恐怖の季節

三好十郎




大インテリ作家



「演劇に関するエッセイを書いてください」
「おことわりします。演劇について論評したりする興味を失っていますから」
「それなら、文化や文芸などについてのエッセイはどうですか?」
「しかし、つまらんですよ、私の書くものなど。私は、単純な言いかたでしかモノの言えない人間です。今の雑誌などでは、単純なわかりやすいモノの言いかたをすると、人がバカにしたり、ビックリしたりするでしょうから。バカにされるのは私の方ですから、かまいませんが、ビックリするのは、人さまですから、やめにしたほうがよいでしょう」
「それはそうです。実際、今の雑誌の論文類は、書きかたがむずかしすぎます。われわれも、よく執筆者にやさしく書いてくれるように言っているんですが、なおりません。実際われわれ自身が読んでもよくのみこめないような論文などを雑誌にのせる時には、読者への責任という点で考えこまざるを得ない時があります。ですから、いいじゃないですか、その単純なところで書いてください」
「でよければ、書きます。しかし一カ月だけなら、イヤです。悪口も書きますから、一回コッキリで書くと、イタチの最後ッペみたいになって、卑怯でもあるし、言いたりないし、それに私の本意にも添わぬことになりますから、五、六カ月間、私の好き自由なことを書かせてくださるなら書きましょう」
「けっこうです。で、どんな事を書いてくださいます?」
「この十年あまり、ぼくらは、いろんな物を食わされて来ました。あまり食いたくないものも、食わされて来ました。すこしちがった意味で、現在もそうです。胃の腑が妙なふうになっています。なんとかしないと、気分が悪いし、カラダのためにも良くない。それには、吐くのが一番だろうと思います。いきおい、私の書くことは、ヘドないしは、ヘド的になりますよ。どうせキレイなものではない。ただ吐きっぱなしにはしたくありません。吐いた物の中にも、もう一度洗って煮て噛んで、のみこんで消化すれば滋養になるものが、まじっているかも知れない。そんなものが有ったら、ヘドの中をかき捜し拾いあげて、食います。今のぼくらの身分では、きたないなどとは言ってはおれません。つまり、こうなんです。ぼくらは、この十年二十年を虫のせいや、カンのせいで生きて来たのではない。それぞれ、セイいっぱいにやって来たのです。その中に、取りかえしのつかない、否定的な事がらが、どんなに充満していたとしても――事実充満していましたが――それを否定するあまり、また、すべての否定に附きものであるところの感傷的、英雄主義に酔って、この十年二十年の内容の全部――つまり、ぼくらにとって肯定的な事がらをも含んでいる実体――と言うよりも、ぼくらの十年二十年のイノチそのものを、全部的に否定し去るほど、私は淡白ではないのです。すべての人も、それほど淡白でないほうがよいのです。ホッテントットにとって存在しているような意味では『奇蹟』は、ぼくらには存在していません。もし、これから先き、ぼくらが進歩し得るものならば、ぼくらの過去十年二十年および現在の中に、なにかの形でその進歩の種か芽かモメントかバネかが存在していない筈はないでしょう。また、もし、ぼくらが世界人としての場を要求し得るほど育つことができるものならば、この十年二十年および現在の日本的な場の中に、その世界人としての資格の土台のひとかけら位が、どうして見つけ出せないわけがあろうかと思うのです。……とにかく、私は、食いさがって行ってみます。仕事の性質上、吐剤は悪口が多くなります。悪口を吐くと、人から憎まれます。憎まれるのは私も好みません。さいわい、私は文壇づきあいを全くしない人間だし、どんな種類の党派にもぞくしていない人間だから、文士たちから憎まれてもかまわないようなものの、気が弱いから、気分的に、イヤなんです。しかし、ある程度までそれも、やむをえないでしょう。それに、読んでもらえば、たいがいの人たちにわかるだろうと思いますが、私は、人にばかりヘドを吐きかけて自身に対しては吐きかけまいとするのではない。ヘタをすると、一番の悪臭を放つやつを――さらに悪くすると血ヘドなどの混っているやつを、自身の頭から吐きかける危険が無くは無いやりかたでやるのですから、それに免じてあまりに強くは私を憎まないでほしい。しかし、どうしても憎まざるを得ないならば憎みなさい。イザとなれば私にしても、或る程度までの憎しみに耐えることができる。それに、なんにも無いよりは、憎しみでさえ、有ったほうがよいのだ。むしろ、今のぼくらの空気の中には、サッカリン式の『愛情』や『善意』が有りすぎる」

 まず最初に、私は、私のたいへん尊敬している三人の文学者に吐きちらす。それは広津和郎と志賀直哉と武者小路実篤である。
 この三人が、大インテリであるかどうかについては問題があろう。だが今の日本の文学者の中から大インテリとしての質を持った者、または持ち得るものの二、三人を拾うとなれば、ここらではないかと思う。
 大インテリとは、すべての党派性と地方性から独立しており、そして、すべての人間の運命に一番近く立っているものの事である。そして、他のどんなものからも支えられずに、自らの力で立っているものの事である。ロマン・ローランがそうであった。ジイドがそうだ。トマス・マンがそうだ。ショウがそうだ。アインシュタインがそうだ。もちろん人類にとっても一民族にとっても代表的な貴重な個性である。ジイドの「今後の世界はホンの二人か三人の人間によって救われるであろう」という言葉の、その二人か三人というのが、これにあたるかどうか、わからない。しかし、いずれにしろ、それに近いものであろう。
 そして私の分類に従って言うならば、大インテリとは、サイミン術にかかりにくい性質を持った人間だ。そして、コンミューニズムの端からファシズムの端に至るあらゆる種類の政治的プリンシプルが、現実的にデスポティズムの形をとった場合には、すべてサイミン術になる。そしてなにかの意味でデスポティズムの形をとらぬ政治的プリンシプルは有り得ない。だから、大インテリというのは、結局は、常に政治と闘う者のことである。そして、サイミン術や政治と闘う道具として、彼自身の、そして彼自身だけのエイ智以外には、なんにも持っていないし、持とうとしない。目の中にウツバリを持たぬと同時に、手に武器をも持たぬ。群集を愛すれば愛するほど、群集の動きから一人離れ、醒め、孤立する。せざるを得ぬ。
 広津や志賀や武者小路が、それぞれの特性を持ちながら、共通して右のような傾向を持っていることは、この三人の歩いて来た道と仕事の内容を思いだしてみればわかる。また、永井荷風や谷崎潤一郎や宇野浩二や里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)などとくらべて見れば、いっそうハッキリする。永井や谷崎や宇野や里見などは「文士」だ。広津や志賀や武者小路は文士だけではない。文士からはみだしている。はみだした所で、彼等は多くの人々の運命を背負っている。多くの人々の運命のことを忘れようとしても忘れることができない。「世が病め」ば、彼等も病む。血がつながっているのである。それでいて「醒め」ている。不幸だ、それだけに。すくなくとも、苦しい。この十年間――日本が戦争をはじめ、続け、敗け、そして現在こんなふうになっているこの十年間、さぞ苦しかったろう。お礼を言わなければならぬ、それに対しては。しかし、それだけにまた、今後についての要求も、この人たちに対して強くならざるを得ない。今までの十年間は、十年コッキリで終りになったのではない。つづいている。そして、その中で、ぼくらは、この人たちの生きて行く姿や仕事を見つめつづけて、それらを意識的、無意識的に自分たちの指針にしたり、示唆にしたり、すくなくとも、一つのよりどころとしたり、一つの刺戟としたりしようとしている。だから、モーロクしてもらっては、困るのだ。永井や谷崎や里見などは「芸道」のザブトンの上でウトウトと眠らせておけばよい。大インテリには、ザブトンの上でウトウトしたりする権利は無い。灰になるまで、後継者からスネをかじられることをカクゴしてもらわなければならぬ。
 私も、ひとかじりずつ、かじって見る。
 まず広津和郎。なんというすぐれた神経組織だろう。それがクタクタに疲れている。そして、疲れたために強ジンになった。皮がナメされて強ジンになるように。これは単に「頭が良い」などという程度のことでは無い。頭の良さならタカが知れている。しかし神経の正常さと精密さにかけては、ザラにあるシロモノでは無い。それが、しかし、どうして、小説を書かせると、こんなにマズイのか? いや、マズイだけならよい。どうしてこんなに気のはいらない――むずかしく言えば彼自身にとって第一義的にはほとんど意味の無い小説を書くのだろう? いや、言いかたの順序が逆になった。広津の書く感想文、とくに人間についての印象記などは立派だ。このあいだ読んだ牧野信一との交友録など、目も筆も冴えかえったものであった。牧野信一を描いて、あれほど的確で深い文章を私は他に読んだことが無い。これはホンの一例で、広津の書くヒューマン・ドキュメントは、ことごとく一流のものだ。それが、おそろしくツマラヌ小説を書く。ヘンだ。実は彼のドキュメントや感想文の方が、あらゆる意味で、ホントの小説なのに。ドキュメントや感想を彼は燃えて書いている。彼の全人間のトップの所で書いている。小説を書く時には水を割る。彼のうちのカスで書いている。そして、そのドキュメントや感想を書いている時の書きかた――素材の現実と自分とのそのような関係こそ、ホントの小説の書きかたであることを、彼ほどの人が知らぬ筈は無い。盲点か? それもおかしい。すると、彼ほどの人でも、例の「自身に関する事以外のことはよく見えるが、自身のことだけは見えない」[#「自身のことだけは見えない」」は底本では「自身のことだけは見えない」]という凡夫の法則をまぬがれるわけには行かないのか? いや、いや、彼の神経がそれを見のがす筈は無い。知っているのだ。知ってやっているのだ。すると「生活のため」という理由だけしか無い。だとすると、しかたが無い。生活はノッピキのならぬものだ。それはそれでよい。誰にとがめだてができるだろう。ただ、理由がノッピキが有ろうと無かろうと、そういう事をしている広津自身の内容は、いつでも真っ二つに割れていはしまいか? いつでも、あれやこれやに分裂していはしまいか? そして、いつでも、一方が一方を否定したりケイベツしたりしていはしまいか? そして、そのような分裂が、いつでも彼を或る種の地獄におとしいれているように私に見える。自業自得だ。それに、その中にガマンして住んでおれる程度の地獄である。同情しなくともよかろう。ただ、広津を一個の大インテリとして眺めようとすると、その分裂がジャマになる。「小説」を彼の手から叩きおとしてやりたくなる。しかも、「小説」を叩きおとされた広津こそ、ホントの意味での作家なのだから、なおさらである。「じゃ、どうして食えばいいのだ?」と問われても、そんな事は知らぬ。そんな事は問題にならぬ。問題は、われわれが広津のなかに一人の大インテリを、純粋に持つことができるかどうかという事だ。彼自身にとっていかがわしい関係にある小説などを書きちらして自身に水を割りながら「中ぐらい」に暮している大インテリを見るほうがよいか、たとえばバタヤをかせぎながらでも自身を一本にしている大インテリを見るほうがありがたいかということである。つまり、他の事を顧慮している暇が無いほどに、われわれの間に大インテリを持ちたいという希望は切実なものであるということである。
 次ぎに志賀直哉。
 半未開国民のわれわれの間では、ざんねんながら、いろいろの事や物が、すこしユダンをしていると、すぐに伝説になったり偶像になったりタブウになったりする。小説における志賀がそうだ。
 志賀の小説は一級品だ。私など、ちかごろ雑誌などにのっている戦後派作家や「肉体派」作家たちの半煮えめしのような小説を三つ四つ読んで、ダラケたような気もちになった後では、口なおしによく志賀や葛西善蔵の小説を引っぱり出して読む。良いことは、わかりきっている。しかし志賀を伝説にしたり偶像にしたりタブウにしたりするのは、まだ惜しい。志賀の小説は、まだ生きている。そのプラスとマイナスは、まだ充分に計量されてはいない。そこには、日本の小説における或る一つの行きかたのヨリドコロみたいなものが有るばかりでなく、日本人の物の考えかた掴みかた生きかたの原型のようなものがドッシリと据えられているのだが、それらが、まだ充分に噛み分けられているとは言えない。われわれは今、目の先きに多量に生産され並べたてられている小説類に目をくたびれさせることをしばらくやめて、志賀小説ならびに志賀を、もうすこし調べ捜し、イタブリゆすってみる責任がある。日本では作家が六十歳ぐらいになると「隠居」になってしまう習慣がある。現に志賀がすこしそれになりかけている。そしてその理由として、すぐに日本人的性格や肉体的劣勢が持ち出される。バカげている。そんな事があるものか。百パーセント日本人富岡鉄斎は九十歳近くまでホントの絵を描いている。ヨーロッパ人よりも日本人が肉体的におとっていると言っても、日本人の二倍のエネルギイをヨーロッパ人が持っている証拠は無いのだ。それが「隠居」になりやすいのは、当人にも責任があるが、実はなかば以上ハタに責任がある。ハタがすぐに伝説・偶像・タブウ化するのがそれだ。作家などというものは、死んでしまってから隠居すればたくさんだ。七十になろうと八十になろうと、血なまぐさい第一線に引っぱり出しておいて、踏んだりけったりして、さしつかえの無いものだ。当人が悲鳴をあげようと、かまわない。もともと、そのような無慈悲な仕事であり、道なのだ。当人がそれを承知ではじめた事ではないか。敬老主義的習慣は養老院だけにあればたくさんである。
 ところで、志賀が、終戦後、間の無いころ、たしか新聞紙上で、特攻隊くずれの青年がゴロツキになったりドロボウになったりしている事を、たいへんはげしい言葉でフンガイしたことがある。私はビックリした。志賀らしくないと思った。その次ぎに、しかし、いかにも志賀らしくあるとも思った。どちらに思っても私はゲッソリした。そして志賀を憎んだ。今でもその点では憎んでいる。
 志賀の意見の出どころが、そんなにまちがったもので無いことはわかった。意見そのものも、まちがっていたとは思えない。特攻隊くずれであろうと何であろうとゴロツキやドロボウは悪い。それはそれでよい。やりきれないのは、それを言う態度の薄っぺらさだ。それを『暗夜行路』の作者がやってのけていることだ。ぜんたい、この間の戦争をふくめての此の十年二十年を、その中でチャンと日本人として――その権利と義務を行使して――つまり、ホントにナマミで生きて来た人間が、どこを押せば、その十年二十年(自分自身をも含めて)の所産である特攻隊くずれを、あのように手ばなしに一方的に非難できるのか? 自分が特攻隊員だったと思ってみろ。また、自分のムスコが特攻隊員だったと思ってみろ。あの時、自分なり自分のムスコが特攻隊に引っぱり出されて、おれはイヤだと言ってことわれたか? もし、ことわれていたのだったら、特攻隊くずれを叱ってもよい。ことわれなくても叱っても悪くはないが、その時、あなたの胸の中に痛むものは無いのか?(そして私には、そのような痛みが彼の文章の中に感じられなかった)もし無いならば、あなたは、この十年間を「生き」てはいなかったのだ。『暗夜行路』の作家は、いつの間にか、偶然の特等席に引退してしまっていたのだ。それが今になって、こうだ。それはみっともない。戦争中カンゴクの中で戦闘機の部分品を作っていた共産党員が、終戦後とびだして来て、強制的に従軍させられた従軍文士を戦犯として罵りさわいだのよりも、みっともない。みっともない事をしたくないと言うケッペキさを一貫して持っている志賀だから、尚のことみっともない。私は志賀を敬愛すればするほど――いや、志賀を私がホントに敬愛するためには、彼の持っているこのような薄っペラさやモーロクやみっともなさを、私は憎まなければならぬ。
「正直にそう感じたから、そう言った」のだとは思う。もちろん正直に感じた事をかくす必要はない。現に志賀小説の土台の一つは、自分への正直さに在る。しかし、この手の正直さとは、ちがう。この手の正直さは、「町会役員」の正直さだ。作家の正直さは「神」または神に近いものの正直さだ。でなければならぬ。現に『和解』をはじめ、いくつかの作品の中で、そのような正直さの証拠を志賀は示している。志賀が、もし創作の中で特攻隊くずれを描いていたら、たぶん、けっきょくは否定するにしても、このように一方的に手ばなしの否定的壮語に終りはしないであろう。したがって、真に否定さるべきものの根源に徹して否定し得るであろう。われわれは今更、作家志賀直哉から町会役員的正義観を期待するほどナイーヴではない。
 志賀に於て、ちょうど広津をアベコベにした現象が起きている。あれだけのエッセイやドキュメントの書ける広津があんな小説を書いており、あれだけの小説の書ける志賀がこんな感想文を書く。広津がエッセイやドキュメントでしか自身を全的に表現し得ないと同じように、志賀は小説でしか自身を全的には表現し得ないのであろうか。それなら、まだよい。私があやぶむのは、広津の小説が広津のすぐれたエッセイやドキュメントの底をつつきくずしてワヤにしかけているのと同じように、志賀の感想文は志賀のすぐれた小説の裏の浅さを自ら物語っていることになりはしまいかと思われる点だ。もしそうだとすれば、当人にとっても捨ててはおけない事であろうが、それよりも、われわれにとっても、ほとんど一大事になる。なぜならば、そうなれば、われわれは一人の卓抜な作家を失うと同時に、一人の大インテリらしい者が実は「こごと幸兵衛」――自身もその中で生きている同時代者全部に対して責任を負おうとしないで、ただエゴイスティックな批判だけをする批判者――であったことを知ることになる。つまり一人の大インテリを失うことになるからだ。
 武者小路実篤。これは巨木だ。こんなのが、どういうわけでわれわれの間に生えてしまったものか、それを見ていると、われわれ自身がはずかしくなって来るような巨木である。しかしそれでいて、このような巨木を持っていることは、われわれの誇りである。私は或る高原の、あたり一面カン木と草ばかりのまんなかに、どこからどうして飛んで来た種子から生えたのか、黒々とそびえ立っているモミの大木を見たことがあるが、その時の気持が武者小路を眺める気持に似ている。場所がらもわきまえずに、ムヤミと大きく育ってしまったものだ。見ているとアホラシクなる。同時にたのもしくなる。こんなのがとにかく生え育つ土地――日本は善きかなという気がする。気がしているうちに、コッケイになって来る。笑いたくなる。そして笑いは、深い敬意をすこしも裏切らない。
 武者小路は、ずいぶんたくさんの小説や戯曲や詩や感想を書いて来た。これからも無数に書くだろう。書きちらす。原稿紙を五千八百九枚あてがうと、その五千八百九枚目まで書きちらすだろう。たしかタゴールの詩の一つに、大海の浜辺で無心に遊んでいる幼児を歌ったのが有ったが、あれだ。しかつめらしい顔をして、マメマメしく、次ぎから次ぎと忙しそうに、シンケンに、しかし、けっきょくは、遊ぶ。パガンの神が遊ぶように。そこには、真実は在るが論理は無い。美は在るが構築は無い。純粋は在るが進化は無い。そして、そのような所に、近代的な意味での芸術や思想は存在し得ない。
 武者小路の小説や戯曲で、芸術作品としての正常な興味を持ちつづけられるものは、私にとって、いくつも無い。それでいて時々読みたくなる。そして引き出して来て読み出すと、トタンに、その真実と美と純粋に打たれ、そして間も無くタイクツしてしまって、本を机の上か枕元に放り出し、安心して眠ってしまう。そういう関係にある。彼の思想にしてもそうだ。考えの一つ一つは真実で美しく純粋なものだが、システムは無い。あの考えとこの考えがムジュンしはじめると調和といったようなことで、ナスクッてしまう。それは、彼に於てゴマカシでは無い。シンケンにそう思ってナスクるのだ。しかし客観的には、そいつはデタラメである。壮厳なるデタラメだ。近代的思想としての一貫した検討に耐え得るものは何一つ無い。「新らしき村」が、いつまでたっても無くならない理由も、いつまでたっても栄えない理由も、そのへんにある。そういう関係にある。
 武者小路がホントの意味での芸術の苦しみと喜びをはじめて知ったのは、彼が絵を描きはじめた時ではないかと私は思う。いや、ツクネいもなどの「文人画」のことではない。コツコツと写生をしデッサンをしてタブロウをつついて描いた絵のことだ。タブロウは写実と美と純粋だけでは出来あがらない。論理と構築と進化が存在しないと、出来あがらない。僅かであるが、そういうタブロウがあるのだ、武者小路に。それを見ると、およそ、それまでの武者小路から想像することのできないような細心で慎重な、順序を踏んで自然に味到しようという態度がある。往々にして、そのタブロウは、彼の「ツクネいも」の絵よりも出来が悪いけれど、しかし、そこにホントの芸術家の態度がある。それが、絵を描きだして、はじめて彼のうちに生れた――つまり、絵を描くに至ってはじめて彼は芸術家になった――と私は見る。カンバスを五千八百九枚あてがっても、彼はもうその全部に塗りたくりはしないであろう。それが、彼自身にとってもわれわれにとっても、喜ぶべき事であるか悲しむべき事であるか、わからない。実に、それは、わからない。ただ、もう、後がえりはできまい。また、後がえりは、してもらいたくない。
 なぜかというと、論理と構築と進化とが、多少ずつでも彼のうちに生きてくれば、「すべての事は、それぞれそのままの意義と姿において、ほむべきかな」と言ったふうの――敵も味方もいっしょくたにして肯定してしまうところの大調和論みたいなものは、成り立たなくなるであろうから。そして、そんなものが成り立ってほしくないからである。もちろん、そうなれば、彼の「天衣無縫」さは彼から失われるだろう。それは惜しい。一つの宝物を失うように惜しい。しかし、どうせわれわれは彼の「天衣無縫」の路について行けはしなかった。しかし、彼の「人道主義」には、ついて行きたかったのだ。これからも、ついて行きたい。それには、「天衣」を脱いでくれないとダメだ。「天衣」は美しいが、デタラメだからである。
 そのへんを、もっとハッキリ言うことにする。われわれを包んでいる歴史の流れは、まだきわめて不安定な段階にある。これから先、われわれはいろいろな目に会うであろうし、会いたいと思うし、そしてその中でわれわれは、なにもしないで手をつかねているわけには行かぬだろう。いろいろな目というのは文字どおりいろいろな目だが、その中で一番極端なものは戦争といったような事であろう。戦争はおたがいに、もうイヤである。起らぬように、それぞれの立場から努力したい。しかし、いくらイヤがっても努力しても、戦争は起きるかもしれない。そして、戦争以外の此の世のあらゆる現象も、よく考えてみると、それと同じようにして起きる。そうなった場合に、しかし、「あれも、これも、すべてよし」では困るのである。これが善ければ、あれは悪いのである。その逆もそうである。ところが武者小路の「天衣無縫」には、「あれもよし、これもよし」になってしまう危険があるのだ。しかも彼はそれを、その時々に正直にシンケンに器量いっぱいにやってのける。当人にとってウソは無いのだから、キショクの良い事だろう。しかし武者小路のような大インテリには、一方に、人間のチャンピオンとしての責任が有る。それが、いかに自分だけはキショクが良くても、今日この事をよしとしていて、明日それと真反対のあの事をよしとして、イケシャアシャアとしている権利は無い。
 私の知っている文化人の一人に、彼自身大いに進歩的な考えを持っていると自認しており、また事実することも言うことも進歩的らしく見える男がいるが、この男が他の人が自分の気にくわぬことを言うと、必ず「君は反動だ」と言うクセを持っている。バカヤロウと言うのと同じ使用法で言う。たいへんアイキョウのあるクセであるが、時によって人を困惑させることは事実である。それで私は一度「反動」という言葉で君はなにを意味しようとしているのか、君がその言葉に持たせようとしている意味をもっと洗いあげてみたらどうだ、つまり「反動」を定義してみたらどうだ、と希望したことがある。もっともその男は私の希望をいれなかった。そして再び「すぐにそんな事を言うから君は反動だ」と言い放った。私はふきだした。――
 武者小路は、彼の「人道主義」を一度洗いあげ、定義し、首尾一貫したものとして、再確認してみることが必要ではあるまいか、彼自身にとっても、そして、もちろん、われわれにとっても。そうでないと、われわれは、いつか、武者小路を見て、ふきださなければならなくなるかもしれないのだ。そして、われわれは、このように大きな、このように純粋な人を見てふきだしたりはしたくないのである。この人を、お手本にしたり、よりどころにしたり、鏡にしたりして、もっと高いところに到達したいのである。
 これで広津と志賀と武者小路についての一言ずつを、ひとまず終るが、終るにあたって思うことは、これほどまでにすぐれて、他からのサイミン術にかかりにくい人たちでも、自分が自分にかけるサイミン術だけは、避け得ないのだろうかという事だ。
 この次ぎには、四十歳前後の流行小説家たちの数人のことを、その次ぎには戦後派の小説家たちのことを、又その次ぎには共産主義的な作家たちのことを、またその次ぎには、劇作家たちのことを書いてみたい。
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小説製造業者諸氏


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 この三、四カ月、私はずいぶんたくさんの小説を読んだ。なるべく新作をと思ったので、おもに綜合雑誌と文芸雑誌と大衆雑誌と新聞に目をさらした。読んだ作品の数は、百を越えよう。かねて小説を読むことは、きらいで無い。しかし、三、四カ月の間に、これほど多量の小説を読んだことは、めったに無い。戦後の小説界の生態をつかむのが目的であった。目的は、ある程度まで、はたせた。その報告または論評をここでしようとは思わぬ。ここに書きつけるのは、その百以上の小説を読んで行きながら私の感じた二、三の事に過ぎぬ。――
 まず、なによりも先きに言ってしまわねばならぬ事は、私がウンザリしてしまったことだ。実にウンザリした。ほとんど、アゴが出るくらいにウンザリした。戦争中、私も暑いなかを小学校の校庭につれて行かれて竹槍訓練をやらされた組であるが、ウンザリかげんが、どこか、あれに似ていて、あれよりもひどかった。もちろん、竹槍訓練の場合に私がウンザリした事について在郷軍人分会の会長に直接の責任が無かったごとく、これらの小説の作者や編集者に責任は無い。私の自業自得だ。
 忍耐力がたりないと言われれば、それまでである。自分の忍耐力がそれほど強大でないことは私が知っている。しかし、小説や戯曲に対する自分の忍耐力が普通の人の約一倍半ぐらいある事も私は知っている。その証拠は、そのうちに見せてやろう。私がウンザリしたのが、私の忍耐力の不足のためだとは、普通にいう意味では言えない。
「お前が、ゴウマンになってしまったからだ」と言われても、それまでである。自分がゴウマンなことを私は知っている。たとえば、孤立の不便と不利益を百も承知していながら、どんな党派にも派閥にも属したく無く、そして属していないほどにゴウマンな事を。また、たとえば、世評の高い宮本百合子の小説などよりも『戦歿学生の手記』中の一篇に百倍も感心しているほどゴウマンな事を。そうだ、普通これはゴウマンと言われる。だから異を立てるには及ばない。しかしホントの事を言うならば、それはゴウマンでは無い。私はそれほどケンソンな人間でも無いが、それほどゴウマンな人間でも無い。その証拠がほしければ――そうだ、これは、すぐに見せてやる。

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 私の読んだ戦後小説の作者たちの中に、小説製造販売業者とでもいわなければ、ほかにチョット適当な呼びようの無い種類の一群の作者たちがいる。全体の約三分の一ぐらいを占めているようである。作品の数からいうと、全体の半分、時によって三分の二を占める。したがって、私の読んだ作品の半分ないし三分の二が、それらの諸氏の作品であったわけであり、したがってまた、私をウンザリさせるについても、これらの作品が、あずかって力が有った。誤解なきよう、あらかじめ言って置くが、このように私が言うのは、それらの小説が、小説としてニセモノであったとか、ヘタであったとか、おもしろく無かったとかいうためでは、必ずしも無い。また、個人的な先入感から来る悪意からの見解であるとは私には思われない。とんでもない! 私はむしろ、どちらかと言うと、これらの作者たちに好意を抱いているのだ。それは、最後まで読んでくだされば、わかってもらえる。
 田村泰次郎、舟橋聖一、丹羽文雄、井上友一郎、石川達三、北条誠の諸氏、それから、そういった行き方の数人又は十数人の――世間で文壇の中堅と言われ、事実ある程度まで中堅である――人たちが、そうだ。それから火野葦平や、すこし年よりだが正宗白鳥なども、それに近い。いずれも、ずいぶんたくさん書く。毎月三篇や四篇の作品を発表しないことはないだろう。盛んな人になると、一カ月のうちに短篇、中篇、長篇連載などを合せると十篇ちかくを発表している。随筆やエッセイを普通に書いた上にである。なんともかんとも、隆々たるものである。
 ある種の批評家たちは、これらをアルチザン派といったふうに呼んでいるようだ。主として非難や軽蔑の意をふくめて、そう言っているらしい。なぜなら、そう言われると当人たちが、フクレたりスネたりイコジになったりするからである。これなども、実に「日本」だ。たいがいの外国語が、わが国に入って来ると、たちまち、一方的に肯定的か否定的の意味を背負わされる習慣がある。しかし、もとアルチザンなる語は、かくべつ、否定の意のこもった語では無いように私は知っている。むしろ、正常な是認と、おだやかな職業的誇りこそ含んでおれ、今の批評家たちが使用し、かつ、そう言われた人たちがそう受取っているようなドギツイ非難や軽蔑をこめて使うには無理のある語ではあるまいかと思われる。しかしながら、自分たち一人々々を、自ら神の子孫であると思っている或る種の未開のヤバン人が、人から「お前は人間である」と言われて、激怒したという話を私は思い出すのである。激怒させたくなければ、しばらく、神と呼んでおく以外に方法は無いし、そうしておいても、さしたる不便は無い。アルチザンと呼ばれてフクレる人たちはアルチストと呼んでもらいたいのだから、そう呼ぶがよいし、それでもさしたる不便は起きまい。批評家たちは、ケチをつけたいのだ。ケチをつけられるのに相当する作品もあるし、そうでないものもある。どちらかと言えばケチのつけやすい作品が多い。言ってみれば粗製品のようだからローズものが多い道理だろう。ただその場合でも、他人が盛大に何かをやって景気の良いのを見ると、ややともすればこれを嫉妬してケチをつけたがると言う島国人的特性を文壇人や批評家が非常に豊富に持っているという事も計算の中に入れる必要があるようだ。いずれにしろ、問題は、この人たちの、「質」に在ろう。その質に添って、もっと直接的な言いかたで「お前の作品はつまらん。そのつまらなさかげんと、その理由は、かくかくの所にある」と言うのでなければ、問題は先きへは進まないだろう。
 ところで、私自身はどうかと言えば、この人たちの作品を、必ずしも、つまらんとは思わぬ。しかし、たいして読みたいとも思わぬ。よっぽど暇な時には、読んでもよいが、読まないでもよい。読んでも読まなくても、私の内容にはほとんど増減が起きない。だから、どちらかと言うと、読まない方がよい。
 私の興味と関心は、もっと別な所にある。

          3

 それは、この人たちの作り出す「量」のことだ。
 なにしろ、大変なものである。これほど多量の小説を、相当の永い期間にわたって飽きないで作り出して行く作者がこれほどたくさん生きている現象は、私の知っている限り、どこの国のどんな時代にも無いようである。もちろん日本にも、かつて無かったと思う。インフレのために、多作しなければ人間らしい生活ができないからという理由もあろう。雑誌その他の出版物が多過ぎるために、それらの需要がそうさせるのだとも言えるだろう。また、これらの中の或る人が「どこからどんな注文が来ても、それに応じて、一カ月に七篇や八篇の作品が書けないようでは作家とは言えない」という意味のことを言ったか書いたかしたのを聞いたか読んだかした記憶がある。「節季の忙しい時に、一晩に五十や六十のチョウチンが張れないようじゃ、一人前の職人とは言えねえ」と言い放ったチョウチン屋がいたが、どちらも壮烈と言うべきだろう。御当人たちの「多産本能」と言ったような原因もあるようだ。しかし、それだけでは、私には説明がつきかねるような気がする。一種の病気のようなもの――狂燥症とか抑ウツ症とか言ったような精神病の種類の中に、年がら年中、朝から晩までベラベラかブツブツか、しゃべりつづけてトメドの無い病気が有るらしいが、つまり、あれに似たような徴候かと思うこともあるが、そう思ってしまうのも失礼のような気がする。又、或る種の猿にオナニズムを教えこむと、果しなくそれを続けて消耗しつくしてしまうのが居るそうだが、それに多少は似ていないことも無い気もするが、これもハッキリそうだとは言えないし、言えば失敬だとも思う。とにかく、私にはハッキリしない。よく理解できないのである。
 こんな事を言うと、あるいは、私が、世間の左甚五郎式「芸術至上主義者」たちと同様に、この人たちの「量」を非難していると思う向きがあるかもしれないが、それは誤解だ。私は、むしろ、単純に感心し驚嘆しているのである。
 そうではないか。どう悪く見つもっても、原稿紙にヘノヘノモヘジを書く仕事では無い。とにかく意味の有る、しかも時によってはなかなか大変に意味のある文章を、そして大概の場合に、小説らしい恰好をそなえたものを、かくもたくさんに、かくも続けざまに書くという仕事を、この人たちは、やってのけているのだ。ただの人間に出来ることでは無い。まして、一カ月に原稿紙五十枚書くのが最高で、普通平均三十枚がヤット、しかもそれだけを書くためにフラフラになったり、時によるとのめってしまって、二、三カ月間一枚も書けなくなったりして、いつも、自分の大きらいな貧乏から追いかけられて悲鳴ばかりあげている、しかもその書いたものが、この人たちの作品よりも格別にすぐれているという保証はどこにも無いところの私などが、これをトヤカク言う資格は無いらしい。言えば、それこそ嫉妬から来た中傷という事になりそうだ。実際、正直に感心し驚嘆しているのである。
 ただ、それにしても、疑問は有る。

          4

 先ず、この人たちの「自我」が、どんな具合に処理されているのだろう?
 一体、この人たちの手法は、「世相」を「眺め」て「おもしろおかしく」「早く描く」と言うことで一貫している。その点で、新聞紙の社会面の雑報記者の手法に似ている。それはそれでよいだろう。近代小説の一つの行き方として必然性も無いことも無い。そして、この手法でもどんなに立派な作品でも書けないことは無いようである。たしかにそれは、「私小説」だけを小説道の全部のように思っている態度からの一展開にちがいない。
 だが、けっきょくは、「眺める」のは自分であり、「描く」のは自分である。自分が、たえずキタエられ、反省され、検索されて、集中的に確立されていなければ、描かれたものは世相は世相でも、新聞の三面記事をあれやこれやと切り抜いてつなぎ合せたようなものになるか、又は、ナニワ節のサワリの文句みたいなように、義理人情のオツなところを「歌う」ことになる以外にあるまい。現に、この人たちの作品にそんなふうな物がだいぶある。そして、ありがたくも因果なことに、ピンからキリまでのあらゆる文学の持っている鉄則と、われわれが本来的に持っている感受性とのおかげで、彼等がそれらの作品の中で、彼等自身について一言も半句も語らなくても、彼等の「自我」がどんなふうな状態に置かれているかが、ほぼわかって来ることである。そして、私にわかって来た限りでは、それは、あまりおもしろく無いように思われた。
 ただし、これは、あくまで私の推測なのだから、あるいは誤っているかも知れないとも思う。ところが悪いことに、これらの人々の数人が時々「私小説」を書く。丹羽の「告白もの」や田村の身辺小説などがそれに当る。そして、それらは、それ自体としては、比較的正直に率直に書かれていて、好感の持てるものが多いが、しかし、それだけに作家的鍛練と確立の手薄さかげんがマザマザと露出しているだけで無く、その人生社会観の背骨バックボーンの弱さと、近代的小説作家として技法的にも致命的な陳腐さ――(その手うすさと弱さと陳腐さかげんは、いずれもかなり頭の悪い文学青年級のものであって、彼等が往々にして否定的に語りたがる志賀直哉その他の私小説作家たちの前に持って行っても、ほとんど吹けば飛ぶような程度のものである)を自らバクロしていて、前述の私の推測が或る程度まで当っていることを裏書きした。そして、それは他の諸作家についても類推することの出来る根拠がある。そして、それは、やっぱり私には、おもしろく無いように思われるのである。
 彼等は、自分たちでは、自分たちをルコックの亜流であるとはしていないらしい。すくなくとも、意識的無意識的に、スタンダールやバルザックなどが代表している流れに竿さしていると思っているらしい形跡がある。だから、こう質問しても不当では無いと思うのである。あなたがたの作家活動の中で、あなたがた自身の了見が、どんな姿でどのへんに位置しているのかを自ら問うたことがあるのか? と。
 いや、しかし、こう言うと、彼等の或る者は「金がほしいから書くだけだ」と答えるかもしれない。(悪いことに――そして彼等のためには都合の良いことに)バルザックが「金がほしいから書く」という意味の事を言っている。
 また、或る者は「書くことがおもしろいから書くんだ」と答えそうだ。(悪いことに――そして彼等にとっては都合の良いことに)スタンダールが「私は私をたのしませるために書く」という意味の事を言っている。
 まことに、まことに、プロメシウスが肝臓を食わして手に入れて来た火で、パンパンがタバコを吸いつけるのだ。祖師が血みどろになって持ちかえった皮ごろもで、小僧どもが鼻を拭くのだ。バルザックの「金がほしいから書く」とスタンダールの「たのしむために書く」の一語の裡に、どれだけの自我の追求と確立の煉獄が畳みこまれていると思うのか。現に、バルザックやスタンダールの諸作品の冷鉄のような客観の中心に、一貫して燃えさかり、そして燃えさかる事によって、彼等の「客観」を芸術としての渾一にまでキタエあげているものは、彼等の白熱した主観、つまり自我であり、終始一貫して自我でしか無いことに気が付かぬ者は、メクラに近い者であろうと私は思う。

          5

 自我とは、もちろん、生物学的に他のものから引き離されて存在している自分一個の内部の問題――それの生理や心理や情緒や死生観などを意味するのと同時に、外部――自然や他人や階層や民族や社会や世界――との有機的な関連において認識される自分のことだ。これは理論的なメガネで眺めてそうなるのではなく、事実そのものがそうなのである。知識と教養によって訓練された人間は皆、その知識と教養の度合いにしたがって、自己のうちに、この内部と外部を持ち、そしてそれを何かの形でか出来るだけ矛盾の無い統一体として処理したい欲望を持つ。そして作家は、当人が好むと好まざるとに関係なく、より強く作家たろうとすれば、本質的自発的に知識と教養に訓練された人間のチャンピオンたらざるを得ない。これも理屈では無い。作家と作家活動の作用ファンクションが自然にそうなのだ。したがって作家が自然に為し、かつ、為さなければならぬ自我の追求、確立ということは、自分の内部において外部の世界を処理する仕事である。言葉を換えて言えば、自己の土台の上に社会的な連帯性を産み出すことであろう。つまり、作家は本来的に自発的に自分の属している人間集団全体の運命に自分の考えと仕事をつなげて行くものだし、行かざるを得ない。
 そして、われわれを最も強くゆり動かした最近の「社会的」な事件は戦争であった。あの戦争を、なにかの形でか自分の内部で処理する仕事は、実は作家の自我の確立の仕事の中での一番大きな課題なのである。
 そして、これらの作者たちの、ほとんど全部が、あの戦争を通過して来ている。なかには、かなりハデな形で通過して来ている人もある。それを、現在彼等は頬かむりをして過ぎようとしている。又は「悪い夢を見た」といったふうに、又「軍部に強制されやして」といったふうにソラトボケて見せたりしている。――つまり、自我を「眠らして」やり過そうとしているのだ。作家ならば、到底出来ない、又はしてはならない事をしている。彼等が小説製造販売業者になってしまいつつあるホントウの原因と理由は、そのへんに在るのではあるまいか?
 私は、言うところの「戦犯」のことだけを言っているのでは無い。その事だけならば、終戦直後、左翼の中の小坊主諸君がわめき立てた「摘発」にまかせて置けばよい。私は、もっと、われわれ自身に関する事を言っているのだ。このままで放って置けば、ついに、他では無い、われわれ自身を永久に腐敗させてしまう毒素としての――つまり、われわれの自己が自己に対して犯そうとしている「責任トウカイ」のことを言っているのだ。
「もともと、私は戦争には反対でしてねえ。あの戦争は侵略戦争でしたからな。しかし、あんな情勢の中で正面切って戦争に反対することは事実上不可能だったんです。しかし、とにかく戦争を中止させることの出来なかったのは、われわれの弱さであり、まちがいでした。その結果の敗戦の惨苦をわれわれがなめているのは当然ですよ」と言った式のことを、オチョボぐちをして言うこと位、現在、やさしいことは無いであろう。――現に、これらの作者たちの或る者たちは、それをやっている。ハッキリと言葉や文字に現わして言わなくとも、その作品の基調やゼスチュアや言外の気分として、それをやっているのである。必要とあれば、その具体的な例をあげてもよい。そして、それが、たいがいは、小説製造販売業者としての自己保存欲からの「失地回復」の手段としてである。
 作家としての誠実さの一片があったら、これらの作家たちの中に、むしろ、どうして一人の頑迷な者があって、当世出来合いの「民主主義者」どもに向って「俺のやった事の、どこがまちがっているんだ?」とズブトク反ゼイする者が無いのかとさえ私は思う。また、「俺は有罪だ」と言いきれる者がいないのかとさえ思うのである。民族と国家と世界への連帯性において自我の内部を、多少でもシンケンに検索している精神にとっては、軽々しく「総ザンゲ」みたいな事をする、しないは問題で無い。場合によって一言も言わなくともよいのである。だまって深く追求していればその追求の姿の実体は、必ず作品の基調の中に現われる。「作品いずくんぞかくさんや」である。それがほとんど無い、この人たちの作品に。ムヤミやたらに豊富に有るものは「世相」と「肉体」と「ストオリイ」である。まるで世相は自己を抜きにして存在するかのように。肉体は精神を抜きにして存在するかのように。
 ストオリイは真実を抜きにして存在するかのように。
 左翼の評論家の或る者たちが、この人たちの行き方を批評して、ファシズム的イデオロギイの温床だと言った。
 それは、ちがう! どうして、ファシズムまでも行きはしない。ファシズムまで行けば、すくなくとも、それは憎むに値いする。とにかくそれは一つの何かである。これは、憎むにも値いしない「ノダイコ」的習慣の温床である。

          6

 次ぎにこの人たちが創作方法として取り上げている手法は、早取写真的方式である。それが、早く、たくさん書く必要から無意識のうちに生れたものか、現代の今の今を活写するために最適の手法として意識的に取り上げられたものか、わからない。多分、両方だろう。どちらかと言えば、前の理由が強いのではないかと思う。いずれにしろ、良かれ悪しかれ、この人たちにとっては、必然の手法である。そして、その限りで、手法自体に不服をとなえる理由は無いようである。(ただし、この人たちが業者として、あまりに能率を急ぐために、作品を作りあげるための最も大事な部分々々の文章が、非常に往々に、支離メツレツであることに就ては、快く思うわけに行かない。それは、たとえば、買ったシャツのボタン穴が、かがってなかったり、左右の袖がアベコベに取りつけてあれば、シャツ製造人や販売人に対して快くは思えないのと同断であろう)
 この手法の特色の一つは、主観的、観念的な表現を避けて、もっと即物的ザッハリッヒな感じの作品を書くのに有利だという点である。かつて、武田麟太郎が「味もソッ気も無く書く」とか「散文精神」とか言っていたものだ。たしかに、現代生活のひろがりと複雑さと速度は、或る意味でこのような手法を要求しているし、現にこの手法が正常に駆使されれば、われわれはフィクションを感じる前に客観的現実そのものを見るような感銘を受けることがある。しかし、この人たちの作品からは、そのような感銘を受けることは稀だ。手法だけは「味もソッ気も無く」モウレツに早取写真式になっているクセに、それを読んでわれわれの第一に感じるものは、逆にかえって、作者の主観や観念である。舟橋や田村や丹羽や井上や石川や火野などの最近の作品を読過して最初に私に来るものは、彼等の持っている「人生観」みたいなものであって、彼等がその作品の中で取りあげた人間や物の生ける姿は、ごく僅かしか迫って来なかった。私の感受が、もし大してまちがっていないとすれば、これは、この人たちの手法と効果との、全く致命的なソゴではないだろうか。そして、なぜに、こんなソゴが起きるのだろう?
 その理由を私は次ぎのように考える。
 いわゆる「味もソッ気もない」客観的手法や「散文精神」と言ったような「非情」の把握――つまり早取写真式の手段というのは、もっと正確な言葉で言えば、現実の真相を、よりリアリスティックにとらえたいという欲望と必要から来たルポルタージュ方式のことである。そして、ルポルタージュ方式にとって、不可欠なものは第一に、そのルポをなす当人の自我の知情意が高度にそしてキンミツに確立されている事だ。次ぎに、そのルポされる現実の中を「千里を遠しとせず」に当人が身をもって通りすぎて来るだけの努力(即ち「足で書く」ということ)である。この二つが、二つながら、これらの人々に不足している。自我の確立が不充分又は放棄されている事は前述の通り。そして、たいがい坐り込んでムヤミと酒を飲んだり、せいぜいバアやダンスホールなどを歩いて、妙な婦人や文学青年やその他あれやこれやの偶然に逢った人々から「世間話」を聞いては、それに自分の「人生観」ですこしばかり味をつけて作品を書くというのが彼等の実情らしい。それが悪いと言っているのでは無い。作家も人間だもの。いや、作家こそ最も強い人間だもの、そうであって悪いことがあるものか。それに、やりよう次第では、作家は二十年ベッドの上に寝たきりでいても、客観的な大作品が書ける事だって有り得る。肉体に足が有るように精神にも足は有る。「千里を遠しとしない」という事を肉体にだけ当てはめるようなヤボを言っているのでは無い。
 しかし、この人たちの目ざしているのは、とにかく、ルポルタージュ方式なのだ。だのに、最も粗悪な「私小説」作家と同じ位に、人生に対しても社会に対しても世界に対しても、身も心も共にトグロを巻いているに過ぎない。自身が好んで取り上げた方式の命ずる努力はあまりしないで、そのクドクだけを期待するのは、すこし虫がよすぎはしまいか。すくなくとも、商売不熱心のソシリをまぬがれまい。この人たちの作品の世相ルポルタージュにザッハリッヒな力が無く、あれやこれやの弱々しい主観と観念が目立つ――つまり、言ってみればローズものが多いのは、自然の数ではあるまいか。この人たちは「おれたちの盛大さをソネんで、ケチをつけるんだ」とばかり思うことをしばらくやめ、又、量と党派の力にばかりモノを言わせることをしばらく控えて、自身の手段に、もうすこし忠実になって見せてはどうであろうか。その方が私には、ありがたく思われる。それには、雑誌「世界評論」に続載されたペリガンの数篇の世相ルポルタージュや、雑誌「日本評論」に連載されつつある同誌特派記者による数篇の社会ルポルタージュを読んで、その仕事に対する熱意と、手段に対する忠実さにアヤかるようにしたらよかろう。
 もっとも、こんなふうにすれば、諸氏の「量」は多少落ちるだろう。その代り、いろんな人がホッとするだろう。何事につけ、異様でミットモナイ事があまり永くつづくことを好まぬ人も、まだかなりいるから。
 最初、この人たちの一人々々の傾向やそれぞれの作品についてもっと具体的に細かい事をも語ってみる気でいたが、もう既に指定の紙数を越えた。別の機会にしよう。私こそ、早取写真式に書くことを練習しなくてはいけないようだ。
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「日本製」ニヒリズム


      1

 こんどは、戦後派と言われている作家たち――梅崎春生や椎名麟三や野間宏や石川淳、三島由紀夫、加藤周一といった、主として戦争直後から作品を発表しはじめた人たち――のことを書いてみたいと思い、いろいろやってみたが、実に書きづらいので弱った。
 理由は、これらの作家たちの示している姿が雑多で向き向きで、――しかも、その雑多と向き向きの中に、根本的で複雑でデリケイトな諸問題が非常に入りまじった形で投げ出されていて、それらを解きほごしてみることが、ひどくメンドウで、私にオックウに思われたためでもあるが、それよりも、さらに大きな理由はもっと直接的なものであった。それは、私がこの人たちに対して、強い親近感を抱いていながら――多分、抱いているからこそ――この人たちの作家としての歩みを全部的には肯定することができない、いや、考えようでは、一番基本的にザンコクな個所で否定しなければならないためであった。「自分のことはタナにあげて」そんなことをするのは、つらい。なんども書き出しては、やめた。今でも、一方に、やめることができれば、やめたい気持がある。しかし、けっきょく書くことにする。なぜなら、この人たちの持ち出している諸問題と姿の中に、私自身の問題や姿も含まれていることに気がついたからである。だから、むしろ、書かないでいる事こそ、ホントは「自分のことをタナにあげる」ことになるからだ。
 どこまで突込んで行けるか。わがペンよ、冷やかにあれ。

          2

 あらゆる芸術作品、とくに文学作品は、直接的にはその作者個人が、間接的にはその作者のぞくしている集団・層・階級・民族・場所・地方・時代が「生きる」ことから受けたキズの所産――と言うよりも、キズそのものである。同時に、その作品が、そのキズの治療――すくなくとも治療への決定的な第一歩である。しかも見おとしてならぬ事は、その作品が治療であるのは、その作品が先ずキズであるゆえだという事だ。その作品が、そのままの形でキズで無いならば、それは治療とはなり得ない。また、あらゆる作品は、それが実質的にキズである程度に応じて治療であり得る。そのことを、作者が知っている、いないに関係なく、そうだ。
 これは恋愛小説から犯罪小説に至る、ありとあらゆる作品と、その作者と作者のぞくしている集団・層・階級・民族・場所・地方・時代との関係をしらべて見ると、事実がそうなっていることがわかる。一つも例外は無いから、例をあげて実証する必要は無いだろう。
 そして、大戦争があったという事は、その中で人間が強い圧力の下で、最も集約的に爆発的に「生きた」ということである。それは望ましい生きかたでは無かった。にもかかわらず、人間はそれを「生きた」ことにまちがいは無い。死んだのでは無い。「生」のこちらがわの事件であった。言わば、「死なんばかりに」生きたのだ。通って来た者は、みなそれぞれのキズを負っている。
 われわれが戦後の文芸作品を見た時に、われわれの目が、そのキズの所産またはキズそのものとしての性格を最も強くそなえた――すくなくとも、最も強くそなえ得る条件や前提を持った作品や作家たち、つまり戦後派に最も強く注がれるのは自然であろう。それは単なる興味からだけでは無い。もっと冷厳な、もっと深い関心からだ。自分一個の経験と他の人々の数多の経験の間の普遍と特殊とを照し合せ、修正し合って、それを客観的な「人類の経験」として跡づけたいという――言わば、もう既にわれわれの本能にまでなっている近代的、科学的な欲望からのようである。そして、さらに深い所では――もちろん、無意識的に――作品や作家がそこに露呈しているキズそのものの中に、治療を求めているのである。
 戦後派作家たちの作品が、それぞれ多かれ少なかれキズになっている事は事実である。われわれは、それらから多かれ少なかれ治療をも得ている筈である。にもかかわらず、治療の実感が来ない。満足しない。すくなくとも、私はそうだ。ハグラカされたような気がする。引きのばされたような感じがする。そして悪くすると、一寸のばしに――と言うことは、つまり永久に――ハグラカされてしまいそうな気がするのである。
 なぜそうなのか、その理由や原因と思われるものを私流にしらべさがして見ることが、この一文の目的である。
 そして、先ず、戦後派作家たちの作品が、たしかに或る程度まで戦争からのキズでありながら、それが治療の実感を充分には与えてくれないのは、他の原因に依るよりも先づ第一に、それらの作品がキズではあってもスリムキキズ程度のものか、または、かんたんに治りかかっているキズであるためではあるまいか? と考えてみる。

          3

 戦争は、人間を、ニヒルの方へ追いつめる。戦争自体がニヒルだからだ。しかも、その追いつめる力と追いつめかたは、ノッピキのならないものだ。もちろん敗戦国民において、それはいちじるしい。
 今度の大戦における日本の敗戦は、二重の意味で徹底的にサンタンたる敗戦である。それは、戦闘力や戦争準備や戦争思想の敗北であると同時に、日本の歴史の――それをもうすこし区切って言えば、日本の近代そのものの敗北であった。同じく敗北してもドイツやイタリイでは、主として、その国の中の一つのパルタイの敗北であった。日本ではそうでなく、日本そのものの敗北であった。
 戦争中われわれを追いつめて来た、そして戦後追いつめて来ているニヒルは、それだけに、根本的に深く永いものであったし、今後も深く永いものであろう。あちらを見ても、こちらを見ても、いろいろのものが「再建」されているのであるが、しかし実はその「再建」されている姿そのものが、ここ当分三十年や五十年間における日本の再建が不可能である証明でないものは無い。その酷烈さかげんは、もし日本が真に再建し得るものならば、それは他では無く、日本の再建がほとんど不可能に近いという事を実感としてつかみ取るところから始める以外に無いと思わせる。つまり、自らの足で立ちなおろうと多少でもマトモに考える日本人は、いったんは、なにかの意味で、ニヒルの底を突かなければ自分の足を置く場所は見つからない。それ以外は皆ゴマカシかアユかツイショウか雷同だ。われわれを追いつめて来ているニヒルは、人とケンカをしてサンザンにたたきなぐられた人間が痛さとつらさに泣き、泣きながら次第にその痛さとつらさを忘れて行くような種類のものであったり、チョットした手術をされた患者が手術室から出されてヤレヤレ痛かったと思うような程度のものでは無いし、あり得ない。
 ――そのような認識を私は持つ。その認識に立って私は見る。
 戦後派の諸君は、それぞれ戦争を通過して来た。脱出はデスペレイトなものであった。ニヒルは彼等のカカトにくっついていた。自然に彼等の最初の一、二作は、それぞれ、ほとんど無意識のうちに、そのデスペレイトとニヒルを具体化して、力ある表現をとり得た。芸術作品としての弱点や歪みを多分に持ちながらも、それぞれ、それらは本質的に良い作品であり得た。つまり、彼等は、自ら意識しないで、「現役」で戦争を通過して来た世代のチャンピオンまたはスポークスマンであった。別の言いかたをすれば、戦争からのデスペレイトとニヒルは、いやおう無しに彼等を駆って、ほとんど盲目的に、社会的パトスあるいは社会的ソリダリテ(=自我一個について語ることが、そのままで即ち、その自我のぞくしている人間集団について語ることになる関係)の上に彼等を立たせた。そして、この社会的パトスまたは社会的ソリダリテこそ、芸術と芸術家の態度として本質的に最高のものである。彼等の最初の一、二作がすぐれていたのは当然であった。
 たしかに、最初のところで、彼等はそこに立っていた。そして忘れてならぬ点は、「ほとんど無意識に、盲目的に」そこに立っていたという事である。書かざるを得なくなって小説を書いた。言うならば「描かないと死ぬから」(ゴッホ)書いた。小説としての出来不出来を考えたり、いわんやそれが世間や文学界からどんなふうに受取られるかを考慮したりする余裕は無かった。すくなくも、そのような事よりも、いや、そのような事をも、いっしょくたにして、端的に燃えあがった。深く強い本然から書いた。それが期せずして、高い立場に彼等を立たせたのである。
 そこまでは、よかった。あとが、だんだん、おもしろく無くなって来る。というのは、ほとんど無意識のうちに、そこに立ち得た彼等に、「意識化」が、その後、あまり起きていない。自分が立ち得た立場、自分が取り得た態度――即ち自我と自分の作品との関係の本質や、その自我を自我としてかくあらしめている社会(集団)との関係の本質――を客観的に理解し、つかみ取り、自分の中に定着するという事を彼等はほとんどしていない。つまり、自分が無我夢中のうちに確保し得た「陣地」が、自分にとって、又、他にとって、客観的にいかなる陣地であるかを知ろうとしていないのである。かえって、その中で眠りかけてしまっている。
 それでは、たとえ最初客観的にどんなに有利な地の理と条件をそなえていても、だんだんダメになって行く以外に無い。絶えざる意識化や、自己への定着が起きないところには、衰弱や腐敗その他のマイナスが起きないわけには行かない。そして、既にそれが起きている。

          4

 げんに戦後派作家たちのその後の作品が、ほとんど例外なしにすべて良くない。すくなくとも、彼等のそれぞれの第一作からわれわれが期待したものからは、いちじるしい距離がある。「技法」はみがきあげられた。「構築」もととのった。しかし技法や構築などよりも大事なものは、すり切れ、衰弱して来てしまっている。
 普通こんな場合に「ジャナリズムも悪い。あまり書かせすぎるから」という言葉が飛び出してくる。私の口からもそれはチョット飛び出しかける。そう言ってもよいとも思う。しかし、実はそれは別の問題だ。今私が語っていることの根本的な解答にはならぬ。ジャーナリストは、その作家の作品がほしいから作家を追いまわすだけだ。たとえば三カ月に一篇しか書かないと決心し、事実書かない作家を、どんなに強引なジャーナリストが追いまわしたところで、それ以上書かせるわけにゆかない。かんたんである。それ以外のいろいろの口実や弁解はみなキベンだ。責任は全部作家当人にある。
 良くない。ある作家たちは文学少年みたいになってしまって、実になさけないしかたでドストイェフスキイなどの真似ごとをしはじめた。ある作家たちはジョイスなどの流儀に舞いもどって、心理的「実験」などをするようになった。ある作家たちは、鼻もちのならないポーズで「おとなぶった」ペダントリイをひけらかしている。――(無責任な放言では無いつもりだ。私もムダに作品を読みはしない。この作品のこういう個所やこういう要素がそれだと例示することは、できると思う。必要が起きたら、そのうちに、する)それでも一応、世間は通る。甘いのも、また、辛いのも世間だ。甘いものさと思ってしまえば、どんなにでも甘く見えるのが世間だ。通るだんでは無い、大いに通った。彼等は、それに馴れた。タカをくくったらしい形跡がある。「こんなもんかいな」と思ったらしい形跡がある。すこしはホントに物のわかる人も世間にいることを忘れたらしい。私などハラハラして眺めていた。(なぜならこれらの作家たちに非常な親近感と、それから、これらの作家たちがやっと現世紀の世界的の最低水準ないし出発点に立ってくれたと思って喜び、自然それらの歩み出しに、たいへん大きな期待を私が抱いていたから。)案の通り、すこしは物のわかる人たち、批評家などが、この人たちを悪く言い出した。悪く言われて、ある者はショゲているらしい。ある者はフクレた。ある者は、それを無視して、故意に快活に踊っている。マトモに返った人は、すくないように見える。マトモに返ってチャンとしてほしいのに、たいへん残念だ。悪く言いだした人たちの言いかたも、それには責任があるように思われた。私も今悪く言っている。私にも何かの責任が生まれるかもしれないが、しかし私の本意は、この人たちに、もう一度立ちなおってほしい気持から出発したものである。しかしそれだけに、私の言葉は、かえってシンラツになってしまったとしても、やむを得ない。そこで――。
 この人たちが戦争から受けたキズだ。たしかに、キズはキズであった。しかし、たいしたキズでは無かったようである。或るものは、もう治ったらしい。或るものは、上にアマ皮が張って、もう雨や風もしみない。或るものは、キズの上に「進歩的政治思想」のバンソウコウを張りつけて、ノコノコ歩きまわりはじめたらしい。したがって、大体において一様に、もう「治療」の必要は無いかのようである。したがって又、読者が作品から受取るものとしての治療も、ほとんど失われかけているのも当然であろう。
 そして、それはそれでよいのであろう。この事自体に不満をとなえるべき理由は無い。自分の事にせよ人の事にせよ、無事なのは、なによりである。キズは浅い方がよい。また、早く治るに越したことは無い。だから、それはそれでよいのである。
 しかし、それなら、はじめ、なぜギャアギャア泣いた? 手術室から出された直ぐあと、どうしてあんなに泣いた?
 うん、しかしそれも、子供は、大体みんなそうではないか。それも正直で素朴でよいではないか。なにもそう、ひとつ事に執念深くへばりついて、こだわって、シンコクぶる事も無いではないか。愛情も悲喜と共に、アッサリとゆくのが「日本」かもしれない。それもよいではないか。
 ――というような事をサンザンに考えた末にも尚、私には決定的な不満が残るのである。それは、日本人(私をもふくめて)の薄っぺらさだ。受けるべきキズさえも、マトモには受け得ない弱さ、苦痛にも歓喜にも強く永くは耐えきれない浅さ。黄表紙風のボン・グウや「ほどの良さ」や「あきらめの良さ」のモロさハカなさ。ニュールンベルグにおけるドイツ戦犯たちの最後の姿にくらべて東京における日本戦犯たちの最後の姿の淡さ、是非善悪のことでは無く、その淡さだ。
 日本人がもともと本質的に、そうなのか? もしそうなら、しかたが無いが、私は必ずしもそうでは無いと思う。たとえば、西鶴や近松や南北などはもちろんのこと、近世「日本」文化の背骨の一つをなし、かつ、日本的なものの中でも最も日本的な代表者である芭蕉や西行を見よう。その「遁世」の動機に対する執念深さ、そのニヒリズムへのこびりつきかたの持続力。徳川期における平田や本居などの国学者たちの骨組の重さ厚さ。又、ワビやサビの本家である千利休でさえも、秀吉と闘えば、あそこまで闘えた。さらに戦国時代や鎌倉時代の武士や文化人を見ても、もっと善悪ともに徹底的な、もっとシブトイ姿が、いくらでもある。上代にさかのぼれば、さらにそうである。すくなくとも、弱さや浅さやモロさや淡さは、べつに日本人本来の特質では無い証拠がいくらでもある。日本人は近代になってから特に弱く浅くモロく淡くなったのだ。その原因の検討は興味ある仕事となるだろうが、今ここで私のする仕事では無い。ただ、そのような弱く浅くモロく淡い見本を、ホントウから言えばそのようではあり得ない条件と前提を背負って出発した筈の戦後派作家たちに認めなければならなくなって来つつあるのは、意外で心外だ。
 われわれは、一日一刻も早く世界的に出抜けなければならぬし、出抜け得ると思う。それに必要なことは、カントのようにマルクスのようにデューイのように考えることでは無い。そんな事は大した事では無い。彼等が持っている――そして昔の日本人も持っていた――今でも少数の日本人が持っている――思想と行動の一貫性、初一念への執念深さ、自分が自分に背負わした荷物への保持力、なかなか食いつきはしないが一度こうと思って食いついたら最後首が飛んでも離さない歯の力――一言にして言うならば、自分のイノチの処理のしかたのシブトサを見につけることである。
 それを戦後派作家たちが、多少はやってくれようかと期待していた。期待は大き過ぎたかも知れぬ。いずれにせよ、期待はほとんど完全に近く裏切られかけているらしく見える。とにかく、ニヒリスティックな小説を五つ六つ書いた末に不意に「進歩的」になっちゃって共産党に入党した作家や、又はその逆に入党して半年もたったら忽ちその共産党にも疑いを持ち、持ったトタンに党をやめたりサボったりする作家や、あれこれの美学や科学や芸能やヴォキャブラリイをすこしずつかじり集めてそれらをシカツメらしく又シャレた取り合せで並び立てたりデングリがえしてみたりする事が「近代的」な創作のしかたであるとしている作家や、作品の中ではゴロツキやインバイや闇屋や分裂患者やその他やりきれない人間ばかりを、ムヤミと暗い、ないしは暗いらしい筆つきでもって書きながら、自分は小じんまりとした「文化住宅」に小ぎれいに住んでパアマネントをかけた奥さんとの間に一年置きに生んだ子供にパパなどと言わせ、外に出れば文士仲間と酒を飲みながら「文壇」の噂さをして酔っぱらった果ては、ヘドは吐いても、チャンと終電車には間に合うように帰って来ると言った(――いや、これはタトエだ。特定の誰かの事を言っているのでは無い。誤解無きよう)生活をしている作家――その他これに似た等々――を、私は、見たくない。つまり、ニヒルにも耐え得ない作家は、私には要らぬ。なんとなれば、ニヒルに耐え得ない奴は、ニヒルの反対のものにも耐え得ないからだ。と言うのは、われわれは、結局肯定したいから否定するのだからである。強く、ゆるぎなき、徹した、大きな肯定を持ちたいからこそ、弱く、グラグラする、疑わしいちっぽけなものを否定し否定し否定しつくすのだからである。

          5

 このままで行けば、これら戦後派の人々の大部分が間も無く、その左がわにいる人たちはナロウドニキ風にゾロゾロと左翼に流れこんで行くであろうし、その右がわにいる人たちは自然主義風な正宗白鳥式な「日本製」の barren ニヒリズムにイカリをおろしてしまいそうに思われる。その他のモダーニストやペダントやハイカラ小僧どもは、どこでどうなろうと、どうでもよい。
 そして、第一のナロウドニキ風に左翼に流れこんで行くであろう連中のことも、この場合、大して問題にするにたらぬ。なぜならそれは、大体において、自分のカラダがよごれていると思った人間が共同浴場に入ったり、自分の頭がすこしおかしいと感じた人間が精神病院に入院したり、自分の呼吸器の変調に気がついた人間がサナトリアムに入院したり、また考えようで、威勢よくセリあげられているダシの上に人が乗りたがるのに似た現象であって、べつに批難したり押しとどめたりすべき事がらでは無い。この点では、戦後派の人たちに限らず、日本の文化人・文学者・小説家の大半――世間で世相派とか肉体派とかエロ作家とか言われている――たとえば丹羽文雄、石川達三、田村泰次郎、舟橋聖一(丹羽氏や石川氏や田村氏や舟橋氏よ、たびたび例に引いて失礼ごめん)などという人たちの大半が、あと半年か一年もすれば共産党などに入党するのではないかと思われるから、世話は無い。ちょうど結核初感染の患者が、奔馬性の熱を出すように、この現象はもう既に現われていて、世のカッサイを浴びている。その中には、かなりの老人になってから初感染して、しかもほほえましい事に、サナトリアムのベッドの上に安全に寝てから奔馬性の熱を出している、森田草平だとか出隆とかいったような人もいるくらいだ。(そうではないか、君たちにもし共産主義者になる必然が有ったのだったら、それの最も必要とされた戦争中になぜなってくれなかったのだ? あれから、まだ、たった四年ばかりしかたっていないのだ。忘れはしないぞ。君たちの六十年は、君たちの四年よりも軽いのか?)――いやいや、批難しているのでは無い。むしろ、けっこうだと思っている。大いにけっこうだとは思っていないが、中ぐらいにけっこうだと思っている。まったくのところ、べつに悪い所に入るのでは無し、悪いものの上にのっかるのでも無いのだから、それはソッとしておけばよい。ただ当人たちがあんまり騒ぐから、ヘンな気持になるだけである。
 ところが、第二の、自然主義風な日本製ニヒリズムにイカリをおろしてしまいそうに思われる人々や傾向には、問題があるように思う。それを語ろう。
 私は barren と言った。荒蕪のとか、不姙のとか、なんにも生み出さないところのとかいう意味のいっしょになった言葉のようだ。正宗白鳥式のとも言った。日本に昔も今も存在しているニヒリスティックな傾向の中に、ヨーロッパ的な頭ではチョットつかみ取ることのできない一つの傾向があって、そして現在それを最もよく代表している一人が正宗白鳥だからである。
 それはどんなものであるかと言えば、先ずそれは頭の中で一切の現世的なもの、フィリスチンのものを否定する。もちろん、自分の中にある現世的なものフィリスチン風な要素をも否定する。否定しながら、彼自身の実生活はまったく現世的に常識的で、中庸がとれていて、百パーセント・フィリスチンだ。否定はするが、自らを危くするような所までは否定しない。自分で自分の食物に毒を混ぜるが、ホントの病気になるところまでは混ぜない。混ぜたという事も知っているし、そのために食物がうまくなくなった事も知っている。それでいて、食わないかというと、やっぱり食う。しかし病気にならぬことを知っているから安心している。しかし、うまくも無いからシカメている。だから、いつでもインウツだ。しかし、そのインウツさも、実際に世間人として他人との人づきあいに差しつかえる程のものでは無い。せいぜい、キゲンが悪いという所。そういう事をくりかえしているものだから、肉体のオルガニズムも、精神のオルガニズムも、ひどく弱まってしまい、そして弱まってしまった状態で、なかなかタフになり、永つづきがする。眼だけは鋭くなり、或る種の批評能力だけが発達する。或る種というのは、この批評からは、なんにも生まれて来ないからだ。何かをほめても、何かをくさしても、ただ灰色の言葉で「そんなふうな事を言ってみる」だけで、正確な価値はなにひとつ生まれて来ない。なにもかも、つまらなそうな事を言いながら、どうして、それほどつまらなそうでも無く生きる。現世を見る目は、ひどく公平で冷静であるようでいて、そして実は深いところで、それはシット心に支えられている。しかも、それは宦官かんがんのシット心である。キンヌキ馬のシット心である。「じゃ、代るから、てめえ、やってみろ」と言われても、やれはしない。それだけに、いつまでも果てしなく永続きがする。――そう、だから、二重の意味で、物を見る目は公平で冷静だとも言えないことも無い。宦官やキンヌキ馬が冷静であるがごとく。――ザッとそんなものであろう。
 これは、正確にはイズムでは無い。或る種の人生観照の態度の習慣化したものとでも言うのが一番当っている。精力と論理と一貫性を欠いたソフィストリイの堆積である。だから、合理的、論理的な追求には耐え得ない。それだけに又、合理的・論理的な手段では破砕することは不可能であり、いつまででも生きつづける。そして、いつまで生きつづけても、なんにも生み出して来ない。つまり、この手のニヒリズムは、生命力の欠如ないしは稀薄から生まれたものである。
 ホンモノのニヒリズムは、そんなものとは、まるきりちがう。これは、生命力の過剰と充溢から生まれる。エネルギイを自己のうちに持つ。いろいろな行動の動機になり得る。空虚は、爆発直前にできる真空だ。爆発は対照物を徹底的に粉さいするまでやまない。同じくフィリスチンの敵ではあっても、これは、他人のうちのフィリスチニズムを撃破するのと同時に、それと同じ程度の無慈悲さでもって自分のうちのフィリスチニズムをも撃破する。ために、時によって、自分そのものまで撃滅してしまうがごときパラドックスさえ演ずる。観念が肉体を裏切ることを許さない。肉体が観念を裏切ることも許さぬ。ザインとゾルレンが一瞬のうちに一挙に解決されなければならぬ。もしそれが解決されなければ、他のいかなる解決をも峻拒しゅんきょする。――つまり、より大きな肯定へ向っての深い無意識の有志だ。真に尊重さるべきなにものかを生み出す力を持ったものの、生み出す前の清掃であり、生み出すための盲動である。盲動はデスペレイトだ。だから非常に往々に、生みかけたものを踏み殺すのと同時に、その生みかけた自分をも八つ裂きにして果てる「愚」を、くりかえす。――これが、ニヒリズムだ。いずれにしろ barren では無い。たとえ自分をも八つ裂きにして果てたとしても、ついには barren ではあり得ない。これは、言わば、太いシッカリした柱を立てるために(その柱の木がどこに在るかまだわからないままであったり、当人は自分が何をしているか知らないままにであったりしながら)地面に深い空虚な穴を掘って掘って掘り抜いている人間の姿である。もちろん、自分自身も時に、まっさかさまに落ちて死ぬことがある穴だ。
 だから、ニヒリズムとは、幼年期に於ける革命的精神の総称である。これは独断では無い。歴史を調べるとよい。既存のものを否定するという所から出発しなかった革命は、一つとして存在しなかった。個人を見てもそうだ。その精神の幼年期において、このようなニヒリズムに取りつかれたことの無い革命家は一人としていなかった。いたら、そいつはニセモノである。
 ――ニヒリズムと呼ぶのに、正しく値いするものは、これだ。これは世界的で通用する。世界的で通用させたいために、こんなふうに言っているのでは無い。人間として、自然に、誠実に、論理的に力強く考えられたものは、どこの誰が考えたものでも、そのままで世界的に通用するという意味で言っている。「日本製」の宦官シット的・正宗式ニヒリズムは世界的では通用しない。という意味も、それが人間として不自然に、ケイレン的に、一貫性を欠いて、自分のエテカッテに、軽薄に、弱々しくしか考えつめられていないということである。同じくニヒリズムと言われながら、この二つほどちがっているものは無い。ほとんどこれらは敵同志である。たとえば、普通ニヒリズムの反対物だと考えられている肯定的思想体系である社会主義や共産主義などとニヒリズムとの距離よりも、ニヒリズムと、この「日本製」似而非えせニヒリズムとの距離は、はるかにはるかに遠い。われわれが肯定に立とうと否定に立とうと、われわれは、自身の中から「日本製」ニヒリズムを追い出さなければならぬ。いやいや、強く、論理的に、誠実に、一貫性をもって、シブトクわれわれが考え、生きようとすれば、必然的に、この手のニヒリズムを自身の中から追い出さざるを得ないであろう。
 私が戦後派作家たちについて抱いた大きな期待の一つは、たしかに、彼等が戦争から「死なんばかり」にして持ち帰って来てくれたニヒリズムが、この「日本製」似而非ニヒリズムを、或る程度まで追い払ってくれるだろうという望みであった。今でも望んでいる。そして、この期待が、まるきり、はずれたとはいえない。すこしばかりだけれど、それは満たされた。主として彼等の初期の作品において。
 ところが、だんだん、いけなくなって来たように見える。彼等は、「日本製」似而非ニヒルの中にイカリをおろしはじめたようだ。中には、もともと「日本製」であったのが、一時的に戦争のショックでホンモノのニヒリズムらしい形をとっただけで、ショックがうすれて来たものだから本性が現われて来たように見える作家や作品もある。前にも書いたように、カンタンに左翼の方へ展開できる戦後派や、モダーニズムやペダントリイで満足している戦後派は、論外だ。その他の人たちの事を言っている。この人たちが最近示している作品の性質や、その作品の世界と作家の実生活との関係などが、前記、ニヒリズムと「日本製」似而非ニヒリズムの、どちらに、よりよく似て来つつあるだろう?
 私には「日本製」の方に似て来つつあるように見える。それを私は残念に思う。せっかく、せっかく、われわれは、言葉では言いつくしがたい位の高価なギセイを払った末に、われわれ自身を世界的場の高さにまで引きあげ得る手がかりと可能性をつかんだのに、そして、そのことについてのチャンピオンが、これらの人たちであり得ただろうのに、それを再び失いかけているとも言えば言える現象だからだ。たいへん残念である。しかし、そうなれば、そうなったで、やむを得まい。それはそれとして、われわれは、手がかりと可能性を、更に他の手段や他の人々によって発見しつづけ、伸ばしつづける努力を打ち捨てるわけには、ゆかない。私から言えば、正宗白鳥がどんなにえらくとも(事実彼は、彼一流にえらいのである。それを私は認める)彼や彼式になってしまった人たちなど、ソッとワキに置いといて、仏頂面をしながら永生きをしてもらえば、足りる。
 われわれは、われわれの探索の歩を前の方へ進めて行くのをやめるわけには行かない。なぜならば、われわれを包んでいる世界の動揺は、この間の戦争でおさまったのでは決して無く、更に大きく更に激しくなりそうである事を、われわれの第六感が感じているからだ。そのための不安がどのようにつのろうと、同時に、そのための不安がつのればつのるほど、われわれはよいかげんの所でイカリをおろすことはできないのだ。
 そして思う。ホントの戦後派は、現在までやっぱり、闇市あたりにウロウロしているのではなかろうかと。小説など書いていないのではなかろうかと。また、ついに小説などは書かないのではないだろうかと。――それらしいデスペレイトな人間のいくにんかを私は知っている。力と命に満ち、それ自体ニヒルで、そして、それ自体が革命である人間を。
 私はそれらに私の望みをつなぐ。

          6

 もちろん、これまでの戦後派を見るにも、これから現われてくる、より若い戦後派を見るにも、次ぎの事には注意しなければなるまい。そして私はそれに注意しながら見たつもりだ。
 それはなにかと言うと、第一次世界大戦と第二次世界大戦とでは、人類の経験として、似ていながら、重要な一点でまるでちがうものであったという事である。
 第一次大戦は、人類にとって「空前」の事件であった。「空前」の事件は心理的必然として「絶後」の感じをともなう。事実ともなった。戦争からの惨害が、ほとんど癒すことができないまでに絶滅的に深く感じられれば感じられるほど、このように「愚かな」このように極端な自殺未遂行為を再び人類がくりかえすことがあろうなどとは、さしあたり、考えられなかった。それだけに、第一次大戦を、その最も激しい渦中で経験したヨーロッパのインテリゲンチャへの打撃は「終末的」な形をとった。そこから生まれて来たものは、「絶望」と言うよりも断絶であった。彼等は、前途に、なにものをも見ることができなかったのである。良いものも悪いものも見ることができなかった。崖の突端で、全身心のワク乱と絶滅感のうちに叫んだ。そのようにして、表現主義やダダイズムといった形のニヒリズムは生まれた。「これを最後として」絶望することができたのだ。残りなく自我の全部を絶望の中に叩きこむことができた。それだけに、また、なにものかに自我の全部をあげて叩きこむことのできた人間に、必ず、或る種の救いがあるように、救いはあった。
 ところが第二次大戦は、人類にとって二度目の経験である。そして心理的必然は「二度ある事は三度ある」という感じを生み出さざるを得ない。実にイヤな感じであり、そして、これが事実とならぬようにわれわれは、どんな努力でもしなければならないのであるが、それはそれとして、かかる感じを、さしあたり、われわれが払いのけ得ないでいる事実も見おとしてはならない。したがって、戦争からの惨害の点では第一次大戦のそれにくらべれば問題にならぬほどひどかったにもかかわらず、また、それは前よりもひどい愚かな自殺未遂行為であったと感じられているにもかかわらず、意識の底では、更にひどいものが更にくりかえされ、と言うことは何度でもくりかえされるだろうと感じられていることを否定できない。それだけに打撃は「終末的」な形をとらない。断絶は起きない。前途が、ボンヤリながら、見える。崖に立って、全身心をワク乱と絶滅感にゆだねる事ができない。戦争を、特にアブノルマルな事件として見ることができない。或る意味でそれはノルマルな状態だと思わなければ耐えきれない。言わば、第二次大戦の中で、そして後で、その中にわれわれは、セレニティ(静けさ)を見たのだ。見なければ、耐えきれなかったのだ。耐えるためには、それを見なければならなかったのだ。それだけに、自我の全部をそれに叩きこむことはできなかった。できない。したがって、自我の全部をそれに叩きこむ事のできた人間に起きるような救いは、われわれに起きなかったし起きない。そこから生まれて来たニヒルも、表現主義やダダイズムのような瀉血的な形をとり得ない。もちろん、この方がズッと苦しい。ニヒルは骨がらみになって来るのだ。それに耐えて行かなければならぬ。
 第一次大戦の戦後派には、将来へのパースペクティヴは無かった。無くても、すんだ。全身心でキリキリまいをして動テンする事によって、余念なくその大戦から受けたキズを治療すればよかった。第二次大戦後のわれわれには、今後へのパースペクティヴがある。そしてそれは、われわれが「死なんばかり」にして通って来たものよりも大がかりな skin-game であるらしいことが、われわれに見える。過ぎ去った大戦から受けたキズの治療だけに、われわれはキリキリ舞いをすることはできない。いや、足りない。それにキリキリ舞いをしながら、同時的に、更に大がかりの skin-game である今後のパースペクティヴの中へ踏み込んで行く足ごしらえをしなくてはならないのだ。
 すなわち、われわれは完全に動テンしながら、同時に、静かでなければならない。火と燃え立ちながら、鉄のように冷たくあることが要求されている。最も兇暴な野獣のように本能的でありつつ、最も理知的な科学者のように科学的でなければならなくなって来ているのである。――その事を世界中のインテリゲンチャたちは、多かれ少なかれ感じている。われわれが、第一次大戦の戦後派のような形を取り得ず、かつ、取らない方がよい理由は、そこにある。
 日本の戦後派の人たちの作品や、人間や生活の中に、一種の静けさがあるのは、その事と関係のあることだ。私もそれを見のがしてはいないつもりだ。そして、それはそれでよい、そうなければならぬ事だと思う。われわれは、今後のパースペクティヴへ向って用意しなければならぬ歴史的な人類的な義務と名誉を背負わされているのだから、それへの足ごしらえをするためには、騒いでばかりはいない方がよい。
 しかし、そのための静けさと、「日本製」似而非的ニヒリズム化から起きた静けさ――つまりキンヌキ馬の静けさ――とを混同してはならない。
 戦後派の諸氏の大半が、これを混同――と言うよりも――スリカエようとしているように私には見える。どうぞして、スリカエてほしく無い。そのためになら、諸君が、どんな苦しい努力でもしてみる価値のあることだと、これを私は思う。
 これについて、大ゲサな言葉使いで、まだいくらでもオシャベリをすることは、できるが、しかし、もう、やめよう。ただ最後に、これらの諸氏に立ち直ってほしいと思う私の心からの願望を託する言葉として、妙なことを一語だけ添える。それは、以上私の語ったこととは、縁もゆかりも無い言葉のように見えるであろうが、実は、諸氏が立ち直るための諸条件を一点に要約した言葉であると私は思う。それをわかってほしい。今、諸君にわからなければ、三年か五年かたってから、わかるであろう。もっとも、その時には、手おくれになっているかも知れぬ。こんな言いかたをする私をゴウマンだと言って笑う奴があったら、笑え。仲間が、ヘンなものを食おうとしているのを「おいおい、それは食わん方がいいよ」と気をつけてやる事が、それほどゴウマンな事ならばだ。
 その一語というのは、
「文壇」から絶て、ということだ。
 解説はいらぬ。文字通りの意味である。諸君が戦場に立っていた時のように。諸君が第一作を書いていた時のように。「文壇」から絶て。
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ブルジョア気質の左翼作家


          1

 こんどは左翼的な作家の二、三人について語るつもりだが、それには、まず宮本百合子のことを、ぬかすわけにはゆくまい。ところで、なによりも先きに言っておかなければならぬ事がある。それを言わないままで話を進めることは、宮本に対して不公平であるように思う。
 それは、宮本百合子を私が、きらいであるという事だ。彼女の処女作以来、現在にいたるまで、一貫してこの作家を好かぬ。これは私において決定的なことだ。そして、もちろん、或るものに対する好悪の感情を、そのものに対する評価や批判の中に混ぜてはいけないという考えに私はさんせいである。だから、なるべく混ぜないように努力してみるつもりである。つもりではあるが、結果として、それが全く混じらないことを保しがたい。読む人は、そのつもりで読んでほしい。とくに、宮本氏自身に向って、最初にこの点の許しを乞うておく。ゆるしてください。
 ついでに、なぜキライかの理由を、書いておく。
 たとえば、彼女の処女作「貧しき人々の群」が、或る意味で或る程度まで良い小説であることは私にもわかる。わかりながら読んでいる最中でも、読みおわった後でも、私は非常に不快になる。不快の原因はいろいろあるが、その一番の根本はこの作家がこの作品の中で非常に同情し同感し愛そうと努力している――そして遂に全く同情もしなければ同感もしなければ愛しもしていない――と私には思われる――その当の「貧しい人々」の一人として私が生まれ、育ち、生きて来たためであるらしい。
 そのような出生と経歴とを、私はいまだかつて一度も、誇りに思ったことも無いし、恥じたことも無い。私にとって、それは、かけがえの無い唯一の、したがって貴重なものであった。とくに自分のそれが他よりも不幸であるなどと思ったことはメッタに無い。しかし、正直、「つらい」と感じたことは度々ある。そして、たとえば、少年の私が、飢え疲れて行き先きの無いままに、宮本百合子が小さい時分に通学したような女学校の柵の所につかまって、内側のグラウンドに遊んでいる宮本百合子の小さい時分のようなキレイな女学生たちを見ながら、「どうすれば、こいつら全部一度に毒殺することができるだろうか」とムキになって考えた事が一度や二度では無かった。また、青年になりたての私が、飢えと病気と孤独のために目くらめき、ほとんど行きだおれになりかかりながら、宮本百合子の生まれ育ったような邸宅の裏門のゴミ箱につかまって、苦しいイキをはきながら、「こんな家の中に、食いふとって暮しているヤツラは永遠に自分の敵だ」とつぶやいた事も二度や三度では無かった。そのような感じ方、考え方が、健康なものであったか病的なものであったか、自分は知らない。ただ、私は、そう感じ、そう考えざるを得なかった。
 オトナになってから、私は、そんなふうには思わなくなった。人が先天的に「与えられ」て置かれた境遇の良さに対して悪意を持つことは、先天的に貧寒な悪い境遇に置かれた人をケイベツする事と同様に同程度に、浅薄な偏見だと言うことが、私にわかったからである。だから年少の頃の反感は、宮本百合子に対して、完全に私から消えた。以来、私にとって、宮本百合子など、どうでもよかった。自分に縁の無い、好きでもきらいでも無い路傍の女文士であった。もっとも、その間も、この人の書いたものの二、三を読んだ記憶はある。しかし、たいがい自分には縁もユカリも無い世界のような気がし、加うるにその書きかたも書かれた人物たちもなんとなくキザなような印象を受けることが多く、しかし、けっきょく「こんな世界もあるのかな」といったふうの、自分にもあまり愉快では無い無関心のうちに読み捨てたことである。また、この人のソビエット行き、ならびに、それについての文章などにも、ムキになって対することが、私にはできなんだ。それから太平洋戦争の、たしか直前ごろ発表された宮本の文章の一つに、彼女が、たしか中野重治らしい男とつれだって執筆禁止か又はそれに似た事のために内務省か情報局か、そういった役所の役人に会いに行った話を書いたのを読んだ。書きかたはソッチョクで、感情抜きでシッカリしていた。それを読みながら、「これだけの重圧の苦しみに耐えながら、おびえたりイジケたりしないで、シッカリと立っている女がいる、えらいな」と思い、心の中で帽子をぬぎ、そして、当時の国内の状勢の中では或る意味では当然であるとも言えた左翼に対する抑圧を、しかしこのようなバカゲた、このような乱暴な形でおこなっている当局に対して、二重三重の怒りを感じたことを、おぼえている。その時の敬意と怒りとは非常に強かったために、その文章の中にさえも私がカギつけたところの例の宮本の[#ここから横組み]“high brow”[#ここで横組み終わり]さえも、さしあたりは気にならなかった程であった。そして太平洋戦争になり、敗戦になり、やがて彼女は自由に、猛烈な勢いで発言しはじめ、作品を発表しだした。好評の渦が彼女を取り巻いたように見うけられた。私も、彼女の書きものの数篇を読んでみた。それらは、いずれも、ある程度までリッパなものであった。しかし、それまでの宮本百合子観を変えてしまわなければならぬようなものでは無かった。だから、敗戦後、とくに宮本が好評になった理由が、よくのみこめなかった。しかも、この事の中に、「左翼の勢力がもりかえしてきたから、そのスポークスマンの一人の宮本がヤイヤイ言われるのさ」といったふうの俗論――それに九分の真実があったとしても――だけに満足してはおれない問題がふくまれているように私に思われた。それを究明してみることは、他の誰によりも、私自身にとって必要なような気がした。だから、あらためて私は、私の手に入るかぎりの宮本の著作を集めて、その処女作以来の作品や論文を読み返してみた。
 その結果、「やっぱり、この人は、えらい。日本に、よくも、これだけの女が育った」と思った。同時に、「しかし、おれは、この人を好かぬ。この人の中には、どこかヘンテコな所がある。だから、自分だけでなく、人もこの人を、きらうのがホントウだ」と思った。つまり、はじめからの宮本観を、私は非常にハッキリした形で再確認したのである。そして、イヤナ気分になった。自分がハッキリと分裂したからだ。つまり、尊敬せざるを得ないものを、愛することができないと言う状態になっている自分に気がついたからだ。こんな事は私において珍しい現象である。なぜなら、私は、他のいろいろのおもしろく無い性質を持っていることにかけては、人後に落ちない人間であるが、この手の分裂症状だけは、ほとんど持っていない。と言うよりも、この手の分裂症状には耐えきれない性格を持っている、と言った方が当っている。だから、自分でも困った。分裂のギャップを埋め、統一しないことには、ガマンができなかった。ばかりで無く、私自身の中の論理のためにも、これはジャマになった。だから、いろいろとやって見た。そして、分裂は埋まり、統一された。その経過のあらましを、次ぎに書きつけるわけである。

          2

 まず、彼女の書いたものを再三再四くりかえして読み、考え捜しながら、私自身の中をほじくり返し洗いあげた結果、次ぎのことが私にわかった。
 宮本百合子が、唯単にブルジョア出身であるだけでなく、現に高度にブルジョア気質の人であるという事、そしてその点が他のどのような事よりも私の気に入らなかった理由であったことである。
 ――待ちたまえ。こう言うと、この言葉だけで、宮本の悪口を私が言っているのだと早合点をする習慣がある。とくに、今の日本の季節はそのような習慣の盛んになっているコッケイな季節の一つであるようだ。すなわち「ブルジョア」だとか「ブルジョア的」の語を、「豚!」だとか「カサッカキ!」といったふうの形容詞として受け取って、腹を立てさせたりする習慣だ。しかし私は、あまりそういう習慣を持っていない。だから、きわめて冷静な客観的な語としてこれを使っている。念のため――。
 で、宮本のブルジョア気質は、たいへん根深く、かつ、たいへん明確なものである。作家をトクチョウづけるものは、常にあらゆる場合に、他のどのようなもの――たとえば政治的イデオロギイなど――よりも、その気質にある。宮本の場合もそうだ。それは、かなり徹底的に、一貫してブルジョア気質である。同時に、実はそれが彼女の背骨(バックボーン)になっている――つまり作家としての彼女を或る程度まですぐれたものになしている主なる支柱が、他ならぬそのブルジョア気質である。という、おもしろい関係になっている。
 と言うことは、文芸作品について多少「読みの深い」人なら、たいがい、うすうすながら気が付いている事だ。そういう証拠があちこちにある。だから、宮本の作品を一つでも二つでもマトモに読んだ人なら、私がこう言っただけで、「なるほど、そうだわい」と思ってくれる筈である。しかし、これも念のため、彼女のブルジョア気質を証明していると私の思う例を、たった一つだけあげておく。『伸子』という小説がある。そこには、作者自身とおぼしい伸子という一人の女が、ある男と結婚し、そして破婚するに至る話が書いてある。もちろん破婚した後に書かれたものである。かなり立派に、かなり巧みに書いてある。そして、よく読んでみると、かなりエゴイスティックに下等に、そして、かなりヘタクソに書いてあることもわかる。その立派さも巧みさも、そのエゴイスティックな下等さもヘタクソさも、私の見るところによるとブルジョア気質特有のものである。
 先ず、そこでは、伸子とその夫を、共に等距離において眺め、共に長所と短所を持った人間としてどちらにも味方しないで取扱かうと言うリアリズム文学的「公平さ」が一貫している。いるらしく見える。それが立派だ。立派そうにチョット見える。そして、実はエゴイスティックで下等だ。それが立派そうに見えるだけに尚のこと下等だ。と言うのは、作者は、作品の大前提として、又作品の基調として、この夫の男を全く許しがたく否定しており、この伸子を言葉の上では否定している個所においてさえも徹底的に肯定している。つまり、この作者の目は実は公平でもなんでも無いのだ。それは、公平ゴッコだ。その関係がなかなか複雑微妙みたいな形をとっているから、ウッカリしていると、見えそこなう事だってある。
 私の知っている奥さんに、自分の使っている女中を「おナベや、こうするんだよ!」といったような物言いをして、ウソもカクシも無く「専制的に」こき使う人がいる。又、もう一人の奥さんは、女中に対して「あなた」と言い、すべて用をさせるにも「人間的」に「民主的」にやる。そして実際においては前の奥さんと同じ程度に、いや非常に往々に前の奥さんよりも更に専制的にこき使う。だから前の奥さんに使われている女中の方が後の奥さんに使われている女中よりも、まだしも人間としての資格と権利を、よりたくさん認め許されており、したがってノビノビと自由で幸福であった。そんな例があった。そのどちらが良いとか悪いとかでは無い。言って見れば、どちらも鼻持ちがならない点では似たり寄ったりだ。しかしすくなくとも前の奥さんの方が正直でだけはある。後者は、二重の虚偽に立っているだけに、より手ごわく、「進化」した形であり、より尖鋭に当世風であり、つまるところ「選手的」にブルジョア的だと言えよう。
 宮本の『伸子』における公平ゴッコは、彼女の持っている抜きがたいブルジョア気質の、一ひねりひねった現われであるように私には思える。その証拠を、もうすこし、作品自体から引き出してこよう。
 この中の夫は、最初から、極端に言えば第一ページ目から、将来伸子との夫婦仲がうまく行きそうにも無い「必然性」を背負わされて登場する。実にたまったものでは無いのである。つまり、後半に至って伸子をジャステファイするための用意が第一ページ目からしてあるのだ。このカンジョウ高い「計画性」は、先ずブルジョア以外のものでは無い。しかも、そのような男を好きになった――すくなくとも、それと、いったんは結婚する程度には好きになった伸子がその選択と愛情においてバカでもなければ、まちがってもいなかったと思われる程度の――思われるに必要にして充分なる程度以上でもなければ以下でも無い好もしさを持った男として押し出されている。つまり、伸子がどっちに転んだとしても、非難されるのは伸子でなくてすむように、二重三重に布陣してあるのだ。それらが、恐ろしく手のこんだ近代リアリズム小説作法的「必然性」の定跡で武装してある。つまり、伸子(したがって深い所で作者)は、絶対不可侵に神聖に守られているのである。実に用意周到だ。この種の用意周到さはブルジョア的気質に一番特有である。別の言葉では、これを、ズルサという。次ぎに、以上のことからもわかるように、この伸子は(したがって、深い所で作者は)いつでも、そして遂に、彼女自身をしか愛さない。おそろしく厳格に――時によってヒステリックにモノマニアックにさえ自分自身だけを愛する。他を愛することからひきおきる自我の軟化や忘却やトウスイや自己放棄などは、ほとんどこの女には無いかのようである。その夫との愛情の成育から結婚に至った生活の中に現に多少でもそれらがあったのであったら、よしんば、それらの一切が既にくずれこわれてしまって、その全体を否定的にしか振り返り得ない回想の中でさえも、それらは浮びあがって来るのが自然だし、浮びあがって来れば、この作品のそれにあたる個所々々に、無意識にさえもそれらの後味がにじみだしてくるのが自然だろう。それが、ほとんど無い。すくなくとも、私には、感じられなかった。伸子と夫との夫婦関係は、主として、ただ、伸子という女が、より大きな人格になるために、どうしても通過しなければならなかった煉獄または修養場のようなものとして設定されているきりである。夫は、ただ、伸子を、よりよいウドンに作りあげるために使われるノシボウみたいに持ち出されているきりだ。実際において、こんな事があったのだろうか? 私にはほとんど信じられない。ほとんど信じられないけれども、やっぱりこんな事があったのだろう。と思う他に、どのように思う手がかりもわれわれには与えられていないから、しかたが無い。とにかく、この伸子の厳酷なエゴイズムと、それを結局において徹底的に是認している作者の態度と、共にブルジョア気質の一特色だと私は思った。

          3

 次ぎに、その生活感情と表現における「好み」や「趣味性」や「習慣」という点でもこの作家が強くブルジョア気質である証拠であると私に思われる個所や要素を、此の作品の中に、無数に指摘することができる。その例をただ一つだけ。作中、終りに近く逃げ去って行きかけている伸子をなんとかしてつなぎとめようと焦慮した夫が、泣いて迫りながら「まだあなたは私を愛している?」と言って伸子に抱きつく所がある。それが、[#ここから横組み]“Do you still love me ?”[#ここで横組み終わり]と書いてある。そこの所を読んでいて、私はゾーッと総毛立ち、ムシズが走って、しばらく、とまらなかった。そしていろいろに考えてみた。第一に考えたことは、作者は、これによって、この男の異様に強直し、病的に西洋化した人柄を描いて、それに対して伸子の感じている嫌悪又は違和の実感を読者にまで移入しようと思ったためだろうかと言うことであった。第二に考えたことは、しかしそうならば、そのような人柄の男を、すくなくともその前には結婚するに至る程度には「愛した」伸子がいるのだが、するとその伸子はどういう人間であった事になるだろう? なぜなら、伸子は何からも強制されたり、ハメこまれて、この男と結婚したのでは無く自ら選んでそうなったのであり、又この男の性質が結婚後、急にそのようなものに変る筈は無いだろうし、事実変ったようには書いて無い。第三に考えたことは、もしかすると作者は実際その時にその男がそういう英語で言った事をおぼえていて、それをただ単純に書き写したに過ぎないのかもしれないという事だ。そして、もしそうならば、このような異様さや「ハクライ」が、この作者にとっては別に異様にも「ハクライ」にも感じられない位の日常茶飯になっているからであろう。ということは、そのような作者の状態そのものが異様で「ハクライ」だからだろうと思われる。以上三通りに考えてみた。そして、第一のように考えても第二のように考えても第三のように考えても、そのいずれもが、非常に強くハッキリとブルジョア的な「好み」と「趣味性」と「習慣」を現わしている事がらだと思った。
 次に、この作者がこの作品の中でトギすましている冷酷さ。全く無反省な敵本主義的な冷酷さが、私には強い印象を与える。実にそれは小気味が良い位のものである。この伸子やこの作者が無反省であるなどと言えば、人はチョット変に思うかも知れぬ。しかし、よく読んでみようではないか。なるほど、伸子も作者も、あらゆる個所でいろいろの反省をしている。又は、しているらしく見える。しかしそれは、いつでも伸子の立場を根本的には危くしない範囲内でのみなされている反省である。だから、それはホントは反省ではない。ばかりでは無い、逆にそれらは「兇器」になっている。というのは、とにかく形の上では伸子はムヤミに「反省的」な人間として描かれており、その伸子に相対する夫は珍らしく「無反省的」な――というよりも精神的にひどい盲点を持った人間として描かれているために、読者の目の前でキズを受けるのは、いつでも夫であり、とくに扱われている問題の性質上しまいに行くにしたがって、この夫は完膚無きまでに手キズを負わされてくる。その手段と経過と結末は、二重三重に念入りで、ほとんど残酷といってもよい位である。それはダムダム弾式の残酷さだ。入り口は小さく、それとなく見えるが内臓をズタズタに引裂く。むしろ、この作品が、たとえば「別れたる妻が別れたる夫に送る手紙」と言ったふうの形と態度で書かれ、その中でその妻が直接的に夫の非を鳴らし、悪をあばき、嫌悪と憎悪を叩きつけた方が、まだしも、相手の男を傷つける事がこれよりもすくないであろうと思われる。これは冷酷というものである。そしてこの冷酷さは近代的リアリズム小説作法が命じている冷酷さとはちがう。近代的リアリズム小説作法の命じている冷酷さは、作中の人物のことごとくを、ホントに等距離に置いて、同時に突き離して見るという事である。『伸子』においては、そうなってはいない。これは、ただ単に非人間的なまでに念入りにエゴイスティックな、二重にマキアヴェリ風な冷酷さである。そしてそれはもちろん、ブルジョア気質のチョウコウの一つだ。
 チョウコウは、まだ他にも有るが、あまり長くなるから、ここには書かぬ。私が宮本百合子をブルジョア気質の作家だと思う理由の説明としては、さしあたり、これ位で充分であろうと思う。そして、ここでは便宜上、『伸子』という作品一つだけを取り上げて説明したのであるが、しかし、以上あげたような特色は、多かれ少なかれ、又、場合によっては濃かったり薄かったり、裏返されたりして、精巧なヴァリエーションを付けられて、他のおおかたの作品に共通して現われている。『伸子』がそうであるように、宮本の作品の大部分が自伝的要素を多く持っているから、このことを認めるのは、それほど困難では無い。ただし、実は、それだけに又、それら全作品に現われているこれらの特色やチョウコウは、彼女の政治的イデオロギイ(それはたしかに、それ自体としては、かなり尖鋭にタンレンされたものである事は事実のようである)や、彼女のリアリズム小説家としての創作技術(これまたたしかに、それ自体としては、かなり高度にエラポレイトされたものであることを、認めないわけには行かない)や、彼女の人間としての重厚さ(――人は彼女について、この点をあまり言わないが、私はこれを彼女の持っているもののなかで、ほとんど最高に貴重な資質だと思う。重厚さと言うのを、「シブトサ」と言ってもよい。「保持力」と言ってもよい。「強健な生命力」と言ってもよかろう。あらゆる意味でウスッペラで無いことだ。率直で、シッカリと堂々として、ネバリのあることだ。――そして、もちろん、おもしろい事に、この重厚さもブルジョア気質の重要な性属――すくなくとも、オーソドックスなブルジョア的出生と生活と教養の中からオトナになって来た人間に概して特有な属性であることを見おとしてはならぬ。――これで、私が「ブルジョア的」という語を、唯単に一面的に否定的な意味にばかり使っているのでは無いという事が、ハッキリわかってもらえたろうと思う)――などと、非常に強固に複雑に組み合わされているために、それだけを明瞭な形で認めるのは、別の意味で、かなり困難だとも言える。それに、われわれ近代の――とくに現在の日本のインテリゲンチャは、いろいろの種類の被サイミン性や強迫観念やオクビョウさや雷同性などに深く犯されていて、たとえば、大きな声でシャベル人の方が小さな声でシャベル人よりもえらいのだと思いこんだり、権威あるもののように堂々とたじろがないで立っている人を唯単にそれだけの理由で真に権威あるものと信じてしまったり、十人中の九人が「こうだ」という事を内心「そうでは無い」と思ってもそう言えないばかりで無く、いつの間にか自分が「そうで無い」と思ったのがまちがいだと考えるようになったり、自分および他人が実際において進歩的であるという事がどのようなことであるという事によりも、一般から進歩的であると言われる事の方により多くの関心を持ったり、したがって又一般から「進歩的だ」と言われている者の中の退歩性やまちがいを指摘すると或る種類の人たちが直ぐに「反動だ」と言うからそれをホントの反動かと思ったり、それを逆に言うとホントの反動になってしまうことを恐れるよりも他から反動だと言われることの方をよけいに恐れたり――つづめて言えば、衰弱しきった精神カットウのさなかにあるから、事がらをチョクサイに認め、認めたものを端的に言い切ることができにくくなっている。だから、特に現在、言って見れば、時の動きの力関係の中で丘を背負って立っている宮本百合子の、又同時に彼女のこのように強固に複雑なコンプレックスの中に、多分宮本自身にもそれから或る種類の人々にも気に入りそうにはないところの「ブルジョア気質」を識別したり言い立てたりすることは困難であるし、そして実を言えば好ましいことでも無い。まったく、こうしてこれを書きながらも私は、なんという言いにくい事を、「悪趣味」に、言おうと俺はしているのだろうと我れながら不愉快に感じながら書いている。
 しかし早かれおそかれ、いつかは誰かが、これは言わなければならぬ事だと思う。それに、私の目には、そう見えるのだ。そう見えることを、そういうことは、しかたの無いことであるばかりで無く、ムダな事では無い。自分勝手な例を引くならば、童話『ハダカの王様』における子供のように、王様がハダカに見えたらハダカと言い切ってもよいし、言い切った方がよい。万一、実は王様はキモノを着ていたのだったら、その子供の目は節穴だったという事になるだけだ。宮本のブルジョア気質を指摘する私の指摘にまちがいがあったら、私の目は節穴だと言われてもよかろう。その覚悟はしている。
 もうすこし続ける。

          4

 宮本百合子という人は、これまで、かつて一度もホントの意味で「打ちくだかれ」たことの無い人のように私に見える。「打ちくだかれ」るということは、具体的現実的に絶望的状態におそわれて、そこで実際において絶望するということだ。絶望的状態におそわれたり、絶望したりすることは、誰にしても望ましいことでは無い。避けられるものならば、極力避けた方がよい。現にたいがいの人が避けようとする。しかし、いくら避けようとしても、避けられない事だってある。そして人は苦しんだり不幸になったりする。だから宮本が打ちくだかれた事が無いのは、宮本にとって幸福な、おめでたい事だ。よろこんであげればよい事であって、どうひねくって見ても彼女にケチをつける理由にはなりっこ無い事である。だから、それはそれでよい。
 しかし、私はこの事に関して次のような二、三の事を考える。
 第一に、そのような人が近代的な意味における芸術創作活動をする、しなければならない内的な必然性――というよりも芸術創作への衝動をどうして持ちつづけるのだろう、どこから生み出して来るのだろう? という事だ。私にはその点がよくわからない。なぜなら、私の持っている芸術及び芸術家についての知識から言っても、私自身の経験から言っても、「打ちくだかれ」た人、そしていつでも何かの意味で「打ちくだかれ」つつある人だけが、内的な必然として芸術を生むし、生まざるを得ない者だからだ。つまり、打ちくだかれた人、打ちくだかれつつある人以外の人が、なぜに芸術活動をしなければならないのか、私にはわからないからだ。もっとも、それ以外の動機や衝動から生まれる芸術も無いことは無い。それは第一に戦いに勝ってガイセンしてくるギリシャ人の口から、ひとりでに流れ出して来る「戦勝の歌」のようなもの、第二に原始人や子供が再現本能やモホウ本能や生産本能からほとんど無意識に生み出す絵や歌や句のようなもの、第三に時間と物質にめぐまれた人間が趣味的に習慣的にそして虚栄心の満足のために生み出す手芸美術や華道芸術のようなもの、第四に或る種の倫理的タイプのインテリゲンチャが、社会的・政治的なゾルレンを観念的に自分に課して、その目的に添わんがために生み出す文章芸術のようなもの。――四つとも、たしかに芸術ではある。しかし近代的な意味での芸術ではない。すくなくとも、人間の営みの場で高度の必然性や存在価値を要求し得る芸術では無い。もちろん、近代的な、そして高度の必然性や存在価値を要求し得る芸術にも、前記四つのものの要素は含まれている。しかし、支配的にドミネイトするものは、それらでは無い。自我内部の本質が外界とふれ合いつつ生き動いて行く過程――その過程の中の最もいちじるしいモメント、モメントが自我が「打ちくだかれ」るという事がらである――が、イヤオウなしに、ノッピキならず、そうせざるを得ないという形で、そうしないとその後の自我の存立が危くなったり欠如してしまったりするから、つまり極端な言い方をすれば「そうしないと生きて行けないから」生み出して行くファンクションである。それが軸だ。そして私には宮本百合子は打ちくだかれたことの無い人のように見えるので、前記四つの動機や衝動の中のどれか一つか二つ、又はその全部が組み合わされた所から小説を生みだしつづけている人のように思われる。そして、彼女の小説のすべてが、その根深い所で、ある時は修身教科書になったり、ある時は[#「ある時は」は底本では「あの時は」]戦勝の歌になったり、ある時はカッタツで勁い自由画になったり、そしてたいがいの場合に「この人を見よ」式のナルシシズムの要素を多分に含んだ自伝風のものになったり、そしてそのすべての場合に堂々たる自信に裏打ちされているのは、そのためのように思われるのである。それは、けっこうな事である。しかし、そのような芸術が、或る種類の人間たちにとって、芸術としての第一義的な興味と意義をあたえ得ないのも、やむを得ない。或る種類の人間たちと言うのは、社会にギリギリ一杯の所で生き、その中で往々にして自己の弱さと低さを痛感し、しかしそれでもできる限り強く正直に正しくそして幸福に生きようと力をつくして努め、つとめつつも往々にしてそれがうまく行かないで「打ちくだかれ」ている人間たちのことだ。そのような人間が、世の中にいっぱいいる。むしろ、今の世の中は、そのような人間たちで満ち満ちているといえよう。私もその一人だ。つまり、だから、私にとっては宮本の小説は、誰かが言った「第二芸術」なのだ。それは、或る程度まで美しい。立派である。どっちかと言えば有った方がよい。しかし無くても困らない。結局有っても無くてもよい。
 第二に、宮本の政治的イデオロギイのことだ。彼女の左翼的イデオロギイは、ニセモノでは無いように私に見える。しかし、今言ったように、彼女は「打ちくだかれ」たことの無い人に見える。だから、彼女の左翼的イデオロギイは主として観念的・知性的・論理的な思惟から生れ育って来たもののようである。だから「純粋」で「精密」で「勁」い。それは、やっぱり或る程度まで貴重なものである。しかし、それはホントに純粋で精密で勁いと言えるだろうか? 疑うのは悪いけれど、そこの所が私には、よくわからない。今年の四月号の「婦人公論」に宮本顕治が「わが妻を語る」という副題で、宮本百合子のことを書いている文章の中に、この事に照応する一節がある。
「同時に、かたよった幾種類の意見(――宮本百合子についての)もある。たとえば、彼女が中流上層の小市民の娘として育ったことが、彼女の文学的社会的成長のめぐまれた条件であるかのようにいう批評家がある。しかし彼女のような階級的立場に立ち、また革命家(――宮本顕治自身のこと)の妻として苦難な道にたえるためには、出生の中ブルジョア的環境は、むしろ挫折をさそい易いマイナスの条件でもあることは常識である。それだけにより多くの努力と堅忍が[#「堅忍が」は底本では「竪忍が」]彼女の生き方には求められたのだ」
 この事は、或る程度まで、たしかに、そうだ、当っている。しかし私は読みながら、悪意からで無く、笑ってしまった。なぜなら、この文章はよく読んでみると、次ぎのようにホンヤクできそうに思われたからだ。「百合子は小金持の娘に生まれたんだから、そのまま打っちゃって置けば、ブルジョア女文士かブルジョア奥さんになってしまう筈だし、それが当人に一番ラクだったろう。しかし、当人がしっかりしていたから、苦しいのをガマンして左翼になったのである」と言ったふうに。そして、たしかに、その通りにちがい無い。苦しいのをガマンして、そうなったのは、えらい。だが、もうすこし、落ちついて考えて見ようではないか。
 たしかに、そうなるために宮本百合子は苦しかったにちがいない。しかし、その苦しさと言うのは、主として観念的な苦しさではなかったろうか? 実際的な、又は肉体的な苦しさは、あまり無かったのではないだろうか? もちろん私は、実際的、肉体的な苦しさの方が、観念的な苦しさよりも、より苦しいなどと言おうとしているのでもなければ、考えているのでもない。しかし、人生について「ハンモン」しながらキレイな着物を着てゴチソウを食っている金持のお嬢さんの苦しみよりも、着る物も食う物も足りないために、いかに生きるべきかに具体的に苦しんでいる貧乏な女工の苦しみの方が、もっと苦しいし、そしてホントの苦しみであると思う者である。だから、「金持の娘に生まれ育ったことが彼女の文学的社会的成長のめぐまれた条件であるかのようにいう批評家は、まちがっている」というような考え方や、「出生の中ブルジョア的環境は、むしろ挫折をさそい易いマイナスの条件である」というような断定や、「それだけにより多くの努力と堅忍が彼女の生き方に求められた」というような言い方は、マルクシストにしては珍らしい「精神家」的感傷であり、いくらかコッケイな傲慢さであって、一言に言うと、それこそ「まちがっている」と私には思われる。宮本百合子がえらいのは、わかった。しかしどういうわけで、こんなアホらしい事まで言って、えらいえらいと祭りあげる必要があるのか、私にはわからない。仮りに、貧しい家に生まれ育ち、文字通り刻苦勤労して自分の汗の代価で自ら食って来た女が、宮本百合子が到達しているような所へ到達したとするならば(もっとも、そんな女は、たいがい、宮本百合子みたいな人間にはならんだろう)、その方がズットズットえらい事だと考える方が、もっと自然なように私には思われる。また、そのような女が自己の肉体と精神の、経験と思惟の全一の中から掴み出して育て上げた政治的イデオロギーの方が、ホントは、更に純粋で更に精密で更に勁くて、ズットズット貴重だと考える方が、もっとリクツに合っているようだ。
 なぜ私がこのように思うかと言うならば、コッパズカシイけれど、白状する。ゲーテが言ったという言葉(言葉そのものは、すこし違うかもしれないけれど)「赤貧の中に、深夜ただ一人で、ひときれのパンを自分の涙でしめらせて食べた事の無い人間とは、共に人生を語るにたりない」というのを、実にバカらしい程素朴に、しかし自分のこれまでの全生活の流れと深みを貫ぬいた実感として、その通りだと思いこんでいる人間で私があるからだ。そして、政治的イデオロギイも、人生の一部分である。人生は二つや三つのイデオロギイよりも大きいのだ。
 だから私が、宮本百合子の堂々たる雄弁を聞いたり読んだりする位ならば、それの千倍ほどの敬意と興味と愛をもって、たとえば小林多喜二の母親のセキの音を聞きたいし、又たとえば、ケーテ・コルウィッツの一枚の版画を見たいし、又たとえば物言わぬ老百姓女のカカトのアカギレにさわってみたいと言ったふうに思うのもやむを得ない。また、いきなりそこまで飛びあがらないで、たとえば現代日本の女流作家だけを見わたしてみても、宮本百合子のミゴトに割り切った唯物弁証法的公式や社会主義的リアリズム図式の「布石」にひっかけられて、彼女が前もって作っておいたハメ手にはめこまれて、満足のような不満足のようなヘンテコな気分になるよりも、人生の苦しみと涙の味について宮本などよりも百倍もよく知っている――したがって宮本などよりホントは百倍もえらいところの平林たい子や林芙美子や佐多稲子などの、宮本のそれほど堂々とはしていないがモット真実ではあるところの、宮本のそれほどデスポティックな圧力は持たないけれどモット美しいところの作品や論文を読むことを私が尊び、それらの作品や論文を通して、たかぶらない自然な気持で、どうすれば人間はもっと幸福に社会はもっと明るくなり得るだろうかを考えさせられることを選ぶのも、やむを得ないのである。そして、ここには、長くなりすぎるから、その理由を書くことをはぶくけれども、ほかの人々も私と同じようになった方がよい。

          5

 以上のようなリクツめいた事を全部抜きにして、ただ無責任に抱く興味という点から言っても、宮本の小説は私におもしろく無い。読みだしてすこしおもしろくなって来ると、たいがい、叱られているような気持や教えこまれているような気持や見せびらかされているような気持などが起きて来て、興味に毒液を入れてしまう。それというのが、この人は、結局、人間をあまり愛してはいないせいではないかという気がする。愛しているのは自身だけで、その愛は非常に強いようであるが、他を愛さないのではないか? 他を愛するのは、自分のヴァラエテイとしてだけの他を愛するだけではないか? いや、抽象的観念的には愛しているが、具体的実際的には、他の人々を愛していないのではあるまいか? そのような彼女が、最大多数の人々への実際的な愛というものでたえず裏打ちされていないと、ややともすればデスポチズムになりやすいところの共産主義的理論に立って文学を作っているために、なおさらその点が強められているのではあるまいか? そのために、あらゆるホントに良き作品が、底深い地下水として持っている「他に対するケンソンな愛」が彼女の作品に欠乏して、そしてそれが私に「おもしろく」無く感じられるのではあるまいか?
 しかし、一般に彼女の作品は評判が良いらしい。本もたいへん売れているという。前に書き抜いた宮本顕治の文章の中の他の部分にも、それに触れて「それは、日本大衆の中の民主々義的な進歩的な層が彼女を支持している証拠である」といった意味のことが書いてある。そうかも知れないと思う。しかし、すると、私の感受力がヘンなふうになってしまったか、又は、根性曲りになったためかとも思う。どちらにしてもフに落ちないので、私は私なりの調査をしてみた。いろんな人々に会って宮本百合子についての意見を虚心に聞いてみるという調査だ。いろいろの階層の、かなり多数の人々についてやってみた。もっとも自分の調査は、充分に科学的なものでも広汎なものでも無いから、これでもって全般を断定することはできないし、そうする気も無い。調査の結果は次の通り。
 ホントの勤労者であってイデオロギイ面でも文化的教養の面でもまだ片寄った傾向を持たず、つまり白紙的な人々のほとんど全部が、宮本百合子の小説など読もうともせず、読んでも、ほとんどなんの関心も興味も示さない。それから、インテリゲンチャないしはインテリ化した勤労者の中で、イデオロギイ的にかなり踏みこんだ人々(その中には多数の共産党員、共産主義の支持者もまじっていたことはもちろんである)や、文学芸術の教養の点でかなり進んだ人々などの、ほとんど全部が宮本の作品を、良しとしていない。表面では、特に公の場面では一応褒め立てて敬意を払うようなことを言うが、突っ込んで正直なことを聞くと、たいがい、くさす。好いていない。それから、ホンのこの間から共産主義者みたいになった人々や小説などを読みはじめて、まだ間の無いような人々の多くが、宮本の作品を支持する。支持のしかたは、好くというよりも尊敬する方に重みがかかっている。その尊敬の中に、ビックリした気持や、おびやかされた気持がすこしずつまじっているのが通例である。そして、人数からいうと、この第三番目の人々が一番多い。以上の通りであった。
 だから私は、こう考えた。宮本の作品が大衆の間に盛んに迎えられているのは、たしかに或る程度まで「日本の大衆の中の民主主義的な進歩的な層が彼女を支持している証拠」かもしれないが、同時に、日本の現在には社会的政治的思想の点でも文学芸術的教養の点でも結核初感染患者みたいな人間が非常に多く、そして[#「そして」は底本では「そし」]結核初感染患者というものは売薬の「特効薬」を盛んに買いこむ傾向を持っているものであり、だから宮本の作品が盛んに迎えられるのも、それに類する現象ではなかろうかという考えである。そうだとハッキリ言い切るだけの根拠は、前にも言ったように、まだ無い。今のところ、そんなふうに考えれば、いくらかフに落ちてくるし、そして、そう考えてよければ、私も自分の感受力がヘンになったかもしれないとか自分が根性曲りになったのかもしれないとか考えないですむから、気がラクになるわけである。ホントは、むしろ、この点に就ては、私などよりも進んだイデオロギイと文学芸術上の教養を持った人々の意見を聞き、教えていただきたいと思っている。「宮本の作品を、あなたはホントに良いと思いますか? もしそうなら、どこがどんなふうに良いのですか? ハッキリ言って下さい。そして、公に聞かれるためにウソをつくというやりかたで無く、正直な所を答えてください」と言って。
 そして、これまで書きつけた事によって大体わかっていただけただろうように、さしあたり、私においては、宮本百合子およびその作品を好まないと同じ程度に尊敬しない。逆に、好むと同じ程度に尊敬していると言っても同じことだ。かくて、ありがたい事に、私の分裂症状はなおった。
 以上、宮本についての走り書きを、一応終る。言いたりない個所があることは自分でも気が附いているから、機会があれば、同じ課題でもう一度でも二度でも、ものを言ってみてもよい。
 実はこの回では宮本百合子と中野重治と徳永直のことを語ろうと予定して書きはじめたのであるが、宮本だけのことで既に紙数を超過してしまった。中野と徳永について各十行ぐらいずつで何か言えないこともないけれど、それは両氏に失敬のような気がするから、今度はやめる。
[#改ページ]

落伍者の弁


          1

 第一回のはじめに書いたように、私は演劇ことに新劇について発言することに、興味を失ってしまっている。今の日本の演劇=新劇界には、文化的に重要な第一線的な問題は、なに一つ無いように思われるから。それに、それは「見もの」としても、既に古くさく、おもしろくなくなってしまっているから。つまり私にとって、それは現代人としての中心的なものへの刺戟をすこしも与えないだけでなく、教養や娯楽の道具としてもタイクツになってしまったからである。議論だけならばいろいろ言えないことは無い。しかし、自分がホントの興味を失った事がらについて、ものを言ってみても、役に立つまいし、第一そんなことをしていると、世間の批評家たちの多くのように、自分の食慾を毒し、自分をダラクさせ、自分を不幸にするに至る。私は自分の食慾を毒し自分をダラクさせ、自分を不幸にすることを望む者では無い。だから、「ヘド的に」が、あと何回つづくか何十回つづくかわからないけれど、最後まで演劇=新劇のことは語らないつもりでいた。
 ところが、わりに最近、私をたずねて来た人たちが、次ぎのように言った。その中の数人はすぐれた青年であり、又他の数人はこれまたすぐれた劇作家や新劇専門家であり、そしてその全部が私にとって重要な人たちであった。
「あなたは演劇=新劇に興味を失ったと言っている。それでいてあなたは戯曲を書いている。しかもあなたの書いている戯曲は、言うところのレーゼドラマでは無いようだ。すくなくとも本質的には、舞台性をあなたは忘れないで書いている。すると、あなたが何かの形でか舞台に興味を持たない筈は無い。そうならば、ホントは、現実の演劇=新劇に、なにかの意味の興味を抱かぬ筈も無いように思われる。あなたはウソを言っているか、又は、ムジュンに陥っているのではないか」
 これは、私には、なかなか痛かった。
 私は自分のなかを調べてみた。そして、ウソを言っているのでは無いという確信は見つけだした。しかし、ムジュンに陥っていることは認めざるを得なかった。だから、その人たちにそう答えた。すると、その人たちは、異口同音に、こんな意味のことを言った。
「もしそうならば、あなたはそれを公表する義務みたいなものがある。なぜなら、あなたの陥っているムジュンの中にこそ、われわれが今よく考え、解決しなければならぬ問題があるように思われるから。すくなく見つもってみても、そのようなムジュンの姿を、あからさまに見ることが、われわれおよびその他のたくさんの新しい人々の参考になるから」
 言われて私はもっともだと思った。だから、これを書くことにした。
 標題の「落伍者」は私自身のことだ。もちろん私にもウヌボレがあるから、私のがわから言えば、私が演劇=新劇を見捨てたと思っているわけである。つまり、以下の文章で私は、私がどんなわけで落伍者になったか、または、どんなわけで演劇=新劇を見捨てるに至ったか、見捨てざるを得なかったかを書くわけである。

          2

 今の日本の演劇をカブキと新派と大衆演劇と新劇と軽演劇とに大別することができる。
 カブキは、既にほとんどコットウ化した。これを正常に味わうためには、今となっては特殊の予備知識を必要とする。演じる方でも、既にまったく「生み」はしない。先人を「すき写す」だけである。或る種の高級な美がそこには在る。しかし、今日的なものの中で最も今日的な芸術「生きた演劇」としての処理には、あらゆる意味で耐え得まい。それは、すでに慎重に保存しなければならぬ時期に来ているしまた、保存する値うちのあるものだ。
 大衆演劇の中には、新国劇や前進座などといった、比較的健康な演劇活動を見出すことができるが、それはごく少数である。たいがい、ナニワぶしに毛の生えたようなシバイであるにすぎない。前進座や新国劇にしても、他のものに較べると健康だと言える程度であって、それらを支配しているのは芸術方法の上での無方針やらヒヨリミ主義[#「ヒヨリミ主義」は底本では「ヒヨミリ主義」]などである。だいたい、すこしシッカリした中学の上級生以上の内容を持った人間なら、空疎な気持を抱かないで見ておれまいと思われる程度のシバイである。他はおして知るべし。
 新派のシバイとなると、小学校六年程度以下だ。もっとも、いまだにゲイシャやゲイシャのダンナやママハハやコンジキヤシャなどが主なるテーマであるシバイだから、小学六年以下では、なんのことやらわからんだろう。もしわかったら、トタンに腹を立てて飛びだしてしまうだろう。ごく少数の俳優たちが相当の「芸」だけを持っている。その「芸」は、ムダに、まちがって使われている。
 軽演劇は「媚態」で一貫している。媚態が良いという人には良いにちがいない。そして誰にしたって、媚態を欲する時はあるのだから、それはたしかに一つの存在として強い。しかし、もちろん、媚態というものは、本来の性質上、目的のためには手段を選んだりしない。ところが芸術は、これまた本来の性質上、目的のために手段を選ぶ。演劇は芸術だから、どちらかといえば、目的のために手段を選ぶ。だから、軽演劇が媚態だけに終始している間は芸術上の検討の日程にのぼせることには無理があろう。
 残るところは新劇だけだが、これだけが、辛うじて、われわれの考察の題目になり得ると思う。と言うよりも今日演劇のことを語らなければならぬとあれば、僅かに新劇のことを語る以外に無いと思うのである。なぜなら、その実状はともかくとして、その表明している意図や方針の上で、辛うじて今日の文化芸術としての最低線に立っているらしく見えるのは新劇だけだからだ。だから、これをする。こう言うと、私という人間が、かつて新劇の中にいたことがある事を知っている人の中には、だから私が新劇のヒイキをしているように取る人もあるかも知れない。待て待て。早まらないで先きを読め。

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 話の順序として、現在の新劇を取りかこんでいる外的の条件を見よう。
 昔から新劇では食えないと、よく言われた。ある意味で、ある程度まで、それはそうであった。だから新劇の大部分が、金もちの坊ちゃんや嬢ちゃんがたの遊びであったり、物好きの道楽であったり、他に金になる仕事を持った人間の「芸術的」良心や慾望のはけ口であったりして来た。それが敗戦後インフレがひどくなり、しかもデコボコやビッコのひどいインフレであるために、食えないだんでは無くなって来た。新劇の公演、新劇団の運営そのものが合理的に自然な形では不可能になっている。一例をあげる。帝劇なら帝劇で新劇の公演をやって、連日満員であってもたかだか、そのシバイの製作費と小屋代と税金が払えるか払えないかであって、その劇団全員の生活費に当てる金などまるで残らないのが普通だ。そういう数字が出ている。他の多くの場合も大体似たり寄ったりである。つまりシバイがヒットした場合にも赤字なのだ。しかもその赤字が小さなものではない。劇団全員がなんにも食わないでシバイをしなければならぬ程の赤字である。七〇パーセントの入りや四〇パーセントの入りなどと言うことになれば、赤字は破滅的なものになる。――つまり新劇の公演は成り立たないという事なのである。すくなくとも、これまでのような形の公演は成り立たない。その答えは既に出ているのである。幾度も幾度も出ている。日本の新劇人たちが、正常な近代人的な教養と道理とを持っているならばそれを認めていなければならぬ筈だ。そして、そのように不合理な新劇公演をフッツリとやめてしまうか、または、全く新らしい別の合理的な公演形態なり研究方針なりを採っていた筈である。ところが、わが新劇人たちは、異様に古めかしい所で停止してしまった知能を持っているだけで無く、熱狂的な「芸術熱心」や恐るべきストイシズムを持っている。しかもこれらの諸特質をテンデンバラバラに一つ一つ別々に活動させるという分裂症的習慣を持っている。そのために、新劇公演をやめるということも、公演や研究の形態を変えるということも、いずれをもしなかった。そして、どういう事をしているかと言うと、一方において歯を食いしばって新劇公演をケイレン的に行うことによって芸術的良心の満足を求めつつ、他方においてこれまた別の意味で歯を食いしばりつつ、映画出演その他で金をかせいで生活的必要の充足を求めつつあるのが現状だ。これは、しかたの無い事であろう。彼等の古めかしさと「芸術熱心」とストイシズムと、そして、それらが個々別々に分裂しているという事実を計算に入れれば、まったく、こうする以外に道は無いにちがい無いと思われる。千田是也などが言っているように「ぼくたちは、ただシバイがしたいのだ。シバイをするためには、どこで生活費をかせいで来ようと問題では無い」のである。かつて、私の友だちのバクチウチの一人が「俺はただバクチが打ちたいのだ。そのモトデを作るのに女房をたたき売ろうと何をしようと、いいじゃねえか。いらぬ世話あ焼くねえ!」と言ったことがあるが、――なんと、この二つの言葉の調子の似ていることであろう――まったくハタから何かと言って、いらぬ世話を焼くことはいらぬようである。第一、千田是也たちもバクチウチも、当人にしてみればケンメイになっているのだから、それに無責任にケチをつけたりするのは失敬だ。
 だから私は世話を焼こうとするのでもケチをつけたりしようとしているのでも無い。私は私で次ぎのように考えざるを得なかったと言おうとしているだけだ。私は、千田是也たちやバクチウチのようにストイックでも「芸術熱心」でも古めかしくも無いらしい。私にとっては、経営的に成り立たないものは成り立たない事であって、それはやめなければならんし、やめざるを得ないものだ。どんなに残念でも、そういう事になるのである。女房をたたき売るよりもバクチの方をやめるわけである。次ぎに、その仕事を自分がケンメイにやろうと思えば思う程、もしその仕事からの収入でもって食えないことがハッキリしたら、それを、やめる。もちろん自分がしたいと思ってする仕事なのだから、それでもって、ゼイタクに食いたいとは思わないけれど、最低には食わなければならん。そうしないと、自分もダメになるし、仕事もダメになるから。次ぎに私は不幸にして分裂症状をあまり強くは持っていないから、自分の良心と必要や慾望とを千田是也たちやバクチウチのように、別々の場所で各個に使いわけることに熟練していない。しいて使いわけようとして無理をしていると、自分がダラクするような気がすると共に、自分に接触する他をダラクさせるような気がする。私の知っていた一人の遊蕩児が、一方で愛人を持ちながら他方でプロスチチュートを買いつづけていたら、自分がバイドクになると共に、愛人をバイドクにしてしまった事があるが、それと似た現象が起きるような気がする。気がするでは無くて、実際に必ず起きることを、多少知っている。そして、そんな事はイヤだから、やめたい。そして、私は、やめた。
 実は、そうだからと言って新劇をやめないでもよい方法はある。即ち、経営的に辛うじて成り立たせることの出来る方法も新劇を良心的にやりながらその仕事でもって最低には食って行ける方法も、したがって良心と慾望を分裂させないで統一的に解決して行く方法もある。しかしそれは、合理的な、新らしい、そして相当に粗野な困難な方法であって、現在の新劇人のように、ほとんど「神々しい」くらいに非合理に古めかしく「優美」になってしまった人たちの賛同を得ることは、到底、望めまい。だから此処でそれを述べる勇気とスペースを私は持たないのであるが、(そのうちに述べる)それはそれとして、演劇は一人や二人で出来る仕事では無い。だから一人や二人の人間が、一つの考えを抱き、その考えがその当人にとって決定的な考えであれば、その人間は、そこから抜けてしまわなければならぬことになる。私にとって私の考えは決定的であった。そして私の考え方は既成の新劇人の間に、ほとんど賛成を得られなかった。しかたなく私は新劇から抜けてしまった。

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 新劇を取巻いている外的な条件として、次ぎに、観客層の低さという問題がある。
 総体として日本の一般大衆の文化水準がたいへん低いことは、私などが今更言うまでも無く、残念ながら事実のようだ。なにしろ、いまだにナニワ節が圧倒的に人気があったり、ラジオの「向う三軒両どなり」といったふうの種目を世論の圧力でやめさせてしまうことも出来ないほどの水準である。そして、新劇は、どう安く見積ってみても、相当以上に高度の文化水準を予定して行われる仕事だ。それが、右のような大衆の前で、どんなに歯ぎしりをしてナニワ節などと太刀打ちをしてみても、当分の間、勝目は全く無いだろう。そういう中で、無理にも新劇をやって行こうとなると、いきおい、少数の「選まれたる」インテリまたは半インテリを相手にしなければならぬことになる。事実そうなっている。
 そして、その「選まれたる」インテリ又は半インテリが、実は、更に困ったシロモノなのである。或る意味で、これらは、右のような一般大衆よりも「高級ぶっている」だけに、実は更に低い。二重に低級なのである。先ずこの連中は、内実においては「無知な大衆」以下に無知であり、その無知をあれやこれやの僅かばかりの文化的な小ギレで装飾している。だから、庶民のナイーヴィテや健康さを持たぬ。同時に真の知識人の自立性も批判力も保持力も持たない。食慾も感受性も知能も共に救いがたく毒されて衰弱してしまっている。あらゆる強力なものからの催眠術にいつでも引っかかるような状態に在る。彼等の思考と感受と行動の機能の中心は、主として附和と雷同と文化的虚栄心にある。シバイを見るのでも、シンから見たいと思って見るのでは無い。「新聞がほめているから」であったり「切符を売りつけられたから」であったり「新劇ぐらいは見ておかないと文化人の恥だから」であったり「新劇は進歩的だと言われているから」であったり、「人が良いと言うから」であったり「自分も新劇みたいなことをしたいから」であったり、大体、そういった理由のいろいろとコンガラカッタもので見る。だから見たシバイがおもしろくても心から楽しみよろこびはしない。また、おもしろく無くても、怒ったり、立ちあがって帰ってしまったり、それきり二度と行かなくなったりはしない。いつでも軽度の拷問にかけられているような、同時に軽度の快感にくすぐられているようなウットウシイ顔と心でもって見ている。その状態と効果は、インポテントの人間がエロ映画を見ているのに一番よく似ている。非常に病的である上に、非常に非人間的である。新劇の観客の全部が全部そうでは無いけれど、私のこれまでの調査によれば、先ずこういった観客が一番多い。そして、そのような病的で非人間的な連中を常に相手にしていると、やっぱりシバイの内容や形式が、こんな連中に気に入らなければならないので、永い間には意識的無意識的に新劇と新劇人も病的で非人間的にならざるを得ない。事実そうなっている。それは後で述べる。私は、そのような観客を好かぬ。同時に、そのような観客からの逆作用を受けて、これ以上病的に非人間的になされることが怖い。だれでも嫌いで怖いものの中にいつまでもいられるものでは無い。私もいられなかった。

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 そこで今度は、新劇の内部を調べて見よう。
 現在、既成の新劇団として重だったものに俳優座と文学座と新協劇団と民衆芸術劇場の四つがある。他に、これらよりもいくらか若い世代の人々による新劇団が三つ四つあるが、それらに対しては多少私の見方はちがうから、今は触れない。
 この四つの劇団と劇団員のしていることは、それぞれ、愚劣であったり、ナンセンスであったり、珍であったり、アワレであったり、鼻もちがならなかったりすることが多くて、これをいくぶんでもマジメになって論評するには相当の忍耐心を要する。でも、しかたが無いから、しんぼうして、そのナカミの性質をかんたんに列記してみよう。
 第一に、あらゆる演劇にとって一番大事なものは戯曲作品だ。新劇にとっては、なおさらである。英語で書いても、The New Dramatic Movement だ。ドラマに立脚した仕事である。これはリクツでは無い。人間のからだの中で、頭脳がもっともたいせつな部分であるのと同じような常識的に自明のことである。ドラマこそ第一番目の最優位の決定的な要素であって、演出者や俳優はドラマが打ち出したものを忠実に具体化し肉体化すれば足りる。と言うよりも、そうであればこそ演出も演技も生きるのだ。それを既成の新劇人なかんずくその指導者たちは知らないか、忘れてしまっているか、または何かの必要から故意に無視している。時によって口の先や筆の先だけでは、ドラマやドラマティストを尊重するらしいことを言ったり書いたりする。しかし実際においては常に演出者第一主義か俳優第一主義だ。その実例は有りすぎて、あげる必要が無いだろう。ホッテントットとかピグミイ族といったような未開人の間に、人間にとって一番たいせつな物は、生殖器の先端だとかヘソの中に在ると信じて、これらを自分の頭よりもだいじにする習慣があったとするならば、さしあたり、われわれはこれを愚劣と呼び、ヘコタレて引きさがる以外に手は無いであろう。だから私は新劇人たちのこのような習慣を愚劣と呼び、ヘコタレて引きさがったのである。かくも多数のホッテントットやピグミイ級の無知や倒錯や自信や馬力の前で、ほとんどたった一人の私がほかにどうすることができただろう?
 第二に新劇人たちのソフィストリイ。これはもう実に骨がらみになってしまっている。たとえば、前にも書いた千田是也の「ぼくはシバイが好きだから、リクツはどうでもいいから、また、どんな方法でもよいから、シバイをするんだ」という言葉などは、ヘンテコはヘンテコながら正直である事は事実であって、そしてこのような正直さは新劇人の間では恐るべき異例に属する。他はほとんど全部が、腹の中と口の先や筆の先とちがう。また、する事言う事とがちがう。たとえば、土方与志は人間として良い人間らしいが、その良い人間がイデオロギイの上で共産主義者であって、民主主義的であって、習慣と仕事の上では時によって貴族的ディレッタント風であって、人民プロレタリアートのためにシバイをすると言っているかと思うと、人民プロレタリアートがとても近よることの出来ないような条件とやり方でシバイをやって見たり――タンゲイすべからざる芸当を演ずる。またたとえば、村山知義も良い人間であるが、これまたやっぱりイデオロギイの上では左翼であって、気質的にはかなりに強度の権力好きでボス的で、主として自分自身のためにシバイを運営して行きながら、人のためにシバイをやっているような事を言ってみたり――これまたコグラカリかたが一通りでは無い。その他、猛烈なスタア意識で動いている「民主主義」の俳優だとか、金がほしいだけのために、「芸術的良心」をうんぬんする演出家だとか――とにかく、ほとんど大部分の者が、どこかしら、ソフィストケイトして、二枚底になっている。もっとも、ズルイためや悪気があってそうなっているのでは必ずしも無いようで、時代のせいや当人たちの無邪気さのためにそうなっている者もあるようであるから、深くとがめるには当らないであろう。ただ、このように目まぐるしいソフィストリイについて歩くのは、たいへんくたびれる仕事である。私もくたびれた。そしてついにアゴを出してしまった。

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 第三に、新劇人たちの「ハクライ趣味」のこと。これがまた珍無類である。なにしろ、終戦直後、新劇公演がやれるようになったら、トタンにチェホフの『桜の園』と来た。その理由が、「とにかくあまりケイコしなくて、直ぐにやれるから」とか、「ハイカラだから」とか、「これをやれば人が来るだろう」とか、「上演料がいらんから」とか言ったような事らしかった。以来、イプセンとかセキスピアだとかモリエールだとかゴーゴリだとか等々と、カタカナ大流行である。いずれもチェホフが取りあげられた時の理由以上のハッキリした理由は無い。それはそれでよいであろう。先進諸国の大作家たちの作品の上演は排斥すべきでは無かろう。しかも、それらが「あまりケイコしなくて直ぐやれ」て「ハイカラ」で「観客がウンと来て」「上演料がいらん」とあっては、これに越したことはないわけである。しかも、土方与志や千田是也や青山杉作や村山知義やその他、西洋人の生活の実質は深く知らなくても、とにかく実際において西洋をすこし見て来たり、西洋人のマネがすこし出来たり、またはマネが出来ると思いこんだりしているハクライ演出家がたくさんいる。加うるに、百年前の西洋のこれこれの地方のこれこれの身分の女が朝飯に何を食ってペチコートの下に何を着ていたかは知りもしないし知ろうともしないでも、相手役のセリフを否定する時には両肩をすくめて両手をあげて見せるという「リアリズム」だけはやれるところの勇敢なる女優や、日本人も西洋人も同じ人間なのだから、しょせんは人間に「普遍妥当」な口のきき方と動作をすればそれが演技だとイミジクも思いこんで実はかつて自分の見た西洋物の時代映画中の俳優の猿マネをしたり、それにカブキ調を「加味」したり、六尺フンドシの上にじかにエンビ服のズボンをはいたり、相手役のダームの手をいただいてセップンした手で手バナをかんだりするところの壮烈な男優などに事を欠かないとあれば、鬼に金棒だ。
 だいたい現在の新劇のアカゲ物の演出や演技のシステムや細部は、小山内薫などの築地小劇場運動時代あたりを[#「築地小劇場運動時代あたりを」は底本では「築地小劇場運動時代あれりを」]出発点として発生して来たものであるが、そして、その小山内薫などの演出や演技のプロトタイプ(原型)は何かと言えば、主としてアチラで見て来た舞台の記録や記憶や、買いこんで来たおびただしい数の舞台写真をつなぎ合せて、西洋人らしい動作やスタイルをマネるというやりかたであった。つまり物マネのシステムであり細部であった。小山内には、そうせざるを得ない必要もあったし、必然も無くは無かった。ところが、その後の新劇人たちは、必要も必然も無いくせに、恐るべき無反省と、賞賛に値するスナオさで物マネシステムを受けつぎ、更にそれを育成してしまった。演劇芸術のプロトタイプが、人間の生きている現実の人生であり、なければならぬ事など深くも考えなかったことは、もちろんである。だから、いつの間にか、たとえば、久保田万太郎の戯曲を演出演技するよりも、セキスピア物を演出演技する方がやさしい――すくなくとも、よりすくない抵抗を感じつつやれるということになって来てしまった。この現象は、ピグミイ族がブーメラングや手槍を怖がりながら、四十八サンチ砲をすこしも怖がらないのに酷似した現象である。いずれにしろ、新劇のハクライ趣味はこれからも衰えることは無いであろうが、だからまた、これをたとえていうならば、これはちょうど胸から下はスッパダカのカナカ族が、人からもらったシルクハットをかぶり蝶ネクタイをむすんで歩いているようなものであろう。たしかに、それは、ただの、完全にスッパダカのカナカよりも「ハイカラ」にちがい無いのである。またそれを「ハイカラ」だと見てよろこんで拍手を送る同族(=新劇のアカ毛ものを見て、西洋人の生活はこうなんだろうと思ってうれしがる観客が)非常にたくさんいるのだから、かたがたもってこれまたさしあたり、抵抗できるものでは無い。私も抵抗できなかった。

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 第四に、新劇人たちの抜きがたい反動性ないし保守性。――既成の新劇人たちの九〇パーセントまでが共産主義者か共産主義の支持者である事実を知っている人はそれらの新劇人たちが反動性や保守性を持っていると聞けば、チョット異様な気がするかもわからないが、実は私も異様な気がする。しかし事実を見よう。それは、どういう点に現われているかと言えば、先ず、彼等が一様に持っている、より若い世代に対する冷淡さである。実に冷淡だ。時に冷酷と言ってもよい。より若い世代に対して手を差しのべ、それを育成し、激励し、バトンを渡すという事をほとんどしない。いつまでたっても自分たちが「大将」だ。「大将」の地位をたもつためには、時によって、より若い世代の劇団や演劇人を圧迫したりしている。次ぎに、人民大衆に対する冷淡または無関心の中にそれがある。現在の既成新劇団で、「人民大衆のための良き演劇」をとなえていない劇団は一つも無い。だのに実際は、現実に生きた人民大衆の意志と希望を反映した演劇を、人民大衆が受容できるような方針と方法と形態で行っている――それを一貫して行っている劇団は無い。以上二つの外部へ向っての冷淡さは、反動性や保守性のチョウコウと見る以外に考えようが無い。そして、この反動性や保守性は、彼等が共産主義者であったり、無かったりするためでは、必ずしも無いようである。もっと手前の所でエゴイストであるためらしい。だから実は、外部の若い世代や人民大衆に対して冷淡なだけで無く、新劇界内部、各個の新劇団の内部においても、互いが互いに対して冷淡なようである。互いの間に同志的つながりの感情も、生活や仕事の上での実際的な同志的連帯性も、ほとんど失われているように見える。そこには、ただシット心や術策などで活気づけられた「生存競争」みたいなものだけが在るだけだ。つまり、ここの空気は、ホントの意味で、冷たいそのように冷たい空気に耐えながら、普通の人は、良い仕事を末ながくは、やって行ける筈が無いし、また、普通の芸術家は不幸にならざるを得ない。私は普通の人間で普通の芸術家であり――すくなくとも、それになりたいと思っている者であり、自分で良いと思う仕事を末ながくやって行きたいと思っており、そしてなるべく不幸にはなりたく無かったので、この冷たい空気から逃げだした。

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 まだほかにも、理由はあげられるが、おもなものは以上の通りだ。これだけでも充分ではなかろうかと思う。カンタンに書いたために、一つ一つの私の見かたを、私の独善的な断定のように見る向きもあろうかと思うが、それは、煩いをさけるために省略したためであって、それを実証する実例を私が持たないためでは無い。
 ザットそのようなわけである。ドラマを書きつづけながら現実の演劇から離れざるを得ない私の矛盾が、私にとってやむを得ないものであった事は、大体、わかってもらえたろうかと思う。そして私は私の落伍の中で幸福であるから、私個人としては別に言うべき事は無いけれど、しかし矛盾はあくまで矛盾であって、正常なもので無いことは私も知っている。なんとかして正常なものになせるものならばなした方がよいのはもちろんである。しかし既成の新劇を目算に入れての正常化は、当分、ほとんど絶望に近いと私は見る。
 僅かな希望は、若い世代にかかる。
 若い世代と一口に言っても、既に腐敗したり衰弱したり虚脱したり、既成のものから毒されたりした若い世代もいるし、年は若くても精神において老衰した者もいる。私の言うのはホントの若い世代だ。物事をあるがままの姿で正視する明るいスナオな目を持ち、否定すべきものに向ってハッキリとノオと言い放ち、言い放った瞬間からそのものへ背を向けるだけの勇気を持ち、困難と孤独に耐えて自分のものを生み出し育てて行くエネルギイと忍耐力に満ちた若々しい魂のことだ。これはなにも演劇=新劇のことに限らない。各種の仕事や文化の部面に、数は僅かかもしれないが、そのような若々しい魂が存在していないとは、私は信じられない。新劇の中や周囲にも、そのような若い世代が、まるでいないとは、私は信じられない。そしてそのような人々が良い新劇をはじめてくれることを、確信している。実は私が実際の演劇から現在のように孤絶しながらノンキな顔をして戯曲を書いておられる程に楽観的なのは、そのためである。
 以下は、そのような若い世代にあててする私の忠告の二、三である。諸君の頭で自由によく考えて、もし私の言うことの中に多少でも、もっともだと思えることがあったら、その通りにした方がよい。
 まず第一に、既成の新劇をなるべく見たもうな。それは、おもしろく無い上に、君の上にロクなことは起きない。君の感受性は毒される。君の知性は衰弱する。君のイノチは萎縮する。君の習慣は植民地化する。新劇を見るだけのヒマと金があったら、友だちと野球でもするか、恋人と遠足でもすることだ。どうしてもシバイが見たければ、他人から低級だとケイベツされてもよいからアチャラカ劇でもなんでも良い、君がホントに正直に見たいものを見たまえ。なぜなら、アチャラカ劇は君のためには大してためにはならぬかも知れぬが、すくなくとも君を毒したり衰弱させたりはしない。
 第二に、しかしどうしても新劇を見たければ、チャンと金を払って切符を買って見たまえ。その金は親や兄弟や友だちからもらった金や、闇取引をしてもうけた金でなく、君が労務して得た金でなければならない。百円を得るために君は多分一日汗とホコリにまみれなければなるまい。その百円で見た新劇がつまらなかった場合には、君は腹が立つ筈だ。そして、それにコリて、もう二度とは新劇を見に行かぬ筈だ。百円で見た新劇がそれに相当しておもしろかった場合には、君は満足してまた何度でも行くだろう。それでよい。そして君は多分、二度三度とは見に行かなくなるにちがいない。それでよい。
 第三に、「しかし自分たちは演劇を勉強しているのだから、その参考のためにも、それから先輩たちの経験から滋養分を摂取するためにも、やっぱり見なければいけないのではないか」と言ったような考えをスッパリと捨てたまえ。それは「自分は女について知りたいからパンパンを買わなければいけない」と言ったような考えと同じで。パンパンを買わなくても女のことは知ることが出来る。演劇の勉強は猿が物マネをするのとは、ちがう。この生きた現実の人生が劇のお手本だ。学んでよいのは人生だけである。それに、これらの「先輩たち」は、よい気になってゴマカしているけれど、演劇芸術家としてのウンチクや経験など大したものは持っていない。たいがいお寒いものか、デタラメか、コケオドカシである。彼らの内幕や経歴をかなりよく知っている私が言うから、信用してくれてよろしい。
 第四に、既成の新劇人たちの指導による演劇学校や研究所の生徒や研究生になるのは、よしたまえ。既になってしまった諸君は、明日からそこへ行くのをやめた方がよい。なぜなら、そのような指導者たちの学識や内容は、たいへん貧弱なものであり、かつ、彼らが諸君を集めて講義したりしているのは、演劇に対する愛や若い世代に対する責任感のためと言うよりも、「演劇師匠」としての世渡りの手段や自己の勢力を保持するための方法や自己の属するイデオロギイや党のために貯水池を作るための段取りであったりする場合の方が多いから。やめるのは早ければ早いほど良い。そして、勉強したければ、諸君たち自身が横につながって仲間を作り、共同研究をやりたまえ。それで足りない所は、諸君の総意が指すところに従って、信頼し尊敬することの出来る先輩だけを招いて話を聞きたまえ。
 第五に、諸君が新劇をはじめるとしても、当分の間、公演活動をやることを急ぎたもうな。前にも書いたように、このデコボコのインフレが或る程度までおさまらない限り、演劇公演は合理的な形では成り立たない。成り立たないものを、無理にやろうとすると、諸君は不当に大きなギセイを払わなければならなくなる。だから急がぬがよい。そして主として研究活動と、会員制による試演会に集中するがよい。そしてその間、なるべく諸君は他に仕事を持ち、それでもって最低生活を堅固に支えながら、やった方がよい。
 第六に、非合法の手段や暴力によらないところの、あらゆる手段と勢力をつくして、既成の新劇を叩きつぶすことに努力したまえ。老衰して歪んだまま諸君の前に立ちはだかっている既成新劇は、諸君のジャマになる。そのようなものを叩きつぶすことは、若い世代の若い魂の特権である。勇気を出すがよい。叩きつぶして惜しいものは、今の新劇の中には、ほとんど無いのである。
 新劇とは、もともと、演劇の領域に於ける若々しい魂による革命運動のことである。そうであってこそ、はじめて、新劇運動は日本文化芸術の第一線に立つことができるであろう。そしてそうなったら、新劇を除外しては日本の文化や芸術を語れないことになるだろう。そのために諸君は不当に諸君を圧迫したりジャマしたり「指導」の名のもとに支配しようとする力に向って闘いたまえ。演劇芸術の前ではどんなにでもケンソンになることを辞さないと共に、演劇芸術の名によって「偶像」を諸君に強いようとするものをガンコに拒否することを辞したもうな。そして、もしできるならば、そのような諸君のうしろから私も歩いて行き、諸君の仕事に私もつながって行きたい。しかし、もちろん或る意味で既成の新劇の中から育って来たために、自分では気づかないでそれの残りカスをまだ身につけているであろう私のようなドラマティストをも叩きつぶす必要があるのならば、諸君から叩きつぶされても、私は、うらみには思わないであろう。
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或る対話

A……或る共産主義者
B……私


A あなたは、どうして共産党に入らないんですか?
B あなたは、どうして棺おけに入らないんですか?
A あなたの書いたものを読み、会って話していると、あなたの思想はひどくアナーキスティックだが、同時に、一面、共産主義にたいへん近いんだがなあ。
B あなたに会ってこうしてあなたを見ていると、あなたのオナカはふくれ過ぎていて、そのままでは寸法が余るだろうが、同時に一面、あなたのカラダは棺おけに入るのに適当なかっこうをしているがなあ。
A からかってはいけません。私はマジメに言っている。
B からかってはいけません。私もマジメに言っています。
A ホントに、共産党に入りませんか? おすすめします。
B どうもありがとう。御好意に感謝します。
A それでは、入りますか?
B いや入りません。
A では、どうしてありがとうなどと言うんです。
B もちろん、あなたの御親切な気持に対してお礼を言っているんです。
A ですから――
B あなたはチャキチャキの共産党員でしょう。そして、そういう人は一般に、自分の主義や党が、すべての主義や党の中で一番りっぱなものだと信じているのが普通です。あなたもそのようですね。あなたがそれ程りっぱなものだと信じていられ、そしてあなた自身その中にいられる所へ私を入らないかとすすめてくださっているんですもの、これは大きな御親切です。御親切に対してお礼を言うのはあたりまえでしょう。それと、その御親切を受けるか受けないかは、別にしてはいけませんか? No thanks. という言葉がありますね。この事をもっとよくあなたにわかってもらえそうな実例が一つあります。聞きますか?
A 聞かせて下さい。
B 終戦直後、新日本文学会というのができた前後のことです。徳永直さんが手紙をくれて私にも加入をすすめて来ました。私はいろいろ考えた末に、加入しないことに決めて、徳永さんにそう返事しました。するとまた手紙をくれました。その手紙と共に使いの人まで来てくれました。手紙には親切な言葉が書いてありました。同時に「君が参加してくれないと、演劇関係の参加者がまとまらないから」というコッケイな言葉も書いてありました。私は、その親切な言葉に感謝し、次ぎにそのコッケイな言葉に腹をかかえて笑いました。徳永さんが「君が参加してくれないと云々」と言ったことは、いろんな意味にとれます。そのいずれの意味にとっても徳永さんの善意から出たことがわかります。それでいて、私には、それがコッケイで大ゲサに思われて、笑ってしまったのです。つまり、こうなんです。「三好が参加しないと演劇関係から新日本文学会へ参加する人がまとまらない」と言うのが、先ずウソです。私はそんな有力者ではありません。だのに徳永さんは、どうしてそういう言い方をしたのでしょう[#「したのでしょう」は底本では「したのでしよう」]? それは徳永さんが文学や文学者を「政治的」に見たためのように思われるし、また、自分自身を指導的な「くちきき」であると思ったためのようでもあるし、同時にまた、ヤリテババア式とも言えれば親分式とも言えるデマゴーグ的習慣に陥っているためのようにも考えられました。そして、私は腹の中で「徳永さんよ、ゴールキイごっこはよいかげんにしてくださらんか」と申したわけです。私もツンボやメクラでは無いから、まだいくらか見えもすれば聞こえもします。自分が良いと思い先方が良いと言ってくれれば、ヤリテババアの口車などに乗らないでも、新日本文学会だろうと旧日本文学会だろうと、入るぐらいのことはできます。だから笑ったのです。笑う以外のことが私にはできませんでした。だって、とにもかくにも人さまがその人なりの善意と親切心から言ってくれることに対して、怒るわけには行かないではありませんか。そんなわけで私は、その徳永さんの親切にありがとうと述べ、しかし参加するのは、さしあたり見合せておきたい、その理由は「今までの自分の事を考えてみると、きまりが悪いから」とだけ書いて返事を出しました。……そんな事がありました。この話のどこかが、あなたの御参考になれば仕合せです。
A いやあ、どうも、あなたもヒネクレたもんだなあ!
B 徳永さんの場合? あなたの場合?
A どっちもですよ。
B そう、ヒネクレたと言われれば、それもしかたが無い。自分では、それほどヒネクレタような気がしないけれど。だって、徳永さんの場合もあなたの場合も、入れ、入れとすすめているのはそちらで、こちらは、ただ、入りたくないと言ってるだけなんだから。それを、そちらでいろいろに言うもんだから、こちらもいろいろ言わなければならなくなっているだけだもの。それをヒネクレたなんて言うのはセッショウだなあ。
A では、私もソッチョクに言いますから、あなたもソッチョクに答えて下さい。
B 承知しました。
A あなたが共産党に入らないのは、なぜですか?
B 私が共産主義者でないからです。
A あなたはあなたが共産主義者でないことが、どうしてわかりました?
B 共産主義の理論をかじりましたから。
A しかし誰にしたって、はじめから共産主義者では無いでしょう[#「無いでしょう」は底本では「無いでしよう」]。あなたのカジった共産主義理論は、まちがった、悪いものだと思われたんですか?
B そうは思いません。なかなか正しい点や善い所もありました。まちがった点や悪い所もありました。書かれたり説かれたりしている限りでは善い所の方が多うござんした。
A だのに、なぜ共産主義者にならなかったのです?
B そんな無理を言っては困ります。百グラムのビフテキに〇・一グラムのクソが付いていても、あなたはそのビフテキが食えますか? いやいや、あなたなら多分、そのクソの付いた所だけを切捨てて、残りの肉を食うかもわかりませんね。しかし、食えない人間だっております。私も食えない人間なのです。
A あなたは何を言っているんです。
B 私が芸術家であるということを言っているんです。また、芸術家になりたいと思っている人間であることを言っているんです。と言うのは、芸術家の仕事は、その〇・一グラムのクソを問題にする所から[#「問題にする所から」は底本では「問題にすも所から」]はじまるものですから。それがなぜそうなのか、ハッキリしたことは私にもわかりません。すこしはわかりますけれど完全にはわかりません。ですから、さしあたり、そういう生れつきの人間もいるのだとでも言って置きましょう。そういう人間は、あらゆる主義者にはなれないようです。共産主義者になれないだけでなく、その他のどんな主義者にもなれません。主義者「的」にはなれますが主義者にはなれないのです。なぜなら、あらゆる主義というものは、九十九・九グラムの肉の所だけを見て、それが全部だと見なす(仮定する)のでなければ成り立たないものだからです。〇・一グラムのクソを「認め」た瞬間に、あらゆる主義は根本的に崩壊するものだからです。
A わかりました。それはしかし、芸術家が主義者になり得ない理由としては、おかしいと思います。と言うのは、たとえば共産主義を例にとれば、初めから百パーセント共産主義者など居るわけが無いし、また、初めからでなくても、いつでも、どこにも百パーセント共産主義者はいないと思うのです。それがいるかのようにあなたは思っており、そして自分がそうは成り得ないから、共産党に入れないと思っているようですが、それはあなたの観念的な理想主義的幻想ですよ。実はあなたの言う「的」でよいのですよ。主として何「的」に人間や社会や世界を眺めるかが重要な点です。
B あなたの言う通りでしょう。しかし、他人から見て七十八パーセントの共産主義者でも、また、十五パーセントの共産主義者でも、当人自身は百パーセントと思っているでしょう? すくなくとも、百パーセントに成り得ると思っているのでしょう? そうでなければ理窟が通らない。つまり「おれは共産主義的に世の中を見、行動している。これは正しい。まちがっていない。もし、まちがっているならば、それは共産主義がまちがっているのでは無くて、おれ自身が共産主義者としてホントにきたえられていない……つまり百パーセントになっていないからだ」と、あなた方は考えますね? つまり、あらゆる共産主義者は自分が百パーセントに成り得る可能性を自分のうちに認めているのです。それは、結局、百パーセントであるということと同じことです。ところが、此処に当人自身が自分のことを十五パーセントと思い、そしてこの十五パーセントはどこまで行っても百パーセントにはなりっこ無い、仮りに九十九パーセントの所まで行ったとしても最後の一パーセントの所で、それまでの九十九パーセントが全部崩壊する、するかもわからないと思っている人がいるとします。そう思っている人が、安心して、主義者になり得るでしょうか? なり得ないと私は思います。そして、たいがいの芸術家はそのような人です。
A それでは、あなたは、キリスト教の牧師でいながら共産主義者になった赤岩栄さんのことを、どう思いますか? あなたの言っていられることに、多少関係がありはしませんか?
B あります。赤岩栄さんの考えや、なすっていることは、まちがいです。それをあの人は、まじめに誠実になさっているようです。ですから、お気の毒です。
A なぜですか?
B あの人は、自分のぞくしているキリスト教会に対してイラ立っただけなのです。社会革命や社会運動を、なぜしないんだ! と言って、イラ立ったのです。しかも、キリスト信者になり教会にぞくするようになったのは、もともと彼自身が進んでなったのです。つまり、彼自身が教会なのです。だから、イラ立っているのは、自分が自分に向ってイラ立っているのです。自分が自分にイラ立つのをヒステリイと言います。ヒステリイ患者は、発作を起すと、カラダを弓のようにそらせて、ところきらわず卒倒したりします。しかし、もっとよく観察してごらんなさい。どんなに激しく卒倒する時にも、火の上や針の上や机の角などに頭などを打ちつけて、自分の生命を危くするようなケガはしません。そんなふうには卒倒しないのです。「やむにやめない」卒倒の瞬間にも、自分が何の上に倒れるかをチャンと知っています。計算しています。赤岩さんを見ましょう。彼が共産主義者にならざるを得なかったのは「やむにやめない」ものだったようですが、彼は何の上に倒れたか? ジュータンの上に倒れました。彼は著名なる文筆家ないしは座談会出席者になりおえました。そして、むやみとオシャベリばかりしております。そのオシャベリも、ヒステリイ患者の発揚時における状態に非常に似ています。赤岩さんが文筆家や座談会出席者になる代りに、だまって、どこかの労働者町のセッツルメントか、「アカハタ」発送係りになってコツコツ働いていたら、われわれは別の見方をすることが出来たでしょう[#「出来たでしょう」は底本では「出来たでしよう」]。つまり、ヒステリイだと見た見方を修正しなければならなくなったでしょう。その点、残念でした。次ぎに、すこし虫が良すぎると思います。そこの所もヒステリックです。なぜなら、マルクシズムにとっては、宗教は「アヘンなり」です。宗教者にとってはマルクシズムは「毒薬なり」です。もちろん、アヘンとは別の猛毒らしい。その二つの、種類のちがった毒薬を、「赤岩栄」という一本のビイカアの中に一緒に入れて、かきまわしたり、ゆすぶったりして、何か有用な薬品を作り出そうとしているのです。無理な相談ではないでしょうか。それに、大体、「神」と言う、うらやましいものを持っていて、(彼がホントに神を持っているかどうかも、私には疑わしく思われる。しかし彼自身持っていると言っているから、しばらくそれを信じておきましょう)赤岩さんは、何が不足なのですか? 「神」では社会革命が出来ない、いいかえれば大多数の人間が「神」だけでは幸福にはなれないからですか? そんなことはないでしょう。キリストさんは、社会改革を禁じていません。むしろ、それをすすめ実行しています。場合によって「共産主義的」な位に。だから、赤岩さんもキリストと共にそれをやって見たらよいではありませんか。それをしないで、いきなり、その神やキリストの公然たる敵対物であるマルクシズムを採り上げるのは、どういうのでしょう? それは、結核患者が自分のタンの中に結核キンが絶えないのにジレて、コールタールを飲んでしまうような事です。かわいそうに! 同情します。しかし同時に、それは、あまりに虫の良過ぎる愚かさだと思います。そんなバカな事をしていると、人は死ぬか、死ぬような目に逢いますよ。見ていてごらんなさい、赤岩さんは遠からず、マルクシストとしてもヘンテコなマヤカシ物になり、キリスト者としてもヘンテコなマヤカシ物となります。別の言い方をすれば、マルクシストとして共産党員達の集会に出ては、同志達に向って「悔い改め」をすすめたり、代々木の共産党本部の中に教会を建てることを主張したりして、牧師としてキリスト教の集会に出ては、信者たちにひざまづいてインターナショナルを合唱するように命じたりするようになるでしょう。もっとも、すべての状態がゆるやかな間は、マルクシスト達もキリスト信者達も赤岩さんの熱心さや誠実さに免じて、微笑しながらそれを許して置くでしょう。しかし状勢がキンチョウして来れば、許しては置かないでしょう[#「置かないでしょう」は底本では「置かないでしよう」]。なぜなら、それは本質的に敵同士の関係ですから。すくなくとも、その双方が互いに相手方を敵だと思っている関係ですから。それは、ちょうど、ふだんの時ならヒステリイ患者が発作を起して大騒ぎをしているのを、たいがいの人が許して置けますが、ひとたび火事騒ぎになれば、しかた無く、その患者をうっちゃって置くか、踏んづけて消火活動をしなければならなくなるのと同じです。赤岩さんという方は、どちらかといえば善い方のようですから、イザという時にあんまりひどい目に逢わしたく無いものですねえ。もっとも、すべてのヒステリイ患者にとって、発作を起すのは、結局は彼の「幸福」の一つです。ヒステリイはエギジビジョナリズム(露出症)の一種ですから。赤岩さんも、かなり強いエギジビジョナリズムを持っていられるようですから、発作を起すのが彼の幸福である限り、やめられないであろうし、やめなくともよろしいでしょう。しかし、世の中が火事騒ぎのようになり、マルクシズムとクリスチャニズムとの関係が或る程度以上にキンチョウした中で、良い気になって発作を起して卒倒したりなさると、そこには必ずしもジュータンは敷いて無い、もしかすると頭を叩き割るような角石がころがっているかもしれないという事は、知っていられる方がよいと思いますね。世の中の火事騒ぎが今後起きない見通しよりも起きる見通しの方が多いのですから尚更です。
A そうすると、あなたの考えでは、赤岩さんはどうすればよいと思いますか?
B それを聞くのですか? ザンコクだなあ。では、たいへんセンエツですけど私の考えを言います。先ず、落ちつかれるとよいと思います。それには、ご自分のオシャベリを先ずやめられることです。ヒステリイ患者というものは、自分のオシャベリで自分が昂奮するものですから。また、それには「自分は先駆者だから受難するのだ」と言ったようなゴーマンな受難者意識を捨てられることです。ヒステリイ患者は一人残らず自分のことを「受難者」だと思っているのが通例ですからね。そして、勤労大衆を愛しているなら愛しているように、パリサイびとのように机の上や人なかでヘリクツを言い立ててばかりいないで、実際に勤労大衆のために働いてほしいと思います。こう言うと、自分が今おシャベリをしている事が一番勤労大衆のためになるのだといったふうに赤岩さんは言われるかもしれませんね。そらそら、パリサイびとにシンニュウがかかった。私の言っているのはそんなむずかしいソフィストリイの事ではありません。もっと単純なことを言っているのです。実際において勤労大衆を愛し、そのために働いて見せて下さらないでしょうか。赤岩さんはキリスト者ですから働ける筈です。そしてそれでよければ、それでよいではありませんか。そして勤労大衆のために働くために、共産党とでも何党とでも協力することが必要な時には協力したらよい。共産党であろうと何党であろうと、是々非々式にこれにのぞめばよいのです。それが出来ない筈はありません。いやそうする事が彼にとって最も自然です。自然なのが良い。スタンドプレイはみっとも無いし、永続きがしないでしょう。もしまた、実際的に働いて見た上で、マルクシズムに非ずんば、結局は勤労大衆の幸福をもち来らせることが出来ないという結論が生まれたら、自分のクリスチャニズムを批判し、否定なさるんですな。批判し否定できますし、批判し否定せざるを得ないでしょう。そしてキリスト者で無くなって、共産党に入党なすったら、いかがでしょう。そうなれば、マルクシズムにさんせいな者も不さんせいな者も「雨の降る日は天気が悪い」といった式に自然な出来事としてこれを眺めることができるのではないでしょうか。キリストの神を捨てないでマルクシストになるなぞと言うゲイトウは、普通の人間に「雨の降る日は天気が良い」ことをみとめさせようとするような事だと私に思えます。
A あなたの意見は極端すぎます。片寄っています。だから、まちがいですよ。なぜなら、共産党は今は大衆政党です。個人がどんな人生観を持っていても、また、どんな信仰を持っていても、共産党の方向にさんせいならば入党できるのです。現に、「税金が高すぎるから」と言う理由で入党している人もいます。赤岩さんがキリスト信仰を持ったまま入党しても、党員としてチャンと働いて行けば遠からずキリスト信仰を捨てることになる筈ですから、チットもさしつかえ無いのです。
B 同じ事ではありませんか。それに、赤岩さんはマルクシズムも相当べんきょうした人のようです。「税金が高過ぎるから」という理由だけで入党する人とは、おのずからちがいます。彼自身がそれを明言しています。あんまりキチガイじみた事はなさらない方がよいだろうと思います。
A キチガイじみてる? 何がですか?
B だってそうではありませんか。一方において天理教を信仰していながら同時に一方においてジコウ教を信仰することは、普通の人には出来ないでしょう[#「出来ないでしょう」は底本では「出来ないでしよう」]
A それはタトエがまちがっている。赤岩さんの場合はマルクシズムとキリスト教です。そしてマルクシズムは宗教では無くて科学です。
B マルクシズムは科学ではありません。一般に、それを見る人の立場の相異によって認識や評価がちがって来るような思想は、科学ではありません。マルクシズムが、他の社会思想にくらべていくらかよけいに科学「的」であるとは思いますが、科学ではありません。それは一個の観念体系です。
A いずれにしろ宗教では無いですよ。
B そうです、それ自体宗教ではありません。しかし、それが一個の観念体系であるという点で(なぜなら、すべての宗教はそれぞれ一つづつの観念体系ですから)、宗教に似ています。しかも、人がマルクシズムを是認し信じて、それを実践しはじめた瞬間から、その人とマルクシズムの関係は、信者と宗教との関係と全く同じことになります。したがって、生きた人間が、それを実践の綱領または規準として把持しはじめた瞬間から、その人にとってマルクシズムは宗教と同じものになるし、また、そうならなければ、実践的な力は生まれて来ません。だからこの場合、赤岩さんにとっては信仰する宗教が二つ出来たと見てさしつかえ無いのです。そして、それは普通の人には出来にくい事です。だからキチガイじみていると言いました。
A キチガイとまちがいか。まちがいだな、あなたの考えは。しかし今はその点にふれないで置きます。赤岩さんのことはそれ位にして、森田草平さんや出隆さんや内田厳さんや、その他いろんな文化人がたくさん共産党に入りつつある現象をあなたはどう思います?
B どうって、どうとも思いません。入りたかったら入ったらいいじゃありませんか。どっちせ、たいした事では無いですよ。あなたはそんな事をシツコク聞いて全体どうしょうと言うんです?
A あなたも文化人の一人だから、同じ文化人がこんなにハッキリした動きを示していることに無関心ではないと思うからです。それにやっぱりあなたは正直のところ共産主義のことを無視することは出来ないでしょう? それにさんせいするしないに関せずです? そうでしょう?
B それは、たしかに、そうです。世界はどうなるんだろうと考えたり、日本の社会はどうなるだろう、どうしたらいいんだろうと思ったりする時には、共産主義というものを全く無視することはできませんし、してはいけません。しかし、今、共産主義者であるあなたを相手にして語っているからこそ、この事ばかり話しているんですけれど、ふだんは実はあなたが思っていられるほど、この事を考えたり語ったりはしていないですよ。
A よござんすとも。そこで今言った人たちの事をどう思います? 聞かせて下さい。
B みんな善い人のようですね。善すぎますよ。そして、タヨリになりません。プワプワ、フラフラして、チョットした泣き落しにかけられると、たちまち「善意」のヨダレをたらして、ひっくり返ってチンチンモガをはじめる。善い人なことはわかります。しかし、一体に、風船玉みたいな善人よりも、シッカリした悪党を私は好みますし、また、その方がホントは世間の役にも立つんじゃありませんかねえ。「善」は往々にして持つべきものを持っていない状態ですからね。森田草平さんの事はよく知りません。出隆さんは、あれで「哲学者」なんですか? こないだ何かの雑誌で「富士」のなんとかを書いていられたから読んだけど、私はその中から哲学者よりも神経衰弱者を読みとりました。内田厳さんは、たしか画家ですね。それなら、ツジツマの合わないような文章など書き散らさないで、絵を描いたらどんなものだろうと思うな。と言っても、共産党に入ったが最後、出隆さんには哲学はやれなくなりますね。そして唯物弁証法の拙劣な臨床例を無数に、それこそ輪廻のように展開しはじめるでしょう。内田厳さんにはホントの絵は描けなくなりますね。そしてむやみと大きなタブロウなどに岩を様式化したりして、ポスタアを描くでしょう。そのほかに、どんな人がおりますか? ドンドン持ってきなさい。一言づつで片づけてお目にかけます。
A 荒れますねえ!
B エッヘヘ。いや、ふざけますまい。厳しゅくにやりましょう[#「やりましょう」は底本では「やりましよう」]。私のこのような考えは私の人間観から来ているのです。人間は永い間には、たしかに変りますが、それほどひどく変るものではないと私は思っているのです。人間が短時日のうちに非常に変ってしまうという事はめったに無い事で、往々にして非常に、また急に変ったと見るのは、表面だけかまたは一面だけかまたは自身が変ったと思っているだけの場合が多い。これが先ず私の人間観の第一。次ぎに、その人間の正体はその時その時の横のひろがりに示されますが、同時にタテの流れに示されます。むしろ、タテの流れの中に真の正体がよけいに示される。半年や一年を取って人の正体を判断しようとすると、まちがいやすいが、五年十年二十年のその人の歩いた道を取って判断すれば、たいがい、まちがわないのです。人は半年や一年は自分をも人をもゴマかすことが出来るが、五年十年とゴマかすことは出来ないのです。だから私は人を見るのに、今彼がなんであるかを調べるのと同時に、いや今彼がなんであるかを正確に知るためにも、五年十年二十年以来の彼が何であったかを重要視します。人というのは、他人も自分もです。先ず他人の事を言えば、たとえば十年前に左に寄った自由主義者であって、六年前にファッショであって四年前から共産主義者になったというような人を、私は信じないことにしています。もうあと五年位たってから信じてもおそくあるまいと思うものですから。また、十五年前以来、ボルセビキ革命を主張した共産主義者が三、四年前から暴力否定の議会主義の平和革命を主張しても、私は信じないことにしています。もうあと五年ばかり待ってから信じてもおそくはあるまいと思いますから。また、二十年前も十年前も五年前も帝国主義者でありファッショであった人が、どんなにイキリ立って民主主義を主張しても私が信じないことはもちろんです。これが私の人間観の第二。次ぎに私は一人の人間を一個の全体としてみます。一面または一部分では見ません。その全体のあらゆる部分を見た上でその人が何であるかを判断します。ですから、言う事とする事とがちがっていたり、外と内とがちがっていたりする人をもちろん、信用しませんが、これを判断するには、その人の言うことよりもする事を重要視し、外よりも内を重要視して判断します。共産主義者の言葉を口で言いながらファッショや専制主義者と同じような行為をする人を信用せず、それをファシストか専制主義者またはそれに近いものと判断します。その逆もまたそうです。また、外では民主主義者ないし共産主義者である人が、内に帰って来て、大したわけも無いのに妻や女中をブンナグッたり、こきつかったりしていたら、私はその人を信用せず、封建的・ブルジョア的の専制主義者だと判断します。これが私の人間観の第三条です。ほかにもありますが、今は言えません。どうです、わかってもらえましたか? そして、この三条に照し合せて考えて下さい。すると今の日本に、特にインテリの中に、私にとって如何に多くの信ずべからざる人――または信ずるのを、もう少し先に延ばして置きたい人がいるか。言うまでも無く、赤岩さんも森田さんも出隆さんも内田厳さんも、この三条のどれかに引っかかりますから、その中に入ります。わかりましたか? もちろん、私自身もその例外にはなりません。私は現在も三年前も五年前も十年前も二十年前もほとんど変りませんし(全く、それは自慢になることでは無いかもしれません)、言う事とする事がそれほどちがってもいませんし、外でミニクイように内でもミニクイ(イクォール=内が美しい位には外も美しい)人間なので私は自分を大体において信用しています。しかし、その私も、もう少し厳密にしらべて見ると、五、六年前=戦争中=かなりイカガワシイ事をしました。また、言葉ではキレイそうな事を言って、行為ではキタナイ事をしないとは言えない。また、外が立派なほど内は立派でない事もあります。残念ながらそうなのです。ですから、キマリが悪くて、半年や一年や四年位の間に、急に、あまり立派な壮大な言葉で大ミエが切れないのです。その代りまた、五年十年以前の自分の全部を、或る人たちがしているように盛大な言葉で否定することも出来ません。その両方をしている人を見ると、ですから、私は「そんなアホダラキョウがあるけえ」と言いたくなり、こっけいになり、そして時に虫のいどころが悪いと、そんな人をインチキさんと呼びたくなるのです。そう言う私も、もしかすると客観的に或る程度までインチキさんかもしれませんが、主観的にまで――つまり自分で自分のことをインチキさんと思わなければならんのは、あまりにおもしろく無いだろうと思うので、大ミエを切ったり否定遊戯をするのは、さしひかえているのです。私が共産党やその他のあらゆる党に入らないのも、私の政治ぎらいだけで無く、以上のような私の態度の中の一つですよ。もしそうで無かったら、私は共産党にでも自由党にでもトットと入っていたでしょうね。なぜなら、私はこれで、私の知っている共産党員のたいがいの者より共産主義「的」に立派ですし、また、たいがいの自由党員よりも自由主義「的」にすぐれていますからね。私の言うことがわかりますか?
A わかります。そして同感するところが多々あります。しかし、それだけでは、あなたの性格から来たあなた一個の特殊な立場の説明にはなっていても、あなたが先に言われた――芸術家はあらゆるイデオローグになれないと言う御意見の説明としてはまだ充分では無いと思いますがねえ。
B シツコイなあ。これ以上、どう言えば、わかってもらえるかなあ。ええと……あなたは、マルクスが『資本論』を書き上げた後で、友人に向って笑いながら「おれはマルクス主義者ではないよ」と言ったエピソードはご存知でしょうね?
A 知っています。
B あの話をあなたはどんなふうに思いますか?
A マルクスのシニシズムないし逆説癖から生まれた軽いジョウダンだと思います。重大なこととして、ムキになって考えなければならぬ事ではありません。
B 私もそれをジョウダンだと思います。しかし、あなたほどこれを軽く見ることは私にはできません。人がジョウダン半分に言ったりしたりするチョットした事の中に案外に重大な意味があるものですからね。もちろん、この事を或る種の保守派たちがするようにマルクシズム全体の否定のための道具にしようがためではありません。むしろ、その逆に近い。と言うのは、私はマルクスの伝記を読んで、この人をあまり好きになれませんが、しかし、辛うじて積極的に嫌いにならずにいられるのは、今言ったエピソードがあるからです。それを別にしても、このエピソードの中には、非常に深い、非常におもしろい意味がふくまれているように私には思われます。言うまでもなく、いくら私が偏狭であったとしても、マルクスの真骨頂は主として『資本論』の中に示されており、マルクシズムを是非するためには『資本論』に向わなければならぬという位の事は知っています。しかし、私は人間を一個の全体として見ますから、マルクスを見るにも、『資本論』を通して見るのと同時に、このエピソードを通しても見ます。笑いながらであるけれど自分の打ち立てた体系からハミ出してしまっている自分自身を認めているマルクスを見るのです。そのハミ出してしまった部分をもひっくるめてマルクスと言う人間を見るのです。そして、おもしろいと思います。たのもしいと思います。そして人間と人生はどこまで深くどこまで偉大になり得るかわからないと思い、その事から人生に対してホントのケンソンさと同時に人間の可能性についての自信と希望を得ることができます。そして、これが芸術の態度の本質なのです。芸術家の態度の本質なのです。芸術と芸術家は、人間を頭脳だけとは見ません。生殖器だけとも見ません。それら全部が一体となったものと見ます。そしてその一体となったものは、五官の全部の算術的総和よりもさらに大きなものと見ます。また、人生社会を一つや二つや三つのイデオロギイでカヴアできるような小さいものとは見ません。それらのイデオロギイ自身がそれぞれ人生社会全部をカヴアできるのだといくら豪語しても、それがウソだと言うことを「感じ」ます。感じているからこそ、芸術家はどんなイデオローグにもなれないのです。そしてまた、そうであればこそ芸術家は人生社会をどこどこまでも発展させて無限の可能性へ向って歩いて行かせるキッカケになるところの「発見」や「発掘」をすることができるのです。ですから芸術家は本質においてイデオローグになれない「運命」を持っているのと同時に、イデオローグになってはならない「義務」を持っているのです。(きまりが悪いがチョット「歌わせて」ください。だって他に言いようが無いから)それは、人類に対する光栄ある義務です。私も及ばずながら、この義務を投げ捨てたくありません。また、これを保持することに大きな興味を持っています。ですから私はイデオローグになれないし、なりたくないのです。
A 芸術家はそれでよいかわかりませんが、芸術家でない人間は、すると、どういう事になりますか?
B すべての人が芸術家になればよろしい。また、現にすべての人が厚薄の差こそあれ、それぞれ、どうして芸術家で無いことがありましょう。その人が真人間ならばです。そうではありませんか、真人間なら、それぞれ何かを生み出しているではありませんか。ですから、私の「芸術家」は「真人間」のことなのです。ただ、代表的選手的に、世間で芸術と呼んでいる仕事にたずさわっている人間を特に芸術家と言う習慣があるから、そう言っているまでなんです。
A そうすると、真人間ならば、すべてイデオローグにはなれないと言う論理的結論が生まれて来ますね?
B そうです。やっとわかりましたね。そして注意して下さい。これはあなたが前に言った、あらゆる[#「あらゆる」は底本では「あらゆ」]共産主義者は百パーセントマルクシストでは無いと言うこととつながりのある論理的結論である点にです。ですから、実を言えば、五十五パーセントだけマルクシズムを是認している人なら、共産党に入ってしまってもいいじゃないかという考え方も成り立つわけですよ。だからまた、九十九パーセントだけマルクシズムを是認している人だって共産党に入らなくてもいいという考え方も成り立つんだ。どっちでもいいじゃないか。
A ムチャ言うな!
B ムチャじゃない。わからんかなあ、おれの言ってる事が。おまえさんもスナオに考えんかい。私の言っているのはね、入ってもよいし入らないでもよいけれど、五十五パーセントの人が後になって自分の内の残りの四十五パーセントからまた九十九パーセントの人が後になって残りの一パーセントから反ゼイされて、五十五パーセントや九十九パーセントがつつきくずされてしまったり、そのために自分がひっくり返ってダラクしたりする恐れがあったりハッキリわかっていたりしていたら、入らん方がよいと言っている。それは自分のためであると共に共産党のためだろう。そして私の場合はハッキリそれがわかっているから入らんのだ。わからんか、まだ?
A わかったような、わからんようなもんだな。とにかく、あなたは少し神がかりじみている。芸術家というものは、いくらかずつ「教祖」じみているんですかね?
B えらい、それがわかったですね。たしかに教祖じみています。だから、あらゆる教祖の持っている長所と短所を持っているらしい。
A だけどソビエトロシアには教祖じみた芸術家はいませんね。それから日本の左翼作家たちも、たいがい、そうじゃない。どう思います、その点は?
B そりゃ、あたりまえでさあ。マルクスと言う教祖が一人いるんだもの。教祖が幾人も出来たら、そちらで困るだろうから、そんな奴の存在は許せないわけでしょう。
A しかし、あなたの考えでは、芸術および芸術家というものは、多かれ少なかれ、つまりが、教祖的な本質を持っていると言うのでしょう? すると、ソビエトの芸術家や日本の左翼作家は、芸術家としての本質をホンの稀薄にしか持っていないと言うわけ?
B いやそうじゃないですよ。それはこうです。芸術や芸術家は、いつでも、どこででも、政治やイデオロギイよりも差し当りは弱いのです。政治やイデオロギイは、つまり現実関係を要約したものだから、言わば鉄の棒のように強い。芸術や芸術家は、流れる水のように弱い。鉄の棒で、流れる水をなぐりつけると、水は割れたり飛び散ったりします。そういう関係です。それゆえにまた、鉄の棒が叩き割ることの出来ない大岩を、水がいつの間にか溶かし流すように、芸術と芸術家は政治およびイデオロギイが成し得ない事を成しとげる事がある――と言ったふうに実は強いのだが――差し当りの現実の中では弱いんですよ。特に現在までのソビエトロシアのように一つのイデオロギイが絶対力として支配しているところでは、弱いのです。また、或る意味で、弱いことが必要でもあるわけだ。だから見てごらんなさい、ソビエトロシヤでは、革命以来、オリジナルな芸術家たちは、ほとんどすべて、そのオリジナリティの多少に応じて、中途でツマづいています。ソビエト政治体制という鉄棒に。それはその当人のイデオロギイ的未進化や逸脱のためもあるが、必ずしもそれだけであるとは私は見ない。彼の芸術および芸術家としての本質が、いやおうなしに彼を駆って、ツマづかせるのだと思います。或る者はそのために自殺した。或る者はソビエトにあやまって、「出直し」て、それまでよりもポスタア的な芸術を作りはじめた。或る者は、最初からポスタア的な芸術だけが芸術だと「訓育」されているから、いわば最初から芸術家としては骨抜きになっています。これはソビエトロシヤだけで無く、政治というものが一つの論理的なシステムや主義でもって強力に一方的に行われるところではどこでもいつでも、そうなのです。(ナチス治下のドイツもその一例であった。)それから、日本の左翼作家たちは、それぞれ自ら、マルクシズムからの適用である社会主義的リアリズムだとか唯物弁証法的創作方法だとかで自分たちを縛り上げています。もちろん、当人たち自身は「武装」しているつもりだ。武装は常に「縛り上げ」ですからね。徳永直さんなどの小説が、部分々々は良い場合にも、全体としては、公式やポスタアを見るようにツマラなく、タイクツであるのも、そのためではないかと思います。また、中野重治さんなどが、なかなか小説が書けないのも、実はそのためではないでしょうかね。なぜなら、この中野さんという男は一種すぐれた芸術的神経を持った男のように私には見える。だから、現在みたいな政治およびイデオロギイとの関係に自分を置いとくと、芸術家中野は苦しくてたまらんのじゃないだろうかと思われるのです。そして、それは、今言ったような原因からだと思われます。それからまた、宮本百合子さんの小説がみんな、かなり上手な「タカラさがし」みたいな組立てになっていて、そのタカラさがしの手やタカラの在り場所を知らない物や気づかない間は相当におもしろいが、それらを知ってしまうと、おもしろく無くなってしまうのも、そのためのような気がします。タカラさがしの手やタカラの在り場所と私が言うのは、もちろん、唯物弁証法的創作方法や社会主義的リアリズムのことです。それから、その他のたいがいの左翼作家や左翼詩人や左翼評論家の作品が、唯単に一つの公式をいろいろにちがった人間や事件や事物に適用してみたに過ぎないと言ったふうの安易さと単調さとタイクツさを持っているのもそのせいのようですし、また、若い勤労者が自然発生的に非常にすぐれた作品を生んでも、それがいったん左翼的な文学グループに呑みこまれて意識的に左翼的な作品を書きはじめるとトタンに生長が停止してしまう事実もそれのようですし、また、比較的若い世代の共産党員の作家などが、「政治活動や経済闘争をやる時は共産党で、作家活動をするときはナンデモナイ――つまり非共産党でやる」と思ったり言ったり実行したりしているのも、そのせいのように私には思われるのです。
A わかりました。現象としては、あなたの言うような事が或る程度まで、たしかに在ることを私も認めます。しかしそれの論理づけについては、にわかにあなたにサンセイできない。とにかく、あなたの気質とそれから物の考え方は、実に根深いところの左翼に対する反感に出発しているようですねえ。
B そうでしょうか。しかし、一体全体、私が左翼に反感を抱かなければならぬどんな必然性や必要や利益が私に有るのでしょうか? それらは私に無いです。むしろ好感を持つ必要性や必要や利益の方が多いのではないかと自分では思っています。いずれにしろ、反感を抱いたから、抱いているから、こんなふうに見るのでは無いという事だけは私は確信をもって言えるんです。むしろ逆だと自分では思っています。即ち、私はたいへん微力ながら三十年近く私なりの芸術を生み出す仕事を勉強して来ました。その結果、こう考えざるを得なくなったのです。つまり私の芸術への努力が、結果として、政治およびイデオロギイと芸術および芸術家の関係について以上のように考えざるを得なくさせたのですよ。だから、私としては、自己の気質や性格などを別にすれば、芸術自体の本質の中に現実的政治およびイデオロギイとは差し当り反撥したり離反したりする必然性があるのだと思わざるを得ないわけです。そして前にも言ったように、実はそれ故にこそ、芸術は政治やイデオロギイを批判したり矯正したり鼓舞したりするエネルギイを自己の内に保持することが出来るのだ。だからこそ、芸術は短い期間の政治にとってはマイナスとして作用することがあっても、長い期間にわたってのもっと大きな意味での政治(=人間が集団をなして生活して行くためのメトーデの全部と言うことと同義に理解される政治)に対しては他のものがなし得ないような独特の貴重な奉仕をすることが出来るのだと思うのです。
A しかし政治は常に生ける今日のものですよ。そして将来の政治も今日の政治から切断されて、それと無縁のものとしては在り得ません。それが在り得るように空想して、それに対して奉仕するのだと言う美辞麗句に酔うことによって、現に今あなたがその中に生きている現実政治の可能な進歩を引きもどそうとあなたはしている。すくなくとも、現実政治をサボって、うっちゃりっぱなしにして置こうとしている。それは一言に言って保守的反動的ですよ。
B そら、出た!
A なんですか?
B いえ、今にあなたがそう言うだろうと思っていたのです。そうです。もしそれがそうならば、私は保守反動でしょう。しかし私はそうは思いませんね。むしろ芸術が政治的であるためのホントのありかたは、私のような考え方からしか出て来ません。だから現実政治の可能な進歩を引きもどそうとしているのでもサボッてうっちゃりっぱなしにして置こうとしているのでも無いと思います。もちろん、その時々の一党や一派にとっては、そうなるかも知れませんがね。そして、あなたは共産党員だから、あなたにとっては、そういう事になるでしょう。しかし私は共産党員ではありませんから、私にとってはそうはならないのです。しかし多勢に無勢でケンカにはならんです。言いたければ保守反動と言いなさい。しかしホントは私は保守でも反動でもありませんね、一党一派の進歩の味方ではないかも知れないが、人間の進歩の味方ですからね。
A すると、あなたは、何主義者です?
B 何主義でもありません。ただの人間です。真の人間――つまりホントに善良で公平で正直な人間になりたいと思っているものです。しいて名をつければ、一人の弱い人道主義者とでも言うべきかな。
A や、どうも、遂に脈は無いなあ。
B そう、遂に脈は無いようだなあ。あなたにはムダ足をさせてすみませんでした。でも念のために言っときますが、私は共産党には入りませんが、同時に保守党や反動派にも入りません。どっちにも、なれないのです。そのわけは、今まで言ったことで、わかってもらえたろうと思います。どうぞご安心ください。あなたのご友情にはお礼を言います。そのうち、あらためて、私自身の持っているヒューマニズムについての積極的な意見を聞いていただきましょう。
A さようなら。
B はい、さようなら。
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ジャナリストへの手紙



私の知っている数人のジャナリストたちへ出す手紙のいくつかを此処に並べて、ジャナリズムとそのぐるりの問題の二、三について語ってみたい。それぞれの手紙は全文ではない。また、それぞれ違った場合とちがった気分のもとに書かれたものであるため、全体として調子に統一がとれていない。

1 反省について――ある綜合雑誌の編集者へ

 Aさん――
 このあいだお目にかかった時に、あなたは作家Y君のことをほめていられました。「作品はどうも全幅的には感心できない。しかしY君の自己反省力の強さの中に現われている誠実さを自分は認める」と言われました。そして最近あなたがY君に会われた時のことを語られました。それによると、彼が三、四カ月前に発表した作品をジャナリストたちや批評家たちが、ほとんど異口同音にほめた事をあなたは知っていたので「おめでとう、よかったですね」と言ったら、Y君は恥じ入るようなまた気持の悪るそうな顔をして「いえ、あんなにほめられるのは、まちがいです。あの作品は良くない作品です。私自身あの作品は全くいやになっていて、読み返して見るのも不快です。もうあんな風な作品は書きませんと言ったそうですね。その時のY君の表情や言葉つきは、ほめられたためのテレかくしのために不快をよそおったり、クソ謙遜しているような所は微塵もなく、心から自作を否定して恥じ入っていたそうですね。あなたの観察は正しいと思います。Y君には私も数回会っており、彼が正直な人間で、テラウ気持や気取る習慣やクソ謙遜をして見せる悪趣味など、ほとんど持っていない事を私は知っているのです。
 そして、あなたはその事を「自分が三、四カ月前に発表した作品、しかも世評の多くが口をそろえてほめている作品について、自らあそこまで冷酷に自己批判して、あれほど根本的に否定し得る自己反省力」と言われました。その事を私は今考えているのです。もちろん、あなたの言葉そのものに、こだわろうとしているのではありません。また、もちろん、Y君のあの作品についての批評をしようと言うのでも、それについての以上のようなY君の態度を論評しようと言うのでもありません。と言うのは、私はかねてY君を良い作家だと思い、それが作品を発表して世評が良いと言うことを、よろこんでいる人間なのですから。ですから今私が考えている事は、ちょうど逆の理由から生まれて来たのです。Y君が自作への世評の良いことをそのまま喜んでいるならば、私はこんなことを考えて見る必要はなかったでしょう。つまり、彼があなたに向って自作を否定して見せたのが、実は内心で喜んでいる事を、あなたにかくすためのテライや気取りやクソ謙遜やハニカミの芝居だったのなら、むしろ私はその話を微笑して聞き流すことが出来たろうと思うのです。それがそうでなく、Y君の自己否定が真実であることを信じれば信じるほど、私は考え込まざるを得なかったのです。
 それは、われわれ近代インテリゲンチャの自己反省のことです。それと、われわれ自身の主体ないし自立との関係のことです。
 一般に自己反省や反省力は、人間を向上させ進歩させるための貴重な精神作用だと言われます。そして人間が向上し進歩するという事は、人間がそれ自体として豊富になり充実してより完全なものに近づくことであると共に、その人間が周囲との関係においてより自然な、より高い調和と連帯性を身につけるということだろうと思います。これを一言に言えば、より強くなるということではないでしょうか。
 Y君は、彼の自己反省の中で、より強くなったでしょうか? いえ、彼はかえって弱くなってしまったように見えます。いや、単に弱くなっただけでなく、一種の腰抜けになったように見えるのです。自分が最善をつくして創りあげた物を、それから三、四カ月が経ったばかりなのに、それほど根本的に否定しなければならぬと言うのは、どういう事でしょう? 彼は作品を書く時に「あり得る」あらゆる事を考えたり見きわめたりしなかったでしょうか? どんな偉い人にもある、またどんなに注意しても避けることのできないところの盲点ということを計算に入れても、盲点による見落しは大体において部分的または第二次的なものであるのが普通であって、それほど根本的徹底的な否定を引きおこさなければならぬ理由になることは、ほとんどないのではないでしょうか? ですから、三、四カ月後になってそれほど根本的徹底的に否定しなければならぬような作品を、三、四カ月前になぜ書いたのか、どうして書けたのか、とも言えます。そんなものを書くのは、作家としてまちがいではないかという気がするのです。作家も社会的に存在しているのですから、社会的な責任は負わなければならないのですが、その責任をY君は自分勝手に逃げているようにも思われるのです。つまり極端に言えば「そんな物をドダイなんで書いて発表した?」と言われても、しかたがないのではないでしょうか? そして、三カ月前に自分のした認識や評価(=創作活動)を現在これほど完全にデングリ返すことの出来る人は、同時に現在の彼の認識や評価を又々三、四カ月後には完全にデングリ返し得る人ではないでしょうか? そして、そのような行き方が習慣化してしまったとしたならば、その当人もその人を眺めているわれわれも共に、拠るべき所を全く失ってしまって、認識や評価の不能状態に陥るのではないかと思われます。
 Y君の自己批判や反省力と見えているものは、実は錯乱またはヒステリイではないでしょうか? でなければ、軽卒いな浮薄ではないでしょうか? すくなくとも、そのようなものを非常に多く含んでいるように思われます。そこからは、頼りになるものや持ちの良いものや堅実なものや――つまり「腹のたしになるもの」は何一つ生まれて来そうにありません。重大なことは、われわれ日本のインテリゲンチャが一般に、今になっても未だ、このようなエセ自己批判癖やエセ反省力を非常に豊富に持っており、かつ、それを何かすぐれたもののように考えているという事です。私自身にも、まだそれがいくらかあります。あなたにさえも、それがあるようです。気をつけようではありませんか。なぜなら、われわれ日本のインテリゲンチャを「青白く」なしてしまい、堅実な実行力や持続力を奪ってしまったのは、これだからです。今後とても、われわれを、あらゆる現実の状態に向ってインポテントになしてしまう可能性のあるのはこれだからです。
 ホントの自己批判や反省は貴いものです。貴いものは、貴く扱わなければなりません。それをするに当って、われわれは誠実と真剣と責任の全部を叩きこんでするべきではないでしょうか。そうしてこそ、それは自己批判や反省という名に値いし、われわれを向上させ進歩させ、つまりより強くしてくれるでしょう。もしそうでなく、一日に八十回ほどもザンゲしつつ同時に一日に八十一回づつの罪(ザンゲの種)を犯す習慣を持った「ザンゲ病患者」のように、われわれがいとも手軽に自己批判したり反省したり、また、手軽に自己批判や反省できる事を見越して薄っぺらな腹のすわらない事を行ないつづけるならば、われわれは自分の幸福を遂に樹立し得ないだけでなく、全体をも混乱と不幸に陥れることになるでしょう。過去十年間ぐらいを取ってみても、われわれはなんと手軽に、そしてなんと度々「ザンゲ」したり「ミソギ」したり「転向」したり「転々向」したり「転々々向」したりしたことでしょう。その結果、今われわれ全体としては錯乱状態の不幸の中に落ちています。もう此処らで、よいかげんに気がついて、そんなバカな事をしなくなり、すこしはマトモに幸福になってもよい時です。それに、早くそうするように心がけないと今後もし万一にも戦争や革命といったふうの、暴力や絶対主義などが支配するような時が来でもすると、またぞろ、われわれの間に「自己批判」や「反省」が起きて転々々々向しなければならなくなり、遂にほとんど救いがたい錯乱とコントンの中にわれわれ全体を突き落す恐れがなくはないのですから、なおさらです。
 そして、私が特にあなたにあてて此のことを書くのは、現在のジャナリズムの中に――雑誌や新聞の編集のしかたや、編集者たちの性質や、執筆者たちの顔ぶれや、書かれた記事や論文の内容などに――吹けば飛ぶような「転向病」や、われわれを腰抜けにしてしまうところの中途半端の「良心」や「善意」や日和見主義などが、自己批判や反省という名の下に流行しており、かつ、それをひどく良い事のように思う感傷主義もまた流行しているからです。それだけのためです。あなたやY君を傷つけたい気持など私に露ほどもないことを、どうか信じてください。
 われわれは、もう、軽々しくは自己批判したり反省したりしないようにしようではありませんか。つまり、なるべく自己批判したり反省したりしないでもよいように一貫して誠実に、全身的に真剣に、事をしようではありませんか。しかし自己批判や反省をしなければならないとなったら、勇気と責任の全部を賭してそれをなし、以後同じような誤りや過ちを犯さない覚悟でしようではありませんか。そうであってこそ、われわれは幸福な真人間になることができると私は思います。いかがでしょうか?

2 論文について――ある綜合雑誌の編集者へ

 Bさん――
 あなたの雑誌に限らず、ちかごろの諸雑誌の論文類、ことに巻頭論文などを私はメッタに読みません。読んでもわからないし、時間がつぶれるだけで何の役にも立たないことが多いので。
 いつかお目にかかった時に「あなたは読みますか?」とおたずねしたら、あなたは「いや、たいがい読みませんね」と答えられました。「すると購読者は読んでいるのでしょうか?」と私が言うと、「わが社の調査によると、百人中九十五人ぐらいは読んでいないらしい」と言われました。「そうすると、たしかに読んでいる人がどれくらいいるのでしょうか? いるならばそれはどんな人でしょう?」と私が問うと「たしかに読んでいる人が一人だけはいます。それは、その論文の筆者ですね」と答えられました。答えながら、あなたは実に完全に平静に落ちついていられました。かえって私の方が胸がドギドギした位でした。「ほとんどの人が読まないとわかっている文章に金を払ったり、それでもって巻頭を飾ったりしながら、それほど落ちついていられるのは、なかなか勇気の要る事です」と私がほめると、あなたは、はじめて我が意を得たりといったようにニヤリとして「そうです、私には勇気があります。オカシラつきの魚を持ち出して来る料理人と同じ勇気がね。カシラが食えないのは、先さまも手前たちも承知なのですよ。しかしとにかく綜合雑誌はオカシラつきの魚料理ですからねえ、なにはともあれオカシラのついている料理を好む購読者がたくさんいる限り、私の勇気も必要です」
私「でも、あなた自身が言われたように、それを読む人はごくすくないのですから、オカシラつき料理を好む人がたくさんいるというのは、あなたの幻想ではないでしょうか?」
あなた「たしかに幻想です。そしてあらゆる事に幻想は必要なんです。幻想が無いならば私たちは、なんにも出来なくなるでしょう。しかしまたこれは或る程度まで幻想ではありません。なぜならば、あなたの言うように『読』者がごく僅かしかいないのは事実ですが『購』者は相当たくさんおりますからね。だから私の方としてはチットも困りはしないのですよ」
私「しかしムダな事ですねえ。筆者たちの論文執筆に要する力を他のもっと有用な仕事に向け、論文の印刷してある紙を、たとえば学校の教科書などに使った方がよいと思いますがねえ」
あなた「ムダでは決してありませんよ。筆者たちは論文執筆で原稿料をかせいでいるじゃありませんか。それに、それを印刷した紙は、ピーナッツだとかアメだまなどを入れる袋として有効に使われているじゃありませんか。相変らずあなたは感傷的だなあ。第一、考えてもごらんなさいよ、頭のない魚を作ることが出来ますか? つまり巻頭の無い雑誌を作ることがどうして出来ます?」
 かくて、あなたと私の掛合漫才じみた会話は、私が言い負かされることで終ったのですがいまだに私はシャクゼンとしません。
 感傷的であるかも知れませんけれど、やっぱり私は、むやみとむずかしくわかりにくい論文などを書いて発表したり、またその発表と流布を手伝ったりする仕事は、たとえばむやみと酒に酔って人の足を踏んづけたり、人の頭をなぐりつけて持物をかっぱらったりする事と似た社会的な悪事のような気がします。「不当にわかりにくい文章を書いて発表する者は、つかまえて牢屋に入れた方がよい」とトルストイが言っていますが、日本でも早く法律でも作ってそうしたらよいと私は思います。そうすれば、さしあたり、文部省にある国語や国字を整理するための委員会と、現在の保守党政権のために非常に役立つだろうと思います。なぜなら、国語や国字がむやみにわかりにくく複雑になっているについては、この種の論文類があずかって力があるのだから、それを禁止すれば国語調査委員会の仕事はズットやりやすくなるでしょう。それから、保守党政権ではなんとかして急進派の勢力を衰えさせたいと思っていながら正面切ってダンアツすると世論がうるさいので困っているようであり、ところで、各雑誌にむずかしい巻頭論文などを執筆している者の大半が急進的な人なのですから、それを「難解文章執筆罪」と言ったような罪名で牢屋に入れることが出来れば、世論を刺戟しないで急進派の力をそぐ事が出来るでしょう。いかがでしょうか?
 いや、又々、あなたから無邪気な感傷だと笑われそうですね。

3 演劇雑誌について――ある演劇雑誌の編集者へ

 Cさん――
 いつも私は、御誌をはじめ五、六の演劇雑誌を寄贈していただき拝読していますが、みなそれぞれに骨の折れた編集がしてあり、内容の諸作品も諸論文もたんねんに書かれたものが多いので感心しています。編集者も執筆者も大変だろうなと思うのです。
 ところで、それと同時に、感じますことは――戯曲作品のことは別にして――ホントは問題にもなんにもならぬ事が、やたらに事々しく扱われ論じられているような気がするのです。ですから、その扱い方や論じる態度などがシカツメらしくマジメであればある程、白々しく眠たげに感じられ、時に背中から冷汗が出るほどミジメな気持がします。
 シェキスピアやモリエールやゴーゴリやボーマルセなどの戯曲を二つか三つ、それもほとんど茶番狂言でもやるのと同じ位の条件と準備とでもって上演する劇団があると、たちまち演劇雑誌にシェキスピアやモリエールやゴーゴリやボーマルセをひと呑みにしたような「堂々たる」論文などを書く人間が現われます。イプセンやチェホフの作品を勇壮な劇団と演出者と俳優たちが実質十日位のケイコで上演すると、これまた、たちまちイプセンとチェホフについての「ガイハクなる」論文が諸演劇雑誌をにぎわせます。かと思うと、芝居をはじめてから五年半ばかりになった「俳優」がスタニスラフスキイ的芸術方法を論じてそれを「批判克服」してみたり、一年平均二回ばかり全く無方針にケイレン的にトギレトギレにディレッタント風の悪習慣として十五年間芝居をして来た俳優が、芝居の神様が言うような「演技論」を発表したりします。かと思うと、女を裸にしてひっぱたくのがトリエのエロ芝居がすこしヒットしたり、キチガイやインバイなどの出て来る戯曲が一つ二つ現われると、たちまち、「マジメに」実存主義について論じた文章が流行したり、また、勤労者が働きつつコツコツと戯曲を書いてどこかに発表したりすると、これまた、たちまち「社会主義的リアリズム的創作方法万々歳」と言ったふうの評論が現われたりする。と忽ち当の勤労作者がカーッとばかりにのぼせあがって劇作家たちの立ちおくれについてまくし立てたりします。かと思うと、現代劇の公演が全く採算が取れなくなっている状態やその理由や原因などの究明や解決法などを一切タナに置いて、或る興行資本家が小さな腐った小屋を一軒だけ当てがってくれるとカッとなってしまい、その小屋の運営についてまるでブロウドウェイの大プロデュサアのようにハタシまなこで論じた論文が現われたり――まだウンとありますが、一々書くのがメンドウくさくなりました。
 それらの一つ一つが悪いと言うのではありません。それらはみんな、なにがしかのタメにはなっています。ただ、すべてがチンコロ的に見えるのです。チンコロが寄り合って、みんなむやみとマジメで大ゲサナ心もちと顔つきをして哲学か何かを論じていると言った風景がもしあるならば、これに似ているのではないかと思われます。もちろん、私もチンコロの一匹かも知れません。チンコロの中でも一番小さい一番キリョウの悪い一匹かも知れません。私がこれらの風景を眺めて、ただゲラゲラと笑い飛ばしてしまえないで、背なかに冷汗を流したりするのは、そのせいかも知れませんね。
 チンコロたちは、世界の広さを知らな過ぎます。現代の深さに不感症であり過ぎます。今、世界のインテリゼンスが問題にしている問題を、演劇の部面から取り上げて考えて見ようとするような論文ひとつ、そこには現われていません。また、現代がそのために力闘している中心的な課題に向って演劇の光線を当てて眺めようとするようなエッセイの半かけらも、そこには現われていないのです。ウソだと思われたら十年前十五年前の演劇雑誌を引っぱり出してくらべてごらんなさい。ほとんど同じなのです。中にはそういう点で退歩している現象もあります。またウソだと思ったら、現代において最も代表的に高度に強烈に生きている各界の人々に今の演劇雑誌を読ませてごらんなさい。すべてが三分もしないうちにタイクツして雑誌を投げ出してしまうでしょう。
 それほど世界から切り離され、時代から浮きあがってしまったのです。その切り離され浮きあがってしまったところで、そしてそのところだけでしか通用しない物々しいやり方で、いろんな事が論議されています。したがって、その論議から得られたいろいろの結論も他へ伝わったり作用したりする事はほとんどなく、ただ書かれ印刷されチラクラとただ過ぎ去って行くだけです。
 演劇雑誌の一つを編集なさっているあなたに向って、このような事を言うのは、非礼である以上に残酷なことだと思います。怒られてもしかたの無いことです。ただ私はあなたがたの努力を、なるべくムダにしたくないだけなのです。あなたがたは、時に御自分の仕事に空虚や憂ウツやタイクツを感じられないのでしょうか? そして、それが、われわれの演劇からも演劇雑誌からも、何か一番大事なものが失われてしまっているためではないかと考えられた事は無いでしょうか。たしかに、それは失われています。私はそう思います。それをわれわれは手に入れなければ、とてももう、やって行けないでしょう。そして、それを手に入れるためには、あなたや私――われわれに共通したものとして、先ずこの大きな喪失が痛感されることが必要だと思ったのです。

4 平和運動について――ある評論雑誌の編集者へ

 Dさん――
 ちかごろの綜合雑誌や評論雑誌に、戦争防止、世界平和運動についての文章の三つや四つ現われていない月はありません。あなたの雑誌にもほとんど毎号一篇はそれに関係のある論文や報告がのっています。一般の知識人やジャナリストたちがその目的のために作りあげた団体や組織も一つや二つではないようだし、既成の文化団体でも盛んに同じ課題をとりあげつつあります。私自身もそれらの運動の二、三につながっています。
 これは当然以上に当然のことでありますし、言うまでもなく、たいそう望ましいことです。それに異論のあろう筈はありません。この運動は今後もっといろいろの角度から、もっといろいろの部面へ向って拡げられ深められて行かなければならぬと思います。
 しかしそれとは別に(いや、それだから尚さらと言うのがホントかも知れません)、私は時々ヘンな気持になることがあるのです。これは或いは特に私だけかも知れません。と言いますのは、先日私はこの事を二、三のすぐれた知識人たちに向って持ち出してみたのですが、その人たちは私の言うことを遂に理解してくれず、ただヘンな顔をしたり困った顔をしていただけでした。私はますます妙な気がしました。そして結局これは自分の頭が悪くて、人には自明のこととしてわかっている事が自分だけにはわからないためかとも思いました。しかしとにかくわからないのは困りますし、それに世間には私の頭のような悪い頭もあるかも知れないと思われますから、それを話し出してみる気になったのです。
 それはどんな事かと言いますと、あなたも御存じのように、ジャナリズムの上やいろんな文化運動で書かれ言われているのは、その方法や手段はいろいろに違いますけれど、要するに「戦争はよしましょう」の一語につきています。中には戦争が起きないようにするために、これこれの国際機関を作れとか、これこれの運動に参加しようとか、これこれの主義を実行しようとか言ったような具体案を提出している向きもありますが、それらとてもよく観察してみると、実質的にやっぱり「戦争はよしましょう」の一語の域を出ていません。もちろん、この一語は貴重な一語であって、なんどくりかえされてもよいものですから、その事に異論をとなえる気がありよう筈がありません。しかし今どきこのスロオガンに反対な人がいるでしょうか? 戦争にはほとんどすべての人がこりているのです。なるほど或る人の調査によると、日本民衆の中に或るパアセンテイジで戦争を待ち望む気持を持った人々がいるそうですが――そして私もその事実を多少知っていますが――しかし、その調査でも明らかにされているように、そのパアセンテイジは低いし、また、それらの気持は現在の世界や国内の政治不安や生活の見通しの行詰りなどからの自暴的な脱出の手段として「戦争でもまた起きたら、なんとかなるかも知れない」と言ったふうのものです。不安定からの脱出に他の方法が見つかれば、ひとりでに解消するものです。ですからホントの意味の戦争待望とはいえないと思います。他は皆、戦争を嫌い恐れ避けたい気持を持っています。「戦争をやりましょう」と思ったり言ったりしている人がほとんどいない時に「戦争はよしましょう」というスロウガンは、スロウガンとしての意味をなさないのではないでしょうか? すくなくとも、ホントのスロウガンは、この程度のところに止まっていてはいけないのではないでしょうか?
 考えなければならぬ事は、現在は第二次世界戦争の直後ですから一般に戦争嫌悪の気持が盛んになっているのは当然ですが、しかしいつの時代にもどこででも人は一般に戦争を嫌って来ました。純粋な形で「戦争をやりましょう」と望む人間、「喧嘩が飯より好きな」人間は、メッタにいません。いればそれはアブノルマルな型にぞくします。たいがいの人間が本性において平和愛好者なのです。だのに、戦争は何度でもどこででも、はじまって来たのです。嫌っている喧嘩をツイやってしまうのです。ですから、「戦争はよしましょう」と絶えずお互いに言っている必要もあるわけですが、同時に、その程度の事を言っているだけでは実際の効果はないとも言えます。とくに現在はその程度のことを言うに止まっていてよい時ではないと思われます。希望を持ち合うことは大切ですが、その希望が決意に裏づけられないでよいものならば、誰でもどんな希望でも持ち得るわけで、それは単なる夢にしか過ぎないでしょう。必要なのは十だけの希望に十だけの決意が裏打ちされていることではないでしょうか。「戦争はよしましょう」と言う個人や団体などは、その言葉に相応するだけの決意を持っていなければならぬと私は考えます。私の疑問はそれに関してなのです。
 今まで私は、いよいよ戦争が起きそうになったら、また、戦争が起きてしまったら、自分はどうするか、自分の団体はどうなるかについてハッキリした意見を聞いたことがないのです。そのことなのです。現在「戦争はよしましょう」と言ったり、それにさんせいしたりする事ほどやさしいことはありますまい。しかし、起るかもしれない戦争に反対して、実際的に自分および自分のぞくしている団体の態度を決めて、それを公表公約することは、それほどやさしい事ではありません。しかしそれをわれわれは敢えてする必要と義務があるのではないでしょうか。これは世界のために役に立つだけでなく、われわれインテリゲンチャの属性である一般的な「非行動性」からの脱却にも役立つだろうと思うのです。また、終戦後われわれの間で問題になって、スコラ哲学風にガチャガチャと談じられただけで何が何だかハッキリしたものは生まれて来なかった「主体性の問題」も、実は、この辺から具体的な答えが出て来るのではないかと思いますが、いかがでしょう? 既にもう、「それについて、俺はどうするか? あなたはどうするか?」という形で問題にしてもよい時だし、そしてそうであってこそ道理にかなった答えが出て来るでしょうし、それらの答えが横にひろくつながって多くの人々が一致した場合に、はじめてわれわれはホントの希望を持つことが出来るのではないでしょうか?
 それを、私の知っている限り、誰もがあまりしていません。それがヘンに思われるのです。私の眼がとどかないのでしょうか? または私の頭が悪すぎて疑問に思う必要のないことを疑問にしているのでしょうか?
 もちろん、私自身においてはこれは既に問題ではありません。私の態度は既にハッキリしているのですから。私は今後戦争が起きそうになったら、また、起きてしまってからも、それに反対します。あらゆる戦争に対してです。誰がどんな理由でする戦争でもです。反対の手段にあらゆる暴力と武器を取りません。また、誰かが賞賛したりまた誰かがジャマしたりしたとしても、そのような事に関係なく、反対します。そのために仮りに何かの圧力が私の上に加えられることがあっても、その圧力がひどくなって私をして沈黙せざるを得なくさせるまで、つづけたいと思います。ほかの人はどうなのでしょうか? あなたはどうなんですか? それをハッキリしないで一般的に平和論議ばかりしていて、人々はどうしようと言うのでしょうか? 私の問いは愚問ですか?
 次ぎに、この事についての第二の疑問は、今平和運動に参加または主導している知識人の中に、非常に多くの共産主義者やそれらの支持者がいることは、あなたもご存じの通りです。ところで、共産主義というものは理論的にも実際的にも或る種の戦争を肯定する、すくなくとも、やむを得ないものとする主義なのです。その主義を信奉する人たちが、「戦争はよしましょう」というスロオガン――われわれの普通の常識ではそれは「あらゆる戦争をよしましょう」と取るのが一番妥当だし、現に一般がそう取っている。――の下で主導的に運動しているのは、私には矛盾かまたは虚偽のように思われるのです。
 それが「やむを得ない矛盾」――つまり人間として誠実に考えた結果として引き起きた矛盾――ならば、われわれはこれを深くとがめてはならないと思います。しかしその場合にも、当人がその矛盾の中のどの要素が自分の本心であるかを公に示してくれる必要と義務があります。それをしないで一方において共産主義者でありながら一方において「あらゆる戦争」に反対する平和運動に参加しているならば、仮りにそれがどんなに誠実な意図に発してなされているとしても、客観的に自他を深く毒し、平和運動全体を虚妄のものとして終らせる原因の一つになると思います。
 もしまた、虚偽であるならば――もちろん共産主義者自身は多分それを必要な現段階的戦術と見るでしょうから虚偽ではないと言うでしょうが、私はそんな複雑な言葉の使い方に馴れていませんから「自分がホントにそうしようと言う気が無いくせに、そうしようと言う」事の全部を虚偽とするのです――カンタンです。そんな虚偽ないし虚偽者を拒否しなければならぬでしょう。拒否することが出来なければ、われわれ自身の方で引きさがらなければならぬと思います。
 なぜなら、われわれが「あらゆる戦争」を防止するための平和運動だから[#「平和運動だから」は底本では「平和運運だから」]と思いこんでそれに参加してセッセと努力しているうちに、状勢が或る段階へ差しかかった最も重要な瞬間に、肩を並べて進んでいた主導者または同志(平和運動の)が出しぬけに「ある種の戦争」を肯定したり、場合によって運動全体をその戦争のどちら側かへ引っぱって行こうとしたりしたのでは、われわれ自身は、実にたまったものではないのですから。いくらなんでも、私はそんな殺生な煮湯は呑みたくないのです。この事なのです、私がヘンに思うのは、それを、あまり人が言っていませんし、書いてもいません。これは問題にもなんにもならぬ事がらだからでしょうか? やっぱり私の頭が悪いせいなのでしょうか?
 私の考えでは、これらの事は、わが国における文化的人民戦線樹立の失敗の原因や責任、および今後におけるその可能性や不可能性の考察へのモメントや材料を提供している事がらだと思いますが、その事はこの次ぎにお目にかかった時にでも申しあげます。
 以上のような事を私がなぜに特にあなたにあてて書いたかと申しますと、あなたが現在の代表的な評論雑誌の編集者であり、同時にあなた御自身一人の熱心な平和運動者であるからだけではありません。現在のジャナリストの中には、何か妙に思われるほどに多数の共産主義者や共産主義の支持者がおりますが(――その事自体は別に批難すべき事がらではないでしょうが)、それらのジャナリストの編集している諸雑誌が現在のところ戦争防止、平和運動の文書的展開の最重要な場所になっている現状の中で、先ずジャナリスト自身のこの問題についての態度や関係がどんなふうになっているかが重要の事だと思ったからです。
 雑誌や新聞は、古いタトエですけど、「社会の鏡」であり「社会の木タク」であるにちがいありません。鏡や木タクには、何よりも先ず正直であることが要求されてもよいと思います。現在のジャナリストたちは「腹芸」を演じすぎます。マキァヴェリズムが多過ぎると思うのです。実は共産主義ないし共産党の基本線にそって編集されている雑誌が、表向きはそうでないようなフリをして見せたり、「共産革命政府」と言えばハッキリするところを「人民民主政府」と言ったふうのまぎらわしい言葉を使ったりする理由が、「腹芸」やマキァヴェリズム以外のものとしては、私にはわからないのです。正直に言ってくれる方が、自他ともに一番便利だし、そうしてくれても何の故障も起きないと思うのですけど。とにかく、ジャナリストが現在のようだと、私などの頭はますます混乱して悪くなるばかりのようです。

5 大衆作家について――ある文芸雑誌の編集者へ

 Eさん――
 あなたは、大仏次郎の小説をお読みになることがありますか? また、長谷川伸の最近の小説を読まれますか? 吉井勇の小説は? 久生十蘭の小説は? 獅子文六の小説は?
 もし読んでいられたら、それらについてどう思われますか?
 それから、あなたの雑誌にあなたがいつものせていられる「純文芸」作家たちの小説と、これらの「大衆」作家たちの作品とを較べて考えられたことがあるでしょうか?
 これらの作家たちの全部が非常に良い作家であると言うのは当らないと思います。また、私自身がこれら全部を必ずしも好きではありません。しかし正直に、そして自由に、文壇常識の色眼鏡や伝説などにとらわれないで見れば、これらの作家たちが、或る種の「純文芸」作家たちよりもズットすぐれた作家であることを認めないわけに行かないのです。たとえば、井上友一郎などの小説よりも大仏次郎の小説は現代の「真」に近い。眼がオトナです。文章のキタエも本格だ。そして、おもしろい。また、たとえば、ここ四、五年来の長谷川伸の書くものが、里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)のものや永井荷風のものよりそれほど劣っているとは思いません。時によって、人間観照の眼のエイリさと広さにおいて里見や永井を越えていることがあります。また、吉井勇の小説は、その世界が狭く、かつ、古めかしいエスプリ一本のものですが、そのことを別にすれば、たとえば丹羽文雄や北条誠の小説などよりもズット[#「ズット」は底本では「ズツト」]世態人情の真に近く、本式の芸術的鍛錬を経たものです。また、久生十蘭の偏奇は時に鼻に来るにしても、とにかく本物であって、田村泰次郎や三島由紀夫などよりは金がかかっています。また、獅子文六の小説の前に石川達三の小説を持って行けば、錬達の点でも面白さの点でも、大人の前に小学生をつれて行ったようなものだと思うのです。そのほかにも「純文芸」作家よりもすぐれた「大衆」作家はおります。
 私には、こう思われるのです。ですから、あなたがたが、あなたがたの雑誌で右にあげたような「純文芸」作家の作品ばかりに場面をあたえられて、「大衆」作家たちの作をのせようとなさらない事の理由が私にわかりません。この点では、あなたがたはただ「文壇」という特殊部落的なセクショナリズムの悪習慣悪伝説になずみ過ぎて、ただ反射的無意識的に編集活動をなすっているのではないかと思います。それはあなたがた御自身として、雑誌編集という文化的に貴重な仕事をムダに喜びなくなさる事になっているのと同時に、この国の文学、文学界に不自由に強直した封建的なワクやラチや党派や閥などの横行を激励なさる事になっています。さらに、その事から、この国の文化世界を「インテリ」と「大衆」とのまっ二つに分裂させることによって、この国そのもののイノチを衰弱させる仕事を推進なさっている事になります。
 お互いにもう、自分の眼の中からウツバリを取りのけて、物事をあるがままに見ることが出来るぐらいには、なってもよくはないでしょうか。また、私人として自分が是認したものを、公人として押し出して行くのをはばからない位の勇気を持ってもよい時分ではないでしょうか。つまり、あなたがたは、あなたがた御自身の見識を持ち、そしてそれに依って編集をなさってもよい時だと思うのです。そして、時によって大仏次郎や長谷川伸の小説があなたがたの雑誌の巻頭にのるようなことになって、はじめて私たちは自由に呼吸することが出来、正直に各作家を評価することが出来るだろうと思います。
 こんな事を私が言うと、右にあげたような「大衆」作家たちはみんなオトナであって、満足して「大衆」小説を書いている人たちですから、「今さらいらざる事を言う」と言って笑うかもしれません。中には怒ったり軽蔑したりする人もあるかも知れないとも思われます。私から言いますと、そんな事は大した問題ではありません。そんな事は、みんなこの人たちが幾分かずつソフィストケイトしてしまっているからであって、そしてそのソフィストケイション[#「ソフィストケイション」は底本では「ソフィストケィション」]そのものがこれまでの文壇的セクショナリズムの害悪の結果の一つなのですから。勝手に笑ったり怒ったり軽蔑させておけばよろしい。必要なことは、当人が何と言おうと、物と人とが道理にかなって在るべき所に置かれるという事なのです。
 言うまでもなく、右の「大衆」作家たちが或る種の「純文学」作家たちよりもすぐれていると言う事と、その一人々々の「大衆」作家自身がそれ自体としていろいろの弱点を持っている事とは、別の事がらであります。その弱点に対してまで私どもが「これは大衆文学だから」と言うようなハンデキャップをつけて寛大であるならば、それは私たちの感傷だと思います。現に大仏や長谷川をはじめ、これらの作家たちが、そのソフィストケイションの中で、ほとんど無意識抵抗の形に陥っているところの一般文芸に対する「白眼」的無関心は、結局はまちがった「自己卑下」と名人気質的ゴウマンとの混合物であって、作家というものが当然に持っている持たなければならぬ謙虚や自信から逸脱してしまったものです。そしてそのために、彼等の作品活動の全部にわたって釘が一、二本たりないような結果や、押しがすこし不足しているような結果が引き起きています。その点をもうすこし具体的に例示すれば尚よくわかっていただけると思いますが、今日は長くなりますから、それをしませんが、これを要するに、彼等から、「大衆」という冠詞を取り去るだけの自由な公明さを持つと同時に、その冠詞のために起きていた彼等自身の「戯作者」風の口実の一切を一蹴して、どんな種類のハンディキャップも存在しない文芸の競技場へ引っぱり出して来るだけの無慈悲さを持つという事は、私どもにとって大至急に必要な事だと思います。
 あなたのお考えは、いかがでしょうか?
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恐ろしい陥没――批評と批評家について


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 Kさん――
 今年になって私は、戯曲や小説などを書くスキを縫って、雑誌「群像」にエッセイを七カ月つづけて書きました。その中でだいぶ人の悪口も言いました。われながら趣味の良いものではありませんし、また、そんな事を言いちらせば、結局は損をするのは自分だという事を知った上で言うのですから、あまり賢いとも言えません。それらを別にしても、作品を書くことを主とする作家が、他を批評する――特に私がしたように、作家たちの実名をあげてその作品や傾向をムキツケに論評することは、好ましいことではないようです。なぜなら、その文章の中で他人のことを刺せば刺すほど、それはさらに複雑深刻な形で自分自身を刺してくるのです。専門の批評家にはそのような事はないのではないでしょうか。どんなふうに他人のことを論評しても、自分がキズつくという事はないらしい。至極安全なワンサイドゲームで、どんな熱でも吹けるようです。一般に作家の書く批評文が往々にして専門批評家の批評文よりも中途半端で妥協的でウジウジしたものになる理由はそのへんにあると思います。それだけにまた、専門批評家が十だけの事を言っている時に、作家の批評が五か三だけしか言っていない場合でも、実質的には、作家の批評の方が二倍三倍も重い。必ずしも、すぐれているとは言いません。しかし重いとは言えると思うのです。その批評の中にこめられた力の量がズットズット大きいのです。
 そういう事を私は学びました。チョットした事を言うのに、実に非常な努力が必要になるのです。そして言い出した批評がそう大した批評にもなりません。生み出されてくるものが、そのために消費された力に相応しないのです。つまり「あわない」のです。ある作家の作品を五、六冊十五日間かかって再読三読した上で、それに対する批評文を五日かかって三枚書くといった式が私のやりかたですが、どうです「あわない」でしょう? もっと卑近な、つまり原稿料の点でも「ペイ」しないことは、言うまでもありません。これは特に頭が悪いのと遅筆のための、私だけの事かもしれません。ですけど、頭が悪かったり遅筆であるのが、全体、私のセイですか? 私のセイではありません。(小さい声で――いや、こいつは、やっぱり俺自身のセイかな?)
 とにかく、かねていろいろの愚行を演じ馴れている私にとっても、批評文を書くという仕事は、まれに見る愚行であります。こんな事などしていないで私は戯曲か小説を書いている方がズッとよいのです。私の戯曲や小説などは、まだ甚だ至らないものではありますが、それでも、私の書く批評文にくらべれば百倍の上等です。だのに、そのエッセイ書きをまだつづけようとしています。ぜんたい私というものの料簡はどういうのでしょうか。
 私にもそれは、よくわかりません。ただ、ワケはあります。その一つは次ぎの事です。
 私が「群像」に書いた一連のエッセイは、いくらか評判になったそうです。現にあなたも、あれに注目してくださった一人です。いろいろの反響を総合して見るのに、話半分に聞いたとしても、或る程度のトピックになった事は事実のようです。それが、はじめ私には不思議でした。次ぎになさけなく思われました。やがて不快になったのです。
 なぜなら、あれらのエッセイの中に、私は、格別にすぐれた事や変った事や独創的な事など、ほとんど書いていません。私の発言の出発点は平凡な常識にすぎませんし、そこからの展開の範囲も、常識の域を一歩も出ていないのです。これは一般的に言ってもそうでありますし、私自身のことだけを言って見ても、そうしようと思えば、すぐれた事はどうか知れませんが、もうすこし変った事や独創的な事なら書けそうに思った事がありますが、わざとそれをしないで、ホントの常識論だけに自分を限ることに努めたのです。そこに書かれてあることは、私自身にとっても人々にとっても、文芸やイデオロギイについてのABCに過ぎないのです。これは、ケンソンして言っているのでも、同時に、威張ってモッタイをつけるために言っているのでもありません。
 その常識論のアタリマエのことが、とにもかくにも、或る程度のトピックになったという事は、どういう事でしょうか? あの程度のことが多少でも問題になった、問題にならなければならなかった一般の空気というものは、一体なんでしょうか? つまり、そのような今の日本の文芸界というものは、ぜんたい、何かという事です。私が不思議になり、なさけなくなり、不快になったというのは、それです。
 或る人にこの事を私は語ってみました。その人は、こう答えました。
「そうです。ホントは誰でも知っていなければならない常識論が、すぐれた著しい言葉のように聞える――それが今の文芸界という所です。そういうふうになってしまったんですね。それを常識として理解している人たちは沈黙して語らないし、それらの常識を身につける必要のある人たちは、いくら説かれても遂にそれらを理解しないでしょう。現代日本文化のホントの悲劇がそこにあります」
 私もそう思いました。悲劇だけでなく、恐怖もそこに在ると私は思いました。現代日本文化の恐怖です。恐ろしい陥没です。そうではありませんか。私はかつて夜汽車で一箱ほとんど全部の乗客が闇のカツギ屋の中に自分一人で乗ってひどい恐怖におそわれたことがあります。それは一身の安危に対する恐怖ではなく、もっと深くもっと強い、この人たちと自分の間には正常な意味で言葉が通じないという実感から来る恐怖でした。また、たくさんの狂人の中にまじって運動会を見たことがありますが、その時も笑い騒いでいる狂人たちの中に一人ションボリ立ちながら、私の感じた恐怖も、一身の危険というような事ではなくて、この人たちと自分との間に相互理解のカケ橋がさしあたり全くないという意識から来たものだったのです。二つながら、ただの単純な恐怖とはくらべものにならぬほど恐ろしいものでした。実は、二つながら、「なあに、こいつらは、普通の人間のことなぞわからんケダモノだ」と思いさえすれば、その瞬間からまるで恐ろしくもなんともなくなるような恐怖であるために、尚のこと、恐ろしかったのでした。
 今の日本の文芸家のどんな人たちをでも、闇のカツギ屋や、狂人たちにたとえようという気は私にありません。ただ、私どもの間の悲劇や恐怖の性質が、これらにすこし似ているような気がしたので書いただけです。同時に、三百人の闇屋の中に闇屋でない唯の人間が一人まじっていると、場合によって、その一人の方が「人でなし」になってしまったり、五百人の狂人の中に正常者が一人で立っていると、時によって正常者の方が「キチガイ」になってしまったりする事があることも、私どもの参考になりますし、そして、これもまた、恐怖をそそることがらですから書いただけです。
 悲劇は、ありがたいものではありません。恐怖は消えた方がありがたいです。つまり陥没は埋められる方が望ましい。というよりも、意識的無意識的に、私たちは埋める仕事をせざるを得ないのです。陥没を陥没のままに捨て置いて、その上に立っていることはとても耐えきれることではありません。すくなくとも、私は耐えきれません。私が前述のようなエッセイストとしての自身の不適格や不利を押し切って、このエッセイを書きつづけるのも、この埋めようとする努力の一つであるようです。
 私の考えも、その考えから起きる努力も或いは見当ちがいかも知れません。見当ちがいではないとしても、これくらいの事が、すこしでも埋めるタシになるかどうか私にはわかりません。しかし、私はこうせざるを得ないのです。陥没の深淵の底に小さな石ころ一つでも落しこんで見ざるを得ないのです。深淵の中からは、気味の悪い反響が聞えて来ます。しかし、それは一寸でも二寸でも深淵が埋まったという合図であるとは言えないでしょうか。言葉が通じなければ、ドナリ声だけでも、または手真似だけでもして見ようというのです。不快のことなどは当分タナあげにして置くつもりに私はなっているのです。――つまりそれが私が性こりもなくこれを書きつづけるワケの一つです。他にもワケはありますが、それはだんだんにわかってもらうようにしたいと思います。

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 Kさん。
 この恐ろしい陥没を埋めようとする努力は、言うまでもなく、本来批評家の仕事です。しかし、今日の日本の批評家たちは、ほとんど、これをしません。逆に陥没を掘り深めたりしている人がある位です。どういうワケでしょうか?
 思うに、批評ほど、やさしい仕事はありません。他を見て「お前さんはバカだ」と言ったり、「これこれの作品はナッチョラン!」と言い放てば、やっぱり、それは批評の一種です。同じことを、もっとムヅカシイ、わかりにくい言葉で言う技術を持っていれば、さらによい。誰にしても、何に対してでも、なんとか言えるではありませんか。大学を卒業したり中途退学したりして多少の学問と文筆への習慣を持ち、ほかにする事がなく、ヘラズ口を叩くのが好きな者にとって、批評家になるほど手易く「割の良い」ことは無いわけです。これ以上に、ノンキな商売はありません。しかし、それだけにまた、良い批評をし、良い批評家になるほどむずかしい仕事もないとも言えます。誰にでも、いつでも出来る事がらを、あたりまえにしながら、同時にそれを立派に上等にやる事ほどむづかしいことはないわけですから。それはちょうど、夏になってアイスキャンデイ屋になることが誰にでも出来るやさしい事であり、それだけにまた、すぐれた良いアイスキャンデイ屋になることが、なかなかむづかしい事であるのに似たようなことでしょう。なぜなら、あなたはアイスキャンデイを食って腹痛を起したり、下痢をしたことはありませんか? 私は数回あります。世間には、非良心的に作られ、非良心的に売られたアイスキャンデイを買って食って病気になったり死んでしまったりする子供が、かなりおります。困ったことにアイスキャンデイの中の悪いバクテリヤは目には見えないし、また、凍っているために、そのアイスキャンデイが腐敗しているかいないかが、目でも鼻でもちょっと判断できないのです。買う人間にとっても、売る人間にとってもです。そのようなものを、自分の品物には悪いバクテリヤもついていず腐敗もしていないという自信を持ち得るような手順を踏み、つまり買う人に対する責任をしっかりと持ちながら、零細な利益でもってアイスキャンデイを売るというのが良いアイスキャンデイ屋になることなのですが、これが実は想像に絶するような困難な仕事であるということが、あなたにわかっていただけるでしょうか。そして批評は、どう安く見つもってみても、アイスキャンデイを扱うよりもめんどうな仕事です。しかも同時に、アイスキャンデイを仕入れるには多少の資本を要し、売るには多少の労力を要しますが、批評をするには一束の原稿紙と十滴ばかりのインクさえ有れば、あとは何にもいらない――つまりアイスキャンデイ屋よりもズット手易いという関係になっている点に注目してください。
 という事は、つまり、批評および批評家が、くだらなく低級になるにも、立派に上等になるにも、そのどちらにつけても、トメドがないということです。そして今の日本の批評および批評家たちは、トメドがなく立派に上等になっている状態であるようには見えません。その証拠を一つ二つあげてみます。
 と言っても、めんどうな証拠ではありません。私はめんどうなことはきらいです。たとえば、或る人がどの位にえらいかという事を知るのに、私はその人がえらそうな顔をしたり、えらそうなヒゲをはやしたり、えらそうな姿勢をしたり、えらそうな言葉を言ったり書いたりした事をよりどころには、あまりしません。それよりも、その人が他とむすんだ約束をどの程度まで守ったかというのを標準にします。約束を守る程度に正比例してその人はえらい、立派な人間です。これには絶対にまちがいありません。すくなくとも、私においてこの標準は一度も狂いませんでした。私は、たいがい此の式です。
 で日本の批評家たちが、あまり上等でない証拠の第一は、彼等の書く批評文が、ちかごろ、むやみやたらに、むづかしくなっているという事がらの中にあります。普通の人に読んですぐわかる批評文を書いているのは、青野季吉と正宗白鳥と渡辺一夫ぐらいで、他はたいがい、いけない。語られている事がら自体がむづかしい場合に、それの表現が或る程度までむづかしくなる事は、やむを得ません。相対性原理をタシザンとヒキザンだけで説明することはできない。しかし批評家たちの物の言いかたの難解さはそんなものではありません。ごくやさしい事を言うのにも、ひどくむづかしく言う。むづかしい事言う時には、まるきりわからないように言う。それはまるで何かの病気のようです。全体、この人たちは誰のために批評を書いているのだろう? 誰に読ませるために? 誰に理解させるために? 誰に影響をあたえたいために? 誰を啓発し、誰を激励したいために? 一言に言って、誰と語るために批評を書いているのでしょうか?
 もちろん、日本の文化人の間には、難解なことを読まされると、それが自分によくわからないという理由で、尚いっそうそのものを尊重するマゾヒスティックな読者が、かなりおりますから、それらに対する批評家たちの順応の現象だともいえない事はない。しかしどんな批評家でも普通の正常な心理を持った読者は相手にしないというタテマエではないだろうと思います。公に物を書く以上、なるべく、たくさんの人々に読ませ理解させたいと志ざされたものであると思ってもさしつかえないでしょう。すると、事が志しとあまりにちがい過ぎます。すこしは人の身にもなって考えたらよろしい。つまり読者の身にもなって批評文を書いたらどうだろうと思うのです。これは、文章の書き方や文字の使い方だけのことではありません。書かれている内容自体についても言えます。すこしは、人の身にもなって考えたらよい。人と言うのは、現に生きている隣人のことです。この地方の人たちのことです。この民族のことです。この国民のことです。この時代人のことです。つまり、この社会と世界のたくさんの人間のことなんです。これらの人間たちと共に苦しみや楽しみをわかち合い、それと共に生きるために彼等に向って話しかけようと言うのに、批評家たちは、なぜに好んで難解な「方言」を使うのでしょうか? パンパンでさえも自分の身体を「社会的」に使いたいと思う時には、「ハロウ!」と言うではありませんか。中には無知や病気のために、難解な物の言い方をする批評家もいるでしょう。しかし、中には、このたくさんの人間たちと共に苦しみと楽しみをわかち合い、それと共に生きるために彼等に向って話しかけるという意志や欲望――(すなわち、批評家が何よりも先に持っていなければならぬ社会的パトス)の欠如から、難解癖を起している批評家もいるようです。
 そうなのです。われわれの批評家たちに不足しているのは、学識や見識などよりも、この社会的パトスです。「世と共に楽しみ、世と共に苦しむ」意志と熱情です。その意志と情熱から生まれる「人の身になってみる」想像の力です。それが不足していないならば、どうしてこのように一人よがりな、このようにわかりにくい批評文ばかりが流行する筈がありますか。
 次ぎの証拠は、批評家たちが、着実さを失っている所にあります。先ず、批評しようとする当の事物や作品の実体を掴み理解するための手順に丹念さがたりない。アテズッポすぎるのです。作品の批評をするのでも、その当の作品を二回も三回も読んだり、ノートをとりながら読んだりしている批評家は、ほとんど一人もいないようです。パッと読んでパッと批評を書くらしい。中には作品全部を読まないでパラパラとめくって見て批評を書くのがおる。作家こそ、いいツラの皮です。もっとも、これには作家の側にも責任があるようで、一晩に四、五十枚も書きとばして、ロクに読み返しもしないで発表してしまう腕力派もあり、そして、その事が作品を読んでみると手にとるようにわかるものですから、そのような作家の作品を丹念に読む気がしないのも無理がないと言えますけれど、実はそのようなデタラメな作品を叩きつぶし追い出してしまうためにも、批評家が丹念に読む必要があるわけです。それは批評家は多くの読者大衆の選手として読み、かつ、批評する者です。天才またはキチガイが中空に向って歌を歌うのとは、ちがうと思うのです。客観的に実在するものについてものを言う仕事です。しかも、批評家が今の日本に五十人いるとすれば、日本の全人口数を五十で割った――たとえば五万人とかの人間が、自分のうしろに控えている、それだけの人間が自分の肩の上に乗っている、それだけの人間がこれこれの事を言ってもらいたがっている、それだけの人間の文化的イノチをあづかっているという意識でもって自ら重しとする所に立たなければなりません。これまた、社会的パトスであります。それが有れば、たとえ作家が作家たらずとも、批評家が作品をもっと丹念に読むぐらいの事は出来ようではありませんか。
 読みかたが粗雑だと、それについての批評も粗雑にならざるを得ません。アテズッポになるわけです。そして、それを蔽うために、批評は大言壮語になってしまう。今の日本の批評界ほど大言壮語に満ちた所はないでしょう。「カタギ」な仕事や空気が非常にすくなくなってしまっているのです。

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 Kさん。
 ――というふうに、私は良い気になって語っていますが、あなたから見れば、さぞ片腹痛いことでしょうね。というのは、あなた御自身一個の批評家なんですから。しかし、まあ聞きなさい。たしかにあなたは、すぐれた批評家です。しかし、そのあなたにしてからが、どだいナッテいない。為すべき事をしようとしないじゃありませんか。
 つまり、だから、それを私が一つして見ようと言うのですよ。私は批評家ではない。しかし、待っていても、あなたは沈黙している。そして他の大部分は大言壮語している。しかたがないから、その任でもないのに私が出しゃばって見ようと言うのです。批評家がなすべきことの一つを私がやって見ます。「批評家Kよ、後学のために見ておれ」と言うわけです。無学にして怯懦なること私のごときでさえも、この程度の勝負を演じることができることを、あなたの前に示して、それによって、あなたの奮起をうながそうというわけです。もちろんあなたや大方の批評家たちから見れば棒ふり剣術にちがいない。「野郎、今に眼から火を吹いて、ひっくりかえる」でしょう。そのひっくりかえる所まで御覧に入れましょう。
 そうですとも、ノボセあがりはじめると、どこまでノボせるか方途のない人間ですよ私は。――そういうつもりで、この文章を私は書きはじめました。そして、そのためのさしあたりの方法としては、この私という人間が文学芸術をどんなふうに読み味わい、それをどんなふうに考えたり自分の血肉にして来たか、しているかについてオシャベリをしようと言うのです。それもなるべく具体的に、それぞれの作品や文芸現象などに密着しながら語ってみようと言うのです。やり出したら、すこしつづけてやります。しかし、此の回は、もうだいぶ紙数を食ってしまい、あと作品評をはじめると、中途半端になりそうですから、それは此の次からはじめるとして、今度は余った紙数で、ついでの事に、今の批評家たちの個々についての私の見かたをのべておきましょう。そうすれば、今の批評家たちに対する私の不満が、もうすこし具体的にわかってもらえるでしょうから。同時に、恥をしのんで「カイより始める」ところの私の批評の功と罪とが、前もって、よりハッキリするでしょうから。
 先ず、青野季吉とか正宗白鳥とかの、自然主義時代からの文学界のうつり変りを見て来た老兵たちがあります。宇野浩二などもその一人でしょう。みんな、ネレた眼を持っています。言うところも懇篤です。見当はずれなことはしない。前に書いた着実さが、この人たちだけには備わっております。壮大な空言を弄しない。自身の小主観を振りまわさない。それと言うのが、この人たちは、文学芸術を心から好いているためです。惚れていると言ってもよい。青野や宇野はもちろんの事ですが、正宗など文学などつまらんというような事を度々言いますが、それは此の人の習慣であるにすぎないので、どうしてつまらんどころですか。そんなにつまらなく思える事を四、五十年間変りなくつづけておれる道理がない。アイソづかしを並べるのは「彼」の歌であるにすぎません。
 ただ此の人たちの批評に、火はない。パトスはない。年数を経てよくネレたミソが、うまくはなったが、臭味も塩気も取れてしまったように、刺戟も指南力も失われてしまったのです。この人たちの批評をいくら読んでも私たちは、どうしてよいかサッパリわかりません。右にも左にも踏み出せません。視力は散大するだけです。それはちょうど人生というものを深く知った達人が此の人生の前に立ってウーンとうなって眺めているようなもので、人生の味の諸わけが深くわかっていればいるほど、たとえば今その人生のドまんなかで生きている人が自分の生き方について迷い悩んでいる事がらについて此の達人に相談を持ちかけて見たとしても、達人は「いや人生というものはイロイロだよ。実になんとも言えん所だ。ああも言えるし、こうも言える。ああも見えるし、こうも見える。それが人生だ。」ウーンと唸るだけで、ついに身の上相談にはならんのに似ているでしょう。つまり、この種の達人は実際的には幼児と同じなのです。達人は知っています。幼児は知りません。しかし、マジマジと見つめるだけで無為である点では両者同じです。つまり、そこからゾルレンは生まれて来ないのです。言わば、この人たちは文学の「大通」です。大通と言うものは、元来助平が腰抜けになったものです。性慾旺盛では大通にはなれん。新しいイノチを生み出す力はない。イノチを生み出すためには刺戟が必要なのが、この人たちには刺戟する力がないのです。色の諸わけ、恋のくさぐさの実相を客観的に冷静に眺め得るのは腰抜けに限りますが、自分の中に生きたものとしての色と恋と性慾を持っている腰抜けでない人間にとっては、そんな冷やかな観照は、なんの役にも立ちますまい。そういう意味で、この人たちは既に非人間的で、古いのです。文学芸術はタテのつながりから見ても横のひろがりから言っても生けるイノチなのですから。
 在るがままの人生、在るがままの文学の味が深く複雑に充分にわかりながら、しかしその上に立って、在るべき人生や在るべき文学の途を見出したり生み出したりすることは出来ないものでしょうか? 私は出来ると思います。それが、ホントに人間的な、そして実はもう一段高い達人の姿だと思います。そして、それが新しい態度だと思うのです。言って見れば、七十才になって十九才の処女に恋をしたゲーテは、「ヰルヘルム・マイステル」を書いた時のゲーテよりも、より高いし、より新しい。「大通」が、大通のままでオボコ娘に恋をしたら、それこそ「大々通」でしょう。青野や正宗や宇野が文学に対して助平なことはまちがいありません。彼等の前に文学が昔の恋人のようにではなく、また、古女房のようにではなく、新しい恋人のように立ち現われ、見えて来る事はあり得ないでしょうか? あり得るだろうとは、にわかに私には言えません。しかし、あり得ないとは、私は思いたくありません。そして、もし、それがあり得たら、彼等の批評の中に火が、パトスが、生み出されるでありましょう。つまりホントに立派な批評になるだろうと思われます。「それを読んでも、どうしてよいかわからない」批評を書く人に小林秀雄および小林と似たような行き方の批評家たちがおります。福田恒存などもその一人でしょう。勉強家ぞろいで、頭が良い。時々おそろしく鋭い、うがった事を言います。それで、ついて行っていると、そのうちに、前に言った事とは正反対のことを、やっぱりおそろしく鋭い、うがった言い方で言って前に言ったことを根こそぎひっくり返して見せたりします。どちらも当人はチャンとやっているのでイカガワシイ気持はしませんが、ギョッとはします。読んでいて困ることは事実です。パトスでふくれあがっている。だから非常なオシャベリになるか、でない時は失語症みたいになる。批評の言葉から血が流れ出すこともある代りに、べた一面にヘラズぐちにヨダレをまぜて垂れ流す時もある。ずいぶんいろいろにソフィストケイトしている。この人たちの批評を読んでも、頭脳の体操にはなるが、客観的に堅固な価値の認識の手がかりは与えられない。そういう点で、前の青野や正宗や宇野の批評に似ている。ただ、こちらにはホルモンがある。だから刺戟する力がある。刺戟は、しかし、あちらを向いたりこちらを向いたりして取りとめがありません。一言に言って、この人たちは、作家が小説や戯曲や詩を書くのと同じように批評を書くのです。批評家とその批評の関係が作家とその作品との関係と同じなのです。または、作家になりそこなって批評を書いているとも言えましょう。良い所も悪いところも、彼等が本来作家ないし、作家のなりそこないであるというところから来ています。彼等が彼等の批評の中で確立するのは、どこまで行っても彼等自身以外の何者でもありません。小林がドストイェフスキイやゴッホや鉄斎をいくら攻め立てて行っても、それらの人間たちの姿は結局は浮びあがって来ないで、小林自身の人間――もっと正確に言えば小林の脳細胞のシワの絵図面みたいなもの――が浮びあがって来るきりです。そして、それはそれでよいのです。また、福田恒存における太宰治なども同じことでしょう。それはそれでよい。しかし、いや、だから、なるべく、ヘラズぐちは叩かぬ方がよい。ヘラズぐちを叩いていても此の人たちのは、時によって身が入って血が流れます。すると自身が錯乱するだけでなく他を錯乱させます。たしかに見事は見事です。騒々しいのがおもしろいと思う人間にはおもしろいでしょうが、批評というものの中から、とにもかくにも一定の方向と言ったようなものを見つけ出して進みたいと思っている人間には、あまりおもしろくありません。――とは言っても、なにしろカンがきついから、この人たちはヘラズぐちを叩くのをやめはしますまい。それならそれで、それもよかろう。よけて通る。
 次ぎに、中野好夫・桑原武夫・中島健蔵と言ったような、大体大学教授などをしながら批評を書いている人たちがいます。たいがいアカデミックな体系を持っており、共通して啓蒙的な手段と、公明な態度に立っているので、行きとどいた批評が多いようです。やっぱり、相当役に立っているのでありましょう。しかし、私には、この人たちの批評にあまり興味がありません。この人たちの批評を、よく読んでごらんなさい。その批評に、自身の大事なものを「賭して」いないことがわかるのです。ホントの意味では自身にとって言わないでもよい事を言っているのです。生活のためにも魂のためにも、批評は彼等にとって、しないではおられない仕事ではないのです。せいぜい「アルバイト」程度です。そのような発言は結局は力あるものには成り得ないでしょう。述べられた意見そのものが意見だけとしてはどんなにすぐれたものであった場合にもです。たとえば「第二芸術論」などという立派な批評がこの人たちの間から生まれても、結局はその第二芸術そのものに対してはツンともカンとも響いて行かなかった事なども、そのためではないでしょうか。つまり、「第二芸術論」を言い立てている当人自身にとって批評が全身心を張ったものではない。つまり皮肉なことに、花鳥風月を叩きつけている当人にとって、その論そのものが花鳥風月、つまり「第二仕事」であるからではないでしょうか。ところが、第二であろうと第八であろうと芸術を生む仕事は、修羅場の仕事です。批評もそうです。何か大事なものを賭さないでは人は修羅場に足を踏み込むことはできますまい。そんな人が、わきの高見から(それがどんなに高かろうと)うまい事を言ってみても修羅場にいる人は、ただ聞き流して置くか、又は引っこんでいろと言い捨てて置く以外に無いでしょう。
 岩上順一とか小田切秀雄とか杉浦明平とか。ほかにもまだたくさんおりますが、左翼的な批評家たちの批評も、たいがい、丹念で立派なものですが、私にはつまりません。興味は主として批評が対象にしている素材と、ものの言い方の中にあるペッパアの利鈍に感じられるだけです。つまり、尺度が適用される物と、適用のされ方に多少の興味があるだけで、尺度そのものは一定しているからです。もちろん、だからまた、批評の職能の一つである指南力に欠けたところはありません。針はいつでも南を指します。クソおもしろくもないとも言えるのと同時に、これについて行く気になってついて行きさえすればまちがいがないから、安心しておれるとも言えるわけ。批評する方でもその限りでは安心と自信をもってやれるわけです。しかし、いったんその尺度自身に疑念を持ちはじめると、非常にめんどうな事になってきて、批評はチョットわきにやって尺度そのものを調べて見ようという事になります。そしてそれがまた、たいへんな仕事で、チョットやソットではキリがつかない。残るところは、こいつをウのみにするか、敬遠するかの二途しかないと思わざるを得ない位にめんどうな事になります。それに、この人たちの持っている尺度が、私の眼にさえも既に古く遅れてしまっているように見えることです。たとえば十四、五年前のハリコフ会議の決議の日本的適用の線から一分でも一厘でも前に出た尺度を、この人たちの誰が持っているでしょうか? 私は知りません。また、たとえば、社会主義的ロマンティシズムや、革命的民族主義の文芸的適用と操作について、誰が人をなっとくさせるに足るような熟練を示してくれたでしょうか? これまた私は知りません。各個が取り上げている問題や素材が、戦後の新しいものであるために、その取り上げかたまでが新しいようにチョット見えますが、よく見ると実は、その昔蔵原惟人や中野重治その他の人たちがした事を、もうすこし拙劣に、もうすこし低い段階で復習しているに過ぎないように見えます。その忍耐力に対しては敬意を払わざるを得ませんけれど、タイクツせざるを得ないことも事実であります。
 次ぎに、文芸を見るのに必ずしも左翼的な眼を以ってはしないが、現世紀的に、社会的な進歩的な立場を以ってしようと志している一群の批評家たちがいます。荒正人や平田次三郎や平野謙その他の人たちです。私など、思想的に必ずしもこの人たちと合致点を持っていない場合にも、センスの上でこの人たちに一番強い親近感を抱きます。この人たちの一番大きな存在理由は、この人たちの批評が今の日本の若い世代のアヴェレッヂなたくさんの人々の代弁になっている場合です。そしてかなりの程度までそうなっていると思います。ただこの人たちの批評に悪意からでない大言壮語が多過ぎます。左翼の批評家にも大言壮語が多いが、それとは少しちがった意味でこの人たちにも多い。それに、批評の書きかたが、むずかし過ぎます。だが一番気になる事は、この人たちが、現在ある程度までやむを得ない事だとは言いながら、一般的抽象的な考察や議論ばかりに主なエネルギイを注いで、具体的に作品や作家により添った追求をおろそかにしている点と、稀に作品や作家により添った場合にも、残念ながらこの人たちの「読み」が浅いという点ではないかと思います。この二つの点で、はじめに書いた青野・正宗・宇野など、長所と短所とがちょうどアベコベになっているようです。そして、この人たちの批評に時々見つけ出すことのできる弱さのようなものは、そこから出て来ているように思われます。この人たちは、もっと執念深く自分たちの立場を確保しながら、作品と作家についての具体的な批評をやって行かなければならないのではないかと思われます。
 先ず大体、他人の事を言いおえました。そこで、こうして広言を吐いているのは一体なんでしょう? 私は本職劇作家のシロウト批評家です。つまり、モグリですね。このモグリ批評家の行う批評が、どんな立派なものであるか、またどんなに愚劣なものであるかは、次回からの文章でもってお目にかけるわけです。
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小豚派作家論――あるプロテスト


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 え? なんですって?
 よくわかりません。あなたは何を言っていられるのですか?
「この問題も、いつまでもゴタゴタさせないで、もうよいかげんに整理して答えを出さなければいけないと思いますからね」
 なんの問題ですか?
「ですから、風俗作家や肉体派作家たちと批評家たちの間の疎カクの問題ですよ」
 ははあ、問題ですかそれが? 問題だとは思いませんね、私は。好きにやらして置けばいいではありませんか。ぜんたい問題というものは、あらゆる問題が、それを解決すればそこから多少とも良いことや進歩が生まれてくるものです。ところがあなたの言うような疎カクなどを解決したって、良いことなど何一つ生まれて来そうにはありません。噛み合わせたまま捨てて置けばよい。そのうちに両方で飽きて一人でに噛み合いをやめるでしょう。
「そんなヤケクソにならないで、あなたの考えを聞かせて下さい」
 よろしい。ヤケクソにはならない方がよいかもしれません。私の考えを述べます。
 批評家のことには、しばらく、ふれません。風俗派や肉体派さんたちの、作家活動の全体または個々の中に、文学や芸術の問題になりうる事がらが、どれだけあるでしょうか? 私は、ほとんどないと見ています。捜しても見つからないものですから、当人たちにも、実際において、文学や芸術を取りあつかっているという意識はないのではないかと思われるフシがあります。それを批評家たちは、文学や芸術を見る見方で眺めるものだから、事がコンガラかるのではないでしょうか。
 それはむしろ主として群集心理だとか集団異常心理といったふうの社会心理学の研究材料、または商品のメイカアとセイルスマンとマーケットの相互関係、つまり商品学の題目を提供しているのではないでしょうか。もちろん、これも重大な真剣な題目です。ひとつマジメに考えて見ましょう。

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 私の友人に、風俗作家さんや肉体派さんたちの事を「コブタハ」と呼ぶ男がいます。「小鳩派かね?」と私が問うと「コブタ。小さい豚、小豚派作家だ」と言うのです。
 それが穏当でないような気がしたので私が抗議を申しこんだら、こう答えました。「なにを言うんだね君は。これは愛称だよ。見たまえ、彼等の姿とそのしている事は小豚に最もよく似ている。先ずアイキョウがある。にぎやかだ。マメだ。ふとっている。どんな所にでも鼻を突っこむ。もちろん鼻息は荒い。その荒い鼻息で一尺先きの事は何から何までかぎつけるが、六尺先きの事はまるでわからないから勇敢である。それに仲間同志より集まってブウブウ鳴き立てる習慣を持っている。気をつけたまえ、以上のことは動物にとって弱点ではないんだよ。いや、往々にしてそれらは、長所であり強味だ。どっちにしろ柵の中に生きて行かなければならないのならば、柵の中の悪臭のために胸を悪くしてふさいだりしているよりも、そんなものを気にしないでよいような鼻を持って、景気よくやって行く方がトクだ。そのへんの計算もよく似ている。似ていない点は、小豚は太らせてツブすと食料になるが、小豚派作家たちが何の役に立つか、まだハッキリしていないところだけだろう」
 なかなか、ウガッタところもある言葉でした。しかし要するに一片の毒舌に過ぎません。私は毒舌はきらいです。第一、ふまじめでいけません。私は、いつでも、すこしでもたくさんまじめに、すこしでもよけいにスナオになろうとしている人間なので、右のような空論に耳を傾けることを欲しません。いわんや小豚派などという呼称にくみすることは出来ません。
 しかしながら、人間の想像力や感受性というものの、何とヒ弱で動きやすく暗示を受けやすいものでしょうか。私は、それ以来、風俗作家や肉体派さんたちの作品を読んでいても論文を読んでいても、それらの一人々々の姿勢や全体としての動きなどを遠くから眺めている時も、チョロチョロブウブウと動きまわっている小豚や小豚たちの姿を私の心の眼の外へ追いやることが出来なくなってしまったのです。つまり右の友人は、私の想像力を荼毒してしまったのです。彼を私は呪います。呪うための一つの方法として、彼が「小豚派作家たちが何の役に立つかまだハッキリしていない」と言った、そこの所を私流にスナオな言葉に修正することによって彼の暴論を粉砕し、あわせて風俗氏や肉体さんたちを弁護しょうと思います。即ち「何の役に立つかまだハッキリしていない」などとは、ウソだと私は思うのです。
 つまり、前に言った。商品学で見れば、役に立たないだんではないのです。商品としてこれらの作家たちの作品は成り立っているのです。しかも非常に見ごとに成り立っています。誰のためにも、何のためにも、どんな役にも立たないものが、こんなに見ごとに商品として成り立つ道理がありません。風俗氏や肉体さんは意を強うして可なりです。私どもにしましても、われわれ自身の好悪のために、それらが商品として成り立つだけの客観的な好条件を持っているという事実をまでも否定するならば、それは風俗氏や肉体さんに対する不公平であると同時にわれわれ自身のがわの認識不足というべきです。
「俺たちはすくなくとも、メイカアだ。作り出しているんだ。何一つ作り出しもしない奴が何を言うか」という意味の自信を、いみじくも、或る肉体派さんが公言しています。全く同感であります。
 終戦後[#「終戦後」は底本では「「終戦後」]、鉄カブトを改造して飯ガマを製造販売してボロもうけをした男が「うっちゃって置けば鉄カブトなんか廃品になるんだ。それをカマに改造して売り出して、人のために役立てようとしているんだ。もちろん俺ももうかってるがね。作ってるからもうかるのはあたりまえだろうじゃないか。グズグズ言うな気にいらなきゃ買わないどけ」と豪語しているのを私は聞いたことがあります。もちろんその時も私は同感したのでありました。
「粗製濫造品であろうとなかろうと、とにかく一カ月に七篇や八篇の小説を私は作ることが出来るしそれがドンドン売れるのである。くやしかったら、それだけ多量生産して売って見たまえ」と或る風俗派さんは思っているらしい証拠があります。これまた全くその通りで、大賛成であります。「うちのタイコ焼にドロやイモが混っているとか、生焼けだとか、くさす奴がいるが、とにかく半日に五百個売れるんだ。くやしかったら、それだけ売って見ろ」と或るタイコ焼屋が怒っていたことがあります。もちろんその時も私は彼に大賛成したのです。
 まったくのところ、商売のじゃまをするのは善くない事だし、悪趣味です。しかし、その商売の性格や商品の質をギンミして見ることは、別にさしつかえないだろうと思います。

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 たしかに、現在いろんな雑誌に発表されている小説類全体の質的な平均水準から見て、風俗派や肉体派の小説類の質がそれほど劣悪だとは言えません。全体の半分以上が風俗派や肉体派の小説なんですからね。あたりまえの事です。とにかく、商品としての規格はそなえていると見なければなりますまい。しかし同時に、商品としていちじるしく他よりもすぐれた性能を持っていると言うのは、言い過ぎのような気がします。
 しかし、よく売れるのは、事実らしいのです。事実はいつでも重要ですし、興味があります。ですから私はいろいろ調査してみました。先ず雑誌の編集者七、八人についていろいろ問い合せ、次に学生、勤労者、家庭婦人その他の雑誌購読者の五十人ばかりに向って質問してみたのです。その結果こういう事がわかりました。雑誌編集者は、ほとんど全部、風俗派や肉体派作家を芸術家としては軽蔑しています。人間としても重んじていません。だから、本心は自分の雑誌にそれらの作家の作品をのせる事を好んでいない。すくなくとも私に向ってはそう言いました。ウソかも知れませんが、しかしとにかくそう言うものですから、しばらくそれを信じて話を運ぶ以外に手はありません。「だのに、なぜ高い稿料を出してのせるんですか?」と問うと、これまたほとんど異口同音に「経営者や会計部がのせることを要求しますからね。編集者なんて弱いもんで、経営者や会計には頭があがらんですからね」「しかしどうして経営者や会計部がそんな要求をするんでしょう?」「それは、あたりまえでさあ。風俗さんや肉体さんをのせると雑誌が売れるからですよ」「なるほどそうですか。しかし[#「しかし」は底本では「「しかし」]風俗さんや肉体さんをのせると、どれ位よけいに売れるというタシカな事を調べましたか?」「いや、それは調べません。なんとなく、そんなふうな気がするんです」
 こんな編集者が一体全体、編集者と呼ばれる価値があるかないかを言い立てるのは私の任ではありません。次に購読者です。五十人ばかりの中で、特に風俗さんや肉体さんの誰それの小説を愛読しているという人は一人もいませんでした。つまりその誰それの小説がのっているから、その雑誌をわざわざ買うという者は一人もない。どれでもよいのです。ただ、百円サツを一枚にぎって書店へフラリと寄って、寝ころびながら読めるような面白そうな雑誌を一冊買おうと思った時にこの雑誌には、たとえば肉体派作家某大先生作「彼女がうなる時」という小説がのっていて、あの雑誌には、たとえば三好十郎作「わけのわからん頭痛」と言ったふうの作品がのっていたとすれば、五十人中四十九人までが、この雑誌を買います。つまり三好よりも某氏の方が四十九倍だけよく売れるのです。理由は、これだけです。これ以上でもこれ以下でもありません。これは実に冷厳な事実でした。この事実を私は認めます。事実以上でもなく、以下でもなく認めます。
 そんなわけですから、風俗派や肉体派の諸氏はメイカアならびにセイルスマンとして自信を持って可なりです。同時にまた、彼等の商品が売れるのはそういう意味で売れるのであって、別にその内容が人の信用を得ているから売れるというわけではないようだから、彼等がメイカアならびにセイルスマンとしてあまりに自信を持ちすぎるのは当らないし、コッケイでしょう。前記の我が憎々しい友の言葉を借りて言うならば「小豚どもよ、喜べ。なぜならば天下はお前のものだ。しかし小豚どもよ、あまりに喜びすぎるな。なぜならば、お前のものである天下は、お前のおっぴらいた鼻づらの周囲一尺四方ぐらいの大きさであるからだ」という事になります。事の当否は別にして、実に度しがたいのは、小豚についての彼の固定観念です。閑話休題!
 私が思うに、だから、風俗派や肉体派にとっては、作品の内容よりも表題と作者名が大事になります。現に、これらの作家たちは表題に一番苦心している形跡があり、事実またたいがいの場合に彼等の一番の傑作は表題です。そして、ある種の商品にとって一番大事なのは、その名称とキャッチフレイズであるにちがいないのです。
 私はこれらの作家たちを呼ぶのに小豚派などを以ってするのは不当なる悪趣味だと思いますから、それを修正するためにも、また、風俗だとか肉体だとかのアイマイな呼称をなくするためにも一つの提案をします。これらを一括して表題派作家と呼ぶことにしたらということです。端的にして正鴻な名だと思いますがいかがでしょう。

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 以上、これらの作家たちについて、商品学的見地から冷静公平に眺めることが出来ましたが、さてこれを文学芸術的見地から眺めはじめますと、事がらが、非常にコンガラカッて来まして、第一、冷静公平に終始することが、なかなか困難になってきます。しかも、前にも書いた通り、これらの作家たちの在りかたや作品の中に文学芸術上の問題になり得る事がらは、ほとんど無いように見えるために、筆不調法な私などが、強いてそれをすると、ややともすると罵倒の言葉ばかりが飛び出して来やすいようです。それでは御当人たちに失礼でありますし、かつ、そんな罵倒の言葉ばかりをつらねて、己れ一人高しといばりくさって、ただ、いたずらに御当人たちをコウフンさせることは、私の本意でありません。そんなことよりも、これらの作家たちの作品を入念に拝読した上で、どこがどんなふうに粗雑であるか、また、どの個所とどの個所で他動詞が自動詞にまちがって使われているか、また、どこがどんなふうに文学青年以下に低級であるか、したがってまた、どこがどうであるからして、そんなにノボセあがらなくともよい、と言ったような事を作品自体に具体的に添いつつ述べた方がよかろうと思いますし、現に今後二、三の場所で、それに似たことをしてみる予定が私にありますので、ここではその事におよびません。
 ただこの事にいくらかの関係のある事で、フンマンにたえなかった事がこの間あったので、それをチョット書きましょう。
 田村泰次郎さんが、たしか「文芸往来」だかに「尾崎一雄」など清流で、孤高で、寝ながら虫などを相手にして書いていればよいが、私などドロンコの現世と肉体の中で、ゴチャゴチャと汗みどろで力闘して書かなければならん」と言ったような意味のことを書かれたのに対し、尾崎一雄さんが「東京新聞」で「私は清流でも孤高でもない。寝ているのは病身であるからに過ぎないので、ドロンコも肉体も田村君と同じだ。それを不当に歪めて言うのはおもしろくない」と言ったふうに抗議されていました。それについてです。
 その両者を読んで私はフンマンにたえなかったのです。こう言うと、たいがいの人が、私が、これまで書いて来たことから推して私のフンマンの相手が田村泰次郎だろうと思うでしょう。どういたしまして、尾崎一雄に対してなのです。
 そのフンマンがどんなものかと言うと、こうです。簡単に書くために、ドストイェフスキイ作中人物風の言い方を借ります。
 尾崎一雄よ、お前が良い作家であることは私も世間も知っている。もちろんお前は田村の言うような清流や孤高ではない。お前は営々として努力し、苦しみ、鍛え、耐え、そして真に生き、作品を書いている、お前の人生も作品も狭い。また、見方によって浅いとも平凡とも言えるかも知れぬ。物たらぬ点がいろいろある。しかしお前は美しい。あらゆる謙虚なものが美しいように美しい。お前はホンモノだ。小さいかも知れぬが、ホンモノだ。それを私も知っており、世間も知っている。そのお前が、どんなにひっくり返して見てもそれ自体として全く意味を成さないほどに偉大なる者の言いがかりに対して、そんな形でそんなふうにカンを立てるのは、なんという事であろう。それによってお前はお前自身を卑しめ、お前自身を侮辱しているのだよ。それによってお前は、お前に言いがかりをつけた者の低さにまでお前自身を低くしているのだよ。それが私は腹が立つのだ。お前はお前自身に恥じなさい。
 ――大体、そんなふうなフンマンでした。今でも多少感じています。
 その場合田村泰次郎についてどう感じたかですって?
 なんにも感じませんでした。鹿よりも象の方が目方が重いから象の方がえらいとか、この男が原稿三枚書く間にあの男は八十枚書けるから、あの男の方がえらいとか言う見方もあって、そういう見方もまんざらまちがいでは無い場合もありますがそれは主として物理的な問題ではないでしょうか。

 ただ、次ぎの事は一言して置かなければならぬ気がします。作家としての尾崎一雄の世界が片寄ってしまっているのが物たりないとか、また、尾崎が作家的手段として持っている「アミ」がいくらか古めかしく、純粋になってしまって、今のこの現代生活というものの流れに浮いたアクタモクタの全部は、尾崎の「アミ」に引っかからなくなっていると言うならば、それは或る程度まで当っていると思います。とくに戦争を自分のなま身でもって生き、通過して来た上で、今のこの荒々しい時代の中で、作家としての自我と仕事を確立して行こうとしている人間には、尾崎一雄流の人生観や創作方法では、やって行けないし、やっておれないし、やってはいけないとも言えるのです。
 田村泰次郎の尾崎に対する反ぱつも、意識的無意識的に、そこに根ざしている事は理解してやらなければなりません。そうでないと田村に対し不公平だと思います。
 つまり、田村が作家として意図している所は、なっとく出来るし、なっとくしてやらなければならぬ。しかし、あとがいけない。田村は尾崎よりも十倍もむづかしい所を意図しながら、それについて尾崎の百分の一の苦労もしようとしていないのです。これは、コッケイと言うよりもアワレでしょう。
 つまりこうです。作家尾崎一雄のアミの性質に不平をとなえる事は出来る。となえた方がよい。では、誰のアミが現代のアクタモクタをホントにしゃくい上げることが出来るだろう? 田村泰次郎のアミがそれだなどと言う人があったら、失礼ながら私はひっくり返って笑わなければならぬことも言い添えておきます。
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ぼろ市の散歩者 ※(ローマ数字1、1-13-21)



 東京の世田谷にボロ市というのがある。
 日をきめて、道の両側に露店の小店が無数にならんで、いろんな物を売る。古着や古道具もあれば、新製品や新発明品もあるし、農具、種苗の類、荒物からナマ物、モットモらしい物からバカバカしい物――たいがいそろっている。一つ一つ見て行くと、みなそれぞれに何かの役に立つ物が多い。しかし、これを一目で見わたして一言に言えばガラクタである。共通して安直だ。売る方は血まなこで売る。買う方はヒヤカシづらで買ったり買わなかったりする。にぎやかなものだ。
 私はこの手のボロ市を好いている。物を買うことはあまりしないが、そういう所を歩いて行くのが好きなのである。われながら、かしこい人間のすることではないと思いつつ、フラフラにくたびれるまで歩く。
 今の日本の文芸界の景色は、ボロ市の景色に非常に似て来た。中味も似て来たようだ。それぞれ何かの役にすこしずつ立つところの安直な品物がおびただしく並んで、にぎやかなことである。見わたしてみると、腰をすえてシッカリと作品を書いている者はほとんどいないのではないかと思われる。
 なんにしろ、市が栄えるのはおめでたいわけである。こういう所を歩いて行くのが私は大好きだ。もっとも、品物は、たいがい買わない。
 この誌面にしばらくの間、私は文芸時評みたいなものを書きつづける予定だが、これは月評にはならないだろう。毎月の雑誌の上に陳列されるおびただしい数の作品に向って、一月々々を単位にして私の注意力をキン張させていると、首の骨や腰の骨を痛める恐れがある。私は作家だ。批評家風のリューマチや神経痛を起すには、まだすこし、早過ぎる。
 ボロ市を歩くには、歩きかたがある。見るような見ないようなふうにして歩くことだ。もちろん、そんな歩きかたをしていたのでは、掘出物は見つかるまいが、そんなことは私の知ったことではない。
 だから、私は、その時その時に、過去三、四ヵ月の間に私が自然に読み過ぎて来た作品の中で、とくに私の注意を引いた作品を論評する。論評と言っても、かならずしも作の是非を言い立てたり、価値を上下しようと言うのではない。私という一人の人間が、それらの作品をどんなふうに読んだか、読みながら何を感じたか、読みおわって何を考えたか、と言ったふうのことをのべる。
 一貫して私が守りたいと思うのは、あくまで作品自体に添ってものを言うという方式だけである。

「ひさとその女友達」――広津和郎(『中央公論』十月文芸特集号)
 広津和郎が久しぶりに書いた(久しぶりではないかも知れないが、私の目に触れたものとしては久しぶりであった)この小説の題名と名前を見た時には、大変嬉しかった。誇張して言えば胸がすこしドキドキしたくらいである。期待と危惧が半々に入れまじっていた。「よい小説であってくれ」という気持と「どうせまた下手クソだろう」という気持が入れまじっていた。そして読んだ。
 しばらく前に私は広津の大概の小説が下手クソであり、そして何故下手クソな小説を彼が書かざるを得ないかと言ったことがある。「ひさとその女友達」は下手な小説ではない。私は非常に嬉しい気持で私の言葉を撤回する。いやいや、そうではない。下手は相変らず下手だ。それでいてこの作品がよい小説であることをさまたげていない。下手な小説がよい小説と言えるであろうか?
 そうなのだ。言葉のそのような使い方に私自身がひっかかっているのだ。いや、言葉というもの自体が、このように人をひっかけるものなのだ。世の中には「ヒョットコ面の好男子」も存在している。「下手な、よい小説」があって悪いわけはなかろう。ただそれには説明を要する。実は先に広津の小説が下手クソだと言いきった私の言葉の中にもこの意味が含まれていなかったわけではない。そのことを此処でもうすこしくわしく述べ、あわせて話をもうすこし前へ進めて見る。
 最初に打たれたのは、この小説の持っている実在感である。最後までそれは非常に力強く確かな形で持続する。女給上りのひさという中年女が、その人の好い平凡な――アヴェレヂな日本人大衆の中の一人の女として戦争中から戦後をウロウロと生きて来て、現在梶野というぐうたらな男を相手に暮している姿。生活に対して相当勘定高い考えを持っていながら、実際においてはその時々の波風や感情にほだされ流されやすい人間タイプの把握。それの対照として、彼女の友達の加代子という、どんな波風や男達の間をくぐって来ても、ケロケロと何の手傷も負わない、その時々の生活をまったく無軌道にやっていながら、結局は人生でトクばかりして行く女と、その夫の宮崎という、これも加代子に似たような性格のモデリング。この二組の男女の線が、戦争中から戦後へかけてのあわただしい時代を背景にして、一しょになったり離れたりしながら奏でてゆく庶民生活の、あわただしいような、どうでもいいようでいて、実はどうにもならない、意味があるようなないような、日常生活の歌……。それらがまるで作者が描く前からそこに在るような気がするのである。まず人々の生活がそこにあり、作者の筆はただそれを追いかけているだけだという感じがする。実は作者の筆こそ我々を導いて、そのような人々の実体を見せてくれているのだが、読んでいての感じは逆になる。運慶が大木で仁王像を彫っているのを見ると、もともと大木の中に仁王がいたのを、運慶はただそれを外へ取り出すために、余計な木くずを削り落しているだけであるように見えたということを或る人が書いていた。いくらか、あの話を思い出させる。広津のノミの切れ味は鈍い。速度も遅い。したがって我々が期待するような鋭さや速さでは人間像は浮び上って来ない。歯がゆいようにノロノロとそれらは筆の先から出て来る。しかし確かに出て来るのだ。それはそこに在るのだ。生きた人間がそこにいる。この実在感は疑いようがない。何はなくともこれさえあれば小説家として欠けるところはないとも言える。これさえあれば、ホントの意味では下手だとは言えないし、下手だと言われて、さしつかえない。しかし、
「その上に人生で羞恥心などといふものは疾くの昔に何処かに置き忘れて来てしまったような梶野は、隣室などには何の遠慮もなく破廉恥に振舞はうとする。それがひさには何より厭であった。」
 と言ったようなネボケタ抽象的な叙述で、この女の相手の男に対する性的嫌悪ならびに隣室に対する気持の抵抗などのジカな実感を読者に与え得ると作者は思っているのだろうか? 部分々々でジカな実感を読者に与えないことを作者が何かの目的のために意識して意図しているのであったら、これはこれでよいとも言える。しかし、この作品でこの作者がそのようなことを意図しているのだとは思えない。ただ無意識にそうしているだけである。よって来るところはまずこの作家の感覚の鈍化だ。次ぎに文章的表現についてのモノグサである。二つとも根本的には現実に対する「火」の消耗から来ている。大事なことは島崎藤村におけるがような、部分々々の描写におけるなまなましいものを回避することによって、全体としての、より大きな現実感を生み出すという方法から、これは区別されなければならない。広津が意図しているものは藤村あたりとはまったく違うと見てよい証拠があるからだ。それ故に私はこれを「下手クソ」と見る。そして下手クソはあらゆる場合に好ましいものではない。「ひさとその女友達」から、その他の弱点や、更に多くのすぐれた点を拾いあげることはできる。しかし、それらはさまで重要なことではない。そんなことよりも、この小説から私が考えたことでもっと根本的な、もっと一般的なことがあるからそれを書く。
 それはこの小説の「古さ」とこの小説における作者自身の自我の位置のことである。もちろんこの二つは相互に関係している。

 先ず古さについて言うが、たしかにもう古い。古いことが善いか悪いか私は知らないし、また、善い悪いを言って見てもしかたがない。ただ、とにかく、全体の構成も部分々々の切りこみ方も、それから文脈も、文章もそれらのテンポも、それから、ひさ夫婦と加代子夫婦の対位法風の処理のしかたも、古い。それが私のセンスに抵抗を感じさせる。「時代」を感じさせる。小説は文芸の中で一番今日的なセンスのものであろうし、ありたがる形式だ。今日的センス(私のセンスが百パーセント今日的なものであると独断しようと言うのではない。しかしこれは説明する機が来るまでそのままにしておく)に無益に抵抗する古さは、小説として長所とは言えまい。しかし、古さがそれだけならば、多分、この作品の決定的な弱点にはならないだろう。困るのは、その古さが、もっと根本的なものにつながって生まれて来ている点にある。それが、つまり、作品の中での作者の自我の位置のことだ。
 作品と作者の自我の関係と言ってもよい。それが古いのである。そしてこの場合の古さは、私から言うと、まちがった古さなのである。
 作者は、神の如く「下界を見おろして」書いている。神は下界の人間たちを一視同仁にあわれみ、愛し、許しているということは、一視同仁に軽蔑し憎み断罪していることだ。つまり「天に在って」下界に対しては平等に冷淡なのである。作者自身の人間的な「我」は、どこで呼吸しているかわからない。「てめえの料簡」がその時どうなっているかわからないのである。「自然主義的鉄のカーテン」である。十九世紀文学が築きあげたところの「偉大にして、散大してしまった視覚」である。その最大の実現者としてモーパッサンがいる。彼はすぐれた小説を書いた。そしてそれらの小説の中で彼自身の自我にとって重要なことを処理しようとしなかった。処理することを欲しなかった。そのため彼の自我の問題――宗教上の信仰からジフリスに至るピンからキリまでの自我の問題は、全部おいてけぼりを食い、ゴミのように彼のうちに溜って腐りはじめた。その毒気にあてられて彼は死んだ。モーパッサンを殺したものが、単純なジフリスや過労や過敏であるとは私は信じられない。ホントは、それらをも含めたところの、解決されざる自我の問題の蓄積の腐毒にあてられて死んだと思う。そして、モーパッサン式の自然主義的文学方法は、そのような意味で、すべての作者を殺す。死なないでいる自然主義作家は、症状が初期であるか、自然主義者として純粋でないか、ナマケモノであるからだ。広津が死なないのは、初期のためではないだろう。自然主義者としては純粋でないもの――つまり、もっと広い社会性だとか理想主義的な要素をあわせ持っているからだ。それに、ナマケモノであることも、事実だ。すくなくともモーパッサンほど小説を書くことにキンベンでないことは事実だろう。とにかくモーパッサンと小説との関係と、広津と小説との関係は、実はちがう。だのに小説を書く時に広津が取り上げる方法はモーパッサンの方法である。そこに問題があり、ここから困りものの古さが生まれて来る。
 先に私は広津について「あれだけすぐれたヒューマン・ドキュメントを書き得る広津が、何故にこのように下手な小説を書くか、また書かなければならないか」と書いたことがあるが、それがこのことに照応する。ドキュメントやエッセイの中で、彼は人間としての自分の高さに立って、同じ高さの平面に立っている人間を眺め、ものを言いかけ、語る。だから他の人について語る場合にも、その中で彼は彼自身の自我の問題を処理している。表現は「他」と「我」との切線の上にうち立てられている。別の言葉で言えば客体と主体がぶち当って燃えたところで答が出されている。そこには人間を見下して軽蔑しながら憐むところの「神」の散大した視点はない。これこそ現代小説が自然に到達した方法である。少くとも我々が自然主義を通過して到達した方法である。つまり、広津はそのドキュメントやエッセイでもって、自然にそして正当にそこに到達しているのである。だから彼のドキュメントやエッセイは彼の小説よりもズット正当な意味で現代小説なのだ。しかし彼自身そうは思わないらしい。そしては「小説」を書く。その時にはかならず机の塵を払い原稿紙に向ってむづかしい顔をして対し、一言に言うと文学青年的に緊張して、自身の中の一番古めかしいところ、十九世紀の隅っこまで後退して書く。まるでそれは、卵を生む時にかならず小屋の隅へ退くニワトリの習慣のように厳粛な、矯正しがたい、そしていくぶんコッケイな習慣だろう。
 言うまでもないが、作品の中で「我」の問題を解決して行くと言うことは、かならずしも作中で直接自分のことを書くとか、いうところの私小説を書くとか、直接自分に関係のある問題を取り上げるとかいうことを意味しない。要は、それを自分が眺め、感じ、考えて、自分として最も高度に燃えて来る対象を描くことである。物理的な意味での自分であるか他人であるかは問題でない。自分にとって最も重大であり、最も興味の持てるものでさえあるならば、たとえ一匹の蚊のことを書いても、作家はその中で結局は自我の問題を解決して行くことが出来るし、解決して行かざるを得ない。そして広津にとってこの作中のひさその他の人物たちは、実はどうでもよい人間たちではないだろうか? 極端に言えば作者にとって死のうが生きようがどうでもよい人間ではないだろうか? すくなくともこの作品でとらえられているかぎりでは、そうとしか私には見えない。
 そして、そのことがこの作家の中に、良いことを何一つ引起していないのである。それはただ、古さを引起している。その古さは、一般的にも古いと同時に、実は広津自身が到達している地点から言っても古いのである。しかもさらに、彼の感覚を鈍化させるにも、あずかって力のある古さである。どんな理由で彼がこんな習慣に固執するのか私にはまったくわからない。広津ほどの鋭い頭と永い経験をもってしても、これはどうにもならないことだろうか? 芸術というものが、そんなふうに人をしてしまうものであろうか? それも、わからないことはないような気もする。しかし、よしそれが差し当り仕方のないことであったとしても、われわれはそれに抵抗し、そして克服するための努力を捨てるわけには行かないであろう。つまり、冷たく散大した、気味の悪い、そしてまったく荒蕪な「神の視覚」を拒否することをである。それが「小説」を自己崩壊に導くものであるならば、にわかにそうはできないという考え方もあろう。しかし、事実は逆だ。十九世紀以来の小説の歴史は、それ自体として「神の視覚」を拒否して人間の視覚に近づこうとする歴史であったし、現に小説の地盤が人間の視覚に立てば立つほど、小説は人間にとってより興味あるものになり、より喜ばしいものになり、より有用なものになって来つつあるのである。
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ぼろ市の散歩者 ※(ローマ数字2、1-13-22)



「よごれた汽車」――中野重治(「人間」十月号)
「吉野さん」――同人(「中央公論」十月文芸特集号)
「夜と日のくれ」――同人(掲載誌を忘れた)
 この二、三カ月の間に右の三篇の中野重治の小説を読んだ。わざわざではなく、自然に目にふるるにしたがって読んだ。どれにも感心しなかった。感心しなかったものについて物を言っても、しかたがないと思っていた。ところが、先日何かのキッカケで、右の三篇の小説のことをかためて一度に思い返して見る機会があった。すると、そこにおもしろい問題がいくつかあることに気づいた。そこで右の三篇の一つ一つを、もう一度読みなおして見た。
「よごれた汽車」は、青森から東北へ走っている夜汽車内の短いスケッチである。引揚者やそうでない老若男女の姿と会話が点描してある。「吉野さん」はそれよりもいくらか長い作品で、戦争中に「わたし」が知り合いになった、一風変ったおもしろい気骨を持ち、英詩を作る老自由主義者のことが書いている。淡々と記録風な書き方がしてある。「夜と日のくれ」は、ちかごろの郊外の夜道が物騒なことをつとめ人の兄が同じく働きに出ている妹の身の上を案じる形で描いたもので、これまたごく短いものだ。
 三つとも、うわついた書き方はしてない。カタギなものだ。しかしヘタな小説だ。それがただのヘタではない。ヘタを気取っているので、読んでいると実に妙な気持になるヘタさだ。しかしそれだけならば、かくべつ新しいことではない。中野が小説を書くのにカタギでヘタで、そしてヘタを気取るのは今にはじまったことではないから、そのことから今特別の刺戟を受けたりはしない。私の考えたのは、それとはチョットちがったことである。それはこうだ。
 この三篇を「小説」と言われても、別に私に反対すべき理由はない。雑誌の小説欄に組んであるから小説なんだろうと言ったふうのシマリのない気持で私は雑誌小説を読んでいる者だから、どんなに小説らしくない物を読まされても、たいがいびっくりはしない。やあヘンテコな小説だなあと思って過ぎてしまう。
 この三篇を読みおえた後でも、なんだかわかったようなわからんような、おかしな小説だと思い、そのわからなさ加減が私に不愉快であったが、それはそれとしてそれ以外に、またそれ以上に、三篇とも小説として何か異様に欠けているものがあるのを感じた。しかも、かなり重要なものが欠けている。その欠けかたまたは欠けた理由または原因として私に考えられたものの中に問題があると思われた。
 第一に、中野は作家であるよりも芸術理論家ではあるまいかという彼についてかねて私の抱いていた見方を、もっとハッキリと強くしたこと。というのは、この三篇の中で中野は、芸術理論を展開する時のように彼のトップのところで、彼のフルのところで動いてはいない。つまり、カンカンになって書いていないのだ。もちろんナメて書いているのではないが、自分の持っている手段と精力のありったけをつくして、そのトッパナのところでノルかソルかと言った式に自分を働かしてはいないのである。中野は理論的展開をやったり、特にポレミックの場合には、それができる人だし、現にやっている。小説を書くのにそれをしないのは、やれないのであろうか、何かの考えがあってやらないのであろうか。どちらにしろ、そのへんに小説家中野の重大な特質も有るようだし、そして彼の小説が重要なものを欠いでしまうのは、そういうところから来ているように私に思われる。
 昔私の知っていた画学生にこんなのがいた。美に対して非常に大きな能力をこの画学生は持っているらしく見えた。絵画に対する彼の鑑賞力や批判力は鋭く、そして、おおむね正鴻を得たものであった。美学や絵画理論について彼が樹立したシステムは相当に高く堅固なものであった。絵を描かしても、うまい、ただし、それはデッサンやクロッキイやスケッチにかぎられた。タブロウは描かない。たまに描いても、まとまらず、未完成に終る。そしては、デッサンやクロッキイに舞いもどってくる。そのデッサンやクロッキイを見ていると、この男が本腰をすえてタブロウを描いたら、どんな良い画ができるだろうと思わせる。しかし、タブロウにかかると、うまく行かない。そういうことをくりかえしていた。そのうちに、デッサンばかり描く絵かきになってしまった。つまり彼の可能性はズット先きにあり、そしてそれが、常に、そして永久にズット先きに置いておかれているかぎり、可能性であり得た。つまりデッサンやクロッキイを描いてさえおれば彼は或る種の画家であり、かつ画家としての自尊心は保たれ得るのであった。同時に彼の絵画理論は彼が到達しただけの高さと完全さを破壊される恐れなく、安全に温存され得るのであった。それはそれでよかった。ところが、そういうことを永く続けている間に、この男は、自分ではまったく意図しないで、また自身気づかないで、抜きがたいポーズに侵されてしまった。それが、ただのポーズではない。その男本来の姿と区別することの困難なようなポーズ、ラッキョウの皮をはいでもはいでも同じような皮が出て来て、どこまで行ってもラッキョウくさいと言った式のものになってしまった。つまり、ポーズが骨がらみになってしまった。そして遂に彼はホントの画家――タブロウに全身をかける者――にはなれないでしまった。しかも、まるきり絵をやめるわけにも行かないので、時々絵のようなものを描き、あとは画論をしたり、後進を指導したり、絵について警句を吐きちらしたり――一言に言っておそろしくキザな人間になってしまった。
 これに中野がすこし似ていると思う。彼の文学理論は或る高さにまで鍛えられたものだ。しかし作品というものは理論だけではできない。すくなくとも理論だけをそのままに放って置いただけではできない。当人のフルのところで、トップのところで、自身の持っている一切合財を対象にぶち当てて行くのでなければ作品はできにくい。そして、とにもかくにも、自分の全部をあげて対象にぶち当てて行くところにポーズは生まれて来ない。醜くかったり美しかったりはしても、キザにはならない。一所懸命な態度からポーズやキザが生まれることはない。中野は自分の全部で小説にぶちあたることをしない。または、できない。彼はいつでも断片を作る。「断片」は或る程度までうまい。しかし「小説」にはなかなか取りつかない。小説はズット先きにあり、そしてそれがズット先きに置かれてあるかぎり、可能性であり得る。つまり彼は断片を書いてさえおれば或る種の小説家なのである。重要な点は、そうしてさえおれば、彼は彼の達している理論的高さや完全さを、ゆすぶり立てないで過ごして行けるということだ。これを彼が全部意識的に――ズルく計算した上でやっているとは私には思えない。計算してやっている部分もあるが、大部分は無意識に、または追いつめられた形で、しょうことなしにやっているのではないかと思う。いずれにしろ、そういうことを久しく続けている間に、当然のこととして、ポーズに深く侵されてしまった。そして今となっては、中野がいてその上にポーズがくっついてしまったのか、シンから底までそのポーズに見えるものが中野の正体なのか、ちっとやそっとでは見分けがつかないくらいになってしまった。それが良いことか悪いことか私にはわからない。しかし、それがそうであるかぎり、中野がホントの小説家――小説に自身の全部をかける者――になり得ることはないように思う。そして、そのような小説家や小説は私にすべてキザに見える。小学生が大学生のマネをするのはキザであるが、大学生が小学生のマネをするのはさらにキザに、二重にキザに見えるし、そして前のキザはわりに治りやすいが、後のキザは容易に治らない。中野の小説は、その後のキザに私に見える。
 実例を一つだけあげる。「よごれた汽車」の中で「女は五十すぎの年配で、上等でない商売をしていた人のような黒い顔をしていた」と言う句がある。「上等でない商売」というのはインバイかインバイ屋のことではないかと思われる。もしそうなら、なぜそう書かないのだろう? 下品になるからか? いや、そうは思えない。それとも、ただ「低級な」または「あまり儲からない」等の意味だろうか? それなら、これまた、なぜそう書かないのだろう? 小説家なら、「ような」と書いても、その想像力の中で何かのイメージや連想を持っただろうし、持つはずだし、そして持ったのであれば、こんな「手前のところで気取った」表現をとる必要はない。いや、だから、これは表現ではないのだ。表現とは、「あえて、踏み込んで、決定する」ことだからである。
 これだけではない。あちらにもこちらにも、この種の表出がある。他の二篇の中にもたくさんある。しかも、これが文章だけのことではない。全体の構成にも、部分々々の切りこみ方にもついてまわる。実にタンネンにシウネクくりかえされるのである。その実例をあげて説明してもよいが、スペースが充分ないから、今は、はぶく。これらは中野の持っている「素朴病」とでも言ったふうの好みからも来ているらしい。誰にしても好みはあるし、書くものに好みが出るのをとがめるいわれはない。しかし、どうもそれだけではない。また、その程度ではないように思われる。つまりポーズだ。そして、このようなポーズではちきれるようになっているかぎり、中野には小説がさぞ書きにくいだろうと思うと同時に、他ならぬ、このようにヒネッたポーズが彼をして今日あるような「断片」小説家中野を支える柱になっている。そういう関係になっていると思う。
 第二に、以上のことと彼のイデオロギイの関係についての私の観察をかんたんに述べる。中野はマルクシストだ。彼がどんな理由で、どんな必然性でマルクシストにならなければならなかったか、私によくわからない。彼がその文章や作品で示している気質はひどく「貴族的」――というと言葉が過ぎる――たとえば芥川竜之介などと同じ系列に属する「選民意識エリート」――と言ってもピタリと当った言葉とは言えないが、さればと言ってチョットほかに言いようのない高級な趣味的気質――に貫かれているものである。しかも、その出生と成育の過程の上で彼をマルクシズムの方へ決定して来る生活的経済的条件がそろっていたようには見えない。結局は「時代」の影響やインテリゲンチャとしての「良心」と言ったようなものが彼をマルクシストにしたのであろう。その点宮本百合子などと同じだろうと思われる。それはそれでよかろう。彼の敏感さの証明として賞讃されてもよいことがらではあっても、非難さるべきことがらではあるまい。しかし、それがそうであるだけに、彼のシステムがチミツになればなるほど、政治家としての行動や、評論的活動の範囲内では、彼が到達している理論的高さの平面で自然にフルに自分を展開することができるが、文学創作の世界ではかならずしもそうは行かない。中野の場合は、そう行っていない場合だ。しかも、ひどくそう行っていない場合である。
 これは芸術というものの本質から来る制約なのか、それとも中野の質のために起きる限界なのか。両方だと私は思う。マルキシズムと芸術は、それぞれが高度に追求された場所では共存し得ない。(このことについては、不完全な形でだがすでに二、三の場所で私は私見を述べた。今後も述べるつもりだ。実は今していることもその一つである)すくなくとも、さしあたりは、双方の根本的な個所で背反する。しかも中野は幸か不幸か、かなり鋭い芸術家的気質や芸術的洞察力に恵まれている。そのために中野の内で、マルキシズムと芸術とがぶっつかり合って、いつでもあれやこれやのゴタゴタが起きているのではないかと思う。ゴタゴタはソッとして置けば、それなりでやって行ける。しかしゴタゴタの中で、いったん文学を生み出そうとなると、芸術とマルクシズムが背反しはじめる根本的な個所のズーッと手前のところで作品を生み出す以外になくなる。また、その二つの最大公約数(その数値は非常に小さい)として生み出す以外になくなる。それが中野の作品である。彼の小説が断片になりがちな理由はここにもあるわけだ。平野謙が中野の小説について言っている「わかりにくさ」も、一つは中野の「素朴病」やポーズからも来ているが、右の理由からも来ている。また、中野が宮本百合子のように「かしこく」も、別の意味で徳永直のように「バカらしく」も小説らしい小説が書けない理由もこのへんにある。小説家中野は、さぞ苦しいだろうと思う。注意しなければならんのは、或る種の苦しみは、或る程度内で或る期間の間くりかえされると、変てこな楽しみになってしまうということである。そうなれば、これまた、ポーズということになる。その人のポーズはその人の地獄だ。同時にその人のアヘン窟である。中野の状態がはたしてそんなふうにまでなっているかいないか私は知らぬ。しかし中野の小説が、「クサヤのヒモノ」のような匂いを持っており、近来とくにその匂いが強くなって来ている事実を、私としては右のようなことがらと関係させないでは考えられないのである。中野がもし小説家ならば、または、もしマルクシズム理論家ならば、そして、そのいずれの側でも、もしホントの答えを出したいならば、彼のフルのところで、彼のトップのところで、ギリギリいっぱいの、恥の外聞もポーズも投げ捨てたところで、投げ捨てざるを得ないところで、つまり、タブロウとしての小説を書いて見せてくれなくてはなるまい。問題は、そこいらから、やっと始まると思う。そして私は中野がそれをして見せてくれるだけの能力を持たない人だとは思っていない。
 現在の中野のこのような姿は、ただそれを指さして拍手したり、笑ったりして置きさえすればよい姿ではないだろう。中野の姿は、中野だけのものでは無い。そこには、マルクシストたちにとってはもちろんのことであるが、マルクシストでない者にとっても解決しなければならぬところの、深い、そして一般的な問題が示されている。一定のイデオロギイと芸術との相関の問題だ。なぜなら、イデオロギイはマルクシズムだけではない。誰にしろ、キンミツに考える近代人は、何かのイデオロギイから完全に逃げ出すわけには行かないからである。私は私なりに中野の三つの小説から、そんなわけで、いろいろのことを学んだ。

「あ号作戦前後」――阿川弘之(「新潮」十一月号)
 長篇小説の一部だとことわってあるが、これだけでも相当長いものである。戦争中、海軍軍令部特務班(無線通信による暗号盗読の作業をうけもつ)に勤務していた予備学生出身の小畑耕二を中心に、数人の同僚の青年将校の姿を、あの時代のあわただしい動きの中に、そして同じ場所に勤務している女子理事生たちとの淡い恋愛関係を点綴しつつ描いてある。特色は、近代戦における神経中枢とも言わるべき暗号通信操作の中心地帯についての記録風の解説や描写が質量ともに目立つように取りあつかわれている点と、しかしそれがただ単に作品全体の背景または地塗りとなっているだけでなく、作中人物たちの生活や心理と表裏一体のものとして掴まれている点だろう。記録的な構成の中に小説的な要素を持ちこんで、大した不自然さやアンバランスを引き起していないのは、最近現われたこの種の作品中目立ったものであるし、新しい小説分野への展開へのヒントのようなものをも含んでいる。それはこの作者の現実認識の眼がガッシリと重厚なこと、対象への態度とそれの表現にあたっての近代的に明晰なナイヴィテと、そしてセンスの新鮮さとから来ているように思われる。全体および各部の淡々とした非情の筆つきに、時に老成をてらった感じがないでもないが、しかし概してそれさえも材料とよくマッチしている骨の折れた仕事だ。そう思う。思いながら、なにか中途半端に、片づかなくなっている自分に気がつく。どうも小説が自分を強くは打って来ていないのである。これだけの仕事がしてあれば、なにかの形でもっとノッピキならずこちらを打って来るはずだ。しかも取り上げてある材料や時期がそれ自体としてほとんど激烈と言うに近いものなのだ。もっと強く来そうなものだと思う。それが何か白々と――と言えば言い過ぎるが、とにかくピタリとこちらの肌に迫って来ない。どうしてだか、よくわからない。もちろん私のがわの責任もあろうが、作品にもその理由がありそうだ。それを考えて見た。
 第一に、作品に描いてある諸事実が事実としてプロバブルなパスポートを持っているだけにとどまっていて、それらの客観的な実在についてまったく疑いを※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)しはさむ余地が起り得ないほどに煮つまったものでないことである。
「さもありなん」程度であって「そのものズバリ」の実在感にとどいていない。記録物ないし記録的要素の上に立った作品に往々にしてあるところの「二重の虚偽の感じ」はまったくないが、ザッハリッヒな圧力は来ないのである。作の基調になっている、また部分としても最も大きな部分を占めている記録的な要素がザッハリッヒに「物それ自体」として来る以前に「ザッハリッヒな感じを生み出すための小説作法」として来てしまうのである。もちろん、現実の取り扱い方が着実であるために、よくある「小説のハメ手」には感じられない。あるいは作者はただナイーヴに「このようなことがあったから、それをそのまま書いたまで」かも知れないとも思う。そう思われるフシがかなりある。つまりなかば無意識の布置であったかもしれない。しかし、小説作法をまったく考えないほど、また、そのような意味でナイーヴではこの作者はないようだ。その証拠は、すでに最初からの視点(ポイント・オヴ・ヴュウ)の置きかたに示されている。つまり、この作者はホントは終始一貫主人公小畑耕二の視点に立って(小畑を「私」として)書きたく思ったか、または書かなければならぬと思ったかではなかろうか。しかし、それで書くと、書けない部分ができてくる(たとえば、作中「八」その他)。そのために、小畑の視点を中心にした第三人称で書くことに決めたのではなかろうか。これは私の推測だから当らぬかもしれぬが、とにかく作者はこれだけの物を書くのに、どこに視点を置くのが最も有利かということを(――つまりそれが小説作法なのだが)考えたろうと思われるし、事実考えた結果起きた抵抗の痕跡らしいものも数個所で指摘できる。つまり、文字通り日記を書く時のようなナイーヴさで書かれたのではない。あくまで小説として書かれているのである。客観的事実の記録は、フィクションにリアリテを附与するための裏打ちとして提出されていると見なければならぬ。つまり記録は手法として使用されている。もちろん、記録は手法として使用されてよいと思う。
 そして作者の着実さは、かかる手法を一応駆使し得ている。記録的要素は作品の中で全体のオーケストレイションを妨げていない。消化されている。一応は、である。そのかぎりで、一つの新しい成就である。しかし同時に、実はそのようなものよりも、もっと大事なザッハリッヒな実在感をこの作品が失っているのも、実はそのことから来ていると私は思う。このような程度の、また、このような形での記録的要素の処理のしかたでは、実在感は充分には生まれて来ないだけでなく、往々にして、逆にそれが阻害されやすい、この作品は阻害された例だ。そして私がこの作品から打たれなかった原因は、そこから生まれて来ていると思う。つまり、フィクション全体にザッハリッヒなものを附与するために提出された客観的事実の記録が、ザッハリッヒなものを与える前に(または、部分的には或る程度まで与えながら)全体としては、「ザッハリッヒなものを作品に附与するための手法」としてこちらに来てしまうのである。いわば写真に写された「物」よりも、写したカメラのレンズの位置や質が強く来てしまう。目的が達成されなかったという意味で、やっぱりこれは失敗であろう。そして残念ながら、このような手法は、私の見るところでは、すべて失敗する。
 現代の映画が、新しい芸術的手法として取り上げつつある要素にドキュメンタリイないしセミ・ドキュメンタリイがあるが、これが現在までのところ、みな不成功に終っている。その理由はいろいろあるが、最も大きな理由は、ドキュメントの部分と演出された部分とが互いに相殺するからである。それと、この場合が似ている。
 ドキュメントというものは、それを生んだ大前提ポイント・オヴ・ヴュウに対して、まったく疑う余地のない客観的に完全な信頼性が与えられていなければ、ザッハリッヒは出て来ない。たとえば『戦歿学生の手記』中の一篇の方が、この「あ号作戦前後」よりも、「美」はどうか知らぬが、「真」と「力」をわれわれに感じさせるのである。
 またフィクションの場合は、作者が現実に向ってした「認識の戦い」の末に「決定」があって、はじめてザッハリッヒが生まれる。別の言い方で言えば、現実を認識するにあたって、自我が燃焼して現実が再編成され再生して、はじめて冷たい事実以上にリアルな現実感が生れる。たとえば、志賀直哉は「真鶴」の中で、対象を見つめ抜いて、それを「自」か「他」かわからぬところまで追いつめて、最後に「決定」している。ために、主人公の子供は、ザッハリッヒに生き動いているのである。(――実は、それが「表現」の本質であると私は思う。)「あ号」は、そのいずれでもなく、しかも、右のようなドキュメントとフィクション双方の持ち得るメリットを二つながらあわせ取ろうとした作品だと思う。非常な慾張りだ。慾張りは大いに結構である。しかし双方が二つながら中途半端に――つまり失敗しているために、互いが互いを相殺して、プロバブルな実感しか生れて来なかった。
 そして考えるのは、ドキュメントとフィクションは、もしかすると結局は、一緒にすることのできないものではなかろうかということだ。どこまで行っても相殺するのではなかろうか? つまり、それぞれ、いずれか一つに徹底する以外に、ザッハリッヒを生み出すことはできないものではなかろうか。
 ハッキリした答えは私にはない。しかし今のところ、そんな気がする。この点については、ハンス・カロッサの小説が提供している方法などを参照しながら考えて見る価値があろうし、また、実作品において、阿川弘之および新しいたくさんの作家たちが、実践して見る価値があろう。もし万一、ドキュメントとフィクションが同時に採用されて双方が相殺しないばかりでなく、互いに互いが作用し合って二プラス二が六になるようなザッハリッヒを生み出すことができるようなことになれば、小説のための新しい広大な境地が開けるだろうと思う。
 この作品について、もう一つ言い加えて置きたいことは、作中の青年たちが、ほとんど全部、あの戦争中、戦争の中心地帯に生きながら、戦争に対してひどく冷淡であるように書かれているが、私にはこれらの青年たちが戦争を肯定するにしても、否定するにしても、ここで書かれているような熱度の低さで生きていたとは信じられない。それは事実でなかったような気がする。実は作品全体がザッハリッヒな力で私に迫って来なかった理由の一つに、それがある。つまり作者は、その点でほしいままに事実をまげているのではないだろうか。またはそこのところだけを抜かして書いているのではあるまいか。そして、もし、この点で、現在こういう時代になって来たための、作者の意識的無意識的なデフォルメーションが加えられているとするならば、私は賛成できないし、これまた作者の「記録者」としての弱さ、「小説家」としての甘さの証拠だと思う。
 以上の私の考察は、直接にはこの作品についてのさしあたりの感想であるが、同時に、近来盛んに試みられている記録物やルポルタージュ作品一般に或る程度まで共通して考えられることだろうと思いつつ、これを書いた。





底本:「叢書名著の復興1 恐怖の季節」ぺりかん社
   1966(昭和41)年12月1日第1刷発行
底本の親本:「恐怖の季節 現代日本文学への考察」作品社
   1950(昭和25)年3月25日発行
初出:大インテリ作家「群像」
   1949(昭和24)年2月号
   小説製造業者諸氏「群像」
   1949(昭和24)年2月号
   『日本製』ニヒリズム「群像」
   1949(昭和24)年5月号
   ブルジョア気質の左翼作家「群像」
   1949(昭和24)年6月号
   落伍者の弁「群像」
   1949(昭和24)年7月号
   或る対話「群像」
   1949(昭和24)年8月号
   ジャナリストへの手紙「群像」
   1949(昭和24)年9月号
   恐ろしい陥没「作品」
   1949(昭和24)年10月号
   小豚派作家論「文藝春秋」
   1950(昭和25)年1月号
   ぼろ市の散歩者「中央公論」
   1950(昭和25)年1〜2月号
※「ロシア」「ロシヤ」、「スロオガン」「スロウガン」、「マキアヴェリ」「マキァヴェリ」、「ハンデキャップ」「ハンディキャップ」、「むずかしい」「むづかしい」、「ずつ」「づつ」、「サボって」「サボッて」などの混在は、底本通りです。
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也・及川 雅
2008年12月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について