鸚鵡

『白鳳』第二部

神西清




 その鸚鵡――百済くだらわたりのその白鸚鵡を、大海人おおしあまノ皇子へ自身でとどけたものだらうか、それとも何か添へぶみでもして、使ひに持たせてやつたものかしら……などと、陽春三月のただでさへ永い日を、ふた昼ほど思ひあぐねた鏡ノ夫人おとじは、あとになつて考へれば余計な取越し苦労をしたといふものだつた。よく妹の額田ぬかた姫王ひめみこから、姉さんは冷めたい、水江の真玉またまみたいに冷めたい――と、からかはれる夫人であつた。それほど、冷やかなくらゐに聡明な鏡ノ夫人ではあつたが、大海人と妹の関係だけは見そこねた。いや、見そこねたどころではない。第一そんな中年の男女のあひだの愛の性質や、そんな愛のありやうが、夢にさへ想像できない夫人だつたのだ。鏡と額田とは、たうてい一つ腹ひとつたねの姉妹とは思へないほどに、別々の世界の住み手だつたわけである。数年ののち、夫人はこの見そこなひにハッと思ひあたつて、その美しい唇を噛みしめる機会があつた。
 もつともその頃は、時勢も今とはずつと違つてゐて、夫人は世の中の姿そのものからして、いやでも二人の恋の実相をさとらされただけのはなしに過ぎない。いはばこれは、間接的なさとりである。中ノ大兄おいねに娘時代の清らかな愛をささげつくし、人の母になつてからは律気な鎌足の内室として、べつに満足なのでも不満なのでもない、そんな分別すら心にうかばぬほどに自足した明け暮れを、これで十五年ちかくも送り迎へてゐる夫人としては、ひよつとするとこれは無理からぬことだつたかも知れないのだ。だが、それはずつと後の話である。……

    *

 鸚鵡は無事に、大海人の手もとへとどけられた。しかもそれが、思ひのほかすらりと運んだのだつた。
 まるいちにち鸚鵡を相手に、いはば心理的おにごつこをしたあげく、へとへとになつてその晩はてきめん、大海人の登場する何やら気味のわるい夢にうなされまでした鏡ノ夫人は、あくる日は朱塗りの鳥籠をさつさと居間から遠ざけて、今ではがらんとして誰にも用のない客殿の軒へつるさせたのだつたが、七つになる次女の五百里いほへいらつめが結句それをいいことにして、乳母の今刀自いまとじと一緒になつて、次から次へ色んな口真似をさせて笑ひころげるのだつた。その甲高い鸚鵡のこゑが、庭をわたつて、時には却つて幅をましさへしながら、一々手にとるやうに居間まで伝はつてくる。結局その日も朝から夕方まで、鏡ノ夫人は眉をくもらせながら、居ても落ちつかず立つても落ちつかぬ妙な気分で、すごすことになつてしまつた。
 これぢやたまらない――と夫人は思つた。かりにも大藤原氏の夫人ともあらうものが、まさか幼い娘を一喝したり、乳母に八ツ当りしたりして、そのもやもやした気分の解決をはかるわけには行かなかつたし、第一その鸚鵡なるものが、そんなことで中々だまる相手ではないことも、夫人は重々承知だつたのだ。では、いつそ絞め殺させてしまふか、それとも籠をひらいて、うらうらとかすむ春ぞらへ放してやつてしまふか。……そんな気まぐれな思ひつきも、時たま脳裏にふつと影りはするが、もちろんそれは微笑はおろか苦笑さへも誘はぬ、そらぞらしい、まるで他人ひとごとのやうな遠い想念にすぎなかつた。よしんばそれを実行するにしても、それはさしづめ妹の額田の役割でこそあれ、あくまで自分のものではなかつた。第一てんで似つかないのである。……
 そんな気まぐれな想念が、ふつと影つて消えてゆくすぐその跡へ、妹のくりくりとよく動く、表情のゆたかな大きな眼が、浮びあがつて、これは暫く消えずにゐるのだつた。いかにもあれは、絞め殺される鸚鵡のもがきを、じつと見まもつてゐられる眼だ――と、鏡ノ夫人は心にうなづき、烈しい、といつてもどこかよそよそしい冷やかな羨望を、おぼえるのである。かと思ふとまた、かるく二重ふたえにくびれながら心もち突き出てゐる妹のおとがひ、――あの全体としていささか賑かすぎる妹の円顔に、幼ないころから一脈のきりりとした緊めくくりを与へ、時としては変に小ましやくれた、人を小馬鹿にしたやうな表情の基となると同時に、ときによるとその才気が理知に、その嘲笑が無言の冷笑に、それぞれ束のま席をゆづつて、瞬間いもうとの顔を妙につめたい、一種かう冥想的なものに仕立てあげもする、あのおとがひがありありと浮んで、やるせない妬ましさを夫人の胸にかき立てながら、しばらく中有に消えのこるのだつた。そんな羨望や妬ましさの方が、鸚鵡の処分についての愚にもつかない妄想よりも、はるかに直接的な実感として来た。
 いたづら好きなそのおとがひが因で、鏡ノ王女はよく口惜しい思ひをさせられたものである。殊に子供のころの、これといつて理由のないきやうだい喧嘩の大半は、まづその妹の小ましやくれたおとがひが、原因を――いや少なくも遠因をなしてゐたにちがひなかつた。とりわけ物ごころがついてからといふものは、今あげた最後の場あひ――つまり、そのおとがひの悪戯によつて、妹の顔がふと心もち蒼ざめて、つかのま彫刻的な影をおびるときが、一ばんいけなかつた。王女はそこに、何ものかの悪意によつてひどく誇張された、いや応ない自分の顔の戯画を見いだしたのである。それはほとんど、生理的な反感といつてよかつた。水江の真玉などといつて妹にあざけられるほど冷静な王女ではあつても、この反感だけはどうにもならなかつたのである。
 だが三十をたしかもう四つほど越して、殊にこの二年ほどの間に、じぶんでも苦にするほどめつきり肉づきをました額田ノ姫王ひめみこであつてみれば、そのおとがひのはたらきにも、おのづから別の趣きが加はつてゐる。相変らずそれは微妙に敏捷びんしょうにはたらくおとがひではあつたが、それなりにまた、そこに一種いひときがたい複雑な陰影がたたまれてきたことだけは、なんとしても否定できなかつた。鏡ノ夫人は藤原の鎌足宅にゐて、あまり交際ずきな方でもないし、いつぱう妹は、飛鳥も東の山辺を奥へはいつた八釣やとりノ里のほとりに宅地を賜はつて、はた目には至極のんきさうな一人ぐらしをしてゐる。さうしたわけで、最近は疎遠といふほどではないにしても、時によると二タ月ぐらゐ顔を合はせずにゐることも珍らしくない。そんなあとで、ふと宮中の宴席などで妹の顔を見るごとに、鏡ノ夫人は内心におもはずアッと声を立てたくなるやうな驚きを、おぼえることがよくあつた。影の深まりのことをいふなら、妹のれいの大きな眼のなかにも、その眼におとらず動きと表情とに富んだ口もとにも、もちろんそれはあつた。幼な顔から少女時代の顔と、妹の顔の生ひたつていつた経路なら、その一こま一こまを切りはなしても、眼底にまざまざと思ひ描くことさへできる肉身の姉なのであつてみれば、そのするどい眼ざしをくらまし得るどんな人工の表情も、どんな唐わたりの化粧法も、ありよう道理がなかつた。近頃めつきり濃くなつた妹の頬紅のさしやうも、眉ずみの巧みな曲線も、ひたひに捺した可愛らしい緑いろの花子も、あるひは口の左右にぽつんとつけた粧靨しょうようすらも、姉の眼から秘密をおほふヴェールの役は、たうてい果せるものではなかつたのだ。……
 しかし、ひるがへつて思へば、そのやうな変化、そんな影の深まりなら、鏡ノ夫人じしん、自分の顔には多かれ少なかれ見いだしてゐるものに違ひなかつた。それはいはば、歳月のふるふあまり目だたない、しかも否応ない爪の痕なのだ。ことに女人の容色を、それが人の母であらうとあるまいと、最もこのんで餌食にしたがるあの爪の痕なのだ。しかも女人の顔といふものは、その爪のむざんな攻撃の前に、おどろくべき柔軟自在な、ときにはしぶといまでに不逞ふていな、狡智こうちのかぎりをつくして抵抗するものなのである。ときには相手の武器を逆用して、かへつて自分の身をよろひさへするものなのである。……さうした中年の女人の秘密のことなら、何も妹の顔からわざわざさぐり出すにも及ばない、夫人じしん朝夕の鏡のなかで、百も承知であつた。問題はやはり例のおとがひにあつたのである。
 その額田ノ姫王のおとがひは、その年になつても相変らずきびきびと、よく動くおとがひであつた。もつとも、妹のふつくらした色白の円顔を、いつのまにか豊艶なものにまで変へてしまつた肉づきの変化が、そこでももちろん例外であらうはずはなく、例の二重ふたえのくびれは一そう厚みを加へてきはだち、なにかしら重たげな、なにかしら大儀さうな気配が、ふとそこに影るやうなこともないではなかつたけれど、とはいへ所詮は幼な顔の記憶をその網膜からぬぐひ去るすべもない姉の眼にしてみれば、それは相変らず小ましやくれた、依然として人を小馬鹿にしたやうな、いたづら好きなおとがひに違ひなかつた。それと、現在の妹の顔ぜんたいとの釣合ひには、へんにちぐはぐな、そのくせやつぱりさうでなくては恰好がつかないやうな一種しつくりした感じ――いはば破調のなかの言ひやうのない調和の感じがあつて、それが鏡ノ夫人をふつと哀しくほほゑませたりしたものである。
 まあこのへんまでのことなら、鏡ノ夫人も時ならぬ感傷にふと誘はれるぐらゐが落ちで、かくべつ気に病んだりすることもないはずだつたが、問題は妹のおとがひの生みだす目まぐるしいほどの千変万化の印象のなかに、今までついぞ見かけなかつた、少なくも気のつかなかつた、意外な一要素がつけ加はつたことであつた。それは賀宴の折などでいへば、唇を杯にふれて、つとそれを離したり、隣席の男などから話しかけられたのに答へようと動かした唇を、ふとためらふやうに再び閉ぢたりするやうな瞬間に、ほんのたまゆら揺らいで消える微かな印象にすぎなかつたが、その揺曳ようえいを鏡ノ夫人は姉の目ざとさで素早くとらへ、その後も注意をおこたらずに自分の観察の正しさを折にふれて確かめ確かめて来はしたものの、さてこれをどういふ言葉でいひあらはしたらいいものやら、ほとほと困じ果てたのだつた。
 それはもはや、決して冷笑などではなかつた。ましてや人に媚びたり、あるひはわれとわが心に媚びるときに女人の唇辺によく浮ぶ、あの無心または有心の嬌羞きょうしゅうでは尚のことなかつた。それはもつとずつと内へ向つた、いはば全く相手のない、ひどく孤独な、その意味から云へばむしろこの上なく単純だとも純粋だとも言へさうな心の動きの、内から外へのふとした投影、――まあそんなふうな、いはば笹の裏葉がふとひるがへるにも似た、つかのまの仄めきにすぎなかつた。かといつてそれは、姉の王女にほとんど生理的な自己嫌悪の情を催させるのを常とした、あの冥想的な、妙につめたい表情ともどこか似通ふものがあるやうでゐて、しかも全然ちがふらしい。一口にいへばそれは、ひどく影の深い憂愁だつたのである。……
 けたたましい羽音をたてて、鸚鵡が舞ひたつ。と次の瞬間には、鳥の白いかげも朱色の籠も、かき消すやうに消えて、妹のおとがひが中有にかかる。鳥の行方を追ふやうに、ぐいと突きだした例のおとがひのくびれ。そのくびれも、やがて気がついてみれば、幼な顔のそれではなしに、近ごろのあの影ぶかい憂愁を折りたたんだそれだつたのだ。
「これぢやたまらない!」と、鏡ノ夫人はほとんど声に出してつぶやく。……
 ざつとそんなふうの、幻想とも妄想ともいひやうのない妖しい思ひにつきまとはれどほしですごしたその日の暮れがた、夫人はやつと或る決心をかためた。それは、あくる朝になつたら早々、何もかも放りだして、五百里ノ娘をつれて大津の新京へさつさと立つてしまはう、――といふのである。
 妹の残していつたとんでもない置土産のことは、いざ馬の鼻づらが北へ向いたその瞬間、第一に心に浮んだ思ひつきどほりに処分すればいい。それまでは、もう何も思ふまい、考へまい。……
 そしてこの決心によつて、少なくも鏡ノ夫人その人だけは、当座の苦労からみごとに救はれたのである。

    *

 俗に気性の勝つたといはれるやうな人は、ことにそれが女性の場合、思ひのほか限られた意識の視野の持主であることが、よくあるものである。もつとも、鏡ノ王女が実際いはゆる気性の勝つた女であつたか――といふ問題については、必ずしも一定した評価を立てるわけには行くまいし、後世の眼からすれば、殊にこの姉を妹の額田ノ姫王と並べて眺めるばあひ、むしろ逆の評価の成りたつ可能性の方が多いかも知れない。けだし妹は、万葉集きつての気宇の雄大な歌人として聞こえてゐるからである。とはいへ、少なくも当時――すなはち謂はゆる白鳳の世の人びとの眼には、鏡ノ王女が理知的な「しつかり者」と映じてゐたことは事実だつた。これに反して額田ノ姫王の方は、何かしらその反対の性格の持主のやうに考へられてゐたものである。
 それはとにかく、妹の表情に新たに添はつた要素として、憂愁といふものを目ざとく見てとつたほどの鏡ノ夫人ではあつたが、しかもその憂愁のみなもとについては、夫人は大して的確な考察をめぐらし得たわけではなかつた。いはば一種の盲点が夫人の眼にはあつて、それが例へば次のやうな事情を見わけがたくしてゐたのである。――
 前にもちよつと触れておいたやうに、夫人は例の鸚鵡を目のあたりにする瞬間まで、妹が依然として大海人の愛人であることを信じて疑はなかつた。実をいへば夫人のこの信念は、半ばは当り半ばは外れてゐるといつた奇妙な性質のものだつたのであるが、それはまあそれとして、少なくも額田ノ姫王がすでに十年前の彼女ではなく、ましてや娘時代の彼女でないことは、動かしがたい事実だつたのだ。彼女は現在、単に大海人の愛人であるのでもなければ、またその逆に、すでに帝位についたも同然の中ノ大兄の単なる寵姫であるのでもなかつた。もはやそんなあやふやな身分の女性ではなくて、せいぜい内輪に見つもつたところで、彼女はすでに十市とおち女王ひめみこの母であつた。これは彼女が大海人によつて生んだ一人娘である。
 しかも、そればかりではない。彼女は、その腹をいためた十市ノ女王が、ほかならぬあの大友ノおおきみの妃に迎へられて、ことし二十はたちになるこの同いどしの若夫婦のあひだには、すでに七つになる葛野かどのノ王も儲けられてゐるといつた風の、ある隠然たる政治的背景をさりげなくその豊満な中年の女体にまとつた、もはや押しも押されぬ存在であつたのだ。文字どほりの姫王であつたのだ。……
 この大友ノ王といふのは、やはり十指にみちる中ノ大兄の妃嬪や宮人たちのなかでも、もつとも身分のひくい一人である宅子やがこといふ伊賀の采女うねめの腹で、そんな関係から幼いころは伊賀ノ王などと呼ばれてゐた人物であるが、妙に男の子に運のうすい中ノ大兄の王子たちのなかでは、現に成年に達してゐる唯一のミコに違ひなかつた。蘇我氏の出である遠智おちいらつめの腹にまうけられた第一王子は唖で、九年ほど前に夭折してゐたし、志賀、川島の両王子は、これまたそれぞれたかからぬ腹に生まれたといふ点はともかくとして、なにしろ志賀ノ王がとつて十五歳、川島ノ王が十一歳といふ年弱さだつたからである。のみならず大友は、父太子・中ノ大兄に似て、明敏な頭脳と煥発かんぱつたる才智とを兼ねそなへた青年だつた。なかんづく漢学の素養にかけては、朝野にならぶ者なしと人も許してゐたし、我もまた許してゐる傾向があつた。その眼もとも、父太子に似て涼しく澄んでゐたが、それでゐて人品骨柄こつがらは全体として父親とは似てもつかず、あくまで大ぶりで筋骨逞ましく、気骨もそれによくふさつて稜々りょうりょうたるものがあつた。さうした風貌や、気性のたけだけしさにかけては、大友はむしろ叔父の大海人に生写しだとまで噂されてゐた。要するにこの青年王は、父太子にとつては鬼子おにごの趣きが多分にあつたのである。であるからには、その王子が父親にとつて、はげしい溺愛の対象になり了せたことは、むしろ自然の数だつたと言つてよからう。
 思へば父太子の執政生活も長いことである。その実父である田村ノみかどの晩年をふりだしに、実母・寳ノ太后おおきさきの治世、さらに母の弟すなはち叔父であり、父系をたどれば従兄にもあたる軽ノ帝の治世、もう一つ寳ノ太后の二度目の治世と、前後四代の朝にあひも変らぬ摂政太子みこのみことの名のもとに、辛抱づよく執政役をつとめてきた。しかも、つひにその男まさりの母后も亡くなつて、もはや誰に遠慮しようにも、唐ぶりの謙譲の美徳を誇示しようにも、乃至はもつと悪意に解釈すれば、おびただしい失政の責任をその袖のかげにかくれてくらまさうにも、今ではその相手をなんとしても見いだしがたい仕儀に立至つてすら、古ぼけた摂政の服をいつかな脱がうともせず、これでもう六年ちかくも、帝位を表向きは少なくも空つぽにするといふ冒険を敢てしてゐるのであつた。そして五十四の春を迎へた太子なのである。これにはよくよくの事情がなくてはなるまい、――といふほどの疑念なら、それこそ三歳の童児の頭にだつてのぼらずにはゐないはずであつた。
 では、その異常な忍耐の原因は、はたしてなんだらう? さうなると問題は、なかなか一すぢ縄ではいかぬ、へんにもやもやしたものになつてくる。……
 第一、ひと口に空位とはいつても、寳ノ太后が亡くなつてこのかた五年あまりの年つきは、実質的には決して空位だつたわけではない。キサキのやまと姫王ひめみこが、なか皇命すめらみことの資格において、りつぱに神と人とのあひだの仲だちをつとめてゐたからである。殊にこの姫王の身についてゐる、蘇我の血すぢに特有なあの晴れやかな叡智と聡明さとは、神の意志を人間たる最高執政者につたへるといふその役割を果たす上で、じつに打つてつけの観すらないことはなかつた。かてて加へて、この姫王が生まずで、つひに産の紐をといたためしがないといふ事情が、その風姿なり言行なりに一段の神聖味を加へてゐたこともやはり否定すべからざる事実にちがひなかつた。である以上、良人たる中ノ大兄が依然たる摂政太子の身分にとどまつてゐようが、それとも正式に皇位継承の手続を経たスメラミコトであらうが、そんなことにかかはりなく、朝廷の絶対権威は微動だもするはずはないのであつた。さうした神政国家の特質を見ぬき、且つそれを極力利用する手腕にかけては、ひよつとすると中ノ大兄は遥かに弟の大海人の上にあつたかも知れない。
 いや、もう一歩つつこんで考へれば、処女の身にやどる巫呪ふじゅの力にたいする信仰が、まだほとんど上代のままの生き生きした姿を保つてゐるのを奇貨きかとして、その信仰のかげにできるだけわが身を韜晦とうかいしてみよう、――といふぐらゐの気持は、案外この才人の胸裡きょうりにうごいてゐたかも知れないのだ。実際、中ノ大兄はほとんど三十年に近いその政治生活の烈しい体験からして、しよせん改革の政治には無数の失政の伴はずにはゐないこと、いや寧ろ、政敵の眼からすれば全く失政の連続でしかありえないであらうことを、ひしひしと思ひ知つてゐたに相違ないからである。のみならず、その秕政ひせいなり失策なりが、それまでともかくも一応は父なり母なり叔父なりの袖にかくれて行はれてきただけに、世の中の不満や非難はしぜん潜勢力の形をとつて、却つてますます重く太子自身の肩へのしかかつてきてゐることに、気づかぬはずはなかつたからである。……
 もちろん、キサキが現に中ッ皇命でありながら、その良人が摂政太子の資格において政柄をとるといふやうな仕組みが、このヤマトの国でもほとんど前代未聞の変則的な現象であり、ましてやみづから長矛ながほこを血ぬりさへしたあの大化の改新の原理に撞着すること、これより甚だしきはないといふことぐらゐは、聡明な太子の知りぬいてゐるところであつた。しかし原理は、あくまで原理であつて政治ではなかつた。唐の文化に心酔して、唐びととまであだ名されてゐながら中ノ大兄にはやはり、政治家として先天的に具はつた牢固ろうことして抜くべからざる現実精神があつたのである。……
 時代は七世紀の半ばをやや過ぎてゐた。七世紀の半ばといへば、近東に勃興ぼっこうしたサラセンの激浪が、しきりに東ローマ帝国の岸べを洗つてゐた頃である。しかもそのサラセンにしたところで、文化の黄金時代を現出するまでには、まだ二世紀ちかい時を待たなければならなかつた。西ヨーロッパの国々には、まだ闇の色が濃くたれこめ、いはゆる蛮族の跳梁ちょうりょうのもとに、あてもない胎動がつづいてゐるにすぎなかつた。文化の伝統とその成果とを世に誇りうる国といつたら、その頃はひとり東洋の大国・唐があるだけだつた。地理的条件にめぐまれたせゐは勿論あるにせよ、その唐の制度文物にひたすら心酔して、まづその中央集権制度の移植を構想したほどの太子であり、そのためにはあらゆる悪条件の山積を押しきつて氏族政治を血祭にあげたほどの、当時としては疑ひもなく急進派の頭領であつた中ノ大兄でありながら、しかもその燃えるやうな理想主義の反面には今みたやうな現実精神の裏打ちがあり、改革といふものが必然的にそのうちに含んでゐる復元ないし浄化的な契機を見落さなかつたといふ事実は、狡猾とでも不純とでも卑怯とでも、何となり後世の小賢しい批判は自由であるにせよ、ともかくも実際においては、この太子のともすれば脆さを見せがちの政治において見いだされる数少ない強みの一つを、なしてゐたには違ひないのだつた。そして、さうした兄の政治のやり口に絶えず注意をおこたらず、ひそかにそこから並々ならぬ教訓をすら汲みとつてゐた人が、ほかならぬあの大海人であつたことは、今さら言ふまでもあるまい。
 その中ノ大兄にも、つひに晩年のきざしは来たのである。皇位などといふものが要するに虚しい器にすぎぬことを、身をもつて証明しつづけて来たやうなこの摂政太子ではあつたが、その現実主義にもつひに破綻が、しかも選りに選つて父性愛といふ形をとつて来たのである。それが、王子大友にたいする彼の盲目的な溺愛だつた。
 政治の面白さも、またそのはかなさも、ともに底の底まで味はひつくした今日の太子にとつて、もとより自分が皇位をふむふまぬは問題ではなかつた。弟の大海人は自分とは性格のまるで違つた、さつぱりつかみどころのない変物であるが、あれが欲しいといふのなら、こんなむなしい器なんぞはノシをつけて呉れてやつてもいい。ただその場合、あの大友はどうなるだらうか。……一口でいへば、この最後の一句に、五十四歳の中ノ大兄が何としても解くことのできない疑問があつたのだ。それはもはや我意でも執着でも、ましてや愛情でもなくて、もつともつと単純な何ものか――いはば種の保存の本能にも似た、心のありやうであつた。言ひかへればほとんど臨終の遺言の衝動のやうな、およそ無意味でもあり空虚でもありながら、しかも世にも烈しい欲求であつたのだ。……

    *

 夢だつた。――
 ぎよつと目が覚めたとたんに、大海人おおしあまは片肘を枕へつき立て、むつくり半身をおこした。そして、毛ぶかい握りこぶしを、頬の肉へめり込ませたまま、ほんのり眼の前にうかんでゐる白いものを、さも不思議さうに見まもつた。
 それは顔だつた。見れば見るほど人間の、――それも生きた女の顔にちがひなかつた。眠つてゐる。すやすや子供のやうな寝息をたててゐる。その顔が、揺れるといふほどでもないが、なにか静かに漂つてゐるやうな気のするのを、大海人はさつきから不審に思つてゐる。じつと見つめてゐると、浮び漂つてゐるのはその顔ではなくて、かへつて自分の身であるやうな、妙な錯覚がわいてくる。その錯覚を振りおとさうと、大海人はわざと肩へ力を入れたり、頬杖のかげんを強めたり弱めたりして、わが身の安定感をためしてみる。こつちは大盤石だとわかつても、やつぱりその顔は漂つてゐる。大海人はしだいに目まひをさへ感じはじめ、ひよつとするとこれは夢のつづきなのではあるまいか――ふと、さうも疑つてみる。……
 なんでも今しがたの夢は、顔また顔の連続だつた。見なれた顔がほの合間には、おや、こいつがなんだつて今頃、と思ふやうなのも時たまはまじつて、それらの顔が、あの夢に特有な一糸みだれぬたしかな脈絡をなして、あとからあとへと浮んだり消えたり現はれたり沈んだりしてゐた。そんな顔々に充満した夢だつた。よしんばその夢のつづきであるにせよ、ないにせよ、いま目の前にこの顔のあるのが、大海人はなんとしても腑に落ちなかつた。見なれぬ顔ではない。それどころか、どうやら知りすぎるぐらゐ知つてゐる顔である。しかもその出現がじつに意外としか思ひやうのない、そんな顔である。いまこの瞬間の現実性を、かへつて疑ひたくなるやうな顔なのである。しかもまた、じつとかうして見つめてゐるうちに、だんだんこつちの気持が安らいで来さうな、そんな顔でもある。
 大海人おおしあまは目をとぢた。静かだ。しかもその静けさは、まだまだ明け方には遠いらしい、ずしりと重たい静けさである。そのなかで、大海人はふと風の音をきいた。とうとうと鳴りやまぬ、どうやら雨気をふくんでゐるらしい春の夜風である。おそらく最前から、いや二刻も三刻も前から、吹きつづけてゐるらしい気配のする風である。その海鳴りのやうな、息の長い風おとに耳をすましながら、大海人はやつとのことで、目の前にうかび漂つてゐる顔の秘密に、そろそろ思ひ当りはじめた。
 すきま風が、ふしどの垂れぎぬを揺するのである。いやむしろ、その垂れぎぬの外にある燭火ともしびの穂が、揺らぐのである。そのゆらぐ火影が、うすい垂れぎぬにされて、じぶんの肩ごしに斜め上から女の顔へ落ち、その安らかな寝顔に、ちらちらと物かげを戯むれ走らせてゐるのである。それにつれて、女のながい睫毛が、伸びたり縮んだりする。みじかいおとがいを隈どつてゐる陰影も、移つたりかしいだりする。枕のうへに解けひろがつてゐる髪の毛までが、さながら息づいてでもゐるやうに見える。唇はかるく開いて、かすかに微笑の表情をやどしながら、やはりその影を、おとがひの浅い窩みの影と、合はせたり離したりしてゐる。色白のあどけない丸顔は、そのため浮びただよつてゐるやうに見える。そればかりか、無心なその寝息までが、刻々と強まつたり弱まつたりしてゐるやうにさへ思ひなされる。……
 さうと分つてみると、今までその顔の揺らぎただよふ感じにばかり気をとられてゐた大海人も、女の顔そのものの上に、注意をあつめるだけの余裕が出てくる。つまり彼の想像のなかで、女の顔はやうやく静止したのである。
『おや、これは大柔おおぬぢやないか。……なんだつてこの女が、ここに……?』
 大海人は、その静止した白い顔を、じつと見まもりながら、胸のなかでつぶやく。この顔は今しがたの夢のなかには出てこなかつた。だからその出現は、なにか夢の急角度の転換――といつた風にも受けとれる。夢がにはかに切断され、そこに生まれる一種の目まひの感じが、まだ消えやらぬあとから、たちまち次の主題が押しあがつて来て、はじめは不安定に揺れうごいてゐるが、やがて無理やりに前の夢に接続されてしまふ。そこには、いはば非連続の接続とでもいつた感じの、なにか強制的な、へんにぎこちないものがあつて、胸ぐるしさを一そう加重するのだが、やがてそれも、ほどなく始まる第二の主題の力づよい展開に圧し伏せられてしまひ、眠つてゐる人はふたたび一糸みだれぬ夢の秩序に服してしまふのである。その間一髪の転換の瞬間に、なにか外界の影響――たとへばふとした微かな物音だの、すきま風のそよぎだの、あるひは心悸しんきの度はづれな昂進だのによつて、れいの強制的な接続作用にひびが入ると、人はそこで味気ない夜半の寝ざめを味はふことになる。……いまの大海人が、どうやらそれらしかつた。はじめは仄々と、しかしだんだんはつきりしながら、眼前一尺にうかびあがつたその新たな女の顔が、かすかに揺らぎ漂つてゐるうちは、まだしもよかつた。まがりなりにも夢の世界に身をまかせてゐられたからである。ところが、その顔が静止した。大柔ノいらつめの顔になつた。しかも、さつきからじつと見つめてゐるが、動きだす気配もない。こつちへ働きかけて、こつちを引きずつて行く気配がないのだ。いやでも大海人は、さながら梯子を踏みはづした塗り壁師のやうに、現実の世界へ転落しなければならなかつた。
 平衡の感覚が、ざさーつと音を立てて、一時に崩れおちる。とつさに体勢をとり戻さうと、大海人は思はず手を伸ばさうとした。伸ばした手で何かにつかまらうとした。その伸ばした手は、頬杖をついてゐない方の自由な左手だつたが、それが大柔ノ媛のあらはな、むつちりした肩さきに触れようとした瞬間、彼ははつと自制した。いそいでそれを引つこめた。相手は眠つてゐる。幼な児のやうに、無心に寝こけてゐる。巴旦杏はたんきょうのやうに、ぷつくりふくれた小さな唇を、なかば開いたまま、そこからかすかな寝息を出し入れしてゐる。ぱつちりと、まるで星のやうなきらめきを宿した眼をした女だつたが、その眼も今は、厚ぼつたい両のまぶたで蔽ひかくされてゐる。情欲が昂進して、やがて絶頂へ近づきはじめると、その星のやうなきらめきが、くるくる金色こんじきに廻転しはじめる眼でもあつた。それが大海人には珍らしく、また世にもめでたく思はれるのだつた。ともすればつぶらうとするその眼を、むりやりにあけさせあけさせ、果ては怒号さへもまじへながら、思ふさまその金色の廻転を享楽した今宵の記憶が、まざまざと大海人に立ち返つてきた。それは吾ながらモノメニアックと云つてもいいほどの痴呆状態であつた。そんな烈しい状態が、近ごろとしては珍らしく長いあひだ、今夜はつづいたのである。大海人はそれを回想し、かつは自省するのだつた。その自省の底にはしかし、何かにがにがしい沈滓おりがあつた。
 いま、この柔らかな、むつちりした肩を揺りさましたら、またしても自分は、その沈滓に新たな沈滓を加へることになるに過ぎまい。――それが彼には、わかりすぎるくらゐ分つてゐたのだ。『今夜のおれは、いささか異常をきたしてゐるからなあ。……さすがの大柔も、ちよつと呆気にとられた形だつたな。まあいい、寝かせておけ、寝かせておけ。くたびれてるだらうからな。……』伸ばした手を引つこめながら、大海人は切れの長い眼をほそめて、さう独りごちた。
 しかし、そのこけた頬にうかんだ薄笑ひは、愛情のそれといふよりは、むしろシニックな自嘲の笑ひに近かつた。それが暫く消えなかつた。……

    *

 夢はもう、ほとんど完全にさめてゐた。大柔おおぬいらつめの寝顔や、その延長である寝すがたの全体が、いや応なしに彼を現実へ追ひ戻すのである。まるで、梅雨を前ぶれするかのやうな今夜の風が蒸し暑いのか、白い胸ははだけて、むつちりした片方の乳房が三分の一ほどのぞいてゐる。そこが妙に青じろく、なまなましい。夜具はほとんど臍のあたりまで押のけられて、そこにたたなはつた夜具のひだが、健康ではちきれさうな女の腹部のゆるやかな息づきを、かへつて際だたせ誇張してゐる。それはなんべん見直しても、いくら視線で撫でまはしても、紛れもない大柔ノ媛の寝すがたにちがひなかつた。だがそんな風に、女の肉体がいよいよ現実感をば増してくるにつれて、大海人の心の片隅では、なにか烈しく夢幻的な感じ、いはば錯覚の感じのやうなものが、ますます強まつてくるやうな気がしてならなかつた。
 一口にいへば、それは場所の感覚の喪失であつた。『へんだなあ、おれは一体、どこにゐるんだらう?』と、大海人はほとんど声に出してつぶやくのだつた。
 女は、断じて夢の延長ではない揺るぎのない世界に、安らかに身を横たへて、どんな夢魔よりも現実的な、正体もない眠りをむさぼつてゐる。その姿の現前によつて、彼はぐいぐいと現実の世界へいざなはれ、おびき寄せられるやうでゐながら、しかも実際には、かへつて現実のそとの虚空へ、押し落されでもするやうな怪しげな気持がするのである。どうやらそれは、夢によつて切断された記憶が、また元の糸につながり合はさらうと必死の努力をしてゐるのを、一方では夢の強烈な印象がしきりに邪魔だてする状態に似てゐた。その格闘だけでもかなり厄介なところへ持つてきて、目の前の揺るがぬ女の寝姿までがそれにからみついて、盛んに後者の肩をもつてゐるらしいのだ。そのため一そう事はこんぐらかつて来てゐるのだ。……
『ええ忌々しい! なんだつてこの女が、ここにゐるんだ! いやそもそも、眠つてゐるこの女が夢なのか、さめてゐるこのおれが夢なのか? 夢ならば、さつさと消えて失せるがいい! この女が消えるか、このおれが消えるか、どつちにしろ構つたことぢやないぞ。……だが少なくもおれは、この通りちやんと目が覚めてゐる。目がさめて、しつかり前を見つめてゐる。正体もなく寝こけてゐるのはお前の方だ。大柔おおぬよ。なぜお前は見えるんだ? ほんとにお前は大柔なのかい? え、大柔よ、大柔よ! なぜお前は、ここに眠つてゐるんだい? いやいや、なぜこのおれが、ここにゐるんだい? え、返事をしておくれ、大柔よ! ここは一体どこなんだい?……』
 しだいに物ぐるほしい気持になりながら、大海人はぐいぐい胸を乗りだしていつて、女のあどけない顔の真上にのしかからんばかりの勢ひで、そんな問ひを早口であとからあとから掛けるのだつた。あんまり早口なので、舌の根がうまく廻らず、それがもどかしかつた。まるで舌の根がゆるんでしまつたやうな感じで、それがたまらなくじれつたかつた。じぶんの口はもう、女のうつすらと脂を浮かせた小鼻のすぐ上に迫り、この女に特有のあの蓮の花のやうな甘い息吹きが、じかにこちらの頬にあたるほどでありながら、しかも女は、みじんの反応も示さない。もどかしく、早口で問ひかける自分の声は、吾にもあらずいつしか上ずつた高声に変つて、例の神鳴り声が自分の鼓膜にもがんがん響き返つて、われながら浅ましく、気恥かしいほどであるのに、女はまるで死人のやうにぐつたりして、眉ひとつ動かさず身じろぎ一つせずに、童女のやうな甘い息吹きを、安らかに同じ間合ひを置いて出し入れしてゐる。
『これはどうしたことだ!』――大海人は呆れた。大きな目をぐりぐりと見はつた。『大柔よ、お前は死んでゐるのかい? そんなに睡いのかい? どうしてお前は見えるんだい?……待てよ、これは……これはあの灯り……あの灯りのせゐだ……』と、そこで大海人の想念は、やにはに大きく旋転した。
『おや、これはをかしい! あの灯りがなんだつて今……さつきおれは、確かに吹き消したはずだが……』大海人はぎよつとして振り返つた。その瞬間、さながら目隠しをされでもしたやうに、灯りも女の顔も一どきに消えて、彼はふたたび底なしの闇へ転落していつた……。

    *

 大柔おおぬいらつめは、蘇我ノ赤兄あかえの二番目の娘で、ことし十八になる。
 長女は常陸ノ媛といつて、これは同じ腹の娘でゐながら妹とは体質も気質もがらりとちがつた、痩せぎすの背の高い、どつちかと云へば理性のかつた冷たい女である。そこが好みに合つたものかどうか、姉は四年ほど前に、執政の太子みこ・中ノ大兄おいねの妃に迎へられた。兄と張り合ふ気持が、意識的にあつたわけでもないが、生まれつき肥りじしで、そのため大柔おおぬと名づけられてゐた妹娘の方は、間もなく大海人の寵愛を受けることになつたのである。姉の腹には山辺ノ王女みこが生まれ、妹は穂積ノきみを生んで、それぞれことし五つと三つになる。
 妻妾のおびただしさにかけては、いづれ劣らぬ剛の者であつたこの兄弟の宮の後宮(もちろんハレームの意味ではなく、ここでは比喩的に使ふにすぎないが――)にあつて、少なくも現在のところ、この二人姉妹はそれぞれ最も年も若く、したがつてまた愛も新らしく且つ濃いはずの寵姫ちょうきであつた。父の赤兄はもう五十の坂を越してゐる。その年になるまで、彼には幸か不幸か男の子がなかつた。世故に長けた才物で、腹をたち割ればなかなかの陰謀家でもある彼は、色ごのみにかけても決して他の廷臣たちに引けをとらないのだが、さすがにこればかりは、どうにもならなかつた。前頭のつるつるに禿げあがつた小男の赤兄は、かねがねひどくそれを気に病んでゐた。
 蝦夷・入鹿の父子が、新政の血祭りにあげられた後、わづかに大蘇我氏の正統をつぐものは、蝦夷の末弟・倉麻呂の一門だけになつたが、その一門の柱石でもあり、また改新の功臣として声望の高かつた倉山田ノ石川麻呂が、不慮の死をとげたあとでは、もはや蘇我の名のまはりからは落日の栄光さへもが離れ去つた観があつた。石川麻呂のすぐの弟・日向ひむがは、兄をおとし入れた報いで中央を追はれるし、次の弟・蓮子むらじは平々凡々、ただ温厚なだけの人柄を見こまれて、鎌足の下にしばらく大臣をつとめ大紫冠をいただいたが、これも三年ほど前にぽつくり死んでしまつた。のこるは後にも先にも赤兄ひとりと云へるのだが、兄の死後、氏上このかみの大刀だけは廻つて来たものの、冠位は相変らず小紫にすぎなかつた。彼がめつきり老いこんで、しきりに先をあせりだしたのも無理はなかつた。なまじ一廉の悪者であるだけに、彼には自分の非力がよく分つてゐたのである。
 そんな彼の晩年――と彼はなぜか一人ぎめにさう思ひこんでゐたのだが――を、わづかに慰めるものといへば、長女がまづ太子の嬪に迎へられ、ついで次女を大海人の夫人に納れたことだけだつた。もつともこの後の方は、大分困つたやうな顔をして、しきりに首をひねつたのものだが、当の大柔ノ媛の身がらがとうに、さらはれたやうに掻き消えてしまつた後のことであつて見れば、それも結局いかにもこの老人らしい一応のジェスチュアにすぎなかつたのかも知れない。常陸ノ媛の場合はそれに引きかへ、十分に周囲の眼色をうかがふ暇があつた。もちろん、いくら窺つてみたところで、どうにもなるわけのものではないのだから、これまたジェスチュアだと言へばそれまでのことだが、とにかく彼が暮夜ひそかに鎌足の宅を訪れて、やがて禿げあがつた額を拭き拭き出てきたところを、見たとか見なかつたとかいふ噂は、一時かなりうるさかつたものである。これを裏返しにすれば、読み巧者のさすがの赤兄もつひに匙を投げて、直接ぶつかつて行かざるを得なかつたほど、鎌足の眼色は読みにくいものだつたといふことにならうし、いやそれほどでもないのだが、赤兄の読みに焼きが廻つたのさ――とも言へるかも知れない。
「蘇我の家もこれでお仕舞ひだよ」と、一門きつての暴れ者として自他ともに許す若い安麻呂は、そんな噂を弘めた張本人の一人だつたが、さも愉快さうに哄笑したものである。――「いつそ初めから倉田山の伯父貴がゐなかつたら、却つてさばさばしてゐたらうになあ! 全くいい恥さらしだよ!」
 もつともこの言葉が、ただ赤兄の耄碌もうろくぶりだけを嘲つたものだつたか、それとも他に何かの意味を含ませたものだつたか、そこのところはよく分らない。この精悍せいかんな青年貴族は、大海人自身がまだ気づかずにゐる少なからぬ匿れた崇拝者のなかでも、最も熱烈な一人だつたのである。
 その大柔ノ媛を、大海人は、蘇我一門にとつて忘れがたい思ひ出の地である石川の里に住まはせてゐた。そして自分は、母の帝が板蓋宮炎上のあとで、暫く仮宮に使つてをられた川原の古宮に黙々として起居しながら、妃の莵野うめ王女ひめみこの眼をぬすんでは通つてくるのだつた。莵野ノ王女は、大海人の最初の妃であつた大田ノ王女の同腹の妹で、姉の死後、正妃に直されたのである。母は例の倉田山ノ石川麻呂のむすめ遠智おちいらつめで、ここにも蘇我の血は濃くながれてゐるわけだつた。同じく中ノ大兄を父とし、同じ遠智ノ娘の腹に生まれながら、この姉妹の王女のあひだには、まるで赤の他人ほどにも性格や容姿の違ひがあつた。これは恐らく偶然の暗合であつたらうが、先ほどわれわれが蘇我ノ赤兄のふたり娘、つまり常陸ノ媛と大柔ノ媛の場合に見たのと、ほとんど同じ差違が、この姉妹をも分つてゐたのである。ただその姉妹の地位を逆にすればよかつた。その上で、もし必要とあらば、大田ノ王女と大柔ノ媛との間の細かなしかし重要な違ひを、つぎつぎに見分けて行けばよかつた。一方、莵野ノ王女と常陸ノ媛のあひだには、この第二の手順をふむ必要すらなかつた。それほどこの二人は、よく似た型の女だつた。まぎれもなくこの二人は、太子・中ノ大兄の好みであり、その系統ですらあるのだ――と、さう、少なくも大海人は断定してゐた。つまり彼の大嫌ひな才媛型の女だつたのである。しかももつといけないことには、莵野ノ王女は、その才智が女らしく鼻の先にちらつくやうな隙は決して見せず、淑徳の芳はしいヴェールで、それを幾重にも堅く包みこんでゐるのだつた。かてて加へて、彼女はすらりと長身の、面長の美しい女性であつた。……さうした点に一々反撥して、一人で煙たがつてゐる大海人のすがたは、莵ノ野王女のやうな賢い女の眼には、思はず微笑をさそはれずにはゐられないほどの、ひどく滑稽な、ひどく子供つぽいものに見えたにちがひない。つまるところ大海人は、兄へのはげしい、かと云つて、別にこれといふ定まつた当てのあるのでもないらしい、いはば一種生理的な反撥を、罪もない――どころか恐らく一点の非の打ちどころもない王女の身に投影させて、むりやりはつきりした像を結ばせて、それを勝手に煙たがつてゐるにすぎないからである。王女としては恐らく、それくらゐの推量は立派についてゐて、それが知らず知らず一種の雰囲気として時たま彼女のほとりに仄めくことがあり、ますます大海人を煙たがらせるやうな結果になつてゐるのかも知れなかつた。亡くなつた姉とは二つ違ひで、ことし二十三になるこの妃には、草壁と呼ばれる王子が一人あつて、これは六つになる。
 今ではとうに埋められてしまつて、跡形もないが、石川の里を東南へ出はずれたあたりに、軽ノ池といふかなり大きな蓮池があつた。いつの代に渡来したものか、その頃でももう人の記憶から消え去つてゐたほど由緒の古い蓮が、その池の面を蔽ひつくしてゐて、夏になるごとにいかにも南国風な、息づまらんばかりの濃艶のうえんな香りをたたへた、五彩の光焔世界を現出させてゐた。大海人が大柔ノ媛のためわざわざ石川の里に宅を構へてやつたのは、そこが蘇我氏の故地であるといふ理由からよりも、むしろこの蓮池のあるせゐだと、考へて考へられないこともなかつた。それがいかにも大柔ノ媛の気に入りさうな花だつたからである。
 彼がその家に通ひはじめてから、もう足かけ四年になる。はじめの二年ほどのあひだ、あのふつくらした容姿のなかにも一脈の淋しさを宿してゐる、今になつて思へば白芙蓉ふようのやうな感じの女だつた大田ノ王女が、病身ながらまだ存命で、正妃であつてくれた頃はまだしもよかつた。この妃ならば、自分の淋しさを分つてくれ、その気まぐれな石川がよひを大目に見てくれるばかりか、心の底では許しさへしてゐてくれるものと、ゆつたりと安心した気持でゐられたのである。ところがこの妃が亡くなり、莵ノ野王女が正妃に直つてからといふもの、そんな心のゆとりが日ましに失はれて行くのを、大海人は痛々しいほど心に感じてゐた。あの額田ノ女王の腹に生まれた自分の第一王女よりも二つも年下の、この色白の肥りじしの娘に対する自分の寛やかな愛を、ただそれだけのものとして――言ひかへれば、受けることなしにただ与へるだけのものとして、安らかに眺めてゐられた彼は、しだいに自分が何ものかをこの娘から求めはじめてゐることに気づいて、寒ざむとした驚きを感じるのであつた。
 この渇きはもちろん、彼の大柔ノ媛への愛のすがたを、この一年あまりのうちに著るしく変貌させてゐた。それまではおほらかな寵愛であつたものが、にはかに溺愛に変つたのである。やがてそれは、殆ど淫虐いんぎゃくなまでの烈しい情炎に変つた。大柔ノ媛は、持前のものやはらかな気性と、十二分に強靭なその体力とでもつて、やすやすと男の愛のかなり気ぜはしい変化に順応して行くやうに見えた。ただ彼女のあまりにも従順な適応ぶりが、たえず大海人の心の隅に一脈の不安をかもし、その不安が彼の炎をますますひたむきに燃えあがらせる一方では、その逆に、何か自分がこの女に求めてゐるもの、そして曲がりなりにも得てゐるものが、実は自分が本心から求めてゐるものとは違つてゐるかのやうな、微かな気の咎めともいふべきものを、彼の耳にささやくのだつた。
 しかし要するに、二人の恋はやつと今しがた始まつたばかりであつた。大海人にしたところで、そんな悪魔のささやきに耳をかすことはごく時たまのことで、その心の全幅ぜんぷくは、日ごと夜ごとに自分が、この若い蘇我の娘の肉体や心のすみずみに見いだす新たな思ひがけぬ発見への、驚異と歎賞とによつて、ほとんど占めつくされてゐると云つてよかつた。

    *

 ……灯りも消えた。顔も消えた。そして大海人は闇のなかを、吸はれるやうに下へ下へと沈みはじめた。
『おれはどこへ行くんだ、どこへ?……』と、彼はしきりにぐるりへ問ひかける。しかしその声は、耳をかすめる強烈な風速に、たちまち運び去られてしまふ。
『ああ、これはあの池だな……』ふと大海人はさう思ふ。この想念は声にはならなかつたのだが、はげしい沈下進行はそこでぴたりと停止した。実をいふと、進行が停止して、その代りに展開がはじまつたのである。
 情景がたちまち彼の眼前にくりひろげられた。いかにもそれはあの軽の蓮池であつた。ただ大海人は、自分がその池の中へ降りたつたのか、それとも池畔に降り立つたのか、そのけじめがはつきりしないだけの話である。そのどつちでもあるやうだし、そのどつちでもないやうでもあつた。
『さつきおれは、両眼めしひた乞食だつたつけな。長い脛を裸に、長いくねくねした棒を杖ついて、なんでも長いこと諸国を遍歴したあげくの果てに、やつとこの池の畔りまでたどり着いたのであつたな。……それから、おれはどうしたんだ?……』
 彼はあべこべに問ひかけた。するとそこで不思議なことがおこつた。その問ひかけにたちまち呼応して、さつきの経験が逆に廻転しはじめたのである。それは、次から次へと繰りひろげられる場面が、どれもこれも彼がきれいに忘れてゐながら、そのくせはつきり知つてゐるものばかりなことから容易にわかつた。それでゐて実に新鮮な、実に珍らしい印象がその都度うまれるのは、逆廻転の当然の効果にすぎないのであらう。
 大輪の、なんともいへずふくよかな感じの白い蓮の花が、ほとんど画面いつぱいに現はれる。そのひときはふつくらと美しい花が、非難するやうな、さげすむやうな、それでゐてじつと苦痛を堪へてゐるやうな、妙に複雑な冷笑をうかべながら、眼じろぎもせずにこちらを見あげてゐる。ふとその紅い唇がうごいて、『いいえ、言へません』と冷然と言ひはなつ。その表情がふたたび静止すると、こんどは別の声が、哀願するやうに醜くわななきながら、『誰だつけな、お前は? ああ忘れた、忘れた! いいぢやないか、言つてくれたつて。……誰だつけな、お前は?』と、くり返す。
『あれは、おれの声だ』と大海人おおしあまは思ふ。――『おまけにおれは、あの花が誰かといふことも、ちやんと知つてゐるのだ。……』
 たしかに知つてゐるのに、それが言へない。それがなんとも云へずもどかしい。その身もだえせんばかりのもどかしさを、大海人はありありと体験しなほす。しかもやつぱり、その名は唇にのぼらないのである。花もそれなり紅い唇を、さもさげすむやうにキッと結んで、やがて静かに揺れだしながら後景へ退いてゆく。それにつれて二三輪また五六輪と、べつの蓮の花が今の花のまはりに現はれはじめる。その花々が一せいに揺らいでゐる。はじめは静かに、やがて段々はげしく。……
『あんなに花が揺れてゐるのは、おれがあの杖の先で、池の水を掻きまはしてゐるからなんだな』と大海人の想像が先廻りをする。果して、その杖の烈しい動きが見えはじめて、しぶきを盛んに上げはじめる。それとともに画面はしだいに遠のいて、やがて池の全景になる。光線は夏の真昼とはとても思へぬ、へんに不気味な薄ずみ色をしてゐる。その中で、池いちめんの蓮の花が、青、白、黄、赤と、思ひ思ひの色と輪郭とを、ほとんど透きとほらんばかりの鮮明さで、くつきり浮きたたせてゐる。静止してゐる。うなだれてゐる花もある。きつとこつちを見上げてゐる花もある。しほれてゐる花もある。婉然えんぜんと笑つてゐる花もある。それが一々みんな、自分の知つてゐる女たちの、色んな瞬間における容姿なり表情なりであることに、大海人は気がつく。しかも彼は、そのうちのひときは大柄な白蓮一輪だけを除けば、あとはのこらず立派に名ざしてみせるだけの満々たる自信がある。そら、その青蓮せいれんの、他にぬきんでて丈の高い茎のうへにきりりと咲いてゐる凄艶せいえんなすがたは、じぶんによつて二王子・二王女の母となつたあの褐媛かちひめが、四度目の産褥さんじょくからつひに起たず、息を引きとる前の日の朝、五日ほどつづいた妖しい大熱がにはかに引いたあとの氷のやうな冷却のさなかで、枕べを見舞つた自分の顔をきらりと見上げて、何か物言ひたげに唇をかすかに反らせて見せた瞬間の面かげではないか。またそこの豊麗な黄蓮が、婉然と勝ち誇つたやうな微笑を浮べてゐるのは、じぶんにとつて第一の王子である高市たけちを立派に生みおとしたあと暫くのあひだ、あの尼子ノいらつめの顔にやどつてゐた表情ではないか。……大海人が杖の先で一々指しながら、われながらよくもそんな記憶がのこつてゐたものと不思議なくらゐの明快さで、すらすらと指摘して行くと、花々はさも満足さうに、ゆれこぼれんばかりの媚態びたいを作つてうなづくのであつた。最後に大海人が、その間のますます遠ざかつて、今では野末の一点景になつてしまつてゐるその蓮池に向つて、『おや、お前は誰だつたかな?』と問ひかけると、池は突然キキーッと奇妙な叫びをあげて笑つた。その笑ひ声には、なにか狂気じみた、ほとんど胸をゑぐらんばかりの鋭さがあつた。大海人は、またもやぎくりとして目をさました。
 灯りはいつか消えてゐて、あたりは真の闇だつた。
『はてな、今しがたまで大柔おおぬがここに寝てゐたはずだが……』と大海人は、ふたたび頬杖に托して半身をもたげながら考へた、――
『いや、さういへば今しがたの笑ひ声は、どうやらあの女だつたやうな気もするなあ。』
 大海人は左手をさしのべて、闇のなかを手探りした。それと見当をつけたあたりには、手にふれるものはおろか、肌のかすかな温もりさへもなかつた。ただ空間だけだつた。あくまで冷たい空間があるきりだつた。
 さう確かめた刹那、大海人は思はずぞつとした。本式に起き直つて、居ずまひを正した。これは何な異様なものがある――と直感したのである。さながらその直感に感応したかのやうに、突然その時、またあのキキーッといふ叫び声がした。それが嘲けるやうに尾を長く曳いて消えた。――
『や、あの鸚鵡だ!』とつさに大海人は跳ねおきると、さう叫びざま、猛然と隣室めがけて突進した。彼の逞ましい肩の一突きで、舞戸が裂けるやうに左右にひらいた。彼は、つい一年前まで大田ノ王女が居間に使つてゐたその小部屋へ、勢ひあまつて五つ足六足ふみこむなり、じぶんの不吉な予想のあまりにも見事な的中ぶりに呆れて、思はずその場に棒だちになつてしまつた。……
 はたしてそこには、灯台がおぼろげな桃色にともつてゐた。そして果たして、つい今しがた行なはれたばかりの凄惨な情景を、ほのぼのと照らし出してゐた。はたしてそこには、例の朱塗りの大きな鳥籠が、空つぽになつて、ゆつくりと空間に揺れてゐた。そのすぐ下の、曾つて亡き妃の愛用してゐた青い化粧卓子のうへには、はたして例の白鸚鵡がうづくまつて、うつろな眼を今はいつて来た彼の上にじつとつけてゐた。その眼からはもはや敵意は消えて、痴呆のやうな鈍い白さが膜の代りに蔽ひひろがつてゐた。青い化粧卓子の細つそりした脚もとには、はたして大柔ノ媛が俯伏せに倒れてゐて、その肩の一角から溢れ出る青い血が、白たへの寝衣をしだいに侵しながら、かなり多量に背中づたひに豊かな右腰へと流れ落ちてゐた。すべてが終つたあとの深い静寂が、その小部屋を領してゐた。
 かなり長いあひだそこに佇んで、その情景にじつと眼をこらしてゐた大海人は、やがて静かな足どりで、鸚鵡へ近寄つていつた。鸚鵡は相変らず彼に眼をつけたまま、身じろぎもせず、うつろなその瞳にもなんの変化も現はれなかつた。その頸に、むづと大海人の両手がかかつた。鸚鵡は動かない。両手に力がはいつた。絞めあげた。大海人はあと一息だと思つた。ところが、さう思つて、ふとこちらの気持がゆるんだ瞬間を見すまして、それまでじつと身をまかせてゐた鸚鵡の抵抗が、せきをきつたやうに爆発したのである。……あとはもう、無我夢中の乱闘だつた。鸚鵡はおどろくべき力を発揮した。のみならず、大海人の力が次第に萎え衰へてゆくのに反比例して、鳥の力はますます加はつて来るやうに思へた。しまひにはその体までが、ふくらみ拡がつて、殆ど人間大にさへなつて来るやうに思へた。大海人は必死だつた。
 ……が、つひに一切は終つた。部屋はふたたび静寂にかへり、あとはただ、はげしい格闘のあひだに鸚鵡のからだから抜け落ちた羽毛が、ほとんど小部屋の空間全体に立ちこめて、音もなく舞ひあがり舞ひくだりしてゐるだけだつた。……
 やがて大海人は、じぶんの両手にかかへてゐる物の重さに気づきはじめた。彼は下を向いて、その鸚鵡の首を見た。重いはずだつた。鸚鵡の首は、まさしく人間の頭に変らぬ大きさになつてゐた。くちばしのあひだから、真紅な血が、するどい一筋の糸を引いてゐた。それが羽毛のむざんに抜け落ちた鳥膚をつたはつて、ぽたりぽたりと床へ落ちてゐた。
 思はず眼をそらして、鸚鵡の屍体をはなさうとした瞬間、大海人はその鳥がニッと笑つたやうな気がした。彼は眼を返して、じつと眺め入つた。彼が両手にかかへてゐるのは、まぎれもない人間の女の首だつた。何やら捉へどころのない謎めいた笑が、相変らず一筋の血の糸をひいてゐるその唇辺に、浮びまた消えたと思ふと、ふとその瞬間、女の顔が面変おもがわりした。
『あ、あれだ!』大海人はさう叫んだつもりだつたが、結局ぎやッといふ悲鳴になつたにすぎなかつた。彼は首をとり落した。そのとき何者かの手が、はげしく彼を揺すぶりおこした。
 大海人は目蓋をあけた。夜はもうすつかり明けはなれて、夢の世界は去つてゐた。近ぢかと、今度こそは本当の大柔ノ媛の顔が、呆れたやうに眼をまるくしながら、彼の上にさしのぞいてゐた。
 朝の光がちらちらと長いまつ毛に、あごの生ぶ毛に戯れてゐる。
「ずいぶん大きな声をなさるのねえ!」と、大柔ノ媛が笑つた。
「いや、変な夢をみた。あの鸚鵡を絞め殺した夢をね。……」
「まあ、妙な夢ですこと。」
「おい、おれの手に血がついてやしないかい?」
「いやだ! 鸚鵡つて、あのきのふ、鏡ノ夫人が出発間際にご自身で持つてみえた、あの鸚鵡でしたの?」
「うん、あれだがね。それが、絞め殺してから見ると……」
 大海人はそこまで言ひかけて、ぎゆつと唇をかんだ。大柔ノ媛は無心にほほゑんで、
「すると……?」
「いや、おどろくぢやないか、――真紅な鸚鵡に変つてゐた。」
「まあ、へんなお話!」
「うん、とにかく鏡ノ夫人も、とんだ置土産をして行つたものだな。今あいつ、どこにゐる?」
「もうさつきからお目ざめで、何やら機嫌よく独りごとを言つてをりますわ。」
「今日おれは、どこか甘橿ヶ岡の奥のへんに、あれを放つてやらうと思ふがな。……」
「あら、放しておやりになるくらゐなら、わたくしに下さいまし。どうやらもう、わたくしに懐いてゐるらしいので。」
「うむ、それもよからう」――大海人は事もなげに応じて、じつと大柔ノ媛の眼に見いつた。





底本:「雪の宿り 神西清小説セレクション」港の人
   2008(平成20)年10月5日初版第1刷発行
底本の親本:「神西清全集 第3巻」文治堂書店
   1961(昭和36)年10月31日
初出:「新文學」
   1948(昭和23)年6月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2012年2月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード