著作者側の一私見

――出版権法案について――

岸田國士




 世間は、出版権と著作権とが飽くまで相反する利害の上に相争ふものであると誤認してゐるやうであるが、それは悪出版者と不良著作者との間に限ることで、寧ろ出版権法の精神は、対著作者の関係以上に、同業者間の職業的良心に訴ふべき性質のものであること、著作権法と同様である。元来、出版者並に著作者は、一種相互扶助的存在で、互に相犯さず、両々相まつて始めて事業の生産的文化的意義を発揮するものであるから、一方の権利を尊重するため、他方の権利をじうりんする結果が生じるやうな法律は決して完全なものとはいひ難いのである。
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 著作者側からいへば、今度の出版権法案は、この点に関し、いまだ幾多研究の余地もあり、二三の条項は、根本に危険な精神を含んでゐるやうに思はれる。私個人の意見ではあるが、例へば、第四条の但書は、出版契約の「単ナル不備」のために、著作者は、永久に著作権を喪失するやうに解釈されるのである。また、第六条、全集うんぬんの件についても、「著作物発行後十五年」は、どういふ例から見ても長すぎるし、殊に、著作者死亡の際を考慮してないのは、実際問題として不都合であらうと思ふ。次に、新聞雑誌に掲載したものを、「三ヶ月」経過しなければ別途に利用できないといふことは、著作者のみならず、出版者側にとつても不必要な規定のやうに思はれる。第七条、出版権の譲渡は一応著作者の同意を得るやうにしたい。第十条は著作者側の利益を顧慮したすこぶる玩味すべき条文であるが、「正当ノ理由ナクシテ」といふ一句で、出版者側に巧みにその運用を阻止してゐる。これは甚だ機微な問題であるが著作者側としては出版権が継続してゐるからといふ名目の下に、その期間、如何なる理由にもせよ「売れなくなつた本」をそのまま葬つて置くことは苦痛であらう。これは第九条にある出版者側からの「通告」をまたず、適当の時期に、著作者より契約解除の申出をしたいものだ。この場合、見込違ひ、又は販売技術に関する責任を出版者側で負ふのはやむを得ないことゝ思ふ。
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 要するに、出版契約の締結といふものが、これまで甚だ軽視されてゐた実情であるから、将来、これを励行するとしても、利益の観念に多少相違もあり、一般の想像以上実務に疎い大多数の著作者を、出版者側の意見に服せしめることは極めて容易である事実を考へれば、良心ある出版者は、寧ろこれによつて生ずる弊害を顧慮し、既存の著作権法を、更に、合法的に有名無実ならしめるやうな条文を忌避することが必要である。
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 なほ、上述の如く、対著作者の問題に拘泥する余り、一部出版者の利益ろう断等他の出版者が自じよう自縛に陥るやうな矛盾がこの出版権法の中に生じ易いことを注意しなければならぬと思ふ。





底本:「岸田國士全集22」岩波書店
   1990(平成2)年10月8日発行
底本の親本:「東京朝日新聞」
   1933(昭和8)年2月11日
初出:「東京朝日新聞」
   1933(昭和8)年2月11日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
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