金の
小春日に背中を暖めながら、軽口をたたきたたき、五日市街道の関宿の近くをのそのそと道中をするふたり連れ。ひょろ松と顎十郎。
小金井までの気散じの旅。
ひょろ松は、
ところで、この二十一日は亡父の七回忌で、どうでも法要につかねばならねえという親類一統の
他愛のないことを言いあいながら、いつの間にか三鷹村も過ぎ、小金井の村ざかいの
ひょろ松は、
「あたしの苦手は、田舎の親類と突きだしのところてん。……どうも、お辞儀のしずめで、すっかり肩を凝らしてしまいました」
と、ぐったりしているところへ、襖のそとから、ごめん、と挨拶して入って来たのは、多摩新田金井村の名主、川崎又右衛門。
大和の吉野山から
白髪の、いかにも世話ずきらしい気の好さそうな顔をしているが、なにか心配ごとがあると見え、
ひょろ松は、
「お見うけするところ、いちいち、ためいきまじり。……今夜、わざわざおいでくだすったのは、なにか、この松五郎に頼みでもあってのことではございませんでしたか」
又右衛門は、
「いかにも、その通り。……じつは、一月ほど前から、家内に、なんとも
又右衛門の連れあいは、四年ほど前に
奥むきのことは、お年という気のきいた女中が万事ひとりで取りしきり、表むきは、作平という下男頭が、小作人の束ねから田地の上りの采領まで、なにくれとなく豆々しくやってのけ、立つ波風もなく、一家むつまじく暮らしていたが、この年の春、娘のお小夜が、気にいりのお年をつれて
江戸の生れで、下町で育ったお年という女中は、
お小夜は、
見ると、頭が柘榴を割ったようにはじけ、グズグズになった創口からどろりと血が流れだしてまっ赤に草を染めている。
ふたりは、ひきつけそうになって、這うようにして家まで逃げ帰ったが、その晩からお小夜は大熱、
「あれ、あれ、欄間に蛇が、蛇が……」
ほかのものの眼には見えないが、お小夜にだけはありありと見えるらしく、そこへ来た、あそこへ来た、と部屋じゅうを狂いまわる。
音に高い北見村斎藤伊衛門の
府中、山伏寺、
それではどうすればいいのかとたずねると、覚念坊は、
「この蛇神の執念は、いかにも強く深くござって、いかなる
と、たよりのないことをいう。
せんじ詰めたところは、自分の法力では、一日に一匹だけしか取りのけることが出来ないので、三百三十三匹をぜんぶ取りのけるまで、御病人のいのちが
又右衛門だけは、ゆるされて祈祷の座につらなるが、なるほど、いやちこなもので、法螺貝を吹き立て鈴を鳴らし、おどろに髪を振りみだしながら祈りあげると、不思議や、お小夜の夜具の裾から山棟蛇が這いだして、するすると覚念坊の法衣の袂にはいる。すると、そのあと、ふた刻ばかりは、眼に見えて落着いて、スヤスヤと寝息を立てるのである。
「……それにしても、湯水も満足に咽喉を通らなくなってから、これでもう、一週間。……手足は糸のように痩せ細って、つく息もせつなげな。……今日でやっと六匹だけ取り離したばかりなのに、あの弱り方では、しょせん、末々までは保ちあうまい。……命にもかえがたく思うたったひとりの娘がよしない蛇の呪いなどで、ムザムザ死んで行くかと思うと、わが胸は、今にも破り裂けんかと思うばかり。……こうしていながらも、生きた気もない」
ひょろ松は、苦々しそうな面持で、叔父の話を聞きすましていたが、やり切れないというふうに舌打ちして、
「これは、どうも驚きました。……むかし、手引き
又右衛門は手をふって、
「いや、一概にそうとばかりは言うまいぞ。……痩せても、枯れても
「正眼で?……見たとは、いったい、なにを」
「嘘でもない、まぎれでもない……その
「へへえ」
「それも一度ではない、あとさき、これで三度」
「して、それは、どんなものです」
「信じる信じないは、そなたの勝手だが、今日からちょうど五日前、お小夜の寝ている
顎十郎が、人を小馬鹿にしたようにへらへらと笑い出し、
「なるほど、こいつアいいや、ちゃんと、
ひょろ松、ムッとした顔で顎十郎のほうへ振りかえり、
「因果話めいて、あなたには、さぞおかしいでしょうが、そう、あけはなしにまぜっかえさないもんですよ。欄間で大きな蛇を見たというだけで、べつに、落などついてやしません」
顎十郎は、やあ、と首へ手をやり、
「いや、これは恐縮。……ご
ひょろ松は、いよいよ苦りきって、
「べつに、恍けているなどと思いませんねえ。……ここにいて、聞くな、はおかしいが、まア聞かぬつもりにしていてください」
「そう、とんがるもんじゃない。茶々をいれているわけじゃない、いかにも馬鹿々々しいところがあるから、それで、そう言うんだ」
といって、又右衛門のほうへ向き、
「そら、いま、なんとか言われましたな。……蛇よけ呪文というのを、もう一度きかせていただきたいのだが」
「お望みとあれば、いたします。……『なんぽーゆーちょうちょう、ちゅうゆーけつけつ、ちゅうじゃアじゃアちゅうゆうし』というのでございます」
顎十郎は、大口をあいて笑い出し、
「だから、それがおかしいというんです。……なんぽーゆーちょう、ちょうちゅうゆーけつ……そいつを漢字になおすと、こういうことになる。……『
ひょろ松は、顎十郎のほうへ振りむいて、
「なるほど、これは、気がつかなかった。……いかにもあなたのおっしゃる通り、そんな馬鹿げたことで蛇が消えてなくなるなんてわけはない。すると……」
と言いかけて、又右衛門に、
「金井の叔父。……その蛇よけの呪文というのを、いったい、誰から教わりました」
「さっき言った覚念坊というのが……」
顎十郎は手をうって、
「こいつは、いい、覚念坊というやつは、よっぽど洒落れた坊主だと見えるの。……とんだ
ひょろ松は、釣りこまれてニヤリと笑ったが、すぐ真顔になって、
「そんな
又右衛門は、途方に暮れたような[#「暮れたような」は底本では「暮れたように」]顔つきで、
「なるほど、そう聞けば、いかにももっともだが、しかし……」
ひょろ松は、手でおさえて、
「まア、お聞きなさい。……たぶん、自分で夜具の裾へ蛇を忍びこませておいて、もったいぶって呼びよせるように真似をするぐらいが落ち。こりゃア、ずいぶんありそうな話だ。……それはそうと、ねえ、阿古十郎さん、ありもしないことを、口から出まかせにしゃべくってこっちを
顎十郎は、大真面目にうなずき、
「おれも、さっきから、そこのところを考えているんだ。名主どのを
「それにしても、金色の大蛇なんてえものが、ほんとうにいるものでしょうか」
顎十郎も、さすがに
「箱根からこっちに、そんな気のきいた化物はないことになっているが、しかし、現在、名主どのが見たというのであれば、これは、なんとも軽率なことは言われない」
ひょろ松は、又右衛門のほうへ向きなおって、
「あなた、欄間に大蛇が伝うのを見たてえのは、そりゃア、たしかな話なんでしょうね」
又右衛門は、うるさく首をふって、
「たしかも、たしかも、現在この眼で三度も見ているが」
「それは、いったい、なん刻ごろのことですか」
「最初に見たのが、ちょうど、昼の八ツごろ」
「それで、二度目は?」
「八ツ半ごろ」
「三度目は?」
「やはり、八ツごろ」
「すると、三度とも、八ツから八ツ半までのあいだにごらんになったんですね。……夜はどうです」
「夜は、まるっきり姿を見せぬのじゃて。……まだ、一度も見たことがない」
またしても顎十郎は、へらへらと笑いだし、
「蛇塚の眷族は夜遊びはせぬか。……なるほど、蛇姫の身内だけあって
ひょろ松は、黙念。
菩提寺で年忌をすませると、ひょろ松はその足で柏屋へ迎えにやって来た。
紋服に
「ひょろ松にも衣裳か。こりゃア、見なおしたねえ。そうしていると、……なるほど、村の大旦那。ただ、眼つきの悪いのが玉に瑕だ」
ひょろ松は苦笑して、
「さアさア、馬鹿なことを言っていないで、そろそろ出かけましょう。……近いと言っても田舎道、まごまごしていると、せっかくの女体に行きあわれねえ」
柏屋を出て、水上の長い土手づたい。
金井橋を渡ると、その取っつきに、土塀をめぐらしたゆったりとしたひと構え。
門を入ると、玄関に又右衛門が待ちかねていて、
桃の古木にかこまれた、八畳つづきの奥の部屋に屏風を引きまわして、お小夜が見るかげもないようすで寝床についている。
顔の肉がなくなって骨ばかり、唇だけが妙に前へ飛びだしている。人間の相でない、まるで畜類。
また、狂いまわったばかりのところと見え、長い黒髪をすさまじいばかりに畳の上に散らし、眼尻を釣りあげてジッと三人を
「あれえ、また来た。……もうもう、ゆるしてください、ゆるして、ください……助けてくれえ」
足で夜具を蹴りかえし、畳に両手の指の爪を立てて床の間のほうへ這いずってゆく。見るさえおどろおどろしいばかり。
ひょろ松と顎十郎、さすがに
そのうちに、八ツ……八ツ半……。とうとう九ツになったが、いっこう、なんの異変も起らない。蛇体はおろか、
顎十郎は、
「こいつアいけねえ、こんないい男がふたりもここに這いつくばっているので、女体がはにかんで出て来ねえのだと見える。……それにしても、江戸一の捕物の名人がふたりもこんなところに
と言いすてて、廊下のはしへ曲りこんで行く。
間もなく、むこうのほうで
「これで、さっぱりした、さあ、代ろう」
神妙なことを言いながら、例の欄間のほうに眼をやっていたが、なにを見たのか、とつぜん、おッと低い叫び声をあげた。
ひょろ松が、顔を引きしめてそのほうを眺めると、今までなんのきざしもなかった欄間の上あたりに、クッキリと明るい光がさし、それが陽炎のようにゆらゆらと揺れている。
ふたりは頭を低くして這いつくばって、なにが現れてくるかと待っていたが、帯のようなかたちの光がちらつくだけで、いっこうになにごとも起らないから、そろそろと内部へ這いこんで光り物の正体を調べはじめた。
間もなく、その正体を見とどけた。
ひょろ松は、その朽穴をためつしかめつしていたが、いかにも不審に耐えぬふうで、
「欄間の光は、この穴からさしこむのにちがいないが、しかし、下から照らしあげるお天道さまなどはないのだから、そこから入る光がどうして、あんな上のほうへさすのか納得がゆきません。……そればかりではない、さっきまで、なにもなかったのに、どんなキッカケで急にあんなところを照らしあげるようになったのでしょう。さっきから、なにほど日ざしが移ったというわけでもなし……」
顎十郎は、ふん、ふん、と鼻を鳴らしながら、空うなずきにうなずいていたが、なにを思いついたか、ものも言わずに廊下のほうへ出て行った。
なにをするのだろうと見おくっているうちに、すぐまた戻って来てニヤニヤ笑いながら、
「おい、ひょろ松、欄間のボヤボヤの光がなくなったろう?」
振りかえって見ると、なるほど、今まであった光がなくなって、さっきのように暗くなっている。
「お、なくなりました。いったい、これは、どうしたというんです」
顎十郎は、とほんとした顔で、
「どうも、こうもない。……つまり、これでこの朽穴が、お蛇体の通り道だということがわかったんだ」
「ほほう……。でも、叔父の話では、胴まわり一尺もある大蛇だという話だが、どうしてこんな小さな穴から……」
「そこが、それ、
いつもにもなく、真顔になって、ひょろ松の耳に口をあて、なにか、ひと言二た言ささやくと、いったいどんなことだったのか、ひょろ松が、
「おッ」
と、驚異の叫び声をあげた。
その後、蛇体が欄間を伝うことはなかったが、お小夜の物狂いはいっこうにおさまらない。
日に日に
それから、四日ばかり後のこと。
この村の恒例で、甲州術道五宿の『
芸人というのではなく、なかば好きからの旦那芸で、花見ごろから田植の始まるころまで、調布、府中、
この『写し絵』は、そのころ八王子を中心に、久しいあいだ全盛をきわめたものだった。
桐でつくった頑丈な
横長の、八寸ほどの木の枠に、立ったところ、ころげたところ、起きあがったところと、いろいろな姿態を
そのころでは、これはこの上もない面白い
さて、いよいよ、当日。
又右衛門の家では朝から
広座敷に燭台を出したり、楽屋をこしらえたり、座布団や煙草盆。庭には、いっぱいに筵を敷きつめ、足りないところには縁台を出す。
下男頭の作平が、僕童を追いまわしながら、
「おいおい、ここに筵が足らねえぞ……縁台はこっちじゃあねえだ。むこうだむこうだ」
などと、汗みずくになってやっている。すこし骨細だが、実直そうないい
奥では、接待の麦茶わかし、子供にくばる菓子づつみや
このほうは、女中頭のお年が一生懸命に采配をふるっている。しめりかえったこの屋敷に一時に春がきたよう。だれもかれも、浮き浮きした笑い声をあげて走りまわる。
まだ日も暮れぬうちから、晴着をひっぱった老幼男女が、煮〆の重詰や地酒をさげてくりこんでくる。またたく間に、五十畳の広座敷はもちろん、筵敷の上までぎっしりと詰って、身動きもならない有様。気の早いのは、もう重箱をあけて盃のやりとり。早くやってくらっせえ、などとだみ声をあげている。
顎十郎も誘われて座敷の隅にいる。
そうこうするうちに、短い秋の日はとっぷりと暮れ、星がキラキラと瞬きだす。
さア、もう始まるべえ、と、ざわめき立っているうちに、作平や世話役が座敷の灯を消して歩く。
やがて、正面の幕に写しだされたのが、吉例の『福助』。
わあッ、というどよめきのうちに、楽屋からは写し絵の口上、
「……東西々々、御当所は繁華にまさる御名地と
いよオ、御苦労様。
わッという掛け声のうちに、賑かな
映し幕に、パッと明りがさし、色も鮮かに浮きあがった画面は、上下に松並木の書割、前が街道。と、下手から清姫がなよなよと現れ出てくる。

清姫が、こうこういう美しい旅の僧を見なかったかと訪ねる。飛脚は、あっちへ行ったという。
お次ぎは、旅の僧侶がひとり。夜道で思いがけない美しい女にあったので、幽霊かと思い、あわてて突っ伏して、鐘をたたきながら無闇に念仏を唱える。
画面がかわると、『日高川の場』。
背景は、満々と張った川の流れ。
清姫がよろよろと岸に辿りついて、渡守に、渡してくれと頼むが、船頭は無情にことわる。
清姫は泣いたり恨んだりしていたが、だんだん凄いかおになって、とうとう川に飛びこんで抜手を切るうちに、一度、水底に姿が見えなくなったと思うと、とつぜん、金の鱗をつけた凄じい蛇体になって、激流の中を泳いでゆく。
ここまではいいが、そのあとは、ちょっと意外なことになった。
普通ならば、これから道成寺へ行って、塀を乗りこえて鐘楼に近づく、ということになるのだが、どうしたのか、今晩の『写し絵』は蛇体が日高川を泳ぎわたると、とたんに、どこか、離家の横手のようなところが映り、ひとりの作男ていの男が、そこの
と、場面が変って、座敷の中。十八九の娘が、枕屏風を引きまわして寝ているその欄間の上を、先刻の清姫の蛇体が、すさまじいようすでニョロニョロと這いまわりはじめた。
見物の村の衆は、あっけにとられて口をあいて眺めるうちに、暗闇の庭さきで、あッ、という叫び声がきこえ、つづいてバタバタと門のほうへ走り出したものがある。
むさんに駈けて行って、潜りから外へ飛びだそうとしたが、かねて手はずがしてあったものと見え、門の両側の闇につくばっていた五六人の男がムクムクといっせいに立ち上って、折り重っておさえつけてしまった。
引きおこしてみると、それが、日ごろまめまめしく立働いていた下男頭の作平。
五日市街道のもどり道。
「……それにしても、手洗鉢にうつるお
「だって、そうじゃないか、おれが不浄へ行って帰って来るまでのあいだ、おれはたったひとつだけのことしかしていない。……つまり、手洗鉢の蓋を取って手を洗っただけ。……ところが、今までなかった光が欄間へうつる。……すると、欄間に光がうつったのは、おれが手洗鉢の蓋をとったためだと思うほかはない。……まア、理詰めだな、たいして自慢にもなりはしない」
ひょろ松は、仔細らしくうなずいて、
「なるほど、そういうわけだったのですか。……聞いて見れば、わけのないことだが、あなたが、あたしの耳へ、これは、『写し絵』の仕掛で、欄間へ大蛇をうつすのだぜ、と囁かれたときには、さすがのわたしも、あまりあなたの頭の凄さに、思わずぞっとしましたよ」
顎十郎は、迷惑そうに手をふって、
「いやア、まあ、そう、おだてるな。……それにしても、太いのは、お年という女。……作平をそそのかしたのも、覚念坊をひっぱりこんだのも、みなあいつの才覚だったんだが、あんなしおらしい顔をして蛇を種に主人の娘を責め殺し、蛇姫様のお