時男さんのこと

土田耕平




 時男さん――それは私の幼な友だちの名まへです。年は三つ違ひで、私が尋常科三年生の時、時男さんは六年生でありました。だから、お友だちといふよりも、まあ兄さんのやうなものでした。
 私は、父と母と三人暮しで、町はづれの借家に住んでゐました。そこから、父は町のお役所へ、毎日通つてゐました。時男さんの家は、私の家から三軒目の隣でした。私が三年生になつたばかりの頃、時男さんは、外からそこへ移つて来たのであります。時男さんの家は、私と同じやうにちちははと三人暮しで、そのお母さんといふ人は、いつ見ても大そうきれいな身なりをしてゐました。それは時男さんにとつては、ほんとのお母さんでない、といふことを、時男さんがたが隣へ移つて来た時、私は母から聞きました。
 時男さんは、移つて来た次の日から、私と同じ学校へ通ひました。けれども、二人は組が違ひましたし、学校のかへりも私の方がいつも早くありましたので、一緒になることは滅多めつたにありません。朝起きて、庭さきで顔を洗ひながら、時男さんの家の方を見ると、竹箒たけばうきで外を掃いてゐる時男さんの姿が見えることがあります。そんな時は、互に顔を見合せて、ニツコリします。けれどたゞそれだけのことで、始めのうちは二人は別に親しい仲ではありませんでした。
 時男さんと友だちになつたいとぐちは、ほんの一寸したことです。何でも土曜日のことで、雨あがりの道が、大そうぬかつてゐました。学校から家へ帰る途中、少しの間田圃たんぼの中の道を通るのでありますが、私はそこで、下駄の鼻緒を切つてしまひました。つれはないし、どうしたらよいだらうかと、しばらくたたずんでゐました。すると、そこへ時男さんが来ました。やはり学校がへりで(その日は土曜日だから、かへり時間が同じだつたのです)かばんを肩にかけて何か小声で唱歌をうたひながらやつて来ましたが、私を見て、
「緒が切れたの?」
と云ひました。私がうなづきますと、
「一寸待つてゐな。」
と云つて、時男さんは、じぶんの腰につけてゐた手拭の端を引き裂いて、私の前へかゞみました。
「肩につかまつてゐな。」
と云ひますので、私は片足を持ちあげて、時男さんの肩によりかかつてゐますと、
「もういゝよ。」
と云ひました。時男さんは、手早く下駄の緒をすげてくれました。私が下駄を履きなほしますと、時男さんは、なぜか顔を赤くして不意に駈け出しました。一度私の方をふりかへつて、それなり駈けて行つてしまひました。
 私は家へかへつて、時男さんから下駄の鼻緒をすげてもらつたことを、母に話しますと、
「それはよかつたね。今度行き逢つたら、遊びにいらつしやいつてお云ひよ。」
と母は云ひました。
 昼御飯をしまふと、私は門口へ出て、何か待ち心で時男さんの家の方を見てゐました。しばらくたつと、くゞり戸があいて出て来たのは時男さんでした。風呂敷包ふろしきづつみをさげて、どこかへ、使ひに行くらしく、私の家の前を通りかゝりましたが、私を見て、
「もうあれきり、緒は切れなかつた?」
と云ひました。私はうなづいて、
「あの、お母さんがね。時男さんに遊びにおでつて。」
 時男さんは、一寸私の内をのぞくようにして、
「用事に行つて来てから。」
と、風呂敷包をふつて見せて、小走りに行つてしまひました。私はなほ、門口に立つてゐました。やがて間もなく、時男さんは、空手で走つて来ました。
「お寄りな。」と私がいく度も云ひましたが、時男さんは、家の内をちよいと見てゐるだけで、なか/\入らうとしません。家にゐた母が、その時、
「だれなの? オヤ、時男さんですかえ。よくいらつしつたね。」
と云ひましたので、時男さんはやつと、私のあとについて、家へ入りました。そして、母の前へすわつて、ていねいにお辞儀をしました。
 母が、下駄の緒の礼を云ひますと、時男さんは、きまり悪さうに真赤な顔をしました。何か聞かれても、「エヽ」とか「イエ」とか返事するだけで、大そう窮屈さうにして坐つてゐました。
「さあ、お前さん方二人でゆつくり遊びなさい。」と云つて、母は次の間へ立つて行きましたが、お菓子の入つた紙包みを二つ持つて来て、私たち二人の手に渡しました。
「食べない?」と私が云つても、時男さんはお菓子の包みを手にしたまゝ、黙つてゐます。いく度も云ふと、時男さんは立ちあがつて玄関の方へ出て行かうとしますので、
「どこへ行くの?」と聞きますと、
「お母さんに見せて来る。」と云ひました。
 それを聞いて、私の母が、
「まあ時男さん、もつと大事なものなら、お母さんにお見せになつた方がいゝけれど、そんなお菓子など、こゝでおあがりになればいいのよ。」
と云ひますと、時男さんは、また坐りなほして、はじめてお菓子の包みをひらきました。
 時男さんがかへつてから、母は、
「時男さんは、お母さんが違ふから、それであんなに遠慮深いのだね。」
とひとり言のやうに言ひました。その時私には、母の云うたことばの意味がよく分りませんでしたが、たゞ何となく時男さんが可哀さうだ、と思ひました。
 晩になつて、役所からかへつた父に、今日時男さんが遊びに来た、と話しますと、父は、
「さうかえ。」
と云ひました。私の父は無口の人で、何を云つても、「さうかえ」といふ返事より外したことのない人です。けれど私は、そのことばの調子で、父が機嫌きげんがいゝのか悪いのか、いつも聞きわけることができました。私が時男さんと友達になつたことを、父は喜んだのでありました。

 それから時男さんは、毎日のやうに私の家へ遊びに来ました。いつ来ても、時男さんは、母にていねいにお辞儀をして行儀よく坐つてゐました。けれども、始めて来た時のやうに窮屈さうではありませんでした。うちとけていろ/\のことを、私とも話し母とも話すやうになりました。時男さんのほんとのお母さんは、時男さんが生れると間もなく亡くなつたこと、今のお母さんは東京の人だといふことなど、私は時男さんの口から聞きました。
 時男さんが遊びに来た時、私たち二人は、裏の縁がはへ腰をかけて、一しよに唱歌をうたふことがよくありました。時男さんは、空をながめながら、不意にこんなことを云ひます。
「こゝから太陽までいく里あるか、君知つてゐるかい?」
 私が「知らない」といふと、時男さんは、何万何千何百里あるのだよと、大へんこまかい数を云つて聞かせました。また、
「ジヤンヌダルクといふ人を知つてゐるかい。」などゝ云ふこともありました。
 私はその時、時男さんは年が上だからいろ/\知つてゐるのだ、と思つてゐましたが、後になつて考へて見ると、時男さんは年よりもませたかしこい子であつたのです。ある日、私の家では母が留守で、時男さんと二人きりでゐた時のこと、時男さんは、こんなことを云ひました。
「君はお父さんとお母さんと、どつちが好きだい。」
「分らない。」と私が云ふと、時男さんは、しばらく何か考へてゐて、
「お母さんの方が好きだらう。」
と云ふのです。私が黙つてゐると、
「ねえ、お母さんの方が好きだらう。」
とまた云ひました。私は何の気もなく、
「あゝ。」と軽く答へますと、時男さんは、
「さうだ、僕の思つたとほりだ。」
と云つて、ニコ/\と笑ひましたが、その顔つきが何だか悲しさうに、私には見えました。
 私は、時男さんのお母さんといふ人が、なぜかきらひでした。うつくしい身なりで、うつくしい顔の人でしたが、どういふわけか、そのうつくしいのが、かへつていやな気持がしました。もつとも私は、時男さんの家へ遊びに行つたことは、一度もありませんでした。「遊びに行きたい。」と母に云つたら、「まあ。行かない方がいゝよ。」と云はれましたので、もうそれきり行かうとも思ひませんでした。
 私の母は、時男さんを大そう可愛がりました。よそから何かめづらしい貰ひものでもあると、
「時男さんが来た時に一しよにあげようね。」と云つて、しまつておくことがありました。時男さんが来ると、母は羽織のえりをなほしてやつたり、着物のほころびを縫つてやつたり、私の兄弟かなぞのやうにやさしくしました。時男さんは、ぢきに顔を赤くするくせがあつて、私の母から何かしてもらふたびに、真赤になりました。そんな時私は、時男さんが大そう可愛らしく思はれました。じぶんより年上ではありましたけれど。
 私の父は、夜でなくては家にゐませんので、家で時男さんと一しよになることはさういく度もありませんでした。(時男さんは夜は決して遊びに出ませんので。)けれども、時男さんのことを、よく口にしました。夕御飯の時なぞ、
「時男さんは今日も来たかな。」
と私に聞きますので、私が時男さんのことをいろ/\話しますと、父は、機嫌のよい調子で、
「さうかえ。」と云ひました。

 ある日曜日のこと、時男さんが来て、
「君、けふはほらへ遊びに行かないか。」
と云ひました。洞といふのは、町から一里あまり離れた山のふもとにありました。洞穴の入口は一つだけれど、中へ入るといくつにも分れてゐて、うつかり入らうものなら、それきり出て来ることができない、と云はれてゐました。私は、むろん行きたいと思ひましたが、
「お母さんにしかられやしない?」
と聞きますと、
「けふはお母さんは留守だよ。お父さんに云つて来た。」
といふ返事でした。
 私はこれまで、外へあそびに行く時には、きつと時男さんを誘ふのでしたが、時男さんはいつも「お母さんに叱られるから。」と云つてかぶりをふりました。その日に限つて、時男さんの方から誘ひに来ましたので、大へんうれしくありました。母に云ふと、母はさつそく許してくれましたが、只一言、
「洞の中へお入りでないよ。」
と云ひました。
 軽い藁草履わらざうりをはいて、お弁当を用意して、昼近い時分に二人は出かけました。町をはづれると田圃道たんぼみちで、それから桑畑の中を通つて、細い一すぢの道が山の方へ向つてゐます。秋の収穫とりいれもすんだ後で、野には人の姿も見えず、大そうしづかでした。道の中ほどまで来た時、時男さんは、
「僕はね、けふ洞へ入つて見るんだ。」
と云つて、ふところから、蝋燭らふそくとマツチと、白い木綿糸をからげた糸巻を出しました。私はびつくりして時男さんの顔を見ますと、時男さんはうれしさうにニコ/\してゐました。母のことばにそむいて、洞へ入らうなどと、時男さんに似合はないやうな気がして少し変でしたが、しかし、時男さんのすることだから悪いことではあるまい、と私はおなかの中ですぐ賛成してしまひました。
 洞の入口のところで、二人は石に腰かけて、お弁当を食べました。そのあたりは、草が茫々と立ち枯れてゐて、田も畑もない荒地でした。私は父につれられて、前に二三度来たことがありますので、別に珍らしい心地もしませんでしたが、洞へ入らうといふ時男さんのことばに、胸ををどらせてゐました。
 お弁当を食べてしまふと、時男さんは、蝋燭へ火をともしました。それから、糸巻の糸をほどいて、その端を枯草の根へゆはひつけました。さうして、糸をひきのばしながら、洞の中へ入らうといふのです。私は、道の途中で、時男さんから糸巻と蝋燭を見せられた時、蝋燭の使ひみちはすぐ分りましたが、糸巻の方は何にするのか分りませんでした。今時男さんのすることを見て、私はなるほどと感心しました。かうして洞へ入れば、出る時に道を迷ふしんぱいはありません。
 時男さんは、私の方をふりむいて、
「君も入らない?」
と云ひました。時男さんが入るなら、私もむろん入るつもりでゐましたから、私は黙つて時男さんのあとに従ひました。
 しばらくのうちは、洞の外から来る明りが強いので、蝋燭の光はそれに押されてゐましたが、一足々々進むにしたがつて、蝋燭の光の方が強くなつて、洞の土壁にゆらゆらとうつるやうになりました。二人は糸をたぐりながらしづかに/\足をはこんで行きました。
 洞の高さは、私たちの背丈の倍ほどありましたから、歩くのは自由でしたが、岩のしづくがポツン/\と落ちて来てそれがたまに襟首えりくびへかゝります。私は思はず、
「冷たい!」
と云ひますと、その声があたりへこだまして、気味わるくひびきました。
 やがて洞が二道に分れるところへ来ました。時男さんは、しばらく立ちどまつてゐましたが、右の方の道をえらびました。私は黙つてあとへついて行きました。やがて又別れ道へ来ました。こんどは左へと入りました。それからなほ幾つも分れ道がありました。時男さんは、ずん/\奥へ入つて行きます。洞の入口から、もうどの位来たのか、分らなくなりました。上から落ちてくるしづくはだん/\はげしくなりました。
「時男さん、かへらうよ。」
と私は云ひました。時男さんは、足をとめました。と、その時、時男さんの持つてゐた蝋燭が消えてしまひました。
「どうしたの?」
と聞くと、
「水がかゝつた。」と云ひました。あたりは真暗闇まつくらやみになつてしまつて、何も見えません。私は手をのばして、時男さんの肩にさはりました。
「マツチは?」と聞くと、
「どこかへ落した。」と力のない返事でした。
 そのうちに、時男さんは身をかゞめて、何かしきりと手探りをはじめた様子です。マツチをさがすのだらうと思つてゐますと、やがて、
「糸がない。」といふのです。泣き出さうとするのを、やつとこらへてゐるやうな声でした。私は暗闇くらやみの中で、時男さんの手から糸巻を受けとつて、さはつて見ると、なるほど糸のはしが切れてゐます。
 私は何の心もなく、そこへかゞんで、地べたへ指のさきをつけますと、何かほそいものがさはりました。つまみあげて見ると糸でした。
「時男さん、あつたよ。」
と云ひますと、時男さんは、手さぐりに私の手から糸のはしを受けとつて、
「あゝよかつた。」と云ひました。闇の中だけれど、私は、時男さんのニツコリする顔が見えるやうに思ひました。
 それから二人は、一すぢの糸をたより/\して、洞の口へ戻ることができましたが、入る時にくらべて、十倍も時間をかけました。時男さんは、目に一ぱい涙をためてゐました。私の手をとつて、「洞へ入つたこと、君のお母さんに云つてはいけないよ。」と云ふのでした。私は、うなづきました。その後、私は、洞に入つたことは、母ばかりでなく、誰にも話しませんでした。

 つぎの年の春、尋常科を卒業すると、時男さんは、遠いところの町へ、店奉公に行くことになりました。
「時男さんは利口な子だのに、中学校へ行かれなくて可哀さうだよ。」
と母は言ひました。時男さんは、毎日のやうに使ひに行く姿ばかり見えて、あまり私の家へ遊びに来なくなりました。
 時男さんが出立の日、私は停車場へ行つて見ました。大勢人がごたついてゐる待合室の隅の方に、時男さんは、お父さんのそばに立つてゐました。時男さんのお父さんは、いつ見ても青い顔をしてゐる人でしたが、その日は殊に青ざめて見えました。時男さんのお母さんも来てゐました。ふだんよりも一そう美しい身なりをして誰かよその人とにこ/\笑ひながら話をしてゐました。私はいやな気持がしてなりませんでした。
 時男さんは、時々私の方を見ては赤い顔をしました。私は時男さんのそばへ行きたいが、行つてはわるいやうな気がして、遠くから見てゐました。
 間もなく、汽車は、時男さんを乗せて行つてしまひました。私は、ひとり道をかへりながら、涙が流れてたまりませんでした。母に見られると、きまり悪いと思つて、まはり道をして、夕方になつて家へかへつて見ますと、
「時男さんは、もう行つたかえ。」
と云ふ母の日に、涙が浮んでゐましたので、私はとう/\、ほんとに泣いてしまひました。晩の御飯の時、私は父に向つてけふ時男さんが行つてしまつたことを話しますと、父はいつものやうに、
「さうかえ。」と云つたきりでしたが、その時、父の心がさびしくてゐることを、私ははつきり感じました。

 その後、時男さんはりつぱな商人になりました。私は今でも手紙のやり取りをしてゐます。





底本:「日本児童文学大系 第九巻」ほるぷ出版
   1977(昭和52)年11月20日初刷発行
底本の親本:「鹿の眼」古今書院
   1924(大正13)年10月
初出:「童話」コドモ社
   1924(大正13)年5月
※表題は底本では、「時男ときをさんのこと」となっています。
入力:川山隆
校正:noriko saito
2013年11月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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