明治開化 安吾捕物

その十七 狼大明神

坂口安吾




 庭の片隅にオイナリ様があった。母が信心していたのである。母が生きていたころは、風雨に拘らず朝夕必ず拝んでいた。外出して夜更けに帰宅することがあっても、家人への挨拶もそこそこに、オイナリ様を拝んでくるのが例であった。朝夕の参拝を果さぬうちは、昼と夜の安らぎが得られぬように見えるほど切実な日参だった。しかし、母以外の者は一人も拝みに行く者がなかった。
 母が病床についてから死に至るまでの一月ほどは、由利子が朝夕代参を命じられた。
 死期をさとると由利子に遺言したが、それは正しく生きよという女大学の教訓と同じようなものであった。ところが終りに、
「あなたがお嫁に行く日まで、オイナリ様の朝夕の日参は必ずつづけて下さい。私の今生の願いです」
 衰えきった肉体に、怖ろしいほど劇しい祈りがみなぎった。もしも日参を怠れば、幽霊になって出てきますぞ、とつめよるような凄味がこもっていたのである。
 また、ある日彼女が病室へ近づいた時、
「タタリが怖しいとは思いませんか。私の死後は、どうぞあなたも拝んで下さい。一日に一度ずつで結構です」
 母のヒステリックな声がきこえた。由利子が病室へはいってみると、母が話しかけていたのは父であった。父は何の感動もない顔をして母の枕元に坐っていた。そして、母の死後、父がオイナリ様を拝んだことはついぞなかった。由利子も母の思い出が遠のくにしたがって、日参を忘れがちになっていた。
 このオイナリ様は狼イナリと云うのだそうだ。こう教えてくれたのは番頭の川根八十次であった。しかし、これを由利子に教えたために、川根は母にひどく怒られた。狼イナリという本名はこの家のタブーであった。
「狼イナリって、本家はどこにあるの? 埼玉?」
 由利子は兄にきいてみた。
「大方、そうだろう」
 兄は興味がなさそうだった。彼は狼イナリの存在を気にかけていなかった。彼も父と同じように、何かのタタリなぞは怖くもないし、とるにも足らぬ、という気質なのだ。生れつきの実利主義者であった。彼は羽ぶりのよい官員や大臣や大将なぞは子供の時から眼中におかなかった。地上の総てを動かしうるものは金である。金だけが万能だ。それが彼の考えだった。学問すらも不要なのだ。
 彼は十七の年に自発的に学業をやめた。そして、京大阪へ呉服商の見習いにでた。二年間で商法を会得し、父の店で働きはじめた。
 父の店はそれまで秩父と両毛の織物を扱っていたが、兄は京都に主点をおいた。買いつけも売りこみも、兄が一手でやった。大量の荷が送りこまれ、それがどんどん捌かれていった。
 兄は自ら小僧たちを雇入れて教育し、指図してめまぐるしく活躍させた。彼の手で育てられた小僧は、彼が掛けたゼンマイ通りに動きまわる生きた人形のようであった。
 父が出生地からつれてきて秩父や両毛の呉服物の買いつけに働いていた川根はまったく無用の存在となった。彼のノンビリした商法は兄の機構の中ではむしろ邪魔になる存在だった。彼は家事向きの番頭となり、店では用のない存在となってしまった。
 父も持ち前の商才にたけてはいたが、田舎育ちのために、性格に反して大事をとり、手堅い商法からハミだす勇気を失っていた。息子の大胆な商法が、父の持ち前の目をひらいた。父はにわかに覇気マンマンの豪商気風になり変った。今度はそれをたしなめるのが息子であった。
「向う見ずに取引きをひろげたってダメですよ。ハッキリと計算にもとづいてやるのが商法の鉄則ですよ。私に相談をかけずに勝手な取引をするのは止して下さい」
 久雄は時々強い語気で父をたしなめた。その久雄はようやく二十三歳だった。父はグッとこみあげる怒りに身をふるわして叫ぶのが常だった。
「この蛭川商店を築いた父に向って何を云うか。若僧のくせに、私に相談をかけずに、とは何事だ」
 自尊心を傷けられる父の怒りは心底に深くひろがっていた。彼は対抗的に古ナジミの秩父や両毛から家全体が埋まるほどの大量の織物を買いつけることがあったが、運わるくいつもその直後に大暴落で、久雄にカシャクなく叱責される原因を生むばかりであった。彼は益々エコジになった。
「ナニ? オレがこの店をつぶしてしまうと? これはオレが築いた店だぞ。キサマごときに指一本さわらせぬ。オレの買いつけた品物に火をかけて店ごと焼いてみせるから、見ておれ」
 父の方がダダッ子だった。彼は火鉢を抱きあげて山とつまれた荷箱に投げつけたことが三度もあった。
 久雄は全く慌てなかった。店員たちが急いで散った火の始末をしようとするのに向って、
「急ぐことはない。一ツずつゆっくり拾え。ついでにその火に一服つけてからやるがよい。目に見えているそんな火で火事にはならぬ。屑のような大荷物は焦げたところで大事ない」
 すっかり血相の変った父はそのまま家をとびだして茶屋酒にひたり、何日も帰らぬ日がつづく。そして、何事もない平穏な日も父の茶屋酒は激しくなる一方であった。その勘定も莫大であった。
 父の時々の逆上的な大買いつけに、心ならずも動くのは川根の務めであった。それは彼の責任ではなかったから、久雄は彼を怒らなかったが、お茶屋で酔い痴れている父は家事向きのレンラクにくる川根を足蹴にして、階段から突き落したこともあった。そのために川根は手首を折り、全治に長い日数を要した。また、火箸でミケンを割られて、その傷跡がミミズのように残っていた。
 父が故郷をひきはらい上京して店をひらくとき、土地の小さな織物屋の手代をしていた川根が見こまれて連れられてきたのである。そのときは、ゆくゆくはノレンをわけてやる、という話であったが、父は茶屋酒に浸り、店は久雄とその子飼いの若い者たちが切り廻しているから、川根は無用の存在で、ノレンをわけてもらえる見込みは全くなかった。もう四十に手のとどく川根は、店の近所の小さな借家で妻子五名と暮していたが、前途を思うと胸がつかえるばかりで、家へ戻っても殆ど妻子と口もきかなかった。
 それは春がめぐりぎて桜の花がほころびそめた明るい朝のことであった。由利子はオイナリ様へ参拝した。
 いつもは閉じられているオイナリ様の扉がひらいていた。
「私のほかに誰か来た人があるのかしら。このウチにはイタズラする子供もいないのに」
 彼女はそう思いながら扉を閉じようとした。と、内部に、白い物があった。
「オヤ。なんでしょう?」
 彼女も昔、中を改めたことがあった。そこには御神体もなく、何物も一切なかった筈である。
 中の物をとりだした。字が書いてある。
「蛭川真弓 享年四十八歳」
 位牌ではないか。蛭川真弓とは父の名だ。享年四十八。父の現在の年齢だった。彼女は一本の棒となって息をのんだ。
 誰かのイタズラだろうか? それとも、父がヤク払いのつもりで、自分で入れたのだろうか?
 だが、なんの気もなく、その裏を返して見たときに、彼女は血を浴びたように、すくんだ。
「大加美稲荷大明神」
 大加美――狼だ。シサイに見ると、字の一劃ごとに蛇である。狼イナリのお札に相違ない。
 彼女はお札をそッと元へおさめた。父はお茶屋に流連いつづけでまだ戻ってこないし、兄は商用で朝早く外出していた。彼女は川根の姿を見つけだしたので、そッとイナリの前へ案内した。そして、中の物をとりだして見せた。
 川根はシサイに表裏を改めつつ由利子の話をきいていたが、
「これはホンモノの大加美イナリのお守りです。お嬢さんはケダモノの狼と思いこんでいらッしゃいましたが、実はこう書くのが本当なんです。ここの旦那や私の生れたのが賀美カミ郡賀美村。賀美というのは神様の神らしいそうです。もっとも隣りが、那珂郡ですからカミナカだと云う人もありますが、あの近所は方々に神山だの石神などと神の字の在所があるところでね。この大加美イナリは神主の奴が自分で大神オーカミの子孫と称していやがるのですよ。また、怖しいことになりましたね」
 川根は顔を暗く伏せて口をつぐんだ。由利子は思わず耳をそばだてて、
「また? また、って、なんのこと? 前にも、こんなことが有ったの?」
「申し上げて良いか、どうか。イヤ、イヤ。一度お嬢さんにオーカミイナリの名を教えてあげただけで大そうなケンツクを食ったから、これ以上は何も申し上げるわけにいきませんや。とにかく、オーカミイナリは本当にタタリをする怖しい神様だなア」
「タタリ?」
 川根はそれに答えなかった。そして、そッとお札を返したが、いかにも目の前に近づいたタタリを怖れているような様子だった。
 由利子も処置に窮して、仕方なく再び元の位置におさめたが、
「そうだっけ。この扉が両側に一パイに開いていたのよ。三四日お詣りしないけど、この前の時は扉は閉じてた筈だし、それに昨日のおひるごろまで激しい吹き降りだったわね。扉が開いてればお札に雨がかかったと思うけど、そんな跡はないわ。すると、ゆうべ誰かが入れたらしいわね」
 川根は答えなかった。タタリという神々の業に人智の推量は余計物だと云わんばかりの思いつめた様子であった。
 久雄は夕食のとき、お給仕する由利子からその話をきいた。
「バカバカしい。見せてごらん」
 お札を由利子に持参させて眺めていたが、火鉢の火を掻き起して、その中へお札を投げこんだ。厚紙だから燃え上るのに手間がかかって、部屋は煙で目もあけられない程になった。それでも、ようやく焼き捨てた。
「タタリというのは、これだけだ。オレを泣かせやがったよ。オーカミイナリは」
 久雄はそれ以上の関心を全く払わなかった。そして、その一夜は無事にすぎた。
 翌日の午すぎて、父は酔って帰ってきた。そして、ただちに寝床をしかせて寝てしまったが、一同の夕食がすんだころに目をさまして、酒を命じた。
 由利子自身酒肴をととのえてお酌をした。由利子にだけは優しい父だった。
 お札のことを父にきかせてはいけないが、オーカミイナリは気にかかる謎であるから、訊かずにいられない。
「オーカミイナリって、賀美村のオイナリ様?」
 由利子が相手なら、酔えば酔うほどキサクい父である。彼はクッタクもないらしい。
「オーカミイナリというのは邪教だよ。オレだけはその系図や古文書と称する物を見て知っているが、自分で拵えたニセモノさ。拵えてから六七十年はたっているかも知れんが、それを二千年も昔からの物だと言いふらしているのだよ。児玉郡と秩父郡の境界の山奥にある小さな祠さ」
「ウチと関係があるんですか」
「一寸だけ有ったが、今はない。庭のホコラはお母さんが造ったものだが、あれは折を見て焼きすてるとしよう」
「それはいけないわ。だって、私に毎朝晩お詣りするよう遺言なさったのですもの。お母さんはタタリを怖れてらしたのよ。そのタタリは、どういうわけなの?」
「どういうわけも有るものか」
 真弓はライラクにカラカラと笑った。
「オーカミイナリは神様ではなく、気ちがいなのだ。山の中を狼のように走ることはできるが、東京の街の中で何ができるものか。天狗の顔で都大路が歩けるかい」
「天狗の顔?」
「ハッハッハ。オーカミイナリの神官は世にも珍しい天狗の顔つきなのさ。代々天狗の顔だそうだよ」
 父の話は奇怪であったが、心配の種になるような言葉はなかった。由利子はひとまず安心した。父の食事を下げたのは十一時ごろであった。
 父は一風呂あびた。その間に由利子が雨戸を閉じて寝床をしいた。十一時半ごろお手がなったので、由利子が父の寝間へ行くと、熱いお茶を一パイ所望し、ランプを消してアンドンをつけさせた。父は小用が近いので、灯りがいつも必要であった。
 父の用を果して、由利子が自室にくつろぎ、寝床について間もなく柱時計が十二時を打った。そのころまでは、蛭川真弓は生きていた筈であった。
 翌朝、寝床を血の海にして死んでいる真弓の姿が発見された。
 弓の矢が心臓を射ぬいていた。そして死んだ顔には、天狗のような鼻の高い目玉の大きな面がかぶされていた。猿田彦の面のようなものであった。
 発見者は由利子であったが、彼女の報らせで兄とともに駈けつけた川根は兄と妹がそこにいることを忘れたように、一足一足ふるえつつ退いて、叫んだ。
「オーカミイナリだ! あれと同じだ! 神の矢で一うちに殺されている! 猿田の面をかぶされている! あのタタリが十五年間、まだとけていなかったのだ」

          ★

 新十郎一行が日本橋の蛭川商会へ案内されたのは二日後のことである。現場はすでに取り片づけられていた。
 真弓の居室は店からはいって一番奥の離れのような別棟であった。廊下を渡ると扉がある。扉の向うが真弓の部屋で、まず便所があり、十二畳の椅子テーブルのセットを置いた板敷きの間があって、北側が土蔵の入口になっていた。
 その奥に十畳の茶の間と六畳の小部屋があり、突き当りが十二畳の寝間であった。南側がちょッとした庭。その片隅にイナリがあった。北側にも小さな庭があり、西はすぐ塀で、裏木戸があるが、これは道路側からは開けることができない。手がかりがないからである。
 犯人は六畳の小部屋の北側の窓をあけて外へ降り、木戸をあけて逃げ去ったもののようである。窓が開いていたから、逃走の経路は分った。北側は土蔵によって母屋とさえぎられているから、そこを逃げ口に選ぶのは当然だったが、侵入の順路が分らない。
 由利子は父の入浴中に各部屋の雨戸を閉じた。六畳の雨戸もそうである。上下の桟を特に注意しておろすことも忘れなかった。ところが雨戸には外側からムリにこじ開けた形跡が全くなかった。
 廊下の戸は父の側からは錠をかけることができるが、今まで錠をおろした習慣はないし、その朝も錠はおろされていなかった。
 廊下のこッちは中庭に面して由利子の部屋があり、階段を登ると久雄の部屋があった。由利子の部屋の隣室に四人の女中が眠り、その向うに台所や湯殿がある。他は階上階下ともに空屋である。台所用の土蔵も附属していた。
 さらに一ツの中庭をはさんで店がある。店の土蔵が二ツあった。六人の小僧や手代が土蔵の入口の一部屋にザコ寝していた。
 店と母屋の廊下は戸でしきられ、この戸は由利子が寝る前に必ず錠を改めた。店の男たちと母屋の女たちの境界をまもるのは、母なき後は由利子の責任の一ツであった。その晩も寝る前に改めた。錠はおろされていた。
 翌朝六時の定刻に起きた早番の女中オタツが七時ごろ廊下の戸の錠をはずした。錠はまちがいなくかかっていた。
 店からの侵入はこの戸にさえぎられて不可能であり、母屋全体の戸締りにも異常はなかった。すると、侵入口が問題であった。
 新十郎は離れの各部屋、その押入や便所も改めた。土蔵の錠は常におろされている。便所の汲取口にも異常はない。
 由利子の申し立てによると、彼女が父の食事をさげているとき(女中たちは先にやすませた)同時に父が入浴に立ったので、彼女がまだ雨戸を締めぬうちに、離れが無人になった何分間かの時間はあった。
 六畳は母の死後はあんまり用のない部屋である。その押入の戸が半開きになっていたという。そこには泥棒が狙うような品物は全くなかった。その長持の裏側に人が一人ひそむに足る空間があった。犯人は離れが無人になった何分間かに素早く侵入してそこに隠れていたのではないか、というのが人々の一致した意見であった。
「その長持の後側に小さなお守りのようなものが落ちていました。紙の包みをあけてみると、中味は金メッキのお守りで、大倭大根大神オーヤマトオーネオーカミとあるのです。これはオーカミイナリの祭神の名だそうです」
 古田巡査が説明した。
「大倭大根大神とは聞きなれない神名ですね」
 新十郎がこう呟くと、古田は答えて、
「左様です。それがオーカミイナリの神主家の先祖に当る神様だという話です。こんなところにお守りが落ちているのは解せないことだと当家の者は言うのですが」
 新十郎はうなずいた。
 何から何までオーカミイナリが附きまとっているのである。蛭川真弓の心臓を刺しぬいていた矢は、ヤジリが六寸もある尖った鋭い刃物であった。ヤガラは朱塗りで、矢羽は雉の羽を用い、それはオーカミイナリ独特の神の矢であるという。
「番頭川根の語るところによりますと、今から約十五年前、蛭川家がまだ武蔵の国賀美郡の故郷におったころ、先代の番頭今居定助と申す者がこの神の矢に射ぬかれて殺されたという話なのです」
 そこで新十郎は番頭川根をよんで話をきいた。川根は四十がらみの、一見番頭の風ではあるが、どことなく農家育ちの香がぬけきらぬガッシリと骨太の小男だった。
「私が当家へ御奉公にあがりましたのは当家上京後のことですから、当時の事情をつまびらかには存じませんが、殺された当主とオーカミイナリにはモンチャクがあったようです。御維新直後に各神社の系図や古文書の調査がありました折に、当時児玉郡で庄屋のような仕事をしておった当家主人が県の命令によって各社の古文書を集めておりました。ちょうどオーカミイナリの系図や古文書を当主直々に出張して借りうけて参った当夜、あいにく屋敷から火を発して、五ツの土蔵を残すほかは住居が全焼いたしました。困ったことには、オーカミイナリの古文書を郡役所へ保管せずに自宅へ持ち帰っておりました。なにぶん一風変った由緒を申し立てているオーカミイナリですから、その古文書をあらためたいという慾望が起るのは自然のことで、何をおいてもさッそくそッと読んでみようという気持になってのことでしょうが、あいにく当日深夜に失火して屋敷もろともオーカミイナリの古文書も焼失してしまったのです。さア、それからが大変で、自ら大神の子孫と名乗り特別の由緒を言いふらしているイナリですから、その怒りが一様ならぬものであったことは当然です。いかに当家が詫びてもきき入れませぬ。再々強談判こわだんぱんを重ねたあげく、一夜のこと当家先代の番頭今居定助と申す人がオーカミイナリの先祖の古墳と申すところで神の矢に射ぬかれて殺されておりました。今回と同じように朱塗りの独特の矢で、また、屍体の顔にも今回と同様に猿田の面がかぶされておったそうです。ところが当日はオーカミイナリに祭儀がありまして、神主が深更まで神前に奉仕しておりましたのを多くの拝詣人が見ておりますので、彼が犯人でないことは明らかになりました。オイナリ様直々のタタリだということになりましたが、当家が故郷をひき払って上京したのは、これが原因で、どうしても居たたまらなかったのでしょう。上京後、当家に於ては、オーカミイナリの名を口にすることも慎しみ怖れておりましたのです。なくなった夫人が庭にイナリのホコラをたてて朝夕の参詣を欠かさなかったのも、そのタタリを怖れてのせいでした」
「上京後もオーカミイナリの強談判はひきつづいていましたか」
「私が当家へ参って後は、そのような形跡はありません。噂にききましたところでは、上京直前、当家に伝わる家宝の数々をイナリに納めて一応話がついたということでした」
「オーカミイナリの神主が上京するようなことはありませんか」
「東京の人にはあんまり縁のないイナリで、土の中のキンをまもるイナリと信ぜられ、山々にキンを探す金掘りの人々や、山の人々に信仰されております。したがって神主は山にこもって荒行し、彼が山中を走る時は狼のように物凄い速さであると言われております」
「朱塗りの独特の神の矢はどういう時に用いるのでしょう」
「私どもその土地の者はオーカミイナリを信仰致さず、一風変った邪教の類いと昔から考えられておりますので、くわしいことは存じませんが、年々のお祭りに三十本とかの神の矢を暗闇の中で四方の山々に射放すそうで、そのために、神主は十日がかりで一本ずつの神の矢をつくるのが日課であると云われております」
「猿田の面もイナリと関係がありますか」
「私どもは猿田の面と申しますが、オーカミイナリではその祖先の大倭大根大神と申す神の顔がこういう天狗の顔であるそうで、その子孫の今の神主も、猿田の面と全く同じように鼻が高くて目がまるくて、どす黒い渋紙のような顔色をしているそうです。もっとも、あの近辺の村人も神主の顔を直々見た者は少いのです。イナリのホコラは児玉郡と秩父郡の境界の遠く里をはなれた山中に在るのですから、村との交渉は少いのです。所在の山地は児玉郡に属していますが、江戸幕府の時にも誰の知行所だか不明という人々の立入らぬところで、村の入会地いりあいちにもなっておらず、山男の秘密の通路だなぞとも云われておるようなところです」
「店のあたりに怪しい者がうろついているのを見かけたことはありませんか」
「特に心当りはございません」
 離れ座敷、そこは真弓が食事にも寝所にも用いる奥の部屋で、彼の殺された部屋であるが、その北側の窓の下の木陰に誰かが脱糞していた。そんなところに脱糞するのは犯人のほかには考えられない。ところが、お尻を拭いた紙がない。指で拭いて傍の木の幹にこすりつけた跡があった。
 しかし、室内には足跡がなく、土のこぼれたのも見当らなかった。また、盗まれた物もなく、室内を物色した形跡もない。
「当家の使用人で埼玉の者は誰々でしょうか」
「私のほかには同郷の者はおりません」
「一同の身許はハッキリ致しておりますか」
「いずれも親元はハッキリ致しております」
「当家の財産状態はいかがでしょうか」
「大旦那の買いつけが事々にしくじりまして、かなり手痛い損失がつづいておりまして一応苦しくなっておりますが、まだまだ屋台骨はシッカリしておると見ております」
「このお店はいつごろの創業ですか」
「上京まもなくここが売りに出たのを買って開業しましたのが、たしか明治六年、開店の時から居りますのは私だけで、他の者はこの四五年間に新しく雇入れた者ばかりです」
「時々郷里から訪れる人がありますか」
「出身の地とは絶縁の状態で、取引の織元も隣りの秩父郡か、隣県の群馬栃木の人ばかりです」
「こちらから向うへ商用に往復致しておるでしょう」
「あの方面は私のほかに二人の係りの手代がおりまして、常に往復致しております」
「あなたは当日の夜は当家に宿泊されたでしょうか」
「いいえ。夜業を終えて九時ごろ帰宅いたしまして、そのまま寝てしまいました」
 新十郎は庭のイナリの前に立った。小さなありふれたオイナリ様である。扉をあけてみた。中はカラであった。しかし、中をのぞいた新十郎の目が光った。
「オヤ。これは何だろう? 昔からこうなっていたのだろうか? ここへ板を張りつける必要はなさそうだが」
 正面に五寸四方ぐらいの板が張られていた。特別な事情がなければ意外の念も起さずに見逃すのが自然であろうが、特に意味を考えてみると、理解に苦しむ板である。
 幸いイナリを作った大工が今も出入りしていることが分ったから、訊いてみると、
「左様です。それは初めからそのように作ったのです。奥様がこの板を持参致されて、これを正面中央へ打ちつけて下さい、と仰有おっしゃいましたのでね」
 新十郎はイナリのホコラを解体させて、打ちつけた板をはがした。板の裏面に次のような二行の字が書かれていた。
「大加美稲荷大明神
 今居定助明神」
 今居定助とは、蛭川真弓と同様に神の矢で殺された先代の番頭である。
「殺された番頭と殺した神様がこのホコラに並んで祀られるのに一応フシギはないかも知れないが、板を裏がえしに張りつけておいたのはどういうワケでしょうね。とにかく現地へ赴いてオーカミイナリの本家について調べてみなければ全然見当がつきかねますよ」
 新十郎一行はその翌日旅にでた。

          ★

 今は賀美郡那珂郡も含めて埼玉県児玉郡であるから、今の名で呼ぶことにしよう。汽車なら上信越線の本庄で降りる。埼玉県もしくは武蔵野の北端である。北と東は群馬県、西と南は秩父である。この郡のマンナカあたりの村から塙保己一はなわほきいちが生れている。
 いにしえの武蔵七党が割拠したところで、この郡にユカリのあるのは、児玉党、丹党、猪俣党の三党である。この三党はいずれも古代にさかのぼった系図があるが、彼らの祖先の豪族たちの居住を想像せしめるような古墳群が諸村に見出される。概ね円墳で、ハニワが出るのは他の関東の古墳に通じている。ヒノクマ、今水、今居というような帰化人の居住を考えさせる名も多く、その子孫が丹党のようだ。
 ところが、賀美カミ郡賀美村とか、宇賀美とか神山など神の字の地名が多く、賀美村の石神は日本の道祖神の総本家という伝えも残っている。そこを流れる川を神流川と云い、信濃から蓼科と八ヶ岳を越えて降りてくる古代の交通路に当っていたようでもある。
 神流川流域にちかい字二ノ宮の地に官幣中社金鑽(カナサナ)神社があって、武蔵の国では大宮の氷川神社につぐ神様だ。
 ところが武蔵の奥、ここや秩父あたりでは一ノ宮を違うものに言い伝えられている。つまり違った神の系譜をもつ住民が住んでいたのだろう。しかし、こッち側の一ノ宮の所在はハッキリしていない。
 このホンモノの一ノ宮と自称しているのがオーカミイナリであった。
 郡内には諸村に金鑽神社があり、また北向明神というのが昔は五ツあったという。ほかに古社が多いが、広木村の※(「髟のへん+瓶のつくり」、第4水準2-81-15)※(「くさかんむり/(豕のにょうの形+生)」、第3水準1-91-25)神社というのが土着民の祖神のようにも考えられている。広木村は昔は弘紀とある。※(「髟のへん+瓶のつくり」、第4水準2-81-15)※(「くさかんむり/(豕のにょうの形+生)」、第3水準1-91-25)神社はミカ神社もしくはミカタマ神社と読むべきだということである。
 オーカミイナリの説によると、カナサナ神社もミカ神社も北向明神も総て配下の神で、総本家はオーカミイナリの前身たる大加美神社である。大加美神社は大昔はミカ神社のある広木村にあった。いま、曝井サラシイという古趾のあるのが大神社の跡である。万葉の古歌に現れる曝井がこれであるという村人の伝えはあるが、ここが大加美神社の趾だという伝えはオーカミイナリが自ら称するだけであった。
 ところがオーカミイナリはそれを証する古文書も古代の地図及び神域や社頭の絵図面も有ると言う。彼の先祖は大倭大根大神という神で、日本全体の国王であったが戦い敗れて一族を従えてこの地に逃げ住んだ。ところが後世に至って、臣下の子孫が児玉党、丹党、猪俣党などを称し、総家たる大加美神社を焼き払い、神たる人の子孫を追った。神の子孫は若干の古文書だけからくもフトコロに、少数の従者をしたがえて山の中へ逃げこんだ。それがオーカミイナリである。
 長い歴史のうちに少数の従者すらも離れて里へ降りてしまい、神の子孫だけが山奥に残って小さなイナリのホコラをまもり、太古からの祭りの風を伝えているという。
 しかし、土地の古老の話によると、あの山奥に天狗のような顔つきの家族が住んでいることは七八十年前にようやく村人に分ったことで、オーカミイナリなぞと云うのはそれからの存在だと云っている。
 金鑽神社というのは金や銅の神社だ。オーカミイナリはこの神社も、ミカ神社も、北向明神もみんな自分の配下で、北向明神というのは坂上田村麻呂の創建というが、実際は臣下の子孫が何々党をたてて遂に神の子孫を追うに至ったとき、神の子孫は従者に多くの黄金を背負わせて、いったん赤城山中へ逃げこんだ。そして黄金を地下に隠した。従者はひそかに村へ戻って五ツの北向明神を建てたが、この明神はいずれも北方赤城の方に向っている。そして五ツの向う正面を合せると、黄金を埋めた地点になるのだという。ところが北向明神は二社ぐらいしか残存せず、他の失われた所在地は今ではもう分らない。しかし、オーカミイナリに伝わる古文書の一ツによると、五つの所在地も図に示されていると称するのである。
 こういうことを言いふらすから、いつからか黄金をさがす山師だの山男の信仰を集め、むしろ遠方に信者があった。土地の人たちは殆ど相手にしなかったのである。オーカミイナリが自称する彼の祖神の話は村々の文書にも伝説にも一切現れず、他の神社に伝わる話に比べても概ね食い違っていたからだ。
 しかし村の古文書には現れないが、ここや秩父の神の系譜が一風変っているらしいのは事実であろう。今に残る地名などから考えても、相当な神の一族が土着したかも知れんということは考えられるから、オーカミイナリの自称する神話の多くはインチキでも、何かの根拠だけは有るかも知れんということを考えた人もあった。彼の祖神は大ヤマト大根大神だと云うが、この土地の由緒ある神社の一ツに長幡部ナガハタベ神社というのがあって、祭神は日子坐王子ヒコイマスミコの子の神大根王だという古伝が残っていた。人皇九代開化天皇の子に日子坐王子があり、神大根王はその子で、三野国造ミヌのくにのみやつこ長幡部連ナガハタベのむらじ等の祖であるということは古事記に現れている。まさにこの地の長幡部神社が神大根王を祀るという古伝は史料に合うが、オーカミイナリの大ヤマト大根大神が同一神だという証拠はどこにもない。
 里人はオーカミイナリを信用せず全然相手にしないから、その古文書など誰も問題にしないが、オーカミイナリにとってはこれが焼失しては天下の大事であったろう。神主が怒り狂ったのは当然であった。
 新十郎一行は当時の事情をよく知る村人に会ってその話をきいた。古老は語った。
「この郡に加治景村、蛭川真弓という二軒の大金持があったのですが、そのいずれも神の矢に呪われて亡びましたかな。本当に神のタタリなら怖しいことですな」
「すると神の矢に殺されたのは蛭川家の人々だけではないのですか」
「殺されたのは蛭川家の二人だけですが、加治という大金持が没落したのは、これも神の矢のタタリによるように村人に考えられておるのです。ちょうど御一新まもない頃のことだと思いますが、加治家の土蔵が破られて二十二個の箱づめの黄金が何者かに奪われたのです。そのとき、加治家の正門中央にオーカミイナリの朱の矢が突き刺されておりました。ひきつづいて悪い番頭が主家をだましたり、親類縁者に訴訟を起されて負けたり、そのために当主がヤケを起して諸事に手ちがいを来して、六七年のうちに大身代がみるみる没落という有様です。屋敷まで人手に渡ってよその土地へ持ち去られ、加治、蛭川の両富豪の屋敷跡はどちらもいくつかの土蔵がペンペン草の中に雨風にさらされて名残りを止めているだけですよ。加治景村と蛭川真弓は同じぐらいの年配ですが、加治景村はタタリの怖しさが身にしみてか、オーカミイナリの信者となり、オーカミイナリの山中にイオリを結んで木の芽草の根をかじって生きているそうです」
「土蔵破りの犯人はあがりましたか」
「それがあがっておりません。蛭川の番頭定助の場合同様、神の矢の犯人は捕われたことがないのです」
「そのほかに神の矢が事を起したことは有りませんか」
「私どもの知る限りでは加治蛭川両富豪の二件だけです。この二件はひきつづいて起ったもので、これは村の記録がありますから調べれば正しい日附が分りますが、たしか当時はこの郡が熊谷県と申すようになった直後、明治五年のことのように記憶いたしております。各村の社寺等の古文書を差しだすようにというお達しによりまして、庄屋の会合がありました折に、オーカミイナリのことまで考えたものはなかったのですが、蛭川さんがそれを言いだされまして、この機会に天狗の系図を見てやろうじゃないか。オレが直々借り出しに出かけるから、天狗が安心して古文書を差出すように官印のついた借用書を用意してくれというわけで、番頭の定助も従って行ったと思いますが、村役人の従者も二人ついて行ったのです。事面倒と思いのほか、全国的な古文書調査ときいて、天狗は大喜び、進んで多くの文書を貸し渡すような大乗気であったそうです。当人は先々代ぐらいの先祖が七八十年前にこしらえたニセ古文書とは知らずホンモノと思いこんでいるのですな。蛭川さんは自分の思いつきですから、読むのをタノシミにその古文書を自宅へ持ち帰った。蛭川さんの自宅は賀美村ですが、これは現在の児玉郡の東のはずれにあります。オーカミイナリは西はずれの秩父との郡界のところに在るのですから、郡内では一番遠い距離に当るのですが、それを物ともせずに出かけたのだから、大そうタノシミにしておられたのです。朝でて夕方にはもう目的を果して帰ってきたそうですが、蛭川さんの家では村の古老でそんなことの好きな連中が三四人集りまして、暗い灯に文書や図面を額に押しつけるほど近よせて、夜更けまでガヤガヤとたのしんだそうです。それがそもそものタタリの元であったようです。深夜まで客をもてなすための火を絶やすことができなかった。その火の不始末であったそうです。明方にちかく火事となって、大きな建物が夜の明けた時には灰となっていたのです。自宅の火事ともなれば、オーカミイナリの文書など考えていられませんから、そんなものの存在すらも忘れて荷を運びだしているうちに、むろんその古文書と称する物は灰となって地上の姿を失ったというテンマツなのです。これがモンチャクの発端です」
「その古文書は由緒ある物ではなかったのですか」
「田舎者のことですから学者というほどの者はおりませんが、しかしその晩古文書を改めた人たちは、蛭川さんを除けば、とにかく好事家で、長年の間、村内のそういう物を好んで探しだして読み漁ってきた人たちなのです。で、その人たちの見たところによると、一見してニセモノで、村名なども今の文字で書いてある。和名抄わみょうしょうにでてくる古い村名でなく今の名や文字で記されているというヌカリのあるニセモノだったそうです。ですから天狗の強談判がはじまると人々は、蛭川さんにいたく同情したものですよ。しかし、身からでた錆で、それがついにはかほど大事に至ろうとは思いもよらなかったことでしょう。ウカツにイタズラはするものではありませんな」
「まもなく番頭の定助が殺されたのですか」
「では記録を調べてお答え致しましょう」
 古老が記録を取り寄せてくれた。
 定助が殺されたのは火事のあと一月ほど経ってからのことだ。殺された場所がオーカミイナリの古文書に祖神のミササギと称している古墳の中であった。背から胸へ神の朱の矢で射ぬかれてことぎれていた。フシギな場所で死んでいたが、さらにフシギなことには、彼はクワを握り、古墳の中で穴を掘っている最中に後方から射殺されたのである。どういうワケでそんなところに穴を掘っていたか、誰にも見当がつかなかった。そしてその後、定助の掘りかけていた小さな穴の四周を人々が大がかりに掘ってみたが、何一ツ現れてこなかったのである。
「誰云うとなく村の噂が語り合ったものですが、加治さんの土蔵から神の矢の主が持ち去った黄金がオーカミイナリの祖神のミササギと称するものの中に隠されているんじゃないかと推量した定助が深夜掘りにでたものではないかというのです。しかし、確かなところはむろん誰にも分りません」
「その古墳は定助の家の近くですか」
「いえ、いえ、はるか遠く離れております。先程も申上げましたように、蛭川さんや定助の住む賀美村は郡の一方のはずれで、その反対のはずれに当るオーカミイナリとは郡内で最長の距離があるのですが、その古墳は両者からほぼ中間に当っていて、定助の住居からもオーカミイナリからも大よそ三里あまりあるのです」
「黄金を盗まれた加治家の位置はどのあたりですか」
「それが古墳に近いのです。十二三町はなれていますが、加治家は古墳よりもその十二三町だけ賀美村の方角によっております。つまりオーカミイナリが加治家から黄金二十二箱を盗みだしても、二十二箱を一度に山までは運べないから、途中のミササギと称する彼らの聖地へ一応埋め隠しておいた、という風に定助が考えたのではないか、と村の者は推量してみたのです」
「黄金の盗難はいつごろでしょうか」
「ここに記録がありますが、蛭川家の失火焼失に先立つこと約一ヶ月です。すると、蛭川家の火事をはさんで、一ヶ月前と後に二回神の矢が現れた。先の一度は黄金を盗み、後の一度は人を殺した、ということになるのです。神の矢が現れたのは、過去にはこの二度しかなかったのです。約十五年の後に、今度は東京に現れたのですな」
「蛭川家が東京へ引越したのは?」
「それは定助の死後約三ヶ月ほどの後でした。大富豪とうたわれた蛭川家も事業好きの先代の時に大きく失敗を重ねて、昔のように豪勢な羽ぶりができなくなっていたのです。五ツの土蔵に一パイつまっていたという珍宝の数々も概ね人手に渡って、残ったのは概ねガラクタらしく、おまけに焼いた古文書の代償として、家宝の太刀やその他数点の重要なものをオーカミイナリに奉納したということです。それでも昔からの大富豪のことですから、引越しの荷物は大そうな数でしたよ。置き残したガラクタはまだ五ツの倉にある筈です」
「殺された番頭定助の遺族はどうしておりますか?」
「数年前に未亡人も病死しまして、一人息子の伊之吉というのが残りましたが、母の死後いずれへか行方知れず立ち去りました」
 土地の古老もオーカミイナリについては多くのことを知らなかった。
 新十郎一行は賀美村を去り、加治家の跡をすぎ、定助の殺された古墳も一見して、夕刻に太駄の里についた。ここが山のふところの最後の里だ。ここから街道をすてて山中へわけこむと、オーカミイナリがあるのだ。ここの里人に訊いてみても、オーカミイナリのことはよく知られていなかった。
「この里の者でオーカミイナリの信者も一名だけでましたが、信者になると山へこもりますので、そッちへ住みついてしまいましたよ。諸国から信者が集ると申してもごく少数で、この里を通って山へわけこむそれらしい人の姿を見かけるのは年に四五十人とのことですよ。阿久原の方からの参詣人はここよりも多いという話です」
 これぐらいしか分らない。あとは天狗の本拠へ乗りこむ以外に手はなかった。
「いかなる魔人魔術が行く手に待ちかまえているか知れませんね。その折は、泉山さん、よろしく御願い致しますよ」
 と新十郎に笑みかけられると、虎之介は暗い顔で重々しくうなずいた。全然自信がなくなった様子であった。

          ★

 翌朝一行は里人に道案内をたのんで山の中へわけこんだ。曲りくねった山の小径を三時間ほども歩いて、ようやくオーカミイナリの本拠に辿りついた。山の山頂にちかいちょッとした平地で、そこに大神の子孫と称する神主の住宅をめぐって、十いくつかの掘立小屋がテンデンバラバラたっていた。ここに住みついた信者の住居だ。イナリのホコラはそこから更に五六町の山上にあった。
 神主の住居だけが家らしい建物であるが、それとても木と木の皮でつくられたもので、壁というものがない。
 彼らは神主に対面して、おどろいた。なるほど、まったく天狗の顔である。お面の天狗ほど長い鼻ではないけれども、剣客詩人シラノどころの鼻ではない。そして、これを典型的な金ツボまなこというのであろうが、二ツの円い噴火口のようなクボミが並んで、その奥に円い目玉がギラギラ光っている。顔の色はたしかに渋紙の色にちかかった。
 天狗は一行を迎えて、自分は大ヤマト大根大神の子孫、大加美太々比古であると名乗った。妻はあるが、子がないそうだ。彼はもう五十すぎていた。自分の代で大ヤマト大根大神の血は絶えるであろう。系図や古文書が失われたのは、その時が来たからである。彼はそう語ったが、悲痛というか、鬼気せまるような悲しさが彼の身内にブツブツたぎっているように見えた。
「私どもの住居する東京に当イナリの神の矢で射殺された者が現れましたが、お心当りがありますでしょうか」
 新十郎がこう訊くと、天狗はくぼんだ目で新十郎はじめ一同の顔を眺めまわした。なんとなく警戒している様子であった。
「むかし神の矢で殺された男があった。大神様のミササギの中で殺されていたな。十一月十五日の例祭にオレは山上の社殿の前から八方に向って三十本の神の矢を放す。その神の矢がどこへ飛び去っていつ何者を射殺すか、それは神霊のお心である。神の矢の行方はオレには分らないな」
 天狗は数の知れた信者とつきあうだけで世間知らずの筈だが、非常に世故にたけた悪者の目に見られるような狡猾な智恵が宿っているように思われた。
「十一月十五日のほかの日に神の矢を射ることはありませんか」
「射ることはできない。三十本の神の矢はちょうどまる一年かかって出来あがるような定まった工程がある。それよりも多くも少くも造ることができないから、神事に用いる三十本の神の矢以外に余分のものは残らないようになっている」
「一度神事に用いた弓の矢を拾って射ることはありませんか」
「古来山上の神殿前から射出した神の矢はその姿を失うものとされている。真夜中に射る。神の矢の飛び去る姿はオレにすらも見ることはできない」
「今日までに本年度の神の矢が何本造られておりますか」
「十一本できている。あと六日すぎて十二本になる」
 一同はできている神の矢を見せてもらった。神の矢は案外に無造作に土間の仕事場、つまり矢を造る工場らしい土間の一隅の木の箱の中にほうりこまれていた。
 まさしく蛭川真弓を殺した朱の矢と全く同じものである。ヤジリは六寸ほどの鋭く尖った刃物であった。ヤジリをつくるための古風な製鉄の器具がその仕事場の主要な道具であった。
「矢の根も一度に一本しか造らない。まとめて造れば便利だが、古来の定めによって、一本の矢をつくるたびに一本の矢の根をつくることになっている」
 矢の数を算えていた新十郎が訊いた。
「あなたは十一本の神の矢が造られていると仰有いましたね」
「そうだ」
「算えてごらんなさい。十本しか有りませんよ。記憶ちがいではありませんか」
「そんなことはない」
 天狗も自ら算えてみたが、たしかに十本しかないので、また要心深い顔をした。
「ここに居る一人が、いま隠したのではないか」
「よく改めてごらんなさい」
 彼は矢の箱に要心深くフタをしてから、一同を順に改めた。神の矢はどこからも現れなかった。新十郎は遠慮なく質問した。
「以前にもこんなことがあったタメシはありませんか」
「一度もない」
「矢の数は算えることがありますか」
「一年かかって三十本の神の矢ができるようになっている。多くも少くも造ることはできないのだ」
「現に一本足りないではありませんか」
 天狗は返答しなかった。要心深く一同の顔を見廻しているだけであった。
 一行は天狗に別れて山上のホコラへ行ってみた。ホコラの中は額や絵馬の代りに猿田の面でいっぱいだ。中へ納めきれないのが、外側にもたくさんぶら下ッていた。面は少しずつちがっていた。作者がちがうのだろう。自作の面を納める習慣だという。
 新十郎が先に立って一同は岩づたいに谷の方へ降って行った。
「ほら。そこにも、ここにもある、誰の目にも行方を知ることのできない筈の神の矢が」
「なるほど」
 花廼屋はなのやがうなった。すると新十郎は矢をとりあげて、
「落ちている矢は誰でも拾うことができるが、蛭川真弓を刺し殺した矢は、風雨にさらされた古物ではありませんでしたね。仕事場の箱の中から盗まれた一本ですよ。しかし、入口の戸も窓の戸もない土間に置かれた矢の箱から一本の矢を盗むのは、谷底へ降りて一本の矢を拾うよりもカンタンで面倒がないでしょう。誰でも盗むことができる」
 一同は谷から這いあがって、再び住宅の方へ戻ってきた。
「加治景村が居るそうですが、会ってみましょう」
 訊いてみると、彼の小屋は分った。すでに狂人かと思いのほか、案外にも物静かな落ちついた人物だった。さすがに今に残る品格があった。まだ五十前の筈だが、よほど年よりも老けて見えた。
「妻は子をつれて実家へ去りましたが、そのために私は世をすててここに住み、心の安静を得たようです。私の毎日は平穏で充ち足りています。昔の私にはなかったことです」
「なんによって生計を立てておられるのですか」
「お札やお守りを作っているのです。遠方から来る人が引き換えに食べ物を置いて行きます。よその小屋では金メッキのお守りや、金メッキのお面や福の神や金山の神や、いろいろ造っております」
 なるほどこの小屋には木版の手刷り道具や出来あがったお札やお守りがあった。
「このお札やお守りはここへ来た人でなければ手に入らぬものでしょうね」
「来た人から貰いうける場合のほかは手に入らぬでしょう」
「参詣人は太駄の山里では年に四五十人見かける程度だと申しましたが、その小数の参詣人であなた方の生計が立つのですか」
「峯から峯を伝ってくる人、そして、里の人には姿を見せない参詣人が多いのですよ。我々に多分に喜捨してくれるのは、むしろ概ねこの人々です。日中はあまり姿を見せません。暗くなるころ到着して、明け方には立ち去ってしまうのです」
「天狗のような神主さんはいつもここに居るでしょうか。時には旅にでるでしょうか」
「日中は仕事場で必ず神の矢を造っております。神の矢を造る期間は仕事場に姿のない日はありませんね」
「いまはずッと矢を造る期間ですか」
「左様です。年の暮から翌年の十月までは神の矢をつくる期間です。その期間の日中には必ず仕事場に姿を見ることができます」
「夜間は?」
「夜間は仕事を致しません。住居の方に居られます」
「ここに小屋を持った方々はどういう方々でしょうか。誰でも小屋が持てますか」
「それを欲すれば誰でも小屋をたてて住むことができるでしょうが、それを欲する人は、要するに日本中にこの小屋の数だけしか居らないというにすぎません。小屋の住人は全部といってよろしいほど近隣の里から山へあがってきた人です。そして参詣者は元来が山を住居としている人ですね。山へきても定着するのは、里の人の習慣ですよ。小屋の住人はたいがい児玉郡の百姓だった人たちです。私も神の矢にかかった一人ですが、他の一人、神の矢で殺された今居定助のせがれの伊之吉も数年前からここに小屋をたてて住んでおります」
 これまた意外の話であった。神の矢にタタられた人々はおのずからタタリの神のお膝元に集らずに居られない気持が起るのであろうか。
「伊之吉には毎日お会いになりますか」
 こう訊かれると、加治景村はニッコリ笑って、
「こういうところに住むような心を起す者どもですから、小屋の住人同士で世間なみに交際することは、まずないのです。仲間同士の仁義や礼儀はおのずから有りますが、交際は有り得ません。茶のみ話が好きな人や必要な人はこんなところに住みませんよ。食事の支度や不浄の用に立ったとき、たまにすれちがう住人同士で黙礼するぐらいのもので、私たち同士ではこんなにお喋りすることは殆どありませんよ。むしろ夜分に小屋の外から話しかける参詣の山人たちと話を交す方が私たちの用いる大部分の言葉と申してよろしいでしょう」
「神主さんは尊敬すべき人格の御方でしょうか」
「それは実に尊敬すべき御方です。己れの天職にあの方のように一途に没入できるものではありませんよ」
 悟りきった昔の富豪に別れを告げて、一同は伊之吉の小屋を訪れた。彼は二十七だそうだ。彼もまた素朴ながらも利巧そうな眼をもつ若者だった。彼も気軽に来客を迎えた。
「いつからここに住んだのですか」
「二十一の年から足かけ七年になりますよ」
「どういうわけでここへ住む気持を起したのですか。誰かが信仰に誘ったのですか」
「里の暮しがイヤになったからですよ。神の矢に殺された父の子は、里の人には何年すぎても珍しがられるばかりだからね。神の矢のお膝元では誰もオレを珍しがらないね。フシギな話だね」
「ここへくると珍しがられないということが、どうして思いついたのだろう。加治さんの先例をきいたからだろうか」
 新十郎がフシギそうにこう訊くと、彼もフシギそうな顔附をして、
「そう云えば、ここへくると珍しがられないということをどうして思いついたかフシギだねえ。だが、オレの立場になった人は誰だって里に住むのがイヤになるね」
「他国へ働きにでることを考えてみなかったかね」
「考えたことは大ありさ。だが、その前にちょッとここを見物したいと思って来てみたら、住みつくようになってしまっただけさ」
「なるほど。それなら、よく分るよ。ここへ見物に来た時は、ここの神主が父を殺したと考えていたのだろうね」
「それほどのことは考えていないよ。だが、小さい時から父を殺したという神様にはなんとなく興味があったね。一度は見物に行ってみたいと思っていたね」
「思いきって見物にでかけるとは何かワケがあったのかね」
「なアに。オフクロが死んだからさ。一人ぽっちになったから、自分の思うことが勝手にできるようになったせいだけだね」
「なるほど。一々よくうなずけるね。お父さんが亡くなったとき、お前さんはいくつだったね」
「十二ですよ。小さな子供ではないから、その時のことは覚えていますよ。生きているオヤジの見おさめは、その日の夕方さ。いったんお邸から戻ってきて、たまに野良仕事をするときの百姓姿に着替えて出かけましたよ。今晩は帰らないかも知れないと云って出ました。お邸へ泊ることは度々ですが、百姓姿でウチをでたのは始めてのことだそうです。オフクロがそう言ってましたね。しかし、クワは持って出なかった。ウチのクワはウチにまちがいなく残っていました。私のウチでなくなったものと云えば大きな背負いカゴぐらいのものですが、しかしその日の父は何一ツ持たずに出かけたし、カゴはそれ以前からなくなっていたのです」
 新十郎は伊之吉を見つめた。伊之吉も新十郎を見つめていた。
「まだ明るいうちにお父さんは出かけたのかね」
「まだ薄明るい夕方でしたね。私は虫の知らせか歩き去るオヤジの後姿をかなり遠方へ去るまでボンヤリ見ていたんですよ。ちょうど今ごろの季節でしたよ。オヤジは確かに手ブラで家をでたのですが、死んでいたときには、クワもあったし、ガンドウもあったそうですね。チョウチンもあったそうです。そのチョウチンは持主の名が書かれていないチョウチンでしたが、田舎じゃア持主の名のないチョウチンは珍しい。クワだって普通は持主の焼判があるものだが、どの一ツにも持主の名がなかったそうだね。大人になるうちに、そんなことをふと考えるようになりましたよ」
 伊之吉は侘びしそうな苦笑をもらしたが、
「ガンドウの灯もチョウチンの灯もローソクの燃えきらぬうちに消えていました。別にひッくり返っちゃいなかったそうだ。すると、死んだオヤジではない人が消したことになるらしいね。人の噂ではオヤジは黄金を掘りに行ったそうだが、ガンドウとチョウチンを二ツも用意しているくせに掘りだした物を運ぶための品物の用意がないのはウカツじゃありませんか。黄金の箱を小脇にかかえてクワのほかにガンドウとチョウチンをぶら下げて戻るつもりかねえ。このへんのことは考えると妙ですよ」
「それじゃアお前さんはお父さんが何をしていたと考えるかね」
「そいつは分りませんや」
 と彼は吐きすてるように云って苦笑した。その他のことはハッキリと答えたがらぬ風で、次第に口数が少くなるばかりであった。
 別れぎわに新十郎は伊之吉にきいた。
「お前さんのウチの畑は遠いのかね」
「いいえ。ウチの隣りにちょッぴりしかありません。だからフシギでさア」
 伊之吉の小屋をでて、一行は帰途についた。
「伊之吉の話は意味深長ですね。賀美村へ戻って定助の殺された時の様子をこまかく調べてみると何かが分るかも知れませんね」
 新十郎がこう云うと、花廼屋は、
「それも大ありだが、私は二ツの屍体が天狗の面をかぶされていたのが奇妙だと気がついたね。天狗の奴は大きなドテラにかみしもの肩をつけたようなダブダブの変った着物をきていたがあの着物をきて、猿田の面をつけて、総髪にすれば、天狗の女房が亭主に化けていても分りやしないね。うすぐらくって、小屋からちょッと距離のある仕事場だからね」
「なるほど。結構な着眼です」
 新十郎がこうほめると、花廼屋はニヤッと笑って、
「そこでさ。奴が旅にでる。夜道を歩くつもりでも、うっかり人前に顔をさらす時に、猿田の面をかぶっていたとすれば、どうだね。面の下に同じような顔があっても、猿田の面をかぶっているということなら、面の下の本性が大きにゴマカせるじゃないか」
「ナニ、狼のように山径を走るというから、一夜のうちに東京を往復して殺すこともできらア」
 と虎之介。花廼屋はカラカラ笑って、
「往復五十里の余もある夜道がそんなに早く突ッ走れるかよ」
 新十郎は花廼屋に声援した。
「あなたの探偵眼はどうやら田舎通人の域を脱しましたね。調べてみると、天狗の面をかぶった奴が大きに街道を歩いているのを見た人が居るかも知れませんよ」
 賀美村へ戻って記録を集めて調べてみると、定助の屍体のところにあった品々は伊之吉の言った通りの物であった。そして、そのほかの物がなかった。もっともノンキな昔のことだから、それらの品々の行方は分らなくなっていた。
 その日の夜になると新十郎が姿を消してしまった。いつまで待っても帰らない。ところが一同が目をさましてみると、新十郎はチャンと戻っていた。
 一同の顔が揃うと、新十郎はうしろに隠した両手の品々をそッととりだして一同に示した。右手には猿田の面が、左手には神の矢が握られていた。
「狼の足を持たない山の素人が夜の明けないうちにオーカミイナリを往復するのは大そうな重労働だ。全速でやったツモリですが、夜が明けてから二時間ちかくも姿をさらして歩かなければなりませんでした」
 新十郎は笑いながらつけ加えた。
「疲れついでに、もう一度オーカミイナリへ行ってみようじゃありませんか。何か変ったことが起きているかも知れません。私たちの並足では太駄一泊の二日がかりで到着するのが当り前の行程ですね。明日の午ごろオーカミイナリへ到着してみると、案外なことが分るかも知れません」
(ここで一服。犯人をお当て下さい)

          ★

 その晩は太駄で一泊。翌日の午ごろ予定通りオーカミイナリの住居地帯に到着した。
 新十郎がまず訪れたのは伊之吉の小屋であった。訪いを通じたけれども内部から返事がない。
 戸をあけてみた。内部には誰の姿もなかった。
 新十郎は伊之吉の姿が見えないことにはトンチャクせずに内部へはいって見返した。彼は一枚の紙片をとりあげた。それを読むと、新十郎の顔はれた。
「たぶん、こんなことが起っているだろうと期待していましたよ。よろしいですか。伊之吉の手紙を読み上げますよ。結城新十郎さま。あなたがすでに見破った通り、蛭川真弓を殺した犯人は私です。私がここに来た時は蛭川真弓が父を殺した犯人だとは知りませんでした。今から二年ほどになりますが、加治景村さんの小屋が風に倒れて私の小屋で一しょに一夜をあかした晩に、あの方の土蔵を破った犯人の残した品々をきいて、父を殺した犯人が分ったのです。加治さんの口からそれをお訊きになればお分りになるでしょう。私は計画をねり、三度も東京を往復して充分に成算を得た後に、彼が父を殺したように私が彼を殺しました。私は彼を殺したことが悪いこととは思いませんので、山人とともにここを去り、永久に山から山に移り住んで一生を終ります。たぶん私を捕えることは不可能でしょう。なぜなら、ある種の人間にとっては山は無限の隠れ家だからです。伊之吉より」
 新十郎は一同を見まわして、
「彼がどうしてこの置き手紙を残して行方をくらますに至ったと思いますか」
「あんたが神の矢と面を盗んだからさ」
 虎之介がいらだたしげに言った。新十郎は首をふって、
「とんでもない。私が神の矢と面を盗んだだけなら、盗んだことが誰にも分る筈がないではありませんか。あの自信たっぷりの妙な天狗は矢の数を改めてみる筈はないし、面の数はほとんど無数ですからね。彼が置き手紙を残して逃げた理由は、ほら、これですよ」
 彼は小屋をでて戸を閉じてから、その戸の一点をさした。そこに何かの傷跡があった。
「私が盗みだした神の矢は二本です。そして、一本は、私が力一パイ投げつけてこの戸に突き刺して戻ってきたのです。さて、それでは伊之吉君のお説によって、加治さんの話をきいてみようではありませんか」
 一同は加治の小屋を訪れた。新十郎が東京に起った神の矢殺人事件をのべて、伊之吉が残して去った手紙を見せると、老人は読み終って、なんとなく意外の顔だった。
「そうでしたなア。私の小屋が風で倒れた晩に彼の小屋に泊めてもらって語り合ったことはありましたよ。すっかり忘れていましたね。しかし私は別にあの男の父を殺した犯人の手がかりなぞを語ったとは思われないが、この手紙にあるように、土蔵破りの犯人が残して行った品であるとすれば、それは古ぼけた背負い籠ですよ。それはどこのウチにもありふれた品物で、犯人の遺留品だということは数月間気附きませんでした。土蔵の内部に捨てられていましたが、盗まれた金箱の位置から離れた片隅に放りだしてあったせいです。そして気附くのがおくれたから、この遺留品は村の人々にも知れ渡っていませんのです」
 新十郎は満足で充ち足りてうなずいた。
「それでハッキリ分りましたよ。彼が父殺しの犯人をさとったのは、伊之吉のウチの背負い籠がなくなっていたことを良く記憶していたせいですよ」
「では土蔵破りの犯人は伊之吉の父ではないでしょうか。蛭川真弓はそのカゴに無関係に思われますが」
「左様です。そのカゴにはたしかに無関係でした。たぶん犯人はそのカゴで何回か土蔵から出入して、盗んだ金箱を一時的にうめておく場所との間を往復したと思いますが、盗む金箱がなくなった後にも知らずにノコノコやってきて、カゴをすてて手ブラで帰るでしょうか。盗むべき金箱がまだ有ることを知らなければ土蔵へ戻りやしないでしょう。ところが一ツのカゴを置き忘れた以上は、それが不要であったことは確実ですが、金箱一ツでも小脇に抱えて持ち去るよりは背負いカゴに入れて逃げる方が楽でしょう。さすれば不要のカゴのほかにたぶん他のカゴがあって、一ツのカゴは不要であったと見るべきでしょう。そして一人の人間が二ツのカゴを背負うことはできません。一人が伊之吉の父と分れば他の一人が誰であるか、それは別の事から分ってくるのです」
 新十郎は聞き耳をたてる人々にたのしそうな視線をそそいだ。
「定助は殺された日に限って野良着に着かえて日の暮れ方に家を立ち出ましたが、自分の畑を通りこして、もっと先の方へ立ち去りました。しかも野良着の姿で歩いているのがまだよく見える時刻でした。さすれば彼がその足で古墳に向ったのではありますまい。どこかへ立ち寄りクワだのガンドーだのチョウチンを持って出た。ガンドーとチョウチンを一人が二ツ持つことも変ですね。しかも金箱を盗む時にカゴを持ってでた定助が、殺された日に家をでたときは手ブラでしたし、古墳の中に彼が残した品々にも何物かを運ぶための道具はありませんでした。さすれば彼はここから何かを運びだすためではなかったでしょう。彼の掘りかけていた穴はまだ小さかったが、後で人々が四周の土を全部掘り返してみても何も出なかったそうですから、そこには元来何もなかった。彼らが盗みだした金箱の一時的の隠し場所もそこではありますまい。そして一時的にどこかへ隠した金箱はとッくに蛭川家の土蔵の中へ運びこんでいたでしょう。ですから彼らが古墳の中に穴を掘っていたのは、そこからある物を掘りだすためではなくて、そこへある物を埋めるためであったでしょう。しかし何物も埋める物は置き残されていなかった。それは何かを埋めることが正しい目的ではなかったからです。しかし定助は穴を掘りかけていました。つまり、そこへ何かを埋めるということは、定助に穴を掘らせる手段であった。そこで定助を殺すために。しかし、定助が古墳の中で穴を掘るには定助がそれを納得するだけの理由がなければならない筈です。そこはオーカミイナリの子孫が自分の祖神のミササギであると称している聖地です。もしもそのミササギの穴の下から一ツでも盗まれた金箱が出たとすれば、それによって本当の犯人の一生は泰平無事を約束される結果になるかも知れません。たぶん定助はそう信じて穴を掘りつつあったのではありますまいか。盗みにでかける時の定助は野良着に着かえて出かけるような人目にたつことはしませんでしたが、その日に限って野良着などを着て出たのは、いつ誰が埋めたか分る筈のない金箱を埋めるのだから、その日という日附が後日に至って重大になるとは考えられなかったせいでしょう。彼は野良着で悠々と出て行きました。往復六里の野良道を歩くのには、夜とは云え、野良着の方が人の怪しみをうけないという考えもあってのことかも知れません。土蔵破りに相棒があったとすれば、彼を殺したのもその相棒にきまっています。なぜなら彼は穴を掘りつつある時に殺されたが、埋めるべき何物もそこに置き残されていなかった。彼の相棒ではない人物が彼を殺したのなら、埋める品物が何であるか知ることによって、彼の相棒の名が分るかも知れないし、相棒の存在が分らなくとも、彼の遺族が狙われたでしょう。たぶん彼の家にあるだろうと狙いをつけるにきまっている金箱のために。しかしそんなことよりも手ッ取り早く確実に犯人が誰であるかを物語っているのは、土蔵破りの場合と同じく神の矢が用いられたということで、そのように前もって神の矢や猿田の面の手筈をととのえ得るのは、その日定助がそこで穴を掘ることをあらかじめ知っていた人物でなければなりません。つまり彼の相棒以外に犯人を考えることは不可能なのです。オーカミイナリの祖神のミササギに金箱を埋めることは定助を納得させるに充分な理由があったでしょうが、そのミササギの中で定助を神の矢で殺すことは、相棒の口を永遠に封じると同時に土蔵破りの犯人をくらませる役にも立ち、定助殺しの犯人をもくらます役に立つものでした。蛭川真弓がオーカミイナリの古文書を借り受ける役目を率先して買ってでたのは、そこに一ツのチャンスを発見したからでしょう。たぶん自宅を焼いて古文書を焼失したのも予定の行動でしたろう。二十二もある金箱を手中に入れた以上は、家を焼いたり、オーカミイナリに呪われたりして、誰にも疑われない口実をつくって故郷を立ち去り広い東京に移り住むに越したことはない。こう筋書を考えた上のことでしたろう。なぜなら、彼は古文書などに全く趣味のない実利主義者でした。他に然るべき目的がなければオーカミイナリの古文書などに打ちこむとは思われない人物であったからです。賀美村からオーカミイナリへ古文書を借りに行くのに、彼は従者をつれて一日で往復しております。彼の健脚は相当のものでしたろう。私にとっては一夜に往復して神の矢と猿田の面を盗んでくるのは容易ではありませんが、それでもこの季節に夜明け後の二時間ほど超過しただけでなんとか往復できました。地理に通じた彼がそれを楽にやりとげることは決して不可能ではありますまい。蛭川真弓は実に狡智にたけた悪党でしたが、晩年は倅に押されて愚に返ったようですね。私は蛭川家のオーカミイナリにイナリの神名と並んで今居定助明神と書いた板が裏返しに張りつけられているのを見出したときに、定助を殺した犯人は蛭川だろうと直感しました。オーカミイナリのタタリを怖れてのことなら、オーカミイナリの神名のほかに余計な名を書きこむようなことは何より怖れつつしむ筈だと思われるからです。しかも定助を私製の明神に仕立ててオーカミイナリと並記しているのですからね。よほどの理由がなければなりません。彼女は定助を神の矢で殺したのが、その矢を使うオーカミイナリではなくて自分の良人であることを承知しており、オーカミイナリのタタリよりも定助のタタリの方を怖れていたに相違ないと思われます。あのイナリは実は定助イナリ明神と言うべきであるかも知れません」
 語り終って、新十郎は花廼屋に言った。
「あなたの推理は見事でした。もう一つ裏を返して、天狗の顔の神主以外の者が猿田の面をかぶって道中することも、そこに神の介在を考えさせ、探偵たちの考えが彼から遠ざかるという役に立つ手段であることを考える必要があったでしょう。しかし、とにかく、本格的な着想でしたよ」
 花廼屋は喜色満面、いつまでも無言でニヤニヤ笑っていたが、虎之介はむくれて、これも口をきかなかった。





底本:「坂口安吾全集 10」筑摩書房
   1998(平成10)年11月20日初版第1刷発行
底本の親本:「小説新潮 第六巻第七号」
   1952(昭和27)年5月1日発行
初出:「小説新潮 第六巻第七号」
   1952(昭和27)年5月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「(明治開化)安吾捕物」となっています。
※初出時の表題は「(明治開化)安吾捕物 その十七」です。
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2006年5月23日作成
2016年3月31日修正
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