新聞小説

岸田國士




 新聞小説には殆ど経験がないといつてもいゝし、従つて自分でかうといふ野心を持つてゐるわけでもありませんけれども、自分だけの問題として考へれば、これからも新聞の小説を書いてみようといふ興味があるし、書くに就いては形式の上から云つても内容の上から云つても、自分が満足するだけでなく、非常に広い範囲にわたる読者へ相当興味の持てるやうなものをといふ事は自然考へてゐます。
 で、その形式や内容から言つて極く広い読者層に訴へるやうな小説といふのは、結局現代の社会を作家としての自分の特殊な立場から見て、それにある程度の批判を加へたものでなければならない。一体に新聞の読者といふものが外の雑誌の読者と異つて、どういふ層を含んでゐるといふ事はこれは殆ど見究めがつかないと思ひます。新聞の種類などによつて多少見当のつく場合もありますが、更にその新聞の読者の中でどういふ種類の人達が毎日の続きものを読んでゐるかといふ事になると、これは殆ど現在の商業劇場の見物以上に多種多様であつて、一口に言へば同じものがある読者にとつては非常に面白く、ある読者にとつては非常につまらないといふやうな結果が明瞭に、そして必然的に起つて来ると思ひます。で、さういふ色々な教養・趣味・思想の背景を持つた読者に一様に受け入られようといふ作品が、果して一人の作家の手で生れるかどうかといふことはまづ疑問としておいて、それでも尚且一つの新聞の連載小説を引受けた責任から言へば、自分の読者を少数の範囲に限るといふ事は絶対に出来ないことです。
 それで、まづ一例を上げると、現在ジヤアナリズムの表面で、甚だ流行してゐるかの如き諸傾向は、実際我々の周囲の堅実な、少くとも自分の生活を持つてゐる家庭乃至個人からは、それほど関心を持たれてゐないにも拘らず、さういふものがとり入られなければ、新聞小説でないやうな偏見を一部の社会に植ゑつけた事は大変に遺憾だと思ひます。
 誰でも引く例ですが、山本有三氏の「朝日」に書かれた小説などは、恐らくかういふ点で新聞そのもの、若い作者達、及び一般読者に甚だ好もしい反省を与へるものだと思ひます。然し僕はそれだからといつて、新聞小説とはかくの如きものをいふのであると断言するのではありません。あれも理想に近いものではあるが、尚一層形の変つた、全く別種の色彩を持つた連載小説が生れる事も希望してゐます。それは例へば今僕の訳しつゝあるジユウル・ルナアルの『にんじん』のやうなものが新聞の連載ものに向かないわけはないと思ふのです。
 或は又、夏目漱石の『猫』のやうなものが、もう一度出てもよくはありますまいか。漱石で思ひ出しましたが、漱石の小説は新聞小説としてもなか/\周到な用意を払つてあるやうに思はれますが、あれが所謂大衆とまでは行かないまでも、意外に多くの愛読者を持つてゐたといふ事は、作品の内容が高級であるといふ障碍を乗り越えてその実質的なレベルが、この結果をもたらしたといふ、美事な実例だと思ひます。
 尚、新聞小説の反響とか評判とかいふことで気がついてゐるのは、この反響とか評判とかいふものが極めてあてにならないものだといふことです。仮に所謂社内の評判といふものがあります。又友人間の評判といふものがあります。更に又文壇の反響といふものがあります。それからも一つ読者の反響です。作者はこの色々な評判や反響を気にしながら、毎日苦しい仕事をつゞけて行くのですが、果してどの評判に信頼し、どの反響を正しいものとすべきでせうか。或場合には全く正反対のこともあります。殊に甚だしいのは、いゝとか悪いとかいふ批評が作品のほんの一部分、ほんの一面に向けられた言葉に過ぎず、それが無責任に次から次へと伝はつて行くことです。聞く処によると、読者の声を代表するかの如き新聞社への日々の投書は、決して読者の声を代表するものではなくて、その中の極く偏した一部、極端に言へば物好きな弥次馬の声なんださうです。さういふ事を一々気にしてゐる作者もありますまいが、万一さういふ片々たる投書批評を標準にして新聞小説の傾向なり調子なりが決定されて行くとしたら、非常に嘆かはしい事です。
 僕は新聞の小説を引き受ける場合、一番気になるのは新聞社の方で初めから新聞小説の一つの型をきめてきてはゐないかといふことです。僕にはまだ自分の力でその型を破りながらしかも大多数の読者に満足を与へるやうな作品の見当がついてゐません。





底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「文学時代 第三巻第十号」
   1931(昭和6)年10月1日発行
初出:「文学時代 第三巻第十号」
   1931(昭和6)年10月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月20日作成
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