黙然として

岸田國士




 田中千禾夫君について何か書けといふ座(俳優座)からの註文である。かういふ場所で親しい友人の作品評でもあるまいから、僕の識つてゐる同君の人物紹介をごく寛いだ気持でしてみることにする。
 田中君が鳥取の産だといふことは、ごく最近まで知らなかつた。慶応の仏文科在学中から演劇研究を志し、僕たちのやつてゐた研究所へ第一回生としてはいつて来た頃、同君の特徴は、今日と少しも変らぬ寡黙謹直、しかも、なかなか鋭い観察眼をもつてゐることだつた。将来、舞台に立つつもりかと聞いても、にやにや笑つてゐて容易に返事をしない。そのうち、若い劇作家との交遊ができ、当時創刊された「劇作」の同人に加はつたと思ふと、忽ち処女作「おふくろ」を同誌に発表した。
 僕はおせつかいにも、もつと野心的なものを書けと忠告し、同君はまた「にやにや」でそれに答へたのだが、由来、同君が、いはゆる「野心的なるもの」を甚だ軽蔑する風があることを、後に様々な機会にやうやく察するやうになり僕は、遂に、兜を脱いだ。田中君にとつて「演劇」とは、それによつて己れの野心などを満すものではなく、ただそのためにのみ生き甲斐を感じるていのものなのである。
 田中君は、やがて、相愛の夫人を同志のうちに求め得て、われわれを羨望せしめた。女流劇作家田中澄江は、それ故、二重に彼の生命の泉をなすものだと、僕は信じるが如何?
 彼等の結婚披露は何処で行はれたか、今は記憶にないが、僕も招かれて、型の如く一席祝辞を述べさせられた。僕は、新郎の父君、たしか長崎病院長であられた老国手にやや気をかねながら、結婚によつて良妻を得ることも人生の幸福であらうが、誤つて悪妻を得たとしても、作家としては必ずしも損失とは言ひ難い。かのモリエールの如き例もある、などと口を滑らした。
 その時、当の新婦、澄江夫人はつつましき微笑を新郎の横顔に投げてゐたことを思ひ出す。
 年うつり、時代の波は、われわれをゆすぶつた。僕も老いた。田中夫妻も、それぞれ、一家を成した。澄江夫人が果して良妻たり得たか、または悪妻たらざるを得なかつたか、僕は寡聞にしてそこまでの消息は漏れ聞いてゐないが、澄江夫人が大いに書き、千禾夫君も益々仕事に油が乗つて来たのは旧い友人として、僕はまことにうれしい。
 聞くならく、田中千禾夫の演出は、今や、劇作と同様に高く評価されてゐる、と。しかも、彼の演出のユニツクな味ひは、つねに、禅の如く黙然と舞台を凝視する精神の火花にあるらしい。





底本:「岸田國士全集28」岩波書店
   1992(平成4)年6月17日発行
底本の親本:「俳優座第二十回公演・椎茸と雄弁・女猿 パンフレット」
   1951(昭和26)年6月15日発行
初出:「俳優座第二十回公演・椎茸と雄弁・女猿 パンフレット」
   1951(昭和26)年6月15日発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年2月19日作成
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