日本演劇の特質

岸田國士




九月三日(土曜日)午前九時三十分開講

 今から「日本演劇の特質」といふ題でお話をしようと思ひます。皆さんは特別に日本の演劇を研究しようといふ目的を持つておいでになるお方ではないと思ひます。ですから余り専門的なお話をしても面白くないので、成るべく皆さんが日本に滞在しておいでになる間、日本の芝居に接触なさる上で御便宜になる様なお話をしたいと思ひます。日本の演劇はどういふ点に特色があるかといふことを知る為には、どうしても之は日本と云ふものを先づ知つて戴かなければならない。それからもう一つは演劇と云ふものはどういふものかといふ根本の知識を持つて戴かなければなりませぬ。併し日本といふものは御覧の通り非常に複雑な面貌をもつてゐます。斯う云ふ所も日本かと想ふと又全くそれと一見反対の様な或は矛盾した様な部分が日本にあるのであります。さういふ様な意味で日本の全貌を捉へるといふことは、皆さんにとつてなか/\やさしい事でないと思ひますが、殊に劇とはどういふものかといふことは、之は普通常識で芝居を観て、芝居とはこんなものかといふ事が解つてゐるといふのでは不充分なので、芝居と云ふものはどういふ様な要素で出来てゐるか、或は又芝居の歴史はどうであるかといふ、さういふ色々な方面から芝居を研究した上でなければ芝居とは何か、演劇とは何かと云ふ事が先づはつきり掴めないと思ふのであります。しかし、さういふ基本的なことを私は此処で申上げて居る暇はありませんから、先づ皆さんが今日迄、もう日本でなり或は皆さんのお国でなり御覧になつた芝居と云ふものゝ知識を信用してお話を進めて行きたいと思ひます。
 で、是から東京でどういふ機会かに劇場に足をお向けになることがあると思ふのでありますが、其時にこの芝居は現在日本でどういふ地位を占めてゐるか、ほかの芝居とどういふ所が違ふかといふ極く一通りの概念を持つてお出でになると、幾らか便宜でもあり、又吾々としましては、日本の芝居と云ふものを皆さんの頭に誤つた印象として残さないために、特にさういふ点をこの機会に出来るだけ細かくお話したいといふことは、詰り今日吾々日本人が芝居と云ふものを通じてどういふものを作り出し、どう云ふものを育てゝ行かうとしてゐるかといふ精神を酌取つて戴きたいからであります。現在日本の演劇と云へば其の種類は非常に豊富であり雑多である、其の種類が非常に多いといふことは、恐らく世界のどの国に較べても敗けない位だと思ひます。種類が多いといふ事許りが決して自慢にはならないのでありますけれども、其の種類の多いと云ふことが日本の現在の芝居の特質と数へても宜いと思ひます。どういふ訳でそんなに日本の芝居の種類が現在多くあつて、さうしてそれらの種類の芝居が昔から大体に於て今日迄続いて来て居るかと云ふことには理由がある、其の理由を説明致しますが、その前にそれなら一体どんな種類の芝居があるかといふと、其の項目を申上げれば、先づ能狂言と云ふものがある。之は後で説明致しますが、一口に能狂言と云ふジヤンル、種目があります、之は御承知の様に世界の演劇史の中にも大きなモニユメントとして認められて居る演劇であります。その次には歌舞伎と云ふものがある、之も三百年の歴史を持つて居りまして、芝居の技術といふ上からいつては、又世界のどの芝居に較べても其の完成されてゐる事に於てはひけを取らない。さうして此歌舞伎演劇の形式は、欧羅巴、亜米利加辺りの新らしい近代劇の上に逆に影響を与へつゝある。此能狂言と歌舞伎と云ふ二つの古典劇、クラシックに対して一方現代の演劇といつていゝ一つのスクール、流派があります。此新らしい演劇の歴史ももう既に六十年に垂んとしてさうして矢張り発展の途上にあります。
 其外になほ日本全国の各地方に郷土的な劇があります。之は能狂言や歌舞伎の様に謂はゞ一つの芸術的な方法でそれを育てゝ来たと云ふよりも、寧ろ自然発生的な、自然に民衆の生活の中から生れて、それがその儘の形で伝へられてゐる様なものであります。それから更に能狂言や歌舞伎が発生する前それが生れる前に、支那の文化を移植すると同時に伝へられた舞楽と云ふのは大体に於てダンスと音楽に依つて組立てられた一つの演劇形式であります。其の舞楽と云ふものが今日矢張り大切に保存されて居ります。今日では之は主として宮中に残されてゐる。それから又歌舞伎劇が三百年前から段々発達しまして、それが完全な今日の姿に成る迄に非常な影響を与へ、又同時に歌舞伎劇の方からも色々なものをとり入れた一つの変つた演劇形式があります。これは日本人形劇であります。今日文楽と呼んで居る人形劇は、之は世界の、色々の人形劇の中で其の技巧が、非常に細かく洗練されて居る点で無類と思ひます。もう一つは新らしい芝居である現在の新興演劇の中にも色々な種類があります。日本在来の古典劇の系統を引き、其の伝統の中から新らしいものを生み出さうとする傾向もありますし、又一方では西洋の芝居の伝統と技術とをとり入れて、そうして日本人の生活の中でこれを生かさうとする一つの新らしい運動もあるのであります。それから西洋劇の中でも特に楽劇、オペラの系統を引いたものが矢張り今日の日本では色々研究されて居ります。其他もつと通俗的な所謂娯楽を主とするスペクタクルが非常に沢山ありまして、若い娘、年少の女性許りを以て出来てゐる、所謂少女歌劇などは変つたものであります。一方では即興的な対話を聴かせる漫才、其他喜劇的な要素をもつ寄席の芸が街に溢れてゐるといつてもよいのでありまして、斯ういふものゝ上に更に機械文明の生みました、ラヂオドラマと云ふものを加へると、目で観る芝居から、耳で聴く芝居迄の総ての形式と云ふものが作り上げられるのであります。
 そこでどうしてこんな多くの芝居が同じ民族の手で非常に長い期間によつて育てられ、又作り上げられて居つたかと云ふことを申しますと、つまり日本文化と云ふものが一貫した民族精神の上に、更に非常に多面的な発展を遂げたといふことが考へられるのであります。或るものがここに生れる、さうすると今迄あつたものがそれに依つて、邪魔されて滅ぼされると云ふことが割合に尠ない、新らしいものが生れても古くからあつたものが未だ残つて居る、斯う云ふ一つの特殊な文化現象が日本にあるといふことが先づ考へられるのであります。新らしい勢ひで盛り上つて来た一つの力は往々古いものを滅ぼし消滅させなければおかないと云ふ、さう云ふ一つの文化の動きを見せてゐる所が、世界の国々或は民族の中にはあると思ふ。日本はさう云ふ点で非常に例外的な文化の発達をして来て居ると考へます、例へば先程申上げました、能狂言と云ふのは中世の武家、武士の家に依つて保護され、さうして空前の隆盛を見せたのでありますが、其の能狂言は徳川時代になつて新らしい歌舞伎劇の勃興につれてそれが少しも衰えない。民衆の中に歌舞伎劇が盛になると同時に、矢張り社会の上層階級に於ては能狂言と云ふものを飽迄支持し、それを護り続けて来ました。明治時代になつて西洋の伝統を継いだものが起つて来て、矢張り徳川時代に在つたものを駆逐して仕舞はない、それが矢張り民衆の間に根をおろして居る、斯う云ふ状態が同じ民族の中に、形式の豊富な種類の違つた芝居を同時に発達させた原因なのであります。明治以後になりまして、能狂言或は歌舞伎と云ふものが、日本人のこの近代的な生活と相容れない、日本人の近代的な生活を舞台の上で現す為には、非常に不便な形式であると云ふ事に気がついて、こゝで新しい形式を備へた演劇の運動が起つて来ました。之が今日新劇の運動であります。演劇の革新運動は思想運動と並行して一般に知識階級の支持を受け、知識階級がさう云ふものを求めたのでありますけれども、一般の民衆は寧ろ歌舞伎劇の特殊な魅力に愛著を持つて居る。歌舞伎劇と云ふものはもう無くなるといふことを言はれながら、今日でも日本演劇の本流になつて居る。此事は実は、私が芝居を専門にやつて居り、殊に新らしい運動に関係してゐるものとして、非常に残念なのであります。といふ事は歌舞伎劇のすぐれてゐることを否定はしませんけれども、現代の日本人は矢張り現代の演劇をもつべきでありまして、その現代の演劇が日本の演劇の主流にならなければならぬと云ふことを絶えず主張して居ります。日本といふ国には非常に新らしいものが早く這入つて来る様に一見みえますが、併し其の新らしいものが此民族の中に根をおろしてしまふのには実に長い時間がかゝります。其の骨折りを日本の若いゼネレーシヨンは本気になつてやらうと思つてゐる訳であります。種類の非常に豊富だと云ふことが、日本演劇の特色だと今申しましたが、実は芝居其のものゝ特質と云ふ事はそんなことぢやないと思ひます。もつと芸術としての本質に根ざした特色があると思ひます。さういふ点にちよつと触れますと、先づ今日日本の演劇の中で一番完成されたものとして能狂言、歌舞伎といふ古典劇を挙げなければならぬ。此の二つの古典劇は共通してゐる或る特色がある。この共通して居る特色と云ふのは何かと申しますと、少しむづかしい言ひ方になりますけれども、舞台そのものが個性を殆ど無視してゐるといふことであります。西洋の芝居ですと、之は希臘劇以来、近代劇に到る迄或る優れた舞台を見ますと、其の舞台の上には必ず其の戯曲の作者と云ふ一つの天才が光つて、芝居全体を先づ観客の胸に投げつける。日本の能狂言、歌舞伎はさういふ風な仕組になつてゐない。歌舞伎はそれではどういふ風になつてゐるかと云ふと、舞台の上に現された一つの芸術的なエナヂーが非常に多勢の人間の長い工夫と練磨による創造といふ形をとつてゐる、さういふ印象を与へます。詰り舞台の上の美しさ、調和といふ様なものが非人称的であります。私でも、お前でも、彼でもない、非人称的な、理論とか体系といふものを超越した一つの感覚的の美しさ、此理論とか体系とかを超越した感覚的な美しさと云ふものはどう云ふものを云ふかと云ふと、普通人間ならば誰でも感じ得る美しさを圧縮し、それから整理し、それから磨き上げる。此圧縮と整理とそれから洗練の境地、さういふものが能狂言或は歌舞伎の舞台では見られる。之が恐らく外の如何なる種類の芝居、演劇にも見られない一つの特色だと思ひます。之は自然の写実的な模写といふ様なものでないし、又逆に自然と云ふものを枉げて、歪めて、それを或る一つの形式に当嵌めたものでもない。自然の中に在る一つの典型、それを拡大し、それから単純化し、そして一つの象徴的な意味を与へた。それが象徴の姿になつてゐる。そこから例の日本芸術特有の幽玄とか、或は粋とか云ふものが生れて来る。それから義理人情に対する純粋な感動。さういふものが生れて来る。従つて舞台の上には或る限られたる個人の思想といふ様なものがありませぬ。それから或る流派の哲学といふ様なものも無い。無論特異な頭脳、特異な頭から出た独創と云ふものも無い。唯其処にあるのは或る時の或る社会層が築き上げた趣味、それから道徳。さうして其のある時代の社会層が築き上げた趣味とか道徳とか云ふものは、常に他の時代の他の社会層にも受け入れられる。之が日本の能狂言及び歌舞伎が、或る時代には非常に一般民衆と関係のない離れた存在にあつたのでありますけれども、或る時代に又力を盛り返して来てそれが一般民衆の要求に答へるものになつたわけで、さう云ふことを今日迄繰返し復た今後も繰返すだらうと思ひます。
 次に今迄挙げました、今日日本で行はれて居ります芝居の色々な種類の中で特に皆さんが御覧になる上に斯ういふ点に注意して見て戴きたい、又外の芝居と斯ういふ所が違つてゐるといふ、極く要点だけをかい摘んで簡単にお話します。元来能狂言にしろ歌舞伎にしろ其の研究には相当の時間を費さなければならないほどの材料があります。それをたつた五分か十分でお話するのでありますから、どの程度の事が皆さんの頭の中に入れて戴けるか疑問でありますけれども、恐らく何かしら其の入口を指示することが出来はしないかと思ひます。先づ能狂言と云ふのは、日本に於ける本格的な演劇と云ふものが完成された其の最初のものであります。本格的な演劇とはどう云ふものかと云へば、詰り戯曲のテキストがあつて、それに依つて俳優が舞台の上でそれぞれの役を演ずると云ふ形式の備はつたものであります。能狂言はさう云ふ形式のものが日本にできた最初のものであつて、能と狂言とは同じ舞台で演ぜられました。併し其の劇としての内容は全く趣を異にして居りまして、恐らくこの能と狂言とはその起源が可なり前から分れてゐたものと思はれます。能と云ふものは楽劇式、音楽を使つた芝居、楽劇式の芝居で悲劇である。狂言の方は仕草で以て演ずる喜劇であります。之は双方共それを作つた作者もまたそれを演ずる役者も別でありまして、丁度之は西洋の古典喜劇と古典悲劇の作者と役者が違つてゐるのとよく似て居る。能の方は謡曲と云ふ戯曲のテキストがあつて、さうして其謡曲と云ふのは歌はれる様に書かれてあります。之が型と云ふ役者の所作、それから囃しといふ音楽を伴ひ、全く外の劇場の舞台と違ふ能舞台といふ特殊な舞台で演ぜられる一つの楽劇であります。狂言といふのは其の言葉の由来に色々説がありますけれども、元来筋道の立たないといふ意味をもつた言葉です。之は能狂言の発生以前から行はれて居る猿楽といふ舞楽がありますが、其の流れを汲んだものであつて滑稽と諷刺とからなつて居ります。能の方は一種の文章体で殊に韻律を主とする、謂はゞ散文詩の形で書かれてあるのに反して、狂言の方は専ら其の時代に用ひられた普通の言葉で書かれて居ります。従つて写実的な要素が多く、武家、大名の私生活を描いてゐることが狂言の特色であります。今日能狂言は東京で殆ど例月やられて居りまして非常に盛になつて居ります。日本に来て代表的な芝居を見るといふので能をよく観る人があるのでありますけれども、大体能を見て居ると眠くなる。眠くなる様に仕組まれて居る芝居の様に考へられるのでありますが、之は実際時代の隔たりと、形式は単純でも深い象徴性のために、さういふものが却々普通の人の興味の対象にはなりにくい。何か一つのものを突破られなければその真の魅力が感じられない。さう云ふものであります。之は決して外国の方許りでなく日本人でも能と云ふものは特別親しんだものでなければ、今日では却々観賞が出来ないものになつてゐるのでありますが、併し一旦この能が面白くなりますと、もう恐らくどんなスペクタクルよりも此能が面白い。外の芝居の面白さには限りがある。併し能の面白さには限りがない。普通の芝居の面白さは、大体に於てテーマや筋立の面白さが主である。能の場合には刻々の舞台のイメージが純粋な感動を与へるのです。泣くと云つてもたゞ悲しいから泣くのではなく本当の美しさに打たれて涙を流す。これは、舞台の芸術の中では能芸術だけがさう云ふ境地に這入り得るものである。で、能は一体何処が面白いのだ、一口に話して呉れと云ふが却々実際は一口に話せるものではない。能の面白さを口で話すことは、料理の話を旨くするよりももつと難しいのであります。ですから能に這入る為には一通りの色々な予備知識をもつよりも、寧ろ自分の感情、感覚を研ぎ澄ましてからでなければならぬ。さう云ふ状態は却々一朝一夕で得られるものではないのであります。同時にそれは知らず識らずの裡に引込まれて行くと云ふ性質のものであります。で、現在の能には家元と云つて流派がある。其の流派は五つあります。観世、宝生、金春、金剛、喜多と云ふ五つの流派があつて夫々の劇場を持つてゐます。能の方の番組、プログラムについて一寸お話ししますと、大体五つからなつてゐる。詰り五つの演目からなつて居ります。極く解り易く云ふと最初のものは神または神に準ずるものを主役としたもの。能では主役をシテといひます。第二は男を主人公にしたものであります。男と云ふと之は矢張り日本の一つの習慣でありますけれども、武張つたものと云ふ事を意味するのであります。ですから男を主人公にしたものは主として武人、武士であります。さもなければ修羅もの、非常に乱暴な人物であります。其の次に三番目に女、四番目に狂女、之は気の狂つた者、それから五番目は鬼、または動物、此大体五つのものを以て一組としまして夜の興行とするのが習慣であります。
 それで能の主題或は思想と云ふものはどう云ふものかと云ふと、一口に云へば人間の煩悩、執着とか、或は迷妄、嫉妬と云ふ心理を取扱ふのです。それから或事件に打突かつて人間が或る覚悟をする。其の決心覚悟と云ふ心理、それから親子の愛憎、もう一つ重要なことは義理の悩み、それから離別の悲しみ、訣れの悲しみ、さう云ふ一つの心理をクライマックスとする劇であります。此能で一番大事なことは面の使ひ方でありまして、其の面がこの能の演劇の中心で重要な地位を占めてゐる。面其のものゝ構造と其の面の使ひ方、先づ能の面と云ふのはどういふ風に造られてゐるかと云ふと、目は何時でも大きく開いて、それから視線と平行に造られて居る。ですから冠つてゐる面の角度を見物の方から変へる毎に、非常に印象的な表情になる。それから唇は閉ぢてもゐなければ開けてもゐない。さう云ふ唇であります。ですからものを言ふ時黙つてゐる時、其の両方に通ずる。詰り何方でも不自然でない様にする。顔面の筋肉は極く必要な部分だけ彫られて細かい皺とか或は凸凹と云ふものは造らない。極く重要な必要の筋肉だけが彫られて居ると云ふことは、それは顔を動かして居る時も、じつと静かにして居る時も、それが両方に通じる様に出来て居る。ですから面の表情と云ふものには何時でも静動の両面がある。云ひかへれば静かに動いて居る。それから明るい相、それから暗い相、両方が何時でも面の使ひ方に依つて示される様に研究されて居る。此面の作者、面師は今日迄能の上で非常に重要な技術者として多くの天才がでて居るのであります。ですから能の面は一つの美術品として尊重されるのであります。仮面劇と云つて面を使つてする芝居は随分世界にありますけれども、面が斯う云ふ風な方法に依つて芝居の中で絶対的な地位を占めて居ると云ふ面は外にはない。それから舞台の上の道具でありますが、能の特色は舞台の上に一杯に道具を飾ると云ふ事はしませぬ。所謂舞台装置と云ふものは非常に単純を極めたもので、其の舞台の装置を補ふには何で補ふかと云ふと主役の型、つまり演伎、それから歌の文句でそれを補つて行く。其処はどう云ふ場所であるかと云ふことを見物に連想させる様に、例へば月を示すには其の月の歌で月を表徴する情景を示す。其の主役は其の月を見仰ぐ表情をする。其の月を見る表情と其の詩歌の文句とが渾然と其処に融け合ふ。山の上や森の上に月が煌々と照つて居る情景が実に髣髴と浮んで居ると云ふのが能の特色であります。能に就ては色々申上げたい事がありますが、此位にして置きます。
 次は歌舞伎の事を申上げます。歌舞伎は所謂近世の民衆劇であります。先程お話しました様に能狂言が中世以降、武家、社会の上層階級の武家の手に依つて保存され、其の嗜好に適した演劇であつたとしますと、歌舞伎は全く民衆の手に依つて作り出され、民衆に最も愛好され、民衆に依つて育てられて発達したものであります。
 之は徳川幕府の初め慶長年間に起つて来た一つの演劇形式で、もう既に三世紀の歴史を持つて居ります。之は記録に依りますと阿国と云ふ一人の少女があつた。この阿国と云ふ少女は出雲の国の或る神社に勤めてゐた巫女であります。巫女と云へば神社のお祭りに踊りを踊つたり歌を唄つたりするものであります。其の踊や歌の素養がある為にどうかすると其の神社のお社を改築すると云ふやうな場合には、其の当時の都の京都に出て来て、矢張り踊りを踊つたり歌を唄つたりして金を集めると云ふことをした。此の阿国と云ふ少女は仲々器用な少女であつて神社の前でやつた芸に色々なものをつけ加へる。各地方で行はれて居る色々な催しの要素を採入れて大勢を喜ばせる様な一つの仕組を考へた。之が詰り歌舞伎の元々の起りだと云ふことが言ひ伝へられて居ります。併し其の阿国のやりました歌舞伎と云ふのは勿論体裁の整はない雑駁なものであつたに違ひないが、其の趣向が都に流行してその専門家が出て来る様になり、後に歌舞伎と云ふ一つの完成された演劇に迄発展して行つたのであります。然し徳川時代にやられた歌舞伎は特殊な劇場の構造を持つて居りまして、今日東京に在る歌舞伎座を始め多くの劇場は、日本の在来の歌舞伎劇場の構造とは非常に違ひます。其の事を先づ頭に入れておく必要があります。今日の東京の劇場の大部は西洋の新らしい近世の劇場の形を採入れました。偶々それに舞台の広さ或は花道をつけると云ふことで、幾分歌舞伎劇の劇場の構造をそこに保存したものであります。それから歌舞伎狂言の種類と云ふことを其の次に申します。同じ歌舞伎劇と云つても其の中に色々な種類があるのです。之は大体に於て三つに分れて居りますが。先づ人形浄瑠璃から採入れたもの、最初人形浄瑠璃の為の脚本であります。之を歌舞伎の俳優がやる様になつて歌舞伎劇は発展したのです。皆さん多分お聴きでありませうが、仮名手本忠臣蔵は人形浄瑠璃から採つた題目であります。能狂言からのテキストを歌舞伎の方に直したものがあります。之は勧進帳が代表的のものであります。それから歌舞伎劇の為に書き下された脚本が其他に沢山あります。此歌舞伎劇の為に書き下されたテキストを更に色々な種類に分けることが出来ます。大体それを分けますと三つになりますが、先づ時代もの、お家もの、それから世話ものと三つに分けます、時代ものと云ふのは源平時代のもので之は王朝ものとも言ひます。日本の封建政治が確立する前の時代です。それからお家ものと云ふのは封建時代の所謂大名のお家騒動を取扱つたものであります。言葉は一寸難しい言葉でありますが、之は後で説明致します。其の次は世話もので所謂市井の民衆の生活から取材したもの。封建時代でありますから、所謂町人の生活であります。今日の言葉で云ふと新興ブルジヨアジーの社会の愛慾、それから義理人情の葛藤、一般の市民の生活の中に起るさう云ふ様な事件を取扱つたのが世話もので、一種の社会劇乃至風俗劇と云ふことが出来ます。それから世話ものは更に古いものと新らしいものとに分ける。詰り近松門左衛門を代表とする所の作者、其の時代の世話ものと、それから矢張り歌舞伎の優れた作者で鶴屋南北、それから黙阿弥の世話ものとがあります。面白いことには此世話ものは明治の初年を界としてひとつの変化を示してゐます。明治初年には日本の風俗が非常に変つて来ました。徳川時代には男でも丁髷を結つて居ります。其の丁髷が明治以後に無くなつた、其処で同じ世話ものでも出て来る人物が髷を切つてゐるといふ意味で、ザン切りものと云ふ名前が付て居ります。歌舞伎の本来のものを斯う云ふ風に大体三つに分けますが、今度は歌舞伎全体を二つの様式に分ける事が出来ます。所作事と云ふのは踊を主としたもので、地狂言と云ふのは台詞と仕草に依つて物語りを運んで行く普通のドラマを云ふのであります。之は大体歌舞伎の種類であります。歌舞伎と云つても一つ見れば歌舞伎の見当が付くと云ふものではなくて、歌舞伎の中に斯う云ふ様に色々な種類があるのです。其次に歌舞伎が演ぜらるゝ場合に特にどう云ふ風な所に重点を置いてゐるか、歌舞伎と云ふのは只今申上げました様に、民衆の手に依つて民衆を楽しましめる為に出来たのでありますから、難しい理屈を云つたり、或は非常に深い心理をとらへたやうなものでなくて、ごく普通の人間生活のなかから、印象的などきつい場面、一般の見物が興味をもつ様な事件を中心とし、それを見せ場とするのが特色です。それを大体九つ許り挙げる事が出来ます。この歌舞伎独特の見せ場と云ふものは今日迄三百年の長い間、其の表現、俳優の演伎の上からいつても、其の俳優の扮装の上からいつても非常に工夫され洗練されたもので、さう云ふ部分だけ見ると云ふのが歌舞伎通の見方であります。其外の場面は弁当を食べたり、酒を飲んだりして見る。其の見なければならない部分とは九つの部分が其の代表的なものであります。先づ濡場と云ふものであります、濡場と云ふのは詰り恋愛の場面であります。男女の情を写したものでありまして、エロチツクなものを含みます。第二は殺場と責場との二つでありまして、之は読んで字の如く殺場は人殺しの場面、責場と云ふのは人を責めてぎゆう/\言はせる場面です。殺場と云ふのは以前には可なり極端な人殺しの場面を細かく演じて惨酷な印象を与へたのであります。俳優が血の出し方を非常に工夫をして斬られた所から血が出る、其の出方を成るべくほんとうらしく見せるなどといふ手品のやうなことをやりました。併し今日では一般民衆に悪影響があるといふ見地から殆ど形式的なものになつてゐます。地方に依つては全く血を見せる事を禁止して居る地方もあります。之はもう現在に於ては当然廃めなければならん事だと思ひます。之は最初日本の劇を外国の方が見て非常に驚くことであります。併し之は日本許りでなく、例の仏蘭西ではシエークスピヤの芝居が始めて上演された時に、仏蘭西人は吃驚りしたのであります。仏蘭西では人が殺されたり喧嘩をしたりする場合は、舞台の上に出さないのが古典劇の作法であります。シエークスピヤがさう云ふ事を無視して盛に殺伐なことを舞台の上に取入れましたから、当時の仏蘭西人は舞台の上でさう云ふものが演じられると、見物席で女の見物などが気絶したと云ふ話が残つて居ります。若し日本の芝居を見たら当時の仏蘭西人は一人も生き残つてゐなかつたでせう。それから責場ですが之は一種の拷問でありますけれども、必ずしも道具を使つて責める許りではない。所謂理屈詰めで責めると云ふのもありますし、或は情に搦んで責める。詰り義理と人情の板挟にして対手をぎゆう/\責めます。さう云ふ場合の歌舞伎の台詞を真似て「さあどうぢや/\」と云ふやうな言葉を普通冗談に使ひます。之はこの責場の一つの台詞であります。それから黙んまり。此黙んまりと云ふのは黙つて演ると云ふことでありますが、必ずしも無言劇の事ではありませぬ。黙んまりと云ふことは主としておほまかな動き、活人画的、活人画といふのは一寸説明がしにくいですが、本当の人間がある瞬間、画の様な或は彫刻の様な効果を与へることであります。この黙んまりと云ふのは矢張り歌舞伎劇で非常に大事であります。殊に始めて舞台に立つ俳優の出ると云ふ場合には、黙んまりを必ず入れて一種の見物への挨拶として居ります。其時には一座の名優達が新らしく出る俳優の前に出で、暫く見物にとくと見せる様な状態に舞台を作ります。
 其次は荒事、之は先刻の殺場、責場と違ひまして、之は唯非常に力が強いとか、非常に勇気があると云ふ人物を舞台の上に出して、無論殺伐ではありますけれども、非常に豪放な印象を見物に与へます。例へば男が家の縁の下に這入つて家をいきなりうんと持揚げて仕舞う場面とか、或は大きな船をいきなり片手で振り廻すとか、さう云ふ人間業では到底出来ない様な力を其処に見せて、見物に溜飲を下げさせると云ふ様なことであります。或る俳優が或る芝居の中で家を持上げる場面を今迄両手で持上げてゐた。然るに一人の俳優は片手で持上げました。色々な仕掛けがありますから何方らで上げても同じであります。何でもないのですが、さうすると其時に舞台監督たるマネーヂヤーは、幾ら力が強くても片手ではまるで嘘見たいだから両手で上げたら宜からうと云つたら、其時に俳優は何方らにしても、家を持ちあげるのは嘘にきまつてゐる。力を強調するためには、片手の方が効果的だと云つて、それ以来其の芝居は片手で家を持上げる様になつたと云ふことであります。其次に早変り。之は一人の俳優が二人の役をするのであります。之は西洋にもあります。早変り専門の俳優と云ふものがあります。座頭と云ふ盲人の音楽家が或る場面に出て来ます。木琴を鳴し歌を唄つて出て来ます。其の盲の音楽家は由緒正しい武士の変装したものである。それが早変りの場合に目の前にあつた池の中に飛び込む。其の瞬間後の方から立派な武士が出て来まして、実に目にも止まらない早業で池の中に飛び込むと、直ぐ後から立派な武士が出て来ます。それが早変りであります。俳優がそれを非常に巧くあつと言ふ間に変りますと当時幕府からお小言が出て、何かバテレンの法を使つてゐはしないかと云ふことで警邏の者が調べに来たといふことであります。其次に人形振といふのがあります。之は一つの芝居が一つの技巧に徹した証拠であります。歌舞伎劇で本物の俳優が舞台に出るのですがそれにも拘らず其の本物の人間が色々な事を演り尽した上、どうも面白くないと云ふので俳優が人形の真似をする。俳優が人形浄瑠璃の振りをするのであります。俳優は成る所に行きますと、いきなり音楽に合せて人形の表情で人形の手つき足つきで踊を踊るのです。其時は後に人形使ひになる黒い著物を著た男が居ります。さうして其の俳優を人形の様に見せる。それが人形振りであります。其次が立廻。此立廻りといふのは昔は矢張り非常に勇気があり同時に、技術の優れた人間が大勢の人間を対手にして其の大勢の人間を皆斬り倒すと云ふ場面でありますが、其の為には実は普通の人間には持てない様な刀を一ふり振つて其処に居る雑兵共が皆倒れる。之が立廻りぶりであります。元は単純なものでありましたが、それぢや見物が満足しなくて後に軽業式になりました。之は斬られる人は大勢居りまして一人々々を違つた形で斬り倒す。斬られる方も亦た夫々違つた形で倒れます。斬られて唯だばたりと倒れたんぢや興味がないので顛覆つて倒れる。或は上にくるつと顛覆へして殺すと云ふ風に。斬る方も斬られる方も技術を尽すと云ふのであります。即ちそれがアクロバシイでもあり、同時に舞踊でもあるのであります。之は結局殺されるとか殺すと云ふ場面を軽業化し、同時に踊にするとユーモアが出て来るのであります。もう一つ八番目には六法。非常に大きな太刀を両刀差して、両手を大きく振つて脚で大股に踏張りながら歩いて行く。之は矢張り芝居の或る方面で六法と云ふのをやりますが、見物の視線を一人に集めると云ふことが主になつて居ります。其の歩き方は江戸時代の或る種の人物の最も得意げな歩き方を代表して居るのであります。それはどんな階級かと云ふと、例の侠客が自分の好な女の所に歩いて行く其の歩きつ振を真似したものであります。今日では歌舞伎ではそれは主役の俳優が舞台から花道をずつと引込んで行く時に使はれて居ります。最後につらね。つらねと云ふのは渡台詞或は厄払と云ふ様な物に共通するものがありますが、之は今の六法を踏みながら云ふ台詞でありまして、それはどう云ふ事を云ふかと云ふと主に名乗りに使ふ。自分はどう云ふ素性でどう云ふ人間だと云ふことを、舞台の者に言ふと同時に見物に聴かせるのです。其の名乗りに使ふのです。それから或る場所を説明します。此場所は斯う云ふ名称であると云ふ説明をします。其の説明が非常に流暢な美文でありまして、之は此歌舞劇の中に於ける一つの雄弁の要素を代表したものであります。日本の演劇に於ける雄弁は西洋の希臘劇以後近代劇に於ける雄弁と似て居て非常に面白いものだと思ひます。今日之をお話することは止めて置きます。更に複雑化して舞台で一人の俳優が文句を云ふと其の次の者が云つて、其次々々と段々に台詞を渡して行くのが渡台詞であります。これで歌舞伎の中で特に見せ場と云ふもの、代表的なものを挙げました。猶ほ少し時間が経つた様でありますけれどもちよつとお話しすれば、歌舞伎の中で廻舞台、花道、迫出セリダし、之は劇場の建築と共に日本固有の演劇形式であります。迫出セリダしと云ふのは舞台の下から上の方にずつと人間を押出す仕組みで、今日の舞台でさう云ふ道具を使ふことは珍らしくありませんが、非常に古い時代に下から舞台を人間と一緒にぐつと持上げると云ふことをやつたのは歌舞伎だけだと思ひます。花道も舞台と見物席と非常に親密にさせる日本演劇の民衆的性格の一つの現れでありまして、斯う云ふ風な歌舞伎の形式は欧羅巴の新らしい芝居の中にも模倣或は影響が見られるのであります。もう一つ最後に扮装の事でありますが、扮装に於て歌舞伎の衣裳、鬘と云ふものも注目すべきであります。殊に化粧でありますが、其の化粧に就て矢張り独特な見方があるのです。之も精しくいふと非常に長くなりますが、其の中でも例の隈取クマドり。此隈取クマドりと云ふのは人物の容貌と表情とを誇張した扮装術で、其の人間が良い人間か、悪い人間か、強い人間か、優しい人間かと云ふことがひと目でわかるのでありまして、其の特徴を現すと云ふ方法が非常に発達して居ります。最も此隈取クマドりは支那劇に在るのであります。恐らく其の源は支那劇であらうと思ひます。大体之で能と歌舞伎の事は申しましたから、之位にして置きます。
 最後に新興演劇に就てお話します。明治以来の新らしい演劇は之も歴史的にどう云ふ風になつて来たかと云ふ事を申上げますと、それは大変面倒でありますし、直接興味が薄いと思ひますから、現在行はれて居る芝居の中で明治以後に於て生れた芝居に就て一通り目を通して見たいと思ひます。先づ第一は歌舞伎劇を幾分新らしく書き直し、或は歌舞伎劇のテクニックで一つの新らしい歴史劇を試みたと云ふものがあります。之は主として歌舞伎俳優に依つて演ぜられ、さうして外の歌舞伎と並んで同時に同じ劇場でやつて居るものであります。然し兎も角も一方に歌舞伎劇と云ふ純粋な其の古典劇を持つて居る。吾々は其の歌舞伎劇自身の魅力には十分陶酔し得るのでありますけれども、併し吾々が舞台に求める歌舞伎が総てのことを与へて呉れないと云ふことに気が付きました。之は歌舞伎劇でも能狂言でも同じでありますが、今日の実際の生活様式は歌舞伎の形式では表現できません、余程違つた芝居の形式が欲しいと云ふ要求が起つた。此要求に対へるものとして第一に起つたのが所謂新派劇。併し此新派劇は今日歌舞伎劇と殆んど並んで東京の大きい劇場の中で実際やつて居りますけれども、併し新派劇と云ふもの、発生の動機を考へて見ますと、矢張り新らしい一つの芝居の革新運動として、芝居を新らしくする運動の為には人的、人の要素が欠けて居つて芸術的な目標と云ふものを十分に立て得なかつた。思想的にも新らしい思想を取り入れなかつた。只だ歌舞伎劇でやられて居る様な手法、技巧に依つて明治以来の新らしくなつた生活を表面的に舞台の上で見せると云ふだけのものでありますからして、今日では此新派劇と云ふものが日本の新らしい芝居を代表するものにはなつてゐませぬ。何方らかと云ふと新派劇は歌舞伎と一緒になつて居る。此新派劇の発生当時の歴史をお話すると興味があると思ひますが、それは新らしい運動が起る時にはどう云ふ文化の部門でも繰返へされることでありますから特に新派劇に就てはお話ししませぬ。此歌舞伎劇と新派劇に対してもつと切実な吾々の本当の生活要求に答える演劇、新らしい時代の演劇と云ふものを作り出さうと云つて起つたものが新劇と云ふものであります。此新劇の運動は元来、欧米の小劇場と云ふものに倣つてそれに刺戟されて起つた。詰り商業主義と云ふものを排斥しそれから卑俗な低劣なものに挑戦する。歌舞伎劇や新派劇の中に既に取入れられて居る卑俗なものに挑戦する。もう一つは文学上の新らしい思想を芝居の中に採入れようとする。歌舞伎劇にしても主として俳優本位の芝居であるが之を戯曲本位の芝居にしよう、それから見物も一般の広い色々な教養の違つた民衆に呼掛けるのでなくて、特別な選ばれた教養を持つた素質の優れた見物に呼掛けようと云ふ目的を似て起つたのが新劇運動であります。此新劇運動も今日まで色々のスローガンを以て起つたものが相踵いで失敗して、全く文字通り苦難の途を辿つて居ります。さうして今日迄の新劇運動を一通り知るには、坪内逍遥と小山内薫の此二人をよく知らなければ解らないのであります。大体小山内氏は元は英吉利文学を専攻した人でありますけれども、主として北欧の芝居、独逸、露西亜の芝居を日本に紹介し、例の仏蘭西の十九世紀末の新劇運動、自由劇場運動に倣つて日本にも自由劇場と云ふ劇壇を拵へました。之は今も生きて居りますが、市川左団次と云ふ俳優と一緒に拵へました。この坪内、小山内両先輩の仕事は色々な障碍で今日跡を残して居りませんけれども、新らしい芝居を作り出さう、現代の日本人の生活が今の舞台の上で見せられるやうな芝居を作り出したいと云ふ要求が、若いゼネレーシヨンの間に燃え上つて居るのであります。今日さう云ふ点に皆さんが気を付けて見て下されば、能狂言或は歌舞伎の世界と違つた一つの演劇世界が日本の現在にあると云ふ事が解り、又さう云ふ世界こそ日本の若いゼネレーシヨンが諸君に見て戴くことを望んでゐる世界だと思ひます。又さう云ふ世界に於てこそ諸君が吾々の仕事に協力して頂けるものだと思ひます。現在この新劇運動を標榜する劇団としては三つの劇団があります。先づ創立の年代順から申しますと、新築地劇団、新協劇団、もう一つ之は私が関係して居りますが、文学座であります。此新築地劇団、新協劇団は小山内薫氏時代に出来た築地小劇場と云ふ小劇場に拠つて仕事をして居ります。茲で特に皆さんの御注意を喚起したいと思ふのは、此新築地劇団及び新協劇団は曾て日本に左翼的な芸術運動が盛でありました時代に、演劇の部門でさう云ふ一つのイデオロギーを以て仕事をしてゐた連中が、今日さう云ふ思想運動が禁ぜられてゐる為に、演劇の上の仕事としては、さう云ふ思想的な傾向は全く持たない劇団でありますが、併し是等の劇団は一種の団体的訓練と云ふものに於て非常に優れて居ります。従つて此劇団の活動はさう云ふ一つの強味を通して全く活溌に一般の社会に働き掛けて行く力を持つて居ります。従つて其処で上演されるものも何等かの意味で思想的であり、社会的であり、同時に野心的であります。最近は新協劇団では島崎藤村の夜明け前と云ふ大作を上演して仲々立派な成績をあげました。又新築地劇団でも綴方教室と云ふ、之は小学校の一少女の書いた作文を原作として舞台に上演したもので之は非常に素朴で真に迫つた情景を舞台に写し出した為に可なり成功しました。それから文学座と云ふのは主として其の目的とする所は、日本の新らしい芝居を作り出す為にはどうしても一つの新らしい技術と云ふものを必要とする。歌舞伎の技術でも新派の技術でも新らしい芝居は出来ない。さうかと云つて西洋の芝居を其儘採入れて西洋の俳優がやる演伎を其儘日本人がやつても、之は又日本の新らしい芝居にはならんのですから、現在の日本人が現代の芝居の演劇技術と云ふものを作り出して始めて日本の新らしい演劇が出来るのだと云ふ主張の下に、主として只今では俳優の訓練と云ふことを目的として居ります。此処でやられる脚本は日本の若い作家で、西洋の新戯曲の影響を受け、しかも純粋の日本語。日本の言葉として新らしい戯曲の、スタイル、文体を獲得した作家のものを選んで文学座の上演目録、レパートリーにして居ります。之は東京で大体隔月位に公演して居ります。文学座の方は飛行会館の会場で短く短期間の公演をやります。此三つの劇団が所謂純粋の新劇運動をやつて居る劇団であります。此外独立した職業劇団と云ふものがあります。御承知の様に日本の演劇、芝居は今殆ど松竹と云ふ大資本の統轄下にあるのです。其の松竹と云ふ大資本の下で統轄されてゐると云ふことは非常に便利な点もあり不便な点もあります。さう云ふ所で働いてゐると云ふことを慊らなく想ふ職業俳優が独立して、自分達の主張に従つて仕事をすると云ふ独自な立場を持つた劇団がある。其内で今日先づ健全な歩みを続けて居るものが新国劇と前進座であります。此二つの劇団は一旦松竹の手を離れましたけれども、今日では十分興行成績を挙げて居りますので、松竹が更に之に臨時に劇場を貸して興行させる。殊に此前進座は最近劇団員が一つの新生活運動を始めた。詰り今迄の俳優の生活がよくないと云ふので、生活を変へる運動として共同生活をはじめ、一つの建物の中に皆が這入つて全く日本のさう云ふ種類の団体では見られない几帳面な生活をする。もう一つは演劇と云ふもの、経営の合理化を図る。之は何かの機会に前進座の研究所と云ふものを見学にお出でになると宜からうと思ひます。其他のものは雑劇と呼んでも宜いので、全く在つても無くてもいゝ様な芝居が無数にあります。之は一々申上げませぬ。それからもう一つは児童劇と云つて子供の芝居、或は学校劇と云ふものが最近非常に盛であります。此児童劇、学校劇と云ふものは、勿論興行的にやられて居るものではありませんけれども、日本の文化運動の一翼としてその存在は無視することは出来ませぬ。この為に各種の研究をして居る人があります。子供に見せる為めの芝居、それから子供が自分でやる芝居、此二つの面から研究する。其他猶ほ一番最初に申しました、日本の各地方で行はれて居る民族劇、各地方で昔から行はれて居る芝居に類するものを挙げますと云ふとまだ沢山ありますが、それも今日は申上げない事に致します。琉球、朝鮮、台湾の民族劇、アイヌにも所謂舞踊ではありますけれども、其の舞踊の中に多少の演劇的要素の加はつてゐるものがあります。之はもう特殊なものであります。
 先づ大体今日皆さんに申上げたい事は是で終つたのであります。只だ一言最後に申上げて置きたいことは日本の芝居と申しますと、一般に日本人自身が矢張り能狂言、歌舞伎を特に挙げ、それから外国の方も日本の芝居と云ふ場合に能狂言と歌舞伎と云ふ以外には無いと云ふ印象を先づ持たれます。之は一方から云ふとわれわれ日本人の罪でありますが、又同時に日本の新らしい芝居と云ふものがまだ歌舞伎や能狂言の両方に比べますと云ふと、其の色彩が全く薄れる位に未完成であることが原因です。併しさう云ふ未完成の中に寧ろ吾々の若い時代の苦悶があり、其の苦悶の世界は全体の若い苦悶に通じるものであると云ふ事を特に諸君に申上げたいのであります。
 大変纏まりのないお話でありましたけれども、問題自体が非常に難しいので私としては是で出来るだけの事をした積りであります。どうかお許しを願ひたう存じます。是で終ります。
正午閉会





底本:「岸田國士全集24」岩波書店
   1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「昭和十三年・夏期日本文化講座講演集」国際学友会
   1939(昭和14)年6月30日発行
初出:「昭和十三年・夏期日本文化講座講演集」国際学友会
   1939(昭和14)年6月30日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年11月12日作成
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