人口論

AN ESSAY ON THE PRINCIPLE OF POPULATION

第一篇 世界の未開国及び過去の時代における人口に対する妨げについて

トマス・ロバト・マルサス Thomas Robert Malthus

吉田秀夫訳




    第一章 問題の要旨――人口及び食物の増加率

 社会の改善に関する研究において、当然現れ来たるこの問題の研究方法は次の如くである、――
 一、幸福に向っての人類の進歩を在来阻害し来った諸原因を探究すること、及び、
 二、将来におけるかかる原因の全的または部分的除去の蓋然性を検討すること。
 この問題に十分に立入り、そして人類の改善に在来影響を及ぼした一切の原因を列挙することは、一個人の力では到底出来ないことである。本著の主たる目的は、人類の性質そのものと密接に結びついている一大原因の及ぼす影響を検討するにあるが、これは、社会始って以来不断にかつ有力に働いて来ているにもかかわらず、本問題を取扱った諸論者によってはほとんど注意を払われていないものである。この原因の存在することを証明する事実はなるほどしばしば述べられ認められているが、その自然的必然的結果はほとんど全く看過されている。しかしおそらくかかる結果の中には、あらゆる時代の有智の慈善家が絶えずその是正を目的としたところの、かの罪悪と窮乏、及び自然の恵みの不平等な分配の、非常に多くの部分を、数えることが出来よう。
 私の云う原因というのは、それに対して備えられた養分以上に増加せんとする一切の生物の不断の傾向のことである(訳註)。
〔訳註〕マルサスの意識においては、第一版の直接目標はゴドウィン、コンドルセエ流の思想の克服であり、その基礎理論として人口理論が用いられたのであるが、第二版以下ではこの基礎理論の説述そのものが主題となっている。このことは第一版と第二版以下各版との冒頭の文を比較すると最もよくわかる。第一版の冒頭は次の如くである。
『近年自然科学上に行われた予想外の大発見、印刷術の拡大による一般知識の普及、教養ある社会や教養のない社会にすら拡がっている熱心不羈の研究心、政治問題に投ぜられた人を眩惑驚倒せしめる著大の新光明、特に火焔の彗星の如くに新生命新気力をもって鼓舞するかまたは地上の畏縮せる住民を焦烙破滅せしめずんばおかぬ政治線上の恐るべき現象たるフランス革命は、すべて相共に多数の有能の士をして、吾々は、最も重大なる変化、ある程度に人類の将来の運命を決すべき変化の、大時代に、触れているのであるとの意見を、いだかしめるに至っている。
『云う所によれば今や大問題が発せられているのである、曰く、人間は今後加速度的に、在来考え及ばなかった無限の改善に向って出発し進み行くであろうか、または幸福と窮乏との間の永久的擺動はいどうに運命づけられ、あらゆる努力を払ってなお所期の目標から測り知れぬ遠きになお止るであろうか、と。
『しかし人類を愛する物が誰もこの面倒な不安の解決をいかに熱心に期待しなければならなくとも、また研究心に富む者がその将来如何を教うべき光明をどんなものであろうといかに切に歓迎しようとも、この重大なる問題を論ずる両方面の論者がなお互いに隔絶していて手を握らないのは、惜しみても余りあるところである。彼等の相互の議論は公平な検討を受けていない。問題はより少数の点に集中還元されておらず、理論上ですら決定に近づいているとは思われない。
『現存事態を擁護する者は、一派の思弁的哲学者を遇するに狡猾な陰謀家をもってし、彼等は慈善を褒めそやして魅惑的なもっと幸福な社会状態をえがき上げ現存制度を破壊し自分達の野心の深謀を進めさえすればよいとしているか、または乱暴な気違いの狂熱家であってその馬鹿々々しい思索や飛んでもない背理は理性ある何人もそれに注意を払う必要のないものである、と考えがちである。
『人間と社会との可完全化性を擁護する者は、現存制度の防衛者をこれ以上の軽蔑をもって応酬している。すなわちこれに烙印するに最も惨めな狭隘な偏見の奴隷をもってし、またただ自分がそれにより利益を得るので市民社会の弊害を防衛するものなりとしている。更にまたこれを劃くに利益のために悟性を売買するの徒なりとし、またその精神力は偉大にして高尚なるものはいずれもこれを把握する力なく、身の前五ヤード以上を見る明なく、従って叡智に富む人類の恩人の見解を取容れることは全然出来ないものとしている。
『かくてこの敵対の中にあって真理の大道は苦難せざるを得ない。この問題を論ずる両方面にはいずれも真によい議論があるのだけれども、それは正当の力を発揮するを許されないでいる。双方は自説を執って、反対側の者が述べる所を注意して自説を訂正改善しようとはしない。
『現存秩序を擁護する者は一切の政治的思弁を概括的に否としている。彼は退いて社会の可完全化性推論の論拠を検討することすらしないであろう。いわんやその誤りを公平に指摘するの労を採るが如きことはなかろう。
『思弁的理論家もまた同じく真理の大道を犯している。彼はもっと幸福な社会状態の有様を最も魅惑的に描き上げてこれのみに眼を止めて、一切の現存制度を口を極めて罵倒して喜んでおり、その才能を用いて弊害を除くべき最良最安全の方法を考えることなく、また理論上ですら完全へと向う人間の進歩を脅かす恐るべき障害に気づいているようにも思えない。
『正しい理論は常に実験によって確証されるというのは学問上認められた真理である。しかし実地の上では最も知識が広くかつ鋭い人にもほとんど予見し得ないような多くの摩擦や多数の微細な事情が起るので、経験に照してもなお正しかったものでなければいかなる理論も大抵の問題について正しいものとは云い得ない。従って経験に照してみない理論は、それに対する反対論をすべて念入りに考察し、これを十分にかつ首尾一貫して反駁してしまうまでは、おそらくそうであろうということは出来ず、いわんや正しいとすることは出来ない。
『私は人間と社会との可完全化性を論じたものを二三読んで非常に愉快であった。私は彼等が提供している、人を魅了するような光景に興奮と興味とを覚えた。私はこのような幸福な改良を熱心に希望している。しかしその途上には大きなしかも私の考えでは打克ち得ない困難があると思う。この困難を説明するのが私の今の目的であるが、しかし同時に私はこれをもって、革進を擁護するものを打倒する理由だといって歓喜しているものでは決してなく、この困難が完全に排除されるほど私にとって愉快のことはないということを、ここに宣明しておく次第である。
『私が述べようとする最も重要な議論は確かに新奇なものではない。その基礎たる原理は一部分はヒュウムが述べた所であり、またアダム・スミス博士は更に広くこれを述べている。ウォレイス氏もこれを述べ今の問題に適用しているが、もっともそれに十分の重きを置いて説いてはいない。そしておそらくこれは私の知らない多数の論者が述べていることであろう。従ってもしこれが正当十分に反駁されていたのであるならば、私はこれを今まで私が見たものとはやや異った見地で論じようとは思うが、それにしてもこれをもう一度述べる気にはならなかったことであろう。
『人類の可完全化性を弁護する人々がこのことを何故に無視するかは容易には説明がつかない。私はゴドウィンやコンドルセエの如き人々の才能を疑うことは出来ない。私は彼らの公正を疑おうとは思わない。私の見る所ではこの困難は打克ち得ないものであるがおそらく他の人も大抵はそう思うことであろう。しかるにその才能と智力とが周知なこれ等の人々はこれにほとんど留意しようとはせず一貫した熱意と信念とをもってかかる思索の道を進めているのである。彼らは故意にかかる諸論に眼を閉じているのであると云う権利は確かに私にはない。私としてはむしろ、かかる議論が私にはいかに真であると思われて止まないとしても、かかる人々がこれを無視しているのであるからその真なることを疑うのが本当であろう。しかしこの点においては吾々は誰でも誤謬に陥るの傾向を余りにもち過ぎていることを認めなければならない。もし私が一杯の葡萄酒がある人に何度も出されているのにその人がこれに見向きもしないのを見るならば、私はその人が盲目であるか無作法な人だと考える気になるに違いない。しかしもっと正しい理論は、私の眼がどうかしていたのであり、出されたものは葡萄酒ではなかったということを、私に教えるかもしれない。
『議論に入るに当って、私は、一切の臆説を、すなわち正しい学問的根拠によればそれが実現するであろうとは考えられない仮定を、この問題から切離してしまうことを、前提しなければならない。ある論者は人はついには駝鳥になるものと考えると私に云うかもしれない。私はこれをうまい具合に否定することは出来ない。しかし彼が思慮ある何人かを同意見ならしめようと思うならば、彼は、人類の首は徐々として長くなって来ており、唇はますます固く大きくなって来ており、足は日に日にその形を変えており頭髪は羽毛に変りはじめているということを、まず証明しなければならない。そしてかような素晴らしい変化が本当に起っているということが証示されないうちは、人間が駝鳥になれば幸福になるとしゃべり立て、その走力と飛翔力を述べ立て、人間は一切のつまらぬ贅沢を問題にしなくなり、生活必需品の蒐集にのみ当り、従って各人の労働分担額は軽微となり閑な時間は十分になる、と云ってみたところで、それは確かに時間つぶし議論つぶしに過ぎない。』
 フランクリン博士は、動植物が密集しそして相互の生活資料を妨害し合うことから生ずるものを除いては、その出産性に対する限界はない、と云っている。彼は云う、地球の表面に他の植物がないならば、徐々としてただの一種たとえば茴香が蔓延して全土をおおってしまい、またそれに他の住民がいないならば、それは数世紀にして、ただの一国民たとえば英蘭人で充ち満ちるであろう、と1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Franklin's Miscell. p. 9.
 これは議論の余地なく本当である。動植物界を通じて、自然は生命の種子を、最も惜しみなく気前よく播き散らしたが、しかしそれを養うに必要な余地と養分とについては比較的これを惜しんだ。この土地に含まれた生命の種子は、もし自由にのびることが出来るならば、数千年にして数百万の世界を満たすであろう。だが、必然という、緊急普遍の自然法則は、それを一定の限界以内に抑制する。動物の種と植物の種とはこの大制限法則の下に萎縮し、そして人間も、いかなる理性の努力によっても、それから逃れることは出来ないのである(訳註)。
〔訳註〕このパラグラフは第一版に若干加筆せるものの再録である。1st ed., pp. 14-15.
 なお第二版以下では、右の二つのパラグラフが示す如くに、問題提起後、直ちに人口と食物との両増加力の不等が説かれているが、第一版ではこれに先立って、有名な『公準』(postulata)が出て来る。すなわち右に引用した第一版からの文に続いて、次の如くある、――
『私は二つの公準を置いて差支えないと考える。
『第一に、食物は人間の生存に必要であるということ。
『第二に、両性間の情欲は必然であり、そしてほとんどその現状を維持するであろうということ。
『これ等の二法則は、吾々が人類について少しでも知識を有つに至った時以来、吾々の天性の確定法であったように思われる。そして吾々は今までこれに何の変化も見なかったのであるから、最初に宇宙の秩序を作り上げそして自分の創造物のために今なお確定法に従ってその各種の働きの一切を行っている神が直接に手を下さない限り、以上の事実が現在とは異るものとなるであろうと結論するの権利は、吾々にはないのである。
『私の知る限りでは地上において人間が終には食物なくして生きて行けるようになろうと考えた論者はない。しかしゴドウィン氏は両性間の情欲はそのうちになくなるであろうと推論している。だが彼はその著のこの部分は臆説の範囲にそれた所であると云っているから、私はここではただ人間の可完全化性を証明せんとする議論は、人間が蒙昧状態から今まで遂げて来た大きな進歩とそれがどの点に至ったら停止するかは云い難いという点から引出すのが最もよい、と述べるに止めて置こう。ところが今までは両性間の情欲は少しも消滅には向っていない。それは現在なお二千年または四千年前と同じ力で存在しているように思われる。現在個人的例外はあるが、しかしそれはいつでもあったことである。そしてこれ等の例外はその数を増すとは思われないから、ただ例外があるというだけのことで、この例外がその中に原則となり原則が例外となると推測するのは、確かに極めて非学問的な論法であろう。
『しからば私の公準は認められたものとして、私は云う、人口増加力は人間に生活資料を生産する土地の力よりも、不定限に大きい、と。』
 植物と非理性的動物においては、問題は簡単である。彼らはすべて有力な本能によってその種の増加へと駆り立てられる。そしてこの本能はその子孫の養育に関する疑惑によって妨げられることはない。従って、自由のあるところ常に増加力は発揮される。そして過剰な結果は、後に至って、余地と養分との不足によって抑圧される(訳註)。
〔訳註〕最後の部分は第二版では次の如くなっている、――
『そして過剰な結果は、後に至って、余地と養分との不足によって抑圧されるが、これは植物と動物に共通なことであり、また動物にあっては、相互の餌となることによって抑圧される。』
 なお第一版では、この全パラグラフは、『植物と動物においては』の語にはじまり、『養育に関する疑惑』が『養育に関する推理または疑惑』とあって、以下第二版の形のままとなっており、更に第二版以下のこのパラグラフの頭と共に、場所がここからはずっと離れて、現われている。1st ed., ch. II. pp. 27-28. そしてこの次のパラグラフに該当するところには、ただ次の如くあるに過ぎない。
『植物と動物にあっては、その結果は、種子の濫費、疾病及び早死である。人類にあっては窮乏及び罪悪である。前者たる窮乏はその絶対に必然的な帰結である。罪悪は著しく蓋然的な帰結である、従って吾々はそれが大いに瀰漫びまんしているのを見るのであるが、しかしおそらくこれを絶対に必然的な帰結と呼んではならぬであろう。道徳上の苛責は害悪へのあらゆる誘惑に抗するにある。』1st ed., pp. 15-16,
 この妨げの人間に与える影響はもっと複雑である。等しく有力な本能によってその種の増加へと駆り立てられるが、理性はその進行を妨げ、そして彼に、生活資料を与え得ない者を世に生み出しているのではないか、と訊ねる。もし彼がこの自然の示唆に耳を傾けるならば、この抑制は余りにもしばしば罪悪を生み出す。もしこの示唆を聞かぬならば、人類の種は不断に生活資料以上に増加しようと努めていることになろう。しかし、食物をして人間の生活に必要ならしめるところのわが天性の法則によって、人口はそれを養い得る最低の養分以上に実際に増加することは決して出来ないのであるから、食物獲得の困難から生ずる人口に対する強力な妨げが不断に作用していなければならない。この困難はどこかに落ちて来なければならず、そして必然的に人類の大きな部分によって、何らかの形の窮乏または窮乏の恐怖として、痛烈に感ぜられなければならない(訳註)。
〔訳註〕このパラグラフの後半は 1st ed., p. 14. の各所からの書き集めである。
 人口が生活資料以上に増加せんとするこの不断の傾向を有つこと、及びそれがこれら諸原因によってその自然的水準に抑止されていることは、人類が経過した種々なる社会状態を概観すれば十分わかるであろう。しかし、この概観へと進むに先立って、もしそれが完全に自由に働くがままに委ねられていたら人工の自然的増加はどんなものであろうか、また人類勤労の最適事情の下における土地の生産物の増加率はどのくらいが期待出来るかを、確かめようとする方が、おそらくこの問題をはっきり理解するに都合よいであろう(訳註)。
〔訳註〕第二版にはこれに続いて次の一文がある。
『これら二つの増加率を比較すれば、吾々は、上述せる生活資料以上に増加せんとする人口の傾向の力を判断し得るであろう。』
 行状は極めて純潔簡素であり、生活資料は極めて豊富であり、ために、一家を養う困難から生ずる早婚に対する妨げが何も存在したことはなく、また悪習や都市や不健康な職業や過労によって人類の種の浪費が生じたこともない国は、今まで知られていないことが、認められるであろう。従って、吾々の知るいかなる状態においても、人口の力が完全に自由に働くがままに委ねられたことはないのである。
 結婚に関する法律が制定されていようが、いまいが、自然と道徳との教えるところは、年早く一人の婦人に愛着することであるように思われる。そしてかかる愛着の結果たるべき結婚に対し、いかなる種類の妨害もなく、そしてその後に至って人口減退の原因もないならば、人類の増加は明かに、今まで知られているいかなる増加よりも遥かにより大であろう(訳註)。
〔訳註〕以上の二つのパラグラフは 1st ed., pp. 18-19. に、これとほぼ一致する記述がある。
 生活資料はヨオロッパの近代諸国のいずれよりもより十分であり、人民の行状はより純潔であり、そして早婚に対する妨げはより少い、アメリカの北部諸州においては、人口は、一世紀半以上も引続いて、二十五年以内に倍加したことがわかっている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかも、この期間内ですら、都市のあるものにおいては死亡は出生を超過したが2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、これは、この不足を補充した地方においては、増加は一般平均よりも遥かに急速であったに違いないことを、明かに証明する事情である。
 1) ある最近の計算と見積りによれば、最初のアメリカ植民から一八〇〇年に至る間において、倍加期間は二十年をやや上廻る程度でしかなかった。第二篇第十一章におけるアメリカの人口の増加に関する註を参照。(訳註――この註は第三版より現る。なお本文の前半は 1st ed., p. 20. から加筆の上第二版に採用され、更に全部は第三版にて若干加筆さる。)
 2) Price's Observ. on Revers. Pay. vol. i. p. 274, 4th edit.
 唯一の職業は農業であり、そして悪習や不健康な職業はほとんど知られていない、奥地の植民地においては、人口は十五年にして倍加したことがわかっている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この異常な増加でさえ、おそらく、極度の人口増加力には及ばないであろう。新しい国を開発するには非常に過酷な労働が必要であり、かかる場所は一般に特に健康的とは考えられず、またおそらく住民は時々インディアンの襲撃を受けるであろうが、これは若干の人命を損じ、またはとにかく勤労の結果を減少することであろう。
 1) Price's Observ. on Revers. Pay. vol. i. p. 282, 4th edit.
 出生の死亡に対する比が三対一の比例である場合に、三六分の一という死亡率に基いて計算された、オイラアの表によれば、倍加期間はわずか一二年五分の四であろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかもこの比例は、ただに蓋然的な仮定であるばかりでなく、一国以上において短期間に実際起ったところのものである。
 1) 第二篇第四章末尾の本表を参照。
 サア・ウィリアム・ペティは、倍加は、十年というが如き短期間に可能である、と想定している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Polit. Arith. p. 14.
 しかし、吾々が全く確実に真理の範囲内にあらんがために、吾々は、これらの増加率の中で最もおそいもの、すなわち一切の共在する証言が一致し、そして生殖のみによるものなることが繰返して確証された一つの率を、とることとしよう。
 従って私は、人口は、妨げられない時は、二十五年ごとに倍加し続け、または幾何級数で増加する、と云って間違いなかろう(訳註)。
〔訳註〕これとほとんど同一文は 1st ed., p. 21. にある。
 土地の生産物が増加すると想像される比率を決定することはそれほど容易ではないであろう。しかしながら、これについては、限られた領域におけるその増加率は、人口増加率とは、全然その性質を異にしなければならぬ、と全く確信し得よう。十億人は一千人と全然同じく容易に人口増加力によって二十五年ごとに倍加される。しかし、この大きい方の数字から生じた増加分を養うための食物は、決して小さい方のそれと同様に容易には獲得されないであろう。人間は必然的に余地によって制限される。一エイカア一エイカアと加えられて遂に一切の肥沃な土地が占有された暁には、年々の食物増加は、既に所有されている土地の改良に依存しなければならぬ。これは、一切の土壌の性質上、逓増はせず、徐々に逓減するところの、基金である。しかし人口は、食物がそれに与えられるならば、少しもその力を減ずることなく増加し続け、そしてある時期の増加は次の時期にはより大なる増加力を与え、かくてはてしなく続くであろう。
 支那や日本について記したものから見ると、人類の勤労をいかによく向けてみたところで、これらの国の生産物は多年を経て一度ですら倍加し得ようかと、立派に疑うことが出来よう。なるほど地球上には、今まで耕作されず、またほとんど占有されていないところが、たくさんある。しかし、これら人口稀薄な地方の住民でさえ、これを絶滅し、またはこれを餓死するに違いない一隅においやるの権利は、道徳上の観点から疑問を挿み得よう。彼らの精神を進歩させ彼らの勤労を指導するという過程は、必然的に徐々たるものであろう。そしてこの期間に、人口は規則正しく増加し行く生産物と歩調を合せるであろうから、高度の知識と勤労とが直ちに肥沃な未占有地に働きかけることになるということは、ほとんどないであろう。新植民地で時に起る如くに、かかる事態が生じたとしても、幾何級数は異常に急速に増加するので、この利点は永続し得ないであろう。もしアメリカ合衆国が増加し続けるならば――これは確かに事実であろう、もっともその速度は前と同じではなかろうが――インディアンはますます奥地へとおいやられ、遂にはこの全種族は絶滅され、そして領地はそれ以上拡張し得なくなるであろう(訳註)。
〔訳註〕『そして領地はそれ以上……』は第五版より現る。
 右に述べたところは、ある程度、土壌が不完全にしか耕作されていない一切の地方にあてはめることが出来る。アジアやアフリカの最大部分の住民を絶滅するということは、一瞬といえども許され得ない思想である。韃靼人や黒人の種々なる種族を文明化しその勤労を指導するということは、確かに、著しく長時間を要し、しかもその成功の程度も確実性も当てにならぬ仕事であろう。
 ヨオロッパは決してその極点まで人口が稠密になっていない。ヨオロッパには、人類の勤労が最良の指導を受け得る可能性が最も多い。農学は英蘭イングランド及び蘇格蘭スコットランドにおいて大いに研究されて来ている。そしてなおこれら諸国には広大な未耕地がある。そこで、改良に最も好都合な事情の下において我国の生産物がどんな比率で増加すると想像し得るかを、考えてみよう。
 もし、最良可能の政策により、また大きな農業奨励により、この島国の平均生産物が最初の二十五年で倍加され得る、と認められるならば、これはおそらく、合理的に期待し得る以上の増加を認めていることになろう。
 次の二十五年に、生産物が四倍にされ得ると想像することは、不可能である。これは地質に関する吾々の一切の知識に反するであろう。不毛地の改良は時間と労働とを要する仕事であろう。そして農業上の問題を少しでも知っているものには、耕作が拡張されるに比例して、以前の平均生産物に年々加えられ得る増加は、徐々にかつ規則正しく、逓減して行かなければならぬことは、明かでなければならない。そこで、人口と食物との増加をよりよく比較し得んがために、正確をよそおうことなくして、土地の性質に関し吾々が有ついかなる経験が保証するよりも以上に明かに土地の生産力にとり有利な過程をしてみよう。
 以前の平均生産物に対し加えられる、年々の増加が減少することなくして――これは確かに減少するであろうが――依然同一であり、そしてわが島国の生産物が二十五年ごとに、現在の生産額と等量だけ増加され得る、と仮定しよう。最大の楽天家といえどもこれ以上に大きな増加を仮定することは出来ない。かくて数世紀にしてこの島国は寸地も余さず花園のようになるであろう(訳註)。
〔訳註〕以上三つのパラグラフに該当するものは、1st ed., pp. 21-22. にある。ただし農業生産の特殊性に関する説明が詳細になっている。
 もしこの仮定が地球全体にあてはめられ、そしてもし土地が与える人間の生活資料が二十五年ごとに現在の生産額だけ増加され得ることが認められるならば、これは、あらゆる可能な人類の努力がなし得ると吾々が想像し得る遥か以上の増加率を仮定することになるであろう。
 従って、土地の現在の平均状態を考慮して、生活資料は、人類の勤労に最も好都合な事情の下において、算術級数以上にすみやかにはおそらく増加せしめられ得ない、と立派に云えるであろう(訳註)。
〔訳註〕このパラグラフに該当するものは、1st ed., p. 23.
 これら二つの異る増加率を一緒にした場合に必然的に生ずる結果は、極めて驚くべきものがあろう。この島国の人口を一千百万とし、現在の生産物はこの数を容易に養うに等しいものであると仮定しよう。最初の二十五年では、人口は二千二百万となり、また食物も倍加されるから生活資料はこの増加に等しいであろう。次の二十五年では、人口は四千四百万となり、生活資料はわずかに三千四百万を養うにに等しいだけであろう。その次の時期には、人口は八千八百万となり、生活資料はちょうどその半数を養うに等しいだけであろう。かくて最初の一世紀の終りには、人口は一億七千六百万となり、生活資料はわずかに五千五百万を養うに等しいのみであり、一億二千百万の人口は全く食物を与えられないということになるであろう(訳註)。
〔訳註〕このパラグラフに該当するものは、1st ed., pp. 23-24.
 この島国の代りに地球全体をとれば、移民はもちろん別問題になる。そして、現在の人口を十億に等しいと仮定すれば、人類は一、二、四、八、一六、三二、六四、一二八、二五六と増加し、そして生活資料は一、二、三、四、五、六、七、八、九と増加するであろう。二世紀すれば、人口の生活資料に対する比は二五六対九となり、三世紀すれば四〇九六対一三となり、そして二千年たてばその開きはほとんど計算し得なくなるであろう。
 右の仮定においては、土地の生産物に対してはいかなる限界もおかなかった。それは永久に増加し、そして指示し得るいかなる数よりも大となるであろう。しかもなお人口増加力はあらゆる時期において極めて優越するので、人類の増加は、より大なる力に対する妨げとして働くところの、かの強力なる必然の法則の不断の作用によってのみ、生活資料の水準に抑止され得るのである(訳註)。
〔訳註〕以上二つのパラグラフに該当するものは、1st ed., pp. 25-26.
[#改丁]

    第二章 人口に対する一般的妨げとその働き方について

 しからば、人口に対する窮極的妨げは、人口と食物とが増加する率が異るところから必然的に生ずる、食物の不足であることがわかる。
 直接的妨げは、生活資料の稀少によって発するように思われる一切の慣習と一切の疾病、及び、この稀少とは関係がないが、時期に先立って人類の体躯を弱めかつ破壊する傾向のある、道徳的たると物理的たるとを問わず、一切の原因であると云い得よう(訳註)。
〔訳註〕以上全部は第三版より現る。
 あらゆる社会において不断に多かれ少なかれ有力に働いており、そして人口を生活資料の水準に保っている、人口に対するかかる妨げは、二つの一般的部類に分類され得よう、――すなわち予防的妨げと積極的妨げとに。
 予防的妨げは、自発的である限りにおいて(訳註1)、人間に特有なものであり、人間をして遠い結果を秤量し得せしめる理性力の優越特性に発するものである。植物及び非理性的動物の不定限の増加に対する妨げは、すべて、積極的であるか、または予防的であるとしても非自発的である(訳註2)。しかし人間は、自己の周囲を見廻わし、そして大きな家族を有つ者をしばしば圧迫する窮情を見る時には、また現在ほとんど自分で消費しているその現在の財産か稼ぎ高を考え、そしてそれにほとんど加えるところなくしてこれをおそらく七人または八人に分たねばならぬ場合の各人の分前を計算してみる時には、彼がその思考のおもむくままに従うならば、彼がおそらくはこの世にもたらすべき子供達を養うことが出来るであろうか、という疑惑を感ぜざるを得ないのである。平等社会(訳註3)という風なものがあり得るとすれば、かかる社会では、これは簡単な問題であろう。だが現在の社会状態においては、他の考慮が起って来る。彼は世におけるその地位を低め、そして以前の習慣を著しく抛棄せざるを得なくなりはしないであろうか。何かの仕事が現れて来て、それにより、一家を維持することを合理的に希望し得ようか。とにかく彼は、独身の場合よりも大きな困難と激しい労働とに身を委ねることにはならないであろうか。自分自身が身につけていると同じ教育と進歩とをその子供達に譲ることが出来ないのではなかろうか。大家族を有つならば、彼が出来るだけ努力しても、襤褸らんると赤貧と、及びその結果たる社会における堕落とから、彼らを救い得るということでさえ、確信し得るだろうか。そしてその独立を失い、かつ慈善の乏しい手に暮しを頼らざるを得ないという、切端せっぱつまった地位に立つことにはならぬであろうか、と。
〔訳註[#「註」は底本では欠落]1〕『自発的である限りにおいて』なる句は第3版より現る。
〔訳註2〕この一文は第二版では次の如くである、――
『植物及び動物は、明かに、その子孫の将来の養育については何の疑問も有たない。従って彼らの不定限の増加に対する妨げは、すべて積極的である。』
〔訳註3〕この個所以下と次のパラグラフとは、1st ed., p. 28. からの書き写しである。
 かかる考慮が払われればこそ、あらゆる文明諸国の多数のものは、一人の婦人に愛着するという自然の命に服さずにいるように思われるし、また確かに服さずにいるのである(訳註)。
〔訳註〕第一版ではこれに続いて次の一文があったのであるが、第二版以下ではこれを削除し、その代りとしてこれ以下の記述が現れたのである。
『そしてこの抑制は、絶対的にではないとしても、ほとんど必然的に、罪悪を生み出す。しかしすべての社会では、最も罪悪の多い社会ですら、道徳的な結合に向う傾向は非常に強く、従って人口の増加に向う不断の努力がある訳である。この不断の努力は、同じく不断に、社会の下層階級を困窮に陥らしめ、その境遇の何らかの永久的大改善を妨げる傾向があるのである。』
 もしこの抑制が罪悪を生み出さないならば(訳註)、これは疑いもなく人口原理から生じ得る最小の害悪である。強力な自然的性向に対する抑制たることを考えれば、ある程度の一時的不幸をもたらすことは認めなければならぬが、しかし人口に対する他の妨げのいずれから生ずる害悪と比べても明かに軽微な不幸であり、そして道徳的因子の不断の職務たる永久的満足のための一時的満足の犠牲という、その外にも数多い場合と同一性質のものに過ぎない。
〔訳註〕第二版ではここに次の挿入句が入る、――
『これは多くの場合において事実であり、また中流及び上流の婦人の間では極めて一般的なことであるが、』
 なおこのパラグラフの最後の『そして道徳的因子の……』以下は第三版より現る。
 その他第三版以下で用語上の修正が若干ある。
 この抑制が罪悪を生み出す時には、これに伴う害悪は余りにも顕著である。子供の出生を妨げるほどの乱交は最も明かに人性の尊厳を低下するように思われる。それは必ずや男子に影響を与えるが、それが女性の人格を堕落せしめ、その一切の愛らしい女らしい特性を破壊する傾向よりも明かなものは、他にあり得ない。これに加うるに、あらゆる大都市に溢れている、かの不幸な女性のそれをもってするならば、おそらく他の人生のいかなる部門よりも大きな本当の惨情と多大の窮乏とが見られるということになる。
 性に関する道徳の一般的腐敗が一切の社会階級に瀰漫する時には、その結果は必然的に、家庭的幸福の源泉を害し、夫婦と親子の愛情を弱め、父母が一緒に子供を世話し教育する努力と熱意とを減少しなければならぬ、――かかる結果たるや必ず社会の一般的幸福及び道義の決定的減少を伴うものであり、特に私通を行うため、及びその結果を隠蔽するための、術策の必要は、必然的に他の多くの罪悪に導くにおいてを[#「を」は底本では「お」]やである。
 人口に対する積極的妨げは極度に多種多様あり、そして、罪悪から起ろうと窮乏から起ろうと、何らかの程度において人間の天寿を短縮するに役立つあらゆる原因を含むものである。従ってこの部類の下には、一切の不健康な職業、過酷な労働や寒暑への暴露、極貧、子供の養育不十分、大都市、あらゆる種類の不節制、一切の普通の病気や伝染病、戦争、悪疫、及び飢饉が挙げられ得よう。
 私が予防的及び積極的妨げの部類の下に分類した人口の増加に対するこれらの障害を検討すると、それがすべて道徳的抑制、罪悪、及び窮乏になることがわかるであろう。
 予防的妨げの中、不正常な満足を伴わない結婚の抑制は、正当に、道徳的抑制1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]と名づけられ得よう。
 1) 私がここで道徳的という言葉をその最も限られた意味に用いていることがわかるであろう。道徳的抑制とは、慎慮的動機に発する結婚の抑制で、この抑制の期間中厳重に道徳的な行為を行うことを、意味するものと理解されたい。そして私は意識的にこういう意味から離れたことはないのである。その結果と関係のない結婚の抑制を云おうと思う時は、私はそれを、慎慮的抑制と呼ぶか、または予防的妨げの一部――たしかにこれは予防的妨げの主たる部分である――と呼んでいるのである。
 私は、各種の社会段階を通観しているところで、人口を防止する上において道徳的抑制に十分の重要性を認めていないといって、攻撃されている。しかしここで述べたところの、この言葉の限られた意味を観るならば、この点について私は大きなあやまちは犯していないことがわかると思う。私が誤っているのなら私は非常に嬉しい(訳註――この註は第三版より現る)。
 乱交、不自然な情欲、婚床の冒涜ぼうとく、私通の結果を隠蔽するための不当な術策は、明かに罪悪の部類に属する予防的妨げである。
 積極的妨げの中、自然法則から不可避的に起ると思われるものは、もっぱら窮乏と呼び得よう。そして、戦争、不節制、その他多くの吾々の力で避け得るものの如き、吾々が明かに自ら招来したものは、混合的性質を有っている。それは罪悪によってもたらされ、そしてその結果は窮乏である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き、「1」が底本では欠落]
 1) 罪悪の一般的結果は窮乏であり、そしてこの結果が一行為が罪悪と呼ばれる正確な理由なのであるから、ここでは窮乏という言葉だけで十分であり、両者を用いるのは、余計なことだ、と思われるかもしれない。しかし罪悪という言葉を拒否すると、吾々の言葉と観念とに大きな混乱が起ることとなろう。吾々は特に、その一般的傾向が窮乏を生み出し、従って創造者の命と道徳論者の戒律によって禁ぜられている行為――もっともその直接のまたは個人的の結果においては、それはおそらくその正反対を生み出すであろうが――を、区別したいのである。吾々の一切の情欲の満足は、その直接の結果においては幸福であり、窮乏ではない。そして個人的な場合には、その遠い結果でさえ(少くともこの世においては)おそらく同じ名称の下に属するであろう。両当事者の幸福を増加ししかも何人をも害することなき、婦人とのある私通があったこともあろう。従ってかかる個人的行動は窮乏の部類の下に属することは出来ない。しかしそれでもなおそれは罪悪である、けだし明かな戒律を破る行動は、その個人的結果がどうあろうと、それが窮乏を生み出す一般的傾向ある故に、このように名づけられるのであるから。そして何人も、両性間の私通が社会の幸福を害する一般的傾向を疑うことは出来ない。
 これら一切の予防的並びに積極的妨げをまとめた合計が人口に対する直接的妨げをなすものである。そして全生殖力の発揮が許されないあらゆる国においては、予防的妨げと積極的妨げとは反比例的に動かなければならぬことは明かである。換言すれば、その原因の何たるを問わず、自然的に不健康であるか、または大きな死亡のある国では、予防的妨げはほとんど行われないであろう。反対に、自然的に健康であり、予防的妨げが大きな力で働いているのが見られる国では、積極的妨げはほとんど行われず、または死亡は極めて小であろう(訳註)。
〔訳註〕このパラグラフ全部は第三版より現る。
 あらゆる国においては、これらの妨げのあるものは、その力の大小こそあれ、絶えず働いている。しかしそれが広く普及しているにもかかわらず、生活資料以上に増加せんとする人口の不断の努力のない国はほとんどない。この不断の努力は、同じく不断に、社会の下層階級を困窮に陥らしめ、その境遇の何らかの永久的大改善を妨げる傾向があるのである(訳註)。
〔訳註〕これに該当する文が第一版にあることは、この前四つ目の訳註を参照。
 かかる結果は(訳註)、社会の現状においては、次の如くして生み出されるように思われる。吾々はある国の生活資料が、その住民を容易に養うにちょうど等しいものと、仮定しよう。最も罪悪の多い社会ですら作用していることが見られる人口増加へ向かっての不断の努力は、生活資料が増加しないうちに人口を増加せしめる。従って、以前には一千百万を養った食物は今度は一千百五十万に分たれなければならぬ。貧民の生活はその結果としていっそう悪くならなければならず、そしてその多くは極貧に陥らなければならぬ。労働者の数もまた市場における仕事の比例以上になるので、労働の価格は下落する傾向がなければならず、他方食物の価格は同時に騰貴するであろう。従って労働者は、前に稼いだと同じだけを稼ぐために、より多くの仕事をしなければならぬ。この困窮期には、結婚の阻害と一家を養う困難とは極めて大となり、ために人口の増進は遅延させられるであろう。しかるに、労働の低廉と労働者の豊富と彼らが勤労を増加しなければならぬ必要とは、耕作者を奨励して、新地を開き既耕地をより完全に施肥し改良するために、より多くの労働をその土地に投ぜしめ、かくて遂に生活資料は人口に対して、出発点の時期と同じ比例となるであろう。労働者の境遇はこの時にはまたもかなりよくなり、人口に対する抑制はある程度緩められる。そして、短期間の後に、幸福に関しての同じ後退前進の運動が繰返されるのである。
〔訳註〕本章のこれ以下の部分については、cf. 1st ed., ch. II., pp. 29 et seq.
 この種の擺動はおそらく普通の人にははっきりと見えないであろう。そして最も注意深い観察者にとってすら、その時期を計ることは困難であろう。しかし、古国の大部分では、この種のある交替運動が、私がここに述べたよりは遥かに不明瞭かつ不規則ではあるが、存在することは、この問題を深く考察する思慮ある人のよく疑い得るところではないのである。
 この擺動が、当然予想されるほどは今まで述べられておらず、またそれほどはっきりは経験によって確かめられていない、一つの主要な理由は、吾々が所有する人類の歴史が一般に単に上流階級のみの歴史であるからである。吾々は、人類のうちでかかる後退前進の運動が主として起る部分の行状と習慣とについて、当てになる記述はたくさん有っていない。一つの民族、一つの時代につき、この種の満足な歴史をつくるためには、多数の注意深い観察者が、不断の細心の注意をもって、社会の下層階級の状態とそれに影響を及ぼした原因とに関する、地方的なまた一般的な記述を行うことが必要であろう。そしてこの問題に関して正確な推論をひき出すためには、かかる歴史家が数世紀にわたって続いて出ることが必要であろう。この方面の統計的知識は、近年、ある国々において取扱われている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そして吾々は、かかる研究の進歩から人類社会の内部構造をもっとはっきり知り得るに至ることを期待し得よう。しかしこの科学はなおその幼年期にあり、そしてそれに関する知識を得ることが望ましい諸題目の多くは、取扱われていないかまたは十分正確に述べてないかである。かかるものとして数え得るものとしては、結婚数に対する成年数の比例、結婚の抑制の結果として悪習が普及している程度、社会の最も困窮している部分の子供ともっと楽に暮している者の子供との死亡率の比較、真実労働価格の変動、一定の期間の異る時期における、安易と幸福とに関しての、社会の下層階級の境遇の、眼に見える相違、及びこの問題において最も重要なものたる出生、死亡、及び結婚の非常に正確な記録である。
 1) サア・ジョン・シンクレイアが蘇格蘭スコットランドで配附した適切な質問と、彼がこの地方で集めた貴重な報告とは、彼に最高の名誉を与えるものであり、そしてこれらの報告は、永久に、この蘇格蘭スコットランド僧侶の学識、良智、教養の偉大な金字塔として残るであろう。隣接諸教区がこれと一緒になっていないのは遺憾なことであるが、もし一緒になっていたら、特定教区の状態を理解する上にも想起する上にも記憶に役立ったことであろう。この中にあらわれている反覆や前後矛盾する意見は、私の見解によれば、それほど非難するに当らない。けだしかかる調査の結果はいかなる個人の調査の結果よりも信頼し得るものであるからである。ある練達の士がかかる結果を引き出すとすれば、なるほど多くの貴重な時間は節約されるであろうが、その結果はそれほど満足なものではないであろう。もしこの仕事が附属的事項について若干手を加えられ、過去一五〇年に亙る正確完全な記録簿を含んでいたならば、それは測り知れぬ価値を有ち、そして一国の内部的状態に関し今まで世界にない完全な姿を表現したことであろう。しかしこの手を加えるという最後の最も重要な仕事は、いかに骨を折っても出来なかったことであろう。
 かかる細目を含んだ忠実な歴史があるならば、それは人口に対する不断の妨げがいかに働くかを大いに明かにする傾向を有ち、そしておそらく、上述の逆転進転の運動の存在を立証するであろう。もっともその振動の時期は多くの介在的原因によって必然的に不規則たらしめられざるを得ない。かかる原因とは、例えば、ある工業の興起または衰頽、農業の企業精神の普及の多少、年の豊凶、戦争、疾病流行期、貧民法、移民、その他類似の性質の諸原因が、それである。
 この擺動を普通の人の眼につかぬようにするにおそらく最も寄与した事情は、労働の名目価格と真実価格との相違である。労働の名目価格が普遍的に下落するというのはごく稀である。しかし、食料品の名目価格が徐々として騰貴して来ているのに労働の名目価格がしばしば依然同一であるという風な場合を、吾々はよく知っている。このことは実際、商工業の増大が、市場に投じ込まれる新らしい労働者を雇傭し、かつその供給の増加によって貨幣価格が低下するのを妨げるに、足るという場合には、一般的に起ることであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし、同一の貨幣労賃を受取る労働者数の増加は、必然的にその競争によって、穀物の貨幣価格を騰貴せしめるであろう(訳註1)。これは事実上労働の価格の真実下落であり、そしてこの期間中は、社会の下層階級の境遇は徐々として悪化して行かなければならぬ。しかし農業者と資本家とは、労働の真実低廉によって富んで行く。彼らの資本が増加するので、より多数の人間を雇傭し得るようになる。そして、人口はおそらく、一家を養う困難の増加によってある妨げを蒙ったであろうから、労働に対する需要は、一定の期間後には、供給に比例して大となり、そしてその価格は、その自然的水準に帰着するに委ねられるならば、もちろん騰貴するであろう。かくの如くして、労働の労賃は、従ってまた社会の下層階級の境遇は、労働の価格が名目上は少しも下落しなかろうとも、進転逆転の運動をすることであろう(訳註2)。
 1) もし年々市場に投じ込まれる新らしい労働者が、農業以外に雇傭口を見出さないならば、彼らの競争は労働の貨幣価格を下落せしめて、もって、人口の増加がより以上の穀物に対する有効需要をもたらすのを、妨げるに至るであろう。換言すれば、もし地主及び農業者が、彼らが生産し得る生産物の追加分と引替えに単に農業労働量の追加しか得られないならば、彼らはこれを生産しようとは企てないであろう(訳註――この註は第五版より現る)。
〔訳註1〕『このことは実際……騰貴せしめるであろう。』は第五版より現る。
〔訳註2〕ここの所には第一版からのかなりの訂正削除がある。第一版では次の如し、――
『労働の名目価格が普遍的に下落するというのはごく稀である。しかし、食料品の名目価格が徐々として増加して来ているのに労働の名目価格がしばしば依然同一であるという風な場合を、吾々はよく知っている。これは実際上労働の価格の真実下落であり、そしてこの期間中は、社会の下層階級の境遇は徐々としてますます悪化して行かなければならぬ。しかし農業者と資本家とは労働の真実低廉によって富んで行く。彼の資本の増加によって前よりも多くの人手を雇傭することが出来るようになる。従って仕事は多くなり、その結果として労働の価格は騰貴するはずである。しかし、教会法のあるためか、または富者は団結し易いが貧民はそれが困難であるというもっと一般的な原因かのために、多かれ少なかれどの社会にもある、労働市場における自由の欠除のために、おそらく凶作の年が起り、叫声は余りにも声高となり必要は余りにも明かとなってもはや抗し得なくなるまでは、労働の価格は右の当然騰貴すべき時期にも騰貴せず、その上しばらくの間依然として低いままになっているのである。
『かくして労働の価格騰貴の原因は隠蔽される。そして富者は、その騰貴を許したのは、凶作のことを考えて憐憫と恩恵から行ったことだとする。そして豊作の年がまた来るとその価格が再び下落しないという最も不合理な不平を並べ立てる。しかし彼等が少しでも考えてみたら、彼等自身の不正な陰謀がなければそれは遥か以前に騰貴していなければならなかったはずであることが、わかることであろう。
『しかし富者が不正な団結をしてしばしば貧民の困窮を長びかせるに役立っているとはいえ、しかもいかなる形の社会でも、不平等の社会では人類の大部分にまた万人が平等の社会では万人に及ぼすところの、窮乏のほとんど不断の作用を妨げることは出来ないであろう。』
 規則的な労働の価格の存在しない蒙昧社会にも、同様な擺動が起ったことはほとんど疑い得ない。人口がほとんど食物の極限まで増加した時には、すべての予防的及び積極的妨げが当然にその働く力を増加する。性に関する悪習はいっそう一般的となり、子供の遺棄はその頻度を増し、そして戦争と伝染病の機会と惨禍とは著しく増大するであろう。そしてこれらの原因は、おそらく、人口が食物の水準以下に低下するまで、その作用を続けるであろう。そしてその時には、食物が比較的豊富になるので人口増加が再び始まり、そして一定期間後、そのより以上の増加はまたも同一の原因によって妨げられるであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) サア・ジェイムズ・スチュワアトは、極めて適切にも、蕃殖力を、可変的な重りを載せられた発条に喩えているが(Polit. Econ. vol. i. b. i. c. 4, p. 20.)これはもちろん上述したと全く同種の擺動を生ずるであろう。彼は、その『経済学』の第一篇において、人口問題の多くの部分を極めてよく説明している。
 しかし、種々なる国におけるかかる進転逆転の運動を確証するためには、明かに吾々が所有しているよりも詳細な歴史が必要なのであり、また文明の進歩は当然にこの運動を緩和する傾向があるものであるが、吾々はここではこの運動を確証しようとは試みず、ただ次の命題を証明しようと思う、――
一、人口は必然的に生活資料によって制限される。
二、人口は、ある極めて有力にして顕著なる妨げにより阻止されぬ限り1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、生活資料が増加する場合にはあまねく増加する。
三、これらの妨げ、及び優勢な人口増加力を抑圧し、その結果を生活資料と平衡せしめる妨げは、すべて、道徳的抑制、罪悪、及び窮乏のいずれかとすることが出来る。
 1) 私はこのような用心深い表現法を採ったが、けだし私は、人口が生活資料の水準に達しない若干の場合がある、と信ずるからである。しかしこれらは極端な場合である。したがって概言すれば、次のように云い得よう、
 二、人口は生活資料が増加する場合には常に増加する。
 三、優勢な人口増加力を抑圧しその結果を生活資料と平衡せしめる妨げは、すべて、道徳的抑制、罪悪、及び窮乏のいずれかとすることが出来る。
 ここに生活資料の増加とは、社会の大衆をしてより多くの食物を支配し得せしめる如き増加の意であることを、観られたい。特定社会の現実の状態において、下層階級には分配されず、従って人口に対し何らの刺戟も与えないような、増加が、確かに起り得よう(訳註)。
〔訳註〕この註は第三版より現る。ただし『ここに生活資料の増加とは』以下は第五版より現る。
 なお右に現れた三命題は第一版では次の形で現れている、――
『人口は生活資料なくしては増加し得ないということは、極めて明かな命題であって何らの例証をも必要としない。
『人口は生活資料がある場合には常に増加することは在来のあらゆる民族の歴史が十分にこれを証明するであろう。
『そして、優勢な人口増加力は罪悪または窮乏を生ぜずしては妨げられ得ず、人生という杯に盛られたこのたっぷりとした苦味とそれを生じたと思われる物理的原因の永続性とは、余りにも確実な証拠を有っている。』
 これらの命題の第一はほとんど例証を必要としない。第二と第三とは、過去及び現在の社会状態における人口に対する直接的妨げを通観すれば、十分に確証されるであろう。
 この通観が以下の諸章の主題である。
[#改丁]

    第三章 人類社会の最低段階における人口に対する妨げについて(訳註)

〔訳註〕第二版以後の形における『人口論』の全四篇の中、その前半の二篇は、人口原理の存在とその作用とを過去及び現在の事実から実証しようとする部分であって、いわば歴史篇とも呼ばるべきものである。この歴史篇はしばしば第二版以後からはじめて現れたものの如く説かれているが、なるほどそれは第二版以後著しく増補されはしたけれども、決して第二版をまってはじめて現れたものでは決してなく、既に第一版にも明かに現れているところである。この歴史篇は、少くとも第一篇の関する限りでは、第二版以後は極めて僅少の附加が加えられているだけであるから、比較は主として第一版と第二版以後との差異に関して行われるべきである。そこで便宜上、第一篇の範囲に属する第一版の総括的記述のうち、人類の最低段階に関する記述をここに掲げることとし、第二段階に関しては第一版の記述は第二版以後では第六章に再現するから、これはそこにゆずり、その他個々の文に関しての比較は、各々関係の場所に訳註を附することとする。第一版における右に該当するものは次に如くである、――
 第三章――『狩猟が主たる職業であり唯一の食物獲得法となっている人類の最も蒙昧な状態にあっては、生活資料は広大な地域に散在しているので、人口は必然的に比較的稀薄でなければならない。……
『しからば吾々は、以上の概観から、またはむしろ狩猟民族に関して参照し得る記述からして、次の如く推論し得ないであろうか、すなわち彼らの人口は食物が不足なために稀薄であり、もし食物がもっと豊富にあるならば、それは直ちに増加すべく、また蒙昧人では、罪悪を別とすれば、窮乏が、優勢なる人口増加力を圧縮しその結果を生活資料と等しくしておく妨げである、と。少数の地方的な一時的の例外を別とすれば、この妨げが現在不断にあらゆる蒙昧民族に対し働いていることは、実際の観察と経験とが吾々に物語るところであり、そして理論は、これは一千年の昔にも現在とほとんど同じ力で働きまた一千年後もほぼ同じほどであろうということを、指示しているのである。』
 ただし第一版では狩猟状態に関する事実はアメリカ・インディアンのものが大部分を占めるのであり、右の引用も大体インディアンに関する総括をなすものである。
 ティエラ・デル・フエゴの惨めな住民は、あまねく旅行家により、人類の最低水準にあるものとされている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き、「1」が底本では欠落]。しかしながら、彼らの家庭的習慣や行状を記したものはほとんどない。彼らの荒凉たる国と悲惨な生活状態は、かかる知識を伝うべき彼らとの交渉を妨げている。しかし吾々は、その外貌そのものが半ば餓死の姿を示しており、寒さにふるえ垢と虱とに蔽われながら世界中で最も悪い気候の中に住み、しかもその厳しさを緩和し生活をいくらかもっと楽しくする便宜を自ら備えるの智恵を有たない、蒙昧人における、人口に対する妨げが、いかなるものであるかは、これを知るに当惑しないのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Cook's First Voy. vol. ii. p. 59.
 2) Cook's second Voy. vol. ii. p. 187.
 これに次いで、智恵と資源ではこれとほとんど等しく低いものとして、ヴァン・ディーメン島の土人が挙げられている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし最近の記述の示すところによると、東洋のアンダアマン諸島には、これよりもっとみすぼらしい蒙昧人が住んでいる。従来旅行家が蒙昧人の生活について述べているあらゆることも、この種族の野蛮さには及ばないと云われている。彼らの時間は全部食物の捜索に費やされる。そして彼らの森林は動物をほとんどまたは全く産せず、また食用植物もほとんど産しないので、彼らは岩をじ登ったり、あてのない魚肉を探すために海辺を徘徊したりすることを、主な仕事としているが、それも暴風雨の季節にはしばしば全く無駄になってしまう。彼らの身長は滅多に五フィートを超えず、その腹は膨れ上り、肩は高く、頭は大きく、そして四肢は不釣合にせている。彼らの容貌は、極端な窮状、飢餓と獰猛との恐るべき混合を現わしており、そして彼らの瘠せかつ病んだ姿態は、明かに、健康な食物の不足を物語っている。この不幸な人間中のある者は、飢餓の最終段階に瀕していることが見出されたのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Vancouver's Voy. vol. ii. b. iii. c. i. p. 13.
 2) Symes's Embassy to Ava, ch. i. p. 129, and Asiatic Researches, vol. iv. p. 401.
 これより一段階進んだ人類としては、吾々は、ニュウ・オランダの住民を挙げ得ようが、その一部については、久しくポオト・ジャクソンに住んでいて、その習慣や行状をしばしば実見する機会を有った一人の人から、信ずるに足る報告を得ている。キャプテン・クックの第一航海記の報告者は、ニュウ・オランダの東海岸では極めて少数の住民しか見られず、その荒廃せる状態からしてこれ以上の人間を養うことは明かに不可能である、と述べた後、曰く、『この地方の住民がどうして現在養っているような人口に減らされたのかは、おそらくなかなか推断しにくい。それがニュウ・ジイランドの住民のように、食物を争って相互の手で殺し合ったのか、偶発的の飢饉で一掃されたのか、または種族の増加を妨げる何らかの原因があるのかの判定は、将来の探検家に委ねられていることでなければならぬ1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Cook's First Voy. vol. iii. p. 240.
 コリンズ氏がこの蒙昧人について述べているところは、思うに、ある程度まで満足な答を与えるものであろう。それによると彼らの身長は一般に高くなく、身体はがっちりともしていない。彼らの腕や脛や腿は瘠せているが、それは彼らの生活様式が貧弱なためである。海岸に住むものは、食物としてはほとんど全く魚肉にたより、時に小さなゴム樹の幹の中にいるかなり大きな蛆を見出してほっとしている。森林には動物が非常に少く、それを獲るには非常に大きな労働がいるので、奥地の土人も海岸のものと同様に貧しい境遇にある。彼らは蜜や、むささび、袋鼠のような小動物を求めて、非常に高い木に登らざるをえない。幹が非常に高くしかも枝のない時には――これは密林での通例であるが――これは非常に骨の折れる労働であり、左手で木を抱きながら、一歩ごとに順次その石斧で刻目を作って、登るのである。その最初の枝に達するまで八十フィートの高さに至るまでもこのようにして刻目をつけられた木が見られたが、ここまで登らなければ、飢えた蒙昧人はこれほどの骨折りに対する何らかの報酬を手に入れることを望み得なかったのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Collins's Account of New South Wales, Appendix, p. 549. 4to.
 森林は、そこで時に見出される動物を別とすればほとんど食物を与えない。少しばかりの漿果しょうか、やまいも、羊歯しだの根、種々な灌木の花が、植物性食物の目録の全部をなすものである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. Appen. p. 557. 4to.
 子供づれの一人の土人がホオクスベリ河の岸で、我国の移民にびっくりして、独木舟で逃げ去ったが、その後に彼れの食物と彼れの胃の腑の繊細加減を示す見本を残して行った。彼は、穴だらけの水に濡れた木の一片から、大きな虫をほじり出して食っていたのである。虫とその居場所とのにおいはこの上もなく臭気のはなはだしいものであった。かかる虫はこの土地の言葉ではカアブロオと呼ばれている。そして奥地に住む土人の一種族は、この胸の悪くなる虫を食うところから、カアブロガアルと呼ばれている。森林の土人もまた、羊歯の根と大小の蟻をまぜて作ったねり物を食っており、また産卵期には蟻の卵も加えている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. Appen. p. 558.
 食物としてこんなものに頼らざるを得ず、動植物の食物の供給がかくも乏しく、それを得るための労働がかくも苦しい土地では、人口が地域に比較して非常に稀薄に散在していなければならぬことは明かである。その最大限は非常に狭くなければならぬ。しかし吾々は、これらの人民の奇妙な野蛮な風習、彼らの女子に対する残酷な取扱、及び子供を養う困難を注意して見ると、その人口がこの限界を突破することがもっとしばしば起らぬことに不審を抱くよりは、むしろかかる貧弱な資源ですらかかる境遇の下に成長し得るすべての人口を養って余りあるものとさえ、考えたくなるのである。
 この国における恋愛の序曲は暴力、しかも極めて残虐な暴力である。野蛮人は、思う妻を異る種族から、一般に彼れの種族と敵対している種族から選ぶ。彼は、その保護者のいない間に女を盗み出し、そしてまず棍棒か木刀で女の頭や背中や肩を血だらけにするまでなぐりつけて気を失うや、それを片手で引ずって、途中の石ころや木片などにかまわず森の中をひきずり、ただその獲物を無事に自分の仲間の所まで運ぼうと急ぐのである。このような取扱いを受けた女は彼れの妻となり、彼れの種族の一員となるのであるが、この男をすてて他の男のところへ行くことは滅多にない。こんなひどい目にあっても女の親族は憤慨せず、ただ出来るときには今度は自分も同じことをして復讐するだけのことである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. Appen. p. 559.
 両性の結合は早期に行われる。そして非常に若い少女が男によりひどい恥しい凌辱を受けているのは我国の移住民がよく見るところである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. Appen. p. 563.
 その一人または二人以上の妻に対する夫の処置は、この奇怪野蛮な求婚様式と性質が似ているようである。女性はその頭に男の優越の痕を止めており、これは、男がその腕に打つ力を見出すや否や直ちにそれを発揮してこしらえたものである。かかる不幸な女のあるものは、その刈り込まれた頭の至る所に数え得ないほどの傷痕をもっている。コリンズ氏は感傷的に曰く、『これらの女の境遇はあまり悲惨なので、私は母の肩におぶさっている女の子を見ると、その子の将来の悲惨なことを予見して、それを殺してしまった方が慈悲であろうとしばしば考えた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』他の場所では彼は分娩中のベニロングの妻のことについて曰く、『私は今この記録の中に、ベニロングがあることに腹を立てて、分娩直前の朝この女を激しくなぐったという覚書を見出した2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. Appen. p. 583.
 2) Id. Appen. note, p. 562.
 このように獣的に取扱われる女は、必然的にしばしば流産せざるを得ず、またおそらく、前に述べたような、非常に若い少女の凌辱が普通に行われ、また両性の結合が一般にあまりに早く行われれば、女性の生殖力は減殺されるであろう。一妻よりも多妻の場合の方が一般であるが、しかし驚くべきことには、コリンズ氏は二人以上の子供のある場合は一度以上は思い出せないのである。彼はある土人から第一の妻は夫婦関係の独占権を有つものとされているが、第二の妻は単に両人の奴隷であり召使に過ぎない、と聞いたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. Appen. p. 560.
 夫婦関係に対し第一の妻が絶対独占権を有つということはありそうもないことである。しかし第二の妻がその子供を育てることを許されないということは、あり得ることである。とにかく、もし右のことが一般的に正しいとすれば、多くの女には子供がないのであり、これは、彼女らの激しい苦難、またはコリンズ氏には知られなかったある特別な習慣に起因するものであることを、証明するものである。
 もし乳児の母が死ねば、この頼りなき幼児は生きたまま母と同じ墓に埋められる。父親自身が生きている子供を母の死骸の上に置き、それに大きな石を投げ込むと、他の土人がすぐ墓を埋めてしまうのである。我国の移住民によく知られているコーレーベーという土人が、この恐ろしい行為をしたが、彼はこのことを訊ねられたときに、この子供を育てる女はどこにも見出すことは出来ず、従ってこうして死を与えなければもっとひどい死に方をしなければならないはずだと云って、その行為を弁解した。コリンズ氏は、この風習は一般に行われていると信ずべき理由があると云い、それがある程度人口の稀薄の理由をなすものであろう、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き、「1」が底本では欠落]
 1) Id. Appen. p. 607.
 かかる習慣は、それ自身としてはおそらく一国の人口に大きな影響を与えるものではなかろうが、蒙昧人の生活で子供を育てることの極めて困難なることをよく物語るものである。その生活習慣上絶えず居住を変え、その夫のために絶えず苦役に服せざるを得ない女は、ほとんど同じ年頃の二三人の子供を育てることは絶対に出来ないように思われる。上の子供が独り立が出来て母に歩いてついて行けるようになる前に、もう一人子供が出来れば、世話が行届かずに二人の中一人はほとんど必然的に死ななければならない。このような放浪的な苦労の多い生活では、たった一人の子供でさえこれを育てることは非常に厄介な苦しい仕事に相違ないのであるから、母たるの強い感情に刺戟されないくらいの女でそれを引受けるもののあり得ないのは、驚くに当らぬことである。
 生れて来る人間を力ずくで抑圧するこれらの原因の外に、なお結果においてこれを殺すに寄与する原因を挙げなければならぬ。すなわちこれら蒙昧人の他の種族との頻々ひんぴんたる戦争と相互間の不断の闘争、深夜の殺人を促がししばしば無辜むこの流血を惹き起す不思議な復讐心、醜悪な皮膚病を発生させるような彼らのみじめな住居の煤や汚物、及びあわれな生活様式、なかんずく多数の人間を一掃する天然痘の如き恐るべき伝染病がこれである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) See generally, the Appendix to Collins's Account of the English Colony in New South Wales.
 一七八九年に彼らはこの悪疫に見舞われたが、これは天然痘の一切の特徴と猛烈さとをもって、彼らの間に猖獗しょうけつを極めた。それがもたらした荒廃はほとんど信じ得ないほどである。彼らが最も姿を見せた湾や渡場には、ただの一人も生きた人間は見られなかった。砂上にはただの一つの足跡でさえ認められなかった。死骸は更に死骸で蔽われた。岩間の穴は腐った屍体で満たされ、また多くの地方では道は骸骨で蔽われた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. Appen. p. 597.
 コリンズ氏は上述のコーレーベーの種族は、この恐るべき病気の結果、たった三人になってしまい、この三人は全滅を免れるため他の種族と合体せざるを得なかった、と聞いたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. Appen. p. 598.
 かかる人口減退の有力な原因があるのであるから、吾々は当然に、この国の動植物生産物が稀薄な人口のの周囲に次第に増加し、その上、海辺からは魚の供給もあるのであるから、食物は消費に対して余りあるものと考えたくなる。しかし全体として、人口は一般にほとんど、食物の平均供給と一致しているので、不順な天気やその他の原因からわずかの欠乏を生じてもすぐ困窮が生じなければならないように思われる。住民が非常な欠乏に遭遇しているように思われた特殊な場合は稀らしくないと云われているが、かかる時にはこの土人のある者は骨ばかりになり、またほとんど餓死しようとしているのが見られたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. c. iii. p. 34, and Appen. p. 551.
[#改丁]

    第四章 アメリカ・インディアンにおける人口に対する妨げについて

 吾々は次に、広大なアメリカ大陸に目を転じよう。その大部分の土地には、ニュウ・オランダの土人とほとんど同様に、自然から与えられるままの生産物を得て生活している、小さな独立した蒙昧種族が、住んでいる。土地はほとんどあまねく森林で蔽われ、南洋諸島に豊富に成長する果実や食用植物はほとんどない。狩猟種族のあるものが知っている極めて粗雑な不完全な耕作によって得られる生産物は、狩猟により獲られる食料の補助と考えてよいほど、わずかである。従ってこの新世界の住民は、主として狩猟と漁撈によって生活しているものと考えてよい1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてこのような生活様式に対する限界の小なることは云うまでもない。漁撈から得られる食料は、湖水や河や海の近くにいる者が手にし得たのみである。そして慎慮の足らぬ蒙昧人の無智と怠惰とのために、これらの食料を、実際に手に入れた時よりも後日のためにとっておくことはしばしば出来なかった。この狩猟者を養うためには、広大な地域が必要であることは、しばしば述べられまた認められているところである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。彼らの手に届く野獣の数、並びにそれらの獣を殺すか捕えることの難易によって、社会の人口は必然的に制限されなければならぬ。だから狩猟民族は、その生活様式で彼らが似ている野獣と同様に、土地の上に極めて稀薄に散在するであろう。野獣のように、彼らはあらゆる敵を逐い払うか、またそれから逃げるかしなければならず、そして互いに間断なく争っていなければならない3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Robertson's History of America, vol. ii. b. iv. p. 127, et. seq. octavo edit. 1780.
 2) Franklin's Miscell. p. 2.
 3) Robertson, b. iv. p. 129.
 かかる事情の下において、アメリカがその面積に比例して極めて人口が稀薄なのは、人口はそれを養うべき食物なくしては増加し得ないという明かな真理の、例証でしかない。しかしこの問題のうちに私が特に読者の興味を惹きたいと思っている面白い点は、人口がいかにしてこの乏しい供給の水準まで抑止されるかということである。人民に対する食物供給の不足は、常に飢饉という形でだけ現れるものではなく、他のもっと永続的な困窮の形で、時に生れてから殺すよりも生れる前に人口を妨げる方に大きく働く習慣を生み出すという形で、現れるということを、見逃すことは出来ない。
 アメリカ人の女は多産的でないと一般的に云われている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この少産性は、その女に対する男の情熱が足りないという、アメリカの蒙昧人に特有と考えられている特徴の一つから起るのだと、あるものは云っている。しかしながらそれはこの種族のみに特有なことではなくて、食物が貧弱で不十分であり、そして絶えず飢饉または外敵により襲われる不安の中に生活している、すべての野蛮民族に、おそらく大きな程度に存在しているものである。ブルウスはしばしばこれに注目し、特にアビシニアの辺境の蒙昧民族たるガラ族及びシャンガラ族について述べている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。またヴァイヤンはホッテントット族の人口稀薄の主原因としてその冷淡な気質を挙げている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。これは、性的情欲から注意を奪ってしまう蒙昧生活の艱難と危険によって起るもののように思われる。そしてアメリカ土人の情熱不足の主たる原因は、その体質から来る絶対的欠陥ではなく、かかる事情がその原因であるということは、かかる原因が緩和されまたは除去される程度にほとんど比例して、この傾向が減少して行くことから、本当らしく思われる。アメリカの諸地方のうち特殊な地の利またはそれ以上の改良上の有利な事情から、蒙昧生活の苦労がそれほどはげしくは感ぜられない地方においては、両性間の情欲はもっと熱烈である。河岸に位置を占め魚の貯蔵の十分にある種族、または鳥獣に豊富な地方やまたは農業が大いに進歩している地方に住んでいる種族の間では、女はもっと尊重され大事にされる。そして情欲の満足に対してはほとんどいかなる抑制もないから、その風俗の紊乱びんらんは時に過度に達している4)[#「4)」は縦中横、行右小書き](訳註)。
 1) Id. b. iv. p.106. Burke's America, vol. i. p. 187. Charlevoix, Hist. de la Nouvelle France, tom. iii. p. 304. Lafitau, M※(リガチャOE小文字)urs des Sauvages, tom. i. p. 590.
 本章では私はしばしばロバトスンと同じ引用をするが、しかし自らこれを調べ確かめなかったことはない。そうすることが出来なかった場合には、私はロバトスンのみを引用した。
 2) Travels to discover the Source of the Nile, vol. ii. pp. 223, 559.
 3) Voyage dans l'Int※(アキュートアクセント付きE小文字)rieur de l'Afrique, tom. i. p. 12, 13.
 4) Robertson, b. iv. p. 71. Lettres Edif. et. Curieuses, tom. vi. pp. 48, 322, 330; tom. vii. p. 20. 12 mo. edit. 1780. Charlevoix, tom. iii. pp. 303, 423. Hennepin, M※(リガチャOE小文字)urs des Sauvages, p. 37.
〔訳註〕このパラグラフについては、Cf. 1st ed., pp. 39-40.
 ところで、もし吾々がアメリカ土人のこの情熱不足を彼らの体躯の自然的欠陥と考えずに、単なる一般的の冷淡であり、情欲衝動が余り来ないからであると考えるならば、吾々は一家族に対する子供の数に影響を与えるものとして、それに重きをおく気にはならないであろう。そしてむしろこの少産性の原因を蒙昧状態における女子の境遇と習慣に求める気になるであろう。そしてかくすれば、吾々は問題の事実を説明すべき十分な説明を見出すことになるであろう。
 ロバトスンは正しくも次の如く述べている。『男子が技術や文明の進歩によって改良されたかどうかということは哲学者の間で矢釜やかましく論ぜられて来ている問題である。ところで女子の境遇の幸福な変化がその洗練された優雅な挙措に負うものであることは、疑をいれえない点である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』世界のあらゆる地方において蒙昧人に最も一般的な特徴の一つは、女性を軽蔑し貶すことである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。アメリカの種族の大抵においては、女子の境遇は余りにひどすぎて、奴役という言葉はその悲惨な状態を表すには、やわらかすぎる。妻は牛馬と同じである。男がその日を怠惰と安逸に送っているとき、女は絶えず労役に服している。仕事は容赦なく彼らの上に課せられ、そして奉仕は満足も感謝もなしに受入れられる3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。アメリカのある地方では、こうした悲惨な状態が余りひどいので、母親はその女児を、こうした悲惨な奴隷の運命に陥るにちがいないこの世から、速かに救い出すために殺したのである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き](訳註)。
 1) Robertson, b. iv. p. 103.
 2) Id. b. iv. 103. Lettres Edif. passim. Charlevoix, Hist. Nouv. Fr. tom. iii. p. 287. Voy. de P※(アキュートアクセント付きE小文字)rouse, c. ix. p. 402. 4to. Lodon.
 3) Robertson, b. iv. p. 105. Lettres Edif. tom. vi. p. 329. Major, Roger's North America, p. 211. Creuxii Hist. Canad. p. 57.
 4) Robertson, b. iv. p. 106. Raynal, Hist. des Indes, tom. iv. c. vii. p. 110. 8vo. 10 vol. 1795.
〔訳註〕このパラグラフについては、Cf. 1st ed., p. 41.
 蒙昧生活の不可避的な困難に加えての、この圧迫と不断の労働の状態とは、一般に子供を産むという仕事には非常に都合が悪いのは当然である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そして結婚前の女子の間で一般に行われている不品行は、堕胎の習慣と相俟って、必然的に彼らを後に至り子供を産むに適しなくさせる2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。宣教師の一人はナッチェツ族の間でその妻を取り換える一般の習慣があることを述べて、もしその妻に子供がないならば、と附言しているが、これはこれらの結婚の多くは子供を産まないことの証拠であり、そしてこれらは、彼が前に述べている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]結婚前の不品行な生活から説明され得よう。
 1) Robertson, b. iv. p. 106. Creuxii Hist. Canad. p. 57. Lafitau, tom. i. p. 590.
 2) Robertson, b. iv. p. 72. Ellis's Voyage, p. 198. Burke's America, vol. i. p. 187.
 3) Lettres Edif. tom. vii. p. 20, 22.
 シャルルボワがアメリカ土人の女の不姙の原因としているものは、彼らの子供に数年間授乳している間その夫と同棲しないこと、彼らがどんな状態にいても常に服しなければならぬ過度の労働、及び多くの地方で樹立されている所の、若い女子に結婚以前に売淫を許す習慣、などである。これに加うるに、これ等の人々は時に極貧に陥るので、子供を持とうという欲望を全く失うに至る、と彼は云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き、「1」が底本では欠落]。もっと蒙昧の種族のあるものでは、子供を二人以上も産んで自分の足かせになるようにはしないというのが、公理となっている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。双生児が生れると、母が二人を育てることは出来ないので、その一人は普通棄てられる。そして子供に授乳中に母が死ぬ時には、子供はその命を保つ望みはなく、そしてニュウ・オランダにおける如くに、それは母と同じ墓に埋められる3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Charlevoix, N. Fr. tom. iii. p. 304.
 2) Robertson, b. iv. p. 107. Lettres Edif. tom. ix. p. 140.
 3) Robertson, b. iv. p. 107. Lettres Edif. tom. viii. p. 86.
 親自身がしばしば欠乏に曝されるのであるから、その子供を養うの困難は時に極めて大となり、ために彼らは子供を棄てたり殺したりするの止むなきに至る1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。不具の子供が棄てられるのは非常に一般的である。そして南アフリカの種族のあるものでは、その労働に能く堪えない母の子供は、親の弱点を遺伝するかもしれぬという恐れから、同じ運命を分つのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Robertson, b. iv. p. 108.
 2) Lafitau, Moeurs des Sauv. tom. i. p. 592.
 アメリカ土人の間に不具者が著しく少ないことの原因を、吾々はこの種の原因に帰しなければならぬ。たとえ母がその子供達を区別なしに育てようと努めたとしても、全体のうちある比例のものは、蒙昧生活の運命たる峻烈な試練の下に死んでしまうのであり、その結果としておそらく、本来の虚弱や欠陥をもちながら働くものは、何人も成年になるまで生きることは出来ないのである。もし彼らが生れるや否や殺されないとしても、彼らを待つ苛酷な試練があるのであるから、久しくその命を保つことは出来ない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。インディアンがこれほど苦しい労働生活をせず、そして子供を殺すことを妨げられている、スペイン領地方では、彼らの数多くは不具者で、小人で、手を欠いており、盲目で、聾である2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Charlevoix, tom. iii. p. 303. Raynal, Hist. des, Indes tom. viii. l. xv. p. 22.
 2) Robertson, b. iv. p. 73. Voyage d'Ulloa, tom. i. p. 232.
 一夫多妻はアメリカ土人の間では一般に許されていたようであるが、しかしこの特権は、カシイク及び酋長、または生活資料がもっと容易に得られる南方の肥沃なある地方でその他のものが時々用いる外は、滅多に用いられたことはない。一家を養う困難は人民大衆をして一人の妻に満足せしめたが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、しかもこの困難は一般に知られかつ認められているので、父親は娘を嫁にやることを承諾する前に、求婚者に、狩猟の熟練、従って妻子を養う能力について、明確な証拠を要求したのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。女は早く結婚しないと云われている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。そしてこれは、宣教師やその他の著者が再三留意している結婚前の彼らの不品行によって、確かめられるようである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]
 1) Robertson, b. iv. p. 102. Lettres Edif. tom. viii. p. 87.
 2) Lettres Edif. tom. ix. p. 364. Robertson, b. iv. p. 115.
 3) Robertson, b. iv. p. 107.
 4) Lettres Edif. passim. Voyage d'Ulloa, tom. i. p. 343. Burke's America, vol. i. p. 187. Charlevoix, tom. iii. p. 303, 304.
 右に挙げた習慣は、主として家族の扶養に伴う困難から生じたものと思われるが、これは、その親が彼らを救おうとする最上の努力にもかかわらず蒙昧生活の困難の下において必然的に多数の子供が死ななければならぬということ1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]と相俟って、疑いもなく、新しく生れて来るものを力強く圧迫しなければならぬのである。
 1) クリュウクシュウスは、ほとんど三十人に一人も成年に達しない、と云っている(Hist. Canad. p. 57.)が、これは確かに大きな誇張に違いない。
 若い蒙昧人がその少年期の危険を無事に通った時には、これに劣らぬ恐るべき他の危険が成年になろうとする彼を待ち構えている。蒙昧状態においてかかる疾病は、数は文明社会よりも少いが、その激しさと、致命的なことでは、文明社会にある疾病よりももっと甚しい。蒙昧人は不思議なほど不慎慮であり、そして彼らの生活資料は常に不安なものであるから、彼らは、獲物の多寡、または季節の生産物の多少によって、しばしば極端な欠乏から法外な豊富へと移行する1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。一方の場合における彼らの無思慮な大食と、他方の場合におけるその極端な節食は、人類の体躯に等しく有害である。従って彼らの気力はある季節には欠乏によってそこなわれ、また他の季節には過食と消化不良による疾病によってそこなわれる2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。これは彼らの生活様式の不可避的結果と考えられようが、これによって多くの者は働き盛りに死んでしまう。彼らは同様に、極度に肺病や肪膜や喘息や麻痺性の病気にかかるが、これは彼らが狩猟や戦争に当って蒙る甚しい困苦と疲労、及び彼らが絶えず曝されている険悪な気候によって、もたらされるのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Robertson, b. iv. p. 85.
 2) Charlevoix, tom. iii. p. 302, 303.
 3) Robertson, b. iv. p. 86. Charlevoix, tom. iii. p. 364. Lafitau, tom. ii. p. 361.
 宣教師は、南アフリカのインディアンについて、彼らが治療法を知らない病気に絶えずかかると云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。最も簡単な薬草を用いることも、またはその粗雑な食事を変えてみることも知らず、彼らは数多くこれらの病気で死んでしまう。ジェスイット僧のフォークは、彼が旅行した各地ではどこでも老人はただの一人も見なかったと云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。ロバトスンは、蒙昧人の寿命は、よく整った勤勉な社会におけるよりも短いと断定している3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。レイナルは、蒙昧生活をしばしば擁護しているにもかかわらず、カナダのインディアンについて、もっと整った安穏な生活方法をしている吾々国民ほど長生きするものはほとんど無いと云っている4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。そしてクックとペルウズは、アメリカの西北海岸の住民のあるものについて述べているところで、これらの意見を確認しているのである5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]
 1) Lettres Edif. tom. viii. p. 83.
 2) Id. tom. vii. p. 317, et seq.
 3) Id. b. iv. p. 86.
 4) Raynal, b. xv. p. 23.
 5) Cook's Third Voy. vol. iii. ch. ii. p. 520. Voy. de P※(アキュートアクセント付きE小文字)rouse, ch. ix.
 南アメリカの大平原においては、広い沼や雨期に続く洪水に焼けつくように照りつける太陽は、時に恐るべき流行病を惹き起す。宣教師は、インディアンの間にしばしば伝染病が起り、そして時々その部落に大きな死亡率を生ずると云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。天然痘は至る処に猖獗を極めるが、それは注意が足りずまた住居が狭いので、これに罹った者は、ほとんど全く恢復しないからである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。パラグアイのインディアンは、ジェスイット僧が世話や注意を払っているにもかかわらず、非常に伝染病に罹ると云われている。天然痘と悪性熱病は、それがもたらす惨害からして、悪疫と呼ばれているが、これはしばしば盛んな伝道を駄目にしてしまうのであり、そしてウロアによれば、伝道が始まって以来の時間と彼らの非常に平和な生活とに比例してそれがその勢を増さないのは、この原因によるのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Lettres Edif. tom. viii. p. 79, 339; tom. ix. p. 125.
 2) Voyage d'Ulloa, tom. i. p. 349.
 3) Id. tom. i. p. 549.
 かかる流行病は啻に南方のみに限られるものではない。それはもっと北の民族にも稀しくないかの如き記述が行われている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてキャプテン・ヴァンクウヴァは、アメリカ西北方海岸の、最近の航海記において、明かにこの種のある疾病から起った極めて異常な荒廃を、報告している。ニュウ・ダンジェネスから海岸を百五十マイル彼は通過したが、前と同じ数の住民を見たことは一度もなかった。人影のない部落がしばしばあったが、それはいずれも、以前にこの地方に散らばっていた蒙昧人を全部収容するに足るほど大きかった。彼が行った色々の地方で、特にポオト・ディスカヴァリ附近では、人間の頭蓋骨、肋骨、脊髄骨、その他種々の人体の遺物が滅茶苦茶にたくさん散乱していた。そして生き残ったインディアンの身体には戦の傷痕は何もなく、また恐怖や不安の特別な徴候は何も認められなかったのであるから、この人口減少は流行病により生じたに違いないと考えるのが最も当然である2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。天然痘はこの海岸地方におけるインディアンでは普通であり、致命的なものであるように見える。その消し難いあばたは多くの者に見られ、また若干はそれにより一眼の視力を失っていたのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Lettres Edif. tom. vi. p. 335.
 2) Vancouver's Voy. vol. i. b. ii. c. v. p. 256.
 3) Id. c. iv. p. 242.
 一般的に云えば、蒙昧人は、その極端な無智、その身体の不潔、その小屋のつまって汚れているところから1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、通常人口稀薄な地方に伴う利点、すなわち人口稠密な地方よりも流行病から免れうるという利点を、失っている。アメリカのある地方では、家屋は多くの異った家族を容れるように作られる。そして八十人も百人もが同じ屋根の下に群居している。家族が分れて暮している場合には、その小屋は極度に小さく、つまっており、みすぼらしく、窓は無く、そしてその入口は非常に低くて、そこに入るには手と膝で這わなければならない2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。アメリカの西北岸地方では、家屋は一般に大きい。そしてミイアスは、ヌウトカ・サウンドに近いある酋長に属している非常に大きな家のことを記しているが、そこでは、八百人の人間が食事をしたり、坐ったり、寝たりするのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。すべての旅行者は、この海岸地方の人民の住居の不潔と身体のきたなさについては見解が一致している4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。キャプテン・クックは、彼らが群をなす虱を摘まみ取って食うと書いており5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]、また彼らの住居の状態を最大の厭悪をもって述べている6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]。ペルウズは、彼らの小屋は世界中の既知のいかなる動物の洞窟とも比較しえない不潔と臭気を有っている、と云っている7)[#「7)」は縦中横、行右小書き]
 1) シャルルヴォアは、アメリカ人の小屋の極度の不潔と悪臭とを語るに最も強い言葉を使っている。曰く、『病気にかからずにその小屋の中に入ることは出来ない。』またその食事の不潔について曰く、『身の毛がよだつ、』と。Vol. iii. p. 338.
 2) Robertson, b. iv. p. 182. Voyage d'Ulloa, tom. i. p. 340.
 3) Meares's Voyage, ch. xii. p. 138.
 4) Id. ch. xxiii. p. 252. Vancouver's Voyage, vol. iii. b. vi. c. i. p. 313.
 5) Cook's Third Voyage, vol. ii. p. 305.
 6) Id. c. iii. p. 316.
 7) Voyage de P※(アキュートアクセント付きE小文字)rouse, c. ix. p. 403.
 かかる事情の下において、流行病がひとたび彼らの間に現れる時には、いかに恐るべき荒廃を作り出さねばならぬかは容易に想像し得よう。そして、彼らの家の空気は最も混雑した都会の空気よりも澄んでいることはあり得ぬのであるから、上に述べた程度の不潔がこの種の疾病を作り出すべきことは、当然のことと思われる。
 幼年期の危険と疾病から免れた者は絶えず戦争のおそれに曝らされている。そしてアメリカ土人の戦争行動は極度に用心深く行われるにもかかわらず、しかも、平和な時期はほとんどないのであるから、戦争で失われる彼らの数は大きなものである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。アメリカ土人の中最も野蛮なものでも各団体が自分の領土に対して有つ権利のことはよく知っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そして他の団体が自分達の猟場の獲物を殺すのを防ぐのは最も重大なことであるから、彼らはこの民族的財産を最大の注意をもって番をする。かくて無数の戦争原因が必然的に起る。隣り合う民族は互に不断の敵対状態にある3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。一種族における膨脹行為は、まさに近隣者に対する侵略行為となる。けだしその増加した人を養うためにはより以上の領域が必要であろうからである。この場合においては、当然に、双方の損害によって勢力の均衡が回復されるか、または弱い方の団体が絶滅され、またはその土地から駆逐されるまで、続けられるであろう。敵の侵入が彼らの耕地を荒廃し、または彼らをその猟場から駆逐する時には、彼らは滅多に持運び得る貯えを有たないのであるから、一般に極度の欠乏に陥れられる。侵略された地域の全人民はしばしば森林や山の中にのがれなければならないが、この森林や山は彼らに生活資料を何も与えることが出来ず、従ってそこで多くの者は死んでしまうのである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。こうして逃げる場合には自分を守る者は自分だけである。子供はその親を離れ、親はその子供達を他人と考える。人情の絆はもはや働かない。父親は一つのナイフや一つの斧でその息子を売る5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。あらゆる種類の飢饉と窮乏とが、剣を免れた人間を完全に滅ぼしてしまう。かくして全種族がしばしば絶滅されてしまうのである6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]
 1) Charlevoix, Hist. de la Nouv. France, tom. iii. 202, 203, 429.
 2) Robertson, b. iv. p. 147.
 3) Id. b. iv. p. 147. Lettres Edif. tom. viii. p. 40, 86, and passim. Cook's Third Voy. vol. ii. p. 324. Meares's Voy. ch. xxiv. p. 267.
 4) Id. b. iv. p. 172. Charlevoix, Nouv. France, tom. iii. p. 203.
 5) Lettres Edif. tom. viii. p. 346.
 6) Robertson, b. iv. p. 172. Account of North America, by Major Rogers, p. 250.
 かかる事態は、一般に蒙昧人に、またなかんずくアメリカ土人に見られる、かの獰猛な戦闘精神を醸成するに有力に寄与したものである。彼らの戦闘目的は征服ではなくして殺すことである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。戦勝者の生命は敵の死に依存する。そして敵が恨みと復讐心をもって追いかけているので、彼は絶えず打負かされた場合の窮状のことばかり考えているようである。イロクォイ族の間では、敵に戦をしかける決意を示す言葉は、『行こう、そしてあの民族を食おう』というのである。もし彼らが近隣の種族の援助を仰ぐ場合には、その敵の肉で作った汁を食うように招待する2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。アブナアキイ族の間では、その戦士の一団が敵地に入った時には、それは一般に三十人または四十人から成る若干の部隊に分れ、そして酋長はその各々に云う、『お前はあの村を食ってよい、お前はあの村』等、と3)[#「3)」は縦中横、行右小書き、「)」が底本では欠落]。こういう表現法は、戦争で得た捕虜を食う習慣がもはや存在しない種族の言葉に残っている。しかしながら食人の風は、疑いもなく新世界の多くの地方に広く行われていたのである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。そして、ロバトスン博士の意見とは反対に、私は、この習慣は後になって他の動機により継続されたということもあろうが、その起源は極端な欠乏に違いない、と考えざるを得ない。この恐るべき御馳走を、必要に迫られたのでないにくむべき情欲に帰し、最も人道的な文明的な人民の間ですら時に他のあらゆる感情に打克つところの自己保存の大法則に帰しないのは、人性と蒙昧状態に対する余りよいお世辞ではないようである。それがこの原因から時偶ときたまにせよ行われるに至った後は、敵の御馳走にされるかもしれぬという蒙昧人の恐怖は、恨や復讐の精神を著しくかき立て、その結果として、飢に迫られない場合にも捕虜を食うようになるのであろう。
 1) Robertson, b. iv. p. 150.
 2) Id. p. 164.
 3) Lettres Edif. tom. vi. p. 205.
 4) Robertson, b. iv. p. 164.
 宣教師達は、人間の肉が手に入りさえすれば、何か珍らしい動物の肉を食うのと同じに、これを食う、若干の民族のことを語っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。これはおそらく誇張されているかもしれぬ。もっともアメリカ西北方海岸の最近の航海記や、キャプテン・クックのニュウ・ジイランド南島の社会状態に関する記述は2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、大いにこれを裏書しているようである、が。ヌウトカ・サウンド人は食人種であるらしい3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。そして、この地方の酋長マクインナは、この恐るべき御馳走が非常に好きで、故に冷酷にも、この不自然な食欲を充たすために、満月のたびに一人ずつ奴隷を殺すと云われている4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]
 1) Lettres Edif. tom. viii. p. 105, 271; tom. vi. p. 266.
 2) 常に慎重なキャプテン・クックすら、ニュウ・ジイランド土人について次の如く云っている、『彼らがこの種の食物が大好物であることは、明かすぎるほど明かである。』Second Voyage vol. i. p. 246. また最後の航海記では、彼らの絶え間ない争闘について曰く、『またおそらくおいしい御馳走に対する願望が少なからざる刺戟をなすものであろう。』Vol. i. p. 137.
 3) Cook's Third Voyage, vol. ii. p. 271.
 4) Meares's Voyage, ch. xxiv. p. 255.
 自己保存という優越原則は、蒙昧人の心の中で、彼れの属する社会の安全と力とに極めて密接に結びついているので、もっと開けた国民の間に見られるような戦争上の名誉や勇気という観念を少しも許さない。彼が見張っている敵から逃げ、そして自分自身の体に、従って自分の団体に、危険を及ぼすに違いない闘争を避けるのが、アメリカ土人にとって名誉な行為なのである。武装を整え抵抗の準備をしている敵を攻撃するには、十対一という優勢が必要である。そしてそんな時でさえ各人は第一に進むのを恐れるのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。最も優れた戦士の大きな目的は、狡智と詐術のあらゆる術策と、彼れの智恵が考え得るあらゆる戦略と奇襲によって、自己の最小の損失で敵を弱め亡すことである。敵と同等の条件で戦うのは最上の愚とされている。戦士は名誉な死とは考えられず2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、不運と考えられ、死者の軽率不慎慮として記憶される。しかし、幾日も幾日も機をうかがい、最も安全な、最も抵抗力の少い時に敵を襲い、深夜に敵に接近してその小屋に火を放ち、敵が裸で無防禦で焔から逃げるところを虐殺するのは3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、名誉な行為なのであり、これは感謝する仲間の胸に永久に記憶されるであろう。
 1) Lettres Edif. tom. vi. p. 360.
 2) Charlevoix, No. Fr. tom. iii. p. 376.
 3) Robertson, b. iv. p. 155. Lettres Edif. tom. vi. p. 182, 360.
 かかる戦法は明かに、蒙昧生活の困難と危険の下において若い人間を育てるのに伴う困難を意識するから生じたものである。そして強大な破壊原因は、ある場合には、人口を生活資料よりもはるかに低く保っておくほどに大であろう。しかしアメリカ土人がその社会の縮少を恐れる様を現わし、またそれを拡大せんとする明かな希望を現わすということは、一般に事実もその通りであるということの証拠ではない。各々の社会で相食い合うようなその国はおそらく増加人口を養い得ず、一種族の力の増加は、それに対し、比較的弱くなったその敵から新しい生活資料の源泉を新しく奪う途を与える。そして反対に、その成員の減少は、残った成員に対し前よりも豊富に食物を与えるどころか、かえってより強い種族の侵略による絶滅や飢饉を蒙らしめることとなるのである。
 本来は単にグアラニイ族の一小部分に過ぎなかったシリグアンヌ族は、彼らのパラグアイの故国を去って、ペルウに近い山中に定着した。彼らはこの新しい国で十分な生活資料を見出し、急速に増加し、近隣を攻撃し、そして優れた勇気と優れた財産とによって次第にこれを絶滅し、その土地を奪った。広大な土地を占領し、そして数年にして三四千人から三万人に増加したが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、近隣のより弱い種族は日に日に飢饉と剣とによって減少して行った。』
 1) Lettres Edif. tom. viii. p. 243.『シリグアンヌ族は恐ろしく増加し、わずか数年にしてその数は三万に上った。』
 かかる事例は、アメリカ土人ですら、好都合の事情の下においては急速に増加するものであることを証明し、またあらゆる種族がその成員の減少を恐れ、そして現実に所有する領土内の食物の豊富を仮定せずしてしばしばその成員の増加を希望することを1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、十分に説明するものである。
 1) Lafitau, tom. ii. p. 163.
 上述の、アメリカ土人の人口に影響を及ぼす諸原因は1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、主として生活資料の多少により左右されるものであることは、湖水や川に近いか、土地の肥沃度が優れているか、または改良がより進んでいるので、食物がより豊富になっている一切の地方において、土人の種族がより多く、またその各種族の成員の数も多いという事実によって、十分に証明される。オリノコ河に接する地方の奥地では、どちらへ数百マイル行っても、一軒の小屋もなく、一匹の動物の足跡も見られない。気候がより厳しく、土地がより瘠せている、北アメリカのある地方では、荒廃は更にいっそう甚しい。数百リイグ四方の広大な土地を通っても、無住の平原と森林とがあるだけである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。宣教師は十二日間ただの一人にも出会うことなく旅をしたと云い3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、また非常に広大な土地にわずか三、四の散在する部落が見られただけであるとも云っている4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。かかる荒野のある所は鳥獣を全然産せず5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]、従って全く人影がない。ある程度鳥獣のいる他の場所では、狩猟期になると猟の部隊がやって来、獲物の有るに従って各地に天幕を張って止り、従って文字通りそこで産する生活資料の量に比例して人が住むことになるのである6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]
 1) これらの原因は、おそらく、人口を生活資料の水準に抑止して余りあるように、思われるであろう。そしてそれは実際、インディアンの女子の出産性の小なることの報道が、普遍的に、または大体にでも、本当であるならば、その通りであろう。おそらくある記述は誇張であろうが、どれがそうかは云いにくい。そしてこれら一切の誇張を斟酌しても、それは右の点を確立するに十分足るものであることが、認められなければならない。
 2) Robertson, b. iv. p. 129, 130.
 3) Lettres Edif. tom. vi. p. 357.
 4) Id. p. 321.
 5) Id. tom. ix. p. 145.
 6) Id. tom. vi. p. 66, 81, 345; tom. ix. p. 145.
 アメリカの他の地方は人口が比較的稠密であると云われている。例えば北部大湖水に接した地方、ミシシッピイ河の両岸、ルイジアナ、及び南アメリカの諸地方がこれである。この地方では、その地が鳥獣や魚を産する多少や、住民の農業上の進歩に比例して、村は大きく、またそれは互に接近している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。メキシコ及びペルウという人口稠密の大帝国のインディアンは、疑いもなく、もっと野蛮な彼らの同胞と同じ祖先から発し、そして本来は同じ習慣を有っていたに違いない。しかし一連の諸事情により、彼らがその農業を改良し拡張するに至った時から、男子の冷淡や女子の破壊的習慣にもかかわらず、大きな人口が急速に伴生したのである。かかる習慣は実際境遇の変化に従って大いに変化した。そして不断の流浪と困難との生活に代ったより静かな定住的生活は、直ちに女子をより多産的ならしめ、そして同時に彼らをしてより大きな家族を世話し得せしめるに至るであろう。
 1) Id. tom. ix. p. 90, 142. Robertson, b. iv. p. 141.
 歴史家が述べているアメリカ大陸を概観すると、人口は、各地の住民が、その現実の勤労と進歩との状態において、獲得し得る食物量と、ほとんど全く比例して、地上に拡っているように思われる。そしてほとんど例外なく、人口は、その限界に及ばないよりはこれを緊密に圧迫していることは、アメリカのあらゆる地方において食物の欠乏から窮乏が頻々と起ることで、わかるのである。
 ロバトスン博士によれば、野蛮な民族が飢饉により蒙る悲惨な状態の顕著な事例が起っている。その一つとして、彼は、フロリダの蒙昧人の間でほとんど九年も住んだスペインの探検家の一人、アルヴァル・ヌウニェス・カベサ・デ・ヴァカの書いている記述を述べている。彼は、この蒙昧人は、あらゆる種類の農業を知らず、主として各種の植物の根を食べて生きているが、これを得るのは非常に困難であり、それをたずねてあちらこちらとさまよう、と云っている。時には彼らは鳥獣を殺し、時には魚を取るが、その量は極めて少く、従って彼らは、飢餓の余り、蜘蛛、蟻の卵、芋虫、とかげ、蛇、及び一種の滑土を喰うの止むなきに至る。そこで――と彼は云う――この国に石があったなら、彼らはこれを呑んだことだろうと思う、と。彼らは魚や蛇の骨を貯えておき、これを粉にして食べる。彼らがそれほど飢餓に悩まないのは、オプンチアすなわちさぼてんの実が熟する季節だけである。しかし彼らはこれを探すためには、時にその通常の居住地から遠くまで旅行しなければならない。他の場所で、彼は、土人はしばしば食物なしに二、三日を過さざるを得ない窮状にある、と述べている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Robertson, note 28 to p. 117, b. iv.
 エリスは、そのハドソン湾航海記において、その近隣のインディアンが極度の欠乏に悩んでいる有様を、悲痛な語調で述べている。気候の厳しいことを述べた後、彼は曰く、『厳しい寒さから生ずるこれらの困難が大であるとはいえ、それは食糧の不足とそれを獲得する困難よりははるかに劣る、と正当に云い得よう。工場で話されておりかつ本当のことだと知られている一つの物語は、十分にこのことを証明し、そして憐み深い読者にこれらの不幸な人が曝されている窮状を正しく察せしめるであろう。』それから彼は、一人の貧しいインディアンとその妻のことを述べているが、彼らは狩猟がうまくいかないため、衣服として着ていたすべての皮を食った後、その子供の二人の肉を食ってしまうという恐るべき行為に追いつめられたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き、「1」が底本では欠落]。他の場所では彼は曰く、『夏に、取引に工場へやって来たインディアンは、期待していた後援が来ないので、数千枚の海狸の皮の毛を焼き取らざるをえないことが、時々あった2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Robertson, p. 196
 2) P. 194.
 蒙昧生活と文明生活との比較において絶えず最も矛盾した推理を行っているレイナル僧正は、ある場所で、蒙昧人は間違いなく適当な生活資料を得ていると云いながら、しかもカナダの民族について記しているところでは、彼らは鳥獣や魚の豊富な国に住むにもかかわらず、ある季節には、また時には一年中、この資源を得られないと述べ、かくて生ずる飢饉は、余りに相互に離れ合っているので助け合うことの出来ないこれら人民の間に、大きな破滅をもたらす、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Raynal, Histoire des Indes, tom. viii. l. xv. p. 22.
 シャルルボワは宣教師が蒙る不便と窮状とを述べているが、その中で、彼がこれまで述べた害悪よりももっと大きな害悪が一再ならず起るが、それに比べれば一切の他のものは何でもないと云わねばならぬ、と云っている。これは飢饉である。なるほど――と彼は云う――蒙昧人がその飢餓に堪える忍耐力は、飢餓に対する不用意と匹敵するが、しかし彼らは時にその維持能力以上のひどい目にあうのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Hist. N. Fr. tom. iii. p. 338.
 アメリカ土人の大部分では、農業上若干進歩しているものでさえ、一年のある季節には森林の中に散らばり、一年の食料の主要部分として狩猟の獲物で数ヵ月暮すのが、一般の習慣である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。その部落に残っていれば彼らは確実に飢饉に会わなければならぬが2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、森林へ行ったからとて、必ずしもそれから確実に免れるとはきまっていない。鳥獣に不足のないところですら、最も優れた猟人でさえ時に獲物の得られぬことがある3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。しかもこの獲物のないときには、狩猟者や旅行者は、森林の中で最も惨酷な欠乏に曝されるのである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。インディアンは狩猟に出掛けている時には時に三、四日も食物なしで過さざるを得ない5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。そしてある宣教師は、あるイロクォイ族について、それがちょうどこういう場合に遭遇し、自分の持っていた皮や、靴や、樹皮を食った後、遂に困った挙句、仲間の一部を犠牲にして残りのものを救った、と述べている6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]
 1) Lettres Edif. tom. vi. p. 66, 81, 345; ix. 145.
 2) Id. tom. vi. p. 82, 196, 197, 215; ix. 145.
 3) Charlevoix, N. Fr. tom. iii. p. 201. Hennepin, M※(リガチャOE小文字)urs des Sauv. p. 78.
 4) Lettres Edif. tom. vi. p. 167, 220.
 5) Id. tom. vi. p. 33.
 6) Id. tom. vi. p. 71.
 南アメリカの多くの地方では、インディアンは極度の窮乏生活を送っており1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、そして時に絶対的な飢饉で亡ぼされる2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。島々は肥沃のように見えるけれども、その生産物の水準まで人口が一杯になっていたのである。もし少数のスペイン人がいずれかの地方に定着するならば、そのわずかの余りの人口の増加でさえ、直ちにひどい食料の欠乏を惹き起した3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。栄えたメキシコ帝国もこの点では同じ状態であった。そして国会はしばしば、その少数の兵士のために食糧を獲得するのに最大の困難を感じたのである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。パラグアイの布教区のように、ジェスイット僧があらゆる配慮と用心とを払っており、またその人口が頻々たる流行病により低く保たれている所でさえ、欠乏の圧迫が全然存在せぬわけでは決してない。聖ミカエル教会の布教区のインディアンは一時非常に増加して、その附近の耕作し得る土地の生産は、それを養うに必要な穀物の半ばにしか当らなかった、と云われている5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。長期の旱魃はしばしば彼らの家畜を殺し6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]、凶作を起した。そしてかかる場合には、教区のあるものは最も甚しい窮乏に陥り、その近隣のものの援助がなければ飢饉で亡びてしまったことであろう7)[#「7)」は縦中横、行右小書き]
 1) Lettres Edif. tom. vii. p. 383; ix. 140.
 2) Id. tom. viii. p. 79.
 3) Robertson, b. iv. p. 121. Burke's America vol. i. p. 30.
 4) Robertson, b. viii. p. 212.
 5) Lettres Edif. tom. ix. p. 381.
 6) Id. tom. ix. p. 191.
 7) Id. tom. ix. p. 206, 380.
 アメリカ西北岸地方への最近の航海記は、蒙昧生活における頻々たる欠乏の圧迫に関するかかる記述を確証し、そして一般に自然のままで与えられる食物収獲として最も豊富な漁撈も、不確実な資源でしかないことを、示している。ヌウトカ・サウンド近海は、住民が漁業の出来ないほどに凍ることはほとんどまたは全くない。しかし、彼らが極めて用心深く冬の用意に魚を貯え、そして注意深く寒い季節の用意に、出来るものならいかなる食物でも調理し貯蔵する事実から見ると、かかる時期には海で魚が取れないことは明かである。そして彼らはしばしば、寒い季節には、食糧の不足から非常な困難を蒙るように思われる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。マッケイ氏という人が、一七八六年から一七八七年に至る間ヌウトカ・サウンドに滞在していた間に、冬の寒さが長く続き厳しかったので、飢饉が発生した。乾魚の貯えはなくなってしまい、そして新しい魚はどんなものも取れなかった。従って土人は一定の配給で我慢しなければならなくなり、そして酋長は我国人に毎日、規定の食糧、乾鰊の頭七個を持って来た。ミイアズ氏は、この紳士の報道を熟読すれば、人道心を有つ人は何人も戦慄を感ずるであろう、と云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Meares's Voyage, ch. xxiv. p. 266.
 2) Id. ch. xi. p. 132.
 キャプテン・ヴァンクウヴァは、ヌウトカ・サウンド北方の人民のあるものは、松の木の内皮と海扇貝ほたてがいとで作った練りものを食って非常に悲惨な生活をしている、と語っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ボオトに乗って出たある時、一隊のインディアンに出会ったが、彼らは若干の比目魚を持っていたので、非常に高い価格を申し出たけれども、一匹も分けてはくれなかった。これはキャプテン・ヴァンクウヴァの云うように、珍しいことであり、非常に食糧の乏しいことを物語るものである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。一七九四年にヌウトカ・サウンドでは魚が非常に欠乏して、べらぼうな高価になった。季節が悪かったか不用意であったかして、そのために住民は冬の間食物の欠乏により最大の窮状に陥ったのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Vancouver's Voyage, vol. ii. b. ii. c. ii. p. 273.
 2) Id. p. 282.
 3) Id. vol. iii. b. vi. c. i. p. 304.
 ペルウズはポオト・フランソアの近隣のインディアンは、夏の間は漁撈により最も豊かに暮すが、しかし冬には欠乏により死滅に瀕する、と述べている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Voyage de P※(アキュートアクセント付きE小文字)rouse, ch. ix. p. 400.
 従って、ケイムズ卿が想像しているように、アメリカ土人の種族は、牧畜または農業状態をして彼らに必要ならしめるに足るほど増加したことがない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、というのではなくて、何らかの原因によって、かかるより豊富な食物獲得方法を十分に採用せず、従って人口稠密になるほど増加しなかったのである。もしも飢餓のみで、アメリカの蒙昧種族の習慣がかくの如く変り得るのであるならば、私は、狩猟民族や漁撈民族が一つでも残っているとは考えられない。しかしこの飢餓という刺戟に加うるに、ある好都合な一連の事情が、この目的のためには必要なのであることは、明かである。そして疑いもなくかかる牧畜または農業という食物獲得手段は、おそらく、まず、それに最も適した土地において、そしてその地の自然的肥沃度が、より多くの人間が一緒に住むことを許すことによって、人間の発明力を発揮させるに最も都合の好い機会を与えた土地において、発明され改良されることであろう。
 1) Sketches of the History of Man, vol. i. p. 99, 105. 8vo. 2nd edit.
 吾々が今まで考察して来た所のアメリカ土人の大部分にあっては、極めて高い程度の平等が行われているので、各社会の全成員は、蒙昧生活の一般的困難と随時的飢饉の圧迫とをほとんど等しく分け合っているのである。しかし南方諸民族の多く1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、例えばボゴタにいるもの、ナッチェス族2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、特にメキシコやペルウにおいては、大きな階級差別が行われていて、下層階級は絶対的隷従の状態にあるので3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、おそらくは、生活資料が欠乏する時には、かかる階級が主として被害を受け、そして、人口に対する積極的妨げはほとんどもっぱらこの社会部分に働くのである。
 1) Robertson, b. iv. p. 141.
 2) Lettres Edif. tom. vii. p. 21. Robertson, b. iv. p, 139.
 3) Robertson, b. vii. p. 109, 242.
 アメリカ・インディアンの間に起った極めて異常な人口減少は、ある人にとっては、ここに樹立せんとする理論と矛盾するように見えるかもしれない。しかしこの急速な減少の原因は、すべて、上述の人口に対する三大妨げに帰することが見られるであろう。そしてこれらの妨げは、特殊の事情によっては異常な力で作用するが、ある場合には、人口増加の原理よりもより強くはありえないであろう、とは主張されていないのである。
 インディアンの酒精飲料に対する飽くことを知らぬ愛好は1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、シャルルボワによれば、表現しようのない烈しいものであるが2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、これは彼らの間に、しばしば死に至る争闘を絶えずひき起し、また彼らの生活様式からいって闘うことの出来ない新しい一系列の疾病に彼らを曝らし、かつ生殖能力をその本源そのものにおいて死滅させるのであるから、これだけで現在の如き人口減退を生み出すに足る罪悪と考え得よう。これに加うるに、ほとんどあらゆる所において、ヨオロッパ人とのインディアンの接触は、インディアンの意気を喪失させ、彼らの勤労心を弱めまたは誤った方向に向け、その結果として生活資料の源泉を減少する傾向のあることを、考えなければならない。サント・ドミンゴにおいては、インディアンはその残酷な圧制者を飢え死にさせるために、故意にその土地の耕作を放棄した3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。ペルウ及びチリイにおいては、土人の強制労働は、地面の耕作ではなく地下の穴掘へと、致命的な転化をさせられた。そして北方種族においては、ヨオロッパの酒精飲料を買おうという極度の願望から、彼らの大部分のものの勤労は、ただこれとに交換のために収穫増加に向けられることとなったが4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]、その結果として、彼らの注意をより収穫の多い生活資料の源泉へは向けず、同時に狩猟の生産物も急速に破壊するという傾向を有ったことであろう。アメリカの既知のすべての地方の野獣の数は、人間の数よりも以上に減少している5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。農業に対する注意は至る処でヨオロッパ人との接触から最初に期待された如くに増大するよりもむしろ稀薄となった。南アメリカであろうが北アメリカであろうが、そのいずれの地方においても、その数が減少した結果非常に豊かに生活するようになったインディアン民族があるという話は、聞かない。従って、現在ですら、上述のあらゆる有力な破壊原因があるにもかかわらず、アメリカ民族の平均人口は、ほとんど例外なしに、彼らの現在の勤労状態において獲得し得る平均食物量と、均等になっている、と云っても、大きな間違いはないであろう。
 1) Major Roger's Account of North America, p. 210.
 2) Charlevoix, tom. iii. p. 302.
 3) Robertson, b. ii. p. 185. Burke's America vol. i. p. 300.
 4) Charlevoix, N. Fr. tom. iii. p. 260.
 5) インディアンの間に火器が一般に採用されたことが、おそらく、大いに野獣を減少したことであろう。
[#改丁]

    第五章 南洋諸島における人口に対する妨げについて

 レイナル僧正は、ブリテン諸島の昔の状態と、島嶼民一般について語って、曰く、『人口の増進をおくらせる無数の奇妙な制度の起源を、吾々はこれらの人民の中に見る。食人、男子の去勢、女子の陰部封鎖、晩婚、処女の奉献、独身の称揚、余りに若く母となる少女に対し行われる処罰等がこれである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』島嶼における人口の過剰により起ったかかる習慣は、大陸にもたらされ、大陸の学者は今日なおこれが理由の発見に努めている、と彼は云っている。僧正は、敵に囲まれたアメリカの蒙昧種族や、他国に取巻かれてそれと同じ地位にある開けた人口稠密な国民は、多くの点で島嶼民と類似の境遇にあるものであることに、気がついていないように思われる。大陸では、島ほどには、人口のより以上の増加に対する障壁ははっきりとは劃されておらずまた普通の観察者にわかるわけではないけれども、しかもそれはほとんど打ち超え難い障害をなしている。そして、自国における窮情に我慢出来ないで国を去って外国に移った人も、そこで確実に救われるとは限らない。生産物がもうこれ以上増加されえないという国は、おそらくまだ知られていない。これは地球全体について云い得る全部である。大陸も島嶼も、その現実の生産物の点まで人口で充たされている。そして地球全体はこの点では島嶼と同様である。しかし、島嶼における人口の限界は、特にその面積が小さい時には、極めて狭くかつはっきりしているので、誰でもこれを眼にし承認しなければならないから、最も確かな記録がある島嶼の人口に対する妨げに関する研究は、現下の問題を極めてよく例証するかたむきがあろう。ニュウ・オランダの稀薄に散在している蒙昧人について、キャプテン・クックの第一航海記の中で問われている疑問、すなわち『いかなる仕方で、この国の住民はそれが養い得るだけの数に減らされるのか2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、』という疑問は、南洋における最も人口稠密な島々、またはヨオロッパ及びアジアにおける最も人口の多い国々についても、等しく正当に発せられうる疑問である。この疑問を一般的に適用すれば、それは私に非常に興味あるものに思われ、そして人間社会の歴史上最も曖昧な、しかしながら最も重要な問題の闡明せんめいへと、導くように思われる。かくの如く一般的に適用されたこの疑問に答えるための努力なのだというのが、本書の最初の部分の目標を最も簡単明瞭に現わした言葉なのである。
 1) Raynal, Histoire des Indes, vol. ii. liv. iii. p. 3. 10 vols. 8vo. 1795.
 2) Cook's First Voyage, vol. iii. p. 240. 4to.
 ニュウ・ギニア、ニュウ・ブリテン、ニュウ・カレドニア、及びニュウ・ヘブリデス諸島というような大きな島については、確実にはほとんど何事も知られていない。そこにおける社会状態は、おそらく、アメリカの蒙昧民族の多くの間にあるものと、極めて類似していることであろう。そこには、互いに頻々と闘っている多数の異る種族が住んでいるように思われる。酋長はほとんど権力をもたず、従って私有財産は不安固であるため、食糧はそこでは滅多に豊富ではない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ニュウ・ジイランドの大島については吾々はこれよりはよく知っているが、しかしそれはその住民らの社会状態につき快い印象を与えるが如きものではない。キャプテン・クックが三つの異なれる航海記の中でえがいている描写は、人性の歴史において遭遇する最も暗い影を蔵している。これら人民の各種族が互いに絶えず闘っている闘争は、アメリカのいかなる地方の蒙昧人の場合よりもいっそう顕著である2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そして食人という彼らの習慣、及び彼らがこの種の食物を愛しさえしていることは、疑問の余地なきほどにはっきりしている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。キャプテン・クックは、蒙昧生活の罪悪を誇張する傾向は少しもないのであるが、それでさえ、クウィーン・シャアロット・サウンドの近隣の土人について、次の如く曰う、
『もし私が、吾々のすべての自称友人の忠言に耳を傾けていたならば、私は全種族を絶滅させたことであろう。けだし各村々の土人は、代る代る私に他の村を滅ぼすことを頼んだからである。このあわれな人民がこれほど分裂生活をしている実証を聞いても、人はこれをほとんどありえないことと思うであろう4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。』また同じ章の先の方で曰く、『私自身の観察と、タウェイハルウアの話からすれば、ニュウ・ジイランドの土人は互いに殺されはしないかという絶えざる不安の中に生きているに違いない、と私には思われる。彼らの考えるところによれば、ある他の種族から被害を受けたことはないと考える種族はほとんどないのであり、ために彼らは絶えず復讐をしようと見張っている。そしておそらく、人肉の御馳走にあずかりたいという欲望も、少なからぬ刺戟となっていることであろう。……彼らがその恐るべき計画を遂行する方法は、夜中ひそかに敵を襲うことである。そしてもし敵が警戒を怠っているのを見ると(しかしこれは滅多にないことと信ずるが)、彼らはあらゆるものを無差別に殺し、女や子供でも見逃さない。殺戮が終ると、彼らはその場で祝宴を催してたらふく食うか、または死骸を出来るだけ数多く運び去り、家でそれを言葉で現わせぬほど残忍な仕方で食う。……助命したり捕虜にするということは軍律にはなく、従って敗北者は逃げる以外に助かる方法はない。この不断の戦争状態と破壊的戦闘方法とは、習慣的な警戒を生ぜしめる極めて有力な作用をするのであり、従って、昼といわず夜といわず、ニュウ・ジイランド土人が警戒を解いているのを見ることはほとんどないのである5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Histoire des Navigations aux terres Australes におけるニュウ・ギニア及びニュウ・ブリテンに関する各種の記述、及び Cook's Second Voyage, vol. ii. b. iii. におけるニュウ・カレドニア及びニュウヘブリデス諸島に関するそれを参照。
 2) Cook's First Voyage, vol. ii. p. 345. Second Voyage, vol. i. p. 101. Third Voyage, vol. i. p. 161, etc.
 3) Cook's Second Voyage, vol. i. p. 246.
 4) Id. Third Voyage, vol. i. p. 124.
 5) Id. p. 137.
 右に述べたことは最後の航海記にあるのであり、最後の航海記では従前の記述の誤は訂正されたことであろうし、そしてここでは不断の戦争状態が、ニュウ・ジイランドの人口に対する主たる妨げと考え得る程度に行われているのであるから、この問題に関してはここで加える必要はない。女子の間で人口増加に都合の悪い習慣が行われているか否かについては、吾々は聞くところがない。もしかかるものが知られたら、それはおそらく非常な困窮の際の外には行われないことであろう。けだし各種族は当然に、その攻防力を増大するためにその人口を増加しようとねがうであろうからである。しかし南洋諸島の女が送る放浪的な生活と、不断の危急状態とは、絶えず武装して旅行したり働いたりすることを余儀なくさせるから1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、疑いもなく姙娠には非常に都合が悪く、家族が多くなるのを著しく妨げるに違いない。
 1) Cook's Second Voyage, vol. i. p. 127.
 しかしかかる人口に対する妨げは有力であるとはいえ、欠乏の季節が囘起かいきするところから見れば、それは人口を平均的生活資料以下に引き下げることは滅多にないことがわかる。『かかる季節があるということは、』(とキャプテン・クックは曰う、)『吾々の観察によれば疑問の余地がない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』魚は彼らの主食であるが、それは海岸で、しかもある時期に2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、取れるだけであるから、常に極めて不確実な食物源泉でなければならない。かかる不断の危急状態にある社会状態において、たくさんの魚を乾かして貯えることは極度に困難なことでなければならぬ。殊に魚の最も豊富な湾や入江は、最もしばしば、食物を探し求めて放浪している人民達の執拗な争闘目標となることと考えられるのであるから3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、植物性生産物は、羊歯の根、山芋、クラム、及び馬鈴薯である4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。後の三者は耕作によって得られ、従って農業がほとんど知られていない南方諸島では滅多に見られない5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。これらの乏しい資源が季節の不順のため時に不作になった時にその困窮が恐るべきものでなければならぬことは、想像に難くない。かかる時期には、御馳走を食いたいという欲望が復讐の欲望に力を加え、彼らをして『餓死に代る唯一の方法として絶えず暴力により殺し合う6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]』ということになるのは、あり得ないことではないと思われる。
 1) Cook's First Voyage, vol. iii. p. 66.
 2) Id. p. 45.
 3) Id. Third Voyage, vol. i. p. 157.
 4) Id. First Voyage, vol. iii. p. 43.
 5) Id. vol. ii. p. 405.
 6) Id. vol. iii. p. 45.
 ニュウ・ジイランドの稀薄に散在せる住民から、オウタハイト及びソサイティー諸島の人口稠密な海岸地方に眼を転ずるならば、これと異る光景が展開される。ヘスペリデスの園の如くに、豊饒であると云われている国からは、一切の欠乏の不安は消え去っているように思われる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかしこの第一印象はちょっと考え直してみれば直ちに誤りであることがわかる。幸福と富裕とは常に人口増加の最も有力な原因と考えられている。快適な気候の下にあり、病気はほとんどなく、女が苛酷な労苦を少しもしない所において、どうしてこれらの原因が、もっと恵まれぬ地方ではその類を見ないほどの力で、働かないであろうか。しかしこれらの原因が働いたとすれば、かかる狭く限られた限界内でこの人口は一体どこに余地と食物を見出し得るであろうか。周囲四〇リイグもないオウタハイトの人口が、二十万四千人にも上ってキャプテン・クックを驚かしたとすれば2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、一世紀を経て、二十五年ごとに人口を倍加すると仮定してそれが三百万以上に達したら、それをどこに始末したらよかろう3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。この群に属する島はどの島も同様の状態にあるであろう。一つの島から他の島に移るのは、場所の変更にすぎず、困窮の種類の変更ではないであろう。有効な移民または有効な輸入は、この諸島の状況とその住民の航海状態からして、全く考慮に入れ得ないことであろう。
 1) Missonary Voyage, Appendix, p. 347.
 2) Cook's Second Voyage, vol. i. p. 349.
 3) この増加率は、あらゆる妨げが除去されたと仮定した場合に実際に生ずべきものよりも、遥かにおそいものであることを、ほとんど疑わない。けだしオウタハイトには、その現在の生産物をもって、わずか百人の人間しかおらず、男女の数は同数であり、一人の男子は一人の女子を守るとすれば、引続き六、七代の間人口増加は未曾有に上り、おそらく十五年以下で倍加すべきものと考えざるを得ないのである。
 ここでは困難な事態は極めて狭い範囲に圧縮されており、極めて明瞭、確実かつ強力であるから、吾々はそれから逃れることは出来ない。これは移民を論じたり、より以上の耕作を論じたりする、日常の生温い方法では、応じ得ないものである。今の場合では、前者は不可能であり、後者は明かに不適当であることを、吾々は認めざるを得ない。この群の島がその人口を二十五年ごとに倍加し続け得ないことは、絶対に間違のない事実である。従って吾々は、そこにおける社会状態の研究に立入らないうちに、不断の奇蹟が女子を不姙にしているのでない限り、人民の習慣の中に、人口に対するある極めて有力な妨げを辿り得るであろうことを、確信し得るはずである。
 オウタハイトとその近隣の諸島に関して吾々が得ている数多の報告によって見れば、文明諸国民の間にかくも大きな驚駭きょうがいをひきおこしたエアリイオイ社1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]なるものが存在することには、疑問の余地がない。これについては今までたびたび述べられているから、乱交と殺児とがその根本律であるらしい、という以外には、ここでは述べる必要はない。それはもっぱら上流階級から成り、『そして』(アンダスン氏によれば2)[#「2)」は縦中横、行右小書き])『この淫蕩な生活方式は非常に彼らの性向にむくので、最も美しい両性は通常その青春の日をかくの如くして費やし、最も蒙昧な種族といえども恥辱とするような極端な行いをしているのである。……エアリイオイ社の女が子供を産むと、水にひ[#「ひ」は底本では「び」]たした布を鼻と口に当てて窒息させるのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。』キャプテン・クックは曰く、『かかる社が、その成員をなす上流階級の増加を大いに妨げることは確実である4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。』この言葉が本当であることには疑はあり得ない。
 1) Cook's First Voyage, vol. ii. p. 207, et seq. Second Voyage, vol. i. p. 352. Third Voyage, vol. ii. p. 157, et seq. Missionary Voyage, Appendix, p. 347. 4to.
 2) アンダスン氏はクックの最終航海に博物学者及び外科医として働いた。キャプテン・クック及びこの探検に参加した士官は、彼れの才能と観察眼に非常に敬意を払った。従って彼れの記述は最高の権威あるものと考えてよかろう。
 3) Cook's Third Voyage, vol. ii. p. 158, 159.
 4) Id. Second Voyage, vol. i. p. 352.
 これと同じ性質を有つ特別の制度は下層社会には見出されないけれども、その最も顕著な特徴をなす罪悪は、ただ余りにも一般に拡がっている。殺児はエアリイオイに限られない。それはすべての者に許されている。そしてそれは、上流階級の間に広く行われているので、それは一切の悪名を、貧の誹りを、除かれるに至っているから、おそらくそれはしばしば必要手段たるよりはむしろ流行として採用され、そして平気でかつ何の遠慮もなく行われているようである。
 ヒュウムが、殺児の認容は一般に一国の人口増加に寄与する、と云っているのは非常に正しい1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。家族が多くなり過ぎるという恐れをなくするので、それは結婚の奨励となる。しかも両親は、力強い愛の情にひかされて、極端な場合の外はこんな残酷な方法に頼れなくなる。オウタハイトとその近隣の諸島におけるエアリイオイ社のやり方は、これをこの観察の例外たらしめているかもしれない。そしてこの習慣はおそらく反対の傾向を有つことであろう。
 1) Hume's Essays vol. i. essay xi. p. 431. 8vo. 1764.
 下層階級の人民の間に広く行われている放逸と乱交は、ある場合には誇張されているかもしれないが、大体疑問の余地なき証拠で明かにされている。キャプテン・クックは、オウタハイトの女を余りにも一般的な淫行から救ってやろうと、はっきりと努力したのであるが、その際彼は、この島には他のいずれの国よりもこうした性行が多いことを認め、同時に、女はかかる行いをしてもいかなる点でも社会の地位は下落せず、最も淑徳なる人達と無差別に交っているのであると、最も明白に述べているのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Cook's Second Voyage, vol. i. p. 187.
 オウタハイトにおける通常の結婚は、男から娘の両親へ贈物をする以外には、何の儀式もない。そしてこれは、妻に対する絶対的契約であるよりはむしろ、娘をためしてみる許可に対する両親との取引であるように思われる。もし父がその娘に対し十分の支払を受取っていないと考えるならば、彼は少しも躊躇せずに娘に男と別れさせ、もっと気前のよい男と同棲させるのである。男はいつでも自由に新しい妻をもらうことが出来る。彼の妻が姙娠でもすれば、彼はその子供を殺し、しかる後好むがままに、母と関係を続けるか、または彼女を去るのである。彼が子供を取り上げこれを養う面倒を見る時にのみ、両者は結婚状態にあるものと看做される。しかしその後もっと若い妻が初めの妻の外に加わることもあろう。しかしこれよりも関係が変るのがはるかに一般的であり、平気でこれを話すほどに日常茶飯なのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。結婚前の不品行はこの種の結婚に対しては結局何の障害でもないように思われる。
 1) Cook's Third Voyage, vol. ii. p. 157.
 かかる社会状態による人口に対する妨げは、それだけで、最も好適な気候と最も豊富な食物のもたらす結果を相殺するに足ることがわかるであろう。しかしこれらが全部ではない。異る島の住民の間の戦争、及び彼ら自身の間の内争は、頻々とあり、そして時にはそれは非常に破壊的である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。戦場における人命の浪費に加えて、戦勝者は一般に敵の領土を荒し廻り、豚や家禽を殺したり、運び去ったりし、そして将来の生活資料を出来るだけ減少してしまう。一七六七年と一七六八年に、豚と鶏に充ち満ちていたオウタハイト島は、一七六三年には、それが非常に少くなり、いかなるものを提供しても所有主はこれを手離そうとはしなかった。キャプテン・クックは、これは主として、その間に起った戦争によるものであるとした2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。一七九一年にキャプテン・ヴァンクウヴァがオウタハイトを訪れた時には、一七七七年に別れた友人は大抵死んでしまっており、すなわちその時以来たびたび戦争があり、ある戦争ではオウタハイトの両方の酋長が敵に加わったので、王は長期間完全に惨敗し、そしてその領土は全く荒廃に帰したことを、見出した。キャプテン・クックが残して行った動植物の多くは戦禍のためになくなっていたのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Bougainville, Voy. autour du monde, ch. iii. p. 217. Cook's First Voyage, vol. ii. p. 244. Missionary Voyage, p. 224.
 2) Cook's Second Voyage, vol. i. p. 182, 183.
 3) Vancouver's Voy. vol. i. b. i. c. 6. p. 98. 4to.
 オウタハイトで頻々と行われる人身御供ひとみごくうは、それだけでこの土人の性格に野蛮という汚点を印するに足るものではあるけれども、おそらくは人口に著るしく影響を及ぼすほど数多くは行われるものであるまい。そして疾病は、ヨオロッパ人との接触により恐ろしく増加したけれども、以前には奇妙なほど軽く、またそれ以後でもしばらくの間は、異常な死亡を示すことはなかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き、「1」が底本では欠落]
 1) Cook's Third Voy. vol. ii. p. 148.
 かくて、人口増加に対する大きな妨げは、乱交、殺児、及び戦争の三罪悪であることがわかるが、その各々は非常に大きな力で働いているのである。しかしかかる原因が、生命を予防し破壊する上にいかに大きな力をもつとはいえ、それらは常に人口を生活資料の水準に保っていたわけではない。アンダスン氏によれば『この島は極度に肥沃であるにもかかわらず、飢饉はしばしば起り、その際には多くのものが死ぬと云われている。これが季節の不順によるか人口過剰によるか(それは時にはほとんど必然的に起らなければならないが)、または戦争によるかは、私はまだこれを決定することが出来ない。もっとも事の真相は、彼らが、食物が豊かな時でさえこれを非常につつましく用いることから、十分推察することが出来ようが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』ウリイティアで酋長と会食した後、キャプテン・クックは、一同が席を立った時に、平民が大勢下に落ちたパン屑を拾いに雪崩れ込んで来て、細かいかけらまで余さず探し廻っているのを見た。彼らのうちのある者は毎日船にやって来、そして殺した豚の内臓を貰うために屠夫の手伝いをした。一般に屑の外はほとんど彼らの手には渡らなかった。キャプテン・クックは曰く、『彼らがあらゆる種類の食糧を極めて注意深く取扱い、そして人間の食い得る物は、なかんずく肉と魚は、少しも無駄にしないことを、認めなければならない2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Cook's Third Voyage, vol. ii. p. 153, 154.
 2) Id. Second Voy. vol. i. p. 176.
 アンダスン氏の述べているところによれば、動物性食物は極めて少量しか下層階級のものの手に入らず、しかもそれですら、魚かうにかその他の海産物かである。けだし彼らはほとんどまたは全く豚肉は食わないから。王か主だった酋長だけがこの贅沢を毎日することが出来るのであり、下位の酋長は、その富に応じて、一週か二週か月に一かいずつである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。犬や鶏が戦争や過度の消費によって減少すると、これらの食品に禁令が下され、これは時に数ヵ月または一、二年も施行され、そしてこの期間にこれらは非常に急速に増加し再び豊富になるのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。この諸島の重だった人民に属するエアリイオイのものの普通食事でさえ、アンダスン氏によれば、少くとも十分の九は植物性食物からなる3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。そして階級差別が非常に強く定められ、下層階級の人民の生命と財産とが絶対に酋長の意思に依存しているらしいのであるから、これらの酋長がしばしば豊かに暮しているのに、その臣下や僕婢は欠乏に悩むということは、吾々の十分に想像し得るところであろう。
 1) Cook's Third Voy. vol. ii. p. 154.
 2) Id. p. 155.
 3) Id. p. 148.
 伝道航海記にあるオウタハイトに関する最近の記録によれば、上記の人口減少の原因は、キャプテン・クックの最後の訪問以来、極めて異常な力をもって働いていることがわかるであろう。この期間一時の間、破壊的な戦争が引続いて頻々と起ったことは、キャプテン・ヴァンクウヴァがその間にここを訪問した際注意を引いている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そして伝道師によれば、女の割合が小さいとあるから2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、女児が前より数多く殺されたものと推論し得よう。この女の少いことは当然に乱交の悪弊を増加し、そしてヨオロッパの疾病と相俟って、人口に根本的な打撃を加えることであろう3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Vancouver's Voy. vol. i. b. i. c. 7. p. 137.
 2) Missionary Voyage, p. 192 and 385.
 3) Id. Appen. p. 347.
 おそらくキャプテン・クックはその計算の基礎たる資料によって、オウタハイトの人口を過大に見積り、またたぶん伝道師達はそれを過度に低く見積ったのかもしれない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし私は、相異る時代の、人民の経済に関する習慣についての相異る記述からして、キャプテン・クックの訪問以来、人口が著しく減少したことを疑わない。キャプテン・クック及びアンダスン氏は、彼らがあらゆる種類の食物に対して非常に注意深いことを一致して述べている。そしてアンダスン氏は、明かにこの点に関する非常に綿密な調査の後、飢饉が頻々と囘起することを述べている。伝道師達は反対に、フレンドリ諸島及びマアクイサス諸島におけるこの原因による困窮は力説しているけれども、オウタハイトの生産物は最も豊富であると云い、そして祝宴やエアリイオイ社によって恐ろしい浪費が行われるにもかかわらず、欠乏は滅多にない、と云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Missionary Voyage, ch. xiii. p. 212.
 2) Id. p. 195. Appen. p. 385.
 これらの記述によれば、オウタハイト島の人口は現在、平均的生活資料よりも著しく下に圧迫されていることがわかるが、しかし将来久しくこれが続くであろうと結論するのは早計である。キャプテン・クックがたびたびここを訪問した際に認めたこの島の状態の変動は、その繁栄と人口とにおいて顕著な擺動があることを証明するように思われる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてこれは吾々が理論上まさに想定すべきことなのである。吾々は、これらの島のいずれかの人口が過去久しく一定の数に停止していたとか、またはいかに徐々たるものであろうと何らかの比率で規則的に増加し得たとは、想像することが出来ない。大きな変動が必ずあったに相違ない。人口過剰は常に蒙昧人の生来の戦争癖を増大するであろう。そしてこの種の侵害によって惹き起された敵意は、それを促した本来の故障が消滅して後も、久しきに亙って引続き荒廃の手を拡げるであろう2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。以前には非常な節約をして生活し、そして食物の限界を緊密に圧迫していた、密集人口が、一度か二度不作により困窮に陥る時には、かかる社会状態においては、殺児や乱交3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]がいっそう甚しく広がることであろう。そしてこれらの人口減少の原因は、同様に、これらを悪化させた事情が終了してから後もしばらくは加速度で働き続けるであろう。事情の変化によって徐々として生み出されるある程度の習慣の変化は、まもなく人口を旧に復せしめ、そしてこの人口は、最も甚しい暴威なくしては、久しくその自然的水準に保たれ得ないであろう。ヨオロッパ人との接触がオウタハイトにおいて、どれだけこの最も甚しい暴威をもって働き、そしてそれが以前の人口に囘復するのを妨げたかは、経験のみがこれを決定し得ることである。しかしこれが事実であるとすれば、私は、その原因を辿ってみれば、それが罪悪及び窮乏の加重であることを見出すのを、疑わないのである。
 1) Cook's Second Voy. vol. i. p. 182, and seq. and 346.
 2) Missionary Voy. p. 225.
 3) 私は、これらの過剰人口の予防的原因について誤解をうけて、ただその結果を述べたからといってそれを少しでも是認したものと、考えてもらいたくない。ある特定の害悪を防止すべき原因でも、その害悪そのものよりも比較にならぬほど悪いものもあり得よう。
 太平洋における他の島々に関しては、吾々はオウタハイトほど詳しい知識を有たない。しかし吾々の有っている知識だけによっても、その主な群島のすべてにおける社会状態が多くの点において著しく似ていることを、確信することが出来る。フレンドリ諸島及びサンドウィッチ諸島の土人の間には、オウタハイトと同じ封建制度と封建的紛乱が、同じ酋長の異常な権力と下層社会の窮情が、そしてまたほとんど同じ人民大部分の間の乱交が、広く存在していることが見出されているのである。
 フレンドリ諸島においては、王の権力は無限であり、人民の生命財産は彼れの意のままであると云われているが、小主権者のような行動をする他の諸酋長が存在し、王のやり方を邪魔するので、王はしばしばこれをかこっていた。『しかしいかに』(とキャプテン・クックは云う)『この有力者が王の専制的権力から独立しているとはいえ、吾々は、下層階級の人民が、各自その属する酋長の意のままになる外には、何らの財産も身体の安全も有たないということを証明するに足る事例を吾々は見たのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』酋長はしばしば下層者を極めて無慈悲になぐりつける2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そして彼らの誰かが船で窃盗を働いて捕えられた時には、その主人は彼らをとりなすどころかしばしば彼らを殺すようにすすめるのであるが3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、このことは、酋長自身が窃盗罪を大して恐れていないように思われるのであるから、かかる貧民の生命はほとんどまたは全く価値がないものと彼らが考えるところからのみ起り得るものであろう。
 1) Cook's Third Voy. vol. i. p. 406.
 2) Id. p. 232.
 3) Id. p. 233.
 キャプテン・クックは、最初にサンドウィッチ諸島を訪れた時には、外戦と内乱とが土人の間に非常に頻々とあると信ずべき理由をもった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてキャプテン・ヴァンクウヴァは、それより後の記録の中で、これらの諸島の多くがかかる原因により恐るべき荒廃を来したことを、力説している。キャプテン・クックの訪問以来、絶えざる争いがあって色々の統治者が変った。この訪問の際知った酋長でたった一人だけが生きていた。そして調べてみると、自然に死んだのはほとんどなく、その大抵の者はかかる不幸な争いで殺されたものであることがわかった2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。サンドウィッチ諸島における下層階級の人民に対する酋長の権力は、絶対的であるように思われる。他方において人民は彼らに完全に服従し、そしてこの隷従状態は彼らの心身に明かに大きな悪影響を有っている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。ここでは他の島よりも階級差別は更にはっきりきまっているように思われる。けだし上流の酋長は下層のものに対して、最も傲慢な圧制的な行動を採っているから4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]
 1) Cook's Third Voy. vol. ii. p. 247.
 2) Vancouver, vol. i. b. ii. c. ii. p. 187, 188.
 3) Cook's Third Voy. vol. iii. p. 157.
 4) Id.
 フレンドリ諸島やサンドウィッチ諸島で殺児が行われているかどうか、またオウタハイトのエアリイオイ社に似た組織が作られているかどうかは、知られていない。しかし売淫が広く普及しており、下層階級の女の間に著しく行われていることには、間違ない証拠があるようであるが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、これは常に人口に対する極めて有力な妨げとして作用するに違いない。その時間の大部分を酋長の身辺に仕えて送る召使たるトウトウ2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]がしばしば結婚しないというのは、間違のないことらしい。そして上流人に許される一夫多妻が、下層階級における乱交の罪悪の風を大いに助長し加重する傾向があるに違いないことは、明かである。
 1) Cook's Third Voy. vol. i. p. 401. Vol. iii. p. 130. Missionary Voy. p. 270.
 2) Id. vol. i. p. 394.
 もし、太平洋のより肥沃な島では、貧困や食物の欠乏に苦しむことはほとんどまたは全くないということが、確実な事実であるとすれば、かかる気候における蒙昧人の間でかなりの程度の道徳的抑制が行われるとは期待し得ないであろうから、この問題に関する理論は当然に、戦争を含んでの罪悪が、彼らの人口に対する主たる妨げである、との結論に達せしめるであろう。これらの島々に関し吾々の有つ記録は、有力にこの結論を確証する。上述した三大群島においては、罪悪が最も顕著なものであるように思われる。イースタ島においては女に対して男が非常に比例がとれていないのであるが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、これから見ると、航海者の誰にも知られていないけれども、殺児が広く行われていることには疑いはあり得ない。ペルウズは、各地方の女は、その地方の男の共有財産であると考えているらしい2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。もっとも彼れの目にふれた子供の数は3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、むしろこの意見を否定するものの如くであるが。イースタ島の人口は、ヨオロッパ人との交渉によっては大きな影響を受けたはずはないけれども、ロツゲワインが一七二二年にこれを最初に発見して以来、極めて著しい変動を示しているようである。ペルウズの記すところによれば、彼がそれを訪れた時には、それは、おそらく旱魃か、内乱か、または極度の殺児と乱交の流行かの、いずれかの原因により、非常に少なくなっていたその人口を、恢復しつつあるように思われた。キャプテン・クックが第二の航海でそれを訪れた時には、その人口を六、七百と見積ったが4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]、ペルウズは二千と見積った5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。そして彼れの見た子供の数と、建築中の新らしい家の数からして、彼は人口は増加しつつあると考えたのである6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]
 1) Cook's Second Voy. vol. i. p. 289. Voyage de P※(アキュートアクセント付きE小文字)rouse, c. iv. p. 323; c. v. p. 336. 4to. 1794.
 2) P※(アキュートアクセント付きE小文字)rouse, c. iv. p. 326; c. v. p. 336.
 3) Id. c. v. p. 336.
 4) Cook's Second Voy. vol. i. p. 289.
 5) P※(アキュートアクセント付きE小文字)rouse, c. v. p. 336.
 6) Ibid.
 マリアナ諸島においては、ゴビアン教父によれば、極めて多数の1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]若い男が、オウタハイト島のエアリイオイ社の成員のような生活を送りながら、独身生活を送り、そして類似の名前で他のものから区別されていた2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。台湾島では、女は三十五歳以前には子供を産むことを許されない、と云われている。もしその前に懐姙かいにんするならば、巫女により堕胎が行われ、そして夫が四十歳になるまで妻は引続き父の家で暮し、ただ密かに会うだけである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) 『無限の青年』――Hist. des Navigations aux Terres Australes, vol. ii. p. 507.
 2) Cook's Third Voyage, vol. ii. p. 158, note of the Editor.
 3) Harris's Collection of Voyages, 2 vols. folio edit. 1744, vol. i. p. 794, この話は、忠実で相当聞えたドイツの旅行家のヨオン・アルベルト・デ・マンデスレーの伝えるところであるが、この場合は彼はモンテスキウが引用している(Esprit des Loix, liv. 23, ch. 17.)オランダの著者からこの記述をとったものだと思う。このような奇妙な慣習があることを確証するにはおそらくこの典拠は不十分であるが、私は全然あり得ないこととは思われないと思う。同じ記述の中には、これら人民の間には境遇の相違はなく、また彼らの戦争は流血を伴わず従ってただ一人の死がおおむね戦争を決定する、と述べてある。非常に気候が健康的であり、人民の習慣は人口増加に好都合で財貨の共有が樹立されているところでは、大家族から生ずる格別の貧困を恐れる理由は個人にはないのであるから、政府は何らかの方法で法律により人口を抑圧せざるを得ないであろう。そしてこれはあらゆる自然的感情の最大の蹂躪じゅうりんであろうから、財貨の共有に対するこれ以上の有力な反対論はあり得ないのである。
 その他若干の島々にはちょっとした訪問が行われただけであり、従ってそれに関する記述は不十分であるから、吾々としては、その習慣について詳しく述べることは出来ない。しかし、上述した限りにおいては、これらの習慣は一般に類似していることからして、吾々は、これらの島のあるものには上述の如き甚しい蛮行のあるものがないとはいえ、女子に関する悪習と戦争とが、その人口に対する主たる妨げである、と考える理由を有つのである。
 しかしながらこれが全部ではない。南洋諸島の土人の生活について伝えられている食物豊富な幸福な状態の問題について、私は、この楽天地について時に過大のことが云われるため、吾々の想像は真実以上の点まで行きすぎているものと、考えたい気がする。オウタハイトにさえ欠乏の圧迫が珍しくないというキャプテン・クックの最終航海記の叙述は、一切のこれらの島々のうちで最も肥沃なものに関して吾々の蒙を啓くものである。そして伝道航海記から見ると、パン果の実らない季節には、すべてのものが一時的欠乏に悩むのであることがわかる。マアクイサス諸島に属するオハイタフウにおいては、この欠乏が飢饉と化し、動物ですら食物の欠乏により死に瀕したのである。フレンドリ諸島の主島たるトンガタブウにおいては、豊富な食物を確保するために酋長が他の島にその住居を移し1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、そして時には多くの土人が欠乏に大いに苦しんだ2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。サンドウィッチ諸島においては、長期の旱魃が時に起り3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、豚と山芋はしばしば極めて少くなり4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]、そして訪問者はオウタハイトの贅沢な気前のよさとは大いに異って、ひどい虐待を受けるのである。ニュウ・カレドニアでは住民は蜘蛛を食って生きており5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]、そして時には、飢の欲求を鎮めるために、大きな滑石を食うまでに至るのである6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]
 1) Missionary Voy. Appen. p. 385.
 2) Id. p. 270.
 3) Vancouver's Voy. vol. ii. b. iii. c. viii. p. 230.
 4) Id. c. vii. and viii.
 5) Id. ch. xiii. p. 400.
 6) Voyage in search of P※(アキュートアクセント付きE小文字)rouse, ch. xiii. p. 420. Eng. transl. 4to.
 これらの事実は、ある時期にこれらの島の生産物がいかに豊富であることが見られるとしても、または彼らがいかに無智、戦争及びその他の原因によって妨げられるとしても、その平均人口は、一般的に云えば、平均食物の限界を緊密に圧迫していることを、有力に証明するものである。下層階級の人民の生命が上流者によってほとんどまたは全く価値を有たぬものと考えられているように思われる社会状態においては、吾々が表面上の富裕について極めて欺かれ易いことは明かである。そして吾々は、容易に、主だった所有者階級はたくさんの豚や山菜をヨオロッパの商品と交換したかもしれぬが、他面その家来や奴隷は甚だしく欠乏に悩んでいるものと、容易に考え得るであろう。
 蒙昧生活の名の下に分類され来っている人類社会部門に関するこの概観を終るに当り、私は、それが文明生活に優っている利点で私の認め得る唯一のことは、人民大衆がより大なる程度の閑暇をもつ点であるということを、述べないではいられない。為すべき仕事はより少なく、従って労働はより少ない。文明社会の下層階級が不断の労苦に運命づけられていることを考えると、これは吾々には著しい利点と思われざるを得ぬ。しかしそれはおそらくはるかにより大きな不利益によって打ち消されて余りある。生活資料が容易に獲得される一切のこれらの地方には、極めて圧制的な階級差別が行われる。財産の打撃と侵害は当然のことのようであり、そして下層階級の人民は、文明圏において知られているよりもはるかに低い隷属状態にある。蒙昧生活の中平等が大なる程度に行われている部分においては、食物獲得の困難と不断の戦争の苦労とは、文明社会の下層階級の人民の行う労働に劣らぬ程度の労働を必要ならしめる、――もっともその労働は文明社会でははるかに不平等に分配されているけれども。
 しかし吾々は、人類社会のこれら二階級の労働を比較することは出来ようが、彼らの辛苦や苦悩は比較を許さないであろう。この点を最もはっきりさせてくれるものは、アメリカの蒙昧人のより低級な種族における教育の全方針であるように私には思われる。最も甚だしい苦痛や不幸の下にあって最強の忍耐心を教えるに役立つあらゆるもの、心情を硬化し同情心の一切の源泉をとざす傾向あるあらゆるものこそが、蒙昧人に最も熱心に教え込まれる所である。文明人はこれと反対に、害悪が起った時には忍耐をもってこれを堪え忍ぶことを教えられはしようが、しかし常にそれを予期するようには教えられていない。剛毅の外になお他の徳の発揮が要求される。彼は、困窮に際し、隣人のことを、またはその敵のことさえ、同情するように、その社会的感情を促進し拡大し、そして一般的に云えば、愉快な情緒の領域を拡張するようにと、教えられている。これら二つの異る教育法から明かに推論し得ることは、文明人は楽しむことを希望し、蒙昧人はただ苦しむことだけを予期するということこれである。
 非常識なスパルタ式訓練法や、私的感情を公けの関心の中に吸収させてしまうことは、不断の戦争から絶えざる困苦と辛労とに曝されている人民や、絶えざる境遇逆転の怖れの下にある状態においてでなければ、決して存在し得なかったであろう。私はかかる現象をもって、スパルタ人の気質における剛毅と愛国心とのある特有の傾向を指示するものとは考えずして、単に、スパルタ及び一般的には当時のギリシアの、悲惨なほとんど蒙昧の状態を力強く指示するものと考えたい。市場の商品と同様に、最大の需要のある徳は最多重に生産されるであろう。そして苦痛と辛苦の下における忍耐力及び行き過ぎた愛国的犠牲が最も要求される場合には、それは人民の窮乏と国家の不安固とを示す、憂鬱な指示なのである。
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    第六章 ヨオロッパ北部の古代住民における人口に対する妨げについて

 人類の初期の移動と定住の歴史、並びにそれを促した動機は、極めて顕著に、生活資料を越えて増加せんとする人類の不断の傾向を例証するであろう。かかる性質をもつある一般法則がなければ、世界に決して人間が住むようにはならなかったように思われるであろう。いそがしい活動の状態ではなく、懶惰らんだの状態が、明かに人間の自然的状態であるように思われる。そしてこのいそがしい活動の志向は、必要という強力な刺戟がなければ生じ得なかったであろう。もっともそれは後になって、習慣や、それから作られる新しい連合や、進取の精神や、軍事的栄誉欲によって、持続されたということもあろうけれども。
 話によれば、アブラハムとロトとは家畜を非常に豊富に有っていたので、土地は二人をともに居らしめることは出来なかった。そこで彼らの牧者の間に争いが生じた。そしてアブラハムはロトに分離を提議し、そして云った、『地は皆なんじの前にあるにあらずや。爾もし左にゆかば我右にゆかん。また爾もし右にゆかば我左にゆかん1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』と。
 1) 創世紀第十三章
 この単純な言葉と提議とは、人間を全地球に散布し、時が進むにつれて、地球上の比較的不運な住民のある者を、抵抗し難い圧迫に追われつつ、アジア及びアフリカの燃え立つ沙漠や、シベリア及び北アフリカの氷結地方に、乏しい生活資料を求めるべく追いやった所の、活動の大発条を、見事に例証するものである。最初の移住は当然に、その土地の性質以外の障害は見出さなかったであろう。しかし地球の大部分が稀薄にせよ人が住むようになった時には、これらの地方の所有者は、闘争なしにはそれを譲ろうとはしなかったであろう。そして比較的中心地のいずれかの過剰な住民は、最も近い隣人を駆逐するか、または少くとも彼らの領土を通過しなければ、自分のために余地を見出すことが出来なかったが、これは必然的に頻々たる闘争を惹き起したことであろう(訳註)。
〔訳註〕第三章の訳註の中に引用した第一版の文に続くパラグラフは次の如くである、――
『人類の次の状態たる牧畜民族の間に行われる行状や習慣については蒙昧状態のことよりもっとわからない。しかしこれら民族が生活資料の不足から生ずる窮乏の一般的運命を免れ得なかったことは、ヨオロッパや世界のあらゆる文明国が十分に説明している。スキチアの遊牧民を駆って、餌を尋ねる多数の餓狼の如くに、その生れ故郷を捨てさせたものは、欠乏に外ならなかった。このあくまでも強力な原因によって動かされて、(訳註――ここのところから二文は本章の後の方に再現する。その個所の訳註を参照。)雲霞の如き野蛮人は北半球のあらゆる地方から集ると見えた。彼らは進むにつれて新らしい暗黒と恐怖とを集め、その大群は遂にイタリアの太陽を覆い、全世界を永遠の暗黒に沈めたのである。世界中の文明国がかくも久しくまたかくも深刻にあまねく蒙ったこの恐るべき結果は、生活資料に比しての人口増加力の優越という簡単な原因に辿ることを得るであろう。』
 そしてこの次のパラグラフは次の語ではじまり、その後五つのパラグラフは大体第一版からの書き写しである。
『牧畜国は農業国ほど多数の住民を養うことが出来ないことは、周知のことである。けれども牧畜民族をしてかくも恐るべきものたらしめるものは、………』
 ヨオロッパとアジアの中緯度地方は歴史の初期に牧畜民族によって占有されたように思われる。ツキヂデスは自分の意見として、彼れの時代においてヨオロッパとアジアの文明国は、結合したスキチア人に抵抗することが出来ない、と述べている。しかし牧畜国は農業国ほど多数の住民を養うことは出来ない。けれども牧畜民族をしてかくも恐るべきものたらしめるものは、彼らが一団となって移動する力を有ち、また彼らの畜群に新しい牧場を探すためにしばしばこの力を発揮しなければならぬ、ということである。家畜をたくさん有っている種族は即座の食物に豊富である。絶対的必要の際には親家畜さえ食うことが出来よう。女は狩猟民族よりも安楽に暮し、従ってより多産的である。男は、団結の力を得て気強くなり、また場所を変えればその家畜に牧場を与えることが出来ると信じているので、おそらく家族扶養上の心配はほとんど感じないであろう。これらの原因は合してまもなくその自然的不変的結果たる人口増加をもたらす。もっと頻繁な急速な場所の変更が必要となる。もっと大きなもっと広汎な土地が順次に占有される。より広大な荒廃が彼らの周囲に拡がって行く。欠乏はより不運な社会員を苦しめ、遂にはかかる人口を支持して行くの不可能は余りにも明かにして抗し難きものとなる。そこで若者達は親の仲間から追われ、彼ら自身の剣で新らしい土地を探検し、彼ら自身のためのより幸福な居所を獲得せよと教えられる。
『世界はすべて彼らのえらぶがままにまかされた。』
 現在の困窮にせき立てられ、より明るい将来の希望に輝き、そして敢為進取の精神に駆り立てられて、これらの勇敢な冒険者は、これに抗するあらゆる者にとり恐るべき敵となりがちである。平和な商業や農業に従事している、久しく定住された国の住民は、かかる有力な行動の動機に促されている人間の力にしばしば抗し得なかったことであろう。そして彼らと同一の境遇にある種族との頻々たる闘争は、いずれも生存のための闘争に外ならないのであり、従って、敗北の罰は死であり勝利の賞は生であるという反省に促されて、決死的な勇気をもって戦われたことであろう。
 かかる蒙昧な闘争において、多くの種族は完全に絶滅したに違いない。多くのものはおそらく困苦と飢饉とで死滅したことであろう。しかし指導者がもっとよい指導をした他の種族は、大きな有力な種族となり、そしてみずから他に居所を求める新しい冒険者を送り出した。これらのものは最初は親の種族に恭順を致したことであろう。しかしまもなく彼らを結ぶ紐帯はほとんどなくなり、そしてその力、その野心、またはその便宜の支持するところに従って、友誼関係を持続しまたは敵となった。
 余地と食物とを求めるこの不断の闘争によって起る莫大な人命の浪費は、不断の移住の習慣によってある程度自由に発揮されつつある有力な人口増加力によって補われる以上のものであったであろう。場所の変更によりその境遇を改善しようという一般の希望、掠奪に対する不断の期待、困窮した場合にはその子供を奴隷に売ることが出来るということは、野蛮人の生れながらの不用意と相俟って、後に至って飢饉と戦争により圧縮することになる人口を作り出すにすべて役立つことであろう。
 より肥沃な地方を所有する種族は、それを不断の戦争によって獲得し維持したのであろうけれども、生活資料の増加によりその人口と力とを急速に増加し、遂には支那の辺境よりバルチック海沿岸に至る全領域は、かの勇敢、強壮、進取的な、艱難に馴れ、戦を好む、各種の野蛮人の種族の占拠するところとなった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ヨオロッパ及びアジアの種々なる定着国家は、その優れた人口と優れた技術により、その破壊的集団に対する突破し難い障壁を設けることは出来たが、彼らは相互の間の闘争によってその過剰人口を浪費した。しかし定住的国家の弱点、またはこれらの放浪的種族の多くの一時的結合が、彼らに優越権を与えるや否や、暴風は地球上の最も美しい地方に狂い、そして支那、ペルシア、エジプト、イタリアは、時を異にして、この野蛮人の洪水に蹂躪されたのである。
 1) 大韃靼民族の各種の分岐、分裂、及び争闘は、Genealogical History of the Tartars by the Khan Abul Ghazi (translated into English from the French, with additions, in 2 vols. 8vo.) に面白く述べてある。しかしすべての歴史の不幸は、少数の王侯や指揮者の特殊の動機はその様々の野望的企図において時に正確に詳述されているけれども、彼らの旗幟の下に自ら望める追随者を蝟集いしゅうせしめた原因は、しばしば全く看過されている、という事実である。
 以下の記述は、ロウマ帝国の没落で有力に例証される。ヨオロッパ北部の牧畜民は、久しい間、ロウマの武器の力とロウマの名前の恐怖とで、阻止されていた。新しい植民地を求めるサンブリ族の恐るべき侵入は、五執政官の軍隊を撃破したので名を得たが、遂にはその勝利の進軍は結局マリウスによって食い止められた。そしてこの野蛮人は、この有力な植民者のほとんど完全な絶滅によって、その軽率を後悔せざるをえなかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ユリウス・ケイザル、ドルスス、チベリウス、ゲルマニクスの名は、彼らの心にその同胞の殺戮によって印象され、引続きロウマの領土に侵入することを恐れさせた。しかし彼らは討滅されたというよりもむしろ征服されたのであった2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そして彼らが送り出した軍隊や植民者は殺されるかその故郷に追い帰されるかしたが、しかし大ゲルマン民族の力は依然として害されず、自らのためにその剣によって活路を打開し得る所へは、どこへでも絶えず引続いてその剛気な子孫を送り出す準備を整えていた。力弱いデキウス、ガッルス、エミリアヌス、ヴァレリアン、ガリエヌスの治世は、かかる活路を与え、その結果として野蛮人の一般的侵入を蒙った。数ヶ年間にスカンジナヴィアからユウジンに移住したと想像されるゴオト族は、年々貢納を納めるということでその戦勝軍を撤退することに同意した。しかしロウマ帝国の富と弱点との危険な秘密が、かくして世界に暴露されるや否や、新らしい野蛮人の群は、ただちに辺境地方に荒廃の手を拡げ、そしてロウマの入口までも恐怖を蔓延させた3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。フランク族、アレマニ族、ゴオト族、及びこれら一般的名称に含まれている、もっと小さな種族の冒険者は、急流の如く帝国の各地方に乱入した。掠奪と圧制とは現在の生産物と将来の収穫の希望とを破壊した。長い一般的な飢饉に次いで消耗性の悪疫が起り、これは十五年間、ロウマ帝国の各市各州を蹂躪した。そしてある地方の死亡率から判断して、数年にして、戦争、流行病、及び飢饉は人口の半ばを奪い去ったものと考えられた4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。しかも移住の潮は依然北部から時々猛然とやって来た。そして相継ぐ武勇の皇子は、先代の不運を恢復し、帝国没落の運命を阻止するために、ヘルクレスの苦難をなしとげて帝国の領土を野蛮人の侵入から守らなければならなかった。二五〇年及びその後数年、海陸両路から帝国を蹂躪し種々成功を収めたゴオト族は、遂にその冒険部隊のほとんど全部を失ったけれども5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]、二六九年には、植民の目的をもって、妻子を伴う莫大な数の移住民を送り出した6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]。最初には三二〇、〇〇〇の野蛮人から成ると云われた7)[#「7)」は縦中横、行右小書き]この恐るべき一団は、遂にはクラウディウス帝の武力と智力によって撃破され追い散らされた。その後継者アウレリアンは、そのウクライナの植民地から出て来た同じ名の新集団と戦いこれを滅した。しかし暗黙の平和条件の一つには、彼はダシヤからロウマ軍を撤退し、この広大な州をゴオト族とヴァンダル族とに委ねなければならぬ、とあった8)[#「8)」は縦中横、行右小書き]。その後まもなく、アレマニ族の新らしいはなはだ恐るべき侵入が世界の覇権奪取の脅威を与え、アウレリアンは三度の大規模な血腥い戦闘を行った後、ようやくにしてこの破壊的集団を撃破し、イタリアをその蹂躪から救ったのである9)[#「9)」は縦中横、行右小書き]
 1) Tacitus de Moribus Germanorum, s. 37.
 2) Id.
 3) Gibbon's Decline and Fall of the Roman Empire, vol. i. c. x. p. 407, et seq. 8vo. Edit. 1783.
 4) Id. vol. i. c. x. p. 455, 456.
 5) Id. p. 431.
 6) Id. vol. ii. c. xi. p. 13.
 7) Id. p. 11.
 8) Id. p. 19, A. D. 270.
 9) Id. p. 26.
 アウレリアンの武力はあらゆる方面でロウマの敵を打破した。彼の死後、敵はその猛威と数とを更にも増して復活して来たように思われる。しかし彼らはまたもプロウブスの強力な武力によってあらゆる方面で破られた。ガリアだけをゲルマン人の侵入から救うのに、四十万の野蛮人の生命が費されたと記されている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。勝を得た皇帝は長駆ゲルマニア自身へと侵入した。そしてゲルマンの王侯は皇帝の出現に驚き、またこの前の移住の失敗に困惑し消衰して、征服者の課するあらゆる条件に聴従した2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。プロウブス及び後にはディオクレチアン3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]は、野蛮人の脱走者や捕虜に土地を与え、そして彼らの過剰人口を国家にとり最も危険の少なそうな所へ配置して、帝国の荒廃地方を恢復しようという計画を採用した。しかしかかる植民は北方の人口に対する吐け口としては不十分であり、また野蛮人の激情は農耕の鈍重な労働に常に向くとは限らなかった4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。ディオクレチアンの力強い治世の間、ロウマの辺境地方に対し有効な攻撃をなし得なかったので、ゴオト族、ヴァンダル族、ゲピデイ族、ブルグンド族、及びアレマニ族は、相互の闘争で互いの力を消耗したが、他方ロウマ国民は、誰が滅ぼしたにせよそれはロウマの敵を滅ぼしたのだと考えながら、この血腥い光景を喜んで眺めていたのである5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]
 1) Gibbon, vol. ii. c. xii. p. 75.
 2) Id, p, 79, A. D. 277.
 3) Id. c. xiii. p. 132. A. D. 296.
 4) Id. c. xii. p. 84.
 5) Id. c. xiii. p. 130.
 コンスタンチンの治世にまたも恐るべきものとなった。彼らの力は長い平和によって恢復し、そしてもはや昔日の不運を記憶しない新世代が興って来た1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。連続二囘の戦争によって彼らの多数は殺戮された。彼らはあらゆる方面で破れて山中に追込まれた。そして激しい戦の中に、十万以上のものが寒さと飢えで死んだと云われている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。コンスタンチンは、プロウブスとその後継者の計画を採用し、自国から追放されて頼って来た野蛮人たちに土地を与えた。すなわち彼らの治世の終り頃に、パノニア、マケドニア、イタリアの諸州のかなりの地域が、三十万のサルマチア族の住所及び生活資料のために割当てられたのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Gibbon, vol. ii. c. xiv. p. 254, A. D. 322.
 2) Id. vol. iii. c. xviii. p. 125, A. D. 332.
 3) Id. p. 127.
 好戦的なジュリアンは、フランク族及びアレマニ族の新集団と戦い、これを破らなければならなかったが、彼らはコンスタンチンの内乱の間にそのゲルマニアの森林地方から移住して来、ガリアの各地に定住し、そして彼らが征服したものより三倍も広い土地を荒し廻った1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。あらゆる地方で撃破され撃退され、彼らは五囘の遠征で自国へと追撃された2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかしジュリアンはゲルマンに侵入するや否やこれを征服していたのであった。そしてロウマ世界を絶えず恐怖に陥れていたほどの人民の大群を送り出したこの大きな巣窟の真ただ中で、彼れの進軍を妨げた主たる障害は、ほとんど通行し得ない道路と、広大な無人の森林であったのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Gibbon, vol. iii. c. xix. p. 215, A. D. 356.
 2) Id. p. 228, and vol. iv. c. xii. p. 17, from A. D. 357 to 359.
 3) Id. vol. iv. c. xxii. p. 17, and vol. iii. c. xix. p. 229.
 かくてジュリアンの戦勝軍により征討され圧倒されはしたけれども、この多頭蛇の怪物は数年後またも立上がって来た。そしてヴァレンチニアンは、その決心と用意と優れた才智を十分発揮して、その領土を、アレマニ族、ブルグンド族、サクソン族、ゴオト族、クアディ族、及びサルマチア族の色々の侵入から守らなければならなかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Gibbon, vol. iv. c. xxv. from A. D. 364 to 375.
 ロウマの運命は、遂に、ゴオト族全体を帝国に雪崩れ込ませたフン族の抗し難き移動によって、決定された1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてゲルマン諸民族に対しこの有力な圧迫が続くので、彼らはその森林及び沼地を逃げ込んだサルマチア人に譲渡し、または少くともその過剰人口をロウマ帝国領に吐き出す決心をさせられたように思われる2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。かつて共和国の繁栄期に無数のサンブリ族及びチュウトン族を吐き出したバルチックの同じ沿海地方からは、四十万の移民が送り出された3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。この集団が戦争と飢饉とによって滅ぼされた時に、また他の冒険者がその後を次いだ。スエビ族、ヴァンダル族、アラニ族、ブルグンド族はラインを渡り、二度と再び退かなかった4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。最初に定着した征服者は、新らしい侵入者によって駆逐されまたは絶滅された。雲霞の如き野蛮人は北半球のあらゆる地方から集ると見えた。彼らは進むにつれて新らしい暗黒と恐怖とを集め、その大群は遂にイタリアの太陽を覆い、西方世界を暗黒に沈めたのである(訳註)。
 1) Gibbon, vol. iv. c. xxvi. p. 382, et seq. A. D. 376.
 2) Id. vol. v. c. xxx. p. 213.
 3) Id, p. 214, A. D. 406.
 4) Id. p. 224.
〔訳註〕最後の二文は第一版より、1st ed., p. 45.
 ゴオト族がダニュウブ河を渡って逃れてから二世紀経つうちに、種々な名称と系統の野蛮人が、トラキア、パノニア、ガリア、ブリテン、スペイン、アフリカ、及びイタリアを掠奪し所有した1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。人類の最も恐るべき荒廃と信じ得ざる破壊とが、かかる急速な征服に伴った。そして戦争がかかる暴威をたくましくするのに常にこれと歩調を共にする飢饉と流行病とが、ヨオロッパのあらゆる地方に猛威をふるった。かかる荒廃状態を目睹もくとした当時の歴史家は、これを表現する言葉に苦しみ当惑している。しかし言葉の力以上に、かかる野蛮人の侵入者の数と破壊的暴威とは、ヨオロッパの状態に生じた全的変化が、これを実証した2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。地球上の最も美しい地方を通じてかくも長期にかくも深刻に蒙ったこれらの恐るべき結果は、大部分、人口増加が生活資料よりも優れているという単純な原因に、帰し得るであろう。
 1) Robertson's Charles V. vol. i. sect. i. p. 7. 8vo. 1782.
 2) Id. p. 10, 11, 12.
 マキアヴェルは、そのフロレンス史の冒頭に曰く、『ライン河とダニュウブ河の間にある北方地方の住民は、健康な多産的な気候の中に暮していて、しばしば著しく増加し、ためにその多数はその郷土を去り新居住地を求めに行かざるを得ない。これらの地方のいずれかが人口過剰となり、これを処分しようとする時には、次の方法がとられた。まずそれは三組に分けられ、そのいずれも同数の貴族と平民、富者と貧者をもつようにされる。それから彼らはくじを引き、籤に当った組は、故国を去って自己の運命の開拓に出掛け、残った二組に故郷の財産を享受すべきより多くの余地と自由とを残す。これらの移民がロウマ帝国を崩壊せしめたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』ギボンは、マキアヴェルはこれらの移民の規則的な協議的な方法を誇張しすぎている、と評している2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかし私は、おそらくは、彼はこの点について大きな誤りを犯していないし、その耕地を一年以上同一所有者が所有することを許さないという、ケイザルとタキトスの注目したゲルマン人の法律が出来たのは、過剰人口をこのようにして処分する必要が頻々と起ることを予見してのことであろう、と思うのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。ケイザルがこの習慣の理由として挙げられていると述べているものは、不適当であるように思われる。しかしこれに加えるに、マキアヴェルが述べているような移民の見通しということをもってするならば、この習慣は非常に有用なことがわかり、そしてケイザルが述べている理由の一つには二重の意義が与えられることになろう。すなわちその理由とは、一つの地点に定着すると戦争の労苦に代えて農業を好むようになるから、それを防ぐためだというのである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]
 1) Istorie Fiorentine Machiavelli, l. i. p. 1, 2.
 2) Gibbon, vol. i. c. ix. p. 360, note. 右のマキアヴェルの説の出所と想像されるパウル・ディアコヌスは次の如く書いている、――『北方地方は、太陽の熱から遠く離れ雪の寒さが激しくなるほど、人間の健康と子孫の繁殖に適する。反対に、南方地方は、太陽の熱に近づくほど、ますます病気が多く増殖に適しない。………前者の地方の多くは、人間が多く増殖したので、これを養うことが困難になり、ために多くの民族は移動し、アジアの諸地方のみならずヨオロッパの近接地法をも荒らすのである。』(De Gestis Longobardorum, l. i. c. i.)
『この民族が成立し、その数が大いに増加すると、もはやこれを全部養うことが出来なくなった。伝説によれば、彼らは民族を三つに分ち、そのいずれが故郷を去って新らしい居住地を求めに行くかを、籤できめた。故郷を去り他に土地を求める籤を引いた群は、指揮者としてイボル及びアギオなる、血気さかんなゲルマン人を指揮者に選び、住居と植民地とを求めて、親族、朋友、故郷に別れを告げて、出発したのである。』(C. ii.)
 3) De Bello Gallico, vi. 22. De Moribus German. s. xxvi.
 4) De Bello Gallico, vi. 22.
 北方の住民は現在よりも昔の方が遥かに多かったという、あり得そうもない仮説を、ギボンは、ヒュウム及びロバトスンと共に、排しているが、これは非常に正しい1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし彼は、これと同時に、北方諸民族の強い増加傾向を否定せざるを得ないものと、――あたかもこの二つの事実は必然的に関連しているかの如くに――考えている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。けだし過剰人口と実際に多い人口とは常に厳重に区別しなければならない。蘇格蘭スコットランドのハイランド地方は、おそらく、大ブリテンのいかなる地方よりも人口が過剰であろう。そして、昔広大な森林で蔽われ、主として家畜や家禽で生活して来た種族3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]が住んでいた、ヨオロッパの北方が、現在よりも当時の方が人口が多かったと云うのは、明白な不合理を主張することであるけれども、しかし『ロウマ帝国衰亡史』に詳説されている事実、または私が今ごく概略述べた事実でさえも、これら民族の最も強大な増加の傾向、及びその再三の損失を自然的多産性により恢復するの傾向、を想像することなくしては、これを合理的に説明することは出来ないのである。
 1) Gibbon, vol. i. c. ix. p. 361.
 2) Id. p. 348.
 3) Tacitus de Moribus German. sect. v. ; C※(リガチャAE小文字)sar de Bell. Gall. vi. 22.
 サンブリ族の最初の侵入から西ロウマ帝国の崩壊に至る間、植民し掠奪せんとするゲルマン民族の努力は絶えなかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この期間に、戦争と飢饉によって死んだものはほとんど数え得ず、そして人口の水流が極めて異常な力を有つ源泉により補給されない限り、かかる人口稀薄な国がその力を減ぜずに人口を補給し得たはずはなかったのである。
 1) ケイザルはガリアにおいて、アリオヴィストスを戴く最も恐るべき植民地を見、また数年にして全ゲルマン民族がライン河を渡るであろうという恐怖が、一般に拡がっているのを見た。De Bell. Gall. i. 31.
 ギボンは、ガリアの辺境地方をゲルマン民族に対して確保しようというヴァレンチニアンの努力を記している。彼は曰う、この敵は、北方の最も遠方の種族から絶えず勇敢な義勇兵を補給されているものであった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。異種族をわけなく吸収したことが、おそらく、ゲルマン民族が最も破壊的な敗北の後に、かくも急速にその勢力を恢復したやり方であったらしい2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、と。しかしこの説明は、問題の難点を少し先へやるだけのことである。これは、地球は亀の上にあると説くことになるが、ではその亀は何の上にあるかは云わないのである。吾々はなお問い得よう、この勇敢な冒険者の絶間なき水流を補給した北方の貯水池は何であるかと。この問題に関するモンテスキウの解答は、思うに承認し難いものである。彼は曰う、昔北方から押し出て来た野蛮人の群は、今日ではもはやない、と。そして彼がその理由としてあげていることは、ロウマの暴力は南方の人を北方に駆逐したが、彼らは、この力が続く限りそこに止っていたが、それが衰えるや否や、再びあらゆる国に拡がった、というのである。
 1) Gibbon, vol. iv. c. xxv. p. 283.
 2) Id. ib. note.
 同一の現象は、シャアレマン大帝の征服と暴政、及びそれに続くその帝国の滅亡の後に、現れた。そしてもし王侯が――とモンテスキウは曰う――今日ヨオロッパにおいて同様の暴威を振うならば、北方に駆逐され、宇宙のはてに閉じ込められた諸民族は1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、三度ヨオロッパに溢れまたは征服する時まで、そこに停止しているであろう、と。そして註の中で彼は曰く、『吾々はこの有名な問題――何故なにゆえに北方はもはや昔ほど人口が充満していないのか、という問題が、何に帰着するかが分る。』と。
 1) 『宇宙の涯に追いつめられた民族はそこを固守するであろう。』Grandeur et D※(アキュートアクセント付きE小文字)cad. des Rom. c. xvi. p. 187.
 もしこの有名な問題が、またはむしろそれに対する解答が、上述のところに帰着するのであるなら、それは奇蹟に帰着するものである。けだし何かの神秘的な食物獲得方法がない限り、これらの集った諸民族は、かかる不毛の地で、ロウマ帝国の隆盛期というが如き長期間、いかにして自己を維持し得たかは、いささか理解し難いからである。そして、この恐ろしく大きな群が、宇宙の涯を最後の拠り場として、自分の故郷に戻り、もう一度通常のより豊富な生活資料にありつき得るまで数百年の間、驚くべき豪気の精神をもって、空気と水で生きている――吾々はこう想像しなければならぬが――勇敢な光景を考えてみたら、何人も微笑せざるを得ないであろう。
 しかしながら、もし吾々が、アメリカに発生したことがかくも周知の事実を当時のゲルマン民族に適用し、戦争と飢饉とによって妨げられないならば彼らは二十五年または三十年でその人口を倍加すべき比率で増加した、と想像するならば、問題全部は直ちに解決するのである。古ゲルマンの住民にこの増加率を適用するの至当なることは、またはむしろ必要なることは、タキトスの残した彼らの行状に関する最も価値多い描写により、はっきりとわかることであろう。彼は、これら民族は都市に住まず、密集せる植民地をさえなしていなかった、と記している。あらゆる人間は、その住宅の周囲に空地をめぐらしている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。これは、火災に対して安全である上に、流行病の発生を妨げその蔓延を阻止するに非常に適している。『彼らはほとんど皆一人の妻で満足している。夫婦関係は厳重峻厳であり、そしてこの点に関する彼らの行状は最高の賞讃に値する2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。彼らは貞操のよく保護される状態で暮しており、挑撥的な観せ物や享楽の魅惑でみだされることはない。姦通は極度に稀であり、売淫に耽るものはない。美しさも、若さも、富も、夫を得るには何にもならぬ。けだしそこでは罪悪を笑って看過する者はなく、相互誘惑を世上の途とする者もいないからである。子供の増加を制限すること、または夫の血統を一人でも失うことは、不名誉とされる。そしてそこでの道徳的行状は、他地方の立派な法律よりももっと効力がある3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。あらゆる母は自分の子供を哺育し、それを召使や乳母に委ねることはない。青年はおそく性交渉を始め、従って青春期を消耗させずに送る。処女が犯されることもない。同一の成熟と同一の成長が要求される。よく均衡した強壮な両性が結合し、そして子供は両親の勢力を継承する。血縁者と親戚が多ければ多いほど、その老後は幸福であり、子供のないのは何らの利点でもない4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]
 1) Tacitus de Moribus Germ. s. xvi.
 2) Id. s. xviii.
 3) Id. s. xix.
 4) Id. s. xx.
 かかる行状と、冒険及び移住の習慣を有ち、そしてそれは当然に家族扶養に関する一切の憂慮を取り除くであろうから、これ以上強い人口増加の原理を有つ社会を考えることは困難である。そして吾々は直ちに、ロウマ帝国の軍隊がかくも長期間苦戦し、遂にそのために滅びてしまったところの、後から後から引続いた軍隊及び移民の多産的な源泉がわかるのである。ゲルマンの領域内の人口が、二度続けて、または一度ですら、二十五年で倍加したことがあるとは、思われない。彼らの不断の戦争、粗放な農業状態、なかんずくこの種族の大部分が採用している、自分のまわりに広い荒地をまわす奇妙な習慣は1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、その人口が実際大いに増加するのを妨げるであろう。この国は人口が過剰のことはしばしばあったが、ちょうどよい人口を有ったことは一度もあり得なかったであろう。彼らは狩猟を行うために広大な森林を放置し、その土地の大部分を牧場に用い、残ったわずかの土地を粗放な農耕に宛て、そして飢饉がめぐって来てその資源の乏しいことを教えると、彼らはその住民大衆に食物を与えないその国土の不毛を責めたが2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、しかしその森林を開き、沼沢を通じ、その土地を増加せる人口を養うに適するようにはせずに他国へ『食物を、掠奪品を、または名誉を求めに行く3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]』のが、彼らの好戦的な習慣と短気な気質に合したのである。これらの冒険者は、自己の剣によって自分の土地を得たか、または色々な戦争中の出来事でたおれたか、ロウマの軍隊に入られたか、またはロウマの領土に散ってしまったか、またおそらくは分捕品をもって帰り、減少した人員を補充した後新らしい遠征の準備をした。人間の補充は極めて迅速であり、あるものが植民地にやられ、または戦争と飢饉で薙ぎ倒されると他のものがより以上これを補充するという有様であったように思われる(訳註)。
 1) C※(リガチャAE小文字)sar de Bell. Gall. vi. 23.
 2) Gibbon, vol. i. c. ix. p. 360.
 3) Id. vol. i. c. x. p. 417.
〔訳註〕最後の一文はおおむね第一版より、1st ed., p. 50.
 問題をかくの如く見るならば北部地方は決して消尽され得なかったのである。そしてロバトスン博士は、かかる侵入の及ぼす災害について述べて、それは、北部地方が順次に大群を送り出したために人間が涸渇し、そしてもはや破壊者を提供し得なくなるまでは、止まなかった、と述べているが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、これは彼が論破せんと努めた誤謬そのものに陥るものであり、そして北方民族は実際に非常に人口が多かったということになるのが、わかるであろう。けだし、戦争の殺戮にもかかわらず、ある時期におけるその人口が、トラキア、パノニア、ガリア、スペイン、アフリカ、イタリア、及び英蘭イングランドのある地方が、その以前の住民の多くの形跡を残さぬほどの人口を有つのを、可能ならしめるほどであったとすれば、彼らは実際非常に人口が多かったことになるからである。しかしながら、彼自身これらの国に北方民族が拡がるに要した時日は二百年であると云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そしてこれだけの時日があれば、あらゆる空地を充たして余りあるほどの新世代が生れて来るであろう。
 1) Robertson's Charles V. vol. i. s. i. p. 11.
 2) Id. p. 7.
 北方からの移動が継続するのを停止せしめた真の原因は、ヨオロッパの最も望ましい国に侵入するのがもはや不可能になったという事実である。それは当時、最も勇敢にして最も進取的なゲルマン種族の子孫の住むところとなっていた。そして彼らがこんなに早くその先祖の気力を失い、おそらく蛮力では優っているかしれぬが人数と技術では劣った種族に、その土地を奪われてしまうとは、考えられぬことであった。
 陸路では一時の間その近隣者の武勇と貧困とに妨げられていたが、スカンジナヴィアの諸民族の進取の精神と過剰人口とはまもなく海路に吐け口を見出した。シャアレマン大帝の治世以前にも恐れられていたが、この大帝の時にはその用心と武力とにより辛うじて彼らは撃退された。しかし大帝の弱体後継者の下で帝国が争乱に陥っている時に、彼らは猛火の如くに低サクソニイ、フリイズランド、オランダ、フランドル、及びメンツに至るまでのライン河流域に、拡がったのである。
 沿岸地方を長期間荒した後、彼らはフランスの中心地に入り込み、その最も美しい都会を掠奪し焼き払い、その王侯に莫大な貢物を課し、そして遂にフランス王国の最も立派な州の一つを割譲させた。彼らはスペイン、イタリア、及びギリシアを恐怖に陥れ、到る処に荒廃と恐怖とを拡げた。時には彼らは、相互の殺戮を求めるかの如くに、同志打ちをした。また時には、彼らの狂暴な蹂躪によってある場所に生じた恐るべき人間破壊を他の場所で埋め合せるのを望むかの如くに、未知のまたは無住の国々に移民を送ったのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Mallet, Introd. ※(グレーブアクセント付きA小文字) l'Histoire de Dannemar※(セディラ付きC小文字) tom. i. c. x. p. 221, 223, 224. 12mo. 1766.
 英蘭イングランドのサクソン諸王の秕政ひせいと内乱とは、フランスのシャアレマンの治世の後に生じた弱点と同様の結果を生み出した1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そして二百年の間、英国は、これらの北方侵略者により、絶えず、蹂躪されまた部分的にはしばしば征服された。八、九、十世紀の間、海はヨオロッパの端から端まで彼らの船隊で覆われた2)[#「)」は底本では欠落][#「2)」は縦中横、行右小書き]。そして今日技術と武力とにおいて最も有力な国も、彼らの不断の掠奪の好餌であった。しかしこれらの国の力が増大し合体するにつれ、遂に、かかる侵入による成功をこれ以上期待することは一切出来なくなった3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。北方の諸民族は徐々としてかつ詮方なく、彼らの自然的限界内にとじこもり、その牧畜的風習、及びそれと共にそれが与える侵掠と移住との特殊便宜を、商業と農業との気永の労働と手間どる報酬と交換せざるを得なくなった。しかしこの報酬の手間どることは、必然的に、この人民の風習に重大な変化をもたらしたのである。
 1) Mallet, p. 226.
 2) Id. p. 221.
 3) おそらく文明世界は、火薬の採用による戦術の一変によって、進歩せる技術と知識とが肉体力よりも決定的に優越するに至るまでは、新たな北方または東方からの侵入から完全に安全になったとは考え得なかったことであろう。
 昔スカンジナヴィアが絶えず戦争をし移民を出していた時代には、家族を養い得ないという恐れから結婚を妨げられた者はほとんどなく、またはおそらく一人もなかったであろう。近代のスカンジナヴィアでは、これに反し、最も差し迫ったしかも至当な理由のあるこの種の心配から、結婚が絶えず妨げられている。このことは、後に他の場所で述べるように、ノルウェイで特に甚しい。しかし同じ心配は、程度の多少はあるがヨオロッパのどこでも大きな力で働いているのである。幸にも近代世界の状態は前よりも平静なので、そんなに急速な人間の補給を必要としない。従って自然の多産性はそれほど一般的には発揮せしめられ得ない。
 マレエは、その『デンマアク史』の初めにのせた北方諸民族に関する優れた記述の中で、彼らの移住が故郷における余地の不足から起ったという証拠は見出し得ない、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そして彼が与えている理由の一つは、大きな移住の後には、これら諸国はしばしば永い間人影のない無住の地となっていた、という点である2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかしこの種の事例は時には起ったかもしれぬが、稀であると思う。当時行われていた敢為と移住の習慣によって、全人民が時により肥沃な土地を求めて動いたこともあろう。この場合には、彼らが前に占有していた土地はしばらくの間は無住の地となる。そして人民の全的移住が示す如くに何か特に好ましくないことがその土壌か位置の上であるのであれば、かかる抛棄された土地を直ちに占有するよりも、剣によって自らを養う方が、周囲の野蛮人の気質に適合するかもしれない。かかる全的移住は、社会が分裂を欲しないことを立証しはしたが、しかし彼らがその敵国において場所と食物とに窮しないことを決して立証するものではない。
 1) Hist. Dan. tom. i. c. ix. p. 206.
 2) Id. p. 205, 206.
 マレエが与えているもう一つの理由は、スカンジナヴィアと同様にサクソニイでは、広大な土地が、今まで掘ったことも伐りひらいたこともなく、本来の未耕状態にあり、そして当時のデンマアクの記録によると、海岸だけに人が住み、奥地は一つの大森林となっていた、という点である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。彼がここで、住民の過剰と大きな実際の人口とを混同するという、普通の誤謬に陥っていることは、明かである。この人民は牧畜的風習と、戦争及び敢為の習慣のために、その土地を開拓し耕作することを妨げられたのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そしてまたこれらの森林こそは、生活資料の源泉を狭めることによって、人口の過剰を惹き起す役割を果したのであり、すなわちその国の乏しい食物が養い得る以上の人口を生ぜしめる役割を果したのである。
 1) Hist. Dan. tom. i. c. ix. p. 207.
 2) 『諸君は彼らに、敵を呼び傷を求めよとは容易に説得することが出来るが、、土地を耕し歳月を待てとはそれほど容易には説得し得ないであろう。血をもって得られるものを汗をもって得ることは、怠惰、怯懦と考えられている。』Tacitus de Mor. Germ. 実際人類の歴史上、習慣を変更するの甚だしく困難なることほど明かなるものはない。従って、その土地を適当に使用しない人民は欠乏に悩まない、と推論することほど、誤った議論はあり得ないのである。
 何故に、貧弱な、寒い、人口稀薄な国が、一般に人口過剰となる傾向を有ち、強く移住を促されるかということにつき、それほど注意されないもう一つの原因がある。より温いより人口稠密な国、特に大都会と工業の多い国においては、食物の供給不足が長く続けば、ほとんど間違なく、暴威を振う大きな疫病の形でか、またはこれより激しくないが、しかし慢性的な疾病の形で、流行病をもたらさずにはおかない。貧弱な、寒い、人口稀薄な国では、これに反し、空気が防腐的性質を有つので、食物の不足または不良から生ずる窮乏がかなり続いても、かかる結果は生ぜず、従って移民を促すこの強力な刺戟は遥かにより長く働き続けるのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) 伝染病の周期の遅速は、土壌、位置、空気等の如何いかんによってきまる。従ってエジプトやコンスタンチノウプルの如きでは毎年来襲し、トリポリやアレッポの附近の如きでは、四、五年に一度来襲し、英蘭イングランドの如きでは十、十二、または十三年に一度来襲するかしないかである、ノルウェイ及び北方諸島の如きでは二十年以内には来襲しない。Short, History of Air, Seasons, etc., vol. ii. p. 344.
 しかしながら、私は、故国における食物その他諸事情の緊迫に促されなければ、北方諸民族は決して遠征を企てなかった、というものと考えられたくない。マレエは、これはおそらく本当のことであろうが、毎年暮になると何の方面に向かって戦争をするかを相談するために会議を開くのが彼らの習慣であった、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてかくも強い好戦欲を涵養かんようし、最強者の権利は神の権利なりと考える人民の間では、戦争の機会に不足することは決してなかったであろう。この純粋な、利害を超越した戦争と冒険の愛好心の外に、時には、内乱、戦勝敵国の圧迫、より温暖な気候への憧れ、またはその他の原因が、移住を促したことであろう。しかしこの問題を概観するに、私は、この時代をもって、人口原理の極めて顕著な例証を与えるものと考えざるを得ない。この原理たるや、ロウマ帝国を覆えし、後にはデンマアク及びノルウェイの人口稀薄な国から溢れ出でつつ二百年以上の間ヨオロッパの大部分を荒廃し蹂躪したところの、矢継早の冒険者の侵入と移住の、本来の衝動と行動の発条を与え、消尽し得ざる源泉を供しかつしばしばその直接的原因を作ったものである、と私には思われるのである。アメリカ合衆国におけるとほとんど同じほどの大いさの人口増加の傾向を想定することなくしては、この事実は私には説明し得ないように思われる2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そしてかかる想定をすれば、吾々はかかる野蛮時代を特徴づけている不断の戦争と莫大な人命の浪費とに関する不快な詳録を読んだ時に、その実際の人口に対する妨げを指摘するに当惑することはないのである。
 1) Hist. Dan. c. ix. p. 209.
 2) ギボン、ロバトスン、及びマレエはいずれも次におけるヨルナンデスの Vagin※(サーカムフレックスアクセント付きA小文字) nationum という用語は不正確で誇大であると解しているように見える。しかし私にはこれは適言であると思われる。もっとももう一つの officin※(サーカムフレックスアクセント付きA小文字) gentium という用語は、少くともその訳語 storehouse of nations は、正確ではない。
『スカンジアの島から、民族の貯蔵所(officin※(サーカムフレックスアクセント付きA小文字) gentium)またはむしろ民族の箱(Vagin※(サーカムフレックスアクセント付きA小文字) nationum)から出て来た。』Jornandes de Rebus Geticis, p. 83.
 これより小さな妨げは疑いもなく共在したことであろう。しかし吾々は、ヨオロッパの北方の牧畜民の間では、戦争と飢饉とが、その人口を彼らの貧弱な生活資料の水準に抑止した主たる妨げである、と云って、間違いがないであろう。
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    第七章 近代牧畜民族における人口に対する妨げについて

 アジアの牧畜種族は、一定の住居を有たずに天幕と持ち運びの出来る小屋に住んでいるので、ヨオロッパの北方の牧畜民よりもいっそう土地との関係がうすい。生粋の韃靼人の故郷は野営であって土壌ではない。ある地域の牧草が尽きると、この種族は規則的に新らしい放牧地へと進んで行く。夏には北に進み、冬にはまたも南へ戻って来る。かくて彼らは最も平和な時に、戦争の最も困難な作業の一つに関する実際的な周知の知識を獲得する。かかる習慣は、これら放浪種族の間に移住及び征服の精神を普及せしめる強い傾向をもつであろう。掠奪の渇望、有力に過ぎる近隣者に対する恐怖、または放牧地の少いという不便は、あらゆる時代において、スキチアの諸集団を駆って、大胆にも、より豊富な生活資料またはより弱い敵を見出す希望を有ち得べき未知の国へと、進出せしめるに足る原因であった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Gibbon, vol. iv. c. xxvi. p. 348.
 スキチアの牧畜民は、そのあらゆる侵入において、しかしなかんずく南方の文明諸帝国に侵入する際には、常に最も凶暴な破壊的な精神を発揮した。蒙古人が支那の北部諸州を征服した時に、冷静慎重な会議を開いて、この人口稠密な国の住民を全部絶滅し、空いた土地を家畜の牧場に変えようという提議が行われた。この恐るべき計画の実行は、支那宦官の智能と決心とによって防止された1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかしこの計画だけでも、征服者の権利の非人道的な濫用法と、牧畜民における強い習慣の力、従ってまた牧畜状態から農業状態への推移の困難を、はっきりと示すものである。
 1) Id. vol. vi. c. xxxiv. p. 54.
 アジアにおける移住と征服の潮流、ある種族の急速な増加、及び他の種族の絶滅を、ほんの概略でも見てみると、このことははっきりわかる。フン族の恐るべき侵寇、蒙古人及び韃靼人の広汎な侵入、アッチラ、ジンギスカン、タンメルランの血腥い征服、及び彼らの帝国の建設と崩壊に伴った恐るべき動乱の時代を通じて、人口に対する妨げが何であったかはただ余りにも明かである。ほんのちょっとした気まぐれまたは便宜の上の動機がしばしば全人民を無差別の虐殺に投じたところの1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、当時の人類の蹂躪の歴史を読むと、吾々は、それ以上の人口の増加を妨げた原因を尋ねる代りに、相次ぐ征服者の各々に殺戮されるべき新らしい人間を供給し得た人口増加の原理の強力なるに、ただ驚き得るのみである。そこで吾々の研究は、これを韃靼民族の現状に向け、かかる凶暴な争乱の影響下にない場合におけるその増加に対する通常の妨げに向けた方が、より効果的であろう。
 1) Id. vol. vi. c. xxxiv. p. 55.
 その先祖とほとんど同一の風習を保持している蒙古人の子孫が現在住んでいる広大な地域は、その中にアジアの中部地方のほとんど全部を占め、そして極めて良好温和な気候の利益を有っている。土壌は一般に大きな自然的肥沃度を有っている。本当の沙漠は比較的に云ってほとんどない。時にはプレインと称せられ、ロシア人はステップと呼ぶ、灌木のない茫漠たる草原は、豊富な牧草に蔽われ、多数の家畜や家禽の牧場に非常に適している。この広汎な土地の主たる欠点は水のないことである。しかし水のある地方ならば、適当に耕作されれば、現在の住民数の四倍を養うに足りると云われている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。あらゆるオルダすなわち種族は、夏牧場と冬牧場をもつそれぞれ一州を有っている。そしてこの広大な領域の人口は、それがどれだけであるにしろ、おそらく、各地方の実際の肥沃度にほとんど比例して、分布しているのである。
 1) Geneal. Hist. of Tartars, vol. ii. sec. i. 8vo. 1730.
 ヴォルネエは、シリアのベドウィーン族を論ずるに当って、かかる必然的分布を次の如く正しく説明している。『不毛の州、換言すれば植物の少い州では、種族は、スエズの沙漠、紅海の沙漠、及び大沙漠地方の奥地の如くに、弱体であり非常に離れている。ダマスカスとユウフラテス河との間の如くに、土地に生物がもっと生えている場合には、種族はもっと強くまた相互の距離も近い。アレッポのパチャリック、ハウラン、及びガザ地方の如き、耕作可能の州では、聚落しゅうらくは多くかつ互に接近している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』かくの如く、その実際の勤労と習慣との状態において獲得し得る食物の分量に従って人口が分布するということは、シリアやアラビアと同じく大韃靼にも適用し得るし、文明諸国民の商業がこれをより低級な社会段階ほど目立つことを妨げるとはいえ、事実上地球全体に等しく適用することが出来るのである。
 1) Voy. de Volney, tom. i. ch. xxii. p. 351. 8vo. 1787.
 大韃靼の西部地方に住む囘教韃靼人は、その土地の若干を耕作するが、しかしそれは極めて粗放で不十分であって、到底生活資料の主源泉をこれに仰ぐには足りない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。野蛮人の怠惰な好戦的な気質は、到る処に拡がっており、彼らは掠奪によって得る望のあるものを労働によって得ようという気には容易にならない。韃靼の年代記に目立った戦争や叛乱が何もない時には、その国内の平和と勤労とが、掠奪を目的とする小競合や相互の侵入で絶えず妨げられているのである。囘教韃靼人は、平時にも戦時にも、ほとんど全くその隣人を掠奪しこれを餌食にすることによって、暮していると云われている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Geneal. Hist. Tart. vol. ii. p. 382.
 2) Id. p. 390.
 チォワラスム王国を支配者として所有するウズベック族は、その貢納者たるサルト族及びトルコマン族に、その国の最良の牧場を委せているが、それは単に、その方面の近隣種族が貧しくかつ油断がないので、掠奪が成功する望みがないからであるだけのことである。掠奪は彼らの主たる資源である。彼らは絶えず、ペルシア人、及び大ブカリアのウズベック族の領土に、侵略を行っている。そして彼らが奪った奴隷やその他の貴重品がその富の全部をなしているのであるから、平和も休戦も彼らを抑制することは出来ない。ウズベック族とその被支配者たるトルコマン族とは絶えず争っている。そして統治家族の諸王族がしばしば醸成する彼らの嫉妬は、この国を不断の内乱状態に置いている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。トルコマン族は常に、クルド族及びアラビア族と闘っているが、後者はしばしばやって来て、彼らの家畜の角を折り、また彼らの妻や娘を奪い去るのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Geneal. Hist. Tart. vol. ii. p. 430, 431.
 2) Id. p. 426.
 大ブカリアのウズベック族はすべての囘教韃靼人の中で最も開けていると考えられているが、それでも彼らの掠奪心は他のものに大して劣るものではない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。彼らは常にペルシア人と戦っており、そしてチョラサン州の美しい平原を荒蕪こうぶとしておく。彼らの所有する地方は最大の自然的肥沃度を有ち、そして古代の住民の子孫のあるものは商業や農業という平和な技術を営んでいるけれども、土壌の好適なことも、また彼らの前にある実例も、彼らを誘ってその古来の習慣を変更せしめることは出来ない。そして自然が惜し気もなく提供している富源の開発に自ら従うよりも、むしろ隣人に掠奪と盗みと殺戮とを行うことを好んでいるのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Geneal. Hist. Tart. vol. ii. p. 459.
 2) Id. p. 455.
 トルキスタンにおけるカサチア・オルダの韃靼人は、北方及び東方の隣人と不断の戦争状態で暮している。冬には彼らはカルマック族に向って侵寇するが、このカルマック族はその頃には大ブカリアの辺境地方及びその国の南部地方の掃討に出掛ける。他方において、韃靼人は絶えずヤイクのコサック族及びノガイ韃靼人を悩ましている。夏には彼らはイーグル山脈を超えてシベリアに侵入する。そして彼らはしばしばこれらの侵略では運が悪く、その掠奪物の全部は彼らが極めてわずかの労働で彼らの土地から手に入れることが出来るものにも及ばないけれども、しかも彼らは真面目に農業に従事するよりも、かかる生活に必然的に伴う幾多の困憊と危険とに自ら好んで身を曝すのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Geneal. Hist. Tart. vol. ii. p. 573 et seq.
 他の囘教韃靼人の生活方法もこれと同じことであり、これを繰返すのは煩しいから、従って読者は『韃靼系譜史』とその有益な註を参照せられたい。この歴史の著者はチォワラスムのチャンであるが、彼自身の行為が、これらの国で行われる政策上の、復讐または掠奪のための、戦争の、蒙昧なやり方に関し、面白い例を示している。彼は一再ならず大ブカリアを侵略した。そしてその遠征のいずれも、国土を蹂躪し、町村を亡ぼし破壊したのを特色とした。彼れの俘虜のある者が彼れの行動を妨げるような場合には、彼はこれを即座に殺すのを躊躇しなかった。彼に対する朝貢族たるトルコマン族の力を減らそうとして、彼はあらゆる主立った人物を厳粛な饗宴に招き、それを二千名も虐殺させた。彼は少しも容赦なく残酷に、トルコマン族の村を焼き払い破壊し、そしてその結果が自分に戻って来て戦勝者の軍隊が食物の不足で甚だしく悩んだほどの破壊をあえてしたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Geneal. Hist. Tart. vol. i. ch. xii.
 囘教韃靼人は一般に商業を嫌い、彼らの手中に入るすべての商人を害することをその職業としている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。黙認する唯一の商業は奴隷売買である。これは彼らが掠奪的侵略で持ち去る分捕品の主たる部分を成すものであり、彼らの富の主たる源泉と考えられている。彼らがその家畜の世話をさせるかまたは妻妾にするために必要なものは止めておいて、その他は売ってしまう2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。サアカシアン韃靼族及びダゲスタン韃靼族、その他コオカサス附近の種族は、貧弱な山地に住み、そのために侵略を受けることが少いので、一般に住民に充ち溢れている。そして彼らが普通の方法で奴隷を手に入れ得ない時は、互いに盗み合い、彼ら自身の妻子を売ったりさえする3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。囘教韃靼人の間でかくも一般的なこの奴隷売買は彼らの不断の戦争の原因の一つであろう。けだし、この種の取引に対し豊かな供給が得られる見込のある時には、平和も同盟も彼らを抑制し得ないからである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]
 1) Geneal. Hist. Tart. vol. ii. p. 412.
 2) Id. p. 413.
 3) Id. p. 413, 414, and ch. xii.
 4)『彼らは多数の妻を有つことを合法的と是認するが、けだし彼らは多数の子供をもたらし、それを吾々は即金で売りまたは必要な便宜品と交換することが出来るからである、と彼らは云う。しかも彼らがそれを養う資力がない時には、生れたばかりの嬰児を殺すのは一片の慈善である、と彼らは主張する。同様に彼らは病気で囘復の見込のないものも殺すが、けだし彼らの云うところによればこれは彼らを大きな窮乏から免れしめるのである、と。』Sir John Chardin's Travels, Harris's Col. b. iii. c. ii. p. 865.
 異教韃靼人、カルマック族、及び蒙古人は、奴隷を使用せず、そして一般により平和な無害な生活を送り、彼らの唯一の富を成す家畜と家禽の生産物で満足している、と云われている。彼らは掠奪のために戦争をすることは滅多にない。そして以前の攻撃に対する復讐をする場合以外には、その隣人の領土に滅多に侵入しない。しかしながら彼らには破壊的戦争がないわけではない。囘教韃靼人の侵入が、彼らをして、不断の防禦と復讐とを余儀なからしめる。そしてカルマック族と蒙古人の近親種族の間には争闘が存在しているが、これは支那の皇帝の巧妙な政策に煽動されて、これら諸民族のいずれかが全滅に瀕するほどの敵意をもって、行われているのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Geneal. Hist. Tart. vol. ii. p. 545.
 アラビア及びシリアのベドウィーン族は、大韃靼の住民よりも安穏には生活していない。牧畜状態の性質そのものが戦争に対する不断の機会を与えるように思われる。ある時期に一種族が用いる牧場はその所有地の一小部分でしかない。一年の間に広大なる領土が相次いで占有される。そしてこの全体はその種族の年々の生活資料を得るために絶対に必要なのであり、そして所領と考えられているから、それをちょっとでも侵害すれば、たとえ種族が非常な遠隔地にいても、正当な戦争理由であると主張される1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。同盟と近親関係とがこれらの戦争をより一般的ならしめる。流血を見れば、それを贖うには、より多くの血をもってしなければならぬ。そして年を経るにつれてかかる事件は増加したので、種族の大部分は互に争っており、永久的敵対状態に暮している2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。マホメット以前の時代に、千七百囘の戦闘が伝説に記録されている。そして、宗教的に守られた二ヵ月の部分的休戦は、ギボンが正しくも述べている所によれば、彼らの無政府及び戦争の一般的習慣を更にいっそう明かにするものと考えらるべきであろう3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1)『吾々の場合に市民が遺産を争うのと同様に、彼らは互に未耕地を争うであろう。かくて彼らの家禽の飼料などに関し頻々たる戦争の機会を見出すであろう。………彼らは民法によって解決すべき事件が少なければ少ないほど国際法によって判決すべき事件が多いであろう。』Montes. Esprit des Loix, l. xviii. c. xii.
 2) Voy. de Volney, tom. i. c. xxii. p. 361, 362, 363.
 3) Gibbon, vol. ix. c. 1. p. 238, 239.
 かかる習慣から生ずる生命の濫費は、それだけで彼らの人口を抑圧するに足ることが分る。しかしそれがあらゆる種類の勤労、なかんずく生活資料の増大を目的とするそれに、与える致命的妨げにおいては、それがもたらす影響は更により大である。一つの井戸、一つの貯水池の建設にすら、ある資金と労働が前もって必要である。そして戦争は一日にして数ヶ月の労作と丸一年の資源を破壊し得よう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この両害悪は交互に他を作り合うように見える。すなわち生活資料の不足はまずおそらく戦争の習慣を生み出し、そして戦争の習慣は今度は生活資料を狭める有力な働きをするのである。
 1) Voy. de Volney, tom. i. c. xxiii. p. 353.
 ある種族は、彼らが住んでいる沙漠の性質から、必然的に牧畜生活に運命づけられているように見える1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし農業に適する土地に住むものも、掠奪的隣人に囲まれている間は、この業を行う気にはほとんどなれない。シリア、ペルシア及びシベリアの辺境地方の農民は、現に、破壊的な敵の不断の侵入に曝されていて、浮浪的韃靼人またはアラビア人から羨まれるような生活はしていない。牧畜状態から農業状態への変化を助勢するには、おそらく、土壌の肥沃なことよりも、ある程度の安固が更により必要なのである。そしてこの安固が達せられ得ない処では、定住労働者は、放浪生活を送り従って全財産を携帯している者よりも、運命の転変により多く曝されている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。トルコ人の弱体な、しかも圧制的な政府の下では、農民にとっては、彼らの村落を去って牧畜状態に身を委ね、この状態で支配者たるトルコ人と隣人たるアラビア人の掠奪を免れる能力を増そうと期待するのは、珍しいことではない3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Voy. de Volney, tom. i. c. xxxiii. p. 350.
 2) Id. p. 354.
 3) Id. p. 350.
 しかしながら、狩猟民族と同様に牧畜民族についても、もし欠乏だけで習慣が一変し得るものなら、牧畜民族で残存しているものはほとんどないだろうと云い得よう。ベドウィーン・アラビア人は絶えず戦争をしており、またその生活方式の困難から生ずるその増殖に対するその他の妨げがあるにもかかわらず、その人口は、その食物の限界を著しく緊密に圧迫しており、ために彼らは必要上節欲を余儀なくされておるが、この節欲たるや、古くからの不断の習慣がなければ到底人体が支え得ぬ如きものである。ヴォルネエによれば、アラビア人の下層社会は習慣的な窮乏と飢饉の状態に生活している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。沙漠の諸種族はマホメットの宗教が彼らのためにつくられたことを否定する。彼らは曰く『けだし吾々は水のない時にどうして水浴をすることが出来ようか。吾々は富を有たないのにどうして喜捨をすることが出来ようか。また吾々は一年中断食しているのに、どうしてラマダン月の間断食をする機会があり得ようか2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Voy. de Volney, tom. i. c. xxiii. p. 359.
 2) Id. p. 380.
 チャイクの力と富とは、その種族の数にある。従って彼はそれがいかにして養われ得べきかを考えることなくして、人口の増加を奨励するのを利益と考えている。彼自身の地位は大いに子孫と近親の数の多いことに依存している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そして一般に力が食物を獲得するという社会状態においては、個々の各家族は家族の人数から力と重要性とを得ることとなる。かかる観念は、有力に、人口増加に対する奨励金たる作用をする。そしてそれは、ほとんど財貨の共有を生じているほどの物惜しみしない精神2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]と相俟って、人口をその極点まで押し進め、そして人民全体を最もはげしい貧困に陥れるのである。
 1) Voy. de Volney, tom. i. c. xxiii. p. 380.
 2) Id. p. 366.
 一夫多妻の習慣は、戦争で人命が失われた場合には、おそらく同じ結果を生み出す傾向があろう。ニイブウルは、一夫多妻はその分家の多くが最も悲惨な窮乏に沈淪するまで、家族を増殖させると云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。マホメットの子孫は東方全体に亙って極めて多数に見出されるが、その多くは極貧の中にある。囘教徒は、人間の最大の義務の一つは造物主に栄光あらしめるため子供を産むにあるとするその予言者の教えを遵奉して、ある程度まで一夫多妻を余儀なくされている。幸にも、他の多くの場合と同様に、個人的利害がある程度立法者の不合理を是正している。そして貧乏なアラビア人は彼れの信仰をその資産の貧しさに比例せしめるを余儀なくされている。しかしなお、人口増加に対する直接的奨励は異常に大であり、そしてかかる奨励の無効であり、不合理であることは、これら諸国の現状が最も雄弁にこれを物語っている。彼らの人口が以前より少なくないとしても、疑いもなく多くはないことはあまねく認められているところであり、そしてこのことの直接の結果として、ある家族の大きな増加は、他の家族を絶対に滅してしまったのだ、ということになる。ギボンはアラビアを論じて曰く、『人口の尺度は生活資料によって左右される。この広大な半島の住民は、数において、肥沃な勤勉な一州の住民に及ばなくなることもあろう2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』結婚に対する奨励がいかなるものであろうと、この尺度を超えることは出来ない。アラビア人が現在の風習を保持し、そしてこの国が現在の耕作状態に止まる間は、十人の子供を有つあらゆる者に楽園の約束をしたところで、それらは彼らの窮乏は大いに増加しはしようが、彼らの人口を増加することはほとんどないであろう。人口に対する直接的奨励は、かかる風習を変化し耕作を促進する傾向を全然有たない。実際おそらくそれは反対の傾向を有つ。けだしそれがもたらす貧困と欠乏から生ずる不断の不安は、掠奪的精神を奨励し3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、戦争の機会を増加するに違いないからである。
 1) Niebuhr's Travels, vol. ii. c. v. p. 207.
 2) かくまで多数の著者が述べかつ認めているかくも重要な真理が、その帰結まで滅多につきつめられたことがないのは、むしろ奇妙な事情である。人々は必ずしも毎日餓死している訳ではない。しからば人口はいかにして生活資料の標準に規正されているのであるか。
 3)『また毎日事件や家畜の掠奪が行われ、そしてこの掠奪戦はアラビア人が力を入れる仕事の一つである。』Voy. de Volney, tom. i. c. xxiii. p. 364.
 より肥沃な土地に住むために、家畜により富んでいる韃靼人の間では、掠奪的侵入により獲られる獲物はアラビア人の場合よりも大である。そして諸種族の力が優れているので、その争闘はいっそう流血的であり、また奴隷にする習慣が一般的であるから、戦争で失われる人口はより多いであろう。この二つの事情は相俟って、幸運なある掠奪集団をして、彼らよりも敢為の精神に劣る隣人に比較して豊かな状態に生活し得せしめている。パラス教授は、ロシアに従属している二つの放浪種族のことを特別に述べているが、その一方はほとんど全く掠奪によって生活しており、また他方はその隣人の不穏な行動が許す程度で平和に暮している。これらの異った習慣から生ずる人口に対する異る妨げを辿ってみるのは、興味あることであろう。
 パラスによれば1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、キルギス族はロシアに属する他の放浪種族に比較して安楽に暮している。彼らの間に広く行われている自由と独立の精神は、生活を維持するに足る畜群を容易に獲得し得るという事情と相俟って、彼らの何人もが、他人に使われるのを妨げている。彼らはすべて兄弟として待遇されることを期待しており、従って富者は奴隷を使用せざるを得ない。そこで、貧しくなるまで下層社会の人間が増加するのを妨げる原因は何であるか、という疑問が発せられ得よう。
 1) 蒙古諸民族の歴史に関するパラスの著作を手に入れることが出来なかったので、私は、ここでは、ロシアの諸旅行家の著作の一般的抜萃を利用した。これは D※(アキュートアクセント付きE小文字)couvertes Russes (tom. iii. p. 399.) なる題名で、ベルンとロオザンヌで、一七八一年及び一七八四年に、四巻で刊行された。
 パラスは、女子に関する悪習または家族に対する恐怖から来る結婚の抑制が、どの程度までかかる結果を齎す上に寄与しているかを、吾々に告げない。しかしおそらく、彼らの民事制度及び放縦な掠奪精神について彼が与えている記述がそれだけで、ほとんどこれを説明するに足るであろう。チャンは、人民によって選ばれた有力者の会議を通してでなければ、その権能を行使し得ない。そしてかくして確認された法令ですら、絶えず侵害されしかも少しも処罰されない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。キルギス族が、その隣人たるカザルパック族、ブカリア族、ペルシア人、トルチェメン族、カルマック族、及びロシア人に対して行う、人間や家畜や商品の掠奪と分捕は、彼らの法律により禁止されているけれども、しかも何人もこれを行ったのを自白するのを恐れる者はない。反対に彼らは、この種の成功をもって、最も名誉ある事業なりとして誇るのである。時に彼らは財宝を求めて単独で国境を越え、時には有能な酋長の指揮下に隊をなして集り、全隊商を掠奪する。多数のキルギス人は、この掠奪を行うに当って、殺されるかまたは奴隷として捕われるが、しかしこれについては民族そのものはほとんど何も困らない。私的冒険者が、かかる掠奪を行う場合には、家畜であろうと女子であろうと、各人は自己の得たものをその手許に止める。男子の奴隷と商品は富者または外国商人に売渡される2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) D※(アキュートアクセント付きE小文字)couv. Russ. tom. iii. p. 389.
 2) Id. p. 396, 397, 398.
 この種族の擾乱的な性向から極めて瀕々ひんぴんと起る1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]民族的戦争に加うるに、右の様な習慣があるのであるから、吾々は、暴力的原因による人口に対する妨げが、ほとんど、一切の他の原因を排除してしまうほどに強力なのであろうということを、容易に理解し得よう。彼らが荒廃的戦争を行い2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、苦難の掠奪侵入を行っている時に、また久しい旱魃や家畜の死亡によって、随時的の飢饉が時々彼らを襲うこともあろう。しかし普通の事態では、貧困が迫って来るので、新たな掠奪遠征が起ることになるのであろう。そして貧しいキルギス族は、自己を養うに足るだけのものを得て帰るか、またはその企図中にその生命または自由を失うかであろう。富者たらんかまたは死と決心をきめ、しかも手段を選ばない者は、貧乏人として永くは生きうることを得ないものである。
 1) D※(アキュートアクセント付きE小文字)couv. Russ. tom. iii. p. 378.
 2)『この群衆はその途上にあるあらゆるものを蹂躪し、自ら消費しないあらゆる家畜を持ち帰り、虐殺しない老若男女を奴隷とする。』Id. p. 390.
 一七七一年の移住以前には、ロシアの保護の下にヴォルガの肥沃なステップに住んでいたカルマック族は、大体においてこれと異った生活様式をしていた。彼らはたびたびは残虐な戦争をしなかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてチャンの力は絶対であり2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、民政はキルギス人よりもよく行われていたので、私的冒険者の掠奪遠征は阻止されていた。カルマック族の女子は極めて多産的である。結婚して子供のないことは滅多になく、一般に小屋の周りごとに三、四人の子供の遊んでいるのが見られた。このことから(とパラスは云う)彼らがヴォルガのステップに平穏に暮していた百五十年間に、大いに増殖したに相違ない、と当然結論し得よう。実際は彼らが期待したほどに増加しなかったということに対し彼が与えている理由は、落馬による多くの事故、彼らの種々の王侯やまたは彼らの種々なる隣人との間の頻々たる小争闘、殊に飢餓や窮乏による貧民階級の多数の死亡、及び子供が最もその犠牲となるあらゆる種類の災厄である3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) D※(アキュートアクセント付きE小文字)couv. Russ. tom. iii. p. 221. この種族はここではトルゴット族の名で記されているが、これは彼らに適当な名称である。ロシア人は彼らを呼ぶにもっと一般的なカルマック族という名をもってした。
 2) Id. p. 327.
 3) Id. p. 319, 320, 321.
 この種族がロシアの保護の下に投じて来た時は、彼らはスウンガアル族から分れて来たのであり、その数は決して多くはなかったように思われる。ところがヴォルガの肥沃なステップを占有し、より平穏な生活をするに至って、その数はまもなく増加し、一六六二年には五万家族に達した1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この時期から一七七一年の移住の時まで、その増加は極めて遅々たるものであったようである。彼らが占有した牧場の面積はおそらく、遥かにより大なる人口を包容するに足りなかったのであろう。けだしこの地方から彼らが逃れた時に、ロシアの行動に対するチャンの不満だけがその原因なのではなく、彼らの夥だしい家畜にとって牧場が不足だという人民の不満もその原因となっているからである。この当時この種族は、五万五千ないし六万家族であった。この種族がこの奇異な移住において蒙った運命は、おそらく、牧場の不足その他の不満により新しい住所を求めようと企てた他の多くの放浪集団の運命と同じものであった。移住は冬期に行われ、そして多くの者は、この辛い旅行の途上、寒さと飢餓と窮乏とで死んでしまった。一大部分はキルギス人によって殺されるか捕えられ、そしてその目的地に着いた者は、最初のうちは支那人に歓待されたが、後に至って極度の虐待を受けたのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) D※(アキュートアクセント付きE小文字)couv. Russ. tom. iii. p. 221. Tooke's View of the Russian Empire, vol. ii. b. ii. p. 30. 急速な増加のもう一つの例は、ロシアから肥沃な定住地を与えられたクリスト教カルマック族の一植民地に現れている。それは一七五四年の八、六九五から一七七一年には一四、〇〇〇に増加していた。(Tooke's View of the Russ. Emp. vol. ii. b. ii. p. 32, 33.
 2) Tooke's View of the Russ. Emp. vol. ii. b. ii. p. 29, 30, 31. D※(アキュートアクセント付きE小文字)couv. Russ. tom. iii. p. 221.
 この移住以前には、カルマック族の下層階級は非常な貧困と惨苦の中に生活し、栄養を採れるものならどんな動物でも植物でもまたは根でも利用するを常とさせられていたのであった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。彼らは、実に盗んで来たもの以外は、壮健な家畜のどんなものでもほとんど滅多に殺すことはなかった。そして盗んで来たものは、見つかることを恐れて、直ちに飽食してしまった。傷馬や廃馬、または伝染病以外の疾病で死んだ獣類は、最も望ましい食物と考えられた。最も貧しいカルマック族のあるものは、腐敗を極めた肉を喜んで食い、また家畜の糞すらも食った2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。多数の子供は云うまでもなく栄養不良で死亡した3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。冬期には下層階級のすべては寒さと飢餓とに烈しく悩んだ4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。一般的に云って、彼らの羊の三分の一、またはしばしばそれ以上が、冬期に、どれだけ彼らが世話しても死亡した。そして時期おそく雨または雪の後に霜が来て、家畜が草を得られない場合には、彼らの畜群の死亡は一般的となり、そして貧民階級は避くべからざる飢饉に曝されたのである5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]
 1) D※(アキュートアクセント付きE小文字)couv. Russ. tom. iii. p. 275, 276.
 2) Id. p. 272, 273, 274.
 3) Id. p. 324.
 4) Id. p. 310.
 5) Id. p. 270.
 彼らの腐敗した食物と、彼らを取り巻く腐敗した蒸気から主として生ずる悪性熱病、及び疫病ペストの如くに恐れられる天然痘は、時に彼らの人口を稀薄にした1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし大体において、彼らの人口は、その生活資料の限界を著しく緊密に圧迫したのであり、従って欠乏とその欠乏から生ずる疾病とが、彼らの増加に対する主たる妨げと考えられ得よう。
 1) D※(アキュートアクセント付きE小文字)couv. Russ. tom. iii. p. 311, 312, 313.
 夏期に韃靼を旅行する人は、おそらく、広大なステップが無人のままにあり、そしてそれを消費する家畜がいないので牧草が蓬々ほうほうと荒れるに委されているのを見るであろう。彼はおそらく、住民が依然牧畜状態に留まっているとしても、この地方は遥かに多数の住民を養い得るものと推論するであろう。しかしこれは早急な間違った結論であろう。馬その他のどの役畜も、その力は、単にその身体の最も弱い部分の力に比例するに過ぎぬ、と云われている。もしその脚が細くて弱いなら、その胴体の力はほとんど何にもならない。またはもしその背と腰に力がなければ、それがもつかもしれぬ脚力も十分に働かせることが出来ない。これと同じ推理が、生きた動物を養う力にも適用されなければならない。豊富な季節にあふれ出る多量の食物は、欠乏の季節を暮し通し得た少数のものによっては、到底全部は消費され得ない。人間の勤労と先見とが最も良く指導される時には、土壌が支持し得る人口は一年を通じての平均生産物によって左右される。しかし動物や、また人間の非文明状態では、人口はこの平均より遥かに以下であろう。韃靼人にとっては、冬期間そのすべての家畜を十分に養うほどの量の枯草を集めたり運んだりするのは、非常に困難なことであろう。これは彼らの行動を妨げ、敵の攻撃に身を曝し、そして不幸な日が一日起れば一夏中の労働の結果をふいにさせることになるかもしれない。けだし相互の侵略に際して、運び去り得ない一切の糧秣りょうまつと食糧はこれを焼き払い打ち毀すのが一般のならいらしいからである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。従って韃靼人は冬期間家畜の中の最も価値の多いもののみを養い、残りのものは自ら乏しい牧草を勝手に食うに委せる。この貧弱な生活は、苛烈な寒さと相俟って、当然にその一大部分を滅してしまう2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。種族の人口はその畜群の人口できまる。そして韃靼人の平均数は、沙漠の野生の馬の数と同じく、年々囘帰する冬の寒さと食料不足とのために極めて低く抑止され、かくて夏期の豊富な産物の全部を消費し得ないということになるのである。
 1)『麦やまぐさの塚はすべて火を放たれた。………百五十の部落は同様に焼かれた。』M※(アキュートアクセント付きE小文字)moires du Baron de Tott, tom. i. p. 272. 彼はある韃靼の軍隊の蹂躪と、冬の遠征における苦難とにつき、興味ある記述を与えている。『この日その軍隊は、三、〇〇〇以上の人間と三〇、〇〇〇の馬を失ったが、これは寒さに斃れたのである。』p. 267.
 2) D※(アキュートアクセント付きE小文字)couvertes Russes, vol. iii. p. 261.
 旱魃及び不順な季節は、その頻度に比例して、冬と同じ結果を齎らす。アラビアにおいて1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、また韃靼の一大部分において2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、旱魃はめずらしいことではない。そしてその周期が六年または八年以上でない場合には、平均人口はかかる不順な時期に土壌が養い得る程度以上に遥かに大になり得ることは決してない。これはあらゆる境遇においてそうであるが、しかしおそらく牧畜状態においては、人間は特に季節の影響を蒙るものであり、そして親家畜の大なる死亡は穀物の不作よりも、更に致命的な、更に長期の影響を残す、害悪である。パラスその他のロシアの旅行者は、家畜の伝染病が、世界のこれらの地方では極めて普通である、と云っている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Voy. de Volney, vol. i. c. 23. p. 353.
 2) D※(アキュートアクセント付きE小文字)couv. Russ. tom. i. p. 467 ; ii. p. 10, 11, 12, etc.
 3) Id. tom. i. p. 290, etc. ; ii. p. 11 ; iv. p. 304.
 韃靼人の間では家族は常に尊ぶべきものであり、また女子は家畜の監理や家事に関し非常に役に立つものと考えられているのであるから、おそらく、多くの人々が一家を支え得ないという心配から結婚をしないということはなかろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。同時に、すべての妻はその両親から買取るのであるから、時にはこの購買は貧民階級の出来ないことであるに違いない。ルブルキス師は、この慣習について、両親はその娘を売ることが出来るまですべて手許に止めておくから、時には彼らは結婚以前にかびくさくなってしまうことがある、と云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。囘教韃靼人の間では、女の捕虜が妻の代りをするのが常であった3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。しかし奴隷をほとんど用いない異教韃靼人の間では、妻を買うことが出来なければ、このことは貧民階級に対ししばしば結婚に対する一つの妨げたる働きをしなければならず、殊に女子の価格が富者間の一夫多妻の慣行によって高められている場合にはなかんずく然りである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]
 1) Geneal. Hist. of the Tartars, vol. ii. p. 407.
 2) Travels of Wm. Rubruquis, in 1253. Harris Collection of Voy. b. i. c. ii. p. 561.
 3) D※(アキュートアクセント付きE小文字)couv. Russ. tom. iii. p. 413.
 4) パラスは、カルマック族においては、男性の方があらゆる種類の事故に絶えず曝されているにもかかわらず、女子の少いこと、または男性の過剰なことを、指摘している。D※(アキュートアクセント付きE小文字)couv. Russ. tom. iii. p. 320.
 カルマック族は嫉妬深くないと云われており1)[#「1)」は縦中横、行右小書き、「)」が底本では欠落]、そして彼らの間には花柳病の多いことからして2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、吾々はある程度の乱交が瀰漫していると推論し得よう。
 1) D※(アキュートアクセント付きE小文字)couv. Russ. tom. iii. p. 239.
 2) Id. p. 324.
 従って全体として、牧畜生活のうち本章で考察した部門においては、人口を生活資料の水準に抑止する主たる妨げは、妻を得ることの出来ないのによる抑制、女子に関する悪習、流行病、戦争、飢饉、及び極貧から生ずる疾病、であることがわかるであろう。最初の三つの妨げと最後のものとは、ヨオロッパの北方の牧畜民の間では、これよりも遥かに弱い力でしか作用しなかったことがわかる(訳註)。
〔訳註〕第一版における牧畜状態に関する総括的記述として次の如きものがある、――
第三章――『牧畜民族では地位の不平等が直ちに生じて来るが、この何らかの不平等がある場合には、食物の不足により生ずる困窮は、社会の中最も恵まれない人々の上に最も強く落ちて来る。この困窮はしばしば女子をも襲ったが、けだし女子は夫の不在中に不意の掠奪の危険に曝されており、またその帰宅を待ってもいつも失望しなければならなかったからである。
『しかしこれら民族の詳細な歴史を十分に知らないので、正確にどの部分に食物の不足の困苦が主として落ちて行ったか、またどれだけそれが一般の負担となったかは指摘し得ないとしても、私は、牧畜民族について吾々が有っている一切の記述からすれば、移住やその他の原因によって生活資料が増加した時には彼らの人口は常に増加し、そして窮乏と罪悪とによってそれ以上の人口増加は妨げられ現実の人口は生活資料と等しくされていた、と立派に云うことが出来ると考える。
『けだし、女子に関して彼らの間で広く行われていたと思われる悪習は、常に人口増加に対する妨げたる作用を演ずるものであるが、これを別としても、思うに、戦争の遂行は罪悪であり、またその結果は窮乏である、と認められなければならず、そして窮乏が食物の不足の結果たるは何人も疑い得ないところであるからである。』
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    第八章 アフリカ各地における人口に対する妨げについて

 アフリカのある地方を訪れたパアクは、その地方がよく耕やされてもおらず、また住民も多くはない、と述べている。彼は、広い立派な地域の多くに、全く住民がいないのを見た。そして一般に各国の辺境は人口が極めて稀薄であるか、または全然人影がなかった。ガンビア河、セネガル河その他の河の海岸寄りの湿地帯は、不健康であるために、人口には不適当に思われた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし他の地方はこれと種類を異にしており、そして、土壌が驚くべきほど肥沃なことを見、労役用にも食用にも適する大きな畜群を見、更に広大な奥地水運の便のあることを考えてみると、かくも自然の恩寵に恵まれた国が、現在の蒙昧な放置された状態に依然として止っているのを嘆かざるを得ない、と彼は云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Park's Interior of Africa, c. xx. p. 261. 4to.
 2) Id. c. xxiii. p. 312.
 しかしながら、この荒廃状態の原因は、黒人諸民族の一般的習慣に関するパアクの記述によって明瞭にわかる。彼は云う、無数の小国に分たれ、それが大砥独立して互いに嫉視している国においては、ほんのつまらぬ挑撥ちょうはつからしばしば戦争が起ると想像されることは当然である。アフリカの戦争には二種類あり、その一つはキリイと呼ばれるもので公然の戦争であり、他方はテグリアで、掠彰または窃盗である。この後者はごく普通であり、殊に旱魃期の初期に、収穫が終って食料が豊富な時に多い。かかる掠奪行は常に迅速な復讐を惹き起す1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Park's Africa, c. xxii. p. 291 and seq.
 かくの如く不断に掠奪に曝されているために生ずる財産の不安固は、必然的に、勤労に最も有害な影響を与えずにはおかない。すべて辺境地方の荒廃状態は、これがどの程度に作用するかを十分に証明している。気侯の性質は、黒人諸民族が労働するのに適しない。そして、彼らの労働の剰余生産物を利用する機会は多くはないから、吾々は、彼らが一般に、自分自身を養うに必要なだけの土地を耕すので満足しているのに、驚くことはない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。これらの原因は、この国が未開墾状態にある理由を説明するに足るように思われる。
 1) Park's Africa, c. xxi. p. 280.
 かかる不断の戦争及び掠奪侵入における生命の浪費は、莫大でなければならぬ。そしてパアクは、暴力的原因は別としても、黒人の間では長生きは稀であるというビュフォンの説に同意している。彼は云う、大抵の黒人は四十歳で白髪皺顔となり、五十五歳ないし六十歳まで生きる者はほとんどない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、と。ビュフォンはこの短命の理由を、尚早な性関係及び若年からの過度の放蕩に帰している2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。この点については彼はおそらく誇張しているかもしれぬ。しかしこの原因に頼り過ぎなくとも、自然的類推に従って、熱帯の土民は寒国の住民よりもはるかに早く成人になるのであるから、死別もまた早いと考えてよかろう。
 1) Park's Africa, c. xxi. p. 284.
 2)『女子が未成熟のうちに関係することが、おそらく、その短命の原因であろう。子供は極めて放恣で父母の拘束を受けないので、年少のうちから本能の命ずるままに耽溺する。この人民の間では、処女でなくなった時を想起し得る娘を見出すほど珍しいことはない。』Histoire Naturelle de l'Homme, vol. vi. p. 235. 5th edit. 12mo. 31 vols.
 ビュフォンによれば、黒人の女子は極度に多産である。しかしパアクによれば、彼らはその子供をニ、三年も授乳する習慣があり、そして夫はこの期間中他の妻達にもっぱら心を向けているのであるから、各々の妻の有つ子供の多いことは滅多にないように思われる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。一夫多妻は黒人諸民族では一般に認められている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。従って、吾々が当然想像すべき以上の数の女子がいない限り、多くの者は未婚生活を送らざるを得ないであろう。この困難は主として、パアクによれば自由人に対し三対一の比例をとるという、奴隷の肩に振りかかるであろう3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。主人は、自分の家庭の奴隷、または自分の家で生れた奴隷は、飢饉の場合の外は、自分やその家族を支えるために売ることを許されない。従って吾々は、主人は、奴隷にさせる仕事に必要な以上にそれを増加させることはあるまい、と考えてよかろう。買った奴隷や戦争で得た捕虜は、全く主人の意のままに委ねられる4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。彼らはしばしば極度の虐待を受け、自由人の一夫多妻により女子が不足な場合には、もちろん女は容赦なく奪われる。厳格な独身状態にある女子はおそらくほとんどまたは全くいないであろう。しかし結婚者数の割合には、かかる社会状態は、人口増加に好都合であるようには思われない。
 1) Park's Africa, c. xx. p. 265. パアクの記述と、ビュフォンが論拠としている記述とは、おそらく、異なる民族の、しかも確かに異る時期の記述なのであるから、両者が互に異るからといってどちらが間違っているとも推断し得ない。しかしパアクの記述の関する範囲においては、それは確かに彼以前のいかなる旅行者の記述よりも信頼し得るものである。
 2) Id. p. 267.
 3) Id. c. xxii. p. 287.
 4) Id. p. 288.
 アフリカは従来常に奴隷の中心市揚であった。かくの如くしてアフリカから流出する人口は莫大恒常なるものがあり、なかんずくヨオロッパ人の植民地に奴隷が採用されて以来は殊に甚しかった。しかし、フランクリン博士の云う如くに、アメリカを半分真黒にしてしまった百年に亙る黒人の輸出により作られた間隙を見出すことはおそらく困難であろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。けだし、かかる不断の移出と、不断の戦争による多くの人命の喪失と、罪悪その他の原因による人口増加に対する妨げとがあるにもかかわらず、人口は絶えず生活資料の限界を圧迫しているように思われるからである。パアクによれば、不作と飢饉とは頻々とある。アフリカにおける奴隷状態の四大原因の中で、彼は戦争に次いで飢饉をあげている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そしてさほど緊急でない場合には許されないが3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、しかし主人がその家族を養うためには奴隷を売ることを公然許されているという事実は、ひどい欠乏が頻々と囘起することを意味するものの如くである。ガムビア地方に三年間も続いた大凶作の時に、多数の人民は奴隷となった。レイドリ博士がパアクに確言したところによれば、当時多くの自由民が、餓死から助かるために自ら進んで奴隷にしてくれと頼んだという4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。パアクがマンディンにいた時に、食料の不足が起って貧民は非常に苦しんだが、これは次のような事情により痛切に示された。彼がそこにいた毎夕、五、六人の女がマンサの家に来て、各々幾らかの穀物を貰っていた。『あの子供を見なさい』とマンサは五歳ほどの綺麗な子供を指差しながら彼に云った。『あの子の母は自分の一家の四十日分の食料と引替にあの子を私に売ったのだ。私は同じようにして他にもう一人子供を買った5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。』ジャロンカの小部落のスウシイタで、パアク氏はその長から、この地方は最近非常な凶作なので食料を調達し得ないと云われた。その長はまた、現在の収穫を取入れる前には、クロの全住民は二十九日間穀物を食べずにいた、と云った。この期間中、彼らは、全く、ミモサの一種たるニッタ(土人はそう呼んでいる)のさやにある黄色い粉と、適当にいて調理すると全く米のような味のする竹の種子とで、生きていたのである6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]
 1) Franklin's Miscell. p. 9.
 2) Park's Africa, c. xxii. p. 295.
 3) Id. p. 288, note.
 4) Id. p. 295.
 5) Id. c. xix. p. 248.
 6) Id. c. xxv. p. 336.
 パアクの記述によれば、アフリカでは非常によい土地がたくさん未墾のままにあるというのであるから、食物の不足は人民の不足によるものと、おそらく云われるかもしれない。しかしこれが事実であるとすれば、かくも多数のものが毎年国外に送り出されるわけがわからない。黒人諸民族が真に欠いているものは、財産の安固と、その一般的随伴物たる勤労である。そしてこれらがなければ、人口の増加は単にその困難を加重するだけであろう。もし、住民の不足しているように思われる地方を満たすために、子供に多額の奨励金を与えると仮定しても、その結果はおそらく、戦争の増加、奴隷輸出の増加、及び貧困の激増に過ぎず、真実の人口増加はほとんどまたは全く生じないであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) 真実の人口増加に対する二大必要条件としてここに挙げたもの、すなわち財産の安固と、その自然的随伴物たる勤労とは、海岸地方の奴隷取引が、パアクの述べている掠奪遠征に対しこのように不断の奨励を与えている間は、黒人間に現れるとは期待し得ない。この取引が終熄しゅうそくする暁には、吾々は合理的に、久しからずして将来の旅行者は、アフリカの諸民族の社会状態に関し、パアクが画いているよりも好ましい描写を吾々に与え得るものと、希望し得よう。(訳註――この註は第四版より現る。)
 ある民族の習慣及びあらゆる民族の偏見は、ある程度この種の奨励金のような作用をする。ブルウスによれば、シャンガラ黒人は、四方を活溌な有力な敵に囲まれ、そして苛酷な労働と不断の不安の裡に生活しているので、女子に対してほとんど欲望を感じない。彼らの一夫多妻の原因は男の側になく妻の側にある。彼らは別々の種族や民族をなして生活しているが、これらの民族はまたも各家族に分たれている。戦いにおいては各家族はそれぞれに独自に攻撃し防禦するのであって、分捕物や掠奪物は彼らのものになる。従って、母親は、小家族の不利益がわかるので、自分の出来るだけのことをして家族を殖やそうと努める。そして夫は妻に強いられてその要求を容れるのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ガラ族における一夫多妻の動機もこれと同一であると云われており、そして両民族とも、第一の妻は第二の妻に、夫に対し同盟を作ろうと求める。そしてその時の主な云い分は、両方の家族は一緒にまとまって強くなり、そして両方の子供は、数が少ないので戦いの際に敵の餌食となるというようなことはなくなる、というのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかしおそらく、大家族を持とうというこの極端な望みは、その目的を達することが出来ず、またそれがもたらす貧困と窮乏とは、両親がより少ない子供の養育に注意を限る場合よりも成人となる子供の数を少なくすることとなろう。
 1) Bruce's Travels to discover the Source of the Nile, vol. ii. p. 556. 4to.
 2) Id. p. 223.
 ブルウスは一夫多妻を大いに擁護しており、それが広く行われている地方では女児の男児に対する出生比例は二ないし三対一であると主張してこれを弁護しているが、けだしこれが一夫多妻を弁護する唯一の方法なのである。しかしながら、かかる異常な事実は、彼れの立論の基礎となっているような漠然たる研究を典拠にしたくらいでは、これを承認することは出来ない。かかる風土では、男よりも女の方がかなりに多くいるということは、極めてありそうなことである。女児よりも男児の方が多く生れることが確実にわかっているヨオロッパにおいてすら、女子の数は、一般に男子よりも多い。従って吾々は、暑い不健康な気候、野蛮な社会状態においては、男子の曝らされている事故の数は非常に多くなければならぬと想像し得よう。女子は、家庭に坐っていることが多いのであるから、炎熱や瘴気しょうきの苦しみを受けることが少ないであろう。彼らは一般に不節制から生ずる病気に罹ることは少ないであろう。しかしなかんずく彼らは戦争の惨害からは非常に免れることであろう。戦争の止むことのない社会状態においては、この原因による男子の死亡だけでも、両性の大きな不均衡を惹き起さずにはおかないが、殊にアビシニアのガラ族1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]について云われている如くに、あらゆる男子を誰彼の別なく殺戮し、結婚可能な女子だけをこの殺戮から救うという風習のある場合には、なかんずく甚だしいに違いない。これらの原因から生ずる両性の現実の不均衡がまず一夫多妻の認許を生ぜしめ、そしておそらく、吾々をしてより容易に、暑い風土における男女児の比率は温帯において吾々が経験しているものとは極めて異っていると信ぜしめることとなったのである。
 1) Id. vol. iv. p. 411.
 ブルウスは、この問題に関するそのいつもながらの偏見をもって、女子の一部のものの独身生活は一国の人口にとり致命的であると考えているように思われる。彼はジッダ族について云う、生活必要品がほとんどない場所に非常にたくさんの人民が集った結果として食料が大いに欠乏しているので、住民はほとんどマホメットにより与えられた特権を利用することは出来ない。従って彼らは一人以上の妻と結婚することが出来ない。そしてこの原因から、人民の不足と、多数の未婚女子とが生ずるのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、と。しかしこの不毛の地における人民の不足はもっぱら食料の不足から起るのであり、そして各人が四人の妻を有ったとしても、人口がそれにより永久に増加し得ないことは、明かである。
 1) Id. vol. i. c. xi. p. 280.
 ブルウスによれば、あらゆる種類の食料は極めて低廉であり、人間の常食たる土地の果実が自生であるところの、アラビア・フェリックスにおいては、多数の妻を有ってもその費用は同数の奴隷または使用人を有つ費用と同じだけのことである。彼らの食物は同じであり、彼ら全部に共通な青い木綿のシャツは、誰のでも値段は同じくらいである。その結果として、彼によれば、女子の独身は抑止され、そして人口は、一夫多妻によって、一夫一婦の四倍の比率で増加する1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかもなおこの四倍の増加にもかかわらず、アラビアのいかなる地方も真に極めて人口稠密であるとは思われないのである。
 1) Id. vol. i. c. xi. p. 281.
 一夫多妻の結果として、既婚女子の数が増加し、独身が抑止されるということは、議論の余地のないところである。しかしこれがどれだけ現実の人口を増加する傾向があるかということは、これとは極めて異る問題である。それはおそらく人口を食物の限界により緊密に圧迫し続けるであろうが、しかしこれがもたらすどうにもならぬ極貧は、決して勤労に対し好都合なものではない。そして病気を醸成する多くの原因があるように思われる気候においては、この困窮の状態がこれらの地方のあるものに見られる異常の死亡を有力に助勢していないと考えることは困難である。
 ブルウスによれば、スエズからバブエルマンデルに至る紅梅の沿岸全体は極度に不健康で、殊に南北囘帰線間は甚だしい。この地方でネダドと呼ばれている猛烈な熱病は致命的な疾病の中で主たるものであり、そして一般に三日目に死亡する1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。異国人はこの地方に到着しすぐ見受ける高い死亡を見ただけで、恐怖にとらわれるのである。
 1) Id. vol. iii. p. 33.
 ジッダ及び紅梅の東海岸に接するアラビアのあらゆる地方は、同様に極めて不健康である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. vol. i. p. 279.
 ゴンダアルにおいては、熱病が常に流行しており、そして住民はすべて屍体の色をしている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. vol. iii. p. 178.
 世界中で最も美しい地方の一つであるシレでは、最悪性の発疹チフスがほとんど絶えることがない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。アビシニアの低地においては、一般に、悪性の間歇熱が大きな死亡を出している2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そしてあらゆる地方で天然痘は猖獗を極め、なかんずくアビシニアに接する辺境地方において甚だしく、そこでは時にそれは全種族を全滅させるのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. vol. iii. p. 153.
 2) Id. vol. iv. p. 22.
 3) Id. vol. iii. c. iii. p. 68; c. vii. p. 178; vol. i. c. xiii. p. 353.
 貧困が、粗悪な食物、及びそれとほとんど常に伴う不潔と相俟って、悪性の疾病を加重することは、人のよく知るところであるが、この種の悲惨は一般に広く存在しているようである。ゴンダアルに近いチャガッサについて、ブルウスは、その住民は、三倍の収穫があるにもかかわらずひどく貧乏である、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。彼はまたチグレの首府アドワでも同じことを述べ、そしてこれをアビシニアの農民全体にあてはめている。土地は毎年最高の入札者に貸付けられ、そして一般に地主は種子を与え、生産物の半ばを受取る。しかし自己の冒す危険に対しその上四分の一を受取らない地主は寛大な地主だと云われている。従って耕作者の取分となる分量は、そのみじめな家族が辛うじて暮して行くに足る以上ではないのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. vol. iii. c. vii. p. 195.
 2) Id. c. v. p. 124.
 数の点ではアビシニアで最も有力な民族の一つたるアゴウ族は、ほとんど信じられないような窮乏と貧困の状態に生活している、とブルウスは述べている。彼は云う、吾々は人間とは思えぬほど皺がより陽に焼けた多くの女が、炎天の下で、背中に一人または時には二人の子供を背負って、一種のパンを作るためにみやまぬかぼの種子を集めながらうろついているのを見かけた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。アゴウ族の女は十一歳で子供を産みはじめる。彼らは大体その年頃で結婚するが、彼らの間に不姙というようなことは知られていない2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。アビシニアの国境都市の一つたるディクサンにおいては、唯一の取引は子供を売ることである。毎年五百人がアラビアに輸出され、そして欠乏の年にはその四倍くらいに上る、とブルウスは云っている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. vol. iii. c. xix. p. 738.
 2) Id. c. xix. p. 739.
 3) Id. c. iii. p. 88.
 アビシニアでは一夫多妻は規則的には行われていない。ブルウスは実際この点については妙なことを云っている。すなわち彼は云う、吾々はジェスイット僧が結婚や一夫多妻についていろいろなことを書いたのを読んでいるが、しかしアビシニアには結婚というが如きものはない、ということほど確かに断言しうるものはない、と。しかしそれがどうであろうと1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、この国には独身生活を送る女はほとんどまたは全くなく、またそれが乱交によって妨げられる場合の外は生殖力はほとんどその全力を発揮せしめられていることは、明かなようである。しかしながらこの乱交は、ブルウスの記述している風習の状態からすれば、非常に有力に作用しているに違いない2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. vol. iii. c. xi. p. 306.
 2) Id. p. 292.
 戦争から生ずる人口に対する妨げは法外なものであるように思われる。最近四百年の間、ブルウスによれば、戦争はこの不幸な国を荒廃に委ねることを止めたことはなかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかもその戦争はひどく野蛮に行われるので、この破壊は十倍にもなった。ブルウスがはじめてアビシニアに入国したとき、彼は、到るところに、ラス・マイクルのゴンダアル進軍によって根こそざに破壊された村々を見た2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。彼は曰く、彼がこの国に滞在中の内乱で、『叛徒はまずデムビアを荒廃に帰しはじめており、そして南方から西方に至る平原にある一切の村を焼き払い、それをマイクルとファシル間の沙漠のようしてしまった。………王はしばしばその宮殿の塔の頂上に登り、デムビアにおけるその豊かな村々が焼けているのを見て、不満の極であつた。』と3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。彼はまた他の場所で曰く、『デグウェッサの全地方は完全に破壊された。老若男女の区別なく男も女も子供も全部皆殺しになった。家は地に倒され、その附近の国土は大洪水の後のように荒廃してしまった。王に属する村々も同じく苛酷に荒された。到る処から救を求める叫びが聞えてきたが、誰もあえて救助手段を講ずる者はなかった4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。』アビシニアの一州たるマイッチャにおいては、もしいやしくも老人に会うことがあったらそれは確かに、他国人と見てよいが、けだし一切の原住民は若いうちに槍で死んでしまったから、と彼は聞かされた5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. vol. iv. p. 119.
 2) Id. vol. iii. c. vii. p. 192.
 3) Id. vol. iv. c. v. p. 112.
 4) Id. vol. iv. p. 258.
 5) Id. c. i. p. 14.
 もしブルウスの画いたアビシニアの状態の描写が、少しでも真に近いものとすれば、それは、戦争、流行病、及び乱交が、すべて過度に働いている下でも、人口を生活資料の水準一杯に保持せしめるところの、人口増加の原理の力を、極めて明白に物語るものである。
 アビシニアに隣接する諸民族は一般に短命である。二十二歳のシャンガラの女は、ブルウスによれば、六十歳のヨオロッパの女子よりも、皺が多くかつ老いぼれている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。従って、これらすべての国においては、絶えず移住していた時代の北方の牧畜民族と同様に、極めて急速な人間の新陳代謝が行われていることが、わかるであろう。そして両方の場合の相違は、吾々の北方の祖先は自国外で死んだが、しかるにこれらは故国で死んだという点である。もしこれらの諸民族の間に正確な死亡表がとられていたならば、それは、ヨオロッパ諸国を平均して三四、三六、または四〇人につき一人という比率とは異り、戦死者をも含めて、少くとも一七または一八人につき一人が年々死亡することがわかるであろうことを、私はほとんど疑わないのである。
 1) Id. vol. ii. p. 559.
 ブルウスが帰国の途中通過した国のある地方について述べているところは、アビシニアの状態よりも恐ろしい情景を呈しており、そして人口が、食物の生産と、この生産物に影響を及ぼす自然的並びに政治的事情に比較して、子供の出産にはいかに依存しないものであるかを、示すものである。
 ブルウスは曰く、『六時半に、吾々は、ガリガナに着いたが、これはその住民がすべて前年に餓死してしまった村である。彼らのあわれな骨はすべて葬られもせず、前に村のあった場所に散らばっていた。吾々は死者の骨の間に野営した。どこも骨のない所は見出し得なかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』と。
 1) Id. vol. iv. p. 349.
 彼はその途上のもう一つの町または村について曰く、『ティアワの勢力は馬二五頭であった。爾余じよの住民は、村々の爾余のものと同様に、裸かの惨めな卑しい一、二〇〇人のアラビア人だったらしい。………これがティアワの状態であった。しかしこの状態が続いたのも、ダヴェイナ・アラビア人がこれを攻撃する決心をし、穀物畑が一夜にして多数の乗馬隊によって焼き払われ破壊され、その住民の骨がガリガナのあわれな村の骨と同じく地上に散らばっているのがその唯一の名残りであるというような状態に、なるまでのことでしかなかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. vol. iv. p. 353.
『ティアワとベイラの間には水が少しもない。かつてはインデディデマ及び多くの村は、井戸から水を得、その所有地の近くに玉蜀黍とうもろこしを播いて多くの収穫を得ていた。しかしこの地方の呪詛たるダヴェイナ・アラビア人は、インデディデマ及びその附近のすべての村を破壊してしまい、その井戸を埋の、その穀物を焼き払い、そして全住民を餓死するに委ねたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. vol. iv. p. 411.
 彼は曰く、センナアルを出てまもなく、『吾々は雨量不足の結果を見はじめた。穀物はわずかしか播かれていず、それも非常に時期おくれでほとんど地上に芽を出していなかった。雨が北方を通過する時は雨期はおそく始まるように思われる。多くの人がここで、非常に悪質のパンを作るために、草の実を集めていた。これらの人民は完全な骸骨のような姿であったが、これはこんな食物を食っているのであるから無理もないことである。通過する国の食物の欠乏ほど、旅行の危険と異国人に対する偏見を増大するものはない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. vol. iv. p. 511.
『エルティックという、ナイル河から半マイルばかり離れ、大きな茫々たる平原の北方にある、人家のまばらな村に来た。樹木に覆われている川岸を除けば、すべて牧場である。吾々はもはや穀物の蒔いてあるのを見なかった。住民はここでも、吾々が前に述べたあわれな仕事に、草の実集めに、従事していた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. p. 511.
 かくの如き気候及び政治的情勢の下においては、より高い程度の先見、勤労、及び安固があれば大いに彼らの境遇は改善され彼らの人口は増加されるであろうけれども、かくの如き随伴物なくしてより多数の子供の出生を見るというのであるならば、それは単に彼らの窮乏を加重するだけであり、人口は依然旧のままに止まるであろう。
 同じことは、かつて繁栄し人口の稠密であったエジプトについても云い得よう。その衰えた現情は、人口増加の原理が弱くなったから生じたのではなく、最も暴威的圧制的な政治の結果たる財産の不安固により、勤労と先見の原理が弱くなったから生じたものである。現在のエジプトにおける人口増加の原理は、それが為し得るだけのことをしている。それは人口を生活資料の水準一杯に保っている。そして仮にその力が現在の実際の力の十倍であるとしても、これはより以上のことはなし得ないであろう。
 旱魃の年には給水用の貯水池の働きをし、多雨の年には洪水を防ぐための排水溝となり放水路の働きをするところの、大きな湖水や、運河や、ナイル河を統制する目的を有つ大きな水路の如き、古代の工事の遺跡は、昔エジプトの住民が、勤労により、彼らの河川の氾濫によって、今より遥かに多大の土地を肥やそうと努めたこと、また現在、氾濫の過不足によってかくも頻々と起っている困窮を、ある程度防止しようと努めたことを、吾々に十分に示している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。総督ペトロニウスは、自然の拒否したことを技術によって行って、従来常に不作を伴った如き氾濫不足という不利益の下においてすら、エジプトの到る処に豊作をもたらした、と云われている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。洪水が大き過ぎるのは不足な揚合と同様に農民にとって致命的である。その結果として古代の人は、過剰の水をリビアの乾燥した砂地に氾濫させる排水路を作り、かくて沙漠をも人の住み得るところとした。これらの事業は今はすべて修理が行われておらず、そして監理の不良のためにしばしば善果よりも惨害を生み出している。この怠慢、従ってまた生活資料の減少の原因は、明かに政府の極度の無智と残忍と、及び人民の悲惨な状態にあるのである。主たる権力を握るマメリウクは、自ら富むことだけを考え、この目的のために最も簡単な方法と思われるもの、すなわち見つかり次第に富を奪い取り、暴力でそれを所有者から強奪し、そして絶えず新らしい勝手な貢納を課するという方法を、とっている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。彼らの無智と残忍、及び彼らの生活の不断の脅威は、彼らに、その掠奪をもっとうまくやるには国を富ますことが先だという観念すら起さしめない。従っていかなる公共事業も政府に期待することが出来ず、そしていかなる個人資産家も、資本所有を意味する如き改良はあえてこれを行おうとはしないが、けだしこれはおそらく直ちに身の破滅の徴標となるであろうからである。かかる事情の下にあっては、吾々は、古代の事業がなおざりにされ、土壌がよく耕作されておらず、そして生活資料従ってまた人口が大いに減少しているのを見ても、少しも驚く気になれないのである。しかしナイルの氾濫によるデルタの自然的肥沃度は著しく高く、従って何らの資本が土地に投下されず、相続権がなく、従ってほとんど財産権がなくとも、それは、なお、その面積に比例して大きな人口を維持しているのであって、これは、もし財産が安固であり勤労がよく指導されるならば、徐々としてこの国の耕作を改良し拡張し、そしてそれを昔の栄華状態に戻すに足るものである。エジプトについて、その勤労を妨げたのが人口の不足であるわけではなく、その人口を妨げたのが勤労の不足である、と安んじて云い得るであろう。
 1) Id. vol. iii. c. xvii. p. 710.
 2) Voyage de Volney, tom. i. c. iii. p. 33. 8vo.
 3) Id. tom. i. c. xii. p. 170.[#「.」は底本では欠落]
 現在の縮小した生活資料の水準に人口を引き下げた直接の(訳註)原因は、余りにも明かである。農民は単に生きて行くだけの生活資料しか与えられない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ドウラで作ったパン種も香料も使わない貧弱なパン、冷水、及び生ねぎが、彼らの食事の全部である。彼らの熱愛する肉や脂肪は、大きな催しの時か、または比較的暮しが楽のものの間でなければ、決して出て来ない。彼らの住居は土で造られた小屋であり、他国人なら熱と煙で窒息するであろうし、また不潔と栄養不良により発生する疾病がしばしば彼らをおそい、暴威を振うのである。かかる物理的害悪に加うるに、更に不断の危惧の状態、アラビア人の掠奪とマメリウクの来訪の恐怖、家族に伝わる復讐心、及び不断の内乱の一切の害悪があるのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Volney, tom. i. c. xii. p. 172.
 2) Id. p. 173. ヴオルネエが試みているエジプトの農民の状態に関する右の描写は、この問題に関する他のすべての著者によってほとんど確証されるようである。殊に次の貴重な論文において、Consid※(アキュートアクセント付きE小文字)rations g※(アキュートアクセント付きE小文字)n※(アキュートアクセント付きE小文字)rales sur l'Agriculture de l'Egypte, par L. Reynier. (M※(アキュートアクセント付きE小文字)moires sur l'Egypte, tom. iv. p. 1.)
〔訳註〕『直接の』の語が加ったのは第三版からである。
 一七八三年には疫病ペストが非常に蔓延した。また一七八四年及び一七八五年には、ナイルの氾濫の不足によって恐るべき飢饉がエジプトを蔽った。ヴォルネエはこの時に生じた窮情の驚くべき描写をしている。初めは乞食で一杯であったカイロの街からはまもなく彼らの姿が全然なくなったが、それは死ぬか逃げるかしたのである。莫大な数の不幸な貧民は、死を免れるために、あらゆる隣国に散ってしまい、そしてシリアの町々はエジプト人で溢れた。街路や広場は、飢えて死にかけた骸骨のような人に充ち満ちた。迫る飢えを満たすべきあらゆる忌わしい手段が採られた。最も胸の悪くなるような食物も貪り食われた。そしてヴォルネエは、昔のアレキサンドリアの城壁の下で、駱駝の屍体の上に二人のみすぼらしい貧民が坐っていて、犬と腐肉を争っているのを見た、と述べている。この二年間の人口減少は全住民の六分の一と見積られた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Voy. de Volney, tom. i. c. xii. s. ii.
[#改ページ]

    第九章 南北シベリアにおける人口に対する妨げについて

 アジアの最北地方の住民は、主として狩猟と漁撈とによって暮している。従って吾々は、彼らの増加に対する妨げは、アメリカ・インディアンの間におけるものと同一性質であり、ただアメリカの温暖な地方におけるよりも戦争による妨げが非常に少なく、そして飢饉による妨げがおそらくより大であるという点だけが異なる、と考え得よう。不幸なペルウズの書類を持ってカムチャッカからペテルスブルグまで旅をしたドゥ・レセップ氏は、世界のこの地方が時に食物の不足から蒙る窮乏の陰惨な光景を書いている。カムチャッカのボルチェレックという村に滞在中に、彼は曰く、『ひどい大雨は洪水を起し、川から魚を逐いはらってしまうから、この地方では有害である。貧しいカムチャッカ人に最もつらい飢饉はその結果であり、これは昨年は半島の西海岸にあるあらゆる村に生じた。この恐るべき災害はこの地方に極めて頻々と起るので、住民はその住居を棄て、魚のもっと豊富なカムチャッカ河の流域にその家族と共に移住するを余儀なくされる。カスロフ氏(ドゥ・レセップ氏を案内したロシア士官)は西海岸に沿って進もうと思っていたが、この飢饉の報を受けたので、その希望に反して、中途で立往生の止むなきに至ったり餓死したりするよりは、むしろ引返そうと決心した1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』違った道をとってみたが、その途中で、橇を引く犬のほとんどすべてが食物の不足で死んでしまった。そしてどの犬も、倒れるや否や、直ちに他の犬に貪り食われてしまった2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Travels in Kamtschatka, vol. i. p. 147. 8vo. Eng. trans. 1790.
 2) Id. p. 264.
 かなりの商業の行われているオコオツクの町でさえ、その住民は、オコオタ河が春に解氷するのを空腹をかかえてじりじりしながら待っている。ドゥ・レセップ氏がそこにいた時に、乾魚の貯蔵はほとんど尽きかけていた。碾割麦ひきわりむぎは非常に高価なので、一般人には買えなかった。河水を干して莫大な数の小魚が捕れたが、その喜びと騒ぎはこれを見て倍加した。最も飢えた者がまず救われた。ドゥ・レセップ氏は痛嘆して曰く、『私はこのあわれな人々のがつがつした有様を見て、涙を禁じ得なかった。………全種族が魚を奪い合い、私の眼の前で生のままそれを貪り食った1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Travels in Kamtschatka, vol. ii. p. 252, 253.
 シベリアの北部地方全部を通じて、天然痘が蔓延している。ドゥ・レセップ氏によれば、カムチャッカでは、それは原住民の四分の三1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]の生命を奪った。
 1) Id. vol. i. p. 128.
 パラスはこの記述を確認し、そして、ほとんど同様な生活をしているオビ河畔のオスチャック族のことを述べる際に、この病気は彼らの間に恐るべく猖獗しており、そして彼らの増加に対する主たる妨げと考え得ようと云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。これらの人民の間における天然痘の異常な死亡率は当然に、彼らの地下住居の極度の熱さ、不潔、及び腐敗した空気によって説明ができる。オスチャック族の家族は三つか四つ一緒に一つの小屋の中に群居しているが、彼らの生活様式ほど胸の悪くなるものはあり得ない。彼らは決して手を洗わず、また魚の腐った残物や子供の糞便を決して掃除しない。パラスは云う、この記述から推せば、彼らの小屋コルトの悪臭や毒気や湿気がいかなるものであるかは、容易に察知し得よう、と2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。彼らは多くの子供をもつことは滅多にない。一家族に三、四人を見ることは稀であるが、パラスが与えているその理由は、非常に多くのものが栄養不良で年若く死んでしまうということである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。このほかになお、おそらく、確かに女子の生殖力を害するところの、彼らの悲惨な苦しい隷従状態も4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]、挙げなければならぬであろう。
 1) Voy. de Pallas, tom. iv. p. 68. 4to. 5 vols. 1788, Paris.
 2) Id. p. 60.
 3) Id. p. 72.
 4) Id. p. 60.
 パラスは、サモイエド族は、冬の期間オスチャック族よりも多く活動するから、それほどは汚くないと考えている。しかし彼は、彼らの女子の状態は、いっそう悲惨な苦しい隷従であると述べている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。従ってこの原因より生ずる人口に対する妨げは、オスチャック族よりも大であるはずである。
 1) Voy. de Pallas, tom. iv. p. 5.
 かかる冷酷な地方の原住民の大部分は、ほとんど同様な悲惨な生活をしているのであるから、従ってそれを述べてみたところで徒らに反復に過ぎないであろう。右に述べたところからして、吾々は、これらの荒蕪の地方が与える乏しい生活資料の水準に現実の人口を圧迫している主たる妨げがどんなものであるかを、十分察知することが出来よう。
 シベリア南部のある地方及びヴォルガ河の流域では、土壌は極めて肥沃であるとロシア旅行家は述べている。それは一般に、施肥の必要がないほど、またはむしろ施肥に堪えないほど肥えた、黒土から成っている。肥料は単に穀物を繁茂させすぎるだけのことであり、それを地に倒して腐らしてしまうだけのことである。この種の土地の唯一の沃度恢復法は、それを三年に一度ずつ休耕地とすることである。そしてこの方法を行っていけば、地味は無尽蔵という土地もある1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかも、このように最も豊富な生活資料が得られそうに思われる便宜がありながら、これらの地方の多くは人口稀薄であり、そしてそのいずれにおいても、おそらく、人口は、土壌の性質から期待され得るようには増加しないのである。
 1) Voy. de Pallas, tom. iv. p. 5.
 かかる国は、サア・ジェイムズ・スチュワアトがうまく説明しているところの、道徳的増加不可能の下にあるように思われる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。もし政治の性質かまたは人民の習慣の上からして、新しい農場の開拓または旧い農場の分割に対し障害が存する場合には、社会の一部分は、明白な豊饒の真ただ中においてすら、欠乏に悩むであろう。一国が豊富に食物を生産する力を有つというだけでは十分でなく、社会の状態が、その適当な分配の手段を与えるが如きものでなければならない。そして何故にこれらの国において人口増加がおそいかという理由は、労働に対する需要が小であるため土壌の生産物の分配を妨げられるという事実であり、そしてこの生産物の分配なるものは、土地の分割が依然同一であっても、それのみで、社会の下層階級をしてその土地が与える豊かな産物の享受者たらしめ得るものである。農法は極めて簡単であり、ほとんど労働者を必要としないと云われている。ある所では種子が単に休耕地に散布されるだけである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。蕎麦が普通の作物であり、そしてそれは極めてまばらに蒔かれるが、しかし一度蒔けば五、六年間も持ち、そして毎年最初の二十倍または十五倍もの収穫を産する。収穫時に落ちる種子で翌年には十分であり、そして春に一度ならしぐわらす必要があるだけである。そしてこれは土壌の肥沃度が減退し始めるまで継続される。シベリア平原の怠惰な住民にこれほど適当した穀作はないと云われているが3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、これはもっともなことである。
 1) Polit. Econ. b. i. c. v. p. 30. 4to.
 2) Voy. de Pallas, tom. i. p. 250.
 3) D※(アキュートアクセント付きE小文字)couv. Russ. vol. iv. p. 329. 8vo. 4 vols. Berne.
 農業組織はかくの通りであり、また工業はほとんどまたは全く無いので、労働に対する需要は極めて容易に充足されるに違いない。穀物は疑いもなく極めて低廉であろうが、労働はそれとの比例で更に低廉であろう。農業者は自分自身の子供達には十分な分量の食物を与え得るかもしれぬが、しかし彼れの労働者の労賃は家族を楽々と養うには足りないであろう。
 もし土壌の肥沃度に比較して人口が不足しているのを見て、吾々が、子供に奨励金を与え、かくして労働者をしてより多くの家族を養い得るようにして、この事態を改善せんとしたとすれば、その結果はどうであろうか。かくの如くして市揚に齎される過剰の労働者の仕事を、何人も要求しはしないであろう。たとえ一人一日のたっぷりの食糧が一ペンスで買い得るとしても、これらのものにその労働に対して一ファージングすら支払おうとするものはないであろう。農業者は、自分自身の家族と、従来使用していた一、二人の労働者によって、彼れの希望する一切を、彼が土壌の耕作に必要と考える一切を、することが出来る。従ってこれらのものは、農業者にその欲するものを何も与えないのであるから、単に彼らに無償で食物を与えるために、農業者がその性来の怠惰心を克服し、そしていっそう大きいいっそう骨の折れる仕事をするようになるとは期待し得ない。かかる事態において、工業労働に対する非常に小さな需要が充足された時には、他の人々はどうすべきであろうか。彼らは実際、あたかも不毛の沙漠に住んでいるのと同様に、全く生活資料がないのである。彼らはその仕事が需要されるある場所に移住するか、または貧困のきわみ窮死するかしかない。かれらの労働がわずかにまたほんの時々使用される結果として、彼らに乏しい生活資料が与えられ、これによってかかるとことんまでおちるのを免れたとしても、彼ら自身は生存し得るかもしれぬが、結婚して人口を増加し続ける能力のないことは、明かである。
 もしヨオロッパの最もよく耕作されかつ最も人口稠密な国に現在の土地と農場の分割が行われており、しかも商工業がこれに伴っていなかったとしたならば、より以上の耕作に対する動因が全然欠けており、従って労働の需要がないために、人口は久しい以前に停止してしまっていたことであろう。そしてここで考察している国の過度の肥沃度が、この困難を減少するよりはむしろ加重するものなることは、明かである。
 もし使用されない多くの良い土地があるならば、アメリカの場合の如くに、新しい定住と分割とがもちろん行われ、そして過剰人口はそれ自身の食物を作り出し、それに対する需要を生ぜしめるであろう、とおそらく云うものがあるかもしれない。
 疑いもなく、好郡合な事情の下においてはそうなるであろう。すなわち例えばもし、第一に、穀物と同じく他のすべての資本の原料を提供する如き性質を士地が有つならば、第二に、かかる土地が小口で買うことが出来、また財産が自由政府の下で保証されているならば、そして第三に、勤労と蓄積との習慣が人民大衆の間に広く行われているならば、というのがそれである。以上の条件のいずれかが欠けているならば、人口の増加は本質的に妨げられ、または全然停止されるであろう。最も豊かな穀作に堪える土地でも、樹木と水がないために、広大な一般的な定住に全く適しないということもあろう。もし農地借地権が不確実であるかまたは悪化しているならば、個人の蓄積は最も心が進まず遅々として行われるものとなろう。そしていかなる生産の便宜、根強い怠惰の習慣と先見の不足の下においては、生活必要品の永久的な増加と適当な分配を齎らし得ないであろう。
 ここに挙げた好都合な事情なるものが、シベリアには併存していないことは明かである。地質の上で克服しなければならぬ物理的欠点は何もないと仮定してさえも、人口の急速な増加の途上にある政治的及び道徳的障害は、極めて徐々としてしか、善導せられたる努力によって打克ち得るにすぎない。アメリカにおいては、農業資本の急速な増加は、普通労働の労賃の高いのに負うところが多い。元気な青年が奥地で自分自身の植栽地を開始するには、少くとも三四十ポンドの金を自由にし得ることが必要と考えられている。これくらいの金額は、労働に対する需要が大であり、それが高い率で支払われているアメリカでは、大した困難なく数年にして貯え得よう。しかしシベリアの過剰の労働者は、家を建て、家畜や農具を買い、そして彼れの新しい土地を整理して適当な収穫を挙げ得るに至るまで生活して行くに、必要な金額を、集めることは極めて困難であろう。農業者の子供ですら、成長の暁、これらの資金を調達するのは容易ではないであろう。穀物に対する市場が極度に狭く、その価格が非常に低い社会状態においては、耕作者は常に貧しい。そして彼らは簡素な食物でその家族を十分に養い得るかもしれないけれども、その子供らに分ちそして彼らをして新しい土地の耕作をなすを得せしめるべき、資本を作ることは出来ない。この必要資本は極めて小で足るとしても、この小額を農業者はおそらく獲得し得ないのである。けだし彼が通常以上の量の穀物を作ればその購買者を見出し得ず1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、そしてそれを、将来その子供のいずれかをしてそれを等しい生活資料または労働を支配し得せしめるべき何らかの永久的物品に転換することを得ないからである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。従って彼はしばしば、彼れの家族の直接の需要とそのなじみの狭い市湯を満すに足るだけのものを、栽培するだけで満足している。そしてもし彼が大家族を有つとすれば、彼れの子供の多くはおそらく労働者の地位に落伍し、そして前述の労働者の場合と同様に、彼らのそれ以上の増加は生活資料の不足によって妨げられるのである。
 1)『住民の大部分は耕作者であり、彼ら自ら家畜を飼育するので、この地方では、販路は非常に小である。』――Voy. de Pallas, tom. iv. p. 4.
 2)  ここに挙げた原因に加うるに、最近私は、世界のこの地方で広大な肥沃な土地が未耕のままになっている主たる理由の一つは、いなごの大群であり、これはある季節にこれらの地方を蔽いつくし、その被害から成長する穀物を護ることが出来ない、ということを聞いた。
 従って、これらの国において、その人口の増加のために必要なものは、子供の出生及び養育に対する直接の奨励ではなくして、その分配の手段を促進することにより、土壌の生産物に対する有効需要を作り出すことである。このことは、製造業を導入し、そして耕作者にそれに対する趣味を喚起し、かくして国内市場を拡大することによってのみ、達成され得るものである。
 ロシアの先女帝は製造業者及び耕作者を奨励し、そしてそのいずれかに従事する外国人に、一定期間一切無利子で資本を供与した1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この適宜な努力は、ピイタア一世の既往の業績と相俟って、当然予期せられる如く、顕著な効果を挙げた。そして数世紀の間ほとんど人口が停止しまたはせいぜいのところ極めて遅々として増加しただけで眠っていたロシアの領土、なかんずくアジア方面の領土は、近年突如として活動を開始したようである。シベリアのより肥沃な諸州の人口は、その土壌の豊度に比べればなお極めて不十分であるけれども、それらの中のある地方では農業は少なからず栄えており、そして多量の穀物が栽培されている。一七九六年に起った一般的の凶作の際に、イセツク州は収穫が乏しいにもかかわらず、すべての近隣諸州を飢饉の恐怖から免れしめた上に、ウラルの鋳物業者や鍛冶屋に通常通り供給することが出来た2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。またイェニセイ河流域のクラスノヤルスク地方においては、住民が怠惰で飲酒好きであるにもかかわらず、穀物は非常に豊富であり、ために一般的の凶作は今まで知られていない3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。パラスは、二百年とは古くない昔のシベリアが、全然未知の荒野であり、そして人口の点では北アメリカのほとんど沙漠のようなところにも遥かに劣っていたことを考えるならば、この地方の現状と、ロシア人が数では現住民より遥かに多くいることとに、吾々は当然驚嘆する、と云つているが4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]、まことにその通りである。
 1) Tooke's View of the Russian Empire, vol. ii. p. 242. かかる外国人招致の主たる結果は、おそらく、奴隷に代えての自由民、ロシア人の怠惰に代えてのドイツ人の勤労の、導入であろう。しかし機械の形での資本の導入は非常に大きな点であり、そして製造品の低廉に引かれて耕作者はまもなくそれに対する嗜好を得ることであろう。
 2) Voy. de Pallas, tom. iii. p. 10.
 3) Id. tom. iv. p. 3.
 4) Id. p. 6.
 パラスがシベリアにいたとき、これらの肥沃な地方、特にクラスノヤルスクの附近では、食糧品は法外に安かった。一プウドすなわち四十ポンドの小麦粉は約二ペニー半で売られ、一頭の牡牛は五、六シリング、また牝牛は三、四シリングで売られた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。土壌の生産物に対し販路が無いのによるこの異常な低廉が、おそらく勤労に対する主な妨げであった。その後数年の間に物価はかなり騰貴した2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。従って吾々は、所期の目的は著しく達せられ、そして人口が急速に増加している、と結論することが出来よう。
 1) Voy. de Pallas, tom. iv. p. 3.
 2) Tooke's View of the Russian Empire, vol. iii. p. 239.
 しかしながらパラスは、シベリア植民に関する女帝の意図は必ずしも常にその臣下によって十分履行されたわけではなく、そしてこのことを委ねられた資産家は、しばしば年齢、疾病、及び勤勉性の不足という点で、あらゆる点から見てこの目的に合致しない移住民を送った、と喞っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。パラスによれば、ヴォルガ河附近の地方のドイツ移民ですら、この最後の点では欠けているというが2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、これはたしかに最も本質的な点である。実に、勤労の習慣の輸入は、一国の人口にとり、単に数の上から考えた、男女の輸入よりも、限りなく重大なことであると云つて、間違いない。全人民の習慣を一挙に変え、そして思うがままに勤労を指導することが出来たならば、いかなる政府も外国移民を奨励するようなことをしなくとも済むであろう。しかし久しきに亙る習慣を変えるということは、すべての企ての中で最も困難なものである。シベリアの農民が英蘭イングランドの労働者のもつような勤労心と活動性とをもつようになるには、最も好郡合なる事情の下においても、多年の日時が経過しなければならない。そしてロシア政府はシベリアの牧畜民を農業に転向させるために不断の努力を払って来ているけれども、しかも多数のものは、彼らをその有害な懶惰らんだから脱却せしめ得るあらゆる企図に対して、頑固な反抗を続けているのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Voy. de Pallas, tom. v. p. 5.
 2) Id. p. 253.
 3) Tooke's Russian Empire, vol. iii. p. 313.
 右の外多数の原因が、ロシア植民地の人口が生殖力の許す限り急速に増大することを妨げている。シベリアの低地地方の一部は、沼沢が多いので不健康であり1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、そして損害の大きい大流行病が頻々と家畜を襲っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。ヴォルガ河附近の地方では、土壌は自然的には富んでいるけれども、しかし旱魃が頻々と起るので、三度に一度以上の豊作は滅多にない3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。サラトフの入植者は、入植後数年にして、二つの原因によって他の地方に移住せざる得なくなり、そして百万ルウブル以上に及ぶ彼らの家屋建築費の全額が、女帝から送附された4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。安全の目的のためかまたは便宜の目的のために、各植民地の家屋は密集して、またはほぼ密集して建てられ、各所の農場に散在することはない。その結果として村のすぐ近くではまもなく土地が足りなくなり、しかも遠方の土地は依然不完全にしか耕作されていない、ということになる。この事実をコッチェスナイアの植民地で見て、パラスは、女帝によってある部分を他の地方に移し、もって残存者をもっと楽に暮せるようにしたら好かろう、という提案をした5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。この提案は、自発的なこの種の分割は余り行われず、そして入植者の子供達に常に必ずしも、自ら容易に定住し新しい家族を養えるわけではないことを、証明するものの如くである。サレプタのモラヴィア教団の繁栄した植民地では、若者はその牧師の同意なくしては結婚することが出来ず、そしてその同意は一般に年をとらなければ与えられない、と云われている6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]。従ってかかる新しい植民地においてすら、人口の増加に対する障害の中には、予防的妨げが入っていることがわかるであろう。人口は、アメリカにおける如くに、普通労働の真実価格が極めて高い場合の外は、決して急速に増加し得ないものである。そしてロシア領のこの地方の社会の状態により、またその結果たる、勤労の生産物に対する適当な販路の欠乏により、新しい植民地に通常随伴しそしてその急速な増大にとり不可欠である所の、右の如き結果は、大なる程度には現われないのである7)[#「7)」は縦中横、行右小書き]
 1) Voy. de Pallas, tom. iii. p. 16. 蕃殖力が決して十分に発揮されていない国においては、不健康な季節と伝染病とは平均人口に対してはほとんど影響を及ぼさないけれども、この点において境遇の異る新植民地においては、これらは著しくその増進を阻害する。この点は十分には理解されていない。停止的であるかまたは極めて徐々として増加しつつある国において、人口に対する上述せるすべての直接的妨げが引続き働き続けるならぱ、いかに食物が豊富でも人口を著しく増加し得ないであろう。しかし食物の豊富が生ずる間違いのない作用は、従前行われていた直接的妨げを減少せしめるということである。しかしながら、習慣を変更するの困難からか、または土壌か気候かの何らかの不利な事情かにより、依然残存するものは、引続き蕃殖力がその全幅の作用を発揮するのを阻止するであろう。
 2) Id. p. 17, tom. v. p. 411.
 3) Id. tom. v. p. 252 et seq.
 4) Tooke's Russian Empire, vol. ii. p. 245.
 5) Voy. de Pallas, tom. v. p. 253.
 6) Id. p. 175.
 7) パラスの言及していない他の原因がシベリアの人口を抑制するに共働したかもしれない。一般的に云えば、私がこれまでに言及したかまたは今後述べるべき人口に対するすべての直接的妨げに関しては、次の如く云わけければならぬ。すなわち、その各々が作用する範囲と、それが全蕃殖力を害する比例とを、確かめることは、明かに不可能であるから、人口の現実の状態に関する正確な推論はこれらからア・プリオリに引き出すことは出来ない。異る二国民に行われている妨げが種類から云えば全く同一に見えても、それが程度において異るならば、その各々における増加率はもちろん全然異るであろう。従って吾々としては、物理的研究におけると同様の手順をとり、すなわちまず事実を観察し、次いで蒐集し得る最良の根拠に照してこれを説明する外はないのである。
[#改丁]

    第十章 トルコ領及びペルシアにおける人口に対する妨げについて

 トルコ領中のアジア方面において、人口に対する妨げ、及びその現在の減衰の原因を、族行家の記述から知ることは、困難ではなかろう。そしてトルコ人の生活様式は、ヨオロッパに住もうとアジアに住もうと、ほとんど違いはないのであるから、両者を別々に考察する必要はなかろう。
 トルコにおける人口が、領土の面積に比較して低位にある根本的原因は、疑いもなく、政府の性質にある。その専制、その弱体、その悪法とこれが悪運用は、その結果たる財産の不安固と相俟って、農業の途上に大きな障害を与えるので、その結果として生活資料は必然的に年々減少し、それと共にもちろん人口も年々減少しつつある。ミリすなわちサルタンに支払う一般地租は、それ自身としては穏当なものである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかしトルコ政府に伝統約な悪弊により、パシャとその配下は、ミリを破滅的租税たらしめる手段を発見しているのである。彼らはサルタンが設定した課税を根本的には改変することは出来ないけれども、幾多の変用を試み、これはその名こそなけれ事実増税たるの一切の結果を有つのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。ヴォルネエによれば、シリアにおいては、彼らは土地の大部分を自由にし得るので、その貸与には苛酷な条件をつけ、そして収穫高の二分の一、または時には三分の二を請求する。収穫が終ると、彼らは損失があるとこじつけ、そして自ら権力を握っているので、自己が適当と思うだけを奪い去る。不作の場合にも彼らはなお同一額を請求し、そして貧しい農民が所有しているあらゆる物を売却するを余儀なからしめる。これら不断の圧迫に加うるに更に無数の不時の搾取がある。時には全村が事実上のまたは想像上の罪過の故をもって貢納を課せられる。知事の交迭ごとに一方的にきめた贈物を取立てられ、牧草や大麦や麦稈むぎわらは知事の馬のために要求され、そして命令を執行する兵士が飢餓に瀕せる農民を犠牲として生活し得るよう手数料は倍加されるが、この兵士は彼ら農民を最も残虐な横暴と不正とをもって遇するのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Voy. de Volney, tom. ii. c. xxxvii. p. 373. 8vo. 1787.
 2) Id. p. 373.
 3) Id. p. 374.
 かかる掠奪の結果として、貧民階級の住民は破滅し、そしてもはやミリを支払うことが出来なくなって、村の厄介者となるか、または都会に逃げて行く。しかしミリは変更が出来ないものであり、賦課額はどこからか見附け出して来なければならない。かくしてその故郷を追われたものの負担額は残留住民の負担となり、その負担は、最初は軽かったであろうが今は堪えられぬものとなる。もし彼らが二年の旱魃と飢饉に襲われるならば、全村は破滅して委棄され、そしてその村が支払うべき租税は近隣地方に賦課されることとなる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. p. 375.
 クリスト教徒に対する租税についても同じやり方が行われ、すなわちこの租税は同様にして、最初に定められた三、五、及び十一ピアストルから、三十五、及び四十ピアストルに引上げられ、そのためにこれを課せられた者は極貧に陥り、ついにこの国を立去らざるを得なくなるのである。かかる請求は最近四十年間に急速に増大し、その時以来、農業の衰頽、人口の減少、及ひコンスタンチノウプル正金送附量の減少が起っている、と云われている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. p. 376.
 農民の食物は、ほとんどあらゆる所において、大麦製の小形煎餅すなわちドウラと葱と扁豆ひらまめと水だけになってしまっている。穀物を一粒も失うまいとして、彼らはあらゆる種類の野生の穀粒を穀物の中に入れたままにしておくので、これはしばしば悪い結果を生ずる。凶作の際には、彼らはレバノンやナブロウスの山中で、樫の実を集め、これを煮たり灰の中で焼いたりして食べている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. p. 377.
 かかる窮乏の当然の結果として、耕作技術は最も哀れな状態にある。農夫はほとんど農具をもたず、そしてもっていても極めて貧弱なものである。その鍬はしばしばまた木の下から切取った樹枝に過ぎず、しかも輪車もなしに使っている。土地は驢馬と牝牛とで、また稀れには牡牛で、耕耘されるが、これは贅沢すぎる場合である。パレスチナの如くアラビア人の襲撃に曝されている地方では、農民は銃を手にして播種しなければならず、そして穀物は黄色に熟さないうちに刈取られて、地下の穴倉に隠匿される。種穀としては出来るだけ少量しか用いないが、それは、農民は自分の生存に必要なもの以上にはほとんど播種しないからである。彼らの全勤労は、その直接の欲望充足に限られる。そして少量のパンと少量の葱と一枚の青シャツと僅少の羊毛を得るには、多くの労働を必要としないのである。『従って農民は困窮の生活をしている。しかし農民は少くともその暴君を富ましめず、そして専制主義の貪婪どんらんは自らを罰するのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. p. 379.
 以上はヴォルネエがシリアにおける農民の状態について記した描写であるが、これはこれらの地方を旅行したすべての旅行者により確証されているようである。そしてイートンによれば、これはトルコ領の大部分の農民の境遇を極めてよく表わしているものである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。一般にあらゆる名称の官職は公売に附され、またあらゆる地位の処分を決定する宮廷内の謀議においては、万事は賄賂で決定される。その結果として、諸州に送られるパシャは極度にその請求の権力を発揮する。しかしパシャは常にその直属部下に出し抜かれ、その部下はまたその配下に誅求ちゅうきゅうの余地を残すのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Eton's Turkish Emp. c. viii. 2nd ed. 1799.
 2) Id. c. ii. p. 55.
 パシャは、貢納を支払い、また彼れの地位の買収費を償い、その威厳を保ち、そして事故の場合に備えるために、貨幣を徴集しなければならない。そして文武双方の一切の権力は、サルタンの代表者たることにより彼れの一身に集中しており、そして手段は思うままになるのであるから、最も早いのが最上策と常に考えられている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。明日のことはわからぬのだから、彼は自分の州を単なる一時的所有物として取扱い、多年の収穫を出来れば一日で刈り取ろうとし、その後任者のことや、また彼が永久的収入に及ぼすべき損害などは、少しも顧慮するところがないのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Voy. de Volney, tom. ii. c. xxxiii. p. 347.
 2) Id. p. 350.
 耕作者は必然的に都市の住民よりもかかる請求により多く曝されている。耕作者はその職業の性質上一定地点に定住しており、また農業生産物は容易には隠匿され得ない。その上、借地権及び相続権は不確実である。父が死ぬと、遺産はサルタンに戻り、そして子供は多額の金を出さなければ相続権を買い戻すことが出来ない。かかる考慮から当然に土地財産に対し冷淡の風が生ずる。地方は荒廃し、各人は都市に逃亡しようと望むが、都会では彼は啻に一般により善い待遇を受けるのみならず、貪婪な支酎者の眼からより容易に隠匿し得る富を獲得する望があるのである。
 1) Voy. de Volney, tom. ii. c. xxxvi. p. 369.
 農業の破滅を全たからしめるものとして最高価格が多くの場合に定められており、そして農民は都市にその穀物を一定の価格で供出させられている。すべての大都市で穀価を低くしておくことは、トルコの政策の公理となっているが、これは政府の弱体と、大衆暴動蜂起の恐怖とから発するものである。凶作の場合には、少しでも穀物を所有しているものは一定の価格でそれを売ることを強制され、従わぬものは死刑に処せられる。そして近隣に穀物がない場合には、他地方から徴発される1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。コンスタンチノウプルが食糧不足になれば、これに供給するためにおそらく十州が飢えさせられるのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。ダマスカスにおいては、一七八四年の凶作のとき、人民は一ポンドのパンに対しわずか一片四分の一を支払っただけであるが、他方村落の農民は絶対的に餓死しつつあったのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. tom. ii. c. xxxviii. p. 38.
 2) Id. xxxiii. p. 345.
 3) Id. c. xxxviii. p. 381.
 かかる政治制度が農業に及ぼす影響は多言を要しない。生活資料の減少の原因は明白すぎるほど明白である。そしてかかる減少しつつある資源の水準に人口を抑圧している妨げは、これとほとんど同等に確実に辿り知ることが出来るのであり、すなわちそれは知られている限りのほとんどすべての罪悪及び窮乏を含むものなることが分るであろう。
 クリスト教徒の家族は、一夫多妻が行われているマホメット教徒の家族よりも子供の数が多い、と一般に云われている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。これは驚くべき事実である。けだし一夫多妻は女子の不平等な分配を生ぜしめるので、全国の人口にとっては当然不利であるけれども、多数の妻を養い得る個人は、事の性質上当然に、一人の妻しかもたぬ者よりも、多数の子供をもつはずである。ヴォルネエはこれを主として、一夫多妻の慣行と非常な早婚によりトルコ人は若年で老衰し三十歳で生殖不能なのはごく普通だということで、説明している2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。イートンは不自然な罪悪が少なからず平民の間で行われていると述べ、そしてこれをもって人口に対する妨げの一つと考えている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。しかし彼が列挙している人口減少の五大原因は次の如くである。
一、この帝国が今まで完全に免れたことのない疫病ペスト
二、少なくともアジアにおいては、疫病ペストにほとんど常に伴生する恐るべき数の疾病。
三、アジアにおける伝染病及び風土病、これは疫病ペストそのものと同様の恐るべき暴威をたくましくし、そしてしばしば帝国のこの地方を襲うものである。
四、飢饉。
五、最後に、常に飢饉に伴生し、しかもこれよりも大きな死亡を生ずるところの、数々の疾病4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]
 1) Eton's Turkish Emp. c. vii. p. 275.
 2) Voy. de Volney, tom. ii. c. xl. p. 445.
 3) Eton's Turkish Emp. c. vii. p. 275.
 4) Id. p. 264.
  彼は、その後に、帝国各地方における疫病ペストの暴威をもっと詳しく述べ、そして結論を下して、もしマホメット教徒の数が減少したとすれば、かかる結果を生ずるには、この原因一つだけで十分なのであり1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、そして事態が現状のままに進むとすれば、トルコの人口は一世紀経てば絶滅してしまうであろう、と云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかし、この推論と、それに関する計算とは、疑いもなく誤っている。死亡率の高い期間と期間との中間期における人口増加は、おそらく彼が気がついているよりも大であろう。同時にまた、農民の勤労がその必要な欲望の充足だけに限られており、農民は単に餓死を免れるためにのみ播種し、そして何らの剰余生産物をも蓄積し得ないような国においては、人民の大きな喪失は容易には恢復されるものではなく、けだし人口の減少より生ずる自然的結果は、勤労が栄え財産が安固な国におけると同じ程度には、感ぜられ得るものではないから、ということも、述べておかなければならぬ。
 1) Eton's Turkish Emp. c. vii. p. 291.
 2) Id. p. 280.
 ペルシアの立法者ゾロアスタアによれば、樹木を植え、畑を耕し、子供を産むのは、むべき行為である。しかし旅行家の記述からすれば、下層階級の者の多くは、この後に挙げた種類の名誉は容易には得られそうもないようである。そしてこの場合は、他の無数の場合と同様に、個人の私的利害が立法者の誤謬を是正する。サア・ジォン・チャアディンは、ペルシアにおいては結婚は非常に金がかかり、従って財産家のほかは破産をおそれて、結婚をあえてしない、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ロシアの旅行者もこの記述を確証するかの如くであり、すなわち、下層楷級のものは結婚をおそくまで延期せざるを得ず、また早婚が行われるのは富者の間だけである、と云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Sir John Chardin's Travels, Harris's Collect. b. iii. c. ii. p. 870.
 2) D※(アキュートアクセント付きE小文字)couv. Russ. tom. ii. p. 293.
 ペルシアが数百年もの間不断に悩まされている恐るべき動乱は、この国の農業に対し致命的であったに違いない。外戦と内乱から免れた期間は短くその数は少なかった。そして申し分のない平和な時期においてすら、辺境諸州は絶えず韃靼人の蹂躪に身を委ねていたのである。
 かかる事態の結果は予期し得る通りである。ペルシアにおける未耕地の耕地に対する比例は十対一であるとサア・ジォン・チャアディンは云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ペルシア王の官吏及び私的所有者がその土地を農民に貸出す仕方は、最もよく勤労を鼓舞するが如きものではない。ペルシアの穀作はまた、降雹、旱魃、及び蝗その他の虫害によって駄目になることが非常に多いが、このことはおそらく、むしろ土壌の耕作に資本を用いることを妨げる傾向があるであろう。
 1) Chardin's Travels, Harris's Collect. b. iii. c. ii. p. 902.
 2) Id.
 疫病ペストはペルシアには及んでいない。しかしロシアの旅行者の云うところによれば、天然痘が著しく蔓延しているという1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) D※(アキュートアクセント付きE小文字)couv. Russ. tom. ii. p. 377.
 ペルシアにおける人口に対する妨げについてこれ以上詳しく述べる必要はなかろう。けだしそれはいまトルコ領のところで述べたものとほとんど等しいように思われるからである。トルコにおける疫病ペストの優勢な破壊力と対照するものは、おそらく、ペルシアにおいては内乱がより頻々と起るということであろう。
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    第十一章 印度及び西蔵における人口に対する妨げについて

 サア・ウィリアム・ジォウンズが飜訳し『ヒンズウ法典』と名づけた印度の立法者マヌウの法典では、結婚は非常に奨励されており、そして男系相続人は第一の重要性を有つものとされている。
『息子によって人は万人に勝を占める。息子の息子によって人は不死を享受する。そして後、かの孫の息子によって人は天に達する。』
『息子はその父をプトと名づける地獄から救い出す故に、梵天自身によりプトラと呼ばれた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Sir William Jones's Works, vol. iii. c. ix. p. 354. レイナル僧正はインドの法律を論じて曰く、『人口増加は原始的義務であり、結婚を便ならしめるためには欺瞞し虚言し偽誓することさえ法が認めるほど神聖なる自然の秩序である。』Hist. des Indes, tom. i. l. i. p. 81. 8vo. 10 vols. Paris, 1795.
 種々異る婚礼につき、マヌウはその各々に特定の品等を与えている。
『ブラアミイすなわち第一位の婚礼による妻の息子は、徳行をなせば、十人の祖先、十人の子孫、及び二十一人目たる自己を、罪障から贖う。』
『ダイバの婚礼による妻から生れた息子は、尊族卑族各七人を贖い、アルシャの婚礼による妻の息子は各三人を、プラアジャアパチャの婚礼による妻の息子は、各六人を、贖う1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Sir Wm. Jones's Works, vol. iii. c. iii. p. 124.
 家政者は最優位にあるものとされている。『聖者、霊魂、神々、妖精、及び賓客は、家長のために福祉を祈る1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』弟よりも以前に結婚しなかった兄は、特に忌むべき人間として述べられている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. p. 130.
 2) Id. p. 141.
 かかる法令は当然に、結婚を宗教的義務として考えせしめるであろう。しかもかくも熱望されている目的物たるものは、多数の子孫たるよりはむしろ男系相続者の継続であるように思われる。
『一人の息子を産んだ父は自身の祖先に対する負債を弁済する。』
『その出生により父が負債を弁済し、またそれを通して父が不死を得る息子のみが、義務の観念より生れたるものである。残余の一切は、賢人によって、快楽の愛好より生れたるものと看なされる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. vol. iii. c. ix. p. 340.
 寡婦は、ある場合には、死んだ夫の兄弟またはある指定された親族によって、一人の息子を産むことは許されるが、しかしいかなることがあっても二番目は許されない。『指定の第一の目的が法に基づいて達せられれば、この兄と妹は父と娘の如くに睦じく共棲しなけれぱならぬ1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. p. 343.
 マヌウの法典のほとんどあらゆるところで、あらゆる種類の肉欲満足は力強く排斥されており、そして貞節は宗教的義務としておしえられている。
『人は肉欲的快楽に愛着すれば罪過を招き、これを全く克服すれば天の悦楽を得る。』
『いかなる人がこれら一切の満足を獲得するにせよ、またいかなる人がそれを全く抛棄するにせよ、一切の快楽の抛棄はその獲得よりも遥かに善い1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. vol. iii. c. ii. p. 96.
 かかる章句はある程度、前述せる増加に対する奨励を打消す傾きがあり、そして若干の宗教心の厚い人をして、一人の息子をもてばそれ以上に耽溺を控えさせ、またはかかる法令のない場合よりも喜んで未婚の状態に止まらしめるものと、考えてよい。厳格な絶対的な貞節は、実際、子孫を持つという義務に打克つように思われる。
『無数の婆羅門は、幼時から肉欲を避け、その家族に一人の子供も残さなかったが、しかも彼らは天国へ昇った。』
『しかしてかかる禁欲男子と同様に、有徳の妻は、子供がなくとも、主人の死後敬虔な厳粛に身を捧けるときは、天国に昇る1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. c. v. p. 221.
 兄弟または他の親族が死んだ夫のために相続人を設けることが許されると前に述べたが、これはただ奴隷階級の女子にだけ行われることである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。上流階級の女子は、他の男の名を口にすることさえ出来ぬばかりでなく、『死があらゆる罪障をゆるすまで、辛い義務を履行し、あらゆる肉欲的快楽を避け、かつ悦んで比類なき道徳律を実践しなければならぬ2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. c. ix. p. 343.
 2) Id. c. v. p. 221.
 情欲の統御に関するかかる厳格な教義の外に、なお他の事情が、おそらく、結婚を奨励する律令が十分にその効果を挙げることを、妨げているのであろう。
 人民は階級に分たれており、同山家族は同一職業を世襲するので、この事情は各個人に、生計に関する将来の見通しを明白に指示することとなり、そして父の収益から見て、同じ職業で家族を養っていけるか否かを容易に判断し得ることであろう。そして彼れの階級に適する職業で生活が出来ない時には、ある制限の下で、他の職業に生活を求めることは許されているが、しかしこの便法に頼る時にはある種の恥辱が伴うように思われる。そして、かくの如くにその階級から脱落し、このようにはっきりとその生活条件を低下しなければならぬことが確実にわかっていながら、なおかつ多数のものが結婚するとは、考えられぬことである。
 これに加うるに、妻の選択は非常に困難な点であるように思われる。男子はかなりの間未婚でいなければ、立法者が規定しているような伴侶がなかなか見附からぬであろう。ある種類の家族は、それがいかに豪家であっても、またいかに牝牛や、山羊や、羊や、金や、穀物に富んでいようとも、努めてこれを避けなければならぬ。髪が少なすぎるかまたは多すぎる娘、おしゃべりのすぎる娘は、いずれも排斥される。そして選択が必然的に、『その姿体に欠点がなく、良い名前をもち、フェニコプテロスまたは若仔象のように優雅に歩み、髪や歯は量から云っても形から云っても適度であり、体躯は何とも云えず柔軟な1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]』娘に落附かなけれぱならぬというのであってみれば、この選択はある程度の制限を受けることがわかるであろう。
 1) Id. vol. iii. c. iii. p. 120.
 適当な配偶者を見出すに最大の困難がある時ですら、奴隷階級の女子が婆羅門またはチャトリアの妻として挙げられたことは、どんな昔の物語にも載っていないと記されているが、これはかかる困難が時々起ることを意味するように思われる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. p. 121.[#「.」は底本では欠落]
 印度人の習慣から生ずるもう一つの結婚の障害は、結婚しない兄は、云わば彼れの他の弟達全部を同一の状態に閉じ込めるらしいということこれである。けだし兄よりも先に結婚する弟は、恥辱を招き、そして忌むべき者の中に入れられるからである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. p. 141.
 立法者が印度の女子の行状と性行につき画いている性質は、はなはだ好ましからぬものである。彼はあまねく峻烈に表現しているが、その中で曰く、『男子に対するその情欲、その移り気、その固き愛情の欠乏、及びその片意地な天性により、女子はいかに現世においてよく保護されても、まもなくその夫から疎んぜられる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. c. ix. p. 337.
 この性質がもし本当であるとすれば、それはおそらく彼女らが決して最少の自由すら許されていないこと1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、及び一夫多妻制の実行によりその境遇が堕落したのによって、生じたものであろう。しかしそれはともかくとして、かかる章句は、法律が姦通を禁じているにもかかわらず、両性間の不義が頻々と行われていることを、有力に示す傾向をもつものである。これらの法律は、おおやけの舞踊手や歌手の妻、またはその妻の姦淫によって生活するが如き下等な男の妻に関するものではない、と記されているが、これは2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、かかる性行がめずらしいことではなく、またある程度まで認められていることの、証拠である。これに加うるに、富者の間における一夫多妻の実行は3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、時に下層階級のものが妻を得ることを困難ならしめ、そしてこの困難はおそらく、奴隷状態に陥れる人々の上に特に辛く落ちかかることであろう。
 1) Id. c. v. p. 219.
 2) Id. c. viii. p. 325.
 3) Id. c. ix. p. 346, 347.
 以上一切の事情を一緒にしてみると、印度における人口に対する妨げの中にはおそらく予防的妨げが参加していることであろう。しかし人民の間に広く行われている習慣や思想から見ると、早婚の傾向はなお常に優勢であり、そして一般に一家を養い得る望みが少しでもあるすべての者に結婚を促していると信ずべき理由がある。このことの当然の結果として、下層階級の人民は極貧に陥り、最も質素稀少な生活法を採用するを余儀なくされたのである。この質素という風習は、それが顕著な徳と見做されることによって、更にますます増大し、そしてある程度上流階級にまで拡がった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。人口はかくして緊密に生活資料の限界に圧迫され、そして国の食物は人民の大多数に、生命を維持し得る最少限度に割り当てられることになったのであろう。かかる事態においては、季節の不順による不作があるごとに、それは最も苛酷な被害を及ぼすこととなろう。そして印度は、当然予想される如くに、あらゆる時代に、最も恐るべき飢饉を経験して来ているのである。
 1) Id. c. iii. p. 133.
 マヌウの法典の一部分は、明かに、因窮時の考慮に当てられており、そして種々の階級に対しかかる時期に採るべき行為につき指示が与えられている。飢饉と欠乏とに悩む婆羅門のことはしばしば述べられてあり1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、また不浄不法の行為をしたけれど、しかし立法者がそれは窮迫にせまられたのであるから恕すべきものと看做したところの、ある昔の高徳な人格者のことが述べてある。
 1) Id. c. iv. p. 165 ; c. x. p. 397.
『アジイガルタは餓死に瀕して、その息子を数頭の牛を得るために売り、もって息子を滅ぼそうとした。しかし彼はいかなる罪過にも当らない。けだし彼は単に飢饉から免れようとしたに過ぎないからである。』
『善悪をよくわきまえたヴァーマデエヴァは、飢餓に迫られたとき、犬の肉を食べたいと思ったけれども、しかし決して不浄とはされなかった。』
『徳と罪との差別を何人よりもよく知るヴィスワアミトラもまた、餓死しようとしたとき、一人のチョウダアラから受取った犬の腰肉を食う決心をした1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. c. x. p. 397, 398.
 もしすべての人が援助すべき義務を負うかかる最高階級の大人物高徳者ですらかかる窮迫に陥ることがあるのであるならば、吾々は容易に、最下層階級の苦難がいかなるものであるかを推察することが出来るのである。
 かかる章句は、これらの法典の起草された初期の時代に、最も過酷な困窮の季節が存在したことを、明かに証明するものである。そして吾々は、それがその時以来不規則に時々起ったと考えるべき理由をもっている。ジェスイット僧の一人は、彼が一七三七年及び一七三八年の二ヵ年の飢饉の間に目撃した惨状は、筆紙に尽し難いと云っているが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、しかし、彼がこの飢饉とそれがもたらした死亡率とについて述べているところは、それだけで十分人を戦慄せしめるものである。もう一人のジェスイット僧はもっと一般的に次の如く云う、『毎年吾々は一千名の児童に洗礼を施すが、彼らはその両親がもはや養うことが出来ず、または死にそうなのでこれを手離そうとして母親が吾々に売るものである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Lettres Edif. tom. xiv. p. 178.
 2) Id. p. 284.
 人口に対する積極的妨げは、もちろん、主としてスウドラ階級に、及び一切の階級から追放され町の中に住むことさえ許されないいっそう悲惨な人々に、主として落ちかかるであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Sir Wm. Jones's Works, vol. iii. c. x. p. 390.
 この人口部分に対しては、赤貧及び栄養不足の結果たる伝染病と、幼児の死亡とは、必然的に大きな暴威を振うであろう。そして無数のかかる不幸なる人々は、不作の時にはおそらく、社会の中流階級が著しい欠乏に少しも襲われぬうちに、一掃されるであろう。レイナル僧正は(何の典拠によってかは知らないが)、米が不作の時には、これらの貧乏な追放者の小屋に放火し、そして逃亡する住人は、生産物を少しも消費しないように、土地の所有者によつて射殺される、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Hist. des Indes, tom. i. liv. i. p. 97. 8vo. 10 vols. Paris, 1795.
 社会の中流及び上流階級のものすら、家族を養うことが困難であるために、またはその階級から下落することを恐れて、印度のある地方の人民は、多数の子供が生れないようにするために、極めて惨酷な手段をとるに至っている。ベナレス州の一地方ジュナポオルの辺境のある種族に、女児を殺す習慣のあることは、十分に証明されている。母親は彼らを餓死させるのを余儀なくされた。人々はかかる惨酷な習慣の理由として、その娘に適当な配偶者を得るには、非常な費用がかかることを挙げていた。これにはただ一つの例外の村があったが、そこには数人の老嬢がいた。
 かかる原則によれば当然に種族は永続し得ないということになるであろう。しかしこの一般原則に対する特殊の例外と他の種族との通婚が、種族維持の目的には十分であった。東印度会社はこれらの人民に、この非人道的な慣行を継続しないという約束を無理にさせたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Asiatic Researches, vol. iv. p. 354.
 マラバアル海岸地方では、ネイル族は正則の婚姻を行わず、そして相続権は兄弟の母に属するか、または姉妹の息子に属するが、それは子供の父は常に不確実ということになっているからである。
 婆羅門の間では、一人以上の兄弟がある揚合には、そのうち長兄のみが結婚する。かくして独身生活を送る弟達は、ネイル族風の結婚をせずに、ネイル族の女子と同棲する。長兄に息子がいない場合に、はじめて次兄が結婚する。
 ネイル族の間では、一人のネイル女子が二人または四人またはおそらくそれ以上の男性と契るのが習慣である。
 大工、鍛冶屋、その他の如き下層階級は、その上層者を模倣しているが、違うところは、血統に間隙が生ずるのを防ぐ目的で一人の女子に対する共同関係を兄弟及び血縁男子に限っている点である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. vol. v. p. 14.
 モンテスキウは、マラバアル海岸地方の、ネイル族のこの習慣に注目し、そしてこれを、この階級の者が兵士としてより自由にその職務の要求に応じ得るよう、その家族的紐帯を弱めんがために採用されたという過程に基いて、説明している。しかし私としては、特にこの習慣は他の階級もこれを採用しているのであるから、大家族から生ずる貧困の恐怖から発生したと考えるのが、より妥当であると考えたい1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Esprit des Loix, liv. xvi. c. 5.
 西蔵に関するタアナアの記述によれば、この国ではこの種の習慣が一段に広く行かれている。タアナア氏は、これが起原の問題に絶対的な結論を与えようとはせずに、それは、瘠せた国にとり人口が過大になることを恐れて生じたものであるという、仮説をとっている。東方を広汎に旅行したのであるから、彼はおそらく、過剰人口より必然的に生ずる結果を観察するようになり、その結果としてこれらの結果を正しく看取する極めて少数の著者の一人となっているのである。彼はこの問題につき極めてはっきりと自見を述べているが、右の習慣に関して曰く、『瘠せた国における過剰の人口は一切の災難の中で最大のものでなけれぱならず、そして永久の闘争または永久の欠乏を生むことは確実である。社会の中で最も活動的な最も有能な部分が、移住して、運命の戦士または好運の商人となるか、しからざれば彼らが故国に留る場合には、彼らはその乏しい収穫にある不時の不作が起った結果として飢饉の餌食となるかの、いずれかを余儀なくされなければならぬ。かくの如くに家族全体を一緒に婚姻の絆に結びつけることによって、過度に急速な人口増加はおそらく妨げられ、そして、地球上における最も肥沃な地方にも拡がることが出来、また世界中で最も富んだ、最も生産的な、そして最も人口稠密な国にさえ最も非人道な最も不自然な慣行を発生せしめることの出来る、恐怖が防止されたのである。私はここに支那帝国を暗示するが、ここでは母親は、多人数の家族を養育する見込がないので、生れたばかりの幼児を畠に棄てて殺すのである。これはいかに憎むべき罪悪であるとしても、確かに決して稀れではないのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Turner's Embassy to Tibet, part ii. c. x. p. 351.
 地球上のほとんどあらゆる国において、個人は私的利益の考慮に導かれて、人口の自然増加を抑圧する傾向ある習慣を帯びざるを得ない。しかし西蔵はおそらく、かかる習慣があまねく政府によって奨励され、そして人口を奨励するよりもむしろ抑圧することが公の目的であるように思われる唯一の国であろう。
 ブウティアは、生涯の始めに、独身状態を続けて出世をするようにすすめられる。けだしいかなる婚姻もほとんど確実に、地位の向上または政治的に重要な職への昇進の障害となるからである。人口はかくの如くして、野心と宗教との二つの有力な障害によって妨げられる。そして全く政治的なまたは宗教的な職務に没頭する上流階級のものは、農民や労働者に、畠を耕しまたその勤労によって生きるものに、種族の増殖に専心することを委ねるのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. c. i. p. 172.
 かくて宗教的隠遁は頻々と行われ1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、また僧院や尼僧院の数は非常に大である。最も厳重な法律が、女子がたまたま僧院の内部で、または男子が尼僧院の内部で、一夜を過すのを防ぐために、存在している。そして、凌辱を防ぎ、また両性の聖職に対する尊敬を確立するために、規則が完全に出来ているのである。
 1) Id.
 国民は二つのはっきりと分れた階級に分割されているが、それは現世の仕事を行うものと、天上との交渉を管掌するものとである。いかなる俗人の干渉も、決して、僧侶の定まった職務を妨げることはない。僧侶は、相互の契約によって、一切の霊界の仕事をつかさどり、そして俗人はその労働によって国家を富まし人口を繁殖せしめるのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. c. viii. p. 312.
 しかし、俗人の間ですら、人口増殖の仕事ははなはだ冷淡にしか行われていない。一家族のすべての兄弟は、年齢や数に制限なしに、一人の女子とその運命を結びつけるが、この女子は長兄の選んだものであり、家の主婦と考えられている。そして兄弟の別々の職業の利潤がどれだけであろうと、その結果は共同の財産に流れ込むのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. c. I. p. 348, 350.
 夫の数は明かには定められておらず、また何の制限も設けられていない。時には小家族に男が一人しかいない場合もある。そしてその数は、タアナアの云うところによれば、テシュウ・ルウムブウの身分のある一人の土人が、当時五人の兄弟が一人の女と同一の結婚をして、極めて幸福に共棲していることを指摘したが、この数を越すことは滅多にないであろう。この種の共棲関係は下層階級にのみ限られているものではなく、しばしば最も富める家庭にも見られるところである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. c. x. p. 349.
 かかる習慣は、かくも多数の僧侶の独身生活と相俟って、最も有力に人口に対する予防的妨げとして作用しなければならぬことは明かである。しかし、この過度の妨げにもかかわらず、土壌の自然的不毛に関するタアナア氏の記述から見るに、人口は生前資料の水準にまで圧迫されていることがわかるであろう。そしてこれはテシュウ・ルウムブウにおける乞食の数によって確証されるように思われる。これらの乞食や彼らを養う慈善に関するタアナア氏の記述は、月並なものではあるが、しかも極めて正常かつ重要なものであり、従って何度反復しても過ぎることのないものである。
 彼は曰く、『かくて私は意外にも、私が絶えず平穏な規則的な世の動きを見て来たところに、私が考えてみたこともない貧窮と怠惰の大衆を発見した。しかし、無差別な慈善の存在する場合には常にその恩恵の対象物に事欠くことはなく、与うべき施物以上に多数の希望者を常に寄せ集めるものなることに考え至った時、私はこれに少しも驚かなかった。テシュウ・ルウムブウでは人間は誰も欠乏に悩むことは出来ない。おそらく世界中で最も大きな最も逞ましい体躯をもつムッスルマン族の大衆ですらが、哀れな生活を辛うじて維持するだけのものに頼っているのは、人間のこの性向に基づくものである。そしてこの外になお、私は三百人を下らない印度人、ゴザイン族、及びサンニアス族が、毎日この場所で、ラマの恩恵で養われる、と聞いたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. c. ix. p. 330.
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    第十二章 支那及び日本における人口に対する妨げについて

 支那の人口に関して最近与えられている記述は極めて驚くべきものがあり、ために多くの読者の信念を驚かし、そして彼らをして、言葉を知らぬためにある偶然の誤謬が計算の中に潜入したに違いないか、またはサア・ジョオジ・スタウントンに情報を与えた宦官が、お国自慢に誘われて(これはどこにもあることだが、しかし支那では特に甚だしい)、彼れの国の力と資源とを誇張するに至ったのに違いないと想像せしめるものがある。この二つはいずれも非常に有り得ないことでないことを認めなければならない。同時にまた、サア・ジョオジ・スタウントンが述べていることは、十分信ずるに足る他の記述と、本質的に違ってはおらず、そして少しでも矛盾を含んでいるどころか、この国を訪れたすべての著述者が一致している支那の肥沃度のことを振返ってみるならば、いかにも本当らしいことが、わかるであろう。
 デュアルドによれば、康※(「にすい+熈」、第3水準1-14-55)帝の治世の始めに行われた戸口調では、戸数は一一、〇五二、八七二戸、兵役可能の男子は五九、七八八、三六四であることがわかった。しかも皇族や宮廷の官吏や宦官や兵役済の兵士や進士や挙士や博士や僧侶や二十歳以下の青年や、また海上生活者や河で小舟に生活する多数の者は、この数字の中に含まれていないのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Duhalde's Hist. of China, 2 vols. folio, 1738, vol. i. p. 244.
 一国の兵役適齢男子数が全人口に対する比率は、一般に一対四と見積られている。そこで五九、七八八、三六四に四を乗ずると、結果は二三九、一五三、四五六となる。しかしこの問題に関する一般の計算では、青年は二十歳未満でも兵役に堪えるものと考えられている。従って吾々は、右の数字に四以上の数を乗じなければならぬはずである。この戸口調から除外されたものは、社会のほとんどすべての上層階級、及び極めて多数の下層階級を含むように思われる。これら一切の事情を考慮に入れるときには、デュアルドによれば、全人口はサア・ジョオジ・スタウントンが挙げている三三三、〇〇〇、〇〇〇よりも著しく少いものではないことが、わかるであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Embassy to China, vol. ii. Appen. p. 615. 4to.
 兵役可能の男子の数に比較して戸数の少ないのは、デュアルドのこの記述の顕著な点であるが、これは、サア・ジョオジ・スタウントンが、支那においては一般的であると云っている習慣によって説明される。一個の住宅に属する囲いの中に、三代に亙る家族全部が、各々の妻子全部と共に一緒にいるのがしばしば見られる、と彼は云っている。一つの部屋が各家族の全員用に充てられ、各人は、わずかに天井から垂れた茣蓙ござで区劃された別々の寝床に寝るのである。一つの共通の部屋が食事のために用いられる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。支那では、その外になお莫大な数の奴隷がいるが2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、彼らはもちろんその属する家族の一員と考えらるべきであろう。これら二つの事情は、おそらく、右の記述における一見矛盾と思われる点を、説明するに足るであろう。
 1) Id. Appen. p. 155.
 2) Duhalde's China, vol. i. p. 278.
 この人口を説明するためには、支那の気候は何らか特別に子供の出生に好都合であり、そして女子は世界の他のいずれの地方におけるよりも多産的であるという、モンテスキウの仮説1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]に頼る必要はないであろう。かかる結果を生ずるに主として寄与した原因は次の如くであると思われる。
 1) Esprit des Loix, liv. viii. c. xxi.
 第一に、自然的の土壌の優秀、及び温帯中最も温暖な地方に占めるその有利な位置、すなわち土地の生産物に最も好都合な地勢、がそれである。デュアルドは、支那中に見られる豊饒について長い一章を充てているが、その中で彼は、他の王国が提供し得るほとんど一切のものは支那で見出すことが出来、また支那は他のどこでも見られないものを無数に産出する、と云っている。この豊饒は――と彼は云う――土壌は深く、住民はあくまで勤勉であり、また国土を灌漑する多数の湖水や運河によるものと、され得よう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Duhalde's China, vol. i. p. 314.
 第二に、この国の初まり以来農業に対し与えられている非常に大きな奨励があるが、これは人民の労働を最大多量の人類の生活資料の生産に向けて来ているものである。デュアルドは云う、これら人民をして、土地の耕作にかかる信じ得ざるほどの労苦を払わせるものは、単に彼らの私的利害のみではなく、またむしろ農業に対する彼らの尊敬、及びこの国の初まり以来皇帝自身が常にそれに対し払い来った崇敬の念である、と。最も名声ある皇帝は、農民の地位から帝位に即いた。他の一皇帝は、その時まで水で覆われていた数箇所の低地方から運河によって水を海に吐き出し、そしてこの運河を土壌を肥沃ならしめるために利用する方法を、発見した1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。彼はそのほかになお、土地を施肥し耕耘し灌漑することによって土地を耕作する方法について数冊の書物を書いた。その他多くの皇帝は農法に対する熱意を示し、またそれを促進するために法律を制定した。しかし農業を最も尊重したのは紀元前一七九年に統治した文王である。この王は、自己の国が戦争のために荒廃したのを見て、その宮殿に附属する土地を自ら耕作して手本を示し、その臣下に自己の土地を耕作させることにしたので、宮廷の大臣や大官はこれに倣わざるを得なかった2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. p. 274.
 2) Id. p. 275.
 これが起原となっていると思われている一大祭典が、毎年あらゆる支那の都市で、太陽が宝瓶の十五度に入る日に、厳かに行われるが、支那人はこの日をもって立春としている。皇帝は、自らの手本によって農民を鼓舞せんがために自ら臨御し、荘重に数歩の土地を耕作する。そしてあらゆる都市の宦官は同一の儀式を行う1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。皇族やその他の顕紳は皇帝に倣って鋤をとるのであるが、この儀式の前には春の犠牲が捧げられ、これは皇帝が祭主としてその人民のために豊富な収穫を得んがために上帝に捧げるのである。
 1) Id. p. 275.
 デュアルドの時代に統治した皇帝は、非常に荘厳にこの祭典を行い、また他の点で農民に対する異常な配慮を示した。彼らの労働を奨励するために、彼はすべての都市の総督に命じて、各自の管轄内で農業に従事する者で、農業に熱心で、立派な評判をもち、一家が和合し、隣人と相和し、節倹を旨とし、一切の浪費をしないという点で最もすぐれた者を、毎年皇帝に報告させることとした1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。宦官は各自の州において、勤勉な耕作者を表彰し、また士地を放置する者を譴責したのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. p. 276.
 2) Lettres Edif. tom. xix. p. 132.
 政治の全部が家長的性質をもち、そして皇帝が人民の父及び教化の源泉として尊敬される国においては、農業に払われるこれらの尊敬は有力な効果をもっと考えて差支えない。階級の順位においては、農民は商人または工人の上に置かれている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そして下層階級のものの野心の大目的は、一片の土地を所有するようになることである。支那では、製造業者の数は、農民の数に比較して極めて小である2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そして極小の例外を除いて、この帝国の全表面は、人間の食物の生産のみに当てられている。牧草地は全くなく、また牧揚は極めて少ない。そして、いかなる種類の家畜にしろ、家畜を養うための燕麦えんばくや豆や蕪菁かぶを作っている畑もない。道路にとられる土地はほとんどなく、道路は数が少なく、また狭く、主たる交通は水路によっている。共有地もなければ、また大地主の怠慢や気迷や遊猟のために荒蕪に委ねられている土地もない。耕作し得る土地で休耕地となっているものはない。土壌は、熱い恵みの太陽の下で、大抵二毛作が出来る。これは土壌[#「壌」は底本では「譲」]に改良を加え、また客土、施肥、灌漑、及びあらゆる周到適切な勤労によって土壌の欠陥を補う結果である。富者や権力者の奢侈に奉仕し、または何の実益もない仕事に従事するために、人間の労働が農業からそらされることはほとんどない。支那軍の兵士ですら、短期間の衛兵服務と訓練その他時折の任務の時の外は、大抵農業に従事する。生活資料の分量は、また、他国では通常用いないような動物や植物を食物に充てることによっても、増加されるのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1) Duhalde's China, vol. i. p. 272.
 2) Embassy to China, Staunton, vol. ii. p. 544.
 3) Id. p. 545.
 サア・ジョオジ・スタウントンが与えている以上の記述は、デュアルドや他のジェスイット僧によって確認されているが、彼らはいずれも、土地の施肥、耕耘、灌漑に当っての支那人の倦まざる勤勉と、人間の莫大な生活資料を生産する上での彼らの成功とを、叙説する点で、一致している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。かかる農業制度が人口に及ぼす影響は明白でなければならない。
 1) Duhalde, chapter on Agriculture, vol. i. p. 272 ; chapter on Plenty, p. 314.
 最後に、結婚に対し与えられている著しい奨励があるが、これは、国の莫大な生産物を極めて少額に分割するという結果をもたらし、またその結果として、支那をして、世界中の他のいずれの国よりも、その生活資料に比例して人口稠密な国たらしめているのである。
 支那人は結婚に二つの目的を認めている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。第一は先祖の祭りを絶やさないということであり、第二は種の増殖である。デュアルドは、両親に対する子供の尊敬と服従とはその政治の大原則であるが、これは死後にまでも続くものであり、この義務はあたかも生ける人に対する如くに行われる、と云っている。かかる原理の結果として、父親は、その子供を全部結婚させてしまわないと、一種の不名誉を感じ心安からず思うのである。そして兄は、父から何も相続しなくとも、弟妹を養いこれを結婚させなければならぬのであるが、これは、もって家が廃絶し祖先がその子孫から当然受くべき尊敬と奉仕を受け得なくなるのを、避けんがためである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Lettres Edif. et Curieuses, tom. xxiii. p. 448.
 2) Duhalde's China, vol. i. p. 303.
 サア・ジョオジ・スタウントンは、何事であれ強力に推奨され一般に実行されるものは、遂には一種の宗教的義務として考えられるに至るものであり、従って支那では、将来の家族を養う見込みが少しでもありさえすれば、結婚はかかる宗教的義務として常に行われる、と述べている。しかしながら、この見込みは常に必ずしも実現されず、その場合には、子供はそのあわれな両親に遺棄される1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし両親が子供をかくの如く遺棄することを許されるという事実ですらが、疑いもなく、結婚を容易にし人口増加を奨励する傾向をもつこととなるのである。すなわちこの最後の手段が前もって考慮に入っているから、結婚することはそれほど恐れられていないし、そして親たるの感情が働くので、常に、最もひどい必要に迫られた場合を除き、かかる手段は避けることとなるであろう。その上、子供達特に息子達はその両親を養う義務があるのであるから2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、貧乏人にとっては結婚は慎慮に発する手段なのである。
 1) Embassy to China, vol. ii. p. 157.
 2) Id. p. 157.
 結婚に対するかかる奨励の結果として、富者の間では、財産が分割されることとなるが、これはそれ自身として人口を増殖させる有力な傾向を有っている。支那においては、人々の地位の不平等よりも財産の不平等の方が少い。代々の父親がその息子達に平等に財産を分って遺贈するので、土地所有の分割は極めて適度である。死んだ両親の全財産をただ一人の息子が相続するようなことは、ほとんど全くない。そして早婚が一般に行われているので、この財産が傍系相続により増加するということは余りない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。これらの原因は絶えず富を均等化する傾向をもつ。従って、自分自身それを増加するために少しも努力しなくてもよいほどの富の蓄積を相続するものはほとんどない。支那人の間では、三代以上も同じ家で大きな財産が続くことは滅多にない、とよく云われている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. p. 151.
 2) Id. p. 152.
 結婚の奨励が貧民に対し及ぼす結果は、労働の報酬を能う限り低くしておき、従って彼らを極度の赤貧状態に圧迫抑止するということ、これである。サア・ジョオジ・スタウントンは、労働の価格は一般に、食料品の価格に対し、どこにおいても、普通人が耐え得る最小限度であり、そして、食堂の兵士の如くに大家族をなして一緒に暮すことから利益を得、またかかる食堂が[#「が」は底本では「か」]経営に最大の節約を実行しているにもかかわらず、彼らは植物性食物をとるだけで、何らかの動物性食物は極めて稀れでありかつ少量である、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. p. 156.
 デュアルドは、支那人の悲痛な勤勉と、彼らが生活資料獲得のために頼るところの、他国には知られぬ諸々の工風考案を記述した後、曰く、『しかし、支那住民の非常な真摯と勤勉とにもかかわらず、彼らの中の莫大の数の者がひどく窮乏に苦しんでいることを、告白しなければならぬ。彼らの中のある者は、貧しくてその子供に普通の必要品を与えることが出来ないので、これを街頭に遺棄する。』………『北京や広東の如き大都市においては、この恐るべき光景は日常のことである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Duhalde's China, vol. i. p. 277.
 ジェスイット僧プレマアルは同教団の一友に書簡を送って曰く、『私はあなたに、逆説的に見えるかもしれないが、絶対に真実な、一つの事実を告げよう。それは、世界中で最も富み最も繁栄せるこの帝国は、ある意味においては、あらゆる国々の中で最も貧しい最も惨めな国である、ということこれである。この国は、いかに面積が大で肥沃であるにしろ、その住民を養うに足りない。彼らを安楽にするには、四倍の領土が必要であろう。広東だけでも、誇張なしに、百万以上の人間が居り、また三、四リイグをへだてた一都市にはこれ以上の人間がいる。しからば誰がこの省の住民を数え得ようか。しかし、そのいずれもが同じくらいの人口を有つ十五大省を包含する全帝国に比すれば、これくらいが何であろうか。かかる計算はそもそも幾何に達するであろうか。しかもこの限りない人口の三分の一は、適当に生きて行けるだけの米をほとんど見出し得ないであろう。
『極度の窮乏が人民を駆って最も恐るべき蛮行に走らせることは周知の事実である。支那にあって事物を綿密に検討する観察者にとっては、母親がその子供を殺したり遺棄したりし、両親がわずかの金でその娘を売り、また人々は利己的で、盗賊の数は多いという事実を見ても、驚きはしないであろう。驚くことはむしろ、これ以上更に恐るべきことが起らず、そして、この国では非常に頻々と起る飢饉の時に、数百万の人間が、吾々がヨオロッパ史上で実例を見るような恐るべき蛮行に訴えることなく、餓死して行く、という事実である。
『ヨオロッパにおける如くに、貧民は怠惰なのであって、働きさえすれば生活資料が得られるのだ、とは支那では云い得ない。これらの貧民の労働と努力とは想像に絶する。支那人は、時には膝まで水に入って、土を掘り、そして晩には小匙一杯の米を食い、またそれを煮た不味い水を飲んで、喜んでいる。これが一般に彼らが食う全部である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Lettres Edif. et Curieuses, tom. xvi. p. 394 et seq.
 この記述の大部分はデュアルドの中で繰返されている。そして若干の誇張があるにしても、これは、支那において人口がいかなる程度に無理強いに増加させられているかということと、及びその結果たる困窮の状況とを、はっきりと示している。土壌が肥沃であり農業が奨励されているために当然に生じた人口は、真正にして望ましいものと考え得ようが、しかし結婚の奨励によって附加された全人口は、啻にそれ自身においてそれだけの純然たる窮乏の附加であるばかりでなく、更に他の人が享受し得べかりし幸福を全く奪ったものである。
 支那の面積はフランスの面積の約八倍と見積られている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。フランスの人口がわずかに二千六百万としても、その八倍は二〇八、〇〇〇、〇〇〇となろう。そして上述の人口増加の三大原因を考慮すれば、支那とフランスとの人口密度比例が、三三三対二〇八、すなわち約三対二であるといっても、信じられぬこととは思われないであろう。
 1) Embassy to China, Staunton, vol. ii. p. 546.
 人口増加の自然的傾向はどこにおいても極めて大であるから、あるいずれかの国の人口が到達している高度を説明することは一般に容易であろう。それよりももっと困難な、もっと興味ある研究点は、人口のそれ以上の増加を停止せしめている直接的原因を辿ることである。増殖力は、支那の人口を、アメリカ諸州の人口と同様に容易に、二十五年にして倍加するであろうが、しかし、土壌はかかる追加人口を明かに養い得ないから、かかることのあり得ないことがわかるのである。しからばこの強力な増殖力は支那ではどうなっているのであろうか。そして人口を生活資料の水準に抑止しておく抑制の種類や、幼死の形態は、いかなるものであろうか。
 支那における異常な結婚に対する奨励にもかかわらず、吾々は、人口に対する予防的妨げが働いていないと想像するならば、おそらく誤謬に陥るであろう。デュアルドは、僧侶の数は遥かに百万を超え、そのうち北京には独身者が二千おり、そのほか勅許によって各地に建立された寺院に三十五万おり、また文人の独身者だけで約九万いる、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Duhalde's China, vol. i. p. 244.
 貧民は家族を養い得る見込みが少しでもあればおそらく常に結婚するであろうし、また殺児が許されているからこの点の大きな危険を喜んで冒すであろうが、しかし彼らは疑いもなく、その子供を全部遺棄し、または自分自身や家族を奴隷に売らざるを得ないことが確実であれば、結婚を躊躇するであろう。そして下層階級の人口の極貧により、右の確実性はしばしば実現するであろう。しかしデュアルドによれば、人口に対する予防的妨げが主として作用するのは、支那において窮乏の結果その数が莫大に上るところの奴隷自身の間のことである。人は時に、非常に安い価格で、その子供を、また自分自身や妻をさえも売る。普通の方法は、買戻条件付での身売りであり、かくて多数の下僕下婢が一家族に結合されることとなる。ヒュウムは、古代人の間における奴隷制の慣行を論ずるに当って、一般に、奴隷を子供から育てるよりも成人の奴隷を買った方が安いと云っているが、これはその通りである。この言葉は支那人に特に当てはまるように思われる。すべての著述家は、支那に不作が頻々と起ることを、一致して述べているが、かかる時期には、おそらく多数の奴隷がほんの生きるだけの代償で売られることであろう。従って一家の家長にとっては、その奴隷に出産を奨励するのは大抵不得策であろう。従って吾々は、支那ではヨオロッパと同様に、召使の大部分は独身である、と想像し得よう。
 1) Id. p. 278.『この帝国の窮乏と大人口とは、そこにこの莫大な奴隷を生ぜしめる。一家のほとんどすべての下男、及び概してすべての下女は、奴隷である。』Lettres Edif. tom. xix. p.145.
 罪悪的な性交から生ずる人口に対する妨げは、支那では非常に多くはないように思れれる。女子はおとなしくひかえ目で、姦通は滅多にないと云われている。しかしながら蓄妾は一般に行われており、大都市では公娼が登録されている。しかしその数は多くなく、サア・ジョオジ・スタウントンによれば、未婚者や家族から離れている夫の少数者に釣合っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Embassy to China, vol. ii. p. 157.
 疾病による人口に対する積極的妨げは、かなり著しいけれども、予想されるほどは大ではないように思われる。気候は一般に非常に健康的である。宣教師の一人は、疫病ペストや伝染病は、一世紀に一度も起らぬとまで云っているが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、しかし、他の人々はそれは決してそれほど稀ではないように云っているから、これは疑いもなく誤りである。一般に一定の墳墓をもたない貧民の埋葬に関する宦官へのある訓令には、伝染病が流行する時には、遠距離まで空気が感染されるほど道路が屍体で蔽われる、と述べられている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そして伝染病の年に関する説明が3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、そのすぐ後に出ているが、これはいわばそれが稀でないことを意味するように思われる。毎月一日と十五日とに宦官は集合し、その人民に長い講話をするが、その際各知事は家族の者に訓示する家父の役割をする4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。デュアルドが示しているかかる講話の一つには次の如き章句がある、『伝染病が穀物の不作と相俟って到る処を荒廃させる年が時々発生するが、かかる年に気をつけなければならぬ。かかる際における君らの義務は、君らの同胞に憐愍の情をもち、そして手離し得るものは何でも手離して彼らを援助するにある5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Lettres Edif. tom. xxii. p. 187.
 2) Id. tom. xix. p. 126.
 3) Id. p. 127.
 4) Duhalde's China, vol. i. p. 254.
 5) Id. p. 256.
 通常そうであるように、おそらく伝染病は子供の上に最も激しく落ちかかるであろう。ジェスイット僧の一人は、親が貧しいために生れると同時に殺される嬰児の数を論じて、曰く、『北京の諸々の教会堂で、この種の子供で洗礼をうけるものの数が、五、六千を算せぬ年は、滅多にない。この数は、吾々の維持し得る牧師の数によって多くもなれば少くもなる。もし吾々が十分の数を有っていれば、彼らの仕事は、遺棄されて死に瀕している嬰児の世話にのみ限られる必要はない。彼らにとってその熱意を発揮すべき機会は他にもあろうし、なかんずく天然痘や伝染病が信じられぬほどの数の子供を奪い去る時期において然りである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』実際、下層階級の人々の極端な窮乏によって、その両親があらゆる困難をおかして育てようと企てる子供の大部分を殺してしまう傾向のある疾病が生み出されぬと想像することは、ほとんど不可能である。
 1) Lettres Edif. tom. xix. p. 100.
 実際に遺棄される子供の数に関しては、ほんの推測をしてみることすら困難である。しかしもし支那人の著述者自身を信頼するならば、この慣行はごく一般的であるに違いない。政府は、たびたびこれを止めようと企てたが、しかし常に失敗に終った。人道と叡智とをもって聞えたある宦官の著わした前記の教訓書では、自己の管区に捨児養育院を設置することが提議されており、また今日では廃止されている同種の昔の施設1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]のことが述べてある。この書物には、頻々たる小児遺棄と、それを促す恐るべき貧困とが詳しく述べてある。彼は曰く、『吾々は、彼ら自身の子供に必要な養分を与え得ないほど貧しい人民を見る。かくも多数を彼らが遺棄するのはこの故なのである。帝都や省の首府や最も商業殷賑な箇所においてその数は最も著しいが、しかしそれほど人の繁くない地方や田舎においてすら、多くの遺棄が見られる。都市では家屋が密集しているので、この慣行はいっそう目につくが、しかし到るところでかかる憐れな不幸な子供は救助を必要としているのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Ibid. p. 110.
 2) Id. p. 111.
 同書には、小児の溺殺を禁止する勅令の一部が次の如く載っている、『生れたばかりのいたいけな嬰児が無慈悲にも波に投ぜられる時、生の享受がはじまるや否や直ちにそれが失われる時、母は生を与え、子は生を受けたと云い得ようか。両親の貧困がこの罪の原因である。彼らは自らを養うに足るものすらほとんど持たず、いわんや子守に支払いかつ子供の養育に必要な費用をととのえることはいっそう出来ない。かくて彼らは絶望に陥る。一人を生かさんがために二人が苦しむに耐えずして、夫の生命を保たんがために、母はその子供を犠牲とするに同意する。しかしながら親たるの感情にとり極めてつらいものであるが、しかし終には意を決し、そして彼ら自身の生命を延ばすためにその子供の生命を断つのは止むを得ないと考えるのである。もし彼らがその子供を秘密の場所に遺棄するならば、嬰児の泣声は彼らの憐愍の情をかき立てるであろう。そこで彼らはどうするか。彼らはこれを川の流れに投じ、もって直ちにその姿が見えなくなり、またそれが即座に一切の生命の機会を失うようにするのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. p. 124.
 かかる記述は、殺児の一般的流行に関する最も信憑すべき文献であるように思われる。
 サア・ジョウジ・スタウントンは、彼が集め得た最良の情報からして、北京において年々遺棄される子供の数は約二千であると云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかしこの数は年によって甚だしく変動し、そして季節の豊凶に依存すること極めて大であるに違いなかろう。ある大きな伝染病や破壊的な飢饉の後には、その数はおそらく極めて小であろう。稠密な人口に戻れば、それが徐々として増加すべきことは当然である。そして平均生産物が既に過剰人口を養うに足りないという時期に不作が生じた時にそれは疑いもなく最大である。
 1) Embassy to China, vol. ii. p. 159.
 かかる不作は稀ではないようであり、そしてそれに伴う飢饉が、おそらく、支那人口に対する一切の積極的妨げの中で最も有力なものである。もっともある時代においては、戦争及び内乱による積極的妨げは小さなものではなかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。支那王国の年代記には、飢饉のことがしばしば述べてある2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そしてもしこれが著しく荒廃的で破壊的でなかったのならば、これはこの帝国の最も重大な事件や革命などと一緒に記されるはずはないのである。
 1) Annals of the Chinese Monarchs. Duhalde's China, vol. i. p. 136.
 2) Id.
 ジェスイット僧の一人は、宦官が人民に対する最大の憐愍を装う場合は、旱魃か、多雨か、または、時に数省を席捲する蝗の大群の如きある他の事件のために、彼らが不作を懸念する場合である、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ここに列挙した原因はおそらく、支那において主として不作を惹き起す原因であろう。そしてこれらのものが述べられている有様から見ると、それは稀なことではないように思われる。
 1) Lettres Edif. tom. xix. p. 154.
 ミイアズは、収穫が全部駄目になり、これに次いで飢饉を起した、猛烈な旋風のことを語っている。同一の原因と――と彼は云う――並びに甚だしい飢饉とにより、支那の南部諸州全部に一七八七年に最も恐るべき飢饉が蔓延し、それによって信じられぬほどの人が死滅した。広東では、飢えに瀕した貧民が最後の息を引取っているのを見るのは珍らしくなかったが、他方母親はその嬰児を殺すのを義務と考え、著者は手間どる死の苦悶から救うために老人に運命の一撃を与えるのを義務と考えていたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Meares's Voyage, ch. vii. p. 92.
 ジェスイット僧パレンニムは王立学会の一員に書翰を送って曰く、『貴君がほとんど信ずることの出来ないもう一つのことは、飢饉が支那では極めて頻々と起るということである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』そしてこの書翰の終りで彼は、もし飢饉が時々支那の巨大な人口を滅じないならば、支那は平和に暮せないであろう、と云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。彼はかかる頻々たる飢饉の原因を調査しようと努め、そしてまず飢饉に際して支那は隣国から援助を受けることは出来ず、従って必然的に自己の諸省からその資源の全部を引出さなければならぬ、と云っているが3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、これはその通りである。彼は次に、遅延や不正があるので、公共の穀倉を開いて最も惨害のひどい地方を救おうとする皇帝の意思が、しばしば達せられない、と述べている。過度の飢饉か不意の洪水かのためにある省に不作が起る時には、偉い宦官は公共の穀倉に助けを求めるが、しかしそれはしばしば、これを管理する下級宦官の不正のために全く空になっている。そこで尋問や調査が行われるが、一般にかかる好ましくない情報を宮廷に知らせたがらない。しかし終には記録が提出される。かかる記録は多くの人の手を経るので、当分の間は皇帝の手許に達しない。そこで国家の大官は集合して人民の窮乏を救うべき方法を審議すべきことを命ぜられる。かくする中に、人民に対する憐愍の情が一杯に表示された布告が全国に発表される。ついに会議の決議が公布される。しかし他の無数の儀式が徒らにその実行をおくらしてしまう。ところが苦しんでいるものは救済が届かぬうちに餓死してしまう。この最後を待たぬものは全力を出して他の地方にって行き、そこで食物を得ようとするが、しかしその大部分は途上に斃れてしまうのである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]
 1) Lettres Edif. et Curieuses, tom. xxii. p. 174.
 2) Id. p. 186.
 3) Id. p. 175.
 4) Id. p. 180.
 飢饉が起った時、宮廷が人民を救う何かの努力をしないと、たちまち掠奪者の小群が集まり、次第にその数を増して、その省の平安を害するに至る。だから多くの命令が常に発せられ、そして飢饉が終るまで人民を慰藉する運動が引き続いて行われる。そして入民を救う動機は純真な憐愍の情よりはむしろ国家の必要にあるのであるから、人民は、その必要が要求する時期と仕方で救われることは、少なかろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Id. p. 187.
 この研究の中で挙げてある最後の飢饉の原因で、著者が大いに重大視しているものは、酒を造るために穀物が非常に多く消費されるという事実である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし彼がこれを飢饉の原因として述べているのは、明かに非常に大きな誤りである。しかもグロジエ僧正の支那に関する一般的記述の中でも同じ誤りが再び現れており、そして上記の原因がこの飢饉という害悪の大源泉の一つと考えられている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかし実際は、この原因の一切の傾向は、これと正反対である。穀物を必要な食物として用いる以外の何らかの用途に消費することは、人口が生活資料の極限に達するに先だってこれを妨げることとなる。そして飢饉の際には穀物はこの特殊の用途から引去られ得るのであるから、かくして開かれる公共の穀倉は、他のいかなる方法によって作られるよりもより豊富なものとなる。かかる消費がひとたび確立され、永久的になる時には、その結果は、あたかも土地の一部分がその上に住む人間全部と共に、この国から取り除かれたと、全く同一である。残余の人々は、平年作の年には、以前と全く同一の状態にあり、より良くもより悪くもならないであろうが、しかし飢饉の時には、この土地の生産物は、彼らがそれを食うのを助力する人の消費は少しもなしに、彼らに返されるのである。支那は、醸造所がなければ、確かに現在より人口が多いであろう。しかし不作に際しては、資源は現在よりも更に少いことであろう。そして同じ大きさの原因が作用する限り、右の結果として、より多く飢饉の厄を蒙り、かつその飢饉はより苛酷なものとなるであろう。
 1) Id. p. 184.
 2) Vol i. b. iv. c. iii. p. 396. 8vo. Eng. tran.
 日本の状態は多くの点において支那の状態に似ているから、従ってこれを詳論することは過度の反覆になってしまうであろう。モンテスキウは、この国の人口稠密なことを、女の出生がより大であることに帰している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかしこの人口稠密の主たる原因は、疑いもなく、支那の場合と同様に、住民の倦むことなき勤勉が今日まで常に主として農業に向けられて来たことにある。
 1) Liv. xxiii. c. xii. 時に人口問題を理解しているように思われるモンテスキウが、また時にはこのようなことを云うのは、驚くべきことである。
 トゥンベルクの日本に関する記述の序言を読むと、その住民がかくも幸福に豊かに暮していると称せられる国の人口に対する妨げを辿るのは、極度に困難に思われるであろう。しかし彼自身の著書の後の方を読んでみると、序言から得られる印象と矛盾して来る。またケンプフェルの貴重な日本史においては、これらの妨げは十分に明瞭である。彼が載せている、日本で著わされた二つの年代史の抜萃には1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、この記録の始まって以来起った種々なる死亡や疫病や飢饉や流血戦争やその他の破壊原因に関して、極めて興味ある記述が与えられている。日本人が支那人と違うところは、それが遥かにより好戦的、擾乱的、放縦、かつ野心的なことにある。そしてケンプフェルの記述からすれば、支那における殺児による人口に対する妨げと対応するものは、日本では性に関する行状がより放縦であり、戦争や内乱がより多数である事実であることがわかるであろう。疾病及び飢饉による人口に対する積極的妨げに関しては、両国はほとんど同等の水準にあるように思われる。
 1) Book ii.
[#改丁]

    第十三章 ギリシア人における人口に対する妨げについて

 その歴史の初期におけるギリシア人及びロウマ人の間におけるより平等な財産の分割、及び彼らの勤労が主として農業に向けられていた事実が、大いに人口を奨励する傾向があったに違いないことは、一般に認められているところであり、また実際疑問の余地がないであろう。農業は、啻にヒュウムの云う如くに1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、大衆の生存にとり主として必要な種類の産業であるのみならず、また事実上それは、大衆がそれにより生存し得るただ一つの種類の産業であって、かくも多数者が養われているかに見える近代世界の多数の技術や製造業の一切は、それが農業生産物の分量を増加し、その分配を便宜ならしめる傾向があるという範囲以外においては、人口を増加せしめる何らの傾向をも有たないのである。
 1) Essay xi. p. 467. 4to. edit.
 特殊な原因の作用によって、土地所有が非常に大きく分割されている国においては、これらの技術や製造業は、何らかの大きな人口の存在にとり絶対に必要である。これがなかったならば、近代ヨオロッパには人が住んでいなかったことであろう。しかし土地所有が小さく分割されている国においては、これらに対する同じ必要は存在しない。分割そのものが直ちに一大目的を、すなわち分配の目的を、達する。そして、もし戦闘を行い国家の勢力と威厳を保持するための人間に対する需要が恒常であるとすれば、吾々は容易に、この動機は、家族に対する自然的執着と相俟って、各土地所有者を誘って、最大多数の子孫を養い得るようにその土地を極度まで耕作せしめるに足る力をもつものと、考え得よう。
 ギリシア及びロウマの歴史の初期に、人民が小さな国家に分たれていたことは、この動機により以上の力を与えるものであった。自由市民の数がおそらく一、二万を越えなかった処では、各個人は当然に自分自身の努力の価値を感得したであろう。そして、彼れの属する国家が、嫉妬深い油断なき競争の真ただ中に位置を占めているので、その防衛と安全とのためには主として人口に依存しなければならぬという事実を知り、従って彼に割当てられた土地を放置しておくのは市民たるの義務に欠けるものと感じたことであろう。これらの原因は、人間の人為的欲求が農業奨励の干渉を行うを俟たずして、農業に対する多大の注意を生み出したように思われる。人口は土地の生産物にこれよりも早い速度で随伴した。そして過剰の人口が戦争や疾病で除去されなかった時には、それは頻々たる植民に吐け口を見出したのであった。かかる頻々たる植民の必要は、国家の小なることと相俟って、あらゆる心あるものにこの問題につき思い当らせたのであるが、これはまた当時の立法者や哲学者に、生活資料以上に増加せんとする強力な人口の傾向を、指示せずにはおかなかったのである。そして彼らは、現代の政治家や先覚者と同様に、社会の幸福と安寧とにかくも深遠な影響を与える問題の考察を看過しなかった。この困難を除去するために彼らの採った野蛮な便法を吾々がいかに正常に呪詛し得るとしても、吾々は、彼らがこれに気がつき、またこれを考察して除去しなければ、それだけで彼らの最良の計画に成る共和主義的平等と幸福の計画を破壊するに足るものであることに十分気がついたことに対し、その洞察力にある程度の名誉を認めざるを得ないのである。
 植民する力は必然的に制限されている。そして、ある期間が過ぎると、この目的に特に適した国にとっては、故国を去った市民が定着するに適した空地を見出すことは、不可能ではないとしても、極度に困難となるであろう。従って植民の外に他の方法を考えることが必要であったのである。
 殺児の慣行はおそらく、ギリシアにおいて最も早い時代から行われていたものであろう。それが存在することが見られたアメリカの諸地方においては、それは、頻々たる飢饉と不断の戦争に曝されている蒙昧放浪的な生活において多くの子供を育てることの極度に困難なるに発したものであることがわかる。吾々は容易に、ギリシア人の祖先、すなわち同国の原住民の間においても、それは同じ起原から起ったものと、考え得よう。そしてソロンが小児遺棄を許した時には、おそらく彼は単に、既に行われていた慣習に法律上の認可を与えただけのことなのであろう。
 彼は疑いもなくどの許可に二つの目的を有っていたのである。第一に、これは最も明白なことであるが、普遍的の貧困及び不満を惹き起す如き過剰の人口を防止すること。第二に、過大な家族の恐怖従ってまた結婚に対する主たる障害を除去して、もって領土が養い得る水準までに人口を維持すること、これである。この慣行の支那における結果から見ると、これは前者よりも後者の目的により多く役立つものと考えるべき理由がある。しかし、立法者がこのことを理解しないか、または当時の野蛮な風習が両親を誘って貧乏よりも殺児を選ばせたとしても、この慣行は右の両目的に極めてよく役立ち、そして、事態が許す限り完全にかつ不断に、食物とこれを消費する人口との間の必要な比例を維持するに役立つように、思われるのである。
 ギリシアの政治学者は、この比例と、人口の不足または過剰から必然的に生ずべき、一方においては劣弱、他の一方においては貧困、という害悪に注目することが、極めて重大事なることを力説し、その結果として、望ましき相対的比例を維持する各種の方法を提議している。
 プラトンは、法律に関するその著の中で考察している共和国において、自由市民と住居との数を、五千と四十に限定している。そして彼は、もし各家族の父がその息子の一人を自己の所有する地所の相続人に選び、また法律に従ってその娘を結婚させ、その他に息子があれば、子供のない市民に養子にやれば、この数は維持し得ると考えた。しかし子供の数が全体として多過ぎるか少な過ぎる場合には、治安官は特にこの点を考慮に入れ、五千人、四十戸という同一数が依然維持されるように考案すべきである。この目的を達するには多くの方法がある、と彼は考えた。増殖が急速に過ぎ、または緩慢に過ぎる時には、名誉不名誉の表章を適当に分ち、また年長者に事情に応じて増殖を防止しまたは促進するように勧告して、これを妨げたり奨励したりすることが出来よう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Plato de Legibus, lib. v.
 その『哲学的国家論1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]』において、彼はもっと詳しくこの問題を論じ、そして提議して曰く、男子の中で最も優秀な者が女子の中で最も優秀な者と結婚し、劣等な市民は劣等な女子と結婚し、そして前者の子供は育てるけれども後者の子供は育てないこととする。法定のある祭日に、婚約した青年男女は集合し、厳粛な儀式の下に結合する。しかし結婚の数は治安官によって決定されるべきである。すなわち戦争、疾病、その他の原因による人口の減少を考慮に入れ、彼らは、国家の資源及び需要に従って、多過ぎもせず少な過ぎもしないような市民の比例に出来るだけ近い数を、維持するであろう。かくの如くして最も優秀な市民から生れた子供は、市内の特別の場所に住みこの任務に充てられているある保姆の処へ連れて行かるべきである。しかし劣等な市民や、手足の不完全な者から生れた子供は、どこかわからない場所に埋めらるべきである。
 1) Plato de Republic※(サーカムフレックスアクセント付きA小文字), lib. v.
 次に彼は進んで、結婚適齢を考察し、そしてこれを決定して女子は二十歳、男子は三十歳であるとしている。女子は、二十歳から始めて四十歳になるまで、国家のために子供を産むべきであり、男子はこの点に関するその義務を、三十歳より五十歳に至るまで、果たすべきである。もし男子がこの期間の以前か以後かに子供を世に造るならば、その行為は、あたかも結婚式も挙げずに、もっぱらふしだらにそそのかされて、子供を産んだ場合と同一の犯罪的並びに涜神的行為として考察さるべきである。もし子供を産んでもよい年齢にある男子が、これも適齢の女子と結ばれたが、ただし保安官による結婚式を挙げないという場合には、これと同一の規則が適用される。すなわち彼は、国家に対し、私生の、涜神的な、血族相姦の子供を与えたものと考えらるべきである。[#「。」は底本では欠落]両性が国家に子供を提供すべき適齢を過ぎた時にも、プラトンは性交の大きな自由を認めているが、しかし子供を産んではならないとした。万一子供が生きて生れるような場合には、これは両親がそれを養い得ない場合と同様な方法で遺棄さるべきである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Plato de Repub. lib. v.
 これらの章句から見ると、プラトンが生活資料以上に増加せんとする人口の傾向を、十分に知っていたことは、明かである。それを妨げるための彼れの方法は、実際非難すべきものである。しかしこの方法それ自体とそれが用いらるべき範囲とは、彼がこの困難の重大性をいかによく知っていたかを、証示するものである。彼は確かに、小さな共和国においてこれを考えたに違いないが、戦争によって比較的多数の人が減少することを考慮しつつ、しかもなお彼が、すべての劣等な、より不完全な市民の子供を殺し、かつ指定年齢、指定形式によらずに生れたすべての子供を殺し、結婚年齢をおそくさせ、結局これらの結婚の数を調制しようと、提議し得たとすれば、彼れの経験と理性とは強力に、人口増加の原理の偉大な力とこれを妨げる必要とを、彼に指示したに違いないのである。
 アリストテレエスは、この必要を、更にいっそう明かに認めたように思われる。彼は結婚適齢を定めて、男子は三十七歳、女子は十八歳としているが、これは云うまでもなく、多数の女子をして独身生活を余儀なくさせるに違いない。けだし三十七歳の男子は決して十八歳の女子ほど多くはあり得ないからである。しかも、彼は男子の婚期をかくもおそく定めたけれども、彼はそれでも子供の数が多くなり過ぎるかもしれぬと考え、各結婚に許される子供の数を調制すべきことを提議し、もし女子が指定数を産んだ後に姙娠するならば胎児が生れないうちに堕胎を行うべきことを提議している。
 国家のために子供を産む期間は、男子にあっては五十四または五十五歳をもって終るべきであるが、けだし老齢者の子供は若過ぎる者の子供と同様に、身心共に不完全であるからである。両性が指定の年齢を過ぎた時にも、彼らは関係を続けることは許される。しかしプラトンの共和国におけると同様に、その結果たる子供は産んではならぬのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) Aristotelis Opera de Repub. lib. vii. c. xvi.
 アリストテレエスは、プラトンが法律に関するその著において提議した共和国の長所を論じつつ、プラトンは人口問題に決して十分な注意を払っていないと云い、また、子供の数を制限することなくして財産を平等ならしめることの矛盾を、非難している。この問題に関する法律は、財産が平等化されている国家においては、他の国家におけるよりもはるかに明確かつ正確なることを要する、とアリストテレエスは云っているが、これは非常に正しい。通常の政府の下においては、人口の増加は単に土地所有をいっそう細分せしめるだけであろう。しかるにかかる共和国においては、土地が平等な、いわば基本的な部分にまで圧縮されているので、それ以上細分することが出来ないから、過剰なものは全く衣食に事欠くであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) De Repub. lib. ii. c. vi. Gillies's Aristot. vol. ii. b. ii. p. 87. 原文参照の煩を好まぬ人々の便宜のために、私は同時にギリイズの飜訳を引用するが、しかし彼れの目的は自由訳であるため、ある章句は全然省略されており、またある章句に彼は文字通りの意味を与えていないところがある。
 次いで彼は、あらゆる場合において子供の比例を調制し、もってそれが適当な数を超過しないようにすることが、必要であると云う。このことをなすに当って、死亡と不姙とはもちろん考慮に入れられなければならない。しかし、一般の国家における如くに、各人が欲しいだけの子供を自由に持ち得るならば、その必然的結果は貧困でなければならず、そしてこの貧困は悪事と暴動の母である。この理由によって、最も古い政治学者の一人、コリントのフェイドンはプラトンのそれとは正反対の規定を採用し、そして財産を平等化せずして人口を制限したのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) De Repub. lib. ii. c. vii. Gillies's Aristot. vol. ii. b. ii. p. 87.
 最も健全な制度として市民の間に富を平等にすることを提議したカルケドンのファレアスについてその後の方で論ずる際に、彼は再びプラトンの財産に関する規定に言及し、かくの如くに財産の範囲を規定せんとする者は、同時に子供の数をも規定することが絶対に必要であることを無視してはならぬ、と云っている。けだし、もし子供が彼らを養う資料以上に増殖するならば、この法律は必然的に蹂躪され、諸家族は突如として富裕から乞食の状態に追い込まれるであろう――これは公共の安寧にとり常に危険なる革命である、と1)[#「1)」は縦中横、行右小書き、「1」が底本では「2」]
 1) De Repub. lib. ii. c. vii. Gillies's Aristot. vol. ii. b. ii. p. 91.
 これらの章句から見ると、アリストテレエスは明かに、人類の強大な増加傾向が、厳重なかつ積極的な法律によって妨げられない限り、財産の平等に基礎を置くあらゆる制度にとり、絶対に致命的であることを認めたことがわかる。そしてこの種のあらゆる制度に対する最も有力な反対論は、確かに、アリストテレエス自身が提議せる如き法律が必要だという事実である。
 彼がその後スパルタに関して述べている所から見ると、彼が人口原理を十分に理解していたことが、更にいっそう明かにわかる。相続法が不用意であるために、スパルタにおける土地所有は少数者の独占となってしまっており、その結果としてこの国の人口は大いに減少せしめられた。この害悪を救治し、不断の戦争に人間を供給するために、リコルゴス以前の諸王は、外国人を帰化させるのが常であった。しかしながら、アリストテレエスによれば、財産をもっと平等にすることによって市民の数を増加した方がはるかによかったことであろう。しかし、子供に関する法律は、この改善と正反対のものであった。立法者は、多くの市民を得ようと望んで、子供の増殖を出来るだけ奨励した。三人の息子をもつ男子は夜警の任務を免除され、そして四人の息子をもつ男は、一切の公共の負担から全く免除された。しかし、アリストテレエスが極めて正当に述べているように、多数の子供の出生は、土地の分割が依然として同一なのであるから、必然的に単に貧困の蓄積をもたらすのみであることは、明かである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
 1) De Repub. lib. ii. c. ix. Gillies's Aristot. vol. ii. b. ii. p. 107.
 彼はこの点で、リコルゴスその他多くの立法者が陥っている誤謬をはっきりと認め、そして、これを養うために適当なものを与えることなくして、子供の出生を奨励したところで、多大の貧困を招くという犠牲を払いながら、それによって得る人口は極めて小であるということを、十分理解しているように、思われる。
 クレテの立法者1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]も、ソロンやフェイドンやプラトンやアリストテレエスと同様に、一般的貧困を防止せんがために人口を妨げるべき必要を認めた。そして吾々は、これらの人々の意見、及びそれに基づく法律は、大きな影響をもつことと想像しなければならないから、晩婚その他の原因による人口増加に対する予防的妨げは、おそらく、ギリシアの自由市民の間にかなりの程度で働いたことであろう。
 1) Aristot. de Repub. lib. ii. c. x. Gillies's Aristot. vol. ii. b. ii. p. 113.
 人口に対する積極的妨げとしては、これらの小国家がほとんど不断に行う戦争以外にこれを求める必要はない。ただし少くともアテネに一度激しい疫病が流行したという記録がある。そしてプラトンはその共和国が疾病によって大いに減少する場合を想定している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。彼らの戦争は啻にほとんど不断であったばかりでなく、また極度に流血的であった。小部隊でその全部がおそらく近接戦を行うのであるから、これは、大部隊をなしていてその大部分がしばしば接近しない近代の軍隊に比較して、戦死者の割合が遥かに多かったことであろう2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そしてこれら共和国の自由市民は一般に全部兵士としてあらゆる戦争に従事したのであるから、損害は非常に深酷であり、そして極めて容易には恢復されないと思われるのである。
 1) De Legibus, lib. v.
 2) Hume's Essay, c. xi. p. 451.
[#改ページ]

    第十四章 ロウマ人における人口に対する妨げについて

 イタリアの比較的小さな諸国家において戦争によってもたらされた荒廃は、なかんずくロウマ人が権力追及の争闘をしていた期間には、ギリシアにおけるよりもいっそう大であったように思われる。ウォレイスは、その『人口数論』において、当時剣によって倒れた夥しい人数に言及した後、曰く、『この時代のイタリア人の歴史を正確に調べてみると、吾々は、イタリアが完全に制服されてしまうまでに、かの不断の戦争に従事したあれほどの夥しい人間がいかにして調達され得たかを、いぶからざるを得ない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』と。またリヴイは、ヴォルスキ族やイークイ族が、あれほどしばしば征服されながら、新らしい軍隊を戦場にもたらし得たことを、非常に驚いている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかし、戦争による不断の人口減少が人口増加力をほとんど余す所なく発揮せしめる習慣を生み出し、そして境遇を同じくしない他の国家に通常見られるよりも遥かに大きな比例の出生と、健全な子供とが現れ、これが成人となり武器を執り得るようになるという、極めてあり得べき事実を仮定すれば、この不審はおそらく十分に説明し得るであろう。疑いもなく、彼らをして、古代のゲルマン民族の如くに、戦に敗れて半ば破滅した軍隊をかくも驚くべく恢復し、未来の歴史家を驚かし得せしめたものは、かかる急速な人口の供給であったのである。
 1) Dissertation, p. 62. 8vo. 1763, Edinburgh.
 2) Lib. vi. c. xii.
 しかも、殺児の慣行が、ギリシアにおけると同様に、最も早い時代からイタリアに広く行われていたと信すべき理由がある。ロムルスのある法律は、三歳末満の小児遺棄を禁止しているが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、これは、生れてすぐ遺棄する習慣が以前には広く行われていたことを意味するものである。しかしこの慣行は、云うまでもなく、戦争による人口の減少が新たに生れて来る世代に対し、余地を作るに足らなかった場合の外は、決して行われなかったであろう。従ってそれは全幅の増加力に対する積極的妨げの一つと考えられ得ようが、しかし現実の事態においては、それは確かに、人口を阻止するよりはむしろ促進するにあずかって力あるものであった。
 1) Dionysius Halicarn. lib. ii. 15.
 ロウマ人自身の間においては、その共和国の当初から最後まで不断の戦争に従事しており、その多くは恐るべきほどに破壊的であったので、この原因による人口に対する積極的妨げは、それだけで驚くべきほど大なるものであったに相違ない。しかしこの原因だけでは、いかにそれが大であったにしろ、もし他にもっと有力な人口減少の原因が起らなかったならば、アウグスツス帝やトラヤヌス帝を促して、結婚と出産を奨励する法律を発布せしめるに至った如き、帝政治下のロウマ市民の不足を、生ぜしめることは決してなかったであろう。 
 従来ロウマの領内に普及していた財産の平等が次第に破壊され、土地が少数の大地主の手中に帰した時、この変化によって相次いでその生活資料を奪われた市民は、当然に、近代国家における如くに、その労働を富者に売る以外には、餓死を免れるべき方法がなかったであろう。しかし奴隷の数が莫大に上り、ロウマの奢侈の増大に伴い不断に流入してその数を増し、遂に農工業の一切の職業を占めてしまったので、市民は労働を売るという方法に出る路を全く遮断されていた。かかる事情の下においては、自由市民の数が減少したということは少しも驚くべきことではなく、むしろ大地主の外に自由市民が少しでも存在したことに驚嘆すべきであろう。そして事実上、多くのものは、奇妙な途方もない慣習、すなわち貧乏な町民に無償で多量の穀物を分配するという、この都市の奇妙な不自然な状態がおそらく要求したところの慣習がなかったならば、存在し得なかったであろう。アウグスツス時代に二十万人がこの分配を受けた。そしておそらく彼らの大部分は他に頼るべき物をほとんどもたなかったのである。それはあらゆる成年者に与えられたものと想像されるが、しかしその分量は一家族には足りず、一個人には多過ぎた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。従ってそれは彼らをして増加し得せしめることは出来なかった。そして貧民の間の小児遺棄の習慣についてプルタアクが述べている様子から見ると2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]三児法があるにもかかわらず、多くのものが殺されたと信すべき十分な理由がある。タキトスはゲルマン民族を論じながらロウマにおけるこの習慣に言及しているが、この章句は同一の結論に導くように思われる3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。慈善の外には生活資料を獲得する一切の方法を全く奪われてしまい、ために自分自身を養うことがほとんど出来ず、いわんや一人の妻と二、三人の子供を養うことは思いもよらぬ一群の人々の間に、かかる法律は実際いかなる効果を有つことが出来たであろうか。もし奴隷の半数が国外に送り出され、そしてこの人民が農業や製造業に用いられたならば、その結果として、出産を奨励するための一万の法律を作った場合よりも確実に急速に、ロウマの市民の数は増加したことであろう。
 1) Hume Essay xi. p. 488.
 2) De Amore Prolis.
 3) De Moribus Germanorum, 19. 結婚と子供の出生を奨励する法律がいかに完全に蔑視されたかは Minucius Felix in Octavio, cap. 30. の次の演説でわかる。『諸君が生れた子供を鳥獣の餌食とし、またはこれを絞殺するのを見る。堕胎剤を用いて将来の人間を抹消し、産む前に殺してしまうものもある。』
 この罪はプリニでさえこれを次の如く弁解するほどに、ロウマで広く一般の習慣となった。『あらゆる婦人の多産はこの種の許可を必要とする。』Lib. xxix. c. iv.
 おそらく、この三児法及びこれと同一の傾向を有つ他の法律は、ロウマ市民の上流の間では、幾分役に立ったであろうし、そして実際、これらの法律の本質は主として特権から成っているというその性質上、主としてそれは社会のこの部分を目標としたものと思われる。しかし人口増加を予防するありとあらゆる悪習は1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、この時代に極めて広く行われていたから、いかなる矯正的法律も何ら著しい影響を与えることが出来なかった[#底本ではここに不要な「た」]ように思われる。モンテスキウは正しくも曰く、『風紀の頽廃は、この風紀の頽廃をなくするために設けられた監察官の職を、破壊してしまった。しかし風紀の頽廃が一般的となる時には、監察はもはや何らの力ももたないのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』と。結婚に関するアウグスツスの法律が通過してから三十四年の後、ロウマの騎士はその廃止を要求した。既婚者と独身者とを区別してみたら、後者の方の数が前者より遥かに多いことが分ったが、これはこの法律の無効を物語る有力な証拠である3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]
 1)『しかし黄金の寝台には姙婦に滅多に寝ない。不姙を惹き起し腹の中で人を殺す技術や薬品が大いに流行る。』Juvenal, Sat. vi. 593.
 2) Esprit des Loix, lib. xxiii. c. 21.
 3) Id. c. 21.
 大抵の諸国においては、人口増加を予防する悪習は、結婚が少いことの結果であるよりはむしろ原因である。しかしロウマにおいては、道徳の堕落が、少くとも上流階級の間において、結婚を妨げた直接の原因であったように思われる。メテルス・ヌミディクスが監察官として行った演説を、憤りと嫌悪とを感ずることなくして読むことは不可能である。彼は曰く、『もし全く妻を有たずに行くことが出来るとすれば、吾々は直ちにこの害悪から免れることであろう。しかし自然の法則の指示するところは、妻があっては幸福に生活し得ないし、妻がなければ人間の種を継続することは出来ない、ということなのであるから、吾々は、刹那的な快楽よりは永続的な安固を尊重すべきである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』と。
 1) Aulus Gellius, lib. i. c. 6.
 事態の緊急に際して発布され、そして支那やその他の諸国における如くに宗教と一緒にはならない、結婚と人口を奨励するための積極的法律は、それが目ざす目的に合致することは滅多になく、従って、一般にこれを提議した立法者の無智を表示するものである。しかしかかる法律が表面的に必要だという事実は、ほとんど常に、その国の道徳的、政治的堕落の程度の著しいことを表示する。そしてそれが最も力強く強調される国においては、啻に悪習があまねく流行していることが見られるのみならず、政治的制度が、勤労にとり、従ってまた人口にとり、極めて不利であることが見られるであろう。
 この故に私は、ロウマの世界はおそらく、トラヤヌス帝及びアントニヌス家の下にあった長い平和期に最も人口が多かったとヒュウムが想像しているのは1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、誤りであると考える点において、ウォレイス2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]に同意せざるを得ない。吾々は、勤労が引続き活溌な間は戦争は大して人口を減少せしめるものでなく、また人々が生活資料を見出し得ぬ時は平和も人口を増加せしめないことを、よく知っている。それ故に、トラヤメス帝の下における結婚に関する法律の更新は、悪習と、勤労の沈滞とが、引続き流行していることを指示するものであり、そして大きな人口増加を想像することとは矛盾するように思われる。
 1) Essay xi. p. 505.
 2) Dissertation, Appendix, p. 247.
 おそらく、莫大な数に上る奴隷が、ロウマ市民の不足を補って余りあろう、と云われるかもしれない。しかしこれらの奴隷の労働は、非常に大きな人口を養うに足るほど十分には農業に向けられなかったことがわかる。領土の若干について事情はどうであったとしても、イタリアにおける農業の衰退は一般に認められているように思われる。無償で人民の間に分配するために多量の穀物を輸入する有害な慣習は、人民に大打撃を与えたが、その打撃からは人民はその後決して恢復することは出来なかった。ヒュウムは曰く、『以前には穀物を輸出していたイタリアが日々のパンのために全属領に依存しなければならなくなったことを、ロウマの学者達がかこった時に、彼らはこの変化を決してその住民の増加には帰さず、耕耘及び農業の放棄に帰したのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、』と。更に他の場所で彼は曰く、『すべての古代の著者は、遠隔な諸州、殊にシリア、キリキア、カパドキア、小アジア、トラキア、及びエジプトから、イタリアへと、不断の奴隷の流入があったことを、吾々に物語っているが、しかしイタリアでは人口は増加せず、そして著者達は勤労と農業の不断の衰退を喞っているのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』と。トラヤヌス帝及びアントニヌス家の下における平和が、人民の習慣をして、かかる事態を本質的に変更するほどに急変せしめたとは、ほとんど考えられないのである。
 1) Essay xi. p. 504.
 2) Id. p. 433.
 奴隷制の状態については、それが行われている国においてそれが種の増殖にとり不利であることの最も有力な証拠は、かかる不断の流入を必要とするという事実である、と云い得よう。この必要は同時にまた、古代の奴隷は現代の下層階級のものよりも人間の養育に役に立つ、というウォレイスの説を1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、全く否定するものである。彼が述べているように、現代の労働者が全部結婚するわけではなく、また彼らの子供の多くは、両親の貧困と怠慢とのために死んだりまたは病身で無用になるのは、疑いもなく真実であるけれども2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、しかもかかる増加の障害にもかかわらず、いかなる国においても、それが自由な国であるならば、その社会の下層階級が、彼らの労働に対する需要にたっぷり等しいだけの人間を養育しないという事例は、おそらくほとんど示し得ないであろう。
 1) Dissert. on the Numbers of Mankind, p. 91.
 2) Id. p. 88.
 奴隷制の国家に特有であり、そして不断の人数の補充を必要ならしめる、人口に対する妨げを説明するためには、吾々はウォレイスとヒュウムが行ったところの、奴隷を家畜に喩える方法を採用しなければならない。この比喩は、ウォレイスは、その奴隷の世話をしその子供を育てるのが主人の利益であることを証示するために1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、またヒュウムは、奴隷の繁殖を奨励するよりもこれを防止する方が、しばしば主人の利益になることを証明するために2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、行ったのである。もしウォレイスの説が正しいとすれば、奴隷は容易に繁殖によってその数を維持したであろうことは疑い得ない。しかしそうでなかったことは周知のことであるから、ヒュウムの説の正しいことが明かに立証される。『ロンドンで子供を役に立つまで育て上げるには、小屋で襤褸に包まれオウトミイルと馬鈴薯で養われた同じ年齢の人間を、蘇格蘭スコットランド愛蘭アイルランドで買うよりも、遥かに費用が多くかかるであろう。従って、富と人口のすぐれた一切の国においては、奴隷を有つ者は、女の姙娠を阻害し、出産を防止するか破壊するかしたのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。』男の奴隷の数が女よりも遥かに多かったことをウォレイスは認めているが4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]、このことは必然的にその増加に対するその上の障害でなければならない。従って、ギリシアやロウマの奴隷の間では、人口に対する予防的妨げが非常に大きな力をもって働いたに違いないことが分るであろう。そして彼らはしばしば虐待され、食物はおそらく乏しく、時には多数のものが狭くて不健康なエルガストラすなわち土牢に一緒に押込められていたのであるから5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]、おそらく疾病による人口に対する積極的妨げもまた激しく、そして伝染病が流行した時には、それはこの社会部分で最も暴威を振ったことであろう。
 1) Dissertation, p. 89.
 2) Hume, Essay xi. p. 433.
 3) Id. p. 433.
 4) Appendix to Dissertation, p. 182.
 5) Hume, Essay xi. p. 430.
 しかしながら、奴隷制が行われる国においてそれが種の増殖に不利であるという事実は、かかる国の絶対的人口に関する問題、または古代と現代の諸国民の人口の多少に関するもっと大きな問題に対し、決定的な解答を与えるものではない。吾々は、ある国が、その人口を全然減少することなしに、多くの不断の奴隷の供給をなし得たことを、知っている。そして、もしかかる供給が、これを受け容れる国における労働の需要に正確に比例して行われたのであるならば――たぶんそうであろうが――この国の人口の多少に関する問題は、まさに、現代の国家におけると同一の基礎におかれることとなり、すなわちそれが雇傭しかつ養い得る人数に依存することとなるであろう。従って、家庭奴隷制が行われていようといまいと、輸出入をその中に包含するに足るほどの面積をとり、かつ奢侈や倹約の習慣の程度に若干の相違を認めた上で、これら諸国の人口は、常に、土地が生産せしめられる食物に比例するであろうということは、議論の余地なき主張として打ちて得よう。そして、いかなる物理的または道徳的の原因も、それが過度にかつ異常に作用しない限り1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、それが生活資料の生産及び分配に影響を及ぼす範囲を除けば、人口に対し何ら著しいかつ永続的な影響を及ぼさないであろう。
 1) バタヴィアの極度の不衛生、及びおそらく若干諸国の疫病は、過度に作用する物理的原因と考え得よう。罪悪的独身生活に対するロウマ人の過度かつ異常の愛着、及びオウタハイトにおける乱交は、同一性質をもつ道徳的原因と考え得よう。かかる事例、及びなおおそらく見出さるべき同一種類の他の事例が、一般的命題を本文にあるように条件づきにすることを必要ならしめるのである。
 古代と現代の諸国民の人口の多少に関する論争においては、この点は十分に留意されて来ていない。そして、双方の側において物理的及び道徳的の諸原因が提出されたけれども、それからはいずれの側に有利な正しい推論も引出し得なかった。その現実の状態において一国が生産力と人口が大であればあるほど、それが生産物をそれ以上増加する力はおそらく小であり、従って、人口を、この静止的な、または緩慢に増加する、生産物の水準に、抑止するためには、それだけ余計の妨げが必然的に働かされねばならぬということは、双方の側の著者の注意を惹かなかったように思われる。従って、古代または現代の諸国民においてかかる妨げを発見してみたところで、これらのいずれかにおける絶対的な人口の多いことを否定すべき何らの推論もそれからは引出し得ないのである。この故に、古代人には知られなかった天然痘やその他の疾病の流行は、現代国民の人口の多いことを否定する論証と考えることは決して出来ないのである。もっともヒュウム1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]も、ウォレイス2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]も、これらの物理的原因を大いに重要視しているけれども。
 1) Essay xi. p. 425.
 2) Dissertation, p. 80.
 彼らは、その提示せる道徳的原因においても、同様の誤謬に陥っている。ウォレイスは古代人の間における積極的結婚奨励をもって、古代世界の人口がより多かった主たる原因の一としている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし結婚を奨励する積極的法律が必要であるという事実は、人口が豊富であることよりむしろ人口の不足を表示するものである。そして、彼が特に言及しているスパルタの場合においては、前章で述べたアリストテレエスの章句から見れば、結婚を奨励する法律は著しい人民の不足を是正せんとする明白な目的をもって制定されたものであることがわかる。密集した過剰な人口を有つ国においては、立法者は、結婚と子供の増殖を奨励するために、明白な法律を制定しようとは、決して考えないであろう。ウォレイスの他の議論も、これを検討してみれば、これとほとんど同様に彼れの目的にとり役に立たぬことがわかるであろう。
 1) Dissertation, p. 93.
 ヒュウムが持出している原因のあるものも同様に不満足なものであり、彼が主張せんとする推論を支持するよりもむしろ否定するものである。現代の国家に僕婢やその他独身を続ける多数のものがいるのは、現代国家の方が人口が多いということを否定する論拠であると彼は考えている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし両者について反対の推論を下す方が、もっともらしいように思われる。一家の扶養に伴う困難が極めて大であり、従って多くの男女が独身生活をしている時には、吾々は至極当然に、人口は静止的であると推論し得ようが、しかしそれが絶対的には大でないとは決して推論し得ない。けだし一家を扶養する困難は、絶対的人口が大であるという事情そのもの、及びその結果たる、一切の生計の途の閉鎖から、生ずるであろうからである。もっとも同一の困難は、疑いもなく人口稀薄な国にも存在し得ようが、しかしそれは人口の静止的な国なのである。全人口に比較しての未婚者の数は、人口が増加しつつあるか、停止的であるか、または減少しつつあるかを判断し得べき、ある標準たり得ようが、しかしこれは、吾々をして絶対的人口多少に関しては、何事をも断定し得せしめないであろう。しかもこの標準ですら、吾々はこれにより欺かれ易い。南方のある諸国においては、早婚が一般的であり、独身の女子はほとんどない。しかも人口は啻に増加しないのみならず、現在数もおそらく小である。この場合において、人口の予防的妨げがない代りに、積極的妨げが過度の力を振ってこれを埋合せているのである。一切の積極的妨げと予防的妨げの総計が、疑いもなく人口を抑止する直接的原因をなす。しかし吾々は、いかなる国においても、決して、この合計を正確に獲得し評定することを期待し得ない。そして吾々は確かに、これらの妨げの二三だけを切り離して考察してみたところで、何らの安全な結論をも引出し得るものではないが、けだし、一つの妨げが過度であれば、その代りにある他の妨げが少くなって相殺されるということは、極めてしばしばあるからである。出生及び死亡に影響を及ぼす原因は、事情によって、平均人口に影響を及ぼすこともあろうし、及ぼさないこともあろう。しかし生活資料の生産及び分配に影響を及ぼす原因は、必然的に人口に影響を及ぼさなければならぬ。従って、吾々が確実に信頼し得るのは、(現実の人口実測を別とすれば)かかる後者の原因だけなのである(訳註)。
 1) Essay xi.
〔訳註〕以上の四つのパラグラフに該当するところは、第一版では次の如くなっているが、これによってそのかなりの部分が第二版以後と文字通り一致することがわかる。なお第二版以後でも若干の用語上の修正がある。
『ヨオロッパの大部分が昔よりも現在の方が人口の多い理由は、住民の勤労がこれら諸国をしてより多くの人類生活資料を生産せしめるに至ったことである。けだし私は、輸出入をその中に包含するに足るほどの面積をとり、かつ奢侈や倹約の習慣の程度に若干の相違を認めた上で、人口は、土地が生産せしめられる食物に正比例することは、議論の余地なき主張として打ち樹て得よう、と考えるからである。古代と現代の諸国民の人口の多少に関する論争において、全体としての問題の国の平均生産物が、ジュリアス・ケイザルの時代よりも現在の方が大であることが、明らかに確証され得るならば、争点は直ちに決定されることであろう。
『吾々が、支那は世界中で最も肥沃な国であり、その大きな部分は毎年二毛作を生じ、更に人民は非常につつましく暮している、と確言される時には、吾々は、下層階級の行状習慣や早婚に対する奨励のことをくどくどと研究してみなくとも、人口は莫大であるに違いない、と確実に推論し得よう。しかし、より以上の人口増加に対する妨げはいかように働いているか、この国の人口支持能力以上に出ずる人口増加を防止する罪悪は何であり困窮は何であるか、を確かめるには、これらの研究は非常に重要なものであり、下層支那人の慣習に関する詳細な歴史は最も有用なものであろう。
『ヒュウムは、その古代と現代の諸国民の人口の多少に関する論文において、彼れのいわゆる原因に関する研究と事実に関する研究とを混同してしまって、ために彼日頃の洞察力をもってしても、彼が挙げている原因の若干は、彼をして古代の諸国民の現実の人口につき、何らかの判断を下さしめる上に、いかに無力なものであるかに、気がついていないように思われる。もし何らかの推論がそれから引き出し得るとすれば、おそらくそれはヒュウムのそれとは正反対でなければならぬ。もっとも私は、かかる問題については何人にも勝って外見に欺かれそうもない人に異見を呈するに当っては、確かに大いに忸怩たるべきであるが。もし私が、古代史のある時期に、一家をもつことの奨励が大であり、従って早婚は非常に普及しており、独身生活を送るものはほとんどないことを、見るならば、私は、人口は急速に増加しつつあったとは確実に推論すべきであるが、しかしそれは当時現実に極めて大であったとは決して推論すべきではなく、むしろ反対に、それは当時稀薄であり、そして遥かにより大なる人口に対する余地と食物とがあったのだと、推論すべきである。他方において、もし私が、この時期に、家族に伴う困難か極めて大であり、従って早婚はほとんど行われず、両性の多数のものが独身生活を送ったことを、見るならば、私は、人口は停止しており、そしてそれはおそらく現実の人口が土地の肥沃度に比例して極めて大であるからであり、そしてより以上のものに対する余地と食物とはほとんどなかったと、確実に推論するのである。現代の国家に僕婢やその他独身を続ける多数のものがいるのは、むしろ、現代国家の方が人口が大であるということを否定する論拠であるとヒュウムは考えている。私はむしろこれと反対の推論を下し、これは人口が充満していることの論拠と考えたい。もっとも人口稀薄な国家でしかもその人口が停止的なものが多くあるから、この推論は確実とは云えないが。従って、正確に云うならば、異る時期における、同一のまたは異る国の、全人口に比較しての未婚者の数は、吾々をして、人口がこれらの時期において増加しつつあるか、停止的であるか、または減少しつつあるかを、判断し得せしめるであろうが、しかし吾々がよってもって現実の人口を決定すべき標準をなすものではない、と云い得よう。』1st ed. ch. IV., pp. 55-59.
 かくの如く人類社会を概観するにあたってこれまで考察を加えた一切の人口に対する妨げは、明かに、道徳的抑制、罪悪、及び窮乏の三つとすることが出来る。
 予防的妨げの中で私が道徳的抑制と名づけた部門は、確かに人口の自然的力を抑止する上で幾分の役割を果してはいるけれども、しかし、厳密な意味にとれば、他の妨げに比較すると、その働く力が弱いことを認めなければならない。予防的妨げの中で罪悪の項目に属する他の部門については、その結果は、ロウマ史の後期及び他の若干の諸国において極めて著しかったように思われるけれども、しかし大体において、その作用は積極的妨げよりも劣ったように思われる。従来は繁殖力の大部分が働かせられ、それから生ずる過剰が暴力的原因によって妨げられたのである。これらの中で、戦争が最も優勢な顕著なものであり、これに次いでは飢饉及び破壊的な疾病が挙げられ得よう。考察を加えた大抵の国においては、人口は平均的な永続的な生活資料によって正確に左右されたことは滅多になく、一般に両極端の間を振動したように思われ、従って、吾々が当然に文明劣れる国に期待すべきように、欠乏と豊富との間の擺動が非常に目立つのである。





底本:「各版對照 マルサス 人口論※(ローマ数字1、1-13-21)」春秋社
   1948(昭和23)年10月15日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「敢て・敢えて→あえて 貴方→あなた 普く→あまねく 凡ゆる→あらゆる 或る・或→ある 雖も→いえども 如何→いか 何れ→いずれ 何時→いつ 一層→いっそう 謂わば→いわば 況んや→いわんや 於いて、於て→おいて 概ね→おおむね 於ける→おける 恐らく→おそらく 拘わらず→かかわらず か知れ→かしれ 勝ち→がち 且つ→かつ 嘗て→かつて 可成り→かなり かも知れ→かもしれ 位→くらい 蓋し→けだし 極く→ごく 茲に→ここに 毎→ごと 之→これ 而して→しかして 而も→しかも 然らば→しからば 然る→しかる 屡々→しばしば 暫く→しばらく 即ち→すなわち 総て→すべて 精々→せいぜい 其の・其→その 夫々→それぞれ 度い→たい 沢山→たくさん 唯→ただ 但し→ただし 忽ち→たちまち 度→たび 度々→たびたび 多分→たぶん 偶々→たまたま 為・為め→ため 丁度→ちょうど 一寸→ちょっと 就いて→ついて 就き→つき て置→てお て居→てお て呉れ→てくれ て見→てみ て貰→てもら 何う→どう 何処→どこ 所が→ところが 所で→ところで とも角→ともかく 乃至→ないし 中々→なかなか 乍ら→ながら 成程→なるほど 許り→ばかり 筈→はず 甚だ→はなはだ 程→ほど 殆んど→ほとんど 略々→ほぼ 正に→まさに 先ず→まず 益々→ますます 又・亦→また 未だ→まだ 迄→まで 儘→まま 間もなく→まもなく 寧ろ→むしろ 若し→もし 勿論→もちろん 以て→もって 尤も→もっとも 専ら→もっぱら 最早・最早や→もはや 稍々→やや 漸く→ようやく 僅か→わずか」
また、底本では格助詞の「へ」が「え」に、連濁の「づ」が「ず」になっていますが、それぞれあらためました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※読みにくい漢字には適宜、底本にはないルビを付した。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(荒木恵一)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年12月14日作成
2006年5月19日修正
青空文庫作成ファイル:
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