佐藤垢石





 私は、鯰の屈託のない顔を見ると、まことに心がのんびりとするのである。私もあんな顔の持ち主に生まれてくればよかったな、と思うくらいである。
 小さな丸い眼、大きな口、下顎の出た唇、左右に長く伸びた細い髭。あの髭は人間として真似ようもないが、あの顔全体から受ける印象は聖賢の風格を持っている。私の古い友人に中井川浩という茨城県選出の代議士があった。この人物の顔は、実に鯰によく似ている。下顎が出て、口の大きいところ、眼の可愛らしい出来具合。それが彼の顔が赤茶でなく、もし泥青色であったら、先祖は鯰であったかも知れぬと思うほどである。そして中井川は気持ちが素直に、ものにこだわりのない大きな風を持っていた。
 日本では鮎と書いてあゆと読ませるのであるが、中国では鮎という文字は、なまずを指すのである。してみると、鯰という字は日本でこしらえたのかも知れない。なお中国では、※(「魚+夷」、第3水準1-94-41)魚とも書く。
 大和本草には、昔から日本には箱根山から東北には鯰がいないといってある。これは、箱根から西には化け物がいないというのと、好一対をなすものだが、東北地方には鯰がいなかったというのはあてにはならない。ところが魚譜によると、享保十四年九月一日、武州井之頭の池に洪水が起こり、それが氾濫して江戸へ流れ込み、あたりに満ちて大河のようなありさまとなり、人家が流れ人馬の溺死した数は夥しい。
 それからのち、この辺にはじめて鯰を見るようになったというのであるが、享保といえば今から僅か二百二、三十年の昔である。そのころ、鯰が箱根山を越えて関東へやってきたとは思われぬ。大昔から東北地方にも棲んでいたのであろう。
 日本内地では、一尾で一貫五、六百匁に育ったのが、一番大物であろうと思う。ところが、満洲には頗る大物がいる。殊に、満蒙国境のノモンハンに近いホロンバイルの達※[#「口+懶のつくり」、U+210E4、183-9]湖には一尾で十貫目、六、七尺の奴が棲んでいるのであるから驚く。こんなのを鈎にかければ、人間が水のなかへ引き込まれて竜宮行となることは請合いだ。
 わが、琵琶湖にも昔は頗る大物がいたそうである。この大物は、夜になると岡へ出てきて猫を捕らえて食ったという。
 中国の鯰は、頭は水中に置き、尻尾を岡へ出して置く。そこへ野鼠がやってきて、結構なご馳走であるとばかりその尻尾へ噛みつくと、その途端に鯰は尾に跳躍を起こして鼠を水中に引っ張り込み、一口にあんぐりと鼠を頂戴するという。


 鯰は妖怪変化の術を心得ていて、大入道に化けた話は、そちこちにある。中国の鯰は孔子さまをおどかしに行った。捜神記[#「捜神記」は底本では「挿神記」]という化け物のことばかり書いた古い中国の本に、孔子さまがある夜一人で室に引き籠っていると、一人の異様な風体の男が訪ねてきた。見ると身の丈九尺に余る大男で高い冠をかむっている。そして「孔子、貴公なにしちょるか」といって、大声であたりへどなりまわした。そこへ、孔子の弟子の子路がやってきて、師の身辺を脅かすとは怪しからん奴、とばかりその大男を庭へ引き摺りだし、組打ちをはじめ、とうとう子路が勝って大地へ組み伏せ、高手小手に縛りあげてみたところ、こはそもいかにこれ大鰓魚也とあった。つまり、大鯰であったのである。
 鯰の化け方の道化ているところは、陸の狸公に似ているではないか。
 日本の鯰は、鼻下に二本髭を蓄えているだけであるけれど、北満洲の齋々哈爾ちちはるの北を流れる嫩江には、三本髭の鯰がいる。一本は顎の下に長く生えているのである。三本ひげを蓄えた顔は、中国の大人たいじん風貌ふうぼうによく似ている。そして、顔の造作からだの格好に至るまで、日本の鯰に寸分違わぬのであるけれど、実はこれは鯰ではないのである。鱈であるのだ。太古、海中であった北満地方が地殻の変動で岡になったとき、海水と共に外洋へ逃げるのを忘れた鱈は、ついに山の渓流に取り遺されて、北満の淡水に陸封されることになったのである。顔や、からだが同じでも、鱈はやはり鱈で、北海道や樺太の海でとれる鱈と同じに、北満の鱈も鯰に化けたとはいえ、三本髭のまま、先祖の昔を偲んでいる。
 この鯰鱈は、蒲鉾に作ると素敵においしい。私も一昨年、齋々哈爾へ旅したときこの蒲鉾をご馳走になったが、最初はなにを材料にしたものか知れぬほど、舌鼓をうったのである。日本でも、昔から鯰を蒲鉾にこしらえてきた。寛文年間の、高橋板の料理物語のなかにも鯰蒲鉾のことについて書いてあった。
 鯰は、一年中いつでもおいしいのであるが、これから寒さが加わってくると、その味には次第に旨みを加えてくる。最もおいしいのは、そぎ身であろう。殊に、鰻と同じに胴から下方の尻尾に近い間が珍重されるのである。まず三枚におろして、包丁で薄く身をそぎ、それを冷水に浸けて揉み、酢味噌で頂戴すると、その淡白なにものにも比ぶべくもない。
 蒲焼きもよい。脂肪をあまり好まぬ人には鰻の蒲焼きよりもこの方が舌に合うかも知れぬ。頭を去って三枚におろし、それから鍋に醤油、砂糖、味醂を加味してすっぽん煮に作ると、これは婦人や子供に歓迎される。中華料理では煎鮎魚といって、まず鯰の腹を割き、汚物を去り皮を剥ぎ、身を薄く長さ一寸五分ほどに切り、胡麻油四勺、酒六勺、醤油五勺、白湯五勺、葱二本を細長く一寸位に切ったもの、生薑しょうがの刻んだもの二匁を材料とし、まず鍋に油をたぎらせ、鯰の肉を入れて時々箸で裏返し、約三十分間ほど強火で炒り、それから酒やその他の材料を入れて蓋をし、一時間ばかり文火とろびで煮てから碗に入れてだすのであるが、これはひどく手数がかかる。
 鯰は、五、六月の田植え頃に産卵するのである。田圃に田植えの準備がはじまって、苗代水が流れだすと鯰は大きな流れや深い淵から、細流や田のなかへ遡り込み、水藻の葉などに卵を生みつける。卵は一腹に五、六百万粒ほど入っているといわれる。鱈の卵に劣らぬほどの数を持っているのである。鱈の卵が完全に艀化し、完全に幼魚が育ったならば世界の海は三年間に、鱈で一杯になるといわれているが、鯰の卵も完全に一尾残らず艀化し、生育したら日本国中鯰だらけになって、足が辷って歩けないようになるかも知れない。
 だが、鯰の卵はおいしくない。おいしくない点ではさい[#「魚+財のつくり」、U+29D5D、186-10]の卵と淡水魚中の双璧であるといわれている。





底本:「『たぬき汁』以後」つり人ノベルズ、つり人社
   1993(平成5)年8月20日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2006年12月2日作成
2012年11月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「口+懶のつくり」、U+210E4    183-9
「魚+財のつくり」、U+29D5D    186-10


●図書カード