迎合せざる人

――尾崎士郎の文学――

坂口安吾




 日支事変以後、言論の圧迫が加わって、多くの作家が処世的に迎合し便乗的作品を書きはじめた時に、尾崎士郎はむしろ迎合しない側の作家であった。
 その彼が、太平洋戦争以後に、軍国主義文学の親玉の観を呈したに就ては、次のような理由があった。
 一九四一年十月ごろ青年作家何十名かに徴用令のあったとき、その中に加わった数名の知人を私は慰め見送ったが、その中で誰よりも打ちひしがれ、顔色すらあおざめて戦争を呪っていたのは尾崎士郎であった。
 その彼がフィリッピンへ従軍して帰還すると、日本文壇の王者の位置が彼を待っていたのであるから、人の運命はわからない。
 彼は従軍した作家のうちで、一人だけとりわけ年長であり、文壇的地位も他をぬいていた。したがって、その地位について、彼の持前の正直で純粋な性質が、人々に高く評価せられたのである。
 いったいに軍人は迎合人種を軽んずるから、節操あり、イヤなことをイヤだと言い、不服不満を正直に表明する尾崎士郎が、かえって軍人たちに高く評価され、又、一般にも敬愛をうける結果となったのである。
 尾崎士郎は英雄を崇拝する。又、彼はその生来、恋愛のできない男で、恋愛を人生の主たるものとはしないから、その文学が色情について恬淡てんたんである。この尾崎文学の趣味するところが軍人の趣味にあい、軍人の指導する当時の趣味に合った。
 然し、この趣味は彼の文学の表面的なことで、彼の思想に軍国趣味は毛頭なく、又、彼の文学が軍国主義者にかつがれたのも、軍人のもつ表面的な気質と趣味、そのセンチメンタリズムと、反女性的な態度とによったものであった。
 尾崎士郎の英雄崇拝というものは、その侵略的雄図などとはおよそ関係のないもので、むしろ逆に、英雄のもつ悲劇性、更にむしろその没落性によせる極めてリリカルなる感傷的同感であって、石田三成、ジンギスカン、西郷南洲、すべてその没落の悲愴美へよせる詩情と、その詩情をもって人生の切なさの究極と見る彼の素朴な思想の表れにすぎない。
 英雄を主題とした彼のどの作品にも、侵略雄図の謳歌おうかなどは更に無く、ただ悲愴美へよせるリリスムへの惑溺わくできのみで、ジンギスカンの如き大侵略家をとらえてすら、彼の関心はもっぱら蒙古の風土によせる感傷であり、没落と死滅のコーダへ急ぐ宿命人の悲愴美を感性的に表明しようとするリリスムだけしか持ち合せない。
 戦い敗れた石田三成を山河の自然や流れる雲に托し、驚くべし三百枚すべて自然描写によって英雄を描くという、彼の無思想性と、いたずらな悲愴美への惑溺、風景へよせる詩情の過剰、時には馬鹿らしいものがある。然し、そこに、軍国主義者や、軍国時代の読書家に愛好された理由があった。
 日本の軍人たちの文学的教養は低俗で、たかだか漢詩を吟ずるぐらいの風懐しか持たない上に、恋愛を人生に有害無用のものと見ているから、尾崎士郎の文学が、その心情をもっぱら自然の風物に発散させ、愛慾の如きは一夢と観じ、人間関係の究極の救いをも自然の風物に托している、そのリリスムとセンチメンタリズムが、彼ら軍人たちには至高の文学に見えたのである。
 又、当時の青年男女にとっても、彼らにとって、戦争とは、侵略などとは無関係なことであり、ただ自らの死滅とのみ痛切に結びついているだけのこと、いわばわが殉国の没落詩、死の悲愴を厭でもわがノスタルジヤとせざるを得ぬ悲痛な定めであった。彼らのかかる心情に、尾崎文学の唄うリリスムが最も共感せられたのは当然であった。
 軍部に迎合し時局便乗の処世にあせる作家たちが、己れを偽って、空虚な時局小説を書いたことに比べれば、尾崎士郎は戦争中も、自己を偽りはしなかった。偽る必要がなかった。その持ち前の悲愴美へのリリスムを描いて通用したからである。したがって、すべての時局小説が空虚なこしらえ物であるとき、彼の文章のみが真実の詩を語り、その真実の詩によっても、益々当時の最高の文学として評価せられ、愛読せられたのであった。
 その時代の文壇の王者として尾崎士郎が軍国主義者に担がれたことは、むしろ賀すべきことであったと私は信ずる。
 なぜなら便乗迎合に汲々たる誰人かが彼の位置に代ったなら、お先走りをし、軍部の手先きとなり、積極的に侵略を謳歌し、鳴物入りで文学を戦争宣伝の具と化せしめて、文学を汚濁に落したであろう。
 尾崎士郎には、ともかく軍部に屈しない気骨と節操とがあった。軍国主義者に積極的に協力するところは微塵みじんもなく、その行き過ぎや迎合の世相に諷意をこめ、ある点まで直言することも辞さなかった。当時としては、それが精一ぱいであったろう。それ以上はどうにもならぬ限界があり、その先は、胸ふくれても、どうにもならず、そのモヤモヤを表現するに風景へ逃げこまざるを得ないような意味もあって、彼の当時の文章の過剰にすぎる風景詩やリリスムには、そのやむを得ざる彼の渋面を読みとることができるのである。
 彼の文学が流行し、彼が文壇の王者となった理由は以上の如くであり、当時の彼の小説を精読するならば、この真相は判明する筈である。
 繰り返し附言したい一事は、彼が本来反軍部的であり、非迎合的気質で、不服不満をある点までハッキリ直言し表明した素直な気質が、あべこべに軍人たちに愛好されたということだ。軍人というものは、迎合者よりも、反逆的でも、ある点までズバズバ直言する人間の方を信用もし愛好もするもので、そのために、非迎合的反軍的な尾崎が、むしろそのためにも軍人に担がれるという不思議な結果を生んだ。日本人の性格を歴史的に調べても、この奇怪事が実は極めて一般的な出来事であることを理解せられるであろう。一九四八年四月十二日記。





底本:「坂口安吾全集16」ちくま文庫、筑摩書房
   1991(平成3)年7月24日第1刷発行
底本の親本:「日本経済新聞 第二八一六〇号」
   1964(昭和39)年3月3日発行
入力:持田和踏
校正:ばっちゃん
2024年1月21日作成
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