岩田夫人の死を悼む

岸田國士




 本誌の読者は「夫婦百景」の筆者獅子文六が、同時に岩田豊雄であることぐらいはご承知であろう。その夫人静子しずこさんが、急な病いで亡くなられた。四十四歳といえば、まだ人生を終るには早く、夫君が今後ますます多くの傑作を書かねばならぬように、夫人もまた、将来にさまざまな期待と希望とを抱いて、この春を迎えようとしていたにちがいない。
 私は岩田君ともつとも親しい友人の一人として、この不幸を正視することができないくらいである。まして、いま、この不幸について公けに語ることは、いかにもその時機でないような気がするのだが、本誌の編集者は、強引に、そして巧妙に私を説き伏せた。私は、一方にためらう自分を励ましながら、すこしでも書くに値する一文を、岩田夫人のために捧げる決心をした。
 十五年前、私は、ある神社の会館で行われた岩田夫妻の結婚披露式に列したことをはつきり覚えている。友人を代表するかたちで、私が一席、祝辞を述べることになつたのだが、どんなことを喋つたか、それはもうわすれてしまつた。しかし、事のついでに、新夫人に向つて、岩田豊雄なる人物の紹介をちよつぴりしたように思う。たしか、岩田君はわれわれ文筆に従事するもののうちでも、とりわけ気むずかし屋の方に属するけれども、その代りに、彼は、万事に、はなはだ呑みこみがよく、夫人の方で、もしその弱点を巧みに利用されたら、おそらく、極めてぎよし易い男性となるであろう、というような、警告とも気易めともつかぬ一言であつた。
 新郎の傍らで、それを聴いていた静子夫人のつゝましい微笑は、私が、その後、岩田家を訪ねる毎に夫人の表情をおゝつているやさしい微笑であつた。
 その名の如く、まことに静かな、しかし、どこか毅然としたものを奥深く蔵している女性のように思われた。
 岩田君とは仕事の関係で屡※(二の字点、1-2-22)会うのに、私は人を訪ねるのが億劫なたちで、めつたに夫人にはお目にかゝらないのだが、私の印象は多分間違つてはいないと思う。
 愛するものをうしなうかなしみは誰でもおなじだ、とはいうものの、岩田君の場合、私は、なにか、ほんとうに片腕をなくしたというような空虚感が強いのではないかと想像し、芸術家の日常生活に必要な、力強い一つの精神の支えが、もし夫人の存在そのものであつたとすれば、私は、岩田君を慰める言葉をまつたく知らないのである。
 この一月であつたと思う。私は、久しぶりで娘たちを連れて、神田へ夕食をしに出かけた。岩田君一家を誘うつもりでいたところ、あいにく、当の岩田君が胃をわずらつていて、その計画はフイになつた。
 ちようど私たちがはいつて行くと、菜園になつている前庭のなかに、夕陽を浴びた二人の女性の、甲斐々々しく草むしりをしている姿をみかけた。いうまでもなく、その一人は静子夫人で、もう一人は、お嬢さんの巴絵ともえさんである。
 巴絵さんは、岩田君の前夫人マリイさんの血をうけた岩田家の一人娘、第二の母、静子夫人との間に、いわゆるさぬなかというようなかげはどこにもみられない。はつきりいえば、この美しい関係は、静子夫人の純愛と、巴絵さんの聡明さとに負うものだとは信じるが、岩田君の立場からいえば、なんという幸運なことであろう。たゞ、結果としては、今や、健やかに伸び育つた巴絵さんのうちに、亡きマリイ夫人と、同じく亡き数に入つた静子夫人の、軽重のない祈願と、慈しみとが、見事に花咲き、実を結んだといえるばかりで、生涯に二度、妻を先立たせ、母を葬らねばならなかつた岩田君、並に巴絵さんの胸中は、私にしても、もはや察しようにも察しきれぬほどのものであろう。それだけにまた、ひとしお胸裂くる思いがするのである。
 彼は、悔みに駈けつけた私に向つて、――「とうとう、おれは前科二犯になつたよ」と、やゝ厳粛に、しかし、仲間同志の内証話という調子で言つた。早く断つておくが、私をはじめ、彼の親しい友人のうち、特に私とも関係の深い誰彼が、偶然にも、前科一犯ぞろいなのである。
 前科などという言葉使いは、甚だ穏やかでないようであるが、旧時代の男たちの間では、この種の用語に一種微妙な道徳的感慨を含めているわけである。
 たしかに、妻を亡くした夫の身にとつては、常に多少の反省と悔悟が伴うものである。
 岩田君の場合は、必ずしも特にそうである理由は毛頭考えられないが、彼も亦、その時は、普通の夫らしく、頭の一隅に、平凡な自責の片鱗をのぞかせたとしても、それはまたそれで、すこしも不自然でない。
 いかなる条件の下にあつても、妻が先に世を去るということは、夫にとつて、たゞ「不憫」という一語以外に、その切ない感情を説明することはできぬように思う。そして、いかなる事情があつたにもせよ、彼女を死から救い得なかつた一事を、己れ以外の何人の罪とも考えられぬ瞬間が、度々彼を見舞うのである。
 静子夫人には、軽度の心臓弁膜症の徴候があり、その症状の極めて稀なケースとして、遂に彼女の生命を一週間で奪つた脳血センなる突発的症状が起つたのである。
 まつたく何びとの予測をもゆるさず、一切の手当を無効ならしめた、通り魔のような生理的機能障碍がその原因である。
 しかし、岩田君は、どこかでまだ、この不可抗力に挑みかゝつているにちがいない。残されたものの悲しい戦いを、私は、自分の経験で知つている。
 静子夫人の、あの落ちついた、決して自分を目立たせない、控え目というには、あまりに程のよい物腰を、私は、いま、眼にうかべている。
 おそらく夫人にとつて、最近での一番の心づかいは、岩田君の胃病の容態ではなかつたかと思うが、それもようやく快方に向い、大磯の新居へ移るのを楽しみにしていた矢先のことである。
 人生とはつねに、すべて、かくの如きものである。
 岩田君も、巴絵さんも、きつと、なんとか、やつていくだろう。
 静子夫人の霊よ、安らかに眠られんことを。





底本:「岸田國士全集28」岩波書店
   1992(平成4)年6月17日発行
底本の親本:「婦人倶楽部 第三十一巻第六号」
   1950(昭和25)年6月1日発行
初出:「婦人倶楽部 第三十一巻第六号」
   1950(昭和25)年6月1日発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年3月8日作成
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