犬田卯




     一

 中地村長が胃癌という余りありがたくもない病気で亡くなったあと、二年間村長は置かぬという理由で、同村長の生前の功労に報いる意味の金一千円也の香料を村から贈った直後――まだやっとそれから一ヵ月たつかたたないというのに、札つきものの前村長の津本が、再びのこのこと村長の椅子に納まったというのであるから、全くもって、「ひとを馬鹿にするにもほどがある」と村民がいきり立つのも無理はなかった。
 中地はとにかく村長として毒にも薬にもならぬと言った風の、しごく平凡なお人好しで、二期八年間の任期中碌な仕事もしなかった代りに、これぞといって村民に痛い目を見せたこともなかったのである。千円という莫大な香料を貰ったとはいうものの、遺族にとってはおやじが八年間遊んで使った金に比すれば、それは十分の一にも相当しないとこぼした位で、かなりあった土地もおおかた抵当に入ってしまい、あまつさえ医師への払いなどはそのままの状態で。……
 しかるに「瘤」ときては――津本の左の頬には茶碗大のぐりぐりした瘤があるところから、村民は彼を「瘤」「瘤」と呼び、その面前へ出たときでもなければ決して津本という本名では呼ばなかった――実際、中地とは反対に、たった一期間の前の任期中、数千円の大穴をあけたばかりか、特別税戸数割など殆んど倍もかけるようにしてしまったし、それから、農会や信用組合まで喰いかじって半身不随にした揚句、程もあろうに八百円の「慰労金」まで、取って辞めたという存在――いわゆる「札つき者。」
「まったく奴は村のこぶだったよ。いつまでもあんな奴にぶら下られていたんでは、村が痩せてしまうばかりだ。」
 そんなことで、中地が代ったときは、村民はひとまずほっとしたばかりか、
「早くくたばらねえかな、いっそのこと、あいつ。生きていると、村長やらないにせよ、どんなことでまた村がかじられるか知れねえからよ」などと残念がる者もあった位。
 事実、村長はやめても、村農会長、消防組頭、いや、村会へまで出しゃばって、隠然たる存在ではあったのである。
 そういう津本新平は今年六十五歳、家柄ではあるが別に財産はなかった。若い頃、剣が自慢で、竹刀の先に面、胴、小手をくくりつけ、近県を「武者修業」して歩いたり、やがて自分の屋敷へ道場を建てて付近の青年に教えたり、自称三段のこの先生は五尺八寸という雄偉なる体躯にものを言わせて、三十歳頃から政治に興味を覚え、そして運動員として乗り出し、この地のいわゆる「猛者」として通るようになったのであった。
 村会から郡会、郡が廃されてからは県会と、彼はのし上った。他を威嚇せずにおかない持前の発声とその魁奇なる容貌――その頃から左の頬へぶら下りはじめた瘤のためにますますそれはグロテスクに見え出した――政×会に属していた彼は、一方県警察部の剣道教師という地位からか、この地方の官憲と気脈を通じているという噂のために一層「貫禄」が加わった。
 したがって彼が県議をやめて村長になった当時は、「名村長」と新聞などでは書いたほどだった。ただ彼をよく知る村民のみが、「とんだ名村長よ、あんまり人物がでか過ぎて、こんな貧乏村では持ちきれめえ」などと笑い合ったが。「だが――」と真面目くさって説をなす者もあるにはあった。「顔がきくから政府から交付金ひったくるにはもってこいだっぺで。」
 事実、小学校を改築したり、荒蕪地の開墾を村民にすすめて助成金を申請してやったり、どんな些細なお上の金でも呉れようというものは貰ったが、その代り村内の出費もこの瘤が村長になるや否や前述のように倍加した。それというのは、村の有志や村会議員が七分通り彼の道場の門下生で、「先生、先生……」と下から持ち上げ、一週間に一回は必ず町へ自動車を吹っ飛ばすといったようなことをやらかしたからでもある。
 ところで、改築したばかりの小学校舎の壁が剥落して彼の辞職の主因をつくってしまった。その壁たるや、実に沼の葭を刈って来て簀の子編みにしたものを貼りつけ、その上へ土を塗ったのであった。いかに村民が馬鹿の頓馬で、木像のように黙っている存在にもせよ、それだけは許さなかった。もっとも表面は「任期満了、病気にて再任に堪え得ず」ということではあったのだが。
 辞職後はF町裏に囲ってあった第二号も「解職」したということであったし、第一、ご自身が酒からの動脈硬化で全く「再任には堪え得なかった」であろうが、しかしそれも大したこともなくやがて回復し、旺盛な彼の生活は依然として、それからもつづけられたのだ。ところが、何をいうにももはや金の流入する道が、小さいのはとにかくとして、めぼしいのは一つ一つ塞がれた形で……。消防組頭、郡農会長、村農会長……それだけでは三人の子供ら――長男は賭博の常習犯、次男は軟派の不良、三男は肺結核――の小遣銭まではとても廻らない。かと言ってこの村農会長様は会費の徴集には特殊の手腕を発揮するが、苗一株植えるすべは知らないのである。まさかとは思われるが、「食えないから、いよいよ、村長にでもならなけりゃ」と子分の村議の前で放言したのがきっかけで、中地村長の香料を浮かすために、二年間村長を置かぬという村の方針にも拘らず、再選の問題が否応なしに持上ったのだとのこと、表沙汰は、「この非常時に際して、いかになんでも村長がいなくては……」という事だったが。
 おりから二・二六事件で、世は騒然たるものがあり、また村から大量の賭博犯人があがる、村議のうち中地派だった一人の長老が引退し、津本派が五名……といったようなことで、かくしてここに再度、村へは瘤がくっついた次第なのだ……

     二

 蔭ではいきり立ったが、さて、正面きって堂々と、それでは、これをどうしようと言うものも村民の中からは出て来なかった。それには深いいわれがなくもない。と言うのは、まず八名の村議のうち例の五名までが瘤の門下生であり、吏員の半数以上がかつて瘤のお伴でF町の料亭で濃厚な情調――多分――を味わった経験の持主と来ている上に、村の長老株もまた同穴の狢ならざるはなく、学校長、各部落の区長にいたるまで何らかの意味で瘤の息がかかるか、あるいはその弱点を握られているかしないものは無かったのだ。弱点云々といえば、一見、瘤に対抗して、優に彼を一蹴し得るだろうような村内のいわゆる長老有志たち――主として地主連にしてもやはり「さわらぬ神に……」式に黙過しているのは、そういう奴が伏在していたからである。たとえば俄か分限者の二三の小地主たちなどは、いずれもコソ泥の現場――夜の白々明けに田圃の刈稲を失敬しているところや、山林の立木を無断伐採しているところなどを、沼へ鴨打ちに出かける瘤のために発見されて「金一封」で事なきを得ていたし、村内殆んど全部の地主たちは、かつて左翼華やかなりし頃、この瘤の献身的な強圧のお蔭を被って滞りなく小作米を取り立てていた。
 自小作農にいたっては遺憾ながら烏合の衆というよりほかなかった。「同じ喰われるにしたところが、有志たちが十喰われるとすれば俺たちは一か、せいぜい二ぐらいのところで済むんだ。下手に出て頭でも打割られるよりは黙って喰われていた方が安全さ。なアに、そのうちまた中風がぶり返して、今度こそはお陀仏と来べえから。」
 ところが瘤自身は中風の再発どころか、再就任以来すっかり若さを取りかえしたもののように、今日も出張、明日も出張、どこへ行って、どんな用事を足してくるのか分らなかったが、お蔭でまた村では村税付加がじりじり大きくなって来た。他村では本税の二三割で済む自転車税の付加が、この村では九割。家屋税にせよ、宅地税にせよ、いずれもそれ位の付加額がくっついてくる。自転車や牛車などは親類縁者をたよって他村の鑑札でごまかしたが、家屋税付加などにいたってはそんなからくりも出来ない。農会費、水利組合費、これまた前年度の倍もかかるようになってしまう。少々は喰われたって……と温良ぶった村民も、内心では次第に悲鳴をあげ出した。
「名村長ちうから村がよくなるのかと思ったら、どうしてどうして貧乏するばかりだ。全くあれは生命取りの瘤だっぺよ。」
「誰か奴をやっつけてくれるものが出ないことには、俺たちはいまにすっからかんに搾られてしまう……」
 ところで、それまでになっても、では、俺が出て、ひとつ……というほどの覇気のある者も、まだ、ついにいなかったのである。
 そういう村民の無力、意気地なさを嘲笑するもののように、さらに彼らの無けなしの金を捲き上げる計画は次から次へと実施されはじめた。村社の修復、屋根がえ、学校長への大礼服の寄贈(しかもこれは貧富に拘らず、校長氏が準訓以来教えた全部の卒業生各自への二十銭の割当寄付によったもので、一家四五名の卒業生も珍らしくなく、現在通学中の児童へ一本の鉛筆を買い与えることすら容易でないものも既定額を出さねばならなかったのだ。そして六百何十円――約七百円近く集まった金は一銭の剰余も不足もなく金ピカの大礼服及び付属品一切いっさい代として決算せられたのである。柳原ものではあるまいかと思われるような上下色沢の不揃いな金モール服が何と六百何円――貧乏村の校長氏の高等官七等の栄誉を飾るためにこの瘤村長は通学児童の筆墨代をせしめたのである。)これにつづいて学校新築の問題が表面化した。増築案は前村長時代から持ち越されていたものだが、それさえ行き悩みつつあったのに、今度はさらに何万かを加算しての新築案。
「また葭簀の壁の学校こしらえて一と儲けする気か知れねえが、もうみんな、黙っちゃいめえで……」
 村民は依然として蔭では言うものの、公然とこの案に対して無謀を叫ぶものもなかったのである。いや、大いにやってもらって、教育上、ないし児童の保健上、現在のような雨漏り吹き通しの校舎はよろしくない――立派な鉄筋コンクリート二階建の校舎を近村に誇ろうではないかというようなのが、村当局一般の意向でさえあるらしかった。

 さて、田辺定雄が鮮満地方の放浪生活を切り上げて村へ帰ったのは、村の事態が以上のような進行をしている最中だったのである。くわしく言えば、津本村長再選後間もない頃のことであったのだ。この青年は、さる私立大学を中途でやめて軍務に服し、少尉に任官して家へかえり結婚したが、当時、親父がまだ身代を切り廻していて、作男達と共に百姓でもしない限り、全く居候的存在にすぎない自分を不甲斐ないものに思い、服役中過ごした南満の地に再び舞い戻って、満鉄の業務員、大連の某会社の事務員、転じて朝鮮総督府の雇員……と数年間を転々したのであった。しかるに今度、親父の死、それに学閥なき者の出世の困難さにつくづく業を煮やしていた矢さきという条件も手伝って、祖先の地とその業務にかえる決意をしたので……
 半年間は家産の再検討に過ごした。親父がかなり放慢政策をとっていたと見えて、五町歩の水田と三町歩の畑、二十町歩の山林のうち、半分は手放さなければ村の信用組合、F町の油屋――米穀肥料商――農工銀行、土地無尽会社、その他からの借財は返せなかった。三円五円という村内の小作人への貸金、年貢の滞り――それらは催促してみたがてんで埓があかず、いや、それらの小農民たちの生活内情を薄々ながら知るに及んで、むしろ何も深く知らず催促などした自分の不明が恥かしくさえ感じたほどだった。
 所有地管理の傍ら、一人の作男と下働きの女中を置いて、一町八反の自作――それが親父のやって来た家業であったが、覚束ない老母の計算を基盤に収支を出してみると、明らかに年二百円の損失であった。そこへもってきて、正確な小作米、畑年貢などが予期されないとすれば、信用組合、銀行、無尽会社への利払いでさえ容易のことではない。まして油屋の方など身代をさかさまにふったとて追っつくものではなかった。そこへもってきて、一方からは神社修復の割当寄付だ、特別税戸数割だ、村農会費の追徴だとはてしがなく、しかもそれらは親父の代と比較すると倍に近い数字をもって現れてくるのである。
「瘤に喰われるからだ」という例の村人の噂、いや、鬱勃たる不平――表面化することの不可能なその哀れむべき暗い不満の感情が、次第に彼にも伝えられるようになった。「改選も間近かなんだから、ひとつ旦那さんにこんどは村会へ出て瘤を退治てもらわなくては……」というようなことをそれとなく持ちこんでくる知り合いの者もあるようになった。
 前村長中地の時代には、彼の親父も村議の一員として村政にあずかっていたのである。しかもどちらかといえば親父は中地派で、内々では津本反対の一人でもあったのだ。津本が数千円の穴をあけっぱなしで村長を辞めたあとの尻ぬぐいを中地がおめおめとやるのについて強く反対し、瘤に赤い着物をきせろ、とまでいったのも彼であった位で……が、本来弱気のこの長老はそれ以上表立って津本をどうすることも出来なくてしまったのである。
 それにしても村人にとってこれは一つの「伝統」であった。反津本派で通った親父の忰も、同様に反津本派でなければならぬ。そして全村内で反津本派と目されているのは、現助役の杉谷と他の三人の村議――それから有志と称せられる連中からすぐって見たら十数名はいることであろう。これらすべてが一心同体になれば津本を蹴落すことは決して不可能ではないにも拘らず、そこには表立って行動するだけの気概のある人間がいなかったのだ。
「若いものの元気でやってもらわなければ、村はますます貧乏するばかりだ。ひとつ、村のためだと思って、どうでしょう……」
 改選期も迫るや、田辺定雄は、二三の有志からついに正式交渉を受けるまでになったのであった。彼は躊躇しないではなかった。が、半面には「名村長」と一戦を交えるのも退屈しのぎかも知れないという持前の茶気さえ出て来たし、それに何よりもまず瘤式の無謀な村政をつづけられたのでは、数年ならずして自分の家など潰滅してしまわなければならないであろう。
「皆さんの期待に添うことが出来るかどうかは分らないですが、とにかく、それでは出るだけでも出て見ますかね。」
 田辺青年は腕をこまねいてそう答えたのであった。

     三

 予期以上の票数を集めて彼は村会の椅子を獲得することが出来た。殆んど全部が再選で、依然として瘤派が五名、反対派と目されるもの――実際は甚だしく頼りない連中だったが……二名、そして彼自身、という分野になった。吏員のうちでは助役以外、老収入役がアンチ瘤派と思われていたが、これもなんらの力にはならず、杉谷助役でさえどれだけの肚をもっているのか――恐らく二年間の村長の空席には、自然と自分がのし上るべきものと取らぬ狸の……をきめ込んでいた矢先へ、のこのこと瘤の野郎に乗りこまれたのが癪で……位のところかも分らなかったのである。事実この中老助役は、葭簀張りの小学校舎をつくった時代にあっては瘤から頭ごなしにやられていた一戸籍係にすぎなかったのだ。他の二名の村議――一人は新顔で、年齢も若く田辺と共に三十五六歳、気骨もあるらしかったが、――これとて未だ海のものか山のものか分りはしない。
 結局、「孤軍奮闘」は覚悟しなければならない状態だった。田辺定雄とて、それは最初から――出ると決意した以上――免れ得ぬ事実と考えていたので、あえて驚きはしなかったが。
「なアに、無言の、村民の正義感が百万の味方さ。俺は彼らのために、一人でやるよ、やるとも……」
 それにしても今や容易ならぬ事情に村それ自身が、および彼自身がまた、乗り上げてしまっていることがようやく解ってきた。それは部落のお祭の日であったが、少し酔いが廻ったところで、人々の口は新村議の前でかたい堰をこんなふうに破ったのである。
「とにかくここで一洗いざあッと洗われて見ろ、村全体根こそぎ持ってゆかれたって足りやしねえから。」
 ふと、大仰に言っている声に振り向くと、それは造化の神が頭部を逆に――眼鼻口は除いて間違えて付けたのではないかと思われるほど頬から※(「臣+頁」、第4水準2-92-25)へかけて漆黒の剛毛が生え、額からあたまの素天辺はつるつるに禿げている森平という一小作農であった。彼が最近、村の産業組合からたった一枚残っていた一反五畝歩の畑を「執行かけられ」取り上げられてしまったことは誰一人知らぬものはなく、そしていま、その彼が大仰な身振りではじめた話も、実は組合の内幕についてなのであった。
「何しろお前、看板はかけて置くけど事業というものは何ひとつしねえで、それで役員らは毎月缺かさず給料取っているんだから……」
 すると、
「事業やってねえわけでもねえけんど」と古くから組合の世話人をやっている半白の老人が弁解するように言った。「肥料の配給、雑貨の仲つぎ……。でもあれだよ、みんな組合を利用しべと思わねえから駄目なんだよ。」
「そりゃ誰も利用なんどするもんか、反対にこちとが利用されっちまア。雑貨と申せばどこかの店の棚ざらしか、三日も着ればやぶけるようなものばかりだし、肥料と申せば分析表ばかり立派で……まア、それもいいが現金販売ときては、われわれ貧乏人にゃ手が出めえ。」
「改革しなくちゃ駄目だ、あれでは……」と言ったものがある。すると森平親爺は、
「改革もへっちゃぶれも、もう出来るもんか。県連の方から融通受けた金の利子さえ払えなくて、毎期、俺たちのような下っ端の、文句のいえねえ人間の、僅かばかりの借りをいじめて、執行だ、なんだって……それでようやく一時のがれやっているけんど、いまにそれが利かなくなったら清算と来べえ。そしたら見ろっちだから、理事様らの身代百あわせたって足りやしねえから……組合員の田地田畑根こそぎ浚っても、まだまだ足りねえから……」
「どうしてまたそんなことに――」
 田辺が訊ねると、森平は薬罐頭を一振りふりたて、漆黒の髯の中から唾をとばしつつ始めた。
「たまるもんかお前、あの大正六七年の好景気時代に、そら貸す、そら貸すで、碌な抵当もとらずどしどし有志らへ貸し出してよ、それであの瓦落がらくって土地は値下り、米も値下り、繭も何もかも八割九割も下っちまったんだもの――いや、そればかりならまだいいんだよ、瘤らはじめ、無抵当の信用貸ちうのが幾口何万あるか分らねえんだから……役場員だ、村の有志だっちう人間には、全くひでえ奴らよ、判一つで何百何千でも貸したっちうんだから……無論むろんそいつがみんな、いまもってこげついているってわけさ。利子だって取れやしねえんだ。取れねえはずよ、多少土地を持っていた人間にせよ、いまでは銀行の方だって間に合うめえから、同じ穴の連中のやっている組合の方なんか見向きも出来るもんか。」
 田辺の家でも、役こそしてないが、組合の創立委員の一人として、二十五口かを出資しているはずであった。いざ清算となれば、それではどれほどの補償金が背負わされるか分ったものではない。
 薄氷の上に建てられた楼閣のような組合の内幕から、それに関連して、Sという大字おおあざの連中は最初から組合の機能に疑問をいだいて加入せず、主として町の銀行から融通したが、それが最近頻々として差押処分を食っているという話になった。
「銀行と来ては用捨ようしゃはねえからな。借りにゆく時はこっそり誰にも分らず行けるからいいようなものの、いざとなればよ。」
 S大字の土地は大半町の金持連の手に渡って、昨日の地主、いまは内実は小作人であると言う。
 それから話は村農会のことに移って、ここも何らの仕事もせず、会長である瘤以下の役員の給料源でしかないというのであった。ところが、ここで話は一転して、最後に、こういう内情にある村そのものを、とにかく、ぼろを出さずに「治め」て行くには、瘤のような腕力のすぐれた、県の役人など屁とも思わない「猛者」――これについては※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)話があるのだが、――でなければ出来ないことであろう――いや、並大抵の人物では、組合も清算を要求されるであろうし、農会もやっつけられるであろうし、そうすれば勢い、役場そのもの、村そのものも打潰されずにはいまい。瘤が頑張っているから、この村はなんとかかんとか保っているようなものの、奴がいなかったら畦一本残らず、他の町村へ持ってゆかれなければならぬであろうという者が出て来た。
 意外な瘤礼讃を聞くものかなと田辺はびっくりしてその話し手を眺めずにいられなかったのである。全村民の与望を荷って出馬したものとばかり考えて、多少英雄的な気負いさえ感じていた彼は、事ここにいたって瘤に対し、ないし村民に対しての自分の評価、考え方を訂正しなければ、自分自身がどんな陥穽にはまるか分らないと考えるようになった。

     四

 瘤村長に対する全く矛盾したこの村民の態度――一方においては自分達を喰うところの悪鬼的な存在として憎悪・排撃するかと思うと、一方においては腕力的防護者として、彼にたよる気持――それはどう解釈したらいいのであろうか。田辺定雄はしばし混迷の中を彷徨しなければならなかったのである。
 そこで彼は「瘤のような腕力のすぐれた、県の役人など屁とも思わない……云々」という瘤礼讃の根拠を想い出した。それは彼もうすうす聞いて知っている村基本財産査閲事件――津本が県会議員をやめて「名村長」、大もの村長として自分の村に君臨して縦横の手腕を揮っていた時分、誰の差し金かは分らぬが――恐らく彼に反対する一派のものの投書によってらしかったが――抜打ち的に県から二人の役人がやって来て村の金庫をあらためようとした。不意を食った村当局は周章狼狽、蒼白になって手も足も出ない始末であったが、急をきいてやって来た津本村長は悠然として、応接間に二人の役人を招じ、さて金庫を背に、例の人を威嚇するような音声で「この帳簿に記載してある通り基本財産は一文も缺けずこの中に入っている。それはこの俺が首にかけて証言するから、その旨、このままお帰りになって報告してもらいたい。」
 しかしお役目大切とのみ思いこんでいて、融通のきかない県の役人は、村長のその言を信用せず、あくまでも金庫の中をしらべようとして、鍵を要求した。すると瘤村長はいきなり突っ立ち上って鍵をポケットから引っ張り出し、「さア鍵はここにある。だが、俺の言明を信用しないというんなら、俺にも覚悟がある、いや、信用させて見せる。」
 言ったかと思うとやにわに自分の座っていた椅子を逆さまに引っつかみ、大上段に振りかぶり、きっと二人を睨み据えた。二人の役人は検印もそこそこに退却してしまった。
 改めて瘤礼讃の一席を弁じた男を考えた田辺定雄は、今やその「何故か」を了解したと思った。彼もまた瘤の腕力によって自分の金庫を――整理すれば空っぽにならなければならぬそれを護ってもらいたいのだ。そしてそのためには多少は喰われたって仕方がないと打算しているのだ。「うむ、村民の中には、そういう考え方をしているもの――つまり瘤を必要とするような状態のものもあるわけなんだ。」
「しからば俺は一体、どちらを代表すればいいのだ。悪鬼の如く排撃する方の側か、それとも多少は喰われても薄氷上の財産を擁護してもらいたい方の側か……」
 とかくするうちに村会の日がやって来た。いつも半数集まればいい方だと聞いているにも拘らず、その日ばかりは「顔合せ」の意味もあるのか(酒肴がつきもの)ぽつぽつとみんながやって来る。会場は役場の二階であるが、大方――いやそんな形式ばったところはいつも使用されず、事務室に隣る十二畳の一部屋が会場になるのである。真ん中に切った炉にはすで瀬戸ひきの鉄瓶がかけられ、いい加減ぬくもっている。無論、中味はただの湯ではない。村長はまだやって来なかったが、村議たちは助役を囲んで雑談しながらちびりちびりはじめていたのである。
 やがてモーニングを着用した堂々たる瘤のご入来であった。六十五歳とはどうしても思われない六尺ゆたかの、よく肥った半白と言いたいが、まだそれほどでもない頭髪を綺麗に撫でつけ、無髯のあから顔、そして左頬の下へぶら下った偉大なる肉塊――それが歩くたびにゆっさゆっさと顔面と共に揺れる。
 黙々としてやって来た彼は、どっかと床の間の正面へ座って、まず煙草に火をつけ、それからぐるりとみんなを見渡した。田辺ともう一人の新顔がここぞと思って挨拶すると、村長は別に気にとめるという風もなく、「ああ……」と一つうなずいただけで、やおら紫煙を吐き、小使の汲んで出す渋茶にも眼もくれず、いきなり猥談をはじめた。
「昨夜は弱ったぜ、『しん六』サ引張ってゆかれたはまアいいが、あいつがいやがって……あんなところに。あの『鶴の屋』にいた小便くせえハア子の野郎さ、あいつが君、くりくりした眼のいい加減のやつになってやがてからに、俺を見たら、へんな顔してしまって、畜生――」
「あれッ、あの阿女っちょか」と助役が頓狂な声を上げた。
「それで奴、どうしても俺の前へ出て来ねえ。呼ぶとますますそっぽ向いてからに、畜生。」
「そんなこと言って村長、それからあとでもてっちまって、今朝おそくなったんだねえのか。」
 これは村議の一人、村で米穀肥料商を営んでいる沢屋の旦那である。
「そんなら文句はねえが、俺も悲観しちまったな。いくら呼んでもそばへも寄って来ねえときては……俺もこれ、いよいよ女には見離されるような年頃になったかと思ってな、はは、ははは……」
「時に――」村長は笑いを止めて、村議の一人が注いで出す酒を見向きもせず、「別に今日は議案はあるめえ。――俺はもう出かけなくちゃならん……」
 そして時計を見た。
「なんだね、今日は……」
「例の、それ、陳情さ――また、畜生、東京行だ。毎日々々、いやんなっちまう。」
 のっしのっしと瘤をゆさぶって村長は出かけてしまった。J沿線の町村長がこの地方の中心小都市M市までの鉄道の電化を運動していたのは一昨年からのことで、それがようやく実現しそうな気運になっていたのである。
「陳情づらだねえからな」とひとりの村議が役場の門を出てゆく村長をちらりと見ると笑った。
「でも、あの顔で陳情されたら、たいがいの大臣、次官も参っちまアべ。」
「気勢だけでか。」
「さてト、俺もそれではこれから陳情に出かけるかな、これ、顔はちっとも利かねえが。」
「俺も陳情だ――催促の来ねえうちあすこからよ。」
 二人、三人と、みんなそれぞれ出かけてしまって、残ったものは酒をやりながら下らない雑談であり、将棋の見物である。
 二日目の村会には誰一人姿を見せず、三日目には四五人集まって、やはり、雑談と酒、それから内務省へ行って帰った村長から、陳情団員の笑話など聞かされてそれでお終いであった。議事といえば村社修復後の跡始末――木材や竹切がまだ残っている、あいつを早く片付けさせること、社前の水はきをよくしなくては参詣者が雨降り毎に難儀する……というようなことが助役の口から出て、異議なし、異議なし。……それだけであった。

     五

 つぎの月の村会も大同小異で、なんら議題というほどのことはなく、雑談と茶碗酒にすぎてしまった。そして、しかもそれだけのことで、一日二円の日当――三日間で六円になるのだから「偉い」ものであった。いや、偉いものといえば、他の村会議員――瘤派の連中は何々委員とか、何々調査員とかいう役目をかねていて、三日にあげずにその辺をうろつき廻り(たとえばどこの田圃の石橋はどうなっているとか、伝染病の予防施設がどうとか、そんなちょっとした通りがかりにも調べられるようなことを業々しく見て廻って)、それでやはり日当を取るし、とうぜん、村長の出なければならぬ席上へ代理に出ても日当(村長は他へ出張。)こういうことのほか、役場員自身がまた、社寺、土木、衛生、税務……などそれぞれ自分の分担事務の名目において他村へ「調査」などに出かけ、旅費をせしめる。
 ばかりでなく瘤派の連中は、何かは知らぬが始終飲食店で会合したり、でなければこそこそと瘤の家へまかり出て夜半まで過すというようなことをやらかしているらしかった。
 田辺は無論いまだそういうのが実は本当の村会であって、月一回きめられた日に役場へ会合するのなど、単にそれは日当の手前、ちょいと顔を出す程度のことにしかすぎない……などとは知らなかったのである。
 だから、彼はいよいよ次年度の予算案が討議されるという月の村会日の二三日前、ぶらりと沢屋米穀商が肥料売込みの風をしてやって来て、つぎのように誘いをかけたことも真意が解けずにしまったのだ。
「瘤のとこで今夜『お日まち』があるんだ。」「お日まち」というのは何か起源やいわれは分らないが、親しい同志が寄って一杯飲むことで通っている。
「どうだい、顔を出したら……」と沢屋は禿げ上った額をつるりと撫でるようにしてソフト帽をかぶり自転車に片脚をかけて、「みんな来るはずになっているんだが、あんたもひとつ……」
「そうよな、でも、どうせ、俺なんか酒はあんまりやらんし、瘤のエロ話も若干ぞっとせんからな。」
「ぞっとするようなことも若干いうんだよ、あれで……」
 あははは、と高笑いして沢屋はそのまま行ってしまったが、それがあとで考えると。……
 田辺は村社の境内がどうとか、学校の新築がどうとかいうことより、根本の村政改革問題はこの予算の徹底的な検討と再編、いや出来る限りの削減、そして徒らに村吏員や村議が日当ばかり取ることを止めてしまって、それだけ村民の負担を軽くするにあると考えていた。で、彼は今度の会こそ、自分の本分をつくすべき機会であり、それこそまかり間違えば瘤と一戦を交える覚悟をきめてかかっていたのだ。
 役場から古い書類の綴を引っ張り出して来て、彼は前年度、前々年度の予算表や、それに対照する収支決算報告書を丹念にしらべにかかった。
 歳入出計二七・六三九、及び二七・八七七、両年度とも大差なく、そして見事に収支を合せてはいるが、ちょっと気をつけて見ると、会議費二一一、および二三〇とか、基本財産造成費五八一――五九八、雑支出というのが二七九――三〇一とか、その他伝染病予防費というのや、衛生諸費、汚物掃除費というのや、明らかに重複しているばかりかどんな風にでも小手先で流用し得るような支出が多く、また、いったい会議費というのはどんな細目のものだろうと見ると、筆墨、薪炭、用紙、茶、雑などというもので、それは他の項の雑支出と大して違わない細目である。それからまた「臨時支出」という項が別にあって、そこにも雑支出や、統計費などというものが挙げてあり、ここでもダブっている。村会の時いつもがぶがぶみんながひっかけている酒、あれは、それではどこから出るというのであろうか。まさか、役場費からでもあるまいと思って睨むと、やはりそうではない。役場費の八・一〇三という数字は吏員の給料や臨時手当である。
「馬鹿野郎」と田辺定雄はつぶやいた。要するに報告などというものは、形式的な、いい加減なものにすぎないので、それは何も村役場のそれにのみ限ったわけではなかったのだ。からくりはもっと内部にある。そいつを俺はしっかりと掴まなければいかんのだ。そうしなければ瘤をやっつけるわけにはゆかんのだ。
 ところで……と田辺は書類を傍へ押しやり、机へ頬杖ついて考える。瘤をたたき落すこと、そいつはひとまず問題ないと仮定して(何故なら奴の缺点なんか掴もうと思えば歳入出面とは限らず、いくらでも転っていようし、奴に反感をいだいている助役の手許にだって山ほど集まっていよう)、ただそのために例の奴を番犬の如くに考えて頼っている一部の連中、信用組合員や農会の連中、あいつらが何というかだ。――瘤がかつて村の金庫を腕力で護ったと同じように、現在、彼らは自分達の金庫を名村長瘤の存在によって守ってもらっていると信じているんだ。
 だが、いかに瘤の存在によってそれが守られていようと、要するに時日の問題でなければなるまい。無力文盲に近い貧農たちの無けなしの土地を整理して、上部の方を辻褄合せようと、組合の内部は依然として火の車なのであり、いや、ますますそれが悪化していっているのだ。碌な事業はせぬ、それで取るべき給料はきちんきちんと取っている、では……三年か五年か、それは分らないが、いずれにしても瘤にも寿命というものはあろう、いや、名村長、大ものの貫禄はいまや年一年減少しつつあると考えてもあえて間違いではないであろう。
 根こそぎ町の金持のところへこの村が持って行かれるなら、一日も早く、きれいさっぱりと持ち去られた方がよくはないのか。そして何もかも新しく、これからやり直すのだ。村を再建するんだ。
 一方においては「喰われる」といって瘤を非難排斥しながら、一方において、大もの、名村長として頼る一部村民の気持というものが、ここにおいて解決せられるわけである。番犬としてたよりながらも、その奥底では始末にいかない村のこぶとして嫌悪しているのが結局のところ本当なのだ。裸になるつもりでみんながやれば訳はなかったのである。
 それにあの森平のような貧乏人たちは、全部、村をあげて、番犬の必要なんて余りないのだから、俺の味方に立って、俺が瘤と一戦を交える場合は、いっしょにやってくれなければならぬ訳でもある。――要するに、こぶなんかにびた一文だって「喰われ」ようとする馬鹿はないのだ。ただ、しからばそれをどうしようという勇気がないだけなんだ。意気地がないだけなんだ。
 待望の予算会議がやって来た。それは霙の降るいやに寒い日で、田辺定雄は外套の襟をふかく立て、定刻に役場の門をくぐったのであったが、少なくとも何の議案もない平常と違って、今日は最も重大な村の経済問題の討議される日であった。他の議員たちも緊張して早く顔を見せるだろうと思って自分も意気込んでやって来たにも拘らず、依然として時間をすぎても誰もやって来るものもなく、事務室の方で、若い書記の一人が、しきりに何かの謄写刷をやっている以外、役場には誰一人いないといっていいような有様。
「どうしやがったんだい、みんな。」
 剛張こわばった両腕をぶん廻しながら事務室へ行ってのぞき込むと、書記は面倒くさそうに刷り上った幾枚もの紙を揃えて、さらに何かペンで数字を訂正している。
「何だか、それ――」
 ふふん……と笑っているのを取り上げて見ると、何とそれは、今日討議さるべき予算案ではないか。
「ほう……どれ、揃ったら一部見せろ。――早くみんな来ねえかな。重大な今日の会議をいったい何と思っているのかな。」
「昨夜、みんな遅かったようだから、今日はどうかな――」
 書記は相変らずにやにや笑っている。
「昨夜……? 昨夜、連中、何かあったのか。」
「瘤の家で……みんなで大体、これ下ごしらえしたんだ、下ごしらえといっても、もうこれで決ったようなもんだっぺ……」
「へえ……」と田辺は眼をいた。むかむかと横腹のところがもり上った。
 そこへ自分と同じくこんど上った新米議員の半田房之助がのこのこやって来た。炉の前へ近づくのを待ちかねて、
「おい、君は何かい、昨夜か、一昨夜か知らねえが、こぶの家へ集まったか。」
ひまちにか――」
「何か知らねえが、予算会議はこぶ私邸であったらしい。」
「へえ、俺は知らんね。日まちにちょっと顔を出したが、――沢屋がわざわざ招びに来たもんだから……」
「へえ、沢屋の野郎が、招びに……」
「君のところへは。」
「来たっけが、別に招ばなかったな。」
「いや、あれが、つまり、その……らしい。」
「畜生、ひとを馬鹿にしてらア――」
 ようやくのことで――もう昼近い――二三の村議連がやって来たので、それ以上、田辺は言わなかったが、心の中では、……
 そしてやがて瘤もやって来た。が、田辺や半田には眼もくれず、「謄写は出来たか。……ああ、そう、では、慎重に、研究しておいてくれ、俺はもう出かけなくちゃア……」
 田辺はぐいと村長をにらんで、
「村長、今日も、またお出かけですか。」
「ああ、重大な用事があって……いや、どうも身体が二つあっても足りはせん。」
「予算の討議は――」
「明日にでもやろう。」
 ぐんと突っぱねて、肩で事務室への扉をあけ、のっしのっしと出てしまった。
 田辺はますます焦れたが、取りつく島はなかった。他の村議たちは、こぶがいなくなると、もう小使に酒を出させて、例のごとくちびりちびり……である。

     六

 さて、翌くる日、割合に早くやって来た瘤は自派の村議と村長室で何かひそひそやっていたが、やがて、「今日は会議室でやっぺ、みんな、どうだ、そろそろ……」と言いながら、自分から先に立って二階へあがって行った。
 それが何となく仰々しかったが、田辺定雄は少しも意外ではなかったのである。何となれば彼はうかうかしていると何らの発言する機会も与えられず、肝心の予算案を、そのまま通されてしまうらしい気配を感じて(しかも、聞けばそういうのが例年のやり方だったともいう)そこで彼は本式に質問し、修正を申込みたいことを助役へ申出ておいたのである。
 席につくと村長は大きな瘤をさらに大きく張ってどかりと正面の椅子につき、「にが虫をかみつぶしたような」という形容詞があるが、それがそっくり当てはまるような面構えで、むっつりと壁面かどこかを睨まえている。
「本年度の予算案について、田辺君から修正したい点があるそうで……」と杉谷助役が村長の傍の椅子へかけるや否や、少しく無雑作にやり出した。そして、「田辺君……」ちょいと眼で。「だいたい――」田辺は自席から、「他村なんかに比し、本村の公課負担は重すぎる傾向があるようだが、――たとえば舟車税付加というようなものに見ても、他村では本税の二三割しか付加していない。しかるに本村では八九割もかけている。――それからもっとも大きな問題は特別税戸数割で、これは本村では、収入一円につき二銭三厘云々……というような賦課率になっているが、こういう点、もう少し村民の負担を軽くしてやることは出来ないものだろうか、と考えるのだが……」
「どういう根拠で君はそんなことを言う。」と村長が不意に威嚇するような声を出した。
「どういう根拠……といって別に……」
「棍拠がない。では単に反対するために反対するのか……」
「いや、根拠がないというわけではないが。」
「では、それを言って見たまえ。」
「つまり……その……村民の生活程度というものは……」
「それが根拠か。君は村民が一年間にどれだけの酒を飲み、煙草をふかすか知っているか。この村に何軒の酒屋があって、何石の酒が売れるか知っているか。」
 田辺はぐっと詰まってしまった。
「知っているか。」と村長はたたみかける。
「さア、そいつはまだ……」
「何がまだだ……そいつも知らぬくせに、何が村民の生活だ。」
「しかし――」と田辺はどっきどっきと打つ胸を強いて抑えて、「予算を見ると、節約すべき項目は随分あるように思う。たとえば会議費……」
「君らにそんなことを言われなくたって、節約すべきものは全部節約している。」
「しかし……」
「何がしかしだ。この予算に一銭でも無駄があるか。乏しい歳入に対してこれ以上の節約だとかなんだとかが、いったいどうして出来る。」
「出来ないことはないと思う。」
「ないと思う……思ったって出来ないものは出来ない。出来るというんなら、どれ、どこで出来るか、一つ一つ、具体的に説明して見ろ。」
 村長は突っ立ち上って、ずいと田辺の席へ迫ろうとする気配を見せた。一瞬、田辺も突っ立ち上ったが、
「それは、その……その……」
 瘤の激しい見幕に、彼は頭がくらくらしてしまって、もはや、何をいうべきか、すっかり解らなくなっていた。
「その、その……か。うむ。うむ……」と村長は大きく笑った。それから席につき、言葉を改めて、「他の諸君はどうだね。何か異議があるかね。」
 誰も何ともいうのはない。
「なければ裁決したらどうだ」と長老議員が口を挟んだ。
「裁決――異議なし。」
「異議なし」とみんなが言った。
 打ちのめされた田辺村議は、しばし顔を上げず、蒼白な薄ぺらい唇をわなわなと震わせていた。

 それから一週間ばかりたったある日のこと、田辺は作業服を着て古い帽子をかぶり、下男といっしょに家の裏手の野茶畑で春蒔野菜の種子や隠元豆、ふだん草、山芋などを蒔きつけ、さらに、トマトや南瓜の苗を仕立てるための苗代ごしらえをしていた。おいおい彼自身も村夫子にかえって野菜作りから麦小麦、やがて田起しまでやる覚悟だったのだ。
 そこへ産業組合の事務をやっている石村藤作がひょっこりやって来た。この五十男は何の能もないが、別に暮しに困らない身分で「遊びかたがた」組合へ出ていると公言している至極暢気に出来上った人物である。
「やア、これはしたり、百姓のまねなんど止した方がよかっぺで」と彼はいきなり近くの木株へ腰を下ろして、煙管を出し、「いや、こないだは痛けえだったっちう話だっけな。どうしてどうして、田辺君のような若い勇士でなけりゃ出来ねえこった。」
「な、なんだい。……何を言ってるんだい。」
 田辺はうすうす分ったが、わざとそんな風に笑って、種子を蒔きつづける。
「何を……って君、瘤の野郎をぐうの音も出させまいと凹ませたっち話よ。――いや、どうして、この村広しといえども、あの男の前へ出ては口ひとつきけるものいねえんだから、情けねえありさまよ。そこを君が、堂々と正眼に構えて太刀を合せたんだから……」
「つまらねえこというな。」
「つまらねえこと……馬鹿な、何がつまらねえことだ。俺ら聞いて、すうっと胸が風通しよくなったようだっけ、本当によ。――あんな君、瘤のような人間、駄目だよ。これからは、はア、時代おくれだよ。若い連中で村政改革やっちまわなくちゃア……」
 田辺定雄は種子まきを止めず、相変らずにやにややっているよりほかなかった。いったい、この男、なんでやって来て、なんのためにそんなことごでってやがるのか。
「何か用事かい、石村さん」と田辺は我慢しきれなくなって訊ねた。
 すると藤作老は煙管をとんとん木株に叩きつけ、
「うむ、大して用でもねえけんど、これ……」といって懐中から一通の書付を出した。
 組合から、年度替りだとの理由で、親父の代にこしらえた借金、元利合計二千百三十円なにがしというものの催告である。
 何が故の、急速な、思いもかけぬこの催告か――口をあけて首をひねりながら眺めている田辺定雄へ向って、
「では、よろしく、頼みますよ。」
 浴びせかけて、藤作老はすたこらと歩き出した。
「まず、ちょっと待ってくれ。」
「何か用かな。」
「これは……と、あれだあるめえな、俺ンとこ……いや、借りのあるもの全部へも、やはり同じように催告が行ってるのかな。」
「さア、どうかな。そいつは、俺には……」
「だって君は、事務やっていて……」
「事務は事務でも、俺のような下ッ端のものには……まア、おかせぎ。」
 ひょかひょかと行ってしまった。
「無茶だ」と田辺はつぶやいた。「畜生、なんだと、期日までに返済なき場合は、止むを得ず……強制……執行する場合もあるべく……だって……へえ、畜生、いいとも、やって見ろッちだから……」
 ところでその翌日のこと、こんどは油屋の番頭がやって来て、「いや、先生、(先生などとこの番頭はわざと呼んで)こないだの村会では……」と藤作老と同じようなことを言い、さらに付け加えて、「いや、瘤村長の噂はこの地方十里踏出してもまだ知れているんですからね。退治なくてはならんと、みんなが言っているような始末で……」
 そして何の用だと田辺がいらいらして訊ねると、やはり組合と同じような催告状であった。しかもここは少し大きく、元利合計三千百何円なにがし。
 つづいて田辺は農工銀行からも、無尽会社からも、年度替りを理由の催促を――それも前例を破って、いずれも元利合計……まるで破産の宣告でも受けるもののようだった。
 何か眼に見えない敵が前後左右からのしかかって来る。たしかに……畜生、それは何ものなのだろうか。当時、土地は値下りの絶頂で、この地方では水田反三百円ないし三百五十円、畑百五十円ないし二百円どまりであった。一々相手になったのでは無論のこと家屋敷まですっぽろったって足りはせぬ。
 いったい、どうしてこんな破目に……俺の信用というものが……。むしろ瘤と一戦を交えたことによって――彼はあれをきっかけにあくまでやる覚悟をきめていたのである。――村民の信望をかち得たはずの俺ではなかったのか。
 しかるに……考えると頭が痛かった。二日も三日も、彼は一室にこもったきりで、財産目録を傍に、切り抜け策をとうとうはじめなければならなかったのである。
「あんた、お巡りさんよ。」
 妻の心配そうな顔が、障子をあけて……。それはもはやどうにも対策が考えつかず、いっさいを投げ出して再び満鮮地方へでも出かけようかと捨鉢な気持さえ起りかねない矢先だった。
「なんでしょうね、あんた……」と妻は心配そうに重ねていっている。
「何かな、別に、俺、ケイサツに用のあるはずもねえが……」
今日こんちは……田辺さん――」と巡査の呼びたてる声。
「あい、何か用か……」
 出て行くと、村の巡査は、ばか丁寧に、少し世間話をやってから、
「いや、お忙しいところを……」
と言って、そして紙片を出し、田辺へ突き出して、
「なアに、何でもないでしょう。ちょっと訊ねたいことがあるとか言ってたようでしたから、たぶんそれでしょう」と説明した。
「ふう……明××日、本人出頭のこと……代人を認めず……ふう。」
 田辺は平べったい顔をひきゆがめ、鼻をくんくん鳴らしながら、二度も三度もその文句を口にしている。
「なんでもありませんよ……いや、時に、こないだ村会で大いにやられたそうで、村民も大喜びでしょう。実際、私からいってはなんですが、瘤のこれまでのやり方というものは、その、あれですからな……」
「これは、やっぱり、本人が行かなくちゃいかんものかな」と田辺は顔をしかめて呻るように言った。
「はア、やっぱり、本人が……」
 次の日、F町の警察へ出かけた田辺定雄は夜になっても帰らず、その翌日もかえらなかった。
 選挙違犯で、彼から「清き一票」を買ってもらったという十数名の村人と共に、ひどい取調べをされているという噂が立った。すると、
「ああ、それはなんだよ」とわざと田辺の妻へ言ってくれるものが出て来た。「それは、奥さん、瘤神社へお詣りすれば、はア直ぐに帰されるよ。そのほかに方法はないでさ。」
         *    *    *
 以上のようなことがあってから、約一ヵ年半の月日が経過していた。あの年の夏に勃発した蘆溝橋事件が意外な発展をとげて、いまや日支両国は全面的な戦争状態にまで捲きこまれてしまっていたのである。
 無論のことわが軍の連戦連捷、そして敵都南京が陥落して間もなくのある日であったが、背広服にオーバーの襟をふかく立てて自転車をF町の方へ走らせているのは、わが田辺定雄であった。――ついでに述べておくが、彼はかくて噂どおり選挙違犯の嫌疑で取調べを受けたのであったが、それは妻が瘤神社へ日参したお蔭で、何事もなく済んだのである。止むをえなかった。田辺定雄は節を曲げて村長のところへお礼に出かけた。すると村長は先日とは打って変って、「いや、なアに、何でもないことだ。俺も自分の村から罪人は出したくないからな……」とからからと笑っていた。
「ついでに、君――」と村長はしばらくくだらない雑談をやらかしたあとで、「今日、忙しいかな――別に用事がなかったら、県の社会課へちょっと行ってもらいたいんだが。」
 そんなことで、以後、ちょいちょい他の村議諸君と同様、瘤のところへ出入しなければならぬ仕儀になってしまい、それからまた、組合や銀行や、池屋の方なども、瘤の口ききで片がついたような次第――ところでその日も、相変らず瘤の代理で、こんどF町に出来た軍需工場の落成祝いに招かれて行くところだったのである。
 陽脚ひあしの早い冬のことで、いつかあたりはもう薄ら暗く、街道を通る人も稀であった。田辺は宴果ててからの二次会のことなど早くも空想に描きながら、その頃流行してきた「上海小唄」を口笛で得々とやっていた。
「畜生、あいつ奴、意地のやける畜生だな」彼は口に出して言った。恐らく二業地の何とかいう妓のことでもあったろう。
 それはとにかく、一方、田辺の家の下男の助次郎が、ちょうどその時刻に、煙草を買うために、部落のはずれの、沼岸に添った商い店の障子をあけて中へ入ると、
「いよう、あんちゃん――」と言葉をかけられた。見るとそれは同じ部落の、あの髯もじゃの森平で、森平はその日一日、馬車をひいていくらかの賃銀にありつけたらしく、いい気持でコップ酒をひっかけていたのである。
「どうだい、一杯――」と森平は重ねていって笑いかけた。
「ひゃア……酒ときては、はア匂いでもかなわねえ。」
「ダンボ(旦那)は何だい、今夜ら……町の方さ大急ぎで出かけてゆくようだっけが。」
「なんだかよ、俺ア知らねえ。――この頃、旦那ら、出かけてばかりいらア、瘤の代理ばかり仰せつかっで……」
 すると、「本当かい、あんちゃん」と森平は変ににやにやして、「君んところのダンボの左頬にも瘤がこの頃出来かかったって……」
「俺ら知らねえ。」
「知らねえ……よく見てみろ。なんでも出来かかっているっちう話だから。」
「そんなことあるめえ。」
「だってよ、さっきも、どこへ行くか……ッて聞いたら、なアに……医者だ、なんて、※(「臣+頁」、第4水準2-92-25)を外套でかくして行けんからよ。」
「瘤なんどばかり殖えて、この村も始末にいけねえとよ、はア、……」
 店のおかみが笑うと、助阿兄あにいもどうやら理解したらしく、「なんだ、そんなことか……」ときまり悪そうにつぶやいて、そそくさと店を飛び出して行った。





底本:「犬田卯短編集 一」筑波書林
   1982(昭和57)年2月15日第1刷発行
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2007年12月8日作成
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