さらわれた兄よ

――残された妹の歌――

槇本楠郎




まるで野中の鶏小舎を襲う野犬のように
奴等は一言も吠えず踏込んで来た
寝ていた兄はガバとはね起き
突嗟に雨戸を押倒して奴等を踏みつけた
けれど奴等は一人ではなかった
すぐ躍りかかる奴があった
兄は組み敷かれた
兄は引っ立てられた
奴等は遂に兄をかっぱらって行ってしまったのだ
それは今朝の五時頃だった

うす明りの今
藁屋根に下る牙のような氷柱は
しずかにとけて唇を指ではじくような
しめっぽいやわらかい音を立てている
踏みにじられた貧しい住居は
古蒲団に泥靴の痕を残し
兄の寝床は藻抜けのまま冷え冷えとさらされている

わたしはただ一人だ
ひつの飯は柘榴ざくろの実のように凍り
湯をかけても喉をこさない
しずかに天井を鼠が走り
茶碗の湯気が頬を撫でる
妾はくやしさで胸が一ぱいだ

何故「兄弟」に呼びかけることが悪いのか?
何故わたしたちが自分たちのをつくり
を守ることが悪いのか?

兄よ
さらわれて行った兄よ
あなたの後へはすぐ続く者がある筈だ
あなたをこぼれ種子に捨て置く筈がどうしてありましょう
どうかお心丈夫に
わたしたちも今にこのしかえしはして見せる
奴等を迎え討つ!
それはわたしたちの力の充実した時果たされるのです
わたしたちはの力を充満させよう
そしてわたしたちは必ずあなたを取返す
今に、きっと今に!
(『戦旗』一九三〇年三月臨時増刊号に発表)





底本:「日本プロレタリア文学集・39 プロレタリア詩集(二)」新日本出版社
   1987(昭和62)年6月30日初版
底本の親本:「戦旗」全日本無産者芸術連盟本部
   1930(昭和5)年3月臨時増刊号
初出:「戦旗」全日本無産者芸術連盟本部
   1930(昭和5)年3月臨時増刊号
入力:坂本真一
校正:雪森
2014年6月12日作成
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