早春の山女魚

佐藤垢石




 豊満な肉をおおった青銀色の鱗の底に、正しく並んだ十三個の斑点が薄墨ぼかしの紫を刷いたように、滑らかな肌から泛び出て、その美しさは形容の言葉がない。かがやき透るような円らかな眼、スマートな姿、山女魚は何と清麗な魚であろう。
 三月一日から、山女魚釣の解禁となる。
 釣には、幾十幾百と種類はあろう。しかし山女魚釣ほど興味が深く、淡雅な環境を持つ釣は他にないと言える。もう、その清快な釣技に親しむ季節が眼の前へ迫って来た。
 山女魚は、晩秋から初冬へかけて溪流の砂礫の間に産卵する。そして性の使命を果たし、やつれて、見るかげもなく痩せ細り、肌の色は黝んで肉はやわらかくなり、一種の臭みさえ生れてその当時は釣っても食べられないのである。
 ところが、春の雪がまだらに消えた跡へ物を育む麗かな遅日ちじつあまねくなると、灰色の滑らかな根雪の膚からポタポタと真珠のような露の玉が滴り落ちる。澄み切った溪水の底に蟠踞ばんきょする巌の下に、一冬を越した可憐な山女魚が、この露の集りの雪解水を迎えると急に元気を回復するのである。山の漁師は、このことを山女魚の眼が覚めたと言っている。この季節には山女魚の食慾が盛んになって、円々と肥り、味品まことに珍賞するに足りる。これを雪代山女魚と言う。
 東京から近いところで、よく山女魚の釣れる溪流は、奥多摩川の御岳から上流大河内附近、氷川で多摩川へ注ぐ日原川。拝島村の対岸でこれも多摩川へ注ぐ秋川。横浜水道の水源をなし甲州の南都留から流れ出して沼本で相模川に合する道志川。箱根旧街道の須雲川。仙石原の早川の上流。頼朝の隠れた土肥の大杉附近に源を持つ、湯ヶ原温泉の千歳川と湯河原駅近くで吉浜の海に入る千歳川。伊豆の狩野川の上流である湯ヶ島附近の溪流。少し遠征すれば、駿河の興津川、甲州の富士川の支流である芝川、内房川、佐野川、福士川、波木井川、野呂川など、素晴らしく大きな、艶々として鮮味人の舌端に迫って来る山女魚が棲んでいる。
 奥日光の鬼怒川上流、雄鹿川、湯西川、三依川。上州の赤谷川、薄根川、片品川、浅間山麓六里ヶ原の熊川、応桑川、吾妻川上流など殊の外山女魚の多い溪流であるが、早春はまだ雪が深いので釣人の足を遮っている。釣れはじまるのは、四月の末から五月にかけて山桜の落花が薫風に狂う頃であるから、この方面の山女魚釣はまだまだ遠い話である。
 竿は二間か二間半の軽くて穂先のやわらかなもの。道糸は秋田の撚糸十五本か二十本。錘から上へ二厘柄のテグス一本をつけ、鈎素は一厘柄の磨きテグス四寸五分か五寸でよろしい。鈎は袖形の三分若しくは三分五厘で、錘は一匁の十分の一もあればいい。道糸の途中に移動式に水鳥の白羽を目標につけ、溪流の瀬脇へ振り込むと、スウッと目標が顫えて行く、合せる、掛っているのである。山女魚の餌に当り来たる微妙な振舞は、何と言い現していいだろう。人間の勘が、己れに説明する、とより他に言葉が無い。餌は鰍の卵か、野葡萄の蔓虫。
 塩焼が第一等である。天ぷらもから揚げもよろしい。味噌田楽にすれば一入ひとしおのことである。焼き枯して煮びたしもいいが、釣場の河原に榾火ほたびを焚いて釣ったばかりの山女魚を、熊笹の串にさし、素焼を生醤油で食べれば堪らないのである。胃袋さえ除き去れば、頭も骨も棄てるところはない、舌の先に溶けてしまう。





底本:「垢石釣游記」二見書房
   1977(昭和52)年7月20日初版発行
入力:門田裕志
校正:きゅうり
2023年4月24日作成
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