河鱸遡上一考

佐藤垢石





 すずきは八十八夜過ぎると、河に向うそうである。すると、かなり水温の低い頃から遡河をはじめるものと見える。
 五月初旬というと、利根川は雪解水の出盛りである。分流江戸川へこの水が流れ込んで来るのはもちろんであるが当時上流地方に於ける水温は低い時で八度から九度、暖い日で十一度から十二度であるから、下流へ来るに従い次第に温まるにしろ、まだ人間が膝まで入れば、身ぶるいをする位であろう。江戸川口も、銚子口もまだ別れ霜を気遣って、茄子苗を露地へ出すのに、毎日日和ばかりを見て居る頃である。
 東京附近で鱸が向う川は、江戸川、利根本流、荒川及び放水路、水戸の那珂川等幾本もないが、そのうち利根の二川は今申した通り、荒川は利根に比較して割合に雪解水が薄く、量も少いからこれは遡上が早いと見るのが至当である。那珂川は、奥山というものを持たない、即ち水源地方の山嶺が概して低いので、雪解水は毎年三月中には出てしまう。遅い年でも四月半ばまでには山が綺麗になってしまう。だから五月初旬には、湊町の川口附近では水温が十六、七度から、日和の暖かい日には二十度近くに昇ると思う。そして五月初旬から引続き土用頃まで、後からも後からも、鱸の群が川口を遡るのであろうが、水戸附近川口から僅かに三里強しか離れない那珂郡国田村附近に於て、七月の二十日過ぎ、どうしても土用に入らなければ鈎に掛らない。どうした訳だろう。餌が適当でないのだろうか、釣法が下手なのだろうか、それとも釣場の選定を誤って居るのだろうか。
 荒川は赤羽橋附近で、江戸川では松戸附近で六月に入れば鈎を追うが、利根の本流も土用に入らなければ本当の季節とはいえない。
 そうすると、五月初旬から七月中旬過ぎまで三ヶ月近い日柄を、鱸の奴、何処にどうして居るのだろう。水温十二、三度の頃遡上をはじめるが、その頃でも餌を食わないでは居まい。ところが水温が二十四、五度に昇った暑中に入らなければ、人間が提供した餌は食わないというのだから、実にえこじの奴ではある。
 鱸釣専門の遊漁家に、「河の水温と鱸釣について」とでもいう研究を、是非やって頂き度いと思う。


 八月下旬頃利根川に出水があった時、銚子口から六十里上流の前橋附近で投網を打つと、ザラ場でセイゴが入る。秋江戸前で釣れる出来の小鱸より小さい五、六寸位のものである。松濤園裏の酒匂川の川口で七月下旬の上潮で釣れる定来のセイゴと同じ形である。
 前橋附近の人達は、海の魚がここ迄来ようとは思わないから、鰓蓋に髪剃がついて居たり、背鰭に針があったりして、馬鹿に物騒な魚が網に入るものだと驚くのである。
 銚子口から前橋迄、川について遡れば六十里は充分にある。その長い流程を遡って来ても、僅かに五、六寸位に育つのみである。そうすると、彼等鱸の子は余程早い頃に、川口を離れたのであろうと考えられる。
 この小鱸が鈎に掛ったのを見た事が無い。


 或る釣魚雑誌の釣場案内に、東武線羽生付近の利根川で鱸が釣れると書いてあるのを見た。羽生付近の利根川といえば、北岸が上州館林在の川俟で、南岸が羽生である。今夏電車で利根の鉄橋を渡る時、窓からその水面を見て、なるほど茲では釣れるかもしれないと思った。東武線の川俟の鉄橋へは、古河町の渡良瀬川の合流点から五、六里上流である。
 何故その辺でも釣れるかも知れないと思ったかというのは、それからまだ十七、八里上流の前記小鱸が到着する前橋から三、四里下流の群馬県佐波郡芝根村大字下ノ宮地先の利根川で、漁師が、夏の頃、泥鰌を餌にして鰻釣の置釣をやると、時たま大きな鱸が掛って来る、という話を聞いたからである。
 同県同郡同村大字五料と対岸埼玉県本庄町在の八斗島が包む広い河原は利根川と烏川の合流点で、鮎の瀬付場として有名である。茲でも鱸が鈎に掛った。それは十月中旬である。前橋在の新堀の茂さんという漁師が昨年の或夜、鮎の瀬付のコロガシをやって居ると、ゴクンと鈎に掛ったものがある。鮭かも知れないと思う途端に、沖へのして、太い人造を鎧袖一触がいしゅういっしょくという威勢で切って行ってしまった。
 五分もたたないうちに又来た。茂さんは名うての漁師である。今度はやらじと、竿を撓めて一足づつ下流へ下りながら遂に河原へ引き摺り上げて終った。これが七百五十匁。
 鱸は八月末から落ちに向うというに、これはまた十月下旬まで、斯くも上流へ踏み止まって瀬付の鮎を狙い餌とし、さらに錆鮎と共にそろそろと海まで落ち込もうと、予定を立てて居るらしい。
 それより一里半上流の新町付近の烏川でも、投網に時々大鱸が入る。
 茨城県の久慈川ではどの位上流へ鱸が遡るかと調べて見ると、久慈郡の最北端大子町斎藤桃太郎さんの簗へ年に二、三度は落ちるそうである。川口から大子町まで、二十里はある。那珂郡大宮町付近で、鱸の好きな砂底の淵が無くなり、それから上流は玉石底の急流となって終うのである。
 那珂川は、栃木県烏山の上流箒川の合流点付近までは行くらしい。矢張り湊の海門橋から二十里あまりはある。
 して見ると、多摩川も相模川もその年の水量によって、随分上流まで、小鮎やハヤを追って遡上するのであろうが、何とかこれを釣る工夫はあるまいか。


 鱸が小魚や蝦を追い廻す様子を、凝っと眺めて居ると、なかなか興味がある。
 深みに続いた瀞の浅場の汀にかがんで、夏の夕方を涼んで居ると、最初水面をはやの子や、うぐいの子が跳ね上り、空中を弾道を描いて、ピョンピョンピョンと汀へ向って逃げて来る。続いて小蝦が、水面へ半身を出して小刻みに逃げはじめ、遂に水面へ尻尾で立ち、倒れつ立ちつ逃げ出す。それがとても忙しく早い。こうした場合が水上へ描き出された時は、小魚にとっては地獄の鬼以上の大鱸が、夕餉の仕度にとりかかるために、浅場の閾をまたいだところである。小魚は、いよいよ汀へ追い詰められて、逃げ場を失うと、宙へ向って水面から垂直に跳躍する。その時鱸はその直下で、小鉢程もあろうと思う大口を水面あらわに開いて、小魚の落下を待って居る。小魚をキャッチした鱸は、尾で水輪を描いて悠々と深みへ戻って終う。
 未明から暁かけては一層壮観である。未明には瀬頭へ出る。鰓洗の時のような、凄い口を半ば、水面へ現して縦横に暴れ廻る。そして時に尻尾で水を叩いては渦巻を起し、逃げ迷う小魚を追い廻わすさまはまことに見物みものである。陽が出ると瀬の中央へさがり、七時頃になると落合から瀞で一活躍をやるが、何尾もの鱸が一時に瀬頭から瀬の真ん中で騒ぎ廻るのはなかなか賑やかなものである。八時になると、申合せたように深みへ入りひっそりとしてしまう。これを観察するには那珂川では、水戸市上市の千代田橋上手の大きな淵から、上流へ続く長い瀬、さらに五、六町上流の国田の渡船場の瀞から上手の瀬であるが、国田の渡船場付近の方が、千代田橋に比べて川が浅いが、底がいいと見えて魚は濃いようである。
 利根川の本流では埼玉県本庄在八斗島から下流坂東大将付近の瀞の瀬、新地島村地先、群馬県境町地先、世良田村平塚から尾島町前小屋地先、埼玉県熊谷市から群馬県太田町へ通ずる県道に架した妻沼橋の上下等が目抜きの場所であるが、殊に妻沼橋付近は、羽生の鉄橋付近から上流へ僅かに四、五里離れた処であるから、魚は沢山居る。川底は細い砂であるから、お誂へ向である[#「お誂へ向である」はママ]


 水戸付近では那珂川に居る川蝦で釣る。沈床の枠の間に、手長蝦と一緒に遊んで居る、長さ一寸から一寸五分位の川蝦を、二尺ばかりの棒の先へ鶏の白い羽を結びつけたので追い出し、手網へ追い込んで捕るのであるが、二時間もやれば五、六十尾はとれる。
 仕掛は六厘柄のテグス三本、その先端へ鱸鈎の寸二を結びテグスから上は人造テグスの極太二十間、テグスと人造の結び目へ一匁の噛みつぶし錘をつけ、道綸の尖端を長さ七、八尺の延竿へ結びつける。そして瀬から、餌を瀬の真ン中へ流し込んで置いて竿は瀬頭へ深く差し込んで魚に持って行かれないようにして置く。餌は竿先から二十間で流れの水面から三寸乃至五寸下に位置するようになって居る。
 蝦は尻から三節目を腹へ鈎先を通して背へ抜くのであるが、こうすると、十五分から二十分は蝦が水中で泳ぎ廻り、鱸が来ると逃走の姿勢をとる。そこでパクリとやられるのである。瀞をやる時は、噛みつぶし錘を取ってしまう。
 ゴカイや袋イソメの餌は、一度もやって見た事はなかった。もちろん、結構であると思う。涸沼川の平戸橋付近にいくらでもゴカイやイソメを売って居るからやれるのである。舟で二、三度釣って見たが、どうした訳か一度も釣れなかった。
 利根川の羽生、川俟へかけて沈床の中へも田圃の小川にも川蝦が豊富に住んでいる。上流妻沼橋から上にも到る処に沈床があって、いくらも川蝦がいて、餌に不自由する事はない。しかし私は、まだ利根の上流で一度も経験した事がないのであるから、必ずと保証をつける訳にはいかないが、川蝦の尻差しで釣れない事はないと思う。
 それよりどの釣場へも東京から二時間位で到着出来るのだから、袋イソメやゴカイを持って行ったなら、てっきりと思う。
 時間は午後四時頃から手許の見えなくなる迄、朝は未明から八時頃まで、宵から朝にかけてはやった事がない。季節は土用に入った七月二十日過ぎからがいいと思う。
 利根上流に、鱸の新釣場開拓に努力する人の出現を待望して止まないのである。





底本:「垢石釣游記」二見書房
   1977(昭和52)年7月20日初版発行
入力:門田裕志
校正:塚本由紀
2015年5月25日作成
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