アトリエの印象

岸田國士




 私は巴里滞在中、二三の画家諸君と識り合ひになり、ちよいちよいアトリエを訪ねるやうなこともあつたが、いつでもその仕事振り、生活振りに多大の興味を惹かれた。
 第一に、いかにも楽しさうに仕事をしてゐる。母親が娘に晴着を著せてゐるやうだともいへるし、子供がお土産に貰つた寄木細工を弄んでゐるやうだともいへ、或はまた、酒飲みが晩酌の膳に向つたやうでもあり、善良な夫が細君の独唱を聴いてゐるやうでもある。
 第二に、訪問者の相手をしながら、平気でカン※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)スに向ひ、それでさほど煩はされもせず、訪問者も一向退屈しないといふことである。これは人によつても違ふのだらうが、さういふところは、われわれ原稿紙に向つて字を埋めて行く商売とは甚だ隔りがある。
 ――どうだい、この絵は……
 ――面白いね。
 話は甚だよくわかる。われわれの方では、さうは行かない。
 ――今、一寸したものを書きかけてるんだ。
 ――どこへ出すの?
 ――頼まれたもんだから、仕方なしに書いてるんだ。方面違ひの美術雑誌さ。
 ――へえ、脚本かい。
 ――ううん、なんでもいいつて云ふから、なんでもないことをだらだら書いてるんだ。
 ――随筆だね。随筆の筋なんてものはないかもしれないが、一体どういふことを書くつもりだい。
 ――書いて見なけれやわからんよ。
   ……………………………………
 結局、話題を他に移すより外はない。実際われわれが机に向つてゐるのを、人は手紙を書いてゐるくらゐにしか思はないらしい。その証拠に、少し待つてくれと云ふと、五分も待てば十分だといふやうな顔をしてゐる。
 第三に、絵に描く対象をすぐ、自分のわきに置いておくといふことである。それが美しいモデルなんかだと、一層面白い。この美しいモデルといふものは、どうして画家の専有物なのか。われわれだつて、ああいふものを傍らに侍らしておいて、それから必要なインスピレエシヨンを受けることはちつとも差支ないと思ふが、どうだらう。一人の小説家なり戯曲家なりが、ある女性に興味をもち、その美しさを「描く」ために、彼女を自分の書斎に閉ぢ込め、毎日時間をきめて、その肉体と精神の「姿態」を観察するとしたら、世間はなんと云ふだらう。よしんば、彼女を一度も裸にしないでも、これは「問題」となるに違ひない。
 私はある画家のアトリエを久しぶりで訪ねたが、その画家は、新しいモデルを手に入れたばかりのところで、大いに上機嫌だつた。彼はそのモデルを前において、あらゆる讃嘆の言葉を放つた。それは半ば私に聞かせるためであり、半ば彼女に聞かせるためである。或は、さう考へるのが既に私のお目出度いところで、実は、私の耳を通じて、その讃辞の悉くを彼女の耳に伝へてゐたのかもしれない。
 私はそこで、この一組の男女が――画家なる男とモデルなる女とが――いかなる関係なればこそ、かくも同時に、幸福であり、得意であり得るかを疑つた。
 第四に、自分の描いた絵を、一々、壁にかけて置いて、朝な夕な、煙草を吹かしながらそれを眺め暮せるといふことである。
 なるほど、文士の書斎には、自著が行儀よく、本棚の中で背中を並べてゐるかもしれない。しかし、背皮の標題が語り得る範囲は、極めて狭く且つ漠然としてゐる。
 ある画家はかうも云つた。――自分の絵が永久に自分の手許から離れて行く気持は淋しい、と。それには同感できないこともないが、その気持は、また考へやうによつて、なかなかロマンチツクでいいではないか。自分の本が、二足三文で夜店に晒されてゐるなどはあんまり散文的だ。
 余談になつたが、われわれが自作を読み返す興味は、殆ど一つの努力に等しい。これに反して、画家は、さういふ努力なしに、過去の仕事を刻々振り返つて見ることができる。そして、自分の歩いて来た道を絶えずはつきりと見きはめ、そこからいろいろな刺戟と、慰藉と、希望とを汲みだすのだ。
 画家のアトリエにはひつた時、われわれは、その家の主人を画家として以外に見ることはできない筈である。つまり、雑談の間にも、一度は「絵の話」がでる。「彼の絵」がさうさせるのである。ところが文士の書斎は、時には、実業家の応接室と選ぶところなく、温泉場の碁会所と選ぶところなく、停車場の待合室と選ぶところがない。「彼の本」は、実際背中を向けたままでゐるからである。
 私はある時、初めて識り合ひになつた画家に伴はれて、深夜そのアトリエにはひつたことがある。屋根裏の薄暗い部屋である。私たちは、話に夢中になつて、その日、夕食を食ひ損つたのである。その画家はアトリエの一隅で、アルコオル・ランプに火を点け、米の飯を焚き出した。茶めしを御馳走しようと云ふのだ。私は空腹を抱へて飯のできるのを待つた。やがて、醤油の煮える香ひがしだした。巴里で嗅げば、これもノスタルヂヤの種だ。
 ――さあ食ひ給へ。
 その後は、どんなことを話したか覚えてをらぬが、それから一年もたつてからのこと、その画家は私に向つて、面白いことを云つた。
 ――君がはじめて僕のアトリエに来た時、壁といふ壁にあんなにかけてあつた僕の画を見て、お世辞にでもなんとか云はうとしない無頓着振りには、全く感心したよ。それより第一、絵かきのところへ来て、絵がそこにかけてあることさへ気がつかないやうなんだ。
 ――腹がへつてたからだらう、きつと。
 ――いや、飯を食つてから後でもだ。
 ――腹がふくれたからだよ、それや……。
   ……………………………………
 こんな冗談にまぎらはしたものの、私は内心、画家を友にもつ資格のないことを恥ぢた。

 私が最も驚異の眼を見はつたのは、ある友人に連れられて、モン・パルナスの某画塾を見に行つた時である。男女数十人の研究生が、モデル台に立つた一人の男を――丸裸の男を写生してゐた。モデルといふ職業も、人事ながら容易でないと思つたが、まだ日本なら肩揚も取れないほどの少女たちが、顔も赤らめず、「裸の男」を忠実に「頭から足の先」まで写生してゐる有様は、全く見てゐて、こつちの顔が赤くなるやうな気がした。かういふ場合に、かういふ感情を起すことが抑も「絵を描かない人間」の悲しさだらうが、それにしても、「絵を描く人間」は、そんなに、肉体といふものに対して、特別な観方、感じ方ができるのだらうか。できなければいけないのだらうか。私は少し憂鬱な、同時にまた滑稽な気持でその画塾を出た。
 もう一つ不思議に思つたのは、これもある友人のアトリエで、私のふと目撃した「事件」についてである。
 それまで神妙にポオズをしてゐたモデルが、休息の時間を与へられると、いきなり部屋の隅の洗面台の下から、大きなバケツを引つぱり出し、その上に跨がつた。何をするのかと思つてゐると、こつちが眼を反らす暇もなく、鼻唄かなんか口吟みながら、悠々と用を足しはじめたのである。これくらゐ、てれくさい話はない。私は友人の顔をちらと見たつきり、窓外の緑に眼を転じて、つらつら美術の精神について考へた。
 モデルが帰つたあとで、私はこの友人の口から、「ああいふ女」が好きだといふ話を聞かされた。
 なるほど、「ああいふ女」が好きである美術家に、私は一応敬意を払ひたい。なぜなら、それによつて、私の感情の古めかしさを教へられたからである。実際、さういふところにも、アトリエの新鮮さがあると、私は常に感じてゐる。(一九二七・一二)





底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「時・処・人」人文書院
   1936(昭和11)年11月15日発行
初出:「アルト 第二号」
   1928(昭和3)年6月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年7月2日作成
2016年5月12日修正
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