青年の夢と憂欝

――力としての文化 第五話

岸田國士





 青春は夢多き時代です。
 青年には夢がなければなりません。
 青年の夢は美しく、そして遥かであります。
「夢」とはいつたいなんでせうか。
 こゝではもちろん、睡眠中の夢を指すのではありません。
 頭がはつきりしてゐる時に、その頭の中を去来する幻の如き想念を指すのですが、しかもその想ひは、常に希望となつて輝き、情熱となつて燃えあがるていのものであります。
「夢」は「現実」に対して、「かくありたいもの」の最上のすがたなのですが、それは未来の現実となり得るもの、少くとも、その可能性を含んだものであつて、まさに、現実とつながる生命をもつたものです。
 夢は空漠たるものです。そして、甚だ気紛れであります。或る時は、鮮やかな輪郭をもつて眼前に髣髴たる世界をひろげるかと思ふと、或る時は、模糊たる霧の中に焦点のない波紋を描いて心をときめかせるにすぎないこともあります。
「空想」とか、「夢想」とか云ふと、どうも私の云ひたいことと少し違ふやうな気がします。強ひて区別をつける必要もないやうですけれども、たゞ「夢」と云つた方が、なにか力強い、おほらかなものを感じさせます。

 青年の純真と血気とは、青年の「夢」を飽くまでも、美しく大胆なものにします。夢の翼はいかに拡がつても拡がりすぎるといふことはありません。
 青年の「夢」は、青年の描く「理想」の定かならぬ映像です。「理想」の骨組みだけは一通り組立てられるのですが、さて、それを血脈の通つた肉体として完全に構成する能力がないのです。それはつまり、「現実」を識る程度が極めて浅いのみならず、「現実」がどんな力をもつてゐるかといふことさへ、ほとんどわからないと云つていゝからで、そこにまた、青年の夢らしい夢があるのであります。

「夢」はまた単なる「野心」を指すこともありますが、もともと「野心」とはきはめて現実的な個人の欲望で、若しどこかに夢らしいところがあるとすれば、それは、その欲望を達するための手段においてであります。多くは大それた、身勝手な欲望であるにも拘らず、青年のそれは、「夢」の性質を帯びて屡々純化され、或は「抱負」となり、「志」とさへなります。

「志」といふ言葉はもはや「野心」とか「抱負」といふ言葉とはつきり区別して用ひなければなりません。なぜなら、それは飽くまでも、自分本位の「夢」ではなく、「現実」の条件を基礎としながら、信念による自己の力の限りない発展を予想し、一切の障碍を越えたところに、絶対の目標をおくものだからです。
「志」はまたかの「志望」などといふ言葉の概念ともおよそかけ離れたもので、ずつと厳粛で悲壮な響きをもち、早く云へば、天下国家のため身命を賭して奮ひ立つ至誠と情熱であります。「志を抱く」とは、今日まで普通に理解されてゐたやうに、単にある目的を目指して勉強するぐらゐのことではなくて、国を思ふ止むに止まれぬ気持から、自分の信念に従つて、困難とも思はれる道へ踏み出す決意を固めることであります。
 従つて、幕末のやうな時代に於ては、「尊皇攘夷」こそが、日本人の日本人たる「志」であり、そのために身を挺した人々を「志士」と呼ぶのです。
 然しながら、今日に於ては、また別の形で「尊皇攘夷」といふ精神が高く掲げられなければならないのではありますけれども、それは維新当時の如く、国内に倒さなければならぬ幕府のやうな存在はなく、全国民の向ふべき道は炳乎として定まつてゐるのであります。それゆゑに、今日の青年は、おのおのが選ぶ本来の職域に於て、その「志」が遂げ得られることを無上の幸福と考へなければなりません。

 そこで問題となるのは、「男子志を立てゝ郷関を出づ、学若し成るなくんば死すとも還らず」といふ有名な詩についてであります。
 こゝで云ふ「志」は、前に述べたやうな日本風の解釈に従ふことはできますまいが、ともかく前途に洋々たる望みを抱いて故郷を離れる青年の意気を示したものであります。そこで学業が若し中途で進まないやうなことがあれば、自分の「志」は全く達せられず、故郷に帰つて人々に合はす顔がないといふ、悲壮は悲壮に違ひありますまいが、しかし、どことなく独りで力んでゐるやうなところのある詩であります。今は誰でもさう思ふでせう。
 ところが、嘗ての時代は、かういふ詩が実にぴつたりと胸に来る時代だつたのです。そして、さういふ時代の気風が、まだまだ実際には、根深く地方などに残つてゐはしますまいか。つまり、卒業免状乃至は何々といふ肩書を見せに国へ帰ることが「学成り志を達した」ことだといふやうな気風です。
 そして、これは「故郷へ錦を飾る」といふ風な、いはゞ感傷的な立身出世主義に通じるもので、従来、多くの青少年は、これがために奮ひ立ちもした代り、また同時に、これがために屡々身を誤つたのであります。
「立身出世」の夢ほど、青年の真の「志」から遠いものはないと私は信じます。栄達を望むのは人情だとすれば、栄達にも増した美しい夢を、より人間的な夢を、なぜ青年に与へようとしなかつたのでせう。
 昔の少年たちは、大臣大将を夢みたものですが、それは無邪気な英雄主義でありました。しかし、明治この方、前の詩に現れてゐるやうな気風が盛んで、田舎にゐては志が遂げられないと思ふものが多かつたのです。これはひとつには、地方の雰囲気が雄心勃々たる青年の「夢」を育てるだけの魅力を欠いてゐたことにもよりますが、ひとつには、専門の学校を出なければ一人前の人物になれないといふやうな誤つた考へがはびこつてゐたからです。
 固より、特別な仕事に興味をもち、それだけの天分を恵まれてゐるものは、事情の許す限り、それぞれの道に進むこと、大いに結構でありますが、一方、家業を継いで父祖の歩んだ道を歩むといふことも、これまた、非常に立派なことで、日本青年の「志」とするに足ることであります。
 たゞ、それには「夢」があるかないかといふことです。
 極く月並な考へ方をすれば、どんな家業でも、たまたまそれによつて、相当の産を成し、土地の声望を得るといふやうなことだけで満足するでせう。一家の繁栄はすべての職業の目的であるかのやうに思はれてゐました。青年の夢は決してそんなものであつてはなりません。こゝで具体的に、一人々々の青年の「かうあつてほしい夢」について私が語ることはできませんが、少くとも、今日、「職域奉公」といふことが云はれるのをみてもわかるとほり、すべての職業は、その職業自体が国家の目指すところを目指してこそ、青年の「志す」道として選ぶに足るものであり、それはどんなにさゝやかな仕事のやうにみえても、その仕事をほんたうに活かせば、常に大きな「夢」につながるものであります。
 なぜなら、仕事の価値はその「量」だけで計るのではなく、むしろ、その「質」であり、「質」だとすれば、それは、もう「人」の問題で、その人の全人格が仕事を通じて一個の社会的価値を生むからです。そして、仕事を含んだその人の存在が、そのまゝ世の中の光明であり、国の力であるといふ結果になるのです。
 私は一人の立派な青年を識つてゐます。この青年はある山村で郵便配達をしてゐました。最初に私の注意を惹いたのは、その青年の態度でありました。郵便物を家人に渡してゐるその様子に、どことなく非常に良心的なところが見え、言葉つきもはつきりしてゐるうへに、動作が至つて敏活なのであります。機会があつて、私はその青年と親しく口を利いたところ、果して、彼は青年団の幹部にも推され、村の青少年を指導してゐるやうな人物でありました。そして特に私を感動させたのは、彼の抱いてゐる「夢」が実に見事なものであり、その「夢」の実現に向つて日夜奮闘努力してゐることが、素朴で謙遜な表現によつて十分察せられたことです。
 仕事の上では、彼は先づ、郵便を一戸々々に配つて歩くといふことの、温い、人情的な役目をよく理解し、一家の秘密に立ち入らない範囲で、手紙を受け取る人々の喜びや悲しみを自分の喜びや悲しみとするくらゐな気持になつてゐるのです。が、それはそれとして、彼は職務遂行上、最も能率的な方法を研究し、絶えず、新工夫を案出します。郵便物の数が増すことを村の発展としてひそかに歓迎するといふ風です。
 青年団の一員としては、村の青年の団結といふことに先づ心を砕き、修養の第一として、土地の歴史を知る必要があるといふので、国民学校の教師の一人にその研究を依頼し、村の経済を考へて、味噌醤油の協同製造を企てるなどの実践運動に邁進する一方、百年後の○○村といふ、さほど珍しくはありませんが、なかなか綿密な調査の行届いた理想郷の設計案を頭の中で作りあげてゐるのです。
 神社を正面に、郷土先輩の立像と詩碑、学校、体育場、博物館、図書館、動植物園、露天劇場、農産物品評会場、青少年学芸展覧会場などが整然として一廓を成してゐます。村役場を中心として、集会所、倉庫、病院、郵便局、購買組合などの建物がこれまた順序よく並んでゐます。
 新しい開墾地を含めた耕地整理も完成し、植林も計画どほりに進み、貯水池は満々と水をたゝへ、周囲の共同果樹畑と共に、一大公園をなしてゐます。
 部落毎に公衆電話、消防設備、託児所、炊事場、浴場があり、各戸はそれぞれ伝統と風土とを重んじた専門家の設計によつて、大小の差こそあれ、山村の農家として模範たるべき建築をといふのです。そのうへ、部落全体の集団生活に基づいた、便利でかつ親しみ深い一戸々々の配置が考慮されてゐます。
 村専用の馬車が絶えず人と物とを運んでゐます。道路は常に部落の責任に於て修復され、ラジオ聴取者が全戸数の百パーセント、その代り、新聞は浴場前に掲示するほか、隣保班で回読をする仕組みになつてゐます。
 なほ、この計画に含まれてゐる注目すべき精神は、近代的施設が農民の生活を安逸に馴れしめず、却つて、心身の鍛錬が規則的にできるやうな特別な方法が講ぜられてあることと、この理想郷建設の運動を、単に、一ヶ村の運動に止めず、隣接町村をも蹶起せしめて、共々に協力すべきは協力し、断じてわれ独り模範村の名を得ることで満足しないといふ、誠に今日の要求に合した、国民的自覚の現れであることであります。
 かういふ計画が百年後でなければ実現すまいと思はれる理由について、その青年は極めて率直に村の実情を語ります。みんながその気になつてくれさへすれば、十年後には容易に計画の半ばは達成するだらうにといふのです。そこに大きな、眼に見えない、しかし、国家のためには由々しい障碍と困難とがあるわけです。従つて、この「夢」はこのまゝ独りよがりで、人々にこれを押しつけるやうな態度に出ず、諮るべき人に諮り、説得すべき人は説得して、村全体の総意にまで進め得るものならば、もはや、彼にとつては、これこそひとつの「志」なのであります。
 彼の職業は微々たる一郵便配達です。しかし、彼の存在は、さうなれば、おそらく村の光明であり、郷土の力であらうといふことを、私は固く信ずるものです。
 青年の「夢」が、いはゆる「栄達」であるといふことは、誠に悲しむべきことであります。なかには、地位と権力とを得なければ天下の大事を成し遂げ得ないではないかと云ふものもあります。「天下の大事」とは抑もなんでありませう。国民の一人々々が真の実力を蓄へ、その実力を完全に発揮することより外に、天下の大事などといふものは考へられません。真に有能な職工を得るためには、親子三代その業を継がさねばならぬとまで云はれてゐるのです。さういふ職工が日本に幾人ゐるでせう。そこにも亦、ひとつの「夢」がある筈です。青年が子孫の時代のことを考へてはならぬといふわけはありません。


 青年の一つの「夢」は、なんと云つても、恋愛と結婚でありませう。

 このことについては、他に語る人があると思ひますが、一国の文化といふ見地から、そして、夢と現実の問題にからませて、青年の恋愛と結婚について一言しませう。

 とにもかくにも、異性相惹き、相結ぶといふことは人生に掛ける最も普通の、そして、最も興味ある「出来事」であります。古来、多くの詩歌や物語が、繰り返し繰り返しこれを主題として飽きないといふのはそのためであります。
 まづ、人間の心理、または行為としてこれをみる時に、恋愛は複雑微妙な変化に富み、濃淡色とりどりの多彩な絵巻物となり、時には波瀾をきはめた劇的情景を繰りひろげるのに反して、結婚は、殆ど常に恋愛の終局と考へられ、或は単に「家を持つ」ための便宜手段であるかの如くみられがちであります。
 従つて、恋愛は屡々猥らな情事と混同され、結婚は往々にして事務視されるといふ、甚だ憂ふべき傾向を生じます。
 恋愛はある特定の異性のうちに自分の意に適つた「美」を発見し、この「美」を通じて相手のすべてを神聖な目的物として追求すると共に、相手からも同様の関心をもたれることを熱望する心の動きであります。
 ところで、かゝる異性の「美」は、おほかたは客観的に在るものではなくて、常に、なんとなく心を惹かれる相手のうちに、自分の主観が創り出し、拡大していくものだとする説もあるくらゐで、かうなると、恋愛といふものは、一種の自己陶酔を意味することになります。恋愛は熱病なりと断じた一作家の言葉も、あながち極端だとは云へなくなるのです。
 しかしながら、自己陶酔にせよ、熱病にせよ、人間一人の生涯に於て、それが如何なる役割を果すかといふことに問題は帰するのですから、恋愛をたゞ単に軽々しく扱ひ、または、恋愛のために一切を犠牲にするといふやうな態度は、深く戒めなければなりますまい。
 そこで、私が先づ云ひたいことは、少年期を終つて将に青年期に入らうとする頃から、異性に対してわけもなく面映ゆいやうな気持を意識するやうになる、いはゆる「思春期」についてであります。
 この時期は、青年にとつて最も危険な時期とも云へるのですが、それと云ふのも、この間に、「異性を観る眼」が養はれ、将来、どんな形にせよ、異性との交渉をもつ場合の、大切な「嗜み」が身につくか、つかぬかの境目だからです。

 恋愛に多かれ少かれ「夢」の要素があるとして、その最も著しい現象は、「思春期」を含む、恋愛なるものを想像する時代の、つまり、はつきりした目標のない、或は「空想のなかに浮ぶ美しい異性」への、漠然たる「恋心」とでも云ふべきものでありませう。
 次には、誰彼となく眼に映る異性のなかから、あてもなくその一人を拾ひあげて、秘かに戯れの思慕を寄せてみるといふこともありませう。
 戯れが戯れに終らない悲劇も、この時代においては、さほど深い傷手とはなりません。
 この種の「夢」は、はかないと云へば限りなくはかないものですが、しかし、これによつて、現実の恋愛が準備され、その恋愛の値打が予めほゞ決定されるといふことは、看過できないことであります。
 恋愛は、それが若し、真に恋愛と名づけ得るものなら、これはたしかに、ひとつの「力」であります。
 異性が相愛する、その愛し方によつて、自他ともに成長し、向上し、強大となることは、理窟の上からも、また、多くの例をみても、間違ひのないことです。
 かゝる「恋愛」は、また、誰にでも出来るといふものではなく、それに値する人間のみがなし得るのです。しかも、相手がこれにふさはしくなければなりません。
 最も美しく、健やかな恋愛とは、最も男らしい男と最も女らしい女との、相思ひ、相許し、相誓ふ魂の結合であります。
 相愛の男女の作る新しい世界は、ものみな豊かにして、熱と光にあふれ、事すべて希望のしるしとなつて、幸福は常に呼べば応へんとしてゐます。
 が、その反面、恋愛は、あらゆる心理的葛藤の根源であり、水面のやうに定かならぬものであります。このことが、当然、恋愛の多面性、特に猟奇的な性質を語つてゐますが、恋愛の多くが、「悩み」であるといふ所以も亦こゝにあるのです。
「恋愛」を「夢」として夢みる青年男女に望みたいことは、決つた相手のあるなしに拘らず、その「夢」が飽くまでも、かくあるべき恋愛のすがたに近いものであること、そして、恋愛は、事実結婚を予想するとは限らないにせよ、やはり、結婚へのひとつの道として、その可能性の上に「夢」そのものが運ばれて行くことであります。
 かくあるべき恋愛のすがたは、傑れた文学のみが諸君にこれを教へるでせう。
 結婚へのひとつの道として恋愛を夢みることは、次代を背負ふ国民の一人として、恋愛を厳粛に考へるものの義務であります。
 しかも、恋愛は、たとへ主観的な心理の作用によるものとは云へ、青年の精神の錬磨と無関係ではないのでありまして、そこに描かれる「夢」は、享楽、陶酔、自己満足、耽溺などの色彩に塗りつぶされてはなりません。分に応じ、格に適した条件を外さない限り、相手の映像は心身ともに理想化すべきことは云ふまでもなく、その理想化は、浅薄な「美男美女」といふやうな標準によらず、女ならば、真に男らしき男、男ならば真に女らしき女をひたすら想ひ描くことによつて、男は男の矜りを、女は女の矜りを高らかに胸にひゞかすべきであります。そこには、肉体と精神、姿態と性情との、渾然一体となつた「人間美」の典型が浮びあがるでせう。言語動作、思想行為、表情気分、それらのひとつひとつが、すべて魅力であるやうな一人の男性、或は女性の映像を創り出す能力なしには、恋愛らしい恋愛はできぬものと、私は信じます。

 結婚は恋愛とおのづからその見方を変へなければなりませんが、しかし、結婚と恋愛とは両立しがたいとする意見には、必ずしも同じがたい節があります。
 なぜなら、恋愛が相愛する男女の結合を意味するなら、それはそのまゝ結婚への道でありますし、また、結婚は男女の結合によつて、相愛の誠を示す唯一の形式だからです。
 結婚はなるほど、子孫を得るためといふ一つの目的をもつて行はれることは事実でありますが、それにしても、それだけが目的ではなく、また、その目的さへも、相手の選択如何によつて、満足に達成せられるかどうかがきまるのであります。不幸にして子供が得られない場合は已むを得ないとしても、生れた子供の素質と、その成育のしかたとは、かゝつて、「結婚」そのものの意義となるのであります。
「結婚」にも、それゆゑに、大きな「夢」がなければなりません。その「夢」は、恋愛のそれと、美しさに於て異るところはありません。たゞ、「結婚」は、多くは現実の掟に縛られ、その「夢」も、現実の条件によつて破られ易いのであります。
 しかしながら、それは、結婚に恋愛の法則をそのまゝ当てはめようとするところから生じる錯誤に基づくものであります。恋愛における対象の「美化作用」は、結婚に於ては、相手の欠点を認容しつゝ、互に長短相補ひ、自他の区別を絶して「家」そのもののうちに融けこむ「同化作用」とならなければなりません。
 一心同体の夫婦関係は、恋愛から一歩進んだ、人格の実質的和合を基礎とするものでありますから、「夢」としては一見、華やかさと神秘なかげをもつてゐない代り、よりおほらかな、より建設的なものをもつてゐます。例へば、恋愛を天ける「夢」だとすれば、結婚は、地上から足をはなさぬ「夢」です。恋愛は想像と情熱の上に築かれる「夢」ですが、結婚の「夢」は希望と努力のうへに築かれます。恋愛は祈願と追求と、時としては不安のなかに呼吸する「夢」ですが、結婚は、激励と譲歩と、常に信頼のうちに育てられる「夢」であります。


 青年の「夢」は、かういふ風に、人生のあらゆる問題、あらゆる事件に向つて伸びて行きます。この外に、或は海外雄飛の夢となり、発明発見の夢となり、或は弱者救済の夢となり、武功抜群の夢となり、最も卑俗なものに、玉の輿に乗る夢があり、一攫千金の夢があります。

 世間でよく、空想家とか夢想家とか云はれる類ひの人々があります。
 一概には云へませんが、空想家、夢想家の常識で嗤はれる理由は、まづ第一に、その夢が現実からまつたく浮きあがつて生命のある美しさをもつてゐないこと、第二に、年齢や実力不相応であること、などでありませう。
 そこへ行くと、青年は、本来「夢」に生きてゐると云つてもよく、たゞ、その「夢」の美しからんことを望めばよいのです。
「夢」の美しさは、日本人としての正しい理想と、青年としての豊かな教養から生れます。そして、何よりも、純真な心を必要とします。世間が「夢のやうな話」と一笑に附するもののうちに、どんな「偉大な夢」がないとは限りません。


 多難にしてまた多幸な日本の将来を想ふとき、私は、今日の青年諸君が、一人々々、美しく、逞しい夢をもつてゐてほしいと思ひます。
 青年の夢は、もとより国家の理想につながらなければならぬ。そして、それは飽くまでも、自分の至誠と情熱とを土台とし、信念にまで高められる「志」となつて、はじめて輝かしい希望の色を帯び、雄大な気宇を生むのです。
「志」を立てるとは、それゆゑ、国民の一人として、男女の別なく、己の進むべき道をはつきり見定めることであるけれども、そこにはおのづから、境遇の制約があり、個人の力量に応じた道の選択があるべきで、そのことは夢の美しさ、逞しさを少しも阻害するものではありません。なぜなら、昭和の聖代に於ける国民一人々々の「志」は、或は臣道の実践と云ひ、或は職域奉公と云はれるもののうちで十分にそれが遂げられるばかりでなく、そこには、嘗ての時代に見られなかつた、青年への限りない期待がかけられてゐるからです。
 戦線に立つて弾雨を浴びるものの大部分は青年であり、生産の場で全身汗となつて働くものの多くは青年であるといふ事実は云ふまでもありません。私たちは、大東亜の建設を目指す長期の国家活動が、今日の青年の手に俟たなければならぬと信じるがゆゑに、その青年の現実のすがたが、すべて、その任にふさはしく、大国民たるの力と品位とを示すものであることを希ふのであります。
 こゝに、新しい日本青年の理想の型が生れて来なければなりません。
 理想の型とは、いはゆる「典型」であります。かくあるべき最上のすがたであります。男子には男子の、女子には女子の典型が考へられる。しかも、それは根本に於て全日本青年に共通なものを含みながら、なほかつ、それぞれの個性を生かし、職能の特色を発揮し、年齢の段階をはつきり示したものであります。
 今日まで、およそ軍人を除いては、社会一般に、この典型なるものを閑却してゐました。それがために、「類型」がはびこつた。「類型」とは一見それとわかる月並な型をいふのであります。役人の型とか教師の型とか、或は商人の型とかいふのがそれです。職業が知らず識らず風貌と言動の上に与へる習性、または固癖のやうなものであつて、それは常に一種の臭味を伴ひ、多くは反感と侮蔑の種を蒔きます。
「類型」は好まずしてそれに陥るものでありますが、「典型」は見事な訓練によつて創造するものです。
 昔は今に比べて、各階級ともに、典型を重んずる風があり、武士はもとより、町人ですら、一つの典型をもつてゐました。典型はまづ家庭教育の指標であり、社会に於ける人物批判の尺度でありました。かの「躾け」は、典型に準拠した子女錬成の手段に外ならず、「嗜み」とは、これまた、それぞれの立場で、典型に合致しようとする努力の結果と見るべきであります。
 典型が生れるところには、必ず「ほこり」がなければなりません。ある種の社会的階級が、嘗ては矜りを無視した時代もありました。さういふ階級や、その階級に属する職業に典型がなかつたのは当然であります。しかし、今日は、何れの階級、何れの職業にも、大日本帝国臣民としての矜り、国家活動の一部を担当する矜りが、勃然として目覚めてゐるのです。
 新しい青年の典型は、まづさういふ領域から生れて来る筈だと思ひます。
 学校と軍隊とは、ある意味に於て、青年の典型を創りつゝあると云へますが、それだけでは十分でありません。現在では、家庭と職場のおほかたが、それを破壊しつゝあるからです。
 典型はなによりも独善的なものであつてはなりません。常に普遍性をもつて世界にのぞみ得るものでなければ、真の典型とは云へないのであります。
 しかしながら、典型は典型でも、個性なきものは観念にすぎず、階級職域を混同したものは、社会の調和を乱し、風俗の悪化を招く原因です。例は少し違ひますが、同じ軍人でも、将校、下士官、兵と、それぞれの典型が自然に創り出され、単に服装が異るばかりでなく、職務の軽重広狭に応じて、その分に応じた最も優秀な型といふやうなものが、暗々裡に衆目の認めるところとなつてゐます。将校のうちでも、青年将校と老将軍とでは、その典型に格段の差があります。陸軍と海軍とは、また幾分別です。
 軍人は固より、国家の干城、陛下の股肱といふ絶大の矜りと、更に、その矜りを如実に示すための一糸乱れざる訓練によつて、そこから、世界的にも渇仰の的となり得る日本軍人の典型が生れたのでありますが、同じ日本人でありながら、他の職域に於ては、個人的価値は別として、未だ軍人に匹敵するほどの頼もしい典型が創り出されてゐないといふことは、今日、まことに心外の至りであります。
 たゞ、私の考へでは、既に、社会の各層、各職域を通じ、個人的には、「立派な日本人」が存在し、一部からは「あゝなくては」と思はれてゐながら、それが全体の注目するところとならず、たとへ注目されてゐても、これこそ「典型」なりといふ共通の認識がまだできてゐない場合がありはせぬかと思ひます。そしてその半面には、さほどでもない人物が、たゞある種の行為、または特徴のために、過大評価され、俗論によつて、さもそれが「典型」であるかの如き取扱ひを受け、却つて心あるものの疑念を深めてゐるといふ事実もなくはありません。
 真の典型の創造は、その発見とともに、かくの如き事情によつて屡々妨げられるものであります。
 こゝに於て、青年の夢が、その純真な翼を大きくひろげなければなりません。強く正しく美しいものに対する青年の憧れは、なまじ学識や経験を超えて、はるかに鋭い直観となり、自ら求めるものを指し示さずにはおきません。もちろん漠然としたものであるかも知れません。しかし、それはそれでよろしい。一つの映像として脳裡に描き得る典型は、寧ろ捉へ難き永遠の夢なのです。現実にこれを求めんとすることは、すべての夢と同じく、それは無駄である。たゞ、その典型に通じるものを求めて、それを得れば大いに足れりとすべきであり、自ら典型に近づくことを努めて、一歩前に進み得たら、なほさら結構であります。
 試みに一二の例を挙げれば、農村青年の典型は、決して、農村青年としてのみ「模範的」であることではなく、すべての青年をして「あゝなりたい」と羨望せしめるていの魅力を備へてゐることが必要で、少くとも、「さぞ満足であらう」といふ感慨を催さしめる程度のものでなければなりません。
 また、これと同じことが、青年工員また商業青年についても云へるのであります。
 かういふことを云ふと、今では幾分不自然に聞えるかも知れませんが、それは現在までの世俗的な偏見に囚はれてゐるからで、農村も工場も会社商店も、国家的生産乃至配給の場としての権威を今や十分に発揮し、軍隊勤務に劣らぬ重要性を国民は認識し、これに従事する青年の「志」を多としてゐるのであります。あとにはたゞ、これらの青年に、夢を夢みる能力ありやなしやの問題が残るだけです。
 現代に於ては、学生にさへもあるべき筈の典型が失はれ、明治時代の例の「書生」にみられた闊達高邁な意気は、その風貌から消え去つたやうに見えます。わづかに制服を纏つた類型が、ひそかな矜りを面映ゆげに運んでゐるにすぎません。彼等の夢は、嘗ては立身出世の邪道に落ちたが、今日の多数は、その余燼を留めて、やうやく収入の多きに走る有様と聞けば、典型の消滅もまた当然とうなづかれます。
 青年の夢は、未来の己のすがたを夢みるところから始まります。夢を導き育てる道は、必ずしも遠くにはありません。いま、現に立つてゐる道の彼方は、誤りなく広大な夢の野に通じてゐます。それは如何なる境遇に身を置くかといふことではなく、その境遇を如何に切り開くかといふことであります。職業の貴賤、身分の損得は、たゞ理窟の上だけでなく、現実の問題として、断じてあり得ないことを固く信じるところから出発すべきであります。
 人間は、男にせよ、女にせよ、また老人にせよ青年にせよ、その人物が世の中にゐるといふだけで、既に、世の中の光明たり得るのです。何をしてゐる人間かといふことはその次です。
 ある職業が時に社会から軽視されてゐたとすれば、それはその職業本来の性質からではなく、その職業に従事するものの大部分が、如何なる意味に於ても、高い理想をもたず、美しい夢を失ひ、仕事と生活とを通じて、自ら矜りを捨て、顧みなかつたからであります。
 一見、職業の性質がさうさせたやうに見える場合でも、深く事実を見究めれば、決してさうではなく、社会の偏見を是正し、または、これと戦ふ識見と勇気とを欠いた、職業伝来の自卑的態度によるものです。故に、誰かが起ち上つて先づ自己革新の狼火を挙げ、進んで天下の蒙を啓かうとすれば、何時かは周囲が風に靡かぬ道理はありません。こゝにも既に、大きな夢があります。そして、一つの新しい典型はその夢からこそ創り出されるのであります。
 それならば、青年男女の夢を養ふものはなにかといふと、これまでは、多くは、英雄偉人の立志伝であり、或は、貞女烈婦の美談でありました。これからもそれは不必要だといふのではありません。卑俗な一攫千金の夢や、玉の輿に乗る夢などを追ふよりも、むしろますます、かゝる非凡人の努力の生ひ立ちに学ぶ方が、どんなにいゝかわかりません。しかし、それだけではまたいけない。もつともつと必要なことは、日本の歴史を深く味ひ、更に郷土の歴史を精しく調べ、同時に、青年としての自己の本分をしかと胸にたゝみ、その上で、人間の価値についての正しい批判の尺度を、傑れた文学によつて自分のものとすることであります。
 夢は手近なところから遠大なものへと伸びて行きます。
 勤労と修学とを含んだ日常生活からはじまり、「かくある自分」と「かくあるべき自分」との距りに気づけば、もはや、美しい夢の門口に立つたのです。自分を「かくあらしめる」工夫と努力に一歩踏み出せば、そこでは、おのづから、典型の創造が企てられてゐるのです。かうなつたら、夢の翼をひろげるだけひろげるがよろしい。夢は飽くまで美しく、飽くまで逞しいものとしなければなりません。しかも、それは如何に遥かなりと雖も怖るゝに足りない。たゞ、怖るべきは、純潔ならざるものの混入することであります。僥倖をたのむ心理が、夢に化けて忍び込むことであります。
 真に美しく、逞しい夢は、決して甘くもなく、また、明一色ではありません。苦難と歓喜を交へた戦ひの夢、戦ひに傷つき傷つき、しかも幾度か起ちあがつて遂に凱歌を奏する夢であります。従つて、真の新しい青年の典型は、ゆかしく凜々しい日本的典型の上に、若さのもつ健康と職分の嗜みとを加へ、日本青年としての雄大な気宇を自然に備へながら、男子は男子らしく剛毅に、女子は女子らしく柔軟に、それぞれ清純な風格をもつて人をして畏れ懐かしめるものでありたい。言葉をもつて典型を描くことは抽象の域を脱しないからこれくらゐにしておきますけれども、更に、私の望むところは、単に、男女青年がそれぞれ同性の典型を頭に浮べるだけでなく、同時に、異性の素晴しい典型をおのおの想ひ描くことによつて、健やかな一つの夢を抱いてほしいことであります。
 これは現在の青年にとつてまことに重要なことでありますが、結果として、いづれは、男女青年互に、それぞれの典型を、協力して創りあげることになるでせう。典型の完成であります。夢が典型を生み育てるといふ意味は、たしかに、かういふところにもあるのです。
 しかし、これは急ぐには及びません。日本の青年は、今や、夢と現実との交錯とも云ふべき大戦争によつて完全な試煉を受けつゝあります。男子青年の描かざるを得ぬ巨大な夢は、千里の海を越えた戦場に散る潔きつはものの誉であり、女子青年にあつては、やがて「おほみたから」を儲くる日の尊きおのがいのちでありませう。
「兵士」と「母」、この二つの名は、そのまゝ、現代日本に稀な典型を創造した、またとなく厳粛にして清らかな名であります。


 青年は「夢」に生きると云ひますが、それと同時に、青年は、屡々「憂欝」の囚となるものであります。いはゆる明朗闊達な青年と雖も、実はその例に漏れないのです。
 この「憂欝」の原因は、一つには、俗に「春の目覚め」と称する生理的変調にあるのですが、一つには、青年の「夢」そのものと密接な関係があるのであります。

 生理的理由から来る「憂欝」は、医学の立場からすれば、一種の気分転換によりこれを克服すべきだと云ふのであります。即ち、勉強とか運動とかに専心すること、宗教や芸術に没頭することなどが、具体的に示されてゐます。時に、身体を規則的な操作によつて疲労に導くことが最も効果的であると云はれてゐます。
 その方面のことは、一応専門家に委せるとして、私は、それよりもこの「憂欝」が、「青年の夢」と如何なる関係があるかを述べてみます。

「憂欝」とは、文字通り、一種の心理的な不快を指すのですが、その不快は爆発的なものでなく、むしろ内攻性をもつたもので、訴ふるに由なき焦躁の圧縮された気分の重さとでも云ふゞきものです。それは堪へがたい苦悶にまで至ることもありますが、おほかたは、環境の変化によつて明暗の度を異にする程度で、にがい吐息を交へることもあり、落莫として唇を噛むこともあり、たゞ味気なく、ひとり物思ひにうち沈むこともあります。

「歓楽極つて哀愁多し」とは、青春そのものの花やかな幸福感にもよく当てはまるやうに思はれます。哀愁はこの場合、憂欝の同義語とみるべきでせう。今日の時代は、青年の奔放な生活を許す筈もなく、青年も亦、善悪は別として、さういふ生活を望んでゐないやうにみえますが、もともと、人生の屈託もなく、歌ひたい時には何時でも歌ひ、酒はなくても、酔ひたい時には何にでも酔へるのが青春です。どんな「夢」でも、さう不自然でなく、すべての欲望は満たされない前に、既に十分な甘味としてこれを口にふくみ得るといふ時代、これは単純に幸福きはまる時代です。
 意識するとしないとに拘らず、かゝる幸福感の末端には、一種空虚な寂しさ、名状しがたい憂欝がちらと顔をのぞかせます。
「満ち足りた物足らなさ」といふやうなをかしなものです。それを、青年自身、しばしば「満たされざる」ものと感じるのです。
 憂欝はまた、人に語り得ない心の秘密から生じる場合が多く、それは自分を孤独なりと信じる妄想ともなり、また、いはれなき淋しさ、うら悲しさ、遣瀬なさともなります。
 しかしながら、ある種の「憂欝」は、憤りの相貌を呈します。不快の真因がわれになく彼にあり、しかも、それが、不正、不純、不義である場合がそれであります。悲憤慷慨と云ひ、憂国慨世と云ひ、いづれも、この種の「憂欝」の露はな表情であります。


 青年の美しい「夢」は、いづれに向つても健やかに伸びさせたいものですが、「夢」の進路を遮り、これを土足で荒すものは、非情そのものの現実であります。特に、現実に屈服し、現実と狎れ合ひ、現実の威をかる大人の、事もなげな「夢」の排斥、否定、蔑視は、青年の忍び難いところです。
 現実は元来、決して醜いものとも、また悪意のあるものとも断ずることはできませんが、「夢」に逆ふ現実の力は、苛酷であり、圧倒的であります。青年の「夢」は、如何に美しくても、首を横にふる現実の前では、如何ともしがたいのです。かゝる現実との血みどろの闘ひも、本来は、青年の「夢」の筋書には書き込まれてゐなければならないのですが、青年には、悲しいかな、現実の予想され得る挑戦にすら、これに応ずる万全の備へといふものがないのです。
「夢」を夢みることもできず、現実の暴威の前に、一切の勇気と笑ひとを失つた青少年の姿ほど痛ましいものはありませんが、それにも増して、「夢」とも云へぬ小ざかしい「妄想」を心の隅に抱き、ひとたび現実に立ち向つてそれが吹き飛ばされるや、めそめそと泣面をかくやうな手合こそ、世にも憐れな存在と云ふべきであります。かゝる「憂欝」はこゝで論ずる限りではありません。

 努めて現実を直視し、しかも、現実の彼方に夢を求めて、青春の血を沸きたゝせることは、その現実の峻厳な批判と抵抗とにひとたびは夢を破られても、決して、ひるむことを知らぬ果敢な精神の発露でなければなりません。
 この時、憂欝はむしろ、自己の力の過信と不明とを悔いる反省の鞭のひゞきであり、更にまた、一層強靭な「夢」を養ふ鍛錬の汗の一と時だとすれば、かゝる憂欝は暗色にして必ずしも暗色ならずと云ひ得ませう。
 たゞこゝに、救ふべからざる如く見えるひとつの憂欝の原因があります。
 それは、青年の胸中に知らず識らず巣喰ふ幻滅の虫です。言ひ換へれば、現実とはかくまでも理想とかけ離れたものかといふ、絶望に似た空虚感であります。
 まことに、現実とは理想から遠いものであつて、さうであればこそ、現実と云ひ、理想と云ふのです。然るに、青年の「夢」は、どうかすると、現実を理想化し、理想を現実化することなのです。常識を以てすれば、そこに大きな矛盾があるわけですが、この矛盾は、しかし、信念と情熱との前では、容易に矛盾などといふ冷酷な姿は示さないのです。それにしても、現実は、徐々に、ありのまゝの相貌を青年たちの前に露出しはじめます。それは、青年たちにとつて、あまりにも「醜い姿」と見えるでありませう。それもその筈です。「かくあるべき人生」について、彼等は、長い間懇々と教へられ、しみじみとかゝる「人生」への門出を心に祝つた、その翌日だからであります。
 極端に云へば、恐るべき悪徳は日常茶飯事の如く、人、相助けることは稀で、創造の悦びを讃へるものは子供しかなく、真理は臭いもののやうに蓋をされ、わづかに美しいものと云へば自然と芸術のみといふやうな世界を、まさかに「現実」とは考へ及ばなかつたのです。
 予め断つておいたとほり、これは極端な「現実」の悪口で、私自身こんな風に信じてゐるわけでもありませんが、比較的純真無垢にして人を信ずること厚く、学校教育によつて善悪、正邪、美醜を判断する眼を与へられ、人生への希望を、そのまゝ夢として、今日の社会に生きようとする年若き人々の魂は、荒々しく埃にまみれた現実の断片から、そもそも如何なる印象を受けるかといふことです。私が前に行つた「現実」の素描は、そのまゝ彼等の魂に映る「現実」のグロテスクな仮面の羅列に過ぎぬと私は確信するものです。
「現実」の様々な面に対する幻滅は、少くとも青年にとつてのみ、憂欝の種となり得るもので、屡々これは「懐疑」といふ穽に通じる道ですが、これまた、現実を深く識り、理想を高く掲げることにより、そこに新しい希望と勇気とが湧くのでありまして、この種の憂欝は、いはゞ、青年の「夢」の発展を画する一時期であります。
 たゞこゝに問題となるのは、一旦「懐疑」の穽に落ち込んだ青年の、理想を見失ひ、「夢」はたゞ「現実」を逃避せんがための「夢」にすぎず、精神の糧はたゞ理論、生活の目標は快適、といふやうな状態にみる例の冷やかな憂欝であります。
 それはまた、「満たされざる」気持にひきずられる自分の姿の惨めさを発見することによつて、やゝもすれば「自己嫌悪」につながるものです。
 嘗て「近代の憂欝」といふ言葉も流行したくらゐ、西洋でも、ハムレット以来、懐疑と魂の漂泊を誇示する青白い憂欝は、詩的で、ちよつと伊達だてな、青年好みの時代色でありました。
 これはやがて、「世紀病」とも名づけられたとほり、ヨーロッパ文明の崩壊を予告する徴候の一つとも見るべきもので、文学としてはこの傾向がわが国にも多少伝へられてゐます。
 しかしながら、文学の影響だけが、今日まで、知識層の青年を駆つて懐疑主義に赴かしめたと断ずることはできません。忌憚なく云へば、それは「現実」の在り方、特に政治と教育との大きな責任であります。
「懐疑は知識の母」といふ文句が度々口にされました。それはさうでありませう。しかし、懐疑は人生に必要なすべてのものの母ではないといふことを誰も云ひませんでした。それを悟らなかつたのは、必ずしも青年の罪ではありませんが、悟ることの遅きを悔いてゐるのはわれわれであります。
 魂の漂泊とはなんでありませう。「国土なき民」であり、「根こぎにされた草木」であり、「家なき子」であります。たしかに寂寥そのものです。「憂欝」の種がこゝにもあるとすれば、それは、日本人には縁なき「憂欝」だと云はなければなりません。
「孤独な魂」とは、なるほど、文学的表現としては一応意味があります。しかし、真に「孤独な魂」は、決して憂欝をおもてに出しはしません。それはまた、寂しさを知らぬ、強靭にして豊かな精神を指すからであります。
 要するに、「近代の憂欝」が、まだわが国のそここゝに残つてゐるといふ気配が私には感じられるのです。たしかに残つてゐる筈です。これを一掃しなければ、わが国の発展の障碍となることは明らかです。先づ、自我中心の思想と、科学万能の迷信を打破しなければなりません。次に、功利主義に基づく教育の殻を脱し、日本的政治の復興に堂々と協力することです。
 いはゆる専門学校以上を卒へ、精神的労働を目指す現在の青年に課せられた宿題は以上の通りです。
 真に美しい「夢」のないところにも亦、一種の「憂欝」があつたのであります。


 さきに述べた「生理的憂欝」とやゝ区別しがたいものに、かの「青春の悩み」があります。対象の漠とした焦躁、常に満ち足りぬ心の渇き、捉へ難い幻影の模索、自分に微笑みかけるもののない淋しさ、このまゝ無為にして青春を終るのではないかといふ不安、などが、雑然として胸を締めつけるのです。これが、もとを質せば、簡単な「異性への憧れ」に過ぎないといふのが事実なのであります。その証拠に、ひとたび好もしい特定の異性が眼前に現れるや、その焦躁も渇きも模索も不安も、忽然として影を消すこと請合ひであります。
 しかし、また、新たな「憂欝」が、時としては、恋愛のきざしと共に芽を吹きます。
 相手に十分心の通じない焦躁、常に相手の顔が見えぬ物足りなさ、相手の気持がわかつたやうでまだはつきりわかつたと云ひきれぬ不安、競争者の現れる危惧など。
 恋愛心理の解説はもうこれ以上不必要と認めますが、かうなると、恋愛こそは、病であると云はねばなりません。病の徴候としての憂欝は、もはや、一刀両断の処置しかありませんが、恋愛をして病にまで昂じさせない予防薬は、恐らく青年としての「矜り」と「嗜み」でありませう。
 淡い憂欝の色が、その誇らかな容姿を透して、ふと、青年男女に、一種重厚な感じを与へてゐる例が間々あります。沈痛な面持ちとでも云ふべきものです。
 その憂欝の来るところを知る由もないのですが、或は、真面目な恋愛をしてゐるのではないかと、ふと気を廻してみたくもなります。
 しかし、間違ひのないことは、かういふ青年男女が、おほかたは、数々の美しい夢に胸をふくらませてゐるといふことです。
「夢」の美しさは、決して楽天主義の明一色ではありません。幾多の苦難を苦難として迎へようとする殉教者の覚悟と、理想の高きを攀ぢ、秘境の深きを探る開拓者の根気とのいぶし銀を交へた、明暗多彩な刺繍図であります。濁りなき青年の瞳が、一つ時曇つたとみえるほどの「憂欝」の影は、却つて、明鏡の物をよく映すに似て頼もしく、その銀色の「憂欝」こそ、白煙となつて立ち昇れば、破邪顕正の剣を呑んで、現実の醜敵と刺し違へる雄々しい憤りとなるでありませう。

 とは云へ、これも出来ることなら、「憂欝」の色などは、あまり仰々しく顔に出さぬがよろしいと思ひます。これまたひとつの「嗜み」であります。
 時にかういふ注意を附け加へたいと思ふわけは、前に挙げたやうな例を除いて、いつたいに青年の表情が暗く、活気に乏しいといふ印象を受けるからです。何が不平なのかと訊ねたいやうな「膨れ面」にも屡々出会ひます。これは青年に限りませんけれども、青年であるがためにひときは目立つのです。
 これも「憂欝」の一表情に違ひありませんが、それはもう、如何なる「夢」とも縁のない、いはゞ散文的な憂欝の一つで、むしろ、単に、不機嫌と云ふ方が当つてゐるでせう。常に小さなことに不平不満を抱き、或は泣寝入りをするか、小言を言ひくたびれするかして、なんとなく自信を失ひ、たゞ、欝積した不平不満が凝り固つておのづからの「仏頂面」を作りあげたといふ類ひの顔は、近頃そんなに珍しくないと私は思ひます。

「青年を示せ、汝の国の運命をわれ占はん」と云つた哲人がゐます。
「青年をしてその夢を語らしめよ。われその青年の前途を卜せん」と、私は、僭越ながら云ひきることができます。
 が、それよりも、こゝで私が「青年の夢と憂欝」といふ一項を設けた所以は、青年の多くが描く「夢」の美しさ、逞しさは、そのまゝ、一国の文化の高さ、健やかさを示すものだと信じたからです。
 そして、その「夢」はまた、たとへ如何に美しく、逞しくあらうとも、常に微笑みをうかべるものではないといふことをはつきりさせておかなければなりません。「憂欝」を持ち出した理由です。この紛はしい「憂欝」の正体を青年はしかとつかんで、徒らに道に踏み迷はないやう、聊か老婆心をさし加へたつもりであります。





底本:「岸田國士全集26」岩波書店
   1991(平成3)年10月8日発行
底本の親本:「力としての文化――若き人々へ」河出書房
   1943(昭和18)年6月20日発行
初出:「力としての文化――若き人々へ」河出書房
   1943(昭和18)年6月20日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年5月21日作成
2016年4月14日修正
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