誘拐者

山下利三郎




        上 悪魔の手

 綿布問屋新田善兵衛にったぜんべえの娘ゆき子は公会堂からの帰途かえりみち何者かに誘拐されてしまった、当夜伴をして一緒に行った女中の話によると同夜××夫人の演奏会が済んで公会堂を出た主従は電車に乗って家近くの停留場で降りた、家の方へ曲ろうとするとゆき子は弟の善太郎ぜんたろうたべさせる菓子を女中に買いにやった、女中は菓子を買い求めて前の所に来て見ると、主人の姿がなかったので待たずに帰ったのかと思って、戸を開け離座敷のゆき子のへやへ行ったが帰って居ない、善兵衛に聞くとまだ帰らないという、店の若い人達も娘の姿を見たものがない、女中は怪訝けげんな顔をして、引返し停留場附近を探し求めたが、更に判らないので律気な彼女は半泣の体で帰って来て、善兵衛にくと告げた、善兵衛も驚いて心当りへ電話で聞合せたり、居合す店員を指揮して知辺しるべを尋ねたが皆手をむなしく帰って来たのである。
 其うち善兵衛が娘の部屋を調べると、机の抽出から戦慄せんりつすべき脅迫状が現れた。白の封筒に白い書簡箋レターペーパーの意味が書かれてあった。
今迄数回の通告に応諾の意を表さなかった貴女あなたは当然制裁を甘受せねばなりません、明夜十時三十分を期してひそかに、戸外へ出て一丁東の四辻まで来て下さい、この命令に従うことが、貴女及び貴女の家にとって、最も安全な得策で万一、不注意、反抗等から秘密の漏洩ろうえいや命令不履行の際は必然降るべき復讐の手が如何に惨虐苛酷であるかは覚悟してもらわねばならぬ。
音羽組

 兇悪なる毒手が紙背に潜むが如き、凄い文句であった、善兵衛は各若い者に自身も混って、停車場や郊外電車起点へ見張をしたが、何のかいもなく何れも夜が明けてから悄然しょうぜんと引上て来た、然るに朝になって悪魔はあざける如く又も新田一家を愚弄した、それは配達された一通の郵便で、粗悪な封筒と巻紙に墨痕踊るが如く
昨夜以来御心痛奉拝察候はいさつたてまつりそうろう、御令嬢はつつがなく我輩の掌中に在之候これありそうらえば慮外ながら、御放念相成度万一御希望なれば、金一万五千円○○山麓記念碑うち稚松わかまつの根方へ御埋没あり次第御帰還の取計可仕とりはからいつかまつるべく、最も安全なるべき警察力を利用せらるるは、貴家にとりて却て怖るべき禍根と相なるべく慎重なる御熟考を勧むる所以ゆえんに御座候。敬具
音羽組
と毒づいてあったので、剛毅な善兵衛も色を失った、消印を見ると三十マイルばかり隔た□□市から速達便で郵送されたことが判った。
 善兵衛は警察の手を借ることに躊躇ちゅうちょした、それは兇漢の復讐を怖れるよりも、事件の公表されることをはばかったのである。ゆき子は十日程前に当市の市参事会員橋本はしもと氏の紹介で、現在勅選議員で羽振の利く森本庄右衛門もりもとしょうえもんの次男から結婚の申込を受けた、善兵衛からゆき子の意嚮いこうを聞くと、一週間ほど考えさせてくれとのことで、やっ一昨日おととい内諾の意を父に伝えた、善兵衛は大に歓んだ、初め新田の方に差支があれば何程かの持参金附で養子にやってもよいと先方からの申條もうしじょうに大変乗気で、此良縁こそ逃すまいと力を入れて、明日にも橋本氏へ承諾の回答を送るべき矢先であった。
 春日かすがが電話に接して、助手兼秘書の渡邊わたなべ同伴つれて新田家を見舞ったのは第二の脅迫状の着いた間もなくで主人は二人を客間に通して、つぶさに昨夜以来の出来事を語り、証拠の書状二通をも渡して見せた、春日は渡邊に顛末てんまつをすべて速記させ、尚手紙も詳細に調べたがそれは、預って懐中ポケットへ収めた。
「どうでしょう、万一娘にきずでもつけられるようなことになると困りますから、至急□□市へ出張して調べて貰えませんか」
「それよりお嬢様のお部屋を調査させて貰いましょう、誰れか朝から、そこを掃除するか出入した方がありますか」
いや昨夜私が鏡台と、机の抽出を探したほかに未だ誰も這入ません」
 椽側から廊下伝いに、離座敷の階下ゆき子の部屋へ導かれた、整然きっちり片附られた座敷の正面床の脇に、淋しく立掛られてある琴が、在らぬ主のおもかげを哀れにしのばせた、春日は中央まんなかでじっと四辺あたりを見廻して後、箪笥たんすの抽出を下の方から順に抜て錠を一つ一つ入念に調べた、それを差し終って、地袋を開くと中に新刊らしい書籍が薄暗の中から金文字を輝かしている。横には、菓子器と歌留多かるたの箱があったので叮嚀に何れも蓋を取て中をしらべ、やがてもとのようにすると、押入を開けて本箱の中から数冊の書籍や前年度の日記を撰り出して精密に調べ始めた、其間そのあいだに渡邊は、此家の見取図を書くべく命ぜられて鉛筆を忙しく走らせる。
 善兵衛は不平らしく手持無沙汰ぶさたに控えた、娘の一身安危の場合に杖とも頼む春日が、機敏に□□市へ急行してれると思いの外、愚にもつかぬ方を調べているのに業を煮し、早やその手腕をさえ疑い、眼に軽侮の色を浮べて、せわしく咳払せきばらいをしはじめた、春日はそんなことに頓着せず押入の隅から、火気のない火鉢を障子の際まで持出し、頻りに灰を掻廻し何やら紙を出して包んだ、そして更に机や手文庫を逐一調べて腑に落ちないか、チェッと舌撃したうちをしたが、突如いきなりしゃがむと机の下から座蒲団と共に、皺になった新しい手巾ハンカチーフを引摺出した、飽かず眺めてちょっと鼻にいで満足らしいえみを漏した。善兵衛は莫迦莫迦ばかばかしいと云ったふうに、顔を外向そむけてしまった、こんどは渡邊の描いた見取図を受取て、
「フーム、Fの字見たいな建方だな、この離れが一番上の横線に該当するね、中庭を隔てて御主人の居間と向合うて二階が弟さんの御部屋か……」こう呟いて沓脱くつぬぎの駒下駄を履くと、グルッと庭を廻って座敷の裏手へ出た、そこは納屋と空地があり、忍返しのついた黒板塀で囲われてある、足許に注意しながら春日は塀の隙間すきまから覗いた、外は小路を隔てて向側は他家よその塀で、通行は稀らしい。
 眼を離すとき左手の丸木柱と塀との間に、六寸程の竹片たけぎれが挟んであるのを見附て、指を差込だが春日の指に比べて隙間が少し狭かった、漸く取出してみると、尖端さきに泥がかわき着いていた、足許に気がつくと柱の根元三寸程の所塀に密接して、新しく土を埋めたらしく柔らかくなっている竹片を紙にくるんで懐中ポケットへ入れると台所の方へ歩いていった。
 たすきがけせわしく働いていた下女は二人とも、春日の姿を見ると叮嚀にお辞儀をした、その一人の方へ近づくと優しく、
「貴方でしたか昨夜ゆうべお嬢様のお伴をなすったのは……飛んだ御心配ですね、お忙しいのに気の毒ですが少しお尋ねします、昨夜最初ここへ帰ったときは何時でしたか」
「十時三十五分には少し前でした」
「裏の納屋の方は誰れがいつもお掃除をせられますか」
「毎朝お嬢様が運動だと仰有ってお掃きなさいますので、わたし達はあそこの掃除をしたことはございません」
「お嬢様のお召物を買うのはいつも主に何処です、それから当家の墓地は何処ですか」
「横町の大村屋おおむらやで御座います、お墓は○△寺です」
「よく気のつく愉快な方であったと思いますが、前は気難しい沈だ方ではなかったですか」
「よく御存じですこと、この春までは仰言るとおり陰気なお方で、お変りになったのには妾も不思議に思っているので御座いますよ」
「よく判りました、有がとう御邪魔しましたね」
 会釈えしゃくして春日はもとの客間へ還った、善兵衛は苦り切って居た。併しまだ少し既往について直聴して置く必要があった。
「この度の結婚の話の外に以前に何処からか、申込がありましたか」
「エエありましたとも沢山ありました、この前のは東京に開業して居る年とった医者が、四月頃来て田舎の甥に嫁が欲しい、少々の財産もあって両親ふたおやには早く別れて兄弟二人きりだとかで、本人は文学士だと云ってましたがこれは余り話にも、気乗がしなかったので謝絶ことわりしました」
 春日は更に一年間の、家庭用領収簿の閲覧を要求した、善兵衛は忌々し気に立上り帳簿を取って来て見せたが、春日の悠々として迫らず一頁毎に眼を通してゆく態度に、堪え忍んだ肝癪かんしゃくを破裂させた、顔を蒼くしてうめくようにいった。
「止めてもらいましょうッ、娘が疵物になるかならぬか危急の際ですぞ、貴方は他人じゃから痛痒を感ぜぬか知らぬが、頼まれた上は何故□□へ行って下さらん、愚図々々詰らんことを調べて何になりますかっ、あんまりな仕打ですぞ」
 春日は呆れたように相手の顔を見上げ、
「□□へ行く必要があるんですか?」
「必要があるか? 娘は今現在□□で悪い奴の、手で苦しめられて逃げることも出来ずに、泣いて居るのですぜ、もう貴方には頼まん、初めから警察へ持てゆかなんだがわしの手落じゃ、警察へ頼みます、帰って下さい」
「そうです、そうすれば貴方の名誉と信用と、それから御希望を砕いてしまうのに一番早道ですね、まあそう怒るものじゃありません。大体御依頼がなくとも此事件は調査しなければならないのです、居所だけでも報告して上げましょう」
「余計なお世話だ、どうせろくなことが判るものか、何一つ頼みませんぞ、若僧に何が出来るかッ」
「そうですか、では御随意に、つのめようとして牛を殺さないように」
「ナニ何ですと」
「イヤお邪魔でしたね渡邊君帰ろう、左様なら」
 善兵衛は激怒のあまり、証拠の書類を取戻すことさえ忘れていた。

        下 最後の訪問

 新田家を辞した春日は、電車通りまでゆくと渡邊には役場へ戸籍と名寄帳なよせちょうを写しに行くよう命じておいて、自分は市内でも一流の文房具や帳簿等を売る店を訪ねて、余り急ぎもせずに事務所へ帰った、暫くすると自転車から降りたらしい若者が慌しく這入てきて、自分は新田の店員だが主人の命で、証拠の書類を返して貰いにきた、と告げたから春日は笑いながら返してやると、そそくさと走り去った。
 兎角とかくする内に渡邊が帰って、筆写書類を見せた、戸籍を見るとゆき子の母は家附の娘で前夫も入夫ようしであったが、十八年前死亡し、それから一年ほどしてから、今の善兵衛が入家した後、長男の善太郎が生れたので、母はゆき子が十七歳、善太郎が十一歳の年に病死した、ゆき子は数え年二十二歳としてあった。
 ゆき子名義の宅地五筆合計千七百五十坪はそれぞれ設定がしてあった。
「成程八十五円平均か、まあそんなものだろう」
と判らないことを呟いたが、気をかえて簡単に食事をすませると、渡邊をれてうららかな秋の街を散歩でもするような足どりで歩き出した、二人は漸次だんだん郊外の方へ近よると、其所そこには黒ずんだ○△寺の山門が見えた、春日は石畳の道を切れて爪先登りの墓地へ入り込んだ、累々たる墓碑の中から目的のを見出すにも、さほど暇はかからなかった。
 境内を出てから四五町行くと、フト右手に新しい世帯道具を商う店があった、去り気なく近寄って所狭き迄列べられた種々な道具に眼をつけて、小首をひねって居たが、格別気に入た品もないらしく手に取ても見ない、店では主人が品物を置換に忙がしそうである、春日は店頭みせさきを離れてふと顔を上げて標札をふりかえって眺めながら歩むうち、足元の荷車に衝当つきあたりかけて、ヒョイと飛退いて不審そうに、その荷車を打守った、渡邊は今朝から少からず悩まされた、馴れてはいるが今日の春日は大分変である、何の目的で歩いて居るのやら、機に臨んで要領を得ないような挙動ようすをやられるので始終ハラハラした心持でついてゆくのであった。
 又四五町行った頃四辻へ出たが、今まで黙々と考え乍ら歩んでいた春日は急に晴やかな顔をすると、懐中ポケットを探って煙草に火を点けて、勢いよく角家かどの「貸家老舗しにせ案内社」と染抜いた暖簾のれんを潜った、そして特別料金を払って、仔細に一枚々々綴込帳を調べた上二十分も経ってから、
「お女将かみ、こちらの赤線あかすじで消した分は、いつ頃約束済になったのです」
「エー……それは一週間程になりますねえ」
「ではこちらの方は?」
「それは一昨日お手打が済みました」
 春日は自ら手帳を出しこれを写して、そこを出ると懐中ポケットから時計を覗かせて、ちょっと眺めると、突如いきなりどしどし急速に歩き出したので、渡邊は呆れて眼を円くしながら、後れじと跡をわねばならなかった、十分間もこんな状態が続くと、春日は△△中学校と門標のある中へサッサと這入り、名刺を出して校長に面会を求め、少時しばらく何か話していたがやがて生徒名簿を借受けて、拡げ出した、或一頁を読耽よみふけっているから、渡邊が速記簿を出そうとすると、春日は黙って、首を振って静かに名簿を閉じると同時に、放課のりんを小使が振った。
 門を出ると春日は渡邊を顧みて、
「サアもう一軒訪問したら今日はおしまいだぜ」
 渡邊は苦笑しながら、
「今朝の事件に関係があるんですか」
「まアそうだね」
「随分複雑してるじゃありませんか」
「なアに平凡さ、新田の爺さんは可愛想に運を掴み損なって居るんだね」
 道はやや通行人が少くなって、店舗みせやは稀にしかない住宅区域の、郊外に近いところまで来た、と見ると新築間もない小締こじんまりした家の格子を、腹掛をした帳場の親方らしいのが雑巾がけをして、中では未だ片附かぬらしい物音が聞える、新しい標札をチラと見た春日は帽子を取て、
「御免下さい」
 と案内を乞うた。玄関の障子を静に開けて丸髷の初々した二十二三の美人が、しとやかにお辞儀をした。
中岡なかおかさんがお在宅いでなら一寸御面会願いたいですね」
 名刺を差出すとどうぞ暫くと、云い残して二階へあがって行くと入違いに快活な三十歳位の男が降りて来て磊落らいらく語調ちょうし
「サア上って下さい、移転ひっこし早々で取乱して居ますが、どうぞ二階へ」
「じゃ失敬します」
 渡邊の耳元へ低声こごえ※(「口+耳」、第3水準1-14-94)ささやいておいて、自分独りで二階へあがっていった、軈て低い春日の声に混って、主人あるじの太い声が断片的きれぎれに洩れて聞えてくる。
「……、そう責められると今更弁解がありませんな。アハ……、あれ計りのものを亡くしたからって決して悔てはいませんよ、吾々の幸福なことはまだまだ外にあります、……あれにはあれとして進むべき道がありますからね、ひらいてやりたいと思うのです、……幸福にしてやるために、払う犠牲は惜しいとは思いませんよ……」
 茶を運んできた此家このやの美しい奥様は、耳朶みみたぶを染めながら嬉気に頬笑んだ。

 楽しい新家庭にわかれをつげて、春日と渡邊が事務所へかえったのは、あかりがついてからであった。渡邊は漸く笑ましげに、
「ねエ先生、中岡という家の奥様は、若しや?」
「今判ったのか、ゆき子に違いないのさ、探偵学でも研究するものは、頭を敏活に働かせねばいかんよ、まあ掛け給え、事件の推理方法を説明しよう。
 初めに見たゆき子宛の脅迫状は、書簡箋レターペーパーにインキでかいてあったが、その筆蹟はどうしても筆記ノートを永年やりつけた者か、職業的にペンを使用する人に通有の癖があったから、智識階級の仕事だと睨んだ、これが第一歩だが君は娘の部屋を見たね、鏡台の抽出ひきだしと机を除いて、余り冷たく生帳面きちょうめんに整理されてあったよ、娘の部屋として不似合にね、箪笥は平素錠を下さない癖らしく一番上の、比較的高貴でない品を入た抽出だけ常に錠を掛けてあってそこには既に何等の秘密もかくされてなかった、地袋の中には、汚れやいたかたから観察して新年に一度か二度使用した歌留多があったね、賢い女だが昨年度の日記を葬ってしまわなかったのと、下女に買物させるに菓子を撰んだことは捜査上非常に推理を容易ならしめた、菓子箱には未だ沢山あったよ。
 日記で見ると、年の暮に弟の友達と自分の知人しりびとを新年の歌留多会へ招待することを姉弟して相談した上で客の顔振かおぶれも確定したのだけ記してあったが、僕は善太郎の学友の名を暗記しておいた、彼女かれは義父の圧迫や、空虚な家庭内の淋しき生の悩みなどで神経的な沈鬱な性情に変化していたことは日記や書籍を通じてうかがい知れる、けれども近頃読で居た地袋の新刊書籍ものから測るに、その煩悶を信仰によって救われて居る、その信仰に走った刺戟しげきと機会とを与えたものがあるね、それは、此紙包を見給え、火鉢の中から出てきた燐寸マッチ燃滓もえかすと紙を焼いた灰だ、彼女はたばこのまないぜ、この燃殻もえかすの紙は脅迫状の紙と同質なんだ、机の下から発見した半巾ハンカチーフね、あれには手紙を包んであった皺が瞭然はっきり残って、しかもナフタリンのにおいみこんで居た、箪笥の中にあったものたることは疑われない、然りとすれば脅迫状の主と、娘とが常から通信をやっていたことになるね、不届な郵便屋だ、ここに捕縛して来た、こりゃ君、女学校でつかう手芸用のへらだよ、此奴が裏の塀の根元を掘て手紙を埋めたり掘出したりした奴さ、塀の内外うちそとは夜なら誰にも知れず一仕事やれるからね、脅迫状にも細かく折った筋が残っていたね覚えて居るだろう、
 それで近頃衣類を新しく調こしらえた形跡がなくて、通信用の書簡箋を鑑定するに及んで物資の窮乏を感ぜない、まア資産階級の仕業しごとと判った。君女は吾々と違って洋服一点張りじゃいけないのだ、これから時候は寒さに向って、加之しかのみならず常着ふだんぎからすべてを新調して世帯道具を揃えることは中々容易じゃないよ、
 公然単独ひとりで墓参に行くと、そこには必ず誰か彼女を待って居るものがあった、所謂誘拐される四日前も二人はあった、そして女は降りかかる結婚問題をはなしたのだね、相手は彼女に所有財産の放抛ほうきを勧め決然二人が先んじて結婚して仕舞おうと提議した、墓地を出て淋しい街をよって行くと、そうら道具屋があっただろう、彼所あそこで相手は必要なものを注文し移転の日かその翌日……即ち今日だネ配達するように命じて、出かけにあの標札を見たのだ、それには町名が音羽町おとわちょうと記入してあった、それが潜在意識となってあの脅迫状の署名に不知不識しらずしらずに音羽組なんて茶番をやったのだよ、
 それから相手の気がついたのは、非常手段で娘を奪略しても隠家かくれがに困ることだ、そこで案内社へ随分高い金を掴ませて到頭迅雷的に彼家あのいえを買ってしまったものだ、弟と同じ家に置くのは困るからね、これで案内社へ入った理由わけが判ったね次に、学校へ行ったのは、日記を調べて覚えた、善太郎という弟の学友の名前だ、名簿を見ると、『中岡進二郎しんじろう、保証人実兄中岡徹雄てつお』とのってあったのだ、校長の話では某県下の大地主で両親ふたおやはなく文学士の兄が弟を監督して居るとのことで、もうこれで疑いの余地がなくなったから、最後に直接訪問をした訳だが、なぜあんな脅迫状を贈ったかは事実まったく好奇心から来た悪戯に過ぎないそうで、酷いことをしたものだ、あの人なんか人格、識見を備えて財産と大切な女の心を握て居るから、悪戯ですむが、他のものが真似まねでもすれば大変なことになってしまう、併し善兵衛老人も自業自得だ、娘といって、義理だがその財産を消費した以上うえ公然おもてむきにも出来ない上に大変損な立場にある、だけれども中岡氏も捨ては置くまい今日は僕等も飛だ悪戯をして一日を過ごしたね、
 何ッ、未だ聞きたいのか、アア二度目の脅迫状あんな悪戯なら誰でもやれるよ訳はない、遊びに行って先方で郵送すればいいサ、要求金額はゆき子名義の地所千七百五十坪に対する設定金額と同しだ、どうせ実行しないのは判っているからサ、エッ? 二人が相識あいしったのは歌留多会からだ、双方に理解があったのだ、今度の事件は二人共、道徳上問題だが、二人の中に関して道徳を課するのはどうかね、まア仲介者を入れて中岡氏から善兵衛老人を援助してやって旨く解決するだろう、何しろ、金も力もある色男だからねハゝゝゝゝ」
(一九二二年十二月号)





底本:「「新趣味」傑作選 幻の探偵雑誌7」光文社文庫、光文社
   2001(平成13)年11月20日初版1刷発行
初出:「新趣味」
   1922(大正11)年12月号
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年4月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について