福翁自伝

〔慶應義塾の社中にては〕

石河幹明




 慶應義塾の社中にては、西洋の学者に往々みずから伝記を記すの例あるをもって、兼てより福澤先生自伝の著述を希望して、親しくこれを勧めたるものありしかども、先生の平生はなはだ多忙にして執筆の閑を得ずそのままに経過したりしに、一昨年の秋、る外国人のもとめに応じて維新前後の実歴談を述べたる折、と思い立ち、幼時より老後に至る経歴の概略を速記者に口授して筆記せしめ、みずから校正を加え、福翁自伝と題して、昨年七月より本年二月までの時事新報に掲載したり。本来この筆記は単に記憶に存したる事実を思い出ずるまゝに語りしものなれば、あたかも一場の談話にして、もとより事の詳細をくしたるにあらず。れば先生のかんがえにては、新聞紙上に掲載を終りたる後、らにみずから筆をとりてその遺漏いろうを補い、又後人の参考のめにとて、幕政の当時親しく見聞したる事実にり、我国開国の次第より幕末外交の始末を記述して別に一編とし、自伝の後に付するの計画にして、すでにその腹案も成りたりしに、昨年九月中、にわかに大患にかかりてその事を果すを得ず。誠に遺憾なれども、今後先生の病いよ/\全癒の上は、兼ての腹案を筆記せしめて世におおやけにし、以て今日の遺憾を償うことあるべし。

明治三十二年六月
時事新報社 石河幹明いしかわみきあき 記





底本:「福澤諭吉著作集 第12巻 福翁自伝 福澤全集緒言」慶應義塾大学出版会
   2003(平成15)年11月17日初版第1刷発行
底本の親本:「福翁自傳」時事新報社
   1899(明治32)年6月15日発行
初出:「福翁自傳」時事新報社
   1899(明治32)年6月15日発行
※〔〕付きの副題は、作品の冒頭をとって、ファイル作成時に加えたものです。
※底本の編者による語注は省略しました。
入力:田中哲郎
校正:りゅうぞう
2017年4月3日作成
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