生活のうるほひ

岸田國士




 趣味といふ言葉は非常に広く使はれてゐますが、一般には好きなことゝいふ程度に解釈され、読書、映画、スポーツ、釣、将棋などと雑多なものが一様に趣味といふ範囲に入れられてしまふわけでありますが、ほんたうをいふと、高い精神的な訓練を経て、初めてそれを趣味として身につけるやうな種類のものもあり、またほんのやり方を覚えさへすれば、一通り遊びとしての暇つぶしの出来るやうなものなど、色々あります。
 生活のうるほひとしてのこれ等の趣味は、時と処とに応じ、その選択は全く自由でありますけれども、趣味といふよりも慰安娯楽といつた方が適当なものもあり、更にまたそれに興味をもつ程度によつては、むしろ趣味といふよりも道楽といつた方がいゝやうな、幾分弊害を伴ふ場合も生じてくるのであります。
 趣味にしろ娯楽にしろ、元来自分の生活以外に求めるといふ考へ方は、間違つてゐると思ひます。たとへば音楽に趣味をもつてゐる人ならば、その人の生活は少くとも音楽によって浄化され、また音楽によつて明日の力を与へられるやうになつてゐなければならないと思ひます。茶の湯、生花を婦人の趣味として習ふ場合、それは決して、生活をかざるものとして、生活に何かをつけ加へようとして習ふのは、大きな間違ひだと思ひます。
 茶の湯も生花も共に、日本人のすぐれた趣味が作り上げた最も純粋な生活芸術なのでありまして、その技術を身につけるといふことは、茶の湯なり生花なりの精神をもつて、日常生活の隅々を最も日本的に秩序立て、美化する一つの道なのであります。従つて、茶の湯や生花の稽古に通ふ若い女性が、非常に趣味の悪いけば/\しい服装をしてゐたり、人前でろくに話も出来ないやうなみだしなみを暴露するやうでは、全く何のための茶の湯生花だかわからないのであります。
 運動競技の類も、一面趣味としてたのしむことが出来るのでありますが、また料理とか裁縫とかいふものも、たゞ家庭をもつに必要な技術としてだけでなく、趣味としてむかへば無限のたのしさが生じるやうに考へられます。またさういふ風に、たのしんで料理や裁縫に没頭してゐる婦人の生活には、他の者にはわからない味ひがあるのでありませう。
 日常生活のたのしみは、普通、暇と金とさへあれば、わけなく得られるやうに考へてゐる者がありますが、これは大変な間違ひだと思ひます。ふだん、忙しく仕事に追はれてゐる者が、時たま休養の時間を得るといふことは、理窟なしにたのしいことに違ひありませんけれども、その休養の時間を最も有効に過すといふことは、決してその時間の長いと短いとに関係があるわけではなく、また使用し得る小遣ひの高には関係がありません。
 要するに私の考へでは、その時間を誰と共に過すかといふことで決るのだと思ひます。いひかへれば、われ/\は同じ時間を愉快にすごすのも退屈してすごすのも、多くは一緒にゐる相手次第だといふことがいへるのであります。これは遊ぶ時だけではなくて、仕事をする時も同様であります。頭を使ふ仕事の時だけではありません。筋肉を働かす仕事の場合も同様です。
 そこで、われ/\の生活の大部分は、家庭にあるか職場にあるか、いづれにしても常に誰かと一緒にゐるわけであります。こゝで、私は生活のうるほひの大事な要素として、愛情を加へたいと思ひます。
 ひと口に愛情といひますが、人間の愛といふものは非常に広い範囲をふくめた感情であります。しかし特に、私がこゝで挙げたいのは、親子の愛とか夫婦の愛とかいふ、いはゞ相場のきまつた愛だけではないのであります。特に日本では、昔から、義理人情といふ言葉で呼んでゐる、あの厳く、しかも温い、世の中の掟であります。
 由来、日本の社会はこの義理人情で結ばれた美しい社会でありました。ところが、今日ではさういふ特色がだん/\失はれて、お互ひにこれでいゝのかといふやうな節々が多くなつてきました。大都会などになると、無責任な行動と、よそ/\しい態度がいたる所に見られます。少くとも自分のことばかりに気をとられて、うつかり人の迷惑になるやうなことをやつて、平気でゐる場合が往々にしてあります。お互ひに味気ない思ひをさせ合ひ、気を腐らせられてゐるのであります。
 義理人情も、かたくなゝ一人よがりになつてはいけませんが、この世の中をほんたうに住みよくし、人と人とが心から信じ合へるやうになるのは、この理窟を越えた義理人情が大きな力となるものだと私は信ずるのであります。これまた、殺風景な日常の生活にうるほひあらしめる要素であります。
 さてそれなら、生活にうるほひを与へるにはどうすればいゝかといふことになりますが、今まで繰り返していひましたやうに、こゝに生活といふものがあつて、それに、ほかからうるほひになるやうなものを与へていくといふやうな考へ方ではいけないと思ひます。生活にうるほひがなければならぬといふことは、生活する人その人自身の心に、すでにうるほひがなければならぬといふことを意味するのであります。
 例へばこゝに、親子三人のつゝましい家庭があるとします。戦時下の不自由がちな生活は、この家庭も他の家庭と違ひありません。ところが、この家庭の生活には、ほかの家庭に見られないうるほひがあるとします。そのうるほひは、勿論三人の家族の各々が作り出すものでありますけれども、それを生活のうるほひとして感じることがまた大切なのでありまして、若しかういふ生活に興味をもたない他人が見たなら、それは全く平凡な、退屈な、殺風景でさへもある生活と見誤まるかも知れないのであります。さういふ生活をうたつた詩がありますから、それを、こゝで披露いたします。この詩は尾崎喜八さんの作で、「此のかて」と題したものであります。

芋なり。
薩摩芋なり。
その形紡錘つむに似て
皮の色、べになるを紅赤べにあかとし、
かたちやや短かくして
紅の色ほのぼのたるを鹿児島とす。

霜柱くづるる庭のうめもどき、
根がたの土に青鵐あおじ来て、
二羽、三羽、何かついばむ郊外の冬、
その陽当りの縁近く、
大皿の上、ほかほかと、
甘やかに湯気を立てたる薩摩芋。
親子三人、軍国の今日のかてぞと、
配りおこせし一貫匁の芋なり。

芋にして
紅赤を我は好む。
紅赤の蒸焼せるをほくと割れば、
さらさらときめこまかなる金むくの身の
いかにすこやかにも頼むに足るの現実ぞや。
鹿児島のかせるは、
わが娘とりわけてこれを喜ぶ。
鹿児島の肉は粘稠
あまき乳練れるごとき味ひは
これぞ祖国の土の歌、
かの夏の日の勤労の詩なりかし。

紅赤の、はた鹿児島の、
其のいづれをも妻はとるなり。
妻は主婦にして又人の子の母なれば、
好みは言はじ、りもせじ。
ひたすらに、分つ者、与ふる者の満足もて、
おほらかに、ねんごろに、
手馴れしさまにうぶるなり。

芋はよきかな。
薩摩芋はよきかな。
これをくらふ時、
人おのづからにして気宇闊大、
時に愛嬌こぼるるがごとし。

大君のはりの広野に芋は作りて、
これをしも節米の、
混食のしろとするてふかたじけなさよ。
つはものは命ささげて
海のかなたに戦ふ日を、
銃後にありて、身は安らかに、
此のすこやかの、味豊かなる畑つものに、
舌を鼓し、腹打つ事のありがたさよ、
うれしさよ。

芋なり。
配給の薩摩芋なり。
その形紡錘に似て
皮の色紅なるを紅赤とし、
形やや短くして
紅の色ほのぼのたるを鹿児島とす。

 この詩にうたはれた生活を見ますと、私がこのお話のうるほひの要素となるものを、希望、感動、新鮮味とあげてきまして、更にそれを生み出す源として智慧、ものを味ふ心、即ち芸術的精神と愛情、特に日本的義理人情をもち出したのでありましたが、この詩を通じて私の申しましたことが、ほゞ当つてゐるかと思ふのであります。
 なほ、もう一つ例をあげますが、最近、或る未知の婦人から私あてに手紙がまゐりました。その手紙の内容を簡単に紹介いたしますと、その婦人は二人の子供さんをお持ちださうですが、近頃、街頭で、主婦達のかはす会話を聞いてゐると、まことに途方に暮れるやうな気持がする。「ものが無い。ものが無い」をいくらかでも聞かずに済ますわけにはいかないものか。女が二人寄つて「ものが無い、ものが無い」となげいても何の役に立つだらうか。自分は子供をもつ親として、以後、ものが無いをいふ代りに、子供達の将来のためのことを考へてやつたらどんなものでせう――。その婦人は、更に、自分で考へた文句を小さな紙片に印刷して、浴場だとか、市場とかで配りたいと申出てこられました。その文句の第一は、
皆様、私達お互ひ日本人は、「ものが無い、ものが無い」を挨拶代りにいふことをやめようではありませんか。さういへば不足勝ちなものが出てくるわけでもありませんから。
かへつて寂しくなるだけでせうから。
いないな、それどころか、皆様のまた次の代の国民たる子供さん方皆が、精神的に受ける影響はいかばかり悪いか、大きいか。
それは申すまでもないと存じられますから。
ぐちをいふ前に、私達はせめて、愛する子供たちのため、
よりいゝお話を一つでもよけい考へようではありませんか、
皆様!

 もう一つの文句は、

皆様、私達は夢をもちませう
夢をもたうではありませんか
今から十年のち二十年のち
その頃の日本の
たくましい、よい息子や
健康で、やさしい娘達にかこまれた母
「お母さん……
そんなに、あの頃はものが無かつたの?
それほどとは知らなかつた……
わがまゝをいつて……
お母さん……」
「…………」
母は
日本の母は静かに笑つてゐる
赤のなでしこは
白のなでしこは
母の胸に。
このやうな夢はいかに……
 かういふ手紙を受けとつて、この婦人の心持には十分同感されましたが、私はこの問題につき、一般のお母さん方に何といつて呼びかけてよいか、その方法に迷つてゐる次第であります。が、私としては、たゞさういふことを提議するだけでは役目が果せないのでございます。多くのお母さん方が、日本の母として、力強くこの戦時下の生活を背負ひ、次代の国民をすこやかに育て上げることについて責任をもたうとなさるならば、この婦人の念願がすでに何等かの形で、あなた方の声となつてゐたことゝ信じます。私は及ばずながら、さういふ声を聞きもらさないやうにするつもりであります。生活のうるほひはまことに、女性の力によつてその多くが保たれるものと信じます。





底本:「岸田國士全集25」岩波書店
   1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「放送 第二巻第五号」
   1942(昭和17)年5月1日
初出:「放送 第二巻第五号」
   1942(昭和17)年5月1日
※1942(昭和17)年3月10日、11日、13日のラジオ放送
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年3月1日作成
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