屈でね、君たちの「新人」というものにももう新らしい型が出来ているよ。それに僕は君たちのような趣味に富んだ詩人ではないんだ。趣味なんてものにはむしろきわめて冷淡で、そして大変な不風流人だよ。それから君たちのような学者でもない、僕は事実この数年来書物らしい書物なんか一冊も読んだことがない。いつもよく君たちが言う最近の学説だの、新主張だのというものも僕にはただいたずらに退屈で、全く何の興味も持つことが出来ないのだ。……まったく、そでふれ合うも多少の縁と思えばこそ笑談のつき合いもしているようなものの、恐らくは、そうだ、恐らくは僕は君たちが僕を遇していてくれるほど、君たちを尊敬してはいないかも知らないよ。そして僕は今、こうして君たちと一緒になってこんな仕事をしているが、いつ、いや明日にでも社をすかも知れないんだ。僕には「芸術」という立派な職業があるのだから、本当を言えば僕がその上に新聞記者なんかしているのは全くお羞かしいような次第なのだ。僕はいつだって、一日も早くこんなことを止さねばならぬと思っていないことはないのだ。心にもないこんな片々たる仕事をして、まるで身を売るような卑しいことをして貴重なる生命を一時でも過ごすということはないのだ。――僕がこうして君たちと一緒になっていることが、僕自身にとってどれほど忍びがたい屈辱であるか)
 SとMとAと、それに二面のT法学士も加わって、四人はしきりにいろいろのカフエの名を並べて、あれかこれかと今晩の祝盃を挙げる席場の選定をしていた。
 曽根はまたひとりで腹の中で、(祝盃をあげるなら君たちだけであげてくれたまえ。僕は多分、身体の工合がよくないからはなはだすまないが……なんてうそをついて途中から逃げ出すかも知れないよ)こんなことを言っていた。
 第一版の締切時間が迫って来たので、いずれも自分の卓へ帰って行った。
 その日はちょうど、政治界のちょっとした名士が病死したのでその人の閲歴やら、逸話やらで、不時の記事が多くて割に忙しかった。それに二面の方では支那しな問題、バルカン問題、米国の排日問題やらで、電報、通信、電話などがしっきりなしにやって来てごたごたしていた。
 編輯長の卓では、主筆、編輯長、一面主任、二面主任、H代議士などいう連中が明日の社説のことで互いに意見を述べ合っていた。
 原稿を工場へ持って行くボーイ、ゲラ刷を工場から持って来るボーイなどがパタパタと上草履を鳴らして小走りして出たり入ったりした。中にはまだ雇われたてのがあって何か間違ったことをして、ひどく叱り飛ばされているのなどもあった。彼のいるすぐわきのところに、車井戸のような仕掛けで受付から郵便物だの通信類だのと運び上げるものがあって、それが間断なくギーギーきしッていた。それにつれてそれを知らせる鈴が幽かに鳴っていた。そしてそれがこの編輯局全体に一種の調子をつけているようにも聞かれるのであった。
 編輯の卓は一面二面三面と順に長く三列にならべられてある。その奥に一段低くなって外務主任の大きな卓があり、それを起点にして二列に長く外歩きの記者たちの卓がずらりと規則正しく列べられてある。そのあたりには絶えず煙草たばこの煙が朦々もうもうと立ちあがり、雑然とした話し声、何か急を報ずる叫び声、電話をかけるののびた話し声、――それらに混じって誰がやっているものか朝から晩まで碁を囲む音がいかにものんきそうに、社の誰やらがよく言う「動中静あり」という言葉のようにパチリパチリと聞えている。
 曽根は幸いその日は割り当てられる仕事がなかったので、煙草をふかしながらあたりをながめまわしていた。
(事によったらこの部屋も今日が見おさめになるかも知れない)こんな気がして今さらのようにつくづくとあたりを見た。壁、窓、カーテン、天井、天井からぶら下がっている幾つかの電燈、隅々の戸棚とだなふたのしてある暖炉、大きな八角時計、晴雨計、寒暖計、掲示板、――壁にはところどころに何者の趣味だか、いや何の意味だか呉服店だのビール会社だのの広告絵、大相撲おおずもうの番附などが麗々しくられてある。と思うと、万国地図、日本地図、東京地図などが不秩序にあちらに一ツこちらに一ツばらばらにけられてある。また、何者の筆になったか判明しない怪しげな骨董絵こっとうえの軸などもさがっている。中にはつい四五日前に新たに懸けたのもあれば、また十五年もそれよりも前からそこにぶら下げてあるようなのもあった。彼はそれらを一ツ残さず隅から順々に眺めて行った。しかし何一ツとして彼の心をひくものはなかった。それらのものからは何らの親しみも、何らのゆかしさも感ずることができなかった。
 次ぎに彼はその眼を、順よく向い合わされて並んでいる幾列かの卓に転じた。各列の一番むこうのはずれに各そのめんの主任がおり、それから主任助手、主任次席、以下△△係、△△係といった風にちゃんと各自その定められた席について各自割り当てられた仕事をしている。卓の上は南京鼠なんきんねずみの巣でもひっくり返えしたようにどこもここも散らかっていた。原稿の書きそこないを丸るめたのや、煙草の灰、新聞のきれくず、辞書類の開らきっぱなしになっているのや、糊壺のりつぼ、インキのしみ、弁当をたべた跡、――割箸わりばしを折って捨てたのや、時によると香の物の一切れぐらいおちたままになっていることも珍らしくない。――お茶の土瓶どびん湯呑ゆのみのひっくりかえったのや、……
 しかし、いずれも(今初まったことでもない)といったように、誰一人としてそんなことを気にする者もない。
 曽根はさらに社員の一人一人について眺めて行った。最初に彼の目にとまったのは、彼が自分だけで「尨毛むくげの猟犬」と仇名あだなを与えている二面の主任のKさんであった。彼はすぐ腹の中で初めた。
(やあ、むくさん、むく毛の猟犬先生――いつも相変らずのおめかしですね。ぴかぴか光るそのお召物はそれは何という物でしょうかね。大へん粋な柄ですこと、……しかしそれにしても腰にぐるぐる巻き付けた水色縮緬ちりめんの幅広なのは少々野暮に過ぎますね。そうさ、むろん安物ではありますまいとも、先生のことですもの。……えーと幾らかとおっしゃったっけね、その金時計とその黄金とプラチナとをつなぎ合わせたその鎖とは、たしか三百八十円でしたね。……そういう立派な、いや高価なものを身につけておいでになればそれはもうどこへ行っても、どう見誤っても中流以上の階級の人と見られるでしょうとも。いや、先生のおっしゃるまでもなく、おしゃれも単なる一種の義務……全く、そのとおり、その通り、……)彼は自分ながらおかしくなって来た。
 社の誰やらが、(あれは、もと貧しい家の産で、近年まで長いことそういう方面にひどく不自由をして来たんだからさ)こんなことを言ったのを、ふと思い出した。二面の主任は、社としては今ではなくてはならぬ大事な人物の一人である。事実、このごろの社説の多くはこの人が一人で書いている。彼は別にこれという教育も受けなかった。その代りに長い月日の間めったやたらに書物をあさり読んだ。初めから新聞の社説書きになることを心がけてとうとうそれに成功した人である。雄弁術というものによって真面目まじめに演説の仕方も練習もした。なかなかの利口者で、常に自分の周囲に多様な青年、大学生の群を近づけておき、そしてそれとなくそれらの人たちから新思想、新空気をぎ入れることを知っている。どうかすると彼の書く論文の中には、某々青年、某々大学生の意見がそのまま出て来るようなこともあった。曽根が「むく毛の猟犬」と仇名をつけたのもこの辺から思いついたことである。主筆は彼を、今の世に最もよく要領を得てる人の一人だといつもほめている。――
 社長がぬーッと入って来た。(この社は隅から隅までおれの所有に属しているのだ)といったような、例えば、牧場主が自分の牧場を見舞う時のような得意さと、(俺のおかげで……いや、お前たちのうちどの男でもこの俺の意志一ツで追い出すこともどうすることも出来るのだ)といったような尊大さとが、湯気かなどのように朦朧もうろうと彼の身体から立ちのぼってるのが感ぜられた。
 曽根はその方へ顔を向けた。そのはずみに自分の眼がはからずも社長の鈍く冷たく光ってる眼とちらと途中で出会った。曽根はきたない物でも見たように顔をしかめた。しかし元気を出して、また腹の中で独言をはじめた。
(おや、社長さん、……馬鹿にご機嫌きげんが悪いようですね。……人のうわさじゃ、このごろ大分金がたまったというじゃありませんか。たまには、せめてにこにこした顔くらい見せたっていいじゃありませんか。その方が因果に良うございますよ。……そうだ、それでよろしい、そこに立つとちょうど全体が見渡されます、ご監督ですかな、……)
 曽根は何だか愉快になって来た。そしてまた続けた。
(社長さん、ちょっと思い出したからくが、君はもと浅草の何とかいう横町で油売りをしていたってね。――何もよけいなことには相違ないが、校正のT―老の話だからまんざら嘘でもあるまい。草鞋わらじをはいて車をいて行商をしてあるいたんだって、いや、全く見上げたものだ。T―老もその話をしていかにもうらやましがっていましたよ。君のその非凡なる成功は誰だって感服のほかはないさ。あなたはこのごろお宅では、家内のものどもに「ご前様」てなことを言わせておいでだそうですね。それから靴なども一々小間使に命じておぬがせになるのだとか、それもやはりT―老が言っていましたよ。なかなか高尚こうしょうな趣味というものですね。いつごろからそんなことをお思いつきになりました? まったく豪勢ですよ。それにしても一体、君が新聞の株なんかどうして買うようになったのだね。しかし君のこの成功もこの新聞の株を手に入れてからだと言うからやはり先見の明があったというものだね。それにしても社長は少々恐れ入るね。全くさ。いや失敬、失敬、社長さん、あなたは近いうちにこの社を売り飛ばすって噂があるが、まったくですか。このあいだ五六人でね、月給をちっともあげてもらえないことや、窓のこわれたのなどをいつまでも修繕しないでおくことや、いろいろそんな話をしていたんですよ。そうすると、その中の一人が、一代の警句でも見つけ出したかのような得意な調子で、「収穫時に肥料をほどこす農夫もあるまいよ」だって。全くそのとおり、そのとおり。私もそれに大賛成です。……)
 曽根はなお、次ぎから次ぎへとこんな風にして飽かず続けて行った。そしてその日は一行も書くことがなくて、五時少し過ぎると、夜の交代の来るのを待たずにSたちの連中につれられて社を出た。

 曽根はそれから三四日自分の下宿に帰って行かなかった。今日も社が退けて外へ出たが、どうしても下宿へ帰える気はしなかった。今ごろのっそりと帰って行けば、何か面白くないことの二つや三つはきっと起っているに相違ない。第一番にあの主婦おかみがやって来て長々と例のやつを催促する。それから約束しておいたのだから、昨日は洋服屋が残りの金をとりに来たに相違ない。あの洋服屋も可憐かわいそうな男だ、四十幾つになって、店はつぶれる、妻には先だたれる、身を寄せるところさえもなくなり、仕方なしに昔しの相弟子あいでしの店へ寝泊ねとまりまでさせてもらって仕事をしているのだ。苦労人だからああしてがみがみと言わないでいつも好い顔を見せているが、あれは是非何とかしてやろう。無理しても近いうちに持って行ってやらなければならぬ。だが、この俺はどうだ? また月末が思いやられる。何と法を講じたものか? と言って今さらどうなるものか、またつらい思いをしてもどこかへ泣きついて借金をするほかはない。だが、俺の知っているやつに誰が金を持っている? 金を持っているような知己のところへは、どこもここも、義理を悪くしているから行くことが出来ない。……昨夜宿めてくれた長谷川はせがわは、そんなに困っているならお伽噺とぎばなしでも書いたらどうか、少年雑誌の編輯へんしゅうをしている人を知っているからそれへ売りつけて上げることにしてもいい、と言ってくれた。そうか、まあ、これからそんなことでも少しずつ初めることかな。……こんなことを思いながらぶらぶら当てもなく銀座の通りへ出た。
 お伽噺などと言ったところで、どんな風に書いて良いものか、それにこのごろの子供はどんなことを好くか、それからしてちょっと当りがつかない。しかしとにかく筋を一つ立てて見よう。彼はほんとにそれをやって見る気になっていろいろと真面目に考えた。考えてもなかなかおいそれと面白そうなことが思い浮んで来ない。継児ままこだの孤児だのを材料にしても今様に仕組んだ哀れな物語をよく活動写真などで見るが、そんなものは何ぼ何でも我慢が出来ない、それではやはり、ごく古いところで、「むかしむかしあるところにお爺さんとおばあさんとがありました」かな。これもあんまり白っぱくれていて感心出来ないが、まあそんなことにして初めるとしよう。
「爺さんは山へ薪かりに、媼さんは川へ洗濯せんたくに行きました。……媼さんがじゃぶじゃぶ洗濯をしていますと、川上の方から大きな桃が二つ、どんぶらこ、どんぶらこと流れて来ました。その時、媼さんは何と言ったっけな。(小さな桃あっち行け、大きな桃こっちへ来い)それ、それ。……媼さんに拾われた大きな方の桃は皆様ご存知の通り、その中から桃太郎さんが産まれ出て、のちにお腰に日本一の黍団子きびだんごをぶら下げて鬼ヶ島征伐に出かけるのですが、さて、あの時媼さんに拾われなかった、もう一つの小さい方の桃はその後どうなったでしょう。兄さんの桃太郎に別れて一人ぽっちになって、どんぶらこ、どんぶらことどこまで流されて行って、何者のために拾われて、どんな一生を送ったでしょう。……」
 なかなかうまいぞ、と思わず手をった。すると、その様子があんまり突飛でおかしかったものと見えて、れちがった二人連れの紳士がくすくすと笑って行った。彼はそんなことには気もつかず、なおその先を一生懸命に考えていた。
 新橋の先まで行って、ふと気がついて引き返えした。
 もう、灯がぽつぽつつきだしていた。屋根上や、特にそのために造られた高い塔の上の広告燈が、(さあそろそろ初めましょうよ)とでも言うように二つ三つ、まだ暮れきらない薄明りの空に明るくなりまた暗くなりしていた。夕靄ゆうもやの白く立ちこめたまちの上を、わけもなく初夏の夕を愛する若いハイカラ男やハイカラ女が雑踏にまじってあちらこちらへ歩るいている。流行のみなりをしていそいそと、まるで尾ひれを振ってあるく金魚かなどのようにしなしなと品をつくッて歩るいている。裏通りの方ではまた、どこか近くの料理屋に宴会でもあって、それへ招かれでもしたのか濃艶のうえんにおめかしした芸者衆が幾人も幾人も自動車で運ばれて通っていた。
 曽根は(誰だかうまくやってる奴があるな)と思った。どことかに、自分に隠れて、自分の目のとどかないところに、自分などの知らないことで、いいことがどっさりあることと思うた。淋しいような、やきもきとそそられるような気がした。するとついさっきまで、お伽噺の筋を一生懸命に考えていたことなどがあまりに意気地なく、あまりに馬鹿馬鹿しいような気がした。何という廻りくどいことだ、……いや、俺は一体何歳いくつだというのだ。二十六七と言えば、花ならば今が満開だ。まったく、満開がいつまでも続くものか、「青年は人生の美しき口絵!」こんなことを誰やらが言っている。「美しき口絵」そのとおり、そのとおり。……しかるに
(おい、曽根君、当年二十七歳の美男子、君のその縮こまり方と来たらどうだい。棒切れに突かれた蝸牛かたつむりみたいに恐ろしく引込み思案を初めたその君の心は、……お伽噺とはほんとに好い思いつきだよ。ふ、ふ、川へ落ちたぐらいが何だね、借金が何だね、き世の波におじ気がつきましたかね。……おとなしいお子供さん、そのうちにどこかの小父さんがめてくれるだろう。……)また例のやつが彼の腹の中で初まった。すると急に元気づいて来て、口をとがらし、口笛で何かでたらめのマーチをやり出したりした。しばらくすると彼は人通りのないような横町へちょっとそれて懐中から金入れをとり出し、その中をしらべてみた。
 それから小半時間ばかりして、友の松本が彼らのよく行く銀座の××酒場バアへ入って行くと、そこのすみっこの方に一人で淋しそうにウイスキーを飲んでいる曽根の姿を見出した。松本はちょうど誰かいい相棒をほしいところだったから酷くよろこんだ。そーッと曽根に気づかれないように彼の背後から両手で彼の目をふさいだ。
 曽根は飛び上って喜んだ。握手を求めながら言った。
「何かうまいことでも見つかったかね」
「それどころではない、僕は社をやめてしまったよ」
「え? どうして?」
「あんまりけちなことばかりで、退屈で退屈で我慢が出来なくなってしまった」
「それで、どうしようというのだ」
「どうと言って別に当てなんかあるものか。――まあ、二ッちも三ッちもならなくなるまではこうしているさ。その先はどうにかなる。口入れ屋へでも何でも出かけるんだ」
 曽根は、何だか自分もやろうとしていたことを先を越されたような気がした。そしてある感激を覚えた。彼は盃をあげて突然いきなり
「松本! 君の健康を祝す」と叫んだ。
 酔いがまわるにつれて二人は快弁になった。二人とも相手になんかおかまいなしで、てんでん勝手なことをどなった。曽根はおどけた一種の節をつけて、
「……むかし男ありけり、詩人にてありけるが、いまだ一つの作詩をもなさざるにある日酒に酔いて川に落ち、そのままみまかりにけり。か、そのとおり、そのとおり。まるで一口噺だね。……二人は酒をくみかわし、酔うて別れた。そしてその後ついに相会う機会を持たなかった。数年の後、あるいは数十年の後、二人は別々な土地で、別々な死に方をしてあの世の人となってしまった……か。人生よ、げに一口噺のごとき人生よ。……」
 こんなことを言っていた。
 松本は松本で、そんなことには耳をかさず、まるで演説でもしているような口調で、
「……世の一切の得失が我々にとって何でありましょう。世の一切の美、一切の醜、一切の善、一切の悪、それが何でありましょう。……無職業、無一物、そして宿なし、まことに勇気ある者のみの営み得る最も勇敢なる生活だ。そこにのみ誠に清新なる生活が味わわれるのだ。……何を恐れ、何を憂えんやだ。いかなる苦悩も、いかなる困窮も、やがて次ぎの時間に我々から「経過」して消えて行ってしまう、そしていつも我々の生命と、我々の思想と、我々の身体とが残って存在しているのだ。これでたくさんだ。……何という幸福でありましょう。……」
 こんなことを叫び続けていた。そして最後に彼は曽根の肩に両手を掛けて、曽根にも一日も早く社をやめるように勧めた。
「……先輩、後輩、関係、背景、そして紹介状、……むこうに行ってはすべり、こっちへ来てはころび、……いわく何系、曰く何団体、曰く何派、曰く何、……まるで簇生そうせい植物のようだ。うじょうじょとかたまっていなければ生きて行かれないような、そんな意気地のない権威のない生活が何になるのだ。……そういう世界から一日も早く卒業しなければだめだ」
 それはまるで人を鞭打むちうつような調子であった。
 二人がそこを出たのは、もう大分おそかった。街には全く人通りが絶えていた。空は高く晴れ、数限りもない星がチラチラとまたたき、ちょうど頭の上に十八九日ごろの月が、紙片かみきれでも懸けたように不愛相に照っていた。二個の酔漢はよろよろと互いに相もたれ合うようにしてその下を当てもなくさまよい歩いた。

 数日の後、曽根は松本から一通の封書を受け取った。信州軽井沢よりとしてある。それには次のようなことが書いてあった。
「昨日、飄然ひょうぜんこの地へ来た。
僕がここへ来たことはむろん、宿の者にも誰にも知らせない。このまま再び東京へ帰えるまいかとも思うている。
真夜中ごろ浅間山が大爆発をやらかした。今もなお地に響いて盛んに轟々ごうごうと鳴っている。濛々もうもうたる黒煙の柱が天にもとどきそうだ。灰の雨が盛んに降っている。高原は一面に深い霧にとざされたように模糊もことしている。そして太陽が、まるで焼いた銅のような怪しい赤黒色に鈍って見える。
軽井沢へ僕が来たと言えば、僕が言うまでもなく、君は(そうか)とうなずくだろう。全くその通りだ。僕はお今が見たいばかりでここへやって来たのだ。
一昨夜、また一人で大泥酔をした。昨日、宿酔ふつかよいの頭をかかえながら下宿の窓からぼんやり青空を眺めていたら、どうした工合か空が常になく馬鹿に高く見えるのだ。見ていれば見ているほどどこまでもはてしがなく高く感ぜられる。隣りの寺の屋敷にある大きな、高いえのきこずえが、寂寞に堪えないといったような表情をして(実際、そんなに感ぜられた)軽くふわふわとそよいでいた。僕はわけもなく悲しくなって来た。何にもらないような気がして、そして無性と誰かに会いたくなって来た。誰かと会っていねば一刻もいられないような気がして来たのだ。するとその時ふと、お今が僕の心の中に浮んで来た。――あんなふうにして別れたのだから、お今はきっと自分をうらんでいるだろう。……事によったらお今はもうよそへお嫁に行ったかも知れない、などと思うたら、もう矢もたてもなくお今が恋しくなってたまらなくなった。……そして取るものも取りあえず、まるで夢の中でも走るようにここへやってきた。さっき宿の女中に尋ねたら、お今はどこへもお嫁に行かず、やはり達者で家で働いているそうだ。僕の心は今よろこびで波うっている。僕はこれから出かけて行く。どんなことをしてもお今をもう一度きっと僕のものにしなければならぬ。願わくば君も僕の成功を祈ってくれ。
屋外には灰の雨がますます盛んに、サラサラとかすかな音を立てて降りしきっている。太陽の色はますます鈍く曇って来た。……僕は、何だかうれしくてしようがない。僕は一生涯いっしょうがいこの高原から下らないかもしれない。……」
 日本紙へ書いたのに、万年筆のインキが少くなってでもいたのかところどころにポテリと大きなしみが出来ていたりしてかなり読みにくかった。
 そのころ、曽根の社では、(川へ落ちる)という言葉がはやっていた。人と人と議論でもしていると、そこへ行って(君たちの議論の行く手には溝川が流れているようだぜ、おっこちないように気をつけたまえ)とか、誰か新らしい計画でも初める者があると、(あの計画も行く行くは川に落ちてしまうね)とか、または、(あの人の行く道には常に一つの溝川が添うて流れている)とか、こんなふうに言うのである。そしてまた、誰が言い出したものか「生命直覚の悲哀」「南京虫の哀愁」とかいう言葉が、言外の意味を多量に含んでよく使われていた。
 曽根は社へ行くのが怠儀でならなかった。社へ行っても誰ともあまり語り合わず、ひまさえあればぼんやり煙草たばこをふかしながらあたりを眺めていた。ほかの人たちはいずれも常のごとく何の変りもなく機械のように働いていた。各人は各人の割り当てられた仕事をして、くるくると本当の機械のように立ち働いていた。社の中では彼一人だけが別者であった。彼自身もそれを感じて時々、(俺みたいな者がいてはみんなの邪魔になるわけだ)などとひとりで思うた。
 頭痛がするので一日社を休んで下宿に寝ていた。するとその翌日も面倒くさくて届だけ出して社へ行かなかった。こんなふうにして二日続けて社を休んだら、その翌日もなおのこと社へ行くのがいやになった。仕度したくをして家を出ることは出たが、途中かられてぶらぶらどこという当てもなく町中をさまよい歩いた。どこへ行っても、何を見ても、何を聞いてもすべての物が自分とは赤の他人のようでさっぱり親しみを感じなかった。と言って彼はその心持ちをどうすることも出来なかった。
 その日の日暮方、彼は疲れ果てて、S―ステーションの構内へ入って来た。彼は一二等待合室へ入って行った。そしてそこのベンチに腰を下すと、ほっと一つ吐息した。
 頭の中は綿でも詰ったようにぼんやりしていた。痴呆ちほうのように何も思うこともなかった。ステッキにすがって静かに目をつぶると、ひとりでにうとうとと睡気ねむけがさして来た。自分の隣席で何か話し合っている旅人の話し声、コンクリートの床の上をせわしげにき来する人々の足音、戸をあけたてする音、荷物などを動かし運ぶ音、その他いろいろの雑音、そういうものがすべて彼の睡い耳に溶け合って、さながら子守唄こもりうたのように聞かれた。彼を睡らせるために唄う子守唄のようになめらかに、静かに、心地ここちよく彼の耳に響いて来た。そしてちょうどその時かしましく鳴らして歩いた、汽車の出発を知らせる大ベルの音が、彼の耳にはうつつと睡との間の絶えようとする一線のように幽かに遠く聞かれたのであった。





底本:「日本の文学 78 名作集(二)」中央公論社
   1970(昭和45)年8月5日初版発行
※「日本文學全集 70 名作集(二)大正篇」(新潮社、1964)を参考に、誤植が疑われる以下の箇所を直しました。
○つくつぐあたりを見廻した。→つくづくあたりを見廻した。
○わかわかする気忙きぜわしいような→せかせかする気忙きぜわしいような
※「そでふれ合うも多少の縁」は底本のままとしました。(上記異本も同様。「多少」は一般には「多生」または「他生」)
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:林幸雄
2004年5月18日作成
2008年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について