垂水

神西清




 二十年ほども昔のこと、垂水の山寄りの、一めんの松林に蔽はれた谷あひを占める五泉家の別荘が、幾年このかた絶えて見せなかつた静かなさざめきを立ててゐた。その夏浅いころ、別荘の古びた冠木門を、定紋つきの自動車に運ばれて来た二人の人物が、くぐつて姿を消したのである。その日ののち、通りかかる里の人々の目は、崩れかけた築地のひまから、松林の奥に久方ぶりの燭火の幽かにまたたくのを見た。
 丁度その年の秋の末に、五泉家のごく身近かには、一つの婚姻がかねての約束どほり果されようとしてゐた。では、立ち返つたさざめきは、直接それに因るものであつたらうか。いや、決して。婚姻がこの別荘に与へようとしてゐた影響は、余所目にうつるそれほどに単純なものではなかつた。仰々しい心根の人なら、たやすく苦痛の呻きをあげたに相違ない不図した過失からの責苦が、其処の住み手を捉へてゐたのであつた。ただ、糸のもつれは、慎みを無邪気な第二の天性にまで押しすすめてゐる此の別荘の人々の心の奥に宿つたため、そのままに破れ築地の内側に埋もれてしまひ、今も昔も変りない世の人心を喜ばせるための、公然とした取沙汰にならなかつたまでである。これには勿論、もう一つの理由として、二十年を溯つた頃のまだまだ物静かな時代の相も、一応は考へに入れる必要があらうけれども。……
 五泉男爵夫人李子は、厚母伯爵家の出であつた。彼女は十八歳で輿入こしいれしてこのかた九年のあひだ、まだ一人の子もなかつた。それは一に彼女の病弱に帰せられてゐた。のみならず、彼女がその故に暗々の裡に五泉家の京都の本宅を遠ざけられる事になつた一種の乱倫も、たとひそれが形影けいえい相伴あいともなはぬもので、実際は寧ろ男爵自身の乱行の反映と見た方が正しかつたにせよ、やはり幾分は彼女の病弱のせゐにしていいやうに考へられる。事実、病弱こそは、静養に名を借りたこの追放のための公けの理由ではなかつたのか。……まだ、あらゆる事物の平俗化が充分でなかつた一時代前の貴族社会には、病弱を唯一の理由として、恐らく永遠性をさへ帯びた別居へと、その嫁を追ひやつた五泉家の後室のやうな毅然たる無慈悲さは、よく見受けられたものである。つまりは、世に堪へる気魄きはくである。
 かうして、久しい間見棄てられてゐた五泉家の垂水の別荘は、朽ち傾いた昔ながらの冠木門を開いて、この年若い男爵夫人を迎へ入れることになつたが、移り住んだのは彼女一人ではなく、曾根至と呼ばれる青年が同じ自動車の踏段を踏んで姿を現した。至は五泉家にとつて遠い姻戚に当る、今は死に絶えた或る一族の遺子であつた。彼は幼い頃から五泉家に引取られて成長したのであつたし、また彼が、厚母伯爵家の当主である喬彦の妹麻子と殆ど生れ落ちるとからの許嫁の間柄であり、この厚母兄弟が当時須磨寺の里に住んでゐたことが併せて、彼の同行を極めて自然なものにしたのであつた。そのうへ、十九歳の夏を迎へた厚母麻子と彼との結婚の日取までが、二人の知らぬ遠い昔に何人かの手に依つて定められてゐて、前にも言つたやうにもうその秋に迫つてゐた。
 曾根至が垂水に移ることになつたについても、五泉家の後室の密やかな下心の動きを探ることが出来る。彼はこの家に引取られて人となつたものの、その受けた待遇は一種奇妙なものであつた。手早に言へば、彼は或る敬遠のさびしさを味ひながら成長したのである。何がその原因なのか、一時代前のことは彼自身も知らぬ。それにせよ、表面にあらはれた瑣事さじに徴しても、尊重されてゐるのは彼自身ではなく、その偶然に生を享けた「家系」の形骸であるのを察するには足りた。このやうな生れながらの差別けじめが、或る時には彼の胸に加へられる抑圧となり、或る時には鳩尾の辺りを撫でさする取澄した柔媚じゅうびひつらひとなつた。彼は次第にこの待遇に慣れて行つた。と言ふのは、彼の心のうちに、貴族社会の冷やかなほど筋目正しい秩序に育てられて、顕貴ときめき――特にそれが装ふあらゆる何気ない幸福の表情の根に横はる一種の密かな特権に向けて、彼の侮蔑と野心とが冥々の裡に芽生え、極く自然な生長を遂げて行つたといふほどの意味である。侮蔑によつてそそられながら、彼の欲望はかなり強いものになつてゐた。その為、数年まへ同志社に入学した春ごろ、初めて公然と厚母麻子との婚約関係を後室から告げ聴かされたときにも、彼はほとんど何の不満も満足も感じはしなかつた。総てが当然とも言へぬ、取るに足らぬことに思はれた。彼の死んだ家系が一人の伯爵家の娘に値するなら、彼自らの力で購へるものは果して何であらうか。この想像の中に、彼のあらゆるひがみもおごりも、またいらだたしさもが発してゐる。曾根至はこの登攀とうはんについての告知を、そ知らぬ顔で目をつむつて聞いた。……何故なら彼にあつて一つの登攀は、反抗によつて蒼ざめた彼の前額にさらに一抹の蒼白を加へる、新たな取留めのない欲望の誕生であつたから。
 ……かうした約束の錯綜の姿に、読者は定めし或る煩はしさを感じられるに違ひない。けれどどうぞ、此等の人物の性格の底に、暗い術策のやうなものは何も期待しないで戴きたいものである。そしてもし、そのやうな影がほの見えることがあつたとしても、それはひとへに私の筆のたどたどしさに帰して戴きたい。何故なら、この物語の人物たちは、自らの性格の複雑さに何の煩ひも感じない人達であつたから。――むしろ複雑さこそは、彼等をわざとらしさから救ふのであつた。つまり彼等は、あらゆる陰謀の不自由さを苦にするどころか、その生れながらの優しい気品なり気位なりに依つて、却つてそれを人の世のなだらかな流れと観ずる人達であつた。この伝統的な美質のお蔭で、彼等の心はいつも春のやうにおつとりしてゐた。

 李子夫人が至を伴つて垂水の別荘の主となつたのは、六月も半ば過ぎたころであつた。その年は空梅雨で、早目に澄みかへつた夏空の藍が、はげしい炎暑を約束してゐた。その日から二た月が過ぎた。それにつれて曾根家と厚母伯爵家の婚姻の日は近づいた。けれど彼等には相変らずの安穏な日々が続いてゐるらしく見えた。もともと、婚姻とは彼等にとつてただ厳かな儀式、いはば何者かの意志によつて定められたその日を果たす、と言ふだけのことに過ぎなかつた。固より彼等がそんな不躾な考へを口にのぼせる人達でなかつたことは言ふまでもないが、またそれだけに、婚姻といふ想像に何の期待も何の不安も感ぜぬ、殆ど徹底した冷たい心の持主であつたのは事実である。垂水の家で、また須磨寺の家で、至と麻子とは屡ゝしばしば顔を合せた。昔、厚母の家がまだ二条にあつたころ、幼い二人はよく法要や誕生祝ひの席で隣合せに坐つたものであつた。いま至は、彼女のにはかに大人びた姿を見て、内心におどろくのであつた。麻子の方では、至が少しも変つてゐないのを発見するのであつた。しかしその場には必ず李子か、さもなければ喬彦が列なつてゐたので、近い未来の夫婦があらかじめ想思の間柄になるやうな機会は決して来なかつた。いや寧ろ、そのやうな機会を避けてゐたのは李子でも喬彦でもなく、かへつて当事者の二人の方であつたらう。
 二人が特別な間柄を意識して対座するのは、その夏がはじめてであつたけれども、といつて彼等の表情に、何かとりたてて目新らしい感情の動きが見られたのでもなかつた。至が肉づいた肩先を揺すつて鷹揚な笑ひを波だたせると、麻子もやがて同じく鷹揚な微笑を眼許に湛へてそれに対へた。二人の羞恥は主に、自分が不図して相手より先に衿持きょうじを失ひはしまいかといふ心遣ひの方に向けられてゐた。……このやうな安穏な日々に、至の心が傾いて行つた先はと言へば、それはむしろ李子夫人の方へであつた。
 彼は厚母麻子に対するとき、同族としての態度に少しのひけ目も感ぜずに居られたが、李子に対しては、これまで彼が五泉家で受けてゐた待遇のさせる業でもあらうか、何とはなしに自分が一段低い族の生れのやうな気がしてならなかつた。この内心の差別けじめが生れ出る根に横たはる秘密へと向けられた興味と渇望とは、彼の裡に次第に強くなりまさつた。李子夫人の方では決して、至にさうした蔑みを懐いてゐたわけではない。夫人が生れつき持つてゐた平安な無関心さはしかし、至の焦慮しょうりょを消極的に鞭うつのであつた。
 或る日のこと、長い炎暑の一日の終りを告げるものの十分余りの通り雨が馳せ過ぎたあとで、至は自分の居間に充てられた離れの縁に籐椅子を持ち出して、暮れ残る空の明るさに心を吸ひとられてゐた。この離れの間は、母屋とは長い渡殿で結ばれて、四囲に迫る丈の高い松樹の影に囲まれてゐた。南に面して月見草の咲く僅かな芝生があり、その尽きるあたりの丘のうへには、四阿が夕空の青を吸ひとつて黒ずんで見えた。名残の点滴が、時たま松蔭の柔かな土にかすかな音を立てては滲み入つた。ふと至は、四阿を抜けて白い浴衣姿の李子夫人が丘を下りるのを見た。夫人は、黄色い花の間の夕闇を縫つて近づいて来る。彼女をこんな光線の中に見出すのは、至には初めてであつた。夫人の姿に何か珍らしい美が匂つてゐるやうに思はれて、彼はひそかに籐椅子をきしませて、その方を見やつた。
「何を御覧になつて?」と、芝生の中頃から李子は気置きのない声で尋ねかけた、「また何かむづかしい考へごとでも遊ばして?」
 彼女の声に至は思ひ構へぬ羞恥に打たれてたじろいだ。彼が眸をやつてゐた先は、夫人の姿のうへではなかつたのか。それも何かしら新しい意味を籠めて。……それと同時に彼は見出すのであつた、夫人がこれ迄見たことのない簡素な引つつめ髪に結つてゐることを。自分を捉へてゐた新しい感情は、ただその髪の与へた印象に依るものに過ぎないことに自分を説き伏せながら、彼はわれにもなく言つた。――
「お髪が変つたので別の方かと思ひました。随分お若く見えたので。」
 夫人はそれには微笑で答へながら、団扇の音を立てた。軒端の夕闇に新しい湯の香が漂つて、その匂ひが不図彼に、或る無念な想像を起させるのであつた。五泉家の長い間の風習として、彼のお湯の順番はいつも夫人のあとであつた。彼女は垂水の別荘に移つてからも、この風習を棄てなかつた。それは恐らく、彼女のおつとりした生れつきでは気附かぬ事柄だつたに違ひない。このやうな些細な順序が、成長した青年の心に蔑みを感じさせひがみ心を抱かせることには。けれど今、至を波だたせたのは、夫人の身の廻りに漂ふ湯の香が、彼に依然とした無念さを呼び醒しながら、しかもそのしおからい気持の裏には、或るほのかなよろこびを否み得ぬわれとわが心の姿についてであつた。彼は自らに問うた、――これは蔑みにれた心であらうか、それとも美に負けた心であらうか。……
「お先きに」と夫人が思ひ出したやうに言ひ継いだ、「すこしお加減がぬるいので、いま燃させて差上げましたわ。もう少しお待ちになつて。……まあ大変な蚊! 蚊遣りをお焚きになつては。」
 至が蚊遣りに火を入れてゐるあひだ、夫人は軒端に佇んで、珍らしく京都の話をはじめた。五泉家の古びた邸は草深い御室にあつた。手紙でも来て、その日は久し振りで京都が彼女の心を占めてゐたのであらう。男爵は暫く比叡山に参籠さんろうしてゐるといふ話であつた。
「だんだんお爺さんになつて、お寺籠りがよく似合ふやうになつて……」と夫人は幽かな非難を漂はせながら笑つた。それは、過ぎた日の事とはまだ言へぬ、良人の素行に向けられたものに違ひなかつた。至が言つた。
「お爺さんのお配偶つれあいなら、お婆さまではありませんか。そろそろさういふお心掛けになられたら?……」
「ま、至様のお口のお悪いこと。いつの間にそんなことお覚え遊ばして?」夫人は若やいだ笑声を立ててふと口籠つたが、それなり歌ふやうに言ひ棄てた、「あのひとはお爺さん、けれど私は若者!」
 一瞬、稚なさが不自然に揺れたやうであつた。それも直ぐ、これといふあらはれもなしに消えた。
 やがて夫人が至にお湯をすすめて、再び月見草の丘をのぼつて行つたあとでも、至は大分長いあひだ籐椅子を動かなかつた。彼にはこの夕暮ほど、夫人の姿が近しく思はれたことがなかつた。彼は夫人の秘密に、遂に一足を近づいたのを感じた。しかしこのやうな心の距離の変化はごく陰微なものであつたので、李子に覚られるわけがなかつた。不思議な眼のさとさで、それを間もなく見破つたのは、却つて須磨寺にゐる厚母喬彦であつた。とはいへ、彼の持つこのやうな眼光は、よし妹への肉身の愛の深さのなす作用を考へに入れるにせよ、余りに敏すぎはしまいか。
 確かに、喬彦の心がそれほどに敏い嗅覚を具へてゐたのは、嫉妬のさせる業にほかならなかつた。彼の貴族の子としての早熟さは、まだ中学の生徒だつた頃に早くも、父伯爵の手文庫の底から、家系に関する一つの秘事を探り出させてゐた。それは一通の古びた手紙であつたが、それにると、自分より二歳の年長でしかない叔母の李子は、実は叔母でも何でもないのであつた。それのみか、古手紙から朧ろに察せられる所によれば、彼女の出生は祖父の不図した不行跡にさへ、少くも直接には依るものでなく、全く縁もゆかりもない京都の或る賤しい陶物師の娘でしかなかつた。それが父伯爵の実妹として登籍とうせきされた事情に至つては、稚い喬彦の理解の外にあつた。とまれ、美しい叔母は赤の他人であつた! しかも賤しい家の出ではないか。この無邪気な忿懣ふんまんが、やがて成長して危険な年齢を迎へた喬彦の心のなかで、或る卑しい欲望に変形して行つたのは言ふまでもない。その日ごろ彼が李子に注いでゐた眸を、もし今思ひ出すなら、彼自身ですら自己嫌悪に陥らずには居られまいと思はれる。彼はその欲望を達する手段として、手文庫の秘事を利用しようとさへした。けれどその時には、恐らく父の死の前後に焼却されたのでもあらうか、例の手紙はどこにも発見されなかつた。……
 かうして、喬彦の恋は満たされないままに残つた。暗い炎は殆ど消え失せたもののやうに見えた。それがいま数年を隔てて、李子が垂水に移つて互ひの生活が間近になるにつれ、ふたたび穂をもたげたのであつた。喬彦が李子の美をふたたび発見することになつたのは、曾根至の瞳をとほしてである。彼は李子を直接に見るときには、憎悪と蔑みをしか感じなかつた。けれど至の眼の奥に、日毎に色を変へながら昂まつてゆく感情のほのめきを見てとる時、喬彦の心を激しい嫉妬がさいなむのであつた。そして彼の嫉妬は、眠りかけた昔の恋を不思議な形に変へて呼びさました。
 夏山に蝉の音の満ちるころ、麻子の新しい衣裳の柄選みの相談役に、李子は須磨寺の家に招かれた。帰りは夜になつて、喬彦が送つて来た。鉄道線路を越して坂道を垂水の別荘に近づいたとき、喬彦はふと傍の松原のなかへ躍るやうに踏込んだ。止つてはまた二三間ほど粗々しく走つた。その思ひがけぬ動作に、李子は立ちどまつて闇をすかした。余程遠くへ行つたらうと思つた彼の姿は、そのあたりひとしほ闇の色濃く見える老樹の幹に靠れて、思ひがけぬ近さにあつた。
「どうなすつて、喬さん」李子の声に心やすい哀願がにじんだ、「犬でもゐて?」
「いや、何でもない。ちよつと思ひ出したことが……」はげしく、制するやうに彼が答へた。彼もまた、何かに怯えてゐるやうであつた。
 喬彦は燐寸をすつた。赤い火光ほめきが、彼の秀でた鼻のあたりをくつきりと隈どつた。火は投げ棄てられてからも、暫く蘗の中で燃えて、やがて尽きた。風がわたつて、五色山の底しれぬ松籟しょうらいが四囲を揺すつた。夜道に慣れぬ李子の心に、その松山の影までが曾て見たこともないほど巨大なものに思はれた。彼女は大揺れに揺れる闇の影響で、自分も自分たちもだんだん悪者に似て来るのを感じた。二人とも黙つてゐた。風が通り過ぎて、四囲がもとのすがすがしい静もりに返つた中に、ふと喬彦の笑声が洞ろに響いた。
「いやな喬さん――」李子は喬彦の笑ひの余韻を急いで拭きとらうとするかのやうに言つた、
「さ、もう行きませう。遅くなりますよ。」
 彼がやうやく松原を出て来たのは、それから三分ほどもたつた後であつた。李子は並んで歩きはじめた彼の顔をのぞき込み、蟀谷に太い青筋の浮き出てゐるのを見た。これは彼女もよく知つてゐる、甥の時たまの激しい癇癖かんぺきの発作の徴しであつた。して見れば、彼が松原にかくれたのは、何か只事でない昂奮を抑へるためなのである。だが、何なのだらうか? 甥をいつまでも子供と信じてゐた李子にとつて、それが喬彦の負けじ魂によつて辛うじて抑圧された情欲の発作であらうなどとは、もとより思ひも及ばなかつた。

 しかし、喬彦がその夜くぐり抜けたと自ら信じた危機は、それで終つてはゐなかつた。そしてこの内心の闘ひがやうやく彼の心のらちを越えて立ち現れたとき、それは情欲の上に蔑みと憎悪とが勝利を占めた形に於いてであつた。……かうして、李子は或る晩、甥からの初めての手紙を受けとつたのである。
 手紙の文字は、正しい筆遣ひにもかかはらず、それでは蔽ひかくせぬ乱れの跡をとどめてゐた。読みすすむにつれ、夫人の眼はきらきらして、美しい唇が引きつるやうに歪むのであつた。喬彦は昔の手文庫の秘密について書いてよこしたのである。だがその文面は、李子の出をあばいてこれを罰するのではなしに、却つて自分が子供のときに犯した秘事の告白であるかのやうに見えた。寧ろそれは、彼が望んだやうに厚母家の名誉にかけた威嚇ではなしに、厚母一族の不純さの懺悔としか見えなかつた。喬彦は一たい何に目が暗んで、これほどのことを見境すら附かなくなつたのであらう? それとも、彼はこの手紙を手引にして、何かを彼女にねだらうと企らんでゐるのか知ら。五泉家にうとまれ、荒れ果てた別荘へ追ひやられてゐる現在の彼女から。……とまれ、李子がこの不可解な手紙を読み終へたときに得たのは、ひろびろとした呼吸感であつた。今まで厚母家の一人として、知らず識らず背負つてゐた虚飾の枷が解け去るのであつた。この手紙に遠廻しに語られてゐる遠い昔の事柄がもし本当なら、彼女は逆に喬彦の名誉にかけて彼を威すことが出来るのではないか。つまり、手紙が彼女に宣告したのは、敗北ではなくて、思ひがけなく手に入つた優越なのではないか。
 彼女は機械的にペンを取上げた。けれど次第に落着きを取戻すとともにその考へを振り棄てて、ペン皿のうへで甥の手紙に火を点じた。手紙が幾層かの醜く反り返つた灰になるのを見澄したのち、彼女は床にはいつた。間もなく不思議なほどに深い眠りが彼女を捉へてゐた。
 その真夜中、李子は何かするどい物音を耳にして目をさました。高い動悸が打ち、神経は一時に研ぎすましたやうに冴えわたつた。息ぐるしい闇の中に、いま眠りと現実の境で耳にした物音は、枕許の書机のうへで手紙の灰が、冷えはじめた夜半の空気に誘はれ立てた、微かな干割れの音に過ぎなかつた。それと知つたあとでも、彼女はしとねのなかに半身を起したまま、凝然ぎょうぜんとその滅びた紙片の残響に聴き耳を立ててゐた。
 彼女は床を離れた。そして枕頭の紙燭に火を入れると、冷たい水を飲むために湯殿に隣る洗面所へと、よろめくやうに歩いて行つた。夏の夜の蒸暑さが、やがて暁の清冷に代らうとしてゐた。とはいへ、戸外の闇のまだまだ重く色濃い中で、油蝉の啼く声がしきりだつた。冷たいコップの触感を唇の上に感じたとき、彼女の智がはじめて目をさまし、李子はやつと自分のあらはな情感の姿をさとるのであつた。李子は自分の手を見た。彼女はよろめいたのだ。今となつては何もかももう遅すぎた。燃殻の干割れは、彼女の耳に怖ろしい復讐を囁いたのではなかつたのか。紙燭を取り上げたとき、すでに彼女の指は汚れてゐたのではなかつたのか。窓の曇硝子をとほして、彼女は戸外の闇の重さをはかつた。
 いま李子夫人のやうな性格を、例へば五泉家の後室のそれに比較して見るのは、興味深いことである。後室の性格を、謂はば開花期に於ける貴族精神を代表するものとするなら、李子夫人のそれは没落期の一典型とは考へられまいか。それは世間一般に考へられてゐるやうに、享けた血の純不純に依るものではない。実際後室にしてもが、その生家の血統を検べつくして見て、其処に一筋の汚れの跡もないと誰が断言するだらうか。それのみか、貴族階級を流れる血が最も汚れたものでないと誰が断言するだらうか。後室に一生を毅然とした挙止で貫かせたのは、そしてあらゆる悖徳はいとくを清浄にさへ変貌させる大きな意志の力を揮はせたのは、血のさせる業ではなかつた。それは、あらゆる平俗化を防ぎとめる戦ひへと貴族階級を招いた、あの後天的な伝統の環の強さに依るものだつた。言ひ換へるなら、伝統が血統を圧し伏せてゐたのである。これに反して李子夫人の場合は、時代の流れにつれて朽ちかけてゐた伝統が、もろくも血統にその席を譲つたのであつた。自分の生れの秘密を知つた瞬間、彼女はすでに血の蛇身に誘はれて、快い闇に転落して行つたのだ。
 李子は熱した唇をつよく拭いた。それは冷水の刺戟によつて一しほ鮮紅に燃え立つやうであつた。彼女はわななく指に紙燭を取りあげた。やがて灯影が彼女の寝間とは反対側に折れて、離れへ導く渡殿を仄々と渡つて行くのが見えた。彼女の秘めた足どりは安らかな夢の敷物を踏むやうに。……

 二た月の夜と日が流れた。垂水の別荘にも須磨寺の家にも、余所目には何の変りも見えなかつた。結婚の日の迫るにつれて人々の往き来は[#「往き来は」は底本では「住き来は」]繁くなつて行つたが、別に幸福の色が濃くなりまさつたといふわけでもない。そして、定めの日取りを違へずに曾根家と厚母家の結婚披露が、神戸の或る古めかしいホテルで催された。
 李子と喬彦の席は斜めに向ひ合つてゐたけれど、松に蘭をあしらつた大きな水盤に遮られて、お互ひの顔は見えなかつた。正面の至の席と李子の間には何の遮るものもなかつた。その空間を至の方から、するどいながら清らかな視線が絶え間なく流れた。李子は、この結婚の席でほとんど半年ぶりの対面をした良人の、取りつくろつた会話につつましく応へながら、時をり眼をあげて遥かな至の眸に酬いるのであつた。やがて乾杯のとき、はじめて松と蘭の上に喬彦の蒼白な顔があらはれた。しかし彼の気むづかしげな眼は、李子を避けて合ふことがなかつた。





底本:「雪の宿り 神西清小説セレクション」港の人
   2008(平成20)年10月5日初版第1刷発行
底本の親本:「神西清全集 第二巻」文治堂書店
   1962(昭和37)年6月21日
初出:「セルパン」
   1933(昭和8)年3月号
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2012年1月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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