安吾人生案内

その五 衆生開眼

坂口安吾




     悪人ジャーナリズムの話

平林たい子
 おどろいた。胸を打たれてまとまった感想も浮かんで来ない。かぞえてみると私達は廿五、六年来の友人だが、めったにあわなかった。最近、婦人公論の集りで久しぶりに一緒になり、興奮して大いに語った。彼女は心臓の不安を訴えた。フランスにも行きたいが、この体では行かれないと言った。それから私に、フランスへ一緒に行こうとしきりにさそった。私は仕事のむりをやめることを忠告したが、よほどの生理的脅迫のない限り、この忠告がきかれないことは知っていた。
 よく言われる「ジャーナリズムの酷使」が、林さんの死を決定的に意味づける結果となった。徹夜同然の仕事を一年中つゞけて、つゞきものをいくつももち、ほかに一ヶ月間三編も四編も短篇小説をかくなどということは芸術の常識としても勤労の常識としてもあり得ないことだ。そのあり得ないことをやらせようとする追求が、いまの日本のジャーナリズムである。しかし、そばによってよくよく見るとこんな追求性は、「どんらん飽くなき」と言った放恣さとしてよりも、出版資本の没落したくない消極的な焦躁として私達の目に映る。大新聞以外の出版資本は、他産業にくらべて資本の基底が浅く、無名または風変りの作家を売り出して、大損か大もうけかのカケを試みる冒険力をもっていない。宣伝費も割り安で当たり外れのハバの小さい作家にたよって、そう大づかみでなくとも、確実な利益を得る近道を行くよりほか、資本の安全の保証はない。かくして人気作家が生れ、追求が集中し、使いつぶされる。大げさに言えば、林さんの死は、こんな日本の出版資本の特性の犠牲であろう。
 身を処することに思慮深い林さんが、このウズマキの真中に入ったのは、全く、自分の肉体力に対する過信からだった。事実林さんは、もろ/\の破壊力とたゝかいながら、よく感性の枯渇からまもり、いくつかの傑作をかいた。戦後の「雨」「晩菊」「浮雲」など、前期の林さんのもたなかった思想性をもちはじめている。中でも「浮雲」は、敗戦に対する日本人の偽りない心情告白の書として、後世にのこる意味をもっていると思う。
 こんな公式な感想とは別に、私の眼底には、氏が二十三歳で、私が二十二歳だったころのシオたれたメイセン姿が浮かぶ。私たちはよく二人で電車賃がないまゝに世田谷の奥から本郷の雑誌社まで歩いた。着物も御飯も貸し合った。むくわれない愛情のために泣き合った。あゝ彼女今や亡し。
(六・二九 夕刊朝日)

宮本竹蔵
 作家がヘタクソの小説を書くと、ジャーナリズムの酷使がそうさせたといった。自殺でもすると、いよいよ大酷使のせいにしてしまった。生活がジダラクで、頭が空ッぽになり、生活力が消耗してしまったことは、棚に上げているのである。林芙美子の死は、心臓マヒで自殺でもないが、それでも平林たい子によると、どんらん飽くなきジャーナリズムの酷使で、犠牲になったものだそうである。(朝日)林は朝日に、小説を執筆中だった。だから平林によれば、差し当り朝日が「どんらん飽くなき」ジャーナリズムの代表ということにもなりそうだ。現代の作家とか批評家とかいわれる人種は、ジャーナリズムで生計をたてているのであるが、何か悪いことが起ると、原因をジャーナリズムに押しつけるくせがあった。悪人はきまってジャーナリズムだった。
 林は一年中つづけて、長篇を書いたほか月々三つも四つも短篇を書いた。芸術にも勤労にも、常識にないことだそうだが、こんな無理を強いたのはジャーナリズムだったと、平林はいうのである。だが飽くなきどんらん性は、無理を強いた側のみにあって、無理を呑みこんだ側にはないのか。これは魚心と水心だ。罪があるなら、罪は五分五分のたたき分けでなければならないはずである。あまり一方的のものの言い方をすると、逆効果で、死者を辱しめることになりそうだ。
 一般にジャーナリズムに対し、個人の力で、どうにもならない魔法の力があるような迷信がある。清水幾太郎によると、二三の大新聞と、NHKが共謀すれば、思うがままに世論を作り出すことができるそうだ。だが民衆は、清水の考えるほど、新聞からダマサレ放題になるような、衆愚ではないのである。究極において、民衆はダマされない。ジャーナリズムの威力では女流作家を殺す力はないであろう。
(六・三〇 東京)

平林たい子
 宮本竹蔵氏は、ジャーナリズムの酷使が林芙美子の死を決定的にした、という私の言をつかまえて、平林はジャーナリズムを悪人にしたとひどくいきまいているが、私はむしろ日本の出版企業の弱さ貧しさに同情したつもりだった。冒険をゆるさない貧弱な資本が、安全性の多い少数の人気作家にその要求を集中するのは当然なことで、それにいちいち応じた場合、作家が肉体的にも精神的にも疲労消耗するのもまた当然なことだ。自分の肉体力への過信が林芙美子をしてジャーナリズムの渦中にとびこませたことは否定できない。(談)

 東京新聞「放射線」欄の宮本竹蔵先生の所説は、ジャーナリズムだけが悪人ではなくって、過度の要求を承知でひきうけて濫作する作家の側にも罪がある、ジャーナリズムには女流作家を殺す力がない、ということを言いたかったのであろう。節度を旨とし、秩序ある論理を展開して結論に至れば、それで申し分なく、それも一ツの説である。各人各説というもので、自分はこう思う、ということを適切に表現して読者の批判に供する。新聞の論説は時代の正論をさがし、それに近づくことを旨とすべきものであろうが、正諭の支えとなるものは論者自身の信仰ではなくて、読者の批判なのである。
 ところが宮本竹蔵先生の所説に、皆さんが一読してお分りと思うが、その論理には秩序もないし節度もない。甚しく感情的な騒音にみちて慎しみを欠き、まことに教養に乏しくて、裏町の喧嘩のような論理でしかない。
 三大新聞にくらべれば東京新聞は部数の上では二流紙であろうが、その第一面の匿名論説たる放射線欄と云い、文芸欄の小原壮助さんと云い、その論理がいかにも粗雑にすぎて、教養を欠き、暗黒街でしか見られない騒音に類して、あまりにも赤新聞的すぎるようだ。
 私の書いた物などもこの二ツの欄の先生方に時々大そうお叱りを蒙ったりするが、お叱りを蒙った側から言わせると、まずこの欄の先生方は書かれた物をよく読み正しく理解した上でその論説の不備や至らざるところをお叱りになる、という穏当適切なものではなく、よくも読まずに、途中の一行だけをその前後から切り離してとりだしてインネンをつけたり、誤読を基にして悪口雑言を浴せたりなさる。
 今回の場合、宮本竹蔵先生のお叱りを蒙った平林たい子さんの文章は、どこかの新聞の文芸欄の一隅にのった追悼文で、せいぜい原稿紙二枚ぐらいの短文である。ところがそのたった八百字ぐらいの短文すらも精読を欠き、相手の意あるところを読み誤って、勝手にきめつけていらッしゃる。前掲の両者の文章は一字も省略しておらぬ筈ですから、どうぞ皆さん御自身でも吟味してみて下さい。たった原稿紙二枚の文章ですら、このように精読を欠いているのですから、長い文章に至っては誤読誤解の甚しさは申すまでもありますまい。
 精読せずに批評するということは甚だしく不誠実なことで、文化人の至極当然な教養から云って日常の談話に於てもそれを慎しむのが当り前ですが、誤読あるを怖れるような慎しみはミジンもなくて、一行だけとりだしてそれを全文の本旨であるかに見立ててカサにかかってインネンをつけ悪罵を放つ。そのインネンのつけ方や、理窟の立て方に於てはユスリをやる者の論法に似て、用語や文脈の品性に於ても全くそれと同等の教養の低い文章である。それを第一面の匿名論説にかかげる新聞の品性というものは三流四流でもなくてゴロツキの赤新聞のようなものだね。東京新聞は、都新聞の昔には娯楽を主とする新聞であったが、その品性は相当に高くて、芸界のもつ教養や気品を失わなかったものでしたよ。そのころは私も匿名批評を書いてナニガシの飲みシロを稼がせてもらったものだが、私に関する限りは匿名批評に於ても、精読を欠いたり、タンカのような悪罵や放言をしたことはありませんでしたね。匿名といえども批評である限りは節度もあれば秩序もある論理をはなれてはならぬものです。
 平林さんの追悼文の全文を読めば、宮本竹蔵先生の誤読は判然とし、彼女の抗議が理に合っていることがわかる。つまり平林さんはジャーナリズムの酷使、ということを一応述べてはいる。しかし作家に過度の執筆を強いるジャーナリズムというものも、そのそばによってよくよく見ると、「どんらん飽くなき」という放恣なものであるよりも、出版資本の没落したくない焦躁として目に映る。日本に於ける大新聞以外の出版資本は他の産業にくらべて資本が少いから、無名作家や風変りな作家の作品を載せて冒険を試みることができない。一応世間の評価が定まった顔ぶれをならべて、大モウケはできなくても大損のないような商法をとらないと、小資本出版業の月々の安定は保証されない。そこで群小業者が一様に当り外れのない商法に依存する結果として、特に人気作家にだけ各社の注文が集中することになる。林さんの死はそういう小資本出版という日本の特異性の犠牲であった。ただし、「大ゲサに云えば」と特に平林さんはつけ加えることも忘れてはいなかったのである。ところが宮本先生は「平林の説によるとどんらん飽くなきジャーナリズムの代表は差し当り朝日ということになろう」なぞと仰有おっしゃる有様で、平林さんによれば大新聞以外の出版が小資本であるために冒険ができず一様に当り外れのない商法にたよって人気作家に注文が集中する。その犠牲になったような林さん。こう論断して、特に大新聞以外の小資本出版の特性が必然的に流行作家を追いまわす結果を生じる点を指摘して、林さんが犠牲になったジャーナリズムとはそのジャーナリズムの方だと言ってるのですね。
 これは平林さんの独特の説であろう。ジャーナリズムの酷使といえば、誰でも新聞小説を考えそうで、そういう考えが常識のようになっている。おまけに林さんは朝日に連載小説をかいていた。しかるに、平林さんに限って、林さんは新聞小説の犠牲で倒れたとは言わず、その他の群小出版業者が一様に小資本で企画に冒険が許されなくて必然的に人気作家を追いまわして商法の安定をはかる。その日本ジャーナリズムの一特異性が林さんを犠牲にしたものだ、と、極めて特徴のある論をなしているのである。
 大新聞の注文だって人気作家に集中する傾向は目立っており、小資本出版業だけが小資本のために冒険ができなくて人気作家を追いまわす、とのみは云われぬものがあるようだ。そして平林説に異論をたてるとすればその点であろう。
 ところが、宮本竹蔵という先生は、平林さんの文章の最も異色ある所論の反駁かと思いきや、それを否定しているために異色を生じているその否定の方を平林説と一人ぎめにしてそれに文句をつけて、林さんを殺したジャーナリズムと平林が云うのは朝日のことだろう、こう云ってるのだ。だが彼は平林さんの全文を読んでいないということが分ります。にも拘らず彼は実に怖れげもなく「平林がどんらん飽くなきジャーナリズムとは朝日ということになりそうだ」こうアベコベに推測し、アベコベの平林説をデッチあげた上でインネンをつけ、そのように読みもしないでインネンをつけることが文化人の所業としていかに羞ずべきか、それは本来批評などというものではなくてヨタモノが人の言葉尻にインネンをつけると全く同じものにすぎず、文化人たる教養も礼儀も根柢的に欠いて、しかも省る色のないその厚顔恥なきこと、まったくユスリの暴力団と変るところはない。
 ところが、平林さんの本文では、更にそれにひきつづいて、即ち、林さんは弱小資本出版という日本出版業の特性の犠牲になったようなものだと述べた後で、身を処すに思慮深い林さんが群小出版社の競争というウズマキにまきこまれたのは、自分の体力に対する過信からであった、と述べているのである。そして死に先立つにそう遠くない最近に、彼女は平林さんに心臓の不安を訴えたことがあって、そのとき平林さんはムリな仕事をやめるようにと彼女に忠告したが、心臓の不安を訴えるほどでありながら一向にその忠告をききいれそうもなく、更によほどの病気の不安に脅かされるまではムリをつづけそうであったと書いている。つまり体力を過信したことが急死の一因であるという意味のことを言いもらしてはいないのである。ジャーナリズムの過度の要求に応じてムリをしたのは林さんが体力を過信したマチガイにもとづき、その死の責任が林さんにもあることを明かに暗示しています。
 ところが宮本竹蔵先生は、「ムリを強いたのはジャーナリズムの側だけだと平林は云うが、ムリの強制をひきうけた側にも罪はないのか。五分五分ではないか。一方的な言い方をすると逆効果で死者を辱しめることになる」と云って、自分の方が一方的な読み方をしていること、否、全文をよまずに架空の平林説をでッちあげて、そのお前の説は死者を辱しめる逆効果を生む危険があるぞと実に有りがた迷惑と申すべきか。こういう訓戒までオゴソカに申し渡してあると、この雑誌のように平林さんの本文が同時に載っているわけではないから、読者は本当に平林さんが死者を辱しめているかと思い宮本竹蔵先生の方が自分勝手の平林説を一人ぎめにでッちあげて、コキ下したり、訓戒を与えているのだとは知ることができない。実にヒドイと思うねえ。そのように人を傷けて、それで羞なき人間がいかに小新聞とはいえその第一面の特設の欄に覆面の批評を加えるとは、その新聞がまた同列に品性の低いこと、教養の欠けていること、厚顔恥なきこと。ヨタモノが言葉尻をとらえて難癖をつけるような言論が横行してよろしいのでしょうかねえ。実に悲しむべき奇怪事ではありますよ。
 さて同業の先輩にこう申し上げてはいささか気がひけるオモムキがありますが、平林さんの追悼文はいかにも時間にせまられて筆を走らせたものらしく、精読する者には論旨はよく分りますが、三分の一も読まないような宮本竹蔵先生は別として、電車の中などで目を走らせる程度の卒読の人に読み誤まりをされる怖れもあるようです。
 それは林さんの死因をさぐるに先立って、「よく云われる『ジャーナリズムの酷使』が林さんの死を決定的に意味づける結果となった」と一応言いきったことで、その後の方を読み進むと、実はジャーナリズムの強要というものもそれをよくよく見るとドンラン飽くなきという放恣なものよりも大新聞以外の出版業者の資本が小さくて冒険的な試みができず、当り外れのない企画をたてて流行作家を追いまわす以外に商法がないという必然の結果を生じてそれが林さんの死の一因となったものであるという。結局平林さんはジャーナリズムの酷使ということに彼女の特別な見解を与え、解釈をほどこしている次第ですが、その限りの言い廻しとしては、論理もよく行きとどいてもいるし、分り易くもあるし、言葉穏やかでもあって、決してガムシャラに「どんらん飽くなきジャーナリズムの酷使」が林さんを殺した、と有無を云わさず、きめつけているワケではないのです。
 けれども論理的に行き届いた解説をするに先立って、いきなり「ジャーナリズムの酷使が林さんの死を決定的に意味づける結果となった」とあるから、一応そう云いきったように見え、そのあとにテイネイな解説や補足があって、決してそうガムシャラに言いきったわけではないということが、そこまででは分らない。そしてその主旨の言葉はそこが終りで、一応そうきめつけたようにとられ易い弱点はある。すくなくとも、そこまでザッと目を走らせて、分ったような気になって、あとを読まなかった人にとっては、その意味にとられる怖れはあるようです。
 もっとも、それは勤めの往復の電車の中でザッと目を走らせる読者からそんな誤読をうける怖れがあるという意味で、批評の筆をとる者は当然全文を精読する義務がありますから、これは別です。批評家が中途で読み止まって批評を加えることを許されないし、その先へ読み進む限りは誤読されるイワレはありません。が、とにかく若干表現上の不備、練り方の不足があって卒読者を誤読せしめる怖れはあったようです。

     あとから真犯人が現れた話

 さる五月十二日、東京丸の内署に沼田という一人の少年(一八)が「茨城県の堂守殺しの犯人は私です」と自首して出た。自供をきいていると犯行当時の模様についてあまりにも詳しく信憑性があるので同署では東京地検に連絡して堂守殺人事件を調べてみると意外にも次の事実が明になった。問題の事件は昭和廿三年四月廿一日茨城県結城郡蚕飼村の観音堂の中に卅年前から住んでいたヤミ屋の青柳宇一郎という六十九歳のお爺さんが何者かに頭を割られ絞殺され現金千円を奪われていたという事件で、現場付近に遺留されていた米の入った乞食袋を手がかりに、同月廿五日容疑者として住所不定小林三郎(三八)を検挙、続いて廿八日共犯として住所不定大内末吉(三四)を逮捕した。二人は警察、検察庁の調べに対して直に犯行を自供したので起訴され、一審の水戸地裁下妻支部でも犯行を認めたのでいずれも無期懲役の言渡しをうけ東京高裁に控訴、二審では最初から否認したが認められず、さらに最高裁に上告、小林は上告趣意書で次のように述べている。「(前略)窃盗容疑で捕われた友人の内妻から弁護料を頼まれたので、そこで大内と相談して四月十九日以前二三回行ったことのある蚕飼村の爺さん(被害者)のところへ行き“米が一俵あるが買ってくれ”と頼んだところ“今日は金がないから明日にしてくれ”というので、翌日また自分だけで行くと、買出人らしいのが二三人いて爺さんは“今金が入ったから大丈夫”といった。その夜自分と大内は吉沼村の農家から俵を一俵持出し、畠の中で袋に入れかえ二人ともはだしになり蚕飼村へ行った、“今晩は今晩は”と何度もよんだが中から返事がない。そこで大内が“今晩は”と声をかけ雨戸をあけて家の中をみていたが“誰かが倒れているようだ”というので自分も行って月の光に中をのぞいてみると、土間に裸で爺さんが倒れていた。その中大内が“家の中に誰かいる”といったので驚きそのまゝ裏の方に逃げ約三丁程はなれた西方の神社まで夢中で逃げ、そこでもっていた袋を“こんなものを持っていると怪しまれる”と道路の側に捨てた(下略)」と述べ、次の四点について不満をもらしている。※(丸1、1-13-1)高橋の内妻吉田照子を証人によんでくれといったのに何故よばなかったか、※(丸2、1-13-2)二人は当夜泥足で行ったのだから畳に足跡がついているはずだ、※(丸3、1-13-3)大内が後から抱くようにして首を絞めたとすれば大内の着衣に血が着いていなければならぬ、※(丸4、1-13-4)捜査主任は何故私に法廷でこの供述書に書いてある事をひっくり返す様な事をしてくれるなといったか。――しかし大内小林の二人についても、二人がヤミの取引なので「昼は具合が悪いから夜来る」と爺さんに話していたにしても、深夜二時頃というのはあまりにも常識外れではないかというような疑問が残らぬわけではない。結局上告棄却となり無期が確定、服役したものであった。
 しかるに沼田少年の自供は小林大内が強制せられて云われる通りの自供を行ったという兇行事実と符合するのみでなく、使用した兇器、なた、薪、フンドシ(絞殺用)等も現場と符合し、特に「殺した後で屋内を物色していると、外で足音がきこえたので仏壇のかげに隠れているとヤミ屋風の男が中をのぞき死体を見てビックリして逃げ去った」というのが小林大内の不認供述に一致していた。そこで沼田の犯行はほぼ確実と見らるるに至ったが、一方すでに服役中の小林大内は同囚に向い無実だと云ったことは一度もなかったという。
 尚、沼田はその事件の犯人として小林大内が捕えられ服役中のことを知らなかったものである。

 誤審の由来にもいろいろ理由はありましょうが、まず容疑に多少とも不明瞭でアイマイなものがある時は、強いて犯人をつくらないことが誤審をさける第一の方法でしょう。ところが世間は世間で犯人が上らないと怒るし、容疑者を捕えると、容疑者らしくないと首をひねる。
 私もツイ三日前に、伊東市に起った殺人事件を吟味して、息子が父母を殺した犯人であると論断して某誌に書きました。警察側も私と同一の犯人を推定して逮捕状をもとめたようですが、伊東市民の大半は教養もありおとなしそうなその息子が父母を殺す筈はないという人情的考察で彼を犯人にあらずと見ているようです。この事件は犯人がいろいろと現場に偽装を施したにも拘らず、多くの状況がただ一人の容疑のみを深め、そのほかにも犯人があるかも知れんという想像の余地がほとんどないぐらい、実にこんなに夥しく重大な状況証拠が一人にだけ重なっているのは珍しいような事件でした。ところが、そういう珍しいほど多くのシッカリした容疑事実にも目をそむけて、人情的見解や感傷につくという、理につくよりも情につきたいという、私はそういう俗情の動きが何となく言論無用という暴力団のように怖しく思われて、次第にたまらないような気持になって、その結果が思いきって親殺しを論断するという向う見ずな実行に至った理由の一ツでしたろう。真理はどうなるのでしょうか。俗情が真理を否定して、その不合理に気付かないばかりでなく、俗情にそむいて真理をもとめ理につくことが冷酷で、人でなしの所業で、悪行であり、情につく方が善意の人の所業で善行である。そういう俗情が国論となったら怖ろしいことになるであろうが、しかし、実に国をあげて俗情につきたがるような、そういうキザシなきにしもあらずでしょう。その俗情の横行に堪えられなかった意味があるのですが、とにかく公の裁判に先立って、息子の父母殺しを論証するという、それは私にとっても大変な決意を要することでしたが、しかし一方に、それは又あまりにも事実がハッキリと物語っているのですから、それに目をそむける多くの人々の方がフシギであり、ウソの犯人を論断する危険がないかという不安に苦しむことは案外少なかったのでした。しかし、むろん、他に犯人がありうるかどうか、考え及ぶ限りは考えつくした上で、その怖れがないようだという確信があって、やったことです。殺人事件の犯人をその逮捕前に論証して発表するということは、私のようなガラッ八でもよほどの確信と決意がなければできることではありません。警官や裁判官のように一人の罪を公に断ずるものではないとはいえ、ある息子を両親殺しの犯人と断じて発表してマチガイであった場合には、筆を折る覚悟はいりましょう。可能なあらゆる細部にわたって考察を重ねた上で、彼の容疑をくつがえしうるものがありえない、他の何者も犯人ではありえない、という確信が他のいかなる証拠によっても疑われる余地なく納得できなければ、とてもやれるものではありませんね。
 しかし、伊東の殺人事件の場合には、甚だ多くの手がかりがあって、状況証拠だけでも(物的証拠は当局の正確な発表がないから分りませんが)抜き差しならぬ性質の容疑を証明しておって、そのほとんど全てのものがあげて一人の容疑のみを深めていますから、犯人の自供をまつ必要なく、抜き差しならぬ犯人と推定することが可能であったようです。
 これに反して、犯人の自供以外に決定的な証拠がないという事件があって、この事件もそれに類しておりますが、終戦前までの日本は、こういう時に自供が最大の証拠となったものですが、自供を証拠に用いるということは警察制度の智脳的な発育を害し、いつまでも伝馬町の性格をまぬがれぬという危険がありますね。その一例に類するものが今回のこの事件でありましょう。当人の自供の有無に拘らず、決定的な物的証拠によってのみ犯人か否かを定めるのが何よりですが、そう確実な物的証拠のない事件が少くなくて、たとえばこの事件のように被害者も容疑者も浮浪者まがいのヤミ屋や窃盗常習者だという場合にこれという物的証拠もない。こんな事件に限って世人も関心をもちませんから、取調べもゾンザイになり、自供があると、多少の納得しかねるところが現場の状況などに残っていても、ピッタリ合う証拠だけとりあげて犯人ときめてしまう。だいたいどの事件の証拠を見ても、これが犯人だときめてみると大がいそれで間に合う性質があるもので、浮浪者と窃盗常習者の殺人事件であるからというような心の弛みが無意識のうちに働いたときには、その考察はすべてにカンタンに間に合って、裏の裏まで行き届く鋭さを失いがちだろうと思われます。
 そのせいかどうか、それは断定の限りではありませんが、この事件の論証法には犯人の自供の方に主点があり、その他の状況にも疑わしいものがあるけれども、自供に符合する証拠だけをとりあげ、そうでないものは不要なものとして顧みなかったようなところがある。
 前掲の事件の概況を記した文章の末尾にちかく、それはこの記事を受けもった新聞社の人の私見かも知れませんが、小林大内両名がなお犯人でないかも知れぬと疑う余地はあったが、一方に、深夜の二時に米を売りに訪問するということは常識では信じられぬ弱点でもあった、と云っております。
 しかし、これも、彼ら両名が被害者に売るはずの米は農家から盗んでくる米である。定まる住所のない両名が前もって米を盗むと隠し場所にも窮するから、結局当日盗みだしてきて直ちに処分するのが自然であるが、日中盗むわけにはいかないし、宵のうちもまたこまる。また、同じ村の農家だと足がつき易いと見てか、両名が盗んだのは隣村の農家からで、その距離は分りませんけれども、これを持参の袋に詰めかえて被害者宅へ運んできたら深夜の二時になったとしてもフシギではなく、それで話の筋は通っているのではないでしょうか。だいたい浮浪者で窃盗常習者の両名と、そういう人間と承知で取引きしているヤミ屋との取引ですから、普通人の常識や生活に当てはめて訪問の時間が妙だというのは、むしろ彼らの生活の真相を見あやまるばかりで、彼らの供述が世間の常識に反していても彼らの特殊な流儀に於てツジツマが合っていた方が、むしろ嘘がなくてホンモノの供述であるらしいという考え方も成り立つだろうと思います。
 最高裁へ上告に当って彼らがもらしたという四ツの不備のうち、二と三の不備は、自分らが強いられて行った自白のような方法で被害者を殺したとすれば、現場の様子が事実とちがっている筈である。彼らはこう云って相当に重大と見られる反証をあげております。即ち、二人が被害者を訪問したときは泥足のままであるから、もしも自供の如くに室内へあがって彼を殺したのが事実なら、タタミの上に泥の足跡がなければならぬ筈である。ところが自分たちは土間で被害者がすでに屍体となっているのを発見して室内へあがらずに逃げだしたから、タタミに足跡がなかった筈である。また、ねている爺さんの頭をナタできりつけ、苦悶して土間へ倒れてのちに大内が後から抱くようにしてクビをしめて殺したと自供したのが事実なら、大内の着衣に血がついていなければならぬ筈である。自分らが犯人であれば以上二ツの自供と食い違うものが生じている筈であると述べています。
 犯行後、小林が四日すぎて捕われ、大内は七日目に捕われた。血のついた着衣の始末をするには充分な時間があったわけだが、着衣に血痕の有無とか、血のついた着衣の処分とかは当然逮捕直後に訊問して証拠かためがあるべきで、容疑者から調査の依頼がなくとも一審の判決前にケリがついており、その調書があるべきであろう。
 タタミの足跡も同断で、現場検視のソモソモの時から足跡の有無や、足跡があった場合にはその特徴等について足型もとっておくなど、誰に頼まれなくとも調査が行きとどいていなければならないでしょうが、その行き届いた調査があったかどうかは不明です。しかし、彼らがその晩たしかに泥足であったことは何によって証明するか。足跡を自ら拭き消してから退散したこともありうる。それは彼らが今日に至って反証をあげても、それを無力にする理由となりうる。
 しかし泥足の証人がないということは、彼らが泥足であった証明にならないだけのことで、彼らは泥足でなかった、という反対の事実を証明する力はないのである。またタタミの足跡を消したという証拠があれば、足跡があったという反対事実を証しうるが、消したかも知れぬとだけでは、なぜ足跡がないかという証明にならない。ただ要するに、そこに足跡が残らぬ筈だという被告の言葉は一方的でそれを証明する力がないということであり、裁判官の心証が彼らを犯人とみる方に傾いておれば、彼らの反証は無力であると認定せられるであろう。
 しかし、泥足の証人がないということは、泥足であったという被告の主張とその証拠の力に於て五分五分に対立しているだけのもので、泥足でなかったという確実な証人がでなければ本当に否定する力にはなり得ないわけだ。裁判官の心証によって、証拠の力が五分五分の一方へ傾くのは当を得たものではないね。しかし、浮浪者や窃盗常習者がヤミ屋を殺したというような極めて有りそうな事件では、被告に不利な心証の傾斜が加わり易いのは裁判官も人間であるからには有りがちなことで、誰しもオレは別だと云いたいでしょうが、却々なかなかもって。とにかく大いに反省用心して、常に慎重に傾斜を正しく考察を新にするような心構えがガッチリしていても傾斜し易いのが人情でしょう。

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 小林大内が犯行を否認して自分らの当夜の行動としてのべている事柄の中から、犯人であるかないか、かなり明確に定めうるカギはあったと思います。彼らはその晩、農家から一俵盗みだし、袋に詰めかえて被害者宅へ持参したといい、結局、附近にすてられていた米のつまった袋が容疑の端緒となったのだそうですが、盗まれた農家も、俵の米を詰めかえた場所も実在しなければならぬ筈であるし、その反対に、被害者宅の貯蔵の米が何者かによって詰めかえられて運びだされた形跡があったか。最初の現場検視が厳重に細部に行きとどいていて、彼らの供述に応じて直ちに事実との照合が厳密になされたなら、彼らが被害者を殺した犯人ではない、という証明はそこからは直接に得られないにしても、盗んだ米を袋につめかえて売るために持参したという供述の真偽は得られたであろう。
 そこまでの供述の真偽が決定すれば、すでにそのときからタタミの上の足跡の有無が中心的な問題となった筈で、土間へふみこんで被害者の屍体を発見しておどろいてすぐ逃げた、という供述の真偽が、犯人か否かを決するものとして調査のヤマとなるべき筈であったろう。しかるに、最高裁への上告に際してようやくこのことが被告の不満としてもらされているのですが、それは逮捕直後の取調べの発端に於て手落ちがあったことを示していないでしょうか。
 こうして真犯人が現れた以上はすでに明白でしょうが、犯人でなかった二人が逮捕されるや直ちにやりもせぬ犯行を自供することは有りえず、一俵盗んでつめかえて被害者宅へ持参して屍体を発見して逃げたテンマツを先ず第一に述べたり言い張ったりした筈でしょう、その供述に応じて取調べの発端から真偽の調査がなければならぬ筈でしたろう。そして、逮捕直後なら、米の盗難も詰めかえ場所も、その真偽は立証できた筈であろう。二審に至っては、もうムリだ。事件直後でなければ立証できない性質のもので、彼らは実に気の毒と申さなければなりません。
 要するに事件発生直後の現場の調査が行き届いておって、容疑者の逮捕直後に彼の供述の裏づけをもとめて正確メンミツに供述の真偽を実地に照合しておれば、まず誤審の第一段階はさけうる性質のものだと云えましょう。この事件には、その重大な第一段階にメンミツな実証作業を欠くところがあったようですね。
 さて、二審に至ったときに、一審の自白をひるがえして、無実であると主張して新しい供述をしたそうですが、もうその真偽をたしかめることはできない。わざと今ごろになってから真偽のたしかめようのない供述を行ったという風に悪く解釈もできるけれども、そういう仮定が慎しむべきであることは云うまでもなく、第一審に無実の主張やその証拠となるべき供述が行われなかったのはナゼであるか、徹底的に追求がなさるべきであったろう。そして追求の結果として、逮捕直後にその供述が行われたことがあったが、その裏づけの調査に欠くるところがあって、今となってはその真偽を明かになし得ない。そういう事情がハッキリしたとすれば、第二審の今日に至っては時日を経たためもはや真偽立証の道がないが、立証不能ということは、彼が犯人であるかないかの証拠としては五分と五分で、彼の供述を否定する事実なき限り立証不能の責任は容疑者の方にはないのである。したがって、他に被告の犯行を決定的とする証拠がない限りは、犯人に非ず、こう断ずるのが至当であろう。
 しかるに、彼らが自白をひるがえした時に、その理由の追求がどこでアイマイになってしまったのか見当がつかないが、よしんば盗んだ米を運んで被害者のところへ売りに行った時にはすでに死んでいた、その供述のうち米を盗んで袋につめかえて被害者宅へついたのが午前二時であったというところまでが事実であるとしても、彼らが到着した時にはすでに被害者は死んでおって、だから犯人ではない、そういう証拠は前段の事実だけからは出てきません。ただ、そこまでの供述が正しいから、次に、彼らは土間で屍体を見て室内へ上らずにすぐ逃げたからタタミの上には足跡がなかった筈であると主張していることも再調査の必要があろう、カンタンにウソだろうと片づけるわけにもゆかぬ、ということにはなりましょう。
 彼らの身になって考えてやれば、せっかくの米を途中で捨てて逃げたのも、ヒョッとすると自分らが犯人に疑われる心配があるということで、殺人に当って指紋を残さぬために手袋を用いるだけの要心を心得た犯人が指紋よりも手がかりになり易い自分の袋に米をつめたまま捨てて行くことは首尾一貫を欠いてダラシがなさすぎる、ちょッと理窟に合わぬ、変だ、と見ることもできましょう。
 彼らは犯人ではないくせに、そう疑われる不安のために心が顛倒して、疑いの元になるのも気付かずに自分の袋につめたままの米をすてて逃げた。疑われる不安の方だけ強くて、犯人でないことを立証する自信もないし、無実を主張する以外に具体的な論証法の心得もない。そういう彼らであるから、疑いの手がかりとなる米袋を捨てたのでしょう。これが無実に泣く人の性格でもあって、彼らは服役後、一度も自分らは無実だともらしたことがなかったそうですが、あきらめてしまって、ジタバタせずに恩赦で刑期をちぢめる方が得だと考えたのかも知れませんが、教育のない人たちの中には、国家社会の運営は自分らとカケ離れたもので、無教育な自分の意見など言い立ててもダメなものと諦めきってる者も少くないものです。
 これらの人々のためには何よりも弁護士が必要だが、それも特に逮捕直後に於て必要だ。なぜなら、証拠が生きているのは事件発生後きわめて短い時間だからです。

     ドッグレースの話  辻二郎

 先頃衆議院の農林委員会でドッグレースの法案が審議され、其時自分が公安委員として呼出され、意見を求められた際、積極的に反対しなかった為にある新聞にひどく叩かれたと云う事があった。昨年競輪廃止の要望決議を提出した自分が、競輪同様に賭博的なドッグレースに反対せぬのは怪しからんと云う云分であった様である。是には二つの間違があったので、其第一は当時自分が会長をして居た犬の協会から、自分の知らぬ間に会長名で請願書が出て居た事と、第二は昨年の競輪廃止の要望の理由は「治安上害がある」と云う事で賭博的である事は要望書には一つもなく、従って宝くじ、競馬、オートレース等には触れず競輪だけに反対したのであったが、其点が一部の誤解を招いた事である。公安委員の自分が競犬法の請願人になる等と云う事は自分でも呆れた位だから、事情を知らない記者が公憤を感じるのは無理も無いのである。然し公憤のあまり筆が走り過ぎてか、自分の発言を相当に歪曲して書いた事実はジャーナリズムには時には有りがちの事だが、自分としては甚だ迷惑で、其の事情は自分が東京新聞(五月卅一日)に書いた通りである。廃止の要望に国警公安委大会の決議で「治安を乱し、青少年が犯罪を犯す」点だけを取上げたのは公安委員と云う立場からは当然の事である。此の要望は国会では取上げられず競輪は再開したが昨年一月から九月迄に四十七件起った警察沙汰は再開後の五ヶ月間に三件に減って居り、要望の効果だけはあった様で、四月の公安委大会には議題とならず一応静観の姿である。
 宝くじ、競馬、競輪の様な公認賭博的なものに就ては公安委員としてよりは寧ろ一般国民の一人として検討すべきもので、可否いずれの側にも多くの議論が成立するであろう。是等のかけごとは戦前ヨーロッパではいずれもなかなか盛であり皆が人間通有の賭博的興味? を大いに楽しんで居た事は筆者も目撃して来て居る。然し文明国でやって居るから其のまま日本でもやるべしと云う結論にはならぬかも知れない。と云うのは欧洲の此種競技場では昨年の競輪騒ぎの様な警察沙汰の起ったのを殆んど聞かない。日本での運営方法が悪く観衆の賭博神経を刺戟し過ぎると云う事があるかも知れぬ。或は国民の教養節度が低く、こうした競技を楽しむ資格が無いと云う事かも知れぬ。若しそうとすればそんな国民にはまだ早過ぎる。幼児に花火を持たせる様なものだと云う事になる。いずれにしても競技の為に白昼公衆の面前で、放火、強盗、殺人、傷害と云った犯罪を頻発させる様な事ならば好ましからずと云われても止むを得ないし、ひいてはこうしたおそれのある一切の競技迄白眼視される事になる。分けても青少年への影響は憂慮されるものがあり、未成年者入場禁止或は競技券禁止等も研究問題で、すべてこれらは国会の議題として充分論議を尽すべきであろう。
 自由を尊重する民主主義の世界には成可なるべく禁則の少い事が望ましい。然し其為には禁則が無くても問題を起さない様な立派な国民になる事が先決問題である。

 世の中には色とりどりの愉しいこと面白いことがあった方がよろしいな。ドッグレースなどというものも、あって悪かろう筈は一ツもないね。しかし、運動会の余興かなんかにやるのはよろしかろうが、まず当分は犬券などの発売は見込みがなさそうだ。八百長以上の大騒動になるのはウケアイ。なぜなら、ドッグレースに向く犬が、日本には少いのだから、仕方がない。
 まア、シェパードは訓練次第でレースに用いられるかも知れんが、全然ダメなのは日本犬である。日本人は外国のことを知らずに一人ぎめの国粋主義者が多いから、日本犬というものを大そう買いかぶっているけれども、日本犬というものぐらい手に負えないバカ犬はないのである。
 一生一人の主人にしかなつかない、二主に仕えず、という、なるほど日本のサムライの賞讃を博するに適した犬であるけれども、日本人はバカでも忠義なのが何よりだと考えて、バカということを問題にしていないから、共同の作業をやらせると大変なことになってしまう。
 主人だけに仕えるということは、主人の命令でないと動かん、主人が居ないと一人前、イヤ、一犬前には立居振舞いができんということで、主人と合せてようやく一犬前、主人が居て命令し、犬はその顔色をよんでから動きだすことになる。けれども、犬の競走だもの、主人が犬と一しょに走るわけにはいかんし、さすれば犬は途中で主人と離れるから、どうしてよいかと途方にくれてウロウロと主人を探しはじめるし、一犬ウロウロして万犬ウロウロし、ウロウロ犬同志で喧嘩がはじまる。横丁の勝手口とちがって喧嘩をやるには申し分のないフィールドがあってワンワン、ウーウーやりだせば先頭に立ってまちがわずに走っていた二匹か三匹の感心な犬も、サテハ敵ニ計ラレタリ、我オロカニモ先頭ニ走ッテオクレヲトリシカ、一大事、とコウベをめぐらして、競走の方を忘れてフィールドの喧嘩の一団へフンゼンなぐりこみをかけるに極ったものなのである。
 一番たしかなのは犬と一しょに主人も走れば犬も心配せずに、また喧嘩も起らずに無事トラックを一周することはいくらか確実であろう。けれども、犬と犬のオヤジと一しょに走ると、これは犬の競走ではなくて、オヤジの競走である。犬より早いオヤジがいる筈がないもの、犬券を買うお客は、犬の走力ではなくてオヤジの脚力を調べなければならんな。しかし、オヤジの脚力だけ調べたってダメだね。魚屋のアニイが愛犬と一しょに必死に先頭をきると、八百屋のハゲ頭の愛犬がハゲ頭の心臓マヒを心配したわけではないが、とにかくハゲ頭の一大事であるというので、魚屋のアニイのスネに食いいってしまう。それから後は人間と犬が一かたまりに、どういう目的不明の大闘争が展開するか、お分りであろう。最初に噛みついた組と、噛まれた組の人間と犬には各自の闘争の原因や理由が分っているかも知れんが、それを発端として各人の愛犬が各犬コモゴモ逆上熱戦を展開の後は、どの犬とどの人間にとっても自分の闘争の目的も相手も理由も全然不明である。とにかく犬人ともに現に必死に相闘いつつあるから相手は敵であり、そのために必死に闘わねば相ならん。その時さすがにデンスケ君は自分の駄犬をソッと陰に隠すようにしながら喧嘩の一団をはなれてトラックへあがると、ゴールめがけて抜け駈けをやる。と、デンスケ君よりも頭のよい山際さんがオーミステイクと云って先に走っているから、デンスケ君は死に物ぐるいに追走してゴールインとともに山際さんにムシャブリついて小僧同志の大乱闘となる。犬の先手をうつような闘争的な小僧さんなども現れるな。しかし、ここまではレースを行う選手の側の話である。
 以上のレース経過をたどって、山際さんの犬とデンスケの犬で連勝式一二着と相なったが、本命の魚屋と対抗の八百屋と、その他の入賞候補の注意犬がみんなダシぬかれて負けてしまい、一番名もない駄犬が一二着。見物人はオーミステイクと云って済ますことができんというので、方々に火をつけて大変な騒ぎになる。
 日本犬というものはダラシがなくって、主人が居てくれないと一犬前に喧嘩もできない弱虫だから大したことはないが、シェパードのレース中にこんな騒ぎが起ると、見物人もイノチガケですよ。
 日本犬も訓練次第で、いつかはレース向きに仕込めるかも知れませんが、とにかく日本犬は主人持ちでようやく一犬前となって、バカはバカなりに一途に番犬の役を果す。それだけが取り柄なのだが、一生ケンメイ訓練してバカながらもレースをやることだけは一ツ覚えに覚えこんだとなると、主人もちで疑り深くて誰にもなれない根性を忘れて、番犬というたッた一ツの取柄の方がなくなってしまう。バカを利巧に教育するというのは人間の場合だけで、犬は訓練したってバカの一ツ覚えという役に立つだけで、バカの素質そのものはダメであるから、日本犬がレースができるようになったって、一向に犬種向上にはなりません。一方を覚えると、一方を忘れるだけで、どっちみちバカは治らぬけれども、要するに日本犬はよその犬と喧嘩せずに駈けッこができるよりも、主人持ちで性こりもなく人に吠えるバカなところだけが取柄なのであります。
 日本に多いシェパードは利巧な犬ですからレース犬に利用するのはカンタンでしょうが、これは人間の他の生活に利用して相当有能な役割があって、その性能は駈けっこよりもよほど複雑な役目を果す素質があるから、駈けっこに用いるのはいささか役不足であろう。
 同様にポインターやセッターを猟犬本来の訓練をやめてレース用の訓練に力をそそいでレース犬に仕立てたところで、全然犬種ダラクで、向上とは申されぬ。
 要するに競犬をやるのはよろしいが、犬種向上改良などと美名をつけずに、グレーハウンドを海外から買いもとめて、本来バクチ的公衆娯楽として競犬をやりなさい。公衆に娯楽を提供する目的でもあるが、またそのテラ銭の必要によって競犬をやる、そう表明して世をはばかる必要はないと思うが、有りもせぬ美名をつけて犬の智脳向上改良などゝはムダな話であるし、世を偽るものでもあろう。
 馬というものは概ね走るだけが能であるし、その取柄や役割も主としてよく走ることが基礎となっているのだから、競馬が馬種向上に役立つとは筋の通らぬ話ではないが、犬の取柄や役割は走ることではありませんな。喧嘩の負け犬は逃げ足の必要があるが、猟犬、番犬、牧羊犬、警察犬、盲導犬、愛玩犬のどの素質の基本にも特に速く走るということが重大な要件とはなっておらん。もッと複雑な智脳や訓練を要する特技によって素質の良し悪しが定まるもので、速く走るということはその犬の素質として決して重要ではない。
 だから、競犬ダービーの優勝犬の血統から、猟犬、番犬、牧羊犬、警察犬、盲導犬、愛玩犬の優良種が生れると本気に宣伝する気なら、それが何犬の協会の御発案か知らんが、どうも智脳の程度が犬に似ているのじゃないか、精神智脳鑑定を要する問題であろうなぞと疑わざるを得んですな。
 なるほど、競馬をはじめ、競輪、オートレース、いずれも馬や自転車や自動車の品種改良向上と云ってるけれども、いずれも早く走るのが主目的な動物又は機械であるから、向上改良の筋は立っておりますよ。今までの競何々はそうだったが、しかし、券を売って競走するものは、なんでも品種改良向上のためだときめてはいけませんな。
 人間にも駈け競走というものがあって、これにプロをつくって券をうることもできない筈はないが、その優勝者の血統から大博士、大臣、大軍人、大音楽家が生れると云うようなことは、まさか陸上競技レンメイの会長でも云わないと思うな。競輪だって自転車と人間と二ツ合して一組となって競走するのだけれども、品質改良向上というのはもっぱら自転車の方で、決して人間の方の品質向上改良とは云っとりませんな。
 私は議会とやらへ提出中の「畜犬競技法案」の目的として向上改良というのを新聞でよんだ時に、日頃ウチの日本犬のワケも分らずに忠義専一、バカなのには音をあげてるものですから、何と勇気ある方々よ、と、そぞろにキモをつぶしたのです。犬の競走というオナグサミを提供して同時に地方財源としてテラ銭をかせぎたい、これが本当のところであろうし、それだけで充分であろう。競犬にも遊びとテラ銭かせぎのほかの役に立つ任務があるということを書き加えておかないと、お役所のハンコがもらえない。何事も大義名分という形式の問題である。国家に形式主義が行われる時は、亡国か革命の前夜であるとは諸国の歴史が証明しているのであるが、いい加減な大義名分だけは一度戦争に負ければタクサン、もうコンリンザイやめにしてくれないかねえ。もっと利巧になりましょうよ。
 公安委員会が競輪禁止を決議したのは「治安に害がある」という理由で、賭博がいかんとは一言も云うておらんと仰有るのも、形式的な屁理窟でしょうな。
 競輪にゴタゴタが起るのは八百長レースらしきものがあって一部の観衆が騒ぐのであるが、八百長レースは競馬やオートレースにもないとは云われん。また競馬やオートレースの見物人の中に火をけたり暴動を起すことが好きな人物がまぎれこまないとは言われない。この二ツがいつダブることによって騒動になるか誰も今後の保証はできん。可能性の問題であって、今までなかったということは今後の保証に無力であるが、それが保証になるようなら、競輪の方にも今後は騒ぎがないかも知れん、という希望だけでも一ツの保証となろうさ。可能性としては、同じことなんだからな。
 八百長レースと火つけ人種がダブッてゴタゴタを起すのもその根本の原因はトバクであるためであるし、八百長レース火つけ人種がいつダブるか知れんということは人為的にどうすることもできないのだから、治安の害ありとせばトバクのせい、トバク禁止という結論に至らないのがフシギではござらんか。治安の害とトバクとが表面的に独立した言葉の意味をもっとるから、競輪禁止の決議は治安の害によるもので、トバクだからということは一言も言うとらん、こういう形式上の言い訳で表向き間に合うのかも知れんが、それで表向き間に合うというのは危険なことですなア。一ツ間に合いはじめると、天下国家に表向き間に合わんものは一ツもなくなってしまう。
 なるべく禁則はしない方が望ましいと仰有るのはその通り。あれもイカン、これもイカン、と禁止して、人間どもを檻の中で飼うことによって国を治めるのはバカ殿様でもできる。
 競輪場のゴタゴタを放火傷害強盗殺人と仰有るが、私のように競輪場に行きつけている者の目から見ればそう大ゲサなものではなくて、ちょッとした一ツのものをつけ加えると、それは愉しい遊びの雰囲気になりうる性質のものなんですね。
 先々月大阪に競輪の近畿ダービーが行われたが、その女子決勝レースが珍なことになってゴタゴタが起った。実にこれは珍なるレースで、三千メートル決勝レースの二千九百米余が終り最後のコーナをまさに曲りきって直線コースにかかろうというところで、先頭の松下嬢のクリップが外れて転倒、すると次から次へ折り重なって八名の選手のうち七名がころんでしまった。一番ビリにおった選手だけが難をまぬがれ、そこからゴールまではたった百米だし、目の前に全部倒れてしまったのをチャンと見届けていらッしゃるから、あせらず、あわてず、一人静々とゴールインあそばす。某競輪雑誌がこの独走ゴールインの写真説明に曰く、
「御覧の如く孤影愕然と、また独り悠々とゴールイン。もちろん一着!」
 車券が外れて、よほど口惜しかったんだね。しかし、情景目にみる如く、名文ですよ。
 ところが、これが大騒動になった。というのは、七名ころんで一人だけゴールインではレースが成立しない。二着三着までないと、レース不成立で無効レースになり、車券全部払い戻すことになる。とんでもないのが一等になったから、五万枚の車券がすでにダメの運命であるが、しかし、天がワレに味方して、ほかの七名が全部ひッくり返ったから、レースになるまいと思っていると、ドッコイ、そうは問屋が卸さんな。ダービーの決勝レースだから、二等でも、三等ですらも、賞金が大きいや。三等の賞金だって、ふだんの一着よりも高額なんだから、そこは女の子さ。カラの蟇口がまぐちをにぎりしめてる五万人の溜息なんぞ問題にしていられん。さて起き上ってシャニムニ駈けだす段になれば、「誰が先に起き上って駈けだすことができるかと云えば、一番あとからころんだ子にきまってるな。したがってこの子は七番目にころんだほどであるからこれも全然人々が券を買わなかった弱い子にきまってるんだね。これを競輪雑誌の記述をかりると、
「よせばよいのに米田選手がモクモクと起き上って……おさまらないのは群集である。何がおさまらないかと云えばレースが成立したからである」
 そこで夜の九時ごろまで騒いでいた観衆もあったそうだ。これを大マジメに暴動暴行とそっち側からだけ見ればそうでもあるが、大がいの人は笑わずに読むわけにも行きますまい。例の競輪雑誌の記事によれば、ファンはストリップを見物にきたわけではないから、転倒した若き七ツの女人像が苦悶の姿態なやましく、いかにのたうッたところで全然よろこばない。神にホンロウされたミジメな人間の苦悩の物語りでありました、と書いてるよ。題して豊中(競輪場の名)凸凹騒動てんまつ、とある。
 この記者は暴動に関係はある筈がない。しかし、記者であるから騒動の終りまで見届けたのだろう。けれども彼もマンマと神にホンロウされたミジメな人間の一人であったに相違ない証拠は、文章を読めばすぐ分る。大そう口惜しく、ウラミ骨髄に徹する如く徹せざる如く、七人の女の子が苦悶の姿態なやましくのたうッても全然うれしくなかった心境がさこそと察せられるのである。
 暴徒と、この記者のユーモアとは紙一重の差で、たった一枚の紙の差によって、ウラミ骨髄に徹する如くであっても、同時に徹せざる如くでもありうるかのような、人生をこれ凸凹と観ずる境地に至りうるのである。人間の日常には、誰しもこれぐらいのユーモアはあるのですよ。特に大阪人には云うまでもないことで、この現実的に切迫したユーモアは大阪の労働者の巷々にあふれている性質のものですよ。だから、それは実に紙一枚の差で、ただ日常の精神にかえりさえすれば、なんのこともありやしない。ストリップみたいなもんナンボ見たかてアカンワ、と車券をビリッとちぎって、エイッとすて、なんとなくウラミを骨髄から外すぐらいの寛仁大度に日頃の心得なき方々ではない筈なのである。
 競輪雑誌の記事はたくまずして観衆全体に内在するユーモアを適切に描破しているではありませんか。
 競輪騒動も、内実はみんなこのようなもので、紙一枚の差で、むしろ愉しい遊びの雰囲気へひッくり返ることができる性質のものです。競輪をやってる者にはそれがよく分るのですよ。これをただ悪い一方に、放火傷害強盗殺人などと云う方がどうかしている。競輪人種という別のフテイなヤカラがいるわけではない。この理がお分りになれば、何を禁止するなどゝ騒ぐ必要もなく、人間の共同生活の前途は明るいものですよ。





底本:「坂口安吾全集 11」筑摩書房
   1998(平成10)年12月20日初版第1刷発行
底本の親本:「オール読物 第六巻第九号」
   1951(昭和26)年9月1日発行
初出:「オール読物 第六巻第九号」
   1951(昭和26)年9月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:深津辰男・美智子
2009年10月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について