S夫人への手紙

岸田國士





 これから毎月一回あなたに手紙を書こうと思いたちました。今度の戦争で愛する夫君を失われ、また小さい二人のお子さんたちの将来について思いなやんでいられるあなたから、いろ/\なご相談を受けた時、私がまず感じたことは、国籍こそ日本にあつても、やはりヨーロッパ人の血を享けた女性としてのあなたが、果して、これからさき日本に止つて、われ/\と運命を共にすることがおできになるか、ということでした。
 しかし、一方、かね/″\、あなたが、夫君の生国であるという理由はもちろんあるでしようが日本という国に興味をもち、日本人の特質をよく理解し、この国と人とを心から愛しようと努めていられた事実をよく知つていますから、なによりも誠実な生き方をしようとしてもがいていられるあなたのすがたは、私の心を一層強くうちました。
 なんの力もない私ではありますが、あの時のあなたのお言葉に従えば、お子さんたちを「よい日本人」に育てあげたいというあなたの念願に対して、若しもなにかのご参考になればと思い、現在、あなたを取巻く日本の社会の様々な風潮、日本人のあらゆる表情について、あなたに疑問を起させそうな点を、その時どきに取あげて、私流の解釈を加えてみようと思うのです。あなたが日本語の新聞をかなり正確に読まれるのには私も感心しているのですが、それ以上に、あなたは実に鋭い読み方をなさつているのに気がついて驚きました。それもそのはずでしよう、十年前日本の土を踏まれた、その最初の日から、あなたは見るもの聞くものについて、夫君に手きびしい質問をされたという話を伺つています。
 私はご承知の通り、どこからどこまで日本人ですが、日本の自慢というものはあまりしない方です。その代り、異国の人々に日本を正しく理解してもらいたいという気持、もし美点があるとすればその美点と同様に、その欠点をも、表面的な観察ですぐに結論を下されては閉口だ、という気持でいつぱいです。
 実は、われ/\自身が、自分というものをまだよく知つていない。誤解はそこからも来るのでしようが、私は、あなたのような方の疑問をいくらか解くことによつて、自分自身をもつとよく知ることができるのではないか、という期待が一方にあるくらいです。
 私は最近、連合軍司令部当局から日本の労働組合に対して発せられた警告ほど、われ/\にぴんと来た警告はなかつたように思います。覚えておいでになるかどうか、つまり、日本の労働組合の動きそのものゝなかに、その精神とはおよそ遠い「封建性」が巣喰つているという事実の指摘です。これが資本家側に武器として利用されなければいゝがとは思いますが、たしかに、家族手当とか、税金負担とかの要求は、労働運動の目標としては変なもので、これは、最も進歩的であるべきはずの頭脳から迷い出た封建思想の幽霊です。ところが、これは単に労働運動に限らないということを、われ/\は深く反省させられるのです。

 何事にも順序があり、過渡期というものがあります。司令部当局もそれは認めているようですが、一番困るのは、順序について思いをひそめるものが少いことゝ、過渡期だから仕方がないと高をくゝるものゝ多いことです。
 あなたの住んでいられる処にも、最近、ダンス・ホールが出来たそうですが、それをいわれる時のあなたの皮肉な微笑がまだ私の眼の底に残つています。
 その後、あるところで、私は一人の青年にこんな風に問いかけられました。――ダンスをやりたいと思うのだが、どうも気がひけてホールへ足を踏みこめずにいるが、思いきつてはじめる方がいゝかどうか? そういう「はにかみ」のようなものは進歩のさまたげではないだろうか?
 私は即座に答えました。――そんなことはいゝわるいの問題ではないと思う。やりたかつたらやるがいゝ。君のいう「はにかみ」は、当然なければならぬもので、もしそれがなかつたら、君は、まともな人間とはいえない。しかし、ものには順序がある。第一に、そういう「はにかみ」は順序をふんで、自然にダンスというところまで行けば、もうなくなる性質のものだ。早くいえば、音楽が日常生活のなかに浸み込み異性と触れ合うことがそれほど特別な意味をもたぬような習慣が身についてからなら、問題はないのだ。進歩はダンスをやることのなかにあるのではなく、その以前の生活のなかにある。現在のわれ/\の生活と、ダンス・ホールとの間には、それを飛び越えるのにちよつと無理な空隙があるので、それに気がつくと、「尻ごみ」をしたくなるのだが、一方、青年はもはや少年になることもできず、急に、生活様式やその習慣を変えることも困難にちがいない。それには、ダンスというものをすべての娯楽とおなじく、健康な方法で生活のなかへ取り入れる工夫も必要になるだろう。
 その方法とは、もうそれを実行しているものもあるだろうが、家庭的な催しとして清潔な雰囲気のなかで行うことがひとつ、更に、工場や、地方の小都市、農村などの青年男女は、いきなり近代都市風の流行ダンスに走らず、ヨーロツパ各地方で現に行われている一種の野外ダンス、例えば、ブルターニユのパ・ド・ルウのような古典的で、素朴闊達なダンス形式を取り入れ、かの盆踊りのいろ/\な物足りなさを十分補えばいゝのである。小学校では、男女共学の意義を徹底させるうえにも、適当な指導によつてダンスに親ませることは是非やつてもらいたい。
 以上の三つを私の注文として出すが、とにかく、現在のダンス・ホールは、あのまゝで、あれだけでは、たゞ青年をスポイルする役割しか果し得ないだろう。――奥さん、私のこの答弁はいかゞでしようか? 道学者の臭いがしますか? しかし、私は、現に青年を蝕みつゝあるのは、ダンス・ホールに限らぬと信じています。そして、それはしかたがないことゝ思つています。

 ものには順序があるといいましたが、私は、今の日本が、これで、あたり前の順序さえ踏めばとん/\拍子に住みいゝ土地になるとは思つていません。そんな考えは誰ももつていないでしよう。率直にいえば、たゞ、私は、あるひとつの順序は、やはりあると思います。それは、一旦、どん底へ落ちこんで、そこから再び浮び上つて来るということです。
 どん底とは、もちろん、民族としての最も不幸な状態をいうのです。それまでは、なまじつかなつつかい棒はなんの役にも立ちますまい。まして、どんな力が、こゝまで来たわれ/\を上へ押しあげることができるでしよう? 新しい政治、新しい教育、新しい宗教、そんなものは、それだけでは、空手形にすぎません。
 すべてが塗り換えた看板の下で転落の運命を辿つているではありませんか、なぜでしよう、われ/\は根本的なものを見失つているからです。あなたにはおわかりにならぬかも知れませんが、日本人は、ずいぶん久しい以前から、自分のほんとうの力というものを信じなくなつているのです。易きにつくことがほとんど唯一の撰び得る道だつたのです。
 しかし、奥さん、私は、それでもなお希望はすてません。問題は、どん底に落ち込んだ時、もうすつかり骨ぬきにされているか、あるいは、まだ起ちあがる力が残つているか、ということです。どん底に落ち込むことはもはや防ぐわけには行くまいと思いますが、その時、なにかしら、どこかに、ちやんとした精神の支えと、われ/\を奮い立たせる原動力のようなものがかき消されずにあるという、そういう転落のしかたを、私は、かすかながら、待ち望んでいます。われ/\の努力は、ですから、そういうものを、そういう時のために、蓄積する努力にすぎないということを、あなたに特に申しあげておきたいのです。
 これで、あなたのおそらくは昨今もちつゞけておられるにちがいない疑問をひとつ解いたことになりはしませんか?――日本はこれでいゝのか? というあなたの疑問に、今日はじめて、私の答をお送りします――これでよろしいのです、と。
 労働組合の運動そのもののなかに多分の「封建性」がみられるように、例の帝銀事件も、犯罪の特質をよく考えてみると、日本人の特殊な残虐性というようなものではなく、むしろ、「長いものにまかれる」一種の事大的傾向があの悲劇をもたらしたものといえましよう。これはもう誰しも認めていることですが、たゞそれをそう認めているもの自身が、あれに似たことを無意識にやつていないとはいえない。そこに一番大きい問題があるのです。
 あなたがたには、非常に不思議なことでしようが、日本人ぐらい口で言うことと、実際の行動とがはなればなれな国民はないでしよう。これは必ずしも、われ/\が誠実でないのではなく、虚偽をにくまぬわけでもないのですが、悲しいかな、われ/\の精神機能は今や分裂の危機にのぞみ、あなた方の表現をかりれば、「頭」と「心臓」とが同一体内で別々の血液を通わせているという状態なのです。
 このことを、一度、よく考えてみてください。


 今月は問題がたくさんありすぎて困るくらいです。なにをとりあげても、それがすぐどうなるものでもありませんし、あなたとしても、必ずしも身近なことでなければ興味をおもちにならぬわけでもあるまいと思い、すこし大きく手をひろげてみましよう。
 それはこの月がちようど新憲法実施一周年にあたるところからも、私の注意は、国の制度と社会生活の実態との関係に向けられたわけですが、そも/\、日本の現実の社会と、新憲法の精神との間に、極めて不自然な開きがあるということを気づかぬものはひとりもいますまい。それはむろんやむを得ぬことでしよう。
 しかし、その開きを埋めようとする努力が、国民自身によつて試みられなければならぬのに、どうかすると、それは逆に、国民をしてこれに従わしめようとする力がその頭上に加えられかねない有様を、私はなんとしても不思議に思うのです。自ら求めて得べき筈のものを、他から押しつけられなければ受けとれぬという精神の怠慢と卑屈とを見逃すならば、日本の再起を語ることも一場の空論にすぎません。
 とは申すものゝ、あなたも既にお気づきのように、われ/\同胞が、なにゆえに、大事なことを人委せにして平気でいられるか、ということは、考えてみると、その由来するところは深く、かつ遠いのです。こゝでその原因を分析する手数ははぶきますが、これはどうしても子供の時分から、そういう癖をつけないように、育てるということから始めなければならぬと思います。つまり、社会人としての自覚を与える一方、善い意味で衝動の力を伸ばすような教育が行われゝばいゝのです。社会人としての自覚のなかでは、なによりも、連帯責任の観念が大切な要素ですが、このことは、おそらく、学校にはいる前に既に家庭である程度の素地ができていなければなりますまい。
 お宅のお子さん方は、その点、あなたから直接なにものかを受けつぐことができるわけですが、一般日本の家庭では、これまで、そういう意味でのしつけはまつたくゼロといつてもよいくらいです。従つて、そういう素地のまつたくできていない子供たちを、近い将来、友達としてもたなければならぬお宅のお子さん方は、もし周囲に正しい眼が光つていなかつたら、必ずその影響のなかで、あなたがお望みにならぬような方向に性格づけられていく危険がないとはいえません。
 最近某地方自治体の首長らが暴徒の脅迫にあつて、心ならずも職責にもとる行動をとつたという事実ほど、われ/\をガク然とさせ、かつ、冷汗三斗の思いをさせた報道はありません。個人としてはなんぴともこれをわらう資格はありますまい。しかし、ひるがえつて思えば、日本の運命は、数十年来この種の代表者にうか/\と大事を委ねた国民の不明と無関心とにかけられていたのです。
 新憲法がいかなる理想をかゝげているにもせよ、その精神を真に生かすものは、われ/\国民の人間としてのほこりと、協同社会につながる自己の役割の認識をおいてほかにありとは考えられません。

 そういう意味からいうと、新憲法にうたわれている「平和主義」の観念、軍備を撤廃した国家のすがたについて、われ/\はもうすこし真面目に考えてみなければならぬと思います。「平和的」であることは、もちろん「侵略」の意図などを含まぬのは当然ですが、他の「侵略」に対して、無条件に身を委せることでは断じてないはずです。国としての武装は「平和」の意志表示としてこれをまつたく解いたとしても、国民はそれによつて祖国を守る義務を放棄しなければならぬ道理はないでしよう。
 仮に、組織的な力がそこに欠けているとしても、われ/\は、一人一人、われ/\の愛するものを命がけで守るという本能を否定することはできません。そして、この本能に従うことこそが、人間にゆるされた権利であり、課せられた義務であり、これをなし得ないということは、人間のほこりを棄てたも同然であります。「好戦的」であるとか、「軍国主義的」であるとかいう批難は、決して、かくの如き真の人間の「生きかた」に対して加えらるべきものではありません。
 家庭においても、学校においても、平和的な日本人をつくるという口実のもとに、卑屈、怯懦、因循姑息な日本人をこのうえつくる結果になつたら、まことに、新憲法の精神に添わぬ教育だと申すほかはないのです。
 なぜなら、新憲法のどの条項をみても、われ/\がこのまゝでいいという条項はひとつもみあたりません。いずれも、旧い殻を破り、新しい土を耕し、茨を分け、岩壁をよじ登らなければ容易に到達できない目標ばかりです。なるほど、その目標が明らかに掲げられたことは、既に大きな収穫といつてもよいでしよう。
 しかしながら、事はそれで終るのではありません。できてもできなくても、一歩一歩、その目標に近づく努力だけはし続けなくてはならぬ。そのためには、なによりもわれ/\の勇気、何ものをも怖れぬと同時に、何事をも容赦せぬ敢為な気象を養わねばならぬと信じます。云いかえれば、己れのよしとするところに向つて誰はゞからず進み、易きにつくことをもつて恥じとする決意と、これを実行にうつす衝動の強さとを、まずわれわれのものとしなければなりません。
 自らたのむところなくして、なんの「平和」がありましよう。いかなる文明国といえども、人民の幸福は、人民それ自身の手でつくられるよりほかはないということを、この憲法は言葉をつくして教えたものだと、私は解しています。
「解放された人間」の一個の具体的な像を、この東洋の島の上につくりあげる時代は、あるいは百年の後かも知れません。われ/\の人間としての歴史は、ヨーロツパの十八世紀をまだ迎えていないというところに、大きな困難と、興味とがあるわけです。

 この手紙はあなたに差しあげるものとしては、すこし間口をひろげすぎたきらいがあります。しかし、こういうことも、一応私の言葉としてご記憶ねがいたい。ルネ君やエレーヌちやんがもうすこし大きくなられたら、あなたはきつと私がこの手紙に籠めた真意を察してくださるに違いありません。
 ところで、このへんでちよつと話題をかえましよう。政府はいよいよこんど「国語研究所」という機関をつくることに決めたようです。最近の国語問題について、いつかあなたともお話をしたことがありました。せつかく手をつけはじめたものですから、飽くまで慎重に、効果的に事を進めてほしいと思いますが、「研究所」の設置という案は、どこから出たにしても、まず穏当で、筋の通つたものです。
 たゞ問題は、その運営にある。いつの場合もそうですが、名実相伴わぬのが官庁の仕事であり、その原因がどこにあるか。これまた、衆目一致するところです。私はこゝであなたにそれを申しあげる必要はないと思う。たゞ「研究所」という名前に関連して、私のかねて考えていることをお話してみたくなりました。
 あなたが日頃もつとも苦労をしておいでになる現在の日本の混乱した生活様式の問題は、あなたとはまた別な意味あいでおそろしくそのために神経を浪費しているわれ/\の立場からも、なんとか真剣に考えなければならぬのですが、これはもう、個人生活の工夫や努力だけでは追いつかぬところに問題の鍵があるように思われます。そこで、多分あなたも賛成してくださるものとして、私は、自分で思いついた一つの案を提出してみます。
 それはつまり、画期的な幅のある「研究所」をまず作つて、そこで、将来の日本人がどんな生活様式を採用することが最も適当であるかを、いろ/\な面から徹底的に調査研究する。その結論は直ちに特定の附属機関で実験にうつす。実験の成果によつて、これを国民全体に普及せしめる方法を講じます。必要に応じては政策としてこれを取りあげてもよし、義務教育の面ではもちろんそれと歩調を合せ、社会施設もまた悉くその趣旨に適応するように改められるというふうにすることです。
 ところで、この「研究所」は、私の希望するところは、民間におけるあらゆる文化事業団体の協力によつて作られ、運営され、その意志は、時によれば国会を通じて政治的に反映せしめるようにしたいことです。
 この「研究所」は、衣食住を含む一般生活様式の総合的研究を特色とするもので、例えば建築を無視した服飾の改良などという過ちを犯すことなく、また同様に、合理化にのみ囚われて人間の真の欲求を忘れるような結果を生んではならないのです。
 風俗的には、日常の礼式作法なども研究の対象となるでしよう。握手や接吻が日本の風土にそのまま容れられるかどうか、婦人に座席を譲ることが果して日本男子の面目にかゝわるかどうかなども、そこでとくと主観を交えずに審議してもらいたいものです。
 私は、この研究機関が、実は、権威ある新聞各社の合同発議によつて速かに実現の機運を促されることは、なんとしても一番魅力のある行き方だと夢想している次第です。


 前回の手紙で、小生が将来の日本人の生活様式の問題にふれたのに対し、たいへん面白いというあなたのお返事が、その問題についてすこし具体的に小生の考えをきいていたゞく気をおこさせました。
 実のところ、われわれは、衣食住をふくむ日常生活のことなどは、主婦と名のつく女性に委せておけばよい、という風に教えられて来ています。
 従つて、男性はもちろん、主婦の仕事にあまり興味をもたず、それ以外の活動に専念している女性たちは、経済的に楽か苦しいかというそれぞれの立場から、要するに自分の好みに一応かなえばそれで満足するという至極のんきな態度でこれを処理しているように見うけられます。
 それなら、主婦たる女性たちはどうかというと、現在の困難な経済事情に縛られながら、なんとかして、「昔のような」あたり前の生活ができたら、と、無理算段をしています。
 ところで、その「昔のような」生活が果して、われわれ人間としての本性に適つた、真にわれわれに幸福をもたらす生活であつたかどうかを疑うものは意外にすくないのです。
 さて、やかましい議論はぬきにして、ともかく、従来の日本人の生活様式を、この際、根本から検討してみたうえで、すくなくとも、衣食住に関しては、次の三つの原則が結論としてみちびき出せるように思います。
 第一は、和服をある程度制限して用いること。すなわち、婦人は部屋着と特殊な外出着(礼服を含む)に限りこれを保存し得ること、男子は、部屋着のみとすること。
 第二は、米食をさしあたり、現在の二分の一以下に減ずること。すなわち、残りは粉食とすること。なお、「主食」なる観念を漸次なくすること。
 第三は、畳の部屋をなるべく少くして、主として、イス式またはイス式を兼ねた「立坐両式」の住居様式を採用すること。つまり、畳敷ということにこだわらず、敷物を別に考案し、イスに掛けたり、クツシヨンの上に坐つたりできる部屋を作ること。
 そこで、以上の原則を実践にうつすについて、仮に主婦がこれに賛成しただけではどうにもなりますまい。更にまた、一家族だけがこれを実行しようとしても、様々な障害と不便が起ります。この点について、あなたのご意見も伺いたいのですが、まず小生の気のついたことを申しあげてみます。
 第一、第二、第三ともに、まず、全国の小学校でこれを実際的に「教育」の中に織り込むことからはじめたらどんなものでしようか? 例えば、和服を着て来る子供には、その家庭と相談し、必要ならば布地だけを出させて学校で洋服式のものを作つてやればよいのです。ついでに、あまりデタラメな服装についても、教師に専門の係りをおいて、これを改めるように指導させることが必要です。

 食生活についても、全国小学校で給食の方法を研究し、少くとも昼食、できれば朝と昼とは、「米」をぬきにした食事をさせることにします。献立は、むろん、味と栄養に気をつけ、とくに、協同の食卓の楽しさを十分に知らせる工夫をします。そして、結局、米なしで満足な食事をとる習慣をつけるのです。こゝで小生のちよつとした発見をご披露におよびたいのですが、米の代りに粉をというのですけれども、粉食に欠くべからざる条件を、今日まであまりひとびとは問題にしていません。あなたにはすぐにおわかりのことゝ思いますが、なぜ、日本人は、古今東西に亘つて、粉にはネギがつきものだということ、更に、粉と油とはよくうつるということを、うつかり忘れてしまつているのでしようか? ごらんなさい。
 すこし料理の心得のあるものでも、パンのおかず(この考え方を小生は改めたいのですが)にネギぬきの惣菜をこしらえます。はなはだしいのは、配給のパンにジヤムだけをつけて食事と称しているのです。おかしかつたのは、汽車の弁当に、手製のパンとタクアンというのをみかけました。
 実際、現在では、粉が手にはいる割に、ネギとアブラとがところによつては入手困難です。特にネギは、粉食にはなくてならぬものという古今東西の習慣を、西洋風のパンとなると、つい、一般家庭では問題にしていないために、需要供給ともに停滞している結果と思われます。粉を常食とする以上、小生は、なによりも、ネギをもつとたくさん作つて各家庭へ出まわるようにすると同時に、なんのアブラでもいゝから、脂肪分をなんとか工面する方法を講じたら、(栄養の点から動物蛋白がその上いることは別として)手のあまりかゝらぬ料理で、粉食が活きて来るし、存外、飽きないですむと思うのです。老人はなんと言つても無理かも知れませんが、以上の点さえ解決がつけば、若い連中なら、三度三度パンでもいゝというでしよう。小学校の高学年では、学校給食を通じて、新しい食生活の精神と方法とを体得し、その知識と経験とを各自の家庭に持ち込むわけです。たとえそれが失敗しても、新制中学の女生徒は、やがて主婦となる時、理解ある協力者を男性のうちにみいだすことが容易となるに違いありません。
 ところで、粉を常食とする方法はパンには限らぬでしようが、もし、手近にパン屋があつて、必要に応じてそれが手に入るようになつていれば、一番好都合です。現在の配給制度ではむろんそこまでのことは望めますまいが、将来は是非そうありたいものです。
 小生の家ではずつと前から、できるだけ米を食わぬようにしていますが、子供たちは、パンが大好物です。しかし、困つたことに、パンの味がわかるにつれて、贅沢にも、パンの出来不出来を批評します。これは、ほんとうは父親たる小生の真似をしているわけで、たいがいにしてもらわぬといけませぬが、誰でも自然そこへ行くはずです。おなじことなら、パン屋さんに、パンとはどんなものかを、すこしは研究してもらいたいと思うことがあります。

 それとおなじような例が、住いの問題のなかにもあります。まず何よりも、日本の洋風建築も洋風家具も、そういう生活をしていない製造者の手で製作され、そういう生活になれない商人によつて売り捌かれているのです。そこへもつて来て、多くは同じように洋風生活の経験の浅い需要者によつて無選択に買い求められているのですから、いつまでたつても、ほんとうのものができない道理です。真似事ほど情けないものはありません。どこが間違つているのか、どこが工合がわるいのか、なんとなく面白くないが、どこをどうしていゝかわからぬまゝに、まあまあ、こんなことだろうとお茶を濁すことになるのです。
 西洋式建築は冬寒くて夏暑いと言い、西洋寝台は長く寝ていると背骨が痛くなると言い、イスはどうも落ちつかぬ。いや、脚と腰がだんだんにくたびれて来るなどと言うのは、いずれも、それに慣れぬためもありますが、日本の西洋建築が事実、風土を無視したものであつたり、日本出来の寝台やイスが、寝台に寝ることもイスにかけることも、ごく稀であるか、あるいはまつたくない人々のいい加減な「感覚」ででつちあげられた品物だからです。
 早い話が、例の文化住宅ですが、応接間を洋風にするのはいゝとして、窓の日除に必要な設備をした家はほとんどありません。ほかの装飾には金をかけても、こんな大事なところに手をぬくのです。個人の住宅はそれでいゝとして、事務所の窓々からあの夏の西日が直接射し込んでいる、その下で玉の汗をかいてうだつている人々のすがたをみるたびに、小生は、われわれ同胞の我慢強さにあきれるのです。そんな風ですから、洋風の部屋の窓の日覆を取りつけようとすると、それはもうバカバカしい贅沢品とみなされ、ちよつと手の出せないような値段になります。
 寝台やイスの修繕は、世の中がこうなる前でも、それはそれはたいそうで、ちよつと近所に引受け手がない有様ですから、どこの家でも、十年や十五年は、毀れたまゝにしておきます。また新調するよりはその方が経済にきまつている。自然、洋風生活は、しやれてはいるが実用向きでないことになり、堅実な市民の生活と縁遠いものになり勝ちです。
 当節のバラツク生活、集団生活の実際を観察して、小生は、なぜこの機会に、新しい住生活の工夫が加えられないかを不思議に思うのですが、それも要するに、畳そのものに執着がありすぎるためだとしても、一方、バラツクならバラツクなりに、快適なイス生活の様式と、その使用法を、誰も指導せず、宣伝もしないからだと思います。
 今からでも遅くありません。小生は、公の機関で、ひとつ、模範的なアパートあるいは集団住宅の設計と建設を思い立ち、志望者を募つて、これを厳選したうえ、徹底的な住生活改革の先駆運動に乗り出してほしいと思つています。


 福井、石川両県を襲つた大地震の報道は悲惨眼をおおわしめるものですが、あなたのよくおつしやる「日本の不幸な名物」も、こうなるとたゞ「天意」などと言つて諦めきれるものではありません。震災地方に対する内外の同情は、むろん苦痛と悲しみとにとざされた人々の心にいくぶんの慰めとはなるでしようが、実のところ、われわれがお互につねに待ち望んでいるのは、かゝる事態が発生した場あいの応急の援護ではなく、かゝる重大な事態が未然に防がれる恒久の対策です。
 小生は、いつも考えるのですが、なるほど天災と称せられるこの種の自然の暴威は、多くの人命と資材とを損ずることによつて戦争につぐ禍いには違いありません。しかし、われわれ日本人は、この「天災」という観念にとらわれすぎて、その結果の大部分が「人事」をつくさないところから来ている厳然たる事実に眼をふさいではいないか、ということです。
 それについて思い出すのは、たしか、夫君もご生存中でしたが、あなたの奇抜な質問に小生たちが苦しい答えをしたことがありましたね。それは、あなたが、「地震、雷、火事、おやじ」という日本のことわざをひいて、小生たちに、それが現在でも実感として通用するかどうかをおたずねになつたのです。夫君はさすがに科学者らしく、「ことわざことわざにすぎないさ。しかし、何十年に一度か二度というくらいの地震から毎日顔をつき合せているおやじまでをひとつなぎにして、人間の多少もてあましている恐怖感を音階式に、語ろよく言い放したところに、現在でも面白味はある」というような批判的答弁をされたのに対して、小生は、まつこうから、「日本人として今でも実感でそれを感じないとは言えない。このことわざは、結局おやじの専制ぶり、暴君ぶり、高圧的態度を、半ばあきらめと、半ばヤユとをもつて諷したものだが、一面から言うと、われわれにとつてはまるで日常茶飯事のように起るこれら自然の脅威とならべて、おやじの一喝をやはり多少不可抗力とみながら、実は、どこかで、それらに共通した男性的な性格を痛快がつているところがある。つまり、おやじなるものを見る封建的な眼と、自然現象に対する東洋的な風流味とが混じり合つているところに、現在のわれわれをも遺憾ながらうなずかせるものがある」というぐあいにお答えしたと記憶しています。
 まさか、われわれの意識された観念のなかで、地震のような恐るべき災害を生む自然現象を、単に「男性的暴威」などと言つて痛快がる気持は毛頭ありますまいが、それにも拘わらず、まだどこかに、日本人全体として、自分さえその難を逃れさえすれば、地震ぐらいとタカをくゝるような気風がないとは言えません。たとえば、地震の予知という問題がしばしば興味的に取扱われたり、地震という声におびえるものをひそかにチヨウ笑したりするのはその証拠です。
 地震の予知は学問の上では大切な研究でしよう。しかし、たとえそれが正確に予知されたとしても、これに対する備えを急にどうすることもできますまい。それよりも、何時どんな地震が起つても、災害をできるだけ少く食い止める平生の工夫と努力とが、個人的にというよりは、むしろ、社会的に、なぜもつと徹底的に行われないのでしよう? こんどの場あいでも、福井の停車場が一瞬にして半分つぶれてしまうというような事実は、これが政府の息のかゝつた公共の建物であるだけに、なんとしても、社会的に「人命を尊重する精神」の欠如を暴露したものではありますまいか。
「そら、地震」という声に、あわてゝ腰を浮かそうとする衝動をわらう資格は誰にもありません。瞬間の恐怖をさりげなく微笑でごまかして、「大丈夫、大丈夫」と半信半疑でまず自分に言いきかすことが、それほど立派な人間的修業だとは思えません。

 ストライキはいよいよ世界的流行の徴をあらわしはじめました。もちろん、それにはそれだけの理由があります。新しい秩序が生れるための混乱とみれば、それはそれとして意義のあることに相違ありません。
 ところで、小生は、いま、一般のストライキについてあなたに申しあげたいことはなにもないのです。たゞ、最近各方面に問題を投げつゝある「学生スト」の実情が、結果からみて将来の日本にとつて憂慮にたえないことと、その本質的性格が、単に学生のストライキというような事件に限らず、今日、ほとんど全国の青年グループを支配している一種の認識の不足、つまり、社会を構成する団体間の機能的な相違に関して正しい自覚をもち得ないでいることを想起させるものですから、お互に子女をもつ親としても、この点に深く注意すべきだと思い、ちよつと小生の考えを述べてみたいのです。
 学生ストの問題に関しては、すでに、南原東大総長の情理をつくした声明もあり、森戸文相の責任ある国会での答弁も公表されていることですから、直接、これについて小生の批判を加える余地はないのですが、もし、強いてこの問題から重要な点を引出すとすれば、森戸文相の言うように、果して「自分の意思を勇気をもつて言える学生が多数いたら、こういう事態にならなかつたろう」か、どうかということです。これは、文相の推測でしようが、そういう推測が実はわれわれを「そうかも知れぬ」と思わせる力をもつている。
 しかし、その点にも、今はこれ以上ふれますまい。小生がこの機会に是非、学生諸君だけでなく、多くの青年に理解してもらいたいことは、社会というものは個人と個人との結合であるばかりでなく、団体と団体との有機的な接触から成り立つているもので、一個人は、つねになにかのかたちで、それぞれいくつかの団体に属しているばかりでなく、個人は、またほとんどつねに、その所属する団体を通じて、他の団体と交渉をもつものであるということ。従つて、個人は、自分の所属する団体の正常な機能を分担するうえに、おのずから、いくつかの団体のそれぞれの機能に応じて、自分の能力、義務、目的の合理的な使い分けが必要だということ。使い分けという言葉を日本人はすぐに妙な意味にとりたがります。それが合理的である限り、自己偽マンも、裏切りも、日より見もないはずです。
 たゞ、時と場あいによつて、使い分けに非常な勇気と忍耐とがいることがあります。また、どうかすると、二者のいずれかを選ばねばならぬジレンマに陥ることもないとは限りません。決断が物を言うところです。自分の所属するある団体との訣別がそれです。
 この間の消息をとくと胸に畳んでおかぬと、すべての行動は、社会人としての常軌を脱し、人間としての信頼を失うことになるわけです。圧迫は常に正しいものの上にありという感傷的英雄主義を警戒してほしいものです。

 学生の話が出ましたから、ついでに、ついせんだつて一部の話題になつた「薔薇座事件」について、小生のふと頭に浮んだことをお話してみます。これは、誰かれの名前を強いて出すほどのことでもありませんが、多分あなたはご存じないかもしれぬ東京の一劇団が、ある作家の脚本を上演したところ、登場人物たる某私立大学生の生活が、他の一官立大学生のそれに比して、あまり立派でない、どちらかといえば軽々しい風俗として描かれてあつたために、その私立大学の学生たちから劇団および作者に対して厳重な抗議が出たという話です。
 それも、どの程度に見苦しく舞台の上で演ぜられたかは実際に見ないものにはわかりませんし、抗議の形式も、その学校の学生全体の名においてなされたというのですが、それが果して全学生の意志であるかどうかは小生にもわかりません、そこで、問題を限つて、仮に芝居の舞台で、ある程度不愉快な取扱いをうけた場あい、その学校なりなんなりは、体面汚損として当事者を責める権利があるかどうか、あるとしたら、どういう方法でそれをしたらいゝか、という点について小生の結論を述べさせてもらいます。
 およそ芝居にしろ、映画にしろ、または活字として発表される文学作品にしろ、個人の名誉に関するような取材は、もちろん、道徳的にも、法律的にもそれ相当の反応を覚悟のうえで世に問うべきものですが、たまたま作品中に登場する人物が、ある団体の名を肩書にもつているとか、ある特定の職業を代表しているとかいう場あい、その人物が、仮にその団体や職業の一面の性格を誇張して描き出されているために、多少戯画的な印象を与えたり、時には諷刺が利きすぎたりしていても、それは事実を事実として正確に写したものと同様、公けの苦情の対象にはせぬというのが、早く言えば文明人の態度だと思うのです。
 個人的には、もちろん、自分に関係のあることとして、迷惑に感じたり、腹の虫のおさまらぬような気持にさせられることもあるでしようが、それをどう処理するかということが、個人の節度であり、文明のほこりです。なかには、いくぶん悪意を含んだ不当な偏見と見なすべきものもありましよう。しかし、それは、直接の被害者がいきり立つ前に、社会の健全な眼が、それをちやんと勘づいているものです。
 昔から、そういう例はたくさんあり、どんな種類のものでも、それが社会的存在としてある影響を示しだすと、きつと、諷刺やチヨウ笑の的になります。そうなることが、そうならぬことよりも社会の健康を物語るのです。ですから、文化の高まつた時代ほど、力あるものに対する民衆の芸術的批判が活発となり、ヤリ玉にあがつた当の相手は、これに対し、個人の名がかくされている限り、苦笑をもつて報いるほか手がないのです。
 われわれの国は、その意味では、まつたく最近まで不自由きわまりない国でした。文芸作品の作者は、うつかり人物の職名や勤め先やを明示できなかつた。思いがけないところから「厳重な抗議」が出て、引つ込みのつかぬことがありました。はなはだしきは、警官は普通の人間として舞台に登場せしめてはならぬという国家的制約があつたほどです。模範学生ばかりいる学校を芝居の舞台でみせたら、それこそ、抱腹絶倒の喜劇になるということを、われわれはすこし気がついてもいゝように思いますが、どうでしよう。奥さん?





底本:「岸田國士全集27」岩波書店
   1991(平成3)年12月9日発行
底本の親本:「時事新報」
   1948(昭和23)年4月1、2、3日、5月3、4、5日、6月18、19、20日、7月12、13、14日
初出:「時事新報」
   1948(昭和23)年4月1、2、3日、5月3、4、5日、6月18、19、20日、7月12、13、14日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年7月1日作成
2011年5月30日修正
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