「温室の前」の人物について

岸田國士




 私はこれまで「ある俳優」にあてはめて脚本を書いたことはない。ところが、此の「温室の前」はどういふつもりでか、新劇協会の人達にあてはめて書いて見ようと思つた。それで先づ、畑中、伊沢両君を兄妹に見立てたのである。(両君は、これまで、あまり度々夫婦や恋人の役で顔を合はせてゐるやうに思つたので)
 処が、此の作を書き上げて見ると、いや、書きつゝある最中に、私は、畑中伊沢両君の本体がどこかへ行つてしまひ、此の両君とはそれこそ似てもつかない二人の男女、貢、牧子といふ人物が、そこに現はれてゐるのに気がついた。
 こんなことは、熟練した作家にはないことだらう。ロスタンの描いたシラノは、実にコクランそのものであつたではないか。
 私は少々自分の無力を恥ぢた。
 しかしながら、私の此の失敗は、必ずしも、作家として致命的なものではないといふ慰めが与へられた。此の脚本は、私が未だ嘗て経験したことのない好評を博した。
 私は、それ故に、敢て此の脚本は、結局、畑中、伊沢両君が、何等かの意味に於て私に与へてくれた霊感の賜であると云ひたいのである。従つて、此の二人の主要人物が、畑中伊沢両君によつて、如何に演じ活かされるかは、最も私の興味をそゝるのである。
 他の二役、西原とより江も亦、「ある俳優」にあてはめて書いたつもりだつたが、これも――これこそ、飛んでもない見当外れだつた。私は、広く適役を物色した。そして、西原には、菊五郎氏門下の駿足鯉三郎氏を煩はすことゝし、より江には帝劇の村田美禰子嬢をお願ひすることにした。
 序に舞台装置のことであるが、これは特に私から、小松栄君に依嘱した。同君は、嘗て私の「紙風船」の装置に於て極めて清新な創意を示した新進の舞台装飾家である。今度の「温室の前」でも、あの舞台の色調を巧に捕へられることだらうと期待してゐる。





底本:「岸田國士全集28」岩波書店
   1992(平成4)年6月17日発行
底本の親本:「帝劇 第五十五号」
   1927(昭和2)年5月15日発行
初出:「帝劇 第五十五号」
   1927(昭和2)年5月15日発行
入力:門田裕志
校正:Juki
2009年11月12日作成
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