芥川比呂志

加藤道夫




 はやいもので、芥川比呂志との交友もそろそろ十五年になる。初めて逢つたのは慶應の豫科の頃だつたが、その頃彼は蒼白い顏をして詩を書いてゐた。中々いい詩で、今だに頭に殘つてゐるのもある。詩語の選擇が極めて綿密で、ヴィジオンも鮮かだつたし、何か非凡な洗練味があつた。アポリネェルやヴァレリィの詩の飜譯もうまいと思つた。それから間もなく紹介されて逢つた時、ペシミスチックな風貌をした痩身の彼が、演劇に對する抱負を語り、更に實踐の情熱を僕に訴へたのには少からず驚いた。實際、當時の彼には芝居の烈しい勞働などとても耐へられさうになかつたからである。さう言ふ弱々しい印象を受けた。當時、芝居の方では學生演劇などで僕の方が一足先に多少經驗濟みだつたが、遊び半分の英語劇などでは滿足出來ない程氣持だけは深入りしてゐたので、早速彼と一緒に小さなグループを作つて本腰に芝居の勉強を始めたわけである。
 今でもさうだが、彼は何をするにも、綿密且つ愼重を極めた。さう言ふ態度にはその頃から僕は敬服してゐた。詩を書く場合なども、十數行の詩篇に一週間も二週間もかけて愼重に推敲する性質だつたから、芝居の演出にも異常な偏執を示し、ひとつの芝居に半年以上も專心したりした。芝居を始めて、彼は當然詩を書くことは止めてしまつた。まるで、人間が變つたやうになつた。風貌なども芝居をやるやうになつてから隨分變化して、初對面の頃の面影などまるでなくなつてしまつた。そのうちに、引込み思案の僕の方が彼にひつぱられるやうな形になつてしまつたことは言ふまでもない。
 僕が芝居に誘はなかつたら、今頃は彼は一流の詩人になつてゐたかも知れない。そんなことを不圖考へると、僕は今でも時々彼に對して何か惡いことでもしたやうな氣持になることがある。それ程、彼は唯ひたすらに、餘りにも立ち初めた道に忠實なのである。
 以來、現在に至るまで、僕も彼とは隨分深刻な仲違ひもしたが、この交友はどうも死ぬまで切れさうにない。戰後一年經つても全然消息不明だつた僕が、突然南海の僻地からひよつこり歸つて來た時、眞先に驅けつけて呉れた彼は僕の顏をみるなりぽろぽろ涙を流して、壁につつ伏して聲をあげて泣いた。今でも喧嘩をすると直ぐそれを思ひ出す。





底本:「加藤道夫全集(全一卷)」新潮社
   1955(昭和30)年9月30日発行
初出:「アトリエ 十月號」
   1952(昭和27)年10月
入力:鈴木厚司
校正:きゅうり
2019年9月27日作成
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