二合五勺に関する愛国的考察

坂口安吾




 元和寛永のころというと、今から三百二三十年前のことだが、切支丹キリシタンが迫害されておびたゞしい殉教者があったものだ。幕府の方針は切支丹を根絶しようというのだが、みんな殺そうというのではないので、転向すれば即座にかんべんしてくれるのだから、ひところの共産党の弾圧よりもらくだ。転向してもまだ何年か牢屋に入れておくということはやらぬ。そのかわり転向しないと必ず殺す。懲役二十年、十五年などとこまかく区別はつけず、例外なしに殺すのだから、全部か皆無か、さっぱりしていて、われわれの常識では、もっとも大いにあっさりと転向したろうとおもうと、そうではない。何万かの人間がもっとも大いによろこんで殺されたというから、勝手がちがうのである。
 この殺しかたにもいろいろとあって、はじめは斬首であったが嬉々として首をさしのべ、ハリツケにかければゼススさまとおなじ死にかただと勇みたつ始末だから、火あぶりにした。苦しめて殺してやれというので、すぐ火に焼けて死なゝいように一間ぐらいはなして薪をつんで火をつけ、着物に火がつくと消してやって長く苦しめるというやりかただが、苦しむのが一時間から数時間、死にいたるまで朗々と祈祷をとなえるもの、観衆に説教するもの、子をだく母は子供だけは苦しめまいとかばいながら、我慢をおし、今にゼススさま、マリヤさまのみもとへゆけるのだからとわが児に叫ぶ。その荘厳には、観衆にまぎれて見物の信徒はますます信教の心をかため、縁のない観衆も死刑執行の役人どもまで、感動してかえって信仰にはいるものが絶えないという始末であった。
 温泉岳の熱湯ぜめといって、噴火口の熱湯へ縄にくゝってバチャンと落してひきあげ、また、落し、また、ひきあげる。背中をさいて熱湯をそゝぐというのもある。熱湯のかわりに煮えた鉛をそゝぐのもある。鋸で、手と足を一本ずつひき落して、最後に首をひくというのもある。手の指を一本ずつ斬り、つぎに耳を、つぎには鼻をそぐという芸のこまかいのもある。蓑踊りと称するのは、人間を俵につめ、首だけださせて、俵に火をつける。俵のなかのからだが蓑虫のようにビクビクもがくところから蓑踊りと称したという。
 最後に穴つるしというのを発明した。手足を特別な方法で後方に縛して穴の中へ吊りさげるもののようだが、具体的な方式は各人各説、ハッキリしていないようだ。これをやると三四日から一週間ぐらい生きている。そして、へんなふうにもがきつゞけている。妙チキリンなもがきかたで、見ていると、おかしくなり、ばかばかしくなるばかりで、第一、例の祈祷を唱え、説教するための荘厳なるこえがでない。異様に間抜けた呻きごえがもれるばかり、およそ死の荘厳というものがみじんもないから、見物の信徒もうんざりしてしまう。そのために、この穴吊しの発明以来、信徒がめっきりと減り、たちまちにして切支丹は亡びてしまったという。もっとも転向のふりをして踏絵をふみ、家にかえってマリヤ観音にお詫びをするという潜伏信徒は、明治にいたるまでつゞいていたのである。
 つまり穴つるしという発明によって刑死の荘厳を封じたのが、信教絶滅の有力な原因だったといっぱんに解釈せられているのである。時間の問題もあったであろう。時間に勝ちうる人の心はありえないから。しかし、穴つるしがその時間を早めたことも事実ではあった。

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 こういう異常な殉教の事実をふりかえると、まるでわれわれは別人種の壮烈な信仰と魂を見るような、手のとゞかない感じがする。
 ところが幕末になって、欧米との交渉が再開し、日本在住の外人のために天主堂の建設が許されて、第一に横浜に、つぎに長崎の大浦に天主堂ができた。横浜のはなくなったが、大浦のは現存し(もっとも戦争でどうなったかは私は知らない)、日本最古の教会、また、洋風の美建築として国宝に指定せられている。
 この教会は日本在住の外人のためにのみ建てられたもので、日本人の信仰は、依然許されていなかった。もっとも見物は許されて、もの好きな日本人のことだから連日見物人のあとを絶つことがなかったが、それらの日本人にむかって神父の説教は厳禁せられていた。
 ある日、十何人かの老幼男女の一団がやってきた。あちこち堂内を見物していたが、ほかに見物人のいないのを見ると、突然プチジャン神父のもとへ歩み寄って、マリヤさまはどこ? ときく。マリヤの像の前へ案内すると、あゝ、ほんとにマリヤさま、ゼススさまをだいていらっしゃると、なつかしげに叫んだが、やがてみなみなひざまずいて祈りはじめてしまった。
 彼らがプチジャン神父の問いに答えて告げたことは、彼らは浦上のものであり、浦上の村民のほゞ全数は元和寛永のむかしから表むき踏絵をふみ、仏徒のふりをしながら、ひそかにマリヤ観音を拝み、二百余年の潜伏信仰をつたえている、ということだった。話の途中、見物人のくる気配につとはなれて、なにくわぬふうをして、かえっていったという。これが日本における切支丹復活の日だ。
 この日から、神父と浦上部落とに熱烈な関係ができたのはいうまでもない。そのうちに明治となり、この事実が発覚した。明治政府はまだ信仰の自由を許しておらぬ。例の王政復古というやつで、宗教は神道ひとつ、仏教もつぶしてしまえという反動時代だったから、切支丹の復活を許すだんではなかった。何千という浦上部落の信徒が老幼男女一網打尽となり、多すぎて牢舎の始末もつかぬから、いくつかの藩に分割して牢にこめられ、とり調べをうけ、棄教をせまられる。
 寒ざらし、裸にして雪の庭へ坐らせるなどとそうとうの拷問もあったようだ。ところが拷問によっては、いっかな棄教せぬ。例の祈祷を唱え、痛苦に堪え、痛苦の光栄に陶酔するものゝごとくますます信仰をかためるというぐあいである。こゝまでは、元和寛永のむかしとかわらぬ。
 ところが、こゝに、意外なことが起った。肉体に加えられる残虐痛苦に対してますます信念をかためるごとき彼らが、たわいもなく何百人、一時に棄教を申しでるというおもわぬことが起って、役人をまごつかせたのである。
 ことの起りは空腹に堪えかねたのだ。そして悲鳴をあげてしまった。身に加わる残虐痛苦にはその荘厳と光栄がかえって彼らを神に近づけてくれたが、無作意な、なんの強要もない食糧の配給に、そして、その量のたくまざる不足に、強要せられずして神からはなれてしまったのである。その食糧は決して少い量ではなかった。彼らの配給は正確に一人一日あたり三合であった。役人たちは食物によって棄教せしめることなど空想もしていなかったので、規定どおりの三合を与え、頭をはねたりはしなかった。今とちがって、米のない時世ではなかったから。そして、雪の上へ裸で坐らせて、そっちの方法で棄教させようと大汗を流していたのであった。

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 農民は一升めしが普通だという。切支丹農民でもやっぱり一升めしの口であったのだろう。それにしても、拷問に屈せぬ彼らが三合の配給に神をうらぎったとは夢のようだ。しかし、みじんも嘘ではない。『浦上切支丹史』に書かれている事実だ。
 二合五勺配給のわれわれはどうにも信じようがなくなるのは無理もない。われわれはついさきごろまでは二合一勺だの、そのうえ、その欠配が二十日もつゞいていたのだから。しかるにわれわれは暴動も起しておらぬ。拷問よりも三合の米に降参したという浦上切支丹の信仰が、だらしがなかったのではなかろう。要するに、戦争というものが、信仰などより、ケタちがいに深遠巨大な魔物であるからに相違ない。われわれは、このふしぎさを自覚していないだけだ。勝手に戦争をはじめたのは軍部で、勝手に降参したのも軍部であった。国民は万事につけて寝耳に水だが、終戦が、しかし、自分の意志でなかったという意外の事実については、おゝむね感覚を失っているようである。
 国民は戦争を呪っていても、そのまた一方に、もっと根底的なところで、わが宿命をあきらめていたのである。祖国の宿命と心中して、自分もまた亡びるかも知れぬ儚さを甘受する気持になっていた。理論としてどうこうということではない。誰だって死にたくないにきまりきっている。それとは別に、魔物のような時代の感情がある。きわめて雰囲気的な、そこに論理的な根柢はまったく稀薄なものであるが、ぬきさしならぬ感情的な思考がある。
 家は焼かれ、親兄弟、女房、子供は焼き殺されたり、粉みじんに吹きとばされたり、そういう異常な大事にもほとんど無感覚になっている。人ごとではない。自分とて今日明日死ぬかも知れず、いな、昨日死なゝかったのがふしぎな状態を眼前にしながら、その戦争をやめたいとみずから意志することは忘れていたのである。
 忘れていたのではない、その手段がありえなかったからあきらめていたのだといっても、おなじことで、要するにあきらめていた。勝手に戦争をやめ、降参したのは、まさしく天皇と軍人政府で、国民の方はおゝむね祖国の宿命と心中し、上陸する敵軍の弾丸、爆弾、砲弾の隙間をうろうろばたばた、それを余儀ないものにおもっていたのだ。
 もとよりそれは本心ではない。人間の本心というものは、こればかりはわかりきっているのだから。曰く、死にたくない、ということ。けれども、本心よりも真実な時代的感情というものがある。人の心には偽りがあり、その偽りが真実のときは、真実が偽りでありうることもある。人の心は儚い。心の真実というものが儚いのだ。
 戦争中のわれわれは、たゞ宿命の子供であったから、それで二合一勺ぐらいの配給に不足もいわず、芋だの豆の差引だの、欠配だの、そういうことに不平や呪いがあるにしても、同時にあきらめていたのである。不平や呪いは自我のこえであるが、自我はすでに影であり、宿命の子供が各人ごとの心に誕生して、その別人が思考し、生活していたからであった。

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 戦争は終った。しかし、戦争の宿命の子供はまだわれわれの自我と二重の生活をしており、主としてわれわれはまだ今日も宿命の子供で、ほんとうの自我ではないらしい。それは当然の話で、われわれの周囲は焼け野原であり、交通機関はヨタヨタし、要するに、バクダンはなくなったが、まだわれわれはまったく戦争の荒廃の様相のなかにいるからだ。われわれはあきらめているのだ。いな、われわれ自身が考えるさきに、われわれの心のなかで、別人があきらめてしまっている。戦争に負けた。ない袖はふれぬ。二合五勺の、それに芋がまじっても、しかたがない、と。
 戦争中そうであったごとく、われわれは今もなお、自我よりもむしろ宿命の子供であり、祖国の悲劇的な宿命にみずから殉じているのである。だからわれわれは二合五勺に芋がまじっても、暴動も起さない。われわれすべてが、殉国者である。
 残虐無慙な拷問に堪え、嬉々として命をさゝげた魂が、三合の配給で神をうらぎったという。拷問のかずかずとその殉教のはげしさ、その歴史的断片だけをきりはなすと、われわれのぐうたらな生身のからだは手がとゞかなくなるのだけれども、実は彼らにも、やっぱり、ぐうたらな生身のからだがあったのである。
 そしてわれわれの世代には、信教のためではなく、祖国のために、何百万かの人々が死んだ。彼らは必ずしも嬉々としては死ななかったに相違ない。あるものは大いに祖国を呪いながら死んだかも知れぬ。それはおそらく切支丹の殉教の際も同様であったに相違ない。なかには神を呪いつゝ死んだものもありえたはずだ。そして彼らがもし生き残れば、復員してヤミ屋となったり、泥坊になったかも知れず、それが切支丹の場合であっても同様に棄教してなにものになったかわからない。
 三合の空腹に神を売った何百人かも、もし食物に困らなければ、拷問に死んで殉教者となったかも知れぬ。しかし、われわれが、現に二合一勺のそのまた欠配つゞきでも祖国をうらぎっておらぬことだけはまちがいがない。つまりわれわれは過去の歴史が物語るもっとも異常、壮烈な殉教者よりも、さらにはなはだしく、異常にして壮烈な歴史的人間であった。
 しかしわれわれはその異常さも壮烈さも気づきはしない。なぜならわれわれの日常はぐうたらで、ヤミの買出しにふんづかまってドヤされたり、電車のなかで突きとばしたり、突きとばされたり、三角くじを何枚買ってもタバコがあたらず女房になぐられ、その日常の生活からは、異常にして壮烈なる歴史的人格などは、いっこうに見あたるよしもないからである。
 しかし、われわれが日本カイビャク以来の異常児であり、壮烈児であることはまちがいがない。なぜなら、切支丹は三合で神を売ったが、われわれは二合一勺の、そのまた欠配つゞきでも、祖国を売らなかったからである。この事実は、すべてが公平な歴史となったときに、後世が判定してくれるはずである。
 歴史と現実とは、かくのごとくに、まったく質がちがっている。現実というものは、いかなるときでも、いっこうにみずからの歴史的な機会のごときものを自覚しておらず、つねに居眠ったり、放尿したり、飲んだくれたりするたゞの人間であることを免れず、ぐうたらで、だらしがないものだ。歴史の人物は歴史のうえで、歴史的にしか生活していないが、現実の人間というものは、主として夫婦喧嘩だの、三角くじの残念無念だの、酔っぱらって怪我をしたのと、あさましいことばかりで、二合一勺のそのまた欠配つゞきでも祖国を売らなかった歴史的美談のごときは、みずから意志した気魄のあらわれではなかった。彼らは配給の行列で配給係のインチキを呪ったり、ときには大いに政府の無能を痛罵して拍手カッサイしている自分の方を自分だとおもっており、カイビャク以来の大奇怪事を黙認して、二合一勺のそのまた欠配だの、焼けだされの無一物に暴動も起さぬ自分を自覚してはいない。そしてかゝる無自覚な面が歴史的に復活しておもいもよらないカイビャク以来の愛国者になるであろうということなどは、もとより夢にもおもわない。
 現実はかくのごとく不安定ではあるが、また、不逞にして、ぐうたらで、健康なものだ。歴史は病的なものであり、畸形で、歪められているのである。すなわち、歴史的事実だけで独立して存し、特殊な評価を強いている。
 それは歴史のみのカラクリではなく、現実もまた歴史化することが可能だ。軍神などゝいうものをデッチあげて、歴史化する。美談はおゝむね歴史化であり、偉人も悪党も、なべて同時代の人間の語りぐさもあらかたそうであり、ぐうたらで、だらしがないのは自分とその環境だけ、そして環境をではずれると、現実もまた、歴史的にしか実在していないものだ。

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 私は本来世に稀れなぐうたらもので、のんだくれで、だらしがないから、切支丹の殉教の気魄などには大いに怖れをなして、わが身のつたなさを嘆いていたのであったが、この戦争によって、にわかに容易ならぬ自信をえた。それは要するに、例の二合一勺と切支丹の三合に瞠目した結果にほかならぬのだが、私といえども、二合一勺のそのまた欠配つゞきでも祖国を売らなかったカイビャク以来の歴史的愛国者であることを自覚したからであった。
 おもえば私はおもしろがって空襲を見物して、私自身も火と煙に追いまくられて逃げまわったり、穴ボコへ盲滅法とびこんで耳を押え、目を押えて突然神さまをおもいだしたり、そういうことも実際はさして身につまされておらず、戦争中も相かわらずつねにぐうたらで、だらしがなかった。
 それにもかゝわらず、戦争というやつは途方もない歴史的な怪物、カイビャク以来の大化けものであったに相違なく、諸方の戦地で何百万の人々が死んだが、私自身の周辺でも、四方の焼跡で、たぶんさほど祖国も呪わず宿命的、いわば自然的にたゞ焼け死んだ大きな焼鳥のような無数の屍体も見たのである。吹きちぎられた手も足も見たし、それを拾いあつめもした。まったく無感動に、今晩の夕食の燃料のために焼跡の枯木を盗みにゆくよりもはるかに事務的な無関心で、私は屍体を見物し、とりかたづけていたのである。
 そのこと自体がカイビャク以来の大事であり、私自身が歴史的な一大異常児であることを、そのときどうして気づきえたであろうか。私はたゞ、ぐうたらな怠けもので飲んだくれで、同胞の屍体の景観すらも酒の肴にしかねない一存在でしかなかった。その私すら、しかし、歴史的に異常にして壮烈な愛国者として復活しうるという、歴史のカラクリと幻術を、私は今、私自身について信じることができる。
 私はしかし歴史の虚偽を軽蔑しようとはおもわない。知識ほど不安定なものはないからである。文化人よりも未開人の方が安定しているに相違ない。都会人よりも農村人の方がより少ししか戦争の雰囲気や感情にまきこまれなかったに相違ない。そのかわり終戦後の変化にも、都会人はすぐ同化しえても、農村人はなかなか同化しないに相違ない。文化的に未開なものほど安定しているものなのだ。
 歴史も知識の所産であって、したがって不安定で、必ずしも歴史的に安定するという絶対性をもつことはできぬ。その意味において、歴史的虚偽は虚偽なりに、われわれの現実とも相応しているからであった。そしてわれわれの現実は、これまた、安定してはおらぬ。知識はつねに不安定で、つねに定まる実体がない。
 私はしかし、そういう屁理窟はとにかくとして、私がカイビャク以来の愛国者で、二合一勺のそのまた欠配つゞきに暴動ひとつ起さなかった歴史的人格の一人であったという発見に大いに気をよくしているのである。
 そればかりではない。私は今もあいにく生きているゆえに天下に稀れなぐうたらものであるけれども、三四年前戦地にあれば殉国の愛国者でありえたかも知れぬ。いな、必ずありえたはずである。私は今朝の新聞に、カラフトの郵便局の九人の女事務員が、ソビエト軍の攻げきに電信事務を死守し、いよいよ砲弾が四辺に落下しはじめたとき、つぎつぎに服毒しておのおのの部署に倒れていったという帰還者の報告を読んだ。もしも殉国の九人の彼女らが今日もなお生きていたなら、今日なにものとなっているか、その想像を怖れる必要はないのだ。人間はそういうものだ。歴史的美談を怖れる必要もなく、また、われわれの現実のぐうたらを怖れる必要もない。すべてはおなじもの、人間、たゞ、それだけなのである。
 だから私は近ごろでは、もう切支丹の殉教の気魄などにはいっこうにおどろかず、善人だの忠臣だのにおどろかず、あべこべにたいへんな鼻息で、ときには御機嫌のあまり、『日本の悲惨なる敗北と、愛国者坂口安吾氏の偉大なる戦記』などゝいう一大叙事詩をものしてやろうかなどゝ途方もない料簡を起したりする。
 算術の達人があらわれて、浦上切支丹の三合と、私の二合一勺との歴史的価値の差異軽重について意外な算式と答を見つけだしても、私はいっこうに悪びれないのは、私は算術の公式にない詭弁の心得があるからで、曰く、私は私だ、ということ、つぎに、すべては、たゞ人間だ、ということ、これである。
 されば今日二合一勺のそのまた欠配に暴動を起さなかった諸嬢諸氏すべて偉大なる殉国者であり、その愛国の情熱はカイビャク以来のものであることを確信し、今日諸嬢諸氏の現身がいかほどぐうたらでだらしなくとも、断々乎として、自信、自愛せられんことを。げに人間はぐうたらであり、偉大であります。





底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
   1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「女性改造 第二巻第二号」
   1947(昭和22)年2月1日発行
初出:「女性改造 第二巻第二号」
   1947(昭和22)年2月1日発行
入力:tatsuki
校正:宮元淳一
2006年5月5日作成
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