秋の雲

岸田國士





 熊川忠範の名前は、今や、全村はおろか、県下に知れ渡らうとしてゐる、といつても言ひ過ぎではない。
 一介の炭焼が、突如として名声を博し、やがて産を成す希望を与へられたと言へば、おそらく森の奥で金塊を拾つたか、谷川のほとりにラヂウム泉の湧き出るのを見つけたか、そのへんのところに相違ないと思ふひともあらうが、話はもう少し込み入つてゐて、しかも、人生の皮肉を興深く感じさせるものである。
 太平洋戦争酣な頃、上州浅間山麓の焼石の原のまんなかへ、海軍関係の工場が建設され、いく百といふ召集漏れの男子が徴用工として集められた。
 そのなかに、別にこれといふ特徴もない中年の小柄な男が混つてゐた。なにをさせても、こつこつと、根気よく働くかわりに、なんでもない仕事に、ひとの三倍時間をくふといふ変り者で、そのうへ、仲間のわるい企みには決して加はらず、かといつて、それを上役に密告するやうな真似はしたためしがない。酒は一滴も飲まぬが、煙草は好物で、配給のキザミや金鵄ぐらゐで事足りるわけはないから、ひとから聞いたイタドリやフキの葉を乾かして吸ひ、山をうろつきながら、さまざまな雑草の葉を自分でためしてみては、最後に、ゴハといはれる茎の短い、大きな葉がカヘデのやうに五つに割れたヒダのある草を常用にした。
 この男はまた、平生はおそろしく無口で、ひとが何を喋つてゐても、めつたに口を挟むことはなく、だれも、この男が、仕事の最中に無駄話をしてゐるのを見たことがない。ところが、たつたふたつ、この男を見違へるほど能弁にする話題があつた。それは、事、建築用材に関して、それから、もうひとつは、朝鮮といふ土地柄に関してである。
 なるほど、その理由は、聞いてみればなんでもないのであるが、たゞ、面白いことは、ひとびとはやがて、この能弁にいたく悩まされるに至るといふことである。
 この男は、熊川忠範といひ、徴用された時は四十二歳であつた。もと九州柳川在の生れで、次男坊なるが故に、縁故を辿つて大阪へ年期奉公に出た。奉公先は、ほかでもない、洗ひ屋であつた。洗ひ屋といふ職業を当節の若いひとはあまり知らぬやうであるが、これは、ひと口に言へば、汚れた家の洗濯をする仕事で、年月の垢のたまつた家の隅々を、或は、新築中にいくらかはつく柱や天井のシミを、薬品を使つて綺麗に洗ひ落す特殊な技術者を指すのである。
 そこで、熊川忠範は大阪でこの洗ひ屋といふ商売をおぼえ、一人前の職人になると、仲間の誘ひに乗つて東京へ踏み出した。東京には腕のいゝ洗ひ屋が少く、今のうちなら、腕が見せられるといふ、その仲間の、青年らしい野心についふらふらと未来の夢をみたためであつた。
 東京は、熊川忠範を寛大に迎ひ入れはしなかつた。仲間と二人で、さる親方の店に使はれてゐるうちに、相棒の男は、彼に無断で店を飛び出し、親方は、その罰として彼の給料を上げようとしなかつた。
 彼はしかし、なにひとつ不平を鳴らさず、春夏秋冬、黙々としてサヽラを握り、あらゆる用材の、千差万別の木目に注意を集中した。黒く煤けた柱の面が、薬品の効き目でほのかに地肌を表はしはじめた時の、心のときめきは、彼の生活の唯一の快い刺激であつた。時には親方に連れられ、時には、親方にへたくそな図面を書いてもらつて、新たな仕事場へ出かけて行くのも、楽しみのうちへ数へてよからう。
 シモタヤのこともある。おほかたは、自分など住めさうもない、だゞつ広い屋敷である。
 旅館料理屋のたぐひが、わりに多い。これも自分とは縁のなささうな贅沢な構えである。
 たまには、事務所や、寺や、土蔵などがある。やはり、さういふところは、なんとなく張合ひがない。仕事の最中を、誰かに見てゐられるといふことは、そんなに意識はしなくつても、それはそれで、邪魔にならないばかりでなく、むしろ、気が張つて調子のつくものである。
 ひと通り仕事の終つたところを、旦那がやつて来て、――ほゝう、見違へるやうになつた。これやまた、たいしたもんだ、と、目をみはり、どうかすると、それがまた、品のいゝ若づくりの細君が一緒ででもあらうものなら、熊川忠範は、ひときわ面目を施し、硫酸水に荒れた手で鼻をこすり、わざとそつぽを向いて煙草をふかすのである。
 彼の仕事は、たしかに丁寧を極めてゐた。しかし、その半面、能率がおそろしくあがらないことも事実であつた。当節の商売は、それでは割に合はぬといふことを悟らないのは彼だけで、親方は、ついに業を煮やした。
 能率をあげるといふことは、結局、ざつな仕事をすることだといふ論理を、彼は頑として腹の底にもつてゐた。それゆえ、親方の言ふことは耳にはいらなかつた。
「手間をかけねえで、ぱりツとした仕事をするのが腕のいゝ職人だ。てめえみてえに、柱一本、一日がかりで、ためつすかしつ、いぢくつてたんぢや、見積りどころか、とんでもねえ足が出るばかりだ」
「手をぬく仕事な、わしにやでけんとたい」
「手をぬけと誰が言つた? この腑抜け野郎、見るものが見て、文句がなけれや、それでいゝんだ。いゝ年をしやがつて、ふざけるない!」
 別にふざけてなどゐるわけではないが、熊川忠範は、親方の言ひ分が少々腑に落ちない。
 彼は、自分の方から、暇をとることにした。ひそかに期するところがあつたからである。
 独立しよう、と、彼は思つた。つまり、フリイの立場で、顧客を作るのである。いくぶんは彼の仕事ぶりを認め、好意的に口をかけてくれる棟領などもあつたが、それも当座のこと、秋になると目立つてひまになり、冬にはいると、ぱつたり、手があいてしまつた。
 そこへもつて来て、生憎なことに、二十七歳にして、彼ははじめて、異性に近づく機会を得たのである。


 下谷天王寺の附近に田部嘉七といふ棟領が住んでゐた。もう六十を過ぎた物堅い職人で、リューマチの気があり、休み休み仕事場へ出て、自分は材木へ墨を引くぐらゐ、請負の仕事もあらかた息子に委せきりといふ楽な身分であつた。
 熊川忠範は、この田部嘉七には物が頼み易く、いはゞ、出入りの一人といふ格で、用があつてもなくても、時々顔を出して、将棋の相手などをしてゐた。
 ある晩のこと、かねて、町内の祭だからゆつくり遊びに来いといはれてゐたのを思ひ出し、熊川忠範は、それ一着しか持つてゐない着古した国民服の皺をのばして、棟領の家へ出掛けていつた。
 鶯谷の駅を降り、いつものやうに谷中の墓地を抜けて、角の駄菓子屋を目じるしに狭い路次をふと曲らうとすると、出会ひがしらに、
「おう、忠さんか、よく来た。まあ、あがつて、ゆつくり一杯やつてゝくれ。おれや、ちよつと、そこの様子を見て来るから……」
 熊川忠範は、言はれるまゝに、表の格子戸を開けた。
 おかみさんが、愛想よく迎へた。
「若いもんは、みんな出払つちまつて、この通り、散らかしたまんまなんですよ。うちはいまぢき帰つて来ますから……」
「はあ、たつた今、そこで会ひましたけん。どうぞもう、かまはんで……」
 酒肴が運ばれたけれども、熊川忠範は、杯をたゞ受けたゞけで、下においた。
「今夜は、そこの空地で、余興があるんですつて……。なんでも、若い衆や娘ッ子が集つて、なんとか踊りつてえのをやるんださうです」
 熊川忠範はそんなことには、いつこう興味はなかつた。さう言へば、さつき、こゝへ来る道で男女の歌ひはやす賑やかな声が聞えた。彼は、ぼんやりと、田舎の祭りの夜を想ひ出した。
 やがて、田部嘉七が、表の戸を荒々しく開けて、帰つて来た。
「おい、おたね、熱いのをつけろ、熱いのを……。だから、おれや、あれほど念を押して、やつらを出してやつたんだ。見るだけならかまはねえが、てめえら、そんな踊り踊つたら承知しねえぞつて……。ところが、どうだ、おたね、ゆきのやつ、おれが見てねえつもりかなんかで、畜生、いゝ気んなつて、ケツ振つて踊つてやるぢやねえか。それも、若え男と手を握つたり、抱き合つたりしやがつて……。見つともねえ」
 田部嘉七が、いきなりぷりぷり怒り出したので、熊川忠範は、挨拶もできなかつた。
「え、忠さん、まあ、聞きなよ。ゆきつていふアマは、おれの、れつきとした娘だ。その娘がだぜ、事もあらうに、毛唐の真似だかなんだか知らねえが、ひとの目の前で、尻ふりダンスたあ、なんだい?」
「へゝゝゝゝ」
 と、熊川忠範は、相槌をうつた。
 相槌を打つたつもりだが、その効果はなかつた。
「へゝゝゝ、は、ねえだらう? おれの言ふことが可笑しいか?」
「いえ、可笑しうはありまッしぇん」
「当りめえよ。そんな娘つ子は、おめえだつて女房にしたくはねえだらう?」
 さあ、かうなると、熊川忠範は、もう返答の限りでないと思つた。
 なぜなら、田部嘉七の一人娘、おゆきさんの風姿にはじめて接した時、彼は、生れてこの方、経験したことのない衝撃をうけた。しかし、それは、それだけのことであつた。なにを望んでも、とうてい手が届かぬといふ諦めが先にたつた。さうかといつて、ひそかな想ひを寄せるといふやうなことで満足できる彼でもなかつた。彼は、無関心にならうと思へば、すぐさうなれる便利な性質をもつてゐた。おゆきさんは、それ以来、彼にとつて、ほとんど無縁の存在にひとしかつた。たまに茶などを持つて来て、化粧水の香らしいものを撒き散らして行くことがあると、彼は、ふゝんと鼻を鳴らした。
 が、思へば、それもこれも、痩我慢にすぎなかつた。たつた今、棟領から――おめえだつて女房にしたくねえだらう、と、戯談にもせよ言はれてみると、仮にそんな話を持ちかけられたら、と、彼は空想するだけで、胸がおどつた。
 次ぎ次ぎに人が押しかけて来た。そのたびに、彼は自分が邪魔になりはせぬかと思つた。棟領がおかみさんに、将棋盤を出せと言ひつけたとき、彼はやつと、ほつとした。将棋は棟領よりすこし強い自信があつた。棟領の将棋は、粘りがなく、ガムシヤラに攻めるだけで、王を囲ふことすらしなかつた。
「棟領、ちよつとご相談があるんですが……」
 と、彼は、その場に誰もゐない時に、やつと切り出した。
「実は、仕事のことなんですが、近頃、まるつきり暇なんで……」
「うん、だから、おれにどうしろつていふんだい?」
「もうちつと、棟領の顔で、口の方を世話してもらへまッしえんぢやろか……」
「うむ、世話をするなあいゝが、おめえも、もうちつと、仕事が早くねえと、なあ。第一、この将棋をみたつて、わからあな。考へるのもいゝが、夜が明けるぜ、夜が、……」
 それで、話はおしまひだつた。
 と、あたりは、もうしんと静まり返つて、祭りの騒ぎもおさまつたらしく棟領の眼も、とろんとして来た。
 その時である。勝手口の木戸がそつと開いて、――たゞいまア、といふ若い女の声がした。たしかに、おゆきさんである。
 熊川忠範が、耳をすますのと、棟領が、席を蹴るやうにして起ちあがるのと同時であつた。
「やい、あがるこたあ、ならねえ。てめえ、今まで、なにしてた」
 田部嘉七は、おかみさんを突きのけるやうにして、勝手の方へ出て行つた。
「親の言ふことを聴かねえやつは、この家を出てけ! へえることはならねえ。どこへでも行つて、勝手な真似をして来い」
 おかみさんの取りなしも無駄であつた。いきりたつ棟領の権幕は、熊川忠範をも縮みあがらせた。
 おゆきさんの姿は、もうそこには見えないやうであつた。
 おかみさんが、あたふたと後を追つかけて行く気配がした。
「棟領、ぢや、わしも、これで……」
 と、熊川忠範は腰を浮かした。ほかに急ぐ用事があるはずもない。たゞ、おゆきさんのことが気がゝりなのである。
「いゝぢやねえか、おめえは、もつとゐたつて……」
 が、さう言ふ田部嘉七も、強いて彼を引き止める気のないことは明らかだつた。
 一歩外へ出て、薄暗い路次の角の電柱のかげに、熊川忠範は何を見たか?
 しよんぼりとうなだれて、左手で襟元をおさへてゐるおゆき、それをはさんで、おかみさんと、巡回らしい警官とが、ひそひそと話をしてゐる異様な光景である。
 熊川忠範も、それを除けて通るわけにいかぬところから、自然、そのそばへ足を止めた。
「わたしが出て話がつくなら、一緒に行つてあげてもいゝが、おふくろさんがついてるんだから、心配はなからう」
 と、若い警官は、親しみと威厳とを半々に示しながら、照れ臭さうに言つた。
「それが、さうはいきませんのですよ。うちのひとと来たら、いつたんかうと言ひ出したからにや、誰がなんと言はうが、聴きやしませんのですよ。ですから、ご迷惑でも、旦那がちよつと顔をお出しになつて、ひと言、娘を家へ入れてやれつて、さうおつしやつてくだされば、これやもう、誰の言ふことより利き目があるんでござんすよ」
「しかし、ほんとなら、どうもそいつは、警官の出る幕ぢやなささうですなあ」
「でも、旦那、この娘が可哀さうだと思召して……」
「いや、娘さんが、町の衆と一緒に踊りを踊つたつていふことは、べつだんかまはんと思ふですがね。それがおやぢさんの気に入るか入らんかは、わたしの干渉すべきことぢやないですから……」
 警官は飽くまで不干渉主義を取らうとするのだが、おかみさんは、どうしても、お上の権威にすがつて、おやぢの立腹を取鎮めようと希ふのである。
「いゝわ、もう、母ちやん……あたし、そんなら家へ帰らないわ。このまゝどつかへ行つて、死んぢまふわ」
 と、おゆきは、打ち沈んだ、しかし、思ひあまつた調子で呟いた。
「なにを言ふの、おまいは……、忠さん、まあ、聴いてやつてちようだい、このの言ふことを……。あんたも、うちのひとの気性は知つてるでせう? あしたの朝までは絶対、機嫌を直しやしません。ひと晩ぢう、このをこゝへうつちやらかして、あたしだつて、のうのう寝られやしないわ」
 おかみさんは、これも、ヒステリカルに叫んだ。
 熊川忠範は、もし許されゝば、おゆきを連れて、夜つぴて、そのへんを歩いてみたかつた。谷中の基地はすぐ眼の前にあつて、格好の散歩道である。もちろん、おゆきに代つておやぢに詫びを入れる勇気はない。そんなことをしようものなら、出入差止めを喰ふのが関の山である。
 幸か、不幸か、その時、若い警官は、凜然として言ひ放つた。
「よろしい、わたしがついて行つてあげよう」
 警官を先頭に立てゝ、おかみ、おゆき、熊川忠範の順に、棟領の家の玄関をはいつた。
「ごめん!」
 警官のひと声に、一同は、粛として、中の返事を待つた。
「どなた?」
 と、答へて、棟領田部嘉七が現はれた。
 なにをどう言つたか、警官の弁舌は実にさわやかであつた。役目を傘に着て人民を威嚇するやうな調子はみぢんもなく、むしろコンコンと生徒を諭す教師のやうな、情味にあふれた説得のしかたであつた。
 熊川忠範は、思はずほろりとした。
 田部嘉七も、いくども、大きくうなづいた。
「では、ゆきさんといつたね、あんたも、これで、お父っつあんの意見はお父っつあんの意見として、あくまで、これから尊重することを約束して、家へいれてもらひなさい。いゝかね、わたしは、今夜はじめて、この町内の巡回に当つたんだが、これからまた、ちょいちょい寄せてもらひます」
「どうも、とんだお手数をかけまして……」
 と、おかみさんは、丁寧にお辞儀をした。
「ありがたうございました」
 おゆきは、かすれた声で言つた。
 警官は、佩剣の鞘を、片足で器用に払ひながら、挙手の礼をしながら、出て行つた。
 ところで、熊川忠範であるが、自分はなんのためにそこにゐるのか、自分でもわからなくなり、やつと、
「ぢや、みなさん、おやすみなさい」
 さう言つて、あたふたと影を消した。


 このことがあつて、二た月後に、その警官とおゆきとは結納を取りかはした。熊川忠範のちつとも与り知らぬことであり、まつたく彼にとつて寝耳に水であつた。
 彼は、失望落胆した。あの夜、あの警官さへゐなければ、と、思ひ、千載一遇の好機を逸したやうに、心中で地団太を踏んだ。
 それから間もなく、熊川忠範は朝鮮に渡る決心をした。遠縁の親戚が咸興道で農園を経営してゐることを思ひ出したからである。
 朝鮮に渡つてからの彼の生活は、単調そのものであつた。朝夕、家畜や家禽に飼料をやるのが仕事であつた。夏から秋にかけては、半身を露にぬらして雑草を刈り取り、冬から春にかけては、トゲを気にしながら乾草をそろへて、押切りにかけ、その間に、ムンムンと鼻をつく鳥獣の糞尿の始末をしなければならぬ。
 十年の歳月はまたゝく間に過ぎた。
 そして、気がついてみると、彼はまだ独身であつた。
 世話するひとがあつて、さる行商の娘、富貴子を迎へて妻とした。彼と十二違ひの二十六で、器量は、昼間よりも夜の方が見栄えがした。小肥りで、気が向けばまめに働き、気が向かぬと昼寝ばかりしてゐた。
 さう寝てばかりゐては、と、たまに注意を促すと、今まで黙つてゐてすまなかつたが、実は、脚気の持病があり、無理をすると心臓に来るからといつて、彼をゾツとさせた。
 彼は妻を愛しはじめてゐたのである。それは、あながち、死なれてはあとが困るといふほどの意味だけではなかつた。富貴子のために、自分はかうして働いてゐるのだという気が、だんだんして来た。めつたには見せぬ彼女のよろこぶ顔が、彼にとつては、今は生き甲斐のやうなものであつた。
 そこへもつて来て、戦争がはじまつた。
 妻は妊娠してゐた。
 現金収入がいかにも少く、妻の欲しがるものを食べさせることもできない。
 彼は、仕事を変へようと思つた。京城にも元山にも出てみた。適当な職はなかつた。
 古い馴染みから、田部嘉七に手紙を書いた。おかみさんから返事が来て、棟領はもうこの世を去つたことがわかつた。
 かうして、戦争のいく年かゞ過ぎ、年子で三人目の女の子が生れた。
 熊川忠範は、恩恵的に投げ与へられる鼻糞ほどの給料に見切りをつけ、炭坑入りを決心した。そこでも、彼は、能率々々といふ言葉に悩まされ、その言葉の裏には、減食減給の厳しい眼が光つてゐた。
 彼は、妻と子供三人を連れて釜山まで逃げのびた。文字通り、逃げるよりほかなかつたのである。当時、単純な理由で職場を去る自由は、炭坑労働者にはなかつた。
 日傭人夫が、彼のたゞひとつの生きる道であつた。彼は、もう一度、内地の土が踏みたかつた。そして、殊に、東京で、本業の洗ひ屋にかへりたかつた。
 釜山から東京まで、その日の糧を求めながら、ジプシイのやうに、転々として移り歩いた。
 東京は空襲のさなかであつた。住む家はどこにでもあつたが、洗ふべき建物は一軒もなかつた。
 彼は、考へに考へた末、運送店に勤めることにした。まだ疎開の荷物が右往左往する時代であつた。勤務時間以外の、臨時の仕事が殺到した。桐の箪笥一棹を、浅草から高円寺までリヤカーで曳いていつて、三日分の仕事になつた。寝る時間を半分にすればいゝのである。
 妻の富貴子は、焼け野原の屋敷町の一隅に、やつと半焼けのまゝ残つてゐる土蔵の中で、乳呑児三人を抱えて、彼の帰りを待つてゐる。
「今日はこれだけ……」
 時によると、夜の明けはなれる頃、彼は、ぐつたりとなつて、そこへ寝ころがるといつしよに、ズボンのカクシから、紙幣をいく枚か鷲づかみにして、妻の枕もとへ投げ出す。
「へえ、これだけつて、ずいぶんありさうぢやない?」
 その甲高い、弾んだ声を聞くと、彼の疲れはふつ飛んでしまふ。ローソクの灯かげに浮ぶ妻の横顔は、彼を求めて輝いてゐるやうにみえる。
 さういふことが、いく月続いたか?
 内心、いつ来るかと思つてゐたものが、遂に、ある初夏のさわやかな朝、寝込みを襲ふやうにして来た。
 徴用といふやつであつた。


「あたしたちは、いつたい、どうするの?」
 と、妻の富貴子は、眼を釣りあげて言つた。
「知らん、そんなこたあ」
 熊川忠範は、思はず、紙切れを床に叩きつけた。が、さう言ふしりから一番上の男の子を膝に抱きあげて、
「さあ、坊や、お前たちは、母ちやんと一緒に、しばらくこゝで留守番するな。食ふだけのもんは、多分送れると思ふけん、……」
 と、弱々しい調子で言つた。
「送れると思つてんの、そんなもの?」
 妻の声は、だんだんけわしくなる。
「ようたづねてみて、送れんやうだつたら、また、なんとかすらい」
 徴用といつても、どこで何をさせられるのか、はじめのうちは、さつぱり見当がつかなかつた。
 そのうちに、上野から汽車に乗せられ、沓掛で降ろされた。幾台ものトラックが待つてゐて、登りの坂道をぐんぐん、どこまでとなく運ばれて行つた。しまひには、大きな石ころの転がつてゐる道ともいへぬ道にさしかゝつた。
 誰かが、左手に煙を吐く山を指さして、
「あ、浅間山だ」
 と言つた。浅間の噴火口へ投げ込まれるやうな錯覚がおこつた。
 やうやく目的地に着いたらしく、トラックの列は、イモムシを並べたやうな一群のバラックの近くへ止まつた。
 植木屋、鳶職、提灯張り、活字拾ひ、テキ屋、コック、旅館の番頭、集まつた人間の職業は種々雑多で、最初命ぜられた仕事は、機械の据付であつた。なんの機械だか、誰にもわからない。たゞ、巨大な鉄の塊を、人々は、なにも考へずに、押しまくり、持ちあげるだけだつた。
 機械の据付に二た月あまりもかゝつた。
 そして、八月十五日が、闇夜の光明のやうに、この山裾の火山灰地の原野の上に訪れた。
 妻の富貴子はどうしてゐるか? 子供たちは? 熊川忠範は、絶えず心にとがめながら、今まで便りを怠つてゐたことを後悔した。いくども手紙を書きかけて、中途でやめたのは、送つて足しになるほどの金が送れぬからであつた。
 徴用解除になると、彼は、僅かに使ひ残した金を懐ろに、東京へ帰つてみた。麹町一番町の、かつて妻子と共に住んでゐた半焼けの土蔵は、いまも、眼の前にあつた。
 もう、日が暮れてゐた。
 彼は、妙に、足がすくんだ。
 ――ゐなかつたら、どうしよう? と考へ、――ゐたらどうしよう? とも考へた。
 高い、鉄格子のはまつた窓から、ぼんやり、光りらしいものが漏れてゐる。――おや、誰か、後から来て住んでゐるらしい、と、彼は、事実、さう思つた。
 そつと、足音を忍ばせるやうにして、正面の毀れた石段の隅に片足をかけた。
 扉は開いたまゝ錆びついてゐるのは、もとの通りだが、その入口に、いつの間にか、古い莚が吊してある。そして、土蔵の中から、赤ん坊の泣き声と、それをあやす母親の子守歌が聞えるではないか。
 ――富貴だ。
 と、熊川忠範は、背中をどやされたやうに、飛びあがつた。
 彼は、また、おそるおそる、莚を引き開けて、土蔵の中をのぞいた。
 小さなカンテラが、蜜柑箱の上においてあり、そのそばに、子供を二人、T字形に寝かせてある。おやツと思ひ、眼をあげると、歌声がぱつたり止んで、奥の壁を背に立つた妻の富貴子が、背中の子供をゆすぶりながら、ぢつと、こつちに眼を据えてゐた。
「フキぢやないか……。おれだ……おれだよ」
 妻は、唖のやうに、黙つたまゝ、ぢりぢりと前へ歩を運んだ。カンテラの焔が、その影を大きく後ろの壁に映し出した。


 熊川忠範は、妻のすがたの神々しさに、ふらふらと、そこへ膝をついた。
「ゆるしてくれ……たのむ……この通り、たのむ……」
 が、妻の富貴子は、うつろといふよりも、むしろ、深々と陰にこもつた声で、
「忘れずに帰つて来たの? 子供はみんな達者です。でも、あんたはもう、帰つて来なくつてもよかつたのよ」
 と、言つた。
「どうしてだ? え、どうしてなんだ?」
 彼は、あえぐやうに叫んだ。
「あんたは、あんまり働きがなさすぎるから……。あたし一人でゐれば、子供は干乾しにしないですむのよ」
 この意味は、彼には呑み込めなかつた。
「おれがゐては、どうしていかんのぢや」
 妻は、それに答へる代りに、ぷいと眼をそらして、背中の子供をはげしくゆすぶつた。
「どうしても、ダメか? もう一度、一緒になつてみてくれんか?」
「ダメ……ダメ、ダメ、ダメ……」
 と、彼女は、機関銃のやうにきめつけた。そして、やゝ調子をかへて、
「だから、当分、あんた一人で働いて、女房子供にひもじい思ひをさせないだけのみいりが出来たら、そん時、また、こゝへ来てみたらいゝわ」
「それまで、お前は、待つてゝくれるか?」
「待てたらね」
 熊川忠範は、かうして、妻から勘当同様の宣告を下され、すごすごと、当てもなく、東京の夜道をまた上野まで引つ返した。


 上州吾妻あがつま嬬恋つまごひ村の運送業、浅川治助が、地元の海軍工場から時たまトラックの御用を仰せつかつた関係で、徴用工、熊川忠範の顔を覚えてゐた。
「さうかい、なるほど、東京も、今どき、洗ひ屋に用はなかんべえ。まあ、性に合ふかどうか、しばらく手伝つてみるさ。その代り食べさして、煙草代ぐれえにしかならねえぜ」
 山で伐つた薪を運び出す仕事であつた。
 思ふやうに肩が利かないので、力を入れゝば入れるほど仕事がおくれ勝ちであつた。若いものが、みな馬鹿にして、「グズ忠」などとからかつた。
 彼はいつそ、山仕事の方がましであらうと考へ、薪伐りの方へ廻してもらつた。これは一束いくらといふ約束なので、いくぶん、張合ひがあつた。しかし、一日に五十束といふ大人の平均にはなかなか達しさうもなく、十五六の小びつちよと競争するのがやつとこさであつた。
 それでも、十日目毎にいくらかの現金を手にして、駅前のうどん屋などにはいるのは、なかなか乙なものであつた。
 彼は、東京において来た女房子供のことを、なんとかして、すつかり忘れてしまはうと思つた。それ以外に心の平安を求める方法はなかつた。早く彼女らを呼び寄せようとあせればあせるほど、自分を惨めにすることは、よくわかつてゐた。
 だんだん、ひとと口を利くのがうるさくなり、できれば、たつたひとりで、森の中に坐つてゐたかつた。
 彼は、ある日、仕事をおつぽり出して、山の尾根伝ひに、炭焼小屋の一軒をたづねた。そして、半日、そこで遊び暮した。
 当節、炭焼きはあまり楽とは言へず、だんだん人手が足りなくなつて来てゐるので、彼は、すぐに、炭焼きの下手間を引受けることができた。
 窯の造り方、原木の組み方、火の燃し方、次ぎ次ぎに彼は覚えて行つた。萱を刈つて俵を編むことも、どうやらできるやうになつた。
 その年も秋にはいり、冬が来て本格的な炭焼きがはじまる頃、彼は自他ともに許す炭焼きになつてゐた。


 しかし、春になつて、木の芽ぶきが野山をうす緑に彩りはじめると、炭焼きの仕事はぐつと暇になる。
 多くの炭焼きたちは、老齢のものを除いて、みなそれぞれ、僅かながらでも畑をおこし、更に、なんでもござれの賃仕事に出掛ける。道路工事、植林、橋の修繕、害虫駆除、堤防の補強、さては、坑山の臨時手伝など、体力と賃金の高に応じて、思ひ思ひの働き場所を考へるのである。
 それからまた、女子供にでも向く小遣稼ぎは、春の野を賑はすウド、ワラビ、ゼンマイの採取、夏の末から秋にかけて、栗、クルミ、野ブドウなどのひと背負ひは、相当の金になるし、なかには、東京の花市へ出す秋の草花や、高山特有の薬草を専門に漁る屈強な男もゐる。
 熊川忠範は、もはや仕事は断念して、女子供の仲間入りをするつもりであつたが、なんといつても、この広い土地に、一坪の畑も持たないのは遺憾であつた。と言つて、空いてゐればどこを掘り返してもよいといふわけにはいかず、人に頼んで借りうけようにも、このあたりでは、他人に賃貸しをする余分の耕地など所有してゐるものはなく、勢ひ、土地を開墾するには現金で買ふよりほかに手はないのである。
 耳よりな農地の整理、開拓団入植の奨励などの噂も、彼のやうな経歴ではなんの恩典に浴しさうもない。
 ところが、ある偶然の機会に、彼は、駐在の警官から、思ひもよらぬ相談をもちかけられた。
「忠さん、君も知つとらうがほれ、南沢の別荘地よ、あしこに、日張さんちう大学の先生の別荘があるんだがなあ。その日張さんが、別荘の管理を兼ねて、畑をちつとばか作つてもれえてえつて言つとるんだがなあ。畑ばかりぢやねえ、いくらもねえだらうが、薪伐りによ、それから、庭の草刈り……たまにや、駅まで使ひに行つてよ。年がら年ぢうをらんでもえゝから、まあ五月頃から十月いつぺえ、ゐてほしいつていふ話だが……。わしや、君なら、きつと先生の気にもいるしよ、仕事だつてさうむつかしいこたあねえと思つとるだ。え? ひとつ考へてみちやくれんかね」
 駐在の加室巡査は、もちろん顔見知りの間柄であり、熊川忠範の身元経歴をよく呑み込んだうへの話であつたから、まさかいやとは言ふまいと、高をくゝつてゐるところがみえた。
「加室さん、せつかくぢやが、わしや、その話は、どうしてん、乗気がしまッしえん」
 少し改まると九州弁が出る。
「へえ、乗気がせんか。給料は月ぎめでも年ぎめでも、どつちでもいゝつて言つてござるんだ。この土地にゐて、君、固定した現金収入があるつていふことは、なによりの強味だぜ。東京にゐる奥さんにだつて、さうすれやいくらかは仕送りができやせんか」
「それほどのもんが、もらへるかね?」
 と、熊川忠範は、やつと、浮き腰になる。
「それや、君、どういう約束だつてできるさ。食べさせてもらつて、いくらとか……」
「いやですたい、わしは、食べさしてもらふのは……。あとは煙草銭ぢや、これや、なんともなりもッしえんたい」
「待ちたまへ。なにも、今、さうきめると言つてやしないよ。だからさ、ともかく、一度、日張先生に会つてみたらどうだね。今、ちようど春休みで、奥さんとお嬢さんとを連れて来とんなさるんだ」
「大学の先生つていふのが、わしや、苦手たい」
「どうしてね? べつに、君が英語の試験を受けるわけぢやあるめえ」
「わしや、威張りくさる人間は、きらひぢやけん………」
 彼は、こゝで、まさに本音を吐いた。これはなにも彼が民主平等論を奉じてゐるといふわけではなく、単に、自分の性格が人から抑へつけられるのを好まぬといふ、まことによく己を知るものゝ言葉なのである。
「いや、それならちつとも心配はいらんよ、忠さん、日張先生といふひとは、ヒゲは生やしてござるが、それはべつに威張るためぢやないんだよ」
 そこで、ともかく、熊川忠範は、加室巡査の案内で、南沢別荘地にB大学教授、日張半平博士を訪ねてみることになつた。


 日張博士はもう二十年この方、大学の休暇を利用して、この南沢の山荘で講義のノートを作り、また、専門の英語及び英文学に関する著述に励んでゐる。戦争中は家族をしばらくこの山荘に疎開させ、時には自ら鍬をとつて、ジヤガイモやカボチヤの栽培に壮年の意気を示したこともあつたが、終戦になると、幸ひ焼け残つた東京の住ひに妻と娘三人を移し、自分だけは、大学の講義数をぐつと減らして、この高原の生活をなるべく長く楽しみつゝ、畢生の事業たるシエイクスピア用語辞典の編纂に没頭する覚悟であつた。
 しかし、六十三歳といふ年齢は、なんとしても先を急がねばならぬ年齢である。これが、博士の日常の言動にも反映して、すべて待たされるといふことを何よりも嫌ふ傾向が甚だしくなつてゐた。
 その点、加室巡査が、博士の依頼を受けてからたつた三日で、然るべき山荘管理人の候補者を推薦して来たことは、いたく博士を満足させた。
「やあ、それはそれは……。なぜ、さうですか。いやいや、こちらこそ、ご迷惑なことをお願ひして……。なるほど、この方ですね、ほう、なかなかどうして……」
 ひと通り紹介がすむと、日張博士は、二人に「光」の箱を差し出してすゝめ、そこへ茶を汲んで来た細君を顧みて、
「加室さんのご推薦なら、安心なもんだ」と言つた。
 熊川忠範は、さつきから、この老学者を中心とする、彼には物珍しい生活の臭ひをあちこちと嗅ぎまわしてゐた。
 この洋風のホールは、いはゆる応接間であらうか。マントル・ピースには、燃え残りの薪が、まだ煙を立てゝゐる。
「ところで、早速だが、こちらの希望はだいたい加室さんからおきゝの通りです。条件については、そちらのご希望も十分伺つて、双方無理のないところで、きめたいと思ひます。熊川さんでしたな、どうです、ざつくばらんにご相談しようぢやありませんか」
 日張博士はさつきから、熊川忠範がちつとも人の顔をまともに見ようとしない、あの一種の人間のタイプに属してゐることを発見した。
「なあ、忠さん、先生もあゝ言はれるんだから、君の方から、はつきり、これこれとお願ひしてみちやどうかね。なにしろ、家族のこともあるんだし、なあ」
 と、加室巡査は、口火をつけようとする。
「さうだ、そのご家族のことを詳しく伺つておきたいが……」
 熊川忠範は、この時、眉をぴくぴくと動かし、口のなかにいつぱい唾がたまつたやうに、頬をふくらました。
「えゝと、たしか、奥さんと、子供が三人だつたな。先生、それが、実は、戦争中からずつと東京においてあるんださうです。奥さんは奥さんで、どうにか向うでやつてゐるらしいんですが、熊川君にしてみれば、それをそのまゝにはしておけんだらうと思ふんです」
 加室巡査は、あくまで察しのよいところをみせた。
「おほきに……だが、熊川君は、もう一度東京で働いてみる気はないのかね」
 日張博士は、熊川忠範にどうしても口を利かせようと思つた。
「それが、ないらしいです」
 と、またしても、加室巡査。
「それでは、こちらから、条件を出してみませう。実は、いろいろ考へたんだが、かういふことでどうでせう。熊川君なら熊川君が、わたしのところの仕事を手伝つてくださるとして、だいたい、一年を通じて必要な収入の半分をわたしの方で持つといふこと。それに対して、君の方は、君の労力の半分をこちらへ提供してくれる。そして、なほ、こちらへ提供してもらふ労力は、全部こちらのためにならなくつてもいゝ。例へば、畑を作るにしても、土地はごらんの通り、可なりあります。仮に三段歩の畑を作るとしたなら、こちらは、季節季節の新鮮な野菜が口へはいれば、それでいい。あとは、君の方で、なにを作つて、それをどうしようとご自由だ。また、仮に鶏を飼ふとします。わたしの方で、生みたての卵が毎日数個と、時たま、つぶして肉を食ふこともあるぐらゐで、その余つた卵からヒナをとつて、そいつを大きくするのは、君の勝手だ。要するに、こちらは、約半人前の労働力がほしいんです。君の方は、現在の炭焼きの労働貸金と、わたしの方からの手当みたいなものとで、生活の全体をまかなつていけるか、どうか、そこが問題だ。現在の経済事情で、どんなものでせう、君としてこれだけあれば家族が養つていけるという収入の額は……?」
「…………」
 熊川忠範は、心の中で、日張博士といふ男はなかなか人を使ふのがうまいな、と感心した。だから、うつかりしたことを言つてはならぬ、と、ますます、口を堅く結んだ。
「加室さん、公平にみて、このへんの土地で、この年配のひとの労働貸金は、平均どれくらゐになりますか?」
「平均、まあ、五、六千円でせう」
「五、六千円……。すると、わたしの方で、土地を無償で提供し、肥料などの実費を負担すれば、月、三千円も出せばいゝか知ら?」
「結構でせう。なあ、忠さん、それだけあれば、やつていけるだらう」
「必要な農具も、こつちで揃へます」
「どうぞ、よろしく……」
 と、はじめて、熊川忠範は、声を出した。それも、つとめて、嬉しくないやうな表情をしたつもりであつた。


 熊川忠範が日張山荘の手伝ひに来てから、もうまる二年になる。
 彼は畑仕事の経験といへば、少年の頃郷里の実家で父や兄の後にくつついて野良に出たこともあり、朝鮮で、十年間、これも本職は家畜家禽の飼育であつたが、やはり、農園といへば水田も畑もあつたから、忙がしい時には馬耕の助手にもなり、果樹の消毒や麦の種蒔きなどに駆り出された。
 それゆえ、土地は変つても、ひと通り農作物に関する知識はもつてゐるつもりであつたが、なにしろ、火山灰地といふ厄介な条件を克服するのは容易でなく、第一年目の成績は、われながら香ばしくなく、日張博士はそれに対して、べつに苦情を言ふわけではなかつたが、もうすこし研究の余地がありはせぬかと言ひ、二三の農業雑誌を取寄せて、これを読んでみろと勧めたりした。
 しかし、どちらをみても、この土地で立派な畑を作つてゐるところはないのだから、それと比較してみれば、あながち、自分が責められる理由はないと、熊川忠範は考へてゐる。
 が、なによりも一番厄介なのは、日張博士が、多少聞きかじつた知識をもとに、なんのかのと仕事に喙を容れることであつた。委せると言つた以上はすべてを委せればいゝものを、やれ、トウモロコシの苗は、ほかから買ふよりも自分で苗床を作つて仕立てたらどうか、とか、大根ばかりそんなに作らずに、西洋野菜をいろいろ試しに栽培してみた方がよいとか、薪を伐る時には、炊事用、ストーブ用、風呂釜用と三種類にわけて、大小長短の区別をつけろとか、実にうるさい指図をするのである。
 その上、堆肥用の草を刈つてゐると、またのこのこ出て来て、ほら、そのへんには桔梗があるから残しておけ、それ、その一廓は桜草が芽を出しかけてゐるから気をつけろ、である。これではうつかり草も刈れない始末で、さういふ時、熊川忠範は、ほとほと学者の家に使はれる味気なさをかこつのである。
 今年は、しかし、博士の注文どほりとはいかなくても、春蒔きの苗の育ちもわるくなく、五月の霜は幸ひそれほどの禍ひを残さなかつたから、この分なら、馬鈴薯のベト病を除いて、たいした失敗を繰返さなくてもすむと、熊川忠範は気をよくしてゐた。
 八月にはいつて、天候はまつたく定まつた。トマトは既に小指の先ほどの実を結び、トウモロコシは、艶のいゝ房をつけはじめた。胡瓜の出来もわるくない。日張夫人は、女中にザルを持たせ、自分手づから、胡瓜をもぎに来る。みごとに大きくなつたのはそのまゝ手をつけず、まだ実のいらぬ小ぶりのものだけを選び、そばに熊川忠範がゐると、聞えよがしに、女中をふり返つて言ふ。
「あちあら、こんなに大きくしちまつちや、ダメだわ。さもなくつてさへ、うちの胡瓜は、皮が固くつて、使ひものにならないんだから……」
 熊川忠範は、それを聞いて、心の中で呟く。
 ――皮が固いのはおれのせいぢやない。
 さうかと思ふと、すこし伸びおくれてやつと蕾をもちかけたナスに、もう一度肥料をやらうとしてゐると、ヴェランダで暢気さうに本を読んでゐた娘の一人が、
「あゝ、忠さん、すまないけど、また、ハンモック釣つてちようだい。なるべく、日蔭になつてるところによ」
 いちいち、口で返事をするのが、億劫なので、彼は、わかつたら、わかつたやうな動きかたをする。それも、一瞬、わかつたかどうか、と、思はせるくらゐにである。
 さて、この土地にしては、ごく稀な、朝から蒸し暑い日の午後であつた。
 熊川忠範は、今年はじめて試作のつもりで種を蒔いてみたソラ豆が、わりあひ順調に茎を伸ばし、花をつけ、今や、僅かではあるが、ふつくらとした莢をつけはじめたのを、――なんでもやつてみれば出来るものだ、と思ひながら、根もとに生ひ茂つた雑草をひとわたりむしり終つた。
 そこへ、見馴れぬ客人の来訪である。門から玄関までの道を、左右の眺めを楽しむやうに、ゆつくり歩を運んでいく。
 かういふ場合、熊川忠範は、しかけた仕事をやめて、取次ぎをするわけではない。向うから挨拶でもされなければ、こつちから頭などさげるのは変である。日張家の客は、自分の客ではないからである。
 その客はどういふ種類の客であるかも、彼の知つたことではない。多分、自分とは関係のない用事があつて来たのだらう。
 ところが、しばらくたつて、気がつくと、さつきの客が日張博士と連れだつて、庭の方へ降りて来た。見てゐると、日張博士が屋敷の中をあちこちと案内し、やがて、畑のそばに立ち止つて、二人で、しきりに何やら話をしはじめた。どうやら、作物について、日張博士が客に今年の出来具合を語つてゐるらしい。
「熊川君、ちよつと……」
 不意に、日張博士の呼ぶ声がした。
 熊川忠範は、なるべく急がずに歩く。
 今朝からはじめて博士と面と向つて口を利くのだから、ちよつと戦闘帽のヒサシに手をかけ、
「お早うござんす」
 と、言ふ。
「お早う。ねえ、熊川君、この方はね、農学博士の菊井茂兵先生だ。高冷地農業の権威で、今度、研究所をこの附近に作られるんださうだ。上高地にも試験場をもつてをられて、いろいろ貴重な研究もおありのやうだから、君なんかこれから、なにかとご指導をねがふといゝ。今までの経験で、どうもわからんというところは、今日いゝ機会だから、伺つてみたらどうだね?」
 菊井博士は、パナマ帽を脱ぐと、もう頭髪に半ば霜をおいてゐるに拘はらず、からだつきといひ、顔色といひ、ほゞ同年輩と思はれる日張博士よりもずつと若々しく、ピチピチしてゐる。
「やあ、なかなか、なんでもよくできてゐますな。かういふ土地のお百姓仕事は、並大抵ぢやありませんよ。このトウモロコシは、ぢか蒔きですか、移植ですか?」
「そのよく伸びた方がぢか蒔で、むかうのヒヨロヒヨロした方が苗を移植したもんです」
 と、日張博士が、熊川忠範に代つて答へた。
 熊川忠範は、かねて自分がぢか蒔説を主張してゐただけに、やゝ得意であつた。苗を移植した方がいゝさうだ、とは、日張博士がどこから聞いて来て、しきりに言ふから、やつてみたまでである。
「移植はどうも、この土地では成績がわるいやうです。どこでもやつてゐません」
 と、熊川忠範は、つけ足した。
「さうですか。苗の植込みをどういふ風にしてゐるか知らんが、このへんは、多分、植込み時期に、地熱が足りないんぢやないかと思ひます。穴を深く掘らずに、ごく浅植ゑにしなければいけません。根を冷やさないやうに、表面の温まつた土で根を包んでやつてごらんなさい。二十四時間たてば、もう大丈夫です。その間だけ、根のまわりに必要な地熱を保つ工夫をしさへすれば、移植の方がずつと結果がいゝ筈です」
 今度は日張博士が、熊川忠範を横目で見ながら、言つた。
「なるほど、さういふ注意をまつたくしてゐないからダメなんだ。半知半解といふやつだ」
 二人はまた、豆畑の方へ歩を移した。
 日張博士は、この地方の豆類は、なにによらず味がよいと言へば、菊井博士は、これで収量をふやすことができれば、申分はないのだが、と、その方法について、いろいろ、研究の結果を述べ立てた。
「あツ、これは、ソラ豆だ、うむ、立派に実がついてる。やあ、こいつは、たいした拾ひ物だ」
 と、菊井博士は、二坪ほどのソラ豆畑を前に、腕組みをして、唸つた。
「ソラ豆はこのへんでは、あまり作らんやうですが、やはり知らんのでせうな」
 日張博士も、熊川忠範がどういふつもりでソラ豆を作つたのかわからず、今迄、さほど気にも止めずにゐたのである。
「種を蒔いた時期は?」
「四月二十一日です、昼から大雪が降りました」
 と、熊川忠範。
「四月二十一日……今日が八月十日……ふむ、さうか。日張先生、実はね、わたくしは、今、このソラ豆を研究題目の一つにしてゐるんですが、つまり、ソラ豆はいつ頃まで市場に出し得るか、といふ問題です。例のビールのツマミモノにするやつですな。統計によりますと、東京の市場に、最後に出たのは、本年までのところ、七月五日といふことになつてゐる。その頃でさへ、市場の相場は、莢ぐるみ、貫千五百円です。これがもし、それ以後に出れば、相場は鰻昇りで、高冷地農業の目のつけどころです。ざつとみて、さうですな、もう少し手をかければ、坪当り五貫まではいくと思ひますから、どんな蔬菜よりも、それは、収入源として大きなものです。わたくしの上高地の試験場でも、去年から試作をさせてゐるのですが、どうもうまくいきません。今年なんかは、種をみんな鳥にやられてしまひました。待つてください。これはひとつ、参考資料として、写真にとらせていたゞきませう。それから、実物標本として、二株ほどいたゞいて帰りたいのですが、お許しねがへませうか?」
 日張博士が、返事をする前に、熊川忠範は、
「そんなもんでよかつたら、いくらでもどうか……」
 と、胸を反らして答へた。


 日張博士の山荘にある熊川忠範作るところのソラ豆畑は、やがて、菊井博士の紹介によつて、まづ、学界の話題となり、あはよくば新聞の、少くとも地方版の特種となるであらう。
 熊川忠範は、来年こそは、腕によりをかけて、新たに三反歩ほどの畑を起し、毎年その割合で開墾をつゞけていつて、耕地の大部分をソラ豆畑とするであらう。
 一町歩の畑から、菊井博士の推定によれば、どれだけの収入があがるか?
 熊川忠範は、その夜、鉛筆をなめなめ、細かい計算を立てゝみた。
 坪当り五貫目とすれば、貫二千円とおさへて一万円。一町歩は三千坪だから、待つてくれ……、間違ひのないところ三千万円キッカリである。
 ほかのことはなにもする必要はない。
 肥料代は知れたものだが、収入のうちから日張博士に返すことにしよう。
 いよいよさうなれば、妻の富貴子にまづ吉報をもたらす順序となるが、彼女は相変らず麹町一番町の土蔵の中で、子供の守りをしながら、けなげに暮してゐるであらうか?
 怪しいものだ、といふ予感がしなくもない。それだから今のうちに、ともかくこの計画を伝へて、先々の希望を持たせておいた方がよくはないか?
 いや、いや、捕らぬタヌキのなんとやら、と、彼女は、口に出さないまでも、腹の底では思はぬとも限らぬ。現実のよろこびは、不意に、なんの前ぶれもなく、眼の前に投げ出されるほど、その効果は大きいものである。
 熊川忠範は、このことについて、日張博士の意向をきいてみる必要はないかどうかを考へた。土地は自由に使つてよいといふ約束である以上、それをどう使はうと、こつちの勝手だ、といふ結論に達したが、果して、それだけの土地、耕作地として適当な土地が、日張家所有の地所のうちにあるかどうかが問題になつた。
 それをまづ確めなければならぬ。
 九月になつて、この別荘地も、また、ひつそりとなつた。日張夫人も、娘たち三人も、女中も、みな東京へ引き揚げて行つた。
 日張博士は、さうなると、自分で炊事をしはじめる。なにを食つてゐるのか、熊川忠範は見たことがない。時々、駅前の食料品店へ食パンを買ひにやらされるので、博士はパンの方が米よりも好きらしいといふことはわかつた。
 博士は自分で作つた大花壇に水をやるのを日課にしてゐる。ジヨウロで水を撒くこともあり、ホースを引いて、噴水のやうに雨を降らせることもある。さういふ時の博士の顔は、子供の顔のやうに他愛がない。
 熊川忠範は、今日はすこしからだの節々が痛むので、朝から仕事の方はいゝ加減にして、屋敷の中をぐるぐる廻つてみてゐる。
 ちようど博士が花壇の草をむしつてゐるとき、そのそばを通りかゝつたので、熊川忠範は、なんとなくそこに立ち止つて、博士の不器用な腰つきを眺めてゐた。
「どうだね、まだ細君だちを呼び寄せる手筈はつかんかね?」
 と、日張博士は、訊かなくてもわかつてゐることを訊いた。熊川忠範は、現在、日張家から月々三千円もらつてゐるだけで、ほかに収入のない身分である。もちろん、三千円のうち千円づつは貯金をしてゐるが、女房子供をそれで食はせろといつても、無理にきまつてゐる。
「もし、こつちで家を持つ気なら、入用な材木だけ買つてあげてもいゝから、わたしの地所のなかで、適当な場所へ、自分でちよつとした小屋を建てたらどうかね? さうすれば、わざわざ、一里もある道を通つて来なくつてすむわけだ」
 博士の言葉は誰のために言はれてゐるか、と、熊川忠範は思つた。
「いつたい、旦那の地所つていふのは、どれくらゐあるのかね?」
「え? 坪数かい? それをまだ、君は知らんのか? いつか話したと思ふが全体で、九百坪ばかりさ」
「へえ、九百坪……。もつとあると思つたが……」
「あゝ、隣の空地を譲つてもらへば、いくらだつて広げられるわけだ」
 ――それ、それ、その手がある、と、熊川忠範は、にやりとした。
「旦那、こゝで二日ほど暇をもらひたいんだが……」
「あゝ、それやかまはないが……どうするの?」
「いや、ちよつと……」
 許しが出たので、熊川忠範は、その翌日、一番の電車で東京へ上つた。
 なにをするわけでもない。妻の富貴子と、三人の子供たちが、まだ、あの焼け残つた土蔵の中で暮してゐるかどうかをそつと見届けておくためである。
 いざといふ時の用心であつた。
 が、その場所へ行つてみると、例の土蔵は取り毀されて跡形もなく、その周囲を広く真新しい板塀が取り巻いてゐた。
 彼の瞳は、しかし、その土蔵の建つてゐたあたりに注がれ、いつまでも動かなかつた。
 彼のさうしてゐる姿を遠くから見かけたものは、扮りふりかまはぬ一人の中年男が、風流にも、空を流れる秋の雲をながめてゐるとしか思へなかつた。





底本:「岸田國士全集18」岩波書店
   1992(平成4)年3月9日発行
底本の親本:「サンデー毎日 第三十年第三十七号(新秋特別号)」
   1951(昭和26)年9月10日発行
初出:「サンデー毎日 第三十年第三十七号(新秋特別号)」
   1951(昭和26)年9月10日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2011年10月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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