まだ、ごく御幼少の時、皇子さまは、多勢の家来たちと、御一しよに、吉野川の上流、なつみの川岸へ、
川岸には、大きな岩があつて、その上に、松の木が一本、枝ぶり美しく、生えてゐました。
寛成の皇子さまは、それが大へん、お気に入つたとみえ、おそばにゐた、
「帰るとき、あの岩と松とを、御所のお庭へ、持つて行つて下さい。陛下に献上したいから。」と、仰せになりました。
岩といつても、大きな岩で、どれだけの重さだか、わかりません。けれども、まだお小い、皇子さまのことですから、鷹狩を、御覧になつてゐるうちに、その岩のことは、お忘れになられるだらう、と、思ひましたので、中将は、
「よろしうございます、帰りには、きつと、持つてまゐりませう。」と、
やがて、鷹狩もすんで、みんな、御所の方へ、お帰りになりました。
途中で寛成の皇子さまは、
「あ、あの岩を、忘れて来たではないか。」と、申されました。すると、そばに居た、
「あの岩は、なかなか、重うございますから、
「まだ。あの岩と松は、持つて来ないのか。」との、お尋ねでございました。中将も、困りましたので、
「岩のことは、忠行の侍従に、よく言ひつけて置きましたから、おきき下さいまし。」と、申し上げますと、皇子さまは、
「では、すぐ忠行に、ここへ来いと言つて下さい。」と、申されました。で、致方なしに、忠行を呼んでまゐりますと、
「あの岩は、どうした。早く持つて来ないか。岩には、松が生えてゐた
「あの岩は、民部大輔が、あとから、持つてまゐつた筈でございます。
「あれだけ中将に、よくよく言ひつけて置いたのに、どうして、早く持つてまゐらぬのか。」と、申されて、悲しさうに、うなだれてゐられますので、中将から、
「それは面白い、その岩を、是非見たいものだ。民部大輔は、日本一の力もちだから、きつと、持つてきたに相違ない。早く
「皇子さまが、是非、あの岩と松とを、ほしいと仰せられるが、どうしたらば、よいだらうか。」と、相談いたしました。
民部大輔も、よわつてしまつて、しばらく、考へ込んでゐましたが、
「よろしい、よいことを、考へつきました。かういたしませう。」と、言つて、御所のお庭にあつた、小い小い岩に、松の小枝をしばりつけて、中将と二人で、さも重さうに、よいしよ、よいしよと、掛声をして、それを、皇子さまの前に持つて来て、
「川にあつたのは、もつと大きな岩だつた。こんな、ちつぽけな岩ではなかつた。」と、申されました。すると、民部大輔は、
「あの大きな岩が、こんなに小く、なつてしまつたのでございます。」と、
「どうして、そんなに、小さくなつたのか。そのわけを、おはなし。」と、皇子さまは、小いお
「あの川岸にありました、大きな岩を、私が両手に力をこめて、うんと担ぎ上げ、
「うん、あの山と山との間は、狭いから、岩が引つかかつたかも知れない。それからどうしたのだ。」
「はい。此の民部大輔、非常に困つてゐますと、
「その、大輔を
「それは、あの、
「山伏は、どんなことをしたか。」
皇子さまは、だんだん、お話が面白くなつて来ましたので、
「
皇子さまは、にこにこお笑ひになつて、
「岩は小くなつたか。」と、申されました。
「はい、岩はだんだん、小くなりまして、たうとう、こんなになつてしまひました。そこで、
民部大輔の話を、黙つてお聞きになつてゐました、天皇さまも、忠行侍従も、河野中将も、みんな感心してしまひました。ところが皇子さまは、可愛いお目目を見はつて、
「では、しかたがない。しかし、そんな偉い山伏に、会つてみたいものだ。早く行つて、呼び返して来て下さい。」と、申されました。それを聞いた大輔は、さも残念さうな、顔つきをして、
「
「残念なことをした。
まだ五歳か六歳の、御幼少なころでしたが、お賢い寛成の皇子さまは、何もかも、よく御承知だつたのです。そして、こんな奇抜なことを、おつしやつたのでございました。
この寛成の皇子さまが、御成長の後に、御即位なされて、長慶天皇さまに、おなりになつたのでございます。