去年、小林秀雄が
十六、七年前のこと、越後の親戚に仏事があり、私はモーニングを着て東京の家をでた。上野駅で偶然小林秀雄と一緒になったが、彼は新潟高校へ講演に行くところで、二人は上越線の食堂車にのりこみ、私の下車する越後川口という小駅まで酒をのみつづけた。私のように胃の弱い者には食堂車ぐらい快適な酒はないので、常に身体がゆれているから消化して胃にもたれることがなく、気持よく酔うことができる。私も酔ったが、小林も酔った。小林は仏頂面に似合わず本心は心のやさしい親切な男だから、私が下車する駅へくると、ああ
だから私はもう十六、七年前のあのときから、小林秀雄が水道橋から墜落しかねない人物だということを信じてもよい根拠が与えられていたのであったが、私は全然あべこべなことを思いこんでいたのは、私が甚だ軽率な読書家で、小林の文章にだまされて心眼を狂わせていたからに
思うに小林の文章は心眼を狂わせるに妙を得た文章だ。私は小林と
彼の昔の評論、
「それは少しも遠い時代ではない。
彼が世阿弥の方法だと言っているところがそっくり彼の方法なのであり、彼が世阿弥に就いて思いこんでいる態度が、つまり彼が自分の文学に就いて読者に要求している態度でもある。
僕がそれを信じているから、とくる。世阿弥の美についての考えに疑わしいものがないから、観念の曖昧自体が実在なんだ、という。美しい「花」がある。「花」の美しさというものはない。
私は然しこういう気の利いたような言い方は好きでない。本当は言葉の遊びじゃないか。私は中学生のとき漢文の試験に「日本に多きは人なり。日本に少きも
美しい「花」がある。「花」の美しさというものはない、という表現は、人は多いが人は少いとは違って、これはこれで意味に即してもいるのだけれども、然し小林に曖昧さを
彼が世阿弥について、いみじくも、美についての観念の曖昧さも世阿弥には疑わしいものがないのだから、と言っているのが、つまり全く彼の文学上の観念の曖昧さを彼自身それに就いて疑わしいものがないということで支えてきた
あげくの
然し剣術は本来ブンナグル練磨であり、相手にブンナグラレル先に相手をブンナグル術で、悟りをひらく道具ではなかった。けれども小林秀雄のところへ剣術を習いに行くと、剣術など勉強せずに、危きに近よらぬ工夫をしろ、それが剣術だと教えてくれる。これが小林流という文学だ。
「生きている人間なんて仕方のない
だから、歴史には死人だけしか現われてこない。だから
生きている人間などは何をやりだすやら解ったためしがなく鑑賞にも観察にも堪えない、という小林は、だから死人の国、歴史というものを信用し、「歴史の必然」などということを仰有る。
「歴史の必然」か。なるほど、歴史は必然であるか。
だから坂口安吾という
ところが三文文士の方では、女に惚れたり飲んだくれたり、専らその方に心掛けがこもっていて、死後の名声の如き、てんで問題にしていない。教祖の師匠筋に当っている、アンリベイル先生の
生きてる奴は何をやりだすか分らんと仰有る。まったく分らないのだ。現在こうだから次にはこうやるだろうという必然の筋道は生きた人間にはない。死んだ人間だって生きてる時はそうだったのだ。人間に必然がない如く、歴史の必然などというものは、どこにもない。人間と歴史は同じものだ。ただ歴史はすでに終っており、歴史の中の人間はもはや何事を行うこともできないだけで、然し彼らがあらゆる可能性と偶然の中を縫っていたのは、彼らが人間であった限り、まちがいはない。
歴史には死人だけしか現われてこない、だから退ッ引きならぬギリギリの人間の相を示し、不動の美しさをあらわす、などとは
つまり教祖は独創家、創作家ではないのである。教祖は本質的に鑑定人だ。教祖がちかごろ
だから教祖の流儀には型、つまり公式とか約束というものが必要で、死んだ奴とか歴史はもう足をすべらすことがないので型の中で料理ができるけれども、生きてる奴はいつ約束を破るか見当がつかないので、こういう奴は鑑賞に堪えん。歴史の必然などという
あまり自分勝手だよ、教祖の料理は。おまけにケッタイで、類のないような味だけれども、然し料理の根本は保守的であり、型、公式、常識そのものなのだ。
生きてる人間というものは、(実は死んだ人間でも、だから、つまり)人間というものは、自分でも何をしでかすか分らない、自分とは何物だか、それもてんで知りやしない、人間はせつないものだ、然し、ともかく生きようとする、何とか手探りででも何かましな物を探し
人間は何をやりだすか分らんから、文学があるのじゃないか。歴史の必然などという、人間の必然、そんなもので割り切れたり、鑑賞に堪えたりできるものなら、文学などの必要はないのだ。
だから小林はその魂の根本に於いて、文学とは完全に縁が切れている。そのくせ文学の奥義をあみだし、一宗の教祖となる、これ実に邪教である。
西行も実朝も地獄を見た。陰惨な罪業深い地獄、物悲しい優しい美しい地獄。そして西行の一生は「いかにすべき我心」また、孤独という得体の知れぬものについての言葉なき苦吟をやめたことがなかったし、実朝は殺されたが然し実朝の心はこれを自殺と見たかも知れぬ、と言う。まさしく、その通りだ。邪教も亦、真理を説くか。
「西行はなぜ出家したか、その原因に就いて西行研究家は多忙なのであるが、僕には興味がないことだ。
そして近代文学という奴は仮面を脱げ、素面を見せよ、そんなことばかり
然し、ここに作家というものがある。彼の読書は学ぶのだ。学ぶとは争うことだ。そして、作家にとっては、作品は書くのみのものではなく、作品とは又、生きることだ。小林が西行や実朝の詩を読んでいるのも彼等の生きた
仮面を脱げ、素面を見せよ、ということはそれを作品の上に於いて行ったから罰が当っただけで、小説という作品の場合に於いては、作家は思想家であると同時に
小説は(芸術は)自我の発見だという。自我の創造だという。作家が自分というものを知ってしまえば、作品はそれによって限定され、定められた通路しか通れなくなる。然し本当の小説というものは、それを書き終るときに常に一つの自我を創造し、自我を発見すべきものだ、と、これは文学技師アンドレ・ジッド氏の御意見だ。ちなみにジッド氏は文学に
わが教祖、小林氏も芸術は自我の創造発見だと言うのである。紙に向った時には何もない。書くことによって、創造され、見出されて行くものだ、と言うのだ。私も大いに賛成である。
然し、紙に向って何もないということは自分に就いて何も知らないということではない。ある限度までは知っている。自分というものをある限度まで
モオツァルトの作品は殆どすべて世間の愚劣な偶然な或いは不正な要求に応じてあわただしい心労のうちになったもので、
然しながら、作品に就いて目的を定め計画を案じ熟慮専念する時間がなくとも、少くとも小説作者の場合に於いては、一応人間に通じていることは絶対の条件であり、人間通の
生きた人間を自分の文学から締め出してしまった小林は、文学とは絶縁し、文学から失脚したもので、一つの文学的出家遁世だ。私が彼を教祖というのは思いつきの言葉ではない。
彼はもう文学を鑑賞し詩人を解するだけだ。歴史の必然とか人間の必然という自分勝手な角度によって、彼はもう文学や詩人と争い、格闘することがないのである。争うとか格闘するということは、自分を偶然の方へ
常に物が見えている。人間が見えている。見えすぎている。どんな思想も意見も彼を動かすに足りぬ。そして、見て、書いただけだ。それが
私は然し小林の鑑定書など全然信用してやしないのだ。西行や実朝の歌や徒然草が何物なのか。三流品だ。私はちっとも面白くない。私も一つ見本をだそう。これはただ素朴きわまる詩にすぎないが、私は然し西行や実朝の歌、徒然草よりもはるかに好きだ。宮沢賢治の「眼にて言ふ」という遺稿だ。
だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず
血も出つゞけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといい風でせう
もう清明が近いので
もみぢの嫩芽 と毛のやうな花に
秋草のやうな波を立て
あんなに青空から
もりあがつて湧くやうに
きれいな風がくるですな
あなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄 なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを言へないのがひどいです
あなたの方から見たら
ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やつぱりきれいな青ぞらと
すきとほつた風ばかりです
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず
血も出つゞけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといい風でせう
もう清明が近いので
もみぢの
秋草のやうな波を立て
あんなに青空から
もりあがつて湧くやうに
きれいな風がくるですな
あなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
たゞどうも血のために
それを言へないのがひどいです
あなたの方から見たら
ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やつぱりきれいな青ぞらと
すきとほつた風ばかりです
半分死にかけてこんな詩を書くなんて罰当りの話だけれども、徒然草の作者が見えすぎる不動の目で見て書いたという物の実相と、この罰当りが血をふきあげながら見た青空と風と、まるで品物が違うのだ。
思想や意見によって動かされるということのない見えすぎる目。そんな目は節穴みたいなもので物の死相しか見ていやしない。つまり小林の必然という化け物だけしか見えやしない。平家物語の作者が見たという月、ボンクラの目に見えやしないと小林がいうそんな月が一体そんなステキな月か。平家物語なんてものが第一級の文学だなんて、バカも休み休み言いたまえ。あんなものに心の動かぬ我々が罰が当っているのだとは
本当に人の心を動かすものは、毒に当てられた奴、罰の当った奴でなければ、書けないものだ。思想や意見によって動かされるということのない見えすぎる目などには、宮沢賢治の見た青ぞらやすきとおった風などは見ることができないのである。
生きている奴は何をしでかすか分らない。何も分らず、何も見えない、手探りでうろつき廻り、悲願をこめギリギリのところを
美しい「花」がある、「花」の美しさというものはない、などというモヤモヤしたものではない。死んだ人間が、そして歴史だけが退ッ引きならぬぎりぎりの人間の姿を示すなどとは大嘘の
文学は生きることだよ。見ることではないのだ。生きるということは必ずしも行うということでなくともよいかも知れぬ。書斎の中に閉じこもっていてもよい。然し作家はともかく生きる人間の退ッ引きならぬギリギリの相を見つめ自分の仮面を一枚ずつはぎとって行く苦痛に身をひそめてそこから人間の詩を歌いだすのでなければダメだ。生きる人間を締めだした文学などがあるものではない。
小説は十九世紀で終ったという、ここに於いて教祖はまさしく邪教であり、お筆先きだ。時代は変る、無限に変る。日本の今日の如きはカイビャク以来の大変りだ。別に大変りをしなくとも、時代は常に変るもので、あらゆる時代に、その時代にだけしか生きられない人間というものがおり、そして人間というものは小林の如くに奥義に達して悟りをひらいてはおらぬもので、専一に生きることに浮身をやつしているものだ。そして生きる人間はおのずから小説を生み、又、読む筈で、言論の自由がある限り、万古末代終りはない。小説は十九世紀で終りになったゾヨ、これは璽光様の文学的ゴセンタクというものだ。
人生とは銘々が銘々の手でつくるものだ。人間はこういうものだと
人生はつくるものだ。必然の姿などというものはない。歴史というお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである。仮面をぬぐ、裸の自分を見さだめ、そしてそこから踏み切る、型も先例も約束もありはせぬ、自分だけの独自の道を歩くのだ。自分の一生をこしらえて行くのだ。
小林にはもう人生をこしらえる情熱などというものはない。万事たのむべからず、そこで彼はよく見える目で物を人間をながめ、もっぱら死相を見つめてそこから必然というものを探す。彼は骨董の鑑定人だ。
花鳥風月を友とし、骨董をなでまわして
あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ来む世もかくや苦しかるべき(西行)
花みればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける(西行)
風になびく富士の煙の空にきえて行方 も知らぬ我が思ひかな(西行)
ほのほのみ虚空 にみてる阿鼻地獄 行方もなしといふもはかなし(実朝)
吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉 鳴きて秋は来にけり(実朝)
秀歌である。たしかに人間孤独の相を見つめつづけて生きた人の作品に相違なく、又、純潔な魂の見た風景であったに相違ない。花みればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける(西行)
風になびく富士の煙の空にきえて
ほのほのみ
吹く風の涼しくもあるかおのづから山の
然し孤独を観ずるなどということが、いったい人生にとって何物であるのか。
芸術は長し、人生は短しと言う。なるほど人間は死ぬ。然し作品は残る。この時間の長短は然し人生と芸術との価値をはかる
余の作品は五十年後に理解せられるであろう。私はそんな言葉を全然信用していやしない。かりにアンリベイル先生はたしかにそう思いこんでいたにしたところで、芸術は長し人生は短し、そんなマジナイみたいな文句を
だから芸術は長しだなんて、自分の人生よりも長いものだって、自分の人生から先の時間はこれはハッキリもう自分とは無縁だ。ほかの人間も無縁だ。
だから自分というものは、常にたった一つ別な人間で、銘々の人がそうであり、歴史の必然だの人間の必然だのそんな変テコな物差ではかったり料理のできる人間ではない。人間一般は永遠に存し、そこに永遠という観念はありうるけれども、自分という人間には永遠なんて観念はミジンといえども有り得ない。だから自分という人間は孤独きわまる悲しい生物であり、はかない生物であり、死んでしまえば、なくなる。自分という人間にとっては、生きること、人生が全部で、彼の作品、芸術の如きは、ただ
人間孤独の相などとは、きまりきったこと、当りまえすぎる事、そんなものは
自分という人間は他にかけがえのない人間であり、死ねばなくなる人間なのだから、自分の人生を精いっぱい、より良く、工夫をこらして生きなければならぬ。人間一般、永遠なる人間、そんなものの肖像によって間に合わせたり、まぎらしたりはできないもので、単純明快、より良く生きるほかに、何物もありやしない。
文学も思想も宗教も文化一般、根はそれだけのものであり、人生の主題眼目は常にただ自分が生きるということだけだ。
良く見える目、そして良く人間が見え、見えすぎたという兼好法師はどんな人間を見たというのだ。自分という人間が見えなければ、人間がどんなに見えすぎたって何も見ていやしないのだ。自分の人生への理想と悲願と努力というものが見えなければ。
人間は悲しいものだ。切ないものだ。苦しいものだ。不幸なものだ。なぜなら、死んでなくなってしまうのだから。自分一人だけがそうなんだから。銘々がそういう自分を背負っているのだから、これはもう、人間同志の関係に幸福などありやしない。それでも、とにかく、生きるほかに手はない。生きる以上は、悪くより、良く生きなければならぬ。
小説なんて、たかが商品であるし、オモチャでもあるし、そして、又、夢を書くことなんだ。第二の人生というようなものだ。有るものを書くのじゃなくて、無いもの、今ある限界を踏みこし、小説はいつも背のびをし、駈けだし、そして
美というものは物に即したもの、物そのものであり、生きぬく人間の生きゆく先々に支えとなるもので、よく見える目というものによって見えるものではない。美は悲しいものだ。孤独なものだ。
小林はもう悲しい人間でも不幸な人間でもない。彼が見ているのは、たかが人間の孤独の相にすぎないので、生きる人間の苦悩というものは、もう無縁だ。そして満足している。骨董を愛しながら。鑑定しながら。そして奥義をひらいて達観し、よく見えすぎる目で人間どもを眺めている。思想にも意見にも動きやしない。だからもう生きている人間どものように、何かわけの分らぬことをしでかすようなことはないのだ。そのくせ彼は水道橋のプラットホームから落っこったが、彼の見えすぎる目、孤独な魂は何と見たか。なにつまらねえ、たとえ死んだって、オレ自身の心は自殺と見たっていいじゃないか。なんでもねえや。
自殺なんて、なんだろう。そんなものこそ、
女のふくらはぎを見て雲の上から落っこったという
小林秀雄という落下する物体は、その孤独という詩魂によって、落下を自殺と見、虚無という詩を歌いだすことができるかも知れぬ。
然しまことの文学というものは久米の仙人の側からでなければ作ることのできないものだ。本当の美、本当に悲壮なる美は、久米の仙人が見たのである。いや、久米の仙人の墜落自体が美というものではないか。
落下する小林は地獄を見たかも知れぬ。然し落下する久米の仙人はただ花を見ただけだ。その花はそのまま地獄の火かも知れぬ。そして小林の見た地獄は紙に書かれた