速水女塾に就ての雑談

岸田國士




 去年の一月、久しぶりで文学座の公演をみていろいろ感慨にふけつた。自分も創立者の一人であるこの劇団の成長はまづよろこぶべきものとして、さて、十年の月日は私個人をまつたく芝居から引きはなしてしまつたことに気づき、これでいゝのだらうかと考へた。いゝもわるいもない。さうならざるを得ない事情が私にはあり、芝居の方からいへば、私一人がどうならうと別にかまわぬわけである。しかし、すくなくとも、文学座が存在し、そのなかには築地座以来一緒にやつて来た仲間がかうして相変らず熱心に舞台の仕事をつゞけてゐるのをみると、やはり、自分は怠けてゐたといふ気がして、みんなに済まないと思ふやうになつた。すると、自分にもまだなにかできるなら分に応じた手伝ひをしやうといふ奮発心が起り、それには、まづ、なによりもしばらく書く興味を失つてゐた戯曲をひとつ書いて、文学座の諸君にやつてもらはうと思ひ立つたのである。それが去年の三月のことである。八月の公演に間に合ふやうにといふ座の希望もあつて、六月には第二稿(中央公論発表の第一稿に手を加へたもの)ができあがつた。ところが、ある故障のために予定が変り、今日までまる一年上演を差控えてゐたといふ次第である。
 一座の俳優にあてはめて脚本を書くといふことは、なにか不純な要素がはいるのではないかと思ふひともあらうが、別に必然的にさうなるものとは限らない。芝居の制約はそれ以外にもつと大きなところにある。たゞ、すべての芸術がさうであるやうに制約を生かすか、或は制約に緊られるかの問題だと思ふ。制約を生かすといふことは、俳優の例にもある。
「速水女塾」を書くに当つて、私が自分に与へた「註文」はかうである。
一、なるべく文学座の俳優全員に配役が行きわたること。
二、俳優の持ち味とか柄とかにあまり囚はれず、むしろ、個々の俳優の表現能力に応じ、その素質のなかにある新しい領域を開拓させるやうな人物を作りあげること。
三、役の重さの公平は時に無視しても、場面々々の効果を適切ならしめる配役を考へること。
 演出は久保田万太郎さんにお願ひすることになつた。岩田豊雄君の発案で私も二重の意味で、それが実現することを望んだ。第一に、久保田さんは当代随一の名演出家である。それゆえ、これ以上安心して委される人は少いこと。第二に、甚だ個人的な興味だが、久保田さんの手にかゝれば、自分の作品の、「弱点」が補強され、それによつて、芝居のいゝ勉強ができるだらうといふこと。
 久保田さんは、作家としては、ある特殊な好みを強く出す作家であるが、批評家乃至演出家としては、それが芝居といふものに対する厳しく、確かな勘になつてこそをれ、決して狭い見解や趣味に閉じこもつてはゐないのである。久保田さんの劇芸術の根柢には、東西演劇の本質と伝統とが、誰よりも消化吸収されてゐるやうに思はれる。
 私の「速水女塾」は、幸ひ、久保田さんの演出といふことになつたが、実をいふと、私は、最善の結果が得られるだらうといふ安心が一方にあると同時に、相当痛いところを突かれ、場合によつて、荒療治を受けるだらうといふ覚悟をしている。「こいつはどうにもならん代物だ」と言はれたら、私はまた、勇気を出して、次の作を見てもらふつもりである。
 装置は長いおなじみの伊藤熹朔さんである。いつでも文句を言ひやうのない装置をしてくれる人、こんなに芝居に於ける装置の役割をちやんと心得、こんなにつゝましく輝いている存在はほかに例がない。
 音楽であるが、作中の「校歌」の作曲は、早坂文雄さんにといふことにきまつた。紹介するまでもない人であるが、特に、この校歌は「喜劇の中で使はれる」架空の学校の校歌で、諷刺の味を利かせてほしいといふのが作者のひそかな註文である。そんな勝手な芸当が作曲としてできるかどうか、私はたゞ、早坂さんの意味深長な微笑に期待をかけるばかりである。
 配役は俳優陣の移動も手つだひ、最初の作者の考へと多少変つたのは当然である。
 田村秋子さんがせつかく名誉座員になつてゐるのに、今度は役がなくて出られないのは残念である。機会があつたら、私は秋子さんのためにも、面白い人物を書いてみたいと思つてゐる。





底本:「岸田國士全集27」岩波書店
   1991(平成3)年12月9日発行
底本の親本:「文学座昭和24年8月講演・速水女塾 パンフレット」
   1949(昭和24)年7月30日
初出:「文学座昭和24年8月講演・速水女塾 パンフレット」
   1949(昭和24)年7月30日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年7月1日作成
2011年5月31日修正
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