明治二十四年三月
三藏の父は竹刀を
兄は「金儲けには醫者がいゝよ、醫者にならぬか」と勸めた。三四年前或寺を借りて毎月演説會をした仲間は「君は政治家になる筈では無かつたのか」といつた。三藏は醫者は思ひもよらぬ、金なんか儲けなくつてもよいと思つた。政治家は初めその花やかな點が心を
松山一の老櫻のある料理屋に同窓生の祝賀會が開かれる。御詠歌の上手な同窓生の一人が『普陀落や岸うつ波』と茶碗を箸で叩いて唄ふと、小さいおもちやの傘と、これも杉箸を杖の代りに持つてをばさんと仇名のある滑稽家の粟田が妙な身振りをして『順禮に御報捨』と可愛らしい聲を出す。こゝまでは趣向が出來たが『今日は幸い夫の命日、お手のうち進ぜませう』といふ塗盆を持つて立つて行く役割に當るものが一人も無い。三藏は乾いた口を開けて「僕がやらう」といふ。「君が遣るか」と粟田が眞面目な顏をして驚く。茶碗が鳴る。『普陀落や岸うつ波』と唄ふ聲が響く。をばさんは目をしよぼ/\させ
ぱつと咲いた櫻はぱつと散る。蚊いぶしの煙の中で三藏は露伴の「風流佛」を愛讀する。
瀬戸内海の波は靜かだ。夢のやうに寄せて音も無く白砂の上を走る。只時々囁く如く聞ゆるのは渚に捨てゝある碇にあたつて碎くる波の響きであらう。堅田の浦の汀の石に立つて近江の湖を見た時と、三津の濱の捨舟の端に腰打ち掛けて瀬戸内海を眺めた時といづれを湖いづれを海と見定めがつかう。その三津の濱に門司を出た汽船が著く。一日に一度著くこともある。二度著くこともある。
四年間一番の席を獨占して卒業する時も一番であつた中尾市太郎は藝者屋の息子である。市太郎の姉二人とも藝者をしてゐる。一人の妹も藝者をしてゐる。姉妹の稼いだ金は市太郎の教科書となり制服となり月謝となり、其月桂冠となり、さうして又東京の高等工業學校を志望して上京する其學資となり旅費となる。三津の濱の波打際に立つてゐるのは、沖遠き雲の峰に打映えて赤、紫、淺黄の三本の蝙蝠傘、少し離れて大小いろ/\の麥藁帽。其中には三藏もゐる。三藏を蹶落して二番になつた加藤もゐる。四番の平田もゐる、をばさんもゐる。中尾も加藤も平田もをばさんも新らしい活動の世界を波の彼方に描く。中尾は甲板で帽子を振る。勝つて歸るよと帽子を振る。加藤も平田もをばさんも帽子を振る。勝つて歸り給へと帽子を振る。紫、淺黄、赤の三本の蝙蝠傘からも眞白き手に各ハンケチを振る。勝つてお歸りよとハンケチを振る。三藏は獨り目をねむつて解放の世界を波の彼方に描く、中尾の振る帽子、加藤、平田、をばさんの振る帽子、三人の姉妹の振るハンケチを見て三藏も亦知らず識らず帽子を振る。而も勝つて歸り給へといつては振らぬ。負けて歸り給へといつてふるのでも無い。三藏はたゞ帽子を振る。中尾が振つてゐる間振る。加藤、平田、をばさんが振つてゐる間振る。三人の姉妹が振つてゐる間振る。
中尾につゞいて誰彼が出發する。三藏の家の庭の
大阪商船會社の緑川丸が、三藏、加藤、平田、をばさん等の一行が神戸に送り、汽車が更らにこれを京都に送つたのは、四條の
三藏が朝顏の花と夕顏の花の間に立つて、故郷の垣根から自分の未來に首を延して何か判らぬものに望みをかけてゐた時は、目の前にぱつと蛤の口から出た蜃氣樓のやうなものが棚引いて其中に畫の如き京都があつた。
加藤も平田もをばさんも神棚よりは寧ろ Miss 綾子の方に心を傾けて、めい/\行李の中から出した菓子折を一つ宛持つて行つて敬意を表する。三藏も同じく行李の中から一つの菓子折を取り出して遲ればせながら敬意を表する。綾子の方は相好を崩して喜ばれつゝ「狹うてもだんないのならいくたりなとお出でやす。奧村さんへもちとお行きんと惡いさかいに其處はあんじよう此方で話極めます。心配せんときやす」といふやうな事をいはれる。
増田と共に臺所の前に竝べてあるお膳の前にかしこまつてお椀の蓋を開けると、中には松葉昆布に小さい椎茸が一つ這入つてゐる。其他は皿に砂の如くこまかく刻んだ菜漬が一つまみ入れてあるばかりで御飯も針のやうに硬い。
翌日加藤、平田、をばさん一行が、高等學校を見に行かうと三藏を誘ひに來る。嚮導者は綾子さんの方にゐる先輩山本で、増田に行かぬかと勸めたが、「山本が居ればいゝだらう、行つて來給へ」と相變らず長煙管に煙草を詰め乍ら神棚の下の暗い机の前に坐つてゐる。山本は此處が御所だ此處が丸太橋だ、此處が下加茂で、糺森があれだと一々教へて呉れる。三藏も加藤も平田もをばさんも只感心してふん/\と聽いてゐる。
三藏は國を出てから落著かぬ。緑川丸の甲板で加藤等と舳の碇綱に腰を掛けて、來島の瀬戸を越えてから穩か過ぎる程穩かな航海に退屈して各未來の希望を語り合つた時は、加藤は加藤、平田は平田、をばさんはをばさん、三藏は三藏とチャンとめい/\の方向は坦途の如く明かで、一擧手一投足も各意味あるが如く他を見自己を解釋してゐたのであるが、扨て播磨灘の夢覺めて汽船が神戸についてからは、加藤も無い平田も無いをばさんも無い三藏も無い。
赤い煉瓦の建物、是も現實の高等學校が又目の前に横はる。嘗て寫眞で見てどんなに立派なものであらうかと想像してゐた程では無かつたが、それでも門前に立つて見ると
生徒の控室には二月
獨り三藏は何處となく一種の壓迫を感ずる。嘗て目をねむつて心で見た其理想郷も今日の前に現前して見ると、矢張り束縛の多い壓力の強い競爭激甚の社會であるらしい。彼は昨日下宿の競爭で眞先に敗北して、今この控室に立つて既に堪へ難き壓迫を感ずる。三藏の顏には濕ひが無い。すご/\と山本のあとについて其日は吉田町から東山一帶を散歩して
三藏は其後一年間、束縛の多い學制の下に、自由の境界を夢想し乍ら絶えず絶えず壓迫を感じてゐた。其一年間の成績は六十幾番といふのであつた。加藤、平田、をばさん等とは各志望する學科が違つてゐたが、加藤は十番以内、平田は二十番以内、三藏の眼中になかつたをばさんですら三藏よりは成績が善かつた。三藏は加藤や平田やをばさんに逢ふのすら厭ふやふになつた。
三藏の俳諧的生涯は此後に始まる。こゝに其一年間に於ける一二を陳べる。
明治二十四年の秋の末の出來事一つ。
お向うの姉小路では綾子の方が朝から晩迄のべつ幕なしに喋舌るので、勉強家の加藤や平田は居たゝまれずなつて轉宿してしまつた。從來から居た先輩の山本とをばさんとが綾子の方に生花を習つてゐるといふ其秋の初頃、奧村のうちでは増田は相變らず神棚の下に坐つて、此頃は長煙管に煙草を詰めながら妙に首を傾けて物案じをしてゐる事が多い。さうして時々ニヤ/\と齒をむき出して笑ふかと思ふと長煙管を突き出してポンと遠方の火鉢にはたいて、大きな煙の棒を兩方の鼻の穴から出しながら筆を取つて紙に向つて何やら書く。三藏が「増田君何をしてゐるのかい」と聞いても増田は默つてゐる。
又此頃増田のところへ遊びに來る二十四五の商賣人らしい男が一人居る。頭を丁寧に分けた角い帶を締めた男で、其男が來ると増田は例の物案じを始める。其男も亦物案じを始める。二人で手を
或時増田の留守の時其男が來た。それから三藏と十分許り話をして歸つた。京都辯の穩かに物をいふ人で、此頃は時候が善いから嵯峨野あたりへ散歩に行つたら善からう。あまり勉強して體を傷はぬやうにしろ、などゝいつて歸つた。三藏はなつかしい親切な人だと思つた。それから増田と一緒に何をやつてゐるのかと聞いたら、何詰らぬ事でと笑つて、俳句ですといつた。俳句とはと聞きかへすと、發句の事ですと説明した。それで三藏は増田の物案じは發句を作るので、此男は發句友達だといふ事を初めて了解した。
秋の末になつてからであつた。其男は二週間許り來なかつた。さうして或日増田が例の神棚の下に坐つて驚いたやうな顏をしてゐる處へ三藏が歸つて來た。それから増田は斯んな話を三藏にした。「あの男ね、よく僕のところへ來た。あれは君俳句の好きな男でね、同好者が五六人ある。其中でも最も熱心な男であつたのだ。句作も上手であつてね、趣味もよく解つてゐた。それにあの男が昨日捕まつたのだ。驚いた事にはあれが
それから増田が物案じをすることも稀になつた。熱心な友を失つて少し氣抜けがしたのであらう。三藏は松山に居る頃故人五百題は見た事があつた。けれども發句にはたいした興味が無かつた。獨逸の文法に苦しめられつゝあつた此頃は小説の事もあまり深く考へなかつた。まして俳號の事などは此時はまだあまり意にも留めなかつた。三藏は妙な人があるものだとたゞ卜翁といふ人を不思議に思つて、あの親切さうな穩かな人が有名な掏摸かと、其人が俳人であるといふ事よりも其方が寧ろ強く心を牽いた。
二十五年冬(一月)の出來事一つ。
うと/\してゐた耳で時計の音を數へる。七、八と途中から數へ始めて九、十、十一、十二、十三、十四と際限も無く鳴る。十五、十六と數へてしまつて、何の事だ、まだちつとも眠つてはゐなかつたと思つたのに、うと/\として居たのだな、と初めて氣がつく。大方今のは十二時であつたらう。此頃どうも寢つきが惡くて困る。きのふ加藤に學校で逢つたら、君此頃大變顏色が惡いよ、ちと鐡棒にでもぶら下つたらどうかといつた。あすは日曜だから一つ散歩に出掛けうか。散歩なら何處に行かうか。東山はもう二三度行つたし、西山の方も卜翁にすゝめられて一度行つたし、行くのなら北山の方へ出掛けうか。馬鹿に寒いやうだが雪にでもならねばよいがと、三藏は蒲團を頭から被つて縮かまつた。時計のきち/\いふ音も遠くなつたと思ふうち一時の鳴るのは聽かずに寢た。
翌朝寢坊をして起きると、今朝迄まだ降つてをつたといふ雪が
それから雪を踏んで出町橋を渡つて鴨川傳ひを北へ取つて、山端を過ぎて八瀬を
三藏は東山を散歩した時は勿論、此秋西山へ出掛けた時もいゝ心持はしたが、それでも今日のやうな心持はしなかつた。今日は何だかのんびりした生れ更つたやうな心持がする。何故だらうと三藏は考へた。尋中を卒業した當時の心持も餘程ゆつたりしてゐたが、其時とは又大變趣が違ふ。時計を出して見ると十二時を過ぎてゐる。朝飯を食つてまだたいした時間も經たぬのにもう空腹を覺える。三藏は掛茶屋に腰を掛けて握飯を取出して食ふ。叡山は隆起した背中を三藏の方に向けてゐる。三藏はその大きな叡山の麓の小さな掛茶屋の床几に自分は今腰かけてゐるので、叡山の大に比べると自分は今豆人形の樣に小さいと思ふと、一種の悲しいやうな快感が腹の底から湧き起つて來る。さう思つて手にしてゐる白い握飯を見ると、此處から見た叡山と同じやうな三角形をしてゐる握飯の、白い上にも眞白い米の粒々として相重なつてゐるのが涙が零れるやうに面白い。三藏は暫くそれを眺めてゐて、其飯の白いのにも負けぬ白い齒を徐ろに其一角に當てる。氷のやうな冷たさがぢつと其齒に浸みる。
擲げ出した草鞋の爪尖を小さい川が流れてゐる。岸の枯草には雪が積つてゐて汀には氷が張つてゐる。三藏は又この川に沿うて流るゝ時の悠遠を想うて、この狹い山間に歴史が印した足跡を繰る。
「寂光院はまだ遠いですか」と三藏は茶店の婆さんを顧みる。
「寂光院さんどすか。もうすぐどす。そこの橋をお渡りやしたら、小さい徑が分れとりますさかい、其處を右へお出でやすとお寺があります。それが寂光院さんどす」と婆さんは答へる。
寂光院の門はひたと鎖してある。戸の透間から内を覗いて見ると、庭一面の雪で、木の根や石の上から丸く持上つた雪が他の木の根石の下までふつくらと積つてゐて、たゞ其木の葉の尖から落ちた雫が點々と其上に少しの痕をとゞめてゐるばかりである。加茂川堤から八瀬大原に這入つてからも、たゞところ/″\に僅かの雪が消え殘つてゐたばかりであつたのに、今渡つた小川の板橋から此門に來るまでの徑も草鞋を埋むるほどの雪があつたし、更に此戸の透間から見ゆる庭の雪は一層の深さのやうに見える。彼の板橋を第一の關門とし、此山門を第二の關門として雪の深さを増してゐるやうに見える。
「御免」「頼みます」と幾度呼んでも返辭が無い。木魚の音が尚靜かに聞える。三藏は此まゝ引き返さうかと思うたが、終に握り拳を戸に當てゝ叩いた。初めは輕く叩く。返辭が無い。終には烈しく叩く。まだ返辭が無い。朽ちた戸の碎けよとばかり叩く。
木魚の音が止んだ。三藏は又叩く。木魚の音が又響き始めたと思ふと他にも幽かなる物音が聞える。耳を澄ますと人のけはひである。程なく細目に開けた雨戸の透きに尼の白衣がほのめいて「どなたどす」といふ。三藏は戸の節穴に口をつけて、「私は學生ですが、どうかお寺を拜まして下さいませぬか」といふ。雨戸は開いたまゝで尼の姿は隱れる。木魚の音が又止む。暫くして木魚の音が又響き始めたと思ふと今度は下駄の音が内玄關の方に聞えて、やがて其處の戸が開く。
朽戸を開けた尼は十七八の見にくゝ無い顏立である。默つたまゝで三藏を導く。其白衣も其白足袋も雪に映えて汚れ目が目立つて見える。三藏は其後姿を見て、殊に背の低い、丸めた頭の形の稍いびつなのに目を留めて哀れに思ふ。尼は急に後ろを振返つて「石の上をお歩きやす」といふ。雪は飛石をも隱して積つてゐる。けれども尼の足駄の痕が雪に踏みにじつて其處を飛石といふ事を明かにしてゐる。三藏は其尼の足痕を歩く。
三藏は内玄關の上り口に腰を掛けた。かじかんだ手で草鞋の紐を解く。尼が汲んで來て呉れた古盥の底の方に僅かばかりある水に足をつける。突然後ろから一條の水が盥の中に落ちる。三藏は驚いて見上げると、鐡瓶の口から沸つた湯が盥の中に注がれてゐるのであつて、彼の尼が默つて後ろに立つて居る。冷たい雪の中に暫く立ちすくんで、今は又其雪より冷たい水の中に足を浸けて、尚其邊の空氣の冷え切つてゐる中に、一條の熱湯が湯氣を棚引かせながら鐡瓶の口から出てゐるのは、牢獄の壁から洩れる一條の日の光りよりも此場合三藏に取つてなつかしいものであつた。三藏が見上げた時の尼の顏は先きに戸を開けてくれた時よりは
再び出て來た尼は先に立つて三藏を導く。先づ本尊の前に立つて「本尊は阿彌陀如來、聖徳太子の御作」と説明する。金閣や銀閣の小僧がする棒讀みのやうな説明とも違ふが、其言葉のうちには何の暖か味も無い。さつきから時々耳に這入つてをつた木魚の音は今直ぐ目の前に聞える。暗い小さい禮盤の前に七十許りとも見ゆる小さい尼が、首を前に垂れて猫背を後ろに突き出して、口のうちでは殆ど聽き取れ難いやうな讀經をしてゐる。
佛壇の中に二體の像がある。其一つは建禮門院の御像、他の一つは阿波の内侍の像、茶色の法衣に當る處にも蟲の穴が澤山見えるが、胡粉で塗つてある。汚れてゐ乍らも白く拜まるゝ御顏にもところ/″\に蟲の穴がある。「女院が御手づから張らせられる張子の御像」と説明する阿波の内侍の像は、顏は少し赤味を帶びて木像の背は女院のよりも低く見える。三藏は源平盛衰記で讀んだ大原御幸、國に居た時耳にした事のある謠曲の大原御幸の文句が入り交りて思ひ出さるゝ。先に内玄關で感じた空氣の冷たさ、それと同じやうな空氣の冷たさを先の本堂でも感じ今又此室でも感じる。人の世を橋にて隔て門を鎖ぢて隔てた此深雪の中の寂光院には人の世の暖か味は先の鐡瓶の湯の外には何物も無い。
ふと見ると尼は右の脚が痛むのであらう兩手で壓へて顏を顰めてゐる。三藏は「どうかしましたか」と優しく尋ねたが尼は其言葉を有難く思ふやうな風も見えず「リョウマチどつしやらう[#「リョウマチどつしやらう」はママ]」と餘所々々しくいつて「しやうが無い」と
尼は今開け差した雨戸に凭れて三藏の傍に立つ。兩手を雨戸の上に重ねて其上に頬を載せて、痛む右脚を少し浮かせて三藏の見る庭面を只茫然と見てゐる。若しこれが緑の長き髪を束ね美しき衣を著てゐる俗世の娘であるならば、斯る姿勢は寧ろ妖艶に過ぐる程のものであらう。而もいびつな頭に汚れたる白衣、それに背に負ふ帶も無い爲めに低い背が愈低く見えるこの比丘尼には何の色氣も艶氣もない。
三藏は謠曲大原御幸の文句を胸のうちで繰る。『池の萍波にゆられて』とある池はと見ると、只雪ばかりの庭の面にも少し低くまつた處があるのを大方それであらうと考へる。『岸の山吹咲き亂れ』とか『汀の櫻散り敷きて』とか『青柳絲を亂し』とかある晩春初夏の景色は此落寞たる雪の中で固より想像することは出來ぬ。『一宇の御堂あり、甍破れては霧不斷の香を焚き』とある其御堂は
尼は雨戸を締めて三藏が
三藏は草鞋を穿く。尼は後ろに立つて淋しく見送る。三藏が玄關を出ようとする時幽かに餅の焦げる匂ひがする。
三藏は彼の朽ちた門を出て、雪の細道を歩いて、彼の小川の板橋を渡つて、其から又寂光院を顧みた。古き物語のあとの古寺を訪うて三藏の頭にしみ/″\と殘つたものは彼の若き尼と鐡瓶の湯と餅の焦げる匂ひと、それに今一つ彼の木魚を叩きつゝあつた猫背の老尼の三藏を振返つた懶い目とであつた。
三藏は其翌日三角の宿題をやらされて一時間黒板の前で立往生をした。
二十五年初夏の出來事一つ。
或夕暮三藏は京極から四條の方へ散歩に行つた。三藏は時々買物に寺町へ行く事はあるが京極へは滅多に行く事はなかつた。京極の錦魚亭でたゞ一度善哉を食つたのももう大分前の事である。三藏は今宵珍らしく獨りでぼつ/\と京極を歩く。大變な人出で「お這入りやーす」と言ふ
鮨屋と小間物店との中に押しつぶされたやうになつた小さい這入口に赤い紙で縁を取つた横長い行燈が額のやうに掛けてあつて、それに鶴澤小梅とか豐竹玉之助とか豐竹玉子とかいふ名が肉の太い字で大きく書いてある。三藏は此狹い入口の奧に寄席があるのかと思つて見てゐると三味線の音が思はずも鮨屋の二階から聞える。鮨屋の二階が寄席になつてゐるものと見える、職人のやうなものが這入る。遊び人のやうなのも這入る。餘程下等な寄席と見えて見なりの惡い者ばかり這入る。三藏は人に押され乍ら此處を立去らうとしてふと見ると自分の同級の學生二三人が今此寄席に這入らうとしてゐる。其内の一人は今迄著てをつた制帽を脱いで懷の中に捩込んで這入つた。三藏はあつけに取られて見てゐると、をばさんらしい人が一人の娘を連れて這入つて行つた。確かにをばさんらしいので三藏は覺えず延び上つて見たが、少し違ふところもあるやうで、はつきりはわからなかつた。をばさんが此頃自分の下宿してゐるうちの娘が美しいと言つて自慢してをつたが若しあの娘がそれであらうか。いくら平氣なをばさんでも其娘を連れて歩くなどいふ事はあるまいと三藏は考へた。
三藏は心地よく人の氣に醉うたやうで、帽子を懷に捩込んだ友達や、娘を連れてゐたをばさんらしい人を見たことも矢張り暖かい感じになつてしまつて、歩くとも無く京極を歩いてゐるうちにいつしか四條通りに出た。四條通りは京極よりは道幅も廣いし人通りも比較的少ない。三藏は一寸立止まつてどちらに行かうかと思つたが、南座の芝居の幟や四條橋畔の明るい電氣燈が今宵は殊に三藏の心を牽き附ける。三藏の足は知らず識らずに東に向ふ。
此夜は色々の物が三藏の目に留る。紅屋の看板の紅で書いた字が心を牽く。呉服屋の店頭に吊してある色々の小切が目の前にちらつく。牡蠣飯屋を出て行つた若い夫婦の女の蝙蝠傘が美しいと思ふ。四條橋畔の電氣燈のパッと明るい下に今向うから此方へ來る二三人の女の顏が目に入る。一人の女は女中らしい顏立で
鴨川の南岸の燈が仕掛花火のやうに水に映つてゐる。物音がざッと三藏の耳に集まつて來る。三藏はふら/\と橋を渡る。
橋を渡り終つて橋畔の電燈を後にすると、少し燈火の光が弱くなつたと思ふ間も無く南座の前の電燈が又パッと晝よりも明るく街上を照らす。多勢の男や女やが皆顏を上げて繪看板に見とれてゐる。繪看板の框の赤い色と其前の突き出して交叉してある紫の旗とが中心になつて、其外に種々の色が錯綜して、其色の中から拍子木の音や三味線の音が聞える。三藏は其繪看板を見てゐる女の髷の高低に目をすべらしてふと一人の少女に目を留める。
矢張り立止つて繪看板を見てをつたのが、何とか言ひ乍らついと歩きかける。美しい雛樣のやうな著物を著てゐて頭にも櫻のやうな簪を插してゐる。三藏はこれが舞子だと氣がつく。さうすると又其あとから一人出て來る。一人かと思つたら二人連れである。あとの一人は前の一人のあとを追いかけて、二人で手を組んで、又何とか言ひながら一緒に繪看板を振返つて行く。
南座の前を通り過ぎると南側の家の軒下に悉く角い行燈が出てゐる。三藏は道の
三藏は歸
其夏の休暇には大方皆歸省した。加藤も平田もをばさんも綾子さんの家に居た山本も歸省した。歸省しなかつたのは増田と三藏ばかりである。三藏は六十幾番といふ札を提げて歸るのを面目なく思つたばかりでなく、此夏は自分の不成績であつた第一の原因の獨逸語を勉強し度く、それには
三藏は獨逸語の教師のうちへ行く/\と言ひ乍ら一週間許り空しく過した。それから漸く頼みに行つたら、其教師は避暑旁何處かへ旅行したといふ事で折角の計畫が畫餅に屬したけれども三藏はそれを殘念とも思はなかつた。
風通しの惡い奧村の座敷で増田と三藏とは毎日只ごろ/\して日を暮してゐる。増田は時々例の物案じをしては日中は大概晝寢をする。肌を脱いだまゝ古びた疊の上に仰向けに轉がつて、少し飛び出た前齒を開けつ放しにしてすう/\寢る。三藏は晝寢は嫌ひだ。行李の中に收めてあつた小説などを取り出して見る。暫く忘れてをつた興味が呼び起される。此一年間の學校生活がつくづくつまらなかつたと考へる。去年故郷の書齋で近松世話淨瑠璃以下を讀破したあの勇氣が今日まで續いてゐたらと考へる。其時書きかけた小説の原稿を取り出して讀んで見る。自分ながら旨い處があると思ふ。あの時分から續いて筆を握つてゐたらたしかにもう一二篇の作物は出來てゐたらうと殘念に思ふ。露伴に負けぬ氣で二十一歳迄にはと思つてゐた其歳ももう半年足らずのうちに來る。斯うしては居られぬやうな氣がする。
増田が物案じしてゐる隙に三藏も筆を執つて紙に向ひ始めた。寂光院の若い尼を主人公にして、其若い尼と四條で見た舞子とを姉妹にして趣向を立てたのだが筆が澁つて
東京に居るといふ増田の友達から近日遊びに行くといふ報知が來た。増田の話す處によると此友達といふ人は俳句が上手なばかりでなく小説も作るさうで、行く/\は文學者として立つ人ださうだ。増田は法學部で無味乾燥な法理や條文を研究してゐる人だが、其人が俳句を作るといふ事は左程三藏を刺戟もしなかつたが、自分と同じく小説を作る志望の人が矢張り俳句を作るので、しかも上手だと聞いたので三藏は俳句其ものゝ上にも多少尊敬を拂ふやうになつた。さうして竊に其人の風采を想望して心待ちに待つてゐた。
此増田の友達は五十嵐
五十嵐十風は其廢業した
三藏は畏敬して五十嵐を迎へた。五十嵐の色の白い、背の高い、咳をし乍らも聲の高い、元氣のよいのが先づ三藏を壓服した。それから文壇の話になると、紅葉にも露伴にも會つたことは無い、逍遙鴎外も知らぬ、僕は文學者は誰も知らぬ、たゞ仲間の四五人と遊び半分に研究してゐるだけだと言つた。其無造作に開け放しな所が又三藏を牽きつけた。山本の机の前に坐つてはゐるが、其擧動といひ風采といひ山本とは大變な相違で、豫々幅を利かせてゐたメリンスの赤い机掛が急に色があせて日蔭者になつたやうに見えるし、綾子の方の饒舌も五十嵐のカラン/\といふ高笑に氣壓されてしまつて更に活氣が無い。五十嵐は又増田に對しては俳句に就ての講話で持ち切る。別に高ぶる風もないがそれで居て權威がある。三藏は其俳話に聽き惚れた。
奧村の座敷は夏でも暗いに引換へ、姉小路の家は朝日夕日が斟酌も無く射し込む。「京都といふ處は暑い處だ」と五十嵐は大きな聲を出して歎息する。さうして奧村へやつて來て「おい増田、俳句でも作らうかい。ぢつとしてはゐられないぢやないか」と言ふ。増田は先刻から神棚の下で眠むさうな眼附をしてゐる。「何んだ、居眠りをしてゐるのか。さあやらう/\」と自分から題を出す。斯んな調子で毎日百句位は作る。増田が長煙管に煙草をつめ乍らゆつたりと句作するのと反對に五十嵐は顏をしかめて其邊を睨みつめ又胡坐をかいたまゝ騷がしく貧乏搖をする。それで増田が漸く二句作る間に五十嵐は三四十句作つてゐる。さうして「これは暑い。貴樣の家も馬鹿に暑い」といつて其邊を見し「不景氣な神棚だなあ」などゝ言つてカラン/\と笑ふ。それから「己はもう御免だ。厭やになつた」とばたりと筆を投げて立上つたと思ふと、天井に屆きさうな長い手足を延ばして背延びをする。それから三藏の机の上を覗いて見て「塀和君、君も俳句でも作つたらどうです。さう勉強ばかりしてゐると病氣になりますぞ」と言ふ。三藏はさつき五十嵐が來る迄は竊に故人五百題を出して句案を試みてゐたのであつたが、五十嵐が來たので慌てゝ五百題を本箱の中に投げ込んで、手に當つたエノック・アーデンを開けてゐたのである。「五十嵐君、教へて呉れますか」「別に教へなくたつて君、少しやつて見給へ。すぐ出來ますよ」「だつてまだ何にも知らないんですもの」「それぢや僕が題を出すから、どんなものでも構はん、兎に角作つて見給へ」それから三藏は題を出して貰つて初めてやつと一句を作つた。五十嵐は「これは旨い。初めからこんな句が出來れば立派なものだ。大いにやり給へ」といつて油を澆ける。今迄はやり度い乍らも躊躇して居つたのが、これから俄に景氣づいて三藏は朝から晩迄十七字を竝べる。五十嵐は頻りに讃める。終に増田と三人で同じ題で句作する迄に進む。五十嵐の讃める句は増田よりも三藏の方に多くなる。「矢張り文學者は違ふわい」と増田は齒をむいて苦笑する。三藏は五十嵐に俳號をつけてくれぬかと頼むと、五十嵐は「俳號なんかどうでもいゝさ。君の好きなのをつけ給へ」と言ふ。「だつて僕には旨くつかないんですもの」と三藏はあまえたやうな口を利く。五十嵐がいろ/\考へた末「考へたつて駄目だ。僕は五十嵐の十の字と嵐の風の字を取つて十風としたのだが、どうだ君、三藏の音をそのまゝに山僧としては」と言ふ。三藏はも少し優しい名と思つたが、兎に角尊敬する先輩十風の命名であるから異議なく其號を用ゐることにする。又増田が花翁といふ尤もらしい俳號であることも三藏は此時初めて知つた。
五十嵐十風は夜になると毎日のやうに細君の方へ出掛けて細君と一緒に四條から京極あたりを散歩する。時として二三日歸つて來ぬ事もある。何處へ行つたのかと思ふと三井寺から唐崎の松を見に行つたのだと言ふ。それから「あいつが君、唐崎の松に失望してねえ、もう己と一緒に散歩に行くのは厭やださうだ。それから君、唐崎なんかへ行くよりは
増田と三藏とは同行に決して五十嵐について行く。五十嵐は「一寸君待つてゐて呉れ給へ」と或る町角に二人を殘して置いてコン/\咳をし乍ら亂暴に駈足をして或る一軒の格子戸の前に立止つたかと思ふと、長い首をかゞめて其格子戸をくゞつて這入つて行つた。却ゝ出て來ない。やつと出て來たのを見ると細君と一緒だ。三藏はまだ女と一緒に出歩いた事などは無い。其五十嵐に引き添うてこちらに歩いて來る背の低い細君の姿を見るとはつと心が躍るやうに覺える。殊に吉原の女郎であつたといふ事は増田から聞いてゐるので、何だかぢつと見るのが目ぶしいやうな氣持がする。細君は例の大きな口を開いて挨拶する。三藏は眞赤になつて「私は塀和三藏といふものですが、いろ/\五十嵐君に御世話になりまして」と堅い挨拶をする。それから四人で車を連ねて嵯峨に向ふ。眞先の車が五十嵐、それから細君、それから増田、三藏は一番あとの車に乘つて、増田の麥藁帽越しに細君の絹張りの紫色の蝙蝠傘をつく/″\美しいと思つて
斯くて四人は三軒家に上る。細君は小さく坐つて疑ひ深いやうな眼附をして一寸周圍を見はす。座蒲圃や煙草盆を運んで來た女中は皆言ひ合はしたやうに怪訝な眼をして細君を見る。三藏は氣をつけて見てゐると二人の女中が隣の間で耳打をしてフンといつたやうな冷笑を洩らしたりなどする。細君がもと女郎であつたことが直ちに女中達の眼に映ずるものと見える。さう思つて見ると細君の顏は馬鹿に淋しい。五十嵐の顏にも黒い雲が翳つてゐるやうな感じがする。三藏の頭は義憤を起す。「おい/\姉さん/\その方にも座蒲團をあげぬか」と三藏は突然叱りつけるやうに言ふ。女中はぢろりと三藏と細君の顏を見較べて「おしきやす」と澄まし切つて言つて一寸襟をいなす。三藏は益ゝ躍起になつて「あなたお敷きになつてもいゝぢやありませんか、私も失禮してゐます」と不器用に言ふ。細君は其大きな口をハンケチで壓へ乍ら一寸五十嵐の顏を横目で見て座蒲團の端へ僅かに膝を載せる。三藏は「もつとずつとお敷きになつたらいかゞです。どうか/\」としつこく繰返へす。細君は術なさうに五十嵐の顏を横目でチョイ/\見ながら默つてゐる。
嵐山の翠微、其前を廣々と流れてゐる桂川の白砂、渡月橋を渡る人、此方の岸に繋ぐ筏、それから白い手拭を被つて櫻の葉蔭に立つてゐる畑の媼等、是等が一幅の畫圖になつて目の前に展開されてゐるのを五十嵐は柱に背を凭せて昂然として眺めてゐる。
酒肴が運ばれる。増田は「僕は飮めん」と言つて大きな竹の子を一口に頬張る。五十嵐は大いに飮む。「増田貴様は相變らず飮まんな。己か己は大いに飮むサ。病氣が何んだ、やッつけるサ」と言つて少し咳をし「塀和君、どうだい君は。君なんかには餘り酒は勸めない方がいゝけれども、飮めるなら少し位いゝだらう」と言ふ。さうすると細君がハンケチで燗徳利を握つて三藏にお酌する。五十嵐の顏はだん/\青白くなつて眼がきら/\と光つて來る。細君の方を向いて「貴樣も飮まんか。いやに澄まし込んでるねえ、氣取つたつて駄目だよ。ハヽヽヽヽヽ」と笑つて「こいつがねえ増田、いつか醉つぱらつて腰が立たなくなつてねえ、くす/\泣き出しやがつて、其ざまつたら無かつた。今日厭に澄ましてやあがる。これでも素人と見せる積りだから可笑しい」と言つて又咳き入り乍ら笑ふ。細君は「好かないねえ、此人は」とつい下卑た言葉を使つたが、「御酒を飮むといつでもあんな事を言つて仕方がありませんのよ」と急に言葉を改める。三藏はさつき五十嵐が「君なんかには餘り酒は勸めない方がいゝけれど」と言つたのが少し癪に障る。盃が空になると細君がすぐ氣を利かしてついで呉れるのを感謝して頻りに飮む。大いに醉ふ。細君の前の盃も見る度に空になつてゐる。三藏は頻りと注ぐ。細君が「いえまだあります」と辭退するのを「まア/\」と頻りに勸める。細君は五十嵐の耳に口を寄せて何事をか囁き、笑ひかけた口を急にハンケチで隱して眞面目な顏に戻る。五十嵐はハッハッハと開けつ放しに笑ふ。それから三藏に「塀和君、今こいつが斯んな事を言つたよ」と言ふ。細君は「アラ、およしなさいよ」と顏色をかへて五十嵐を睨む。
五十嵐は構はずに「ねえ塀和君」といひかける。細君は「アラ、いけませんッてば。およしなさいよッ」とハンケチを五十嵐の眼の前でチラ/\と振り動かして揉み消さうとする。五十嵐は面白がつて「こいつがねえ君、君をねえ……」と言ひかける。細君は「厭な人、知らないッ」と突慳貪に言つて眞白な眼をして五十嵐を睨みつける。後ろを通る女中どもはさげすんだやうな眼附をして細君を見下して行く。三藏は「何か僕についての批評かい。それは聞き度いねえ」と膝を乘出す。頸元まで眞赤になつて、胡坐をかいた膝の上に兩肱を乘せてふら/\と體を動かし乍ら微笑を含んで五十嵐と細君の顏を等分に見る。細君は默つて息をつめて五十嵐の顏を見てをると五十嵐は無造作に話し出す。細君は手を出して五十嵐の口に蓋をせうとしたがもう及ばなかつた。「君が女郎買でも始めたら屹度半可通になるとこいつが言つたぜ。ハヽヽヽ」と五十嵐は笑ふ。細君は「うそですよ/\。
五十嵐は三藏の顏色を見て急に笑ふのを止めて「おい塀和君、君怒つたのかい」と言つた。細君は「だからおよしなさいといつたのぢやありませんか」と言つて一寸ハンケチで五十嵐を打つ眞似をしたが手持無沙汰に三藏の顏を見て「
五十嵐は又重ねて「塀和君本當に君怒つちやゐないの。それならいゝが、そんな下らぬことを眞面目に怒つちやいかんよ」と言つて、それから暫く默つて時々咳をし乍ら冷たい酒を又續け樣に飮んだ。細君は「すぐお熱いのが來ますけれど」と言つて燗徳利を取上げて三藏の顏を見た。五十嵐は「増田、何句位出來たい。君は無愛想な男だなア、少し話もしろよ」と言ふ。細君は「本當に増田さんは
「熱いのが來ましたから」と言つて細君は三藏にさした。三藏は受けた。五十嵐も亦飮み始めた。それから急に眞面目な顏になつて「塀和君、僕はねえ、白状するが、もう僕の生涯は駄目だねえ、もう濁水だねえ。今僕の夢想する世界は斯う、眞白な岩の間から白い眞砂と共に流れ出てゐる清水のやうな境界だねえ。どうかさういふ境界に立戻り度いと思ふのだが、もう駄目だ」といつて目の中に涙を浮べて居る。三藏は其五十嵐の言葉に牽きつけられて耳を
「塀和君などはまだ少しの濁りも無い、所謂清水の境界だ。羨ましいな。増田でも塀和君でも一旦僕等の眞似をしようものなら忽ち取返しのつかぬことになつてしまふ。餘程氣を附けないと
三藏は瞬きもせずに五十嵐を見詰めて居る。先つきから既に五十嵐の眼に在つた涙は、だんだん量を増して來て溢れさうになつてゐる。細君は懷から大きな紙の束を出して其内の一枚を唇で巧に取つて、其儘下目を使つて再び其紙の束を懷中に收め、それから唇に殘つた紙を手に取つて盃を拭く。拭き乍ら「何でせうね、此黒いものは。塀和さん、あなたのにも附いてゐやしませんか」と覗き込む。三藏は自分の盃を見ると、成程今飮み干したばかりの盃に何處かの煙突から飛んで來た煤かと思はるゝやうなものが附著してゐる。細君は又先きのやうにして一枚の紙を取出し三藏の盃を拭いてやり「あなたのは」といつて五十嵐のを見「厭やあねえ、あなたお酒と一緒に飮んでしまつたのね」と言つて艶な眼附をして五十嵐を見る。此時五十嵐の眼は細君の大きな丸髷の赤い
五十嵐は京都で世帶を持つ積りだといつてゐたが、はきはきと其運びをするでもなかつた。嵐山行きの費用は細君が帶の中から男持の蟇口を出して支拂ひ、其後夫婦連れで例の
翌日になるともう五十嵐は家を探す勇氣が無い。三藏は昨日夫婦連れで家を探しに出たと聞いた時、エノック・アーデンにある鳥の巣のやうな棲家といふそのネストライクといふ形容詞が思ひ出されて羨ましいと思つたが、實際五十嵐の身になつて見ると、家を構へたところで、其敷金はどうする、世帶道具はどうする、米代はどうすると考へると何の成算も無いので、家を探しながらも、萬一どうかした事で契約でも出來たら扨てどうしてよいのだか困つた事だと思ひ乍ら歩いて居たので、三藏の想像したやうな樂しい心持は更に無かつた。況して今朝になつて見ると何の爲めに昨日は歩いたのだか殆どわけがわからぬのに氣が附いて、出來るだけ朝寢をして寢返りばかり打つてゐたが、十時頃俄に蒲團を蹶つて起き出でゝ、今日は獨りで大阪へ行つて來ると言ひ出した。それから汽車賃をこしらへる爲めに細君を親許へやつて細君の著替を一枚質屋に曲げ込ませて、其金を握つて晝頃出掛けた。大阪には五十嵐の叔父に當る人が居て此頃は殆ど絶交同樣になつてゐるのを今日は押しかけて訪問する積りである。
細君は晝過ぎ一人ぼんやりと座敷の眞中に坐つて居たが、戸棚の中に仕舞ひ込んであつた自分の小さい鞄を取り出して、其鞄の中に
殆ど空になつて、同じく其鞄の底に投げ込んであつた財布の底に五厘錢を一つ見出して近處で姫糊を買つて來て、綾子さんの大きな皿と刷毛を借りて來て、鐡瓶の湯を加へて糊を薄く溶いた。それから同じく其鞄の中に何かゞくるんであつたあまり皺の寄つてをらぬ一枚の古新聞を取り出してこれを其疊紙の心にせうと決心した。扨て萬事整つたが此心の上に張る反古が無いのに頓と困つた。増田さんか塀和さんに貰つて來ようかと腰まで上げかけたが、急に思ひついたものがあつて、今度は五十嵐の方の大きな鞄を開けて何物かを探し始めた。
細君が五十嵐の鞄の底から取出したものは大きく卷いた二束の文殼である。これは過去一年間に五十嵐と細君との間に取り交はされた艶書の殼である。細君は其二束を兩手で一緒に取り上げたが、やがて一束の方は再び鞄の底に戻し、一束だけを持つて座敷の眞中に歸り、一番上側に卷いてある二本の手紙をする/\とほぐし取つて讀むとも無しに見る。これは新らしいはうで、廢業する一月程前に細君から五十嵐に出した、文面の意味は取敢へず來て呉れぬかといふに過ぎぬ簡單な手紙であつて、文字は幼い字體の平假名が薄墨で亂暴に書いてある。細君は此手紙を書いた時の事を思ひ出すと今この姉小路の座敷に斯う坐つて居ることが夢のやうに思はれる。丁度この手紙を書き掛けた時であつた、妹株になつてゐる梅代といふ女郎が
左の二の腕の所が痒い。細君は刷毛を口にくはへて糊のついた手の甲で左の袖をまくり上げて痒い所を散々に掻く。
漸く半面を張り終つた頃細君は今の身の上を考へて豫期してゐた程でなくつまらぬと思ふ。此考へは此間から屡起る。けれども
三藏は「十風君留守ですか」と言つて其儘歸らうとする。細君は出てゐた
「困つたのは古宮とあの人とが落合つた時でした。餘程氣骨を折つても、惡くすると、兩方共の機嫌を損ねつちまつたりなんかして、本當に弱りましたわ。それでも、あの人も古宮といふものがあることは
五十嵐は不思議な眼附をして此一座を見る。殊にそのぎら/\光る眼は先づ艶書の束に止まり、細君の手許から、張り掛けられた疊紙、それから又三藏の首筋に及ぶ。細君は「大變早かつたのですね」を少し驚いて五十嵐を見上げる。五十嵐の癇走つた聲が晴天の霹靂と破裂する。「貴樣ッ。何をして居るのだ」「疊紙を張つて居たのです」「馬鹿ッ。恥を知れよ恥を。人の前で斯んな物を出し散らかしてッ」と其處に轉げてゐた文束を取つて細君に擲げ附けると、細君の前髪の邊にはたと當つて櫛が飛ぶ。「斯んな物を馬鹿なッ」と疊紙を八ツ裂きに裂いてそれを丸めて又細君に擲げ附ける。細君は青い顏して口をむつと閉ぢ目をショボショボさせながら默つてキチンと坐つて居る。細君は五十嵐が腹を立てゝ物を擲げ附ける時や、長い骨々した腕で
細君は漸く體を動かし始めて、
其夜五十嵐は犇と細君を抱き締めて寢る。斯る事のあつた夜はいつもさうである。
五十嵐は昨日七條の停車場迄待つて其處で俳友の一人の佐野四郎に逢つた。佐野といふ男は嘗て五十嵐と一緒に兵學校の試驗を受ると言つてをつたこともあつたが併し間際になつて止めた。それがいつの間にやら或商館に這入つて、頭を綺麗に分けて雪駄を穿いて前垂を掛けて居た。それで昨年など五十嵐と一緒に
女中が持つて來た釣錢も其處へ置いて置く譯にも行かん。財布を開けると今朝細君の著物を曲げ込ませて拵えた銀貨が淋しく底の方に光つてゐる。其上に厭や/\乍ら其釣錢を投げ込むと急に光るものゝ數が殖える。五十嵐は又厭や/\乍ら其財布を懷に押込んでもう大阪にも行かず家に歸つて見ると前囘に陳べたやうな細君の淺ましい癡態を見て癇癪玉が一時に破裂した。併し其暴風雨の跡はからりと晴れて今朝になつて見ると佐野の高慢もそれ程もう癪に障らぬ。晝飯には昨日の財布を細君に持たせて近處の鮨を買はせにやる。さうして二人で旨く其鮨を食つてしまつて、それから佐野に『兎に角頼む。どうか工面して二三日うちに歸京する』といふ意味の手紙を書いた。
五十嵐十風は増田や三藏に迷惑を掛けて姉小路の拂ひをすませて遂に細君を連れて東京へ歸つてしまつた。其時増田や三藏に「これから俳句を添削して貰ふのには東京の文科大學に居る越智李堂が善からう。此男は人物が立派で、自から我等仲間の中心になつて居る。僕から照會してやつて置くから君等からも手紙を出して依頼してやり給へ」といつた。其から三藏は直ちに増田と連名の手紙を認めて頼んでやつた。李堂からは直ちに返事が來た。増田は「字體が十風に似てゐる」と言つたゞけで別に意にも留めなかつたやうだが、三藏は筆蹟が見事で文句も莊重だと思つた。さうして深く/\又李堂といふ人を敬慕した。程なく學校が始まつて獨逸語は愈六つかしくなる。物理の教師が變つてベラ/\英語で講義するので三藏は又これに惱まされる。土曜の午後になると生き返つたやうな心持で増田と二人で句作する。さうして直ちに李堂に批評を頼んでやる。李堂からは直ぐ懇切な批評を加へてかへす。或時返事が少し遲れた事がある。どうしたのかと待兼ねてゐると、『頃日、當地小説熱盛んにして同志のもの數人と小説會を組織す。殆ど毎日曜開催する程の盛況なり。山僧君は小説にも意ある由十風より傳承せり。若し學課の餘暇あらば何にても宜し御寄送を望む』といふやうな事が書いてあつた。其次の手紙に又『山僧君學課御多忙の由御察し申す。一方に小説盛んになると共に他方に亦俳句會も成立せり。從來の同人の外に或一團體と合同して近來は運座といふものを催せり。此運座なるものゝ方法等説明したけれど書端意を盡し難し。近日同人のうち篠田水月(早稻田專門學校に在り)御地に罷越すやう申し居れり。其節は名所舊蹟御案内頼む。當地の俳況及運座の方法等直接水月より御聽取可被下候』とあつた。
それから篠田のまだ來ない前に李堂から又葉書が來た。『同人中の先輩奧平北湖先生二三日うち御地を
見ると北湖先生は瘠せこけた背の高い紋附羽織を著た五十近い老人で、薄い顎鬚を神經的に引張りながら「李堂でやすか。文學に熱心なことは非常なものですな。私と李堂とは同郷でやして私の監督してゐる寄宿舍に李堂が居つた頃から私もつい仲間に引張り込まれて、俳句では李堂のお弟子でやす。それでは一題やりませうか。私は七時いくらかの汽車ですぐ國の方へ立つ積りでやすが、今は何時でやすかな」と帶の間の時計を探される。前にぶら下つて垂れてゐるに拘らず頻りに狼狽へて帶の中を探される。漸く探し當てられて「もう四時が近いでやすな。それでは私が題を出しませう。少し早いやうでやすがもう秋にしますかな芒はどうでせう」と言つて増田の出した半紙を一枚取つてそれを二つに折り、三藏の硯箱の中から一本の筆を取出して、尖の堅くなつてゐるのをいきなり硯池に突き込んで、もう早や何か書かれたが、薄墨がにじんで大きな染みが半紙に出來る。
北湖先生は客膳を召し上る。「私は胃が惡いので蒟蒻だけはいけませんてや」と言つて絲蒟蒻の上に止まつたやうに乘つかつてゐる三切許りの堅い肉を齒をむき出して噛まれてゐたが遂に噛みこなし切れず膳の上に吐き出された。「先生、生卵はいかゞです」と三藏が言ふと、「鷄卵でやすか鷄卵も一つはよございますが、二つ以上食ふと不消化でやすな。いえ、もう結構」と茶をかけて堅い飯をざぶ/\と掻き込まれる。御飯は五分もかゝらぬうちに濟んでしまつて、先生は「芒はなか/\むづかしいでやすな。山僧君のお句のうちではこれが面白いでやすな。花翁君のではこれがえゝやうですな」とそれから二人の句を一々批評されて「私は猿蓑が好きでやして、中でも凡兆の句が純客觀的で面白いと思ひますてや」とそれから又凡兆の句の面白味を丁寧に説明される。十風は只いゝとか惡いとかいふだけであつたが、先生のは一々理由を説明される。三藏は進んで質問を始めようとしてゐると先生は帶の間から又時計を出して見られて「六時でやすな。これは大變だ。停車場迄一時間ではむづかしいでせう」と俄に狼狽せられる。「一時間あつたら大丈夫です」と二人が言つても先生は尚狼狽へて居られる。何か頻りに探して居られるので「何か有りませんですか」と聞くと「いや有りました/\」と蟇口を懷から出されて忽ち疊の上にざらざらと明けられる。さうしてその中に車夫に拂ふだけの小錢があるのに安心されて、又それを掻き集めて蟇口の中に拾ひ込まれる。それから「いやどうもお世話でやした」といそがしく車に乘つて歸られた。
三藏は其夜三人の句を列記して李堂の許に送つた。而して『北湖先生の教へによつて得る處頗る多く侯。殊に凡兆の客觀的の句の面白味を承りたるは有益に存候』といつてやつた。李堂からの返書に『北湖先生は凡兆の句によつて悟入されたり。大兄が同じく凡兆の句より悟入するも、
來る/\といふ噂ばかりで延び/\になつてゐる篠田水月が紅葉を見旁いよ/\行くといつて來た。
三藏は獨逸文法に屈託した結果此頃終に或獨逸語の先生のうちへ通學するやうになつた。其先生といふのは獨逸の書物の飜譯などをして著述を仕事として居る人で、或人の紹介の下に一人位なら教へてやつてもよいとの事で三藏は二月程前から通學するやうになつた。渥美重雄といつて背の低い、まる/\と肥え太つた、髯の無い四十四五の人で、今年十八になる先妻の娘と三十許りの細君と、下女一人といふ暮しで、明け暮れ書物を開けてはペンを握り洋紙の原稿紙に細字で何か書いて居る。平常は無口で挨拶も碌にしないが、晩酌を始めると俄に口が辷り出して頻りに氣焔を吐く。書生時代の苦學した經歴談から、時としてお酒がきゝすぎると道樂話迄が始まる。三藏は一週間に二日、午後七時から行く事になつてゐるのだが、時々まだ最中のところにぶつゝかつて忽ちとつゝかまる。「まア君二三杯はいゝや。若いものが澤山飮むのはいかぬが少しは許す」など、言つて強ふる。細君が傍から「あなたのは許すのではなくつて無理にお勸めなさるのだわ。塀和さんは本當にいゝ迷惑ですねえ」と氣の毒さうに言ふ。段々馴染が出來て來ると「君僕處へ來る日だけ飯を食はずに來るサ。御馳走は無いが、飯の暖かい吹いて食ふやうな奴だけ食はしてやる」と主人が言ふ。これには細君も早速賛成して「さうなすつたらいゝでせう。どうせ先生に捕まつてお相手をさゝれるなら御飯をたべずにいらつしやい。お手料理のオムレツ位拵へますわ」と言ふ。「お前のオムレツは堅いばかりだが、その、飯の暖かいやつを食はしてやる、釜から直きに取つてぷう/\吹き乍ら食ふので無くつちや本當の飯の味は無い」と主人公は頻りに飯の暖かいのを吹聽される。其次の日は仰せに從つて食はずに行く。お約束通りオムレツが出來てゐる。それから相變らず二三杯は許すといつて十杯以上も強ひられる。さうしてしまひには成程ぷう/\吹かねば食はれぬやうな釜から直きに取つた暖かい飯を食はされる。いつでも庭に立つて庭の
令孃といふのは鶴子さんといつて主人公に
或日の事主人公は「君は俳句とやらを作るさうだが面白いものかね。東京の親戚のやつに篠田正一といつて君より四五歳年上の青年があるが、それが矢張り俳句を作り居る。四五日中に行くといつて來た。あいつが來たら君のいゝ友達になるだらう」と話した。この正一といふのが不思議にも李堂から豫て紹介して來てゐた水月の事であるらしい。
鶴子さんには先頃縁談の口があつた。烏丸通りの或扇屋で、財産はある。男は中學校を出たきりではあるが立派な性質だとの事であつたが鶴子さんは厭だといつた。細君は「そんな我儘なことを」と心の中では考へたが肝腎の主人公が「厭ならよすがいゝ」と頓著しなかつたので話は其儘になつた。其後お常が買物に出た足を態々遠りして其扇屋の前を通つて内を覗いて見ると、薄暗いやうな老舖の暖簾の中に赤いものゝ澤山ついて居るお神さんの影がちらと見えた。姿も十分には見えなかつたのであるが、お常は竊に鶴子さんに、それは/\目附の涼しい、髪の美しい、そして背のすらりと高い、女が見ても惚れ/″\するやうないゝ新造であつたと吹聽した。鶴子さんはそれを聞いて何だか其神さんの顏を穴の明く程見てやり度いやうな氣持がした。それから或時今度は自分で其店の前を通つて見た。が氣が引けてゆつくり内を覗き込むわけに行かぬ。例の暖簾の内の薄暗い店に三四人の番頭の坐つてゐた事と大きな大黒柱が暗い中にも黒光りに光つてゐたことだけちらと眼に止まつたばかりで、何だか氣が急かれて逃げるやうに通つてしまつた。あの時自分が承知さへしたら此のうちの主婦になれるのであつたがと思ふと大きな建物が覺えず振りかへられる。けれども鶴子さんは其軒に出てゐる古風な大きな看板、暖簾の内の暗い光り、古びた空氣を考へて厭だ/\と頭を振つた。如何に美しい新造かも知れぬが此のうちへ來た人なら大概想像がつく。もう其顏は見ないでも多寡が知れてゐるやうな氣がしてさつさとうちに歸つた。さうして扇屋の前を通つたことなどは
机は白い木にまだたいした汚れも見えぬ。たゞ或時
書物は何其の家政學である。四號活字で括弧が多い。鶴子さんは細い指を唇に當てゝ頁を繰つてゐたが、終に掌が口を隱す。眉が八の字になつて、大理石に皺が出來、露の白玉が兩方の眼に宿る。鶴子さんは四號活字の書物を伏せて雜誌を手にする。雜誌は女學雜誌である。眼は若松賤子の名をたづねて表紙裏の目次をさまよふ。
鶴子さんとお常とは初冬の堅い日和に今日は二人で留守居をして洗ひ張りをして居る。今張つてゐるのは木綿のごつ/\した田舍縞で、これは三藏が綿入羽織が一枚欲しいと思つて「綿入の著物が羽織になるものですか」と渥美の細君に聞くと、「兎に角お持ちなさい。大勢手がありますから隙のある時に拵へてあげませう」と親切にいはれるので、三藏は行李をひつくりかへして手當り次第に一枚の綿入を引出して持つて行つた。細君は風呂敷を明けて見て、をかしいのを忍んで奧へ持つて行つたが、鶴子さんとお常とはこれを見て耐へられずに噴き出した。古びた田舍縞でそれに袂の尖に大きな黒焦げがある。折角羽織を拵えるのにこんなものをと細君も思つたが、書生さんは其無頓著なところがいゝのだと思ひかへして「これを洗ひ張りをして何とか工面をして燒焦げを隱すやうにして御覽なさい」と細君は鶴子さんに命じた。鶴子さんは其袂の中が大きくふくれてゐるのは何が這入つてゐるのだらうと手を入れて見ると鼻紙の丸めたのが十許り這入つてゐたので又著物を擲げ出して笑つた。併し取敢へず其日ほぐすのだけほぐして置いた。それを昨日洗つて今日張板に張つて居るのである。
お常も張板を竝べて
お常は三藏を好いたらしい人だと思ふ。自分の方が二つか三つ年上らしいけれどなんだかあゝいふ人と夫婦になつて「お前さん」では勿體ないから「あなた」とか何とかいつて、木綿の著物でももつと小ざつぱりしたものを著せて、自分も生え際は薄いがそれでも滿更で無い髪を丸髷に結つて、あの人と二人で寫眞を取つたり
二人は暫く默つてゐたが、默つてゐる中に、今迄爭つてゐた勢は抜けて鶴子さんの方から口を利く。「お常」「はい」「もう何時だらうねえ」「さあ何時でございませうねえ。もう三時が近い位でございませうか」「さう。ぢや急がうね」「急ぎませう」と二人は既に乾いたらしい他の張板のをめくつて又田舍縞と色の褪せた紅絹裏とを張る。「お孃樣、塀和さんはお幾つでせう」「私知らないわ」「
篠田水月が來た。其日の晩餐には三藏も招かれた。いつもは臺所のちやぶ臺で食ふのを、此日は座敷に膳を据ゑてチャンとお客樣になつて款待された。床前に水月、其横に三藏、其に對して主人公、主人公と三藏の間にビールの瓶を控へて坐つてゐるのが鶴子さん。主人公の背中の處には少し古びた金屏風が立てゝあるのを、主人公は時々それに背中を凭しかけうとしては止める。御馳走は例の細君の手料理の西洋料理で、堅いオムレツはもうすんで三皿目のシチウを今三人で
三藏は鶴子さんに拵へて貰つた袷羽織を著て居る。お常は疊を拭き乍らちらと其羽織の紐を見る。三藏は初めて其羽織を著た時紙縒を紐にしてゐた。それを見兼ねてお常は自分の針箱の抽斗からなま/\しい青い色をした毛絲の殘りを見出して短い紐を編んでやつた。三藏は素直に其紐を締めてゐる。お常はそれを見る度に嬉しいと思ふ。
水月は主人公が大きな聲をしてカラ/\と笑ふ時淋しく幽かに微笑む許りですぐ眞面目な顏に戻る。
翌日三藏は水月を案内して糺の森から朱の玉垣の加茂の社、それから吉田村の學校、黒谷から眞如堂、若王寺、永觀堂、南禪寺と伴れて歩いても水月の方からはあまり口を利かぬ。それでも三藏の方から文學に關する事を尋ねると考へ/\話す。併しその答は三藏の問うた心持とはひたと合はぬ事が多い。水月は加茂の社の前に立つた時も、黒谷の石壇を登る時も、南禪寺の疏水工事を見た時もいつも同じやうな顏附をして居て、只三藏が歩く足に連れて歩き、三藏が立止まる處で立止まる。
「水月君、それは何ですか」と三藏は水月の手に握つて居る新聞紙包を聞く。水月は一寸考へた末口を噤んで只微笑を洩らした許りで返辭をせぬ。それから疏水について歩き乍ら暫くして、「水月君、發句は御出來になりましたか」と三藏は又口を切る。水月は又一寸考へた末「出來ませんでした」と言つて「山僧君、出來ましたか」と今度は水月の方から問を發する。それから山僧は出來た句を三四句話す。水月はそれを聞いても善いとか惡いとかいふ批評はせぬ。「それは李堂が讃めるでせう」とか「北湖先生が取るでせう」とか「それは十風當込みですね」とか言つて、それから又思ひ出したやうに「花翁君は今日どうしました」と聞く。「少し風邪をひいて今日はよう參りませんでした」と三藏は答える。水月はもう默つてしまつて何も言はぬ。
「三十三間堂邊迄行きますか」と三藏が聞くと「どうでもようございます」と水月は氣の無いやうな返事をする。「それとも歸りますか」と三藏が重ねて聞くと「歸つてもいゝです」と矢張り氣の無い返辭をする。三藏は困つたが終に歸ることにする。
渥美の家が近くなつた頃、水月は突然口を利く。「山僧君」「何ですか」「僕昨夜夢を見たです。面白い夢でしたよ」「へえ、どんな夢でした」「僕の腰に花が咲いたのです」「へえ」と三藏は驚いて暫くしてから「どんな花でした」と聞く。「何だか妙な花でした。折るとポキリ/\と丁度飴細工か何かを折るやうに折れるのです。それから折るとすぐ又あとから同じやうな花が咲くのです。折つても折つてもあとから/\と咲くものですから弱りましたよ」増田の前では常に自ら詩人らしい心持がしてゐた三藏も、水月の前に立つと忽ち俗人に墮したやうな心持がする。三藏は水月の横顏を見る。日を受けてキラ/\と光つてゐる眼鏡の奧に細い芒のやうな眼尻が見える。水月は又「僕は此間海に這入つて、いろ/\の魚の前で頻りにピョコピョコ頭を下げて謝罪をした夢も見たです」と言ふ。右の手にはまだ確と彼の新聞紙包を握つてゐる。
鶴子さんはお母さんに髪を結つて貰つてゐる。古びた小さい鏡臺が障子の前に置かれてある。此鏡臺は亡くなつたお母さんのである。今度の細君の鏡臺は別に新しいのがある。「其方をお使ひな」と細君は言ふのだが鶴子さんは必ず其古びたのを使ふ。鶴子さんは其鏡臺の前に坐つて居る。細君は今髪を解いて荒櫛を入れてしまつて
「おや早やお歸り」と細君は左の手は矢張り髪を握つたまゝ右の櫛を持つた手を止めて二人の顏を見る。水月は一寸微笑をして會釋をしたばかりで座敷の方へ行き過ぎようとする。「塀和さん憚りですが貴方お茶を入れて持つて行つて下さいな。今お常は使ひにやつたし、一寸私たちも手が塞がつてゐますから」と細君は馴々しく無造作にいふ。三藏は「ぢや此處で頂戴しませう。水月君此處へ坐つてはどうです」といつも細君の坐つてゐる長火鉢の前に坐る。水月は默つて其向側に坐つて一寸お鶴さんの方を見る。長火鉢の五徳の上には小さい金盥に何か
鶴子さんは初めて長火鉢の方を一寸ふりかえる。視線は三藏の茶を入れる姿を過ぎつて水月の横顏に及んだ時、細君の金盥の縁を袖で握つて此方へ來る顏にひたと逢ふ。鶴子さんの眼は鏡裡の我影に戻つて容姿を正す。口を正しく結んで眉と眼の間に距離を置く。細君は癖直しを始める。鶴子さんは自分の横顏を見てゐる二人の青年がある事を意識して居る。その二人の青年が如何なる眼附をして自分を見て居るかゞ鶴子さんに取つての問題である。其問題が心を占める度々に鶴子さんは鏡裏の自分の影を見る。
細君は癖直しをすませて又荒櫛で梳き直す。多い髪の毛は一度窄まつて細君の手中に收まり、更に脹れて鶴子さんの背中に流れる。美しい黒髪は新たに油の光りを添へて梳櫛は心地よく走る。鶴子さんは右手に元結を持つて肩の處に差し出す。鶴子さんの眼は鏡に映る細々とした自分の手首を見て、此手首を見つゝある二青年を想像する。細君は先づ前髪を取る。「それでは少し右が多いやうですわ」と鶴子さんの唇は鏡の中で動いて、又此聲を聞く人のある事を意識する。
細君は鬢を分ける、中をとる、髱を取る。黒髪が五つに分れて、分れ目に青みがゝつた白い地が縱横に見える。髱を拵へる。鬢を拵へる。「右の鬢尻が少し上りはしませんですか」「さう、これではどう?」「それで丁度ようございます」「左は?」「結構です」元結は二本三本と細君の手に渡つて其片端は口に啣へられキリヽと締める音が三藏の耳にも響く。鶴子さんは自分から毛筋で鬢を脹らませ、鬢櫛で鬢を掻く。目と手が同時に動いて鶴子さんの心は只鬢に止まつた時、水月の鼻は竊に油の香を嗅ぐ。
銀杏返が恰好よく出來上る。細君は默つて道具を片づける。鶴子さんは「有難う。いゝ氣持に出來ましたわ」と兩手は
鶴子さんは立上つて鏡臺を片づける。鏡臺は天井を映し障子を映し、又ちらと鶴子さんを映して箪笥の上に置かれる。「お常はどうしたんだらうね」と細君は時計を見る。「大變遲うございますね。私御飯の支度にかゝりませうか」と鶴子さんは髪屑や元結の切れを掃き乍らちらと水月や三藏を見る。「さうね、二人ともお腹が減いたでせうねえ。お常に歸りに牛肉を買わすことにして置いたのですが」と細君は戸棚から菓子器を出して「まアこれでも食べて辛抱してゐて下さいな。鶴ちやんもお座敷の方へ持つて行つておくれ」といふ。鶴子さんは座敷に座蒲團を敷く。火鉢に赤くなつてゐる大きな火を灰の中から掘り起してそれに一つ黒い炭を添へる。
水月は二日の滯在ですぐ歸京するやうな話であつたのが、三日目になつてから俄かに半月許り此方に居る事にしたと言ふ。何が氣に入つたのか判らぬが毎日ポカンと出て行つてポカンと歸つて來る。手には始終彼の新聞紙包を持つて居る。併し只持つてゐるだけでそれをどうするでも無い。「あれから別に面白い夢は御覽にならぬですか」と或時三藏が聞くと、暫く考へた末微笑して「夢は別に見ないです。併し小説の趣向がどうやら纒まりかけたです」と言ふ。「どんな趣向ですか」と三藏が熱心に聞いたが水月は微笑してゐるばかりで何ともいはなかつた。
鶴子さんは夜になると箏を
十日目であつた水月は愈小説の趣向が纒まつたといふので、筆を執るのには此家に居ては氣兼だからといつて翌朝から麩屋町の柊屋の靜かな一間を借りて移ることになつた。其晩は例の茶ぶ臺を取圍んでの小宴ではあるが三藏も亦お相客として招かれた。「どんな趣向かね」と主人公は大分滑かになつた口許に微笑を含んで聞く。水月は此夜はいつになくはき/\とものを言ふ。「心中です」「心中? 心中は不賛成だね。も少し社會的に活動する人間でも書いて見てはどうかね」「書けりや書いてもいゝですが僕には書けないです」「それは困るね。そこでどんな奴が心中するのかね」「文學者と草刈娘とです」「ハヽア、草刈娘は古風でいゝ。文學者といふのはどんな人だ。君のやうな人かね」細君が傍から「あんな口の惡い事を」と氣の毒さうに言ふ。水月は一寸考へて「矢張り僕自身になるでせう。少しは性格の違つたものにするつもりですが」と言つて眞面目な顏をしてゐる。三藏は默つて二人の話を聽いてゐる。此日は鶴子さんもお常も二人ともお給仕についてゐる。お常は庭に立つて例の釜から取つて食ふ熱い御飯のお給仕をする。三藏の茶碗には贔屓ぶりに釜の眞中のところを入れる。鶴子さんは銚子を握つて主人公にお酌しながら其話を聽く。「心中」と聞いた時少し顏を赤くして極り惡げに一寸細君の顏を
翌朝水月は柊屋に移つた。筆を執る邪魔をするでもないと思つて三藏は四五日無沙汰をした。六日目の日曜日の朝行つて見ると、水月は自分の部屋の下の庭に蹲んで何事をかして居る。見ると白い新らしいハンケチを平べつたい庭石の上に置いて其上を小さい石ころで叩いてゐるのである。「水月君何をして居るのです」と三藏が聞くと、水月は眼鏡越しに三藏を見上げて「昨日思ひ立つて高尾へ出掛けたです。もう大方枯葉に近くなつてゐた中に一二本遲く紅葉してゐたのがあつて其葉を取つて歸つて今日ハンケチに叩いてゐるところです。一寸失禮します」といつて又コツ/\と叩く。三藏は暫くボンヤリと廊下に立つてそれを見下ろしてゐる。
暫くして水月はハンケチを擴げて見る。覺束無き扇の裏繪といつたやうに僅に赤い色が映つてゐる。又元のやうにしてコツ/\と叩く。一人の女中が廊下を來る。「旦那私があんぢよう叩いてあげますさかい、ほつといてお座敷へお出でやす」と言ふ。水月はまだコツ/\と叩く。三藏は一人で部屋へ這入つて女中の汲んで行つた茶を飮み乍ら其邊を見はす。机の上には書き掛けた原稿がもう山のやうにあることゝ想像してゐたに、殆ど原稿紙らしいものも見えぬ。只何か原書が一册開けてあつて色鉛筆が轉がつてゐる。暫く其處に在つた新聞を讀んで待つてゐると、水月は漸くハンケチを擴げて眺めながら這入つて來る。三つ許りの覺束無き裏繪の中に一つはつきりした紅葉の形が眞赤に映つてゐる。「大變よく映つたのがありますね」と三藏が言ふと、「漸くわかりました。紅葉によつて旨く映るのと映らぬのがあるやうです。これに君俳句を書きませんか」と言ふ。「僕は駄目です。君書いたらいゝでせう」「何でもいゝです二人で書きませう。いつか鶴子さんが發句を書いて呉れとかいつてゐたからこれでもやりませう」と言つて硯箱を疊の上に下して「まあ君書き給へ」と三藏の方に向ける。「僕は駄目です。それより君小説は出來ましたか」「小説ですか」といつて水月は暫く默つてゐたが、冷やかな微笑を洩らして「あの小説は止めました。第一あの趣向は陳腐でものになりません」と投げ出したやうに言ふ。「さうでは無いぢやありませんか。止めるのは惜しいですねえ。少しはお書きになつたんですか」「少し書きかけはしましたが駄目です」と言つて又淋しい微笑を洩らす。
「其書きかけはどうなすつたです」と三藏は聞く。水月はハンケチを取り上げて日に透かして見たり、赤い上を輕く撫でゝ見たりしてゐたが「君あれから渥美へ行きましたか」と話を外らす。「二度行きました。昨夜行つた時、先生は篠田はあれから一度も來ないが、小説を熱心に書いて居るのだらうか。と言つていらつしやいました」と三藏は答へる。水月は小説といふ詞が出る度に厭やな顏をする。此間主人公の前で得意になつて趣向を話した時とは大變な相違だ。
「あれが駄目なら、外のものをお書きですか」と三藏は又聞く。水月は例の如く暫く默つて後「君は矢張り小説家になる積りですか」といつて三藏の顏を見て居たが「僕には小説は書けないやうだから、もう創作は止めようかと思ふです」「それでは何をおやりですか」「サア」と水月は自ら疑ふやうな口吻で「何をやりますかな」といつて淋しい笑顏をする。
いつもの通り話が跡切れると又句を作る。水月は平常と違つて熱心に苦吟して居るのに、今日は容易に句が出來ぬらしい。二時間程もかゝつて出來上つたのを見ると別人らしい程まづい句ばかりだ。三藏は「どれがいゝのです」と聞くと「僕は中で此句が得意です」といつて一二句指示する。見るといつもの通りの奇想でもなく平凡な事が難澁な調子でいつてある。三藏は不思議に思ひながら默つて聞いてゐると、俳句に就ては一度も得意らしい事をいつたことの無い人が、此日に限つてくど/\と説明などをして聞かす。
晝頃になつて歸らうとすると「君今日渥美へは行かないですか」と水月が聞く。「行かうとも思つてゐなかつたですが、行つてもいゝです」「それではこれを鶴子さんに上げてくれませんか」と水月はさつきの紅葉を染めたハンケチを差出す。「俳句は書かないんですか」「よしませう」と言ひ乍ら机の抽斗から一本の手紙を出して「それからこれを一緒に鶴子さんに渡してくれませんか」と言つて差出す。見ると丁寧な草書で『渥美つる子さま御許 篠田正一』と書いてある。
水月の手紙を三藏の手から親しく受取つた鶴子さんは狼狽へた。鶴子さんはお常に代つてラムプ掃除をして居つた所へ、三藏はつか/\と來て手紙とハンケチとを渡した。鶴子さんは怪しんで手紙を手にしたが宛名と裏書とを見てカッと赤面した。さうして「厭よ塀和さん。厭よ/\」と早口に言つて二つ共其處に擲り出してしまつた。三藏は格別氣にも止めず此處迄懷にして來たのであつたが今此場合になつて初めて若い男から若い女に送る手紙の特別の意味を了解したやうな心持がした。さうして水月の此大膽な行爲が羨ましいやうにも思はれた。鶴子さんはホヤを拭く。ホヤは指の及ぶだけ曇り無く拭はれる。しかも鶴子さんの心はホヤには無くてたゞ狼狽へてゐる。
三藏は其足ですぐ主人公の書齋に行く。鶴子さんはおど/\として前後左右を見はす。細君の足音が此方に聞えた時手紙とハンケチとは急がしく袂の中に隱されて石油が油壺の中に注がれる。細君の足音が次の間で止まつて其處でお常との話聲が聞えた時鶴子さんは又其襖の方を振返る。襖が開く。鶴子さんは左あらぬ振をして反古で油壺を拭く。短かい心は今鶴子さんが捻る齒車で少し捻上げられて底を離れる。這入つて來たのは細君かと思うたらお常であつた。「お孃樣もう私の手があきましてすから致します。どうも有難うございました」と言ふ。「いゝよ、もうすぐ濟むから」と鶴子さんは鋏で心を剪る。
三藏は間も無く歸つた。鶴子さんはラムプ掃除を終へて自分の部屋に這入つた。初めて心が落著いたやうに覺えて大きな息をする。さうして袂からまづハンケチを出して見る。覺束なき紅葉の色が糊の多い白い地の上に五つ六つ染め附けられてゐて只鮮やかに赤いのは其中の一つばかりである。これに何の意味があるのか解釋のしやうも無い。ハンケチを再び袂の中に收めた手は今度は手紙を取出す。墨色の濃い正しい文字は自分の名を表に見せて下に『樣御許』とあるのが何となく艶めかしい。心は騷ぎながら封を剪る。取出された手紙は短かい。薄桃色の雁皮に次の如く認めてある。『小野の頼風が塚に生ひけん草を
其夕方であつた、細君は鶴子さんに斯んなことをいつた。「篠田さんから何かいつてらつしやりはしなかつたかい」此問は非常に鶴子さんを驚かした。鶴子さんは此場合自分の潔白を表白する外に方法は無いと考へた。自分の書齋に走つて行つて彼の手紙を細君の前に突出した。
細君は手紙を受取つて驚いた。細君の鶴子さんに聞いたのは斯る重大の問題では無かつたので、篠田の宅から綿入を一枚正一に拵へてやつて呉れぬか、御面倒だが鶴子さんのお手あきに仕立てゝ戴き度い、此事は正一にも言つてやつて置いたから直接にお願ひに出るであらうといふやうな意味の手紙が來た。それについての話であつたのが、意外にも薄桃色の雁皮に、難かしい文句で意味は十分に解らぬが『御かへり言こそ待たるれ』とあり『かしこ』とあり『樣御許』とある、讀めぬ處は如何に艶めかしい文章であらうかと推し量らるゝやうな手紙が突出されたので細君は仰天した。それから「お前は何と返事をしたかい」と聞いた。「返事なんかは出しはしませぬ」と鶴子さんは答へた。「それはよく出しませんでした。此手紙は私が預つて置くから」と言つて細君は疑ひ深いやうな眼をして鶴子さんを見た。鶴子さんは眉を顰めた。
水月の手紙は主人公に致されて細君と二人の前で浮世の審判を受けて「怪しからぬ」といふ事に判決を下された。尤も主人公にも手紙の意味は十分に了解されなかつたのであるが、矢張り鶴子さんにも細君にも重きを置かれた『御かへり言こそ待たるれ。かしこ』『樣御許』といふ文字と薄桃色の雁皮といふことが重要な意味に解釋されたのであつた。それから『鶴子にまで御差出しの手紙に就て御話申上度事あり御來宅待上候』といふ洋罫紙に亂暴にペンで書かれた手紙が其日水月の案頭に落ちた。水月はこれを開封して見て例の淋しい笑ひを洩らした。
水月は渥美より手紙を受取つた翌日は例の新聞紙包を手に持つて京都市中を
三藏は其葉書を受取るや否や柊屋へ行つて見たが固より居る筈は無い。其足で渥美へ行つて見ると、細君が頭から「塀和さん、貴方あんなお使ひなんかをしてはいけませんよ」と笑ひ乍らいふ。三藏は
「篠田君は參りましたか」と三藏は恐る/\聞く。「いゝえ。先生があの手紙を見ると直ぐ呼びにやつたんですけれどまだ來ませんのですよ」「さうですか」と三藏は又驚いて水月の既に東京に歸つた事を話した。「マア、さうですか」と細君も目を丸くして、何といふ我儘な失敬な人であらうと顏色まで變へた。「先生は御在宅ですか」と三藏は又恐る/\聞く。「いゝえ。まだ歸りません。もうすぐ歸るでせう」と三藏の顏を見て「後生ですから、これから鶴子の部屋などへは行かぬやうにして下さいな、私の手抜けになつて先生に叱られますから」と言ふ。三藏はまごついて、「決してそんな事は。一昨日もお部屋へ行つたのではありません。あのラムプ掃除をしてゐらつしつた時に」「何にせよ、氣をつけて戴き度いものですね」と細君の顏色はだん/\險惡になつて來る。三藏は居たゝまらずなつて、此上先生に歸られたら大變だと、そこ/\に挨拶をして逃げるやうにして歸つた。歸りがけに氣がついたのは鶴子さんの部屋では例の箏の音の悠長に響いてをつたことである。
三藏は横町の曲り角で大きな風呂敷包を抱へて歸つて來るお常に出逢つた。お常は突き出すやうに不恰好に其風呂敷包を抱へて眞赤な顏をして三藏に目禮した。さうして三藏が矢張り青色の毛絲の羽織の紐を締めて呉れてゐるのを見て此上無き滿足を覺えた。
京都の今年の冬は格段に寒い。三藏は國許から新たに屆いた綿入羽織に、鶴子さんに拵へて貰つた袷羽織をも重ねて丸くなつて小さいラムプの下で勉強した。渥美の主人程の空氣ラムプは駄目としてもせめて鶴子さん位の明るいのが欲しいと思はぬでも無いが、又此暗い佗しいのにも俳味が無いでも無いと諦めて、燈下にすり寄せるやうに書物を置いて勉強をした。
水月が風の如く去つてからは東京との俳交も暫く途絶え三藏は只學校の課業にのみ沒頭して居つた。例の手紙以來渥美へも教授を受けには行くが三藏の方でも態と家人と親しむのを避け、渥美一家の方でも何處となく籬を造るやうに見えて、例の吹きながら食ふ暖かい御飯を此頃は頂戴せぬやうになつた。鶴子さんは時々襖を隔てゝ三藏の聲を聞かぬことも無く、三藏も次の間に鶴子さんの足音と想像されるものに耳を欹てぬことも無いが、顏を合はすことも言葉を交はすことも無く、めい/\別々の月日を過してゐた。
此寂寞たる冬籠のうちに三藏の心の底に穩かならぬ或考へが萌して來た。一生懸命に勉強しても國に居た時分程頭はどういふ譯だか働かぬ。字引を引いても屡字を忘れる。數學の興味は殆ど
二十一歳の新年は煩悶の中に迎へた。奧村の婆さんが大奮發をして大きな蛤のお汁を拵へて呉れたのも喉を越し兼ねた。姉小路の綾子さんが伊勢物語とかの
三藏は時々自分は神經過敏だ、これでは成らぬと考へることもある。同級生のうちなどには至つて暢氣に出來上つてゐる人もある。宿題が出來なからうが、教師に皮肉をいはれようが、銃の臺尻位で少々なぐられようが一向に感じない。三藏はさういふ人を羨ましく思ふ。自分でも神經さへ遲鈍にして居ればどうやら斯うやら現状を維持して、たとへお尻から一二番といふ處でも兎に角かじりついて卒業が出來ぬことは無いと思ふ。現に自分より出來ぬ人は級中に尚ほ澤山あるのだ。けれども三藏はどうしてもさうづう/\しい人間になれない。そのづう/\しい人を賤しむのではない。いつも成績のいゝこせ/\と一生懸命に勉強して居る人より此種の人の方が却つて偉いやうにも思はれるのであるが、それで居てどうしても自分はさういふ人になれん。尋中では常に級長ばかりして居つた、其虚榮心が今でもつき纒ふ。學校生活は下らぬと考へ乍らもそれでも級中の上位に居つてぐつと他人を下目に見るのならば強ちそれを厭ふ心も起らぬのだらうが、今の三藏は最早足場を立て直すことの出來ぬ程弱者の地位に落ちた。少なくとも自分はさう認めてゐる。さうしてそれは虚榮心が許さぬ。
弱い人がせつぱ詰まると前後不覺に行動する。三藏は保護人に談判し國許の兄に強制的に同意を得て退校屆を出してしまつた。出してしまつてがつかりした。熱の醒めた病人のやうに力無い眼で前後左右を顧みた。心細いやうな心持もする。又氣樂なやうな心持もする。或時は又愈意味ある生活に歩を轉じたのだとも意識する。一番に此結果を東京の俳友に報告する。いづれも驚いた手紙をよこして、これからどうする積りか、どうして飯を食ふ積りか、といふやうなことを質問して來たものもあつた。又中には其男氣に感服するといつて來たものもあつた。三藏はどうして飯を食ふ積りかといふ質問には
渥美から葉書が來て、至急來いとの事であつた。三藏は此一月許り無沙汰をして居つた。行つて見ると主人公は澁い顏をして「今日初めて聞いて驚いたが、惜しい事をした。これからどうする積りか」との質問であつた。「小説家になります」と三藏は答へた。「君はまだ二十一歳では無いか。それで小説家になれる積りか」と髭の延びた顋を撫で「ゆく/\はなれるとしても目下の處どうして衣食する積りか」と主人公は附加へた。「兎も角上京する積りです。それから若し國許から金が貰へねば學僕になつてもよし、それも駄目ならば何とかして自活の途をつける積りです」と言つて三藏は心のうちで、小説を書いて其原稿料を得る事をも計算のうちに入れて居た。
「さうか、それぢや遣つて見るサ」と言つて主人公はもう匙を投げてしまつたらしい。それから暫く經つて「いつ上京する?」と聞く。「三四日のうちに出發する積りです」「さうかそれぢや今晩飯を食つて行き給へ」「はい有難うございますが少し急ぎますから」「さうか」と何となくよそよそしい。臺所では細君とお常とがひそ/\話して居る。お常は殊に驚きの眼を輝かして居る。「マア何といふ塀和さんでせう。屹度何かに迷つていらつしやるのだわ」「本當に惜しい事をしたものね。もう少しの辛抱だのに」「旦那樣がよく言つて聞かせておあげなすつても駄目でせうか」「もうあゝ狂つて來ては迚も駄目だらうね」細君が拵へたコーヒー茶碗をお常が持つて立たうとする。鶴子さんは默つて二人の話を聽いて居たが「いゝわ一寸座敷に御用があるから私持つて行くわ」と言ふ。「あゝさうですか」とお常の顏はサッと赤くなる。鶴子さんは座敷に行く。三藏はかしこまつて坐つて居る。主人公は口をむつと閉ぢて三藏の顏を見て居る。鶴子さんは後れ毛の多い白い
三藏が歸る時分に庭の
同郷人會を繰り上げて三藏の爲めに送別會を開かうとして平田や加藤やをばさんは盡力して居つたが、其事を増田から漏れ聞いた三藏は俄に行李を納めて其前に出發してしまつた。増田だけが停車場に見送つた。其事を傳へ聞いて平田や加藤などは何故塀和は此頃あんなにひねくれたのであらう、文學者といふものは皆あゝいつた風になるものなのかしらと眉を顰めた。そんな始末であつたので渥美へもあれつきり挨拶にも行かず、京都の天地を後に、尻に帆掛けて出發したのであつた。汽車が逢坂山を越えて瀬田川を渡つて、未知の山水を送迎し始めてから三藏は
驛々で昇降する百姓の言葉迄が、だん/\活氣が出來て來る。姉小路や奧村や學校近邊の文房具を賣る店の人々等の言葉とは大變な違ひだ。サアこれからだと思ふ。これから本當に文學者になるのだ。二十一! 正に處女作を出すべきの歳! 東京へ降りて扨て誰を訪はうか。李堂か! 未だ面識無い人を驚かすのも穩かでない。北湖先生? これは餘り年齡の相違が劇しいからよさう。十風? 水月? この二人の中で取敢へず十風を選ぶ。
ふと目がさめると汽車は箱根のトンネルに這入つたり出たりしてゐる。もう夜中であつて、殊にいつの間にか雨が降り出して風さへ添うたので只物凄い。穴を出ると車窓のガラスを強く吹く風が霰のやうな雨をぶつゝける。穴の中に這入ると轟然たる響が耳を聾するばかりである。車中の人は皆寢て居る。三藏は今獨り醒めて居る。俄に心細い。自分と反對のガラス窓に朧氣に自分の顏が映つてゐる。自分の形の左上部に赤いものが映つてゐる。これはラムプの影だ。其赤い色は馬鹿に氣持の惡い陰氣な色だ。おまけにそれがちら/\と動く。其動く度に自分の影法師もピリピリと震へるやうに動く。汽車が穴を出る。すさまじい音をしてガラス窓が一時に鳴る。又穴に這入る。陰に籠つた地獄の響が聞える。
目を瞑つてうつら/\とし乍ら此晦冥の天地轟々たる夜陰の響と惡戰を續けてゐるやうに感ずる。目を開けると赤い火が窓の外で搖れてゐる。自分の影法師も其光を受けて薄赤い色をして搖れてゐる。
夜明けに新橋へ著いた。箱根で夢みた晦冥の天地は消え失せて今はあかるい市街が目の前に現前したが、まだ雨は盛んに降つてゐる。どちら向いて行つたらよいのか方角がたゝぬ。兎に角小石川武島町三番地と車夫に命じて乘る。
「おい車屋。僕はまだ朝飯を食はぬのだから、饂飩屋があつたら教へて呉れぬか」と幌の中で三藏は言つた。松山の車でも京都の車でも前掛の上から往來はよく見えるのであるが、東京の車は目より高く前掛が掛つてゐるので何物も見えぬ。「ようがす」と車夫は景氣よく言つて、ごろ/\と下したと思ふと「饂飩のかけを一つ。お早く願ひます」と三藏の代りに言つてニヤリと笑ふ。饂飩屋の男も笑ふ。三藏の其傍に車夫は腰かけて雨に濡れた手で煙管を握つて煙を吹く。漸く饂飩を食ひ終つて又車に乘ると、車夫は又幌で包んでしまつてごろ/\と挽く。電信柱が無闇に澤山ある處を通る。洋館造りの軒がちら/\と見える。橋の上でも通るのかと思ふやうな音がする。向うから來る車の幌が一寸見えて行き過ぎる。ヤア、ヨイといふやうな掛聲が時々聞える。三藏が車中から見聞することは是位のものに過ぎぬ。凡そ一時間近くも乘つたらうと思ふ時車夫は梶棒を握つたまゝ立留まつて「武島町三番地といひましたね」と聞く。「さうだよ」と三藏は幌の中で返辭をする。「一寸聞いて來ませう。三番地は廣いから何の邊だか」と車を下したまゝで車夫は何處かへ行く。三藏は心細いやうな氣持がして待つて居ると暫くして車夫は歸つて來て「旦那困りましたぜ。その五十嵐さんと仰しやる方は昨日築地の方へ引越されたさうです。どうしますそちらへ行きますか、それとも外に知合ひはないですか」「さうか困つたなあ」と三藏はつく/″\困る。雨はざあ/\と降りしきる。水月も此間轉居したばかりでたしかには覺えないが、麹町區一番町の十二番地であつたやうに記憶してゐる。「其築地へ行くのと麹町區一番町へ行くのと此處からはどちらの方が近いかね」と聞く。「
漸く「育英會寄宿舍」とある大きな表札を見た時三藏は蘇生したやうに覺えた。車夫の請求する儘に六十錢を支拂うて蓬亭に面會する。丁度十風位の年配で顏の四角な色の黒い、其癖眼の鯨のやうに小さい、いつも怒つたやうな口つきをしてものを言ふ。「何十風が轉居した? そんなことは無い。現に昨日僕は逢つたがそんな話は無かつた。築地へ轉宅した? そんな馬鹿なことがあるものか。假りに轉宅するとしても築地へ行く譯は無い。そいつは君を田舍者だと見込んで車屋が旨くやつたんだ。ハヽヽヽヽ。幾ら取られた? 六十錢? ハヽヽヽヽ」と蓬亭は腹を抱へて笑ふ。見ると其鯨のやうな眼に涙を溜めて他愛もなく笑つて居る。「此寄宿舍に人を泊める譯には行かぬから
小石川區武島町三番地五十嵐透といふ表札がちやんと出てゐる。「おい轉宅はしないよ」と笑ひながら蓬亭はがらつと戸を開けて「居るかッ」と大きな聲をする。返辭が無い。「留守かッ」と一層聲を張り上げる。あわたゞしく襖が開いて細君がぬつと顏を出す。細君は昨夜十風と一緒に食ひ殘した薩摩芋を今御飯代りに食べて居つた所なので「居るかッ」と蓬亭にどなられたので狼狽へて湯呑に湯をついでそれを飮みかけた時に「留守かッ」と又大きな聲をされたので返辭をする間が無しに飛び出して來たのである。「おやッ」とびつくらして「まあいつ入らしつたの」と蓬亭には挨拶せずに大きな口を開けて三藏の方に笑顏を向ける。「留守ですか」と蓬亭は澁面を作つて聞く。「はい一寸出掛けました。まアどうぞお上り下さいまし。先日は失禮致しました。あれからお腹工合がお惡かつたと聞きましたが、如何でゐらつしやいます」と膝を突いて改めて蓬亭に挨拶をする。「そいつは困つたなあ。何處へ行つたんです」「すぐ御近所の矢張り商館に出てらつしやる方のお家へ上つたんですから、程なく歸りますでせう。まアお上りなすつて下さい。あの塀和さんもお上りなさい」ともう立ち上つて座敷の方の襖を開けて床前に座蒲團を敷く。「それでは僕一寸此近處に用事があるから、其處へ行つて歸りに寄る。君は上つて待つとれ」と命令するやうに言つて蓬亭は出て行く。
「本當に塀和さん暫くぶりね。あなた御飯すんで? 本當? 今度何しにいらしつたの? まあさうなの。それぢや私の家に當分ゐるといゝわ」と細君は煙草盆を持つて來たり茶を酌んで來たり立つたり坐つたりして愛想をする。三藏は嬉しく思ふ。蓬亭に逢うた時も嬉しかつたがそれでも生面である。此處へ來て細君に逢つてからは俄に心が弛んで故郷へでも歸つたやうな氣持になつた。それから一番に車夫にやられた話をする。「前にわかつてゐたら迎へに行つて上げたのに。そりや本當に困つたでせうねえ。でもまあそれだけで濟んで好かつたわ。朦朧組といつてね
三藏との話を途中から端折つて「あゝうちよ」と細君はいきなり腰を浮かせ「梅ちやんお這入りな」と言つて暫く自分の聲が向うに屆いたかどうかを聞き定めるやうな眼附をする。その時「お客樣なの?」と言ふ聲がもう襖の向うでして透間からちら/\と動くものが三藏の目に映る。三藏は見るとも無しに見ると、上になるほど開いてゐる透間の、足の方ははつきり判らぬが帶の赤いのが
暫く二人でお
漸く十風が歸つて來て二人は臺所に退去する。蓬亭も歸る。三人で寢轉んで話す。「僕に少し餘裕があれば君一人食はしてやることは何でも無いが、佐野の奴の幕下で十五圓の給料では遣り切れないからねえ」と五十嵐は大きな聲で言つてカラ/\と笑ふ。相變らず目の中には悲痛な色が見える。「併し貴樣のは自業自得だ。うんと苦しむがいゝさ」と蓬亭は底力のある聲で十風に言つてそれから三藏の方を振向き「五十嵐はこれでも未だ自分で苦しむだけの勇氣があるが、君は駄目だらう。食客になると言つた處でさう容易に食客になれるものでは無し、小説を書いて飯を食ふなどゝいふ事は思ひもよらぬ事だし、學校生活が厭なら圖書館にでも通つて少しは勉強する必要もあるし、旁國許から續いて學資を送つて貰ふやうにしたらどうか。君からよく事情を打明けて國許へ相談してやれ。若しそれが出來ぬなら李堂か北湖先生位から照會して貰つてやらう。それから、其問題の落著する迄此處に厄介になつて居るがいゝ。其間の食料位己がどうかしてやる」と蓬亭は無愛嬌な顏をして居乍ら親切に言ふ。それから其日は行春の競吟をやる。「貴樣此頃駄目ぢやないか」と蓬亭は十風に言つて「山僧の方が大分旨いぞ」と一々三藏の句を批評する。其夜は蓬亭の御馳走で牛肉を食つて落語を聽いて蓬亭は寄宿舍に歸り、十風と三藏とは十風の家に歸る。蓬亭と十風とは落語を聽き乍ら頻りに笑つて興に乘つて居つたが三藏は少しも面白くなかつた。「君にはまだ解るまい。落語の面白味が解るやうにならねば駄目だぞ」と蓬亭は言つた。
それから三藏は十風の家に四五日ごろ/\して居た。國許から返事が來て『高等中學退學は今になつて考へても殘念至極だが最早致し方がない。此上は目的通り早く立派な小説を書いて文名を中央の文壇に馳せるやうにしろ、澤山の學資は出せぬが月々八圓宛は送る。足らぬ處は自分で補充の途を講じろ』とあつた。それで下宿に居ては迚も足りぬから當分五十嵐の家に同居することになり、月々四圓宛食料を入れることにした。
李堂にも面會した。北湖先生も訪問した。水月にも逢つた。圖書館にも行つて見た。圖書館では何を讀んでいゝのか見當がつかなかつた。只手當り次第に文學書を一二册借りて讀んで見た。淺草にも行き奧山の見世物をも觀た。見世物は皆面白いが中でも玉乘が一番面白いと思つた。
李堂の家で運座があつた。初めて運座といふものに列した。三藏は意外にも二番であつて成績がよかつた。又二句許り非常にいゝ句だといつて李堂に激賞された。三藏は運座といふものは面白いものだと思つた。
十風の暮し向きは餘程不如意に見える。或日細君が「塀和さん一寸十錢貸して下さいな、丁度今細かいのが無くつて困つてゐるのだが。十錢が無けりや二十錢でもいゝのよ」と言つて借りに來た。其顏には穩かならぬ色が見えてゐた。其日も其翌日も返さなかつた。三四日經つてから漸く「塀和さん此間は有難う。つい/\忘れてゐて濟みませんでした」と言つて光るものを無造作に三藏の机の上に置いた。其晩はいつに無い御馳走があつて十風は咳をしながら頻りに盃を重ねる。さうして三藏にも強ふる。それから「金が欲しいなあ。僕あ今は何にも欲しくない只金が欲しい。どうかして金儲けがし度いなあ。山僧君、君も文學なんか止せよ。はゝゝゝゝ。僕は豫言する。君でも僕位の年齡になつたら、屹度金が欲しくなるから。……只欲しくなるばかりぢやない金以外に欲しいものが無くなるから。……君には言はなかつたが此四五日なんか全く無一文だからやり切れ無いだらう。大概な物は曲げ込んでしまつてあるしねえ。今日やつと給料を前借りして來て息を
それから暫く經つて十風と細君との間には雪駄に就て熱心なる談話が交換される。「あの佐野さんのは本當にいゝわ。あれになさいな」「あれは
それでも翌朝になると十風は其雪駄を穿いて出勤する。さうして何處やら得意の心が動く。細君は廓に出入する時の十風の時めいた姿を此雪駄一つで取り返したやうな心持がする。それから長火鉢の前に獨り坐つて一時間も灰を掻きならし乍らぽかんとして考へるとも無く考へた末、又お
三藏は又小説に筆を執りはじめた。が例によつて澁滯して筆は容易に進まぬ。「塀和さんお茶が這入つたからいらつしやいな」と細君の聲がする。筆を投げ捨てゝ出掛ける。細君の話は大概極まつてゐる。朋輩女郎の話で無ければ『二
「十風君酒を飮まうか」と三藏の方から言ひ出すことがある。「飮んでもいゝさ」と十風は答へるが心の中で「もうあの酒屋は貸してはくれまい」と考へる。「ぢや飮まう。僕が買つて來よう。奧さん徳利を貸して下さい」と三藏は自分で出掛ける。それから二人で飮む。ビールの空瓶に一杯の酒を瞬く間に飮んでしまふ。「おい三河屋へ行つて當つて見ろ」と少し醉うた元氣で十風は無理なことを言ふ。「迚も駄目ですよ。此間はお味噌まで斷られたのですもの」「もう無くなつたのですか。金ならこゝに在る。奧さん御苦勞ですがそれではこれを持つて行つて下さい」と三藏は財布を其儘細君に渡す。それから二人は文學上の氣焔を吐き合ふ。十風は嘗て書かうと思つた小説の趣向を話す。三藏は面白い/\と頻りに歎美する。それから今度は自分の書かうと思ふ趣向を話す。十風はそれは振つてる、しつかりやり給へと勵ます。何でも文學界を我黨で占領する時が來ねば駄目だ、さうだともと互に調子づいて來る。二度目の酒も飮み盡した頃、「おい塀和を一度連れてつてやろか」と十風は細君に言ふ。細君は「およしなさいよう」と言つて笑ふ。
北湖先生と三藏とは或日何處かへ散歩の歸り日本橋通り二丁目の横町に這入つて、宇治の里御茶漬とある格子戸造りのうちに這入る。「あのうしんじよわん盛を一つ、それからゆばうまにを一つ……あのう」と北湖先生は急がしげに財布を懷から出して其中から長い指で二十錢銀貨を一つ摘み出されたが三藏の方を見て「山僧君あなた酒はどうやらでやすな。少しはいけますか」と調子の高い聲で早口にいはれる。三藏は今朝から北湖先生のコンパスの長い脚で大股に歩かるゝのについて歩いておまけにもう一時を過ぎてゐるし、願くは牛肉か何かのぢやあ/\煮え立つ強い匂をかぎ度いのであるが「私は此宇治の里が昔から好きでやしてな。どうでやす一つお附合ひなすつては」といはれるので、どんなお茶漬か知らぬが仕方なしに辛抱する事と觀念して這入つたのである。扨てお誂へはと聞いて居るとしんじよとやらの椀盛にゆばの甘煮とやらでやれ/\と思つて失望を重ねて居る矢先酒とあつたので俄に勇氣を恢復したやうに覺える。「少々は飮みます」と景氣よく答へる。「それでは姉さん御面倒ぢやが、これでお酒を」と二十錢銀貨をボンと疊の上に投げられる。十二三の
一鉢の牡丹が床に置いてある。一輪の深い濃い殷紅色の大きな花は既に半ば崩れて三四片鉢の上に
「塀和さんがねえ。昨日態々十二錢返しに行つたんですつて。格子までサ。それから上りもしないで歸つて來たんですつて。全く
其夜十一時過ぎ若竹が
十風に北海道の支店の方へ行つて見てはどうかといふ話が佐野からあつた。「東京の本店に居てはとても當分の處増給がむづかしい。北海道で辛抱する覺悟なら七圓増して二十二圓は出せる。それも永くとは言はない先づ二三年だね。司にもよく因果を含めて一つ奮發しろよ」と佐野は言つた。十風の頭には此頃もう金より外に問題は無い。「己は行き度いが兎も角歸つて相談せう」と言つて歸つて來た。細君は「北海道?」と先づ驚いた。「札幌? 函館?」と三藏は傍から聞いた。「函館さ」と十風は答へて、
十風夫婦は愈明日立つといふ事になつて、其前の日梅代が來た。旦那について此間暫く旅行してゐたとかで手土産をも持つて來た。「北海道つてあの金龍さんのとこなんでせう」と梅代は十風に聞く。「金龍? さう/\あれは北海道の女だつたね」と十風は餘所々々しく返辭をして手紙を書いて居る。それは李堂に宛てゝだ。此頃李堂と十風との間は自から疎遠になつてゐる。李堂は十風の墮落を歎息してどうかしてそれを激勵せうとして極端な忠告をも試みた。十風は其手紙を引裂いて腹を立てた事もあつたが二三日して感謝の手紙を出した。けれども自然兩者の間に隔てが出來る。此頃は漸く三藏によつて互の消息が判る位で、殆ど二人の間の交通は絶えてゐた。三藏はそれを心配してゐるがどうも致し方が無かつた。李堂は又三藏が十風の轍を踏まなければよいがと竊に憂慮してゐたが、只三藏は十風に反し日に増し俳句が上手になるので先づ/\安心してゐた。肝腎の小説の方は書くとか書いてゐるとか言つてゐる許りで、少しも進行せぬらしいが、それでも俳句に十分の進境が見えるのは頼母しいと思つてゐた。
扨て十風は今度出發前一度李堂に逢ひ度いと思つたが、どうも氣分が進まぬので手紙を送つて別意を敍することにした。李堂に對して手紙を認める時には、流石に人よりも天才を以て許され自分も亦竊に任じて居つた當年の意氣が呼び戻さるゝ。一婦人に對する戀情から今自分は北海道に迄落ちて行かねばならぬのかと思ふと情無いやうな腹立たしいやうな心持もする。梅代はそれに頓著なしに又話掛ける。「それつてばねえ五十嵐さん、此間池永さんに逢つてよ。それ金龍さんが初會惚をして大騷ぎをした。濱町邊の若旦那とかいつた二十四五許りの……」五十嵐が默つてゐるので、「姉さんあなた知つてるでせうあの池永さんサ」「アヽアヽ」「此間汽車に乘り合はしてね。向うも慥か氣がついたらしかつたけれど、これが」と小指を出して「居たので澄ましてるのサ。本當にをかしかつたわ。だけれど金龍さんが騷いだのも無理は無いわ全く意氣ね」「おやおや梅ちやんも岡惚れ?」「アヽ」「やり切れ無いねえ」ハヽヽヽヽと二人寄るといつもの通り底のぬけたやうな笑ひやうをする。十風は厭な顏をして手紙の封をする。「北海道の方はまだ寒いだらう。胴著が一枚欲しいがあれだけ
十風夫婦は愈北海道に行つた。三藏は其日新聞や書物をつめた行李を車に乘せて、自分はラムプを提げて車のあとについて本郷臺町の下宿に移つた。下宿屋は五室許りほか無い。三藏の部屋は二階の四疊半で、天井が低い上に三尺の中押入が不恰好に突出てゐる。障子を開けると桐の葉がかぶさりかゝるやうに茂つてゐる。三藏は其暗い障子に向つて机を据ゑて頬杖を突いて考へる。十風のうちに居た時は四圓の食料を拂つたり拂はなかつたりしてゐながら國から送つて貰ふ八圓の金では足らぬので著物は大概曲げ込んでしまつた。此處の下宿料は四圓五十錢其上炭油茶等皆別に支拂はねばならぬとなると八圓では迚もやり切れさうに無い。それで別に收入の途があるでも無し儉約するより外に仕方が無い。又いつまでも斯んなにぐづ/\して日を暮らしてゐるわけにも行かぬから早く一篇を
中入がすんで例の如く御簾が上ると小光が見臺の上に美しい髷を見せて辭儀をしてゐる。「語ります太夫竹本小光、愈辨慶上使の段東西東ザーイ」と拍子木がなる迄、小光は見臺の横から偸み見をするやうにぢつと客の方を見る。これは小光の癖であるが、今日はどういふ譯だかその視線がぢつと三藏の方に向つてゐて動かない。三藏はまぶしいやうな氣持がする。それから小光は顏を上げて三味線の調子を合せながらも尚時々三藏の方に
一週間許り三藏は一日も缺かさず小川亭へ通つた。毎日同じ處に坐つて同じやうに秋波を浴せかけられてそれで滿足して歸つて來た。今夜は止めうと考へることもあるが御飯が濟んでラムプに火を
三藏は或時蓬亭に熱心に小光を紹介した。是非一度聽きに行き給へといつた。蓬亭は「馬鹿な。高が女義太夫だ、あんな奴は君藝者や娼妓も同じ者だ。關係なんかしてはいかんぞ」と大きな聲で目を三角にして叱りつけた。さうしてハヽヽヽヽと噴き出すやうに笑つて「君のやうな初心な男は
小光は小川亭が濟んで吹抜亭へ掛つた。三藏は近くなつたので得意になつて行つた。其次は本所の廣瀬亭といふのへ掛つた。本所といふ處へはまだ一度も足を踏み入れたことが無かつた。町名も人に聞いて出掛けた。此邊と思ふ處を探しつたが寄席らしいものが無い。交番で聞く。「此邊に廣瀬亭といふ寄席はありませんか」巡査は怪し氣な目をして三藏を見下してゐたが「ある」と言つたばかりで口を閉ぢて默つてゐる。「どう行つたらいゝですか」と聞く。「ウヽ廣瀬亭か」と言つて又一寸默つてゐたが「この先の四ツ角を右へ曲つて行くとすぐ右側」と餘所見をし乍ら低い聲で言ふ。大分薄暗くなつた町を心細く思ひ乍ら行くと四ツ角に出る。右へ曲ると角い行燈が見える。行つて見ると果して竹本小光と大きな字で書いてある。這入る。若竹や小川亭や吹抜などは學生が多かつたが此處は職人や老人などが多い。遙々本郷西片町から出掛けて來た書生さんは誰の目にも目立つと見えてぢろ/\と人が見る。三藏は帽子を目深に被つて立て膝を兩手でだいて小さくなつて坐る。今迄の寄席は皆廣かつたのでいつも三藏の坐る處から高座までは大分距離があつたが、この廣瀬亭は狹い。後ろの方に坐つても高座はすぐ鼻先にある。高座からもすぐ目につくと見えて皆三藏を見る。小光の弟子で光花といふ
李堂を中心にしてゐる俳諧黨の活動は漸次歩を進めて來た。李堂は今一年といふ處で大學を止めて新聞記者となつた。既に其前から其新聞紙上で俳話を
二十一歳の暮には流石に感慨が多かつた。三藏は處女作をどうする? と自分で自分を責めたが尚筆を執る勇氣が無かつた。二十二歳の新年は水臭いやうな下宿屋の酒をよく飮んだ。俳句を作ることは作つたが去年程は作らなかつた。ラムプを消して出掛けることは依然として變らなかつた。
或晩蕎麥屋で二合餘りの酒を飮んで思ひ切つて早く出掛けた。けふからは茅場町の宮松亭にかかつてゐるのである。まだ暮れ切れぬので閾の上に鹽が高く盛つてあるのが目につくばかりで下足は一足も掛つてをらぬ。三藏は躊躇した。と同時にすぐ此寄席の隣りに草津といふ料理屋のある事を思ひ出した。此瞬間三藏の頭には大膽な考へが閃く。別に考慮する遑も無く寄席の前を通り過ぎた足がすぐ草津の門を這入る。「らつしや――い」といふ下足の男の勇ましい聲が打水のしてある玄關横から起ると、一人の女中がちらと姿を見せて「おやお客樣」と獨り言を言つて「どうか此方へ」と澄した顏をして先きに立つ。
廊下傳ひに行つた段梯子を登る時三藏は氣がついて内懷に手を入れて見る。ある/\。銀貨や紙幣で脹れた蟇口がちやんとある。三藏は育英會寄宿舍の賄方と心易くなつて其周旋で或金貸しから今朝十圓の金を借りたのである。
三藏は初めて料理屋に
程なくあつらへた肴が二三品載せられて膳が運ばれる。女中は默つたまゝで酌をする。三藏はつゞけ樣にひつかける。一向醉は無い。女中はいつまでも默つてゐる。だまつて銚子を取上げて酌をして其まゝ立上つてつんとして行つてしまつた。
大いに悄げて居る處へ、ばた/\と足音がして障子ががらりと開いたと思ふと「おや。お徳さんは居ないのですか」と景氣のいゝ聲がする。見ると五十餘りの小さな銀杏返を結つてゐる女中で、見苦しい顏ではあるが前の女中とは全く違つて生き/\としてゐて愛嬌があるので三藏は覺えず釣り込まれて「さつきから獨りぼつちサ」「まアさうですか。それは濟みませんでしたねえ」といひ乍ら自分で這入つて來て、一寸襟をいなし乍ら銚子を取つて「お一つ」と酌をする。三藏は受けて「あの女中お徳さんといふのかい」と聞く。「さうですよ、いゝ
「本當にお氣の毒樣ね」とお若は三藏の顏を一寸見た目を外らして銚子を取上げ「明晩もう一度いらしつて下さいな。明晩ならきつと來られると申しますのですから」と酌をする。三藏は「あゝ明日又屹度來るよ。どうだ一杯やり給へ」と盃をさす。「さう。有難う」とお若は一寸襟をいなし乍ら受取つて「全く當てにしてゐた人の來ないのはくやしいものね。私でも覺えがあるわ。ハヽヽ。お徳さんお銚子のお代り」最前からお徳も來てはゐるのだが三藏がお若一人を相手にしてゐるので、詰らなさうにお若の後ろに坐つてゐたのが空いた銚子を持つて立上る。お若はお徳の後ろを見送つて「あなた本當にまだ小光さんに逢つた事無いのですか。さうですか。それでは他の方には? 英之助さんにも? 小米さんにも? それつてば小米さんはもうお腹がこれだつて本當なのでせうか」と兩手で膝を抱へるやうにして見せて「はあ、さうなの。相手は御醫者樣だともいふし學生の方だともいふし、どうせさうはつきりわかりつこは無いでせうよ。何にせよ隨分早いのね。まだ十八にもなりますまいにね。……小光さん! 小光さんは堅氣でせう、えゝ/\あまり厭な噂は聞きませんよ」お若は盃をかへして、顏をしかめながら一寸櫛で頭を掻いて「そりあねえ、どうしても商賣が商賣ですから。いくら堅氣だといつたつてさうお邸のお孃樣のやうには行きませんや。……」お徳は新らしいお銚子を持つて來てお若に何か耳こすりをする。「あゝさう」とお若は態と大きな返辭をして「どうしませうねえ旦那、今下にお座敷のあいた
小光は
「御免下さい」といふ聲がして障子が開いたので三藏は我に歸つて其方を見ると、ぱつちりした眼の例の丸つぽちやの光花で、「おッ
小光と光花とはお若とお徳とに送られて賑やかに歸る。三藏は獨り
お徳ばかりが歸つて來て、「お師匠さんの御馳走は折りに詰めて持たしてやりませうね」と例の通り不景氣に言ふ。
其夜三藏は既に小光が高座に現れてから後ち宮松に行つた。小光はテテンテン/\と彈き乍ら今這入つて來た三藏の方をぢつと見る。それから間も無く『今頃は半七さん』と目を瞑つてさはりを語り出す。一時三藏が法外遲く來たのを訝し氣に見て居つた聽衆も今は皆高座の方を見上げて熱心に聽く。三藏は殆ど空席の無い片隅に小さくなつて坐る。いつも聽き惚れる嬌音は相變らず身に
ざら/\と御簾が下りた時三藏は我に歸つて群衆と共に立ち上つた。下宿に歸つて蒲團の中に這入るとまだ醉うてゐる。ぐつすり眠る。
翌朝下宿の神さんに呼び起されて驚いて眼を覺すと奧平さんといふ方がいらしつたといふ。北湖先生らしい。三藏ははつとする。實は北湖先生に十圓の借金がある。それも先生の手許が有福であるわけでは無く色々工面をして融通をして貰つた金で是非今日中に返金せねはならぬ義理合になつてゐる。昨日育英會寄宿舍の賄方の周旋で或金貸から借りた十圓の金、實はこれは北湖先生に返金する積りで調達したのであつた。併し其金はもう四圓餘りを殘すのみである。三藏は宿醉の痛い頭を抱へて飛び起る。
「これは安眠を妨害しましたな」といひながら北湖先生は狹い四疊半の這入口で帽子を脱がれる。「實は昨夜地方の俳人の一水が來て、もう明日は歸るといふので一會催してやらうかと思つたので、今朝一寸李堂の家へ行つて今歸りがけでやすてい。李堂も隨分寢坊ぢやが、山僧君も却々お負けんよ」と入口に立つたまゝで高い聲をせられる。三藏は一言いはれる度にびく/\し乍ら蒲團を片づけて席を作る。北湖先生は帽子を膝の上に置いて坐りながら、此間蓬亭から聞いたのでは大分此頃お月並るといふ評判ぢやが本當でやすか。何とやらいふ名ぢやあつたよ。さう/\錦絲/\。も一人の方は……あれは私も聽いた事のある娘義太夫ぢやがひよつと名を忘れたよ。誰やらであつたよ。……と獨りで考へて居られる。
北湖先生は月並といふ言葉を動詞に使つてその上に「お」といふ敬語を加へ「お月並る」とか「お月並た」とか言つて他の事を冷やかされるのが得意である。三藏も散々に此手で惱まされる。
「決して月並むわけでは無いのです。小説を書くのにはどうしても……」などゝ辯護して見るのが我乍ら甚だ氣勢が揚がらぬ。先生は相變らず帽子を膝の上に置いた儘で「其錦絲とかいふのは十風の細君の妹とかいふ事でやすな。本當の妹なのか、それとも妹分といふわけでやすか」「妹分なんで」「十風の友達といふ處で大いにもてるでやせう。健羨の至りでやすな。時に十風からちと便りでもありますか」「此間もちよつとありました。非常に寒いさうで體工合がよく無いから歸り度いやうに言つて來てゐました」「さうでやせう。あの體で北海道は少し無理でやすな。併し十風の境界は
十風夫婦は此年の暮北海道を去つて東京では誰にも逢はずに京都へ來た。北海道の寒さが非常に十風の健康を損じたのと何かの事件で佐野と爭つたのが原因である。間も無く蓬亭が佐野に逢つた時「十風の野郎無責任で困らしやあがる」と言つて佐野はひどく怒つてゐたといふ事だ。
京都へ來てから間も無く十風は或會社の臨時雇となつたがそれも喧嘩して止めた。それから或通信社へ這入り直ぐ又或新聞社の會計方に轉じた。北海道で劇しく喀血してから體はだん/\衰弱する。京都へ來てからも發熱する事は屡であるがそれでゐて亂暴に酒を飮む。金がある時は登樓などもする。「京都といふ處はしみつたれな處だが、己等の樣な貧乏人が遊ぶにはいゝ處だ」などゝ言つて
それから十風は東京の俳友などゝは全く交際を絶つて了つて一年餘り新聞社の會計で辛抱して居たが遂にそれをも止めた。同じ新聞の三面記者をして居つた星野といふ男も同時に止めて二人で或會社を創立するといつて頻りに奔走して居つた。これから二月許りが十風の全盛時代で俄に美しい服裝をして大きな名刺を拵へて月極めの車夫を置いて毎日の樣に駈けずりつて居つた。細君は十風程景氣はよくなかつたがそれでも二人で八新の料理を取寄せて食つた事もある。或日は又急に車を連ねて何處かへ出掛けた事もある。輕燒の道具を持つてゐる隣の家などでは「五十嵐さんは株か何かで旨い事しやはつたんやろ」と噂してゐた。又「五十嵐の奧さんは此頃見違へるやうに美しうならはつた」と評判してゐた。櫛卷に埃が掛るのも平氣でゐる程取亂してゐたのが俄に薄化粧までして生々してゐる處を見ると、五つか六つは若くなつたやうに見える。細君は「會社が會社が」と肴屋や豆腐屋にまで吹聽して、心のうちでは矢張り宅の人は働きがある、どうして今迄あの働きを見せてくれなかつたのだらうと思ふ。只細君が稍不平なのは何々會社假事務所といふ立派な札が星野の家の門口に掛つてゐることで、どうしてあの表札を
或時十風は夜遲く酒氣芬々として歸つて來て「星野の奴はひどい奴だ。人間で無い」などゝ口を極めて罵りながら細君にも八つ當りをした。以前には有り勝の事であるが此頃では珍らしい現象なので細君は心配してその理由を聞いた。が十風はいはなかつた。翌日はいつもより早起をして出掛けて行つて其夜又遲く歸つて來た。酒氣は相變らずあつたがもう昨夜のやうには怒らなかつた。併し其以後細君の手料理は無駄になる日の方が多く、一時遠ざかつてゐた茶屋這入りが又頻繁になつて來た。一時熱心の光に充ちてゐた十風の眼には又悲痛の色が見える。
二ヶ月後には細君の口から又會社といふ言葉を聞くことが出來ぬやうになつた。終日駈けずりつてゐた十風は朝から晩迄
誠に短かい間の果敢ない夢であつた。其夢の醒めかけた頃十風は又激しい喀血をやつた。それからげそりと衰へて床に就いた。
明治二十八年五月三藏が漸く十風の住所を探し當てゝ尋ねて來たのはその十風の喀血後三月ばかり後の事である。三藏は第四囘内國勸業博覽會の通信員を新聞社から囑託されて京都へ來て先づ何よりも早く十風の起居を明かにし度いと望んでゐたのであつたが初めの間は住居さへ判明しなかつた。それを此日は漸く尋ね當てゝ來たのである。
十風は三藏を見るや否や急に顏をそむけた。それから聲を出して泣き出した。頬の肉はゑぐり取つたやうに落ちて頭と眼が目立つて大きく見える。漸く泣くのを止めて「よく來てくれた。僕はもう駄目だよ」といつて冷やかに笑つた。「そんな事があるものか」と三藏はいつたが續いていふべき言葉を知らなかつた。病人の著てゐる蒲團だけ流石に小ざつぱりしてゐたが其他のものは目も當てられぬ有樣であつた。以前東京で三藏は同居して居つた時も貧乏な暮しではあつたがそれでも何處やらにまだ明るい處があつた。今は見るものが皆暗い。大きな口をぱくりと開けて「おや塀和さん」と言つた細君の聲は昔とあまり變りは無いが、三藏を子供扱ひにした當年の活氣が少しも無い。「まあ美しい林檎ですこと」と三藏の手土産の風呂敷をほどいて籠のまゝ十風の眼通りに置く。十風は大きな眼でぢつとそれを見て「一つむいて呉れ」と言ふ。「僕がむいて遣らう。奧さんナイフを借して下さい」と三藏は言ふ。細君は齒のこぼれた大きな包丁を持つて來る。三藏は持ち
其後三藏は屡十風を見舞うた。或日一人の髯を生やした、金縁の眼鏡を掛けた色の生つ白い三十餘りの人に出逢つた。十風は「これが星野君だ」と三藏に紹介した。そして其談話の中に頻りに其厚意を感謝する口吻が見える。嘗ては「星野が全く僕を陷いれたのだ」とまで話した事のある人をと三藏はをかしく思つた。十風の病勢は段々面白くない。近頃は熱の高低が激しくつて食慾が減退して愈衰弱を増すばかりである。或日十風の眠つてゐるとき細君に「失禮ですが此頃の經濟はどうしてやつてゐるのですか」と三藏は聞いた。細君は「星野さんが全く親切なんですの」といつて「人は見かけによらんものね。道樂もんでしてねあの人は。さうよ。
その夜は格別變つた事なく三藏は只雜談して歸り、それから三日目の夜又訪問すると、此日は前日と違つて何となく一座の光景が穩かで無い。細君の顏には矢張り白いものが見えて髪も丸髷に今日結ひ立てのやうである。それでゐて頬には涙のあとがあつて何處となくそわ/\としてゐる。十風はと見るとこれも頬には涙痕があつて大きな眼を開けてぢつと天井を見詰めてゐる。三藏が枕許に坐つてからも暫く無言でゐたが、突然「酒が飮み度いなあ」と獨り言のやうに言ふ。それから又暫くして「塀和君、君一人で枕許で飮まんか。何だか淋しくていかん」と低い聲で言ふ。「あゝ飮んでもいゝ」と三藏は逆らはぬやうに言ふ。「おい/\」と十風は細君の顏を睨みつけるやうにして「酒を持つて來い」と嚴かに言ふ。「お酒? 有りません」と細君も稍荒々しくいふ。「無けりや買つて來い」と愈急調になる。「だつてお金が……」と細君はいひさして默る。「何、お金が無い? 馬鹿ッ」と泣きさうになつて「金が無い? 馬鹿が……」と何か更にいはうとしてコン/\と咳き入る。「金なら少々は僕の所にある」と三藏は自分の財布を出しかけると十風は瘠せた幽靈のやうな手を振つて尚コン/\と咳く。細君は後ろにつて背中を
それから二日目に十風は遂に死んだ。死ぬる前も何が原因であつたかわからぬがひどくじれて最後の喀血をやつて間も無く瞑目した。三藏は其前日十風の睡つて居る間に細君に聞いて見た。「十風君がいつた事は全體どうしたんです」細君は少し狼狽へたが「全く
それから尚半月許り三藏は京都に居つた。十風の細君は間も無く親許に引取られたと聞いたが三藏は或日今出川通りではたと出逢つた。矢張り美しい丸髷に結つて薄化粧をして年にしては派手な著物を著て元氣よく三藏に挨拶して行つた。三藏は寧ろ其末路を思うて哀れを感じた。
此頃は京都にも大分俳人が出來て時々俳句會が開かれる。三藏は博覽會雜記といふ短文を新聞に送る他は別に用事も無いので俳句會には缺かさず列席する。そのひまに又舊友をも訪問する。大方は皆東京に行つて大學に這入つてゐるが中にまだ殘留して居るものもある。
三藏は別に俳諧師にならうと思つたわけでも無く、又特に意を傾けて研究したといふわけでも無く、只李堂などに讃められるのが面白いので、小説を書かうと思つても出來ず、酒色にも飽くことの出來ぬ其鬱結を散ずる爲めにやつてゐたのであるが、それでゐて此地の俳句會などに列席して見ると、いつの間にやら俳諧道の先達になりすましてゐるのに我ながら驚く。まだ小説は書き度いと思ふ。けれども亦俳諧師として推重されるのも嬉しい。いゝ句が出來るのも愉快だ。
或日渥美の主人から三藏の許に手紙が來た。僕の舊友が君等のお弟子ださうで僕も仲間に引込まれた、俳句の話が聽き度いから今日午後から來てくれ、といふ文意である。これは愈意外だ。鶴子さんはどうしたらう。お常はまだ居るか知らんとなつかしく思ひながら案内を乞ふと細君が自ら玄關に出て來て「おや塀和さんですか」となつかしさうにいふ。それから主人公の書齋に行くと、今一人來客があつて、それも主人公位の年輩で髯をひねり乍ら「山僧君といふのはこんなに若いのか、これは驚いた」と大きな聲をして笑ふ。それから「いやなか/\むづかしいものだが併し又面白いものだ」と前置を置いていろ/\質問を發する。それから三人で二三題作つて更に其句の批評などして夕飯の御馳走になる。主人公も飮む。お客も飮む。二人は盃を擧げ乍ら幼穉な試論を鬪はす。それから二人では水掛け論だから一つ先生に聞いて見ようなどゝいつて三藏に審判を乞ふ。三藏は以前獨逸語の書生として釜から取る熱い御飯を頂戴して居つた時に比べて其變化に驚き乍ら馳走になる。主人公とお客とは頻りに飮む。三藏は臺所に退いてなつかしい中庭の
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水月は此年の秋自殺した。三四年間殆ど俳人としての交通を絶つてゐたが、三藏は京都から歸つて間も無く久振りに出逢つて其風采言行の非常なる變化に驚いた。以前は一見異常なる哲學者肌の人と思つたのが極めて穩かな平凡な人になつてゐた。「近來俳句は如何です」と三藏が聞いたら「近頃二三句作りました」といつて思ひ出し/\其句を話した。三藏は全く月並であるのに驚いた。それから最も三藏を驚かしたのは「僕は自殺せうと思ひます」といつたことだ。けれども其態度が極めて平靜で更に大問題と思へぬやうな口振りであつたので三藏は初めこそ驚いたが、たいして氣にも留めなかつた。二人は不忍池を散歩したが