オモチャ箱

坂口安吾




 およそ芸ごとには、その芸に生きる以外に手のない人間といふものがあるものだ。碁将棋などは十四五で初段になる、特別天分を要するものだから、その道では天来の才能に恵まれてゐるが、外のことをやらせると国民学校の子供よりも役に立たない、まるで白痴のやうな人があつたりする。然しかういふ特殊な畸形児はせゐぜゐ四五段ぐらゐでとまるやうで、名人上手となるほどの人は他の道についても凡庸ならぬ一家の識見があるやうである。
 文学の場合にも、時にかういふ作家が現れる。一般世間では芸ごとの世界に迷信的な偏見があつて、芸人芸術家はみんなそれぞれ一種の気違ひだといふやうに考へたがるものであるが、それは仕事の性質として時間正しく規則的といふ風には行かないけれども、仕事の性質が不規則だ、夜仕事して昼間ねてゐる、それだから気違ひだといふ筈もない。
 元々芸、芸術といふものは日常茶飯の平常心ではできないもので、私は先日将棋の名人戦、その最終戦を見物したが、そのとき塚田八段が第一手に十四分考へた。それで観戦の土居八段に、第一手ぐらゐ前夜案をねつてくるわけに行かないのかと尋ねたところが、前夜考へてきても盤面へ対坐すると又気持が変る、封じ手などゝいふものは大概指手が限られてゐて想像がつくから、この手ならかう、あの手ならかう、とちやんと案をねつてきても、盤面へ向つてみると又考へが変つて別の手をさす、さういふものだと言ふ。
 これは僕らの仕事でも同じことだ。かういふ筋を書かう、この人物にかういふ行動をさせよう、さう考へてゐても、原稿紙に向ふと気持が変る。
 気持が変るといふのは、つまり前夜考へる、前夜の考へといふのが実は我々の平常心によつて考案されてをるのだが、原稿に向ふと、平常心の低さでは我慢ができない。全的に没入する、さういふ境地が要求される、創作活動といふものはさういふもので、予定のプラン通りに行くものなら、これは創作活動ではなくて細工物の製造で、よくできた細工はつくれても芸術といふ創造は行はれない。芸術の創造は常にプランをはみだすところから始まる。予定のプランといふものはその作家の既成の個性に属し、既成の力量に属してゐるのだが、芸術は常に自我の創造発見で、既成のプランをはみだし予測し得ざりしものゝ創造発見に至らなければ自ら充たしあたはぬ性質のものだ。
 だから事務家が規則的に事務をとる、さういふぐあいにはどうしても行かない。そこで仕事の性質として生活が不規則になるけれども、これは仕事の性質によるもので、その人間がさういふ性質だといふわけではない。豚は本来非常に清潔を好む動物ださうだ。日本人は豚を特別汚く飼ひ、なんでも汚い物をみんな豚小屋へ始末して豚小屋とハキダメは同じ物だと心得てゐるが、さにあらず豚は本来潔癖で、豚小屋を綺麗にするとその清潔を汚さぬために日頃注意を怠らぬ心得のあるのが豚ださうで、つまり文士といふものは日本の豚のやうなものだ。仕事の性質でやむなく不規則雑然としてをるけれども、本来は意外にキチョウメン、然し、どうも、まア、よさうや。
 文学は人間を書く仕事だから一応人間通でなければならぬ。碁将棋はその道の天分以外は白痴的といふ専門家が有り得るけれども、白痴的な人間通、そんな作家はゐなからう。然し稀にはある。白痴的といふ表現は当らないかも知れぬが、要するに、作家以外の仕事をやると半人前しかやれない、外につぶしがきかないといふ人がある。私なども人々からさう思はれがちだがこれは間違ひで、一般にあの小説家あの詩人はてんで実務に向かないなどゝ同業者にまで思はれ易い人物も案外さうではないもので、詩人などには変に非現実的な詩をものしたり厭世的な詩を書いたりしてゐるくせに、御当人の性癖は事務家よりも現実的な人が多いものだ。文学そのものが人間的なものなのだから、根はさうあるべきもので、文人墨客といふ言葉は近代文学の文人には有り得ず、世俗の人々よりもむしろ根は世俗的現実的なものだ。
 三枝さえぐさ庄吉は近代日本文学の異色作家、彼の小説の広告のきまり文句で、然し彼は私の知る限りに於ては、小説を書く以外にはつぶしのきかない日本唯一の作家であつた。
 彼の小説はいはゞ一種の詩で、彼の作品活動をうごかす根は詩魂であるから、苦吟、貧窮、流浪、ほかにお金もうけの才覚もできない無能者であるからと云つて、然し彼が人間通ではないと思ふと当らない。人間に対する彼の洞察は深く又的確であり、したがつて、夢幻の如くに生きながら、世間一般の人々以上に即物的な現実性を持つてゐた。彼は浪費家であるけれども、根は吝嗇で、つまりキンケン力行りつこうの世人よりもお金を惜しみ物を惜しむ人間の執念を恵まれてゐるのだが、守銭奴の執念をもちながら浪費家だ。近代文士が即物的な現実家だといふのは、人間通であるから、人間に通じてゐるとは自分に通じることでもあり、人間の執念妄執を「知る」といふことは、つまり自分が「もつ」といふことだ。だから人間といふものが複雑なもので執着ミレンなものであるなら、近代文士はみんな複雑であり執着ミレンなもので、同時に然し彼は浪費家であり夢遊歩行家の如く夢幻の人生を営んでゐた。
 だいたい我々貧乏な文士ぐらゐ、たまに懐にお金をもつと慌てゝお金を払ひたがるものはない。文士が三人も集つてお酒をのんで、それぞれ懐にお金があるときには、お勘定、となると最も貧乏なのがムキになつて真ッ先に払ひたがる。私などがしよつちゆうさうで、マアマア今日はどうあつてもオレにたのむ、などと凄い意気込みで、そのくせツケがきて懐中を調べてみるとお金が足りない。ウロウロ悄然としてまだどこかにお金でもあるが如くに懐をかきまはす時に至つて、かねてお金持の文士の方がチッとも騒がずオモムロに懐中からズッシリふくらんだ財布をとりだすといふことになる。三枝庄吉も亦、真ッ先に慌てふためいて蟇口がまぐちをとりだす組で、然しこの組の連中ほど貧のつらさ、お金の有難さを骨身にしみて知る者はない。そのくせこの連中の蟇口の中のお金にはみんなそれぞれ脚が生えて我先にとびだし駈け去るシクミだから、まことに天下はまゝならぬ。朝の来たるごとに後悔に及び、米もなければ大根のシッポもない、今日は何をたべるの、と女房に言はれて、汝女房こそ咒ひの悪魔である如くギラギラ光る目でジロリと見て、フトンをかぶつたり、腕組みをしてソッポを向いたりしてゐる。
 庄吉は転々と引越した。長くて半年、時には三月、酒屋、米屋、家賃に窮するからで、彼はシルシ半纏ばんてんがいちばん怖しいのは、東京の四方八方に転々彼を走らせるいくらでもない借金が、そこのオヤジも小僧もたいがいシルシ半纏をきてゐるからだ。おまけに自転車にのつてゐる。風をきつて彼めがけて躍りかゝる如く見えるから自転車のシルシ半纏が恐怖のたねで、そこで彼は自動車にのつて目的地へ走る、運転手に睨まれ、もじもじ恥にふるへながら目的地のアルジに車代を払つて貰ふ、人生至るところたゞもう卑屈ならざるを得ない。おまけに金がかゝる。お金持は自動車にのる必要などはないものだ。
 彼の女房は彼の貧乏にあつらへ向きであつた。貧乏を友として遊ぶていで、決して本心貧乏を好むわけではないけれども、自然にさうなつた。それは庄吉の小説のためだ。
 彼の小説の主人公はいつも彼自身である。彼は自分の生活をかく。然し現実の彼の生活ではなくて、かうなつて欲しい、かうなら良からうといふ小説を書く。けれども、お金持になつて欲しい、などと夢にも有り得ぬそらごとを書くわけには行くものではなく、作家はそれぞれ我が人生に対しては最も的確な予言者なのだから、彼が貧乏でなくなるなどとは自ら許しあたはぬ空想で、芸術はかゝる空想を許さない。彼の作中に於て彼は常に貧乏だ、転々引越し、夜逃げに及び、居候に及び、鬼涙村(キナダムラ)だの風祭村などゝいふところで、造り酒屋の酒倉へ忍びこんで夜陰の酒宴に成功したりしなかつたり、借金とりと交驩こうかんしたり、悪虐無道の因業オヤジと一戦に及び、一泡ふかしたりふかされたり、そして彼の女房は常に嬉々として陣頭に立ち、能なしロクでなしの宿六をこづき廻したりするけれども、口笛ふいて林野をヒラヒラ、小川にくしけづり、流れに足をひたして俗念なきていである。
 さういふ素質の片鱗があることによつて、庄吉がさう書き、さう書かれることによつて女房が自然にさうなり、自然にさうなるから、益々さう書く。書く方には限度がないが、現実の人間には限度があるから、そんなに書いたつてもうだめといふ一線に至つて悲劇が起る。
 思ふに後の作品も限度に達した。かうなつて欲しいといふ願望の作風が頂点に達し或ひは底をつき、現実とのギャップを支へることができなくなつたから、彼には芸術上の転機が必要となり、自らカラを突き破り、その作品の基底に於て現実と同じ地盤に立ち戻り立ち直ることが必要となつた。然しそれが難なく行ひ得るものならば芸術家に悲劇といふものはないのである。

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 庄吉の作品では一升ビンなど現れず概ね四斗樽が現れて酒宴に及んでゐるから文壇随一のノンダクレの如く通つてゐたが、彼は類例なく酒に弱い男であつた。
 元々彼はヒヨワな体質だから豪快な酒量など有る由もないが、その上、彼は酒まで神経に左右され、相手の方が先に酔ふと、もう圧迫されてどうしても酔へなくなり、すぐ吐き下してしまふ。気質的に苦手な人物が相手ではもう酔へなくて吐き下し、五度飲むうち四度は酔へず吐き下してゐる有様だけれども、因果なことに、酒に酔はぬと人と話ができないといふ小心者、心は常に人を待ちその訪れに飢えてゐても、結んだ心をほぐして語るには酒の力をかりなければどうにもならぬ陰鬱症におちこんでゐた。だから客人来たる、それとばかりに酒屋へ女房を駈けつけさせる、朝の来客でも酒、深夜でも酒、どの酒屋も借金だらけ、遠路を遠しとせず駈け廻り、医者の門を叩く如くに酒屋の大戸を叩いて廻り、だから四隣の酒屋にふられてしまふと、新天地めざして夜逃げ、彼の人生の輸血路だから仕方がない。
 彼は貴公子であつた。彼の魂は貧窮の中であくまで高雅であつたからだ。
 彼は近代作家の地べたに密着した鬼の目と、日本伝統の文人気質を同時にもち、小説なんかたかゞ商品だと知りながら、芸術を俗に超えた高雅異質のもの、特定人の特権的なものと思つてをり、矜持きようじをもつてゐたから、そしてその誇りを一途の心棒に生きてゐたから、貧窮の中でも魂は高雅であつたが、又そのために彼の作品は文人的なオモチャとなり、その基底に於ても彼の現身うつしみと遊離する傾向を大きくした。
 つまり彼自身が貧窮に生きつゝ高雅なることを最も意識するから、彼は強いて不当に鬼の目を殺して文人趣味に堕しめしひ、彼のオモチャは特定人のオモチャ、彼一人のオモチャ、かたくなゝ細工物の性質を帯び、芸術本来の全人間的な生命がだん/\弱く薄くなりつゝあつた。年齢も四十となり貧窮も甚しくなるにつれて、彼の作品は益々「ポーズ的に」高雅なものとなりつゝあり、やがてポーズのためにガンヂがらめの危殆きたいに瀕しつゝあつた。
 鬼の目を殺すから不自然だ。彼の作品は幻想的であるが、鬼の目も亦鬼の目の幻想があるべきものを、そして彼本来の芸術はさうでなければならないものを、特に鬼の目を殺して文人趣味的な幻想に偏執する。だから彼の作品はマスターベーションであるにすぎず、真実彼を救ふもの高めるものではなくなつてゐた。
 彼の下宿の借金のカタに彼の最も貴重な財産たる一つのミカン箱をおいてきた。このミカン箱には彼の一生の作品がつめこんである。彼は流行しない作家だから単行本は二冊ぐらゐしか出してをらず、だから新聞雑誌の彼の作品をきりぬいてつめたミカン箱は彼の大切な爪の跡だ。あれがなくなるとオレがなくなるのだとオロオロし、すつかり陰鬱にふさぎこんでゐるのに同情した後輩の栗栖按吉といふカケダシの三文々士が借金を払つてミカン箱をもつてくると、庄吉は大よろこび、その日からこのミカン箱を枕もとに置いて深夜に目ざめてはミカン箱をかきまはして旧作を耽読し、朝々の目ざめには朗々と朗読する、酔つ払へば女房を膝下にまねいて身振り面白く又もや朗読、自分の最大の愛読者は作者自身、次には女房、元々彼女は大愛読者で、女学生のとき庄吉先生を訪問したファンであり、それより恋愛、結婚、だから愛読の歴史はふるい。そのときから彼女自身切つても切れない作中人物の一人となつたが、作中の自分がいかにも気に入るから、さうなりませうと現実の自分が作品に似てくる。芸術が自然を模倣し、自然が芸術を模倣する。それといふのも、作品に彼女を納得させる現実性があつたからで、どれほど幻想的でも、作品の根柢には現実性が必要で、現実に根をはり、そこから枝さしのべ花さくものが虚構である。
 ところが宿六の近作はだんだん女房を納得させなくなつてきた。つまり作家の根柢からして現実とはなれてきたのだ。
 彼は女房を愛してゐたが、然し、浮気の虫はある。これもやつぱり女学生のころ彼を訪ねたことのあるファンの一人がバアの女給となつた。新東京風景といふのを何十人かの文士が書いてその日本橋を受けもつた庄吉が偶然その探訪に於て彼女とめぐりあひ、それより酔ふとこゝへ通つてセッセと口説く。然し彼女は昔の彼女ならず、お金持の紳士となら三日でも一週間でも泊りに行くが、庄吉ときてはとてもバアでは飲む金がなくて、後輩お弟子とオデン屋でのむ、後輩お弟子にまだいくらか所持金のあるのを見とゞけると、あそこへ連れて行け、者共きたれ、といでたつ。同輩先輩をつれて行かないのは女の前で威張れないからで、そこで後輩をひきつれて大いに威張るけれども、お金がなくて威張り屋といふのは娼婦の世界で最も軽蔑されるもので、女学生時代のファンなどゝ庄吉はまだそこにつけこむ魂胆だが、先方ではもう忘れてゐるツナガリにつけこまれるウルササに益々不愉快になつてゐる。けれども庄吉は酔つ払ふと必ずこゝへ乗りつけて、前後不覚に口説き、追ひだされ、借金サイソクの書状やコックが露骨にくる。それでも酔ふと又でかけ再三再四きりがない。もちろん成功の見込み微塵もない。
 そこまではまだ良かつたが、近所にすむ同郷のお弟子にちよつと色ッぽい妹があつて彼の世話で雑誌社の事務員になつた。それ以来酔つ払ふとこのお弟子の家をたゝいて酒を所望し、泊りこみ、その横に母なる人がねてゐても委細かまはず妹のフトンへ這ひこむ。追ひだされる、不撓不屈、つひに疲れて自然にノビてしまふまで、くりかへす。これも成功の見込みはない。
 次にはさる新進の女流作家を訪問する。この女流作家の作品をほめて書いたことからの縁で、この人は流行作家のオメカケさんだが、酔つ払ふと、こゝへ押しかける。酔つ払ふと必ず誰か女のもとへ通ふのは彼の如何ともなしがたい宿命的な夢遊歩行となりつゝあつた。
 遠征の夢遊歩行はまだよかつたが、女房の妹に女学生、まだ四年生、然し大柄で大人になりかけた体格だが、女房とは比較にならぬ美少女で色ッぽい。この女学生が泊つた晩、あいにく夏で、カヤが一つしかないからみんなで一つカヤにねたが、この晩庄吉は泥酔したのが失敗のもとで、夢遊歩行にせがれの寝床を乗りこへ女房のバリケードをのりこへて女学生めがけて進撃に及ぶ。女房に襟くび掴んで引き戻されても不撓不屈、道風とうふうの蛙、三時間余、もつとも成功に至らず、夜の白む頃に及んでやうやく自然の疲労にノビて終末をつげたが、然し、まだこゝまではよろしかつた。
 浮気は本来万人のもの、酔つたからだと言つてはならぬ、浮気心のあるがままを冷然見つめる目があつてその目が作品の根柢になければならぬものを、彼はその目を持ちながら、かゝる目自体を俗なるものとする。自分と女房を主人公に夢物語をデッチあげるが、この目の裏づけがないから、夢物語に真実の生命、血も肉もない。もう女房は宿六の作品に納得されなくなつてゐる。
 浮気は万人の心であり、浮気心はあつても、そして酔つて這ひこんでも、彼はたしかにその魂の高雅な気品尋常ならぬ人であつた。あるがまゝの本性は見ぬふりして、ことさらに綺麗ごとで夢物語を仕上げ、実人生を卑俗なるものとして作中人物にわがまことの人格を創りだすつもりなのだが、わが本性の着実な裏づけなしに血肉こもる人格の創作しうる由もない。彼は高風気品ある人だから、妹の寝床を襲撃に及んでも女房は宿六の犯しがたい品位になほ評価を失つたわけではないのに、作中人物に納得させる現実の根柢裏づけが欠け、一人よがりいゝ気にオモチャ箱をひつくりかへしオモチャの人格をのさばらせるから、むしろそこからヒビがはいつた。宿六の愛読者ではなくなつたから、作中人物を疑り蔑むことによつて、現実の宿六をも蔑み、その犯しがたい品位まで嘘つパチいゝ加減のまやかし物だといふやうに見る目が曲つてしまつたのである。
 庄吉はもう四十になつた。彼は女房を信じ愛しまかせきつてゐた。気の毒な彼はその作品の根柢が現実の根から遊離し冷厳なる鬼の目を封じ去り締めだすことに馴れるにつれて、彼は然しあべこべに彼の現実の表面だけを彼の夢幻の作品に似せて行き、夢と現実が分かち難くなつてきた。
 彼は雑誌社で稿料を貰ふ。借金とりにせめられ、子供の月謝や弁当代に事欠き、女房は彼の帰宅を待ちわびてゐる。その借金や子供の学費が気にかゝることに於て彼は決して女房以下ではないのだけれども、友だちに会ふ、懐中の原稿料は無事女房に渡してやりたいけれども、先刻も話した通りこのお金には脚があつて慌てゝ走つて行きたがつてゐるのだから、せつない。まア一杯だけと思ふ、よく酔へる、二杯、三杯、十杯、さア、景気よく騒がう、あれも呼べ、これも呼べ、八方に電話をかける、後輩どもをよびあつめ、大威張り、陸上競技の投げ槍などを買ひもとめてバルヂンといふ彼の作中人物の愛吟を高らかに誦しつゝアテナイの市民、アテナイの選手を気どつて我が家に帰る。もはや一文の金も懐中にはない。女房はくるりとふりむき別室へ駈け去つて泣く、泣きながら翌朝のオミオツケのタマネギをきり又なく。宿六がこれ女房よと呼びかけても返事をしない。
 この悲痛をもとより彼は見逃がしてゐない。彼はむしろ女房よりも貧苦がせつなく、借金が悲しく、子供の学費が心にかゝつてゐるのだ。けれども彼の作品が根柢的にその現実と絶縁に成功すると同様に、彼の現実に於ても、その絶縁に成功しなければ彼はもう身の置き場もない。彼は借金とりをラ・マンチャの紳士の水車の化け物に見たてゝ戦ひ、女房の妹を口説いてもトボソのダルシニヤ姫になぞらへる。孤高の文学だの、遊吟詩人の異色文学だの、彼の作品の広告のきまり文句を全然信じてゐないくせに、俺はさういふものだと胸をそらして思ひこむことに成功する。
 根柢に現実の根とまつたく遊離した作品世界に遊びながら、その偽懣に気づかぬどころか、現実のうはべだけを作中世界に似せ合はせることに成功することによつて、彼は益々自作の熱愛読者となり、自作に酔つぱらひ、わが現身の卑小俗悪を軽蔑黙殺することに成功した。彼はもうイヤでも自分の作品に酔つぱらはなければ、この現身の息苦しさに堪へ生きてゐられないのだ。
 同業者や批評家はいまだに孤高の文学、異色の文学、きまり文句でお座なりの五六行文芸時評の片すみへこれも稼ぎのためだからと筆まめにいゝ加減あてずつぽうに書いてくれるのが時々ゐたりするけれども、もう女房だけは騙すことができない。作品と現実との根柢的のバラバラ事件をこれは頭脳が読むのでなしに骨身に徹して、骨身によつて、判定してゐるのだ。
 そこへもう女房の我慢のならないことができた。

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 彼等は疑雨荘といふちよつと小綺麗なアパートに住むことになつた。このアパートのマダムはオメカケで、お小遣ひかせぎに旦那にせがんでアパートをこしらへて貰つたのだが、内々は浮気のためで、旦那は晩酌が一升づつといふ酒豪で不能者だから、芸者育ちのマダムは小さな環境にあきたらない、まことに多淫な女で、アパートの誰彼とたくみに遊びたわむれてゐる。
 旦那がきて晩酌がはじまると、今日はあの方をおよびしませうといふわけで、庄吉も招かれる。マダムは二十七八の美人で芸者あがりだから世帯じみたところがなく、濃厚な色気そのもの、豊艶で色ッぽい。三枝先生と言つてチヤホヤもてなしてくれるから庄吉は有頂天になつて、それからといふもの酔余の女人夢遊訪問はアパートのマダムの部屋となつた。酔つ払ふと大はしやぎで、ふだんは蚊のなくやうな細い声しかでないくせに、こんなチッポケな痩身のどこからでると思ふやうながねの声で応援団のやうに熱狂乱舞して合ひの手に胴間声にメッキのやうなツヤをかぶせて御婦人を讃美礼讃したり口説いたりする。小さなアパートにこれが筒ぬけに響くから、
「アラ先生、奥様にきこえてよ」
 などと言ふが、これが又わざときこえよがしの声でナガシメを送るのだから、庄吉は益々有頂天で、
「僕は女房はきれえなんだ。年ガラ年中筍の皮をむいたり玉ネギをコマ切れにして泣いたり、朝から晩までいつだつてさうなんだから毎日何百本も筍を食つてるわけぢやアないんだから、アイツは一本の筍を五時間もむく妖術使ひなんだなア。その妖術のほかに人生の心得は何一つないんだから」
 これがきこえてくるからカンベンができない。日本の女房は概ね女中兼業で、兼業の方に主力が置かれてゐる状況であるが、当人が好んで兼業に精をだしてゐるわけではなくて、亭主が無力で女房と亭主友だちづきあひといふわけに行かないシクミだから涙をのんで筍の皮をむいてゐる。しかるに何ぞや。自分の無力無能をタナにあげて、女房は世帯じみて筍の妖術使ひだと言ふ。どこの宿六でも自分の無力無能のせゐで女房をヤリクリ妖術使ひにしておきながら、ヤリクリなしの遊び女にひそかにアコガレをよせてゐるいづれも不届きの曲者ぞろひで、さてこそ女房がこぞつて遊女芸者オメカケを敵性国家と見なすのは重々もあるべきところである。見えも聴えもしなければ我慢のしどころもあるけれども、目に見え耳に聴えては痛憤やるかたないのは御尤も、それでも胸をさすつてゐると、一緒に芝居見物に行つて酔つ払つておそろひで賑々しく帰つてきて女房の部屋へは顔もださず、マダムの部屋で馬鹿笑ひをしながら飲ませて貰つてゐる。〆切に追ひまくられ女房が鍋の音をガチャリとさせてもギラギラした目を三角にしてヂロリと睨むくせに、マダムが先生チョットと呼びにくると困りきつた顔半分相好くづしていそいそと出たまゝ夜更けまで帰らずベロ/\になつて戻つて小説は間に合はず、貧窮身にせまる。
 然し宿六の心事は複雑奇怪で、彼は決して女にもてゝはゐなかつた。彼はていよくマダムにあやつられ、それといふのが、彼がその道にまつたく稚拙で単なるダダッ子にすぎないのだから旦那の信用を博してゐる、そこでマダムは彼をつれだし、ついでに男をつれだして、彼を気持よく酔はせておいて、アラ、チョット先生忘れた用があるからとか、買物をしてくるから、とか、人に会つてくるとか呼んでくるとかぬけだして、彼にはオデン屋の安酒をあてがつて二時間ほど遊んでくる。しよつちう男が変つてゐるが事情に全然変化のないのは庄吉で、ちかごろでは卑屈になつて、アラ、さう、忘れた、先生、と二人の男女が立ち上ると、皆まできかずエヘヽ行つてらつしやいなどゝ、あさましい。そのあさましさは骨身に徹して彼には分るが、浮気女の豊艶な魔力におさへられて一言二言うまいことを言はれるとグニャ/\相好をくづすだけが能だといふ、思へばかへすがへすもあさましい限りであつた。こんなことは女房に言へた義理ではないから、いかにも彼が大もてゞ、マダム意中の人の如くに威張りかへつてゐるけれども、女房よゆるせ、そぞろ悲しく、こゝが芸術の有難さだと、わが本性に根の一つもない夢幻の物語に浮身をやつし、作中人物になりすまし、朗吟の果には涙をながして自分一人感動してゐる。女房にこれぐらゐ馬鹿々々しく見えるものはない。彼女は亭主の小説などもはや三文の値もつけられない。ロクデナシメ、覚えてゐやがれ、と失踪してしまつた。
 然し彼が柄にもなくマダムに熱をあげるのは恋路のせゐ浮気のせゐでなく、むしろ文学に行きづまつたためだ。なぜと云つて、彼は全然女にもてゝをらず、女の浮気のダシに使はれ、なめられ、ふみつけられ、そのあさましさを知りぬいて、見えすいた甘い言葉に相好くづして悦に入る、バカげたこと、悲しいばかり面白をかしくもないのだけれども、芸術に自信を失つては、芸術家はもう人生まつくらだ。面白をかしくもないこと、やりたくもないことに結構フラフラ打ちこむとはこれ即ちデカダンで、自信喪失といふものゝ宿命的な成行きなのである。
 数日失踪したまゝ女房が帰らない。気もテンドウせんばかり苦痛だけれども、マダムが冷然と、アラ奥さん浮気? お見それしたわね、先生もだらしがない方ね、あんな奥さんにミレンがあるのかしら、と毒の針をふくんだやうな言葉を浴せる、底意は侮蔑しきつてゐるのが分つてをり目の色にも半分嘲笑がにじみでゝゐるのだけれども、先生も浮気なさらないの、などゝ冷やかされると、彼はもうヤケになつて、
「奥さん、泊りに行かうよ。ね、いゝだらう、行かうよ」
 マダムは苦笑して
「先生、泊りに行くお金あるの?」
 グサリと斬る。
 庄吉は一刀両断、水もたまらず、首はとび甚だ意地の悪いもので地べたへ落ちてもぐりこんでしまへばいゝのにフワリフワリと宙に浮いて壁につき当り唐紙からかみにはぢかれ柱の角で鼻をこすつてシカメッ面を一ひねり五へん六ぺん旋回する。目をとぢ耳をふさいで一目散に逃げ去りたいのに、その心をさておいて何物かネチネチ尻をまくる妖怪じみた奴がをり、
「僕ァ貧乏なんだ。貧乏は天下に隠れもない三枝さんだからな。僕ァ芸術家なんだ。僕はエレエんだ。痩せても枯れても貧乏は仕方がねえ」
 何のことだか、わけが分らない。けれども腰がぬけ、すくんだ感じで逃げるに逃げられず、やぶれかぶれ意外千万なことを喚きたてる。
「さうね、死なゝきや分らないわね」
 マダムは入口の扉にもたれる。ちやうど廊下へ一人の男がタオルと石鹸もつて出てくる、この男も例の男の一人で、
「え? 死ぬ?」
「死なゝきや治らないと言ふのよ」
「あゝ、バの字ですか」
「さう」
 マダムは頷き
「死なゝきや分らない、か。梶さん、今晩、のみに連れてつてくれない?」
 男と肩を並べて行つてしまつた。
 数日すぎて女房は戻つた。
 何よりも仕事をしてゐないのが、せつないのだ。それがもとで、かういふことにもなる。たゞ仕事あるのみ。だが、どうして仕事ができないのか。女も酒も、夢の夢、幻の幻、何物でもない。
 そこで彼は後輩の栗栖按吉に手紙を書いて、当分女房子供と別居して創作に没頭したいから君の下宿に恰好な部屋はないか、至急返事まつ、あいにく部屋がなかつたから、そのむね返事を送ると、もとより庄吉は一時その気になつただけ、女房と別れて一時も暮せる男ではない。按吉から返事がくると、ホッとして、
「オイ、部屋がないつてさ。ぢやア、仕方がねえや。ともかく、こゝにア居たくないから、小田原へ行かうよ。これから新規まき直しだ」
「私は小田原はイヤよ。お母さんと一緒ぢや居られないわ」
「だつて仕方がねえもの。原稿が書けなかつたから外にあてもねえから、ともかく小田原で創作三昧没頭して、傑作を書くんだ」
「どうして荷物を運ぶのよ」
「たのめば、こゝで預つてくれるだらう」
「家賃は払つたの」
「原稿も書けなかつたし、前借りがあるから、もう貸してくれねえだらう。小田原へ行きや、ともかく、この部屋でなきやア、書けるんだ。書きさへすりやア部屋代ぐらゐ」
「だつて、今払はなきや、どうなるの。夜逃げなの。荷物があるわよ」
「だからよ。マダムのところへ頼みに行つてきてくれ。事情を言や分つてくれるんだ」
「あなた行つてらつしやい」
「オレはいけねえや」
「だつて親友ぢやないの」
 庄吉が暗然腕をくんで黙りこんでしまふと、さすがに自分も失踪から戻つたばかり、宿六の古傷もいたはつてやりたい気持で、
「ぢやア、行つてくるわ。部屋代ぐらゐ文句言はれたつて構やしないわよ。堂々と出て行きませうよ」
「うん、荷物のことも、たのむ」
 ところがマダムは話をきくと打つて変つて、好機嫌、二つ返事、折かへし挨拶にきて、
「おくにへ御かへりですつてね。お名残おしいわ。御上京の折は忘れず寄つてちやうだい。銀座へんから電話で誘つて下すつても、駈けつけるわ。真夜中に叩き起して下すつてもよろしいわ。今日はお名残りの宴会やりませう」
「でも、もう、汽車にのらなきやいけないから」
「あら、小田原ぐらゐ、何時の汽車でもよろしいぢやないの。ぢやア先生お料理はありませんけどお酒はありますから、ちよつと飲んでらして」
「暗くならないうちに着かなきやいけないから」
「あら御自分のうちのくせに。ねえ奥様。そんなに邪険になさるなんて、ひどいわ。奥様、一時間ぐらゐ、よろしいでせう。先生をおかりしてよ。奥様は荷物の整理やらなさるのでせう。ほんとに先生たら、水くさい方ね」
 庄吉はマダムの部屋へ招じられて、もてなしをうける。荷物の整理などもうできてるから残念無念の一時間、
「もう時間だわ、行きませう」
「あら、今、料理がとゞいたばかりよ、これからよ、ねえ、先生」
 その言葉に目もくれず、もうマッカ、酔眼モーローたる宿六の腕をつかんで、
「さ、行きませうよ」
「お前も一パイのめ」
「ほら、ごらんなさい。そんなになさると嫌はれてよ。ヤボテンねえ、先生」
「ヤボテンだつて、オセッカイよ。あなたは何よ、芸者あがりのオメカケぢやないの。私は女房よ」
 変つたところで気焔をあげる。庄吉もまだ限度のわかる酔態で、都落ちの悲惨まだ胸につかへて残つてゐるから、案外をとなしく立ちあがる。マダムがスッと立ちあがり庄吉のうしろへ廻つて二重トンビをかけてやらうとすると、女房は物も言はず、ひつたくり、小さな庄吉を抱きだすやうにグイグイ押して廊下へでる。
「先生、御上京待つてゝよ。すぐ電話で知らせてね」
 庄吉がふりむいて挨拶しようとすると、女房は首筋へ手をかけ捩ぢむけて出口へ向けて突きとばし、庄吉はヨロヨロヒョイヒョイ突かれ押されて往来へとびだし、天下晴れて振りむいたら、もうマダムの姿はなかつた。
「チェッ、ざまみろ、いいきみだ」
 女房はプンプン怒つてゐるが、マダムはたぶん部屋の中で笑ひころげてゐるだらう。女房よりも、然し庄吉がもつとからかはれ侮蔑され弄ばれ嘲笑されてゐる、それが庄吉には腹にしみて分るのだ。然し、己れのほかの何人も咒ふべきものはない。仕事、仕事、たゞ仕事あるのみ、かうして庄吉は都を落ちた。

          ★

 小田原の生家には亡夫のあとを守つて彼の母が孤独な生活をつゞけてゐる。まことに気丈な孤独生活で、長年小学校の訓導、男まさりの生活、そのうへ亡夫と一緒のころから孤独には馴れてゐた。なぜなら亡夫は外国航路の船長で、大部分は海で暮して、たまに帰ると家よりも青楼せいろうで深酌高唱、時にはまだ学生の庄吉をつれて出たまゝ倅まで青楼へ泊めてしまふていたらくで、亭主と顔を合せるたびに剣客が他流試合をするやうな長々の生活に馴れてきたのだ。
 亡夫の遺産は年端もゆかぬ庄吉がみるみる使ひ果し家屋敷は借金のカタにとりたてられ、執達吏はくる、御当人は逃げだして文学少女とママゴトみたいな生活して、原稿は売れず、酒屋米屋家賃に追はれて、逃げ廻り、居候、転々八方うろつき廻り、子供が病気だのと金をせびりにくる、彼女は長年の訓導生活で万金のヘソクリがあるからそれを見こんで庄吉が騙しにくるのだけれども、もう鐚一文びたいちもんやらないことにしてゐる。下宿を追はれ、どこかの居候もゐにくゝなると、小田原へ逃げのびてきて糊口をしのぎ、原稿をかいてどこかの部屋をかりる当がつくとサッサと飛びだすといふ習慣、恩愛の情など微塵もなく、たゞもうヤッカイ千万な奴だと思つてゐる。
 然しそのとき庄吉には都落ちを慰めてくれる非常に大きな希望があつた。それは東都の第一流の大新聞が連載小説を依頼してくれたからで、近頃では新聞の連載などではカストリもろくに飲めないけれども、そのころの新聞連載、それも彼の依頼を受けた第一流の新聞ともなれば、生活は一気に楽になる。
 庄吉は孤高の文学だのストア派などゝ言はれ当人もその気になつてゐたが、実際の心事はさうではなくて、何よりも金が欲しい。貧乏はつらいのだ。そのくせ武士は食はねど高楊子、金なんか何だい、たゞ仕事さへすりやいゝんだ、静かな部屋、女房子供に患はされぬ閑居があれば忽ち傑作が出来あがるやうな妄想的な説を持してゐる。
 彼は然し実際は最も冷酷な鬼の目をもち、文学などはタカの知れたもの、芸術などゝいふと何か妖怪じみた純粋の神秘神品の如くに言はれるけれども、ゲーテがたまたまシエクスピアを読み感動してオレも一つマネをしてと慌てゝ書きだしたのが彼の代表的な傑作であつたといふぐあいのもの、古来傑作の多くはお金が欲しくてお金のために書きなぐつて出来あがつたものだ、バルザックは遊興費のために書き、チエホフは劇場主の無理な日限に渋面つくつて取りかゝり、ドストエフスキーは読者の好みに応じて人物の性格まで変へ、あらゆる俗悪な取引に応じて、その俗悪な取引を天来のインスピレーションと化し自家薬籠の大活動の源と化す才能をめぐまれてゐたにすぎない。通俗雑誌の最も俗悪な注文に応じても、傑作は書きうるもの、さういふことを彼は内実は知つてゐた。
 事実に於て文学はさういふものだ。自由といふものは重荷なもので、お前の自由に存分の力作をたのむ、と言はれると却つて困却することが多い。本当に書きたいもの、書かずにゐられぬものはさう幾つもあるものではないからだ。だから、通俗雑誌などから注文をつけられたり、こんなことを書いてくれと言はれると、却つてそれをキッカケに独自な作家活動が起り易いもの、なぜなら、作家は自分一人であれこれ考へてゐる時は自分の既成の限界に縛られそこから出にくいものであり、他から思ひも寄らない糸口を与へられると、自分の既成の限界をはみだして予測し得ざる活動を起し新らたな自我を発見し加へることができ易いからだ。だから、誰からもうるさいことを言はれず、家庭のキヅナを離れ、思ふ存分に傑作を書きたいなどゝは空疎な念仏にすぎず、傑作は鼻唄まじりでも喧噪の巷に於ても書きうるもの、閑静な部屋でジックリ腰でもすへればそれで傑作が書けるといふやうな考へは悲惨な迷信だ。
 同様に亦、名も金もいらない、たゞ存分に、良心的な仕事を、などゝいふ精神主義も最も文学を誤るもので、作家が持てる才能を全的に発揮するには心の励みが必要で、名や金は要するに心の励みだ。心に励みがなければ、いかほど大才能に恵まれてゐても、それを全的に発揮することはできない。ドストエフスキーほどの大天才でも、いつたん世間の黙殺にあふと二十年近く、まつたく愚作の連続、いたづらに人を模倣し、右コ左ベン、全然自分の力量を現し得ない。落伍者ほどウヌボレの強いものはないが、ウヌボレと自信は違つて、自信は人が与へてくれるもの、つまり人が自分の才能を認めてくれることによつて当人が実際の自信を持ち得るもので、ドストエフスキーほどの大天才でも人々に才能を認められ名と金を与へられて、はじめて全才能を発揮しうる自信に恵まれることができた。
 無名作家が未来の希望に燃えて精進没入するのと違つて、庄吉の如くにいつたん一応の文名を得ながら、いつまでたつてもウダツがあがらず、書く物は概ね金にならず、雑誌社へ持ちこんでも返されてしまふ。さういふ生活がつゞいては自信を失ひ、迷ふばかりで、ウヌボレばかり先に立ちいたずらに力みかへつて精進潔斎、創作三昧、力めば力むほど空疎な駄文、自我から遊離した小手先だけ複雑な細工物ができあがるばかり、苦心のあげくにこしらへものゝ小説ばかりが生まれてくる。
 庄吉は近代作家の鬼の目、即物性、現実的な眼識があるから、もとより這般しやはんの真相は感じもし、知つてもゐた。そのくせ時代の通念がその自覚に信念を与へてくれず、自信がなくて、彼は徒らに趣味的な文人墨客的気質の方に偏執し、真実の自我、文学の真相を自信をもつて知り得ない。
 だから金が欲しくてたまらなくとも、通俗雑誌には書かないとか、雑文を書いちやいけないとか、注文をつけてきたからイヤだとか、まことの思ひとウラハラなことを言つて、徒らに空虚に純粋ぶる。
 東都第一流の大新聞から連載小説の依頼を受けて、燃え上るごとくに心が励んだけれども、子供の学校のこと、女房のこと、オフクロの顔を見てたんぢや心が落付かないんだ、下らぬ文人気風の幻影的習性に身を入れて下らなく消耗し、ともかく小田原の待合の一室を借りて日本流行大作家御執筆の体裁だけとゝのへたが、この小説が新聞にのり金がはいるのが四五ヶ月さきのこと、出来が悪くて掲載できないなどと云つたらこの待合の支払ひを如何にせん、そんなことばかり考へて、実際の小説の方はたゞ徒らに苦吟、遅々として進まない。
 せつかく燃えひらめいた心の励みも何の役にも立たなくなり、いつたん心が閃いたゞけ、遅々として進まなくなり、わが才能を疑りだすと、始めに気負つた高さだけ、落胆を深め、自信喪失の深度を深かめる。徒らに焦り、たゞもう、もがきのたうつ如く心は迷路をさまよひ曠野をうろつく。
 元々彼の近作はその根柢に於て自我の本性、現実と遊離し苦吟の果の細工物となり、すでにリミットに達してゐた。このリミット、この殻を突き破り一挙にくづして自我本来の作品に立ち戻るにはキッカケが必要で、それには心の励みが何よりの条件になるものであるのに、天来の福音をむざむざ逃して、今では福音のために却つて焦りを深め、落胆をひろげ、心を虚しくしてしまつた。
 待合の一室に無役に紙を睨んで、然しうはべは大新聞御連載の大作家、膝下に参ずる郷里の後輩共を引見して酒、酔つ払つてむやみに威張つて、おい大金がはいるんだから心配するな、むかしの三枝さんと違ふんだからな、酒はどうも胃にもたれていけねえ、ウヰスキーはねえか、オールドパアがいゝんだ、などゝ泥酔して家へ帰る。女房柳眉を逆立てゝ、
「どこをノタクッて飲んでくるのよ。お米やお魚を買ふお金をどうしてくれるの。それを一々おッ母さんに泣きついて貰つてこなきやアいけないの。おッ母さんから貰つてくるなら、あなたが貰つてきてちやうだい。さもなきや、私はもう小田原にはゐないから」
「何言つてやあんだ。行くところがあつたらどこへでも行きやがれッてんだ」
 然し胸の底では彼の心は一筋の糸の如くに痩せるばかり、小説を如何にせん、もはや書きつゞける自信もない、待合の支払ひ、連日の酒代を如何にせん、この機会にして書き得なければもはや文学的生命の見込みもない、この切なさを何処どこに向つてもらすべき。
 酔ひからさめれば、女房のくりごとも胸にくひこむ。いくらでもないお魚の代金まで母に泣きつく女房のせつなさ、もとより彼自身のせつなさなのだ。心配するな、金策してくる。そこで雑文を書き上京して雑誌社をまはり、三拝九拝ねばりぬいて何がしの金を手に入れる、友だちとお茶をのんで、なんしろ一枚のヒモノを買ふ金もないてんで女房の奴怒り心頭に発して、などゝ白昼は大いにケンソンしてお茶をなめてゐるけれども、夕頃に近づくと、どうも飲まずに汽車にのるのはテレちやうな、ちよつとだけ飲もう、そこでちよつと飲む、まアいゝや、今の汽車は通勤の帰りの人でこんでるからなどゝ、終列車で深夜に帰る。泥酔して、よろめき、ころがり、泥にまみれて、無一文、おまけに襟のあたりに口紅がついてゐる。
「この口紅は何よ」
「アハハハ。バレたか。アハハハ。それは疑雨荘のマダムに可愛がられちやつたんだ。アハハ」
 本当は新橋の片隅の横丁のインチキバアで人喰人種の口のやうな女にかぢりついて貰つたのだが、貧し貪すれば残るものは弱い者いぢめの加虐癖ぐらゐのもの、しすましたりと嬉しさうにダラシなく笑つて、かう言ふ。女房は烈火の如く憤り、気も顛倒した。彼女は宿六とマダムの交際の真相については露いさゝかも知らないのだから、貧苦に追はれて流浪十幾年、積年の怨み、重なる無礼、軽蔑、カンニンブクロの緒が切れた。
 翌日早朝、手廻りのものを包みに人気のない小田原の街を蹴るが如くに停車場へ、上京して、宿六の弟子の大学生浮田信之を訪ねてワッと泣いた。
 この大学生はこの前の失踪中もちよつと泣きに行つて色々といたはられ、失踪からの帰りには一緒についてきてくれて宿六にあやまつてくれたのである。ところがまだ大学生のことだから、一番ありふれた俗世の実相がわからない。夫婦喧嘩は犬も食はないと云つて、昔から当事者以外は引込んでゐるべき性質のものだが、彼はすつかり女房の言ふことをマに受けて、失踪帰りの女房について送つてきたとき、先生、変な女にひつかゝるの言語道断などゝ一人前に口上をのべて先生を怒らせてしまつたものだ。
 そこで鬱憤もあるところへ、再び女房がワッと泣きこんできたから、大いに同情し、行くところがないから泊めて、と言ふが、すねカヂリの大学生では両親の手前も女は泊められない、そんなら一緒に旅館へ泊りに行きませうと、元々その気があつてのことで、手に手をとつて失踪してしまつた。
 一週間すぎても帰らない。庄吉もまつたく狼狽して実家へ問ひ合せたがそこにも居らず、探してみると浮田信之と失踪してゐることが分つた。浮田の父親は仰天して庄吉の前に平伏し、倅めを見つけ次第刀にかけても成敗してお詫び致します、マアマア、そんな手荒なことはなさつてはいけません、と彼もその時は大人らしく応待したが、さてその日から、彼は一時に懊悩狂乱、神経衰弱となり、にはかに顔までゲッソリやつれ、癈人の如くに病み衰へてしまつた。

          ★

 庄吉は後輩の栗栖按吉に当てゝ手紙の筆を走らせた。かういふ時に思ひだすのは、この憎むべき奴一人なのである。疑雨荘で女房が失踪したあとでも、女房子供と別居して彼の下宿へ一室をかりて共に勉強しようかと思ひつき、その一室がなくて小田原へ落ちのびたが、落ちのびる前日風の如くに訪ねてきて、荷物を片づけてくれたのもあの憎むべき奴であつた。
 そこで庄吉は按吉に当てゝ、この手紙見次第小田原へ駈けつけてくれ、君の顔を見ること以外に外の何も考へることができない、といふ速達をだした。
 然し彼はこの三年来、按吉ぐらゐ憎むべき奴はゐないのだつた。憎むべく、咒ふべき奴なのである。もつとも、親切な奴ではあつた。夜逃げの家も探してくれる、借金の算段もしてくれる、夜逃げごとに変る倅の小学校の不便を按じて私立の小学校へ入学させてくれる、さういふ時は親身であつた。然し彼は先輩に対する後輩の礼儀といふものを知らないのである。
 会へば必ず先輩庄吉の近作をヤッツケる。庄吉は酔つ払ふと自分で自分にさんをつけて三枝さんと自称したり三枝先生と自称する。すると按吉は、うぬぼれるな、と言ふ。なんだい、近ごろ書くものは。先生ヅラが呆れらア、てんで小手先のコシラヘ物ぢやないか、殻を背負つて身動きもできないぢやないか、第一なんだい、自分の小説を朝昼晩朗読するなんて、あさましいことはやめなさい。かういふことを言ふ。必ず言ふ。
 三枝庄吉は怒り心頭に発し、彼を知る共同の知友に手紙を書いてアイツはウヌボレ増長慢の気違ひ、礼儀を知らず、文学者の風上に置けぬ奴と宣言を発し、忿怒、憎悪、三ヶ年、憎さも憎し、然し、ふと、苦悩の度に奴を思ふ。そして速達を書いてしまふ。親友の大門次郎に絶交されたときも、やにはに奴めに速達をだして来てもらつたし、然し又、すぐ腹も立つ。
 按吉は速達を見るとすぐ来たが、あんまり庄吉がやつれ果てゝしまつたので呆気にとられた。額の肉までゲッソリ落ちて、顔がひどく小さくなり、按吉の片手の握り拳におさまるぐらゐ小さくなつて、その中に目と鼻と口だけは元の大きさにチャンとあるから、ミイラのやうに黒ずんで、喋るとまるで口だけが妖怪じみて動きだす。目と鼻と口をのぞくと、あとは黄濁した皺と毛髪だけであつた。
「あゝ、よく来てくれたな。会ひたかつたな。会へてよかつた。あれから君はどんなに暮してゐた。君の部屋は静かなのか。勉強はできたか。ああ、今日はオレは幸せだ。やうやく君に会へたのか」
 按吉は又呆気にとられた。酒に酔つた場合の外は、陰鬱無言、極度に慎しみ深くハニカミ屋で、およそ感情を露出することのない庄吉であつたから。
 庄吉は頻りに泊ることをすゝめたけれども按吉は〆切ちかい仕事があるからと言つて強ひてことはつた。それといふのが、病みやつれた庄吉と話してゐるのが苦痛で堪へられなかつたからで、一向にはやらない三文々士の栗栖按吉に〆切に追はれる仕事もないものだが、それをきくと庄吉は全然すまながつて、さうだつたか、無理にきてくれたのか、かんべんしてくれ、小さくちゞんだ顔はそれだけでもう元々涙をためてゐるやうに見えるのであつた。
 それでも按吉は色々と言葉をつくして、たとへ女房が浮田と失踪しても必ずしも肉体の関係があるとは限らない。元々痴情の家出ならともかく、亭主と喧嘩して飛びだす、さういふ場合は別で、自分はさる娘と十日あまりも恋愛旅行をしたことがあるが娘は身をまかせなかつた、女房も今度の場合のやうな家出はそんなやうなもので、一応は必ず肉体的なことはイヤだと言ふにきまつてゐるのだから、相手がまだ学生で坊ちやんの浮田のことだからそれを押してどうすることになる筈がなく、極めて感傷的な旅行にくたびれてゐるぐらゐのところだらう。むしろ機会を失し、帰るに帰られず煩悶してゐるのかも知れず、それやこれやで御両名遂に心中といふやうなことになつてもなほ肉体の関係はないかも知れぬ。世上の俗事は、案外そんなもので、一向人目につかず亭主に知られぬやうな浮気に限つて深間へ行つてゐるもの、かういふ派手な奴は見かけ倒しで、両名却つてたゞ苦しんでゐるぐらゐのところだ、などゝ慰めた。そしてまだ陽のあるうちに、さつさと帰つてきてしまつたのだ。
 按吉に慰められてゐるうちは庄吉も力強いやうな気持で、すつかり相手にまかせきり安心しきつてウンウンきいてゐたが、按吉がさつさと帰つてしまふ、待ちかねたものを待つうちはまだよかつたが、すでに来り、すでに去つた、按吉の居るうちこそはそこに何がしの説得力もあつたにしても、按吉去る、その残された慰めの言葉は何物ぞ、たゞ空虚なる冗言のみ、女房はをらぬ、男と共に失踪してゐる、この事実を如何にすべき。
 庄吉の消耗衰弱は更に又、急速度に悪化した。
 庄吉の小学校時代からの後輩で文学青年の戸波五郎が、ちやうど彼の家と露路をへだてゝ真向ひに住み、縁先からオーイとよぶと向ふの家から彼の返事をきくことができる。戸波は庄吉の東京にゐる頃、東京にすみ、本屋の番頭で、殆ど三日にあげず遊びにきてゐた仲よしで、一緒に方々借金をつくつて飲み歩いた仲間であるが、この一年来小田原へ戻つて駅前に雑文堂といふ書物の売店をひらき、毎日出かけて行く。尤も、小僧に店をまかせて、時にはオトクイ廻りもやるが、自分は昼から酒をのんでゐるやうなことも少くはなく、売上げをその一夜に飲みあげて足をだして、もう夜逃げも間近かなところに迫つてもゐた。
 心配ごとで消耗する、何よりも友達が恋しい。友達がきて一緒にゐてくれると、時には苛々いらいら何かと腹が立つこともあつても、どこか充ち足り、安心してゐられる。
 戸波は大飲み助で、宿酔の不安苦痛、さういふものは良く分り、さういふ時には極度に友達が恋しいもので、その覚えが自ら常にナジミの深いことだから、庄吉の友恋しさに同情して、オーイと庄吉が向ふの家で呼んでゐると、出かけて行つて、無理して相手になつてやる。尤も彼自身宿酔とか夜逃げ以上の悩みはなくて自分にないことは敢て想像に及んでまで同情してやる余地はない。これは誰しもさういふもので、だから庄吉が話の途中に急にイライラとシゴキを握つてピンポン台の足にからみつけて、輪をつくり、輪に首を突ッこんでグイグイひいて、これぢやア死ねねえかな、イライラとシゴキを握つて又首をつッこみギュウギュウ腕でひつぱりあげる。まるでもう気違ひの目で、濁つて青くて、暗くギラギラしてゐる。それでも、まさかに自殺といふやうなことを、想像してみなかつた。
 それから四五日後のことだ。
 庄吉が家の中からオーイ、オーイとよんだが返事がない。そこで庄吉が下駄を突ッかけて、戸波の家の戸の外へきて、
「居ねえの? 戸波」
 戸波の妻君は女給あがり、至つて不作法で亭主を尻にしいてフテ寝好きの女で、部屋の中からブツブツ怒り声で、
「居ないわよ」
「どこへ行つた?」
「そんなこと、知らないわよ」
 庄吉はそれきり黙つて戻つて行つた。戸波がこのとき家にゐれば、元より何ごともなかつたのである。
 庄吉は縁側へきて、坐つてゐたが、イライラ立つて部屋の方へ、座敷からピンポン台のある部屋奥の部屋それを無意味に足早に歩いて又縁側へ戻つてきて、イライラ坐つた。ちよッと坐つてゐたかと思ふと、又ぷいと立ち上つて子供部屋へはいつた。
 それから十分、戸波が帰つてきた。今三枝さんが呼びに来たわよときいて、玄関からはいらず庭先から縁側の方へ廻つてきた。戸波はいつも庭先から廻つてくる習慣なのである。
 子供部屋は縁側の外れにあつた。この部屋はちやうど屋根裏に似て、天井がなく、梁がむきだしてあり、その梁が六尺ぐらゐの高さでしかない。つまり物置のやうなものをつけたして、縁側をひろげたわけ、板の間で、椅子テーブルが置いてある。洋間のやうになつてゐるが、扉がないから、庭先から中の気配が分るのだ。
 何か人の気配がする。それで戸波が庭先からのぞきこんでみると、庄吉の母、訓導あがりのデップリ体格のよい堂々たるお婆さんだが、何かを両手でジッと抑へてゐる。後向きで何を抑へてゐるのだか分らないが、何か動くものを動かないやうに、ジッと抑へてゐる感じである。それで戸波が縁側へあがつて、
「御隠居さん、何ですか」
 声をかけてはいつて行くと、ふりむいて、光る目で、ギラリと睨んだ。
「馬鹿が死にました」
 それから抑へてゐたものゝ手をはなして、出てきて、
「医者をよんできて下さい」
 と言つた。
 戸波が中を見ると、梁にシゴキをかけて、庄吉がぶらさがつてゐた。高さが六尺ぐらゐしかない梁だから、小男の庄吉はちやうど爪先で立つてゐるやうに、ほとんど足が床板とスレスレのところで、かすかにゆれてゐた。はなが二本、長く垂れて目を赤くむいて生きて狂つてゐるやうにギラギラしてゐるのが見えたのである。庄吉の母は、たぶん子供部屋に異様な物音をきゝつけて、すぐ立上つてはいつて行つたものだらう。戸波は庄吉を梁から下して、医者へ走つて行つた。

          ★

 私は電報がきて小田原へ行つたが、私がついてまもなく、その日の新聞で良人の自殺を知つた女房が帰つてきた。彼女は私にちよつと来て下さいと別室へつれて行き、箪笥たんすからとりだしたのか、喪服に着かへながら、
「あいつ、私を苦しめるために自殺したのよ」
「そんなことはないさ。人を苦しめるために人間も色んなことをするだらうけど、自殺はしないね。ヒステリーの娘ぢやあるまいし、四十歳の文士だから」
「うそよ。あいつ、私を苦しめるためなら、なんだつてするわ。いやがらせの自殺よ」
「まア、気をしづめなさい」
 私はふりむいて部屋を去つた。私には彼女が喪服を持つてゐたのが不思議であつた。どうして喪服だけ質屋に入れてゐなかつたのか、着る物の何から何まで流してしまつた生活の中で。
 私がそんなことを考へたのも、女の喪服といふものが奇妙に色ッポイからで、特別それを着つゝある最中は甚だもつて悩ましい。さういふ奇怪になまめかしく色つぽいのがポロポロ口惜し涙を流して、あいつ、私を苦しめるために自殺しやがつた、といふ、私もこれには色ッポサの方に当てられたから、さつさと逃げだしてしまつた。まことにお恥しい次第である。
 私はその後いくばくもなく京都へ放浪の旅にでた。一年半、それから東京へ帰つた一夜、庄吉夫人の訪問を受けた。彼女はすさみきつてゐた。彼女はオメカケになつてゐた。オメカケといふよりも売娼婦、それも最もすさみはてた夜鷹、さういふ感じで、私は正視に堪へなかつたのである。その後、実際に、さういふ生活におちたといふやうな噂をきいた。
 庄吉は夢をつくつてゐた人だ。彼の文学が彼の夢であるばかりでなく、彼の実人生が又、彼の夢であつた。
 然し、夢が文学でありうるためには、その夢の根柢が実人生に根をはり、彼の立つ現実の地盤に根を下してゐなければならない。始めは下してゐたのである。だから彼の女房は夢の中に描かれた彼女を模倣し、やがて分ちがたく似せ合せ、彼等の現実自体を夢とすることができたのだ。
 彼の人生も文学も、彼のこしらへたオモチャ箱のやうなもので、オモチャ箱の中の主人公たる彼もその女房も然し彼の与へた魔術の命をもち、たしかに生きた人間よりもむしろ妖しく生存してゐたのである。
 私は然し、彼の晩年、彼のオモチャ箱はひつくりかへり、こはれてしまつたのだと思つてゐる。彼の小説は彼の立つ現実の地盤から遊離して、架空の空間へ根を下すやうになり、彼の女房も、オモチャ箱の中の女房がもう自分ではないことを見破るやうになつてゐたのだ。
 庄吉だつて知つてゐた筈だ。彼の女房のイノチは実は彼がオモチャ箱の中の彼女に与へた彼の魔力であるにすぎず、その魔力がなくなるとき、彼女のイノチは死ぬ。そして彼が死にでもすれば、男もつくるだらうし、メカケにもならう、淫売婦にもなるであらう、といふことを。
 彼の鬼の目はそれぐらゐのことはチャンと見ぬいてゐた筈なのだが、彼は自分の女房は別のもの、女房は別もの、たゞ一人の女、彼のみぞ知る魂の女、そんなふうな埒もない夢想的見解にとらはれ、彼が死んでしまへば、女房なんて、メカケになるか売春婦になるか、大事な現実の根元を忘れ果てゝしまつてゐたのだ。
 庄吉よ、現にあなたの女房はさうなつてゐるのだ。
 私はあなたを辱しめるのでもなく、あなたの女房を辱しめるのでもない。人間万事がさうしたものなのだ。
 あなたの文学が、あなたの夢が、あなたのオモチャ箱が、この現実を冷酷に見つめて、そこに根を下して、育ち出発することを、なぜ忘れたのですか。現実は常にかく冷酷無慙であるけれども、そこからも、夢は育ち、オモチャ箱はつくれるものだ。
 私はあなたの女房のサンタンたる姿を眺めたとき、庄吉よ、これを見よ、あなたはなぜこれを見ることを忘れたのか、だからあなたはあんなに下らなく死んだのだ、バカ、だから女房が実際こんなにあさましくもなつたんぢやないか、あなたは負けた、この女房のサンタンたる姿に。なんといふことだ、あんな立派な鬼の目をもちながら。
 私は、あなたの実に下らぬ死を思ひ、やるせなくて、たまらなかつたのだ。





底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
   1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
初出:「光 第三巻第七号」
   1947(昭和22)年7月1日発行
※底本のテキストは、著者の直筆原稿によります。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:宮元淳一
2006年3月22日作成
2016年4月15日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード