春秋座の「父帰る」

岸田國士




 菊池氏の作品を実際舞台の上で見るのは、「忠直卿行状記」の脚色されたものを除いて、今度、本郷座にかゝつてゐる「浦の苫屋」と、それから、明治座の「父帰る」がはじめてである。
「父帰る」は菊池氏の傑作らしい。菊池氏の傑作であるのみならず、現代日本の生んだ世界的名作であると云ふ人もある。
 私は、今日まで常にさうであつたやうに、偉大な作品に対する敬意と期待とを以て、静かに幕が明くのを待つた。
 嵐の一幕……。
 私は非常な感動を受けた。涙を押へることができなかつた。声を上げて泣かうとした。私は自分が何処にゐるのかを忘れやうとした。
 私はたしかに何物かを見た。私の心は、強く、何ものかに撃たれた。
 私は、何を見たのだらう。夫に棄てられた妻、父に棄てられた兄弟を見た。二十年ぶりで我家に帰つて来る父を見た。父に対する兄の敵意を見た。弟の因襲的情愛を見た。母と妹の女らしい涙を見た。父の失望を見た。少しばかりの憤りを見た。そして最後に、兄の口から放たれる「血の叫び」を聞いた。私は泣いた。隣席の娘らも泣いた。後ろの田舎紳士も泣いた。神も泣くだらう。鬼も泣くだらう。若し泣かないものがあるとすれば、それは冷静な批評家ばかりに違ひない。
 扨て、私は、そつと涙をふいて、息苦しい胸の動悸を鎮め、徐ろに、何の為めに自分がこゝに来てゐるのかを考へた。
「父帰る」はたしかに傑作である。かう云ひ切つてしまふのが私の義務だらうか。若し私が何も云はずにゐたら、私の感動、私の流した涙が、それを語る有力な代弁者ではないだらうか。私はさうは思はない。「父帰る」は見物をあゝ泣かせてしまふところに、惜しむべき芸術的の瑕瑾がある。
 われわれは、よく、芸術的作品から、一面に芸術的ならざる感動を受けて、それを以てその作品の芸術的価値を評価しようとすることがある。実際に於て、さう云ふ種類の感動が、判然、作品中に他の部分から離れて存在すると云ふやうな場合は稀であるが、作家の企図した「効果」なるものが、往々、その表現の性質上、芸術的形式を越えて、或は、それに達せずして、単なる必然的事件、或は運命的現象として、作者の手から滑り落ちるとき、それが必然的であるだけ、感動に「真らしさ」があり、運命的であるだけ効果が直接である。それは、云はゞ単なる常識的感動である。常識的感動によつて芸術品の「効果」を期待するのは、私に云はせれば芸術の邪道である。
 菊池氏の「父帰る」は、決して、常識的成効以外に何物もないと云ふのではない。先づ第一に、あざやかな現実整理が行はれてゐる。心理の推移に説明以外の暗示的飛躍がある。これは劇的作品として、すばらしい長所だ。これだけでも、現代日本の作品としては傑作の名が許されるであらう。
 私は、此の興味ある作品について、今細かい欠点などを指摘したくない。
 菊池氏の劇は、私の考へてゐる劇、殊に私の好む劇から可なり隔つてゐる。が、それは問題ではない。世の中に、一種類の色しかなかつたら、自然は如何に落漠たるものであらう。
 演出について、先づ俳優に註文がある。脚本が佳いだけに、もつと工夫をして貰ひたい。する余地がある。頭の働かせ方が足らないと思ふ。ひどい云ひ方のやうだが、それは固くなり過ぎてゐると云ふことである。真面目とか熱心とか車輪とか、そんな文句に力瘤を入れて、見物の同情を買はねばならぬほど此の一座の俳優は無能ではない筈だ。もつと、ずつと、ゆとりがあつていゝ。ふつくらと、丸みのある演出をしてほしい。すつきりと、冴えた演出をして貰ひたい。「科」と「白」との間に、もう少し肉を附けて欲しい。そこから幾分此の作には不足な「ニユアンス」が生れて来るに違ひない。
 猿之助は始めからあまり情味を隠し過ぎてゐるやうに思ふ。冷くなり過ぎてゐる。
 八百蔵は、立派だ。兄に対して、もつと打ち融けた話しぶりをした方がいゝ。「秋だなあ」は、困つた台詞だ。六ヶ敷いに違ひない。もつと、軽く、なんでも無く云つてしまふ文句だ。
 嘉久子は、控え目に演じてゐるやうだが、此のひと、五年以来、すつかり役者になつた、はまり役も相当あるだらうが、これなどは研究すべき役の一つだと思ふ。
 美禰子については別に云ふことなし。美しいと云ふのが褒めたことになれば、さう云つて置く。
 父親の役は、成るほど、適役だと云へないのが残念である。もう少しどこか一点を見つめ得る男にして欲しい。凄味などはいらない。あんなあやふやな人物にしては面白味がない。殊に、長男の言葉に耳を傾ける、少くとも、それを遮らうとしない父親である。無性格な人物、さう云ふ感じがするのは演出上の失敗である。不自然な誇張が多い。此の人は臨時加入らしいが、全然、演伎上のトンが違つてゐる。





底本:「岸田國士全集19」岩波書店
   1989(平成元)年12月8日発行
底本の親本:「演劇新潮 第一年第四号」
   1924(大正13)年4月1日発行
初出:「演劇新潮 第一年第四号」
   1924(大正13)年4月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:Juki
2006年2月20日作成
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