帆船の絵について

岸田國士




 もう十年も前のこと、私が友人A君に、ふとした話の序に、佐伯祐三の絵が好きだといふと、その友人は、それからしばらくたつて、これはどうだといつて、小さな風景のスケッチをもつて来てくれた。パリ郊外のムードンあたりと思はれる佐伯にしては珍しく色彩の明るい、包装紙かなにかにサラリと描いた初秋の森である。私は、うれしかつた。
 ところが、戦争がはじまつて、A君は、報道班員として南方へ連れて行かれ、私が、心ばかりの送別の宴に彼を招くと、そのとき、――自分はもうどうなるかわからないのだから、この絵もよかつたら、あなたのところへおいていく、と言ひ、ひと目で私の心をとらへた、小品ながら、佐伯祐三独特の深い詩情をたゞよはせた傑作を投げ出した。私はこの絵に描かれた空と海と、黙してたゝずむやうな帆船の前にたつと、知らずしらずこの作家の魂の郷愁にふれる想ひがする。





底本:「岸田國士全集28」岩波書店
   1992(平成4)年6月17日発行
底本の親本:「小説公園 第一巻第五号」
   1950(昭和25)年8月1日発行
初出:「小説公園 第一巻第五号」
   1950(昭和25)年8月1日発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年2月8日作成
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