落語・教祖列伝

神伝魚心流開祖

坂口安吾




 カメは貧乏大工の一人息子であったが、やたらに寸法をまちがえるので、末の見込みがなかった。頭が足りなかったのである。そのくせ、大飯をくう。両親は末怖しくなって、人夫をさがしていた山の木コリにあずけた。木コリが試験してみると、鋸だけはうまくひく。器用なことはできない代りに、根気がよくて、バカ力があるので、木コリには向いている。しかし、まだ十の子供のことだから、
「山へ行くと、友だちはいないぞ。人間の顔も見ることができないぞ。ムジナや蛇が親類だ。それでも我慢できるか」
「腹いっぱい食わせてくれれば、どこにでも、いられる」
 それがカメの返事であった。試験に合格して、山にこもった。
 山の木をきりだして、いかだにくんで、両親のすむ城下町まで運んでくる。子供だから、木コリの仕事は一人前にはできないが、筏はたちまち一人前以上にやれるようになった。
 しかし、筏を町へつけると、両親の顔も見ないで、山へ走って帰った。山には好物の食べ物が彼を待っている。彼はほしいものをタラフク食うことができる。町で人間どもの面相など見ていたって、腹のタシにならない。
 山にいると、米の飯はめったに食えない。しかし城下の町人どもは、米の飯を食わないことには馴れている。貧乏大工のせがれの彼は、米の飯を食わないことには馴れていた。タラフク食えばタクサンだ。
 山にいると、食うものは算えきれない。キノコ、山の芋、ワラビ、ゼンマイ、木の実等々。しかし、彼は動物性食物をより多く好む。蛇は特に好物の一つである。蝉、トンボ、ゲンゴロウ(水虫)なども不時のオヤツとして、いける。赤蛙が、また、うまい。ムジナ、ネズミ、モモンガー、町の生活では味えない美食である。風味が変って、特によろしいのが渓流の魚で、岩石をもちあげて、カニや小魚をつかみとり、滝ツボや深い淵へもぐって岩蔭の銀の魚をつかみとる。
 それから、十数年すぎた。
 カメの父の大工が死んで、中風の母がのこった。町内の者は中風の母の世話が面倒なので、山からカメをつれてきた。
 カメはただは降りなかった。町には食物がないからという彼の偏見は頑強であった。使いの者は一晩山の小屋に泊ったあげく、山の幸のモテナシに降参して、逃げて帰った。
 そこで多茂平という町内の世話役の旦那が自身出馬して説得におもむいた。
「のう。カメ。お前、こんなもの、食うか」
 多茂平は谷底の岩へ腰を下して、おもむろに包みをといて、子供の頭ほどあるお握りをとりだして、あたえた。カメはアリアリおどろいて、叫んだ。
「これは、米のムスビだぞ!」
「そうだ。米のムスビだ。ほしかったら、くえ。いくつでもある」
「よし。いくつでも、あるな」
「食えるだけ、やる」
 カメはムスビにがぶりついた。多茂平は自分用のムスビをとりだして、たべた。カメはそれをのぞきこんで、自分のものと見くらべながら、
「それは変なものがはいっているな? それは、なんだ? ウヌだけ変なものを食っているな」
「どれ? お前のは何がはいっとる?」
「オレのは、梅干だ」
「そうか。オレのはミソ漬だ。ミソ漬のムスビがよければ、それをやるぞ」
 カメはいそいで梅干のムスビをくい終ると、ミソ漬のムスビをくった。そして、心底から嘆声をもらした。
「ミソ漬のムスビは、うまいなア!」
 カメの離山の決心は、これでどうやら、ついたらしい。しかし、カメは、もう一つ、条件をだした。
「オレにヨメくれるか。ヨメくれると、町に住んでやってもいいと思うな」
 なるほどカメも二十五六にはなっているはずだ。生れついてのバカでも、ヨメは欲しかろう。多茂平は粋な男だから、カメの飽くこともない大食にくらべれば、この方には親身な同情がもてる。
「お前はよいとこへ気がついた。ヨメはいいものだ。お前の着物もぬってくれるし、お前が木挽こびきの仕事につかれて帰ってくると、ちゃんとゴハンの支度ができていて、つかれた肩をもんでくれるなア。ヨメは山の人には来てくれないから、お前はどうしても町に住まねばいかんわい」
 約束をむすんで、山を降りた。バカにマチガイをさせないのには、ヨメをもたせるに限るから、多茂平も熱心にさがして、ちょうど運よく、ほかの男はヨメにもらってくれそうもない売れ残りの下女がいたから、お前カメのヨメになるか、ときくと、大そうよろこんで二ツ返事であった。
 カメはヨメをもらって満足し、木挽や、人足の仕事にでて賃銀をかせぐが、カメが大ぐらいのところへ、ヨメも大ぐらい、中風病人が大ぐらいである。中風はよく食うという話であるが、キリもなく食いたがる。カメは怒って、
「この女は化け物だ。毎日ねていて、こんなに食うのは、大蛇の化けた奴だろう。あれぐらい大食いはないということだ。もう、なんにも食わすな」
 病人は立腹して、
「実の母をとらえて、大蛇の化け物などと云うと、バチが当るぞ」
「大蛇の化け物がずるいもんだということは、オレがきいて知っているから、だまされないぞ。しかし、大蛇の化け物が中風で動けないのは、よかったわい。そうでないと、ねているヒマにペロッとのまれるとこだった」
 それから食物をなめるぐらいしか与えないので、病人はまもなく死んでしまった。
 一人へってもカメの空腹はみたされない。食物の不平マンマンであるが、女房に頭が上らないから、
「このコクツブシめ! 腹いっぱい食べたかったら、もっとゼニもらってこい」
 こう怒鳴られると、いばるわけにいかない。
「もっとゼニくれる人って、誰だ?」
「バカヤロー。お前がもっと働けば、誰でもゼニをよけいくれるわ」
「もっと働けというのはムリだ」
「どこがムリだ」
「ムニャ/\」
「ナニ?」
「腹がすいてるから、働かれない」
「このウスノロのコクツブシめ!」
 女房は怒って、ありあわせの棒をつかんでカメの脳天をぶんなぐった。ゲッ! カメは尻もちをついたが、一撃ぐらいで女房の怒りはおさまらない。
「たすけてくれ」
「たすけてくれ、だと? ヒョウロクダマめが。ウヌが腹がへると思ったら、腹いっぱい食えるだけ、ウヌがゼニもらって帰ってこい。ウヌのおかげで、オラの腹までへッているぞ。これが、たすけてやられるか!」
 女房は再び棒をふりあげて、前よりも気勢するどく振りおろした。こはかなわじ、とカメは外へにげた。怒りくるった女房は、カメが外へにげると、益々気勢があがって、追いつめては、なぐりつけ、追いせまっては、突き倒す。井戸端へ追いつめられたカメは、井戸を見るなり手をかけると、中へドブンととびこんでしまった。
「井戸が見つかって、よかったナ。これで、助かった」
 と、カメは井戸の底でよろこんだ。彼は生れつき水の冷めたさというものを、あんまり感じない。奥山の谷川というものは、一分間と足を入れていられないぐらい冷めたいものだが、カメは淵の底へもぐりこんで魚をとることがなんでもない。
 それやこれやで、カメは食慾の一念から自然水にたわむれることが好きになり、水練の技術を独学によって体得したのである。何より必要なのは、長息法。もともとカメは常人の倍の余も息が長かったが、長い上にも、長くもぐっていることができると、収穫はぐんと大きく確実になる。息の切れそうな状態では、つかめる魚もつかみそこなってしもう。
 胸へ吸いこむ息はタカが知れているが、カメは腹へのむ。堅くギッシリと腹へつめる。この息は重い。それをシッカとたたみこんでおいて、その又上に胸いっぱい吸って水中へくぐる。胸の息は軽くて、すぐ切れるが、腹の息は長くジットリしている。この息でゆっくり魚を追うと、魚もこの落ちついた追跡の手ぶりを見て、もうダメだと感じる。魚は大へん感じやすいのである。観念すると、ゲッソリ気力が衰えて、やすやすつかまえられてしもう。
 次に必要なのは、水中の深い底を長くさまよっているための沈身法。人間の生きた身体には浮力がそなわっているから、水底へ沈むためには速力でハズミをつけて、スイスイと水をかき水を蹴っていなければ、水底にいることはできないものだ。何物にも掴まらずに、停止していたり、水の底をユックリ歩くということはできない。
 そこでカメは研究した。常人は人間の常識的な限界に見切りをつけるからダメであるが、カメは必要の一念によって、何物にも絶望しないから、隠された真理を見出すのである。これを奥儀とよんでもよい。
 胸の息をぬくことによって、人間の身体は自然に水底へ沈むことをカメは発見した。しかもカメはうまいことを、すぐ、さとった。胸の息をぬいて自然に水底へ沈み落ちる時には、先ず足の方から下へ落ちて行くものだ。人間の足が頭よりも重いわけはないのだが、胸に空気があるために、足の方に重みがかかって、足の方から沈む。胸の空気がなくなるにつれて、だんだん水平に沈むことになる。
 つまり、胸の空気の加減によって、人間は水底へ沈んで直立することもできるのである。直立することができれば、歩くこともできる。
 沈身法の奥儀は、まず第一に、胸の軽い息をぬいて、水中へ沈む。第二、軽い息の出し加減によって直立する。第三は、そこで腹の底へギッシリたたんでおいた重い息をジリジリとなめながら、静かに水中をさまよって、水底ならば安心と心得ている魚をつかまえる。魚は水底を安住の地と心得、敵が襲ってきても、それは彼の本能に馴れた方法で襲うもので、それに応じて逃げる術が本能的に具っている。本能に馴れない方法で襲う敵は、ムヤミに急襲するものであり、それに対しては彼も向うみずに逃げる本能の用意がある。カメの沈身法は魚の本能の逆手をとって、不動金しばりにするもので、これが奥儀中の奥儀である。水底を静かに歩く。そして水底の魚に魂魄をもって話しかける。お前、どうだ、オレのところへこいよ。オレの指の中へはいれ。こう言うと、魚は指を見て、合点して、指の股へ身をすくめてはいってきてジッとしている。こうして両手の指の股へ合せて六匹ぐらいまでは魚をはさんで帰ってくることができる。
 カメはすべてこれらの奥儀を独学によって自得したのである。彼は水面を泳ぐことはできない。彼は泳ぐ必要を認めないからだ。魚は泳がない。魚は水をくぐるのである。人間は水面を泳ぐから、魚をとらえることができない。
 カメは水面へ姿を見せないけれども、一里の河を誰にも姿を見られずに横断することができる。フトコロに葉ッパが一枚あればタクサンだ。水中をくぐり、息がきれると、静かに直立して水面ちかく浮きあがり、鼻の孔だけ外へだす。これを葉ッパでチョイと隠す。直立したカメの身体は水流と共に流れているから、人々の目には一枚の葉ッパが浮いて流れているとしか見えない。これを葉隠れという。カメは水中に魚をとる姿を人に見られるのがキライだから、自然に体得した隠身法であった。
 これらの秘術をカメが体得していることは、町の人々は知らなかった。
 カメが井戸へとびこんで、それッきり物音ひとつきこえないから、ワッと泣きだしたのは女房で、髪をふりみだして多茂平のところへ駈けこんで、
「旦那さま。オラがあんまりジャケンなことをしたから、カメが井戸へとびこんで死にました。カメが死んでは、生きているハリアイもないから、オラも後を追ってとびこんで死にます。お騒がせしてすみませんが、チョックラ挨拶にあがりました。どうぞ線香の一本もあげて下さい」
 と言い残して駈け去ろうとするから、
「オイ。待て、待て。井戸といえば、町内には共同井戸が一つあるだけじゃないか。そんなところへ飛びこまれてたまるもんか。オーイ。町内の皆さん方。出てきてくれ。大変なことになりやがった」
 そこで町内の連中が井戸のまわりへ集った。
「え? なに? ひもじかったらゼニもうけてこい。エ、オイ。お前がそう言われたんじゃないんだろう。なにが、ハイ、そうですだ。このアマめ。とんでもない野郎だ。このコクツブシとは何のことだ。亭主をつかまえて、おまけに亭主の脳天を棒でぶんなぐりゃ、カメが死にたくなるのは当り前だ。お前は亭主殺しだぞ。火アブリにしてやるから、そう思え」
 町内の連中が、いきりたって、責めたてる。ムリもないことである。
 井戸の底へ、これがきこえるから、カメは気が気じゃない。自分の大事の女房だ。火アブリにされてはたまらない。たまりかねて、
「オーイ。オレ、生きてるよ」
「アレ。なんか、きこえるぜ。アッ! カメが生きてるよ」
 ワアッと一同は大よろこび。多茂平は井戸をのぞきこんで、
「オーイ。カメ。しッかりしろ。傷は浅いぞ。いま、綱を下して助けてやるからな。お前、綱につかまって、一人で、あがれるか」
「あがってやるが、女房を火アブリにしないか」
「あんなことを言ってやがる。あまい野郎だ。よしよし。お前が一人であがってくれば、女房を火アブリにもしないし、おいしい物をタント食べさせてやるぞ。元気をだして、辛抱してあがってこい」
「ありがたいな。そんなら、ミソ漬けのムスビを五ツだせ。それをださないと、いつまでも、あがってやらないぞ」
「五ツでも十でも食えるだけだしてやる。早くあがってこい」
「ヨシキタ!」
 と、カメは綱につかまって、とびあがってきた。一同も愁眉をひらいて、
「やア、よく生きていてくれた。バカの身体は不死身だというが、よくしたもんだなア。カスリ傷ひとつないじゃないか。これに越したことはない。めでたい。めでたい」
 と、皆々よろこんで、ミソ漬をいれた大きなムスビを五ツこしらえてくれた。

          ★

 カメの女房はひどくあぶらをしぼられて、亭主というものは一家の大黒柱である。お前も亭主のオカゲで生きていけるんじゃないか。コクツブシとは、お前のことだ。このフウテンアマメが、と多茂平はじめ町内の旦那方に口々に叱りつけられて、この一夜のケリがついた。
 家へ帰って二人きりになると、ほんとにアンタすまなかった、怪我はないかえ、さぞ冷めたかったろう、などと、たいへんグアイがいい。いいアンバイだと思ってカメはよろこんだが、翌日になって、腹いっぱい食わせてくれるわけでもない。
「オカカ。オレ、このウチの大黒柱だな」
 オカカというのは女房という意味の方言だ。しかし歴とした旦那の家では用いない。裏長屋の言葉である。これに対して、亭主をオトトと云うが、軽蔑しきって云う時には、トッツァという。しかし、トッツァマとマの字がつくと尊敬の意がふくまれる。
 カメのオカカはむくれて、
「なんだと。この腐れトッツァ。なにが大黒柱だ。大黒柱というもんは、大きな屋根を支えているもんだぞ。お前、なに、支えてる? たった一人のオラに腹三分マンマ食わせることもできないじゃないか。このカボチャトッツァめが」
 こう言って怒られると、どうすることもできない。町内の奴めら、いらぬ世話をやいて、亭主は一家の大黒柱だなどとおだてるから、かえってオカカに怒鳴られるばかりだ。全然、腹のタシにならない。大黒柱とは、なんだ。嘘ばッかり、こきやがる。――嘘をつくということを、カメの城下では、嘘をこくというのである。嘘ツキを嘘コキという。
 町内の奴らは、みんな嘘コキだ。余計な言葉を教えるから、又オカカを怒らせてしまった。鋸をひいていても、空腹がしみわたるばかり、かえって、あの日以来、空腹が身にしみて仕様がない。
 数日たつうちに、カメはとうとう我慢ができなくなって、
「そうだ。井戸へとびこむと、ミソ漬のムスビ五ツくれるぞ。あのムスビは、うまいな。オレが悪いわけじゃない。あの嘘コキども、オレのことを大黒柱だなどと余計なことを教えるから、オカカが怒って、オレのマンマの分量をへらしたのだ。よし。井戸へとびこんで、ミソ漬けのムスビ五ツまきあげてやれ」
 共同井戸だから、宵のうちは井戸端がにぎわっている。カメは洗濯のオカカ連をかきわけて、いきなり井戸へドブンととびこんだ。
「カメが身投げしたぞ」
「カメが、又、死んだぞ」
 そう何べんも死ねない。一人でもうるさいオカカどもが、つれだって口々に叫ぶから、たまらない。オトト連は耳をおさえて、とびだしてきて、
「なんだ。なんだ」
「なに? 又カメの奴が身投げしたと? さア、大変だ。オレが月番だから、名主のハゲアタマと一しょに御奉行様に叱りつけられる。だから、あの野郎を山からつれてくるのは考えもんだとオレが言ったことだ」
「今さら、そんなことを云っても、仕方がない。これでこの井戸が使えないのが、大変だ。死に場所はいくらもあるのに、ひどい野郎だ」
 ワイワイ云っていると、井戸の底から、
「オーイ」
「アレ?」
「オーイ」
「アレ。カメが生きてやがる。オーイ。お前、生きてるか」
「生きてるぞ」
「ウーン。運のいい野郎だなア。この深い井戸へとびこんで、二度も生きてやがる。バカの身体というものは特別なものだ。しかし、これで井戸がえをせずに、助かった。ヤーイ、怪我はないか」
「怪我はないぞ」
「いばってやがら。なぜ、とびこんだ?」
「あがってやるから、ツルベをおろせ」
「身投げしておいてツルベをサイソクしてやがる。お前、一人であがれるか」
「ミソ漬けのムスビ五ツだせば、あがってやるぞ。五ツだすか」
「ハハア」
 ようやく一同は気がついた。さては奴め、前回に味をしめてムスビをサイソクに井戸へとびこみおったか。バカの一念というものは思いきったものだ。しかし、憎い野郎だ。いッそ一晩井戸の底へとじこめて、こらしめてやりたいが、カメのオカカは不精な奴で、ろくにカメの下帯のセンタクもしてやらないから、色が変っている。一晩つけて、それが自然に色が白くなったのでは、町内のものはカメのフンドシの垢をのむことになってしもう。井戸へ漬けておくわけにもいかない。
「お前の願いは、なんでも、きいてやる。ミソ漬けのムスビをウンと食わせてやるから、早くあがってこい」
「そうか。ありがたいな」
 大よろこび、スルスルとあがってくる。待ちかまえていた町内の連中が、襟首をつかんで、ひッとらえて、いきなりポカポカなぐりつける。
「この野郎、ふてえ野郎だ。だれがキサマにミソ漬けのムスビをくわせるもんか。これでも、くらえ」
 よってたかって、こづきまわす、ぶんなぐる。カメはおどろき、泡をくらって、隙をみると、人々の手をスルリとぬけて、再び井戸の中へドブゥンととびこんでしまった。
 町内の連中の魂胆を見とどけたから、もう、どんなにうまいことを言っても、カメはあがってこない。
「この嘘コキ! ダメだ!」
 カメは井戸の底にむくれて、大いに腹を立てている。なアに、窮屈な思をして、家の中に住むことはない。井戸の中の方が、どれぐらい静かで邪魔がなくて、暮しいいか分らない。カメは困るどころか、処を得て、安心している。地上の連中はそんなこととは知らないから、こうなると、カメのフンドシの垢をのむぐらいで渋い顔をしていられない。カメが井戸の中で死にでもしたら、町内一同獄門にかけられてしもう。大変なことになったと、ウロウロしているうちに、一夜があけてしまった。
 もはや呼んでも返事がないから、一同も顔色を変えて、井戸の底へ紐につけたローソクを下してみたが、カメの姿が見えない。さア、大変だ。みんなガタガタふるえだした。昭和の我々が空襲だ原子バクダンだと云っても生きる希望はあるが、カメが死んだとなると一同の獄門はハッキリしている。死から逃げ道がないのであるから、言い合したように歯の根が合わなくなって、みんなの足がコチコチ、コチコチと井戸端のタタキを自然にこまかくふんで合唱をおこす。ローソクの紐を持っている男は、手の自由を失って、上げることも下げることもできず、ただ、ふるえが止まらない。ローソクがプラン/\ゆれて、水面へ突きだしているカメの鼻をやいたから、カメは水中でとびあがった。
「ワアッ。人殺し!」
「ワッ。カメの幽霊が出た」
「待て。待て。そうじゃないぞ。幽霊が人殺しなんて叫ぶのはきいたことがない。まだカメは生きているらしいぞ。オーイ。カメや。生きているか。たのむから、返事をしてくれ」
「この嘘コキども。オレは井戸から上ってやらないぞ。ツルベの水をくませてやらないから、そう思え」
「ワア、生きている」
 にわかに安心して、ヘタヘタと腰をぬかしたのが、十五人も二十人もいる。
 多茂平も生色をとりもどして、
「カメ。たのむ。もう、嘘はこかんから、あがってくれ」
「ダメだ」
「そんなら、井戸の底へザルに入れてミソ漬けのムスビを降してやるから、それを食って、嘘をこかんところを見とどけてから、上ってこい。どうだ。承知してくれるか」
 カメは腹がペコペコだから、待っていました、文句はない。
「よし。それなら、上ってやる。五ツでは、今度は、ダメだぞ。今度は二度目だから、十よこせ。見せただけではダメだぞ。食ってから、上ってやる」
 さっそくミソ漬けのムスビをしこたまこしらえてザルに入れて綱をつけて降してやる。カメはこれを一つ余さず平らげて、とうとう望みを達したから、この上の慾はない。
「ようし。分った。ただ、とびこんだだけではダメだ。一晩井戸の中にいると、ムスビをくれるな。シメ、シメ。これで野郎どもの考えが分った」
 カメは安心してスルスルあがってきた。
「この野郎」
 よってたかって、ふんづかまえる。ぶんなぐる。
「アッ」
 カメはおどろいて井戸へとびこもうと思ったが、ちゃんと手筈がついている。二手に別れて、一手は素早く井戸のフタを閉じてしまった。
 こうなっては、仕方がない。オカにいると、何をされるか分らない。井戸がなければ、川の中へ逃げこむ以外に手がないから、カメは人々の手の下をくぐって、一目散に逃げる。
「野郎まて! 今度こそはカンベンしないぞ」
 井戸のフタをとじておけば、大丈夫。ウンとこらして、ウップンを晴らさなければ、胸のうちがおさまらない。そろってカメの後を追っかけた。
 カメは必死であるから、その早いこと。ムジナやウサギを追いまくった執念のこもった脚であるから、オカを走っても早い。町をぬけ、タンボを突ッ走ッて、阿賀ノ川の堤へでると、もう安心、ドブゥンととびこんでしまった。
「野郎め、水に心得があるな。身投げじゃないぞ。だまされるな」
 井戸とちがって、川には舟というものがある。もうカンベンはできない。ここで奴めを見逃して引きあげると、つけあがらせてしまうから、是が非でもフンづかまえて、ギュウという目に合わしてやらなければならない。
 町内の一同は十何艘という舟をつらねて、こぎだした。
 阿賀ノ川は猪苗代湖に水源を発して日本海へそそぐ川である。太平洋側の河川は、越すに越されぬ大井川などと大きなことを言うが、大水がでた時のほかは至って水がすくない。ひろい河原をチョロ/\と小川が流れているだけのことだ。たいがいの川がそうである。
 ところが日本海へそそぐ川は、河口から相当さかのぼっても、一般に水量が多い。阿賀ノ川はそれほどの大河ではないが、常に水は満々としている。
 カメのとびこんだところは、流れの幅がタップリ二百メートルはあって、その全部がほとんど背が立たない。この二三里下流へさがると、日本でたった一ヵ所のツツガ虫の生息地で、この区域の川へはいると命が危い。もっとも当時は、人々がそんなことを考えていたか、どうかは分らない。
 人々は十数艘の舟をつらねて漕ぎだしたが、カメの姿はどこにも見えない。
「奴め。苦しまぎれに本当に身投げしたのかな。そうすると、大変だが、イヤ、イヤ。一晩中井戸の中にいて平気な野郎だ。バカの智恵というものもバカにはならないぞ。ひょッとすると、沖へ逃げたとみせて、岸の浅瀬に身をひそめて鼻で息をしているかも知れないぞ」
 手わけして探しまわっているうち、ふと対岸をみると、カメがオカへあがって一休みしている。
「この野郎」
 対岸へ漕ぎよせたのを見すまして、カメは又ドブゥン。気がつくと、反対側のオカへあがって休息している。一同は舟で行ったり、戻ったり、それだけでヘトヘトだ。
「野郎め。姿を一度も見せないで、どうして河を渡りやがるのだろう。よッく水の上を見張ってろ。息を吸いに顔をださない筈はないから」
 要所々々に舟をかまえて、目を皿にして見張っている。カメは土手の畑から芋の葉をとってフトコロに入れて水中にもぐっている。カメが水錬の奥儀に達していても、顔の造作は生れながらのもので、河馬のように目と鼻の孔だけ水面へでてあとは一切水中に没して見えないという都合の良い出来ではない。いかほどの名人がやっても、鼻と一しょにオデコかアゴか、どっちかでる。カメは出ッ歯であるから、鼻と一しょに出ッ歯がでる。鼻の孔よりも出ッ歯の方が上にでるから、口でチュウ/\息をした方がよい。
 そこでカメは浮きあがると芋の葉をチョイと水平にかざして、葉ッパの裏へ口を吸いつけて、チュウ/\息を吸う。
「オイ。見ろ、見ろ。芋の葉ッパが沈んだぞ。どうも怪しいと思っていたわい。芋の葉ッパに限って、時々、方々に流れているのが変だな、と思っていたのだ。カメの奴、時々浮きあがって、芋の葉ッパの下に顔を隠して息を吸っていやがるに相違ない。芋の葉ッパを見つけたら、その下を櫂でかきまわせ」
 とうとう見破った。けれども葉ッパを見つけて漕ぎ寄せるうちには、もう沈んでいる。今度現れる時は、大変遠い思いもよらないところである。わざとその近くまで漕ぎ寄せてくるのを待って、フッと沈んで遠いところへ逃げてしもう。どうしても、つかまらない。
 そのとき土手の上で、この一部始終を見物していた数名の武士があった。家老柳田源左衛門その他の者。遠乗の途中であった。
「コレコレ。その方どもが追いまわしているのは河童であるか」
「いえ。カメの野郎でござんす」
「ハハア。カメが芋の葉の下に隠れて息を使うか」
「いえ。カメという人間でござんす」
「まったくの人間か」
「へえ。もう、親の代からの人間でござんす。オカにいるときはバカでござんすが、水へくぐると河童のような野郎で、手に負えません」
 ここの殿様は大変武芸熱心であった。諸国から武芸達者な浪人をさがして召し抱えるのが道楽である。しかし、パッとせぬ小藩だから、天下名題の名人上手は来てくれない。自慢の種になるような手錬の者がいないから、殿様は怏々おうおうとしてたのしまない。
 源左は不思議な術者を発見したから、これを殿に差し上げたら面目をほどこすだろう、と大そうよろこんだ。
「コレ、者ども、控えろ。カメをこれへ連れてまいれ」
「へい」
 鶴の一声。御家老様の命であるから、舟の者はオカへあがって控えたが、カメをつれてまいれたって、これだけ追いまわしてつかまらないのに、ムリなことを云う人だ。
「アッ。そうだ。オイ。一ッ走り、ミソ漬のムスビをこしらえて、持ってこい」
 こういうわけで、カメは家老にしたがって、殿様の前へつれて行かれた。

          ★

 家来に武芸者は多いが、水泳の指南番は観海流の扇谷十兵衛という初老の達人が一人であった。とは云え、こんな小藩で水錬の指南番を召抱えているのは珍しい。
 殿様は源左から話をきいて、大そうよろこんだ。
「扇谷十兵衛をよべ。阿賀ノ川へ遠乗いたすから用意いたせ」
 気の早い殿様である。
 源左、十兵衛、カメ、その他数名の者をひきつれて、さっそく川岸へ到着した。
 殿様は十兵衛に命じて、
「カメの手錬をためしてみよ」
「ハッ」
 そこで十兵衛はカメをよんで、
「殿の御前に技を披露いたすのは末代までの名誉であるから、心して、充分にやるがよい。向う岸まで泳いで戻って参れ」
「行って戻ってくるのかね」
「そうだ」
「一息はダメだ」
「どうしてダメだ」
「あんた、一息で行って戻ってくるかね」
「一息で行って戻ってこいとは言わんぞ。なんべん息をしてもいい」
「そう何べんもできないもんだ。一々面倒だからね。向うの岸へついて、いっぺん息を吸う」
「勝手にやれ」
「コレコレ。衣服をぬがんのか」
「そういうわけには、いかんもんだて」
「どうして、いかん」
「はずかしいからね」
「なにが、はずかしい」
「フンドシを忘れてきた」
「水褌をかしてやるからハダカになれ。衣服のままでは手が思うようにならんぞ」
「手はいらないもんだ」
「特別の芸をせんでもよい。手も足も用いて、存分にやれ」
「そういうわけにはいかないもんだて。あんた、歩くときハダカにならないだろう」
「歩くのは、衣服のままで不自由はない」
「それみろ」
「なんだ」
「オレは歩くのだからね。手をバタバタやると、魚がにげてしもう」
「水の上を歩けるか」
「水の下を歩くんだ」
 カメはへそに手を当てる。キッと腹を押してみる。それから、よく、もむ。平息。腹をよくととのえる。充分に腹をととのえておいて、いよいよ長く息をすいこんで、腹の底から積み重ねていく。息と息の間に隙間がないように、一息ごとに、積み重ねてはギッシリとよくととのえる。腹が終って胃へくる。ここの積み方が特にむずかしい。一手、気を散じると、軽い空気になってしもう。一息ごとに存分に押しつけて重く堅く積み重ねていかなければならない。重い空気をつむのが長息法の極意で、長い修業を重ねないと、思うように積むことはできない。
 カメは充分に重い空気をつめこんだから、今度は一息、胸へつめる軽い空気をグゥーッと吸う。
 そして水の中へ歩きだす。歩きながら胸の軽い空気をだして行く。ちょうど鼻までかかったときに軽い空気をだしてしもう。すると、もう、浮くことがないのである。
 鼻が隠れる。目が隠れる。額まで隠れる。とうとう、スッポリ、水中に没してしまった。カメは少しずつ重い息をだして舌でなめて呑みこんで肺へ送って、又なめて外へ出す。そして、あくまで静かに、歩く。この静かさも極意で、絶対速度というものがあるのであるが、これを発見するまでには、長い試みの時間が必要なのである。言葉で教えたり教わったりして知ることは、ちょッと不可能である。
 急いで歩くと、かえって重い息を浪費してしもうし、魚もにげてしもう。初心のうちは、爪先で歩きがちだが、こういう時は絶対速度を会得するには遠いのである。かかとが川底へつくようになると、そろそろ魚の心がわかりかけるが、まだ魚をつかむことはできない。
 踵が常にピッタリと川底へ落ちてそれが自然になると、魚をつかむことができる。しかし、絶対速度を会得しないと、魚がすくんで、自ら人間の指の股へはさまりにくるところまでは行くことができないのである。
 いかに極意をきわめても、二百米の川幅を一息に歩いて渡るのは、ほぼ限度である。カメは極意に達しているから、限度もわきまえている。これはむずかしいぞ。一足狂うと失敗すると見てとったから、万全の構えを立て、存分に極意を用いて、静かに対岸に渡りきってしまった。頭がでる。顔がでる。肩がでる。
 殿様はじめ一同ヤンヤの大カッサイ。茫然としているのは、扇谷十兵衛だ。専門家の彼は無邪気にカッサイはできない。それ以上に、驚愕が大きいのである。
 とても人間業ではない。
 対岸へあがったカメが、再び腹をさすり、まず平息をととのえ、心機熟して、慎重に長息法を用いているをジッと見つめて十兵衛は感きわまってしまった。
 このような息のたたみ方があるということを十兵衛は今まで気がつかなかった。しかし水中に半生をささげた十兵衛である。カメの長息法を熟視すれば、それがまさしく極意の仕業であり、人間にもそんなことができる名人がありうるという可能性はハッキリ身にしみてくるのである。
 再びカメの目が没し、額が没し、頭が没してしまうと、その絶対速度に神気を感じて、十兵衛は思わずブルブルッとふるえてしまった。
 彼は殿様の前へにじりすすむと平伏して、ハラハラと涙を流して、
「殿。十兵衛は不覚でござった。カメ殿こそは天下一の名人でござる。かほどの名人がおわすものを、身の未熟を知りも致さず、今日に至るまで殿の寵に甘えたわが身が羞しゅうござる。拙者本日よりカメ殿に弟子入り致し、せめて神技の一端を会得したいと存じまする」
 そしてカメが水から静々とあがってくると、十兵衛はその水際へ狂気の如くに駈けつけて、カメの膝下にひれふし、
「おお、わが師」
 と叫んだまま、地に伏して、しばし身動きもしなかった。
 こうしてカメは、水泳指南番として、召抱えられることになった。誰よりよろこんだのは、十兵衛であった。カメはサムライの行儀作法が窮屈だから、甚しく喜ばなかった。しかし、彼が我慢したのは、メシがタラフク食えたからである。
 カメは五頭亀甲斎魚則といういかめしい姓名をもらった。
 禄高は五石二人扶持ぶちという指南番にしては甚しい小禄であるが、オカへあがるとバカであるから、領下の民にサムライをバカにさせる気風をつくってはこまる。そこで源左が、
「カメはミソ漬けのムスビを腹いっぱい食えばいいのだから、五石二人扶持でタクサンだ」
 と、きめてしまったのだそうである。
 カメは扶持に不足はなかった。それに川へ稽古にでかけさえすれば窮屈な御殿づとめをはなれることができるから、サムライの生活をいとわないようになった。
 そして、厳寒をのぞいて、たいがい川へ稽古にでかけて、御殿づとめを怠けていた。だから好んで弟子になる者がない。ただ十兵衛だけが益々よろこんで、寒中でもカメの後につきしたがって、稽古を休んだことがなかった。
 十兵衛がカメから最初の稽古をうけたとき、カメが長いこと考えて、第一に教示したのは次のようなことであった。
「そうだね。一番先に大事なのは、朝のうちに、ネンボをこいておくことだ」
 ネンボとはクソのことである。毎朝よくクソをしておけ、というのだ。十兵衛はこの第一課を先ずノートに記入した。

 神伝魚心流極意。師口伝。
 初心。
 その一。朝ごとにネンボよくこけ。

 十兵衛の書き残した口伝書の第一巻第一頁にちゃんとそう書いてある。
 神伝魚心流という名は、カメがそういうことに興味をもたないから、十兵衛が源左に相談し、殿の許可をうけて、きめたものである。





底本:「坂口安吾全集 11」筑摩書房
   1998(平成10)年12月20日初版第1刷発行
底本の親本:「別冊文藝春秋 第一八号」
   1950(昭和25)年10月25日発行
初出:「別冊文藝春秋 第一八号」
   1950(昭和25)年10月25日
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年8月30日作成
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