『力としての文化』まへがき

岸田國士




 私は最近二年間、大政翼賛会文化部の仕事を引受け、国民組織として整備すべき文化機構に関し、また、国民運動として取りあぐべき各種文化問題について、いろいろ自分でも研究し、各方面の意見も徴したのですが、なにしろその範囲は無限に広く、一つ一つの問題が極めて深い根柢のうへに立つてゐるといふことを知るにつけ、先づどこから手をつけるべきかといふことに屡※(二の字点、1-2-22)迷つたのであります。
 当面の要求に応じて、急速に処理すべき具体的な問題はまづ別として、最も重要なことは、国家百年の計を樹てるための基礎は、なんと云つても、「日本文化」の伝統を国民一人々々の精神のうちに蘇らせることだと信じました。
 とりわけ、次代を背負ひ、向上心に燃える青年諸君のために「文化」の意義を平明に説き、自国の「文化」について正しい観念を作つておくといふことは、是非しなければならないことで、これは、教育家の力に俟つところが非常に大きいのであります。
 国民学校高学年の教科書には、既に「文化」といふ言葉も出て来ることですし、少くとも今日のやうに、各方面でこの言葉が濫用されてゐる時代には、教育家が最もこれに関心を払ひ、自ら「文化」の指導者たる役割を果してほしいと、私は切に希望するのです。
 しかし、また一方、この日本語としては「なまな言葉」の意味を自分勝手に限定するといふことは、教育者としては躊躇されるところもありませう。専門的には、哲学者の解説にも十分学ぶべきでありませうが、私のやうに、翼賛会文化部の責任者として実際の仕事に当つてゐたものが、国民運動の全貌を通じて感得した一つの「文化観」を、さういふ立場から述べてみるといふことも、たしかに、直接には青年諸君の、更に慾を云へば教育家諸氏の、幾分の参考になりはしないかと思ふのであります。
 一国の「文化」が高いか低いかといふことを考へる習慣は今日までもありました。しかし、その「文化」が、健全であるかどうかといふことは、あまり問題にされなかつたのです。こゝに、今日までの「文化」の推移、発展のすがたがあります。
「高い文化」を誇つてゐた国の、「文化の危機」がどこにあつたかといふと、その「文化」を脅やかす他の力ではなくて、寧ろ、その高いと移する「文化」自体のうちにあつたことが今や明らかになりました。即ち「高い」といふ価値標準のうちに、「健康」といふ条件がまつたく欠けてゐた事実を暴露したのであります。
 そこで、「高い文化」は不健康を伴ふといふ逆説のやうなものまで、一部の人々の間では信じられるやうになり、事実はそれほどではありませんが、その声だけは相当の力をもつて巷間に流れてゐます。尤も、西洋近代文化の一般から推して、既に彼地に於ても「文化」は進むに従つて頽廃の一路を辿るものと決めてゐる学者や思想家もあつたくらゐで、それはつまり、「文化」と「民族」、或は「国民」との一体関係に想ひ到らなかつた欧米近代思潮の偏向によるのであります。
 更に、日本の文化は、現代の表面的混乱にも拘らず、民族の輝かしい歴史と、国土の豊かな伝統とによつて、その特質は今なほ溌剌たる生気を保ち、時に応じ、国民決死の相貌となつて、強敵を粉砕する力を示すのでありますが、しかし、一面に於て、日本人が甚だ不得意とするやうな、いはゞ、弱点がなくもないのです。そして、その面に対する敵の反攻も秘かに企てられてゐないとは保証できません。その弱点とは、すなはち、文化能力のある部分の渋滞に外ならず、これを是正促進しない限り、長期消耗戦に対する完璧の備へを誇るわけにいかぬと信じます。
 こゝに於て、「力としての文化」といふひとつの見方から、新しい文化の建設が考へられるとともに、これこそ、国を挙げての努力に値する、実践運動の中心目標でなければなりませぬ。
「文化」とは、本文でも述べたとほり、すべて「文化」の名を冠して存在するものではなく、国民生活の全面に亘り、公私の行動を通じ、日本の姿、国風くにぶりとして、何人にも無関係でないのみならず、また、何人もこれに対していくばくの責任を負ふべきものであります。
 一人の青年は、なんらかの意味に於て、それぞれの立場で、日本の「文化」を身を以て示し、しかも過去及び現在のみならず、実に明日の日本の姿を、大きな夢と共に宿してゐる若々しい存在です。
 昭和十六年九月、私は左のやうな一文を公にしました。これをこゝに再録して、私の青年諸君に対する絶大の期待を表明することにします。

 日本は今、興亡の岐路に立つてゐる。この事実をわれわれはまづはつきり頭にいれておかなければならぬ。わが民族の矜りは「どうにかなる」といふやうな哲学の上に築かれてゐるのでは断じてないのである。
 国民は明日の日本が何処へ行くべきかをひとしく心に想ひ描いてゐる。しかしながら、現実の政治はまだまだ矛盾と混乱に満ち、指導者は輝かしい未来の姿を少しも予言してゐないのである。
 新体制といひ、国防国家の建設といひ、その言葉にはむろん宏遠な理想が含まれてゐるに違ひないけれども、国民各自の胸ををどらすやうな影像を浮びあがらせるのは、まさに今後のわれわれの仕事である。
 私はひそかに考へるのであるが、この新しい政治の原動力となるのは、次代を背負ふ夢多き青年の声であり、その声は若きがゆゑに高く、純なるが故にこれを遮るものがない。
 青年の求めるところは、権勢でも利慾でもない。真なるもの、善なるもの、美なるもの、たゞこれだけである。即ち、人生最高の表現である。
 日本の政治は、久しく、この目標を見失つてゐた。民族の本能がやうやくこれに気づかうとしてゐる。新日本の出発は、青年の希望そのものである。
 しかしながら、政治の性格なるものは一朝一夕に改変し得るものでない。諸君は辛抱強く待たなければならぬ。待つといふのは手を拱いてゐることではない。求めるものは大いに求め、営々来るべき日に備へ、われわれが成し遂げ得るであらうことを倶に成し遂げてくれなければならぬ。
 大政翼賛運動の標語は「臣道実践」である。国民としての青年の道は、それぞれ職あるものは職に励み、学窓にあるものは学業にいそしむことにありとはいへ、たゞそれだけのことなら、今更めて云ふ必要はないのである。私が、特に、この時局下に於て、青年に期待したいのは、わが日本のため諸君が心から欲するところの「生き方」をまづ主張せんことである。日本人として、かく生きねばならぬといふ、ひとつの精神がそこに見出され、かく「生きる」ことを熱望する意気が、諸君の先輩を動かしてこそ、日本の新しい政治ははじめて軌道に乗るであらう。
 政治を論ずることがまだ早いと云はれるなら、諸君は、なんの躊躇もいらぬ。率直に、大胆に、「生活」を論ずればいゝ。日本が強く、正しくあるために、諸君は今日の日本人がこのまゝではいかぬといふことを誰よりも痛切に感じてゐる筈である。われわれが持ち前の実力を発揮するために、何が障碍になつてゐるか、諸君の周囲を見ればわかる。健全な文化の名に値する何ものが近代日本の手によつて創られたか。諸君を奮ひ起たせる名目は、日常の生活のうちに満ち満ちてゐるのである。

 さて、問題がこゝまで来た以上、私は更に、日本が現在求めてゐる新しい青年の型について一言しなければなりません。
 実は、この問題は極めて重大な問題でありまして、私だけが、自分の好みでそれを取扱ふといふことは慎みたいのですが、既に、誰云ふとなく、かういふ話題は世間の口にものぼつてゐますし、また、事実として、各方面に、いはゆる「新しい型」とみなすべき男女青年が現はれはじめたのであります。
 たしかに、時代は、人間の型を作ります。そして、その型は、新しい世代に迎へられ、時には流行の観を呈するものであります。徒つて、この型に反撥するものもできて来ます。
 たゞ単に、時代の空気を映した型といふやうなものに何の価値がありませう。われわれが求めるものは、真に、時代を生き、時代を導く日本人の典型であります。かゝる典型への成長を予想させる青年男女の、未完成ながら溌剌とした、一方われわれの祖先につながるものを豊かにもちつゝ、なほかつ、未来の知られざる世界へ伸びる可能性を十分に発揮した、一つの若々しい精神のすがたを想像することは、私にとつてはこの上もなく愉快なことです。
 しかしながら、かういふ「精神のすがた」は、如何なる文学的表現も限りある想像力をもつてしては容易に描き出せるものではありません。具体的には、恐らく、「理想的何々」といふ風な、ある限られた条件のなかで、特殊な成育を遂げつゝある一つの型を常識として想ひ浮べることが許されるでありませう。例へば「理想的青年教師」とか、「理想的農村青年」とかいふやうなものです。この場合、私は、「理想的」といふ言葉が、往々にして、類型化された卑俗な調子に引きさげられてゐるのをみます。それは、一見非のうちどころのない、それぞれの立場では模範となるやうな青年を指してゐるにもせよ、そこには、常に功利的な、一種の「成績」といふやうなものが重大視され、日本の青年としての気品や「志」といふやうなものが問題にされることは至つて少いのであります。殊に屡※(二の字点、1-2-22)、模範青年の名に於て、青年らしからざる「分別」と「迎合」を臭はせてゐるあの型は、極端なものになると、もはや鼻もちならぬ程度に達してゐます。
 要するに、時代の空気を表面的に身に纏つた、一時の装ひにすぎぬ型といふものはその気になりさへすれば、誰にでもすぐにはまり得るものです。しかし、さういふ型は、また誰が見ても軽薄な一面を暴露してゐるもので、それはそれとして時代の奇怪な風俗であるばかりでなく、一方、さういふものが跋扈するために、その反動とも云ふべき皮肉と自嘲とが、どうかすると見栄の如くに対立するやうな現象もないとは云へません。
 今日、国を挙げて必勝の信念に燃え、臣民ことごとく戦場に在る覚悟をもつて一日一日を送つてゐるつもりでありますけれども、前線の消息遥かにして、敵はまだ遠いといふやうな印象が、やゝもすれば、われわれの心に瞬間の緩みを生じ、もはや「勝つにきまつてゐる」と高を括るか、或は、「戦さに勝ちさへすればいゝ」と、それはその通りにしても、それから先のことをつい考へようとしない、いはゞ安易な空気が何処かに頭を擡げて来たやうな気がします。
 国民士気の昂揚、生産力の拡充、人口の増強、貯蓄の奨励といふ風な、いはゆる重点的な運動の掛け声は、その根柢を貫く日本文化の問題を、常に表面には浮び出させない結果、国民の錬成を目的とする各種の行事を通じても、日本人の資質を綜合的に高め、その能力を指導民族の矜りとして権威づける配慮があまり払はれてゐないやうに思はれます。
 私が、みづから足らざるところ多きを恥ぢながら、敢て、かくの如き一書を「若き人々」に捧げようとする意図は、決して、今日の青年に慊らぬといふやうな不遜から出たものではありませぬ。寧ろ、われわれの世代が成すべくして果し得なかつた幾多の事業を通じ、是非これだけは次代の手によつて達成されなければならぬと思はれる一事、すなはち、明日の日本人の形成を目指して、先づ、新しい青年の典型を創造する基本となるべき精神を、主として自己を省ることによつて、なるべく率直に述べようと試みたものであります。
 固より、かゝる試みは多くの人々によつてなされなければなりません。私の未熟なしかも匆卒の間になされた考察が、せめてその機運を少しでも早めることになれば幸ひであるばかりでなく、男女青年諸君の、身自らをもつてする錬磨と反省とに役立ち、更に望むらくは「立志」の一つの拠りどころとなるを得たならば著者の悦びこれに過ぐるものはありません。
昭和十八年二月十一日
著者





底本:「岸田國士全集26」岩波書店
   1991(平成3)年10月8日発行
   「岸田國士全集25」岩波書店
   1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「力としての文化――若き人々へ」河出書房
   1943(昭和18)年6月20日発行
初出:「力としての文化――若き人々へ」河出書房
   1943(昭和18)年6月20日発行
※底本では省略されていた「青年へ」を補い、2字下げで組み入れました。
※このファイルには、以下の青空文庫のテキストを組み入れました。
「青年へ」(入力:tatsuki、校正:門田裕志)
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年4月19日作成
2016年4月14日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




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